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GW初日。先週末くらいに急に決定して、お正月以来ぶりに夫の両親のところへ行く。車で2時間だ。必死の覚悟で助手席に乗るあたし。運転嫌いだけどしかたなく運転席に乗るだぁりん。チャイルドシートに乗るとすぐに寝てしまうチビタ。三人三様の旅路である。行きはすごく順調で、発作も起こさずに無事に到着することができたので結構自信がついた。ま、ソラナックス一錠飲んだけどね。とにかく都心の渋滞さえなければ、結構平気なのかもしれない。今日は信じられないくらい、自分史上初、首都高が流れていたんだ。調子に乗ったあたしったら、勢い余って海にまで行ってしまった(笑)義父母の田舎暮らしの家からは車で10分足らずで海岸につく。あたしの育った湘南の海とも、今のお散歩コースの自宅近所の港周辺とも全然違う趣の海。チビタにとっては初めての砂浜体験だった。生まれて初めて裸足で砂浜に立つ。最初は物珍しいのか、おそるおそる歩き出し、足下だけをじっくり眺めながらてくてくと砂浜を歩くチビタ。あたしもサンダルを脱いで裸足で歩く。裸足で砂浜歩くのってとっても気持ちがいい。今日はすごくいい天気で、夏日になったので波打ち際まで行って足をつけてみた。・・・水、すんげー冷たかった・・・チビタ、波はイヤだったみたい。ダッコちゃんのごとく(古いなぁ・・・)しがみついて引きはがそうとしても足がまさにあのダッコちゃんの形なのだ(笑)引っぺがしてまた砂浜におろす。下ばっかり見て、風にあおられてよろけたりしてしょぼい顔になってる(笑)しかもチビタ、マイペースでのんきなわりに意外と神経質。たぶんあたしの潔癖性が遺伝してるんだと思うんだけど手や足に砂がついてるとすごくイヤみたい。(そういや、食事中にご飯粒ついたのも嫌がるからね)「んー!んー!」って砂のついた指を指しだして取ってくれ、っていう。はたいてやると気が済んでまた遊び始めるんだけど、またすぐ砂が気になって取ってくれ、って指を差し出す。義父が意地悪して足に砂をかけて埋めるとものすごい勢いで怒って足についた砂をとれ、とあたしに猛抗議をしてきたので、おかしかった。それでも海自体は印象的だったのか、「ぅみ、ぅみ」と何度も口にしていたし、ひろった貝殻も興味深げに味見していた。・・・汚いなぁ・・なめるなよ・・・
2005.04.29
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☆ツボ1☆ ぐるぐる ~(@∀@))~~自分でぐるぐる回って、目が回ってよれよれになる(笑)うひゃっひゃっひゃって笑いながらぐるぐる回りよろよろ~~って千鳥足になってゲラゲラ笑ってる。時々ひっくり返って頭ぶつけて泣く。それならやるなよーと思うが、やっぱりまたやる。☆ツボ2☆ しこ&すり足お相撲さんのしこのように、片足を高く上げておろしてどすどすと歩き回りながらげらげら笑ってる。かと思うと狂言師のごとく中腰になってすり足でずりずり~っと歩く。☆ツボ3☆ 霧吹き我が家のアイロン、スチームなしゆえに、霧吹きを使用するのだが、しまい忘れた霧吹きをひとしきりシューシューしてげらげら笑っている。部屋中あちこちぬれてフローリングは滑るわ、本がぐんにゃり曲がるわ、本人は服から髪からびしょびしょ。それでもなにが楽しいのかげらげら笑いながら水を吹いて回る。ちなみに、最近は後ろ向きも熱いらしく、実家の階段もバックであがって電気をつけ、そしてバックで最後まで登り切るという訳のわからない行動に出ている。ぼけ防止か?きっと生きてることが楽しくてしかたないんだろうねぇ。見てるだけでこっちまで思わず笑ってしまうが、実際なにが楽しいのやら皆目検討がつかない母なのである。
2005.04.25
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兼ねてから作ろう作ろうとしてチャンスを逃していた眼鏡を作った。10年も前につくったきりで、出産の時にきちんとつくりたかった。でも発作が酷くて全然病院にいけなかったので、いざ本番いきんでチビタが出てくるときにあんまりよく見えなくて、もったいないって思った。んでやっと今日めがね作りに行った。どうしてこの時期かってーと・・・顔のパーツの名前を覚え、目、鼻、口、耳、などと指さすチビタだが、だいたいにして力加減を知らないから、「メ」って言いながら目の中にぐりぐりと指をつっこんでくる。これがすんげー痛い。そしてめがねかけてると「メ!メ!」と言ってめがねをむしり取る。そう。そしてチビタの餌食になっためがねは、小さな指紋と涎にまみれ、まるで中高年のオッサンの油まみれのレンズのごとく濁って汚くなってしまうのだ。ただでさえ古いめがねのレンズは劣化して茶色っぽく変色している。当時のはやりだったフレームレスのめがねだから、レンズとツル部分の接合ポイントが華奢にできていて、あらっぽく扱うチビタの手によってレンズに留めてあるネジがずれ、レンズが少し欠けてしまった。かけるとまるで右があがって左が下がってさらに鼻めがねのようにずり落ちてしまう。汚れたレンズにくわえてこの有様。まるでコントの小道具だ。そんなわけでやっとあたらしいめがね買いました!やったーー!っていっても、あまりに目の悪いあたしのめがねはレンズも分厚くまたレンズ部分とフレームの外側の視野があまりにも違いすぎて恐ろしくて外にはかけて歩けないんだけどね。だって、まるで薄暗い舞台にピンスポット当たって、そこしか見えないっていう感じなんだもの。それに頭痛持ちだから、ずっとめがねかけてるとそれだけで頭が痛くなって来ちゃうの。だから花粉症のこの時期ですら目が痒いのを必死に耐えつつコンタクトを利用。夜コンタクト外して眠るまでの間だけ活躍してくれる。それでも新しいものってのはうれしいもんです。ふふふ。
2005.04.24
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生理痛がひどいです・・・・出産すると生理が軽くなり、生理痛もなくなった、ときくことが多いですがあたしの場合は全然変わりません。乳やってるので薬も飲みたくないしかなり苦痛です。むむぅ・・・
2005.04.20
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芸能人ママって産後も体型も変わらず綺麗に復帰するよね。あれってやっぱりお金だよなぁ。子供を面倒みてくれる人がいてお金掛けてジムやエステに通って。実際庶民(中流以下な我が家)はエステもジムも無理だし。綺麗なママでいるためにいろいろやってらっしゃる方も多いみたいだけれど、あたしったら何もしていない。高い化粧品やサプリメントなんて買えないし洋服だってそうそう自分のものなんて買えないし。働いていて自分の収入があれば少し自分に投資してあげられるけど専業主婦だったらなかなかそんなわけにいかないんだもん。と、つらつらと言い訳をしておりますが、一つだけ頑張ってること。それは「毎日化粧をする」です。些細なこと、と思われるかも知れないけれど、働いていた頃は当たり前のことだったけれど、出かける予定もなく、ただ子供と接するだけの毎日に化粧をするのは面倒なのです。ホントはきちんと睡眠を取って、美味しいものを食べて穏やかな気持ちで過ごし内側から磨くのも大事。でもなかなかあわただしい毎日の生活。夜泣きにつきあったり遊び食べにつきあってちゃちゃっと簡単にしか自分のご飯はできなかったり、夜中にやけ食いしたり、いつもイライラせかせか。が、それでも必ず化粧をする。完璧にしなくてもいいのです。ただ、自分の顔をきちんとカガミでみて、お肌の手入れをして日焼け止めと簡単なポイントメイクをする。それだけでも気持ちが違う気がするの。安化粧品も、コンビニコスメでもいいから。あたしが気を付けてるのはそれだけ。あ、あと一応はやりものはチェック。買えなくても知識だけね。だぁりんは「化粧品と洋服代はある程度仕方ない。綺麗でいてもらわないと。」と言ってくれます。が、そんなにゆとりのある家計ではないのです(涙)
2005.04.20
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体調が悪い時に必ず見る夢ってない?あたしは2つあるのです。その一 ~前世は魔女編~あたしは魔女狩りにあって、火あぶりにされる。火あぶりの刑場となる磔台は丸い大きな深い穴のちょうど真ん中に地下からそびえる円柱が立っており、そこまでは平均台のような同じく地下からそそり立つ細い道を通っていく。道を通りながら下をのぞき込むとマグマが渦巻いていて前を歩いている人、後ろから来る人がその熱風でマグマに吸い込まれ、一瞬炎を上げてすぐに溶けてしまう。あたしは無事(?)磔台まで到着し、台にはり付けられる。そして火に掛けられ、高笑いをするのだ。そこで目覚める。その二 ~CUBE編~なぜか四角い狭い部屋に閉じこめられている。そこは迷路になっていて、出ることができない。かといって、別に何も怖いことはなく、只ひたすら迷路から抜け出そうと一生懸命。どっちかっていうとアスレチック的な行程を経て結局出られた試しはない。映画でCUBEってやったけど、子供の頃から見る夢だから影響を受けているとは思えない。このどちらも、体調の悪い時に見る。小さい頃は意識したことはないんだけれど、どうも体調に関連してる、と10年ほど前に気づいた。一は風邪などの時、そして二は精神的にめいってる時。・・・まんまじゃんね。ちなみに、夢ってカラーな人と白黒の人といるようですがあたしはカラーな上、嗅覚、触覚、視覚、味覚、すべてあり。ご飯食べたりおしっこしたり、セックスしたりもします。空も飛びます。海の上も歩けます。水中呼吸できます。殺されることもありますが、夢だと自覚しています。いいところで目が覚めた時は、その後続きも見ることできます。イヤな夢のときは、高いところから飛び降りると大抵目が覚めます。夢だという自覚があるので、簡単に悪夢から覚めます。ちなみに、だぁりん、夢を覚えていない人です。黒柳徹子さんは、今までの人生で数えるほどしか見たことがないそうです。いろんな人いるのねー。
2005.04.12
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ところで、あんなことがあっても母は全然悪びれず、「いつ来る?」ですと。あたしがあれだけ傷ついて打ちのめされて傷口に塩擦り込んでハイヒールで踏みにじられたほど辛かったのに、これっぽっちも自覚がないのです。いつもの兄弟げんかとちょっとした家族のもめ事程度。(無意識、これ、致命的ね。)実は今月中はだぁりんがずっと出張で帰ってこれないので、また実家です。親とケンカしてイライラして気が狂うになるのと、ひとりぼっち+子供で気が狂うのとどっちが安全かと天秤にかけ、いざとなっても子供押しつけて気が狂っていられる実家を選びました。前途多難・・・だぁりんは今までは体調の悪いのを心配して、実家にいると安心してたみたい。でもこれほどこじれてる家族関係だとは思っていなかったから、今回のことがあってから、実家に行くことも別の意味で心配になったようです。置いて行く身も辛いのだ、と改めて思ったのでした。感情を捨てて割り切って親を『利用』しようと思ってます!
2005.04.11
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よく食べながら子供が器に顔つっこみそうになってうとうとして、それでもまだ食べようとして・・っていう投稿ビデオあるじゃん。あれ、初めて見ました(爆!!!しかも目の前で。いつもならぐずりながらなんとか10~30分程度ウトウトしたりすることが多い。昼寝ってレベルじゃないけど。でも今日はそのウトウトすらなかったので、ひたすら眠そうでごしごし目をこすったり、足下がおぼつかなくなったりしてた。とっととご飯食べさせて寝かせるか、なんなら風呂はいいやって大人のご飯作ってる間にだぁりんに食べさせてもらってた。だぁりんが「かおりん、こいつ、ヤバイ!首折れる!」っていうからなにが起きたのかと思ったら・・・チビタ、ベビーチェアの背にぐったりもたれてのけぞって首がぐらんぐらんしてる(爆!!!口がぽかんと開いて「ぁぇぇ~~」かすかな泣き声。目は白目。動画撮りたかったけど、あたしに気づいた瞬間チビタ我に返る。「ふぇぇぇ~~~」って泣き声すらへなちょこな様子ですかさずだぁりんが口元に運んだスプーンを見てるような、見てないような、まるで焦点の合わない目。目、すわってます。んでもってあたしに抱きついてこようとして手を伸ばしたまままたベビーチェアのガードにがくっと突っ伏してぐったり (笑)とりあえず抱き上げてそのまま寝かしつけた。リビングで20分程度寝かして、その間だぁりんとご飯を食べた。こんなに静かなご飯を最後に食べたのはいつだろう、と思い出せないほどいつもはチビタが大騒ぎなの。
2005.04.08
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ここんとこ陰気くさいことばっか書き殴っていたので自分でもいやになりました。人生開き直りも肝心です。そんなわけで、最近の癒し系を(笑)チビタの寝顔です。うつぶせ寝のチビタはびっくりするほどつぶれた不細工な顔で寝てるのです。しかも寝相はとんでもなく悪い。っていうか、ありえない形!普通どっか折れますって。ヨガの荒行?↓しかし寝付きが悪く、今日も寝かしつけに1時間半!眠いのに、ぐずぐず言いながら眠くてよれよれなのに起きあがりそして倒れ、眠りかけてるのに必死に睡魔と闘って目を開こうとする。そして独り言をぶつぶつと。呪文?最後の最後まで必死に睡魔と闘うキミの雄志は母が見届けたぞ!っていうか眠いなら寝てください。誰もとめません。眠いなら泣いてないで黙って寝ればいいのにさ。今だけなんだぞ!眠いときに寝ても許されるのは!あたしはもっと眠いんじゃ!でも寝た後が笑えるので、ほのぼのと癒されます。苦労が報われたってかんじで(笑)クラウチングスタート?↓足、でかいですが、これでもまだ1歳4ヶ月です。むむぅ・・足の太い犬はでかくなるといいますが、人間も??ま、とにかくこの不細工な寝姿を見るにつけ幸せとあくびを噛みしめる昨今のかおりんなのであります。
2005.04.07
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親とのもめ事があっても、あんな情けない姿を見ても、「俺も悔しい。納得がいかない。俺はお前の味方だ。」って言ってくれただぁりん。・・・でも切ないよね。どんなときでも、親は弟だけを擁護してあたしの味方は誰もいなかった。それで家族ごっこしていた。仮面家族だったんだよね。いつも、愛されずに生まれてきたと思ってきた。愛されていないと思いながら生きてきた。愛されたい、と思う気持ちは反発心になり、外へ向かう。今、だぁりんがいる。チビタがいる。あたしたちが3人家族だから他の家族はいなくてもいいのだ。○○家には、あたしの居場所はない。ずっとなかった。この世の中のどこにもなかった。あたしはだぁと結婚して初めて、自分の居場所を見つけてチビタが生まれてやっと、ホントの家族になれたんだ。いいじゃん。親に愛されてなくても。あたしは夫を愛していて、子供を愛している。だぁりんはあたしを愛してくれてて、チビタもたぶん(笑)だからもう、親に愛されてなくても、認めてもらえなくてもそんなことどうでもいい。疑うことなく、愛されていると実感を持ってチビタが生きていけるよう愛情を惜しみなく注ごう。少しでも不安に感じることはないように。けどね、きちんと愛されたことないあたしが、ホントにチビタを愛せる?正しく愛せる?反動で愛しすぎてダメにしちゃったりするのも怖い。子育てって、怖い。とても難しい。子供産んで思ったのは、生まれた子は無条件にかわいいってこと。でも母はどうだったんだろう。もしかしたら、愛し方がわからないっていうのは、愛情の示し方がわからなかったのかもしれない。そしてあたしでの失敗を教訓に、弟を育てたのかもしれない(笑)ま、いっか。いくら親兄弟と不仲でも、チビタから祖父母を奪う権利はないし距離を保ちつつ、感情を殺して淡々とつきあえばいいのだ。母と不仲だった亡き祖父と継母である祖母も、あたしにはいいおじいちゃんおばあちゃんだったもの。今、あたしはここにいて、ここはあたしの居場所だから、もう居候じゃない。
2005.04.06
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あたしの一番最初の記憶は3歳。弟が生まれた朝。2月の大雪の日、病院の冷たい廊下に独りで座っている。生まれてしばらく体の弱かった弟は入院が続いた。母は付き添い、父は出張がちでほとんど留守。あたしはいつもどこかに預けられていた。よその家。両親との距離。甘えたくても甘えられない。『人間は孤独だ。強い大人にならなければいけない。』それが3歳のあたしが身に着けた最初の哲学だった。そして小5くらいのときかな、母に「私は親の束縛から逃れるために東京で結婚した。継母に育てられて歪んだ人間だから、本当の親子ってなんだかわからない。どうやって愛していいかわからない。」って言われたの。そんなこと言われても・・・小5だよ。そのときにね、思ったんだ。「愛のない結婚で、やむを得なく産んだ子で、愛されてないんだなぁ、あたしは。」って。実際母子手帳みたいののメモに、「妊娠がわかって、これで孫はまだか、と言われずに済むのでほっとした」と書かれていた。うれしくはなかったんだな。ただ、孫って言われる重圧から逃れるために子供産んだ。それがあたし。そこから今のあたしの性格が出来上がったんだろうと思う。小さい頃から甘えるのが下手だった。勝気で、ケンカも男の子にでも負けるのはイヤだった。辛いことも辛いと言えず、悲しいときも悲しいと言えず人前で泣いたことはなかった。どんなときも明るく強気な自分を演じているうちにホントの自分の感情ってイマイチわかんなくなっていた。親に甘えることもできなくて、相談もできなくて、いつも自分で決断してから事後報告する子だった。 弟はその反対で、なんのわだかまりもないから屈託なく親に甘えて頼ってそれが当たり前と思ってる子だったから親からしてみたらそういう子の方がかわいかったんだろうね。生まれたときに死にかけたから、親もかわいくて仕方ない様子だったしね。見た目もすごくかわいかったのよ。 あたしはいつも3人家族+居候っていう気分で暮らしてたの。だから愛情は外に求めてた。彼氏とか、友達とか。そうなるとますます親とは距離ができて、親の嫌がる男と敢えてつきあったりしてますますダメになっていった。親とはもうやり直しがきかないし、弟とも気が合わない。でも結婚して別々に暮らしてればそれなりに物理的距離があることによって大人対大人っていうごく親しい他人、みたいに割り切ってつきあってきた。結婚して半年で大発作で倒れたとき、夫は出張だった。他に頼る人が思いつかなかった。母に電話をした。実は覚えていない。電話したこともよく覚えていない。息も絶え絶えだった発作中のあたしの声を聞いて、すぐに両親が家に来てくれた。ドアを開けて両親の姿を見たとき、あたしは覚えている限り生まれて初めて親の前で涙を流した。その涙から少しだけ親に頼ることができるようになった気がしていた。母とは女性として大人としていい関係になれているつもりになっていた。病気で辛いときには頼ることもできるようになった。不思議なことだけれど、この年になってやっと親子としてまともに母と向かい合えた気がしていたんだ。でも、違っていた。 今回弟が実家に戻ってきていて、そして父方の祖母が越冬(笑)にきていて、だからあたしとだぁりんとチビタも実家に遊びに行ったのね。ところがそこで、弟が酔った勢いで酷い言葉を吐いたの。「病気病気って、不健康自慢はうんざりなんだよ!」で、泊まる予定だったのに「むかつくから俺は帰る」って核弾頭落として自分は基地に戻ったのよ(笑) あたしさ、弟に病気の話をしたことはないの。PDだとは話したけど辛いとか愚痴とか言ったつもりないのね。きっと母が弟に話していたと思う。「いつも体調が悪いって愚痴ばかりこぼす」みたいな。愚痴こぼしたりできるのも、甘えの一種だと思ってたから「体調はどうなの?」って聞かれれば素直に「今日は頭痛。」「吐き気が・・・」とか言ってただけなのね。外食誘われたって、旅行誘われたって、いけなくて当たり前だしさ。 別に病気のことを理解しろとは言わない。無理だから。だけど「病気じゃなくたって辛い人はたくさんいる」とか言われちゃうとさ、「なら貴様がなってみろ、おらぁ!」「死の恐怖を味わって見ろ、この野郎!」ってなるじゃない?理解できないなら思いやりだけでも持て、と思うの。病気理由に責めるのは勘弁してくれと思うのよね。慰めも同情もいらないから黙っててくれって思うの。あたしも売り言葉に買い言葉でなんか口走ったのよね。 実際祖母はすごく愚痴っぽい人で、病気でもないのに「いいえ、あたしは体調が悪い」っていって、今日はここが悪い、今日はあそこが悪い、もういつ死ぬか・・・って毎日毎日口開けば不健康であることを一日中愚痴ってるの。医者からみても不必要な薬を無理矢理出させてるのね。でもなんの病気でもなく、誰から見ても食欲もあって色つやもよく元気なの。調子が悪い内容をきけば、そりゃ年取ってるからでしょってことばっかりなわけよ。86にもなりゃね。だけど本人は年取ってることが認められないのか、どうしてもあそこが悪い、ここが悪いって。ちやほやされたい人なの。弟は出張で数日滞在してる間中それを聞かされて、うんざりしてたところへあたしが行って、祖母に当てつけであたしのことを「不健康自慢もいい加減にしろ」って言ったわけ。でもあたしはホントに病気で、体調のいい時を探す方が難しいわけだし、それでも誤魔化し誤魔化し生きてる。なのにホントにただ愚痴こぼしてるだけの祖母と一緒扱いされて、すごく不愉快だったのね。 それで兄弟げんかになったわけなんだけど、弟が帰った後、両親は一切あたしのフォローはなし。弟をかばう言葉ばかりだったの。「いつも遠慮してる」とか「お姉さんも旅行誘いたいけど無理だよね、って心配してる優しい子だ」とか。あたしの知らないところで優しいこと言ってても全然伝わってませんって。挙げ句、「こんなに協力してて気に入らないならあんたたち夫婦だけで勝手にやって行きなさいよ」的な言葉を吐かれて、(このときはもうだぁりんは出張のため移動してあたしだけ実家にいたんだけど)思わずそのまま飛び出しそうになった。親兄弟の縁切ってもらって結構!って思ったのね。 親兄弟って、いればいいってもんじゃない。実の親兄弟でも憎み合ったり愛せなかったりもする。血がつながってなくてもいい関係を築けることもある。それって、血縁とは全然別のところにあるものなんだな。育ててもらった恩もあるし、今でも結局いろいろ協力してもらわないと、だぁりん出張ばっかりだし、他人に話して協力してもらえる環境にはないし、縁切れない。それがもどかしい。改めて病気を恨んだよ。自分を呪ったよ。あたしたちは病気と闘うと同時に、偏見とも闘ってる。そういうのがメンタル系の病気の辛さを倍増させるよね。血が流れてれば、手術の跡があれば、傷が目に見えれば単純に「病気」扱いしてもらえるけど、あたしたちは違う。気の持ちよう、とか、頑張って、とか言われちゃう。挙げ句の果てには「精神科に通うキチガイ」扱い。友達だって厳選された人だけになっちゃうよね。ウツとかパニックとか言っただけで去っていく人もいるよね。 今回のことで、改めて「親に愛されてない自分」に気づかされて、見て見ぬふりしてたっていうか、あきらめてたっていうか、いろんな意味で「脇に置いといた」感情を目の前に放り出された。割り切って、割とうまくやれてたと思ってただけに改めて3人家族+居候だった自分を、夫の前でさらけ出されて屈辱だった。だぁりんもあきれてたよ。「弟君の擁護しかしないんだね。」って。両親はいつも弟を過大評価して、あたしは褒められたこと一度もないよ。ま、褒められるようなこともしてないけどさ。でもだぁりんは「弟だけを擁護するのはおかしい。病気で苦しんでるお前に対してのあの言葉は許せないよ。」って言ってくれて、「俺は絶対味方だ。」って言ってくれたのだけが救いだった。そんな風に愛されてないと思って育ってきたあたしは子供を持つことが怖かった。結婚するのもイヤだった。自分も歪んだ親に育てられ、歪んだ人間に育ち、自分も歪んでてそれをまた子供に与えちゃうって思って。だから結婚することで、子供を産むことで、人を不幸にするのはやめようと思っていたの。結局結婚はしたけど、PD悪化して、子供なんてあり得ないって状況に追い込まれたし、ホントに子供を産んで育てる責任の重圧、というか、恐ろしさを感じていたから、子供の話は避けてたのね。でも避けられなくなって、結局子供が欲しいっていう夫の気持ちと、最後のチャンスだろう、ということとこの人の子供なら、この人ならちゃんと父親として子供に接してくれるだろうと思えたから決断したの。でもいまだに、自分自身がちゃんと子供を愛してあげられてるか子供が歪まずにきちんと育ってくれるか、あたしの二の舞にさせてしまわないか、と不安で仕方ないときがある。みすみす不幸にするために子供産んだんじゃないかって思って、懺悔の気持ちになることもあるの。それでも産んだ責任があるから、投げ出したり逃げ出したりしないで病気抱えてでもやり遂げる決意だけど。そんなこんなで、一番身近でありながら、一番遠い存在である両親と弟への感情をすぱっと断ち切って生きていこう、しかし病気で辛いときにはボランティアとして多少は利用させてもらおう、と気持ちの切り替えをしようとしている最中なんだけれど、まだまだ、立ち直れてない自分がいます。読んでくれてありがとう。少しずつだけど、親のこと、ありのまま受け止めてつきあっていく強さを身につけていこうと思います。チビタは一人っ子でいいって、改めて夫と話した。平等に愛せないでどちらかに寂しい思いをさせるなら1人だけ大事に育てていこうね。って。確かに上の子は寂しい思いするのは宿命。でもあきらかに愛されてる実感を持てずに生きてきたあたしはなんなんだろうね。これからも一生、3人家族+嫁に行った人、だわ。ちなみに、母の最初の記憶は、「自分の母親が火葬場で燃やされている煙」だそうです。(苦笑)だめだこりゃ。
2005.04.05
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