全4件 (4件中 1-4件目)
1
前回の続きを・・・その前に・・・昨日28日(土)に奈良の薬師寺へ行ってきました。いま日記に書いている玄奘三蔵のご頂骨が納められているお寺ということで一度行ってお参りしたいと思っていましたが、やっと実現しました。薬師寺は法相宗の本山です。そして法相宗は玄奘三蔵がインド(天竺)からもたらした唯識仏教なのです。薬師寺の敷地内、玄奘三蔵求法の精神を描いた平山郁夫画伯の壁画をお祀りした大唐西域壁画殿があります。その壁画は、(1) 明けゆく長安大雁塔(2) 嘉峪関を行く(3) 高昌故城(4) 西方浄土須弥山(5) バーミアン石窟(6) デカン高原の夕べ(7) ナーランダの月の七場面です。じっと観ていると心が壁画に吸い込まれて、自分がその場面に居るような気がしました。・・・・感激!!では、続きを・・・・◇お札に書いてあった金文字は、「?・嘛・?・叭・迷・吽(オーン・マー・ニ・パド・メー・フーン)」です。 この呪文の意味は「蓮華の宝珠よ、幸いあれ」だそうで、観世音菩薩の慈悲を 表現した真言です。 この真言はチベットのラマ教徒にとってはとりわけ重要なものです。 このお札は大聖(悟空)の看守が見張っていましたが、三蔵法師が来たところで 厄難が明け封じ札が取れたのです。今日は薬師寺のことを書いたので「求法の旅」はちょっとで終わります。続きは次回に・・・・
2011.05.29
コメント(0)
前回の続きを・・・◇「お師匠さまが来たぞー!」というばかでかい声。 「あれはきっと、山のふもとの石箱のなかにいる大ザルです」 伯欽がいうところによると、この大ザルは・・・ 「この山は、むかしは五行山と呼んでいたのですが、わが大唐が西方を 征伐して国を定めてからは、両界山と改めたのです。 さきごろ古老からきいたことですが、王莽が漢を簒奪したとき (後九~二五)、天からこの山が降ってきて、その下に一匹のサルを 押さえ込んだのだそうです」 ・上記の文は中野美代子訳の西遊記に記されているものですが・・・ 岩波少年文庫の西遊記(伊藤貴麿訳)には、以下の様に記されています。 「この山はもと、五行山といいましたが、大唐の天子さまが西の国を征伐 されたとき、両界山とあらためられたのです。なんでも五百年まえ、 漢の王莽が天下を横取りしたとき、この山は天からふってきて、 一匹の不死身のサルをおさえつけたのだということです」 さらにこの王莽について注釈が・・・ ※中国では、上に暴君やにせ君子が立っているときには、 あやしい天変地異がおこるといわれている。 この王莽は天下をうばった有名なにせ聖人であるから、 こんなとき作者が、悟空のような妖仙をあばれさせたということは、 おもしろいことである。・・・と・・・ ・作者は呉承恩ですが前漢と後漢の間に、たった17年だけで終わった 「新」の王莽を出して来たのは興味深いですね。 中国の歴史の中で王莽は本当に悪い奴だったのですね。◇さて、ここで三蔵法師は悟空を石箱から助けだすために五行山のてっぺんの 四角い大きな石塊に貼られているお札を、お祈りをして剥がしました。 お札に書いてあった金文字は、 「?・嘛・?・叭・迷・吽(おん・まー・に・ぱど・めー・ふーん)」です。 このお札については次回で・・・
2011.05.25
コメント(0)
前回の続きを・・・◇縄で縛られ捕えられていた三蔵法師は金星(太白金星)に助けられます。 ・金星(太白金星)は三蔵法師を救うために、明星天子(虚空菩薩仏)に姿を変えて 現われたのです。◇一人となった三蔵法師は馬をひいて先に進みますが、行く手には吠える虎が二頭 うしろにはとぐろを巻いた数匹の大蛇、左右にもなにやら凶暴な猛獣やら怪獣やら ・・・・・二つ目の災難となります。 三蔵法師がもはやこれまでと覚悟をきめたところへ、猟師の劉伯欽が現れ助けられます。・三蔵法師は、劉伯欽の家で二晩泊めてもらいます。劉伯欽の家にはおふくろさんと 奥さんが、他に下人が3・4人います。 おふくろさんが三蔵法師に読経を頼みます。 ・三蔵法師が誦した真言やお経は (1) 口業を浄める真言 (2) 身心を浄める神呪 (3) 度亡経 (4) 薦亡疏を書く (5) 金剛経 (6) 観音経 (7) 法華経 (8) 弥陀経 (9) 孔雀経(10)?蒭洗業の故事を語る(11)紙馬と薦亡疏を焼く 以上で仏事はすべて終わりました。・三蔵法師の仏事のお蔭で亡くなったおふくろさんのだんなさんは極楽へ行くこと が出来たのです。めでたしめだたしでした・・・・◇翌日、劉伯欽に送ってもらい両界山の中腹まで来たところ、山のふもとから、まるで 雷鳴のような叫び声が聞こえてきます。「お師匠さんが来たぞ! おれのお師匠さんが きたぞー!」・・・・この叫び声こそ孫悟空でありました。 ・両界山の場所は、劉伯欽の説明によると、東半分はわが大唐の管轄下、西半分は 韃靼の領土となる国ざかいのようです。三蔵法師が西域を通った年代が史実の 貞観元年の場合、当時の大唐は敦煌の近くにあった玉門関が国ざかいでした。 また小説の三蔵法師は貞観十三年九月に長安を出発しています。その年の十二月に 大唐の太宗は高昌に軍を送り翌年の貞観十四年に高昌を滅ぼします。小説の年代の 場合は丁度高昌が唐に滅ぼされる年の前の年になるのですが・・・さて、孫悟空の叫び声が聞こえた所で本日は終わります。
2011.05.12
コメント(0)
前回の続きを・・・◇ところで、この三蔵という長老さまは、せっかちなおかた。起きるのが、 いくらなんでも早すぎました。もともと秋が深くなると、鶏の鳴くのも 早いのです。なんと、まだ四更(午前二時)ではありませんか。 ・「更:コウ」は夜の時間帯を表す古い言い方です。 一更:イッコウ 20時~22時 二更:ニコウ 22時~ 0時 三更:サンコウ 0時~ 2時 (真夜中) 四更:シコウ 2時~ 4時 五更:ゴコウ 4時~ 6時 (明け方) ・・・のようになります。 ・従って、三蔵法師は四更に出発したなら午前二時から四時の間となります。 午前二時に特定はできないと思います。◇四更の暗がりを歩いていて穴に落ち、そこで最初の災難に会います。 穴の中で魔王(虎将軍)らに捕えられ、連れの二人は食べられてしまいます。 ・何故か? 三蔵法師と馬は助かります・・・・ ・張明澄先生が書かれた 密教秘伝「西遊記」を古書店で見つけました・・・ その本では「西遊記」は1000年の弾圧に耐えた南華密教の秘伝書だった とするものです。 この本の中で最初の災難は「仏門に入る三蔵法師が経典を読みはじめの頃に 真っ先に落ち込む落とし穴、つまずき、挫折のこと」となっています。・・・・次回は二つ目の災難と、孫悟空の登場です。
2011.05.10
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


