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日記のタイトルに「酒とピアノと…」と銘打ちながら、方言や「サイバラ」の話ばかり書いていると、そのうちお叱りを受けそうそうなので、久しぶりにお酒の話に戻ろう。 ボウモア(BOWMORE)と言えば、スコッチモルト・ウイスキーのなかでも、ベスト5に入るであろう人気銘柄。僕も、大好きなモルトの一つ(写真左上=オフィシャルのボウモアでも僕が一番好きなのは、シェリー樽熟成の「Darkest」。)。その蒸留所は、スコットランド本土ではなく、西方に浮かぶアイラ(アイレイともいう=Islay)島にある。 アイラ島には現在、7カ所の蒸留所(ボウモア、ラガヴーリン、アードベッグ、ラフロイグ、カリラ、ブナハーブン、ブルックラディック)から、モルト・ウイスキーが出荷されているが、その特徴は、俗に「スモーキー」とか「ピート香」とか「潮の香り」などと形容されている。 1779年創業のボウモアは、アイラ・モルトのなかでは、アイラの特徴を最もよく体現し、そして最もバランスのいいモルトだという定評がある。だから、アイラへ入門編としては一番お勧めのモルトかも(同じアイラでも、ラフロイグから始めると、その消毒薬のような強烈な香りが故に、その後、モルト全体を嫌いなってしまうこともあるから)。 そのバランスの良さとともに、ボウモアにはもう一つ、「柑橘系(とくにオレンジ)やパッション・フルーツのような独特の香り」という素晴らしい特徴がある。ボウモアからは、なぜそんな香りが生まれるのか。 「海岸のすぐそばの、海水面よりも低い場所(倉庫)で保管しているから」という説も聞いたことがあるが、海水面より低いという環境と柑橘系の香りの因果関係について、説得力のある説明はまだ聞いたことはない。 「アイラ大使」の称号を持つ、あるバーテンダーにも尋ねてみたが、「う~ん、まだ謎の部分が多いんですよね」と言う。高級品を生むモルトの樽ほど海水面より低い場所に置かれている(「1番倉庫」という呼び名で有名)らしいが、実際、すべての樽が同じ場所(条件)で熟成される訳でもない(写真右は、69年蒸留のボウモア32年熟成もの=ダンカン・テーラー社の「ピアレス・コレクション」から)。 もっとも、いつの時代のボウモアでも同じ香りがするのかと言えば、そうではない。70年以前に生産されたものに、著しくその特徴が出ていて、モルト好きには垂涎の的。しかしもともと、モルト・ウイスキーがそう注目されていない時代でもあり、当時の生産能力の限界から出荷本数も少なく、今では手に入れるのはとても難しい。 ボウモアはその後、モルト・ウイスキーへの需要が増えたおかげで、70~80年代にかけて生産設備の拡大と近代化(オートメーション化)を押し進めた。この結果、従来の手作り的な作業も機械化される部分が多くなった。 そして当時、蒸留所内に設置された省エネ設備のコンデンサー(冷却装置)に由来する化粧品くさい、「パフューム香」が「70年代後半~80年代のボウモアの特徴」という不名誉なレッテルが張られてしまった。そして、従来のボウモア・ファンは離れてしまい、ボウモア自体の評価も大きく下がってしまう。 「パフューム香」の原因について、後に、ボウモア蒸留所のオーナーとなる日本のS社のブレンダーが、「ウイスキー・ボイス」という雑誌(04年2月の第17号)で次のような解説をしている(写真左下は、オフィシャル12年の旧ボトル。昔懐かしいボウモアの味と香りが凝縮されている)。 「チンチンに熱した鍋にウイスキーを垂らすとどうなるか。ジュっと音を立てて蒸発します。その時かすかにパフュームライクな香りがします。それと同じで、熱効率を上げるための省エネを優先するあまり、コンデンサーの一部が乾いた状態になっていました。その表面に気化した液体の蒸気が触れて、一種の焼け焦げのような状態になって、パフューム香が生まれたのです」。 S社はボウモアに1988年から資本参加を始めた。そして現状に危機感を抱き、省エネ装置を取り払い、従来の冷却工程に戻すよう、現地のスタッフを根気よく説得した。自家精麦にこだわり、発酵時間や樽の材質などにも目を光らせ続けた。 そして再び旧来の方法で、丁寧につくられ始めたボウモアからは、パフューム香が消え、再び柑橘系の素晴らしい香りがよみがえり始めているという。数年前から登場したオフィシャルの8年物などは、コストパフォーマンスを考えると素晴らしいボウモアに仕上がっていると思う。 その後、S社は94年、ボウモアを買収して100%のオーナーになった。同社の営業マンは「12年物のモルトでも、03年以降から出荷されているオフィシャルのものは、相当に改善されてきています。将来は、確実にもっといいものになっていきますよ」と自信たっぷりにコメントをしているので、期待していいのかもしれない。 僕はできれば、昔の味や香りがよみがえった17年物か、25年物くらいのボウモアを飲んでみたいが、そうなると、常識的に考えて、少なくとも2010年以降の話か。もうしばらくは、8年物や12年物で辛抱することにしよう。
2005/04/30
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皆さんも新聞やテレビでよくご存知のように、25日朝、兵庫県尼崎市内のJR宝塚線(福知山線)で起きた快速電車の脱線事故で、たくさんの方が亡くなられました。 発生当日、30人前後だった犠牲者の数は、日ごとに膨れあがり、27日夜現在で97人に達し、この40年で最悪の列車事故です。現場では、28日未明も捜索活動が続いており、車内にまだ取り残されている方がいるようなので、犠牲者の数は、最終的には100人を超えそうな様相です。 事故現場は、我が家から直線距離で約5kmくらいしか離れておらず、快速電車が向かっていた尼崎駅は、神戸線を利用する僕がいつも通勤で通過する(時には乗り換えもする)駅でもあり、とても他人事とは思えない事故でした。 犠牲者の中には、今のところ、僕の個人的な知り合いは見当たりません。しかし、連れ合いが通うカルチャーセンターの知り合いの方には、友人に娘さんを亡くされた方もいたそうです(僕の会社の関係者も計7人が、この事故車両に乗っていましたが、幸い全員が4両目よりも後ろに乗っていたため、軽傷が3人、残りの4人は無事でした)。 今回の事故では、働き盛りの方や主婦だけでなく、若い学生らが20人近く犠牲になりました。大学に入学したばかりで、登校途中だった仲良しの女子学生、USJへの遠足へ行く途中の高校生、就職活動中で会社訪問に行く途中だった男子学生…、突然の事故で青春を奪われた彼らの無念さを考えると、やりきれない気持ちになります。 事故原因の究明は、まだこれからですが、ただ一つはっきりしていることは、前駅を1分半遅れで発車したこの快速電車が、制限速度70kmのカーブを100km前後のスピードで通過しようとしたことです。定時運行優先のあまり、安全第一の原則が忘れられてしまったのでしょうか。 もし、現場の運転士らに無用なプレッシャーがかかっていたとしたら、JR幹部の責任は重いと言わざるを得ません。徹底的な原因究明と再発防止策を願いたいですが、原因が判明しても、亡くなった愛する人たちは帰ってきません。慚愧(ざんき)に堪えません。 いつ、どこで、災害に出合うか、事故に巻き込まれるかは、誰にも分かりません。「運がいいか、悪いしかない」と言ってしまえば、それまでかもしれません。しかし、最も安全な乗り物と信じて利用していた都市圏の鉄道が、このような低レベルでは、安心してどこへも行けません。 事故以来、僕は毎日、1、2両目に乗るのを避けています。いやもう当分は、前の方の車両には乗ろうとは思いません。それくらいしか自分の命を守る術(すべ)はありませんから…。 今はただ、亡くなられた皆さんのご冥福を心から祈るばかりです。
2005/04/28
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皆さまお待たせいたしました。「関西弁(大阪弁?)クイズ」(23日の日記)の正答です。正答に異論のある方、突っ込みを入れたい方のお返事をお待ちしております(※印は、前回も触れたように、いまや標準語化したとも言える関西弁かもしれませんが…)。1.あんばい※(加減、程あい、都合) 文例:.お風呂の湯加減、ええあんばいになっとったわー (料理の味や果物の熟れ具合などにも使います)2.行きしなに※(行く途中に) 文例:行きしなに、駅前のコンビニ寄って行くわ3.いっちょかみ(すぐ話に首を突っ込みたがる人) 文例:.あいつ、ほんまに、いっちょかみなんやから…(いい意味でも悪い意味でも使います)。4.いらち※(いらつく人、せっかちな人) 文例:あんた、ものすごー、いらちやなぁ5.うっとおしい※(わずらわしい、うるさい) 文例:うっとおしい やっちゃ(人)なぁ…(人のほかモノや事象にも使います)6.〈ご飯を〉うます(蒸らす) 文例:ご飯、炊けたとこで、まだ、うましてる途中やでー。7.ええしのぼん(良家の子息、「金持ちの子」という意味でも使う) 文例:**君は、ええしのぼんやさかい、育ちがええわー8.おあいこ(引き分け、同じ同士) 文例:これで、おあいこやねー9.おいど(おしり)→今の若い人はまず使いません。ほとんど死語。 文例:道でしりもちついて、おいど痛―い!10.おこうこ(たくあん)→これも、ほとんど聞かれなくなりました。11.かいもく※(さっぱり) 文例:英語は、かいもくわかりまへーん12.(机などを)かく(持って運ぶ) 文例:ちょっと、僕こっち側かくさかい、机のそっち側、かいてぇなぁ(こう言われて、ほんまに机の上を爪で掻いた人がいます)。13.かさ高い(大きくて場所を占領して邪魔な様子) 文例: 父ちゃん、かさ高いから、掃除の邪魔になって困るわぁ14.きばる※(精を出す、頑張る) 文例:今度の期末試験、きばりやー!15.きょうび(近ごろ、最近の) 文例:きょうびの若いもんは、挨拶も満足によーせんわ16.ぐるり(周囲)→これもあまり聞かれなくなった言葉。 文例:ちょっと家の、ぐるりの様子見てくるわー17.ごんた(いたずらっ子、わんぱくな子、わがままな様子) 文例:**ちゃんは、小さい頃からごんたやったなぁ…18.さらっぴん(真新しいこと、新品) 文例:さらっぴんの背広やでー、なかなか似おてるやろ。19.すか(はずれ、当てはずれ、空っぽ) 文例:今度の彼女は、すかやったわー(人のほか、モノにも使います)20.せく(急ぐ) 文例:ちょっとせかな、電車に乗り遅れるでー (「せいては事をし損じる」なんてことわざもありますね)21.ちちくま(肩ぐるま)→これも今では、死語かも。 文例:小さい頃、オヤジによくちちくましてもおたなぁ…22.〈鉛筆などが〉ちびる(摩耗する) 文例:筆圧強いさかい、鉛筆の先、すぐちびってしまうわぁ23.てれこ※(行き違い=てれこてれこと繰り返して言うことも多いです) 文例:待ち合わせの場所、お互い勘違いしてもおて、てれこてれこになってしもたわー24.でんぼ(おでき、できもの)→お年寄りは今でも使います25.どつぼ(決定的な打撃) 文例:当てが外れて、どつぼにはまってもうた、あぁどないしょう!26.とれとれ(とれたばかりの、とれたて) 文例:とれとれの鯛やでー、美味しいでー (関西人なら、かに道楽チェーンの「とーれとれ、ぴーちぴち、かに料理」というテレビCMがあるのでお馴染みの言葉です)。27.〈元の場所に〉なおす(元通りにする、片づける)→関東人に分からない代表的な言葉。 文例:お父ちゃん、掃除機、押入れになおしといてー (関西人の妻から「なおしといて」と言われ、修理に出した関東人の夫がいるとか)28.ぬくめる(温める) 文例:ご飯、(電子レンジで)チンして、ぬくめといてなー 29.ねき(そば)→上方落語にはよく出てきます。 文例:そのねきに、置いてるさかいに。持って帰っておくれやす30.のっけから※(最初から) 文例:のっけから、何言うとんねん31.はんなりした(上品で華やかなこと)→ニュアンスをうまく説明しにくい言葉ですね。ちなみに広辞苑でも、「はんなり=落ち着いた、はなやかさを持つさま。視覚、聴覚、味覚にも使う」と紹介されているので、今では標準語として認知されているのかな。 文例:はんなりしたお方やなぁ…、 はんなりした味の一品やなぁ…32.びびる※(ためらう、気遅れする) 文例:相手が偉すぎて、会うのもびびってしまうわー33.べった(びり、最終) 文例:数学のテストの成績、クラスでべったやったー34.ほかす(捨てる)→これも関東人には?な言葉かな。 文例:父ちゃん、ゴミはゴミ箱にちゃんとほかしといてーなー35.ほたえる(戯れる、ふざけて騒ぐ)→あまり聞かれなくなりましたが…。 文例:(子どもに対して)お坊さん来てお経あげたはるから、ほたえるのやめなさい36.まがいもん※(にせもの、模造品) 文例:しもたー! まがいもん、買わされてもーた! (ぱちもん=ニセ物、ばったもん=安い物、なんて言い方もあります)37.まっかいけ(真っ赤) 文例:連日の徹夜で、目ぇー(充血して)まっかいけや38.めばちこ(ものもらい)→関西でも、「ものもらい」と言う若者が増えてきましたが…。39.もっさり(やぼったい) 文例:あの娘、もっさりした格好してんなぁ…40.もみくちゃ※(ひどく揉まれること、ぎゅうぎゅう詰め) 文例:今朝の電車、めちゃめちゃ混んでて、もみくちゃやったわー41.やいのやいの(しつこく求めること) 文例:まだ時間あるさかい、やいのやいの言うたらあかん42.やんぺ(終わり、止め) 文例:もう、時間遅いから残業は、やんぺにしょー43.やきをいれる※(鍛え上げる→転じて「しごく、説教する」) 文例:あいつ、最近よう怠けとるみたいやから、ちょっとやきをいれたろかー44.ゆびづめ(指を〈ドアなどに〉はさむこと) 文例:大阪の地下鉄には、ドアのところに「ゆびづめ注意」なんてシールが張っています。 (くれぐれも、ヤクザが小指つめることとは違いまーす)。45.ようけ(たくさん) 文例:福引きの景品、よーけ、当ててきてやー!46.よそいき※(上等の) 文例:きょうはお呼ばれに行くんやから、よそいきの服着ていきやー47.らちがあかん(さっぱりうまくいかない) 文例:話の通じん相手やから、ほんま、らちがあかんわー48.冷コー(アイスコーヒーのこと)→最近の若い人は使わないようですが…。49.ろくすっぽ※(満足に、十分に、真面目に) 文例:あれだけ言うたのに、ろくすっぽ聞いとらんかったなぁ50.わや(駄目、失敗、無茶苦茶) 文例:「さっぱりわややー」なんてフレーズで使うことが多いです。 以上、長々とお疲れ様でした。関西圏の皆さんには、さらに関西弁の奥深さが伝わったでしょうか? 関西圏以外の皆はん、関西へよーおこし! そして、このオモロい関西弁をぜひつこーて、関西人と仲よーしてくんなはれ。
2005/04/27
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21日(木)の日記で、「サイバラ」こと、我が愛しの漫画家、西原理恵子について記した。 その際、彼女の公式HPをリンクするために久しぶりに訪れてみたら、な、なんと!23日(土)に、大阪・キタの大手J書店で、サイン会をするというニュースが出ているではないか!! 日記に書いたわずか2日後に、愛しの西原先生が大阪までわざわざ来てくださるとは! こんな偶然は、幸運はあるだろうか! これは、何としても、万難を排して「生サイバラ」に会いに行かねばならない。行かなければ、一生後悔するだろう!だが、前日の金曜、その書店に立ち寄ってみると、あいにく、サイン会自体の整理券はもう配布が終了していた。 しかし、サイン会の会場は、その書店のあるビル1階の広いロビーだ。「行けばなんとか本人に会うことはできるだろう」と信じて、土曜の午後、その会場へ出かけた。 サイン会は午前11時、午後1時、4時の3回もあり、僕は1時少し前に行ったのだが、サイバラは、11時の回のサイン会に並んだ最後の数人に、まだサインをしているところだった。そして、午後1時からの回は、約15分遅れで始まった。 サイバラはこの日、黒いジャケットに黒のブラウス、スカートというおしゃれなモノトーン・ファッション(でも、さすがに、ちょっと太ったかなぁ…)。でも、お顔や雰囲気は、40代に突入したと思えないくらい、若々しい。 この日集まったファンは、「毎日かあさん」という毎日新聞連載の単行本出版を記念したサイン会ということもあって、小さな子どもを連れた家族連れが多かった。ベビーカーに赤ちゃん乗せて来ている親子がいたりする。 整理券のない僕は、サイン会の開かれていた会場(ロープで仕切られている)の外側から、本の見返しのページに一生懸命サインをするサイバラを拝んだ。 ロビーを通り過ぎる人たちは人だかりを見て、いったい誰のサイン会かと興味深げに見ている。OLらしき2人連れは「にしはらりえこって、誰?」なんて、喋っている。「アホ! さいばらも知らんのか!」と僕は心のなかでつぶやくが、まぁ、そういう人もいるだろう。 サイン入りの絵葉書をすでに持っている僕は、「生サイバラ」を拝めただけで、もう、十分幸せな気分だった(もちろんデジカメ持参で、写真を撮ることは忘れなかったが…)。 サイバラは一人ひとりに笑顔で話かけながら、筆ペンを走らせている。この日、計3回のサイン会で約400人のファンの本にサインするという。 午前11時から、おそらくは夕方近くまで、ひたすらサインをして、終始笑顔を絶やさず、握手して、ファンのデジカメに一緒におさまるなどサービス精神も旺盛だった。 こんな気さくで飾らないところも、サイバラが好かれる理由だろうなぁ…。そんなサイバラを見つめながら、僕は、「もし高知で生まれ育って、サイバラと出会っていたら、きっと恋していたかもしれないなぁ…」なんて、馬鹿な独り言までつぶやいていた。 サイン会は盛況のうちに終わった。会場にいたけれどサインを貰えなかたファンには、「すか色紙」(写真上)なるものをサービスでくれる心遣いが嬉しいー!。「サイバラ頑張れ! これからもずっと応援しているから」。僕は心のなかでそう叫んで、会場を後にした。
2005/04/25
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阿波弁(12月20日)、金沢弁(2月14日)、京都弁(3月22日)と書いてきて、だんだん方言ネタがなくなってきて困ったなぁ…ということで、今回は大阪弁をテーマにしようと思う。京都生まれで大阪育ちの私は、現在は兵庫県で暮らしている。言語形成期は大阪で過ごしたので、基本的には大阪弁だ。会社では意識的に標準語で喋っているが、家に帰ったとたんに言語中枢は大阪弁モードに切り替わる。 就職して最初の赴任地は北陸の金沢だったので、最初は、仕事相手とどういう言葉でしゃべっていいのか戸惑った。関西弁(大阪弁)で仕事ができるのかなぁ…、しかし、金沢弁でコミュニケーションするなんて、何年かかるか分からないし…(金沢に何年住むのかも分からない)(写真左=道頓堀と言えば、グリコのイルミネーション=これは03年秋、阪神タイガースが優勝した時の限定バージョン)。 そこで僕が取った選択は、仕事では、可能な限り徹底的に標準語で喋ろうということだった(ただ、歴史的に関西との付き合いが深い金沢では、方言のイントネーションも関西弁に似たところが多かったので、結果的に、僕の口からポロっと関西弁が出ても、そう違和感を持たれることはなかった)。 金沢でのオフィスには、当時9人のメンバーがいたが、出身地は東京あり、九州あり、四国あり、関西ありとみんなバラバラ。だから、僕が標準語で喋っても不自然さはなかった。もちろんそうは言っても、ときには無意識に関西弁も出るが、僕が関西出身と当然みんな知っていたので、それをいちいち指摘する人もいなかった(写真右=いつも人が絶えない法善寺横丁の水掛け不動さん。願い事すれば叶う?) いま僕が仕事をしている大阪の社内では、もちろん関西出身者の割合が一番多い。ただ、うちの会社は全国にオフィスがあって、採用も転勤も全国規模でやるから、大阪のオフィスには、北海道から沖縄まで、全国いろんなところの出身者がいる。だから僕も一応、会社では初任地からの標準語スタイルを、今も貫いている。そして、僕が京都生まれの大阪育ちという、生粋の関西人だと知ると、結構みんなびっくりする。 東京から転勤して来る人には、関西はまったく初めてという人も、結構いる。そういう人たちは、関西人の気質や、関西弁というものに、まず戸惑う。「地下鉄の乗客の会話がみんな漫才に聞こえる」ともよく言う。なかには、「関西が怖いー」という人もいる(山口組のイメージが強すぎ!)(写真左=大阪の名所はいろいろあれど、やはり太閤さんの大阪城。とは言っても、今の大阪城は憎き徳川が再建した城郭だが…)。 そういう人には、「とにかく街を歩いて、関西の美味しいもん味わって、先入観は捨てて、人情に触れてみてください。大事なことは、カッコつけずに本音で会話すること。歩み寄ってくる人には、関西人はとことん親切してくれますよ」とアドバイスする。「関西弁マスターして、コミュニケーションとれたら、もっと面白いですよ」とも付け加える。 今ではテレビで関西弁が席巻する。東京の山手線の車内でも、昨今、関西人は臆することなく、関西弁で喋っている(東京に出てきた東北や九州出身者が、できるだけ方言は避けようとするのと正反対という)(写真右=バカと猿は高いところに登りたがるが、大阪人だって…。通天閣は新世界のシンボル)。 関西弁(大阪弁)がこれほどメジャーになったのは、明石家さんま、ダウンタウン、島田紳助ら吉本の芸人が、テレビというメディアで当初から関西弁で貫いた功績(?)が大きい。もし彼らが標準語に「矯正」されていたら、関西弁がこれほど「認知」されることはなかっただろう。ミュージシャンも今や関西勢が目立ち、トークでも「素のまま」で関西弁を喋っている。つんく、トータス松本、平井堅、堂本剛&光一、綾戸智絵、aiko、矢井田瞳、大塚愛…等々数え切れないくらい。 「じゃぁ、関西弁教えてくださいよー」と、社内の転勤者に時々頼まれる。頼まれたことがきっかけで昔、以下のような「関西弁クイズ」なるものをつくった。これだけ知れば、貴方はもう「関西弁通」?!(関西人でも、若い人はあまり使わない言葉も一部あるが…)。関西圏の方も、そうでない方も、ぜひ一度挑戦を。 【関西弁(大阪弁?)理解度テスト】(50問:45問以上分かれば、「関西弁博士」の称号を贈りましょう! ※印は今や標準語化している言葉かも…)問題:次の関西弁を標準語に直しなさい1.あんばい※( ) 2.行きしなに( ) 3.いっちょかみ( ) 4.いらち※( ) 5.うっとおしい※( ) 6.〈ご飯を〉うます( )7.ええし( ) 8.おあいこ( ) 9.おいど( ) 10.おこうこ ( ) 11.かいもく※( ) 12.〈机など〉をかく( )13.かさ高い( ) 14. きばる※( ) 15.きょうび( ) 16.ぐるり( ) 17.ごんた( ) 18.さらっぴん( )19.すか( ) 20.せく( ) 21.ちちくま( ) 22.ちびる( )23.てれこ※( ) 24.でんぼ( )25.どつぼ( ) 26.とれとれ( ) 27.〈元の場所に〉なおす( ) 28.ぬくめる( ) 29.ねき( ) 30.のっけから※( )31.はんなりした( ) 32.びびる※( )33.べった( ) 34.ほかす( ) 35.ほたえる( ) 36.まがいもん※( )37.まっかいけ( ) 38.めばちこ( ) 39.もっさり( ) 40.もみくちゃ※( ) 41.やいのやいの( ) 42.やんぺ( )43.やきをいれる※( ) 44.ゆびづめ( ) 45.ようけ( ) 46.よそいき※( ) 47.らちがあかん( ) 48.冷コー( )49.ろくすっぽ※( ) 50.わや( ) 正答は近日公開しまーす。さて貴方は何問できたかなー?
2005/04/23
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「サイバラ」こと西原理恵子と言えば、今をときめく、売れっ子漫画家。シンプルで、大胆なキャラクター。過激なギャグからほのぼの路線まで、幅広い作風で、人気を集めている。自慢じゃないが、僕はサイバラがデビュー直後からの、熱烈なファンである。 僕とサイバラとの出会いは1990年、会社の同僚から借りた、「まぁじゃんほうろうき」(写真左)という1冊の漫画だった。自分をネタにした麻雀ギャグ漫画なのだが、これが抱腹絶倒の面白さ(ただし、麻雀というゲームを知らないと、面白さは半減するから、そのつもりで…)。大学生の頃、一時期麻雀にはまり、何度も徹マンしたくらい麻雀好きだった僕は、すっかりこの漫画のとりこになってしまう。 「まぁじゃんほうろうき」は当時、週刊「近代麻雀」という雑誌で連載中だった。僕自身は、80年代後半から、ほとんど麻雀をしなくなったのだが、それでも、このサイバラの連載が読みたくて、毎週、ちょっぴり恥ずかしさを感じながら、「近代麻雀」というマニアックな週刊誌を買っていた(「まぁじゃんほうろうき」は4巻まで出ています。何度読んでも笑えます。これ絶対オススメ。) その次に出合ったのは「サイバラ式」(92年刊)という本(写真右)。これは漫画というより、漫画付きの自伝的エッセイという感じのものだが、この本のなかには、サイバラの生き方というか、ポリシー(原点)がぎっしり詰まっている。バカとか身勝手とか言われようが、自分を信じて突っ走る生き方が…。 サイバラは高知県の浦戸という小さな漁業の町に生まれた。確か1964年生まれだったから、今年誕生日が来たら、41歳かな? 小さな町の、裕福ではない家庭に生まれ育って、高校を中退。大検を受けて上京し、予備校に通う。そして「むさび」(武蔵野美術大)に進み、貧乏暮らしの在学中から、小さなカットのような仕事からコツコツとこなして、ようやくデビューした(写真左は、西原先生のご近影=公式HP「鳥頭の城」から拝借、多謝!)。 サイバラの魅力はいろいろある。絵は決してうまいとは言えない(ヘタウマ的魅力?)。毒にあふれた過激なギャグ漫画では、作者自身が主人公であることが多いが、そのハチャメチャさが真骨頂。自分の恥ずかしいネタまでもさらけ出してくれる「サービス精神」が大好き。 そして、「ゆんぼくん」や「ぼくんち」など童話のようなほのぼの路線では、絵柄まで変わって、メルヘンチックな、心地よい余韻の残る物語を描いてしまう。同じ人とは思えない多才さ。神足裕司と組んでの「恨ミシュラン」は、サイバラの名を完全に「全国区」にしてしまった。(写真右=週刊誌の抽選で当たったサイバラ自作の版画と肉筆の絵です)。 現在、毎日新聞朝刊で連載中の「毎日かあさん」は、仕事と育児の両立にてんてこまいしてるサイバラ自身の日常を描いているが、ここでは03年に離婚したプライベートなこと(現在6歳の男の子と4歳の女の子が一緒)までギャグのネタにしている。 「離婚して落ち込んで」(本人の弁)も、それをしばらくしたら、生きるエネルギーに変えるたくましさに、僕は心打たれる(「なんてオーバーな反応!」とサイバラに言われそうだが…)。昨年出版し、ベストセラーになった「上京ものがたり」(写真左)という絵本のようなコミックは、あの「サイバラ式」以来の自伝的な内容。 高知から一人で上京して、貧乏暮らしに耐えながら、絵で食べていけるようになり、「大嫌いだった東京に『ありがとう』と素直に言えるようになるまで」(これも本人の弁)を、ギャグは抑えめに描いているが、これがまた心に染みるような味わいで、「とにかく凄くいいー!」としか言いようがない。 サイバラの漫画には、どんな教科書や哲学書を読んでも得られない、人生を生きるための何かが詰まっているような気がする。仕事がうまくいかなくて、人間関係がうまくいかなくて、落ち込んだとき、僕はサイバラを読んで元気をもらう(お酒は癒しにはなっても、元気はくれない)。 僕は、サイバラへの熱い共感と、同時代に生きている幸せを今、かみしめている。サイバラ、頑張れー!(僕も頑張るから…)。
2005/04/21
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前回(17日)の日記で沖縄の旅のことを書いたが、なかでも印象的だったのは、那覇・牧志の市場だった。魚も肉も果物・野菜も、本土ではちょっとお目にかかれないようなものが山ほどあり、見るものすべてが興味深かった。 お土産にトロピカル・フルーツを少し買ってきたが、本土に比べて、当たり前だが、値段も安いし、種類も豊富だった。本土だと1個300~600円はする形のいい、大ぶりのパッション・フルーツ(写真のなか、上)で1個150円~200円。値段と形の良さを見て、もちろん3個ほど買ってしまった。 ほかにもいくつかフルーツを買ったが、そのなかに、生まれて初めて見るようなものがあった。店先の、その果物を積み上げていたところにあった紙札には、「メロンの味、ペピーノ」「クリの味がします、カニステル」と記してあった。 ペピーノ(写真の手前右)は、ビワくらいの大きさで1個200円、カニステル(写真の手前左)はもう一回り大きくて、イチジクくらいの大きさ。1個250円だった。 名前を聞くのも、見るのもまったく初めて。店のおばちゃんが「3、4日経ったぐらいが食べ頃だよー」と言っていたので、まだ味わっていないが、果たしてどんな味や食感なのか、楽しみだ(どなたか食べた方はいらしゃれば、感想なりを教えてほしいけれど…)。 昨日、早速行きつけのBAR「C」のバーテンダーHさんに、沖縄に行ってきた話をしたが、生フルーツのカクテルが得意なHさんも、「ペピーノ、カニステルですか? 聞いたことない名前ですねー」と言っていた。 ところで、沖縄のBARには当たり前のように泡盛を置いている店が多いが、泡盛ベースのカクテルも、いまや定番になっている。泡盛にシークヮーサー・ジュースを入れ、ソーダで割ったりすると、簡単だけれど、爽やかな味と香りで実に旨い。 今回は行けなかったが、牧志の市場近くにある、Bar「Dick」(那覇市牧志1-1-4 電話098-861-8283)というお店が、泡盛カクテル発祥のBARなんだそうな(写真右&左は、Dickのオリジナル・泡盛カクテル。右はココナツとパイナップルを使った「ちむぐくる」という名のカクテル=「ちむぐくる」とは直訳すれば、ちむ(肝)+ぐくる(心)で、肝心ということだが、沖縄弁では「心そのもの」を意味するとか。左は、見た目の通り「ゴーヤーのフローズン・カクテル」。どんな味なんだろうか興味深々)。 独特のクセのある泡盛はカクテル・ベースとしては、敬遠されがちだったが、意外や意外、生フルーツなどとの相性もいいし、面白い、個性的なカクテルができる(テキーラだって、相当クセがあるけど、「マルガリータ」なんて素晴らしいカクテルになるんだから、ね)。 で、せっかくだからと、「泡盛ベースで何かショート・カクテルを作ってよー」と無理をお願いする。Hさんは「う~ん、泡盛ですか…、クセがあるから、フルーツはやはり柑橘系がやはりいいかなぁ…、ちょっと考えさせてねー」と、熟考すること約10分。そしておもむろに作り始めた。 そして、作ってくれたのは土佐文旦を使った泡盛ベースのカクテル。(写真撮るのを忘れちゃったので、写真ありません。ごめんなさーい)。ハード・シェイクでできた細かい氷が浮かぶ、そのカクテルは、泡盛の味わいをしっかりと残しながらも、文旦の爽やかで、新鮮な美味しさを生かした素晴らしい味わい! 「何かいい名前を考えてくださいよー。漢字が入った名前がいいかなぁ…」とHさんに言われたので、沖縄弁の「まーさん」(美味しい)を使って、「『まーさん文旦』ってどう?」と提案したが、連れの同僚に「そのままやないか! もうひとひねりやなー」と却下された。次回、「C」にお邪魔する時までに、真面目に考えなくっちゃ。
2005/04/19
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急な出張があって、1泊2日で沖縄へ行ってきました。と言っても、16日午後4時ごろ那覇に着いて、翌17日午前11時にはもう那覇を離れたので、実質の滞在時間は約19時間というあわただしい出張。那覇の気温は24~25度。もっと暑いかなと思ってたら、意外と涼しかったです。 沖縄訪問は17年ぶり。前回は家族での全くのレジャーだったので、那覇市内ではほとんど遊ばず、北部のムーンビーチというところのホテルに数日間滞在し、最終日に1日、那覇の国際通りを観光したり、戦跡をあちこち回ったりしただけだった。 天気はほぼ快晴。伊丹空港を飛び立ち、往路、窓からは、建設途中の神戸空港や、僕がかつて住んだ懐かしい徳島市街地&吉野川や、高知・四万十川河口、種子島のロケット打ち上げセンター(左の4枚の写真、上から下へ)が見える。 今回は、仕事の提携先との打ち合わせ&表敬、さらには懇親を兼ねてものだったので、那覇到着後すぐ相手先のオフィスへ。オフィスのあるビルは、かつての米軍住宅地の跡地を再開発した、「那覇新都心」というところにある。 「新都心」と言うから市のはずれかと思ったら、那覇市街地の中心から車で10分弱、小高い丘のような地域だった。ここ5、6年の間に急速に開発が進んだという。 付近には、近代的なビルやマンションや大きなショッピング・センターが建ち並ぶ。このような広大な超一等地を、米軍が長期間占有していたというのである。それを聞いて、少々憤りも覚える。 真新しいオフィスの1室で、早速仕事の話に入ったが、土曜日ということもあってお互い、なんとなく、「仕事の話はさっさと済ませて、飲みましょう!」という雰囲気になって、1時間くらいで終了。午後6時過ぎから、ただちに1次会に突入することになった。 1軒目は、そのオフィス近くの沖縄料理がメインの居酒屋。オリオン・ビールでまず乾杯した後、例によって、「ゴーヤー・チャンプル」「海ブドウ」(写真右上)「島ラッキョウ」「グルクン(地元の大衆魚)の唐揚げ」(写真右中)「豚足のスモークと野菜の炒めもの」(写真右下)「ラフテー(豚の角煮)」「ヨコ貝の刺し身」「など、沖縄の美味しい一品を次々といただく。 ビールの後は、当然、お目当ての泡盛!(ウコン茶割りで飲む飲み方も教わる)。こちら側は6人、先方も入れ替わり6、7人が参加し、計10数人で3時間近くを和気あいあいと過ごした。 2次会にスナック(ここでもお酒は泡盛!)を1軒に誘われた後、解散して、我々出張組は、地元の人に教えて貰った沖縄名物、山羊料理の店「美咲」へ。ここで「ヒージャー」という定番の山羊肉汁(写真右、臭み消しに、ふーちば=ヨモギ=が入ってます)に挑んだが、これは非常にクセのある味。う~ん、好き嫌いが分かれるかも。 ほかにもイカ墨汁(野菜もたっぷり=写真右)、山羊肉のタタキや「もずくのチヂミ」などもいただき、泡盛が進む。ヒージャーには「強精効果もあるのよ」と店の女将さんが言っていたが、さて? 「美咲」を出たら、もう日付は代わっていたが、那覇の夜はまだ早い。まだ飲み足りないということで、近くの久茂地(くもじ)という飲屋街にある、「Q‘S BAR」という泡盛BARへ。 ここで、あれこれ泡盛を楽しんだが、なかでも「かねやま」という1杯2千円の古酒(写真右)が最高に旨かった。この後、よせばいいのに「最後の締めだ」と沖縄(ソーキ)そばの屋台で仕上げ(あー、帰って体重計に乗るのが怖い)。 屋台では、隣席の中年男性2人が声高に喋っていたが、話し言葉が全く分からない。所々、「あれは」とか、「いつも」とか、知ってる日本語も聞こえるが、まるで外国語。地元の言葉に詳しい人にそれとなく聞いても、「僕でもよくわからんから、八重山辺りの方言ではないかなぁ」と。まったく日本は広い。 そう言えば、スナックにいた若い女の子は「私らの世代は、友だち同士で喋るときも、ほとんど方言は使わんし、おばあちゃん世代の言葉も、聞いてもよく分からんのが多い」と話していた。少しだけ教えてもらった沖縄弁。 「いっぺーまーさん」(とっても美味しい)、 「まーかいがー?」(どこへ行くの?)、 「まっから、わじりがー」(どこから怒ったらいいのか、いらいらするよ)。 こんな個性的な言葉も、いずれ、消えてしまう運命にあるのだろうかと思うと、ほんとうに悲しい。 翌朝、ホテルを早めにチェックアウトし、市中心部の牧志というところにある公設市場へ(写真左=沖縄の市場の魚屋さんの店先はトロピカル!)。ここは観光客でもにぎわう人気スポットらしいが、時間が早いせいか、客の姿はそう多くはなかった。 生のトロピカル・フルーツ(安い!)や海ブドウ、レトルトのイカ墨汁、豚足のスモーク、島ラッキョウ、泡盛などをあれこれ買い込む。連れの連中は見ているばかりで、あまり買わない。僕はそんなことには気にもせずに、買い物袋はほぼ一杯に(写真右=沖縄と言えば豚肉。市場の肉屋さんの店先にはこんな光景も)。 こんなに買っても、出費は3千円くらいと、涙の出る安さ。買い物の後、モノレールに乗って空港へ。前回来たときは、当然モノレールはなかったが、このモノレールは中心部の市場近くの駅から空港までを、わずか15分で結ぶ(ホントに便利で、快適です!)。 以上で、あわただしい沖縄出張はおしまい。月曜に会社へ行ったら、「ほとんど遊びみたいな出張やなぁ」と嫌みを言われそうだが、久しぶりの沖縄を満喫した出張でありました。
2005/04/17
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ホームグラウンド・ピアノBARにしている大阪・キタの「M」で、久しぶりにSさんの歌伴をする。今回の課題曲は、R&Bの3曲。Sさんは、最近の若い人にしては、珍しく(?)、R&Bやソウルの曲が好きだ。 歌伴したのは、アリシア・キーズの「If I Ain’t Got You」、R.ケリーの「I Believe I Can Fly」、クレイグ・デイヴィドの「You Don’t Miss Your Water」という3曲で、いずれも美しいメロディーの曲ばかり。「If I Ain’t…」は、(僕は、残念ながら見逃したけれど)今年のグラミー賞授賞式でのライブで、アリシアがピアノで弾き語りしていたらしい。あー見たかった!(写真は上から下へ、上記の3曲が収録されている3人のアルバム:Alicia Keys「The Diary Of Alicia Keys」、R.Kelly「Greatest Hits Collection Vol1」、Craig David「Slicker Than Your Average」)。 この種の洋楽の歌伴をする場合、いつも大変なのは、楽譜がないことだ。楽譜がないからコードが分からない。ピアノの歌伴の基本は一応コード弾きなので、コードが分からないと、つらい。 邦楽(J-Pop)だと月刊「歌謡曲」という雑誌があり、最新曲のコード付き楽譜&歌詞を載せてくれるので、そう苦労しない。だが、洋楽の場合は、よほどの有名アーティストか、CMか何かでブレークでもしない限り、日本国内で楽譜が発売されることはまず、ない。 という訳で、今回もCDで曲を何回も何回も聴きながら、コードを探り出して、伴奏の練習を積んだ。「曲を聴いただけで、なんでコードが分かるんですか?」と時々、質問を受ける。とくに、コードという概念のない世界で音楽に打ち込んでいるクラシック畑の人から、よく聞かれる。 楽器演奏(クラシックを除く)をしている人ならよく分かると思うが、歌伴を何年もやってると、曲を聴けばキーが分かる。キーが分かれば、そのキーで使われる主要なコード(和音)が分かる。主要なコードが分かれば、コード進行は経験的に分かってくるので、CDを聴きながらいろんなコードを弾いてどのコードが合うのか探っていけば、その曲のコードはだいたい(95%くらいは)分かる。 難しいのは、最近は凝った曲づくりをする作曲家が増え、「分数コード」が増えたこと。一般的に、例えばC(ド・ミ・ソ)コードの場合、左手のベース音は普通小指と親指で、「ド・ド」か「ド・シ♭(またはシ)」を押さえるが、「分数コード」の場合は「ミ・ミ」とか「ソ・ソ」と押さえたりする。 ベース音を変えることで、より複雑なハーモニーが生まれ、おしゃれな感じにもなる。おしゃれな曲づくり志向が高まっていることもあって、こうした「分数コード」は、最近の洋楽やJ-Popの曲には非常によく登場するが、これを耳で聴きわけるのは、僕のような素人には、かなり難しい。結果的に、うまく探り当てられるのは、経験からくる類推がヒットしているにすぎない。 そんなこんなで苦労してコード譜を完成させて、Sさんとの本番に臨んだ。Sさんは何度か聴きこんだ曲なので、さすがに初めての歌合わせなのに、見事に歌う。ただし、アリシアの「If I…」は、ネットの検索サイトで調べた歌詞にいくつか間違いがあることが分かり、次回、もう一度きちんとやろうということになった。 でも、R.ケリーの「I Believe…」はほぼ完璧で、歌も素晴らしかった。ただ、クレイグの「You Don’t…」は僕がリクエストした曲だったが、Sさんは十分に歌ったことがなかったようで、少し歌いづらそうだった(僕自身の弾き語りのレパートリーにした方がいいのかも…)。 小1時間、歌伴した後、Sさんからは早速、次回の課題曲を与えられた。モニカという女性歌手の「Before You Walk Out My Life」と、クリスタル・ケイという日本人歌手の「Motherland」という2曲。前者のモニカの曲は、この日やった3曲(すべてスローなバラード)と違って、アップテンポな曲なので、少し難しそう。 次回の歌伴は、約1カ月後。日本語の「Motherland」には楽譜がありそうだが、「Before…」は、おそらくないだろう。果たして、それまでにコードをきちんと探り当てられるかなぁ…。【追記】お時間があれば、過去の「日記一覧」から1月21日の「歌伴は楽しい、歌伴は勉強になる」、12月9日の「ピアノBARの敷居」もぜひお読みください。
2005/04/13
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昨日(10日)の日曜、朝起きたら比較的天気が良かったので、連れ合いと急遽、「近場へお花見にでも行こか」という話になった。ちょうど桜(ソメイヨシノ)はどこもほぼ満開で、まさに見頃だ。 テキトーに弁当をつくって、缶ビールとレジャー・シート、それに「午後から雨」という天気予報だったので折りたたみ傘も1本を持って、出かける。我が家の近くでは、電車で10分ほどの夙川(しゅくがわ)辺りが有名な桜の名所だが、おそらくは今日は、超凄い人出だろう。 という訳で夙川は避けて、近場も近場、徒歩15分ほどの武庫川(むこがわ)の川辺へ向かうことに。武庫川周辺は、夙川に比べると、桜の本数は少なく物足りない。だが、人出も少ないのでのんびりはできるだろうと考えて、辛抱する(写真右=満開だった武庫川辺りの桜)。 しかし行ってみると、やはり考えることは同じ。家族連れなどがそれなりに繰り出している。バーベキューセット持参で、本格的に楽しんでるグループも多い。我ら2人は、そんな盛り上がっているあるグループのそばの、満開の大きな桜の下にレジャー・シートを敷いて、早速ささやかな宴。 天気は曇りがちだが、時折晴れ間も覗いて、結構暖かい。「こんないい天気になるんだったら、近所のDさんも誘えばよかったね」「降水確率は80%って書いてあったけど、降りそうにないよなぁ…」などと、アテにならない気象庁に恨み辛みを言いながら、ビールが進む。 気になるのは、この武庫川の河川敷にも、最近は定住するホームレスが増えたことだ。目につく範囲にでも、ブルーシートで覆われた小屋のような寝ぐらが、河川敷のあちこちに、10カ所近くある。聞けば、空きアルミ缶を集めて売って、生計を立てている人も、結構いるという(写真左=写真の右下にブルーシートの小屋が見える)。 大阪市内だと、昔から繁華街近くの公園などに住むホームレスは多かった。だが、武庫川のような都市部から離れた場所にまで、ホームレスが住み着くことはなかった。5年や10年前には考えられなかった光景。都会からはじき出されたのか、それともホームレス自体の数が増えているのか、その理由はよく分からない。 経済大国といいながら、取り残された人たちに住む場所も提供できないような現実。国も地方自治体も、そんな現実に、見て見ぬふりをするばかりで、ほとんど手を差し伸べようとはしない。 「勝ち組」「負け組」という言葉が使われだして久しい。ホームレスの人たちがすべて「負け組」なのかは分からない。だが、ホームレスが存在し続ける社会が、健全な、幸せな社会であるはずもない。満開の桜をめでて、いい気持ちで家路に着きたかったが、ホームレスの人たちの現実を見て、ほろ酔い気分も半減した日曜日。 夜は、桜の花びらを浮かべて、「スプリング・オペラ」というカクテルをつくる。ジン(40ml)、サクラ・リキュール(10ml)、クレーム・ド・ペシェ(桃のリキュール=10ml)にレモン&オレンジジュースを少々。99年にS社のカクテルコンペで最優秀賞を獲得したカクテルというが、さすがに美味しい。 WOWOWで、ジャン・レノ主演のミステリー映画「クリムゾンリバー2」(インディー・ジョーンズのパクリっぽいシーンもある!)を観ながら、酒を重ねているうち、深夜ようやく雨が降り出してきた。この雨で、満開の桜も、あすはかなり散ってしまうのだろうなぁ…。
2005/04/11
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キース・ジャレットのピアノについて、どうこう言う資格は、僕にはない。でも、「素人ピアノ弾き」からみても、キースのピアノ奏法は面白くて、とても教えられるところが多い。 もともとクラシック・ピアノの教育をしっかり受けてきたキースは、もちろん指は早く動く。でも、ある種のジャズ・ピアニストに見られるような、早弾きをひけらかすような弾き方は、決してしない。キースの特徴はまず、リズムやメロディーを大切にするところ。とくにスタンダードは、原曲のメロディーラインの美しさをとても大切にする。 ただ、原曲を大切にするかと言って、キースは決してピーターソンやエディ・ヒギンズのようには弾かない。原曲をバラバラにし、キース流解釈をして、また織り上げる。結果として、元の曲を超える、キースのオリジナルなスタンダードにしてしまう。他のプロには、とても真似できないような…(写真左=今なお「進化」し続けるキース (c)universal music kk )。 メロディーラインを大切にするから、右手で単音でメロディーを弾くときは、ピアニッシモでも、とても一音、一音をいとおしむように、大切に、丁寧に弾く。だから、コンサートでもその単音の透明感が際立ち、ホールの奥までくっきりと聞こえる。しかもその単音は、決して点、点、点で切れるのではなく、しっかりと線になって連関している。 アルバム「TOKYO‘96」(写真右)に収録の「My Funny Valentine」や、DVD「Standards2」(写真左下)に収録の「Geogia On My Mind」を、機会があれば聴いてほしい。その単音(メロディーライン)の美しさに、僕は心がとろけそうになる。 昔、僕に1日だけの特別レッスンをしてくれたあるジャズ・ピアニストの方がこう言った。「**さん、1小節すべてをオタマジャクシ(16分音符)で埋めなくていいよ。いかに省略するかも大事なんですよ。むしろ一音、一音の単音を大切に、クリアに弾きましょう」と。キースを聴いていると、その教えの意味がよくわかってくる。 オリジナル曲でも、メロディーラインの美しさは際立つ。初期の名アルバム「Life Between The Exit Signs」(1967=写真右下)には、「Margot」というアップテンポのオリジナル曲が入っているが、これがまたとても美しい。後期だと、アルバム「Standards2」(83年)には、「So Tender」というオリジナルが1曲入っているが、これも惚れ惚れするくらい綺麗なメロディー。そんな美の探求は即興演奏でも同じ。きっと指が自然と「美しさ」を追い求めるのだろう。 キースのもう一つの素晴らしさは、いろんなジャンルの音楽のいいところを、自分の曲にどん欲かつ巧みに取り込んでしまうこと。「Standards1」の中の「God Bless The Child」なんて、原曲のメロディーは残しているが、雰囲気はまるでROCKだ。 1998年のソロ・ピアノのアルバム「Melody At Night, With You」には、クラシックやゴスペル、トラディショナル・フォークなどいろんな音楽の要素が詰まっていて、とても面白い。発売直後、あるクラシックのピアノの先生にCDをプレゼントしたら、聴いて凄く感激していたのを今も思い出す。 キース・ファンには有名なことだが、キースはモーツアルトやバッハが好きで、協奏曲のアルバムも出している。なかでも、チック・コリアと共演した2台のピアノのための協奏曲は、最高のモーツアルトだった(僕はNHKテレビでのステージを観て、とても感激した)。このテレビ番組で、「なぜ、モーツアルトか?」と尋ねられたキースの答えが面白かった。 キース曰く、「今では古典音楽だとか言うけれど、モーツアルトの生きていた時代には、それは現代音楽だったんだ。それにまともな楽譜なんてなかったし、モーツアルト自身、同じ曲でも演奏するたび少しずつ違ったりした。即興演奏(インプロヴァイゼーション)に近く、それはジャズのアドリブにも通じるものなんだ」。普段、寡黙なキースが珍しく熱く語った。 キースのジャズを「現代音楽のようで、難解だ」という人がいる。確かに、難解な曲もある。でも、僕は思う。20~21世紀にキースがやっている音楽と、18世紀にモーツアルトが試みた音楽にどれだけ違いがあるというのか。モーツアルトがやっていたことは、ひょっとして18世紀のジャズだったのかもしれない。 僕はモーツアルトも大好きで、協奏曲やピアノ・ソナタをよく聴く。キース・ジャレットとモーツアルト。2人ともに惹かれる理由が、昔は自分でもよく分からなかったが、今ではそれがなんとなく分かるような気がする。 エバンスのコピーは何とかできても、キースのコピーは僕には至難の業。でもキースが好きだから、僕でも弾けそうな曲に挑んでいる。今、練習中なのはいずれも「Standards2」に入っている「In Love In Vain」と「So Tender」。キースのように弾くのはもちろん無理だが、キースをそっくり真似ても面白くない。最近は、僕流にアレンジを変えてやるのも、いいかなと思っている。
2005/04/09
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キース・ジャレットと言えば、現在活躍中のジャズ・ピアニストでも最高峰の1人と言っても、決して過言ではないだろう。ファンになって20年余。聴き手の1人としてキースの音楽のことを、そして「素人ピアノ弾き」からみたピアニストとしてのキースのことを、2回に分けて記してみたい。 キースは1945年5月8日、米国ペンシルベニア州アレンタウンに生まれた(なんと、今年還暦だ!)。子どもの頃からクラシック・ピアノに親しみ、3歳の時にはすでに即興演奏もこなし、作曲もする神童ぶりを発揮していたという逸話さえ残っている。名門バークリー音楽院を卒業。65年、20歳の時、アート・ブレーキーのバンドでピアニストとして活躍し始めた。 その後、マイルス・デイビスのコンポにも在籍したが、73年頃からはソロ活動を始めた。75年には歴史に残るソロ・ピアノの名盤「ケルン・コンサート」(写真左上)を発表。キースの名はジャズ界だけでなく、幅広い音楽ファンに知られることとなる 僕が初めてキースのピアノに接したのも、この「ケルン・コンサート」だった。神が舞い降りてきたかのような、研ぎ澄まされた音とメロディー。そして全編、即興演奏なのにこれほど完成された音楽に、ただ驚くしかなかった。 そして、その後80年代に入ると、ゲイリー・ピーコック(ベース)、ジャック・デジョネット(ドラムス)という不動のトリオで、「スタンダーズ」というトリオを結成。キース流の素晴らしい解釈とアレンジで、スタンダードの名曲の数々に光を当てる取り込みを今日まで続けてきている。 スタンダーズ・トリオで録音したアルバムは、(即興演奏のものも含めると)もう15枚以上にはなるだろうか。スタンダード・ナンバーを見事なまでにキース流に料理したアルバムは幅広いジャズ・ファンに受け入れられた。 スタンダーズのアルバムはほとんどが「スイング・ジャーナル」の金賞に輝いた。近頃は、「少しマンネリ気味かも」と思わないではないが、それでも騙されたと思って買うと、僕の知らない、隠れた名曲が何曲か必ず、ある。そして、またキースにしてやられたと納得してしまう。 順風満帆と思えるキースだが、96~97年にかけては、慢性疲労症候群という珍しい病気に襲われる。「とにかくピアノに触れる気力も起こらなくなるような、とても辛い有様だった」と、キースは後に語っている。 闘病生活から立ち直ったキースが98年に発表したソロ・ピアノのアルバム「メロディー・アット・ナイト・ウイズ・ユー」(写真左下)は、これまた素晴らしい、名曲ぞろいの1枚。深夜に聴くと、身も心もとろけそうになる。 スタンダーズ・トリオでのアルバムで、「どれがお薦めか」と聞かれたら、正直言ってとても迷う。強いてお薦めの3枚を選ぶなら、(1)「スタンダーズ(Standards)2」(写真右上)と、(2)「Still Live」(写真右中)、(3)「At The Blue Note」(写真右下)を推す。この3枚に入っている曲では、(1)の「In Love In Vain」、 (2)の「Someday My Prince Will Come」、 (3)の「The Days Of Wine And Roses」が最高! キースのコンサートは2002年に、スタンダーズ・トリオのステージを聴きに行った(大阪フェスティバルホール)。相変わらず、乗ってくると、椅子から腰を浮かせて振りながら、鼻歌でメロディーをうなりながら弾くキース。でも、ピアニシモの美しさは、惚れ惚れするくらいの透明感に満ちていた。 僕は、キースは神が地上に使わした「天才」だと信じて疑わない。まだ60歳。ジャズ・ピアニストとして円熟するのはこれからだろう。隠れた名曲の数々が、キース流解釈で紹介されていくのを、僕らはまだまだ楽しめるに違いない。【追記】2019年、キースは数度の脳梗塞に襲われました。幸い、命に別状はなかったが、左手に後遺症が残り、約2年間のリハビリも効果なく、2021年に「もはやピアノを弾けることはないだろう」という声明を発表しました。とても悲しく、悔しく、残念過ぎる事実です。新たな治療法が発見され、キースが再びピアノに向かう気力が起こる日を祈るばかりです。
2005/04/07
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「この世に、永遠というものはない」。そんな言葉を以前、ある本で読んだ。確かに、人は貴賤を問わず、必ず死ぬ。形のあるものも、いつか不幸にして壊れることがある。その業界では老舗といわれる大会社だって、昨今は、瞬く間に姿を消してしまう。 BARも然り。銀座の名BAR「クール」は2003年11月、55年の歴史に幕を閉じた。オーナーの古川録郎さんは、後継者を作らず、自ら幕を引いた。「それが古川さんの美学だったのでしょう」と、ある銀座のバーテンダーは語った(そう言えば、神戸の名BARとして知られた「神戸ハイボール」の河村さんも、後継者を作らず、自分一代で店を閉じてしまった) 「クール」に先立つこと数年前、銀座6丁目で1軒の老舗BARが店を閉じた。「サン・スーシー(Sans Souci)」(写真右は、店の正面)。フランス語で「憂いなし」という意味の店名は、文豪・谷崎潤一郎の命名という(谷崎は「サンボア」の名付け親でもある。よほどBAR好きの酒飲みだったんだろうなぁ…)。 「サン・スーシー」は交詢社ビル(写真左)という銀座のランドマークとして有名な建物の1階に、昭和4年(1929)、開店した。初代オーナーは西川千代さんという女性だった。「舶来物に関心が強く、ハイカラな女性だった」西川さんは、当時は珍しかった、洋酒を飲ませるBARを開く。そして、店は新しもの好きの作家や、会社経営者、船会社の関係者らに長く愛されてきた。 それが、交詢社ビルの建て替えに伴って、2000年に店を閉じることになってしまった(実際はもう少し早く閉店したのかも)。僕が、「サン・スーシー」に初めてお邪魔したのは、もう20年以上前だろうか。 店のオーナーは、千代さんの娘である、と志さんに代変わりしていたが、店の内装やステンドグラスの窓など、レトロな雰囲気は(たぶん)昔のままだった。と志さんやカウンターのバーテンダーの方は、関西から来た若造を実に温かく迎えてくれた。 カウンターの後ろには、ゆったりとしたスペースに広いソファ席もあって、BARというより、サロンかラウンジのようで、家庭的な感じの店だった。音楽はない、静かな空間。本でも読みながら飲むと、とても似合いそうな雰囲気だった。 その「サン・スーシー」も、今はない。なぜ建て替え後の交詢社ビルにテナントとして入らなかったのか、不思議で仕方がない。最後は、と志さんの娘の富美子さんが3代目を継いでいたが、その後の消息は知らない(移転したという噂も聞いたが本当なのだろうか?)。 大阪でも「仏蘭西屋」「Be-in」、神戸でも「神戸ハイボール」「ルル」「ギルビー」などという素敵なBARが、今はもう、なくなってしまった。店を閉じた理由(事情)は、さまざまだ。「この世に、永遠というものはない」と分かってはいても、通いつめたBAR好きの人間にとっては、やはり寂しさだけが残る。
2005/04/05
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「兼八」という麦焼酎にはまっているという話を以前に書いた(3月16日の日記参照)。はまっている理由は、その香ばしい麦の香りだ。 先日、あるBARで、そんな話をバーテンダーにしていたら、「じゃぁ、**さん、きっとこれお好みのタイプですよ」とある酒をサーブしてくれた。見かけは普通のスコッチ・ウイスキー。でも、ストレートで味わってみると、「兼八」に通じるような、麦の香りがぷんぷんする。 バーテンダーは「モルト・ウイスキーです」と言う。でも、これほどまで麦の香ばしい香りがするモルト・ウイスキーは、僕は知らない。よく見ると、酒の色にはやや濁りがある。にごり酒までの濁りではないが、無濾過処理(ノン・チルフィルタード)のウイスキーによく見られる、あの濁りである。 「こんなモルトは飲んだことないよ。スコットランドのどこの蒸留所?」とバーテンダーに聞くと、ウイスキーではあるが、スコッチではないと言う。「えーっ?」と驚く僕。「こんなボトルです」と見せてくれたのは、ちょっと変わった四角形っぽい形(グレンフィディックみたいな)。 ラベルはまるでフランスワインの様。それもそのはず、このウイスキーは、ミッシェル・クーブルー(Michel Couvreur)というベルギー人のつくった会社が、スコットランドのある蒸留所からモルトを買い、仏・ブルゴーニュ地方・ボーヌの蒸留所で、シェリー樽で熟成させてつくったもの。その名は「Couvreur‘s Clearach」(写真左)という。 しかし、「スコッチ・ウイスキー」とは名乗れない。スコッチと名乗るには最低3年以上スコットランドで熟成されることが必要という法律があるからだ。だから、その条件を満たさないこのウイスキーは、スコッチではない。強いて言えば、「ブルゴーニュ・ウイスキー」だろうか。元になるモルトの蒸留所について、クーブルー社は明かしていないが、バーテンダーは「エドラダワーやハイランド・パークを使ってるちゅう噂です」と語る。 こんな味に一目惚れしやすい僕は、早速、バーテンダーに「次回、仕入れるとき、僕の分も余分に1本お願いね」と頼んだ。値段も4千円とお手頃だ。その頼んだウイスキーが先日、届いた。早速開栓。キャップは、バーボンのメーカーズマークのように、蝋(ろう)で固められていて、中はワインのように単にコルクで栓がしてあるだけという変わったウイスキー。 味は、あのBARで飲んだ如く、アーモンドやドライ・フルーツのような香りの中に、麦の香ばしい味わいが凝縮されていた。「4年熟成」とあるが、ボディはとてもパワフル。クーブルーの信念によれば、「ウイスキーの味を決める95%は、どんな樽でどの程度熟成させるかだ」という。 シェリー樽熟成にこだわったクーブレーのウイスキーの味わいは、あのマッカランに通じるものもあるが、4年ものについて言えば、無濾過処理で樽由来の雑味も一緒に瓶詰めしているので、ほんとに素朴な味わいが楽しめる。「兼八」のようなタイプの麦焼酎がお好きな方なら、きっとお気に召すと信じる。機会があれば、ぜひ一度お試しを!【追記】ミッシェル・クーブルーのウイスキーはほかにも、12年ものから38年ものまであり、お値段は8000円~42000円。なお、日本語(カタカナ)では「クーブレー」「クーブレイ」と表記されることが多いが、この日記では、仏語の音に近い「クーブルー」とした。
2005/04/03
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少し前に観た、「パッチギ!」という日本映画の話をしよう。ミステリー・サスペンス系以外、最近あまり邦画を観ない僕だが、この映画はミステリーでもない。一言で言えば、井筒和幸監督の青春映画である(「パッチギ」とは、朝鮮語で「頭突き」の意味)。 それを、なぜ観に行ったかと言えば、社のある同僚が「**さん、きっと気に入るよ、この映画」と強く勧めてくれたから…。勧める理由を、彼は具体的には言わなかった。新聞や雑誌の映画評でもとても評判がいいことも知っていた。彼がそこまで言うならと思い、シネコンへ足を運んだ。 「パッチギ!」は60年代後半の京都が舞台。主人公の康介は高校2年生、康介が一目惚れするキョンジャは朝鮮学校の生徒(写真上は、映画の1シーン (c)井筒和幸 )。キャンジャの兄、アンソンは朝鮮学校の番長グループのリーダーだ。康介はキョンジャに一目惚れするが、兄や周囲の在日の大人たちは、日本人である康介自体を認めない。 夜、鴨川の岸辺でフルートの練習をしていたキャンジャを、対岸から見付けた康介が、川を泳いで渡り切り、ずぶぬれになりながら愛を告白するシーンが、とてもいい。 浅瀬に上がった康介に対し、「もしも結婚することになったら、朝鮮人になれる?」と問いかけるキャンジャ。この映画で、僕にとって一番印象的な、大好きなシーンだ(キャンジャ役の沢尻エリカが、とても可愛い!)。 この「川」は、現実に横たわるいろんな「壁」や「差別」をも意味する(タイトルの「パッチギ」も、さまざまな「壁」に対する頭突きを意図して付けられたのか?)その「川」を必死で泳いで渡った康介。言葉であれこれ説明しなくても、このシーンはグッとくる。 日本人高校生と朝鮮高校の若者たちの喧嘩や恋愛や友情を縦糸にし、在日朝鮮・韓国人たちが抱える様々な現実を横糸にして、織り上げた青春ストーリー。だからと言って、決して政治的な映画ではない。愛あり、涙あり、笑いあり。喧嘩のシーンがやや多すぎて(写真下は、映画冒頭の喧嘩のシーン (c)井筒和幸 )、くどいという感じもしたが、全体としては、見終わって爽やかな感じすら残った。 個人的には、60年代後半の街の雰囲気がとてもよく描けていて、懐かしさで胸が熱くなった。映画のなかの音楽も、良かった。「イムジン河」「悲しくてやりきれない」など、当時流行ったフォーク・クルセダーズの名曲がちりばめられている。 音楽監修も、そのフォークルのメンバーだった加藤和彦が担当(加藤自身、龍谷大学の学生として当時、京都で青春を送っていた)。ギター・バンドをしていた頃は、僕らも「イムジン河」などをレパートリーの一つとして、よく歌った。 僕が生まれ、育った京都や大阪は、「在日」の人たちの割合がとても多い。朝鮮・韓国だけでなく、中国・台湾が出自の人もたくさん暮らしている。僕らの子どもの頃、親の世代にはまだなんとなく、彼らに対する根強い差別意識が残っていた。 だが、中学や高校の同級生に「在日」の友だちが数多くいた僕らの世代は、そんな偏見もほとんどなく、ごく自然に、普通に付き合ってきた。卒業後も、同窓会などで変わらぬ付き合いを続けている。ただ一人の人間として、好きか嫌いかで付き合ってきた。それは日本人に対してだって、同じ。これからも、その気持ちは変わらない。 「パッチギ!」は、「在日」という重いテーマを実に爽やかに、感動的に描いた秀作だと思う。10点満点で点数を付ければ、9点は贈れるだろう(1点の減点は、さっきも書いたが喧嘩のシーンがやや多すぎるところ)。もう映画館ででは上映していないだろうが、ぜひレンタル・ビデオででもご覧ください。
2005/04/01
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