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2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は1570年の姉川の戦いでの物語でした。織田・徳川軍は浅井・朝倉軍に押されていたけど、徳川家康が榊原康政に命じて朝倉軍の側面から攻撃させてそれで朝倉軍が総崩れとなり、まず朝倉が、次に浅井が敗走していった、というのが一般に言われる話です。それをこのドラマでは、徳川家康(松下洸平さん)の判断で朝倉の側面を突いたのではなく、織田信長(小栗旬さん)が密かに家康に命じていた(しかも家康は弱腰で逃げたという偽の情報を流して)という展開でした。同じ歴史上の出来事でも、いろいろな解釈ができて、違った展開をつくれるものなのですね。 それとこのドラマでは、家康の側近として登場するのが(今のところ)石川数正(迫田孝也さん)だけなんですよね。家康が出てくれば徳川四天王と言われる「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政」も一緒にいることが多いけど、ここではあえて後年、秀吉と深く関係する数正だけになってます。 あまりにもありえない展開は見ていてしらけるけど、脚本の八津弘幸さんは「そういう解釈もあったか」と思わせてくれる方のようなので、迫田孝也さんがどんな数正を演じることになるのか、興味が尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は越前の朝倉義景を討伐するために出陣しましたが、途中で浅井長政の謀反に遭い、越前の金ヶ崎城から命からがら京まで戻ってきました。信長を京に逃がすためにしんがりを務めた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は負った傷と疲れから、無事に戻れた信長の顔を見るなり安堵から気絶して、ずっと眠ったままでした。妹のあさひ(倉沢杏菜さん)が岐阜から看病に来ていて、あさひから自分が8日間ずっと寝ていたと聞かされた秀吉は飛び起きて、すぐに岐阜の信長のもとに向かいました。 そのころ岐阜城では帰還した信長のもとで、実は将軍・足利義昭から命じられて来た明智光秀(要 潤さん)が新たに織田家の家臣となっていて、家臣の皆に挨拶をしていました。 信長はすぐに折り返しての朝倉・浅井討伐に備えるために、木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に鉄砲の手配がどうなっているのかを問いました。浅井長政に嫁いだ市(信長の妹;宮﨑あおいさん)の身を案じる小一郎は、鉄砲の玉薬を作る硝石が手に入らないため準備にまだ時間がかかると報告しました。信長は硝石の手配を佐々成政(白洲迅さん)に命じ、鉄砲が揃い次第、浅井を攻めて討ち滅ぼすと皆に言い渡しました。 そのとき小一郎がたまらず進み出て、うかつに攻めれば市の身が危ないと進言しました。小一郎は「そんなことはわかっている」と信長だけでなく他の重臣たちからも厳しく叱られ、柴田勝家(山口馬木也さん)から長政は市を離縁して織田に返そうとしたが市自身がそれを拒んだのだと仔細を聞かされました。 その浅井長政(中島歩さん)は、市を織田に返すと言ったもののやはり市にそばにいてほしいと願っていました。長政の思いを知った市は自分も胸の内を隠しておけなくて「実は私はあのとき金ヶ崎の兄・信長に・・・」と言いかけたのですが、長政は市の身を案じて「言うな。」と止めました。そんなところに重臣の宮部継潤(ドンペイさん)が来て、織田の間者を捕らえたと報告しました。庭に引き出されたその者は市に信長の危機を報せたあの若い侍で、信長は裏切りを決して許さない、たとえ身内でも!と言い、市に向かって哀れな女子よ!と罵りました。それを聞いて市が何か言おうとしたら長政は市の手を握り「あの者は市を守ろうとしている」と市を止めました。そして若い侍はその場で斬られました。 信長は市が長政を選んだから容赦しないと言い、小一郎はそれは殿(信長)を助けるために浅井に残った、和睦を!と訴えました。しかし信長は、京から岐阜に戻る途中で六角に襲われた、あれは浅井の裏切りに呼応したもの、ここで和睦をしたら六角のようなやからが次々と出てきて誰も自分に従わなくなる、だから織田を裏切った者の末路は地獄だと世に知らしめる、と言いました。 ではどのように浅井を攻めるかとなったとき、京で療養中だった秀吉が突然、軍議の場に現れました。秀吉は前に進み出て策を進言しました。小谷は近江きっての堅牢な城だから力攻めは無理、まずは浅井の根城を一つずつ潰す、と言ったら竹中半兵衛(菅田将暉さん)が懐から絵図を出して広げ、説明を始めました。 まず浅井方の苅安城と長比城(どちらも滋賀県米原市)を調略し寝返らせる、これで岐阜と京を結ぶ道が保たれ幕府からの援軍が呼べ、小谷を攻める際の背後の憂いもなくなる、横山城は小谷を守る要の城、ここは力攻めで攻め落とす、というものでした。 半兵衛の策に感心した信長は、長政は横山城を見捨てないから城から出てくる、直ちに取り掛かれ、時がたてば朝倉の援軍が駆けつける、その前に決着をつける、と家臣に命じました。 岐阜の屋敷に戻った秀吉は身内や側近の皆と軍議に入りました。小一郎だけでなく秀吉も小谷にいる市の身を案じていて、戦にならないよう苅安と長比の調略で時をかせぎつつ浅井に使者を送り降伏させよう、和睦ではなく降伏ならば信長も納得するであろうと考えていました。しかし苅安城と長比城は半兵衛がすでに調略済みであり、時をかけたとしても浅井が降伏するとは思えない、と半兵衛は考えていて、秀吉がそんなの嫌だと言ってもどうにもなりませんでした。小一郎は、なんとしても市だけでも織田に戻るよう説得するしかないと考えましたが、姉のとも(宮澤エマさん)は、すでに姫が生まれた市が子と別れるのは無理だ、と小一郎に意見しました。 そのころ岡崎城では徳川家康(松下洸平さん)のもとに信長から6月19日までに参陣するよう文が届いていました。側近の石川数正(迫田孝也さん)はすぐに支度を!と立ち上がるのですが家康は動かず、自分が間に合わなければ信長はどうなるのかと家康は考えていました。数正が、浅井だけなら織田が優勢、でも朝倉が援軍に来たら徳川なしで織田は勝てない、と意見しました。家康は数正が我が意を得たりとばかりに、そういうことを信長にわかってもらいたい、と信長を試すつもりでいました。 一方、京の二条御所では、信長の援軍要請に対し将軍・足利義昭(尾上右近さん)は援軍を出さないことにしました。今は我らの身を守ることが第一、信長は我ら幕府の後盾があればこそ大儀を掲げられる、わしは信長の強さを信じている、それが義昭の考えでした。 元亀元年(1570)6月19日、戦支度が整った織田軍は北近江に向けて進軍を開始しました。織田軍は半兵衛が調略済みの苅安城と長比城を通過し、横山城を一旦通過して小谷城の目の前の虎御前山に陣を構えました。 小谷城内では軍議が開かれ、長政は横山城の様子を気にしていて、宮部継潤はまだ攻められていないと報告しました。遠藤直経(伊礼彼方さん)は、ならば小谷城と横山城で織田軍を挟み討ちにすべく討って出ようと言い、宮部はそれは何かの罠だと慎重論で意見が分かれました。長政の父・浅井久政(榎木孝明さん)は、まもなく朝倉の援軍が来るからそれから動けばいいと家臣たちをなだめました。しかし長政は本当に朝倉の援軍が来るのかを疑っていました。 秀吉は市に織田に戻るよう、柴田勝家を通して何度も文を出していましたがいっこうに返事がなく、勝家も苛立っていました。小谷城内にいる市は侍女から織田が虎御前山に陣を構えたとの報せを聞き、兄・信長がすぐ近くにいることを知りました。秀吉の文は市の手元に届いていて、侍女は秀吉の言うとおりにしたほうがいいと進言しましたが、市は信長が出陣するときの「敦盛」を笛で奏でるだけで動きませんでした。 信長は横山城に討って出ると決め、皆に出陣の下知をしました。横山城が織田に取り囲まれたと報を受け、遠藤はすぐに出陣をと主張し、宮部はこれは罠だと再び意見が対立しました。そのときに朝倉の援軍が到着したのですが、来たのは国主の朝倉義景ではなく一門衆の朝倉景健(重岡漠さん)でした。その夜、長政は横山城を救うべく出陣しました。 夜が明け、信長の陣に徳川家康が到着しました。家康は信長に遅参を詫び、武田に備えていたと言い訳しましたが、信長の怒りは相当なものでした。信長の近習に取り囲まれ、信長には嘘が通用しなかった恐怖から土下座して詫びて許しを乞う家康。信長はおびえる家康の目の前に来て何か伝えたようでした。徳川の陣に戻った家康は、わざとの遅参が信長にばれたと数正に話し、自分はこれから姿を消す、そうでなければ信長に殺されると言って数正に後を託して消えました。 元亀元年(1570)6月28日、早朝、姉川を挟んで対峙した浅井・朝倉軍1万3千と織田・徳川軍2万1千の双方が川を渡って動き出し、戦が始まりました。(姉川の戦い)両軍の激突は凄まじく、戦場であっても敵の命を奪うことにまだためらいがある小一郎に秀吉は「今ここからは生き延びるために戦うのだ。」と言ってきかせ、木下隊も戦場に駆け出しました。乱戦のさ中、兄・秀吉を助けるために敵を斬った小一郎でしたが、すぐには動揺が収まりませんでした。 激戦は続き、やはり地の利からか浅井・朝倉軍が優勢でした。織田の陣営では、家康が敵ではなく信長を恐れて戦場から逃げたという噂が広まっていました。次々と押し寄せる敵兵。小一郎は生き延びるために、何も考えずに敵を倒していきました。その敵兵の中に恐ろしく強い者が現れ(浅井家家臣・藤堂高虎;佳久創さん)、秀吉と小一郎と蜂須賀正勝(高橋努さん)の3人がかりでもなかなか倒せませんでした。 一方、徳川軍も朝倉軍に押されていて、指揮を執る朝倉景健はこのまま一気に攻め込み信長の本陣まで突き進むよう命じました。徳川軍の不利な状況を見て信長の側近たちは戦場から消え失せた家康の行方に苛立っていましたが、信長はいたって冷静でした。「これでよい。頃合いじゃ。」信長はそうつぶやきました。 そのとき家康率いる徳川軍本隊が突然現れ、朝倉軍を側面から攻撃して朝倉軍は総崩れとなりました。実は家康は信長に遅参を詫びたときに信長から、戦場から一度姿を消し、合戦のさ中に機を見計らって敵の横っ腹を突くよう、信長から指示を出されていたのでした。家康の本隊が来るまでの間、石川隊だけでなんとか持ちこたえた数正はようやく安堵できました。 形勢が逆転し、迫りくる徳川軍を見た景健は全軍に退却を命じて逃げていきました。長政が浅井軍も撤退かと考えていたら側近の遠藤直経が駆け寄り、もはやこれまで、長政の御首級をもらうと長政に言いました。秀吉と小一郎と蜂須賀はまだあの強者と戦っていましたが、突如戦場に長政にを討ち取ったとの声が響きました。主君を失って男は泣き崩れ、それから戦場を後にしました。 長政を討ち取ったというのは本当か?と秀吉たちが考えていたら、先ほど長政の兜首を持って自分たちの前を通っていった男の兜を思い出した小一郎は、あの男は長政の側近だと気が付きました。小一郎は急ぎ男(遠藤)を追って信長のもとに駆けつけ、遠藤が信長の前に来たときに叫びました。見破られた遠藤は刀を抜いて信長に襲いかかろうとしましたが、信長にの側近たちにその場で討ちとられました。 直後、浅井の全軍が撤退していると報が入りました。信長は、追う討ちは無用、我らの大勝利だと判断。勝鬨をあげるよう皆に命じ、「エ~イ、エ~イ、オ~!」の声が幾度も姉川の戦場にこだましました。ただ秀吉と小一郎は勝利を気持ちよく祝うことはできず、先ほどまで双方が死闘を繰り広げた姉川の河原に足を運びました。累々と横たわる敵味方の死体、血で赤く染まれる川。生き延びるために必死で戦うしかなかったけど、その後に残ったものは地獄だと、二人は言葉を失い涙しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 23, 2026

先日、ちょっと名古屋に出る用事があり、そのついでに名古屋の栄にあるNHK放送センターで開催されている 大河ドラマ「豊臣兄弟!」全国巡回展 に行ってきました。 この全国巡回展は期間は1週間と短いですが、ドラマの資料が無料で見学できるというのがうれしいです。また来場記念として御朱印代わりの、秀吉・秀長・信長・家康のスタンプがありました。台紙もちゃんとおいてありますが、中には御朱印帳を持ってみえる方もありました。名古屋は今日で終わってしまいましたが、まだこれから開催される地域の方は、興味があるなら行ってみるのをおすすめします。(上記リンクにスケジュールがあります)夏以降に開催される地域では、おそらくドラマ後半の資料も展示されると思います。 放送センター1階にパネルやドラマで使った小道具が置いてあります。役者さんたちの等身大パネルや、メッセージツリーがありました。ドラマで使われた小道具で、これのときの場面を思い出してしまいます。同じ小道具でも、地元の名古屋に関するものだとよけいに興味がわきます。豊臣秀吉と豊臣秀長に関する資料です。ドラマの製作に関する話がいろいろあります。スマホでのアンケートをして記念品をもらいにいきました。NHKのどの番組かはわかりませんが、昭和の風景に惹かれてパチリ♪アンケートの記念品です。クリアファイルが2つ入っていました。
April 19, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は秀吉を演じる池松壮亮さんの演技に本当に感動でした。 ドラマの序盤、織田信長(小栗旬さん)に金ヶ崎からの撤退を進言する場面では、刀を自分の足に突き刺すなどのあまりの無茶はあったものの、その後の演技には思わず画面に見入り、何度もテーマになった戦国ドラマだからもう感動はないだろうと思っていたら、久しぶりに涙がうるっときました。 秀吉は仕える信長が本当に好きで好きなのです。明日の命があるかどうかもわからない戦国時代。秀吉は自分が偉くなって家族や縁者に楽をさせてあげたいという思いはあったでしょう。でもそんなことよりなにより、自分が男惚れした信長という大将に命をかけて仕えたいのです。「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」序盤のシーンでは、そんな秀吉の思いがありありと伝わってきて、信長役の小栗旬さんもあれは本当に自然に泣けたのではと思いました。そしてラストでは、生還した秀吉が、信長が無事で元気である姿を見て安堵し、嬉しさで涙があふれました。あの顔を見たときも私は思わずうるっときてしまいました。 その後で秀吉は、単なる精神的・肉体的な疲れが一気に出ただけではない、ろくな手当をしないままの強行軍で悪化しただろう足の傷が原因で、その場で倒れてしまいました。京の選りすぐりの名医と薬師を隣室に待機させていた信長。「安心せい。お前は死なせぬ。」信長にとっての、これは心からの言葉でしょうね。 いろいろ見てきた戦国ドラマだけど、脚本の八津弘幸さんが今までにない魅せ方をしてくれるので、これからも楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は朝倉義景を討伐するために越前に向けて出陣しましたが、途中に陣を敷いた金ケ崎城で味方の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)が謀反をしたとの報を受けました。 柴田勝家(山口馬木也さん)は、長政が今にも出陣する勢いだと忍びの報告を伝えましたが、信長は全く信じようとしません。勝家が市からの陣中見舞いだと託された和紙でくるまれた小豆を信長に渡しても、竹中半兵衛(菅田将暉さん)が結んである袋の両端は織田軍が袋の鼠になっていることを市が知らせていると言っても、信長は長政を微塵も疑っていませんでした。 たまらず木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)が進み出て包んであった和紙を見るとそれは白紙で、小一郎は以前に市とやりとりしたことを思い出しました。そしてこの白い和紙は市からの文で、市が夫・長政と兄・信長の間で苦しんでいて、まさに長政の謀反の証だと、さらに市は兄を救うために命がけでこの文を託した、だからここは一刻も早く逃げてほしいと強く進言しました。 家臣たちからこれだけ進言されてようやく長政の裏切りを悟った信長は、怒りのあまりこのまま直ちに兵を返して浅井の小谷城を攻める、と言い出しました。さらに信長は、背後から朝倉が追ってきても一歩も退かぬ、浅井・朝倉を根絶やしにする、総攻めの支度を!と命じました。 すっかり冷静さを欠いた信長を明智光秀(要 潤さん)が諫めようとすると信長は光秀を公方(将軍・足利義昭のこと)の犬と言い、此度のことも公方が仕組んだことでは?と光秀を疑いました。 するとそのとき庭で控えていた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)が大声で叫び、一同の耳目を集めたかと思うと、刀を抜いていきなり自分の足の甲に刀を突き立てました。秀吉は主君・信長に、うっかり傷を負ったと詫び、足手まといだから自分がここに残ると告げました。秀吉は信長に「戦において最も大事なのはいかに勝つか。次に大事なのはいかに負けるか。この戦は残念ながら我らの負け。朝倉の追手は自分がくいとめるから、殿はその隙に京に戻ってほしい。」と切々と訴えました。そしてひときわ声を大にして「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」と必死に信長に訴えました。 秀吉の涙ながらの訴えに信長は心を動かされ、目に涙をためて自分の鎧を脱ぎ捨てました。「京へ帰る。」と皆に告げ、秀吉には「二刻でよいから朝倉をくいとめよ。二刻たったらすぐにわしの後を追ってこい。京で宴の支度をして待っておる。」と命じました。それから自分の鎧を秀吉に渡し、全軍に引き上げを命じました。信長を説得するために自ら大けがを負った秀吉に、徳川家康(松下洸平さん)は手当のための塗り薬を渡していきました。でもそれは実はただのかゆみ止めで、家康は側近の石川数正(迫田孝也さん)と二人きりになったとき、秀吉が名乗りをあげなければ徳川ががしんがりとなって生きて帰れぬところだったと本音をもらし、急ぎ退却していきました。 皆が退却をして、残った秀吉が傷の手当をしていると朋友の前田利家(大東駿介さん)が来て、自ら申し出た強者揃いの前田の兵を残していく、と伝えてくれました。利家の去り際はいつもの喧嘩でしたが、秀吉は利家の背中に一礼しました。 小一郎は撤退しようとしていた明智光秀に、先ほどの信長の非礼を詫び、信長と将軍・義昭が仲違いせぬよう間に立って配慮してほしいと乞いました。しかし光秀の返事は断りで、ここを生き延びて自分で二人の仲をとりなせ、と小一郎に言い去っていきました。 秀吉の傷はかなり深く思わず悲鳴をあげるほどでした。でも秀吉は自分のことより長政に裏切られた信長の心の傷を心配し、さらには市の身の上を案じていました。しかし自分たちが今やらねばならぬことは織田全軍を無傷で京に帰すことだ、と小一郎は改めて皆に言いました。 では、どうやって残った2千の兵で二刻を持ちこたえるのか。秀吉の軍師の竹中半兵衛は「力のある敵に一丸となって戦えばまとめて討たれるだけ。時を稼ぎたいなら兵を数段に分けて代わる代わる退く。今いる2千の兵も戦が始まれば逃げ出し、まともに戦う兵は800とみている。地の利を生かして補うしかない。」と言います。半兵衛がここまでの道々の地形やどこに何があるかをできるだけ記していたという絵図を広げました。小一郎は半兵衛に、こうなることを予見していたのかと問い、蜂須賀正勝(高橋努さん)も、なぜもっと早く言わなかったと問うと、半兵衛は「言っても誰も信じないと思った」と。半兵衛は、浅井の裏切りはあり得ると思って先を考えていた、策はある、と言って皆に指示をしました。 早速、朝倉を迎え討つ準備に取り掛かりました。その一つが竹と藁で作った人形で、こんなものは敵が近くにくればすぐに見破られるものですが、何かすがる物があれば味方の兵も弱気にならず逃げ出さない、というのが半兵衛の考えでした。秀吉と小一郎と半兵衛が櫓で3人だけになったとき、小一郎は浅井の裏切りの予見をもっと早く知らせてほしかった、自分は聞く耳持たぬことなどしない、もっと自分たちを信じてほしい、と半兵衛に思いを伝えました。秀吉も、自分も同じ思いだ、どうせ誰も耳を傾けぬなど寂しいことは言わんでほしい、お主の言うことは何でも信じる、と半兵衛の肩を抱いて気持ちを伝えました。この兄弟は信じてもいいのだとわかった半兵衛は、次からはそうすると言いました。でも半兵衛が「だだし次があれば。」と付け加えたその視線の先には、自分たちに近づいてくる朝倉の大軍がありました。 燃え尽きるまでに二刻かかる松明を皆で持ち、自分が敵を引き付けてやると意気込んで笑う蜂須賀の言葉を聞いた小一郎は「生きるために無茶をするのだ!」と皆を鼓舞しました。「作戦開始じゃあ~!」小一郎の号令で皆が動き出しました。 半兵衛の作戦は、数が劣る我らはできるだけ狭い場所で敵を迎え討つ、それぞれに兵を分け罠を仕掛けて敵を待ち受ける、というもので、半兵衛が敵の追手を引き付ける囮の役目は…と言いかけたとき小一郎が「それは自分だ。」と言いました。「此度は兄・秀吉のせいで退却のしんがりとなり不満を持つ兵もいる。だからしんがりのしんがりは弟である自分が務めねば。」と考えていて、半兵衛もその通りだと答えました。兄・秀吉は弟・小一郎なら大丈夫だと信じていました。半兵衛の作戦は次々と展開していき、前田利家の兵も一緒に働いてくれました。 そのころ織田信長と側近たちは敵の目を欺くために馬を捨て、琵琶湖の西側の山中を這う這うの体で歩いて進んでいました。一方、京の二条御所では将軍・足利義昭(尾上右近さん)が側近の三淵藤英(味方良介さん)から、義昭が選んだ元亀の年号を朝廷が認めたと報告を受けていました。とはいえ信長が気に入らない元亀の元号をどうしたものかと思っていたらそこに急使が来ました。使いから信長が京に戻らぬ可能性が高いと聞いた義昭は急に強気になり、元号を元亀とすると三渕に伝えました。 追手と戦いながら逃げている秀吉と小一郎たちは、さすがに体力も気力も限界に近づいていました。そんなとき彼らの目の前に現れた旗印は、敵方の浅井長政が率いる兵でした。策を問われた半兵衛は「もはや策はない。一丸となって死に物狂いで戦うのみ!」と皆を鼓舞しました。 全員で乱戦となり、動きが少し止まったときに奥から長政が馬に乗って出てきました。小一郎は長政に、今ならまだ間に合う、市のためにもどうか信長と和睦してほしい、と懇願しました。 しかし長政がだした答えは、鉄砲隊を前に出す号令でした。銃口が秀吉たちに向けられ、長政が「放て~!」と指揮した瞬間、秀吉たちは「もはやこれまで!」と思いました。しかし銃声が響いた次の瞬間、倒れたのは浅井の兵たちで、不思議に思った小一郎が見上げると上方に明智光秀が指揮する兵たちが銃を構えていました。 そう、光秀は浅井を押しとどめるためにしんがりを命じられ、光秀は「すべて我らが追い払った。もはや織田殿を追う者はいない!」と状況を力強く言ってくれました。そのときちょうどあの二刻の松明の炎が消え、蜂須賀が二刻たったと皆に伝えると歓声があがりました。 秀吉は叫びます。「これで誰も殿(信長)に追いつけぬ。我らは殿を守ったのじゃ!守りぬいたのじゃ~!」小一郎が長政に叫びます。「我が殿は逃げ延びましたぞ!これ以上戦っても無駄に死ぬ者が増えるだけ。ここはお引きくだされ!この戦はわしらの負けじゃ。でも勝ちに等しい負けじゃ~!我が殿が生き延びたからには必ず浅井に報復する。せいぜい気を抜かぬことじゃ!」 ただそんなことを言ってたらまた朝倉の兵が秀吉たちを追いかけてきたので、もう逃げるしかなくなりました。小一郎は兄・秀吉に背中を向けておぶる態勢をとり「よくぞこれまで痛みに耐え抜いた。」とねぎらい「乗れーっ!!」と命じました。秀吉も実は限界で「小一郎、死ぬほど痛い。」と泣き顔で、動き出すときは義兄・弥助(上川周作さん)と義弟・甚助(前原瑞樹さん)が秀吉を運ぶ馬になってくれました。 「ここからはただひたすら、逃げて逃げて、逃げまくるのじゃーっ!」秀吉は全軍に号令をかけました。長政は追撃の態勢をとらず、信長がすぐにでも小谷に攻めてくることを予想し、戻って備えることにしました。 京の二条御所の義昭のもとに、信長が息を切らしながらボロボロの姿で帰ってきました。信長は庭に土下座して朝倉討伐が失敗に終わったことを詫び、義昭は戻らないと思った信長が戻ったことで動揺しながらも、ねぎらいの言葉をかけてしばし休むよう言いました。しかし信長は、すぐに態勢を整えてすぐに討って出ると言い、血走った気迫に満ちた目で義昭を見上げました。 一方、なんとか逃げのびた小一郎たちは今にも倒れそうにな足取りで信長がいる京の妙覚寺に入りました。敷地に入ったとたん皆は崩れ落ち、でも生きていることを互いに喜び合いました。門が開いて松永久秀(竹中直人さん)が出てきて、秀吉と小一郎にすぐに信長のところにくるよう言いました。 信長の部屋では鼓の音が響き、中で宴が開かれていました。秀吉は信長の無事な姿を見て嬉しくて泣き笑いました。信長は秀吉に近寄り、戦の土産話を聞かせよと言って盃を取らせ、秀吉は一気に酒を飲み干しました。しかし秀吉が話をしようとしたら、それまでの緊張がとけたのか、傷の痛みと疲労で倒れこみ意識がなくなりました。信長は隣りの部屋に控えさせていた医師と薬師を呼びました。「安心せい。お前は死なせぬ。」金ヶ崎から自分を生かして帰すために満身創痍となった秀吉への、信長の愛情でした。 一方、小谷城では長政が帰還し妻の市(宮﨑あおいさん)に兄・信長が無事だったことを伝えました。そして市を見つめ、市を織田に返すと言いました。また金ヶ崎での秀吉と小一郎のことを明智光秀から報告を受けた義昭は、あの二人を自分のものにするのはどうやら難しいことだと理解しました。その代わりに光秀が信長の家臣となり、織田の動きを逐一自分に知らせるよう命じました。そして今まで秀吉のことを軽んじていた家康はこの金ヶ崎でのことで、秀吉と小一郎を心底恐れるようになりました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 16, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回はタイトルが「疑惑の花嫁」となっていて、まあ意味としては主人公・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に嫁いだ慶(吉岡里帆さん)のことなのでしょうが、私としてはやはり、中盤以降の金ヶ崎につながるほうに興味がわきました。 小谷城の城主であっても若さゆえか、重臣たちや父・浅井久政(榎木孝明さん)や朝倉の使者の朝倉景鏡(池内万作さん)を押し切る力のない浅井長政(中島歩さん)。 長政にしたら織田信長(小栗旬さん)は心から愛する妻・市(宮﨑あおいさん)が大事に思う兄だから、義理の兄弟としていい関係でいたいでしょう。信長もまた長政には無理させぬよう、逃げ道をつくりながら提案していきます。 しかし小谷城に戻ればそんな甘い考えは認められず、特に朝倉景鏡が笑った能面のような顔で迫ってくるときは、長政も気迫負けしたように感じました。 さて来週はいよいよ金ヶ崎からの脱出です。手柄を挙げたい松永久秀(竹中直人さん)がどう動くのか、竹中半兵衛(菅田将暉さん)の知恵と絵図がどう働くのか。興味の尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)主君・織田信長(小栗旬さん)の命により木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は美濃三人衆の一人だった安藤守就(田中哲司さん)娘の慶(吉岡里帆さん)を妻に迎えました。兄の木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は、これで美濃衆と尾張衆の絆がゆるぎないものになると賛成でした。しかし慶の良くない噂を耳にしている妻の寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)は小一郎が心配で反対。ただ当の小一郎は、この縁談は自分の望みだと考えていました。 数日後、慶が小一郎のもとに嫁いできました。木下家の一人一人の名を呼んで挨拶をする慶に木下家の男どもは好感をもちました。小一郎と慶が奥に入ると、隣に住む前田利家(大東駿介さん)が木下家の庭に入ってきて、慶に関する話を始めました。慶の前夫は斎藤家の重臣だったが稲葉山の戦いで討ち死にした、慶にとって織田は仇であり、斎藤側の敗因は慶の父・安藤守就が織田に寝返ったことによるもので、しかもそのきっかけを作ったのは小一郎だ、と。 その話を聞いて秀吉は、先ほど慶が挨拶したときに「この巡り合わせに感謝している。」と言ったことを思い出し、それがどういう意味なのかとさすがに小一郎が心配になりました。秀吉と寧々は小一郎たちが奥でくつろいでいるところに急いで乗り込み、小一郎を毒殺するつもりか?と慶を責めました。兄夫婦が突然やってきて言い出したことが理解できない小一郎が問うと、二人は慶の過去と小一郎を恨んでいることを話しました。しかし小一郎は驚くこともなく慶をかばい二人を追い出しました。 兄夫婦が去った後、小一郎は慶に優しく接しました。しかし慶は小一郎に「私は貴方が織田の侍だということが許せない。父が美濃を裏切ってさえいなければ、貴方が余計なことをしなければ夫は死なずにすんだ。私の心は織田には渡さない。」と激しく憎悪をぶつけました。小一郎は慶が自分を許してくれるまで何も求めん、自分を大切にせよ、とだけ穏やかに思いを伝えました。 さて岐阜城の信長のもとには明智光秀(要 潤さん)が来ていて、将軍・足利義昭(尾上右近さん)への信長の力添えに対して礼を述べていました。信長がその後で、義昭が元号を改めるよう朝廷に奏上したと耳にしたことを言うと光秀は、幕府の権威を元に戻し長く続くことを願って「元亀」としたい、と義昭の意向を伝えました。しかし信長は快諾するどころか「わしは好まぬ。他のものにせよ。まさかわしに何の相談もなく勝手に決めてから事後報告ではあるまいな?」と威圧的に言いました。そして光秀に、この元号の件と、これより諸国大名とのやりとりすべてを自分に相談することを義昭に伝えるよう念を押しました。永禄13年(1570)信長は義昭に対して五か条に及ぶ要求を送り、二条御所では室町幕府の奉公衆の細川藤孝(亀田佳明さん)らが信長が増長していると猛反発していました。和田惟政(玉置孝匡さん)は、信長がいなければ義昭を守れないと慎重でしたが、奉公衆の間で激論になりそうだったので義昭がそれを止めました。義昭は皆に、今回は信長を大目にみてやろう、五か条は自分の意思で受け入れる、と言い渡しました。しかし皆が下がった後で光秀と二人きりになったとき、義昭はそれまで抑えていた怒りと悔しさが爆発しました。信長が庭に据えた藤戸石を力いっぱい刀で打ち据え、刀が折れた後で光秀に刀の使い方を自分に教えるよう言いました。 近江の常楽寺に来ていた信長は、義弟の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)と何番も相撲を取って、自分と亡き弟の信勝とのことを思い出していました。信長は気持ちを改め、今回の出陣の意図を長政に伝えました。我ら織田は将軍・義昭から石山城の武藤友益を討てと命があり若狭に出陣した、武藤は裏で朝倉と通じている、此度の出陣の真の狙いは朝倉討伐だ、それでよいな?と。 嫡男の万福丸を朝倉に人質に出している長政は快い返事ができず、浅井と朝倉は古くからよしみがあり、その討伐には異を唱える家臣もいることを信長に言いました。しかし市をめとったときからこのように織田と朝倉の間で自分が板挟みになる日が来ると覚悟していたから討伐は存分にやってほしい、と言いつつも迷いは隠せませんでした。 長政の苦悩がわかる信長は、此度の戦は浅井は近江を動かずに後方の守りに務めよ、織田に加勢しなければ朝倉もやすやすと万福丸の命をとるまい、万福丸はいずれ我ら織田が救い出す、市が我が子のように可愛がっている万福丸を見殺しにしたら後で市にきつう叱られる、と長政に配慮しました。そして信長は、この戦が終わったらまた相撲を取ろうと言い、長政も次は自分が勝つと言って、二人で笑い合いました。 永禄13年4月、出陣した信長は京の二条御所に入りました。信長は義昭が淹れた茶を飲み、次は自分が義昭をもてなすと言いつつ、まずは成すべきことがあると付け加えました。一服の後、庭に面する障子を開け放つとそこには武将たちが集まっていました。信長は兵たちを鼓舞した後、総勢3万の軍勢を率いて若狭に向けて進軍を開始しました。 秀吉は途中、徳川家康(松下洸平さん)の陣を訪ね、家康に挨拶をしました。「熱意が人を動かして勝負を決する」と授かったあのときの金言を今も胸に刻んでいる、自分がここまでこれたのもあの言葉があったから、と家康に思いを伝えました。家康も、真に立派になられた、と秀吉の出世を褒めましたが、実は秀吉と小一郎のことは全然覚えていなかったし、自分があのとき何を言ったのかも覚えてなかったのでした。 小一郎が陣地で仕事をしていると大和多聞山城主の松永久秀(竹中直人さん)が訪ねてきました。松永は小一郎に、嫁を取ったそうだが離縁しろと言い出し、戸惑う小一郎にお構いなしに、自分の娘を小一郎に嫁がせて織田との関わりを深めたかった、小一郎の他にちょうどいい独り身の男がいない、妾でも構わぬから娘をもらってくれ、と一方的に言いました。小一郎が夫婦になってまだひと月もたっていない、ご勘弁をと言うと松永は娘のことはあきらめたようでした。そして、ならば此度の戦で武功を挙げて信長の目を引くしかないと考え、此度の戦は織田が有利だと楽観的な小一郎に、「戦というものは蓋を開けてみなければわからない。よく覚えておけ。」と忠告をして出ていきました。 そのころ小谷城では城主の長政が信長との約束を守ろうと、此度は動かぬと家臣たちを説いていました。しかし重臣の宮部継潤(ドンペイさん)は、信長の出陣は若狭攻めと見せかけて朝倉攻めをしようとしているのは明白だと強く意見し、遠藤直経(伊礼彼方さん)も「これは我々浅井への裏切りだ。」と強い言葉で長政に意見しました。長政が、信長は義昭の命で出陣せざるを得なかっただけだと言っても遠藤は、信長は己に従わぬ大名を幕府の名を借りて滅ぼすつもりでは?と考えました。 長政が、とにかく此度は動かぬ、織田にも朝倉にもつかぬ、と家臣たちに言い渡したとき「そういうわけにもいくまい。」と父の浅井久政(榎木孝明さん)が入ってきました。長政が父に、これは当主だる自分が決めたことだから意見は無用に、と言うと朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)が入ってきました。 景鏡は長政を見据え「我ら朝倉が敵に攻めこまれているのを黙って見過ごすつもりか?何もしないのは盟約を破っているのと同じ。」と言いました。長政が景鏡に、今からでも遅くないから朝倉も幕府に従い上洛を、と言うと景鏡は長政の言葉を遮りました。行くあてのない義昭をずっとかくまってきたのは我ら朝倉、その恩を忘れ信長にそそのかされて我らを攻める、道理が通らぬのは幕府のほうだ!と景鏡が怒りを込めて言いました。 すかさず父・久政が「何を迷っておる!万福丸を見捨てるつもりか!」と厳しく言うと、長政の説得はこれで決まりだとばかりに景鏡が近寄り、「今、我らが手を組めば信長と幕府軍を一網打尽にできる。」と意見しました。続けて遠藤が、これこそ天が与えてくれた千載一遇の機と言い、長政が返す言葉につまっていると父・久政が今度は市(宮﨑あおいさん)のせいかと言い出しました。長政は怒って反論しましたが久政は、市はしょせんは信長の妹、腹の中では何を考えているかわからん!と一方的に言い、景鏡はさらに市の身を脅かすようなことを言いました。激怒する長政を景鏡は、万福丸は見捨てても市は助けたいのかと煽るように笑い、ではどうするかを今この場で決めるよう、長政に迫りました。廊下でこのやり取りを聞いていた若い侍はすぐに立って市の侍女の部屋に走って手短に内容を伝え、話は侍女を通じて市のもとにもたらされました。 信長率いる幕府軍は若狭の乱を鎮めた後、その勢いに乗じて朝倉方の城を次々と攻め落としていき、越前の金ヶ崎城に陣を置きました。重臣の柴田勝家(山口馬木也さん)は、ここから一乗谷へは一日で行ける、我が軍はほとんど無傷だ、と勝利を確信しており、他の重臣たちも同様でした。信長は重臣たちに、今宵は英気を養いゆっくり休むよう皆に伝えよ、明朝、日の出と共に一乗谷に向かう、と命じました。 その夜は信長からのお許しもあり、兵たちは皆で酒を飲んでくつろいで楽しんでいました。しかし一人、竹中半兵衛(菅田将暉さん)だけは机に向かい何か書き物をしています。半兵衛は「明日、生きるために」ーーそう言ってここまでの道のりとその周辺の地形を絵に描いていました。 酒盛りに興じる兵たちとは別に、信長は秀吉と小一郎を呼び出し「一乗谷に乗り込んだらやってもらいたいことがある。」と言うと、万福丸を助けることだと秀吉はすぐに察しました。秀吉は「お任せを!必ずや!」と自信をもって返事しました、しかしそのとき勝家が急ぎ信長のもとに駆けつけ「たった今、我が忍びから報せが!浅井長政、謀反!」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は全体的に登場人物のそれぞれの心情描写が多い回でした。私が気になったのは織田信長(小栗旬さん)の行動。妹・市(宮﨑あおいさん)浅井長政に嫁いでからというもの、会うこともなく、送られてくる文も既読スルー状態。 市はあれだけの覚悟をもって浅井に嫁いだのだから、今どきの感覚では、ふつうに考えたら冷たい兄に思えます。でも時は戦国。市がいつまでも実家の織田家とやり取りしていたら、周囲の者たちに怪しまれて市の身が危うくなるかもしれません。あるいは純粋に、長政と早く打ち解けるよう、妹・市の幸せを願って距離を置いていたかもしれません。 でもとにかく妹は自分に怒っている。それがわかっているから癒し役として秀吉と小一郎をこっそり連れていったあたりは信長らしい優しさだと思いました。 とはいえ、急用で座を外した長政に「何かある」とピンときて、おそらく久政の部屋の外で立ち聞きぐらいはしていただろうし、あえて中に入って部屋にいた面々を確認し、要件だけ伝えたらさっさと退散。そして「ぐずぐずしていたら討たれる」と本能的に直感し、秀吉と小一郎を連れてすぐに小谷を後にしました。 信長のこの「身の危険を感じる直感」と「その後すぐに行動に移す早さ」ーーこうした危険回避能力が信長の強さだったのかな、とも思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)1月、将軍・足利義昭(尾上右近さん)が襲撃された本圀寺の変で敗北した三好三人衆は京を退きました。堺の会合衆は織田信長(小栗旬さん)に服従することを決め、あれこれ理由をつけて出ししぶっていた2万貫をすぐに用意し、他の用もなんでも承るという低姿勢でした。 京では信長が義昭のために二条御所を造営し、天下人の石とも言われる藤戸石を信長が陣頭指揮を執って運ばせていました。石が御所の庭に置かれ、信長はひざまずいて義昭に言います。この石は諸国より多くの武将が集まり、およそ3千人が義昭のために石を運んだ、そして1万人以上の人夫が昼夜を問わず働き続け、わずか3か月でこの二条御所を完成させた、義昭の威光を世に知らしめた、これが肝要なのだ、ということを。 義昭は信長に労いの言葉をかけ、これからも守ってほしいと言いました。しかし信長が去ると義昭は明智光秀(要 潤さん)に、自分は信長の言葉を信じていないと本音を言いました。そして光秀も、この御所内には何か所か隠し部屋や抜け道をがあることを報告し、どうするかを義昭に尋ねました。義昭は、今は動くな、他の武将たちの信長への反発が高まったときに自分が将軍として動くと言い、光秀も承知しました。 このたびの京での働きにより木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は信長から京都奉行に任ぜられました。兄・秀吉が京都奉行のことを何も知らずに引き受けたことを木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)はあきれ顔、しかし秀吉はこれで丹羽長秀(足軽のころから世話になってきた人)や明智光秀と肩を並べることができると意気揚々としていました。 京都奉行の役目については竹中半兵衛(菅田将暉さん)が、「幕府の名の下、京の都を治め、民の訴えを裁き、商いの是非を定め、公家との談判、寺社の取り締まりなどがある。」と教えてくれました。 さっそく寺の僧たちが、寺の宝物や室礼の数々が勝手に持ち出されて御所に飾られている、返してほしい、と訴えました。丹羽は対応できずに逃げ、新米奉行の秀吉が対応がわからず困っていたら光秀が、この件は自分が義昭に直々に伝えると言ってその場を収めました。 京都奉行になったものの百姓あがりの秀吉は貴人の教養など何も知りません。公家たちとの付き合いのために秀吉は和歌・蹴鞠・茶道など、小馬鹿にされながらも必死で取り組みました。それに対して京での公家との付き合いを難なくこなす光秀を、秀吉は感心して褒めました。逆に光秀は、足軽からわずか10年で織田家の重臣になった秀吉を大したお方だと褒めました。 秀吉がすべては主君・信長のおかげだと言ったとき、光秀は義昭が「秀吉と小一郎を自分のものにしたい」と言っていたことを思い出し、京の公家相手など秀吉には不得手な役目、あえて公家たちの笑い者になれとは酷い話だ、と信長を強く批判しました。秀吉が真顔になって信長を悪く言う者は誰であっても許せぬと言うと、光秀は詫びました。そして自分が義昭と出会ったときのことを語りました。 自分はたまたま明智の家に生まれ家督を継いだだけの男で、秀吉のように己の力で何かを成し得たのではない、美濃を追われて10年、自分は何のために生きているのかずっと考えていた、そんなとき義昭に出会った。義昭が「これも御仏の巡りあわせだと思う。我が命はこのときのためにあったのだ。力を貸してくれ。」と言ったとき、光秀も自分もこのときのために生きてきたと思えた、義昭に救われた、と語りました。 そして光秀は、将軍・義昭を支えて幕府によって世の静謐をもたらすことが自分の天命と心得ている、このことを信長に伝えてほしい、と力強く秀吉に言いました。 光秀の義昭への思いを聞いて胸が熱くなった秀吉でしたが、京都奉行の役目はやはり性に合わなくて疲れていました。小一郎に役目を代わってくれと頼んでも、小一郎も自分の役割で手一杯だからだめでした。秀吉は気分転換と称して京の町を見回ってくると言うけど、それは嘘で行先は京女のところ。小一郎は兄の嘘を見破って引き留めていましたが、結局は自分も一緒について行ってしまいました。 そのころ岐阜の木下屋敷では、寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)のところにまつ(前田利家の妻;菅井友香さん)が遊びにきていて、二人で互いの夫の自慢合戦をしていました。まつが秀吉は京で女遊びをしているかも?と意地悪を言うと、寧々は内心は不安になっていました。 それから数か月、秀吉と小一郎は京都奉行の仕事に追われ、さらに信長からの容赦ない出陣命令で但馬(竹田城)や伊勢(阿坂城)での戦(どちらも永禄12年、8~9月)に赴き、まさに息をつく暇もない忙しさでした。 秀吉がようやく一息ついて京女のところで寝ていたとき、主・信長が突然やってきて叩き起こされました。すぐに出立を命じられ、向かった先は・・? 信長は妹・市(宮﨑あおいさん)が嫁いだ北近江の小谷城に立ち寄りました。堅固な城の造りを見て信長は、城主で市の夫である浅井長政(中島歩さん)に、ここにいれば市も安心だと伝えました。 ただ信長が来ているというのに肝心の市が呼んでもなかなか出てこず、やっと兄の前に姿を現したかと思うと不機嫌で兄にも他人行儀な挨拶です。妹・市の不機嫌な理由は、信長はわかっていました。嫁いでから一度も顔を見せないどころか文を何度も送っても返事はなく、ずっと音沙汰なしだったのです。 そう、市の不機嫌が予測できていたから信長は、市に祝儀の品をたくさん用意し、そして長持には秀吉と小一郎を忍ばせ市に会わせたのでした。「2匹のサルを捕まえてきた。これで機嫌を直せ。」尾張でお気に入りの家臣だった二人が思いがけなく突然目の前に現れ、さすがの市も笑って機嫌が直りました。 市は生まれたばかりの赤子の茶々を奥から連れてきました。長政は義兄・信長に茶々を抱いてやってほしいと言いましたが信長は遠慮し、代わりに守り刀として自分の懐剣を茶々に置いていきました。傍で見守っていた秀吉はおずおずと代わりに赤子を抱かせてほしいと申し出、小さき命に秀吉は感動していました。これが後に、豊臣家を創った者と、豊臣家を終わらせた者の出会いとなりました。 信長は長政と二人きりになったとき、自分は血で穢れているから茶々を抱いてやれなかった、と長政に詫びました。そして信長は、火傷の傷が痛々しくまだ残る長政の手を見て詫び、市と子を守ってやってほしいと頼みました。そんな話をしていたら家臣の遠藤直経(伊礼彼方さん)が急ぎの用だと長政を呼びに来ました。信長は長政に行くように促し、去り際に信長を一瞥していく遠藤の腹を探っていました。 市は秀吉と小一郎に浅井家嫡男の万福丸(近江晃成くん)を紹介し、万福丸が自分を本当の母のように慕ってくれるのを嬉しく思い幸せそうでした。そして市は出世して立派になった兄弟を褒め、秀吉はすべて信長のおかげだと市に礼を言いました。小一郎は、市が美しく優しい女性に変わった、夫の長政がそうさせたのでは、と思いを伝えました。市も否定はせず、長政や子供らといると温かい気持ちになる、嫁ぐ前はずっと兄のために生きていくことだけを考えていたが、人の巡り合わせにはそういう力があるかもしれない、としみじみと語りました。 一方、父・浅井久政(榎木孝明さん)に急ぎ呼ばれた長政は、朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)から嫡男の万福丸を人質に差し出すよう言われました。景鏡は、朝倉は浅井を信じてはいるが、長政が市をめとったからにはそれ以上にゆるぎないつながりがいると言い、父・久政もそれに同意していました。 するとそのとき信長がいきなり障子を開け、厠と間違えたと言いつつ中に入ってきました。信長は景鏡を見つけて挨拶をし、将軍・義昭は朝倉義景が上洛するのを待ちわびている、と伝えるよう言いました。そのときに危機を察した信長はすぐに退室し、市と談笑していた秀吉と小一郎に「朝倉に討たれる。すぐにここを出る。」と言って小谷を去っていきました。 小谷の後、秀吉と小一郎は久しぶりに岐阜の家族のところに戻ることができました。でも京での女遊びが寧々にばれていて、秀吉を迎える寧々は笑顔だけれど目は笑っていませんでした。 二人が家に入ると木下家の身内一同と隣家の前田利家(大東駿介さん)とまつが集っていました。秀吉が母・なか(坂井真紀さん)や舅の浅野長勝(宮川一朗太さん)にら挨拶し、皆に京土産を配ろうとしたとき、寧々は不機嫌になって退室し、まつは京のことをにおわせる嫌味を言って一緒に出ていきました。 秀吉が利家に京でのことを言いふらしたのかと問うと利家は、皆には言ってない、妻のまつに言っただけだ、自業自得だ!と憎まれ口をたたくので、秀吉は頭にきて二人で「猿と犬の真似」で喧嘩が始まりました。 賑やか座敷の中で、集まった皆はそれぞれに連れ合いがいるのに、小一郎は自分は一人だと感じました。宴の場をそっと抜け出し、小一郎は直の墓の前に京土産の櫛を置き、今の思いを伝えようとしましたが、そのときに不思議な女が小一郎の前を過ぎていきました。 一方、秀吉は寧々の機嫌を取るのに必死でした。京でのことを土下座して詫びると寧々は、先ほどの酒に毒を入れた、私もこの毒薬で死ぬ、と言い出しました。秀吉は、こんなわしのために死ぬな、とひたすら詫びて懇願し、それを見た寧々は、毒は嘘だと言いました。本当にそうしようと思っていた、でも久しぶりに秀吉の顔を見たらできなかった、そういって泣きました。 秀吉は寧々に、二度と女遊びはしないと誓いました。でも寧々は、自分は子ができぬかもしれないから、本当に良き女子が現れたら遠慮なくどうぞ、とまで言いました。秀吉は、わしには寧々がいればいい、そう言って寧々の肩をそっと抱きました。 翌朝、小一郎は母・なかに繕いものを頼みました。母は小一郎に「直のことはわかるけど、いつまでも身の回りの世話はできないよ。人の命はつくろえないからね。」と優しくくぎを刺しました。そのとき甚助(前原瑞樹さん)が来て、殿・信長がお呼びだと小一郎に伝え、小一郎は急ぎ城に上がりました。 信長は小一郎に、嫁を取れ、これは主命だ、と言いました。そこには安藤守就(田中哲司さん)がいて、娘の慶(吉岡里帆さん)を呼び、廊下の向こうから慶が現れました。慶の顔を見たとき、もしかして昨夜、直の墓のところで会った女か?と小一郎は目を丸くしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 2, 2026
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