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昨日、我が釈迦楽ゼミではゼミの前期打ち上げの飲み会があったのですが、その場でちょっと面白い話を聞きました。 その前に一つ、説明しておかなければならないのですが、今年度の釈迦楽ゼミでは、なぜか互いに外国名で呼び合うという変なルールが出来ておりまして、例えば「べス」とか「チャーリー」とか「シャンティ」とか、そんな名前で呼び合っているんですな。ちなみにワタクシは「ウィリアム」なんですけどー。 で、その中に「AJ」というのがおりまして。これは「メリー・ジェーン」のことを「MJ」と短く呼んだりすることに触発され、このような呼び名に決まったのですが、そのAJがタリーズ・コーヒーでバイトをしているんですね。 で、バイト中の休憩時間とかに、彼女は自分で勝手に「ロイヤル・ミルクティー」のフラペチーノ(タリーズでは「フラペチーノ」とは言わず、「スワークル」と呼ぶのですが・・・)みたいなのを作って飲んでいたらしいんです。まあ、いわば「賄い」ですね。 ところが、そのAJオリジナルの飲み方が案外旨いということで店の評判になり、店長がタリーズ・コーヒーの社内コンペに応募してみたんですな。すると・・・ あっさり採用された、と。 ということで、この夏以降、我がゼミが誇るキャラクター、「AJ」考案になる新メニューがタリーズ・コーヒーの店頭に並ぶことになったのだそうです。ひゃー、すっげー! ということで、近い将来、タリーズ・コーヒーで、ロイミティー・スワークル的な新メニューを見かけたら、それは釈迦楽ゼミのAJが考え出したんだ、ということを思い出し、ま、その場の話のネタにでもしていただければと思うのでありまーす。 ちなみに、別のゼミ生の「ナンシー」はモスバーガーでバイトしているのですが、そのうちナンシーもなんかモスの新メニューを考え出し、「ナンシー・バーガー」として売り出すと言っておりますので、実現したらそれも御贔屓に。
July 31, 2009
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先週末のF1・ハンガリー・グランプリの予選中、ブラウンGPのルーベンス・バリチェロ選手の乗ったマシンの部品(800グラム)が脱落、それが後続するフェラーリのフェリペ・マッサ選手の顔面に時速260キロで衝突する、という事故がありました。 当然ヘルメットは割れてしまい、マッサ選手は頭がい骨骨折の重傷。一時はかなり深刻な状況に陥ったようですが、幸いなことに、その後、驚異的な回復を見せ、懸念された左目視神経へのダメージもさほどではなかったようで、今は順調に回復に向かっているとか。私はマッサ選手のファンでもありますので、彼のF1ドライバーとしての選手生命が断たれなかったことを、本当に嬉しく思っています。 しかし、その喜びは、さらなる驚きの始まりに過ぎなかったのでありまーす。 回復に向かっているとはいえ、全治数カ月ということですから、当然マッサ選手が今シーズン、グランプリに出走することはできないわけですが、なんとその代役として、2006年にF1を引退した斯界の帝王、ミハエル・シューマッハ氏の現役復帰が決まったというのです。 ひょえ~~~っ! これはすごいですよ。優勝回数91回、7度も世界チャンピオンに輝いたあの伝説の男がF1に帰ってくるとは・・・。 譬えて言えば、そうですね、朝青龍や白鵬など、モンゴル勢ばかりが優勝する相撲界の不甲斐なさに、ついにあの九重親方・千代の富士が立ち上がり、来場所から現役復帰する、みたいなニュースだと思っていただければ、F1ファンの驚きを表現できるのではないかと。 とにかく驚愕のニュースでございますよ。果たしてシューマッハは、40歳の年齢をものともせず、若い世代のドライバーたちを蹴散らすことができるのかどうか。これは見ものです。 ということで、マッサ選手の怪我は残念でしたが、その結果としてこんなサプライズが待っていたとは、長年のF1ファン冥利に尽きます。さて、8月23日のヨーロッパGPの結果やいかに? 今から楽しみな私なのでありまーす。頑張れ、シューマッハ!
July 30, 2009
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小学生なんかはとっくの昔に夏休みに入っているだろうに、勤務先大学はまだ夏休みではございません。8月5日になってようやっと夏休みなんですよね・・・。 それもこれも、「半期15週の授業時間を確保せい」という馬鹿な文科省のお達しのせいでございますよ。昔は「そうは言っても、大学の授業なんて、せいぜい12週くらいやればいいでしょ」という暗黙の、というか大人の了解があったので、遅くとも7月半ばには休みに入ったものですが、最近は文科省が大学および大学生を子供扱いしますからね。 そんな風に大学生を子供扱いするくせに、よくもまあ「18歳で成人」なんて冗談みたいなことを言いますなあ。 ま、それはさておき。 小学生の頃は、今頃夏休みに入っていて楽しかったなあ、なんて妄想にふけっていたら、ふと、そういえば私なんかが子供の頃は、夏休みに入ると、とたんに民放各社が「夏休みアニメ特集」みたいなのを組み、午前中の8時頃から11時くらいまでアニメやら特撮モノの再放送何かをしてくれたのを思い出しました。私もそういうのを随分楽しんだ覚えがありますけど、今、そういうのってやっているのでしょうか? 私の子供の頃は、そうですね、「妖怪人間ベム」とか「サスケ」とか「魔法使いサリーちゃん」とか「花のぴゅんぴゅん丸」とか、そういうのの再放送が楽しみだった。「タイガーマスク」やら「空手バカ一代」やら、「アパッチ野球軍」なんてのもあったなあ。あと、もちろん「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」ね。こういうのは、もう何度見たか知れやしない。 で、そういうのをぐずぐず見ていると、母に「今日の宿題はやったの?」なんて言われる。言われるな、と思っていると言われるもので、それがまた険呑で。 しかし、そんなノンビリとした倦怠感もまた、考えてみれば、子供の特権ですな。もう、今の私なんて、今日の仕事、明日の仕事のことを考えるので手一杯だ。 ところで、今、ちらっと新聞のテレビ欄を覗いたところ、あんまり派手派手しく「子供アニメ特集」的なプログラムはやってないですね。最近の子供たちは、夏休みだと言っても、塾だ何だと忙しくて、それどころではないのかしら。それとも、テレビなんかを見るより、ゲームでもしてる方がいいのかな。 ま、そんな今時分の子供たちより、ワタクシなんかの世代の方が、よほど夏休みを楽しんでいたのではないかと、ちょっと思っている私なのでありました、とさ。 ところで、読者の皆さんは、子供の頃、「夏休み子供アニメ特集」的なのを見ませんでした? 見ていらした方、何を見ていたか、お知らせください。ご一緒に懐旧の念に浸ろうではありませぬか!
July 29, 2009
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最近はどこの大学でも「オープン・キャンパス」と称して高校生に大学を開放し、キャンパスに来て各学部学科のプレゼンを聞いて、受験意欲を高めてもらう、という催しをやるわけですけど、今日は我が大学でもそれがありました。 この制度が始まった頃は、「オープン・キャンパスをやればやるだけ逆効果。こんなぼろい校舎の大学、来るもんか、という思いを植え付けるだけなのではないか」などとぼやく先生方もおられましたが、この2、3年ですかね、急に参加する高校生の数が増えて、こちらがびっくりするほど。中にはご両親と一緒に大学を訪問されるケースもあって、随分熱心なもんだと思います。 で、うちの科は、やはり英語関係ということで人気があるせいか、結構な数の受験生候補者を集めます。ということで、ここは一発、在校生に英語でパフォーマンスでもさせて、うちの大学に来るとこんなに英語がしゃべれるようになるよ、というところをアピールしたいところなのですが・・・。 ところが、これが毎年パッとしないんだ。大学3年生にもなって、こんな平板かつ単純な英語しかしゃべれんのかよ、と言いたくなるようなレベルの学芸会になってしまって、これじゃ、あんまりアピールにならんな、という感じ。いやはや、ちょっと情けない・・・。 と思いきや! 後で来学者アンケートの結果をチラっと見たら、「まるで外人のように英語をしゃべる先輩がいるなんて、素晴らしい!」なんて書いてある。ウソだろ、あの程度の学芸会を見て「外人みたい!」と思うのか? 一体、日本の高校の英語教育のレベルって、どうなっているんだ?! まあ、いいや。満足していただけたなら結構、結構。来年の2月になったら、ちゃんとうちの大学を受験して下さいな。 さて、今日はその他にも色々重要な仕事が大学でありまして、それはそれで忙しかったのですが、それをこなす一方で、自分自身の仕事も何とかこなし、その結果・・・ ・・・脱稿しました! そう、このところずっと掛かりきりだった「卒論執筆マニュアル」の原稿をついに書き上げたのでございまーす! これで、明日、印刷所の方に原稿をお渡しすれば万事OK。やった~! はぁ~。思い起こせば昨年の夏休み。大学の紀要に論文書いたって大した業績ポイントにもならんし、いっそ短い本でも書いちゃえば、紀要論文の2倍以上のポイント稼げるなぁ、なんて悪だくみをして書き始めたこの本。結局、書き上げるのにほぼ1年掛かってしまった。 でも、今まで自分がゼミ生たちの卒論執筆をサポートしてきたノウハウをすべてつぎ込んだという意味で、書いて良かったかな。一昨年執筆した英語の教則本と合わせて、ある意味、ワタクシが教育面で勤務先大学に貢献してきたことをすべてまとめたような感じですからね。これを書きあげてしまえば、もう思い残すことはないな。もはや、いつでも辞められる。 ま、明日、実際に印刷所に入稿するまでは気が抜けないとはいえ、執筆自体は終了したことで、ちょっとホッとしているワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 28, 2009
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今日は色々と忙しい一日でした。 まず愛車アルファ156の法定一年点検のためにディーラーに入庫。ま、ひと月半ほど前にミッション・トラブルのために一度精密チェックをしてもらっているので、今回は簡単に済みました。整備が終わるまでの間、ディーラーが扱っている様々な外車を見て回って楽しかったですけどね。 その後、郵便局に寄って学会関連の仕事を済ませた後、大学でもうすぐ入稿することになっている著書の最終チェック。 今回は私もメンバーの一人である大学出版会からの出版なので、本文の執筆はもとより、表紙のデザインを誰に依頼するか、中表紙をどうするか、見返しの色は何色にするか、なんてことまで全部自分でプロデュースしなくてはならないので大変です。 でも、入稿は水曜日に迫っていますから、大変だなんて言ってられない。とにかくやるのみ。 ということで、今日も一日大わらわでしたけど、忙しいのも明日一日ですからね。ここで気を抜くわけには行きません。 さて、原稿に手を入れられるのは明日一日のみ。最後まで頑張るぞ~!
July 27, 2009
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今日は大相撲・名古屋場所の千秋楽。地元岡崎市出身の琴光喜の健闘もあって、割と盛り上がりました。特にワタクシは、憎き朝青龍が早々と優勝戦線から脱落したことに気を良くし、ちょこちょこと優勝の行方を見守っていたという。 ま、どうせ優勝は白鵬だろうと最初から思っていましたが、それでも私の好きなカロヤンこと琴欧洲が近来になく頑張り、優勝決定が千秋楽まで持ち越されたのは良かった。しかも、カロヤンが日馬富士に勝ち、白鵬と朝青龍の相撲によっては優勝決定戦もあり得るところまで行きましたからね。 で、千秋楽結びの一番、横綱同士の対決ですが、これはなかなか見ごたえがあった。息を呑む巻き替えの応酬! 朝青龍も今場所一番の相撲だったのではないかと思いますが、さすがに今場所の好不調は争えず、白鵬の勝ち。優勝決定戦までもつれることなく、番付通りの結末となりました。 というわけで、白鵬の安定した強さがますます際立つことになったわけですが、しかし、ワタクシは白鵬には一言もの申しておきたいことがあります。 白鵬よ、取り組み前に、ちゃんと汗を拭え! このところ気になって仕方がないんですが、白鵬は相撲を取る前に汗をタオルで拭わないんですよね。だから、汗びっしょりの状態で相撲を取ることになるのですが、これは良くない。昨日白鵬に敗れた日馬富士も取組後に「横綱の汗がすごくて、手がすべった」と言っていましたが、確かに押し相撲の人にとって、相手が汗びっしょりだと、押しや突きが滑って力が半減してしまう。まさか白鵬がそれを狙って、ということはないでしょうが、それでも相手力士にそう言われること自体、良いことではない。 それに、勝負以前の礼儀として、良くないではないですか。汗でビチョビチョの相手の胸に頭(顔)から当たっていくなんて、考えただけでも嫌になる。相撲なんて裸と裸がぶつかりあうものなんですから、せめて相手に不快を与えないよう、気をつけるべきですわ。 大体、そんなもん、師匠が注意しなくてどうするんですか。あるいは相撲協会の上の方の人でもいい。審判部でもいい。その辺がしっかり注意して、取り組み前に汗を拭かせるとか、そういうふうにしなくちゃ。 大体傍若無人な朝青龍を野放しにしておくこともそうですが、最近の相撲協会の体たらく、あれは一体何事ですか。少しは権威をもって、力士の行動を律してくれって! というわけで、汗ビチャの白鵬と相撲協会全体には、ワタクシから猛省を促しておきましょう。
July 26, 2009
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今年は9月をロスで過ごす予定の我ら夫婦。ということで、今日はその飛行機のチケットを取りに行きました。 で、いつもですと「H.I.S」とかに行くのですが、今回は思うところあって「IACE」という旅行代理店を使うことに。海外によく出張に行かれる知人に勧められたものですから。 で、名古屋郊外・藤が丘というところにあるここの代理店を訪れたところ、まあ、こじんまりとしたオフィスでスタッフは二人。ですが、我々の担当になった若い女性スタッフが有能な方で、我々の用向きを聞くとたちどころに我々の希望通りの便をとってくれた。うん、確かにいいですなIACE。教授のおすすめ!と言っておきましょう。 ちなみに今回我々が利用するのはシンガポール・エア。ただし、中部国際空港発着はないので、実家に前泊した上での成田発着。一昔前はデルタ航空が名古屋・ロス間を運行していたのでとても便利だったのですが、今、名古屋からロスに行くにはノースウェストとか、大韓航空とか、中国系航空会社しかないんだものなあ。しかも、どれも皆、どこそこ経由のものばっかりだし。 ま、成田発着というところはちょっとおっくうですが、それでもシンガポール・エアは我々のお気に入りですからね。まずまず満足です。 しかし、飛行機のチケットをとると、旅も現実味を帯びてくるので盛り上がりますなあ。すでに向こうで過ごすアパートは確保してあるし、あとは国際免許をとってレンタカーの予約をすることくらいか・・・。 というわけで、懸案事項が一つ片付いて、今日はちょっとホッとしているワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 25, 2009
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どういうわけか、7月に入って教え子の訃報に接することが相次ぎました。二人とも女子学生でしたが、まだ三十代のみそらで亡くなるとは・・・。びっくりです。 で、お一人目の時は間に合わなかったのですが、つい四日ほど前に亡くなった卒業生の時は、我が学科の「同窓会一同」として弔電を打ちました。ま、せめてものこととしてね。 そうしたら、今日、亡くなられた卒業生の親友で葬儀に参列した別の教え子からメールをもらいまして。曰く、「同窓会からの弔電、ありがとうございました。葬儀場で朗読されました。彼女はうちの学科が大好きでしたので、メッセージを聞いてうれしく思っていると思います。本人の代わりにお礼申し上げます。本当にありがとうございました。それから先日、同窓会の会報が届きました。亡くなる前に、○○ちゃんも会報を読んだといいなあと思う今日この頃です」とのこと。 このメールをもらって、何だかほろっと来ましてね。 考えてみれば、大学の同窓会が一人の卒業生のために弔電を打つということはあまりないでしょうからね。たとえばの話、仮に私が今死んだとして、私の母校が私のために弔電を打ってくれるとは思えません。そう考えると、こじんまりとしていて、しかも教員と卒業生の結束が強いうちの大学だからこそ、こういうこともできるのかな、と。 ま、こちら側の勝手な思い込みかも知れませんけど、弔電一本打っておいて、本当に良かった。生きたお金の使い方をしました。 ま、それはともかく、卒業生諸君。若くして死んではいかんよ。教え子に先立たれるなんぞ、まっぴらだ。歳の順を守りなさい。特に会社を辞めて専業主婦になった卒業生は、心して毎年健康診断を受けるのだぞ。
July 24, 2009
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今日も朝も早よから行って来ましたよ、衛生管理者資格取得のための講習会。 今日のテーマは「労働衛生」の続きと「労働生理」。ま、要するに高校の生物の授業みたいなものですが、それのもうちょっとコワい奴。なにがコワいかっていうと、何せ「労働」と冠が付くだけあって、人体の仕組みだけでなく、人体(=労働者)が危険な状態に陥った時の対処の仕方、つまり救急処置の意味合いが入ってくるからです。 例えば出血があった時の対処法とかね。血液量は体重の13分の1、失血量がその3分の1を超えると危険な状態になり、2分の1で死に至るとか。止血法としては、普通の怪我なら直接圧迫法が有効だけど、四肢の大動脈を切った場合は、より心臓に近い動脈を間接的に圧迫する方がいい。ただ、その場合、いつから止血したかを覚えておいて、適当な間隔で圧迫を緩めないと、患部以下が壊死してしまう。 あと火傷ね。体表面の20%以上の火傷で人体は非常に危険な状態になり、3分の1の火傷で死に至る。あと衛生管理者としては、火傷の状態を見て、それが体表面の何パーセントの火傷かが分かるようでないとまずいということで、「ワレスの9の法則」も覚えました。それによると頭部まるっと火傷したら体表面の9%が火傷したとみなす。片腕全部も9%。これが背中全部だと18%、お腹全部も18%、片足全部も18%。つまり全部9の倍数なので、「ワレスの9の法則」と呼ばれているのであります。 だけど、こんな感じで体の各部の表面積を9の倍数で見積もっていくと、全部足しても99%にしかならんでしょ? あと1%はどこなのよ? 答えは「お○ん○ん」でーす。わっはっは、あれは体表面の比率から言うと1%なんだ! しかし、私なんていつも寝るのが遅いから、早朝からの講習会参加で寝不足でしょ。しかも会場はビルの地階の会議室で空気の流れも悪い。そこへ持ってきて出血だ、火傷だ、って話をやたらに聞かされているもんだから、そのうち段々貧血になってきまして。自分でも顔から血の気が引いて行くのが分かる。 ここで倒れたら、本当に「救急処置」の実際になっちゃうよな・・・。 なーんてちょっと焦りましたけど、結局、なんとか持ちこたえました。やれやれ、これで二日間にわたる講習が終わりましたよ。結構面白かったですけど、とにかく目いっぱいの詰め込みですから疲れました。ストレス解消のため、帰りにCDショップ寄ってジャズのCDを何枚も買ったちゃった。 で、家に帰ってぐったり休んでいると、何の脈絡もなく東京の親友から電話が。 何の用かと思ったら、そいつ、結婚が決まったんですと! そう、今年のゴールデンウィークにお見合いした彼なんですけど、たまたまお見合いした相手が理想の彼女だったらしく、ついに先ごろプロポーズし、お相手の方も受けてくれたと。 いやーーーーーっ! そうか! そいつはめでたい! 良かったなあ、お前! ということで、今日は講習会も終わったし、35年来の大親友の嬉しいニュースも入って、最高にハッピーな一日となりました。もう、こうしちゃいられない。今日は飲むぞ! かくして東京と名古屋で場所は違えど、我が友の婚約を祝し、今日は家内と近くの居酒屋で祝杯をあげたのでございます。ああ、いい気分だ! いつも「今日も、いい日だ」と思って一日を終える私ではありますが、今日という今日は、まさに言葉の通りの日でございましたよ。 ということで、皆さんも私と私の友のためにご唱和下さい! 「今日も、いい日だ!!!!」
July 23, 2009
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今日は世紀の天文ショーが見られる特別な一日だってのに、私はその時間、某ビルの地階の会議室で講習会を受けておりました・・・。次の皆既日食が見られるのは四半世紀後でしょ? ほんとにジジイになっちゃうよーー。 勤務先大学から泣きつかれて「衛生管理者」の資格をゲットする羽目になった顛末については先に書きましたが(6月23日の項)、今日はそのための講習の初日だったのであります。もう、今日び小学生だって夏休みだってのに、なんで私はお勉強? で、衛生管理者ってのは、「職場をきれいに清掃しましょう」とか、「手をよく洗いましょう」とか、そんな程度のことを監督すりゃーいいのかと思っていたら、とんでもないですね。もういきなり「労働安全衛生法」だ、「労働基準法」だ、って話になるんですもん。もう、暗記することばっかり。 大体、聞いたことない専門用語ばっかりですわ。「気積」なんて言葉、ご存じ? 職場で労働者一人当たりの占める空間というような意味らしいのですが、それは10立方メートルないといかんのよ。ただし、床面から4メートル以下の空間がこれだけないとダメなので、天井が高いから狭い場所に押し込めてもいいでしょってことにはならないの。あ、それから事務所衛生基準規則によれば、空気調和設備(←つまりエアコンのことね)のある部屋の供給空気中の一酸化炭素濃度は10ppm以下に抑えなくちゃいけないし、ついでに作業環境の中の温熱環境について言えば、実効温度には温度・湿度・気流がかかわるけど、輻射熱はかかわらない、とかね・・・。 そんなこと知らねーよっ!って。 まあ、こんな調子で、色々知らないことを詰め込まされましたわ。男子トイレの大便器の数は労働者60人あたり一個だ、なんてねえ。この年齢になって初めて知りました。 しかし、この種の講習って、資格試験に合格するためだけに特化した講習なので、まあ、手際がいいこと。それはつくづく感心します。試験にはここが出ます、というところだけを集中的に勉強するので、ものすごく効率がいい。 でまた、テキストも完璧。重要なところは受講生に書きとらせるように作られていて、暗記モノに関しては暗記の仕方まで伝授してくれる。例えば「歯医者さん、ふっと笑った歯が黄色い」なんて暗記させられるのですけど、これが何を意味するかと言いますと、歯科医師による健康診断が必要な人は誰か、ということでありまして、「塩酸・硝酸・硫酸・亜硫酸・フッ化水素・黄りんを扱う従事者」、というのが答えなのですが、これを覚えるための呪文なんです。 で、講師の方(女性)も、こういう講義を年柄年中やっているだろうだけに時間配分も完璧で、予定された時間をほとんど1分とたがわず進行させますからね。その辺はプロのお仕事として惚れぼれ。 ということで、思っていた以上に案外大変な資格だな、とは思いましたけど、全体としてものすごく合理的に行われている講習に、すごく感心してしまったワタクシなのであります。大学の教授会とかも、この調子で合理的にやってもらいたいもんですわ。 さてこの講習、まだもう一日続きます。明日は「労働衛生」の続きと「労働生理」がお題目。いずれ受験することになる資格試験での一発合格目指して頑張るぞ~!
July 22, 2009
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注文してあった巽孝之さんの『想い出のブックカフェ』(研究社)が届いたので、チラッと読み始めたのですけど、期待通り面白いです。 本書はアメリカ文学の研究者であり、超人的な本の読み手である巽孝之さんが、新聞・雑誌各紙誌の書評子として、あるいはそれ以外の形であれ、とにかく様々な本を読み、評してきた、その集大成的なものであります。 ですから長短さまざまな形でさまざまな本を評したり、紹介しているわけですが、本書のコンセプトとしては、あくまで気軽に、喫茶店でコーヒーでも啜りながら、好きな本のページをめくるような調子で、本をめぐるおしゃべりに付き合ってくれ、というようなものなんですな。ということで、読者としても気構えずにどのページからでも読み進めることができる。 で、私もとりあえず後ろの方に載っていた本をめぐる対談のパートから読みだしたのですけど、これがまた面白くて。特に巽さんと高山宏さんの対談がめちゃくちゃ面白い。 ま、この対談は高山宏さんが東大の学生時代、由良君美という師匠と出会った時の話を主にしているのですが、その由良さんのさらにお師匠にあたる西脇順三郎さんのことも結構語られている。そこで巽さんは、 「その由良先生の師匠である西脇先生のレトリックの本質はシュールレアリスムですから、もともと遠いものの連結という原理が根本ですね。結びつくものが一見違えば違うほど面白いというタイプ。なにしろ晩年夢中になったのはギリシャ語と漢語の比較研究ですから、余人には真似ができない」(287-288頁) と述べている。英文学者であり、かつモダニズムの詩人でもあった西脇さんが、晩年、ギリシャ語と中国語の比較に夢中になり、両者の共通性を云々し出した時、多くの人は「とうとう先生は、遠い世界に行かれてしまった・・・」と思ったでしょうが、それを、「西脇先生はもともとシュールレアリストなんだから・・・」の一言で説明してしまうセンスの良さ。確かにそう言われれば、西脇さんの晩年の行動にも不思議がなくなってしまいますからね。ま、細かく述べている暇がありませんが、とにかくこの対談には随所にこの種のきらりと光るセンスが満載ですわ。 というわけで、まだまだパラパラとページをめくり始めたばかりですけど、こりゃ、面白いぞという感じがありあり。とりあえず現時点で、教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓想い出のブックカフェ さて、私ですが、実はのんびりもしていられない。明日は「衛生管理士(二級)」の資格を取るべく、愛知県産業貿易館まで出張して講座を受講しないといけないのでありまーす。さて、久しぶりに授業を受ける側に回る気分はいかがなものでしょうか? そういう意味ではちょっと楽しみなワタクシなのでありました。 ではお休みなさーい。
July 21, 2009
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土・日・月と世間では三連休だったようですが、私は掛け値なしに三日間とも家から一歩も出ず、原稿チェックに追われておりました。 150ページ足らずの本なんですけど、それを全部見直すとなると一日がかり。それを三回繰り返したわけですね。トータルでいうと、十五回くらいは書き直したことになるのかな? それでもまだ直すところがあるのですから、厭になります。 でも、もうそろそろ脱稿の日は近い・・・。 と思っていたら、先ほど、ブログ仲間のイチゲキさんから表紙デザインの候補が数枚届きました! ひゃー、待ってたんだ! そう、今回の本ではブログで知り合った方とのコラボをやってみたんですよね~! かくして、本の表紙となるめちゃくちゃ可愛い自由の女神さんが届いたわけですが、うーん、やっぱり可愛いねえ。これがぼーんと、本の表紙を飾るわけだ。 しかし、どの候補で行くか、もう少し考えなくては。イチゲキさん、もうちょい待っててね~。 というわけで、原稿の仕上げと、表紙デザインの決定、その他色々やることがあって、ワタクシの7月は飛ぶように過ぎ去っているのでありました。
July 20, 2009
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今日は土用の丑の日ということで、テレビでは朝から各局鰻の話題で持ち切りでございます。皆さま、今日は鰻食べました? ところで、はっきり言いましょう。日本で一番旨い鰻は、名古屋の鰻だと。 東京で生まれ育った私、東京に居た間は東京の鰻に満足し、鰻ってのは旨いもんだと思っておりましたよ、愚かにも。しかし、長じてから縁あって名古屋に赴任し、そこで初めて鰻のひつまぶしを食べた時の衝撃たるや! 今まで食ってたのは、ありゃ一体なんだったのか?! 人生丸ごと否定されたような衝撃でございましたよ。 東京で食べる鰻重と、名古屋で食べる鰻のひつまぶし、それほど違うんです。旨さがケタ違い。何かにつけて関東贔屓のワタクシが断言するのだから、間違いない。 とはいえ、そこが名古屋っぽいところなんですが、名古屋の人すべてがひつまぶしを食べたことがあるわけではなく、ずっと名古屋に住んでいるのに、一度もひつまぶしを食べたことがない人も結構いる。名古屋の人ってのは、名古屋にどっぷり浸かって、名古屋以外の土地のことにまったく関心がないにも関わらず、名古屋のことにも実はさほど関心がない、というところがあって、「我らのひつまぶしが日本一だっ!」と主張する人がいないという・・・。 名古屋人自体がそうなんですから、日本全体のスケールで見たら、ひつまぶしを食べたことがない日本人の数って相当なものになると思うわけですよ。 しかし、それはね、人生、ひとつ損をしているよ。 とにかく、名古屋では鰻の焼き方からして東京とはまるで違う。東京の鰻なんて、柔らかければいいと思っているのか、食感がトロトロじゃないですか。身の部分からしてトロトロですからから、背中の皮に至っては妙にビロビロしていて気持ちが悪い。 ところが名古屋の鰻の焼き方は身も皮もバリッと香ばしく焼くんですわ。歯ごたえがサクサクしてますからね。で、タレも変にねっとりしてなくて、パンチがある。 で、このサクサクの鰻をサクサクと刻み、おひつに入れたご飯の上に乗せて供されるわけですが、これを名古屋人は三回に分けて食べるわけよ。一杯目はそのまま。二杯目は海苔とアサツキとワサビを混ぜて。そして最後、三杯目はお茶漬けにして食べる。鰻に海苔とアサツキとワサビを混ぜると、今までとはまるで異なる味わいになるのにも驚きますが、それ以上に最後のうな茶漬けの旨いこと! もっともこれは名古屋風にサックサクに焼いてあるから茶漬けになるのであって、東京の鰻なんかをお茶漬けにしたら、そりゃ、気持ちの悪いものになるでしょうな。 ということで、こと鰻の食べ方に関しては、名古屋のひつまぶしに勝てるものはありません。東京人よ、悔しかったらひつまぶしを食べてみな。食べた上で、それでもまだ東京の鰻の方が旨いと言う人が居るならお目に掛かりたいようなもんだ。 ん? そんなに言うなら、ワタクシは今日ひつまぶしを食べたのかって? 食べてないよ(爆!)。 だって今日行ったらどこも混むじゃん。賢い人は、土用の丑の日を避けて鰻屋に行くんだい! ということで、鰻の映像をさんざん見させられながら、くそ~、近いうちに食べに行くぞ~と決意しているワタクシなのでありました、とさ。
July 19, 2009
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今日は週末。お昼ご飯はパンと昨日の残り物のスープで簡単に済ませようということになったのですが、それではちょいと食卓が寂しいということで、久しぶりに私が腕を振い、プレーン・オムレツを作ることにしました。 私はこれで料理の腕は確かな方なのですが、何せオムレツを作るのは久しぶり。えーっと、何から始めればいいんだっけ? そうそう、卵を割って、塩コショウ。隠し味に粉チーズを少々。ミルクをちょっと足してかき混ぜ、タップリめのバターを入れたフライパンに流し込みっと・・・。 お? どうも上手く行かないゾ。最初の奴はオムレツというより、スクランブルド・エッグみたいになっちゃった。 でも二回目はバッチリ。うまくできた方を家内にあげ、乾燥バジルを振り、ケチャップを添えて食べました。うん、味はまあまあですな。 それにしても、本当に久しぶりに作ったな、プレーン・オムレツ。独身の時は、よく作ったものだけど。自分の食べるものを見て、これでは栄養が足りないなと思うと、ちょいと作ったものです。卵さえ食べていればとりあえず栄養は取れる、というのが、釈迦楽家の家訓のようなものでしたのでね。 しかし、そういや独身の頃ってのは、食生活もいい加減で、殺伐としたものでしたなあ。レトルトばっかり。大学から帰宅してすぐにスパゲティを茹で始め、ついでにレトルトも同じ鍋で温めてしまって、それこそ帰宅後10分ほどで食べ始め、15分後には食べ終わる、みたいな生活だった。やる気になればものすごく華やかな料理も作れるのですが、どうも自分のためにその腕を披露するほどの気にならなかったもので。 プレーン・オムレツも、その頃の思い出ですな。 今日は家内の分も作って二人で楽しく食べましたが、その味わいの向こうに、遠い昔の独身時代の寂しい味を思い出したのでした。
July 18, 2009
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玉村豊男さんのエッセイ、『日常の極楽』(中公文庫)を読了しました。 ま、特になんてことない軽い読み物ではありますが、中に一つ、二つ、印象に残るエピソードが書いてありまして。 これは玉村さんの知り合いで、ヨーロッパでピアニストとして生計を立てているある日本人女性の話として出てくるのですが、たまたま彼女が赤ん坊を連れて飛行機に乗らざるを得ないことがあって、その時、悪いことに赤ちゃんがぐずりだした、というのですね。そりゃ赤ん坊ですから、そういう時もあります。 が、シーンと静まり返った機内に彼女の赤ちゃんの泣き声が響き渡るにつれ、ピアニスト女史としては非常に居心地が悪くなってきた。このままこの子が泣き続けたら周囲の人たちにえらい迷惑だろうなと、居ても立ってもいられなくなってきたんですね。 すると、隣の席に座っていた同年輩の女性からすっと手が伸びてきた、というのです。そしてその手の中には白い錠剤が・・・。しかも、身振り手振りで「これ、飲ませてあげて」と言っているらしい。 で、そのピアニスト女史、切羽詰まって言われるままにそのクスリを自分の赤ん坊の口に入れてみた、と。すると・・・。 たちまち赤ちゃんはスヤスヤ寝てしまった、というのですな。渡されたのは幼児用の睡眠薬だったと。 で、そのピアニスト女史、どうしてヨーロッパで飛行機に乗って、乗客の中に赤ちゃん連れの人がいても、その赤ちゃんが機内で泣き出すことがないのか、その理由がわかった、というのです。 つまり、ヨーロッパというのは「大人の国」であって、大人の事情を優先する。それを邪魔する赤ん坊がいれば、眠らせてしまう。そのために幼児用の穏やかな睡眠薬を作り、子連れのお母さんはそれを常に携帯するのが常識と、どうもそういうことらしい。 なるほどね。ヨーロッパというのは、そういうところなんだ。 もう一つ、印象に残ったのは、これは日本国内の話。 ある時玉村さんがとある実験農場で、羊を見かけたんですと。で、ちょうど毛を刈る季節だっということで、草を食んでいる羊たちは、みな毛を刈られて丸裸だった。 ところがその丸裸具合がやけに見事だったんですって。オーストラリアとかで見かけるような、「虎刈り」の羊なんかいやしない。で、玉村さんは最初、「さすが日本人は器用だから、見事に刈るもんだなあ」と思ったのですが、よく聞いてみたらそうではなかったと。 つまり、そこでは羊の毛を刈るシーズンになると、羊に抗がん剤を飲ませちゃうんですって。 すると、人間の場合でもあるように、毛根が死に、全身の毛がすべて落ちてしまう。それはもう、手でなでるだけで見事に毛がボロっと抜けるんだそうです。しかも、ハサミで刈る場合と異なり、毛根ごとすっぽり抜けるので、刈った毛にトゲトゲしたところがなく、手触りもいいのだとか。 ま、日本の羊牧場のどこでもやっている風習かどうか分りませんが、おっそろしい話ではありませぬか。 とまあ、そんな話がいろいろ載っているエッセイでございます。熱烈おすすめ!というほどではありませんが、頭を休めるときの本としてはまあまあです。これこれ! ↓日常の極楽 ところで、このところ何度かこのブログでも言っているように、今、私は自分の本を書いているところでありまして、その推敲に余念がない。で、その合間に玉村さんのエッセイを読んでいて痛感するのですが、プロのエッセイストと私と、文章の点で何が違うかというと、端的に言いまして段落の長さが違う。もちろん、ワタクシの方が圧倒的に長く、玉村さんが短いという意味ですが。 やっぱりプロのエッセイストとなると、「改行」の仕方が違うね。もう、どんどん改行する。どのページを見てもそうですが、たとえば、 近代資本主義社会の歴史は、 「カネになること」 の発見の歴史である。(後略。79ページ) とか、 実際のところは、 「個性」 というやつはまことに厄介なシロモノである。 なにが個性か。あればいいのか。なくてどうして悪いのか。(160ページ) とか、こんな具合でガンガン改行するわけ。 ひとつには、おそらくページの見た目のことをプロは考えるのでしょう。一ページにやたらに文字が詰まっていると、それだけで読みにくい感じがする。だからプロはどんどん改行してページをスカスカにする。 で、その副産物として、ちょっと書けばページが埋まる、ということもあるでしょう。どうせもらえる原稿料は同じなのだから、どんどん改行しちゃって書く分量を減らした方が楽。というとずるいようですが、それがプロというものかも知れない。 だけど、じゃ、ワタクシにこのプロの改行ができるかというと、ちょっと難しいですね。そういう意味ではやっぱり、私はまだまだ素人なんだよな・・・。そこまでの思いきりができませんもの。むろん、そう言うのは、自己卑下半分、そこまでやるほどプロにはなりたくないという自負半分ですが。 ま、玉村さんのエッセイの内容とはまったく関係がないですけど、ちょっとそんなことも思ったワタクシなのでありました、とさ。
July 17, 2009
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今日は一般教養の英語の授業で期末試験を行いました。 ちなみに、その種の語学の授業でありがちなのですが、クラス編成が複雑でして、今日のクラスは、半分が音楽系、半分がスポーツ系の学科に所属している学生たちだったと。 何しろ片や優雅なお嬢様タイプ揃いの音楽系、片や体育会ノリのガチ勝負系ですから、学生の気質もだいぶ異なります。ま、どちらが大人しくて、どちらが騒がしいか、ご想像にお任せしますが。 で、そういう混合クラスで試験を行ない、私は試験監督として机間巡回をしていたわけ。 で、やがて私は教室の後ろまで到達し、今日ばかりは一心不乱に試験問題と格闘している学生たちの姿を後ろから眺めたと御思い下さい。 無論、学生たちの背中を眺めることになるわけですから、普段教壇の上から眺めるのとは全く異なる風景が見えるわけですけど、そこで一つ、私の目を驚かせたことがありまして。それは何かと申しますと・・・ 「言葉」です。何と、そこには「言葉」が充満していた! いや、クラスの半分、音楽系の学生たちの方には何もないのですが、スポーツ系の学生たちの背中には言葉が満ち溢れているんです。そう、彼らはたいがいTシャツを着ていて、そのTシャツの背中に、何らかの言葉がプリントしてあるわけ。 でね、面白いのは、同じ言葉のプリントでも、男子学生と女子学生では全く質が異なるんです。 男子学生のTシャツには、大概、「○○大学 蹴球部」とか、「空手部」とか、要するに所属が書いてあるんですね。ところが、スポーツ系女子学生のTシャツの背中には、そういうのではなく、もっと観念的なことが書いてある。 例えば「努力」とかね。「青春の汗を流す」とか。「華の体育会」とか。 いや、もっとすごいのもありますよ。「一念通天」とかね。「不可能なんてありえない」とか。もっと長文のになると「本当の敗北は 次に勝つための気概を捨てた時」なんてのもある。さらに細かいのになると、「短距離種目心得 一つ、スタートが勝負の行方を決めると知るべし 一つ、体全体を耳にしてピストルの音を聞くべし 一つ、・・・・」などと、延々と綴られている。 だもので、教室の後ろに立ってそういう学生たちの背中を見ると、言葉の海なわけですよ。ほんと、びっくりですよ。 でまた、教室の半分を占める音楽系女子学生のフェミニンな後ろ姿と、体育会系女子学生の言葉に満ちた後姿とのコントラストがすごいっ! しかし、スポーツ専攻の女子学生がこの種の言葉を背負いたがるというのは、一体どういうことなんでしょうね? もちろん、一つには趣味が悪い(だって、ほとんどの学生はジャージを膝までまくりあげ、下はビーチサンダル履きですよ・・・)ということもあるでしょうが、それ以外に何かあるのか? 例えば、中高生の頃からスポーツ一筋でやってきた女子学生というのは、この種の言葉の持つ励ましの力、言霊を信じる傾向がある、とか? あり得るんじゃないでしょうか? 言葉による催眠ということになると、男子学生よりも女子学生の方がかかりそうですもん。「努力」と背中に大書したTシャツを着ることによって、自分は努力しているんだ、努力しなきゃいけないんだ、という思いを増幅させ、実際に普段以上に努力してしまう、なんてのは、ひょっとしてスポーツ系女子の典型的なメンタリティーだったりしませんかね? ま、本当にそうかどうかは別として、とにかく、あちらの世界の人が背中に何かを彫り込むように、背中に言葉を背負った女子学生たちの異様な光景を目の当たりにして、いささか気おされてしまった今日のワタクシなのでありました、とさ。
July 16, 2009
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今日の名古屋の暑かったこと! あんまり暑くて、日差しの下を歩いていると寒気がするほど。面白いもんで、あんまり暑いと、逆にゾクっとしますね。 で、暑い~、死ぬ~、などと思いながら、ちょいと用があって大学本部・事務棟に行ったのですが・・・。 アレ? 皆さん、どうしちゃったの? 何だかね、本部・事務棟が妙に暗いんですわ。建物ごと電気消しちゃってる。しかも、事務の皆さんが使っているパソコンというパソコンがすべてオフになっていて、すべてのディスプレイが真っ暗。 何コレ? 灯火管制? 手近な方に聞いてみたら、今、あまりの暑さに学内のあらゆる教室&研究室のエアコンがフル回転しており、そのために消費電力がものすごいことになっていて、契約電力量の上限を突破しそうな勢いなんだそうで。それで上からの命令で現在事務棟の電気をすべて消しているんですって。契約電力量を一瞬でも突破してしまうと、違約料として相当額が課されるので、それだけは避けたいらしい。 じゃ、やっぱりある意味、灯火管制なんじゃん・・・。 それにしても、こういう状況を見ると、大丈夫なのかうちの大学・・・って思いますね。いくら何でも、他の大学でこういうことってあるのだろうか?? さて、今日は大学出版会の監督をする図書館長と面談・プレゼンして、私の本の出版の最終的な許可をとりつけることに成功! これを受けて明日は印刷所の方と打ち合わせて本格的な交渉に入ります。ひゃー、これでいよいよ秒読みだ。うまくいけばお盆前の出版にこぎつけられるゾ! ということで、このクソ暑さの中、今年前半の仕事の締めくくりに大わらわのワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 15, 2009
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さっきボクシングの世界タイトルマッチ2連戦を観ましたけど、長谷川穂積選手、圧勝でしたね。挑戦者にほとんど何もさせず、1ラウンドTKO。強い、強い! 強いだけじゃなく、長谷川選手のボクシング・スタイルの美しいこと。基本に忠実。変則な手なんて一切なし。そして虚勢とか、相手を見くびったようなところもまったくなし。品があるんですよね。見ていて実に気持ちがいい。 それに対してフェザー級の粟生選手の方はパンチ力で勝りながらも、チャレンジャーに手数を出させてしまい、見るところなく敗退、そしてチャンピオン陥落。 ま、予想はしてました。私、粟生選手のどこがそんなに「天才」なのか、さっぱりわからないんですもん。ちなみに本ブログ本年3月13日の記述を以下に再録しておきましょう。>昨日、ボクシングの世界戦2連発、皆さんご覧になりました? これでいっぱし格闘技評論家のワタクシといたしましては、もちろんじっくり堪能しましたよ。>で、私の評価ですが、長谷川穂積は強い! なんか前回の勝利あたりからぐんと自信を増したようで、今回も圧勝でしたね。あれはいいボクサーですな。>一方、「日本人キラー」と言われたチャンピオンを倒して、新たにフェザー級世界チャンピオンに輝いた「天才」粟生隆寛選手の方ですが、うーん、どうなんでしょう? 私にはまだよくその「天才」的な強さが分かりませんでしたけど・・・。次、今度は挑戦者を迎え撃つ側に回った時に真価が分かるでしょうから、それを楽しみに待ちましょうかね。 ・・・ほらね。やっぱり今回、「真価」が分かってしまったでしょ? ワタクシ、ボクシングの評論家になれるな。っていうか、コーチにもなれそうだ。少なくとも、カウンター待ちだけのボクシング・スタイルで世界が獲れるほど甘い世界じゃないってことくらい、指導できそうです。 あ、ちなみにボクシング評論家としてもう一言、言っておきますが、今回粟生選手からチャンピオン・ベルトを奪ったロハス選手、彼もさほど長い間チャンピオンではいられないと見ています。パンチ力がないし、ボクシング・スタイルも決して良くない。長谷川穂積選手のように、体の芯がブレないボクサーじゃなきゃ、世界一の座は長く維持できませんって。閑話休題。 さて、少子化に伴い、どこの大学でも受験生確保に必死でございまして、これから夏にかけて「オープン・キャンパス」を行う大学が増えます。当然、我が勤務先大学も例外ではなく、今月末にはオープン・キャンパスを行う予定。 で、私もそれに駆り出されておりまして、高校生相手に大学紹介を一席ぶつことになっていると。 ま、それはいいでしょう。それも給料の内だ。 ところがね、今日、大学当局から連絡を受けてびっくりしたんですけど、どうも大学の理事たちの肝煎りで、オープン・キャンパスに参加するすべての教員&学生が、お揃いのTシャツを身に付けることが決まったんですと。 ワタクシ、その連絡メールを見て、さすがに我が目を疑いましたね。お揃いのTシャツ・・・。それを教授たちが着る・・・。四十代の私はまだしも、中には「老教授」だっているのに・・・。 いやあ。この発想の貧困たるや、どうでしょう? お揃いのTシャツを着ることが、オープン・キャンパスを盛り上げることにつながると、本当に理事たちは思ったのだろうか? その発想は一体どこから? 「24時間テレビ 愛は地球を救う」とか、そんなのでも見たのだろうか? もう~、知性がないっ! 気品がないっ! 大学に一番必要な、知性と気品がないっ!! もう世も末だね。こういう幼稚な発想するオジンたちが大学のトップにいるのかと思うと、泣けてくるよ。理事会で誰かがこの案を提案し、並居る他の理事たちが異句同音に「そいつはいい!」とか言って即実行に移された図を想像するに、ぞっとする。 長谷川穂積選手の気品溢れるボクシング・スタイルと、我が大学トップの馬鹿げたアイディア。両者を並べ見るに、圧倒的な格の違いがありますなあ。私はこの大学に勤めるものとして恥ずかしいっ! こらっ! そこのオジンども! お揃いのTシャツだなんてアホなことに大学の貴重なお金を浪費する間に、もう少しまともなことを考えなさい!
July 14, 2009
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先日、『バットマン ダークナイト』を見た話を書き、また簡単な感想も添えておきましたが、ここでもう一度この映画について一言。 実は、『ゴスフォード・パーク』という映画を見て以来(本ブログ6月22日分を参照)、レンタルDVDで映画を見るときは、つい二度見をしてしまうのですが、『バットマン ダークナイト』についても、結局二度見してしまいました。 で、見直してみて、やっぱりヒース・レジャー演じる悪役・ジョーカーは見事なもんだなあ、と改めて思いましたね。 と言いますのも、この映画を二度見して、私にとってどの場面が一番印象に残ったかと言うと、ジョーカーがわざと警察に逮捕された後、計画通りに脱出して引き揚げるシーンなんです。 そこでジョーカーは、奪った警察のパトカーに箱乗りし、夜明け前のゴッサムの街を蛇行運転しながら疾走するんですけど、青みがかった背景の中、BGMもない無音の状態で走って行くそのジョーカーの表情というか、たたずまいというか、それがね・・・。ある意味、ものすごいんだ。ほんの数秒のシーンなんですが、目に焼き付いて離れない。 そこでジョーカーは、別に悲しそうな顔をしているわけではなく、むしろ意気揚揚と蛇行運転をしているのですけど、その場面がね、全体の絵として、何ともいえず「物悲しい」んです。それはもう、言葉ではちょっと説明のできない悲しさなんだなあ。 で、このシーンについてそんな風に感じるのは私だけかと思って、家内に聞いてみたところ、家内もやはりこのシーンに物悲しさを感じ、強い印象を受けた、というんですね。だから、多分、私だけの思い込みではないのだろうと思うのですが。 とにかく、ヒース・レジャー演じるジョーカー、すごいもんですよ。間違いなく一見の価値がある。 というわけで、『バットマン ダークナイト』、色々な意味で非常に印象的な映画ですので、まだご覧になっていない方はぜひ! 再度、教授のおすすめ!です。
July 13, 2009
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俳優にして映画監督であり、エッセイストとしても鳴らした才人・伊丹十三氏の初期エッセイ集『ヨーロッパ退屈日記』を読了しました。 1960年代初頭、伊丹さんが若き国際派俳優として外国映画『北京の五十五日』や『ロード・ジム』などの撮影に参加するにあたってヨーロッパに渡った時の経験などを元に、彼の地で見聞した風俗を語ったり、またヨーロッパの本物に触れたことで培われた伊丹さんのダンディズムなどを語ったのが本書の内容、と言えそうですが、何せ1960年代初頭なんて、日本人で海外に出かけられる人なんぞ、そう沢山はいなかった時代ですから、ここに書かれたもの珍しい見聞録がいかに日本で多くの人に興味をもって読まれたか、想像できるというものでしょう。 例えば「ヨーロッパじゃカクテルを楽しめるようじゃなきゃ」とか、「スパゲティの食べ方の正調ってのはこんなもんだ」とか、「男たるもの、タクシード(タキシードではないところに注目)の一着も持っていないようじゃダメ」とか、そういう話がバンバン出てくる。で、こういう話はヨーロッパのことを知っている著者と、日本から出たことのない読者の間の圧倒的な知識の差に基づいて語られるわけですから、少なくとも当時の読者としては、キザな若造俳優の蘊蓄を拝聴する形になってしまう。 となると、なんとなく、厭味な本になりそうな気がするでしょ? ところがね、実際に読んでみると、そんなに厭味な感じがしないんだなあ。 ま、当時と今では状況が違いますからね。私にとって伊丹さんはよほど年上、大物俳優であり、人気映画監督であり、すでに物故された方ですから。上の人からそういう話を教えてもらう形になるので、全然違和感がない。 それに加えて伊丹さんという人は、なんかこう生まれつき超俗の人で、どこか貴族的なところがあるものだから、そんな人に「ヨーロッパじゃこうですよ」なんて言われると、ついこちらも素直に「ああ、そうなんですか・・・」と承ってしまうところがある。本人が意図したかどうかは別として、本質的に厭味になれない人だったんじゃないでしょうかね。 むしろ私が驚くのは、よく短期間にこれだけヨーロッパ通になれるもんだな、というところです。詳しく伊丹さんの経歴を知っているわけではないですが、彼がヨーロッパに行っていた期間なんて、そんなに長くないでしょ? それなのに、これだけの蘊蓄を語れてしまう。すなわち、伊丹さんという方はそれだけ頭の回転が速い、ということなのではないかと。 でまた、そういう頭の良さと同時に、今回この本を読んで、「伊丹さんというのは、そういう人だったのか・・・」と驚いたのは、彼がものすごくオーソドックスな思考をする人だ、という点です。 伊丹さんはミドル・クラスというか、中流階級の感性を嫌うところがある。例えばダンヒルのライターを買ったり使ったりするのはいいと。ただ、そのダンヒルのライターに、自分の名前を彫り込んでいたりしたら、それはダサいでしょ、と言うんです。また、高級車に乗るのはいい、ただ、高級車で銭湯に行ったらカッコ悪いでしょ、と言う。高級なものを使うなら、生活の隅々まで高級にやれ、と。逆に貧しいなら、背伸びするな、と。その中間をとって、高級なものをケチケチ使ったり、貧しいのに無理して高級なものに手を出すのは、ミドル・クラスっぽくてカッコ悪いよ、と、その辺は断固として思っている。 つまり、分相応に、筋を通せ、ということですね。 暑い日本の夏で、半袖のワイシャツを着るのはいい、ただ、そこにネクタイをするのは良くない。そもそも暑いから半袖にしたのであって、そこへ持ってきてネクタイをして余計暑くするのは筋が通らん。そういう風に言い切る伊丹さんの感性というのは、すべからくこの「筋を通す」というところから発していて、一切ブレがない。 で、多分、伊丹さんという人は、この調子で万事、筋を通して、ブレなく生きた人であり、それが彼のダンディズムなんだろうと。 ま、この本を読んで私は、伊丹さんという人をそのように理解しました。それが当たっているかどうかは分かりませんが。 とにかく、処女作というのは往々にしてその人のすべてが出るものでありまして、その意味で、伊丹十三という人を手っとり早く知るためには、本書『ヨーロッパ退屈日記』は、恰好の材料ではないかと思います。 彼が亡くなって早や十年。再考するのにはふさわしい時期かも知れません。才気溢れる男の若かりし日のエッセイ、一度読んでおいても損はないのでは。教授のおすすめ!です。これこれ! ↓ヨーロッパ退屈日記
July 12, 2009
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今日は、朝寝坊こそしたものの、後はずっと仕事で原稿書き。例の「卒論の書き方指南」の本ですが。割と気持ちよく進んだ方かな? 本を書くにせよ、論文を書くにせよ、終盤に差し掛かるにつれ、ペースを落とすワタクシ。終わりが見えると、油断するんですな。だもので、本当ならとっくの昔に終わらせてなきゃいけない仕事を、いまだに引きずっているという・・・。 でも、もう本当に終わりかけてます。 となると、そろそろ家内の出番だな。 そう、私は自分の書くものはすべて家内に事前に読んでもらい、チェックしてもらうのです。家内が私にとって最終プルーフ・リーダーなんですな。 で、家内が読んで一度ですんなり頭に入ってこない文章は、そりゃワタクシの書き方が悪いと判断し、すべて書き直します。 だから、私の書く文章は、たとえそれが学術的なものであっても、圧倒的に読み易いのよ。素人がざっと読んで、それでもすんなり意味が通るように書いているんだから。 この私の文章道からすると、たいていの同業者の書く文章は不合格だね。 ま、それはともかく、家内に読んでもらっている間に、そろそろ本格的に印刷業者との交渉に入らなきゃ。これがまた、私にとっては楽しい作業なんですけど。 ということで、夏休みを前に、ようやく一仕事終わりそうで、ちょっといい気分の私なのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 11, 2009
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『バットマン ダークナイト』を観ました。 ま、私、さほどのアメコミ・ファンと言うほどでもなし、またとりわけ『バットマン』シリーズのファンということもなく、むしろ一連のシリーズのやたらに暗~い映像が苦手な方なんですが、最新作の『ダークナイト』は、割と面白かったですねえ。 やはり最初の印象が強かったせいで、私にとってバットマン役、というかブルース・ウェイン役というとマイケル・キートンのイメージが強いのですが、今回改めてクリスチャン・ベイルが演じるブルース・ウェインを見て、あらま、こっちの方がバットマンっぽいかな、と。実際、クリスチャン・ベイル、カッコイイんだよね! どこか翳があるというのか、確かに「ダークナイト」という感じがする。 でまた、ヒース・レジャー演じるジョーカーがまたよくて、ある意味、ややコミカル過ぎたジャック・ニコルソンのジョーカーよりもいいかも。金が欲しいとか、支配したいという欲望からではなく、人間の「悪」を露呈させたい、秩序を混沌に置き換えたいという、ただそれだけの理由で悪行を繰り返す狂気の人をうまく演じていましたネ。 で、何よりもいいのは、映画全体としてリアリティがあること、ですね。もちろん、バットマンという存在からしてリアリティも何も最初からないわけですが、それにしても物語として現実感がある。とりわけ、「最愛の人を奪われる」という悲劇的なモチーフが多面的に描かれているところがいい。 ということで、久々に見た最新のバットマン、かなり完成度の高い作品として、教授のおすすめ!です。
July 10, 2009
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昨夜、生まれて初めてチェスなるものをやってしまいました。 無敵を誇るオセロ・プレーヤーのワタクシながら、チェスについては今まで「何となく難しそう」という先入観からずっと敬遠してきたんですけど、たまたま家内がパソコンに入っているチェスのソフトを試してみて面白いと言いだしたもので、それに釣られてつい私もやってしまった、と。 で? もちろん、初級レベルでプレイしながら、あっさり大敗! でも、チェスってこういうのか~、というのが何となく分かりましたね。 こちとらなまじ将棋の知識があるもので、たとえば将棋の「歩」にあたる下っ端の兵隊で相手の「馬」とか「クイーン」のような大物を取ったりするとすっかり嬉しくなってしまうんですが、チェスの場合、別に取った相手の駒を味方として再利用できるわけではないので、そのこと自体は戦略としてあまり意味がないんですな。 むしろ重要なのは、盤上からどんどん駒が無くなっていった後、いかに相手の王様を孤立させるか、そしてその一方でこちらの王様の味方の手勢(それもできるだけ動きの大きい駒)をいかに沢山残しておくか、ということなのでしょう。 それにしても、将棋とは異なって、敵・味方とも一度相手に取られた駒は生き返らないので、ゲームが進むにつれて盤上がどんどん寂しくなってくるというところがすごくシンプル。仮に、双方とも家来が全部死んでしまい、盤上に二人の王様だけが生き残った場合、片方が追えば、もう片方はスタコラ逃げるだけの展開になってしまうので「引き分け」になる、というところも面白いというのか、何というのか。将棋のいわゆる「千日手」とは比べ物にならない単純さですね。 ちなみに、この種のゲームに強い我が家内殿は、ゲーム習得二日目にして、パソコン相手に「引き分け」にまで持ち込んだと言いますから、私も頑張らねばなりますまい。そのうちどこかで本物のチェス盤でも手に入れて、家内とお茶でも飲みながらひと勝負なんてのも、老後の楽しみになるかも知れませんね。・・・いや、私が負け続けることになって、苦しみになるか? でも、いつの日か、あのカッコイイ決め台詞、「チェックメイト!」というのを、言ってみたいワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 9, 2009
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いやー、終わった、終わった。今年も一仕事終わりました。何が終わったかと申しますと、「同窓会報」の発送作業が終わったんです。 私が所属する学科の卒業生たちに向けて、毎年この時期に「同窓会報」を発送するのが、何というか、ワタクシの仕事になっておりまして。ま、大変な作業ですが、楽しみでもあります。 これは大学とはまったく関係なく、ほとんど私が私的に行っているのですが、教授陣や卒業生たちに近況を報告するような原稿を依頼し、集まった原稿を編集。で、これを印刷し、折りたたみ、それを宛先ラベルと差出人ラベルを貼った封筒に袋詰めし、それを郵便局に持っていって「料金別納郵便」のスタンプを押した上で発送するんですけど、何せ数が多いですからね。えらく時間が掛かってしまう。 でも、発送してからしばらくすると、同窓会報を受け取った卒業生たちからレスポンスがありましてね、これが実に楽しい。それが楽しみで続けているようなもんですが。 ただ、残念なのは、大学の組織変えがあったために、この同窓会報が届くのは旧組織の卒業生だけなんですな。ここ最近の卒業生にはこの種の同窓会報がない、というのが可哀想なところ。ま、その代りにこのブログがあるようなものなんですが。 それはともかく、(旧組織時代の)卒業生のみなさーん、もうすぐ会報が届くから楽しみにしててね~!
July 8, 2009
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トヨタが親会社になっている富士スピードウェイがF1レースのコースであり続けることを断念したとか。 これだから・・・。トヨタ。本当に情けない会社だねえ。あきれ返るね。 長年F1関係者に親しまれた鈴鹿サーキットのF1開催権を奪い取るような形で2年前から始まった富士スピードウェイでのF1開催。それを、たった、たった2年間でもうその権利を放棄するとは。じゃ、鳴りモノ入りのF1招致は何だったんだ、ってハナシですよね。 サーキットの改修費に200億円かけたものの、親会社が赤字の今、これ以上そんな無駄な金は払えないってことらしいのですけど、去年まで年間2兆円だかの利益を上げていた会社が、一回赤字になったくらいでこの体たらくは一体何事? あんたら、クルマで金儲けてるんじゃないの? だったら、クルマに対してそのくらいの微々たるお礼をしたっていいんじゃないの? 大体、F1ってのはクルマの世界のお祭りですよ。お祭りってのは、旦那衆がご祝儀を出すもんだ。金儲けが見込めないからってんでお祭りの後援をやめるくらいなら、そもそも「旦那」であるマネをするなって。 結局、トヨタはレースなんかに興味無いんでしょうな。 今度の社長は、カーガイだという噂を聞いて少しは期待していたんですが、やっぱりこういう会社なんだってことがよく分かりました。もう、F1そのものからも撤退すりゃいいじゃん。プリウスだけ売って、大好きな金儲けだけしてなよ。あんたら、レースなんて柄じゃない。 日本人の一F1ファンとして、今回の件ではほとほとトヨタに愛想を尽かしているワタクシなのでありますよ。まったく、恥ずかしい!
July 7, 2009
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今日、テレビを見ていたらたまたま痴漢冤罪のドキュメンタリーをやっておりまして。 しかし、恐ろしいね、痴漢冤罪。「この人痴漢です!」とか言われて駅員室にでも連れ込まれたが最後、どうあがいても拘置所行き。罪を認めて示談にでもすればよし、あくまで無罪を言い張れば裁判沙汰になって有罪、そして控訴しても上告しても棄却され、最終的には服役と。もうほとんど敷かれたレールの上を地獄へ向かって突き進むしかないという・・・。 ドキュメンタリーで取材されていた人も、大金を使って弁護団を雇い、家族総出で目撃証人を募りために街頭に立ち、再現ビデオなどを作って無罪を主張するための努力を続けたようですが、ほとんど何の甲斐もなく非情な判決が下されてしまったらしい。長年勤めて愛着のあった会社も辞め、もうすぐ服役という状況にある本人とその家族の様子を見ていると、そりゃもう気の毒で、気の毒で。 前に映画『それでもボクはやってない』を見た時も、その恐ろしさに慄然としましたが、あの映画はほとんどドキュメンタリーですね。本当に、ああいうことが降ってわいたように我が身にも起こる可能性があるわけだ。 しかし、こういう事件で、弁護側の証拠をろくに検討もしないで控訴・上告を棄却する裁判官ってのは、一体どういうアレなんですかね。疑わしきは罰せずという裁判の鉄則は、痴漢事件に関しては通用しないのかな。 ま、ドキュメンタリーの中では、この種の痴漢事件で逆転無罪になったケースも紹介していましたが、それにしたって無罪を勝ち取るまでにどれほどの不愉快を被り、どれほどの不利益を被るか。心身ともにぼろぼろにされますよ。本人だけでなく、家族・友人だってそうだ。 いやー・・・。つい先週末も東京出張でしたけど、小田急線やJR山手線の混んだ電車に乗るたびに私の脳裏に浮かぶのは「今、『この人痴漢です』と叫ばれたらどうしよう・・・」ということでしたもんね。女性のそばにいかなければいい、両手で吊革につかまればいいとは言うけれど、荷物や傘を持っていたりすると、どうしても片手は下におろしておかなければならないことはありますし、電車が混んでくれば女性が私の前後左右に立つこともある。もう、ヒヤヒヤものです。 クルマ社会の名古屋において、現在の私の通勤手段は愛車ですから、とりあえず名古屋の大学に勤めている限り、痴漢冤罪とは無縁でいられますが、先週末みたいな東京出張が怖い。でも、だからと言って出張をやめるわけにもいかないし、一体、我々罪のない男性はどうすりゃいいの? ま、ここでワタクシが何を言ってもあまり意味のないことではありますが、痴漢冤罪ってのは、現代社会の恐怖だなあとつくづく思うのであります。今のうちに言っておきますが、ワタクシ釈迦楽、天地神明に誓って痴漢ではありませんぞ~!
July 6, 2009
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名古屋に戻ってまいりました~。 ところで、実家にいる間、居間に置いてあった某週刊誌をチラ読みしていたところ、ちょっと気になる話題を発見。かつて受験生のバイブルと呼ばれた「山貞」こと山崎貞氏の『新々英文解釈研究』の復刻版が出て、これが密かなベストセラーになっている、という話題なんですが。 いや~。懐かしいぜ、山貞。高校生の時、必死で取り組んだっけなあ。 しかし、この参考書で英語を勉強したのは、おそらく私なんかが最後の世代なんじゃないだろうか。私の世代にしたって山貞は少し古くて、代ゼミとかZ会あたりが出していた参考書の方がポピュラーで、山貞に手を出すのはよほどチャレンジングな連中でしたもんね。 でも、小手先の英語力ではなく、英語で教養を身につけるというところまで視野に入れた『新々英文解釈研究』が見直されつつあるというのは、いいことなんじゃないすか? もっともこの本、五十代とか、そのくらいの年齢層の人たちが主に買っているようで、本当はもっと若い人に読んでもらわないといかんのですが・・・。 でも、こういう本が売れるということは、これのもっと新しいのを作れば、もっと売れるということではないだろうか? で、それができるのは誰? かつて山貞で勉強したことがあり、かつ、文学的素養もあり、訳をする際の日本語もこなれている、50代より若い人。 あ、ワタクシだっ! などと言ってみたりして。 でも、マジでやっちゃおうかな・・・。新しいバイブルを作ったら、それはそれで、半端な英語学者や英語教育者よりよっぽど社会貢献することにならんかしら? ま、今やっている仕事が終わったらほんとに考えちゃおうかしら、なんてちょっと色気を出しつつある今日のワタクシなのでありました、とさ。これこれ! ↓新々英文解釈研究復刻版
July 5, 2009
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今日は立教大学に行って来ました。 今から10年くらい前、やはりここで学会が開かれたことがあって、今日はその時以来の立教訪問でしたけど、あら、この大学、こんな洒落たとこだっけ? と思うほど、なかなか綺麗なキャンパスでしたね。キリスト教系の大学ですから、煉瓦造りの校舎にツタが絡まり、ってな感じの趣がある。確か立教大学って英語名は「セント・ポール大学」と称するはずですが、いかにもセント・ポールって感じ。同じようにキリスト教系の青山学院が、なんとなく鬱蒼とした緑の中に立っているという印象なのに対し、こちらはもっと太陽の光がさんさんと降り注ぐような感じの、あっけらかんとした明るさのあるキャンパスでした。ま、長嶋さんの出身校ですからね。 ところで今日参加してきた学会関連の会議で、私は議長である東大の柴田元幸さん(翻訳家としても有名)のお隣に座ったのですが、柴田さんの議長ぶり、そしてコメントのつけ方などを聞いていると、つくづく頭の回転の速い人だなと思います。ちなみに、柴田さんという人は小柄で、決して体格のいい方ではないのですが、その小柄な体のどこに蓄えてあるのかと思うくらいものすごくパワーのある人で、たとえば話している時に机に手を突いたりすると、その力強い振動が隣に座っている私のところまで伝わってくる。ああいう人間発電所的なエネルギー、私にはまったく欠けているものなので、そういう意味でも感心してしまいます。色々勉強になりました。 さてさて、明日は名古屋に戻ります。ポエティックな立教キャンパスから、きわめて散文的な我が大学のキャンパスに戻るわけですな。それにしても日本全国、国立大学のキャンパスって、どうしてああまで散文的なんだろう? まったく、情けなくなりますなあ・・・。
July 4, 2009
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このブログでも何回か書きましたが、私は雨というものが好きでして、それもバケツをひっくり返したような雨が大好き。むろん、大雨で何か被害が出たりすることは望みませんが、ザアザアと音を立てて降るような雨を見ると、ほんと、心が落ち着くんです。 ところが、今年、私はすっかり晴れ男になってしまったようで、名古屋地方が梅雨に入ってから、ほとんど傘をさしたことがないという・・・。降ったとしても、たいてい夜、寝ているうちで、昼間はほとんど雨を見ていないんです。 で、今日はちょいと野暮用で東京に来ているのですけど、東名をかっ飛ばしていた間もまったく雨に降られず、何だか雨雲が私を避けているかのよう。あーん、雨が見たいよ~。 さて、その野暮用で明日は池袋の立教大学へ赴く予定。池袋というのは、意外に古本屋の多いところで、もし時間が余ったら、ちょっと立ち寄りたいな。でもそんな時間ないか・・・。
July 3, 2009
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映画『アイアンマン』をDVDで見ました。(以下ネタばれ注意) マンハッタン計画にも一枚噛んだ科学者であり、兵器開発会社の社長でもある人物の子供として生まれたトニー・スターク。自らも科学方面で天才的な才能を開花、後に不慮の死を遂げた親の後を継いで兵器開発会社の社長となり、億万長者となりながら、気ままで自堕落な生活を送っていた彼は、新兵器のデモンストレーションでアフガニスタンを訪れていた時にテロリストに捕まり、彼らの依頼で武器を作ることになってしまう。 ところが武器開発と見せかけて自らのために特殊なアーマー(鎧)を作り上げたトニーは、これを身につけてテロリストを一掃。それと同時に、自社の兵器がテロリストの手に渡り、無辜の人民を苦しめているということを知ったトニーは、アメリカに戻るや、会社の方針を大転換、兵器開発の中止を決めつつ、さらに威力を強めたアーマーを開発してアイアンマンとなり、テロリズムとの戦いを開始する、と。 ところが、なにしろスターク社は兵器開発で莫大な富を築いてきた会社。中にはトニーの方針に賛成しないものもあった。で、彼らは彼らで独自にアーマーを開発、トニーを亡きものにしようと企むんですな。さて、アイアンマンことトニーは、社内の裏切りに屈せず、悪と戦うことはできるのか?! というような話です。 で、私の総合評価ですが・・・ うーんと、「79点」、合格でーす! ま、もちろん他愛ない話ではあるんです。でも、見た目同じようなロボット同士の戦いでも、先週テレビで見た『トランスフォーマー』なんかよりよっぽど面白い。基本、正義と悪の戦いですからね。善悪がはっきりしているので、トニー・サイドに肩入れし易い。 でまた、トニー役のロバート・ダウニー・Jrがね、なかなかいいんですわ。案外、はまり役ですよ。背は高くないし、お腹周りもちょっとタプタプしていて、そんなに颯爽としてないんですけど、何だか愛嬌がありましてね。自堕落で女たらしの大金持ちのおっさんが、一つのきっかけから俄然、正義に目覚め、新しい自分を生き始める、というところが何だか気持ちがいい。 それに、彼が開発したアーマーですけど、最初のうちはそれを乗りこなせず、失敗ばっかりする。そんなところも可愛らしいですしね。また、彼の秘書にして恋人でもある「ペッパー」役のグウィネス・パルトロウもちょっといい感じ。 ということで、『アイアンマン』という映画、娯楽映画として見て損はないと思いますので、興味のある方はぜひ。教授のおすすめ!です。 ちなみに、映画の終わりで、続編が作られることを予告するような場面がありましたので、多分、そういうことになるのでしょう。その際は、私も劇場で見ようかな~!
July 2, 2009
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世の中にはストライプの男と水玉の男がいるような気がします。ま、ストライプが好きな(=似合う)男と水玉が好きな男、という意味ですが。 で、私はこの年になるまで、自分はストライプの男だと、ずっと信じてきたんです。ワイシャツにしても、ストライプのシャツはいつも何着かは持っていましたし、スーツにもストライプのものがある。ネクタイに関しても、レジメンタル・タイを含め、縞模様のものが結構あります。逆に、水玉模様の服って、記憶にある限り、買ったことがありません。 ところが・・・。 先日、どういう風の吹きまわしか、たまたま水玉模様のネクタイを買ってしまった、と。ま、水玉といっても、黒地にものすごく細かい白のドットが散っているものなんですが。「マイ・ファースト・ポルカドット」ですよ。 でね、そのネクタイが妙に自分に似合うような気がするんだなあ、これが。って、自分で言ってりゃ世話ないんですが・・・。 ま、ただそれだけのクダラナイことなんですが、人間の思い込みって、すごいもんだな、と。 要するに、実際に似合うかどうかを知らずして、今までずっと水玉模様を避けてきたわけでしょ。ことが洋服の趣味のことだけならアレですが、他の面でも同じようなことがあるのかも知れないじゃないですか。色々な意味で食わず嫌いし続け、本来自分にふさわしいものの恩恵を受けてこなかった、というようなことが、他にも沢山あるのかも知れない。 そう思うと、なんだかもったいな、って。 自分の柄じゃないと勝手に思い込まず、どんなことであれ、まずは実際に試してみるってのが肝要なんでしょうな。ひょっとすると、そこから思わぬ自分が発見できるかもしれない。 ということで、少なくとも水玉模様への負の思い込みは解けましたので、今後は水玉方面、もっと活用してみましょう。そのうち、ポルカドットのシャツとか、スーツとか、着ちゃうかもよ!
July 1, 2009
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