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やっと…、私に笑顔が生まれました。 結局、先週末、仕事のリーダーミーティングには行きませんでした。前日にいつも病院に来てくれている先生が来てくれて、「リーダーの先生たちと話して、今の体調で無理をして今来てくれる必要より、今は病室にいて安静にしていてください。また安定してから話せばいい。」というみんなの気持ちを伝えにきました、と。 本当にみんなに感謝です。 そして昨日の日曜日、何とか心拍が確認できました。相変わらず出血は続いているし、もうビクビクしての診察。ものすごく緊張して、疲れ果てました。やっと… (PM 09:48) A先生、「出血はあるなぁ。でも大きくなって育ってる。10ミリ前後くらいやな。拡大して…あー動いとる動いとる。よかったなー。まぁ第一段階はクリアやし。張り止め(流産止め)の薬(ダクチル)は飲んどいてな。2週間後にもう一度診てみて大丈夫だったら母子手帳とろう。」って。 は~、まだ2週間、半月…はどうなるか分からない。勿論その後も、10~16週くらいまではいつ止まるか分からないんだけど。それよりもこの半月間は緊張が高い。 とにかく心拍が確認できたというのに、嬉し~いって感情は湧いてこなくて、「あ~よかったぁ~ハー」やっと… (PM 10:01)その次に出てきたのは「まだ不安」。 その後すぐに、週末のリーダーミーティング・研修・全体ミーティングの報告に来てくれて話し、何だかここ暫くの疲れがどーっと出て、喜んだり笑ったり全然できなかった。 でも夜になって、次々に看護婦さんやいっしょに入院している友達や助手さんや、みんなが喜んで声を掛けてくれて…。 それに答えて話しているうちに、自分でもそうなんだぁ~と思えてきました。「とりあえずは、心臓がピコピコ動いていたんだよ~。よかったぁ、よかった…(しみじみ)」って気持ちを実感できました。やっと… (PM 10:17) 一晩あけて今朝、師長(婦長)さんや昨日は居なかった看護師さんが声を掛けてくれて…。 内科主治医のH先生が「よかったなぁ。よかった。今の血糖コントロールなら大丈夫だと思うし。報われないこともあるけど報われることもあるなぁ。旦那さん喜んだやろ。 10ヶ月ずっと入院、まぁ少なくとも安定期までは入院継続で考えような。でも、よかったなぁ。」って。 みんなが喜んでくれて、私はだんだん、どんどん嬉しくなってきた。 今朝も浮かれた気分に冷水っ感じに出血があったけど、とにかく、“やっと”私に笑顔が出た。
2005.01.31
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仕事のことで凹んでいた。 大げさに言うなら「何で私を追いつめるの」って被害者のような気持ちになって、周囲の人が怖くなっていた。 今回のことで慌てふためいて取り乱している私に、色々な人が真剣に愛情を持って厳しいことも言ってくれ、そしてみんな優しかった。 私がいけなかったな、やっぱり。 今までやれなかったことの初めの一歩を踏み出すのは、正直怖いし気が重いけれど、みんなに貰った優しさをエネルギーに勇気を出そうと思う。 そう思えるようになった今朝届いたメルマガに、こんなことが書かれていた。 反省 (PM 04:12) 以下、引用するね。 ≪問題がある限り、出番がある≫社会を変える一番良い方法は、自分が変わることである。自分の背中を見て変わる人の伝播が始まれば世界が変わる。自分にスイッチを入れるだけ。 以上、引用。 全文はもっと長いんだけどね。 「何で今この時にやらなきゃいけない状況に追い込むの~」私の奥底にそんな気持ちがあって、そのベースでスタートするから、全てが苦しく思われてしまったんだな。そうじゃない。まだ私を必要としてくれるってことだよ。出番があるってことだよ。 反省 (PM 04:18)「私が私の行動を変える」ことからしか、状況は変えられないんだよ。 私は、他者を変えようとするんじゃなく、他者のスイッチを入れようと無理強いするのではなく、私はまず私のスイッチを入れる。そう、「自分にスイッチを入れるだけ」なんだな……。反省 (PM 05:10) まだ少量の出血が続いていて心拍も確認できていない。切迫流産止めの薬(ダクチル)を飲みながらなるべく安静に過ごしている。 だからって、この後に及んで、今週末にあるリーダーミーティングに行きたくないって思ってた。 スタッフは、私に現場で保育をしてくれなんて多分言ってない。「放棄しないで。逃げないで。」と言ってるんだよ。なのに私は…。 主治医のH先生は、「体のことだけを考えるなら、行くべきじゃない。切迫流産の為安静が必要で外出禁止って診断書書こうか。行って良くなることは全くないけど、悪くなるリスクは増える。」反省 (PM 05:22)「でも、仕事って社会的責任もある。まぁ、よく考えて。どうしても行くと言うなら、旦那さんとだけはよく話し合わないといけないよ。子どものことはひとりで勝手にしていいことじゃないし、これで必ず流産するわけではないかもしれないけど、よくない結果が訪れたときに、どうしても、何かをしたからとか何かをしなかったからとか、何かに原因を探そうとするから…、何があってもこれからも一番大事なパートナーなんだから…、だから旦那さんとはよく話し合って決めなよ」と言ってくれた。反省 (PM 05:47) 夫と話し合ったとき、仕事のこともずっと応援して支えてきてくれた彼は、私の仕事のことも病気(糖尿の状態、摂食障害、鬱で動けないとき、対人恐怖)のことも、子どものことも、全部よくよく分かってくれた上で、どうするのが一番いいのか分からないって、すごく辛そうな顔をして黙り込んでしまった。 病院から帰った後暫くして、夫から電話がかかって来た。 「行くなら、仕事の調整をして早退して来るから一緒に行こう」って。「不妊治療しても授からないときは授からなかったでしょ。やっぱり手を離れたところの授かりもの。」反省 (PM 05:54)「だから、これで流れるか居てくれるかも、授かること。それを受け入れていくよ」と。 ありがとう。 「私は変わりたくない。だからあなたが変わってくれ。」じゃ、いけない。とにかく、怖くても辛くても、次は私が頑張る番。まず私が自分のスイッチを入れようと思う。
2005.01.26
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今スタッフがガタガタ。立ち上げの時から頑張って来てくれた中心スタッフが、今までお互い励ましあって頑張って来たけど、もう疲労困憊と、次々退職願いのメールが入って…。 私が全部フォローするから安心していいよと話しに飛んで行く? で現場する? 主治医は行くなと言うけれど…。 これからも、子どもの命を取るか仕事を取るかという選択をしないといけないことがあるんだってことを覚悟しないといけないんだ…、今自分はどう考えるのか自分の価値観をよく考えてみろと、思い知らされている気がします。 力が足りなくてごめんなさい。
2005.01.23
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仕事立ち上げ時、持病のある私は現場責任者を求めたが巡り会わず、見切り発車。嘆いていても仕方がない。とにかく責任者が立つまでは無理を重ねても現場のサポートをしなくては…と無茶な日々を送った。春にオープンして、そのとき既に一ヶ月以上声が全く出なくなるほど無茶をした。その後も体調は最悪。主治医のH先生に「治してくれなくていいから、しんどさを感じずに働けるように覚醒剤のような成分の薬を出して欲しい」と頼んだりした。 私も疲れ果てたけど、疲れてしまった私を支えて中心スタッフはもっと苦しんだと思う。罪悪感…
2005.01.20
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去年の今日1月19日に、この入院が始まったんだ。 そのときHgA1c9.7%、9.9%とかを数年続けて、尿蛋白がずっと+になり±に戻らなくなって入院した。昨年中は多分延べ222日くらいこの病棟で過ごしたんだなぁ。 まだ心拍は確認出来ていないけど、16日日曜日に胎嚢が子宮内に居てくれるのが見えた。一年経って見たら、全く違う処まで歩いて来させて貰ったなと思う。 仕事の上でスタッフに苦労をかけっ放し、もうスタッフが悲鳴を上げている。立ち上げにはこんな私でも役に立ったが、今の段階となっては私が経営者ではダメなのかもな……。
2005.01.19
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こんなに恵まれた妊婦生活もないだろうなぁ。 家事も仕事も一切しないのは勿論。なるべくは安静をと言うので、病室のゴミ箱を捨てに行くのも夫がしてくれる。 糖尿病妊婦の初期管理はとても重要なので、まだ胎嚢の確認さえできていないけれど、血糖コントロール強化。6分食にしなくてもコントロールが付いているので、一日720kcalを3回に分けている。現在、各食前血糖が60台、食後2時間血糖が70~80台。血糖が低めなので、より強い胃が痛くなるような空腹感があるけれど、それは我慢我慢。こんなに (PM 03:24) でもストレスから来るイライラでの過食衝動が摂食障害者の私を襲わないように、なるべく外的ストレスを減らすよう、個室に隔離してくれている。面会制限も付いているので、気を遣わないのも助かる。 怒りや対人恐怖の対処法としての食欲(過食)は抑え難いけれど、そうではない、ただただ物理的な空腹は、冷たい手足と痛い胃を抱えて布団の中で丸くなって時が過ぎるのを待てばいいだけなので、まだ何とか、おバカ患者の私でも頑張れる範囲。 結果的にうまく育たなかったとしても、やれることはもうないというだけのことしてくれている。こんなに (PM 03:42) うまく育つことが出来なくても、お腹の胎芽ちゃん、こんなに大事にされたってことに包まれて帰っていくなら、幸せだよね。 もしうまく育ってくれて生まれてきてくれたとしたら、それはそれは多くの人達に大事にして貰った厚みに包まれて生まれることが出来るだろうと思う。 私ひとりでは充分に包んであげられない分、多くの医療従事者の人たちや家族が力を加えてくれて…、とにかく、このお腹にいる胎芽ちゃんは、暖かいピンクに包まれて、絶対に幸せに違いない。そんな胎芽ちゃんと一期一会な私も、不安も含めて、幸せだな。
2005.01.15
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トイレットペーパーにうっすらピンク色が付くような出血や、トイレに5滴くらいスポットで垂らしたような出血だったりが、1日に1,2度あり、そんな日が続いている。 トイレに行く以外はずっと横になっていたら…と何人もの看護婦さんが勧めてくれるけれど、食事の下膳3回、血糖測定6回、インスリン3回、検温等3回、夜間の巡回4回……、申し訳ないし心地悪いので、私の希望として断って、いままで通り、他の人がナースステーションへ自分で行って自分でやることは、また自分でさせて貰うことにした。どう考えていたらいいだろう… (AM 09:43) AIHやIVFの後、あまり期待しないように、「多分今回もダメなんだろうけれど、まっ期待せずに諦めず、続けてるんだよねぇ~」と、前もって自分に予防線を張っているのに似ている気がする。 39歳6ヶ月、IVF1回AIH7回で、初めての陽性反応。摂食障害で鬱持ちの糖尿病患者が、鬱や不眠の薬を全て中止した上で続ける妊婦基準の血糖コントロールの日々。 ずっと見てきてくれた看護婦さんたちは、初期流産なら安静にしても…あまり仕方がないと分かっていても、「でも、折角なら…ね。やれることはベストを」と言ってくれる。どう考えていたらいいだろう… (AM 09:58) あまり動かない解決案を考えたと、さっき看護婦さんが、一日分の血糖測定チップなどを部屋に持って来てくれた。せめて6回の血糖測定は部屋で…と。インスリンはナースステーションという折衷案。 私のこと心を砕いてくれて、ホントにありがとう。 内科のH先生は、「それは仕方無いよね、人間に限らず、この先、生きていけないと分かった個体は生まれられないからね」という。その言葉は心の準備のようにフワッと私の中に降りて来た。 反対に夫はいつも、最終的に決定になるまで「きっと大丈夫だよ」と言う。 両方の人が囲み支えてくれている。
2005.01.11
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今日も1回だけ、ほんの少しトイレットペーパーにピンク色が着いた。 その時は一瞬、このまま出血が続いてしまったら…と思ったけれど、でも、何だかここ暫く無かったほど心が穏やかだったな。 やっと年賀状のお返事を書いた。仕事の立ち上げで無理を重ねて体調がしんどく、せっかく用意した年賀はがきを無駄にして一枚も書かなかったここ2年。今年はお返事だけだけど書けてちょっぴり嬉しいです。穏やかな気持ち (PM 10:32) 今まで詰め所に行ってしてた、血糖測定(6回/1日)とインスリン(3回/1日)を、看護婦さんが、安静にした方が良いよぉ~って、わざわざお部屋に持って来てくれました。ただでさえいつも忙しいのに、気持ちがすごくありがたいです。 今開業してAレディースクリニックを開いているA先生も、元は内科入院でお世話になっているN病院に勤務していたので、看護婦さんたちもよくA先生のことを知っていて、私が色々話すと「A先生、サバサバしてるから~。らしいわぁ~」と笑います。 こんなに初期に、こんなに大事にしてもらって、申し訳なくありがたいです。
2005.01.10
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昨夜、トイレットペーパーに少しピンク色が付いた。ドキッーっとした。小さな血の固まりがトイレの水の中に沈んで行った。 この小さな血の固まりは、7年前くらいに不妊治療していた頃何度か見たことがある。 それが何なのか、本当のところは分かっていないのだけど、自分では、着床しかかった受精卵が流れたときの固まりなんじゃないかと……何となく思っていた。 ぞーっとした。 夜が明けたら、やっと病院という日に、何もそんな出血しなくても……。 なかなか眠れなくて、ちょっと眠っても、数十分で目が覚める。ふ~。 厳しいなぁ (PM 01:35) 朝いちのトイレでも、ペーパーにうっすら血がつく。 少し開き直って、「取りあえず今は、まだママなんだもん。」と、Aレディースクリニックへ向かった。 受付では、自分でした検査薬や内科でも尿検査してもらって共に陽性だったこと、でも少し出血があることなど、何も伝えなかった。先生と直接話してからと思って…。A先生「どうだった」私(基礎体温表を出しながら)「生理まだ来ないんです、でも」A先生「おっ、これ妊娠しとるやないか」(先生、嬉しそう)私「でも、出血があって(しどろもどろ…)」A先生「おー、動揺しとるぞー」厳しいなぁ (PM 01:48) A先生、私が初めて妊娠が分かって嬉しさのあまり動揺していると思ったみたいで、すごく喜んでいる笑顔で、いたずらっ子がふざけて囃すように、「○○さんが動揺しとるぞぉー」と微笑ましそうに笑った。看護婦さんもニッコニコ。 出血の日にちと様子を私から聞いて、A先生「すぐ診るから、内診室入ってー」と明るい声。 違うんだけどなぁ。妊娠らしいってことは分かってて、それで舞い上がってる訳じゃなく、不安でこんな話し方になってるんだけどなぁ。厳しいなぁ (PM 02:08) 私はそう思いつつも、でも、A先生がすごく嬉しそうな顔をして、私が喜んでいるだろうことをA先生が喜んでくれているってことが嬉しかった。 内診室に入って、A先生「出血、しとるなぁー、でも少量やし…」A先生「(超音波で探しながら)うー、どこや~、これかなぁ…。内膜は厚いから、妊娠は間違いないんやけどなぁ。つわりは無いか?」私が「無いですぅ」と返事すると、A先生「無いかぁ(声が少し沈んで)、(ホンの少しだけ間が開いて、でも私が不安がらないようにかな)それは寂しいなぁー、雰囲気出んなぁ」と言う。厳しいなぁ (PM 02:31) (超音波であちこちを探してくれて)A先生「外妊ではないみたいやし…、やっぱりこれかなぁ…。ほな、おしっこの検査してみて」と言って内診は終わった。 最後の方の先生の声は、かなりトーンが下がっていて、さっき、私が嬉しさに動揺してるとからかって喜んでくれてたときのトーンとは明らかに違っていた。私は、「うーんやっぱりな」って感じだった。 再び診察室に呼ばれたとき、もう尿の陽性のことには先生は触れなかった、カルテにはしっかり陽性と書かれていたけれど。厳しいなぁ (PM 02:51)A先生「丁度5週目に入ったばかりやから、まだ(胎嚢が)見えんこともあるわな。」A先生「基礎体温はつけておいてな。こういうときは『おとなしく』過ごしておいてくれた方がいいんやけど、まっ、ずっと寝てたらいいってもんでもないから、…任せるわ。」と言って、張り止めの薬(ダクチル50mg 一日4錠 毎食後+眠前)を処方してくれて、hCG5000注射して帰ることになった。 私は、今、内科入院しているから「安静」にし放題だけど、受精卵の染色体異常による流産なら、対処の仕方がないってことなんだよねと先生の言葉を翻訳してた。厳しいなぁ (PM 03:19) 処方されたダクチルには「お腹の痛みを抑える薬です。切迫流早産の時にも用います。」と書かれていた。A先生「来週また診よう。出血したら診察予約日でなくてもすぐ来てよ。」私「はい」 この展開だもの、もちろん、先生は結局「おめでとう」とは言わなかった。 ダクチルをのんで、安静にして、もう一週間過ぎるのを待つ。月日が結果を出すのを、待つ。 経験の豊富なA先生の中では、何割くらいのヨミなんだろうな…。私の年齢では、5人に1人は初期流産するらしい。何だか神様は、諦めてしまえない高齢不妊者に、容赦ない。厳しいなぁ (PM 03:39) そんなこんなでストレスがかかったのか、朝食後2時間血糖値も昼食前血糖値も高め。 Aレディースクリニックから内科入院しているN病院へ戻ったら、丁度昨日書いたおばさんが退院の準備をしていた。ここで歩み寄って行って「私、やっと妊娠出来たんだけど、流れそうで安静にしてるんだ。愛想悪くてカンジ悪かったでしょ、ごめんね。」と言いさえすれば、相手の気分は少しは晴れるんだろうなと思ったけれど、何でこんな気持ちまで、ピエロになって人に差し出さなければならないんだ……と、私の中の八方美人に毒付いて、私は口を開かなかった。厳しいなぁ (PM 03:50) ゆとりのある人は振る舞いも美しいんだろう。反面今の私はギスギスしてる。 年賀状も書いていない。返事すら1枚も書いていない。 とってもお世話になった人たちさえ、メールの返信さえ無視して、呆れられていく。 悪気じゃない。恩や感謝を忘れている訳でもない。でも、今の私にはゆとりがない。そのことで「(私に)生意気に、バカにされた。」と怒る人も多いけど、それは、私の「ゆとりのない美しくなさ」が、怒られ嫌われているってことなんだろうなぁ。 私の力が貧しいことが責められてるんだろうなぁ。厳しいなぁ (PM 03:57) でも、私は私に与えられただけの力しかないし、これが私なんだから、仕方が無いよね。 まぁ、すべて、なるようにしかならない。寿命のように、与えられるようにしかならない。 朝、迎えに来て、付いていってくれた夫が、今こうして携帯にブツブツ気持ちをぶつけている私の横で、病院のコインランドリーで私のお洗濯しながら、いっしょに居てくれた。仕事の忙しいシーズンなのにありがとう、パパ。今はまだ、一応パパだもんね。
2005.01.09
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明日やっと、妊娠判定の診察日。 明日になったら、一応「妊娠したんだ」って言えるかなぁ。 年末頃、私のイライラや頑張れない気持ちがピークで、その気持ちは全部過食に向けてばかり。HbA1cが6.2%、体重も8kg増。 不妊治療を止める気も無いし、血糖管理を放棄するつもりもないけれど、とにかく「今はちょっとだけタイムが欲しい。休みたい」と思っていたところでの、生理の遅れと陽性反応。 とにかく、明日…。初期流産の心配はまだまだある。でも着床してくれていたら、一応は気持ちの上で「妊娠した」って思えるんだけどな。明日になったら (PM 03:11) 今はまだほとんど言ってない。 今、仕事のことと、家族のこと(子どものことも含めて)、病気のこと、この3つについては本当に、人と話したくない。場当たり的ないい加減なことを無神経に言われれも、私が弱くなっていて防御しきれず傷ついてしまう。 病院の同室になったおばさんや隣の部屋の暇を持て余しているおばさんたちの噂話にされたくない。 同じ病人なのに、どうしてそんな気持ちを分かってくれないんだろうな…。 気持ち良く挨拶とかだけして過ごす、それで勘弁してよー。明日になったら (PM 03:20) 今、自分自身に対してさえ「妊娠してるかどうか」不安なのに、他の人になんて言えないし、言った後、その話題を持ちかけられるのも、暇潰しのネタに噂話されるのも、イヤ!! 放っておいて欲しいだけなのに、「感じ悪い奴」として攻撃されるんだろうな。 以前の入院の時に同室になった人が再入院してきたけど、私はほとんど顔を合わせないようにしていた。 別にその人個人を嫌ってる訳じゃない。今は誰とも話したくないだけなんだけど、話したくない理由を話しておくこともイヤだっただけ。 そしたら、すごく怒っちゃったらしい。明日になったら (PM 03:39) ここは病院なのに、静かに黙っていたいとか……って、いけなくないよねぇ? ごめんなさい。今は他の人の機嫌をとる(気遣いをする)余裕がないです。なのにそれをまた、責められてると思うと、その人を引き金に私を責める人たち(姑とか…義理系の人たちなんか)が私に何かしら言いがかりをつけてることが頭に次々に浮かんでくる。 糖尿になる前に加入していた保険が満期になり、入退院したので、入院に関してはもう保険の更新を受け付けてくれないということで、私の入院費はどこからも補われないけど、個室に移ることにした。明日になったら (PM 03:55) 内科入院でお世話になっている病院の支払いは、健康保険3割負担で、一ヶ月の入院費が13万円くらい。それに長期入院のため、一日当たり3000円が請求されるので、一ヶ月95000円くらいが追加され、合計、大部屋入院で、23万円くらい。それに、AIHの月、IVFの月それぞれの不妊治療代が加わった金額が、私の毎月の支払いになる。 正直、私の貯金はこの一年で底をついてしまったなー。 個室代は一日6000円、一ヶ月20万円近く。 これから出産に向けて費用もかかるし、わがままばかり言っていられないよね……。明日になったら (PM 04:14) 心拍確認できたら、少し開き直れるかなぁ。そしたら大部屋に戻してもらうお願いしようかな……。 でも、イライラして血糖上げたり、過食我慢ができなくなったりしたら、子どもの器官形成に差し障るし…、せめて、一番血糖管理の大事な「器官形成期(受精後12週)」(3月6日頃まで)は、穏やかな気持ちでいられるように、個室に引きこもっていた方がいいのかなぁ。(でも、毎月50万円ずつかかっちゃうしなぁ…)。 今は、「面会謝絶」じゃないけど、個室のドアに「ご用の方はナースステーションまで…」の貼り紙をしてもらって、引きこもってます。明日になったら (PM 04:31) でも、流石に個室。移ってまだ数日。対人恐怖の私はすごく楽になって、血圧も下がってきて(160/110くらいだったのが、110/70くらい)、以前個室に居たときと同じくらいになってきた。 今のところ、イライラして過食ってのも、何とか無く血糖管理できてきたし…。 いつ妊娠できるか分からないけど未来イメージにと、少しずつ(母子手帳ケースとか)色々なものを買ってある中に「出産準備ダイアリー(出産までの毎日を楽しく記録!)」ってのがあって、いつか書き始められたらいいなと思ってた。 明日の診察から、書き始められたらいいなぁ。
2005.01.08
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3日朝、市販の妊娠検査キッドが、薄いけれどプラス反応だった。でも胎嚢が確認出来るまでは、「妊娠」とは言えない。 AIHから3週間後、(1/8の予定だったけど時間の都合で1/9)に診察で胎嚢が確認出来るまで、不安。 陽性反応は、「hCGが検出された」ってだけで、受精卵になったけど着床せずに既に流れてしまっていることも考えられる。 そんなことを、4日夜、内科主治医のH先生と話していたら、H先生「テストパックしてみたら」と翌朝尿検査のオーダーを入れておいてくれた。 という訳で、今朝(1/5)に二日ぶりに検査してみました。テストパック陽性 (PM 08:22) と同時に、少しでもインスリン抵抗性を下げておくために体重を減らしておこうと中止していたインスリン注射を再開。 さて夕方、外来を終えたH先生「陽性だったよ」。 「よかったぁ~」 取りあえず、受精卵だったとしたら(胞状奇胎じゃなく)、その受精卵はまだ居てくれているってことだよね!!。 胞状奇胎や子宮外妊娠……、後は、とにかく1/9を待たなきゃ。 3日夜、病棟に帰ったときも、部屋担当だった準夜勤の看護師さんが、陽性反応をすごく喜んでくれて…。 本当に本当に、サポートしてくれてるみんなに、…ホント感謝だなぁ。
2005.01.05
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生理の具合が変。生理予定日に出血して以来、結局それから無いままだった。年末12月29日か30日が生理予定だったので、さすがに、もしやと思ったけど、妊娠検査薬は、生理予定の1週間後からじゃないと使えないし……、と思っていました。 もし、12月29日が生理予定日だと考えたら、1月3日は、5日or6日後。一週間(7日)後にはちょっと足りないけど、まあやってみるか…と、昨日1月2日、金比羅さんへ初詣に行った帰りに、すっごーーーい穴場の餃子屋さんへ行った帰りに、24時間ドラッグストアで、検査キッドを購入。 3種類売られていたけれど、どれも、生理予定日一週間後からしか判定できないようで、迷ったので、どうせ「陽性」が出るか、生理の出血が始まるまで、これから病院での判定日(1月8日)まで、毎朝やって見ちゃうんだろうからと、2本入り3種類(計6本)お買い上げ。 今朝、フライングだけど、やってみました。色は薄いけど、「陽性」でした。丁度、朝から電話があって、姑が私のことを怒っているという話で、飛び上がって喜ぶような気分にはなれなかったけど、でも、今のうちに喜んでおこうって感じで、それからトイレに行くたびに、3種類とも、使って検査してみました。3本とも、暫くは記念に持っておこうと思います。 まだまだ、疑心暗鬼。3歩進んで2歩下がるになったとしても、取り敢えず、私の人生初の、陽性反応ってことで、今日は素直に喜んでおこうと思います。 ではでは、これから年末年始明けの病院に戻ります。計画妊娠を考え始めてから、今までで、最悪の血糖値状態の現在なので、病院に戻ったら、しっかり管理生活になるかな。行ってきます。
2005.01.03
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明けましておめでとうございます。元旦の朝も、基礎体温は微妙。生理は2日遅れです。何とも言えない期間だなぁ。 最近テレビコマーシャルで、初詣にと神社仏閣が宣伝するけれど、これまで、あまり良い印象を持っていなかったんだよね。 だけど、先日見たコマーシャルで、何となく好感を覚えたところがあって、探してみた。岡山県倉敷市児島由加山2852にある、「厄除総本山 由加神社本宮 大権現本社」というところ。 多分ね、「厄除け、……」と得意分野を4つほど書いてある内の一つに「子授け」とあったからだと思う。 「子宝神社」って、なんだかピンと来ないんだ。それが「子授け」だったから……。 全く不妊治療と無縁で来た人の、無知から来る無神経な発言の一つに、「最近は傲慢になった。命さえも人工的に作り出し、子どもは『授かるもの』ではなくなって、子どもは『作るもの』だと思っている人たちもいる」という発言。 まさか自分が不妊だなんて思いもせずに、「結婚したら、子どもは当然のように与えられるもの」と思っていたり、不妊治療を始めたら、すぐ結果が出ると考えていたり、人工授精・体外受精なら、当然結果が付いてくるだろうと思っていたり………、私も、そんな人でした。だから、実際に不妊治療を経験せずに子どもに恵まれている人が、そう簡単に思い込むのも無理はないのだろうけれど。 でも、実際は違う。不妊治療って、「天は自らを助くる者を助く」とか、「人事を尽くして天命を待つ」の世界。やってもやっても、いや、やればやるほど、人が必死の努力をしたからといって、その努力と結果を繋ぐ比率は、余りにも天の御心次第。 努力してもしても、それで結果を期待するなという世界。もう、「授かりもの」という、人間の敗北宣言と言うか、鼻っ柱を完膚無きまでにへし折られて、「大いなる流れに頭を垂れる」ようになる。 多分、優秀なお医者さんは、優秀であればあるほど、自分は神ではない、ということを、身に沁みて思い知らされているだろうことと、似ている。 アインシュタインは、晩年になればなるほど、宇宙の仕組みを解き明かしてくれば来るほど、一つの宗教には組みしないけれど、大いなるものに対しての敬虔さを増したと、聞いたことを思い出す。 こんなこと言って、ごめんなさい。でも、実は本音ではこう思ってるの。不妊治療になんか全く無縁で子どもに恵まれる人の方が、よっぽど命に対して、自分で何とでも出来ると思っている傲慢さがあるんじゃないかと。「子作り解禁」「避妊」「そろそろ作るか」「そろそろ次の子どもが居てもいいかも」「バースコントロール」「今は大変だからおろすわ」……………、そんな何気なく使われている言葉の一つ一つに、ああ、あんたの自由になるって思ってるのね……と、私は感じてしまいます。 「子宝」という言葉も、そんな人の言葉のような感じがある。「子」は「宝」「宝物」「物」「所有物」自分の満足、自分を満たすもの、無意識にそう思ってるんでしょって。 私も、自分に授かって、子どもが居てくれるのが当たり前になったら、その日常に慣れてきたら、「感謝」の気持ちで、感謝のつもりで、「子どもが、宝よ~」って言うんだろうけれど。 さて、そんなわけで、「子宝神社」とかには、今まで余り興味をそそられなかったのだけど、今回「子授け」と聞いて、何だか、手を合わせ、頭を垂れに行きたくなって、初詣に行って来ました。 「子授け」のお守りと、「安産」のお守りと、「健康祈願」のお守りと、護摩木と、絵馬と、夫婦揃って、神殿に上がっての一般祈祷ってのも、して貰ってきた。一緒にご祈祷していた私たち以外の一般祈祷の人でも、「子授け」を祈祷して貰っている人、居て、同じように感じているのかなぁって。「子授け御神木(子授け楠)」の周りを、右回りに3回回れば男の子、左回りに3回れば女の子。廻れば願いが叶うと伝えられているそうで、夫婦で両方、計6回廻ってきた。男の子でも、女の子でもいい。私たち夫婦の前にも、手を合わせている二人がいたよ。 参道から、すごい渋滞で、駐車場が空くまで、これから参る人々や、帰ってくる人々が車の横を通り過ぎていくのを見ていたのだけど、何だか、時間帯的に家族連れが来るような時間帯だったからかも知れないが、子ども連れが多くて、その風景だけ見ていたら、日本が今、少子化だなんて思えないような、幸せそうな人たちばかりに見えた。 神仏混淆の信仰の山で、神社とお寺が、あからさまな誹謗中傷合戦をしていたので、何だがとても、人類の歴史というか、人間くささを感じるところだったけれど、商売気もすごいのに、嫌みが無くて、私は妙に気に入っていました。由加神社本宮の神額には、「有求必応」と書いてあった。「求めが有れば必ず応じる」神さま。 そんな都合のいいことは無いかもしれないけれど、「天は自らを助くる者を助く」とか、「人事を尽くして天命を待つ」と通じるところがあるのかなぁ。 四国香川県の「金比羅さん」と二カ所を詣でる、「こんぴら・ゆが 両参り」という風習が江戸時代あたりから出来ていたそうで、香川生まれの香川県人だけど、全く知りませんでした。帰り道には、そうか、この際、金比羅さんにも初詣に行こうと思いました。
2005.01.01
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