いねねの趣味三昧(昆虫・野鳥・古寺巡り・読書・木工・語学など)
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
今回は、小説「西遊記」の中での長安から伊吾までの出来事を検証してみます。◇長安を出て一両日は馬を停めずに法雲寺に着き、この寺に 一泊しました。 ・法雲寺は、玄奘三蔵のインドへの道筋に実在するのか? 山西長治県に唐代に創建の同名の寺院が現存していますが 長安から西の方角ではなく反対の東の方に450kmほど の所にありますから×です。 他に山東省斉寧県嘉祥のもあるようですがここも方角が 違います。 文中に「住職や長老やらが五百人ほどの僧を、ずらりと 二列にならべ、」と書かれていますからかなり大きな寺院 と思います。作り話でしょうか?◇一行あるくこと数日にして、鞏州に着きました。 ・鞏州は現在の甘粛省隴西県です。長安から西へ410km ほどの距離にある街です。 ここで一泊し、あくる朝に出発しています。◇三日ほど行きますと、河州衛に着きました。ここが大唐の 国ざかいのまちです。このまちの福原寺に一泊して、翌日 国境を超えたのでした。 ・河州衛の「河州」は蘭州の西南80kmにある現在の臨夏 回族自治州の昔の名前です。 「衛」は中国語でwei(ウエイ):守る。防衛する意です。 明代では、軍隊の駐屯する場所の意であったようです。 甘粛省は歴史的に他国との領土争奪の最前線でしたので 「国ざかいのまち」となったのではと考えます。 ・史実の玄奘も蘭州で一泊していますから場所的には 合致します。実は、この河州衛について、いろいろ調べていましたが、やっと自分の考えが纏まってほっとしました。つづきは、次回へ
2011.04.12
コメント(0)