全16件 (16件中 1-16件目)
1
積年の混乱に嫌気がさして、教団から離脱する教会がホーリネスの群傘下の教会からも起こってくる。今考えると、この教団離脱は2通りのタイプがあった。第1次離脱は、とにかく教団を離れることを至上とする牧師結果的に教会が2つに分かれる。次のタイプは、教会をまとめあげる努力の末に決断に持って行く。淀橋教会、浅草橋教会は第2のタイプをとった。ホーリネスの群の半数の牧師たちは、教団から出て行った牧師やその教会が、そこにいることを潔しとしなかった。ある年のホーリネスの群の総会で、教団から出た牧師とその教会を切り離す決議がおこなわれた。ボクの記憶では、2~3票の差で切り離し決議が成立。泣いた牧師もいた。主よ、託された信徒の皆さんを迷わせてごめんなさい。さて聖書を読み返しましょう。
2018年07月31日
コメント(4)
どんどん忘れるので、覚えている分を書いておく。あまり興味もないかも?ボクが東京聖書学校を卒業する時分は、日本キリスト教団の教師検定試験は行われなかった。実施しようとしても、問題提起者たちが妨害する。なされるままだったひ弱さは、日本のキリスト教。そこで、当時の教団=教師検定委員会は問題提起者たちと話し合い、妥協点を見いだす。何とか教師検定試験を実施したい一心だったのだろう。その妥協点とは1,教師検定試験を、日本キリスト教団教憲教規にのっとり実施する。2,ただし、イエスをキリストと告白できない人も、日本キリスト教団の教師として働きたいと望む者には、教師として迎える。それで教師検定試験実施に漕ぎつけたのだった。ボクたちはその試験を受けなかった。そんなふうにしてまで、試験を実施することは、キリスト教会の破綻に見えた。さて、もうこれは40年以上も前のお話だったのだ。今は、上の「第2番目の基準」は、なくなっていますよね?とっくのとうに、なくなっていますよね?しかし待てよ?ゆるいキリスト教やさしいキリスト教 の走りだったのかも?
2018年07月30日
コメント(1)
(記憶が頼り。間違いがあるかもしれません)東京教区総会だったか、東京東支区総会だったか問題提起者が粉砕しに来た。ヘルメットと竹竿を手にして。当時ボクがお勤めしていた教会の信徒さんは総会を守ろうとバリケードを築いたが、竹竿で殴られたと言っていた。それ以来、長い長い間、総会は開かれないままだった。当時の東京聖書学校の講師もなさっていた東京神学大学教授・故北森嘉藏先生も問題提起者に殴られている。淀橋教会の礼拝にも問題提起者が押しかけた。牧師だった小原十三司先生が「わたしの教会から出て行って頂きたい」というと「わたしの教会とはなんだ」と胸ぐらをつかまれた、と。キリスト教があまりにも魅力がなかったんだ。
2018年07月28日
コメント(2)
大切な友だちが亡くなっていたことがわかった。そうだったのあれ以来、もう7年間も会っていなかったけれどいつかお訪ねしたいと思っていた。病気とは伺っていた。ボクがfacebookをやっていた頃でも1年くらい前にFacebookをやめて以来何もわからなかった。まさか、そんなに進んでいたなんて想像できなかった。一緒に祈ってあげられなくてごめん。家族とそちらの群の皆さんに祈られて静かに主の御元に旅立ったのだね。あなたとの交わりは、それは楽しかった。ボクの息子が逝った時にはいち早くコメントをくれたね。「おぅ先生、もう来たのか」きっと息子がそんなふうにあなたを歓迎している。世話になったね。ボクが息子に手が届かなかったときあなたはボクの代わりに一番たいへんだった時に息子と一緒にいてくださったんだね、ほんとうにありがとう。耳を澄ませばあなたと息子の合奏が響いてくる。栄光は主にあれ!!!
2018年07月27日
コメント(2)
日本キリスト教団に問題提起者が現れたのは大学紛争が下火になった頃だった。それは良き時代でもあった。大学紛争懐かしい思い出銀座の大通りいっぱいに練り歩くデモ隊先頭はヘルメット、マスク姿の過激な連中で後尾は「ベ平連」などの叫び歩くだけの人たちそれでも角材で歩道の敷石を打ち砕いてバケツリレー式で前に送っていく。先頭で受け取ると機動隊に向かって投げつけるのだ。時々、機動隊がわっと攻勢をかけてくると隊列は乱れて逃げるが運悪く捕まえられた者は、機動隊から殴る蹴るの暴行を受けたりする。そんなのんびりした時代だったのだ。
2018年07月26日
コメント(7)
過去を振り返ることはわが身の恥を振り返ることになる否応なく、追いかけてくるときもあるしっかりと向き合わおうそこにも恵みがあるかもしれない
2018年07月24日
コメント(0)
ある国のある刑務所にコーラス・グループを作ったという。受刑者の顔が輝き始めた。皆、模範囚になった。刑期を終え、社会に復帰しても戻ってくる人は、いなかったという。合唱の力はすごい。斉唱ではだめだそうだ。以上のお話は、ブルーノ・ワルター著「音楽の道徳的ちからについて」から。ワルターの人格がにじみ出ている。彼の創る音楽も同じだ。
2018年07月23日
コメント(3)
召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。 ペトロの手紙1 1:15~16今日の礼拝は3人で守った。主の聖臨在の中で。その中で、きよめの恵みを一生懸命に語った。聖なる生活は形ではなく、心。罪に染まったわが心を悲しみキリストの血潮によってあがなわれ身も心もキリストのご所有とされることを喜ぶ。そこから始まる日々に、にじみ出てくるものそれが聖化の生活と。
2018年07月22日
コメント(1)
生涯の終わりの日が備えられていること厳かなこと生涯の終わりの日を通り抜ければ天の門に至るその日その時悲しみや苦悶の日にならないだろうか?生涯の最良の日にできるだろうか?愛する者(たち)に看取られることを期待するよりもただ一人の目に見えないかたが来られてボクの前に立ってほしいそのかたがボクの後の戸を閉ざして輝く天の門を仰がせてほしい
2018年07月21日
コメント(2)
今朝読んだ聖書~テトスへの手紙「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。」2章2節年老いた男への勧め、つまりボクへのお言葉だ!バランス、成熟が求められているのだ。これが難しい。若い頃からの座右の書「新約聖書略解」を参照してみると「<老人>は身体のみならず精神も衰えてくるので自制力を失い、気短となり投げやりとなりやすい。」(松村克己)とズバリ指摘されている。思い当たるフシがあるような、ないような・・・・天を仰いで助けを仰ぐ、それしかない。
2018年07月20日
コメント(4)
この度の、西日本豪雨禍からの復興のために廃棄物運搬トラックの出動を要請いたします。どうぞ全国津々浦々からぞくぞくと差し向けてください。そして災害廃棄物を次々とお持ち帰りくださり貴社の施設にて処理をお願いします。どうぞどうぞよろしくお願いします。
2018年07月19日
コメント(2)
今日読んだ聖書は、「テモテの手紙1」「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。」1章12節最近この聖句をよく思い出す。何度読んでも、励ましと慰めを与えられる聖句だ。約50年前、献身のため聖書学校に入学するときに、恩師が書いてくださった聖句だ。ボクをよく見ていてくださっていたのだ。こんな的確な聖句はほかに見当たらないくらいだ。
2018年07月18日
コメント(0)
ボクが笑うとキミも笑うボクが怒るとキミも怒るキミはボクの木霊のようだ
2018年07月17日
コメント(0)
秋になれば、70歳にたどり着く。60代と70代とは、イメージが違う。ボクの心の中では「7」は、堂々としている。高校生のとき見つけた、細く狭い道を一生懸命に歩み続けて。天の御国の門口が見えた。だんだん だんだん 手が届いてタッチの瞬間が近づいてくる。
2018年07月09日
コメント(4)
そのときは、棺の中に横たわっているわが子を見ているだけだった。安らかに寝ているようにも見えた。「父さん、さあ俺を呼び覚ましてくれよ。命に返してくれよ」もしかしたら、そんなふうに横たわっていたのかもしれない。ラザロを呼び覚ましたイエスのように命に帰るように、命令しなければならなかったのかもしれない。天に帰り彼に会えたならそのことをまず謝らなくては。イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。ヨハネによる福音書11章より
2018年07月06日
コメント(2)
日曜日午後、CGNテレビを見ていたら、お目にかかったことがあるような女性が出ていた。「本の旅」という番組で、辻哲子先生が出ていて、インタビューに答えておられた。辻哲子先生って、静岡草深におられた?じっと耳を傾けていると、やはりそうだった。突然、過去が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。同じ教区の教会に着任したとき、辻哲子先生のご主人が教区長をしておられてボクは妻を連れてご挨拶に伺ったこと。奥様はたしか紅茶を出して、もてなしてくださった。ボクたちがまだ30歳になるかならないかの頃だった。今から40年前!辻哲子先生のお話は、味わい深いものだった。ああ、あの御主人にしてこの奥様か。もっと驚いたことは、引退なさった今、千葉のアライアンス教会に出席しておられるとのこと。
2018年07月01日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


![]()