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4月初めの旧東海道の金谷宿、日坂宿、掛川宿の花です。東海道53次シーリズでのこの宿のアップは、花が終わった時期になりますので一部アップさせていただきます。4/3(水)青春18きっぷの4回目の利用7:20JR東海道本線の車窓からの富士山(三島駅手前)9:03 JR金谷駅へ到着9:09JR金谷駅前の民家の軒先来年はわが家でも植付けしたいが、この花の名は?9:12旧東海道の金谷一里塚近くの「長光寺」の枝垂桜もう満開の枝垂桜9:14金谷坂への途中9:24金谷坂入口の「石畳茶屋」の桜と茶畑上記場所からの茶畑と霜よけ風車10:30旧東海道の「菊川坂」の坂下で東大阪からの人と出会う。日本橋へ向かってもう10日目で、ネットカフェ等に宿泊しながら向かっており、今日は掛川を7時頃出発したと。日本橋からは、中山道経由で東大阪へ帰るとのこと10:35菊川坂を下り、花桃がきれいに咲いていた。工事は東名高速道路の菊川インタへの、バイパス道路用橋脚。菊川坂を下ったらまた山登りだと(先程の人から)10:39間の宿「菊川」。この後、小夜の中山・久延寺を目指して「青木坂&大井平」を登る10:54青木坂を登る、廻りは茶畑11:17久延寺前からの桜と茶畑11:23日坂宿を目指して長い尾根道を下る。このような古木の所を通す電線は、一工夫してほしいものですね。どう見ても電線の付設の方が遅いと思われるので11:27庭先に咲く花桃11:36カイドウも咲きツツジボケシャクナゲまで咲いていた12:01「夜泣石跡」近くの茶畑と桜13:01日坂宿辺りの、満開のしだれ梅?13:23事任(コトノママ)八幡宮の境内に咲くオオシマザクラか?ズームアップ13:51道の駅「掛川」近く旧東海道(県道415号線)旧東海道(県道415号線)脇の花壇に咲くチュウリップ14:14逆川の桜14:43旧東海道(県道415号線)千羽交差点手前。このあたりの桜は蕾がまだ硬い15:56日本百名城の「掛川城」。前回は'13/11/24 に訪れ、ここでスタンプ帳を購入してスタンプラリーを開始したまだ満開前の桜やはりお城は桜とのコラボがいいですね! END
2019.04.22
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現在、東海道53次の弥次喜多道中を行っているが、3月中旬以降「青春18きっぷ」を利用して弥次喜多道中を毎週一回とペースアップをしている。こんな中、1日に新元号も「令和」に決まり、春休み最後の昼過ぎに桜見物で賑わう市内の公園を訪れた。4/4(木) 12:51 ~ 13:03 高野山真言宗 甘沼山成就院所在地:神奈川県茅ケ崎市甘沼473高野山真言宗 甘沼山成就院4/15から4月末頃には、白く垂れさがる総ほうがハンカチを垂れ下げたように見える珍しい「ハンカチノキ」の花が美しく咲く。5月初めには「なんじゃもんじゃの花」や日本しゃくなげの花が美しく咲く寺でもある境内の横には参拝者用の駐車場「なんじゃもんじゃの木」の開花時には多くの人が訪れる釈迦の誕生を祝う催し「花まつり」が、4月8日(月) 午前9時 ~ 午後4時に開催される成就院本堂本堂左奥に建立された石碑、三名の方が奉納されているマンサクの木マンサクと修行大師像一言大師本堂左奥に枝垂桜があるがこれからの開花なんじゃもんじゃの木まだ芽吹いたばかりだが、5月初めにはきれいに咲く本堂裏の墓地奥に咲く染井吉野聖観世音菩薩満開の染井吉野13:13 ~ 13:54前回 '17/4/17(月)にアップしている茅ヶ崎市の北部にある浄土宗浄見寺を訪れた。浄見寺は大岡忠相の先祖、大岡忠政が徳川家康から現在の茅ケ崎市堤を与えられ陣屋(屋敷)を構え、大岡忠政の父ら家族の霊を供養するために建てられ、13代の大岡一族が眠っている。大岡忠相は、テレビドラマ『大岡越前』の主人公として有名で、八代将軍・徳川吉宗の時代に、41歳という若さで江戸南奉行に大抜擢された。浄見寺所在地:神奈川県茅ケ崎市堤4317浄見寺境内前にある公園では、子供たちが桜の下で春休み最後の日を楽しんでいた民俗資料館「旧和田家」和田家は、江戸時代に萩園村の村役人を務めた家柄。移築復元のため、解体作業中に安政2年(1855)3月吉日の元号のある棟板が発見されている旧和田家、防火設備も整い古民家の中。部屋には「機織り機」「神棚」等が昔懐かしい釜戸も満開の桜と 染井吉野浄見寺山門の横には「大岡越前守菩提所」の石碑浄見寺の弁才天坐像手水舎と本堂創建年は慶長16(1611)年、開山:深誉円察、開基:大岡忠右衛門忠政若い「旅立ちの法然さま」新しい鐘楼と山門六地蔵延命地蔵尊、墓地への石段枝垂桜も咲き満開に近いのか境内の奥に建つ、民俗資料館「旧三橋家」三橋家は、香川の旧家で江戸時代には、香川村の中の旗本戸田氏の知行地の名主を務めた。文政11(1828)年の元号のある棟板等が発見されている古民家の横には桜の木が満開旧三橋家の中、天井裏に上る階段付きの家具木陰に咲くシャガゴルフ場の「スリーハンドレッド」との境に大きなメタセコイアが立つ広場には若い枝垂桜スリーハンドレッドの八番ホール。220ヤード、パー3、グリー奥には枝垂れ桜。安倍首相も時々プレーしている大岡一族13代が眠る墓地。平日は未公開になっているので、外から撮影。大岡忠相も75歳で亡くなり、ここに眠っている。忠相が72歳の時に一万石の大名となり、西大平(岡崎市)に陣屋(屋敷)を構えた。これが縁で、茅ヶ崎市と岡崎市は『ゆかりのまち』を結んだ浄見寺本堂横の庭。左奥に染井吉野染井吉野染井吉野の大木石楠花も咲き始めるアセビと石仏かんざしのようなアセビボケの花境内から山門越しに境内の外に咲いている八重桜以前('17/4/17)に撮影した「満開の八重桜」茅葺屋根と染井吉野以下の写真は、前回公開('17/4/17)の第62回大岡越前祭の写真です。今年の「第64回 大岡越前祭」の開催は開催日&場所 5/18(土) 10:00 ~ 14:30 浄見寺周辺 地元の人が、歌にダンスに和太鼓等、多彩なステージで会場を盛り上げる。 5/19(日) 12:30 ~ 越前行列 茅ヶ崎駅周辺詳細は別途パンフレットで!興味のある方は「茅ヶ崎市のホームページ」へお願いします。 この祭りは、江戸時代の名奉行・大岡越前守忠相の遺徳をしのび始められた 今年はパレードを見学撮影しようかと思っております。皆さんも、一度見に来てください!!! END
2019.04.12
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大田子海岸からのサンセットを見るために2時間待機。2/21(木) 15:48大田子海岸夕陽展望所(OTAGO SUNSET VIEW TERRACE)所在地:静岡県賀茂郡西伊豆町田子大田子海岸は日本の夕陽百選!西伊豆・夕陽日本一宣言の絶景オブジェの穴から「メガネッチョ」を覗く、最近ではゴジラとも呼ばれている島15:59展望テラスから細い道を上り裏山へ登る16:01太陽が西の空に、日の入までにはまだ1時間半メガネッチョ(ゴジラ)と呼ばれる島を横から見る西の空、水平線上は雲がない16:10大田子海岸「展望テラス」まだ時間が早いので駐車場には車が少ないテラス横にはトイレも整備されている山の斜面に咲く河津桜16:25西の空、日の入1時間前になり赤味を帯びるメガネッチョ(ゴジラ)16:45雲の中から斜光が、水平線に雲がなく日の入が期待できる16:48雲の合間から太陽が出る17:03日の入りを待つ男三人17:05赤味を帯びてくる携帯を構える先輩17:08旅友がiPhoneで調べると、遠くに見えるのは御前崎17:12日の入までには後20分17:13 真ん中の島に灯台がある17:20雲の中に太陽が17:23漁船が人を乗せて帰港17:24日の入間際だが17:25雲の中から太陽が出てくる17:26ズームアップ更にズームアップ17:27西の空は赤味を帯びるが、雲の色は変わらず太陽が出てくる17:29御前崎方面の地上がズームアップ灯台の灯がともる17:30ズームアップ、太陽に模様赤味は増えず17:31地上に隠れだす風も弱く穏やかであるので色が変わらない?17:32地上に沈む期待したほどに色も変わらずズームアップ17:33太陽全体が沈み17:33赤味を残す。これ以上に色は変わらず17:39大田子海岸夕陽展望所(OTAGO SUNSET VIEW TERRACE)咲くほどまで駐車場に車が10台ほどあったが3月の春分の日と、9月の秋分の日の前後に、男島と女島の二つの島の間に夕陽が沈む様子は神秘的なほど。メガネッチョと呼ばれる奇岩も人気3月の春分の頃にサンセット撮影で再度来たいものです。本日の総歩行数は、9,236歩でした、一万歩にならず。デジブックにてBGM入りで「河津桜と西伊豆の旅」を公開しておりますので、併せ て訪問願います 河津桜と西伊豆ーEND
2019.03.06
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伊豆半島へ来たときはいつも立ち寄る仁科漁港の「沖あがり食堂」で今回も昼食をとる。2/21(木) 14:10「漁協直売所(沖あがり食堂)」へ到着所在地:静岡県賀茂郡西伊豆町仁科980-6 ☎ 0558-52-0018営業時間:11:00~15:00 火曜日は定休日ですのでご注意を!店内では魚の直売も味のある看板オヤジと記念写真。今日は同席の椅子がないイカで勝負! 丼で勝負! のこだわり食堂。刺身イカを乗せた「イカス丼」、漬けたイカと卵の黄身で夕陽をかたどった「夕陽丼」、刺身イカと漬けたイカを乗せた「いか様丼」など、”イカ”と”丼”にこだわるユニークな食堂で、ライダー等のリピーターが多い。タイミングがよければ「活きたイカ」もお刺身でゲットできる注文した「いか様丼」820円店内にあったポスター。今日の旅の目的のひとつは、この夕陽だが!!! 14:28堂ヶ島公園堂ヶ島案内図今日は波が穏やか、亀岩、蛇岩風が穏やかで、堂ヶ島遊歩道を歩く今日も観光遊覧船は欠航のようだ!海面上に遊歩道の岩場を登り「遊覧船乗り場」亀岩、蛇岩仁科方面の「夕陽スポット」トンボロ現象の中ノ島方面急な岩場を登り亀岩、蛇岩14:38いつも風が強いので岩肌が削られ昭和天皇陛下休息の地「亀岩展望地」亀岩展望地からの亀岩、蛇岩亀岩展望地の休息所展望広場への坂道は別名「仲直りの坂」。急な坂道になっており、喧嘩した夫婦も思わず手をつないで昇るのを助け合うと言われています。一度お試しになってみてはと?展望広場からの「三四郎島のトンボロ現象」地。ネットで調べるとこの日のトンボロ現象は朝方であったと、既に満ち潮に!この地は、伊豆の「松島」と。この展望地の下は、浮石質凝灰岩が海水で浸食され、断崖となって海よりそそりたっている。その様が、日本三景の一つである陸奥(宮城県)の「松島」に匹敵することから「伊豆の松島」と呼ばれている。また周囲に見られる植物は、伊豆西海岸に多く見られるウバメガシで、良質の木炭である「備長炭」を作るのによく用いられている堂ヶ島ホテル群昨年の暮れに孫の誕生会で宿泊したホテルがある堂ヶ島瀬浜海岸の三四郎島(伝兵衛島、中ノ島、沖ノ瀬島、高島の四島)からなる。伝兵衛島は付近から眺めると象の形に似ていることから、別名象島の名前で親しまれている。でも象よりマンモスに近いかも?とトンボロ現象トンボロ現象は普段は海だが、干潮時には陸地から島へ幅30mの砂州ができ、陸から島へ歩いて渡ることができる珍しい現象である展望広場の下の岩場立ち入り禁止地域へ進入した先輩。「注意看板があるよ」と注意するが堂ヶ島の天然記念物「天窓洞(テンソウドウ)」堂ヶ島の代表的な奇勝のひとつで、島の中が洞くつになっており遊覧船が入るその天井に空いた穴から見る景観、射し込む光の美しさは、まるで天使が舞い降りてくるように幻想的であるその景観は遊覧船でゆったりと、小さな船旅を満喫できる昭和天皇・皇后陛下堂ヶ島行幸記念植樹の横に石碑昭和天皇に同行した、入江侍従の歌後方は「天窓洞」陸地側の洞の入口、天窓への入口は、西口、南口、東口と三カ所ある15:10日の入りまでにはまだ時間が早いが、堂ヶ島公園から大田子海岸へ行く事に。国道136号線を北上して、大田子海水浴場へ下る。15:33大田子海岸夕陽展望所(OTAGO SUNSET VIEW TERRACE)所在地:静岡県賀茂郡西伊豆町田子日本一の夕陽! との呼び声も高い大田子海岸。沈む夕陽を眺めながら、静かなロマンにひたってみましょうとあるが。今回はオジン三人の旅であるが(笑)手前の島は、メガネッチョ、最近ではゴジラとも呼ばれている島ズームアップすると、手をしゃぶっているみたいと手前にはカモメが飛び交い15:41奥の島には燈台が立つ日の入が17:30頃で、約2時間待機することに。デジブックにてBGM入りで「河津桜と西伊豆の旅」を公開しておりますので、併せ て訪問願います 河津桜と西伊豆-続く
2019.03.05
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南伊豆町のみなみの桜を見た後、国道136号線のマーガレットラインを走り西伊豆の雲見海岸へ、曇っており富士山は期待できないが2/21(木) 11:52青野川の堤に咲く、みなみの桜は満開みなみの桜と河津桜との違いは?ネットで調べると「みなみの桜」と「河津桜」は品種的には河津桜とのことみなみの桜と河津桜の見頃と最盛期もほぼ同時本場の河津町だけでなく、南伊豆町の河津桜も必見なので両方行きましょう!と先輩のOさんから「桜は3本仕立てにする」とか染井吉野に比べ色が濃いので見ごたえがある菜の花とのコラボが余計に生える12:00南伊豆町の歴史「石切丁場」この前の岩山は採石場跡である。古来より伊豆半島は江戸や小田原、駿河などの城を築く時の石の供給地であった。江戸が開けるに伴って石山が開発され、幕末に至っては品川沖の御台場建造に、さらに進んで明治維新後、東京と変わり発展を続ける中、建物の基礎、橋梁、道路の石畳等に大量に使用された。特にこの辺りの石は、良質できれいな伊豆の青石としてもてはやされ、木炭と並んで地域の大きな産業であった道の駅「下加茂温泉 湯の花」に掲げられた「静岡県へようこそ」の案内板。道の駅内には、無料の足湯がある道の駅の試食コーナー酒づけサンマ、美味しかったさんま寿司 500円/6カット人気があるようで、品切れのため本店から急送15分待ちで我々も一箱購入先輩のOさんは光物は苦手のため二人で食べる。味は肉も厚く酢がきいていて美味しかったテレビ局が撮影にいつ放映されるのか・・・・・・皆さん複数箱購入していた、値段も500円と割安感満開のみなみの桜みなみの桜は河津町よりも見応えを感じる堂々とした大木河津町では川沿いに柵が多く、河原に降りられる場所が限られるが、南伊豆町には柵が無く眺望も抜群河原に降りるだけでなく、河原を歩き続けることが可能で、この絶景を存分に満喫出来ますともう相当年数の桜の大木夜桜ライトアップも最高と!河津町ほど混んでいなくて最高河川敷から見上げる桜も最高河川敷には大根の花も咲いていた菜の花とのコラボ前ボケの桜を入れて人力車に若い母子が乗り、自撮り撮影、パパは歩いて撮影12:46南伊豆町の「みなみの桜と菜の花まつり」を見終えて、堂ヶ島方面へ向かう。13:12国道136号線を北上して伊浜展望広場所在地:静岡県賀茂郡南伊豆町伊浜2173マーガレットの里「伊浜」南伊豆町伊浜地区はマーガレット栽培が盛んで、全国でも有数の出荷量を誇っている。伊浜地区の段々畑は、海に面しており霜が降りず、西側に波勝崎が突き出しているため、強い西風をさえ切り伊豆半島の中でも温暖な土地として知られ、花の栽培には適しており、品質のよいマーガレットが生育されている展望広場から島は「宇留井島」、下の村は伊浜ズームアップ近くに波勝崎の猿園があるのでか、猿の像「みなみの桜」も咲き波勝崎苑 猿園?13:16ズームアップ、波勝崎苑 猿園か13:30雲見海岸へ、天気が良ければ富士山が見えるのだが牛着岩(ウシツキイワ)の大牛と子牛別名”夫婦岩”とも呼ばれていて綱で結ばれている。名前の由来は、時は文化13年(1816)、伊能忠敬が全国を測量していた頃の話。雲見に大洪水が起こり、十数軒の住居が流されたり埋まったりと大変な被害を出した。その際、家畜も流されてしまったが、牛が岩に流れ着き生きながらえていたため、この岩を「牛着岩」と呼ぶようになったとか。以前は、岩の頂上に鳥居が建っていた、またここは、ダイビングスポットでもある先輩のOさんもスマホで撮影に熱中雲見海岸の烏帽子山、雲見浅間神社堂ヶ島海岸越えに富士山が見えるのだが13:32雲見海岸の奇岩このあと、仁科漁港へ向かう。デジブックにてBGM入りで「河津桜と西伊豆の旅」を公開しておりますので、併せ て訪問願います 河津桜と西伊豆-続く
2019.03.04
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引き続き河津町の河津桜を見てから、国道135号線を南下して南伊豆町へ向かう。2/21(木) 9:54お土産店で「さんまハリコ」の試食。最初食べたのは美味しかったが「アジの干物」、さんまハリコは内蔵があり苦かった。この為「金目鯛の干物」を購入した10時近くになりツアー客も多くなるピンクの桜は、菜の花とのコラボが最高菜の花とのコラボピンクとイエローとのコラボ「さくらの足湯処」がある:営業は、9時 ~ 17時(無料)10:19駐車場へ向かい河津町から南伊豆町へ向かう11:17南伊豆町へ到着今年は、「第21回みなみの桜と菜の花まつり」開催期間:2/10(日) ~ 3/10(日)日野菜の花畑「元気な百姓の花畑」ファミリーマートの駐車場に車を止め散策:後で食料品を購入国道136号線、観光バスも停止して10数分間の滞在菜の花の香りが一面に漂い桜とのコラボを期待したが、後方の桜の開花はまだ先のようだコンビニ方面青野川の堤の桜は「ソメイヨシノ」携帯で撮影愛犬連れが多い菜の花をズームアップここのステージで「菜の花結婚式」も行っている。2/17(日)に第19回菜の花結婚式が開催されたようだ(パンフレットより)11:26菜の花畑は、約10分の撮影タイムで後にする11:38道の駅「下加茂温泉 湯の花」近くの駐車場(500円)に車を止める。下加茂温泉の青野川沿いに咲き誇る桜と菜の花みなみの桜と菜の花街道来の宮橋スタンプがあり、ウォークラリ-でスタンプを集めると豪華景品が当たると南伊豆町では何故か河津桜と言わず「みなみの桜」と言っている夜は毎日 18:00 ~ 21:00 までライトアップしているピンクが濃く川面に映えるお花見人力車も、桜並木を湯けむり橋この辺りの桜は伊豆最南端「銀の湯会館」から温泉の蒸気が舞い上がるズームアップ銀の湯橋を渡る人力車温泉が豊富なのかこの辺りには「温泉利用の製塩工場の跡」がある人力車は、一人1500円~、時間で梅の花も開花11:51湯けむり橋引き続き下加茂温泉のみなみの桜道を散策した。デジブックにてBGM入りで「河津桜と西伊豆の旅」を公開しておりますので、併せ て訪問願います 河津桜と西伊豆ー続く
2019.03.03
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2月19日の新聞紙上で河津桜が見頃であるとの情報を得、旅友から20日の夜、明日行かないかとのメールがあり、急遽先輩のOさんも誘い3人で行く事に決定。いつものように旅友は自宅を5時半に出てわが家へ、6時前に我が家を出発して二宮の先輩宅へ立ち寄る。三人での河津桜は、’17年から連続3年目で昨年までは一泊の旅。熱海から国道135号線を南下して、9時前に河津町へ到着。今年は「第29回河津桜まつり」で、開催期間:2/10(日) ~ 3/10(日)2/21(木) 8:56車を駐車場(700円)へ止め、河津川のお花見ウォーキングコースへ満開の河津桜と菜の花のコラボ菜の花の香りも漂いなかなかうまく撮れないウォーキングコースには土産店も。いろんなものを試食しながら「帰りに買ってください」と言われ上流へ向かって歩く。お土産に金目鯛の干物を購入した、3枚/1000円さんまのハリコ丸干しとどこが違うのか?ミモザの苗木先週のポルトガルの旅で高速道路脇で多く見かけたミモザ9:05来宮橋(キノミヤバシ)、橋ごとに大きな看板が来宮橋橋上から上流河津桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と推定されている下流を望む、菜の花と河津桜のコラボが映えるズームアップ、ピンク色が映えるこの日は風もなく穏やかな天気満開の河津桜携帯での撮影が多い水面に映える一眼レフカメラを持つ女性一部は葉桜に黄色のカタバミカタバミ科の多年草で、庭や路傍に普通に生え、雑草として広く世界に分布するこの花はポルトガルのロカ岬にも、山の斜面一面に咲いていた吊るし雛9:18豊泉橋(ホウセンバシ)この辺りの河津桜も満開河津川の上流側下流側ズームアップして川を河津桜で囲む出店も年々整備され街をあげて9:29県道沿いにある「河津桜原木」昭和30年頃の2月のある日、この家の主人であった飯田勝美氏が、河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いていた、約1m位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えたのが始まり。約10年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めた。同年4月 主の勝美氏は花が咲くのを見届け永眠した。その後綺麗に咲く桜を見て譲ってほしいという話もあったが思い出の桜のため手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていた義援金竹筒その後の調査で新種の桜とわかり、昭和49年には河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され昭和50年4月に河津町の木に指定された いつもは人だかりがすごいが向かい側の広場から愛犬家も記念写真畑の畦道を帰路に着く河川敷で警官が職務質問?9:50 駐車場に向ってお花見ウォーキングコースを下る。デジブックにてBGM入りで「河津桜と西伊豆の旅」を公開しておりますので、併せて訪問願います 河津桜と西伊豆ー続く
2019.03.02
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神苑ぼたん庭園の「正月ぼたん」を見る予定であったが、訪れた時間が遅くて見れず。鶴岡八幡宮から小町通りにある新年会の会場「ラ・ルーチェ」へ2/4(月) 16:50参道から舞殿、本宮を望む鎌倉市案内図史蹟 鶴岡八幡宮境内案内図旗上弁財天社三の鳥居鶴岡八幡宮の由来当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平6年(1063)報賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる16:56夕日が沈む三の鳥居:八幡宮前交差点三の鳥居は、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって寄進され、当時は石造であっが、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊し、現在の鳥居は鉄筋コンクリート造りおや、人力車に乗っているのが引手?人力車の後方に「研修中」とあり、研修生が引いているものであった17:00参道の段葛(ダンカズラ)鶴岡八幡宮の参道「段葛」抜けると、鶴岡八幡宮の入口、三の鳥居がある。若宮大路(ワカミヤオオジ)と段葛(ダンカズラ)の違い。 若宮大路:由比ヶ浜海岸の目の前の滑川交差点~鶴岡八幡宮までの参道 段 葛:二の鳥居~鶴岡八幡宮までの道のりで、車道の中央にある一段高い 歩行者専用の道17:07ソーセージ専門店鉄の井(クロガネノイ)この井戸は、鎌倉十井の一つである。かって扇ヶ谷に所在した、新清水寺に蔵されていたと伝わる鉄観音像の首が、この井戸の中から掘り出されたことから、この名がついたといわれている17:08西の空が夕焼けの小町通り入口(鶴岡八幡宮側)にある、道路標識: ← 鎌倉駅、→川喜多映画記念館、銭洗弁財天、寿福寺一般公開されていない「石島邸」、右手奥に「川喜多映画記念館」。戦前住宅の雰囲気を伝える門垣、広い敷地に点在する大樹、これに見え隠れする建物が、鎌倉らしい小路の風景にとけ込んでいる石川邸は、外国映画の輸入や配給、日本映画の海外への紹介など国際的に活躍された川喜多長政・かしこ夫妻の別邸として使用されたこともある建物である。玄関は、玄関ポーチが特徴的で、半円アーチ型の開口部の腰部に手摺子が設けられ、クラシックな雰囲気を醸しだしている川喜多映画記念館開館時間を過ぎており既に閉館となっていたこの記念館は、本市における映画文化の発展に資するために設置したもので、映写機能を持った映像資料室、映画に関する資料等の展示室等を備えている映画と鎌倉を愛した「川喜多 長政・かしこ」。昭和26年東和映画を設立し社長に就任、かしこと二人三脚で映画による国際交流に尽力。以後、東宝東和会長、東宝取締役等を歴任した17:13小町通りに戻る17:14新年会は18時からであったが時間前に立ち寄る。店長(ゴルフ仲間)から、「19時からでは?」と言われ、それまで鎌倉の夜景を撮り時間をつぶすことに17:26小町通りも薄暗くなり、JR鎌倉駅方向へ歩くかまくら画廊飲食店も多くあり、いつもの「まめ店」でお土産も購入17:30薄暗くなったJR鎌倉駅右奥が小町通り入口17:34JR鎌倉駅改札口小町通り入口にある赤い鳥居17:40JR鎌倉駅入口、江ノ電のりば、右側の御成門通りへ向けて歩く17:48江ノ電踏み切り、藤沢行き電車が通過ゴルフ仲間から携帯電話が鳴る「今どこですか? もうすぐ他の連中も来ますが」との電話で、店に帰ることに18:00時間も遅くなり観光客も減る、小町通り入口小町通り入口横にある「不二家」小町通りを鶴岡八幡宮方向へ歩く午後6時も過ぎ、店じまいしている店も多く、人通りも少なくなっていたやきたてせんべい/一枚 50円、半ぬれせん/一枚 150円18:10 店につくと店長の開始時間の勘違いで、新年会はやはり18時からであった。18:28宴会場:イタリア料理「ラ・ルーチェ(La Luce)」所在地:鎌倉市雪ノ下1-7-6 休日:水曜日、第4火曜日料理はコースをオーダーしていたので、ビール&ワインを飲みながらじっくりとイタリア料理を楽しんだ。①三崎マグロくんせい卵と里芋18:46②ホウボウのカルパッチョ、ビーツと苺のソース、ハッサクのパウダー19:07③カキ&レモンバターソース、カモミール風味カプチーノ仕立て19:35④南伊豆イノシシを詰めたラビオリ、アラマーゴ?のソース、ネズの美の香り20:03⑤舞鶴産イトヨリの炭火焼、三浦大根のソース20:36⑥和牛ホホ肉の煮込み ほほ二基だけに肉が柔らかく美々であったコース料理の為、料理の出る間隔は時間がかかり日本人には・・・・・・。しかし、食事の間には高価な赤ワインを頂き、美味しいイタリア料理を堪能した。21:01追加料理として、お腹の足しに⑦-1、ナポリタンのペンネ⑦-2、クリーム味のペンネまたメンバーを替えて訪れたいものです。21時過ぎに新年会を終わり、メンバーの人の運転で江の島の海岸線(国道134号線)を走り帰宅した 鎌倉小町通りでの新年会-END
2019.03.01
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2月4日(月) 地元のゴルフ仲間と鎌倉のイタリア料理店で新年会を行った。新年会が18時からであったため、その前に鶴岡八幡宮で行われている「正月ぼたん」を見るために、15時ごろ出かけた。2/4(月) 15:51JR大船駅で乗り換える15:55鎌倉八幡宮まで歩くことにして、JR北鎌倉駅で下車北鎌倉へようこそ!『北鎌倉つるし飾りのある街』 平成31年2月2日(土) ~ 3月31日(日)まで開催。北鎌倉を中心に、南北約2.5km、郵便局、美術館、美容院、理容院、コンビニ、お医者さん、お寺さん、お食事処、御茶する処など約100箇所に飾られている北鎌倉駅周辺ごあんない近場のポイントへの距離数、鶴岡八幡宮まで2kmJR北鎌倉駅を振り返る香下庵茶屋15:58大本山 瑞鹿山 円覚寺北条時宗(鎌倉幕府第8代執権)公御廟所でもある円覚寺は弘安5年(1282)鎌倉時代後期、北条時宗公が中国より無学祖元禅師を招いて元寇の戦いで亡くなられた敵味方の諸霊位を供養するために創建された当山は国宝舎利殿・国宝洪鐘をはじめ文化財指定の建造物を存し、古都鎌倉時代の代表的な境地であり国際的にも親しまれる禅刹として今日に至る扁額の「瑞鹿山」ここから奥は有料の為引き返すが、また時間がある時に訪れたいもう相当前(半世紀?)の鎌倉市民の時に訪れているが建長寺、鶴岡八幡宮へ向かう16:01おひなさまとつるし飾り展開催は、1月11日(金) ~ 5月12日(日) 会期中無休北鎌倉古民家ミュージアム(有料)古民家ミュージアムの古木梅梅も咲き始めお食事処、御茶する処のつるし飾り16:04JR横須賀線16:09去来庵(キョライアン)閉店していて中に入れず垣根の外から撮影去来庵は、昭和初期に建築された和風の別荘建築である。建物とともに数寄屋風の門、敷地内の樹木などが一体となって、誰もが鎌倉らしさを感じる魅力的な景観を創り出しています。創建当時の意匠を残しながら、レストランとして活用されている去来庵は、近代の別荘文化を体感することができる大変貴重な存在である16:11県道21号線沿いの「てやきせんべい」16:12長寿寺臨済宗建長寺派の寺院。山号は宝亀山、本尊は観音菩薩。かっては境内は未公開であったが、近年は春と秋の週末限定で公開していると石碑の下に「第六天の由来」の説明建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、第六天は上町に鎮座する・・・・・・・・・・参道の石段は閉鎖され16:14今日の主目的の一つ、鎌倉八幡宮の「正月ぼたん」案内ポスター開催期間:1月1日(元旦) ~ 2月中旬開園時間:9時 ~ 16:30(入園16時)もう既に入園時間を過ぎ閉演となっている16:15建長寺の「天下門」臨済宗五山第一建長寺所在地:鎌倉市山ノ内8建長寺 境内図建長寺三門ここも鎌倉市民の時訪れているので、時間がある時に再度じっくりと訪れたい。建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいている総門の扁額「臣?福山(大きな福をもたらす寺)」は、中国僧、一山一寧(イッサンイチネイ)(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆建長寺は、鎌倉時代、建長5年(1253)禅によって国の興隆をはかるため、執権北条時頼(鎌倉幕府第5代執権)公の発願により、中国の禅僧大覚禅師(蘭渓道隆)を開山として創建された。日本で最初の純禅の大道場です。今の総門は、江戸時代天明3年(1783)に京都・般舟三昩院で建立されたものを昭和15年に移築した建長寺境内文学案内板隣接する鎌倉学園16:29鶴岡八幡宮へ本宮(上宮)前から、舞殿を見下ろす本宮の仁王像これより中は撮影禁止16:33大石段下から本宮を見上げる御神木前で、中国人観光客(家族)が記念撮影鶴岡八幡宮「大銀杏」平成22年3月10日未明、強風に煽られ、根元から倒伏した。半世紀前に、この大銀杏の前で成人式の日に記念撮影した再生・再起を願い、大石段側の元の場所に残された根を保全、倒伏した大銀杏の本体(親木)は、西側(左)へ移植した。元の場所に残された根からの櫱(若い木)が勢い良く伸び出し、移植した幹からも萌芽し葉を付けるまでになった舞殿と本宮16:38神苑ぼたん庭園正月ぼたん(寒ぼたん)を展示している梅の花この日は暖かくて日本人観光客も着物姿で散策16:41源平池に浮かぶ「旗上弁財天社」16時半を過ぎ閉園された「神苑ぼたん庭園」内部昨年'18年1月9日(火)に「寒ぼたん」を見に訪れた時のブログへリンク願います苑内をズームアップ藁囲いの寒ぼたんが見える旗上弁財天社への橋旗上弁財天社鳥居治承4年(1180)8月源頼朝公は伊豆国に源家再興の旗を上げ、石橋山の戦いに敗れて房総に転じ、10月鎌倉に移るや直ちに鶴岡八幡宮を創建し、居館を定めて平家討伐の本拠とした。夫人政子は平家滅亡の悲願止み難く、寿永元年(1182)大庭景義に命じ境内の東西に池を掘らしめ、東の池(源氏池)には三島を配し、三は産なりと祝い、西の池(平家池)には四島を造り四は死なりと平家滅亡を祈った。この池が現在の源平池である。東の池の中の島に弁財天社を祀ったのが当社の始めで、明治初年の神仏分離の際境内にあった他の堂塔と共に除かれた。その後、昭和31年篤信家の立願によって再興されさらに昭和55年9月鶴岡八幡宮創建800年を記念して、江戸末期文政年間の古図に基づき現在の社殿が復元された。御社殿 左奥に「政子石」がある御社殿裏にある「政子石」ネットで調べると「子宝と安産の願いに政子石」とある神苑ぼたん庭園入り口方向16:49陽もだいぶ下がり薄暗くなる 小町通りへ
2019.02.28
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2月1日(金)の夜、地元野球メンバーとの新年会があり出席、また、2月3日(日)には孫家族と節分に!2/1(金) 19:52夕刻17:30からの開催とのことで、相模線で会場等へ向かう相模線の茅ヶ崎駅方面北茅ヶ崎駅横の三嶋社小さな三嶋社こ線橋からホームへこ線橋の上から16:59 西の空の夕陽北茅ヶ崎駅ホーム17:30 ~某会社のクラブで開催会費4000円で飲み放題クラブだけに割安熟年メンバーの我々には少々量が多い寄せ鍋迄ある熟年者が多いため早めの20時には閉めて帰路につく。2/2(土)地元神社の「節分祭案内」2/3(日) 11:30相模國一之宮「寒川神社」へさまかわ「おすいマンホール」相模國一之宮「寒川神社」境内へ。こちらも節分祭で多くの参拝者が訪れていた11:40節分の豆まきが終わり多くの人が並んで景品と交換豆撒きの台午前11時、午後2時の二回開催神門のねぶたねぶたは毎年替わり、参拝者の目を楽しませてくれる社殿(拝殿)社殿から神門多くの人は節分の景品を交換する人達社殿(拝殿)破魔矢、車のお守りを購入今年のねぶた多くの露天商が出店激ウマ「チョコバナナ」サイコロゲームがあり、一本(300円)購入して当たると2本~5本もらえる孫はサイコロゲームで当たり一本追加でもらう最近流行の「韓国式チーズドック」、一本500円と高価作り方は、ソーセージにチーズをたっぷり付け、パン粉?を付けて油で揚げる孫は、バターたっぷりのジャガバターを食べる 500円12:14寒川神社横にある、曹洞宗龍寶山 興全寺曹洞宗龍寶山 興全寺畜霊碑畜霊碑の由来についてこの蓄霊碑は、寒川町内で飼育され人々の食生活のために貢献した家畜に対し感謝し、その霊を慰めるため昭和42年にこの場所に建立したものである。また、高座豚の元祖であるペンドレーバグルボーイ二世号の功績を讃えた碑が畜霊碑の隣に建てられているが、ペ号は昭和6年に全国に先駆けて当時の郡農会が品種改良のために英国から輸入したもので、寒川では昭和9年から管理され種付け頭数も600余頭に及び全国にその名声を博せる高座豚の基礎を確立した。毎春、畜産会員及び関係者により供養のため畜霊祭を行っている相模地蔵尊このあと昼食に行ったが、孫はチョコバナナ 2本、ジャガバターを食べたので食べず。2/3(日) 14:47地元の「本村八王子神社」へ節分祭で訪れる15時から豆撒きが始まるとの挨拶役員が、豆撒きにあたっての注意事項を説明日曜日で多くの参拝者が14:58いよいよ豆撒きの始まり壇上下には奉納者の氏名が貼られていた壇上には、年男年女が上がって豆を撒く幼稚園児以下、小学生(1,2,3年生)、小学生(4,5,6年生)、高齢者(70歳以上)青年者、女性 等々と年齢別で豆撒き壇上前には消防隊員が整列して整備投げられたものはなかなかキャッチできず、私は地面に落ちたものを拾った15:32景品引換所へ15:33多くの親子ずれが景品を交換して節分祭のためには、豆を袋に詰めたり景品交換等々で人手がいり、神社役員、地元の人達の協力なくして成功しない。役員の方々ご苦労様でした。 END
2019.02.27
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新年会をするとのことで、1/30(水)の夕刻四谷三丁目へ。待ち合わせが17時で、時間が30分ほどあったので、前回休館日で入れなかった消防博物館へ立ち寄る。1/30(水) 15:28 ネットで安いルートをチェックして、JR横浜駅で下車。東急東横線に乗り、東京メトロ副都心線の「新宿三丁目」で乗換東京メトロ丸の内線「四谷三丁目」のルートを選択15:39東急東横線「菊名駅」15:59途中「自由が丘」で急行に乗り替える16:25東京メトロ丸の内線「新宿三丁目」で乗換えるホームゲートが整備16:30東京消防庁「消防博物館」開館時間:9:30 ~ 17:00 休館日:月曜日、年末年始所在地:東京都新宿区四谷3-10地下鉄丸ノ内線の地下から直接博物館へ入れる。受付で入館証を受け取り胸からぶら下げて、時間がないので急ぎ足で回る東京に初めて消防ポンプ自動車が導入されたのは大正6年。それ以来、消防自動車は年々進歩を遂げている。ここには大正から平成にかけて活躍した名車がずらり。地下一階の展示会場ベンツ・メッツ梯子自動車、いすゞ・メッツ梯子自動車スタッツ消防ポンプ自動車、マキシム消防ポンプ自動車トヨタ救急自動車、アーレンス・フォックス消防ポンプ自動車地下一階から一階へ移動一階入り口にあるマット各階の展示会場一階に展示されている消防ヘリコプター二階は四ツ谷消防署のため、エレベーターで一階から三階へ移動入館時に入館証を頂き胸にぶら下げて移動三階「現代の消防」ここでは消火・救急活動を映像と模型のショーステージにより学べるほか、東京消防庁の最新の取組みを紹介している子供たちが、消防隊に変身消防士になって消火体験空の消防隊:消防ヘリコプターに乗り消防隊の装備四階「消防の変遷」明治から昭和にかけて、消防は大きく変わりました。機械化、組織の近代化によって消防の機能はますます充実していった。時代の風俗を織り交ぜながら消防の移り変わりをたどります。馬牽き蒸気ポンプ展示風景右は「ガソリンポンプ」二輪消防車(赤バイ)交通渋滞が著しいことを背景に、昭和44年(1969)暫定的に運用を開始し、2年後には3台のオートバイを購入して、日本橋・牛込・小岩の各消防署で正式に運用を始め、昭和51年(1976)まで活躍した。展示品は、その後配置換えになった八王子消防署ののものです馬牽き蒸気ポンプ五階「消防の夜明け(江戸の火消)」組織的な消防は江戸時代の火消しに始まります。その誕生、発展を錦絵や資料でわかりやすく解説。当時の町を再現したジオラマでは、粋でいなせな町火消たちの活躍ぶりをいきいきと紹介している。江戸時代の町並み大名火消の出動風景大名は、火事装束に身をかため、家臣を従えて火事場に出動した。この隊列は、絵巻に描かれた佐竹家の出動風景の一部を再現したもので、梯子や龍吐水、纏、鳶口などの道具も見られる武家の火消装束家財道具、持ち出すべからず!「火事の際、大八車に家財道具を積んで逃げるのは、往来の妨げになり危険なので禁止する。違反すれば荷物を没収したうえ、本人だけでなく家主や隣近所の者まで罰する」江戸時代の御触れは、このように、火事から避難する時に家財道具を持ち出すことを厳しく禁じていたいろは48組、本所・深川16組の纏享保3年(1718)、大岡忠相によって、町火消が組織された。その後、組の再編成が行われ隅田川以西の町々を ”いろは48組”に、本所・深川を16組に分けたもしも江戸時代にスタンドパイプがあったなら町方の火消六階「企画展示室」では「阪神・淡路大地震」の企画展特別展の開催や、映画の上映を行っている。いずれも、楽しく消防について考えることが出来る阪神・淡路大地震のパネル七階「図書資料室」消防関係の図書を収蔵した図書資料室開室:水・金・日の午後1:00 ~ 4:3016:46十階「防災ラウンジ」ラウンジからは、新宿副都心や東京スカイツリーをはじめ、晴れた日には富士山を見ることができる。また、持ち込みによる飲食が可能。高層マンションで災害に遭遇した場合の対処方法等の展示コーナーもある16:46防災ラウンジからの眺め、新宿副都心方向東京スカイツリー方向防災ラウンジ、16:45には閉館の放送がありエレベーターへ小池東京都知事の部隊検閲16:50消防博物館を出て「四谷三丁目交差点」消防博物館前16:54炉端ダイニング「喜怒哀楽」いろんなメニューが刺身、そら豆まだ時間が早くて19:16一時間少々飲んで二次会へ居酒屋もスナック?へ、アルバイト募集と店内、カラオケを歌い21時過ぎまで飲み歌い帰路に着く END
2019.02.26
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壮大でファンタジックな光の新世界を堪能して、小田急線で帰路に着く17:47関東三大イルミネーションの「湘南の宝石」江の島を彩る光と色の祭典この辺りがビューポイントか江の島サムエル・コッキング苑&江の島シーキャンドルの夜間営業時間は、平 日:17:30 ~ 20:00(最終入場 19:30)土日祝:17:30 ~ 21:00(最終入場 20:30)もう少し露出時間を手持ちのため手振れに注意しながら撮影露出不足、もう少し勉強してチャレンジしたいトンネルシーキャンドルとトンネル7万個のスワロスキー🄬・クリスタルのビーズを使用した、シャンデリアゲートとトンネルが光の大空間へと人々を誘うサムエル・コッキング庭園の温室遺構のライトアップサムエル・コッキング庭園エリアのトンネルシーキャンドルを望む17:55約二万本のチューリップが咲くエリア約二万本のチューリップもライトアップされ携帯で撮影LED電球老夫婦?も撮影18:02サムエル・コッキング苑を後にする。再度撮影に来たいものです18:02あさひ本店頂上店昼間は一枚400円の「丸焼きたこせんべい」を求めて長い行列をしていたがもう閉店18:04無料エリアの「亀ヶ岡広場」へ亀ヶ岡広場からの江の島シーキャンドルズームアップして地面にも敷き詰めて18:1018:12中津宮広場のライトアップ18:15暗い坂道を下る18:17江の島エスカ-乗り場鳥居と瑞心門18:19土産店は閉まっているが、レストランはオープンの弁財天仲見世通り。まだこの時間でもライトアップを見にカップルが多く訪れていた18:29江の島大橋・江の島弁天橋から、国道134号線の地下をくぐり右は「すばな通り」を通り江ノ電「江ノ島駅」へ18:30弁天橋上から江の島シーキャンドルを遠望境川に架かる弁天橋の中央に「雲の彩」と名づけられたモニュメント18:31小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」竜宮城をイメージした駅舎も建て替える。新駅舎は2020年5月に竣工予定茅ヶ崎駅にたどり着き、いつもの居酒屋へ立ち寄る。今日一日の歩行数は、13,000歩でした。今の時期、イルミネーション撮影のツアーがあるが遠くへ行かなくても近場に。次回は自転車で訪れて撮影したいものです。「丸焼きたこせんべい」も食べたい。今日15日(金)は、ポルトガル8日間の旅を終え成田空港へ到着です。 江の島(3/4)へ 江の島END
2019.02.15
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伊豆半島に沈む夕陽を待つ。また、17時からのイルミネーションも楽しみ。16:39伊豆半島の雲の上に太陽16:43残念ながら富士山の方向は雲が多く富士は雲の中16:45太陽は雲の中に入り海上自衛隊の飛行機が飛来厚木海軍飛行場へ着陸するのか16:47太陽は雲の中に、後数分で出てくる16:48富士山、丹沢連峰16:51太陽が雲から出てくる16:52多くのカメラマンがカメラを構えズームアップして16:5516:56伊豆半島の山に沈む16:5716:58山に隠れる16:59暖かい屋内展望フロア16:59太陽が沈み屋内展望フロアに上から多くの人が降りてくる。上に、屋外展望フロアがあることを知り階段を上がる。風があり寒い17:00伊豆半島方面苑外の亀ヶ岡広場丹沢連峰17:01陽の沈んだ伊豆半島片瀬東浜、七里ガ浜17:0217時半からライトアップするとの放送、それまで上で待つことに太陽が沈み雲が染まることを期待したが17:02伊豆半島の一部が染まっただけで終わる遠くに伊豆大島が見える17:03シーキャンドルから江の島岩屋を見下ろす17:11亀ヶ岡広場はライトアップ17:19時間と共に映えてくる17:22徐々に鮮やかに片瀬東浜、七里ガ浜も灯が灯り17:23境川、江の島大橋、片瀬東浜広角で撮影廻りが暗くなりライトアップが映える17:24寒い中、屋外展望フロアで点灯を待つ。左の人は旅友に似ているが辻堂方面の夜景も映えてくる17:24海抜100mからの丹沢連峰17:25伊豆半島、下は御岩屋道通りの灯かり17:26後わずかでライトアップ17:27後数分で点灯の放送、10秒前からカウントダウンすると関東三大イルミネーションとは。イルミネーションがもたらす幸福感を全国の人々へ啓蒙すると共に、今まで以上に多くの方々に楽しんで頂きたいという想いから夜景観光コンベンション・ビューローが創設した日本初のイルミネーションブランドである。2012年から実施、それから5年を経過した2018年、同団体では再認定を行い、10月5日に開催された「夜景サミット2018in札幌」で発表&認定授与式を行った。そして ①あしかがフラワーパーク(栃木県足利市) ②さがみ湖イrミリオン(神奈川県相模原市) ③江の島湘南の宝石(神奈川県藤沢市) の3施設を、関東を代表する冬季イルミネーションとして認定したとイルミネーション&ライトアップマップ湘南の宝石フィナーレ:'19/2/9(土) ~ 2/17(日)5カ所の会場で江の島島内各所の会場一面がイルミネーションに包まれる17:34苑内がライトアップされる17:41エレベーターで下に降り、江の島シーキャンドルサムエル・コッキング苑内には、7万個のスワロスキー🄬・クリスタルのビーズを使用した、シャンデリアゲートとトンネルが光の大空間へと「湘南の宝石」江の島を彩る光と色の祭典多くのカップルが訪れこの光景を楽しんでいたいや元若い女性達も多く訪れていたトンネルがカップルを光の大空間へと誘う江の島シーキャンドルから360度、直径70mを超える、日本有数の規模を誇る光の大空間をつくる手持ち撮影だが・・・・・・17:46入園料がこの空間だけは200円のため、フィナーレ(2/17)までに再挑戦したいが。しかし、2/15(金)まで不在なので 江の島(2/4)へ 江の島 続く
2019.02.14
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腰越界隈から歩いて江の島へ1/24(木) 15:32名勝史跡「江の島」、江の島大橋を渡って島へ15:39弁財天仲見世通り外国人観光客が多く見られるこんなところに「江ノ島 はろうきてぃ茶寮」グッズショップとカフェレストラン/海鮮重3種登場旧岩本院「岩本楼」明治7年(1874)3月「岩本院」はそれまで宿坊だったことを活かし「岩本楼」として旅館を開業した鎌倉時代より時の将軍・勅使・大名などの宿坊として栄え、今日まで小説や芝居・講談の舞台にも数多く取り上げられてきた鳥居と瑞心門15:47江の島エスカ―乗り場、大人\360 のため歩いて登ることに15:50途中にある「児玉神社」へ立ち寄る。明治45年(1912)創建である。日露戦争で日本を勝利に導いた救国の英雄 児玉源太郎(1852~1906)をお祀りし、明治45年の創建以来、勝運の神として崇められてきた。御祭神は台湾総督在任時、善政によって現地の人々に慕われ、その縁で社殿の用材と石材は大部分が台湾からの寄進である。境内には、山県有朋歌碑を始め、後藤新平や石黒忠悳の詩碑、二〇三高地の石などの文化財がある百年経過の為、ただ今神楽殿を修復中です。この工事期間のみ普段は見えない本殿をここから拝むことができますと一段上は本殿咸臨丸(カンリンマル)復元保存協会咸臨丸図面発見の地日章旗をひるがえしてはじめて、太平洋横断の壮挙をなした本艦乗員の進取をたたへ咸臨丸の復元保存と・・・・・・・。謝介石詩碑台湾の人 謝介石の奉献。謝介石は満州国初代外交部総長を務め、のち満州国駐日全権大使として日本に駐在したこともある後藤新平詩碑政治家後藤新平が、御祭神の文武の功績と忠孝の徳を讃えて奉献した。御祭神の台湾総督時代、後藤は民政長官に任じられ、日本統治下にあった台湾の運営と近代化に手腕を発揮した石黒忠悳の詩碑子爵であった石黒忠悳(イシグロタダノリ)の奉献。御祭神の文武の功績は千年先まで伝えられるであろうと絶賛している。石黒は陸軍軍医総監まで務めた軍医であり、医学者として西洋医学の普及に尽くし、退官後は貴族院議員や日本赤十字社社長などに就任している16:00中津宮広場からの江の島ヨットハーバー江島神社(中津宮)あさひ本店頂上店一枚400円の「丸焼きたこせんべい」に長い行列16:04江の島シーキャンドル(展望灯台)+サムエル・コッキング苑のチケットを購入サムエル・コッキング苑のチューリップチューリップの球根は、夏の間、冷蔵保存していたという約二万本のチューリップは1月中旬頃まで見頃が続き、夜はライトアップされる黄色の「イエローフライト」花瓶にさされたチューリップ望遠レンズを構えたおばさん白の「ホワイトドリーム」16:14マイアミビーチ広場藤沢市は米国のマイアミビー市と姉妹都市片瀬東浜と江の島ヨットハーバーマイアミビーチ広場にある、LONCAFE:クチコミやマスコミでも話題のフレンチトースト専門店サムエル・コッキング庭園の温室遺構コッキング庭園の温室は、明治中期、英国人貿易商サムエル・コッキングが、江の島に造った庭園の一画に巨額の私財を投じて造られました。大正12年の震災等で温室の上屋はすべて倒壊してしまったが、煉瓦を主体とした基礎部分や地下に造られた施設が残っていた。遺構は3棟の南北に長い温室の基礎・・・・・・・立て札に「この木は何という木」とあったが松本市・藤沢市姉妹都市提携40周年記念碑「海と山の絆」(山辺石)16:23江の島シーキャンドル下から富士山方向だが茅ヶ崎沖の烏帽子岩16:28江の島シーキャンドル(展望灯台)へエレベーターで昇る。子供が小さき時、昔の古いタワーに登ったが新築なってからは初めて昇る海抜100mの室内展望フロアから撮影境川、江の島大橋片瀬東浜、腰越、七里ケ浜江の島ヨットハーバー、鎌倉方面葉山、三浦半島伊豆大島方面陽が沈む伊豆半島湘南海岸、大山いつもこの方向から逆に見ているが辻堂海岸方向茅ヶ崎ヘッドランドをズームアップ、いつも朝散歩で撮影している場所16:37茅ヶ崎沖の烏帽子岩 江の島(1/4)へ 江の島 続く
2019.02.13
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江の島では、関東三大イルミネーションに認定されている「湘南の宝石」の開催、また、江の島サムエル・コッキング苑でチュウリップが咲いているとのことで、天気が良かったので、1/24(木)の午後出かけた。14:23江の島へ行く前に、源義経ゆかりの「満福寺」へ行くことにして、江ノ電に乗車鎌倉行きの江ノ島電鉄藤沢駅ホーム「湘南の宝石」パンフレット開催期間:'18/11/23(金・祝) ~ '19/2/17(日)フィナーレは、2/9(土) ~ 2/17(日)点灯は17:30 ~、消灯は平日20:00、土日祝は21:00 開催場所14:38「日蓮宗 寂光山 龍口寺」門前この辺りは一般道を走る江ノ電14:40江ノ島電鉄「腰越駅」腰越駅は駅のホームが短く先頭車両からは乗り降りできない神戸(ゴド)橋交差点14:43腰越駅から海側に約250mにある、源義経ゆかりのお寺「満福寺」右の石柱は「義経腰越状旧跡 満福寺」近くの腰越漁港から水揚げされた海の幸「しらす丼」踏切を渡り石段を登る江ノ島電鉄、鎌倉方面狭い住宅街を走る14:45満福寺山門所在地:鎌倉市腰越2-4-8龍護山満福寺と号し、開山は行基(668~749)と伝えられ、本尊は薬師如来像です。源義経(1159~1189)が腰越状を書いた所として有名である。境内には弁慶が墨をするのに水汲んだといわれる硯池、腰掛石がある真言宗大覚寺派の満福寺本堂腰越状の下書き・版木(要拝観依頼)。源義経が源頼朝の許しを得るために「腰越状」を書いた寺で、義経はここ満福寺に弁慶と逗留した「義経公手洗の井戸」義経が手を洗ったといわれる井戸本堂前と鐘楼14:52電車が頻繁に通過中世には鎌倉と京とを結ぶ街道筋のうち、腰越は鎌倉--大磯間に設けられた宿駅で西の門戸であった14:56国道134号線の小動交差点小動の金子丸海岸から「七里ガ浜」稲村ケ崎遠く葉山方面14:59小動(コユルギ)神社所在地:鎌倉市腰越2-9-12小動神社は、文治年中(1185)佐々木信綱の創建と伝えられる。小動の地名は風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬の頂にあったということに由来する。縁起によれば、源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた佐々木盛綱が源平合戦の時に、父祖の領国であった近江国から八王子宮を勧請したものと伝えられている。元弘3年(1333)5月には、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願したという手水舎七月第一日曜日から第二日曜日にかけて行われる天王祭は、江の島の八坂神社との共同の大規模な祭りで、町一帯を回る神輿や氏子五か町の囃子屋台などで大いに賑わう。境内には神輿蔵があり数基の神輿が奉納されていた社 殿文化14年(1817)4月当所、井上氏の丹精により、400有余の氏子により、再建されたと棟札に記録がある。しかし、大正12年9月1日の関東大震災により被害を受け、昭和4年12月本殿は修復されたが、拝殿は新築された諸願成就の守「大六天社」祭神:第六天神、別名:淤母陀流神(オモタルノカミ)漁業の神・航海の神「海神社(ワタツミジンジャ)」祭神:綿津見神(ワタツミノカミ)、別名:船玉神(フナダマノカミ)とも云う左から「金刀比羅宮(コトヒラグウ)」「稲荷社」幕末相模湾の防備を固めた「腰越八王子山遠見番所」ここからの夕陽に染まる江の島もビューポイント天保13年(1842)、当時の鎌倉郡腰越村は、幕府から相州警備を命じられた川越藩の管理のもと、恒常的な海防への協力を余儀なくされた。ここ小動神社展望台の左手には、かって番所が置かれ、主に異国船渡来の通報拠点としての役割を担った15:10小動神社の向かい側にある、赤い三門の「浄泉寺」小動山 松岩院 浄泉寺本堂開山は弘法大師で、中興開山は元秀である。開基創建の年月は不明。ご本尊は左手に剣を持ち、体の正面で腕を交差している「左剣不動明王」である明治の廃仏毀釈前には八王子社(現小動神社)と合祀されていた。神仏分離令以降も大正7年(1918)までは、浄泉寺住職が小動神社も管理していた。またここに開かれた寺子屋が、小動小学校の始まりとのこと15:14腰越漁港シラスが特産品として知られている15:17片瀬東浜海水浴場片瀬東浜と江の島1月27日(日) 8:00 ~ 11:00頃 通行止めになる湘南藤沢市民マラソン開催で国道134号線の、片瀬東浜から浜須賀間片瀬東浜、腰越漁港方面15:25国道134号線の、江の島入口片瀬東浜富士山がかすかに見える15:32名勝史跡江ノ島 江の島 続く
2019.02.12
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目黒不動尊から歩いて戸越銀座へ行き、五反田の新年会会場へ16:11大本堂右にある「子守延命地蔵尊」サツマイモの幟が多く立ち並び目黒不動尊には「さつまいも」の栽培方法を広めた「甘藷(カンショ)先生」こと青木昆陽さんの墓がある、国指定史跡になっている青木昆陽(アオキコンヨウ)元禄11年(1698)6月19日 ~ 明和6年(1769)11月9日 享年71歳江戸時代中期の、幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者でサツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれる。境内には、不動尊子供会のさつまいも畑がある行者倚像(ギョウジャイゾウ)銅造役の行者倚像の説明役の行者(役小角ともいう)は奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖として崇拝されている人物。像の腹部、胸部、腕部等に刻銘があり、神田に住んでいた鋳工太田駿河守藤原正義の制作であることがわかるとこの像は寛政8年(1796)の作で、総高142.2cm、坐高92.7cm鈴懸(スズカケ)の木スズカケノキは、スズカケノキ科のスズカケノキ属の落葉広葉樹。果実が楽器の鈴に似ていることからこの和名がついた。属の学名であるプラタナスと呼ばれることが多い。昨年の台風?で倒れた樹木の養生をしている阿弥陀堂で御朱印をもらう阿弥陀堂ここでは御朱印は三枚(掲示品から撮影)観音堂と書院(右側)一段高いところに「大本堂」がある境内に咲く冬桜16:25門前町の目黒不動商店街歩いて五反田へ行くことにするが、まだ時間が早いので「戸越銀座」へ行くことに16:28天台宗 成就院(ジョウジュイン)所在地:目黒区下目黒3-11-11タコと成就院別名「蛸(多幸)薬師」 創建は慈覚大師で本尊の蓮華座を三匹の蛸が支えている。これは、大師が海に投じて薬師像が蛸に乗り漂着した故事に由来し、蛸薬師も名もここからついた天台宗 成就院天安2年(858)慈覚大師の開山で、本尊は大師の自作と伝えられ三匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像です。俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々にあがめられている。この寺の所有に浮世絵師鳥居清長(1752~1815)筆の、歌舞伎十八番の一の出し物を描いた「矢の根五郎」の額がある。国の重要美術品に認定され国立博物館に保管されている本堂前から山門を蛸薬師の提灯お静地蔵尊・由来記境内には、徳川二代将軍秀忠の側室お静の方がわが子、保科正之の栄達を祈願し、大願成就のお礼に奉納された「お静地蔵」が建てられ、また、三代将軍家光が遠州の秋葉大権現を勧請した「秋葉大権現」が併祀されている元和年間三代将軍家光公は目黒で鷹狩の際、当寺に参拝され、舜興和尚(中興第15世)とのご法談の折、保科正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永8年正之公は信州高遠城主となった。お静は、大願成就のお礼として、阿弥陀如来像を納め奉った。正之公は後に山形城主、さらに正保元年会津藩23万石の城主となり、会津松平家の祖となったこの他に、江戸時代の地蔵尊や庚申塔が建っている16:32蛸薬師山門らかんさんの大寺「五百羅漢寺」の石碑16:38山手通りを歩き、道路脇に紅葉のモミジ18時からの新年会にはまだ早いので、元会社の傍を歩いて戸越銀座へ向かう。17:00首都高速2号目黒線の入口17:06荏原二丁目交差点を左折して「戸越銀座通り」へ入る「平塚地区」「お好み鯛焼き」安納いも 220円、つぶあん、贅沢カスタード17:10東急池上線の「戸越銀座駅」上下線ホームへの入口は異なる戸越銀座は、品川区豊町及び、戸越、平塚にまたがる戸越銀座通りに沿った商店街で、3つの商店街からなっている。全長約1.3kmにわたる関東有数の長さの商店街である。なおメディアなどでは、日本一長い商店であると紹介されることもあるが、実際は大阪・天神橋筋商店街の約2.6kmが最長とされる17:14国道一号線の、戸越銀座交差点国道一号線交差点を渡り「戸越地区」へ17:22途中で折り返し戻る薩摩國、薩摩川内 戸越銀座店いつだったか、誰かの散歩(じゅん散歩?)で紹介された店17:24安い大衆酒場もあったが17:26新年会の時間も近くなり、電車で「大崎広小路駅」へ向かうことに17:31山手通りの「大崎広小路交差点」17:36国道一号線と山手通りとの「西五反田1丁目交差点」この先に元会社の事務所がある17:44予定時間には少し早いが会場へ17:46いつもの中華料理店で新年会男性5人、女性2名の7人で、3時間食べ放題、飲み放題珍しい鍋料理が出てきたと豆腐の餅後から来る二名のために鍋を用意春雨の・・・・・辛めの麻婆ドーフ海老のチリソース海老のマヨソース今回も「カニあんかけ炒飯」21:153時間食べ放題、飲み放題で満足して帰路に今回は、旅友とは別行動でJR新宿ラインを利用して帰宅22:05JR戸塚駅で東海道線に乗り替える今日のウオーキングは、18,036歩でした 新年会END
2019.01.28
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2008年に旅友のKさんとスペイン旅行をしたが、その時の縁で毎年11月後半には愛知県の香嵐渓へ行ったり、年末年始には忘年会&新年会とお会いして親睦を図っている。今年も、新年早々に新年会をやるとのことで東京へ出かけた。新年会が18時からのため、その前に以前から行きたかった目黒区の「目黒不動尊」をブログ取材で訪れた。1/9(水) 14:00自宅から駅への途中にある「八王子神社」へ立ち寄り「健康祈願」本村八王子神社本殿手水舎と鐘楼手水舎には作法の手順が親切に貼りだされていた。左手を清め → 右手を清め → 左手に水を受け口をすすぎ → 再び左手を清め → 柄杓を縦に持ち、残った水で柄を洗い流す。水も自動感知で出てくる護國社と天満宮14:05これからの行事として、1月14日 「どんど焼き」、2月3日「 節分祭」15:10JR大崎駅で山手線に乗り替える。ホームゲートも一部設置済み15:16JR目黒駅JR目黒駅改札口15:23駅から目黒通りを下る立て札は「目黒区みどりの散歩道 ◎不動コース」15:24JR目黒駅から、「目黒通り」を下り「山手通り」方面へ不動道りの商店街?15:25目黒川に架かる「目黒新橋」目黒新橋上から、下流の品川方面同橋から上流の渋谷方面春には桜が咲き誇る目黒川山手通りへ15:29山手通りの、大鳥神社交差点15:30山手通りと目黒通りが立体交差に大鳥神社交差点に面した「大鳥神社」何故か母娘の像がすき家の前に本を読んで聞かせている像なのか15:34大鳥神社所在地:目黒区下目黒3-1-2区内最古の大鳥神社江戸期には目黒不動、金毘羅権現と並び ”目黒の三社様” といわれた。天保の頃から伝わる太々神楽「剣の舞」「熊手の舞」は華麗で荘厳。毎年11月には酉の市が立つ大鳥神社この神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征にゆかりがあるといわれるこの地に、大同元年(806)創建された区内最古の神社です。江戸地図として古いものとされる「長禄江戸図」に書かれている古江戸9社の1つで、目黒村の総鎮守でもあった。祭神は日本武尊を主神として国常立尊(クニトコタチノミコト)と弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)を合祀している大鳥神社のオオアカガシ都指定天然記念物「大鳥神社のオオアカガシ」指定時に樹高約16m、幹周り1.6mあった本樹は、生育環境の変化等により昭和50年代初めごろから樹勢の衰退がはじまり、数回にわたる樹勢回復事業も実施されたが平成14年枯死が確認された。また、後継樹育成のため挿し木による増殖も試みたが成功せず、平成24年に指定解除となった切支丹灯籠切支丹灯籠下目黒の大鳥神社所蔵で、昭和38年 守屋図書館に開設された郷土資料室に出品公開されて以来、中庭で展示している。もとは千代が崎(現在の東京都教職員研修センター付近)の大村邸内にあり、かってこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷にまつられ、密かに信仰されていたものと伝えられている大鳥神社本殿大鳥神社御由緒御由緒と酉の市(八つ頭と熊手の由来)15:42天台宗 大聖院大鳥神社に隣接している大聖院の境内にある「切支丹灯籠」この3基の灯籠は、切支丹灯籠とか織部式灯籠と呼ばれているもと、三田千代が崎の旧島原藩主松平主殿頭の下屋敷(後の大村伯邸)林泉中の小祠内にあったが、大正15年10月大聖院に移したものです。中央の最も高い1基の棹石には変形T字クルスとキリスト像とおもわれる形状が、又左右面に、漢詩が刻まれている。この灯籠は、徳川幕府の弾圧を受けた隠れ切支丹が庭園の祠等に礼拝物として密そかに置かれていたものだといわれている15:46大聖院から、目黒通りを歩き、ここを左折して目黒不動尊(滝泉寺)へ向かう。この角に「目黒寄生虫館」がある。昭和28年、亀谷了博士が開設した、世界でただ一つの寄生虫の博物館。ここに集められている寄生虫の標本や文献は約8万点。衛生上重要なものを中心に、一般動物の寄生虫も含めて約300点の標本が展示されている15:51東京都目黒区立「不動公園」古代遺跡も眠る不動公園昭和9年にオープンしたこの公園は、碑文谷、清水池の両公園と並び、区内で最も古い公園の1つ。地下には古代遺跡が眠る、昭和55年の発掘調査では、目黒区で初めて弥生後期の竪穴式住居跡っが出土。縄文期の土器、石器類も多数見つかっている。公園裏の共同墓地には、サツマイモ栽培を奨励し「甘藷(カンショ)先生」と呼ばれた江戸の儒学者・青木昆陽の墓がある左折すると「甘藷先生(青木昆陽)」の墓16:00目黒不動尊の前にある「目黒 比翼塚(ヒヨクヅカ)」権八・小柴の悲話伝える比翼塚処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小柴。その悲話は「後追い心中」として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は二人の来世での幸せを祈りたてられた新東京名勝、選外十六景「目黒不動尊」仁王門昨年の大河ドラマ「せごどん」で放映されたが西郷隆盛が薩摩藩主島津齊彬の病気回復祈願で度々参拝した瀧泉寺(リュウセンジ):目黒不動尊所在地:目黒区下目黒3-20-26天台宗泰叡山瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれている。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けた。また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わった。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称された仁王門から境内を目黒不動尊 境内案内図正面の石段は「男坂」、左に「水かけ不動」朱色の「前不動堂」手前に「垢離堂」「水かけ不動」水かけ不動瀧泉寺は関東最古の不動霊場で四季折々の風情が輝き、善男善女の心に安らぎをもたらす。「獨鈷の瀧」は不動行者の水垢離場となり、江戸幕末には西郷南洲(隆盛)翁が薩摩藩主島津斉彬公の當病平癒を祈願したと男坂(石段)を登り「護國院」鳥居西郷隆盛もここへ来たのだと思うと・・・・・・大本堂大本堂左側にある「愛染明王」微笑観世音菩薩大本堂から男坂の上にある鳥居大本堂前大本堂から裏に廻り「大日如来」本堂裏にある「大日如来坐像」銅造大日如来坐像蓮華座に結跏趺坐(ケッカフザ)しているこの坐像は宝髪、頭部、体躯、両腕、膝等十数か所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られている。総高385㎝、座高281.5cm、頭長は121㎝で、体躯に比べ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躯も衣文表現もよく整っている。刻銘から制作年の天和3年(1683)と、制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重16:09春のしだれ桜が楽しみ 目黒不動尊(2/2)へ
2019.01.27
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九品仏の後半で紅葉を楽しんだ後、中目黒のライトアップ、大崎での忘年会へ12/6(木) 14:55中品堂前から上品堂本堂へ向かう天然記念物「九品仏のイチョウ」濡れ落ち葉も紅葉本堂前から中品堂来迎会(オメンカブリ)当山には、ひろく「おめんかぶり」の名で親しまれる行事がある。これは三年ごとに奉修される阿弥陀如来二十五菩薩「来迎絵(ライコウエ)」のことで、無形文化財に指定。念仏行者が臨終の夕べに、阿弥陀様が二十五の菩薩様を従えて西方浄土のご来迎になるという、浄土の教えを行事にしたもので、その日は三仏堂から??への懸橋を信者の方々が菩薩のお面をかぶって行道する尊くもまた厳粛な儀式である。このおめんかぶりは、三年に一度の行事であり、5月5日の午前11時、午後1時の1日2回おつとめする。関東においては、当山のみの行事であると本堂前から上品堂九品仏浄真寺 本堂 本尊は釈迦如来坐像。 浄真寺の地は、もともとは世田谷吉良氏系の奥沢城であった。小田原征伐後同城は廃城となったが、寛文5年(1675年)に当地の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年(1678年)、珂碩(カセキ)が同地に浄真寺を開山した本堂前の地蔵菩薩その後方に下品阿弥陀堂が本堂には珂碩上人自作の本尊・釈迦牟尼如来坐像〔都有形文化財〕を安置。 龍護殿(リュウゴデン)とも呼ばれる本堂は、元禄11年(1698)に三仏堂とともに完成。 本堂は、浄土:彼岸(ヒガン)の世界を表す三仏堂に対し、西面して穢土(エド):現世、此岸(シガン)を表しているのだと本堂右手の枯山水庭園イチョウの木の葉はおちているが銀杏がまだ落ちずに頑張っている本堂から仁王門を本堂前の地蔵菩薩本堂前天然記念物にもなっている境内の巨大なイチョウの樹の脇に一つの歌碑が『掃きよせて 落ち葉焚く間も 銀杏の樹 やまずしこぼす 黄なるその葉を』植松壽樹歌碑(ウエマツヒサキカヒ)で、大正昭和期の歌人。歌誌『沃野(ヨクヤ)』を創刊・主宰した。墓所はここ浄真寺にある東京都天然記念物『九品仏のイチョウ』仁王門へ向かう茅葺を銅板に葺き替え工事?開山堂の前にある手水鉢サギソウの蛇口手水舎&仁王門開山堂の脇には三十三観音中央にあるのが観音堂、周りを三十三の石の観音像が取り囲んでいた。 奥沢神社(世田谷区奥沢)の前々代の本殿で、天保年間(1831~1845)から江戸時代末頃に建立され、明治時代に浄真寺に移築されたのだと。水子地蔵、浄大供養地蔵(右側)開山堂のそばに立つ水子観音菩薩像珂碩(カセキ)上人 開山堂開山堂には浄真寺開山珂碩上人のお像を安置。このご尊像は上人自彫のもので、お姿は合掌する上人御年42歳の時のものであると。この像も文化財に指定されており、万治元年(1657)上人が如来のお告げ三度により水鏡に御姿をうつし彫刻されたものであって、古来より安産・厄除・開運としてひろく信仰をあつめていると開山堂前の紅葉九品佛浄真寺東門から仁王門九品佛浄真寺東門総門から参道を通り九品寺駅へ総門にのら猫?15:22九品佛浄真寺総門15:28東急大井町線「九品寺駅」駅に着いたら旅友が愛用の傘を持っていないの気づき聞くと「九品仏の本堂前に忘れた」とのことで、しばし駅のベンチに座り待つことに。この間、時間がありスマホでネットを開くと「圏外」と表示。後から分かったが、この日は14時前ころからソフトバンクのスマホが「圏外」と表示され全く繋がらなくなってしまったのであった。 最初は理由がわからず、何故世田谷区のこの場所が『圏外』と。しかし移動しても変化がなく、旅友も16時からの約束があり盛んに操作するが繋がらず。しかも大崎広小路駅周辺で公衆電話を探すも、見つからず、公衆電話のない現実を目の当たりにした15:30駅のホームでは皆さん携帯電話を操作していたが、他の方も同じ思いをしていたのか 15:35九品仏駅にはホームドアが設置、待つこと10数分で旅友も無事傘をもって15:58大井町線「旗の台駅」にて池上線へ乗り替え15:59東急池上線の「旗の台駅」16:13東急池上線「大崎広小路駅」で下車大崎広小路交差点、ここには「ゆうぽうと大崎」があったが現在取り壊して閉業中山の手通りの、大崎広小路交差点、JR大崎駅方面。公衆電話を探すが見当たらず16:44忘年会まで時間があるので、中目黒のライトアップを見ることに。このため大崎からバスにのり、東急東横線「中目黒駅」へ到着16:46東急東横線「中目黒駅」この間公衆電話を探すがなく、ようやく中目黒駅で見つけて許可を得て中に入り電話16:49旅友も相手に電話事情を伝え、中目黒の商店街へ16:51目黒川のライトアップ、数年前に来ていたのでブルーのライトアップを期待したが本格的にはライトアップ期間 2018年12月15日(金)~12月24日(日)ライトアップ時間 16:00~21:00とのこと16:54ゴールドのイルミネーションスケールも小さく早々に引き返すことに、再度中目黒駅前からバスで大崎へ向かう。忘年会は18時過ぎからであったが、暗くなり行くところもないので早めに会場へ、早めに二人で宴を始める。それにしても携帯電話が通じなくなると、公衆電話も見当たらず緊急時はパニックになるのではないかと心配になる。 ①公衆電話のあるべきところを、日頃から決めておくべきかと。 ②外国人観光客も困るのではないか。18時過ぎから現役世代も会場の中華料理店へ集まり忘年会を始める。19:04仙台から参加された元同僚が、石巻の生ガキを宴会場に事前に送ってくれていて、 今年初めての生ガキを楽しみ、お土産としてもたくさん頂く20:22中華料理のメニュー「カニあんかけ炒飯」21時過ぎ宴会後、山の手通りで皆さんと分かれて、東急池上線の「大崎広小路駅」から旅友と乗車して私鉄を利用して帰路に。大崎広小路 → 中央林間の料金は、330円とJRに比べ半額??22:17東急「旗の台駅」で乗り換え、東急田園都市線の車内。旅友は傘をしっかりと持ち22:20東急田園都市線「中央林間駅」へ到着22:22東急田園都市線「中央林間駅」二階ホームから一階へ22:22東急田園都市線「中央林間駅」改札口22:23小田急江ノ島線の「中央林間駅」へと急ぐ23:03小田急藤沢駅からJR藤沢駅ホームへ23:07安くて美味しそうなメニューだが時間が遅く閉店かけ:280円、かき揚げ:380円、・・・・・・・23:18JR茅ヶ崎駅交通費を考えて私鉄を利用しての帰宅であったが、時間を要し乗換回数も3回と多く疲れた帰宅でした。次回はやはりJRを利用しての品川経由がBEST! 九品寺(1/2) 等々力渓谷&九品寺END
2019.01.26
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等々力渓谷、等々力不動尊の後、歩いて九品仏へ向かう12/6(木) 14:25東急大井町線「溝の口行き」14:31浄真寺参道と刻まれた大きな石碑。所在地:東京都世田谷区奥沢七丁目にある、浄土宗の寺。 山号は「九品山」、「九品仏(クホンブツ)」とは、一義的には、同寺に安置されている9体の阿弥陀如来像のことであるが、一般には同寺の通称となっている九品仏はNHKの旅ラン(NHK-BS)で、お笑いタレントの虻川美穂子が訪れて紹介していたのでいつか訪れたいと思っていたところである「禁銃猟 警視廳」の石碑 「この辺りでは銃を使っての猟は禁ずる」という警視庁が出した明治時代の告知であるとのこと2014~2034年 浄真寺「平成九品佛大修繕事業」大勧進九品仏の駅名にもなって親しまれる浄真寺は、上品上生仏より下品下生仏の九品阿弥佛が奉納されている。この度、元禄以来の大修繕を行うことになった・・・・・・・・東急九品仏駅方面正面に見えてきたのが総門雨も上がり紅葉も綺麗浄真寺『総門』 九品山唯在念佛院浄真寺(クホンサンユイザイネンブツインジョウシンジ)は浄土宗寺院扁額には「般舟場(ハンジュジョウ)」と書かれていた。般舟場とは念仏修行をする道場という意味であり、当山二世珂憶上人の高弟珂慶上人の筆とのこと総門から境内を創建の由来当山は広く「九品仏」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念佛院浄真寺」といい、浄土宗に属し境内約12万㎡(3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。開山は江戸時代初期の高僧「珂碩(カセキ)上人」で、四代将軍家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である感無量寿経の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。「江戸名所絵図」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅板葺に改修された「ラジオ体操」に対するお願いと左は工事中の???紅葉の下で地蔵様たちの赤い涎掛けが映えていた雨上がりの紅葉閻魔堂の中央には閻魔様が怖い顔で総門方向総門石仏群「紫雲楼」と呼ばれている仁王門(楼門) 建立は寛政5年(1793)で屋根以外は大掛かりな修理の痕跡がないということから、 当時そのままの構えのようだ仁王門前の見事な紅葉浄真寺の駐車場イチョウの大木「紫雲楼」と呼ばれている仁王門(楼門)。楼門ということで、二層に分かれ、下層は通路の両側に金剛力士像を据えている。 上層は中央に須弥壇が設けられていて、お面かぶりで有名な阿弥陀如来像および二十五菩薩像が参拝者を迎えるように安置されているそうだ。 当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会(ライゴウエ)」(お面かぶり)は、無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることになると二十五菩薩来迎会(ライゴウエ)(お面かぶり)石灯籠仁王門から境内を仁王門を潜ると左手にあるのが鐘楼(Bell Tower) 鐘は、宝永5年(1793)世田谷領の深沢、谷岡又左衛門の寄進で、作は、神田鍛冶町の河合兵部郷藤原周徳である紅葉の間に「仁王門」一対の仁王像、楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置されているほか、風神・雷神の像もあって、寺域全体の安全が意図されていると紅葉の合間から本堂二本のイチョウの木サギソウ(鷺草)が咲く庭園サギソウ(鷺草)都天然記念物「九品仏のイチョウ」銀杏を拾う叔母ちゃん二人「御利益があるから拾ったら」と言われたが、電車内での匂いを考えると辞退九品仏浄真寺 中央の三仏堂(阿弥陀堂) 本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体合計9体の阿弥陀如来像が安置されています。3つの御堂の9体はそれぞれ、上品上生(ジョウボンジョウショウ)、上品中生、上品下生、 中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生を表し、これをあわせて九品(あるいは九品往生)といい、この九品の仏から通称「九品仏」と呼ばれている。このような九体阿弥陀如来像は、他に京都の九躯寺(浄瑠璃寺)にしかない。まずは左の堂から、下品阿弥陀堂(ゲボンアミダドウ)左から下品下生、下品上生、下品中生と書かれたそれぞれの扁額が下品仏(ゲボンブツ) 三体左から下品下生、下品上生、下品中生三仏堂修覆元禄11〜12年に建立された三仏堂は、安政・大正の地震で被害を受け、その都度修復をしたが、昭和58年10月7日珂碩(カセキ)上人の第290年忌の勝縁に際し、大修覆工事を行ない、創建当時の偉容を再現した九品仏と三仏堂珂碩上人(1617~1694)は、念仏行者として一代の高僧であるとともに、また非常に彫刻に秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。なかでも、18歳で発願、51歳の時完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は上人畢生の結晶といわれる代表作で、末代衆生化益の尊い御仏像である。九躰とも文化財の指定を受け、上品堂(中央)・中品堂(右)・下品堂(左)の三っのお堂(三仏堂)にそれぞれ三躰ずつ安置してある次に中央にある堂、上品阿弥陀堂(ジョウボンアミダドウ)へ本堂前からの上品堂左から上品下生、上品上生、上品中生と書かれたそれぞれの扁額が上品仏(ジョウボンブツ)左から上品下生、上品上生、上品中生上品堂前からの本堂阿育(アショカ)王塔阿育王は、紀元前三世紀のインドの王で、仏教を国教とし慈悲の教により国民に臨みその恩徳国内に満ちたといわれる。インド各地に今も残る釈尊の遺跡に多くの石柱を建立して顕彰の誠を示された。現今のインドの国旗は、この石柱の頭部の法輪である。当山の王塔は、日本様式であり天保年間のものである本堂から見て右側にある堂、中品阿弥陀堂(チュウボンアミダドウ)左から中品下生、中品上生、中品中生と書かれたそれぞれの扁額が中品仏(チュウボンブツ) 三体左から、修復中の中品下生、大修繕完了の中品上生、中品中生左から中品下生、中品上生、中品中生中品堂前から、上品堂、下品堂14:54九品仏の奥の墓地 等々力不動尊(2/2)へ 九品寺(2/2)へ
2019.01.25
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等々力渓谷から、谷沢川の下流の「日本庭園」へ立ち寄り、隣接する等々力不動尊の紅葉を堪能した。12/6(木) 13:24稚児大師御影堂弘法大師御誕生 1200年記念 慶讃大法要 昭和50年4月6日 奉修稚児大師御影堂周りの紅葉雨も上がり陽を浴びると利剣(リケン)の橋真っ赤なカエデ利剣の橋を渡り、不動の滝へ木橋を渡ると「不動の滝」800年ほど前に満願寺別院(等々力不動尊)が開創されたときに湧出したと伝えられ、 滝の水は「霊水」として信仰されているという13:30等々力渓谷「日本庭園」石灯籠と築山。崖を巻き込むように上へ上へと庭園が延びていた万両に水滴が渓谷の崖地や自然環境を巧みに活かした庭園寒椿も咲き等々力渓谷谷沢川の下流部、等々力不動尊の対岸に、昭和36年に建築された書院建物とそれをとりまく日本庭園。池、流れ、石畳の階段園路などがある庭は、昭和48年に著名な造園家により作庭されたもので、当時のままの姿で保存されていた。 園内には陽当たりのよい芝生広場があり、併せて、渓谷散歩の休憩に利用できる書院の飾り書院から案内図竹林の先には『かぶき門』13:46日本庭園入口「かぶき門」公園内の茶屋前回8月に訪れた時は暑くて休憩したがこの日は休み神変大菩薩の提灯等々力不動尊本堂への階段を登る途中、左への小さな石段を入ると役の行者の神変窟があった。洞窟の内部は石でしっかり構築されて線香の煙がただよっていた。奥に鎮座されているのは、役の行者(エキノギョウシャ)等々力不動尊境内へと坂道を登る境内から谷沢川へ境内入り口からの紅葉見事な紅葉に境内の紅葉は今が盛りか?13:50等々力不動尊の社務所境内のイチョウの木は落葉等々力不動尊の本殿正面。写真は拝殿で裏に本殿がある。 等々力不動尊は満願寺(マンガンジ)の別院。 関東三十六不動尊霊場の第17番で正式名称は滝轟山(リョウゴウザン)明王院。 本尊は不動明王、寺に残る言い伝えによれば不動像は1300年前の作で、そして800年前に興教大師が夢を見て、武蔵国に不動明王像を安置する場所を探し続け、当時の豊富な水量を流す当地の滝を見て、霊地と悟り、この地に不動堂を創建したのが始まりであると 崖や斜面にへばりつくように建てられた寺院建築を、懸造り(カケヅクリ)もしくは懸崖造り(ケンガイヅクリ)というのだと山門からの本堂前回8月10(金)に訪れているが、この紅葉を見たかった。前回のブログは、8月12日に「等々力渓谷ー後編」にリンクしておりますドウダンツヅジも紅葉イチョウの大木と、境内には紅白の吹き流しが何本も立っていた龍の手水ここのイチョウの木には銀杏はなし旅友が等々力不動尊の御朱印を頂く香炉と山門方向等々力不動尊山門前回8月に訪れた時は工事中であったが等々力渓谷この渓谷は、谷沢川によってできた谷で、今でも多くの動植物がみられ、四季折々の表情を見せてくれる14:04歩いて九品仏(クホンブツ)へ向かう 等々力渓谷(1/2) 九品寺へ
2019.01.24
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’18年12月6日(木) この日の夜、元会社の仲間との忘年会を五反田でするとのことでその前に旅友のKさんとかねてから行こうと言っていた、世田谷区の紅葉を見に行くことに。朝から雨が降っていたので計画は中止かと思っていたが、Kさんから雨雲が通り過ぎるとのことで急遽決行することに。自宅からの経路が解らないのでネットで調べて11:30に出かける12/6(木) 12:13茅ヶ崎から一つ前の電車に乗りJR横浜駅で乗り換え、東急東横線の地下ホームへ若い時よく菊名まで行ったが当時は地上駅であった、現在の東急東横線は地下駅に12:15流石新しいだけにホームは広く、ホームドアーも設置12:41自由が丘に到着東急東横線から東急大井町線へ12:42東急大井町線の「溝の口」方面へ乗り替える12:48東急大井町線「等々力駅」に到着東急の路線図だが久しぶりに訪れ方向が解らず。Kさんも遅れるとのことでしばし思い浮かべる12:51雨も小雨になり、待ち合わせまで時間があるので駅周りを散策駅舎は上下線の間にあり危険!この方向は、自由が丘?12:56等々力渓谷と周辺のご案内この先の路地を右に回ると等々力渓谷入口へスーパーマーケット「成城石井」等々力駅前の「中国料理ざいもく家」店先の紅葉カイドウ?店内には Lunch客が多く13:00旅友のKさんと合流13:05等々力渓谷の入口、ゴルフ橋等々力渓谷には、8月10日(金)にも訪れており、その時紅葉時期にも来ようと計画。その時のブログは、8月11、12日に「等々力渓谷の前後編」でアップしておりますのでリンク願います等々力渓谷は10数メートル下るが、気温差を表示。前回は夏場に訪れたため温度差があったが東京都指定名勝「等々力渓谷」所在地:世田谷区等々力2丁目外この渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約1kmの都区内唯一の渓谷である等々力渓谷公園入口旅友は、昨年(’17年)行った郡上八幡で購入した傘を愛用等々力渓谷は谷沢川によってできた谷で、今でも多くの動植物がみられ、四季折々には咲き乱れる桜、常緑の木立、秋の紅葉も不動滝(竜頭滝)に映え、深山の趣があるゴルフ橋昭和36年(1961)に架けられたアーチ鋼製で、それ以前は木橋であったゴルフ橋の説明昭和の初め頃、旧下野毛に東急電鉄が開発した約8ヘクタールの広大なゴルフ場があったことに由来している台地と谷との標高差は約10mある谷沢川に沿って下る雨も小雨になるが紅葉には少し早かったか?環状八号線の玉沢橋この辺りは常緑樹が多いのか、紅葉は見られず環状八号線の玉沢橋下遊歩道には落ち葉が多く、滑らないように谷沢川の下流には「等々力不動尊」がある「日本庭園・書院」もある「等々力渓谷公園」の説明「等々力」の地名は、渓谷内の「不動の滝」の音が響き辺り「轟いた」ところからついた、との言い伝えがある。滝の上部には、平安時代に役の行者の霊場とされた等々力不動尊があり、かってはこの滝にうたれて行をする修行僧が各地から訪れたといいます渓谷内には「等々力渓谷第3号横穴古墳」がある、これは谷沢川の東斜面の崖に群集している横穴の一つで、古墳時代末期から奈良時代のものと推定されている等々力渓谷第3号横穴渓谷の東側崖面では、古墳時代末期から奈良時代にかけて構築された横穴墓が6基以上発見されている。中でも昭和48年(1973)に発見された3号横穴は、典型的な横穴墓の形態を留めていて、埋葬人骨や副埋葬品も良好であったことから保存処置が講じられた古墳群へ都史跡「等々力渓谷3号横穴」渓谷の周辺では野毛大塚(玉川野毛町公園内)、御岳山、狐塚などの古墳群が造られた後、古墳時代末から奈良時代(7~8世紀)にかけて横穴群が造られるようになった完全な状態で残っている「3号横穴」横穴墓は奥行き約13mで、内部は徳利を半分に割ったような形をしているこの辺りは紅葉が13:23谷沢川を下り、日本庭園、等々力不動尊へ向かう 等々力渓谷(2/2)
2019.01.23
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『ozin0523さんのブログ』にアクセス、ありがとうございます。このブログは『わたしの旅行:国内&海外』 ①日々の出来事 ②ヒロ散歩 ③国内旅行 ④海外旅行 等を中心とした備忘録を兼ねた、今年二年目になる毎日のブログです。感想等を書き込んでいただける方は、写真下の『コメントを書く』から気楽に、ご感想、ご意見、ご質問等を書き込み頂ければ幸いです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11/27(火) ~ 29(木)までの箱根の旅を終えて帰路に着く11/29(木) 10:27園内の案内は既に'18/12/6にブログ「紅葉と苔庭の箱根美術館」で公開しておりますので、あわせて訪問願えれば幸いです強羅駅と早雲山駅を結ぶ箱根登山鉄道のケーブルカー(鋼索鉄道)このケーブルカーは駅が6駅あり生活路線になっている強羅駅からのケーブルカーで約5分「公園上駅」で下車して美術館へ早雲山駅へ、ケーブルカーの沿線は紅葉真っ盛り10:30約一時間の鑑賞で箱根美術館を出る。箱根美術館の庭園は決して広くはないが、手入れが行き届き四季折々が楽しめるのでまた来たいものです10:56昨日ここから登った、旧街道入り口の三枚橋県道732号線を畑宿方面へ10:58国道一号線を帰るが、この先を右折すると「一夜城歴史公園」この先を左折すると、西湘バイパス、小田原厚木道路平日で時間も早いので渋滞もなく11:00有料道路に入らず「鈴廣かまぼこの里」へ向かう11:10国道一号線を挟んで、小田原宿お食事処「千世倭樓」、茶房「しゃぎ」箱根駅伝の小田原中継所鈴廣かまぼこの里の前には「箱根百年水」かまぼこづくりに欠かすことのできない「水」は、箱根山系に降った雨が100年以上もの歳月を掛け、自然によってろ過された清冽な伏流水であると鈴車(スズグルマ)と水舟(ミズフネ)水舟は、岐阜県郡上八幡の暮らしの景色として広く知られているが、その郡上八幡で船大工を営む田尻浩さんに依頼して造った。材は、油分を多く含むために舟に使われてきた槙です。水口から流れる水を飲用とし、上段の水は口をすすぎ、下段の水で手などを洗う水舟の水口からペットポトルに水をもらう11:22鈴廣かまぼこの里の店内いつも試食して、お土産を買う11:30箱根登山鉄道との立体交差「上板橋」旧東海道は、ここを左折して小田原城方面へ11:50国道一号線を走り国府津駅前を過ぎ、ちょうど昼時になり昼食をとることに駐車場に車を止め「のんき亭」に入るのんき亭の昨年度の人気5位「アジフライ定食」をオーダー12:20昼食を終え12:25右折して西湘バイパス「橘インタ」へここからだと無料区間になる一路茅ヶ崎方面へ12:27二宮・秦野方面出口12:30大磯東、大磯港出口12:36国道134号線を走り、江の島・茅ヶ崎方面へこの先から箱根駅伝のコースになる12:37新湘南バイパス、東名高速道路の渋滞情報12:37トラスコ湘南大橋へ12:39昨年オープンした「柳島スポーツ公園」サッカー、陸上競技が行えるグラウンド12:43正月には沿道に多くの駅伝ファンが詰めかける国道134号線の「第一中学校入口」交差点12:45国道134号線の「菱沼海岸」交差点を左折してラチエン通りへ12:47狭い「ラチエン通り」を北上してKさんとお別れ12:53JR東海道線「異人館踏切」このあと私を送って頂き、Nさん宅経由で運転のNさんの自宅へNさん、車と運転ありがとうございました。次回もよろしくお願いします 二泊三日の箱根の旅-END
2019.01.16
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箱根駅伝の応援の後、茅ヶ崎海岸を散策1/3(木) 11:00茅ヶ崎ヘッドランド江の島砂浜で遊ぶ子供烏帽子岩をバックにサーファー11:05今日は富士山が見えるが生憎雲がかかりこの辺りから江の島の鵠沼海岸にかけて多くのサーファーが茅ヶ崎サザンビーチ方向風も弱く穏やかな天気11:21朝焼けする富士も素晴らしい昨年は数回の台風襲来で砂防柵も壊れ一中前ステージ、朝はラジオ体操11:27関東の富士見100景地点名「茅ヶ崎市からの富士」江の島では冬のチューリップが咲いていると新聞で11:29太陽の陽に輝き烏帽子岩の後方に伊豆大島が薄く見える11:31茅ヶ崎海岸しおさいの森 散歩道案内図第一中学校入口交差点の歩道橋から、江の島方面交通規制も解除されて同歩道橋から富士山を望むズームアップして第一中学校入口交差点の歩道橋箱根駅伝時の歩道橋からの写真は禁止されており、通行禁止になる菱沼海岸交差点から、砂防網の間から烏帽子岩を海岸から撮影するより、目の錯覚で大きく見えると11:39ラチエン通り元旦の初日の出、駅伝後は人人であふれていた通り今年最初の買い物をした後、天気が良く富士も見え夕陽で西の空が染まっていたので海岸へドライブ。箱根駅伝結果総合成績:1位 東海大 2位 青学大 3位 東洋大 4位 駒大 5位 帝京大復路成績:1位 青学大 2位 東海大 3位 帝京大 4位 駒大 5位 東洋大東海大学が悲願の初V16:50 東海道53次の「南湖の左富士」茅ヶ崎浜見平の「いきなりステーキ」16:57関東富士見100景南湖院の病棟富士をズームアップ17:11国道134号線の浜須賀歩道橋から浜須賀歩道橋から伊豆大島同場所から伊豆半島方面17:12浜須賀交差点 箱根駅伝(1/2) 箱根駅伝END
2019.01.08
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今年の箱根駅伝は、青山大学の5連覇なるか?前日の往路は、1位:東洋大学 2位:東海大学 3位:國學院大学 4位:駒澤大学 5位:法政大学 6位青山学院大学1/3(木) 10:03菱沼海岸交差点:既に交通規制で海側へ行けず交通規制立て札:第一中学校入口交差点の歩道橋10:08撮影ポイントを求め国道134号線を江の島方面へ箱根駅伝の広報カーが来る10:16平塚方面、沿道には多くの応援者が旗を持ち10:18交通整理のパトカーが沿道で配られた旗(一人二本)10:25空には報道ヘリコプター10:27菱沼海岸交差点方向にテレビ中継車が10:281,2位の、東海大学、東洋大学10:313分以上遅れてテレビ中継車が10:31往路6位から追い抜いて、5連覇を狙う3位の青山学院大学青学の伴走車10:324位の駒澤大学10:34パトカーに先導されて、5、6位の選手が10:35二人重なって、法政大学、國學院大學10:35法政大学、國學院大學10:377位の帝京大学10:388位の順天堂大学順天堂大学10:399位の拓殖大学拓殖大学10位の中央学院大学中央学院大学:ここまでが来年のシード権確保10:4011位の明治大学明治大学10:4212位グループの集団10:44何位?、国士舘大学何位?、山梨学院大学山梨学院大学10:46何位?、城西大学10:46最終ランナーの、上武大学10:47規制解除のパトカーが走り10:53規制解除で海側へ行け、江の島を望む菱沼海岸は一昨年の台風で被害を受けていたが、竹製の砂防柵から鋼製の手すりに10:54茅ヶ崎ヘッドランド海には多くのサーファーと、駅伝応援後の人たちが10:57江の島 箱根駅伝続く
2019.01.07
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箱根町強羅にある『箱根美術館』が11月中は休館無しで公開しているとのテレビ情報があったので、11/29(木)の朝仙石原の保養所からの帰路立ち寄った。ここは熱海市にあるMOA美術館の姉妹館強羅駅からのケーブルカー「公園上駅」で下車斜面を登り早雲山駅へ公園上駅へは強羅駅からケーブルカーで約5分で到着四季桜が咲き駐車場周りの紅葉駐車場は広く、料金は無料箱根美術館観覧料金は、大人900円だがシニアは700円。休館日は木曜日だが11月は無休開館時間、4月~11月:9:30~16:30 12月~3月:9:30~16:00園内案内MAP当美術館の創立者岡田茂吉(1882~1955)は「美術品は決して独占すべきものでなく、一人でも多くの人に見せ、楽しませ、人間の品性を向上させることこそ、文化の発展に大いに寄与」するとの信念のもと、戦後、東洋美術の優品の蒐集につとめ、海外への流出を防ぎ、昭和27年財団法人東明美術保存会(現在は公益財団法人岡田茂吉美術文化財団)を設立し、箱根町強羅に箱根美術館を開館した岡田茂吉のプロフイール職業:宗教家、文明評論家、書家、画家、詩人、華道流祖、造園家、美術品収集家 建築家と多才海抜630mにある高原の美術館今の時期の11月は「紅葉の苔庭」で人気がある苔の中には進入禁止園内の下半分は『苔庭』楓の紅葉も終盤か時間が早く観光客も少ない苔の中の雑草を抜く管理人9:44 開店前の『真和亭&富士見亭』富士見亭真和亭から見える苔庭10時から抹茶を飲みながら見れる。四季の苔庭を眺めながら、一服の御茶を楽しめる(有料:700円)整備された苔大きさ60㎝位の苔山4月~8月の春夏の苔庭も緑に覆われ見どころである日光殿へ移動日光殿と前庭日光殿前庭の堀じっくり撮影したいが園内の標識竜頭の滝日光殿の裏庭石楽園(奥庭)へ遠景は箱根の山石楽園(通常非公開エリア)苔庭とともに、創立者が設計した巨岩と渓流の庭園左上に『観山亭』中国風の屋根の箱根美術館本館と観山亭日光殿への坂巨岩があちこちに美術館本館入口昭和57年、姉妹館であるMOA美術館の開館以降は、我が国の力強く重厚な ”中世のやきもの” を中心に、縄文時代から江戸時代までの日本陶磁器を常設展示している。残念ながら展示品の撮影は遠慮しました(フラッシュ撮影は禁止)茶室 山月庵美術館本館前の紅葉ポスターの『茶室 真和亭』からの紅葉美術館内から裏山の別荘?美術館外の紅葉岡田茂吉記念館(別館)9月には萩も咲く萩の家美術館本館前竹庭の紅葉早雲山駅へつつじも整備され『竹庭』冬の積雪した竹庭も見どころである苔庭岡田茂吉記念館(別館)の二階から10:30 散策を終え帰路に、左方向へ下ると『強羅公園』約一時間の箱根美術館散策でしたが、癒される空間でした。このあと国道一号線を走り帰路につき、いつもの小田原鈴廣に立ち寄り買い物、昼食後13時頃に帰宅した、二泊三日の旅でした END
2018.12.06
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現役時代に取引があった方から書道に関する招待状が来ていたので、11/21(水)の午後東京銀座の会場へ出かけた。JR新橋駅で下車、地下鉄銀座線に乗り替え銀座駅で降りて会場へ。会場は、東京鴨居堂銀座本店「鴨居堂画廊3階」14:37 銀座4丁目交差点左側は「銀座三越」右側は「ニッサン」和光本館のショ-ウインドーでは自動演奏多くの外国人観光客が交差点に東京鴨居堂銀座本店の案内板東京鴨居堂銀座本店前14:44 エレベーターで3階へ上がり招待状を出して受付、筆をもって記帳展示会場内彼女の作品の前で記念写真漢文を書いたとのことで、二年に一度出品とのこと他にも最高齢者94歳の方等の作品もありましたが、本人に確認していないので写真の記載は取りやめました。約40数分の滞在で会場を後にする。15:18 一階の「東京鴨居堂 銀座本店」の売店へ。鴨居堂は銀座一等地に構える老舗の文具店。店先では線香の香りしていたが、進物用線香の配送は2Fで取り扱っていると鴨居堂のはがき花暦多くの外国人客も並び購入2,800~5,000円の「十二支の飾り」来年の干支も顔彩セット24色(5,050円+消費税)15:22 創業昭和3年の、天丼・らあ麺の「ハゲ天」昭和3年「たから」の屋号で始め、初代のハゲ頭からいつとはなしに「ハゲ天」と名乗るようになり早80年と。全国に展開する、天ぷら懐石からお惣菜まで・・・・・15:23 銀座すずらん通り自動演奏の楽団15:35 数寄屋橋交差点15:36 この長蛇の列は?本日11/21から年末ジャンボの売り出しで、今日は「大安吉日」だと多くの人が夢を追って並んで購入。像は、銅造彫刻「燈臺(トウダイ)」北村西望作関東大震災10周年記念塔多くの観光客がこの列も年末ジャンボ購入者フランク永井が歌ってヒットした「有楽町で逢いましょう」の歌碑15:39 JR有楽町駅界隈阪急メンズ東京前交差点15:42 山手線ガード下へまだ時間が早いので、JR新橋駅まで歩くことに三重県鳥羽市浦村の牡蠣だと。生牡蠣が1つ¥370は安い、蒸しガキも3つで\880も安い。一昨年行ったクロアチアでは、これより小さくて一個\500であった立ち寄りたいが15:44 有楽稲荷神社有楽稲荷神社由来記当社は永井飛騨守が天下泰平と子孫繁栄を祈念して安政6年に創立したもの大正12年9月1日の関東大震災の際にも周囲はみな延焼したにも拘らず、独り当地は災害を免れた15:45 JR有楽町駅 JR有楽町駅のガード下15:50 TOKYO MIDOTOWN HIBIYA の前に立つ「ゴジラ像」日比谷シャンテのゴジラ像、今はシンゴジラになっている。夜はスポットライトを浴びて迫力があるゴジラ像の近くにある、中華料理店に長い列が15:53 再度JRのガード下へ開店前の料理店店内を除くと、準備中15:55 JR山手線に沿って新橋駅へ歩く(振り返り有楽町方面)帝国ホテルタワー&帝国ホテル本館この辺りのJR山手線の下は工事中?16:00 山手線の鉄骨の鋲止め飲み物持ち込み加の飲み屋もある炭火串焼き専門店16:05 狭い路地にも16:07 JR新橋駅西口広場のSL(C11形蒸気機関車)この広場は、サラリーマンインタビューのメッカであるまた、ポケットテッシュ配りの定番地区16:08 ここで待ち合わせて歩いて銀座まで行き食事するのがおすすめ。現役時代はよく行ったものですが・・・・・この日は翌日出かけるので酒を飲まずに帰宅する。今日一日の歩行数は、8,400歩でした END
2018.12.05
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11/12(月) 西湘ざる菊めぐりの最終版です平塚市の土屋へ到着 12:36所在地:平塚市土屋1027 神奈川大学入口にある道路脇に400株の菊平塚市土屋小学校4年生が世話をした「ざる菊」看板には、自分たちは4月からざる菊を育てています。まだ芽が小さいころは茎が弱くて大変だったと。ざる菊の形が丸くなるように芽を摘んだり肥料を菊の周りにやったりして大事に育てたとざる菊で「TUTIYA 😊」の形で植付したと子供たちも立派に育ててポーズをとって撮った写真を確認雑草対策でマルチングして植付蜜蜂が飛んできて菊の香りが漂い蜜蜂もざる菊園のそばに看板 12:51平塚市土屋のざる菊園で、近くの名水をネットで調べて出向く 13:11秦野市の「今泉名水桜公園」へ天気が良いと富士山が見えるのだがペットボトルに名水を汲むつもりだったが、出ておらずあきらめる桜の時期は桜もきれいと 13:14昼食は、旅友の朝からの思いでイオンで「長崎ちゃんぽん」を食べる 13:43茅ヶ崎市萩園のざる菊園 14:50株数は少ないが、コキアとのコラボもいい圏央道と葦の生い茂る小出川小出川沿いのざる菊春先は、河津桜も咲く小出川、後方は圏央道これからのざる菊園が楽しみ 14:53西湘のざる菊めぐりは、都合7ヵ所訪れたが来年はわが家でも挑戦したいものです。夜は、11/28(水)の東海道53次の箱根越えの打ち合わせで、いつもの焼鳥屋に3人集合して飲んだ後、カラオケをやりラーメン屋で仕上げる。久しぶりにラーメン屋へ 21:54美味しかった 22:00 西湘のざる菊めぐり(その2)へ 西湘のざる菊めぐり-END
2018.12.04
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11/12(月)の西湘のざる菊めぐりの続編です鈴木さん宅に隣接する総世寺へ鈴木さん宅前から180mの総世寺へ向かう 10:52ガードマンも出て交通整理、右後方は鈴木さん宅総世寺へ到着 10:56所在地:小田原市久野3670曹洞宗 総世寺開創:嘉吉元年(1441)、開基:大森氏頼、本尊:釈迦牟尼市指定天然記念物のカヤ(イチイ科):かながわの名木100選幹は真っすぐに高く伸び、根元が大きく四方に広がり堂々とそびえる美しい巨木。樹高:23m 胸高周囲:5.3m 樹齢:約250年総世寺本堂の前にもたくさんのざる菊石燈籠と山門山門から本堂を境内に飾られたざる菊自分の予定地?、しかし本人は日蓮宗多くの熟年者がきれいに咲き棚の上に飾られ総世寺には、県指定重要文化財の羽柴秀次寄進の銅鐘があったのだが。 11:03駐車場から、次の場所へ移動 11:05途中、県立おだわら諏訪の原公園へ 11:16諏訪の原公園の高台から東名高速道路方面松田の河津桜の「西平畑公園」手前の白い線は東名高速道路薔薇がきれいで立ち寄ったのだが、残念ながら月曜日で休園日美味しそうなスイーツもあったのだが園外からズームアップして撮影小田原フラワーガーデンズームアップして撮影秋薔薇は花もちがよくいつまでも楽しませてくれるまたいつの日か訪れたい園内の銀杏?の木ローズフェスタ開催中だが 11:27国道一号線を走りざる菊園の案内板で山側へ入り、川匂神社近くのざる菊園帰宅途中、二宮町の善波邸へ 12:06裏の畑に400~500株植付所在地:神奈川県中郡二宮町川匂178先日11/10(土)に、横浜市営ブルーラインの車中で知り立ち寄る白が基調のざる菊ここも無料開放今まで知らなかったが、西湘方面はざる菊のメッカ?菊の株間は1.0m位離して植付奥には竹林もあり春先にはタケノコ自宅の庭には薔薇がきれいに咲き 菊園で販売していた、大根、ミカンを購入して 12:15 西湘のざる菊めぐり(その1)へ 西湘のざる菊ー続く
2018.12.03
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テレビ、新聞で小田原の民家で「ざる菊」を一般公開しているとの情報で、11/12(月) に今回も旅友K.さんに訪問先をリストアップ願い出かけた。一般公開時間が10時からとのことで、8時に我が家を出発した。まず最初に『中河原菊園』へ 9:34所在地:南足柄市矢倉沢748伊豆箱根鉄道大雄山線の「大雄山駅」前を通り過ぎて山間部にある菊園ざる菊の開花状況はピークを過ぎていた向日葵がまだ咲いていたざるを逆さまにしたように咲かせることから「ざる菊」山肌には足柄茶を栽培車を止め坂を登っていたら子供たちの声が聞こえてきた。坂を登りきると、幼稚園児がざる菊畑で遊びざる菊畑の上ではおばあちゃん達がおもてなしの飲み物を準備山の傾斜地の畑に栽培もう何時の頃からやっているのかお友達と記念写真園児も40人ぐらいいたのか15分位の撮影で次の場所へ 9:48 大雄町『花咲く里山』へ 10:09一般民家の公開、所在地:南足柄市大雄山1301大雄山最乗寺へ行く手前にある菊園『ざる菊まつり』 10月20日(土)から11月25日(日)まで開催中ここも、ざる菊の開花状況はピークを過ぎていた庭先では秋薔薇も咲き棚につるがのび宇宙芋棚からぶら下がる宇宙芋地場野菜、果物、加工品の販売をしているエンジェルストランペット大きなラッパ状の花がぶら下がるように開花する熱帯花木で、品種によっては夜間、花が香る。以前は朝鮮朝顔属に含まれていて、ダチュラと呼ばれていた。きれいな花には毒がある駐車場の近くで飼育されているヤギ 10:16『ざる菊園』へ到着 10:32一般民家の公開、所在地:小田原市久野36521,500株のざる菊でいっぱいの庭を、無料開放している鈴木さんご夫婦。期間:10月下旬から11月中旬シーズンになると九州、東北など日本各地からお客さんがやってくるとテレビで放映された庭鉢に植えて棚に置いているざる菊の径は、60 ~ 80cm1年を通して行われる、ざる菊の手入れ。無料開放が終わると、すぐに次の1年で育てる芽を選ぶとのこと丸くする手段は、芽摘み?民家の裏庭に飾られた富士山高さ5m位?自分をざる菊の中に置き、記念写真。帽子もカンボジア土産4種類の試食品羊羹を頂く寄付金(一口 \1000)をすると粗品(御茶)多くの観光客(熟年女性ばかり)が苗木の予約もできる20分の滞在で、隣の総世寺 10:52どこのざる菊園も無料で入園でき、駐車料金も無料で楽しめる。来年は自分もざる菊に挑戦してみたいと思ったが 続く
2018.12.02
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今日から師走、今年も後一か月となりましたが一年が早いものですね。11/10(土)の米横須賀基地ドックを見学後、ヴェルニー公園経由で帰宅。途中、JR大船駅で途中下車して疲れをとる。大船は私にとって独身寮生活をした懐かしいところです16:05 YOKOSUKA 軍港めぐり 航路案内図京急汐入駅前の高層ビル米横須賀基地のビルに夕陽が反射ヴェルニー公園に入り、ボードウオークを潮風の中散歩しながら秋バラを楽しめる「2018-5-6 ヴェルニー公園」をアップしておりますので訪問願いますいろんなバラが咲き、この品種は???『プリンセスアイコ』品種は???明治14年(1881)発行の横須賀製鉄所(造船所)の絵地図横須賀製鉄所・ドライドック説明板ドライドック説明板明治時代初期のドライドック第1号・第2号ドックの内景『はまみらい』横浜開港150周年を記念して選定されたバラ。明るいサーモンピンクの大輪種でやや酸味のある甘い香りがするバラで、春&秋に咲く『ローズ ヨコハマ』強香が素晴らしく、純黄色の色彩も美しい巨大輪咲き。横浜バラ会50周年を記念したバラで、春&秋に咲くヴェルニー公園から対岸の米横須賀基地カナダ軍艦第4号、5号ドックのクレーン後方は住友重機械横須賀製造所の大型ゴライアスクレーン16:18 夕暮れのヴェルニー公園かっては臨海公園の名で親しまれてきたが、公園の対岸にフランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望めることや、ヴェルニー・小栗祭が本地で毎年開催されることなどから、フランス式庭園様式を取り入れた公園として整備を行い、平成13年度末に完成した秋の夕暮れ時をのんびりと園内には、ヴェルニーと当時の勘定奉行小栗上野介忠順の胸像や、広場を中心にフランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどが設けられている園内には、フランスの品種を中心とした130種類・約2,000株のバラが彩りを添えている16:18 日本の艦船?『ファニーフェイス』ピンクと白の花弁は存在感がある。2つとして同じ花色・形では開花しない、花形はセミダブル。暑さや病害虫にも強い品種で、春&秋に咲く『マジカルミラクル』春から晩秋までいっぱいの花が咲き続ける強い四季咲き性をもち、黒点病やウドン粉病などの耐病性にも優れている。農薬いらずで手入れが簡単、秋にはたくさんの実をつけ、春&秋に咲く『サンライズ サンセット』明るい赤紫色のピンクの花びらがセンターの近くでアプリコット黄色に変わる色が魅力で耐病性に優れている。横張り性でグランドカバーや大規模な植栽に適している。花がよく咲き、樹高はそれほど高くならない、爽やかな香りを楽しめる。春&秋に咲く『ペイント ザ タウン』「この花で街を彩って」というメッセージがこめられたバラ。ハイブリッドティー形の花形で房咲き性、庭にまるで赤いじゅうたんを敷いたようになる戦艦陸奥主砲40センチ主砲全長:18.8m、重さ:102トン、射程:Max.38,300m戦艦「陸奥」の歴史大正9年 横須賀海軍工廠で進水 → 大正10年竣工(二本煙突) → 昭和3年改装(煙突の形状の改修) → 昭和11年大改装(一本煙突・本主砲搭載) → 昭和45年7月23日主砲の引上げ。陸奥は、昭和18年(1943)に瀬戸内海の柱島の南西約2kmの地点に碇泊中、原因不明の爆発事故を起こし沈没した『ノックアウト』非常に花付きがよく、育てやすいバラ。開ききる前の蕾にはティー系の香りがある。秋には実も楽しむことができる、春&秋に咲く16:23 ヴェルニー公園JR横須賀線 横須賀駅から数分16:24 ヴェルニー記念館へこの記念館は、横須賀製鉄所(造船所)を建設し、日本近代工業化の基礎を作り上げたフランス人ヴェルニーの功績と、横須賀製鉄所建設の意義を、永く後世に伝えるために建てられたヴェルニー記念館内の陸奥模型縮尺1/100 の模型戦艦 陸奥 模型16:26 再度、横須賀本港住友重機械横須賀製造所の大型ゴライアスクレーン16:28 JR横須賀線 横須賀駅へ駅舎の前の「スカレー」、カレーの街、よこすか16:30 JR横須賀線「横須賀駅」17:35 JR大船駅前の居酒屋へビールを飲んだ後は、旅友はホッピー、私はウーロンハイあんこ鍋をオーダーカキフライと牛すじ、カキフライは偶数で喧嘩にならず賑やかな店内珍しいポスター約一時間飲み、お会計19:30 JR大船駅前独身時代から40数年たち大船駅前も様変わり20時前に、イオン茅ヶ崎に立ち寄り、半額の豪華寿司を購入自宅で食べる11/10のウオーキングは、9,800歩でした。新聞の記事から応募し幸運にも当選、日本の近代化に貢献した横須賀製鉄所(造船所)を見学でき勉強になった。ヴェルニー公園は二度目の訪問でしたが秋バラがきれいだった 米横須賀基地ドック見学ー2へ 米横須賀基地ドックーEND
2018.12.01
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11/10(土)の米横須賀基地ドライドックの見学。現在の米海軍横須賀基地である横須賀製鉄所(造船所)は、仏人のヴェルニーの指導で慶応元年(1865)に建設が始まり、明治4年(1871)2月に完成した。その後、横須賀製鉄所は時代の変化とともに、横須賀造船所、横須賀海軍工廠とその名前を変えるが、横須賀のみならず、近代日本の発展の礎として、我が国の近代化をリードした屈指の工業施設である。ドライドックとは船を修理する施設である。15:01 整列して見学開始注意事項を聴いたあと、手荷物検査を受け米横須賀基地内へ15:12 製鉄所の建設を指導したヴェルニーの名がついたヴェルニー公園方向15:13 DRY DOCK NO.1明治4年(1871)2月に完成した、ヴェルニー設計の「第1号ドック」長さ×幅×深さ=134.5×29.0×9.0m 石造逆光でカメラに光が入り明治時代の建設当時のままの石積み船首部はコンクリートに改築船を乗せる船台ガイドさんから、ドライドックでの修理の手順の説明を受ける①船の構造から船台の位置を決める②船台をセット後、海水を入れて修理船を入れる③船を定位置に浮かせてから、徐々に海水を抜いて台船の上に載せ固定して修理海との境の扉船イオン横須賀店方向石積みの目地は「ベトン?」扉船を渡り、左側は海奥行(長さ):134.5mと長い第1号ドックの扉は「A」表示明治14年(1881)の横須賀製鉄所(造船所)の絵地図を見ながらガイドさんが説明。当時の横須賀製鉄所は観光地であり、この図を観光客のお土産として配られた15:34 DRY DOCK NO.2明治17年(1884)に完成した「第2号ドック」、長さ×幅×深さ=153×32×11.5m 石造船首部分から扉船船首部分第2号ドックは長いので中間部で分割できる構造になっている船台がセットされているので修理船が入るのか15:41 DRY DOCK NO.3明治7年(1874)に完成した「第3号ドック」、長さ×幅×深さ=94×18×7.5m 石造第3号ドックは、第2号ドックより先に完成した第3号ドック船首部第3号ドック近くに潜水艦の頭部が石積みの石は当初は房総半島からであったが、伊豆半島からに変更したと鉄製の扉船ドックの見学を終え出口方面へ移動。今回の見学では対象外であったが、他に艦船の大型化へ対応するための第4号 ~ 第6号ドックがある。規模は、第4号ドック:竣工 明治38年 長さ×幅×深さ=239×38×13.5m コンクリ&石造第5号ドック:竣工 大正 5年 長さ×幅×深さ=322×50×15.0m コンクリ&石造第6号ドック:竣工 昭和15年 長さ×幅×深さ=337×61.5×18.0m 鉄筋コンクリ 旧海軍の戦艦「大和」型三番艦の航空母艦「信濃」はここで造られたSHIP REPAIR FACILITY YOKOSUKA基地内の表示15:55 柵の中は何の石碑?「建年未辛??」とあるがUSN 「CPO CLUB」米横須賀基地内第4号、5号ドックのクレーン夕日が沈む横須賀本港16:03 第1 ~ 3号ドック方面16:05 約1時間のドック見学を終える 米横須賀基地ドック-1へ 米横須賀基地ドック-続く
2018.11.30
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9/12(水)の朝日新聞で、太平洋からインド洋までを受け持つ米第七艦隊にとって、横須賀基地は艦船を修理するための重要な拠点だ。幕末から昭和初期にかけて建造され、日本の近代化に大きな役割を果たしたドックが今、米軍艦船の修理に使われている。このドックを特別に公開するツアーが11月に開かれる。この記事を読み早速2名応募した9/12の朝日新聞に掲載された記事10月中旬に当選通知が来る実施日時:平成30年11月10日(土) 荒天中止見学時間:第12回 15:00 ~ 16:00受付時間:14:30 ~ 14:5511/10(土)『米横須賀基地ドック公開」の見学会に当選したため旅友K氏と出向いた11/10(土) 12:55 JR戸塚駅で乗換JR戸塚駅舎内に掲示されている東海道53次「戸塚 元町別道」絵師:歌川広重 制作年:天保4年(1833)頃次回の東海道53次の弥次喜多道中は戸塚宿へ来るので事前に撮影。早朝に日本橋を出立すると、夕刻には戸塚にいたる。「こめや」の看板を掲げた旅籠は、講を組織して神社仏閣に参拝する旅人の定宿であり、軒先には「大山講中」「百味講中」などの講中がさげられている12:58 地下鉄戸塚駅戸塚駅での乗り換えはあまり経験がないので、ネットで時間を調べて早めに出発した。横浜市営地下鉄ブルーラインで上大岡駅へ地下鉄ブルーライン路線図13:16 地下鉄上大岡駅到着13:17 京急に乗り替える13:22 京急下りフォーム京急路線図特急から普通に乗り替えて「汐入駅」下車13:44 金沢八景で乗換、「安針塚駅」昭和9年(1934)10月1日に「軍需部前駅」として開業したが、昭和15年(1940)10月1日に、三浦按針(ウイリアム・アダムス)の供養塔の名に因み、「安針塚」に改称された13:49 京急汐入駅に到着「近代日本のルーツ横須賀製鉄所(造船所)を感じるまち汐入」の垂れ幕改札口、予定より30分前に到着駅前の高層ビル横須賀芸術劇場等がある?京急汐入駅国道16号線を渡り、イオン横須賀店へ国道16号線の横浜方面13:59 受付場所:受付時間より30分早く到着14:01 YOKOSUKA軍港めぐりの船14時出港のクルーズ船には観光客が満杯14:06 左側は「ヴェルニー公園」おや?カナダ国籍の潜水艦か?と思いシャッターを押す移動してみるとカナダ国旗は軍艦に潜水艦は海上自衛隊で「旭日旗」を掲揚していた14:11整列者は14:30からの11班、我々は15:00からの12班(最終班)米横須賀基地のドック方面前のグループの見学者、各グループ40名ヴェルニー公園、JR横須賀駅方面YOKOSUKA軍港めぐり周遊時間は約45分で、大人1,400円は少々高いのでは米海軍や海上自衛隊の艦船を専属クルーズガイドが実況解説!14:4815時の軍港めぐりに乗船する人の列参加費110円を出し、パスポート等の身分証明を見せ受付完了受付完了後、15時からの見学会を待つ 米横須賀基地ドック-続く
2018.11.29
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今日11月22日は『いい夫婦の日』、ドライブしていると車のナンバーも「11-22」をよく見かけるが11/3(土) に登山した大山阿夫利神社の最終版です。12:03 阿夫利神社下社へ下山マムシグサが赤く振り返ると緩やかな坂道だが、こちらの方が楽か?12:08 遠くに横浜ランドマーク台風の影響で落葉も早い危険!! 滑落事故 多発12:18 ところどころに鎖場もある紅葉を見上げながら整備された森林12:33 見晴台へあと200m12:36 見晴台へ到着、多くの登山者が昼時で食事中すき焼きをやりながらビールを飲んでいる人もいたとかマナーを守って登山を大山山頂を望む見晴台から彼岸花を見に行った「日向薬師」へは4.2km12:42 見晴台(標高769.2米)12:47 見晴台ハイキングコースへ12:50 眼下に阿夫利神社が見える渓谷の沢傾斜がきついため安全柵を設置大木にしめ縄13:03 二重社と橋二重瀧この辺りの紅葉はこれから13:12 下社へあと100m13:13 阿夫利神社下社下へ到着(標高680m)頂上からここまで、3.65kmを1時間48分を要した。上りは1時間45分であったので下りの方が距離が長かったのか二重社二重瀧経由で「見晴台ハイキングコース」を歩き大山頂上へのコースここまで大山ケーブルカーで「阿夫利神社駅」へ来れる。この日は観光客が多く臨時便を増発していた。下山は、膝が心配でケーブルカーに乗りたかったが、孫が男坂を歩いて下りるというので同行することにここの紅葉は鎌倉の紅葉と並ぶと雑誌に掲載急に雨が降りだす境内で売っていたもみじ汁を食べる13:34 下社から下山開始13:35 女坂、男坂の分れ道、上りは女坂であったが、下りは男坂へ13:53 男坂を下り20分、やはり膝が心配男坂だけに急な石段が多い14:03 最後の石段を恐る恐る降りる吾輩14:08 ようやく男坂の下の八意思兼神社(追分社)へ到着上りは女坂を登り下社まで1時間5分を要したが、下りは男坂を33分で下りた大山ケーブルカー「大山ケーブル駅」八意思兼神社(追分社)下の分れ道14:11 大山ケーブル駅十月桜が満開14:14 こま参道の土産物店こま参道の老舗旅館「ねぎし」日帰り食事も1,700円からでき、昼は豆腐料理、夜は懐石料理が楽しめる。宿泊も可能で一泊二食付き 8,000円から老夫婦が売っていた、玉こんにゃく&みたらしだんご 100円を食べる少々時間がかかりましたが7時間15分の登山でした。14:30 大山駐車場を出て帰路に、この時間でも多くの観光客が訪れていた。工事中の新東名高速道路の高架下14:45 この先を右折して、平塚方面へ16:35 自宅へ到着、今日一日のウオーキングは、23,900歩でした。急な男坂を下り、ステッキで右肩に負担をかけたため右肩が痛くなる。足腰の痛みは明日か、明後日になるか 大山阿夫利神社-2へ 大山阿夫利神社ーEND
2018.11.22
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11/3(土) 大山阿夫利神社 下社から頂上へ挑戦8:52 登拝門(標高700m)から山頂へ大山阿夫利神社 下社の左奥から頂上登山口を入り「本坂」を登山開始。別のルートで下社の右奥からの「見晴台ハイキングコース」もある8:56 白山神社大山修験(山伏)は、山中で行う修行の中で白山神社を拝するのがその一過程であった。当社は加賀の国、白山神社と関係深く大山寺開山(752年)前に建立されたといわれている9:06 マムシグサマムシグサは、サトイモ科ナンテンショウ属の多年草で、有毒植物9:09 本坂を登る9:10 樹齢600年の縁起の良い「夫婦杉」下社から大山山頂に向かう登山道の入り口から八丁(約870m)の石碑辺りにある杉9:30 登山道にある石碑の丁目を励みに登る。途中ネットで調べると頂上は28丁目と知る(109m/町)紅葉した登山道下を望む9:34 木々の間から、工事中の新東名高速道路の伊勢原JCTしばし写真撮影で休憩、紅葉も進み急な九十九折の本坂を振り返る遠くに江の島、三浦半島、房総半島江の島、房総半島の鋸山をズームアップ9:41 天狗の鼻突き岩石段左側の岩にある、拳が入るくらいの穴のこと。これは天狗が鼻を突いてあけた穴だといわれているノアザミ9:44 十六丁目追分の碑この碑は、1716年に初建され総高三米六十八センチメートルもあり江戸期の大山信仰の深さをしめしている。この石は麓から強力たちが担ぎあげた9:47 楓の紅葉このような登山道は楽だが10:02 富士見台(20丁目)からの富士山は見えず頂上まであと8丁、多くの登山者が続く富士見台からの富士山方面10:09 木の実が10:11 休憩用のベンチも10:21 二十四丁目の石碑、4丁を19分要する10:25 ヤビツ峠分道(標高1174米) 二十五丁目10:28 來迎谷 二十六丁目下山する人も10:32 ついに本社の鳥居が見えてくる阿夫利神社 本社下へ10:38 阿夫利神社 本社下社から1時間45分で到達、中では読経の中多くの登山者が祈祷していた頂上からの新東名高速道路大山頂上本社石碑 標高1247米神奈川の景勝50選のひとつで雄大な眺望が一気に広がる360°の展望伊勢原JCTをズームアップ、早い開通を祈る大山々頂奥の院多くの登山者がベンチに座り休憩、食事10:50 大山山頂(1251.7米)登山記念写真を撮影、ここまでで10,900歩我々も自宅から持参したおにぎりを食べる鍋で芋煮をする人も、部下のために6人分の芋煮を作るとのこと大山山頂周りの「主なコースと歩行時間」山頂からの東京方面登山者で満杯の広場、コンロで湯を沸かしてカップヌードルを食べる人も多く11:25 見晴台へのルートで下山開始 ノアザミの花後11:26 頂上近くの登山道グレーチング階段二ホンシカによる採食や登山者の踏圧等により裸地化の進む大山山頂を植生保護柵で囲み、植生回復を図る「山頂緑化・土壌保全」に取り組んでいる。・・・・・・11:30 ブナ原生林の紅葉大山阿夫利神社 下社廻りの紅葉大山参道すすきも11:36 下山道の紅葉を楽しみながら11:43 分岐点、不動尻、見晴台&下社、大山頂上へは0.6kmブナ原生林曇が多くなる11:49 こちらの下山道も厳しい紅葉もきれい12:00 湘南海岸方面次回登山時は、携帯用コンロを持参してコーヒでも飲みたいものですネ 大山阿夫利神社ー1へ 大山阿夫利神社ー続く
2018.11.21
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11/3(土) 長男家族が大山(標高1252m)へ登るとのことで同行した。私にとってはもう何年も前になるが阿夫利神社へは行っているが、大山には登っていないので初挑戦となる。自宅を6時に出発して長男の車で伊勢原市の大山第二駐車場へ向かう6:13 新湘南バイパスの高架下を走り6:16 湘南銀河大橋から朝焼けの大山、富士山は見えず湘南銀河大橋上からの大山6:33 今日は助手席のためカメラをかまえて撮影、県道44号線からの大山ズームアップして大山の頂上を6:41 国道246号線を横切り県道63号を走り、工事中の新東名高速道路の高架工事中の新東名高速道路の高架県道63号線の西富岡交差点を左折6:43 新東名高速道路の橋脚6:44 この先を右折して、県道611号線を走り大山の駐車場へ伊勢原カントリークラブ6:48 丹沢大山国定公園大山は、丹沢山などの丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、神奈川県有数の観光地の一つである7:00 伊勢原市営大山第二駐車場(とうふ広場)へ到着全収容台数は44台で、既に満車状態であったがどうにか止めることができ、駐車料金1000円を支払い、登山準備コース案内図には準備運動の絵も係の人に大山までの所要時間を聞くと「歩いて往復6時間ぐらい」と言われビックリ。9月に行った日向薬師の「彼岸花の里」も大山ケーブルカーがあるが営業時間が9時からのため歩くことに伊勢原ハイキングコース案内図大山旅館案内図江戸庶民の信仰と行楽の地であったため老舗旅館が多い7:15 登山開始右は「こま参道」、大山ケーブル駅へ旅館、土産物店の間の参道を振り返る駐車場から土産物店の間を通り、石段を登る右側の看板には『大山こまを数えながら歩こう」と大山の代表的なみやげ物「大山こま」をデザインしたタイルが、バス停から大山ケーブルカーまでの各石段の踊り場27か所にあると。大山こまは、300年余りの伝統が受け継がれ、昔ながらの技法が今も守られている。民芸的な色彩と模様が調和され、よく回ることから金運がついてまわるといわれ、縁起物とされている7:30 大山ケーブル駅女坂、男坂とあるが、さあどちらを登るか左は女坂、正面は八意思兼神社女坂に七不思議あり7:32 八意思兼神社(追分社)の前で安全登山を祈り7:35 体力を考え女坂を登ることに女坂の七不思議「その一 弘法の水」女坂だが結構厳しい登山道かわいい石仏が二体女坂の七不思議「その二 子育て地蔵」子育てに???「子育て地蔵」にお詣り女坂の七不思議「その三 爪切り地蔵」爪切り地蔵女坂の七不思議「その四 逆さ菩提樹」逆さ菩提樹二代目7:50 大山表参道「女坂」の途中にある現在は仏像はお祭りされていない「前不動堂」、左に龍神堂龍神堂(八大堂)元は二重滝にあり寛永18年(1641)に再建、三代将軍の徳川家光公により寄進された。奈良時代に良弁僧正が大山龍神を感得。以後、八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊なのだという大山ケーブルの大山駅7:53 大山寺本堂への急な石段8:00 本殿から真言宗大覚寺派、昔から「大山不動さん」と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の供養のために建てたと。大山寺からの湘南方面、右に江の島大山寺の本堂内本尊不動明王・矜迦羅童子・制吁迦童子の三体は、珍しい鉄像で鎌倉時代(1270年頃)大山寺中興の祖、願行上人作と伝えられ、国の重要文化財である。他に、平安前期(782~897)の木造不動像をはじめ多くの仏像がある寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護を受け、その都度再建された。徳川家光公は、宇都宮の吊り天井の難を免れたのはこの不動明王の御加護だとし、深く帰依されたと言われ、春日局も訪れたことのあるお寺。長男の嫁が御朱印を頂くかわらけ投げの名所かわらけ投げの輪鐘楼8:08 女坂の七不思議「その五 無明橋」8:09 女坂の七不思議「その六 潮音洞」8:12 女坂の七不思議「その七 眼形石」8:20 大山の登山道には「熊の目撃情報が、多数あり」と注意のチラシ女坂だが急な石段8:29 あと少しで大山阿夫利神社8:31 紅葉がきれいな大山阿夫利神社下おおやまめぐりルート案内8:35 新しい石段を登り見下ろすと神社境内からの我が家の方向8:40 阿夫利神社鳥居、標高700m駐車場から、1時間5分で到着、女坂を登ったが結構きつかった大山阿夫利神社 下社創建は紀元前97年崇神天皇の頃と伝えられ、大山祇大神、大雷神、高龗神を祭神とし海人たちの守り神、鳥石楠船神を合祀している。本社は山頂にあり、中腹に下社がある御朱印を頂く国学の祖「権田直助翁の像」幕末から明治前期の国学者、神道家、医者(1809年2月26日~1887年6月8日)8:48 天満宮、像は「輝け杉の子」大天狗の碑由来学問の神 菅原社当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である、堅川睦太刀講の手により、宗社氏神様の御分霊を奉載して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光被いたしておりますと8:51 大山阿夫利神社裏から大山頂上へ この奥からの本坂を登り大山頂上へ 大山阿夫利神社ー続く
2018.11.20
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10/22(月)奥日光の旅、最終章です。まだ時間が早いので、旅友が事前に調べていた帰り道の高崎市にある「かみつけの里」へ立ち寄ることに。吹割の滝から沼田インタまでの国道120号線沿いにはリンゴ園がたくさんあった。14:36 沼田インタから関越自動車道片品川の橋、橋長:1034m、標高:89m 14:37 遠くに榛名山、渋滞もなく順調に走る 14:53 榛名山?車のフロントには、旅友からのカンボジア土産の帽子が。カープファンの私には赤色がいいとのことで14:53 渋川・伊香保出口だが、カーナビはこの先のスマートインタを案内14:59 この先渋滞とのことで、カーナビは「駒寄PAスマートインタ」を案内15:12 はにわの里「かみつけの里」へ到着かみつけの里博物館史跡保渡田古墳群「八幡塚古墳」「八幡塚古墳」とは榛名山東南の麓、群馬県群馬町保渡田・井出にある3つの前方後円墳の総称。いずれも墳丘の長さ100m級の大型古墳である。5世紀後半に、ニ子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相次いで造られ、この地に有力な豪族がいたことを示している史跡保渡田古墳群「八幡塚古墳」の説明規模・構造墳丘は全長96mで三段に造られ、斜面は葺石で飾られる。周囲には、内堀・外堀・外周溝が巡り、それらの間には内堤・外堤が設けられる。墓域の長さは約190mに及ぶ。内堀の中には4つの島(中島)があり、この古墳の特徴八幡塚古墳の復元整備かって、この古墳は大きく削られていた。そのため史跡公園の全体計画にあたり、この古墳に限って、造られた時の姿に復元し、活用することが決定された。5ケ年にわたる発掘調査結果を基に、古墳に保存用の土を厚く盛って、築造時の姿に復元整備した人物・動物埴輪群像この区画の最初の調査は昭和4年(1929)に行われたが、出土埴輪の約半分は失われた。ここに復元した埴輪は、現存資料や記録類、新たな出土資料を検討したうえ、想定復元したもの。内堤の上に、円筒埴輪により区画(約11m×5m)を設け、54体ほどの形象埴輪(人物や動物・道具類をかたどった埴輪)が置かれていた古墳の上から内堀の中には4つの島(中島)があり、この古墳の特徴となっている。遠くに他の古墳がある発掘された舟形石棺古墳の地下にある副葬品質の石棺古墳の頂部は削られており、発掘するとすぐに石棺が現れた。内部は古く盗掘されていた東方面、上越新幹線が走る内堤の中島西方面北陸新幹線が走っており、手前に「二子山古墳」4つの中の一つの中島各段の平坦面のうち中段平坦面には、玉石が敷かれていた中島の性格は①古墳における祭祀の場②近親者や従者の埋葬施設(陪塚)などが考えられるが、いまだ明らかになっていない内堤の中島は直径約18mの丸い島墳丘と葦石墳丘は、堀を掘った土と近くから集めた土を盛り上げ、たたき締めて築かれた。斜面には、榛名山東南麓の川から採取した石により「葦石」が施された玉石が敷かれている古墳榛名山他の山々15:45 かみつけの里博物館館内案内200円を用意したが65歳以上は無料館内の古墳の模型常設展示室ではこの1500年前の世界を、考古学者たちの研究成果をもとに復元した模型や歴史の重みを秘めている出土品などで再現しているはにわ群いろんな姿をした埴輪16:00 かみつけの里を後にする16:19 ぐんまマラソンが11/3(祝)に開催される16:20 関越自動車道「前橋インタ」へ16:52 関越自動車道今日は渋滞もなく順調に、この後圏央道を走り寒川南インタで下車18:45 途中吉野家で牛丼を食べ無事わが家へ到着、今日の走行距離は530kmでした。旅友K氏はわが家から藤沢の自宅へ、ご苦労様でした。今回の日帰りのドライブは、高速料金の割引を利用するため早朝4時前に出発して奥日光へ、風もなく晴天で最高のドライブ日和であった。8月に訪れ秋の紅葉も見に来ようと計画、場所によって紅葉の状態は違っていたが満足した旅でした。半月山展望台へ行かなかったのが心残りであるが・・・・・ 奥日光の旅ー吹割の滝へ 奥日光の旅ーEND
2018.11.13
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10/22(月)湯の湖、金精トンネルから、国道120号線(日本ロマンチック街道)を走り吹割の滝へ13:03 尾瀬市場から近い「吹割の滝」へ到着今年の8月にも日光からの帰りに立ち寄り、私は今回で3回目の訪問滝への路に「歓迎のことば」吹割の滝群馬県沼田市にある、日本名瀑百選・国指定天然記念物で「東洋のナイアガラ」と呼ばれている滝に向かう遊歩道三宅裕司がBS日テレ「ふるさと探訪」で訪れた、「滝の裕ちゃん」の店店先で「あずきのあんこまんじゅう」を販売昼食を食べていなかったので、まんじゅう、味噌おでんを購入して店先で食べるうどん類も販売吹割の滝の案内鱒飛の滝(マストビノタキ)吹割渓谷の下流部に位置する滝で、その昔、利根川の支流である片品川にも鱒が遡上してきたが、この滝まで来ると段差があり、どうしても上流に上がれず鱒が懸命に越えようと飛び跳ねていたことから『鱒飛の滝』と呼ばれるようになった奇岩が1.5kmに渡って続く片品渓谷水の量も多く遊歩道の手すり上からの岩が落ちて破損したのか下流側の遊歩道、般若岩般若岩等の奇岩が続く、紅葉には少し早かった時間が昼過ぎで観光客も多かった吹割の滝河床を割くように流れ、そこから水しぶきが吹き上げる様子からこの名がつけられた水しぶきで虹も発生滝の近くへは立ち入り禁止2000年のNHK大河ドラマ『葵 徳川三代』のオープニングに登場した紅葉には少し早かった、中央の島は浮島水しぶきが舞い上がるシャッタースピードを上げて撮影ズームアップ遊歩道から下流を岩場は千畳敷吊り橋の浮島橋 → 浮島 → 吹割橋吹割渓谷遊歩道案内図浮島橋から下流を上流側浮島観音堂観音堂は平安初期の延暦14年(795)に観音不動毘沙門大師が創設し、その後、文明8年(1469)に小海住真海師が本尊を再興。さらに天文3年(1534)に御堂再造(改築)されたが老朽が甚だしく昭和59年5月にほぼ原形のまま新築された。御朱印をもらえる吹割橋からの上流千畳敷に『夫婦岩」がある夫婦岩片品川の水はコバルトブルー13:50 国道120号線沿いの土産店地元産「こんにゃく玉」こんにゃくの生産量(平成28年度)、一位:群馬県(シェア 97.5%)、二位:栃木県 コンニャク芋は収穫できるまでには2~3年かかる。コンニャク芋の栽培は春に生子(キゴ)と呼ばれる種芋を植えつけ、秋に一旦収穫する。この時に採れた芋は一年生と呼ばれ、まだ芋は小さい。コンニャク芋は寒さに弱いため、冬の間温かい所で保管しておき、翌春にこの一年生を植えつける。そしてまた秋に収穫する。この時には芋は5~8倍に膨らんでいて、これを2年生と呼ぶ。そして冬の間傷まないように保管し、翌春に植えつける。そして秋に収穫したものが3年生で、ようやくコンニャクの原料として出荷される抹茶ソフトクリーム胡麻ソフトクリームを食べ、吹割の滝を後にする14:10 老神温泉の大蛇みこしが展示されている三宅裕司がBS日テレ「ふるさと探訪」で訪れた 奥日光の旅-尾瀬市場6へ 続く
2018.11.12
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湯滝の散策後、国道120号線(日本ロマンチック街道)を走り群馬県沼田インタへ11:25 湯の湖廻りの見事な紅葉国道120号線の道路脇に車を止めしばし撮影に熱中天気がよく金精山がきれいに見える風がないので湖面が水鏡に一部葉は落ちているが紅葉した葉も残っているカエデの紅葉黄葉も湯野湖畔11:38 奥日光湯元温泉多くの観光客が紅葉狩りに、温泉の硫黄の匂いがくるまの中まで漂う11:45 金精山がくっきりと11:46 この道は雪害で度々通行止めになる11:48 金精峠手前の展望台より金精山チベットのカイラス山、ラオスのリンガ山と同じで、、ヒンズー教(密教)の流れがある山。寺院内にはアンコールワットでも見られるリンガが奉納してあり、日本のヒンズー教を体感できる金精山は金精峠から歩いて一時間半で登れる11:54 金精トンネル左側に金精峠駐車場がある。金精峠は、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村との境にある標高2024mの峠金精トンネルは、1965年に開通した。標高1843mで国内のトンネルでは最も標高が高い。標高が高いため、例年12月末から4月末の間は、金精道路全体が閉鎖されるトンネル内:トンネルの長さは755m12:28 国道120号線「鎌田交差点」、ここを右折すると尾瀬方面 尾瀬大橋は、国道401号線の大滝川を渡る斜張橋で平成8年(1996)に完成した。橋の全長は230m、夜にはライトアップされているほっこりの湯12:41 尾瀬市場へ群馬県沼田市利根町平川にある国道120号線沿いの市場で、農産物・お食事・足湯(無料)がある農産物売り場いろんなかぼちゃの販売、ハロウィン用も一個400 ~ 500円のかぼちゃ13:00 お土産を買い「吹割の滝」へ向かう 奥日光の旅、紅葉の湯滝-5へ 続く
2018.11.11
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10/22(月) 戦場ヶ原の散策後、奥日光の滝「湯滝」へ立ち寄る10:35 湯滝園地日光市湯元にある「湯滝」で奥日光のもつ優雅な魅力を主張する代表選手がこの滝。奥日光地域を代表する滝の一つで、華厳滝、龍頭の滝と共に奥日光三名瀑の一つ駐車場から歩いて湯滝へこの辺りの紅葉はきれいであった空を見上げるとカエデの葉が紅葉湯滝のそばにある「湯滝レストハウス」ここのヤマザキのコンビニで販売している、北海道産小豆を使用した名物豆大福は甘さ控えめで美味しく、この夏も食べたが今回は一個を食べ4個お土産で購入した。一個\140と安く皆さん店先のベンチに座り一休みしながら小学生がここから木道を歩いて、先程の赤沼駐車場まで。そういえば駐車場に横浜からの観光バス(・・・小学校)が数台待機していた湯の湖の水が、湯川となって流れ出る落ち口にかかっている。スケールは長さ75m幅25m、水量は豊かでごう音をあげている滝の表情は華麗で女性的なフィーリングを持っている水しぶきと音のマイナスイオンでリラックスできる高さは70mを超える滝で、観瀑台から見る滝は迫力がある滝壺の観瀑台から見上げる滝はすばらしい神秘的な湯の湖、優雅な湯滝と静かに流れる湯川沿いの径奥日光の魅力はこの辺りに集められている感じがある遊歩道で油絵を描いている人がいたがマイナスイオンを浴びながら最高の一日では湯川の下流、戦場ヶ原、竜頭の滝と流れて中禅寺湖へと滝の上は湯の湖水量が多く迫力満点ズームアップして滝の周りの紅葉も素晴らしい観瀑台から、滝の横の急な坂道を登り湯の湖へこの辺りの紅葉&黄葉も素晴らしい滝の流れを高速シャッターでしぶきが飛び散り紅葉とのコラボ空を見上げると紅葉が目に飛び込み滝とのコラボも天気がよく青空に映える紅葉この辺りは急流11:04 湯の湖湯滝への落ち口、倒木が倒木が落下すると危険だが水は急斜面を落下スローシャッターで撮影湯の湖への遊歩道、右側を国道120号線が走る一度来た人はこの上に車を止めて、急な坂道を往復して駐車料金を節約紅葉の中を滝が紅葉と滝水が飛び散る11:14 湯滝レストハウス炭火焼「あゆ塩焼」\500に列をなし、串団子焼きも販売11:19 駐車場へ、約50分の滞在でした11:22 湯の湖、金精峠へ向かう 奥日光の旅ー戦場ヶ原4へ 続く
2018.11.10
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10/22(月) 竜頭の滝の後、国道120号線(日本ロマンチック街道)を走り群馬県の沼田方面の途中戦場ヶ原へ立ち寄る。9:30 赤沼自然情報センター「赤沼駐車場」赤沼駐車場は、戦場ヶ原散策の起点となっており、自然研究路を利用して湯川沿いに戦場ヶ原を歩くことができるほか、竜頭滝や湯滝、小田代原に行くこともできる。また、低公害バスの発着所にもなっており、所要時間は小田代原まで約12分、千手ヶ浜まで約30分9:39 無料の駐車場で満車9:40 中宮祠ー湯元歩道案内図この歩道は奥日光の美しい自然を観察しながら、湯元から中宮祠まで車道を通らないで歩くことのできる道で、所要時間が記載されている戦場ヶ原へは半世紀ぶりか風もなく爽やかな日であったカラマツの葉も黄葉9:45 案内標識カラマツ林へびとむかでの戦い戦場ヶ原の名の由来は、むかしむかし、中禅寺湖をめぐって男体山の神と上州赤城山の神が、へびとむかでをひきつれて戦ったという伝説から、戦場ヶ原という名がつけられた湯川の清流撮影旅行で来ていたマイクロバスがあったが遊歩道でカメラをかまえて「何を撮影ですか」と聞くと「水面を流れる落ち葉を撮影」とのこと野鳥でも撮っているのかと思ったが9:52 歩いていくと湯川へたどり着くが、この辺りで折り返す戦場ヶ原の向こうの中央に「太郎山(2367m)」山並み湯川にカモが二羽三羽と湯川の川藻カラマツの黄葉戦場ヶ原10:00 男体山10:10 赤沼駐車場をでて湯滝へ10:14 国道120号線(日本ロマンチック街道)を走る車の量も少なく快適戦場ヶ原展望台10:24 湯滝駐車場へ着くが満車で10:32 駐車料金500円を支払い 奥日光の旅ー竜頭の滝へ 続く
2018.11.09
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8月にも訪れた竜頭ノ滝へ、前回は上流側の駐車場へ車を止めて下った8:20 今回は下の駐車場へ車を止めるが満車でしばらく待機竜頭ノ滝園地龍頭之茶屋の展望台から奥日光地域を代表する滝の一つで、華厳滝、湯滝と共に奥日光三名瀑の一つシャッタースピードをかえて撮影スローシャッターで撮影滝つぼ:片側に陽が当たっていないので時間を待つことに朝食を食べていなかったので、龍頭之茶屋で食べることに寒くてストーブがついていたメニュー8:38 滝を見ながら山菜そば(600円)を食べる片側の滝が写らず遊歩道の坂を上る林の間を滝が流れる8:50 竜頭ノ滝滝の中間部の展望台外国人観光客も大勢来ていた竜頭ノ滝は標高:1350m、滝全長:210m、滝幅:10m幅10m程の階段状の岩場を勢いよく流れる渓流瀑スローシャッターで撮影同じくスローで撮影紅葉は過ぎていたのか8:58 龍頭之茶屋竜頭観世音珍しい龍に乗った観世音菩薩9:00 龍頭之茶屋の展望台から竜頭ノ滝は、滝つぼ近くが大きな岩によって二分され、その様子が竜の頭に似ていることからこの名前が付いたと言われている5月~6月は赤紫色のトウゴクミツバツツジが咲き誇る、また9月下旬ごろからは紅葉の名所として人気が高い昼前でないと両方には陽が当たらないのか?滝つぼ周りの紅葉9:05 龍頭之茶屋を後にして、竜頭ノ滝の上流へ向かう9:11 国道120号線を登る男体山が見えてくる9:14 竜頭の橋駐車場へ標高1355mで、橋のそばに無料の駐車場があるが満車状態橋から上流を望む、湯ノ湖から戦場ヶ原を流れてくるここから200m流れる渓流瀑中禅寺湖が見える竜頭の橋から男体山を望む龍頭之茶屋へ下る竜頭の橋橋の下に下りて滝の下流方向9:15 国道120号線(日本ロマンチック街道)を戦場ヶ原へ向かう 奥日光の旅ー2へ 戦場ヶ原&湯滝へ続く
2018.11.08
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10/22(月) 明智平から、中禅寺湖へ、今回は華厳の滝へは行かず6:50 第二いろは坂から二荒橋前交差点へ、ここを左折して 6:51 立木観音入口の鳥居ここを左折して県道250線へ6:52 中禅寺湖の「歌が浜」中禅寺湖は、日本の湖沼では25番目の面積規模を有しており水面標高は1,269m男体山もくっきりと湖面に雲がかかり奥日光の入口に位置する中禅寺湖は、周囲約25km、最大水深163m紅葉は始まったところか中禅寺湖は明治から昭和初期にかけては外国人の避暑地として賑わった日陰を撮影したので湖面が露出オーバーにもう少し紅葉するのか枯れ木ナナカマドの紅葉7:04 県道250線(中禅寺湖スカイライン)の途中で撮影スカイラインは、朝7時から通れるようであった7:08 中禅寺湖スカイラインを走り穴場の絶景ポイント、天空ロード「中禅寺湖スカイライン」。日本の名道50選にも選ばれたこの道は、標高1753mの半月山駐車場へ7:13 中禅寺湖展望台歌が浜湖畔からはトイレがないので注意中禅寺湖、男体山を一望できる展望台手前から、八丁出島、大日崎八丁出島の紅葉はよくポスターで見る手前の小さな島は「上野島」と大日崎山肌のダケカンバ葉は散り7:17 中禅寺湖展望台からの日光連山7:22 半月(ハンゲツ)山駐車場中禅寺湖スカイラインは、で歌が浜から半月山までの全長7.5kmの道路。標高1625mにある終点の半月峠第二駐車場から望む男体山の紅葉は絶景の一言。紅葉の見頃は10月下旬~11月中旬、以前は有料だったが現在は無料で通行可足尾の治山事業旅友との影駐車場からの絶景足尾の治山事業:足尾に緑をがえらせる一番高い山は、皇海山(2143m)皆さんは駐車場に車を止め登山して、半月山展望台へダケカンバと紅葉が絶景日陰の山肌も紅葉7:29 終点駐車場に車を止めて登る「半月山展望台」は、男体山と中禅寺湖を一望する日光髄一の眺め!であるが、帰宅後知る、残念!!矢張り事前調査が大事(妻に厳しく言われ反省)7:34 中禅寺湖展望台7:36 中禅寺湖スカイラインを下るまたいつか天気が良い時に来たいものです7:46 歌が浜第一駐車場湖面の紅葉立木観音(遊覧船)乗り場坂東十八番 日光山 中禅寺中禅寺湖畔に建つ歴史ある寺で、巨大な千手観音像が祀られている近くにあるイタリア大使館別荘は栃木県が購入し記念公園として4~11月に公開7:48 歌が浜を後にする7:52 県道250号線7:52 この先を左折して、国道120号線を戦場ヶ原方面へ7:54 下野國一之宮 日光二荒山神社 中宮祠鳥居7:56 湖畔に車を止め、中禅寺湖には釣り船が楓の紅葉7:59 国道120号線を、龍頭の滝、戦場ヶ原方面へこの辺りの紅葉はこれから8:01 湖畔の紅葉がきれいで車を止める中禅寺金谷ホテル同ホテル周りの紅葉陽が当たり湖畔の紅葉湖畔のカヌー湖畔にいたら上空で「ブーン」と若者がドローンを操作していたので、いろいろと話を聞くドローンを上空に操作願い、我々の写真を撮影願うドローンは紙サイズのA4ぐらいの大きさで、台湾製価格は10数万円だと。カメラ付きで、飛ぶ範囲は2km、資格はいらないとのこと。ボーナスが入ったら買いたいねー最後に紅葉を撮影して8:15 近くにある「龍頭の滝」へ向かう中禅寺湖スカイラインは再度行きたいものです 奥日光の旅ー1へ 竜頭ノ滝へ続く
2018.11.07
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10/22(月) 旅友K氏と早朝に自宅を出発して奥日光方面へ紅葉狩りに行きました。今年の8/20(月)に酷暑を避けるために宇都宮&日光を訪れたが、その時紅葉時期にも来たいと計画していた。中禅寺湖、龍頭の滝、湯滝から沼田市の吹割の滝を数回でアップします。高速道路の割引を利用するため、また時間が遅いと「いろは坂」が渋滞との情報からわが家を3:45に出発し4時前に圏央道へ。5:47 東の空が赤くなる5:48 東北自動車道を走り5:55 宇都宮インタ手前5:57 宇都宮、日光方面の宇都宮インタを出る5:58 一旦東北自動車道の宇都宮インタを出、接続した日光宇都宮道路へ6:01 今日は天気がよく、男体山がくっきりと見える6:06 大沢インタ出口、料金所6:07 左に男体山(2486m)と女峰山(2483m)時間が早いので順調に走る6:07 山並みがきれいに6:12 今市・鬼怒川インタ出口6:15 日光インタ出口日光インタ出口、ここから別料金で清滝インタへ6:16 清滝インタまで5km、中禅寺湖まで19km6:21 日光宇都宮道路清滝インタを出る国道120号線を走り、いろは坂経由明智平、中禅寺湖へこの先を左折すると、国道122号線で桐生・足尾方面へ6:23 直進して「いろは坂」へいろは坂は上り下りと一方通行6:25 いろは坂入口 右側が下り専用の第一いろは坂、左が上り専用の第二いろは坂二つの坂を合計すると48カ所もの急カーブがあり標高差は440m。6:39 明智平駐車場へ到着8月に訪れた時は男体山は雲に隠れていたが今回はくっきりと見える男体山栃木県日光市にある標高2,486mの火山。山体は日光国立公園に属し、日本百名山のひとつ。日光二荒山神社の境内地で冬季入山禁止。今年も10月27日(土)に日光二荒山神社で閉山祭りが行われた天気が良いので、明智平からロープウェイで展望台へ行けば眺望が最高運賃は往復で大人 730円男体山の治山工事男体山は古くから山岳信仰の対象として知られ、火山の噴火による溶岩や火山灰が堆積し、非常に崩れやすい山となっている天気が良いので、ロープウェイへ乗ろうかと思ったが時間が早くて営業前。営業時間:9:00 ~ 16:00男体山の紅葉は???ロープウェイが営業前であったので、展望台まで歩くことを考えたが通行禁止で入れず(社有地で)男体山と反対側の斜面の紅葉ズームアップして6:45 明智平を後にして中禅寺湖へ 奥日光の旅ー中禅寺湖へ
2018.11.06
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10/31(水)茅ヶ崎市美術館を再度訪れた。茅ヶ崎市のタウンニュースで『小原古邨(おはらこそん)展-花と鳥のエデン』の展示知り、前期の展示品を10/3(水)に茅ヶ崎市美術館を始めて訪れた。展示品をかえての後期が10/11(木) ~ 11/4(日)に開催されており、最終日が近くなった10/31(水)に訪れた。茅ヶ崎市美術館を知ってもらいたいので、前期と写真が重複しているところもありますがご容赦願います。インターネットで場所をチェック、自転車で向かう 高砂通りを海に向かい、市立図書館に隣接する 茅ヶ崎駅南口の高砂通りを海に向かう 高砂緑地の歴史 茅ヶ崎市は、松籟荘を昭和59年(1984)に購入し、同年高砂緑地として公園にした 高砂緑地マップ高砂緑地の一画にある「川上音二郎別荘の井戸枠」 川上音二郎・貞奴15:30 茅ヶ崎市美術館へ到着10月にNHKがEテレ『日曜美術館』で放映して以来、人が多くなったと茅ヶ崎市美術館一階受付開館時間:10:00 ~ 18:00(4 ~ 10月) 10:00 ~ 17:00(11 ~ 3月)休館日 :月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)観覧料 :一般 700円 大学生 500円 市内在住の65歳以上は無料 小原古邨(おはらこそん)は、明治から昭和にかけて活躍した絵師。季節の情感を含む美しい花鳥画は、特に海外で人気を博し画家・クリムトも愛したことで知られる。一方、輸出用で出回ったことで国内での知名度は高くなく、近年になってようやく注目を集めている 今回の展示は、茅ヶ崎市美術館が20周年を迎えたことを記念し実現、展示されている小原古邨の作品は世界初公開だと。小原古邨こと小原又雄は明治10年(1877)金沢に生まれた。花鳥画を得意とする日本画家・鈴木華邨に師事した。一階の展示会場写真撮影可能で、代表的なものをアップします梅に尉鶲(ジョウビタキ)木蓮に四十雀(シジュウカラ)枝垂れ桜に尉鶲(ジョウビタキ)藤に金魚虹に松と大鷹目高を狙う翡翠(カワセミ)山百合に紋白蝶柳に燕跳ねる鯉青楓に四十雀(シジュウカラ)青楓に懸巣(カケス)鉈豆(ナタマメ)に野鶲(ノビタキ)梧桐(アオギリ)に緑啄木鳥(アオゲラ)紅葉に緋連雀(ヒレンジャク)蜘蛛を狙う百舌鳥(モズ)有明月(ありあけづき)に木菟(みみずく)。先日のNHKのEテレでこの絵で現在の摺師が制作していた枯葦に田鳧(タゲリ)雪中の尾白鷲松につがいの孔雀柏に懸巣(カケス)秋海棠に交喙(イスカ)歌川広重作『月に雁』 地下一階の展示場 小原古邨の作品を保有していた原安三郎氏は、現在美術館が位置する高砂緑地に別荘「松籟荘」を構えた実業家である。美術品コレクターとしても知られ、没後は原氏が発展に寄与した日本火薬株式会社がコレクションを管理している 美術館二階にある、美術館カフェ「ル シュマン」ドリンクは500円からで、ランチも可能16:30 一時間の鑑賞で茅ヶ崎市美術館を出る。 開館時間が18時までのため、この時間でも多くの来訪者が 松籟庵の茶室庭先に咲くツワブキ16:46 国道134号線「野球場前交差点」平塚方面で天気がよければ富士山が見える箱根辺りの夕陽江の島方面野球場前交差点の陸橋から北側を望む烏帽子岩、伊豆大島が遠方に見える16:48 この場所からのサイクリングロードの距離江の島、茅ヶ崎ヘッドランド茅ヶ崎漁港、サザンビーチ、遠方に箱根方面伊豆半島16:50 葉山マリーナ、はるか先に房総半島の鋸山か?17:30 帰り道にいつもの仲間といつもの居酒屋へ立ち寄る。やきとりはたれでオーダー @\100お客さんが茅ヶ崎の烏帽子岩で釣った『アオリイカ』をお土産で持参。直ちに調理してもらい来客者でシェアして味わう。一杯約700~500gと大型のものをたくさん釣り、毎日イカ三昧で子供が飽きていると贅沢なことを刺身を作ってお客さんへシェア。身が厚く美味しかった、後ゲソ焼きも頂く、ありがとうございました19:40 酒を飲んだ後、中華そばを食べに「来々軒」へハロウィン姿の男の子が母親と夕食に 古原古邨の前期へ 古原古邨の後期-END ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ご声援ありがとうございました。11/3 日本シリーズも福岡ソフトバンクホークスの2年連続9度目の日本一で終了。広島東洋カープは残念ながら34年ぶりの日本一になれず、これで来年春まで平穏な日々(野球の結果を気にしない)に、遊びに専念できます(笑)。以下の写真は10/23(火)に訪れた、銀座の「広島アンテナショップ」です茅ヶ崎から久しぶりに東京へ15:53 銀座2丁目の『銀座発祥の地』16:03 スマホを操作しながら『広島ブランドショップ』へ。所在地:中央区銀座1丁目6-10 銀座上一ビルディング店内に入ると店内では広島県の各地のブランド品を販売、2階にはカープのキッズも販売お土産を買い東京駅八重洲口東京駅八重洲口から出発する全国へのバスターミナル END
2018.11.05
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10/17(水)の国営昭和記念公園の後編の2/2をアップします12:01 花木園 案内図この下に「原種シクラメン」が咲いているとの案内があり案内板斜面に、原種シクラメンが咲く秋咲のヘデリフォリウム可憐なシクラメンがローアングルで撮影ハーブ園:時期外れで花は少なく水鳥の池バードサンクチュアリ―がある家族がボートに乗りスイレンの池時期外れのスイレンが咲いていたシュウメイギクも太陽に向かって咲く赤色はもう終わり???水鳥の池沿いの家族靍田清二 作「花咲くころ」水鳥の池で泳ぐカルガモ12:28 案内板だんご・あげパン、焼き芋屋もある渡辺 治美 作「ユーウツの為のアダージョ」ふれあい広場大きな樹木が立つ「ふれあい広場」、右側にレストラン立川口へ向かうイチョウ並木とカナール最終ポイントには噴水平和の鳩?立川口へのカナールカナールは、静水をたたえた水路でヨーロッパの平坦部につくられた整形庭園で大いに発達したイチョウ並木路面には銀杏の実が落ち黄葉はこれから始まる立川口の自転車貸出し場所大人:3時間以内で 410円12:43 立川口から「ゆめ広場」であいの広場から約200mまっすぐに伸びるカナールは、水の流れと芝生、天然石の鋪石が西洋庭園のたたずまいを見せる沈床の広場まだ青いイチョウ並木地面に落ちて集められた銀杏の実まだ木の枝には多くの銀杏がカナールの噴水13:00 砂川口へ向かう途中にハナミズキの赤い実コスモスの開花状況13:15 こもれびの里へ花の丘のコスモス曇り空になっていたが再度撮影女性は座り込んで昼を過ぎ多くの人が訪れていたピンクの色が映えるズームアップして13:22 約3時間半歩き回り疲れた私抹茶ソフトクリームを食べる 350円13:35 駐車場には多くの車が止まり13:42 帰りの帰路につく13:56 多摩大橋多摩川に架かる都道59号線八王子武蔵村山線の橋梁。旧多摩川橋の上流に建設した鋼7径間連続橋で、中央にアーチ橋を挟んでいる、橋長は約461mであり下路式補剛アーチの長さは連続化したものとして日本最長の橋(2007年10月時)14:08 左折して国道16号線の相模原方面へ14:16 行きとは違う八王子バイパスを走る平成27年(2015)10月30日まで有料であったが、現在は無料開放相模原市緑区橋本の街並みが見える2027年に開業予定のリニア中央新幹線の停車駅になるJR橋本駅14:22 JR橋本駅入口の国道16号線の立体交差点、ここを側道に入り右折して平塚へいつも渋滞がひどい橋本五差路14:26 橋本五差路交差点黄色信号で停止したが、向かい側で停車していたパトカーが急発進。信号無視で走り去った車を「そこの車止まりなさい」と追いかける自宅へは、15:45に無事到着。本日の歩行数は13,000歩でした 昭和記念公園ー後編(1/2)へ 昭和記念公園END ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この夜は、17:30に待ち合わせていつもの居酒屋で、野球仲間と飲むもつみそ炒め北海道土産のかぼちゃ二個を渡し「かぼちゃさらだ」をつくってと依頼。あけびに似たポポー?鮭かま塩焼き、他にイカバター炒めを21:30 飲み終えて最後の仕上げは天丼の「てんや」へ21:35 定番の「天丼」を食べて帰宅、味噌汁がついて540円は安い END
2018.10.28
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10/17(水)のコスモス撮影後の後半です。昭和記念公園が広く写真撮影枚数が多くなりましたので2部作でアップします。10:42 こもれびの里:石碑には「武蔵野の農はここにあり」とこもれびの里案内図昭和30年代の武蔵野の農村風景を再現しているこもれびの里3つのテーマ①農村風景 ②武蔵野の自然 ③農業:右は田んぼ里にもコスモスが咲き里内には、そば畑も、茶畑もありその時期には茶摘みも体験先ほど行った「花の丘」のコスモス農家農家の庭先に咲くキク主屋の縁側に食膳を展示囲炉裏では木を燃やし煙が漂い昔の家を思い出す農家の家が懐かしい土間にはかまどがありその上に「羽釜(ハガマ)」。昔母親の手伝いをしている時、よく「そのハガマ」と言われたが、今回初めてその「ハガマ」が漢字で「羽釜」と書くことを知った古稀過ぎのozinです主屋の裏につながった内蔵内蔵:主屋につながった蔵で、祝い事に使う食器類や長持・箪笥、名手の記録文書などが収められている主屋の萱吹き屋根主屋内のカイコ棚長屋門と蔵蔵内にはお土産?の展示品がひょうたんに絵文字が、ハスの殻にアイデア製品の「ハスの花托」長屋門内には昔の農機具を陳列水車と長屋門こもれびの里のシンボル的な施設「農家」江戸時代中期末頃に建てられた東京都狛江市に所在していた石井家の建物を移築。主屋、内蔵、長屋門の3棟が立川市有形文化財に指定されている。右は主屋:江戸時代中期(18世紀後半)に建てられた名主の屋敷炭焼き小屋この炭焼き窯は、ドラム缶を使って作られており公園の竹を使用して竹炭を作っている水車小屋武蔵野台地では、地形の高低差が小さいため「エビ樋」による胸かけ方式が多く、こもれびの里の水車はこの方式を再現している動力で粉をひけるようになっていたハスの池もあるこもれびの里には、平成14年9月に発足したボランティア団体「こもれびの里クラブ」と公園事業者が、共に検討しながら整備・運営を行っている。11:18 日本庭園へこの庭園の大きな特徴は、その広がりのある景観で、6haという恵まれた敷地に広々とした大空の下で庭園美に触れることができる。日本庭園ならではの落ち着いた佇まいの中、花鳥風月の清遊を楽しめる日本庭園「東の門」伝統的な技術的を活かし、四季折々の季節感を表現した「池泉回遊式庭園」。これは、池を中心として滝・流れ・州浜・木橋・菖蒲田等の自然景観を巡る庭園で江戸時代の大名庭園に多く見られる様式池にある木橋池の周りには菖蒲田池の岩の上には亀が池の奥に「歓楓亭」「清池軒(四阿)」左に「清池軒(四阿)」中央に「歓楓亭」昌陽(四阿)北の流れから昌陽(四阿)北の流れ11:27 盆栽苑へ歴史と伝統ある国風盆栽展クラスの盆栽を中心に、芸術作品としても優れた盆栽を鑑賞できる苑内には年期の入った盆栽を陳列若木が盆栽へと成長して行く過程もご覧いただけると、ここでもボランティアの人が世話をしている推定樹齢約130年の「五葉松」マツ科推定樹齢約150年以上の「一位(イチイ)」イチイ科推定樹齢約200年以上の「真柏(シンパク)」ヒノキ科推定樹齢約250年以上の「真柏(シンパク)」ヒノキ科キキョウも鉢植えで「歓楓亭(カンフウテイ)」では呈茶が600円で頂けるここでは、茶道・俳句・詩吟など、日本の伝統的文化を楽しむ場として利用できる「清池軒」からの東の門方向木橋と老松黄葉&紅葉まつりも、11月3日(土) ~ 11月25日(日)に開催される開園時間も早くなり、通常9:30 → 8:30にまた再度来たいものです昌陽(四阿)ホトトギスユリ科でホトトギス族日本に自生するホトトギスの仲間は10種類ほどある昌陽(四阿)から木橋11:45 日本庭園を出て南の「みんなの原っぱ」方面へシオンが咲く遊歩道わき シオンは、キク科シオン属の多年草12:00 花木園売店 昭和記念公園コスモスへ 昭和記念公園ー後編続く
2018.10.26
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10/17(水) の朝、TVのニュース、デジブック仲間の方の作品から「国営昭和記念公園」のコスモスが見頃との情報を得、妻は行かないとのことで一人愛車で出かけた。当初は5:30に出かける予定をしていたが、開園が9:30からのため出発を遅らせ時間に余裕があるので一般道路を走った。7:30 JR相模線「海老名駅」近くの踏切。出発時間を遅らせたので通勤のため渋滞が激しかった、やはり早く出て現地へ8:47 国道129号線夏に訪れた「座間のひまわり畑」近くの相模川の橋で渋滞が激しかった8:50 東京都町田市へ。カーナビを「一般道路優先」にしたため、国道16号線で案内カーナビのバージョンが古いため八王子バイパスでの案内がされず国道16号線を拝島橋、川越方面へ8:56 東京工科大学前学舎の紅葉もこれから国道16号線 9:00市立片岡台小の交差点9:02 国道16号線をそれ、何故かカーナビは住宅街を案内9:05 ここを左折して再度国道16号線へ9:08 国道16号線、車の通行が多い9:12 この先の交差点を右折9:20 多摩大橋へ向かって多摩大橋9:23 多摩大橋を渡り、昭島市へ9:24 都道59号線を昭島市街地方面へ9:30 この先を右折して3.5kmで「昭和記念公園」9:40「昭和記念公園砂川口」交差点を右折して駐車場へ9:44 砂川口駐車場へ入る。駐車料金一回820円を支払い(国営にしては高い感じがしたが)。まだ時間が早いため車の台数は少ないが、私は初めてここを訪れた9:47 チケット売り場へ。幼稚園児が大勢来園していた入園のご案内入園料は大人450円だが、65歳以上のシニアは210円とラッキー。開園時間は9:30 ~ 17:00(時期により閉園は16:30 ~ 19:00)有料ゾーンへの入口は5か所あり、駐車場も3カ所ある。無料ゾーンとして立川口手前に「みどりの文化ゾーン」がある砂川口「2018 コスモスまつり」を開催:9/15(土) ~ 10/28(日)国営昭和記念公園東京都立川市と昭島市にある日本を代表する国営公園で、東京ドームの約40倍の広大な緑あふれる都会のオアシス第95回東京箱根間往復大学駅伝競争予選会がここで開催された期 日:平成30年10月13日(土) 9:35スタート場 所:陸上自衛隊立川駐屯地 ~ 立川市街地 ~ 国営昭和記念公園距 離:ハーフマラソン 21.0975km選考方法:各校上位10名の合計タイムの少ない、11校を選ぶ園内には日本庭園等があり、一日のんびり過ごせる園内には、移動に便利な乗り物「パークトレイン」が走っており、一回310円だがフリーパス券510円もある幼稚園児が先生を先頭に「こもれびの里休憩棟」のガラスに映るコスモス各エリアのコスモス開花状況。東花畑のレモンブライトを期待したが、14日から刈り取り作業をしている花の丘へここの丘には、センセーションという種類が約400万本植えられている。見頃は、10月中旬 ~ 下旬「花の丘」周辺案内図コスモスは、キク科のコスモス属コスモス属は29種類ほどあり、メキシコを中心にして熱帯アメリカ地域に分布している一年草または多年草である パークトレイン日本で園芸用として栽培されているのは、主に一年草のコスモスとキバナコスモスの2種類で、チョコレートコスモスは多年草コロンブスのアメリカ大陸発見後、スペイン人がメキシコの高原に咲くコスモスを見つけて持ち帰り、マドリッドの植物園長ガバニレスがギリシャ語の秩序、調和、美などという意味のコスモスと命名したと幼児が喜ぶパークトレイン日本には江戸時代末期に種子が伝わったが、明治9年(1876)美術学校の教師として来日した芸術家ラグーザがイタリアから種子を持参してきたことから、本格的に日本に広まった在来種は白、ピンク、紅の3色で一重だが品種改良により多くの新品種が作られた「センセーション」濃紅色、桃色、白色の花径10cm程度の大輪で、最もポピュラーな品種。早生種で夏から花を咲かせるしばし花撮影に動き回るコスモスの撮影はどれも同じような花でモデルを探し、バックのボケ等を重視逆光で撮影前ボケを入れて蕾もまだあり天高く咲く西洋蜜蜂が花粉を付けて他の種類のコスモスにもワンちゃん連れの人も、コスモスとのコラボを撮影夫婦連れも「ハイポーズ」と頻繁にパークトレインが道の真ん中を走る天高く後ボケを入れて花の丘の上から向こうには、陸上自衛隊立川駐屯地があるこの為、爆音がうるさい近所の人が散歩、年間パスポートもあるカエデの紅葉はこれから後方のコスモスがボケて幼稚園児が記念写真コスモスの撮影はボケが必須か人影もぼかして10:40 約一時間の撮影をしてコスモスの咲き誇る「花の丘」を後に、園内へ移動 後日10/26(金)に後編をアップします
2018.10.19
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10/3(水) 緑地公園にある茅ヶ崎市美術館&松籟庵(しょうらいあん)を散策後、旧結核療養施設として明治期から、本市の発展に大きく貢献した南湖院(なんこいん)へ自転車で移動した。15:00 アップダウンの多い鉄砲通りを走り「中海岸4丁目」バス停15:15 道が解らずスマホでナビしながら南湖院へ到着南湖院記念 太陽の郷庭園 開園日:月、木、金、土、日 休園日:火、水 年始年末(12/28 ~ 1/4) 開園時間:4 ~ 10月 10:00 ~ 17:00 11 ~ 3月 10:00 ~ 16:30 駐車場は無料である名称は地名の南湖(なんご)に拠るが、濁音を嫌った高田畊安によって「ナンコイン」と称されたこの日は残念ながら休園日で、業者が垣根を刈り取っていた。今年の4月1日から、多くの人に南湖院の文化的価値を知ってもらうために、敷地の一部を「南湖院記念太陽の郷庭園」として一般公開している「関東の富士見百景」に選定されている「富士見台」からの第一病舎クラブツーリズムでも、ここを訪れる観光ツアーが案内されている。南湖院は、医師高田畊安によって明治32年(1899)9月に開院し「東洋一」のサナトリウムと称されたが、昭和20年(1945)5月に海軍に全面接収されて解散した。盛時は東京の医学生のほとんどが、卒業必須単位の如くに見学に訪れた。サナトリウム(sanatorium):高原、海辺など新鮮な空気や日光などを利用する療養所(主として結核の療養施設)旧南湖院第一病舎:登録有形文化財明治32年に建築された敷地北寄りに立つ、二階建ての木造建築。療養地として著名な湘南に残る希少な明治期の結核病棟である。大正期には第11病舎まで建築され、東洋一の結核療養施設とうたわれた。ひょうたん池、高田畊安碑の案内表示南湖院を開院した高田畊安の石碑「高田畊安碑」 裏面もご覧くださいと裏面には、ご夫妻の家系が彫られていた高田畊安の曾孫:高田 畊安奥さんは勝海舟の孫:高田 輝子敷地は当初は5,568坪、最盛期の昭和10年代には計5万坪余りもあったという。建坪は4,500坪、病室は158室。入院患者には、著名人の詩人 国木田独歩、佐藤惣之助、八木重吉 ・・・・・ひょうたん池天気の良い日は、ここから富士山が見える「関東の富士見百景」の一つ開園日に再度訪れて説明を聴きたいものです15:30 南湖院そばの、湘南海岸サイクリングロードへ 西浜中学校前あたり台風24号により打ち上げられた砂がサイクリングロードを塞ぐ、遠くに江の島烏帽子岩も国道134号線からサイクリングロードへ入る通路には砂が満杯状態茅ヶ崎漁港ステージサイクリングロードは砂がいっぱいで自転車は走れず防砂ネットの合間から国道134号線側を望む防砂ネットの上に烏が留まり15:35 伊豆半島側、太陽はまだ高い15:43 茅ヶ崎漁港のサザンビーチ先日の台風24号で、レストランの窓ガラスが破損したと報道していたがサザンビーチのモニュメント辺りで撮影をしていた発電機はうるさいので、こんなに離してモニュメントの下で撮影二人の演技かこの女優は誰?十数人で撮影していたが、何の撮影と聞いたがネット配信するのだと・・・・・・?女優は寒いのでダウンを着て撮影準備サイクリングロードには砂が埋め尽くしサザンビーチからの茅ヶ崎ヘッドランドと江の島15:50 地引網の小屋辺り地引網の小屋からのサザンビーチ波が穏やかな茅ヶ崎ヘッドランドの向こうには江の島が15:56 この辺りはどうにか自転車で走れる国道134号線の「野球場前」、茅ヶ崎駅南口への入口からは「雄三通り」15:57 茅ヶ崎駅入口16:07 茅ヶ崎一中前の「一中前ステージ」辺りの設備制御盤に台風24号の微細な砂が付着して試しに手で触ると落下してきれいになった。砂には塩分が含まれているので早く除去した方が良いのでは国道134号線の一中交差点一中前ステージ烏帽子岩この辺りは防砂柵も倒れ砂も多く打ち上げられ、砂の除去はいつできるのか16:14 この辺りは海からの風が強いのかサイクリングロードに砂が多い16:17 ゴルフ場入口ここを左折して菱沼海岸交差点へ。昨年の台風では、この先の菱沼海岸は高波に浸食されて通行止めになった国道134号線の向こうはラチエン通り砂の除去で、またまた国の予算が使われるのだ。近くの人々のボランティア活動で全員集合して砂を除去したらと思うが。一部の人は細々と一人でやっている人がいるが、日を決めてやるとラジオ体操帰りの人も参加するのではと思う 防砂ネットの間からの烏帽子岩16:40 国道一号線沿いの看板「東海道の松並木」茅ヶ崎市内の国道一号線沿いの黒松は幹回り(地上より1.2mの高さで測定)2.2m(推定樹齢400年)の大きな松が育っている。この風景画はその時代の画家、安藤広重の東海道53次にも描かれている枯れた松の根元東京日本橋から57km地点の杭既に今年2/15に、日本橋から品川宿まで歩いているが、この冬は東海道53次を歩きたいものです 10/3のヒロ散歩-END
2018.10.11
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10/3(水) 茅ヶ崎市美術館を訪れた後、高砂緑地にある松籟庵に立ち寄った松籟庵は平成3年(1991)、茅ヶ崎市が緑地の一画に茶室を建て「松籟庵」と名づけ開放している 14:30 茅ヶ崎市美術館のそばにある歌碑の「蟲」 「蟲が鳴いても いまないておかなければ もう駄目だというふうに鳴いてる しぜんと 涙をさそわれる」 八木重吉 詩人 八木重吉(1898 ~ 1927) 八木重吉は、明治31年東京府南多摩郡堺村(現町田市相原町)に生まれ、神奈川県 師範学校東京高等師範学校を卒業後、兵庫県御影師範学校、千葉県東葛飾中学校 (現 東葛飾高等学校)で教師をした。 結核を患い茅ヶ崎の南湖院に入院の後、町内の十間坂(現 茅ヶ崎市共恵)で自宅 療養し、昭和2年10月26日 29歳で生涯を閉じた 松籟荘は昭和6年(1931)に建てられたが、昭和59年(1984)に主屋は老朽化のため 解体された。その後に残る「松籟荘」の玄関前庭と塀 「玄関前庭と塀」 出口へのアプローチ・階段 入り口方向から、奥に「松籟荘」の跡地に茅ヶ崎市美術館が建設されている 解体前の、松籟荘の主屋(案内板の写真から) 入り口近くにある「平塚らいてう記念碑」 平塚らいてう(1886 ~ 1971) 東京に生まれ日本女子大学に学ぶ、1911年の青鞜創刊の辞「元始、女性は太陽 であった」は、日本女性初の人間宣言として後世につたわる。 大正期に新婦人協会を起こし、女性に禁じられていた政治への一歩を開いた。 第二次大戦後も女性解放、世界平和の初心を貫く(石碑より) 台風24号での折れた木々を清掃するシニアボランティア ? 高砂緑地内の案内標識 松籟庵入口 梅の木のある日本庭園である 松籟庵:茶室・書院、事前予約で利用できる 日本庭園は、旧原別荘(松籟荘)時代に作られた庭園をそのまま生かしている くちなしの花の実 梅の木の古木、カエデ 茶室と書院を渡り廊下で結ぶつくりで、茶室は京都にある裏千家の代表的な茶室を、 書院は表千家不審菴の「松風楼」を写している 庭先に咲く・・・・・ 庭園内には、松尾芭蕉や小林一茶の句碑があるが見つけることはできなかった コムラサキ(小紫)は紫式部を小さくしたものなのでこの名前になったとのこと。 小さいが、実のつきかたがいいので花屋さんでは紫式部より人気が高いと。 紫色の実の直径は3mmくらいでしょうか(旅友のブログから引用) 萩の花 竹林は修復中で、ここから水が湧き出るのか 手入れをされた松の木 お堀り越えに茶室 廻遊式の純日本庭園で、泉池・築山・石橋・梅林などが配されている 悠々と鯉が泳ぐ 学校帰りの子供も立ち寄り 大きな石灯籠が点在するが、これらは造園に際して原安三郎氏と親交のあった 政財界の人々から贈られたもの 築山の頂きには、奈良・薬師寺の三重塔を忠実に模した十分の一のサイズの小塔 築山の頂きに建つ三重塔 庭園の周囲に広がる松林とも巧みに調和が図られ、見事な景観を作り出している また、新春の梅、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の表情も豊かで、 市民の憩いの場として広く親しまれている 初めて松籟庵へ来たが、今後四季折々の光景、芭蕉&一茶の石碑も探してみたい 14:50 約20分の散策で松籟庵を出る 高砂緑地の駐車場近くにある「山田耕筰顕彰碑」 赤とんぼ作曲の街「晴朗な湘南茅ヶ崎の大氣」南湖の居にて 石碑の裏には、山田耕筰は茅ヶ崎に住み赤とんぼをはじめ数々の名曲を生んだと この後、結核病棟があった南湖院経由、台風24号の湘南海岸を散策して家路に 松籟荘ーEND
2018.10.10
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10/3(水)の午後、茅ヶ崎市美術館を始めて訪問した。茅ヶ崎市のタウンニュースで、市美術館で9/9(日) ~ 11/4(日)まで「原安三郎コレクション小原古邨(おはらこそん)展-花と鳥のエデン」がスタートしたことを知り訪問した。 インターネットで場所をチェック、自転車で向かう 高砂通りを海に向かい、市立図書館に隣接する 13:30 JR茅ヶ崎駅南口 雄三通り 高砂通りを海に向かう 狭い高砂通り 道が狭いので一方通行 市立図書館前の教会 市立図書館 高砂通りの案内 海に向かっていくと茅ヶ崎公園、茅ヶ崎球場がある 高砂緑地の歴史 名前の由来は、かってこの付近に砂山があって「高砂」と呼ばれていたこと、 この地は小字が「上高砂下」であったことによる。 明治30年代に、この地の一画に、新派劇の俳優で当時有名だった、川上音二郎・ 貞奴夫妻が別荘を設けた。市内の小和田に別荘を設けた、九代目市川團十郎を 慕ってのことと伝えられている。 大正8年(1919)に、音二郎の別荘地だったところを含めて、付近一帯を実業家 原安二郎が別荘とするために購入し、松籟荘(しょうらいそう)と名づけた 茅ヶ崎市は、松籟荘を昭和59年(1984)に購入し、同年高砂緑地として公園にした 茅ヶ崎美術館入口 係員がいて、無料駐車場があり10数台駐車できる 高砂緑地マップ 台風24号の影響で松葉が落ち清掃していた 高砂緑地の一画にある「川上音二郎別荘の井戸枠」 川上音二郎別荘の井戸枠 13:45 松林の中にある茅ヶ崎美術館 一階受付 開館時間:10:00 ~ 18:00(4 ~ 10月) 10:00 ~ 17:00(11 ~ 3月) 休館日 :月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館) 観覧料 :一般 700円 大学生 500円 市内在住の65歳以上は無料 美術館は、地下一階、一階、二階 小原古邨(おはらこそん)は、明治から昭和にかけて活躍した絵師。 季節の情感を含む美しい花鳥画は、特に海外で人気を博し、画家・クリムトも 愛したことで知られる。 一方、輸出用で出回ったことで、国内での知名度は高くなく、近年になって ようやく注目を集めている 今回の展示は、美術館が20周年を迎えたことを記念し実現、展示される小原古邨の 作品は世界初公開だと。 小原古邨こと小原又雄は明治10年(1877)、金沢に生まれた。花鳥画を得意とする 日本画家・鈴木華邨に師事した。 枝垂れ桜に雉 菜の花に揚羽蝶 雨中の公孫樹(いちょう)と柄長(えなが) 赤啄木鳥(あかげら) 酸実(ずみ)に緋連雀(ひれんじゃく) つがいの椋鳥(むくどり) 三日月に公孫樹(いちょう)と木菟(みみずく) 有明月(ありあけづき)に木菟(みみずく) 雪の柳に烏 尾白鷲 雪中の梅に緋連雀(ひれんじゃく) 鳥撮りで妻と野鳥を追いかけているが、見事に描写している 原安三郎と松籟荘 小原古邨の作品を保有していた原安三郎氏は、現在美術館が位置する高砂緑地に 別荘「松籟荘」を構えた実業家。美術品コレクターとしても知られ、没後は原氏が 発展に寄与した日本火薬株式会社がコレクションを管理している 松籟荘の模型 原安三郎は昭和6年(1931)に、現在の茅ヶ崎市美術館が位置する高砂緑地に 南欧風の別荘「松籟荘」を建設した。アール・デコ様式など原が好んだ意匠を 直接反映した貴重な別荘は、所有者が亡くなった2年後の昭和59年(1984)に 老朽化のため解体された 美術館二階にある、美術館カフェ「ル シュマン」 ドリンクは500円からで、ランチも可能 14:30 美術館を出る 前期・後期で全点入れ替えるので、再度後期の10/11 ~ 11/4に訪れたい。 前・後期に展示する合計240点の古邨作品に触れたい 高砂緑地内にある東屋 美術館-END
2018.10.09
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