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<おおつごもり>午前中は通常のように、妻と2人で家庭礼拝午後は妻と食材の買い出しへ。全品1割引ということで多めに買い込み、7533円也帰ってから近くの珈琲店へ歩く。正月訪問する親族の手土産に。買い置きしていたズボンの裾上げをする。お店に頼みに行こうと思っていたが、1000円ほどかかると知り自分ですることにした。インターネットに、裾上げ方法が載っていた。夜はソバをゆでる。「除夜祈とう会をしましょう?」と妻に誘われる。7時過ぎに始め賛美を歌い、祈る。子供たち、孫たち、嫁親族のために、属している教団の全教会のために祈った。(朝も祈ったけど・・)途中、休憩を入れて、9時過ぎまで歌い続け、祈り続けた。何曲歌った数え切れない。
2018年12月31日
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気丈にも母は寒風突き刺して一人で礼拝に来ようとする。養護老人ホーム至近のバス停から乗り東武野田線に移り、柏で船橋行きに乗り換え六実駅で下車駅ではボクの弟が待っている。そう繰り返して7年半に及ぶ。きっとこれからも、そうしたいと心に決めているのだ。年月は過ぎ去り母は満90歳を超えた。ボクはやっと気づいた。もはや、一人で来させてはいけない。たとえ大丈夫だとしても。今朝は車で園まで迎えに出て母を乗せると「一人で行けるのに。大丈夫なのに。車は嫌い。」と繰り返す。「あんた運転上手になったわね」しまいには、お褒めに与り苦笑。母は年末の礼拝出席を真から喜び御言葉を聞けて良かった、と。そして、帰りは絶対大丈夫よ、とついに一人で帰って行った。あぁ、しまった、一人で帰すのではなかった、と悔やんだ。この後悔をもって2018年の礼拝を〆める。主よお赦しください。
2018年12月30日
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子供のけんかはぽん とぶつとぽん と少し多めに返すぽん とも少し多めに返すぽん とまた・・・オカーサン!わっと泣き出すか大げんかになるかおー 恥ずかし
2018年12月28日
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わが家のクリスマスの集いは一度だけだったのでクリスマスはCGNキリスト教テレビ放送を見て過ごした。クリスマス特別番組が盛られた。昨年放映したアメリカ映画を再放送してくださり昨年と同じように涙を流した。韓国の芸能人や音楽家が集まったクリスマスコンサートを映した。韓国のキリスト教は衰退しているというがまだまだ健在だと思った。本物のキリスト者はちゃんと残っているのだ。CGNの衛星電波は韓国から来ているから、本当に韓国のキリスト教が衰退したならCGNも無くなるのだと思う。どんなに大きな負担をしてくださっているか、想像もつかない。韓国のキリスト教のために、祈らなければと改めて思った。
2018年12月26日
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キリスト様が地上に足跡を記されたクリスマスみどりごの尊いおからだがかいばおけに寝かされた始め夜なべの羊飼いたちが、駆け込んできたクリスマスな~に? ボクたちの救い主がお生まれだって?そう、きみたちの。ボクたちの。学者たちも、うやうやしく訪れ最初のプレゼントをささげていったすごい すごいこうしちゃおれぬ とこの一年お祈りありがとうおかげさまで、神様のみ助けを受けて過ごしました。ありがとう!!ちいさいけれど豊かなクリスマスを過ごしました。写真の上はクリスマスのお便り。下は、息子が一時帰宅するというので二戸教会の人たちが、リースを作って持たせてくださったものだいぶ枯れましたので、クリスマスに妻が手を加え、よみがえったリースです。良いお年をお迎えください。
2018年12月25日
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この歳になるまで、クリスマスイブは、クリスマスの前夜祭と思っていた。辞書にもそう書いてある。しかし正確にはクリスマス・イブChristmas eveningとは、「クリスマスの夜」ですと。たしかにユダヤの考え方では、一日は日没から始まり、日没に終わると教えられているが。創世記1章5節「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」夕べから数えられているよ。そうすると、Christmas eveは、前夜祭ではなく、クリスマスの夜となる。70歳まで、主のお生まれの夜を勘違いしていたなんて!
2018年12月24日
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妻が毎日の散歩の折、お誘いしていた2人の女性がお出くださった。レギュラーメンバー4人と併せて6人でのクリスマス礼拝。一人のかたは、去年に続いて2回目もう一人のかたは、キリスト教の集まりは初めてという。礼拝の中で、クリスマスカロルお国巡りをする。クリスマスの賛美歌はどれも皆、歌詞もメロディも美しい。「いけるものすべて」ギリシャ「もろびとこぞりて」イギリス「羊は眠れり」日本「きよしこの夜」ドイツ「荒野のはてに」フランスボクたちの家庭集会のクリスマスの集いは一度だけ
2018年12月23日
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人から承認されたい人から誉められたい足かせのように、じゃらじゃら引きずって何度も邪魔されてきたボクの人生幼い頃に培われて生涯戦う相手となる高校時代「承認欲」と無縁の友がいたその時の驚きを今でも覚えている自然な振る舞い清楚とはこれかそのいかつい風貌とは別妻にもないわが子たちにもないそれなしに涼しい顔をしているのが不思議持たずして当たり前のような顔をしているのが不思議
2018年12月22日
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散歩~日差しのあるところを行ったり来たりしている。時々,見かけるお髭のご老人は止まって日向ぼっこ。声をかけると、お話好きなかただった。切れ目なく、とうとう半生記を聞いた。ボクの年を70歳と聞くと、驚かれた。「若い」というのだ。彼にすると、70歳なんて青年だよ、とばかり。ずいぶん歳をとったと思ったが。「あなたどんなお仕事してた?」「牧師ですよ。ほら、あそこを左に曲がったところにある・・・」突然、彼は満面の笑顔をみせ、ボクの手を両手で取り「いつも散歩をしている婦人、あのご主人?よく話しますよ。」クリスマス礼拝のご案内をしてお別れ
2018年12月21日
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師走も後半に折り返し妻と大型スーパーに行く。普段はだいたい週に一度、近所の小型スーパーで済ませるが半年に一度くらいのペースで、大型に行く。孫にクリスマス・プレゼントの図書カード自分たちのために、冬向けの下着類や靴下食材や市のゴミ袋、トイレットペーパー髪用のリンスで代用していた柔軟剤も買う。食材はさっそく夕餉のテーブルに載った!
2018年12月17日
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2018年12月15日
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火事のニュースがまたあった。焼け落ちた家屋の映像を見て妻と身震いする。冬は火事が多い。それは注意はしているが注意しきれないこともある。「お守りください」と祈るほかはない。火事ばかりない危険を考えたら切りもなく浮かんできて今日まで無事に来られたことが幸運に思えてくる。「主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。」 聖書・詩編121
2018年12月14日
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学生クリスマスに行きがけに、お茶の水に寄り、「聖書協会共同訳聖書」を買った。12月初旬に発売とアナウンスされていたから。あったあった!「31年ぶりにゼロから翻訳」と書いた帯が付いている。「私は命のパンである」ヨハネ6章最も大きな特徴は、イエス様のお言葉の第1人称「わたしは」が「私は」に変わったこと。「わたし」とルビが振ってある。だがルビがなければ、ボクは「わたくしは」と読む。中学生時代、国語の女の先生が、黒板に「私」と大きな字を書いて、「これは、わたくし と読むのですよ。わたし と読んでは間違いよ。」そう言われて以来、ずっとずっと「私」を「わたくし」と読んできた。若い人たちは、「私」を普通に「わたし」と読むので、翻訳委員はそれをよしとしたのだろう。国語学的な検討は加えられたのかな? 教えてほしいな?イエス様が「わたくしは世の光である。」と言われるとすれば、確かに新鮮な印象だ。
2018年12月12日
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神学生たちがクリスマス会を催し、招待を受けて出かけた。クリスマス礼拝は神学生6人がギターを手に前奏から始まる。ただいま6人の学生なのです。司会、祈り、証詞、奏楽、説教、と分担。証詞は1年生が担当したが、すでに物怖じせず堂々としている。説教は4年生の女子学生が担当したが、彼女の性格が良く出ていた体当たり的メッセージではあった。卒業間近で、どこに遣わされるか楽しみだな。礼拝が終わると会場を移してお食事。出されたもの、全部神学生の手作りということで驚く。えっ、今朝2時までかかって作っていた?あなたがた、そんなに丁寧に、多彩に、伝道・牧会をするのだね?
2018年12月11日
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ポーター作「少女パレアナ」パレアナの「喜びの遊び」は周囲を明るくし、やがてそれは町中に広がる。若い頃読んだこの本を読み直した。母親はパレアナが幼い頃死に、牧師であった父親も、パレアナがまだ子供の頃に死ぬ。母親の妹である気むずかし屋の叔母の元に引き取られる。「喜びの遊び」は、お人形を期待した慰問袋に、松葉杖が間違って入っていたとき、悲しみにくれるパレアナに、父親から「これを使わなくてすむことを喜びなさい」と言われたことをきっかけに始まった。底抜けに明るい、澄みわたる空のような小説だ。読み終えて心洗われていると、欲が出て続編が読みたくなり、第2作「パレアナの青春」を手にした。こちらは青春まっただ中のパレアナ!青春の奔流は、きらきら きらきら輝く大団円の大海に向かって一挙に流れくだる。------------------------エレナ・エミリー・ホグマン・ポーター(Eleanor Emily Hodgman Porter、1868年12月19日 - 1920年5月21日)はアメリカ合衆国の小説家。ニューハンプシャー州リトルトン出身。多くの恋愛小説・家族小説・ギャグ小説を手がけ、中でも「ポリアンナ」シリーズは最大のヒット作になった。 ~Wikipediaより~
2018年12月10日
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地域にあるグループホームの世話人たちの集まりにでかけた。駅から歩いて20分というので、歩きたかったが、本降りの冷たい雨だったので車で出た。若い世話人たちの中で、高齢者と見られるかたも来られていた。若い人たちに交じって話し合いをする。自分も若返った気持ちになる。「グループホームは、訓練の場ではないけれど 漫然とした生活にはならないように配慮して。」「世話人は専門性より経験が求められる。」なるほど、人生経験を積んだ世話人もありか。お勤めしているホームで暮らす若者たちのお顔が心に浮かぶ。
2018年12月07日
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妻がキリスト教テレビ放送(CGNTV)をよく見る。秋の大風でアンテナが歪曲したらしく映らなくなり妻の落胆が大きかったので、無理を言って修理を依頼した。思いが伝わり、優先的に来てくださった。ボクも時々は妻と一緒に、テレビを見る。画面に映る牧師さんたちがお話ししているのは、ご自分の教会の中だ。どこも立派な教会、立派な講壇、立派な十字架現代的楽器を講壇付近に並べている所もある。そうなんだな。日本の教会は人数が少ないと言っても裕福だ。こんな立派な礼拝堂があるのだもの。
2018年12月05日
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待降節に入る日曜日は、友だち夫妻がお手伝いに来てくださいました。ボクたちは、40年にわたる長いお付き合いです。ボクが静岡にいる頃は、毎年2回、彼が結婚してからは毎年1回お手伝いに来てくださいました。ボクも千葉の彼の教会を訪ねました。年輪を重ねた彼の聖書のメッセージも、シンプルになったな、と喜びました。
2018年12月03日
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「わたしの母は人間的には未熟な人だったが、一生懸命に神様を信じていた。」こういう証をどこかで聞いたことがある。そうあかしした人もキリスト信徒だ。母親を「未熟」と評価しても、母の信仰にならった。たとえ未熟でも伝えられるのだ。
2018年12月02日
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戦争を机上で考案した人たちは、 戦争も悪くはないと考える。 最前線で、友の屍を乗り越えた人は、 戦争は何がなんでも悪と言う。
2018年12月01日
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