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「真の父母は永遠にチュ・ジャンヨンTVを見て、非常に気になる お母様の言葉があります。
《 真の父母は永遠に一人。二代三代がありえない。》・・
「真の父母」とは、真の父と真の母の二人のはずです。
お母様の概念の中では、父母とはいえ一人なのです。
事実、お父様が聖和された今も、お母様一人のことを「真の父母」と言っています。
公的な場でも、「お母様のお話」を「ご父母様のみ言」としています。当然の如くに。
私は今まで、「お母様のお話」では、食口に対する効果が薄れるので、
お父様を一応入れた「真の父母」としているのだと思っていました。
しかし、堂々と《 真の父母は永遠に一人 》 と言い放つところを見ると、
お母様は「真の父母」は、初めから 自分一人のことだと割り切っておられた様です。
お父様が、困難に会い命を落とすような事があっても死ななかった ? すでに独生女が生まれていたから ? ?
お父様を守らなければならなかった ? ・・みたいな発言にも驚きましたねぇ。
二)真の父母の在世時の価値P.128
この世に、真の父母が二組いることができますか? 今日北韓では、金日成を「お父さん」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。ですが、統一教会で言うお父様と、北韓で金日成をお父さんと言うのは、質的に違います。二人が対立したのです。貴いものが出てきたために、大韓民国が貴いのです。この二人が、互いに自分が父母だと言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだとし、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。
これを公的に、誰が公判しなければならないか? 人間がしてあげるのです。人間が「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこのようにして悪い父母であり、善の父母はこのようにして善の父母です。善の父母を探してきたのは神様であるために、神様が善の父母の父です。」このように立ち上がって決定づけなければならないのです。そうしなければならないのではありませんか? それゆえ、すべてはどこに帰結するか? 真の父母に会うところです。
それで、父母が二組存在することができますか? 一度死んだ父母が、千年後にも再びパッと現れますか? 人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、後にも先にもない時であり、歴史上に一度しかない、何と言うか、てっぺんなのです。狭いといえば、どれほど狭いですか? 永遠の世界について見れば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。そうでしょう?
皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を持ってこの一時に会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか? 皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。
このときは、人類歴史において、愛という因縁が出てくるなら、それは初めて出てくる時なのです。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させることができる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発であり、永遠の生命の発源地なのです。そうすることができる時です。
堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時がそのような時です。考えてみなさい。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属しうる規範に従って暮らさなければならないのです。それは皆さんが分からないでしょう。
その父母は、どのようにしなければならないか? 善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供についてはどのように対するのだろうか? 歴史上のどの父母よりも厚い徳を持って対さなければならないのです。
このような悲惨な運命に処した子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っかからないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨とともに哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかということです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として、持つべき心情的姿勢がどうだったか? そのような何かがあるのです。
そのような父母を迎えることができる子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうか? それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前に選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンか? 孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群にならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?
子女はこうであるべきであり、父母はこうであるべきだという、そのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買うことができるか、知識を持って買うことができるか? 自分のその何かを持って合わせることができるか? 絶対できません。自分が引っかかっている世界、自分が引っかかっている民族、自分が引っかかっている氏族、自分が引っかかっている家庭にいる荷物をいっぺんに背負うと言って、その場を引き継ぐことができるか? それもできません。
共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼす恨があったとしても、これは滅ぼすことができないのです。三〇億の人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけないのである、と神様がご覧になるでしょう。このようの考えるのです。
このような焦点上にいる皆さんが、言いたいことを皆言うことができますか? 自分が言いたいことを皆言って、孝行者になる道理がありますか? 自分が言いたいことを皆言って、したいことをみなして、忠臣になる道理がありますか? そうはいかないのです。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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