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一月もあっという間に今日で終わり、明日から二月。まだ寒さは続きそうだが、しかし八百屋には独活(うど)が出ていた。買って、夕食の脇役に独活の酢味噌和えをつくった。口に入れると、「あっ、春だな」という感じがした。穂先は、きんぴら。 独活は、昔も昔、越前の産物とされていた。『梁塵秘抄』(1180年頃成立。後白河法皇編纂)に次の今様(いまよう:流行歌というほどの意味)がある。その一部を記せば、「聖(ひじり)の好む物 比良の山をこそ尋ぬなれ 弟子遣りて ・・・牛蒡(ごぼう) 河骨(こうほね) 独活(うど) 蕨(わらび) 土筆(つくし)」と歌われている。ここから推測できるのは、独活をふくむこれらの山菜が、精進食材だったことである。この歌にある比良山地は滋賀県の琵琶湖西岸に連なる山々。釈迦岳、堂満岳、蓬莱山、権現山、と仏教的な名称を冠した山並である。南は比叡山に繋がる。また、古くは独活の産地として名高かった越前国は、神仏共に一大霊場であったから、精進物としての独活の産地であったのもうなづける。 笊の上にのせわたしある長き独活 花蓑(1881-1942) 信楽に酢味噌あえたる白き独活 青穹(山田維史) 【自註】「信楽」は信楽焼のこと。土っぽい古信楽の小皿にウドの酢味噌和えを盛った。
Jan 31, 2024
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昨年8月に毎日新聞が、大阪府が所蔵する美術作品が地下駐車場にビニールシートをかぶせた状態でほぼ放置状態になっていることを報じた。私はこの記事を読み、即座にこのブログに一筆書いた(2023年8月18日記事)。 本日、同じく毎日新聞の山田夢留氏がその続報を書いている。大阪府は昨年8月に「アート作品活用・保全検討チーム」を発足してい、今月3月末ころを目処に中間報告を公表する予定である、と。 彫刻105点を含む美術作品は、咲洲庁舎の地下駐車場に6年間放置されている。すでに劣化が始まっている作品もあり、補修作業に取り掛からなければ手遅れになるだろう。毎日新聞「美術品ずさん保管」 私は昨年のブログにも書いたが、率直に言えば大阪府の無教養ぶりが露呈したということだ。維持する金が無いなら、確かな美術教育を受けた人員が確保できないなら、美術品を買うな! 私は、そう言う。美術の価値がわからない無教養なお前さんたちが買わなくても、美術品はいずれおさまるところへ納まるものだ。美術品は魔物で、その価値は、純粋に芸術的な実体のみならず、誰が所蔵しているか、あるいは誰から誰の手に渡ってその作品の来歴をつくってきたかによって、価値が増大するものだ。それは作者の与り知らぬことではあるが、それが作品の生命であることを作者は知っている。作品に命を吹き込むのは所蔵者であることを、作者は知っている。いわば生まれた赤ん坊の命を里親に託すようなものだ。当面、売れた売れたと、喜んでいるわけではない。・・・大阪府はそのことを知るべきだろう。
Jan 30, 2024
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弁護士でワイン評論家の山本博氏が1月17日に亡くなられた。享年92。 日本労働弁護団名誉会長、日本ソムリエ協会顧問、日本輸入ワイン協会会長を歴任。日本における本格的なワイン評論の先駆けとして多数の著書がある。 私が山本博氏にお会いしたのはちょうど40年前。山本氏がH. W. ヨクスオール著『ワインの王様』を翻訳し、早川書房から出版されることになり、私が装画・装丁を担当した。ブルゴーニュ・ワインについての微に入り細にわたる蘊蓄が述べられている。この本の装画を描いたについては、私に特別な思い出がある。それについてはもう18年も前の2006年4月2日のこのブログに書いた。ついでなので、その記事の前半をそのままここに書き写してみる。 〈 私は早川書房の『ワインの王様』の装丁をやったときは、随分贅沢なことをした。この翻訳本はフランス・ブルゴーニュ産のワインについて様々な角度から蘊蓄を述べたものである。ワイン通ならブルゴーニュというひびきに特別なニュアンスをいだくことだろう。一方にボルドーという一大産地があり、そこでも素晴らしいワインを産出する。それにくらべるとブルゴーニュのそれぞれのシャートー(醸造所)は、規模こそ小さいが、名酒揃いの産地として別格。北に位置するシャブリの白ワインはさっぱりとした凛々しさがあって、日本人好みといえるかもしれない。私も好きな白である。シャブリから南へ、コート・ド・ニュイ、コート・ド・ボーヌ、シャロネー、マコネー、ボジョレーと産地がつづく。ロマネ・コンティや、ナポレオンのワインとして知られるシャンベルタンや、クロ・ド・ブジョー、ニュイ・サンジョルジュや、素晴らしい白のコルトン・シャルマーニュやモンラッシェ。このようにつぎつぎにあげれば、『ワインの王様』という書名もうなずけようというもの。 私が描いた表紙絵は、ワイン樽の上に数本のワイン・ボトルとグラスを配している(下に画像を掲載)。よくみるとラベルが読み取れるだろう。シャンベルタンもあり、ボトルにはワインが入っている。じつは1本が10万円以上する本物である。ワイン輸入業者に協力してもらい実物を貸してもらった。かたわらのワイングラスは口径15cmもあるが、これもこの業者が苦心を重ねて特別につくった大きなブルゴーニュ・ワイン用を借りた。 ----どうしてこれが贅沢なのか。どうせ返すものではないか、とお思いになられるかもしれない。 私は仕事場にセットを組んでこれらのワインやグラスをならべ、照明をあてて描いた。お察しのとおり、こんなことをやっては、絵が完成するまでに繊細なワインは変質してしまう。変質とまでゆかなくとも、一旦眠りを醒ましてしまったからには少なくとも売り物にはならない。輸入業者はもちろんそれを承知で、厭な顔ひとつせずに絵の主旨に見合うワインを用意してくれたのだった。あまつさえ、「絵が完成しましたらそれを祝ってどうぞこのワインを開けてお飲みになってください」というのである。この輸入業者はワイン業界では有名であったから、----なにしろ「協力者として本にお名前をいれさせてもらいます」と申し出たら、「そんなことをしていただかなくとも結構です。絵のなかのワインを見れば、どこの誰が輸入しているかは分りますから」というのだった。そういう業者なのでプライドもあっただろう。売り物にはならないが、家庭で飲むぶんには問題がない。 私も随分心臓が強い。この仕事を引き受けたときから、ワインを良く知っている人に一目でバレるようなごまかしはやりたくないと思ったのであった。 しかし贅沢はこれで済まなかった。絵が完成したので、ワインはありがたく頂戴したが、グラスは返さなければならない。注意深く持参すると、直営のワイン・バーに案内された。そうしてとんでもない酒盛りが始まったのだ。これを飲んでくれ、あれも飲んでくれ、こっちも試してみましょう。次から次ぎとボトルが開けられ、この夜、私はどれほど飲んだことか。素晴らしい芳香のなかですっかり良いコンコロモチになってしまった。 お礼を述べて店を出、誰の姿も見えなくなったとたんに足がふらふらとよろめいた。 〉 ・・・この装画のなかのタストヴァン(ワイン利き酒用銀盃)は、山本博氏からお借りした物である。また本物の小さなワイン栓抜きが栞として取り付けられているめずらしい洋書をプレゼントして下さった。出版後のある日、フランスからシュバリエ・ド・タストヴァン(ブルゴーニュワイン利き酒騎士団)が来日し、日本の某氏の騎士叙任式があった。某宮妃もご臨席になられ、伝統的な正装の騎士団長がサーブル(戦闘用剣)で一刀のもとにシャンパン・ボトルの口を切り落として開けるという儀式に、私も招いて下さった。 山本氏の訃報に接し、さまざまなことを思い出した。謹んでご冥福をお祈りいたします。H.W. ヨクスオール著『ワインの王様』山本博 訳 早川書房 1983年刊『ワインの王様』原画 キャンヴァスに油彩すべて実物を私の仕事場にセッティングした制作期間:1983年6月20日〜7月3日
Jan 28, 2024
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椿の花びらが散り敷いていたので、掃こうと庭箒を持ち出したところへ、投げ込み広告のために年配男性がやってきた。広告を私に手渡してから、「山田さん、もう歌わないのですか?」と言った。 私はちょっとびっくりした。「お聴きになったことがあるのですか?」と訊くと、「私は◯◯をやっているので・・・」と、福祉的なボランティアの名前を言い、民生委員合唱団のコンサートを聴きに出かけたことがある、と。 私は民生委員を退任し、合唱団からも退団したと言うと、「山田さんの歌声を聴きたいです」「でも、合唱ですから、私の声など分からなかったと思いますけど・・・」「いいえ、全然ちがいました」「それは恐縮いたします」「また山田さんの歌が聴きたいです」 ・・・そう言い残して去って行った。 驚きもし、嬉しくもあったが、少しばかり考え込むこともあった。つまり、合唱で、ひとり飛び抜けた声というのはマズイのではないか、ということだ。自分の歌っている声はもちろん自分で聞いているけれども、合唱団の一員として観客席で聞くことはできない。アマチュア合唱団なのでライブ録音があるわけでもない。・・・私は、OBとして在籍せずに退団したのは合唱団のために正解だったのかもしれない、と思った。 じつは、老人の死亡原因として誤嚥性肺炎がかなり多いと聞く。その予防になるかもしれないと考え、合唱団を退団した現在、私はほぼ毎日のように防音をして発声練習をしているのである。鳩尾(みぞおち)のあたりに目一杯に空気を吸い込み、喉の力を抜いて、しかし咽喉をあくびをするように広く開け、呼気をケチケチと吐きながら声を出す。眉間のあたりに響かせるように低音から高音まで音階を刻んでゆく。・・・まったくの自己流である。歌うためではないが、そんなことを毎日やっていれば何となく、声が丸くなっているように感じる。響も豊かになり、発声していると唇や歯のみならず肩から上の身体にバイブレーションを感じる。・・・これで誤嚥性肺炎の予防になるかどうかはまったくわからない。まあいいさ、と思いながらである。
Jan 26, 2024
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寒灯 降る降らぬ雪占いする山家住み 青穹(山田維史) 寒灯や待ち人は来ず更けにけり 寒灯や待ち人は来ず更けて行き ◯寒灯や待ち人は来ずふけてゆく 寒灯や迷うか門(かど)に薄き影 寒灯や門に孤影の見えかくれ
Jan 25, 2024
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ウィンターガタンの音楽ビデオを私が初めて観たのは、もう5,6年前のこと。スウェーデン出身の電子楽器をふくむ各種楽器の演奏家4人グループ。ウィンターガタンとは「天の川」あるいは「冬の庭」という意味である。 私が興味をもったのは、メンバーの一人、ヴィブラフォンとウィンターガタンのサウンドを定義する電子楽器を担当しているマーティン・モデュリン氏が制作した、「マーブル・マシン」と命名した音楽機械をYouTubeで見たことによる。この機械の詳細を説明するのはなかなか難しいのだが、キネティック・アート(動力利用の動く芸術作品)の概念と音楽器機を一体化したようなもので、両者の数学性をきわめて精密にハンド・クラフト(手工芸)で実現している。マーブルとはビー玉のことで、2000個から始まり1万個から3万個、のちには5万個のビー玉の動きを精密に制御して、それらが次々に落下することでドラム(スネア、キック、ハイハット、シンバル等)、ヴィブラフォン、ベースを演奏する。いわば「オッド・ミュージックマシン(奇妙な音楽機械)」である。音楽家の制作した機械であるから音程、リズム、速度・・・すべてが見事に音楽している。これは数学的に緻密に計算しなければ不可能。しかも手工芸である。私はそのようなバカげた奇妙な仕掛けが大好きなのだが、ただ奇妙なだけではソッポを向く。マーティン・モデュリン氏の発想もさることながら、それを実現する計算能力と精密な加工技術に賛嘆する。 マーティン・モデュリン氏の発想は、ヨーロッパ文化のなかで100年から200年前に盛んに作られたオートマタ(自動人形)やカリヨン(教会の一組みの鐘)の系譜につらなるようだ。事実、彼は博物館が所蔵するセルフ・オーケストラ・マシン(オーケストラ自動演奏機)や、セルフ・ヴァイオリン・マシン(ヴァイオリン自動演奏機)、あるいは大道音楽師の手回しオルガン(バーレル・オルガン)などを実地に見学し、教えを受けたようだ。 オリジナルのマーブルマシンはオランダのユトレヒトの「スペルクロック博物館」に展示され、その後、マーティン・モデュリン氏はあらたにマーブル・マシンX(MMX)を制作するが、このマシンがミュージック・ツアーに耐えられる十分な堅牢性がないことに気づき、2004年にMMXの製造を中止した。そして、2006年に第3のバージョンとなるマシンの制作を開始した。オリジナルの2台のマーブル・マシンはドイツの機械音楽機械博物館に寄贈された。 現在でもYouTubeで観ることができるので、私が説明するより興味のある方は実際にご覧ください。ウィンターガタン/1ウィンターガタン/2ウィンターガタン/3ウィンターガタン/4ウィンターガタン/5ウィンターガタン/6【参考】 オランダ、ユトレヒトのスペルクロック博物館所蔵カリヨン
Jan 24, 2024
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去る10日、会津若松市で400年の伝統の初市、十日市があった。市民が撮影した動画を観ると、積雪がまったくない。これは驚きである。 私が在住した65年前60年前(昭和33年から39年)は、十日市は深い雪の中が当然であった。当時は神明通りだけに露店が立ち並び、おもに会津地産の物品が商われていた。両親家族から遠く離れて暮らしていた私は、独りでぶらぶら露店を覗き、小さな起き上がり小法師を買ったことを思い出す。 現在の会津若松市は数十年前に大きな市街改造がされた。住宅地区もかつての郊外にまで拡がり、私からすれば市が一回りもふた回りも拡大した。そのせいばかりではなく、大改造の結果、私の思い出に残る風景はポツリポツリと点在するのみで、ほとんど見知らぬ町になってしまった。動画で見る十日市の様子も然りで、会津地産物の露店というより、いまや日本全国のイヴェント会場に見る、それゆえまったく特徴のない露天商が、神明通りのみならず、大町通り、その延長の昔はそんな名称はなかった野口英世青春通り、そして市役所通りに広がる賑わいである。 動画を見ながら、それでも私は大町通りの伊勢屋さんを見つけ、神明通りのレストラン三好野を見つけ、後輩の家を見つけた。 伊勢屋は私が大好きな銘菓「椿餅」(胡桃ゆべし)を製造販売する菓子屋。レストラン三好野は、高校生時代に後輩を食事に連れて行ったり、他校の女子高校生と出会う場所だった。現在は昔とくらべて小規模になったように見えたが、営業をしているのだろうか。 三好野の裏側、背中合わせにフジグランドホテルがある。19年前と17年前とに同市を訪ねたときに、中学生時代の体育の教師だった清水先生が紹介してくださり、同ホテルに宿泊した。むろん昔はなかったホテルである。そのホテルの斜向かいにツルヤホテルがある。このホテルは昔は「つるや旅館」という名称で、じつは私の父が会津若松市に出張で来たときの定宿だった。たしか中学生のときだったと記憶するが、父がその宿に来ていると知らされて私は訪ねた。玄関のガラス戸を入ると、ちょうど通りかかった仲居さんが、「ランドローバーの坊ちゃんがお見えですよ!」と帳場に声をかけた。すぐに別の仲居さんが出てきて私を父の部屋に案内したが、私は「ランドローバー」って何だろうと考えていた。後にわかったのだが、イギリスの車「ランドローヴァー」のことで、父の会社が所有していた。父は、誰かに運転させて八総鉱山から来ていたのだろう。 ・・・そんなことを十日市の動画を見ながら思い出していた。へんなもので、現在の会津若松市に私は何の郷愁も感じないのであるが、やはりついつい見てしまう。まったく変わってしまった街の向う側に、幻のように立上がる街がある。私の青春の城下町である。
Jan 21, 2024
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日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、昨年9月に打ち上げた月探査機「SLIM(スリム)」が本日20日未明、月面の想定地点に、(おそらく)ピンポイントで軟着陸したと発表した。日本としては初めての月面着陸という快挙である。機体の状況を示す通信がSLIMから送られてきているという。ただし太陽電池パネルは太陽光をとらえていず、現在送られてくる信号は搭載したバッテリーの電力によるもので、このままだと電池はまもなく消耗してしまう。 太陽電池パネルが太陽光をとらえていないのは、JAXAによれば太陽がSLIMの「想定外」の方向にあるためだという。 「想定外」! 何が起こるかわからないのが宇宙探査飛行ではある。その関係諸問題についてまったく無知な私でも、何が起こるかわからないところで行われている研究でありアクションであることは十分承知している。しかしながら、それだからこそ、いとも気軽に発言される「想定外」という言葉・・・その認識のありように、私は一種の恐怖を感じる。 これまで人類を月に運び、帰還させ、あるいは宇宙船に長期滞在させ、それも無事に帰還させたり要員交代をしてきた。もちろん人命を失う痛ましい事故も経験してきたうえでのことながら、これらの業績に「想定外」という言葉がはたして許されていただろうか? たかが・・・と言ってはいけないが、しかしやはり想定した月地点にピンポイントで着陸した探査機が、「たかが」太陽光の向きをとらえることができない。それを「想定外」といい、月面軟着陸したがその成功は「60%」などと発言する。謙虚な発言ではない。透けて見えるのは気取りだ。 日本の原子力関係者にしろ、他の科学的な研究者や高度技術者にしろ、コロナウィルス禍における関係省庁や医者にしろ、じつに恥ずかしげもなく「想定外」と言う。それですべての過誤や責任が免除されると思ってはいまいか。事態の対処法としての失敗をその言葉で決着しようとしているのではないか。・・・起こった事態の説明としてその言葉を聞いた多くの人は、ほとんど口にこそ出してはいないが、「想定外」と言う言葉の真意を「無能力」と感じているかもしれない。その口に出さない反応を、発言当事者は知っているのか? あるいは、私はこうも考える。自らの無能、シミュレーション能力の欠如を隠蔽する、また、糊塗する「想定外」という言葉が、日本社会のなかで「文化」になっているのではないか。シミュレーション能力の欠如は、太平洋戦争時の軍部の政策・戦略に顕著にみられたことだ。それは「貧すれば鈍する」の謂いそのものに発したことであったかもしれないが、物事を直視して未来を想定する社会科学の能力に徹底的に欠けていたからである。その能力を日本社会は養成してこなかったのだ。「想定」あるいは「シミュレーション」というのは、それを行う人の能力内にほぼ限定されるからで、要は既得能力とその発展的洞察力の問題なのだ。・・・もし「想定外」という言葉が日本社会のなかで「文化」になっているとしたら、我々は容易にその文化から抜け出せはすまい。
Jan 20, 2024
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山田維史「春」油彩 W15.8xH22.7cmTadami Yamada "Spring" Oil
Jan 19, 2024
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山田維史 「若い女」油彩ミニアチュア(5.5x5.0cm)
Jan 18, 2024
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ハハハハ、夢の中で私は夕食の献立をつくっていた。そこに至る経緯はまったく覚えていない。ただ献立だけは明瞭だ。次のとおり。 なめた鰈煮付 彩野菜の生湯葉春巻 栗南瓜含め煮 胡瓜糠漬 豆腐と若布の味噌汁 まともな献立だ。今日の夕食はこれにしようか。ハハハ、夢の中でまで料理をしなくてもよかろうに。
Jan 17, 2024
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山田維史「ヘッドフォンの自画像」2024年1月16日 10:26pmTadami Yamada "Self-portrait with headphones" Jan. 5, 2024 *聴いているのは、カール・ベーム指揮のベルリン・フィルによるモーツァルト最後の交響曲、第41番「ジュピター(ローマ神話ジュピター神;木星)」
Jan 16, 2024
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きょう1月15日は伝統的な年中行事の「十五日粥」の日。「小豆粥の日」とも云い、小豆を煮て餅などをまぜて食す。明治時代のころの俗信では、この粥を三日後まで蓄えておき、温めて食せば疫病に罹らない。あるいは凍傷(しもやけ)に塗れば効果がある、とされていたようだ。 さて、例によって私はこんな年中行事おもしろがって、今朝も小豆を煮た。私は「群れる」のを好まないので、伝統的な年中行事といっても家庭内でおこなえるものだけ。・・・小豆は煮るのに2時間ほどの時間がかかる。煮上がってから味を染み込ませ、まろやかにするのに更に30分ほど寝かせなければならない。そこで朝食を作りながら傍で同時に煮始めた。老人とはいえ私の日常もそんなに時間の余裕があるわけでない。先日、弟や従姉が電話で私のことを「休みなく、いつも何かをやっている」と評していた。やれることは同時に幾つかの仕事をする。まあ、それで却って失敗することもあるのだが・・・。 昼食は餅をいれて善哉汁粉にした。 明日死ぬる命めでたし小豆粥 高浜虚子
Jan 15, 2024
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降るかと想っていた雪は降らずにすんだ。満面の笑みのような昼の日差し。しかし冷え込みは鋭い。 遠国の砲声なりや雪起こし* 青穹(山田維史) 遠国の砲声重なる雪起こし 遠国のつづる文にも雪起こし 今日もまたいびつ顔なる福笑い* ◯ 福笑いいびつ顔なる去年今年(こぞことし)【自註】 ●「雪起こし」:北国などで雪が降る直前に雷が鳴ることがあり、それを「雪起こし」と言う。 ● 「いびつ(歪)顔」は、福笑いの「えびす(恵比寿)顔」に掛けた。現代では正月の目隠しして遊ぶ「福笑い」をしないかもしれない。「遠国の砲声」の句を気持ちの上で引きずった厭戦句。
Jan 14, 2024
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夕方になって、空気にパラパラと雨粒がまじり、降るというほどでもないが雨粒がヒラリと雪にかわる。気象予報は東京都心が雪になるかもしれないと報じていた。夜に入ると雨粒もなくなったが、庭の二、三の植物に雪覆いをした。物置から雪掻きスコップも出しておいた。 万全の準備というわけではないが、普段から食料は十分蓄えてある。というのも、我が家は山の上にあるので日常の買い物がいささか不便。もし雪に閉じ込められるとちょっと大変だ。雪国から見ると何を言っている、というほどの積雪ながら、老人家庭には山の雪道を下って1km先のスーパーマーケットは遠すぎる。そんなわけで、食料は10日分くらいは十分用意しているのだ。 能登半島地震・津波の被災者の窮状は察してあまりある。 そして、ガザ市民の食料が得られない窮状も・・・
Jan 13, 2024
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NASAが本年10月に打ち上げを予定している木星大型探査機「エウロパ」のキャンペーン、「メッセージ・イナ・ボトル(瓶の中のメッセージ)」に参加した。私の名前を書いて探査機エウロパが木星に向かう。 目標の木星軌道に到達するのは2030年。そのとき地球上の私は84歳。はたして生きているかどうか分からないが、名前に託した私の夢は木星に到達するだろう。 私の名前はNASAのキャンペーンですでに火星に向かい、太陽に向かっている。現し身の私の肉体は分割できないけれど、夢はいくらでも分割できる。私の余命は地球上で生きるしかないが、民族だ、人種だ、宗教だ、と愚か者に牛耳られて戦争と殺戮に明け暮れている地球にうんざりしている。私は星座占いなど信じないが、私の生まれ星座、おうし座は、ことし2024年、木星と重なるのだそうだ。100年に一度の宇宙現象だとか。そんなことは知らなかったが、このたびのキャンペーンに参加できたことを喜び、夢を楽しもう。 思い出した。ジャズのスタンダード曲、バート・ハワード作詞・作曲 "Fly Me to the Moon"。その一節に「木星や火星がどんな春か見せてちょうだい(Let me see what spring is like on Jupiter and Mars) 」と。 ・・・今夜はこの歌をうたいながら夢を見ようNASAから送られてきた証書次は土星に!山田維史「土星祭り」1981年(当時の西ドイツ某社刊)Tadami Yamada "Saturn Festival"
Jan 10, 2024
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グリム童話に「靴屋と小人(あるいは、小人の靴屋)」という物語があった。貧しい靴屋が、たった一足分持っていた革を、翌日の仕事のために裁断して、眠りにつく。翌朝、仕事にとりかかろうとすると、すでに靴が一足できあがっていた。その見事なできばえに、客が普段の2倍の金で買っていった。その金で靴屋は2足分の革を仕入れ、翌日の仕事の準備をして就寝した。翌朝、こんどは2足のみごとな靴ができあがっていた。・・・こうして靴屋は次第に裕福になっていったが、いったい誰が夜中に靴を作ってくれているのだろう。靴屋夫婦はこっそり見張っていると、裸の小人があらわれてせっせと靴を作っているではないか・・・ この物語は、さしずめ日本の民話「藁しべ長者」と同じような系列であろう。しかし私が「小人の靴屋」をひょいと思い出したのは、じつは童話や民話とは直接関係がない。 昨日9日のCNNが、「ネズミが毎晩作業場の片づけ」と題してその現場を捉えたロンドン発の動画を掲載していた。「ほぼ毎晩、自分の作業場を片づけてくれるのは誰なのか。その謎を解くためにカメラを仕掛けた英ウェールズのロドニー・ホルブルックさんは、映像を見て目を疑った」、とCNNはつづる。ネズミは作業台の上を走り回って、散らかっていた工具などを箱の中に入れていたのである。CNN「ネズミが毎晩作業場の片づけ」 このネズミの「考え」を知ることはできないが、小動物・・・犬や猫、あるいはカワウソやその他の動物が、巣を新しくしたとき、自分のお気に入りの物を新居に運び入れることはままある。飼い犬や飼い猫だと、ぬいぐるみ等を引っ越し荷物として運ぶ。あるいは営巣のためならば、多くの動物が、その資材として人間が捨てた物をせっせと運ぶのは衆知である。 動物たちのこのような行動は人間の「物欲」と同じであるか違うのか。あるいは視点を変えて、人間の物欲のオリジン(発端・起源)と見做せるかどうか。あるいはまた、すべからく生物の愛情・愛着の本能と見做すべきか。 ホルブルックさんの作業台にあらわれるネズミは、散らかった工具を食べ物と思っているわけでもなさそうだし、巣を作ろうとしているのでもなさそうだ。まさに「片づけて」いるのだとしたら・・・私は「靴屋と小人」を連想し、しばしネズミくんの物語を発展させておもしろがっていた。
Jan 10, 2024
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1月7日、朝食は七種粥。 いつ頃からか、現代では七種粥を「七草粥」と書くようになった。私はいまのところ「七草」と書いた最初の文献を発見していないが、畑作農業がが発達して菜を野に摘むことが少なくなったからではないかと推測している。一月七日に菜として野に摘んだ植物を神への捧げものとした最も早い記録は、804年の解文『皇太神宮儀式帳』である。「解文(げぶみ;げもん)」は「解状(げじょう)」ともいい、下位の身分の者が上位に提出した文書。 芹(せり)、薺(なずな」)、御形(ごぎょう;おぎょう)、蘩蔞(はこべら)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ;須々代)・・・これぞ七種(ななくさ)。 この七種は鎌倉時代に成立した『年中行事秘抄』に記述されてい、このころには現在私たちが言うところの春の七草として定着していたのであろう。(後註) と正月七日の「七種粥」の蘊蓄を述べたが、私がつくった七種粥は、その擬(もどき)。季節をめぐる日本古来の行事をなるべく再現しようと思ってきたので、とにかく擬でも一応の粥をつくった。そのような習わしをおもしろがっているだけ。古人やその和歌・俳句・俗謡などを理解できるならなお良いだろうと。情念はいっさい無い。 小野武雄編著『江戸の歳事風俗誌』(1973年、展望社刊)によれば、江戸ではこの日七種粥を祝い、この日までを松の内とした。また、新年になってはじめて爪を切る日、とある。「爪を切る」というのがおもしろい。理由を私はつまびらかにしない。 また平出鏗二郎『東京風俗志』(明治32年刊。1975年、八坂書房覆刻)には、七種祝いを「若菜節句」と称したとあるが、七草粥を食す習慣は明治後半時代の東京ではすでにほとんど廃れていたと記されている。 【註】『古典文学植物誌』(学燈社刊)の高野春代氏の記述による。 七草から離れるが、私は幼少のころに母親から「夜、爪を切ってはいけない。親の死に目に会えなくなる」と言われた。就寝前の風呂上がりに、すこし柔らかになった爪は切りやすかったのだが、母親の言う通りに切らなかったように憶えている。迷信を信じる母ではなかったが、「身体髪膚、これ親に受く」から派生した一件かもしれない。 そうそう、やはり幼少時、私は風邪などで高熱が出ると、うなされながらきまって、自分の親指が巨大になって、蟻のように小さくなった私が、その巨大化した自分の親指にのぼって爪をプチンプチンと切る夢を見た。・・・これはどういうことだろう? 中学生になったころ、その夢を描いてみようと思った。それは実行しなかったが、そのときの自己分析は、これは自分の男性器の去勢不安ではないか、ということだった。つまり病気の高熱によって自分が無力になってゆく。しかもその原因は自分自身にある。矮小化した自分が自らを巨大化して回復しようとしているのではないか? ・・・まあ、そんなふうに奇怪な夢を自己分析してみたわけだ。 薺粥箸にかゝらぬ緑かな 高田蝶衣 (1886-1930) 俎板の音のみたかし擬き粥 青穹(山田維史) なゝくさの粥の煙や草の家
Jan 7, 2024
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2024年初詠吟 禅寺の鐘すみわたる寒の入 青穹(山田維史) 禅寺の鐘のひびきも寒の入 老いの身の力まかせや弓始 ひと刷毛に齢かさねる寒復習(かんざらい)
Jan 6, 2024
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山田維史「ガスマスクの自画像」2024年1月5日 22時43分
Jan 5, 2024
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2024年元旦は、大変な災害に見舞われて幕を開けた。一刻も早い国家的な救助と復興を願う。今後も十分な注意が必要であるが、私は確かな報道機関の情報を取得するだけにする。いくつかの気がついたことがあるけれども、私自身はあえて発言しない。このような重大事に、軽薄な言動や流言飛語をもてあそんで喜ぶ品性下劣な奴らが必ずいるからだ。
Jan 3, 2024
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山田維史『雲龍』油彩・アクリルTadami Yamada "Cloud Dragon" Oil and acrylic
Jan 1, 2024
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Jan 1, 2024
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