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5分20秒〜
引用開始
2013年1月13日、基元節のゴールは誰がしましたか? 真の母だけがゴールしました。
それで私は天一国を宣布しました。天一国元年を宣布しました。
そして3年間はお父様のために、天の父母の前に哀れみと赦し、愛を求めました。
真の父の生涯は地上において完成しなければなりませんでした。地上がまず先なのです。そのようにできなかったと言うのです。
引用終了
実際のところ、オモニの口から「霊界のお父様と地上のお母様は一つ」と指導されたことは一度もありません。お母様が指導されていないからといって、お父様はどう教えられていたいうのでしょうか?!
このメッセージが首尾一貫したオモニのお考えであり、基元節を奉献できなかったアボジは既に「過去の人」なのです。
「お父様にできなかった仕事をお母様一人でやり遂げた」とは、摂理を知らない人から見たら美しい家族愛に見えるかもしれません。私からは、原理講論>キリスト論>重生論 からの次はブログ記事でも何度か紹介していました。
しかし基元節関連のみ言葉を少し参照するだけで、「お母様一人でやり遂げた」が全くの的外れであることが分かります。
基元節の意義は幾つかありますが、最大の目的は完成期の聖婚式を挙行する点にありました。
真の父母の聖婚式は蘇生期(1960年)、長成期(2003年)、完成期(2013年)の三段階で完成することを繰り返し語られました。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。 さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。もちろん、お父様の聖和は必然的であったというものではありませんが、預言めいた一文として永く私たちが読んできたものです。
父母様は霊界に行くときも一緒に行かなければなりません。私が年上で、百歳を超えるようになれば、お母様も連れて行くかもしれません。 地獄と天国、門の敷居が二つあります。二つある門の敷居が一つ残りますが、そのときは、地獄はなくなって、天国になるとき、門の敷居と直線上になります。あそこでこのようにすっと出てくれば、横的になります。ここが九十角度。四掛ける九は三百六十度にならなければなりません。 それを合わせれば、七百二十度。八掛ける九は七十二。言ってみなさい。(「八、九、七十二」)四、九。言ってみなさい。(「四、九」)四、九、三十六です。ハ、九は七十二であり、四、九は三十六です。二倍です。 いくら女性が強いといっても、男性にはかないません。ハ、九、七十二であり、四、九、三十六です。半分なので、男tは二倍です。二つの門の敷居を頭に描いてみてください。人間始祖の堕落によって地上と天上の敷居が二つに分かれていました。ところが、それがちょうど90度になれば、二つあった敷居が重なって一つになるというものです。基元節、その二つが一つにならなかったでしょうか? なったでしょうか?
「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11をお読みください。サマリア人氏の以下は根拠を失くしてしまいました。
----->引用開始
「天地人真の父母様天一国即位式」では、天地人真の父母様の完成的聖婚式であり、戴冠式が挙行されるとともに、天一国が満天下に宣布され、続く「天一国基元節入籍祝福式」では、全祝福家庭が天一国に入籍する入籍祝福式を受けました。
-----<終わり
このような神聖な式典にあって、「我こそは後継者だ!」と自負してはその真の父母様を見失っている子女様はその場には相応しいとは思えません。この日が聖婚式ではなかったことは、先月除幕された石像にも表現されています。
オモニにとって基元節は女王として戴冠される日であり、アボジと完成期の聖婚をなさる日ではなかったのです。
「お父様は聖和されたのだから仕方ないじゃないか、イエス様が十字架につかれたように、この犠牲によってお母様お一人でも二人のように勝利されたのでしょう」と反論される方もいるかもしれません。
ところがアボジの膨大なみ言葉をどれだけ探しても、「万一私が聖和したら、お母様が一人で基元節を捧げる」という預言はないのです。
どれだけアベル的な解釈であろうと、預言にないことは単なる個人の願望です。
神の摂理とはサタンとの条件闘争であり、解釈を「アベル的に盛った」ところでご褒美のように実現するのではありません。
生前のアボジをずっと見てきた祝福家庭に、再度問い掛けたいのです。
基元節奉献は、アボジの生涯のすべてではなかったでしょうか。
真の家庭の中枢からどれだけ遠い平信徒であろうと、この問い掛けには同意して頂けると思います。
しかしながら殆どの祝福家庭は、基元節を大切だと感じながらも具体的に何が起きる日かということを知りませんでした。
本来の基元節の根幹には、完成期の聖婚式と三大王権が実現するはずでした。
三大王権とはすなわち、祖父母、父母、子女の三世代が神様を中心に一つになることです。
当日式典にお孫様の姿がなかった訳ではありませんが、男の子女様があらかた不在という状況は、「一つになる」とは真逆でした。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
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