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日々ネットで深堀りしていると、時にはへぇーこんな事があったんかい!ってゆーよーな事やへぇーこんなものがあったんかい!ってゆーブツを見つけることがある、ってゆーハナシ。スパーク1/43 アルファロメオ 156 GTA ”2003年7月14日 ムジェロテスト”#1 ミハエル・シューマッハ このクルマを目にしたとき、156の時代と言えばフェラーリシューマッハ帝政時代の真っ只中。なのに、いくら同族とはいえアルファロメオに乗ってアンタ一体何やってんの?つか一体何時の何てレース?てかホントに実在してんのこのクルマ?とゆーハテナ?のオンパレード。だって商品名は単純に「アルファロメオ 156 GTA シューマッハ 2004」で何の情報もなし。オトナの事情で(ロイヤリティとか)商品名に詳しく乗っけられないのかも知れないけど、要は得体が知れない。それでもシューマッハ銘柄に引かれてポチってしまうんだけど(笑)で、まあそっからあれこれ調べるわけである。 まずクルマ本体。まあ、車両はどーみてもツーリングカーレースの仕様だし、「ツーリングカーチャンピオンシップ」だの「アルファ 156」だの「シューマッハ」「2004年」「アウトデルタ」とかありったけの情報を日本語英語イタリア語全部ぶっ込んで検索してみると。。。ちゃんと実在してました、と(笑)ここのサイトに載ってた伊語キャプションからすると「2003年7月初旬の暑い木曜日に、フェラーリF1とアルファロメオETCCの合同テストがフィオラノ・サーキットで行われて、シューマッハが156GTAを走らせた」っつーんだけど、どうもフィオラノっつーのがアヤシイ。とゆーのも、 この年(2003年)ETCCタイトルを獲るガブリエーレ・タルクィーニと。タルクィーニ車がスポンサー満載なのに比べて、いろいろオトナの制約のあるシューマッハ車のなんとシンプルなことよ。(むしろレーシングスーツとメットが通常のF1仕様なのが逆に珍しいわ)この画像のよーなコースレイアウトがフィオラノにはないんだよね。ムジェロサーキットの最終ブーチネからメインストレート(とピットへのアプローチ)だよ、ココ。イタリアのテストでフィオラノじゃなければ大抵ムジェロだからね、ヤマはって調べたら大当たり。(で、スパークの2004年っつーのが大間違い、毎度毎度さすがの考証の浅さだな)2003年のシューマッハと言えば、F2003-GAの熟成が思った通りに行かずに四苦八苦してる真最中なのに、他車のテストなんて余裕ねー筈なのに何やってんねん。まあ、あくまで主眼はF1テストで、合間に息抜きしたかったのかも知れんが、さらに深堀りするとどうやらアルファの新人セバスチャン・スタールにアドバイスするために乗ってみた、と。 これは7月15日付のイタリアスピード.comのニュースソース。左からスタール、シューマッハ、アルファロメオ社長ダニエル・バンディエラ(当時)、タルクィーニ曰く「アルファは昨日のムジェロに続いて本日はフィオラノでテストを続けて、昨日シューマッハがドライブしたマシンで今日はスタールが一日テストした」とゆーことはシューマッハが乗ったのは7月14日。で、この写真は15日のフィオラノで写した1枚とゆーことになるんかね。(フロントウィンドウのドライバー名もシューマッハからスタールに変わってるし) そんで、何故シューマッハが新人ごときのテストに付き合うのか?っちゅーハナシ。実はセバスチャン・スタールは、この年の4月に他界したシューマッハ兄弟の母親と離婚した父親ロルフ・シューマッハと再婚相手バーバラ・スタールの間に生まれた異母弟なのだ。(こん時のサンマリノは喪章をつけたりメットのマルボロが黒字だったり(ラルフは黒帯を入れた)レース後インタビューを欠席したりと、なんとなく覚えてる)まー異母とはいえ弟のデビュー前テストだったら如何なターミネーターと言えども、そこはやるかな。 結局、兄の七光りが効いたのか本人に能力があったのか、とりあえずテストには合格した模様で9月のオッシャースレーベン・ラウンドにワークス・アウトデルタから#6号車で出場。レース1で19番グリッド(ケツから3番目)からスタートし、ホンダのアンドレ・クートやボルボのサンドロ・サルデリと競争するもコースアウトした後にエンジントラブルでリタイア。レース2にも参加できず、お偉いさんにもアピールできずでETCCへの挑戦は消化不良のまま終了。その後はドイツ国内レースへ戻り、2004年に独セアト・レオン・スーパーカップでタイトルを獲ったりして2014年に引退。ハナシがネタ車から逸れた。 この商品、2005年中頃に発売されたらしい。当時はまだダイキャスト全盛のいわばミニチャンプス一強時代。打倒ミニチャンを掲げ(たかどうか知らんが)hpiレーシングがデビューするのはまだ先。京商、エブロは今よりはやる気があった、そんな状況下に突如新興メーカーのレジン製ミニカー、しかも新興らしくデカール貼りとかお世辞にも綺麗とは言えない出来映えなのに値段もチョイ高い、そりゃあどこをどうとっても反射的に拒絶反応だろう。 ちなみにウチのファーストスパークは2009年7月だ。しかも買い求めたものじゃなくて読者プレゼントで貰ったもの。そして翌年4月にもう一度当選して、そこからスパーク天国が始まるとゆータイムラインなんで当時は新着情報なんかウォッチしちゃいないから、知らなくて当然(威張るな)出来は前述のとおり。ライトカバーの形状がNGなのか組立てがNGなのかわからんがボディとツライチじゃないし、フロントウインドウの白いハチマキが上にズレすぎ。今だからこそ物凄く安く手に入れたが、当時だったら如何にシューマッハ銘柄とはいえやっぱ買わない、かなぁ(笑)つか、今の技術でイチから作り直して欲しいもんだね。
2020.02.02
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地球温暖化の影響だろうが、じき11月とゆーのにここ南関東では一向に「錦秋の候」とは至らず。とはいえ街はオレンジ一色、カボチャ一色の喧騒で、確実に「読書の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」である。スポーツといえばクルマ好きはなんつっても「モタスポの秋」である。一部のカテゴリを除いて早春に開幕したシーズンが幕を閉じる時節である。チャンピオン決定の時期である。世界のあちこちで最終決戦が目白押しである。なにもこんなに集中せんでもええやんか、なくらいである。先週末はF1アメリカGPにスーパーGTオートポリス、あげくにMotoGP日本ラウンド。そして今週末はF1メキシコにスーパーフォーミュラ、MotoGPオーストラリアそしてまったく話題に上っていないが鈴鹿でWTCR(SFと併催)が開催されておる。が、まぁ世界戦っつっても要はFF車だかんね、である。FF車嫌い、面白くないんだよねぇ。コーナーでおでこ鷲掴みにされてグイっと引っ張られるようなあの感じ、嫌だわぁ。四半世紀を超えるクルマ人生の中で一度もFF車に手を出したことはないし(FFベースの四駆は一回あるが)FF車のミニチュアは1000台を超えるコレクションのなかでもほんの一握り、多分十指にも余る。そんな数少ないミニチュアFF車の大集合。 大集合っつってもたったの3台(笑)なにせ母数が小さいんだから仕方がない。これでウチにあるFF車の50%は行ってんじゃねーか?くらいにFF車は少ないわけ。けど、嫌いだからといって、仮にも全日本選手権を掛けられたクルマを集めないわけにはいかんじゃろ。とゆーことで、1996年を激走したマシン達。 前選手権(JTC)が結局GT-Rのワンメイクとなって瓦解し、次の選手権はFF車で(別にFRでもよかったがハンデが大きかった)ってなった時、実際コロナとかシビックフェリオなんかが走ってるのを見た時、いっくら普段街中でよく見かけるクルマがズドドっ爆走してるのがメーカーにとって良いプロモーションになるから、とか言われても「???」だったよ。それでも年を重ねるごとに、コストダウンとか本来の目的を忘れてメーカーが勝つために本腰を入れ出して(当然開発コストは高騰、プライベーターの出る幕なし)レーサーシルエットっぽいクルマを投入するに至った頂点のシーズンが1996年。イグニッションモデル1/43 JACCSアコード "1996年インターTEC(Rd.16) DSQ"#14 服部尚貴 JTCC初期のコロナやシビックフェリオからすると、ずっとレースカーらしいアコード。紆余曲折あった、極論素性のいいクルマを出してきたホンダ潰しをトヨタ日産があからさまに行った1996年シーズンのチャンピオンマシン。(まあ、ホンダもレギュレーションのグレーゾーンを突っつきまくったから一方的な被害者でもないが)シーズン最終戦のこのレースでもトヨタ日産の横槍で失格処分になってるところが、ロクでもないシーズンを象徴してんよね。イグニッションモデル1/43 ゼント・DJ・トムス・エクシヴ "1996年菅生(Rd.4) 2位"#36 関谷正徳 ワイド&ローなこのクルマが、それまでの背の高いおとなしい感じの4ドアセダンがチョコマカ走るJTCCってイメージを覆した功労者かも知れん。けれど実際街中でそんなに見かけなかったよなぁエクシヴ。レースカーでカッコいい=4ドアセダンの居住性無視だかんね。そーゆー意味では「自分の乗ってるクルマがレースで大活躍して結果観客のすそ野が拡がる」ってJTCC本来のコンセプトからは完全に逸脱してんよ。ちなみにIGのHP見ても、このクルマ、どこ仕様なのか記されてないが、+10kgのウェイトハンデになってることから菅生の第2レース(Rd.4)であると判断。当時は2レース制の第1ヒートの上位3台に30、20、10kgのウェイトハンデが課されて第2ヒートを戦い、そのハンデは次戦には持ち越さないルール。#36号車は年間みても第1ヒートで3位に入ったレースは菅生だけだから。JACCSアコードも同じ理由で、インターTECの第2ヒート(Rd.16)仕様である。アコードが失格になったのはレースウィーク終了後で、レース当日は第1ヒート3位に入って+10kgのウェイトを積んで第2ヒートを走った、とゆーわけ。hpiミラージュ1/43 日産プリメーラ "1996年インターTEC"#24 アンソニー・レイド 当時は確かアンソニー・リードって言ってた気がするアンソニー・レイド。いずれにせよ日本に馴染み深いガイジンドライバー。全日本F3やF3000、JGTC等々キャリアの殆どを日本で習得した。この年はツーリングカーのみBTCCを主戦場にして(日産の戦略?)JTCC最終戦のみ旧型プリメーラ(P10車)でスポット参戦。なのに第1ヒート(Rd.13)で4位、第2ヒートを3位表彰台と大暴れ。そののちアコード2台が失格処分になって繰り上げ2位と繰り上げ優勝。当日は第1ヒート表彰台外なんでウェイトハンデはつかず、ミニチュアがどっちのヒートで走った車両を再現したのか結局決め手なし。左ドアには日産ファイナンスだか日産リースだかのロゴ(ボンネットと同じもの)が貼ってあんのに右になから第1ヒートで破損して第2ヒートはまっさらなドアを取り付けてとりあえずゼッケンだけ貼りましたってんなら第2ヒート確定なんだけど、どうもそこら辺はっきりしないんだわ。そもそもドア交換するくらいぶつかったなら4位完走もないだろうから可能性は低いか。誰が記憶にある人おらんかね? レースで勝利のためなら、実車側の居住性やらなんやら犠牲にしてもいいじゃん的なトヨタに対して、あくまで市販車優先でやってきてるのが日産。ま、トヨタの物量、要は多少売れ行き悪くったって姉妹車が回収してくれる的なタマ数の多さに比べて、確実に不人気車を作れない日産、とゆーことだね(トヨタもあえて不人気車作ってるわけじゃなかろうが・・・)アコードやエクシヴに比べると明らかに前面投影面積がデカい。そんな若干ハンデのあるクルマでもド突き合いのレースなら前へ出ちゃうのがガイジンの強み。そゆとこは2018年の現代でも相変わらずなんだよね。 ド突き合いレースってのはそーゆー面白さがあるんだろうが、エアロで武装してないマシンがやっぱダサいと思われたのか、短いレースが2回ってゆーレースフォーマットが合わなかったのか、世界的には流行っていくクラスⅡ(のちグループST)レースは日本では空振り。市販車はもともとがダサいんで思ったほど売れないわりには開発コストは高騰し、プライベーターは締め出され、独自の進化で海外レース車輌との交戦も出来なくなって、シリーズは先細り。最終的にはトヨタのワンメイクレースと化して幕を閉じた。細かい事はレーシングオン「追憶のJTCC」を読んでおくれよ、っつーことで。
2018.10.29
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ようやく去年の借金完済ラス前のアイテム\(^o^)/つっても本来手に入れる予定になかったもんだけど。。。まあ細かいことは置いといて、一気呵成にがんばりまっしょい!エニフ1/43 ミノルタα-7000カローラ "1985インターTEC総合12位(クラス6位)"#7 奥脇絵里/真田睦明 ミニチュアカーの主流が亜鉛ダイカストからレジンに移行して、比較的安価で金型が作れるレジンモデル故に、新興メーカーが雨後の竹の子のように出てきて久しいが、地に足をつけて活動できているところはさほど多くない。当方が懇意にしていただいているショップのPBであるエニフは、そのアイテム選びと同様地味に活動していて、大成功とはいえないまでもまぁまぁやってるほうじゃないだろか?ロイヤリティ獲得のために大資本を投下できるような規模じゃないショップブランドとしては、メジャーアイテムをリリースするのは至難の業だろうが、逆にメーカーが取りこぼしてるようなアイテムを取り上げることができるとゆー可能性があることがマイナーマニア心をくすぐっている(とゆーか、そこしか生き残る道がない。。。)といっても、これまで古いクラウン(出来はかなりいいけど)とかBRZとかあまり食指が動くアイテムでなかったんで敬遠してたんだが、ここに来てちょいメジャーなカローラレビン(AE86)シリーズをリリースして、挙句に店先で「〇〇さん、このテのクルマ好きっしょ?」とか言われちゃった日にゃあ予約せざるを得ないわな(商売上手だ)いつもあれこれ無理難題世話になってるし、たまにはこっちが折れることもあろうよ、とレビン群のなかで一番グラフィック的にストライクなミノルタカラーをチョイス。本来戦績重視のセレクトなんだが、トップチェッカーのアドバンカラーは、これはどのカテゴリーのクルマでもそうなんだが、どうしても黒赤のあのカラースキームが好きになれんのでパス(店でも、あれ?アドバンじゃねーの?と言われたよ) 今やもう社会科の教科書にでも出てきそうな「バブル経済」そのバブル華やかかりし時代の恩恵に一番肖ったのがレース業界じゃなかろうか。人もカネもイケイケどんどんの風潮は、こと宣伝にかけてカネを渋ることはしなかったし、そうすること自体がダサイ田舎者のすることで、都会的なやり方は細かいことは気にせずにマシンにデカデカと企業名が入ってりゃあそれでよかった。それがトップ集団で走ってりゃあなおよかったが、なんかチームとかドライバーラインナップとかそんなことはどーでもよくて、レースにスポンサードしてるって事実こそが大事だったんじゃないかと、今になって思ったりする。それはクルマだけじゃなくて関係者についても同じであって、元ミスユニバース日本代表とゆー肩書きはあれども、さほどメジャーレース経験がなかっただろう奥脇女史がいきなりグループAでデビューっつーのもバブル時代ならではのことで、別に七不思議でもなんでもなかったのかも(とはいえデビューいきなり4位入賞なんで、実力はそれなりにあったんだな、きっと) ミノルタカラーの86レビンは、フロントアンダーから覗くブレーキ冷却ダクトと横出しエキゾースト以外、まったくノーマルの外観で、これこそがグループAの真髄って感じだ。本来、市販のクルマに小改造してレース仕様にするのがツーリングカーであって、のちに日本企業が生み出す「グループA車両を市販しちゃう」方法論はやっぱカタチとしてイビツだ。家族で使いまわしてるクルマが勝ってるらしいからとレースに興味を持つのと、レースで勝ってるクルマを買うことは、似ているようで裾野の広がり方が全然違うのだ。そこら辺に、日本製レース車の競争力のなさや昨今のクルマ離れの原因があったりするんじゃないか?とか思えてきちゃうよ。 とか、本来エニフの提灯記事にしようと思てたのに、変な方向に曲がってっちまったい(^^ゞだから最後に、エニフのこのモデル、なかなかいー感じにまとまってると推挙しちゃうね、と一言。シボ付きのクリアー台座もイケてるし(と、おざなりの提灯記事)笑
2015.01.18
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不幸なことに、ウチから最寄りのサーキットとゆーと、運営のまずさに定評のある富士スピードウェイなのだ。これが鈴鹿とかもてぎとか菅生とか、とにかく富士以外だったらよかったのにと悔やんでも仕方ない。サーキットの良しあしで住処を決めるほどレースべったりなわけでは当然ないんで。それでもやはり、あのエンジン音やスキール音、スタート直前のドキドキ感を味わいたくて昔はよく出掛けたもんだ。丁度グループAが終わった後で、ドサクサまぎれに始まったJGTCや「新しい」ツーリングカーレースの謳い文句で始まったJTCCが観戦の主軸、つか国内フォーミュラは興味対象外だったもんで、このふたつしかないわな(笑)だもんで当然、FISCOのハコレースといえば。。。なインターTECは絶対外してないはずなのに、このクルマについちゃあ、てんで記憶にない(^^ゞイグニッションモデル1/43 JACCSアコード "1996年インターTEC 失格"#14 服部尚貴 圧倒的な戦闘力で96年シーズン(97年も)を駆け抜けたアコード。シビックフェリオの失敗を糧に、ワイド&ローのアコードをベース車両に選んだのが功を奏しての圧勝劇。あまりの性能差に、取り残された他メーカーが大人げなくも難癖の雨あられ。コース上で勝てなきゃ政治力でってえのは、別にここに始まったわけじゃない(フランスF1チームのお家芸)が、あまりにも露骨すぎて、抗議をうけるホンダのみならずレースファンもドン引き状態。抗議をうけ一戦欠場し車両改修(1Xから2Xへ)、更に最終戦(つまりインターTEC)失格となっても、王者獲得は微動だにせず。故に"インターTEC失格"じゃなくて"96年チャンピオン獲得"ってサブタイトルの方がいいかも。 マクラーレンホンダ圧勝をうけてターボ禁止になったように(厳密には違うが)、なにかが突出すれば世界が滅ぶのは世の常。ホンダ自体もあまりの大人げなさにその後の参戦意義を見出せず、2連覇してサッサと撤退。残されたフィールドにはペンペン草も生えちゃない荒れ野原状態で、結局あとから考えれば、ここでの足の引っ張り合いがシリーズをぶっ潰し、その反省からJGTCに続くスーパーGTでは、3メーカー合議のうえでの性能調整ってシステムが生まれ隆盛を極めていることを鑑みると、JTCCの盛衰はよかったんだか悪かったんだか。。。個人的には、JTCCはプリメーラ一辺倒でアコードの記憶は殆どないんだが(見に行ったレースで失格裁定で揉めに揉めたにかかわらず、だ)ホイールハウスぎりぎりの大径ホイールに地上すれすれのシャコタンスタイルを眺めれば、あ~これこれこんな感じだったって、富士の1コーナーを駆け下りる姿がイメージできる出来のよさ。エブロからも出たりしてるんだが、モデルの佇まいがなんかあまりにもミニカーミニカーしてて嫌~んな感じ。それがエブロだって言っちゃあそれまでだが、もはやミニカー=ダイキャストは過去のハナシってことか。
2014.09.07
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長い間こうしてミニカーを買い漁ってると、なんでまたこんなの買ったかねー?ってのが、ままあったりする。そん時にチャチャっとネタにしとけば全然問題なかったものを、ほったらかして一年以上経っちまうともうダメね。勿論、フトコロ具合に余裕があったから、なんてことは確実にあり得ないので、手元にあるってことは何かしら購入動機があった筈なんだが、今となっては全然思い出せない(^^ゞhpiレーシング1/43 リーボックスカイライン "1991年 レースドニッポン ウィナー"#3 長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン 時代の名機「R32スカイラインGT-R」全日本ツーリングカー選手権2年目の1991年、真夏の風物詩、灼熱の筑波サーキットで開催されたレースドニッポンの優勝車(シーズン2勝目)。前年カルソニックスカイラインにチャンピオンを持ってかれて、ゼッケン50でスタートしたハセミ・リーボックだが、ここ筑波からゼッケン3に鞍替え。以降ゼッケン3はハセミスポーツの代名詞となるわけだが、変更理由は不明。とゆーことで、希少価値からすれば、その後珍しくもなんともなくなる#3号車を買うなら、たったの2戦だけだった#50号車を買うのが私的には常套手段なんだがなぁ。なんで#3号車にしちゃったんだろーね、ホント(笑)
2014.05.24
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半世紀も昔のハナシ。 敗戦ショックから立ち直りつつあり高度成長に沸く、まだ若造が型破りな何かを成すことが可能だった時代に、その世界の片隅でホンの一瞬だが確実に煌めいた一番星があった。当時の平均的な彼彼女よりは持つものがある家に生まれたという幸運があったにせよ、自らのオートバイでいまだ舗装もままならぬ国道一号を大阪まで一人往復する冒険を成し遂げ、それを私家版とはいえ著作にまとめるとゆー行動力は、実家の経済力云々で片の付くハナシではあるまい。アメリカに留学しトヨタの契約ドライバーとなり、順風満帆と思われた彼の人生は鈴鹿の130Rで唐突に終わる。エブロ1/43 トヨタスポーツ800 "1965船橋CCC"#20 浮谷東次郎 もはや「伝説の」と形容される、今のミニカーファンには「ららぽーと船橋」(とすら今は言わないけど)が出来る前にあった「船橋ヘルスセンター」そのなかにサーキットがあったことすら知らんだろうが、その船橋サーキットで1965年に開催された全日本自動車クラブ選手権(船橋CCC)で序盤でのレーシングアクシデントにより最後尾に落ちながらも、猛追による猛追でトップを奪い返し優勝を遂げた浮谷東次郎のトヨタスポーツ800(ヨタハチ)レースファンであるなら、温故知新でおさえとくべきマストアイテムが、エブロより新発売。これといい富士グランチャンシリーズといい、エブロはさ、流行の新型車なんか出さないでレトロ路線一直線にやってけよと思ってるんだが(そいじゃ会社が立ち行かなくなるって?いーじゃん、社長のホンネはもはやレトロF1プラモ一直線なんだから、ミニカーやめる前に出すだけ出しちゃえよって)笑 出来としては、実車自体がまるっちいってことが幸いしてダルなダイキャストでも充分な再現力っつーか、そのダルさが「味」として昇華されてるってーのか、やっぱり(ダイキャスト)ミニカーってのはこの辺の時代のクルマが一番相性がいいのかもしれん。(それにたいして近年のエッジのたったクルマは、レジン製ミニチュアモデルってカテゴリに落ち着くのかもな) なんとなく雰囲気バッチシなクルマと人物写真。てことは、エブロの再現力のタマモノか?もしかするとこのヨタハチ、エブロのベストワンなのか!?
2013.07.06
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今から30年ほど昔にエアロビ・ブームってのがあった。きっかけはオリビア・ニュートン=ジョン「フィジカル」のPVだったんじゃないかと思うんだが、それまで文系人類の運動っつったらいいとこジョギングが関の山だったのが、冷房の効いたインドアで汗を流し、しかもPVの影響か、この新しいブームに飛びついた誰もがハイレグ・レオタードにレッグ・ウォーマー、ヘアバンドってないでたちだったから大層マスコミにもてはやされた。そんなブームを、文字通り足元から支えたのがリーボック(とケイパ)足首までホールドするエアロビシューズは、いつの間にやらタウンユースにも使われ始めて、一時期はナイキやコンバースを追い越す勢いだった。今じゃそんなことやってる輩は皆無に等しいが、靴紐を蛍光色に変えるとか結び方を工夫するといった遊びもエアロビシューズならではのことだったかもしれない。ってなことを思い出すようなクルマが紆余曲折すったもんだあったあとに、ようやく発売のはこびとなった(つっても、リーボックよか断然ケーパ派だったんだがね)笑 hpiレーシング1/43 リーボックスカイラインGT-R#1 長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン 単なる版権の問題からか、はたまた後発の出来のよさに嫉妬したのか一度は企画がお蔵入りしたリーボックスカイラインがどーゆー経緯を辿ったのか知らんが(まあ、推測は出来るにせよ)最上品質でリリースされるのは良いことだ(^^)やっぱ、グループAツーリング新時代の幕開けを飾ったリーボックとカルソニックを並べてみて、片方が旧時代のトミカエブロじゃあ、並べて眺める甲斐がない。正直、現行スーパーGT車輌だって、さっさとエブロから引き揚げてhpi独版にしてほしいもんだ(となると、シーズン中に全チームモデル化ってのが難しいことになるかも知れんが。。。)
2012.09.01
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多分、その強さがあんまり評価されてなくミニカーにも恵まれず、最も過小評価されてるツーリングカーなんじゃねーか?なクルマ。いや~黒地に蛍光レッド、悪っぽくてカッチョいいね~(^^)オートアート1/43 フォードシエラコスワースRS500#1 クラウス・ルートヴィヒ/スティーブ・ソパー けれど日本じゃ、シエラはスカイラインGT-R(R32)にまったく歯が立たずに消えていったイメージが強いんだが、そもそもGT-Rはコイツを倒すために作られたんだから、その強さ推して知るべしなのに、咽喉もと過ぎれば暑さもさっさと忘れちゃうのが人間だから、その強さは連戦連勝のGT-Rの記憶にすっかり上書きされちゃって、今やすっかり忘れられちゃってんだよね。ただ、これはどうやら世界的な傾向みたいで、同時期のM3がいまだに語り草なのに、一体どうした具合なんだろか。確かにフォードイコールツーリングカーって図式はあんま浸透してないから、歴史に埋もれちまっても仕方がないことかもしれないが、最強FRグループAツーリングカーとして一時代を築いたのは間違いない。その代表格がテキサコ・スポンサードのスイスのエッゲンバーガーチーム。第1期欧州ツーリングカー選手権(ETC)の最後の2年、てか1987年はFIAによって世界選手権がかけられて(そんで大方の予想通りたった1年でシリーズは崩壊)WTCCだったからちょっとややこしいんだが、要は1987年から1988年にかけて勝ちまくって2年連続メイクスタイトル獲得(だが、勝利を一人のドライバーに集中できずにドライバータイトルはBMWに掻っ攫われる)←フォードっていっつもこうでないかい? だから、ワールドワイドで商品化するんだったらまずコレで間違いないし(国内的にはピューミニトランピオとかダンロップ清水とかあるけど)ミニチャンもイクソもコレを出してて能がないっちゃあ能がないけど、それらは今となっては入手が難しいからありがたい。他社既存品との差別化に、チカラが入ったエンジン再現(別にいらないんだけど。。。)笑と、こんだけ気合が入ってるにもかかわらず、このマシンなんだかヘン(-_-;)?まず、商品名が「フォードシエラコスワースRS500グループA 1987」ってなってんだけども1987年のWTCCでのゼッケンは#6&7で、そこでタイトル(メイクス)を獲ったんで翌1988年に#1&2をつけるようになったはず。当時タミヤから出てたプラモキットも88年のETCDC仕様で、そん時の記憶じゃ#1号車のライトカバーは黒で、蛍光レッドは#2号車。さらにボディサイドのドライバーネームも赤文字だったから、はてさてあちこちググってみると。#1号車がスタート時点でルートヴィヒ/ソパーの組み合わせで走ったのは、第4戦のハラマと第7戦のニュルブルクリングと最終戦のノガロのみ。けんど、そのどれもがライトカバーは黒でドライバー名も赤文字に見える(なにせ資料がなくってさぁ、望遠で撮ったのとかモノクロ写真とかばっかで)こりゃあ、テキトーに作りやがったなと思いかけてたところに。。。出た!ドンズバ写真(笑)なんだけどさ~、コレがいつどこで撮られたものかはっきりしない(-_-;)ただスタンドガラ空きだし、どう転んでもレースウィークの写真ではないね。なんとなく雰囲気的にオフシーズンの大らかさが写真に漂ってる気がすんだけど。商品名の1987年ってのを信じるなら(1987シーズンはドライバー名は白文字だったんで、あながち間違いじゃない?かも)シーズンオフのタイヤテストとか翌年度マシンのシェイクダウン会でのショットってことかしらん?誰かこのマシンの出自、もっと詳しいこと知らんかね?まったく、出すなら出すで、もうちっとちゃんとやって欲しいもんだよ。(けどカラバリでピューミニとかダンロップ清水とか欲しいぞ!)このエッゲンバーガーの正体は、実に9年後の未来に判明することになるのである。
2011.11.26
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イタリアの代名詞といったら一言「ムラッ気」そりゃまだマシな言い方で、悪く言えば「いい加減」って言い換えることも出来ると思うがそんな一台を買っちまったんだよ(^^ゞM4 1/43 アルファロメオGTA1600#31 ヨッヘン・リント アルファロメオ命のメーカーだったら、日本ならhpiって相場が決まってんけど、きっと彼の地じゃM4なんだろね。ってくらいこれでもか!とばかりアルファで押し切るM4の新作。ここの商品は、ショップの入荷案内で文章だけ見てもイマイチ乗り気にならんっつーか現物見るまで絶対手を出すことはしないくらい当たり外れがデカい。それは生産上の個体差ってことじゃなくて、商品の金型レベルでの出来不出来が激しいってことでそれこそがイタリアじゃんっていえばそれまでのハナシ。だから、ショップの案内で「ヨッヘン・リントのGTA」って書かれてても、ほぉ~そうかい程度のインプットで済ませといたんだが、今月分のあれとこれを引き取りに行って、たまたまオーラスの1個が残ってたんで後ろから前から眺め倒して買っちゃった。どうしてどうして、前のティーポ33同様、まあマトモな出来じゃん。そりゃ日本やドイツのカチッ!としたモデルとはレベルがちゃうけど、許容範囲の加減ギリギリ。なんつっても今のご時世にヨッヘン・リントだもんよ、その分点数甘い(笑) で、最近の業界の常識として、モデルにした車輌の出自を台座プレートに刻印したりすんのが普通なんだけど、このモデルはまぁ、それもイタリアっちゃあそれまでなんだがまずヨッヘン・リントのRindtがRintdで間違っちょる(-_-;)もっと大事なことはマシンの出自。「ウィーン1967」としか記されてない。一体何のどのレースだよ(怒)とか細かいこと言うのは、もしかしたら日本人だけかもしれないがそーゆーのに慣れた日本人は、片っ端から検索して猛烈に調べちゃうのだよ。元々GTAとしたら(あ~GTA自体は、量販車のジュリアスプリントGTの外装を全てアルミに換装して軽量化、ツインプラグにウェーバーツインチョークなどで武装したホットモデルでGTAのAは伊語で軽量化を意味するアレジェリータのA)ラリーかツーリングカーだろってアタリをつけて片っ端から走査かけてもなかなかヒットしねえ。で、視点を変えてヨッヘン・リントのほうで走査してみたらようやっと引っ掛ったのが。。。ご覧の通りくだんのマシンに乗り込むリントの図だが、添付テキストには「アスペルン(ウィーンの行政区ドナウシュタットの構成地区)、1966年」とある。なんだよ、年表記が間違ってんじゃねーか、ったくよぅ!しかも。。。 ゼッケンの大きさがてんでちゃうやねんか!ったくイタリアっつーのはよぅ(-_-;)ちゃんと時代考証せえよっつーの!ってな顛末で、コイツは「1966年の欧州ツーリングカー選手権第2戦、ウィーンはアスペルン空港を封鎖して作った特設コースでの一戦に参加した車輌である」ことがわかったんだが、なんだかさぁ、細かい事はわからんほうがよかった気がしないでもない。。。つか、細かい事気にしすぎなんかね~(-_-;)ウーム
2010.11.21
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世間じゃ山口百恵のDVDがなにかと話題だが、山口百恵といやぁやっぱ「赤い」シリーズ。そんな昭和世代直撃タイトルに呼応するかのような「青い」シリーズも一段落したんで毎度お馴染みの一気通貫。1990年星野一義/鈴木利男 “オールジャパンツーリングカー300kmレース デビューWIN”6戦5勝年間チャンピオン1991年星野一義/鈴木利男6戦3勝年間ランク2位1992年星野一義/影山正彦8戦3勝年間ランク4位1993年星野一義/影山正彦9戦4勝年間チャンピオン1994年影山正彦5戦1勝年間チャンピオン1995年影山正彦6戦1勝年間チャンピオン1996年星野一義/影山正彦6戦1勝年間ランク4位1997年星野一義/本山哲6戦0勝(最高位:4位)年間ランク11位1998年星野一義/黒澤琢弥7戦0勝(最高位:2位)年間ランク3位1999年星野一義/影山正美7戦0勝(最高位:3位)年間ランク10位2000年星野一義/本山哲7戦1勝年間ランク4位2001年星野一義/本山哲7戦0勝(最高位:3位)年間ランク11位2002年星野一義/田中哲也8戦0勝(最高位:8位)年間ランク23位 2003年ブノワ・トレルイエ/井出有治8戦2勝年間ランク7位2004年ブノワ・トレルイエ/井出有治7戦1勝年間ランク11位2005年ブノワ・トレルイエ/井出有治8戦0勝(最高位:3位)年間ランク11位2006年ブノワ・トレルイエ/星野一樹9戦1勝年間ランク7位2007年ブノワ・トレルイエ/星野一樹9戦0勝(最高位:2位)年間ランク11位2008年松田次生/セバスチャン・フィリップ9戦2勝年間ランク4位富士スピードウェイ レスダウンフォース仕様2009年松田次生/セバスチャン・フィリップ9戦0勝(最高位:3位)年間ランク11位
2010.05.01
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すっかり間があいちまった。その間にも、なじみのショップのGWバーゲン始まっちゃってアレ買ったりコレ買ったりとコレクションは増えていくわけで、ちょこっとスピードアップせんとあかんな。つーわけで、早速。 エアポケットのよーに、買うべきモノがまったくなかった4月を利用して集めまくった蒼い車群。実は92&93セットよりも先に手にしてたんだが、シリーズ最後に最初の一台を持ってのがオツってもんじゃん。hpiレーシング1/43 カルソニックスカイライン#12 星野一義/鈴木利男 1990年3月18日、山口県美祢市に集った4万の群集は、ここから4年にわたり続けられる連勝街道の最初の一撃を目撃した。西日本サーキット(のちのMINEサーキット、現美祢自動車試験場)に姿をあらわしたGT-Rは4WDゆえのレベル違いのコーナリング性能をもって他車を圧倒。 その優勝車輌を再現した「デビューWIN」仕様は、既発売の90年オーセンティック仕様を単なるホイール変更(白5本インパル→BBSメッシュ)しただけのバリエーション展開じゃなく、不評だったフロントライトの表情も一変させたリベンジ商品。最初に90年仕様と91年仕様が出たとき、迷いに迷って多分マイノリティな91年を選んどいてよかったよかった(笑) のちに、あまりの強さにワンメイク化してしまい、どこが勝ってもGT-Rという状況に比べてまだフォードシエラを始めとした他社が勝つ可能性のあったシリーズ初期のほうが、結果的にはグループA規定を市販車に反映しレース車輌に逆輸入したGT-Rが別次元の速さでひとり勝ちだったにせよ、スリリングで応援し甲斐のあるレースだったように思うのは傲慢かね? スパロボ定番の主役交代劇(スープラが主役足り得たかは甚だ疑問だが。。。)笑
2010.04.30
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昨日に引き続いて3台目。あいも変わらずワンパターンデザイン(^^ゞちょこちょこっとは違ってるんだけど、いかんせんトムスの36号車に比べるとねー。ワンパターンイコール一社独占長期安定政権っつーわけだから、それはそれで結構なことだがね。 hpiレーシング1/43 カルソニックスカイライン#12 星野一義/影山正彦 1985年から9年間、ツーリングカーレースを支えたグループA規定での最終1993年のカルソニックスカイライン。ランク4位に終わった前年と同じ布陣で、変化点だった潤滑油を出光から再びTOTALに戻し捲土重来を目指す。幸先よく開幕戦を勝利で飾り、2戦3戦4戦と優勝は譲るものの表彰台にのぼり続けて着実にポイントを上乗せ。最終9戦インターテックで初リタイアを喫するまでは、全て完走全てポディウムフィニッシュと前年とは打って変わってバツグンの安定感を示し、4勝5PP6FLでチャンピオン獲得。(但し、星野はF3000クラッシュの影響で一戦欠場し、王者は影山オンリー) そんなチャンピオンマシンは前述出光→TOTALの他にもボディサイドのニッサンとブリヂストンのロゴ位置も変わってるが、こりゃ言われなきゃわからんレベル。もっとこまい部分ではホイールデザインとか一本ワイパーになってるとかあるんだけどもコレクターならいざ知らず、例えばおねいちゃんなんぞにそこどんなに力説しても「ふーん」ですまされるレベルだな、きっとな(^^ゞそれだけですみゃあ御の字で、「だから何?」とか続けられちゃうとああ!もう!っつーかさ。所詮、他人にゃあ理解されない茨の道よ(笑)
2010.04.26
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いきなし使い方が間違ってんし(笑)コーダ(Coda)は楽曲終結部であって最終楽章じゃないねん。。。って思いながらも十年余。まったく訂正される兆しもなく、ツェッペリン最後のアルバムは今もこのタイトルで売られてる。ツェッペリン活動を締めくくる最後の作品という意味の「最終楽章」であるコイツはしかし、アトランティックレコードとの契約不履行を避けるため過去のアルバムのアウトテイクを集めたよーするにツギハギでっち上げの一枚であり、そんなわけだから今もって聞いたことがない。(今後も多分聞かないだろう)っつーのは、まあなんだ。ここ1ヶ月、琴線に触れる新作がないがゆえに可能となった「蒼い蒐集」活動が最終局面にきたんでそれに引っ掛けただけのマクラなわけで(^^ゞそんなために引っ張り出された「最終楽章(コーダ)」もいい迷惑だわな。けど、あれを評価しないってのは本音なわけで、いろいろと表に出ない理由はあるんだろうが後年の、例えばBBCライブなんかを最終作としてリリースしてたらベストな終局だったろうに。 hpiレーシング1/43 カルソニックスカイライン#12 星野一義/影山正彦 1991年のチャンピオンナンバー1号車に続いて2台目のR32。 派手なカラーリングやスポンサーロゴは別にして、街で見かけるマンマ同じシルエットのクルマ、もしかしたら(レース車輛としての最適解があるにせよ)いま自分の乗ってるクルマだって参戦するかもしれないという親近感が魅力なはずだったグループA全日本ツーリングカー選手権も気がつけば参加7台(クラス1)全てがR32GT-Rのワンメイクと化した1992年。他車相手に圧倒的な戦闘力でシーンを席巻していたカルソニック(とUJハセミ)も、全車同一ウェポンであれば、取りこぼしも増えてひとりお山の大将ではいられなくなった。 この年のカルソニックは第3戦から最終第8戦まで連続6PPと予選一発の速さをみせ、誰よりも多い優勝3回を記録するも、リタイア3回が響きまさかのランキング4位に低迷。ある意味オールorナッシング的星野哲学そのままのリザルトといえなくもないけど。 外装を殆んどいじくれないグループAゆえに、ひとつ金型を作ってしまえばマトリックスの縦方向にも横方向にも作り放題出し放題。そのおかげであれもこれも手に入るわけだけど、横軸方向ならいざ知らず縦軸方向の場合特に同一企業が超強力にスポンサードしてる場合は、各年での相違点があまりにも小さくて一体なにやってんだか?的な気分にさせられること必至(笑)1992年仕様の大きな特徴はといえば、オイルメーカーがTOTALから出光に変わってること。マシンとしては潤滑系の変更は機器のフリクションロスや耐久性に影響大だけど、見かけ上はバンパーやサイドスカートの小さなロゴにしか表れないのが玉に瑕。んで翌年には再びTOTALに再変更されてるところをみると、この年突然増えたリタイアが関係してんのかもしんないね。
2010.04.25
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ランチアLC2を買いに行った時、実はもうひとつ買おうかと思ってたのがあったんだが実物を眺めるとあんま良くなくてね(-_-;)黄色ボディのパラボリカ・マクラーレンF1GTRだったんだが、やぁっぱミニカーに黄色は鬼門だわ。パネルライン沿いの発色の悪さ、つまるところコストカットでダイキャスト地肌にプライマーをかけただけで即黄色の塗装に入ってるから、塗料の乗りにくいパネルラインエッジ部に地肌が透けて見えて、そこに黄色が薄くのるからなんか緑っぽい変な色合いになるんだよ。地がレジンならまだ淡色だからさほど目立たないがダイキャストの黄色は、ホント駄目。長いコレクション歴のなかで、唯一満足できる黄色ボディだったのは、今はなきヘルパ43シリーズのイエローフェラーリ。これはオールプラの無塗装パネルにクリアコートに加えて全てのパネルが開閉するって構成だから塗料が乗る乗らないなどとは無縁のシロモノだから、あぁ何で売っ払っちまったかなあ!とか嘆いててもしゃあない(^^ゞとにかく、マクラーレンがサイテーの出来だったもんでスルーを決めて、そいじゃせっかく来たんだからとショーケース物色しててバーゲン叩き売りのコーナーでめっけたわけよ。ミニチャンプス1/43 BMW320si#2 ヨルグ・ミューラー 去年今年と岡山開催されたWTCC。シロートみたいなヘタクソなカメラアングルのせいで、ちっともコンペティションが伝わらなかったサイテーのテレビ放送だったが、レースカー然としていない、街乗りまんまの外観なのも一役買ってるのは間違いにないな。それこそがツーリングカーの原点だしょ?ってもっともな意見もあるけれど、それって同じ車種のオーナーには嬉しいこったろうけど、それ以外にアピール出来るほどの個性は持ち合わせてないよねえ。。。JTCCが没落してったのも、そこに起因するでしょ?サーキットを走ってるまんまのクルマ乗れる!つってもそのセダン自体に魅力がない(笑)だから1500円くらいで売ってるのが、他車ユーザーには相場だね。さらにこのベンベは、レースカーにあるまじき地味なカラーリング。ワークスカーだから、別にスポンサーなんざいらねーやい、ってことでもあるんだけどもうちょっとなんか貼ってあってもいいんじゃね?ただ、ドライバー出身国の国旗をあしらったデザインは、数集めると面白いかも?なんて、イカンイカン。すっかり集める気じゃん(-_-;)
2010.01.14
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何百何千の照明に浮き上がる市街地コースと人口の光の下で通常よりも低いトーンに映るF1マシンはなかなかに幻想的でよろしいものだが、市街地コースといえば伝統のモナコのほかもうひとつ挙げるとすれば東洋のラスベガスことマカオだろう。F3ドライバーの世界一決定戦と位置づけられるマカオGPはセナを筆頭にシューマッハ兄弟、ハッキネン、クルサードなそれこそ綺羅星の如き人材を輩出してきたわけだが、ルマンの結果でさえ何処吹く風のレース後進国じゃ、さらに草レース的扱いのマカオGPなどどのくらいの人間が知ってんだろか?更にそのグランプリのサポートレースとなれば、まず存在そのものがあることも知らんだろうし各国のツーリングカーが覇を競うそのレースで日本車がぶっちぎりで優勝したことも知らんだろ。 hpiレーシング1/43 カストロールスカイラインGT-R#23 長谷見昌弘未だに精力的にバリエーション展開するhpiのGT-Rだけに、何を買おうか次に何が出るかあれこれ迷ってる間にタイミングを逃すってパターンに陥るが、まあ、数量も随分出してるんで完売を焦ることもなく、マイペースで選べるのがいい。結果的に、こうして新品を半額以下で買えたりするわけだし(笑)1990年のマカオGPといえば、かのシューマッハとハッキネンのどつき合いによる決着が有名だが、その日の午前中に、まったく危なげなくぶっちぎりで各国の最強ツーリングカーを下したのがR32GT-R。デビューしたての車輛での(B級レースへの)海外遠征に日産本社もニスモも消極的だったがマカオGP国際化の立役者である富豪ティディ・イップとのしがらみ(イップがオーナーだったセオドールからF1デビューの話があった)から、ここをどうしても制覇したかったのかメーカーを口説き落として車輛を借り出し、スポンサーも自らかき集めたハセミサンは思惑通りにレースを制して、コースが見渡せるホテルのバルコニーでシャンパンなんぞを一杯やりながらグランプリをのんびり眺めてたとかなんとか。。。国内レースとはまったく異なるカラーリングのスカイラインはよく見ればあちこちに漢字ロゴが入って異国情緒満点でかっこよろし。日本のシーズンが終わってからの急作りのやっつけ仕事にしては、かなりいいセンス。今のGTマシンもこんな風に漢字のロゴつけたらかっちょいーんじゃないかと思ったりもするがそれは大陸で走ってるって前提がアタマにあるからで、フジやスズカで「カルソニック」とか「エプソン」とか日本語をデカデカつけて走ってるのはダッセーと感じるんだろうね、きっと(笑)
2009.09.27
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さても連続マーチっつー思わぬ展開で幕をあけたシルバーウィークバーゲンだがここで本命の登場である。ぶっちゃけ先行商品のカラバリ商品なんだが、個人的にはこっちのほうがドハデでよろしおす。 hpiレーシング1/43 アルファロメオ155TSシルバーストン#155 ガブリエーレ・タルクィーニ当時、世界で一番激しいツーリングカー選手権で名を馳せたイギリス選手権(BTCC)。レースの戦績が販売実数に直結する欧州においては、どのメーカーもここを避けては通れずまたマシンの外観が市販車から逸脱しないということも手伝ってか大盛況。アルファロメオも例外ではなく、ここを制覇する意気込みを大胆にも名前にイギリスのレースの聖地シルバーストンを織り込んでの参戦は見事チャンピオン獲得。その一方、販売戦略など企業の営業的側面から(と思われる)各国の選手権にもフルシーズンとはいかないまでも積極的に参戦していた。前回発売分のジャンバティスタ・ブージのJTCC仕様#55車もそうだったが、これもまた同じ。CET(Campeonato de Espana Turismo)、西語はまったくの門外漢なんでなんだが、雰囲気的にスペインツーリングカー選手権っぽいよな。選手権の概要なんかは鎖国ニッポンじゃ調べようもなく、まあスペインだからセアトは出てたくらいのことは創造できるが、他にどんなクルマがいたんだが皆目見当がつかない。とにかくそのCETで、第9戦ハラマで優勝、第10戦ヘレスで2位表彰台の戦績を残してる。ボディ全体にわたって描かれたアルファの紋章がド派手で、わりかし地味なBTCC仕様よりもレース車輛っぽくて(レーシングカーにレースっぽいもないが)いー感じ。ちなみにBTCC仕様は これみるとやっぱCETのほうがいいっしょ?(着回しの好きなhpi、お次は自国イタリア選手権出場車も出すんだが、あれは黄色ベースでいかなhpiといえども黄色の塗装は一段仕上がりが落ちるんでそいつはパスだな、多分)
2009.09.22
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世の中、捨てる神あれば拾う神もあって一旦拾われると人生うまいこといくようになる見本。最多予選落ち記録の持ち主でF1失格者のイメージしかないガブリエーレ・タルクィーニ。同胞の好なのか、アルファロメオに拾われてあれよという間にBTCCチャンピオン。どんな選手権でもチャンピオンって箔がつくと事態は好転するもので、F1やめて知らぬ間に人生フェイドアウトどころか現役バリバリのハコ車使いだ。 アレクサンダー・フィッシャー1/43 セアト レオンTDI WTCC2008#11 ガブリエーレ・タルクィーニ日本じゃまったくアンノウンなスペインの自動車メーカー、セアト。北部山すその都市名を冠したレオンは、親会社フォルクスワーゲンのゴルフ、アウディのA3と同一のプラットフォームをもつ2リッター直4の兄弟車。こいつに、アウディお得意の直噴ディーゼルエンジンをぶち込んだWTCC参戦車。直噴2年目の2008年は、5台ワークス体制でライバルBMWに圧勝。タルクィーニはブラジル・チェコ・地元イタリアはモンツァで勝って堂々のランク2位。スペインらしい黄色主体にスペインと言ったらコレしかねーだろってくらい代名詞なレプソル石油のスポンサードをうけて、太陽の国らしいカラーリングがいいね。基本黄色のミニカーは買わない主義なんだけど、コレはパネルラインの澱みも目立たずいい感じだったんで迷わず購入。雑誌の写真なんかで、勝手にビッツサイズに毛が生えた程度とかイメージしちゃってたんだがゴルフやA3と兄弟なんで実は長かった。初開催の岡山での実況は、カメラアングルが非常にシロートだったんで、すぐに見るのやめちったのよ。(だってさあ、それ抜くぞ!ってなったら必ずバンパー大写しして、激しいぶつかり合いのバトルはどうよ!みたいな演出に切り替えやがって、肝心のパッシングシーンを俯瞰で見られないんだから、面白さ半減だろ?)だから、こうしてあらためて他のミニカーと比べてみて初めて判る大きさ(笑)そして思いのほかカッチョいい。よし、今年も岡山開催はあるんで、もし地上波でやれば、こんどはちゃんと見てみよう。カメラアングル改善前提だけどね。
2009.08.27
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日曜のF1欧州GP、とっくの昔に消費期限が終わってるバリチェロが勝ったのにはびっくらしたよ。本人は実力で押し通ったとか思ってるらしいが、ありゃマクラーレンが勝手にコケただけのこと、決してバリチェロの実力じゃねえ。これを花道に、とっとと出てってくんないかね。つってもこのご時世、別のカテゴリーに行くってぇのもネームバリューだけじゃなかなか再就職もままならないんじゃね?んで、モントーヤの例を出すまでもなく、行った先で確実に活躍できる確証もないし。むしろ名前がデカいと、普通に頑張ってもこんなもんかよ程度の評価しか得られずに、いつの間にか消えているパターンに陥りやすいな。逆に、F1失格者が思わぬ活躍をする場合がある。 hpiレーシング1/43 アルファロメオ155TSシルバーストン#55 ガブリエーレ・タルクィーニF1で、最多予選落ちという不名誉なタイトルホルダーのタルクィーニだけに超弱小チームをいくつか渡り歩いたあとにひっそりと引退して、当時人気を博していたイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦。ワークスアルファをどうして手にしたのか、94年といえばDTMに総力を傾けていた時期でナニーニ、ラリーニはじめバーテルズ、フィジケラ、クリスチャン・ダナー等々綺羅星の如くでBTCCにまわす人材がなかったのかも(笑)理由はどうあれ、王者獲得したイタリアF3以来初めてちゃんとしたマシンを手にしたら開幕5連勝!を含む8勝をマークし、堂々のシリーズチャンピオンになるんだから人生そうそう悪いことばっかじゃないもんだ。hpiの人気を決定づけたと言っても過言じゃない155V6TIからはや10ヶ月。今再びアルファ155である。といっても他社のように既存金型使ったカラーバリエなんて展開じゃなく、クラス2車輛を新規金型での発売にメーカーの勢いを感じるね。オバフェンに派手なリアウィングなど、レースカーとしてわかりやすい記号をもつクラス1の155もいいけど、頑なに市販車フォルムを守ったクラス2車輛も魅力爆発。彫りの深い凹モールドにもかかわらず、ちゃんと塗料がまわってるタンポ印刷ロゴ。フェラーリとはまた趣を異にする渋いアルファロッソ。どこから見ても死角なし。チャンピオンマシンの#55じゃなくても見かけたら即買いをオススメしちゃうね。とはいえ。実のところクラス2のレースってあんま好きくなかったんだよね~(^^ゞBTCCをお手本にしたJTCCも随分と観戦したけど、直近のグループAレースの迫力に慣れきった身には、非常に物足りなかった。グループAが、スタープレーヤーを多数抱えて、自陣奥深くから華麗な縦パスをポンポンポンと繋いでシュートするような感じに比べて、サッカー始めたばっかの小学生が敵味方入り乱れてボールの周りにかたまって、ワーワー叫びながら相手方ゴールまで一団で移動する、みたいなイメージがあって、なんか泥臭かったなあ。マシン的にもFF4ドアってのはレースカーとしてムリがあったよね。前面投影面積の大きいクルマがブワ~と向かってきても、速さを感じられないし。挙句が、接触して押し出されたことを根に持って、ノロノロ一周走って相手が周回遅れにしようとしたところ、意趣返しに故意に相手にクルマをぶつけてリタイアに追い込む暴挙。そーゆー負のイメージしか持ってないんだわ。よかったことってーと、妙に車高が低くて、前面投影面積が小さい、本末転倒なセダンが売りに出されたことくらいかな~。そんなクラス2マシンだけど、ミニカーにするとこれが最高にいー感じにカッチョいいから世の中不思議なもんだね。
2009.08.25
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ここんとこ面白いミニカーなくって、どいつもこいつもみんなスルー!と書いた舌の根が乾く間もなく宗旨換えである。なんとなれば、プラモ素材を探しに言ったショップで半額セールしてたからさぁ。定価じゃ動かん食指も、半額となっちゃあハナシは別よ。いそいそとふたつも買っちまったい(^^ゞ(定価で、商品確保にあんなにしゃかりきだった155も叩き売られてたのは、ちと寂しいが)hpiレーシング1/43 アクシアスカイライン#22 清水和夫/トム・クリステンセン組メインスポンサーのピューミニにかわってAXIAがメインを張るようになって2年目のプロジェクトTチーム。トランピオのロゴでわかるように、チーム運営はトーヨータイヤ。前年の影山正彦に代わって新加入のルマン優勝請負人(とは当時は言われてないけど)トム・クリステンセンのコンビで優勝1回(夏の鈴鹿)2位3回で、さらに全戦入賞するもインパルとハセミの壁は崩せず、ランクは4位くらいだったんじゃなかったかな~そーゆーとこ調べるデータ-ベースがないんだよね、この国には。JAFにゃあ個々のレース結果は記されてるけど、全体を体系的にまとめたもんがないって統括団体だったくせに一体どゆことよ?クルマ文化なんてしょせんはゾク上がりの遊びでしょって上のほうが思ってるのミエミエ。硬直した死に体の組織にナニ行っても始まらないか。そんなことより、外見がほぼ市販車イコールっつーことはチーム間で見映えに差がないグループAの特長を目一杯活かすカタチでバリエーション展開するhpiの世界戦略車R32。しょっぱなのカルソニックを手に入れたからそれでいいや(なんたって小数R33派!だから)と思ってたけど、半額叩き売りとなったらそりゃ手を出しますがなにか?他にも黄色いのや緑や白もあったけど、定価だっても機会があったらコレ!と常々思ってたアクシア号を迷わずチョイス。そのココロは。まず戦績云々よりもただ単に盲目的に、模型的見地からして興味があったから。あのメタクソなボディのペイントをどう再現してるか?ってその一点。そーゆー意味じゃHKSでも良かったんだけど、あれは緑の目が気に入らん。それと、当時はアクシアのGT-Ix、ヘビーユーザーだったからね!つっても、アクシアって何だ?ってことになっちゃってるんだろうなー今きっと。検索すりゃあ出てくるけど、AXIAは富士フィルムの今はなき国内ブランド名。主力はカセットテープ(カセットって何?は勘弁してちょ)TDKやらマクセルやら林立するなかで、初めて採用したクリアー素材のボディがオシャレで爆発的に売れたのだ。んでから、宣伝広告もイケイケアゲアゲで、ボン・ジョヴィ使ってCM作って全米ナンバーワン「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をガンガン流した、と。懐かしいハナシだが、まあそんなこってアクシアスカイラインなわけなんだけどオール印刷、デカールなしを標榜するhpiらしさ爆発の仕上がり。今、雨後の筍のようにエブロも京商もR32だが、ここまでやって値段とれよな。京商はちっとは良心的なんで語気は弱いが、エブロ!ざけんなよ、と。 最後に、当時のメモラビアと共に(^^)3位入賞した富士のインターテックのグランドスタンド裏のブースでおねいちゃんに貰ったんだよ。名前も知らんけど、よかったなーおねいちゃん、強烈で(笑)#22号車が3位入賞なんてちっとも憶えてないけど(オイオイ)マシンの右フロントとリアウィング下段に貼られてるステッカーと同じもの。こんなんばっか取っといてるから、片付かないんだよなー(^^ゞ
2009.06.25
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昨夜、いつものようにネットショップ訪問してたら「hpi本日入荷」ってのを見つけてしまって。そこは小売もする卸問屋なもんで、入荷日などの情報は最新かつ正確で卸問屋という性格上、関東圏じゃ一番速く入荷するショップのひとつだ。あそこで本日入荷ってんなら、ウチの近所のリアル店舗なら、1日ズレで入ってくるはずだからってんで、早速行ってみた。いやね、ウチの近所の店は、数量も日程も不正確だってんでhpiの予約をある時期からやめちゃってんだよ。グリフォーネのデルタがそこに引っかかっちゃったもんだから、即行で確保せねばってな訳だ。ま、今回の本命は誰が見てもカラバリのデルタじゃなくて、BNR32だから焦らなくても完売御礼は出んだろうとは思ったんだが、近年ハズレ個体の多いミニカー業界ゆえ、店舗在庫が残ってる段階で取捨選択しないとね。ってことで、予約なしの現品確保ならこの店と決めてる常時20%引きのショップで予定どおりデルタを確保。BNR32も売ってたが、そこではスルー。近所の店舗のほうで予約済み(その時はまだhpi予約してたのだ)だからさ。で、デルタ確保の帰り道、そっちから連絡入って、予想通り一日遅れでGT-R入荷。 hpiレーシング1/43 カルソニックスカイライン1991#1 星野一義/鈴木利男これから大量発生がアナウンスされているグループA時代のスカGの第1弾。BNR32デビューイヤーの1990年を#12のカルソニックで戦い6戦5勝の圧勝でチャンピオン獲得し、栄光のカーナンバー1を背負って走った1991年モデル。6戦3勝で勝ち数は長谷見車と同じだが、長谷見が勝ったレースでの取りこぼしが多く翌年はふたたび#12をつけて走ることに。基本BNR32は、最初から最後までボディ外観の変更点はなく、スポンサーロゴがちょっと違うだけだから、同時発売の#12でも別によかったんだがエブロの#1を所有してる関係で、どーせならチャンピオン列伝やるか!ってことにした。そのエブロ(トミカエブロだけど)のリーボック号と見比べてみると、発売時期が違うからしゃあない部分もあるんだが、フロントのライトまわりとかエッチングパーツの多用だとか、ネガキャン再現してるとか、その差は歴然。そういう細かいところを突かなくても、パッと見た時のたたずまいが全然ちゃう。こちら、そのトミカエブロ。 この数値や仕様ではうまく言い表せないたたずまいって大事だぜって湾岸ミッドナイトにも書いてあったろ(笑)まさにそのとおりで、hpiのBNR32は名作となるかも知れんな。ただ、出場全車種を網羅しそうな勢いはちょっと勘弁してくれよ、な部分もあるけど。 メーカーイチオシの「今まで誰も再現しなかったタイヤのネガキャン」カルソニックのほうのタイヤがハの字になってる。ライトの質感も要チェック。
2009.01.17
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昨日は、市販車とは似ても似つかぬスーパーGTのNSXだったんでスーパーGTとは真逆に位置するツーリングカーを、ってことで。エブロ1/43 富士通テントムススープラ#37 粕谷俊二/杉崎直司組1990年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)を走ったGr.Aスープラ。トヨタワークス・トムスの2ndカー。この年のトムスは1st(#36)2ndともドライバーが安定してなくて、粕谷&杉崎の組合せは、第5戦、今は懐かしき仙台ハイランド300kmレースのみでトップから4周遅れの19位フィニッシュだった。GT-Rが復活して、旧態然としたスープラじゃまるで勝ち目なし状態。NSXではヘンにデフォルメが入ってたエブロだけど、このスープラに関してはバッチグーじゃないかね?つか、もともとデフォルメしようのないプレーンなスタイルだぁな。カナードもリアウィングもなーんもない、車高も高いしボディ下だって市販車のまんま。Gr.Aは、このツルシの市販車となんら変わらないスタイルで、ビャ~っと走ってギャギャっとブレーキかましてブチ抜くのがよかったんだよね。みんな自分の乗ってるのとまんま同じルックスのクルマがレースしてんだからスーパーGTとはシンパシーの度合いが違うわけよ。中古買って全塗装してステッカー貼れば、立派なGr.Aルックの出来上がりだもん。サーキット行くと駐車場に必ず何台かはいたなぁ、そういうの(^^)今もまだ大事に乗っててもらいたいもんだよな。
2008.10.24
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今日はついにミニカーギャラリーPIT最後の日。今のところに移転する前から、なんだかんだで10余年通った店があっけなく閉店するのは、なかなかココロ寂しいものがあるな。潰れたミスタークラフトみたいにブームに天狗になることもなく、ずっと一定のレベルを保っていた良心的な店(特に店員が)だったのにな。(良心的ゆえに撤退することになったやも知れんが。。。)季節代わりのバーゲンセールなどで色々世話になったこともあって、グランドフィナーレに顔を出して、またまたセール品を3台漁ってきたよ。この時期はGT-RのロードカーとGTマシンだけの予定だったのが結局プラス13台になってしまった(^^ゞまあ、今日の3台が何かは別に譲るとして、こないだ手に入れた中の最後の1台。 トミカエブロ1/43 リーボックスカイライン(BNR32)#1 長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組’90年のJTCマシン。いわずと知れた、勝つことを運命づけられた復活のGT-R。4WDを活かした異次元のコーナーリングでライバルを圧倒したが、この年は7月の鈴鹿の1勝のみ。リタイアの筑波レース・ド・ニッポンを除くすべてで2位表彰台(万年2位ともいうな)。上にはいつも星野/鈴木組のカルソニックがいた。星野の、ズドドッと出てってズババギュイィィーンって非常に判りやすい走りがあんま好きじゃなくてね~、こんだけ頑張ってますみたいなアツさがウザイ。そうじゃなくて、あんま汗かくこともなく気がつけば2位な長谷見のドライブが好きだったね~クロート好みじゃん、みたいで。だからこの年は、かなり悔しい思いをしたって記憶があるな。ま、翌年は同じ勝ち星で入賞回数の差という長谷見らしさ全開で星野をうっちゃって溜飲を下げたんだけど。結局この2年のリザルトで、Rじゃなきゃ勝てない雰囲気が充満しちゃって(事実デビュー以来負けなしの29連勝)’92年にはほぼ全車GT-Rのワンメイク化。シリーズを終焉に導くことになってしまったのは皮肉。惜しむらくは、この最強のGT-R、ほぼ国内販売オンリーだったから世界と闘う機会なかったのが残念。いろいろ問題はあったろうが、世界販売していれば、ヨーロッパの様々なレースシーンで活躍する姿が見れたろうにな。それが残念(-_-;)
2008.09.15
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タイトルにはあまり意味はない。そんで、世の中一般、に人でも何でも3兄弟の真ん中は出来が悪いっつーけど、リーボック3兄弟は例外で、次男坊はシリーズチャンピオンを獲得。 トミカエブロ1/43 リーボックスカイライン(HR31)#50 長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組 数ヶ月前に亡くなったオロフソンを相棒に、89年シーズンを戦ったHR31ベースのリーボックスカイライン。懐かしき「真夏の祭典」筑波レースドニッポンで勝ち、そこからSUGO、鈴鹿とハットトリックして文句なくチャンピオン獲得。といっても、実際のところHR31デビューの88年型と外観上の差がないんで、リタイアばっかで殆んどマトモに走ってない88年型だっつっても問題ない。(ま、誰もがチャンピオン取った89年型だっていうと思うだろうけど)1年経つとドラスティックに空力パーツが変わってまるっきり別物になっちゃう昨今のGT車輛と違って、カラーリングが同じだと前年型とまるで区別がつかないってのが大らかでいいね。なんか、素のクルマの実力がすべて!って感じで。 世はまさにバブルのクライマックス。そんな世相を背にセブンス(R31系)も流行のハイソ・カーに生まれ変わって、ソアラに追いつけ追い越せをやっていて、脱スポーツの姿勢にレースファンはもうスカイラインもオシマイね、と思ったもんだ。けどバブル景気を背景に「GTオートスポイラー」だの「HI-CAS」だのニューアイテムを惜しげもなく採用して、レースベース車輛としての戦闘力を高めたともいえるわけだから、あらためて考えてみるとR31もスカイライ系譜の中に違和感なく収まってしまうのだな。ただ、当時知り合いのR31をよく運転する機会があったんだが、ノーズが長くて乗りにくかったって印象が残ってるけどね(^^ゞ
2008.09.10
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PITの閉店セールに出掛けてって一気に増えた長谷見コレクション。使用年の古い順で、まずコレ。 トミカエブロ1/43 リーボックスカイライン#50 長谷見昌弘/高橋健二組今は昔、グループA規定で争われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)1988年の開幕戦の鈴鹿300kmを5位スタートしてそのままゴールした鉄仮面として有名なDR30ベースのリーボックスカイライン。空力デバイス花盛りの昨今のGTマシンに比べるとどえりゃあシンプル(笑)まんま市販車なシルエットのクルマが走るっていうツーリングカーレースの醍醐味を見事に体現してんね。JTCが始まって3年目のこの年は、新型HR31の参戦がアナウンスされていたがなんだかんだでマシン制作が間に合わず、開幕戦のみ引退したはずの前年マシン、ハセミ伝統の黄色と黒ツートンカラーのDUNLOPハセミスカイラインをガレージから引っ張りだしてリーボックカラーに塗り替えてエントリーしたドタバタ劇の割には5位フィニッシュは上出来か?てかこんだけロングノーズショートデッキなボディでも、実はエンジンは直4。だもんでフロントが軽く、後年の6気筒車に比べると非常に扱いやすかった、とは長谷見の談。ニューモデル(HR31)の販促って側面がなかったら、もしかしたら延々DR30で過ごしたかも知れないねえ。しかし、開幕の日程なんて前年半ばには判ってる筈なのに、マシン制作が間に合わないって、実はチーム(企業)としてはかなりみっともない恥ずかしいことだけど、そんなある意味汚点なマシンを商品化するってのがなかなか凄いっつか商魂逞しいっつか(笑)
2008.09.09
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久々、雑誌とコラボ、である。今回はすげーよ。画像倉庫の容量の関係でえれー小さく粗くしてあるんで迫力はてんで伝わらんが、すげーよ(^^ゞ御大・長谷見昌弘とハセミといえばリーボックなスカイライン揃い踏み。1988年~90年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)を走った3台。今日買ってきた(^^)米がなくなるから買って来いとのお達しで、近所のスーパーに行くついでにもの凄く遠回りをして、PITへ様子を見に行ったのだ。閉店間際だから、これまで出てきてない在庫品があんじゃないか?ってカンが働いた結果がこれ。こーゆー虫の知らせってのがなかなか当るんだよね。ホントに閉店までカウントダウン一桁になったもんで、半額セールプラス3品以上は総額の1割引きって投げ売り状態で、各々2000円チョイ。ええ買い物やったわぁ(笑)
2008.09.06
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わっちは正真正銘オオカミじゃが、これはどうかの?千年生きたわっちの眼でも、よくわからんのじゃ。ヌシはどう思う?・・・と賢狼ホロが言ったかどうか(絶対言わねー)世間一般の通り名は「羊の皮を被った狼」あれ?そりゃ4ドアのほうだったか?ま、いっか。要は箱スカGT-Rだ。GTロマンのマスターの愛車(例えがわからん)そのレース仕様。エブロ1/43 スカイラインGT-R(KPGC10)#15 高橋国光4年前に生産されて、ことあるごとに思い出したように再販されていつも完売御礼なエブロの定番。その例にもれず、PIT最後の一台で展示品だったヤツ。ちょっとフロントウインドウの内側に指紋がついてて、ショップのあんちゃんとひっくり返してみながら、これ設計古そうだからシャシーをボディ外せそうだなどとあれこれ話して、10%引いてくれるってんで買ってみた。実際、家帰ってバラしてみたら、ちゃんとバラせて、ウインドウの汚れも拭き落とせたから、ちょっとラッキーだったな(^^)エブロによるクレジットでは’72年モデル、だそーだ。特にどこそこGP仕様ってんじゃなくて多分、参考にした資料あるいは車両がこーゆー仕様でそいつが実際どこかを走ったのか、単なるイベント貸し出し用なのかよーわからんってことなんだろう、きっと。決まってるのは、今じゃすっかりホンダの大御所と見られてる高橋国光車だってことだ(これも本人が乗ったドンズバのクルマなのかは不明)けど、このクルマ、写し映えするアングルってあんまないのね(-_-;)市販車だとフロントの丸目4灯ってのがポイントだけどレース仕様だとそこはフタされちゃってっから。他にも空力無視してフロントグリルからはみ出したラジエーターパイプやら役に立たかどうかよくわからんが、敵さん(ローラやポルシェ)がつけてるからとりあえず真似しとこう的なリアウイングなど、ほかにも見所はあるんだけど。あれこれ撮ってはみたものの、結局単純なヨコ写真が一番雰囲気出してるな(^^ゞSTPとかドアのオッケーマーク(オカモト)が郷愁を誘うなぁ(笑)
2008.02.22
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