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昨日、とあるところでお金を支払おうと財布から20ドル札を取り出したところ、そのお札に何やら紫色のインクでハンコみたいなのが押してあることに気が付きまして。まあアメリカのドル札ってのは、日本のお札と違って随分ぞんざいに扱われているというか、文字を書かれたり、マジックで印をつけられたりしているのがありますから、そんなアレかと思ったのですが、何と、これが非常に面白い実験だったのであります。 実験の名前は「where'sgeorge」。「ジョージを探せ」ということなんですけど、要するにアメリカ政府が行っているお金の流れの調査なんですな。「ジョージ」というのは、おそらくアメリカの1ドル札に肖像が載っているジョージ・ワシントン大先生のことでありましょう。 つまり、このハンコを押されたお札を手にした人が、ネット上のサイト(www.wheresgeorge.com)に行き、そのお札のナンバーなどを入力すると、そのお札がどういう経路を辿ってあなたの財布に届いたかが分かるような仕組みになっているわけ。 で、早速やってみましたよ、私も。すると、このお札の以前の持ち主は、カリフォルニア州のユニオン・シティというところに住んでいて、2008年の10月8日、午後8時2分にネットでこのお札のチェックをしていたことが分かった。で、その時点から354日と21時間57分後に私が再チェックしたので、この間、このお札は317マイルを旅してきた、という計算になります。このお札の平均移動スピードは一日0.89マイルとのこと。 なかなか面白いでしょ? この実験を続けていけば、お金ってのがどんなふうに人から人へ旅していくかが分かるわけですよ。そのお金の流れの経緯を知ることは、アメリカ政府にとって何か意味があるのでしょうが、実験に参加した人にとってもとても面白い知識になる。自分が今手にしているお札が、どこをどう通って自分の手元に来たがが分かるんですもの。 この辺がね、アメリカ人の知恵のあるところなんだなあ。政府の実験すら、エンターテイメントにしてしまう、というところがね。 とにかく、今、財布にドル札を持っているあなた!「Track This Bill www.wheresgeorge.com」 のハンコの押されたドル札がないかどうか、確認してごらんなさい。もしあったら、そのお札がどんな旅をしてきたか、分かりますよ~。 さてさて、4週間弱のロス滞在もついに最終日となりました。明日28日には再び機上の人となります。このブログも数日のお休みをいただいて、次の再開は名古屋から、ということになるでしょう。現実に引き戻されて、いささかテンションの低い再開になりそうですが、名古屋発の「お気楽日記」をお楽しみに。それでは、飛行機が苦手なワタクシのために、道中の無事を祈っていて下さいね~!
September 28, 2009
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帰国の日も迫ってきた週末、今日は家の近くにあるJ・ポール・ゲッティ・ミュージアムに行って来ました。 J・ポール・ゲッティという人は石油王でありまして、石油で儲けた巨万の富を使ってこの壮大なミュージアムを作ってしまった。単に収蔵作品の展示をしているだけでなく、研究所もあり、教育に力を入れてもいる。しかも、展示作品の公開については、企画展も含めすべて無料。アメリカのお金持ちっつーのは、もうケタ外れなのでございます。 で、ゴッホの『アイリス』をはじめとする印象派のコレクションはもとより、今から千年ほど前の絵入り聖書の展示など、あれこれ楽しんだのですが、今日、一番面白かったのは企画展としてやっていた「Small Traders」という展示。 これ、『ヴォーグ』というファッション誌の専属として活躍した名カメラマン、Irving Penn という人(寺子屋さん、聞いてる?)の、1950年代初頭のプロジェクトなんですけど、彼はニューヨーク、ロンドン、パリの三都で、当時の様々な業種の労働者の姿を写真に収めたんですな。で、パン屋、大工、鋳掛屋、配管工、道路掃除人、レビューの踊り子、肉屋、魚屋、新聞売り、牛乳配達、消防士、ホテルのコンシェルジェ、警察官、サーカスの団員、潜水夫などなど、それこそありとあらゆる仕事人たちが、それぞれの作業服を着た姿で写真に写っているんですけど、これが非常に面白いんですわ。また同じ職業でも、ニューヨーク、ロンドン、パリで少しずつ格好が異なるところも実に興味深い。 1950年代初頭というと今からたった60年前のことでしょう? ところが私はこれらの写真を最初にパッと見たとき、てっきり19世紀末あたりの写真だと勘違いしてしまった。つまり、長い歴史の尺度の中で見れば「ごく最近」の範疇に入る「歴史」ですら、実はもうすでに完全に過去のものとして失われているんですな。たかだか60年前に市井の人々がどんな格好をしていたかなんていうことすら、もう分からなくなりつつあるということです。とすれば、それをきちんと記録したこのプロジェクトは、後世に残すべき貴重な知的財産であると言っていいでしょう。 ということで、何の気なしにふらっと寄ったゲッティ・ミュージアムで、なんだかすごいものを見た、という気になってしまったワタクシだったのであります。 ちなみにこの写真展の概要は、ゲッティ・ミュージアムが編集した Small Traders という写真集にまとめられており、この本はアマゾンなどで予約をすれば日本でも買えますので、興味のある方は Irving Penn の Small Traders とキーワードを打ち込んで、買ってみてください。値段はちょっと高いですけど、その価値はあると思いますよ!
September 27, 2009
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こちらに来てから読み始めたジェフリー・ディーヴァーの『The Empty Chair』というサスペンスを読み終えました。(以後、ネタばれ注意!) 主人公はいつものように肢体不自由の天才探偵、リンカーン・ライム。しかし、この作品の舞台はライムの本拠地ニューヨークではなく、ノース・カロライナの片田舎。実は、ライムの肢体麻痺を少しでも緩和できるかも知れない新たな治療法を試すため、はるばるここへやってきたんですな。 が、彼の到着を待っていたかのように、この平和な片田舎にはふさわしからぬ殺人・誘拐事件が勃発。地元住民から「虫男」の名で気味悪がられている札付きの不良少年ガレット・ハンランが、一人の青年をスコップで殴り殺した上、二人の若い女性を誘拐して逃走したんです。で、地元警察から捜査協力の依頼を受けたディーヴァーは、手術を受けるまでの待ち時間に限って、ガレットの行方を追うことを引き受けるわけ。 とはいえ、勝手知ったるNYとは異なり、ここは南部の片田舎。普段彼が駆使する捜査用器具も満足に揃うはずもなし。しかも南部の閉鎖性から、都会からやってきた肢体不自由のヤンキー捜査官への地元警察の不信感も強く、彼は完全なアウェイのやりにくさの中で、乏しい証拠物件からガレットの居場所を突き止めるという難行に挑む羽目になるわけ。 しかも相手は「虫男」。虫のことなら何でも精通し、虫の生態から学んだあらゆる知恵を使って巧妙に追手を振り切ろうとする。捜査員の一人は、(ガレットが仕掛けたと思しき)罠にひっかかり、スズメバチに何十か所も刺されてショック死する事態に。 とはいえ、ガレットも相手が悪かった。彼が仕掛けた様々な罠を見抜いたライムは、見事彼の居所を突き止め、とりあえず彼が誘拐した若い女性のうちの一人は助けることに成功します。が、ガレットは逮捕された後ももう一人の被害者メアリー・ベスの居所をどうしても明かそうとしない。果たして彼女は、まだ生きているのか? 一方、ガレット逮捕に成功したリンカーン・ライムは、あとは地元警察に任せることにして、既に心は自身の手術の方へ。もちろん、この手術によって肢体不自由の状態がさらに悪化するかも知れないのですが、彼はあえてそれにチャレンジしようとする。それが彼の長年の夢でしたから。 が、ここでまたトンでもない事件が! ライムの恋人にして相棒である女性刑事アメリア・サックスが、逮捕されたガレットの証言を聞いていて彼の無実を確信し、メアリー・ベスの居所を教えるということを条件に、無謀にもガレットの脱獄を助け、自らも一緒に彼のアジトへ向かってしまうんですな。その驚愕すべき事件の知らせを受けたライムは、再び病院から現場に戻り、今度はガレットとアメリアの行方を追うことになる。 ところが、ところが! ライムの予想した通り、ガレットはやっぱり「クロ」だった! 実は彼はアメリアが自分に同情的なのをいいことに一芝居打ち、彼女に脱獄を手伝うよう仕向けていたのでありまーす! かくしてライムは、最愛の女性を「虫男」に人質にとられた状態で、彼の後を追わなくてはならないことに! 果たしてライムは、ガレットが残した物的証拠だけを頼りに彼の行方を突き止め、メアリー・ベスを、そしてアメリアを救えるのかっ! というような話です。面白そうでしょ? もっとも、ここまでの筋書きは、この話の表面にしか過ぎないんだなあ。実はもっと深い陰謀があるのよ。しかもそのサスペンスが最後の最後まで続くんだ、これが・・・。 というわけで、相変わらずジェット・コースター・サスペンスを書かせたら右に出る者がないジェフリー・ディーヴァーの『エンプティ・チェア』、秋の夜長には持ってこいですよ~。教授のおすすめ!です。ただ、ディーヴァーって人は、本のタイトルの付け方だけは下手だねえ・・・。これこれ! ↓EMPTY CHAIR,THE(A) [洋書]
September 26, 2009
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今日はUCLAの新学年開始の日。キャンパスは学生たちでごった返しておりましたが、ただ単に学生が多いだけでなく、なんだか妙に騒がしい。と思ったら、学生や教職員が一緒になってプラカードを掲げ、何やらシュプレヒコールを叫んでいるじゃありませんか。カリフォルニア州の財政難にともない、カリフォルニア大学連盟が大学の予算をカットしたことに抗議して、彼らはデモ行進をしていたんですな。大学当局は新学年の開始を予定通りに行うよう要請していたようですが、約100人の教授がこのデモ行進を支持する声明を出し、実際にデモが行われた、と。 デモ隊が掲げたプラカードには、「大学は、スタッフに敬意を払え」だの、「大学を我らの手に取り戻そう」だのといった文字が書かれていました。 なんか、そういうのを見ていて、ちょっといいもんだなと思いましたね。財政が苦しいのは分かるけど、教育費をカットしちゃいかんのじゃないの? という正論を、大学の教員と学生が一緒になって主張しているわけでしょ。なんかいいじゃないですか 私の勤務先大学も、国立大学の独立法人化によって恐ろしいほどの財政難に陥ってますけど、教員も給与カットを黙って受け入れているし、学生なんかそんな実情を知りもしない。そういう白けた日本の大学の雰囲気と比べると、アメリカの大学って、生き生きとしているなあと思いますね。うらやましいな。 それはさておき、私のロス滞在も残り少なくなってきました。そろそろ帰国の準備に入らなくては。帰国したら途端に授業開始ですから、天国から地獄へ行くようなもの。ですから、天国にいるうちにせいぜい楽しみたいと思います。
September 25, 2009
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こちらUCLAでは、主に海外からやってきた一時的な留学生向けの夏学期が終わり、本格的な学年が始まろうとしております。そのせいか、この一週間ほど我がアパートでも引っ越しラッシュで、新たに越してくる学生が部屋に荷物を運び入れようとしているのをよく見かけました。 ま、それはいいのですが、新しく入居して来た新入生や、夏休みにどこかへ行ってきて、新学年に備えて戻ってきた上級学年の学生など、そういう連中が夏休みの最期を楽しもうと、やたらにパーティーをするわけ。で、これがなかなかウルサイわけですよ。一昨日、昨日と、二日連続うるさかった・・・。 もちろん9時、10時、11時、そのくらいまでなら大目に見ましょう。若い連中のやることですから。しかし、12時を越えてもまだ騒ぎが収まらないとなると、ちょっと剣呑です。しかも、アメリカ人の声質というか、声のパワーが日本人とは違うようで、もうけだものが吠えているみたいな感じなんですよね・・・。 で、昨夜もそんな調子だったのですが、さすがに業を煮やしたアパートの管理人さんが出てきて、「12時過ぎてのパーティーは禁止だ。さっさと部屋へ戻れ!」との大号令。この一喝に対し、学生どもは一瞬で静かになり、代表者らしき学生が「分かりました、すぐ解散します」と「サー」付きの行儀の良い返答。この辺が、さすが超一流大学の学生さんたちだなと感心、感心。 が・・・。そこはやはり、学生だけに、しばらく静かにしていたものの、やはり話が盛り上がるにつれて声のトーンも上がってくる。で、その都度「シーーーッ!」などと互いに声を掛け合うのですが、また段々盛り上がってきて・・・ で、ついに再び登場した管理人さんが、「おい、これ以上騒ぎが収まらないようならLAPD(カリフォルニア州警察)を呼ぶぞ!」と、再び一括。さすがに「LAPD」には完全にビビったらしく、これで昨夜のパーティー騒ぎはお開きとなったのでありました。 さて、果たして今日はどうなることやら。さすがに昨日で懲りて、三日連続のパーティーはないかな? ま、今日もし騒ぎがあったら、私もちょっと吠えてみましょうか。「てめーら、うるせえんだよっ!」って、日本語でね。たまに教室で怒鳴って学生たちを震え上がらせているワタクシ、怒鳴る時の声量には、ちょいと自信があるんですのよ~。
September 24, 2009
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ロスアンゼルスの大新聞といいますと、まずは『LA Times』が挙げられます。これは歴史の長い新聞でして、規模から言っても全米でも指折りです。 が、それとは別に市民の間で親しまれている新聞に『LA Weekly』というのがある。これは無料配布の週刊新聞ですな。まあ、日本にもそれぞれの地域にフリー・ペーパーがありますが、そういう類のものと言ってよいでしょう。 しかし、この新聞、なかなか馬鹿にならないところがありまして。 先日もとある店先に山積みしてあった LA Weekly を一部いただいてきたのですが、私がそのまま放っておいたところ、家内が何やら記事を読み出した。で、ずいぶん熱心に読んでいるので、何事かと問うたところ、興味深い記事があると。 その記事はアメリカの里親制度の実情を批判したものなのだそうで、それによるとアメリカには、犯罪を犯すなどして問題のある親から子供を守るための里親制度が充実していて、それはそれでいいのですが、しかしそのことがまた別種の問題を生み出している、というのですな。 つまり里親になると、政府から養育費の援助があるため、それをビジネスにしてしまう善からぬ里親というのがやたらにいると。とにかくどんどん里子をとって、養育費さえもらえば後は放ったらかし、というわけです。ただでさえ実の親から引き離されて、心に傷を負っている子供たちが、そんな無責任な里親の下で育つわけですから、不良になってしまったりする子が多いと。 で、そうなると里親もさらに面倒臭くなってその子を放出するので、結局、また新たな里親のもとに送り出される羽目になる。つまり、次から次へとたらい回しされるわけですな。 が、そんな里子も18歳になると政府の援助がなくなるので、どうでも自立しないといけなくなる。しかし、その歳までに相当な犯罪歴なんかがあると、まともな就職もできなければ、軍隊に入隊することもできないので、まさに社会に見捨てられてしまうわけですね。となれば、あとはもうますます深く犯罪にかかわる他なくなってくる。 もちろんこれは最悪のシナリオで、中には非常にいい里親もいるわけですけれども、この最悪のシナリオ通りになってしまうケースが決して少なくはない。そういうことを、LA Weekly は、数ページに亘る署名入りの長文記事によって告発しているんです。しかも、実際に里子に出されて泥沼の道を歩んでいる18歳の若者を直接取材して記事を書いているので、非常に説得力がある。 どうです? 日本のフリー・ペーパーや無料のタウン情報紙とはずいぶんレベルが違いませんかね。いや、フリー・ペーパーどころか、朝日・読売・毎日などの大新聞と比べたって、記事のレベルが違うんじゃないかしら? で、こういうディープな話題を数ページにわたる署名入り記事で掲載するアメリカの新聞のことを思うにつけ、日本の新聞って、軽いな、って感じがするんですよね。社会欄・政治欄・経済欄と、どの欄をとってもそこにある記事は簡便なお仕着せのものばっかり。野球の試合の結果を報じるのも、政治の情勢を報じる記事も、結果を知らせるという意味ではまったく同レベルのものでしかない。腹の据わった署名入り記事なんかありゃしない。 もちろん、アメリカの新聞の記事には独特の臭みというのがあって、こういうところに寄稿するフリーライターなんてのは、どこぞの大学のジャーナリズム学科か何かで記事の書き方を勉強してきたんだろうなと思わせるような、ある種ワンパターンなところがあることも事実。ですけど、そういうことをマイナスした上で日米の新聞を比較しても、やっぱり、ちょっとレベルが違うと言わざるを得ません。 日本でも一時インターネット上の新聞が生まれ、誰でも記事を寄稿できるシステムが組まれましたが、ほどなくして廃刊になってしまいました。そういうところを見ると、やはりいい記事を書いて、名を挙げてやろうなんて野心を抱いているフリーライターなる存在が、アメリカにはごまんといるけど、日本にはいない、ってことなんでしょうな。ジャーナリズムに裾野が無いんでしょう。 それを言ったら、日本に裾野があるジャンルって、ほとんど無いですよね。唯一あるのは、野球だけかな。逆に、将来アメリカ文学の研究者として大成しよう、なんて野心を抱いている高校生なんか、日本中探したって5人もいないでしょうなあ。 そういうことを考えるに、1億3千万人なんてとんでもない数の人口を抱えている割に、どんなジャンルに関しても層が薄い日本という国は、一体どうなっちゃってるんだろう、と思わざるを得ません。 とまあ、新聞の話題からずいぶん逸れましたが、家内が読んでいた LA Weekly を通じてそんなことを思った次第でございます。さてさて、読者所見のご意見や如何に。
September 23, 2009
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ひゃー、帰って参りましたよドライブ旅行から。総走行距離2100キロという長旅でございました。 ま、今回の旅の大きな目的はグランドキャニオンを再訪すること、そしてセドナという近年人気のパワースポットを訪れるというものだったのですが、二つの目的地は色々な意味で好対照をなしておりました。 まずセドナは「谷の街」で、街の周囲を取り囲む岩山というか、それぞれ「コーヒーポット」とか「ベルロック」などと名前が付けられた巨大な奇岩群を下から眺め上げるという趣向の観光地で、もちろんやろうと思えばこれらの岩山を経巡るトレイルを歩くこともできましょうが、そこまでの覚悟がないヘタレ観光客からすれば、これらの岩山を遠くに眺めながら、あとは街の中でショッピングを楽しむというのが、セドナ観光の基本ということになります。こじんまりとした街には、インディアン・ジュエリーなどの店が軒を連ねていて、こういうものが好きな人にとってはたまらない場所。 あと、街外れに「The Church of the Holy Cross」という教会があって、これがまたこの街を訪れる観光客の目玉になっておりましてね。この教会、セドナの赤褐色の岩山に埋め込まれたような形になっているのですが、この教会の由来が結構面白いんです。1930年代にニューヨークのエンパイア・ステートビルが建てられた時、当時としてとてつもない高層建築を見たさる建築家が、これこそが現代の十字架だ!とインスピレーションを受けた。で、それ以来、高層ビル風の教会をたてるアイディアを温めていたところ、この案を知った別な建築家のロイド・ライト(日本の昔の帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトの息子)が、共同で設計することを提案、かくしてセドナの地にこの教会が建ったと、どうもそういうことらしい。 ってなわけで、これらがいわばセドナの全て、というところなわけですよ。ま、要するに、「ザ・観光地」ですね。 ところが一方のグランドキャニオンとなりますと、こちらはアリゾナ一の観光地であることは確かですが、別な意味で言えば、まったく観光地ではない、というところがある。あまりにも規模が大きすぎて、観光地化しようがないんですな。 で、こちらはセドナとは逆に、大地から谷底を下に見下ろす形で大自然の驚異を味わう形になるわけですが、やっぱりこれは何度体験しても、すごい体験です。 とにかく、コロラド川が大地を侵食してあれだけの規模の谷を作り上げたわけですが、そのあまりにもスケールのでかい光景を見降ろしていると、一体これだけの風景を一本の川が作り上げるのに、何百万年かかるんだろう?という疑問がどうしても浮かんでくる。つまりグランドキャニオンを見下ろす人間は、風景だけでなく、とてつもない単位の時間をも見ていることになるわけですよ。 そうすると、もう、「人間の一生」なんてスケールの時間の単位なんてどうでもよくなってくるんですな。そんなちっぽけなものなんか、あーあ、もうどうでもいいわ、って気になってくる。そういう感覚の転換を、グランドキャニオンは見る者に強いてくる。 で、私思うに、こういう内部的な転換を与えてくれる風景など、この世にそうあるもんじゃないのではないかと。 そういう意味で、やっぱり私はこじんまりとした観光地のセドナより、圧倒的スケールで見る者を打ちのめすグランドキャニオンが好きですなあ。今回この地を再び訪れてみて、あらためてそう思いました。 ということで、このブログ始まって以来、最大規模のものをおすすめすることになりますが、アメリカはアリゾナ州一の名勝グランドキャニオン、教授の熱烈おすすめ!です。「ナポリを見て死ね」と言いますが、私としてはその前にグランドキャニオンを見ておけ!と言いたいところですね!
September 22, 2009
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ヘンな夢を見ました。まだ子供の柴犬に出会いまして。これが私のことを気に入ってしまったらしく、しっぽを振ったり顔を押しつけてきたり、しきりに甘えてきてすごく可愛いわけ。で、あんまり可愛いので、私もこいつを飼うことにした。 で、「何を食べさせたらいいのかなあ。とりあえずミルクとか残飯を食わせておいて、もう少し大きくなったら市販のドッグフードでも食わせるか・・・」と、誰に言うともなく私がつぶやいた途端、そのワンコが、 「お! いいね、いいね!」 と乗り気でしゃべった。 残飯よりドッグフードの方がお好みだったようで・・・。 さて、それはともかく、今日は午後にちょっとサンタモニカの海岸まで出ました。今住んでいるウェストウッドの街からサンタモニカまでは車でほんの15分ほどなので。日本にいる時は逆に、西向きに太平洋を眺めるというのも、なかなかオツなものであります。 ところで、サンタモニカというのはアメリカの有名な「ルート66」の終着点だって、ご存じ? シカゴからはるばる西に向かうアメリカの古き善き大動脈、ルート66は、サンタモニカで太平洋岸に出るんです。 で、何で今日ここを訪れたかと申しますと、実は明日からこのルート66を逆に東に向ってひた走り、グランドキャニオンまでドライブ旅行をするからなんです。もちろん、現在の道路はそれぞれインターステートの10号・15号・40号ですが、これらの道はかつてのルート66とほぼ同じ場所を通る新道なんです。旧東海道と東名高速との関係に近いかな? で、今日はその起点たるサンタモニカの地を踏んできたんです。どうせなら、一番端から出発してやろう、と思いましてね。 というわけで、明日からしばらくブログもお休み。また帰ってきたら道中のお話などもできるかと。今回はグランドキャニオンの他にもう一か所、パワースポットとして最近日本でもとみに人気が出てきた「セドナ」というところにも寄る予定なので、その神秘のパワーを持ち帰るつもりです。 それでは、道中の無事を祈っていて下さいね~! 行ってきまーす!
September 16, 2009
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私たちがロスでよく行くスーパーマーケットは「ラルフス」というのですが、今日はちょっと趣向を変えて、最近とみに店舗数を増やしてきた新しいスーパーマーケット、「トレーダー・ジョーズ(Trader Joe's)」に行ってみることに。 トレーダー・ジョーズの売りは、何といってもそのオーガニック志向。だから、人口着色料とか、人口甘味料などがたっぷり入ったような食べ物・飲み物はなく、ナチュラルなものにこだわった品揃えをしているわけ。だもので、同じスーパーでも、ラルフスなんかとでは置いてある商品が全然違う。生鮮食料をほとんど置いておらず、調理済みの冷凍食品(もちろん、大メーカーの画一的な商品ではなく、オリジナルのもの)などが豊富という点も特長ですかね。 しかし、一番の特長は、「行き届いた店員教育」と「客層」かなあ。 もちろんラルフスの店員の態度が悪いとか、ぶっきらぼうだとか、そういうことはないのですが、トレーダー・ジョーズの店員は、ちょっとディズニーランドの係員みたいな感じといいましょうか。誰も彼も笑顔を絶やさず、どんな客に対しても一様に人当たりのいいなめらかな態度で接するわけ。良く言えばすごく感じがいいし、悪く言えば「完璧な店員を演じている」かのような、一種独特のわざとらしさ、不自然さがある。 店員教育が行きわたっているという点では、文句のつけようがないわけですけどね。 でまた、客層もラルフスとはまるで違うんですわ。ラルフスの客層は、それこそごた混ぜで、いい意味でロスアンゼルス的人種ミックスをそのまま反映している。一方、トレーダー・ジョーズはあきらかに白人中心、しかも「私、教養あります」的な、「オーガニック志向には基本的に賛同します」的な、「民主党支持します」的な、雰囲気がプンプンする。 ということで、もちろんトレーダーズ・ジョーのような行き方もいいけど、ラルフスのようなごく自然な感じの方が、どっちかっつーと私には合うかなあ、などと思いながら、こういう「善き人々のアメリカ」を演出しちゃうところもまた、アメリカなんだなあ、と感じ入っていたのでございます。
September 15, 2009
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今日は日曜日。ということで、ちょっとお散歩がてら、外へ出ることに。目的地はハリウッドの近くにある巨大CDストア、「AMOEBA MUSIC」。ここは新しいCDと中古CDの両方が買え、その在庫は西海岸一とも言われているところでございます。 この店は「サンセット・ブルバード」という大通りにあるのですが、このサンセット・ブルバードは、この辺のお金持ちの居住区を通る道なんです。ハリウッドのスターなんかもこの近くに住んでいることが多いわけですけど、まあ、確かにすんごい豪邸が軒を並べている。いや、こちらの豪邸はそれぞれ広いお庭がありますから、実際には軒なんか並べてないのでありますが、とにかくあちこちに豪邸が散在している。もっとも通りから見える範囲の豪邸は、この辺じゃ豪邸とは言わないので、通りの奥にもっともっと凄い大邸宅があるのでしょう。道端に「スター・マップ」売りのオジサンがいますから、そういうオジサンから地図を買って、ハリウッド・スターの豪邸見物をすることもできますが、まあ、私もそこまでミーハーではないので、とりあえず先を急ぎます。 で、到着しましたアメーバ・ミュージック。中に入ると、広い倉庫みたいなところに棚がずらっと並んでいる感じで、日曜日ということもあってか、大勢のお客さんで賑わっております。 で、家内と私もそれぞれCDを探し始めたわけですが、私はとりあえず今日の目的の一つであったプリンスの新譜『ロータス・フラワーズ』をゲット。3枚組のCDですが、新譜で買って19ドルくらいだったかな? 多分プリンスはもはやCDを売って儲けようとか、そういう興味は失っているんじゃないでしょうかね。で、私としてはプリンスのバックバンドであるニュー・パワー・ジェネレーション名義のCD、『エクソダス』と『ゴールドニッガ』も探したのですけど、これはさすがにこのお店にもなくてちょっとガッカリ。 で、今度はジャズのコーナーに行ってみると、これがまたすごい品揃えなので、目ぼしいものを次々とピックアップ。日本ではなかなか買えないスタン・ゲッツの『アパッショナード』(プロデューサーがハーブ・アルパートで、ジャズというよりはイージー・リスニングっぽい感じのアルバム)をゲットした他、6枚ほどのジャズCDをゲット。家内はグレン・グールドのアルバムとスエードのアルバムを買い、私の分と合わせて10枚ほど買ったのですが、全部合わせて115ドル位。安いものです。 で、すっかり満足した私たちは、帰りは道を変え、ファッション関係の面白い店が軒を連ねる「メルローズ通り」を流しながら、以前より増えたお店などを横目で見ながら帰宅の途についたと。 というわけで、今日は近場のドライブでしたけど、なかなか充実した午後を過ごすことができたのでした。
September 14, 2009
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今回のアメリカ滞在でちょっと寂しいのは、借りたアパートの部屋にテレビがないこと。以前は大家さんから古いテレビ(多分、以前の住人が置いて行ったもの)を借りられたのだが、アメリカも最近デジタル放送化されたもので、古いテレビが使い物にならなくなってしまったんですな。 ということで、部屋での楽しみはラジオだけ。で、色々なステーションを探りながら一日中かけっぱなしにしているのですが、とにかく驚くのは、同じ曲が一日に何度でもかかることです。それも最近の曲ではなく、20年から30年前位前の奴が。 じゃ、例えばどんな曲がかかるかと言いますと、ずばりケニー・Gですね。アメリカ人、どんだけケニー・Gが好きなのか、っつーくらい、かの笛吹き男の曲がかかりまくる。それから他にはアース・ウィンド・アンド・ファイヤーの『ファンタジー』とかね。ジョージ・ベンソンの『シャレード』とか。シャーデーの『スウィーテスト・タブー』とか。テレンス・トレント・ダービーとか。トレーシー・チャップマンの『ファースト・カー』とか。ドゥー・ビー・ブラザースとか。色々なバージョンの『スタンド・バイ・ミー』とか。ジャズ系で言えば、デイヴ・ブルーベックの『テイク・ファイヴ』とか。要するに、基本的に70年代から80年代にかけての、メロディー重視のソフト・ロック系の曲がヘビー・ローテでかかる。90年代以降でかかるのは、せいぜいクリスティーナ・アギレラとか。でもかかる曲はやはりメロディー重視の曲ばかり。 というわけで、ロスでラジオを聴いていると、もう90年代と2000年代は存在しないがごとくです。ラップなんかはまったくかかりません。NYとかのラジオ局だと、そういうのもかかるのかしら? ま、いずれにせよ、ロスの状況を敷衍して考えてよいとすれば、多様とはいっても一般の「アメリカ人」が好きなのは、70~80年代のソフト・ロック路線のみで、そういうのが80年代で終わってしまって、以後、そういう系統の新曲がなかなか出ない以上、懐メロをかけまくるしかないと、どうもそういうことらしい。だから、70年代~80年代にヒット曲を一つでも出したアーティストは、今、楽々食っていると思いますよ。あれだけヘビーローテで自分の曲がかかるんだもの、印税がすごいでしょう。 ま、なんだかんだ言って、やっぱり人はメロディーが好きなんだ、ってことなんでしょうけど、それにしてもアメリカ人、好みがシンプルではっきりしているもんですな。でも、いいんじゃないでしょうか。私もまたこういうソフト・ロック系の音楽、基本的に好きですから。ラップは嫌いだし。だからロスのこの状況、決して嫌いじゃありません。 そういう意味で、日本にも陽水とか荒井由美とかガロとか、青い三角定規とか、「蜂の武蔵は死んだのさ」とか、せいぜいハードに振ってツイストとか、そういうのしか絶対にかけない、なんてポリシーのあるラジオ局があってもいいのにね!
September 13, 2009
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先日、アメリカのショッピング・モールなんかによくある中華レストラン・チェーン、「パンダ・エクスプレス」で食事をしていた時のこと、おまけで付いてくる「フォーチュン・クッキー」を割ったら、中から「近いうちにいい知らせが届くでしょう。しかも遠くから」と書いた紙が出てきた。で、ほ、ほう、遠くからというからには、何か日本からいい知らせが届くということだろうか、なんて思って、何とはなしに期待していたわけ。そうしたら、今日、勤務先大学の出版会から私宛てにメールが届いているではありませんか。で、何かと思って読んでみると、学長が地元の新聞記者を集めて開く「学長懇談会」の場で、先月私が出版会から出版した「卒論執筆マニュアル」の話題を新聞記者たちに提供した、というのですね。おお! そうですか! となると、万が一新聞記者が拙著を読んで感心してくれたら、それについての小さな記事が新聞の地方版の片隅にでも載るかもしれないじゃないですか! これは確かにいい知らせだ!・・・と、思ったら・・・。その先が悪かった・・・。大学出版会の決まりでは、出版物の一部を大学図書館が引き取り、国会図書館への送付や大学図書館への納付などに使うことになっているんですな。で、現在、図書館ではその残りとして、拙著を2部だけ保持していた、と。ところが先の会見に集まった新聞記者は4人いたので、彼ら全員に拙著を渡すとすると4部が必要になるわけですよ。で、図書館には2部しかなかったので、今回は記者たちに拙著を渡すことはできなかったと・・・。で、もしこの先、またこういうチャンスがあった時に備えて、2部ほど、著者として図書館に寄贈してくれないかと。今回のメールの趣旨はそういうことだったのでございます。えーーーーーーーーーーーーーッ!何で、何で、そういうことになるの?!だって、図書館にはですね、拙著の在庫がまだ山ほどあるんですよ! もちろんそれは販売用の在庫であって、図書館のものではないかもしれないけれど、またとないチャンスだったのですから、とりあえずこの山なす在庫の中から2部とりだして、図書館保持分の2部と合わせて計4部、新聞記者の方々に進呈すりゃいいじゃないですか! そんなことを勝手にしたら、私が怒るとでも思ったのでしょうか?とんでもない! 私は、そうしなかったことに対して怒りますよ!普段、図書館は「出版会の出版物の在庫がたまって仕方がない、何とか早くあれを処分してくれ」、なんてことばっかり言っているくせに、今回のような時になって、なんでその在庫を処分する最善の方法をとってくれなかったのか・・・。新聞記者に出版物の現物を渡すこと以上に、格好の在庫処分なんかないじゃないですか!もう、馬鹿としかいいようがない・・・。あーあ。今回の学長懇談会を外したら、もうタイムリーな話題ではなくなってしまうではないですか。出版された途端に「こういう本が出版されました」と告知するから意味があるのであって、「ちょっと前のことになりますが・・・」ではもうその時点で「ニュース」ではない。図書館の馬鹿な計らいで、せっかくのチャンスを永久に失っちまったよ・・・。フォーチュン・クッキーの予言は、どうも今回、はずれたようです。トホホ…。
September 12, 2009
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久しぶりにロスに来てみて、ちょっとした変化として気がついたのは、タトゥー(入墨)をしている人の数がぐっと増えたこと、ですかね。 お洒落でタトゥーを入れる人が日本より遙かに多かったのは以前からそうなんですけど、最近のタトゥーは以前にもまして大胆ですからね。ワンポイントなんてもんじゃなくて、両腕の手首までびっしり、とか、片足のくるぶしまでびっしり、あるいは首筋から喉元にかけてぐるりとタトゥーで覆われた人、なんてのがやたらにいる。 それも、若い人に限らず、40代・50代のマダムまで。その年代層の、身分卑しからぬ落ち着いた主婦が、びっしり入墨をいれた両腕をタンクトップからむき出しにして、ワンちゃんの散歩なんかしているのを見ると、さすがに違和感があります。そ、それでいいんすか? みたいな感じ。もちろん、それが本当の入墨なのか、それとも洗えば落ちる「なんちゃってタトゥー」なのかは分かりませんが。 ま、こういうのは人それぞれの嗜好の問題であって、私が善悪を言うべきものではありませんが、それでも分別のあってしかるべき年代層の中流家庭の奥様が、一体どういう了見でそこまで入墨を入れるつもりになったのか、聞いてみたい気にはなりますね。体制に対する反逆だ、というのなら、それでもいいですが。 でも、女性はともかく、男のワタクシなら、なんちゃってタトゥーを一度くらい試してもいいかな。帰国する前にやってもらって、10月から始まる後期の授業に両腕びっしりタトゥー入れて教室に入って行ったら・・・。 学生たちの反応が楽しいことになりそうですね!
September 11, 2009
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ロスでの足に使っているヴィッツ(こちらでは「ヤリス」)、結構いいですね。借りたのが2ドア車なので、後部座席を使うとなるとちょっとアレですけど、運転席・助手席に関しては余裕たっぷりですし、ハッチバックなので、載せようと思えば大きな荷物だって載る。運転席の回りにもあちこちに小物入れがあるし、二人で乗る分にはまったく不満なしですな。 これ、排気量が1リッターなのか、1.3リッターなのか、それとも1.5リッターなのかよく分かりませんが、いずれにせよロスのとろい道路運行状況の中では、これ以上は不必要。ただATの味付けの問題で、アクセルの踏みはじめにグワっとトルクが出るようにしつらえられていて、ちょっと油断すると、そんなつもりはないのに急発進したような感じになってしまうのが玉に瑕。 だけど、これ、本当に日本のヴィッツと同じものなのか、ちょっと疑問ですね。アメリカで日本車をレンタカーするたびに思うのですけど、日本で乗る日本車と、アメリカで乗る同じブランドの日本車では、何となく味付けが微妙に違うような気がする。アメリカ人好みにトルク重視、遮音重視、柔らかめの足に変えてあるのでは? エンジン音もほとんど聞こえないし、なんだか空飛ぶ絨毯を運転しているみたいですぞ。 ところで、当然のことながら、アメリカにはアメリカ人が好むものが沢山売られているわけでありまして、異邦人の私としては、時に「なんじゃ、こりゃあ?」と思うものもある反面、逆に「こりゃあ、いい!」と思うものもある。 たとえば洗剤・石鹸の類。これはね、アメリカ製はすごくいい。種類も多い。 で、この間、スーパーで何気なく買ったごく普通のシャンプー&コンディショナーがすごくいいわけですよ。私の髪質は堅く、ごわごわしていて、下手なシャンプーで洗うと、翌朝起きると、ドン・キングみたいな(手に持った爆弾が爆発した直後のような)髪になってしまう。といって、やたらにしっとりするシャンプーを使うと、頭皮に合わないのか、痒くなってしまったり。 ところが、アメリカのスーパーで買ったごく普通のシャンプー、これが泡立ち豊か、泡切れよし、翌朝もしっとりとして髪が爆発しておらず、ブラシでさっととかすだけで寝ぐせなし、の優れもの。ちなみにその名は「シュワルツコフ・ヘンケル社」の「Citre Shine」という奴。この会社の製品は日本でも(プロ用として?)売られているようですが、私が使っているのは、そんな洒落た奴ではなくて、ごく普通の値段で売られている、ごく普通の市販品。だけど、それが実にいいんだな~。これ、帰る時にまとめ買いして、トランクに入れて持って帰ろうかしら。 ということで、もし旅行等でアメリカに行く機会がある、なんて方がいらっしゃいましたら、ちょいとそこらのスーパーに飛び込んで買ってみてはいかが? 教授のおすすめ!です。
September 10, 2009
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アメリカについて数日、そろそろ着るものがなくなってきましたので、洗濯をすることにしました。 アメリカのアパート(コンド)の全てがそうだとは言いませんが、私の知る限り、たいていのアパートでは共同の洗濯場があって、住人はここで洗濯をすることになります。日本のように各戸に洗濯機がある、というのではないんですな。 そうなりますと、学生街のアパートなんかだと、男子学生も女子学生も同じ洗濯場で、同じ洗濯機を使って洗濯をすることになる。当然、下着なんかも隣り合わせでグルグル回っているわけですけど、こちらの学生さんたちは別にそんなこと気にしないようですね。下着というものに対する概念が多分違うんでしょう。 ところで、少し前までアメリカにおける洗濯というのは、「25セント玉」を意味したものでございます。つまり、共同の洗濯場にある大型の洗濯機と乾燥機、それぞれのマシンにスロットがあって、そこに25セント玉を4個とか5個とか差し入れ、ガチャンと押し込むと作動する仕掛けになっているわけ。つまり洗濯をするためには1回につき25セント玉が10個くらい必要になるので、普段の生活の中でも常に気にして財布の中の25セント玉を使わずにとっておいたりするのが当たり前だったんです。で、今日も大事にとっておいた25セント玉をじゃらじゃらと持って洗濯場に向かったわけ。 ところが・・・。時代は変わりますな。 ついにアメリカの共同洗濯場の洗濯機もコイン式を脱し、我がアパートのそれもカード式になっていたという・・・。あれ~、せっかく25セント玉集めてたのに~。 ま、もちろんカード式の方が便利っちゃ便利ですから、その方がいいんですけどね。でも、いつも25セント玉を気にしてとっておく、あのアメリカ生活における風習の一つが失われたようで、なんだか味気ないような気もします。 不便ってのも、文化の一つですからね。 というわけで、最新型のマシンにカードを差し込みつつ、便利になった洗濯ライフに興ざめしていたワタクシなのでした、とさ。
September 9, 2009
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今日は9月の第1月曜日。「レイバー・デイ」(勤労感謝の日)ですね。 が! 私は何を勘違いしたのか、レイバー・デイを「9月1日」だと間違って思いこんでいて、今日がその日と意識していなかったという・・・。 で、さあ、今日から勉強だ! と思って意気揚揚とUCLAに乗り込んだと思ってくだせい。 で、もちろん、複数ある図書館はどこもかしこも閉まっていた、と。学内のレストランもすべてクローズだったので、まったく当てが外れてしまいました。やれやれ、大失敗ですわ。そういえば以前も、アメリカのとある機関を訪れたところ、予期に反して閉まっていて、何ごとかと思ったら「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日」だった、なんてことがありましたっけ。どうも、ハロウィーンとサンクス・ギヴィングとクリスマス以外のアメリカの祝日に関して、私たち日本人は鈍感なところがありますな。 ところで、レイバー・デイに、アメリカ人は何をやるか、ご存じ? バーベQです。この日は家族・友人を集めてバーベQをやるというのが一般的な過ごし方なのでございます。で、同時にこの日をもって夏が終わる、という認識がありまして、バーベQをガシガシと食べながら、過ぎゆく夏を惜しみつつ、「明日からいよいよ秋だな」と思いながら、職場へ、学校へと散っていく。まあ、そういう具合なんですな。 ということで、私も「明日こそは、大学で勉強するぞ」の意思を固めつつ、私なりに夏の終わりを感じているのでありました、とさ。
September 8, 2009
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7年ぶりに訪れるとなると、ウェストウッドの街も少しは変わるもので、行きつけのスーパーへ向かう道を走っていても新しく建った建物などがあちこちに見かけられます。私の許可もなしにこんなの作っちゃって、などと思いながら見ていると、今まさに作りかけのアパートがありまして。 アメリカのアパートってのは、60室とか100室とかの規模のものが少なくないですから、相当でかいものでして、建物の形自体もかなり複雑です。日本のアパートのようにマッチ箱を横にしたようなシンプルなものなどほとんどない。で、私が見かけたその建てかけのアパートも4階建ての巨大な建物でございました。 ・・・が。ちょっとビックリしたのはですね、それが木造なんですよ。木造4階建ての巨大アパート。まあね、物理的にはそういうものも可能なんでしょう。しかし、よく見るとこれがすごいものでして。 だってめちゃくちゃな造りなんですもん。柱にしたって長いものあり、短いものあり。短いのは途中で木を継ぎ足したりしている。継ぎ足しているのはまだいい方で、上まで届いていなくて、柱の用をなしてないのもある。ベランダも同様で、なんだか危なっかしい作りなんだ、これが。この状態を見てしまったら、アパートが完成した暁にベランダの手すりにもたれかかるなんて絶対できない。 こんなんで、4階建てのアパートを作る! しかも時に大地震に襲われるロスで! 無茶やりよるなあ! ちなみに私が今住んでいるアパートも、内装なんかめちゃくちゃで、床は傾いでいるは、ペンキの塗り方は雑だわ、ブラインドは長すぎて床に引っ掛かるわ、相当なもんです。しかも水周りもひどくて、水道栓はきちっと閉まらず、常にちょろちょろ水が流れているし、どこからか配水管から水漏れがあるらしく、床の一部が湿っているなど、日本だったらありえないことばかり。ま、それでも基本的な設計自体がいいので、アパートとしては非常に使い易く、しかもどことなく洒落ているのですけどね。 で、思うに、日本の優秀な建設施工会社が、日本の優秀な大工さん、鳶さんを連れてアメリカで建設事業に携わったら、これはものすごく商売繁盛するんじゃないかと。日本の大工さんたちの正確無比な仕事ぶりは、アメリカのそれとはもう比べ物にならんのじゃないかな。アメリカの設計で、日本人の施工。これが最高の結果を生むと思うのですが、如何。 ま、そんなことを考えつつ、私のアパートだって、基礎工事はあんなものなのかも知れないと思うと、ゾッとしますね。あと3週間、ロスに大地震が来ませんように!
September 7, 2009
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ロスでの定宿であるアパートの大家さんはイラン人。アメリカでは人種によって就きやすい職業というのがあって、たとえばNYのタクシーの運転手はたいてインド人だったりしますし、駐車場のバレーはほとんどメキシコ人とか、床屋さんにはギリシャ人が多いとか、そういう傾向があれこれあるのですが、アパートの管理人というとイラン人とかインド人が多いんですな。聞くところによるとイギリスあたりでもイラン人がアパート経営していることが多いそうなので、アメリカに限った話ではないのかも知れませんが。 で、さらにちなみに言いますと、イラン人と日本人というのは、なんであれ共通するところがものすごく多い。料理の味の好みとか、ともに正座する文化であるとか、共同風呂に入る習慣があるとか、その文化的近似性は驚くほど。で、イラン人全般に日本人に対する親近感というのがあって、私の大家さんも日本人である私に対して非常に好意的。本当によくしてくれます。 で、そんなふうだからこそ、アパートを一か月だけ借りるなんていう無茶も通ってしまうわけなんですが、それだけでなく、鍋釜・皿コップ・ナイフ&フォークの類、タオルにバターに米や水と、さしあたり生活を始めるのに必要な品々を、なにくれとなく用意しておいてくれるわけ。本当にありがたいわけですよ。 ところで、大家さんが用意してくれた「さしあたり生活に必要なもの」の中に、一つだけ、おや? と思うものがあったんです。それは何かと言いますと・・・ 「フルーツ盛り」です。大きな皿にリンゴやグレープフルーツなど、各種フルーツの乗ったものをくれたわけ。 で、私なんぞは勘の悪い方ですから、ああ、フルーツを食えということなんだなと思ってありがたく受け取ったわけですけど、これに対して我が家内殿が後から面白いことを言い出したんです。 つまり、アメリカ人の生活にとって、「フルーツ盛り」は生活必需品なのではないか、と。これがないと家の体をなさないからこそ、これをくれたのではないか、と。別な言い方をすれば、アメリカ人にとってフルーツ盛りを部屋に置くのは、日本人が家に花を飾る感覚に近いのではないか、と。 そう言われてみると、確かに「フルーツ盛り」というものに対する感覚が、日本人とアメリカ人(あるいは西欧人?)とでは違うのかも知れません。日本人には「何が何でも家にはフルーツ盛りが必要だ」、という感覚などもちろんありませんが、アメリカでスーパーやホームセンター的なところに行くと、必ずフルーツ盛り用の飾り皿が売られている。ということは、それだけ需要があるということでしょう。 で、そこから敷衍してハタと思うのは、いわゆる「静物画」という奴。セザンヌなんかでよくあるではないですか。あれもひょっとして、そういう感覚の元に作られている絵なのではないかしら? つまり、花瓶に活けられた花を描くように、セザンヌはフルーツ盛りを描いたのではなかろうか? だとしたら、たとえば日本人がセザンヌの真似をして「静物画」を描くのは、ある意味、誤解の産物なのではないでしょうか? 日本人の画家が静物画と称してフルーツ盛りを描くとき、「これはどの家にも必要不可欠な装飾だ」と思って描いていないのであれば、それは間違いなのではないか? ま、その辺の真偽はワタクシに分かるものではありませんが、ちょっと面白い視点なのではないかと思うのであります。どんなもんでしょうかね?
September 6, 2009
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三日のご無沙汰でやんす。「しばしのお暇を」などといいながら、たった三日でブログ復帰するっつーのも格好がつかないものですが、ロスに到着し、アパートで何とかネット接続ができることが判明した以上、あまり長きにわたってブログを御留守にするのもアレかな、と思いまして。 っていうか、もうワタクシ、常に泳いでないと死んでしまうサメのごとく、こういう文章を書いてないと窒息して死ぬんだよね。 さてさて、シンガポール・エアにうちまたがり、やってきましたアメリカはロスアンゼルス。レンタカーで借りたヴィッツ(こちらでは「ヤリス」と呼ばれる)を飛ばし、左ハンドルもなんのその、LAXから405サンディエゴ・フリーウェイを北上して到着しましたるUCLAのお膝元ウェストウッド。2002年、やはり日本学術振興会の科研費を使ってひと夏をここで過ごして以来ですから、7年ぶりということになりますが、まあ、色々忘れていることも多々ある反面、現地に着いてみれば思いだすことも多々あり、ロス贔屓の私としましては、まさに勝手知ったる第二の故郷的なリラックス感のうちに、今年の夏の一大イベントが始まったのでございます。 で、目指すアパートに着いて、旧知の大家さんと旧交を温めつつ、今回借りた部屋を見せてもらったのですが、うーん、今回はワンルームか・・・。前回借りた時はリビングとは独立した寝室があって、色々な点で使い易かったんですが・・・。でも、ま、仕方がない。別に贅沢しにやってきたわけでもあるまいし。4週間弱雨露しのげればそれでよしと思うことにいたしましょう。 で、生活必需品や、とりあえずの食糧なども大家さんからの差し入れがあったのですが、それでもやっぱり色々足りないものもあり、ジェットラグの睡魔が襲ってくる前に買い物だけは済ませてしまおうということになり、家内とともに行きつけのスーパーへ。 行ったスーパーは「ラルフス」というスーパーなんですが、いやあ、やっぱ、アメリカのスーパーっていいね! とにかくモノが豊富で、この物量がアメリカだあ、ってな感じで気分が盛り上がるわけ。で、大型のカートに山盛りの買い物をしましたが、それでも総額100ドルくらいだったかな? この中には、たとえば2リッター入りの牛乳とか、5リッター入りの水(大丈夫という人もいるけれど、アメリカの水道水をそのままでは飲みたくないので・・・)なんかも含まれ、その辺もまたアメリカ的なお買い物、という感じでございます。それから忘れちゃいけないアイスクリームの大箱。我らのお気に入り、ブライアーズというブランドのアイスクリーム、バターピーカンとストロベリーをそれぞれ1リッターくらいずつ買って5ドルかな? こいつを箱ごと抱えて食べる。これが醍醐味なんですよね~。 で、帰ってきて、さて飯でも作ろうかというところで、いよいよ睡魔が襲ってきて、もう凝ったものは作れないということで、御飯だけ炊いて、あとは日本から持ってきた佃煮と味噌汁なんかで簡単に済ませ、アメリカ初日の夜にしてはやけにジャパニーズなメニューとなったのでした。 そこから先は、あまりの睡魔に、自分が何をしたか記憶にすらないくらい。とにかくバタンキューで寝込んでしまい、今朝に至る、みたいな。 ということで、これから始まるアメリカでの研究休暇。毎日更新できるかどうかは別といたしまして、折に触れて更新して参ります。お楽しみに~!
September 5, 2009
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さて、アメリカ行きが近づいてきました。相変わらず旅慣れないもので、たかだかひと月弱の滞在でも、準備に追われております。っていうか、もうおおよそは準備も終わったのですが、何となくそわそわしてしまいましてね。 で、向こうでのインターネット環境がどうなるのかよく分りませんので、多分、しばらくはこの「お気楽日記」もお休みということになりそうです。ご愛読いただいている皆様には申し訳ありませんが、しばしのお暇をいただきたいと思います。もっとも、チャンスがあれば、向こうからも更新しますけどね~。 それでは、皆さま、Au Revoir! 飛行機に乗るのがあまり好きではないワタクシのために、行き帰りの無事を祈っていて下さーい!!
September 2, 2009
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アメリカ行きに先立ち、メガネを新調しまして。 と言うのも、何だか最近、近視の度がさらに進んだようで、遠くのものが見えにくくなってきたんです。これではアメリカでクルマを運転するのにちょいと不都合ですからね。ハイウェイの分岐の掲示が見えなかったら大変だ。 それに、いわゆる「老眼」ってんですか? 近くのものも見えにくくなってきたんです。老眼なんて70歳くらいのおじいさんがなるものかと思ったら、40代で半ばを過ぎると、早くも老眼の前兆が起こってくるんですなあ。いやだ、いやだ。歳とっていいことなんて、あんまりないね。 で、今回はフレームのない、レンズだけの奴にしようかな、とちょっと思ったのですが、メガネ屋さんであれこれ試しながら家内に見てもらったら、むしろフレームがあった方がキリッと知的に見えるという意見でしたので、その意見を重視し、やっぱり上だけフレームのあるタイプにしました。ただ、横のところのデザインがちょっとだけ変わっていて、今まで使っていたものよりも、少しだけ「今風」かな? で、出来たメガネを受け取って昨日から早速かけ始めたのですが、今までが見えなさ過ぎたせいか、ちょっと見え過ぎてクラクラする。目が疲れる感じです。ま、いつもメガネを替えると、最初はこんな感じですよね? が! 一日経って今日になってみると、もうだいぶ慣れちゃって、クラクラすることはなくなりました。 で、思うのですけど、人間の環境への対応力・順応力ってのはスゴイもんだな、と。一夜にして、新しい視覚環境に体が順応したんですからね。人間ってのは、よく出来ているものでございます。 ま、それはともかく、4週間弱のアメリカ滞在が間近に迫ってまいりました。新調したメガネで、7年ぶりのアメリカをよーく見て参りますぞ~!
September 1, 2009
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