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先日、学会を機に旧交を温めた友と話をしているうちに、大学の教員も面倒臭くなってきたし、なんか他の職業にでも就こうかな、という話になり、じゃ、何になるかという方に話が向かったのですが、私の友人は「ヴィレバンの店主」になりたいのだそうで。 ヴィレバンってのは、「ヴィレッジバンガード」のことで、名古屋から生まれた一風変わった本屋さんのこと。置いてある本にもかなりこだわりがあるし、本の他にもCDやら雑貨やら、ヘンなものが雑然と置いてあって、「遊べる本屋」というキャッチコピーも納得。彼はそういうヘンな本屋さんの番台にデンと座って、好きな音楽をかけたり、好きな本を読んだりしながらゆるゆると商売をしたいんですと。 なるほどね。 だけど、ワタクシ思うに、やっぱりモノを売る商売はね、厳しいですよ。我々の討議の前提は、「大学の先生稼業も厳しくなってきたから、他の職に就いてはどうだ」というところにあるわけですから、もっと楽な商売を探さないといかんのじゃないかと。 で、今度はワタクシの番ですが、私は何になりたいかと言いますと・・・。 ラジオのDJかな。 こう言っちゃなんですが、ワタクシ、向いていると思うんですよね、DJが。 まず、枠はですね、深夜枠をいただきましょう。「ラジオ深夜便」や「歌うヘッドライト」に対抗して、「釈迦楽教授の深夜の教室」とか、そんな感じでどうでしょう。 で、内容は、やっぱり一人でしゃべるのはきついので、ゲストを招いてのトークが基本ですかねえ。というと、他のラジオ番組とあんまり変わらないようですが、ゲストの人選で差をつけます。私が「こいつのべしゃりは最高だ」と思う人であれば、素人でも呼ぶ。もちろん、これまで培った人脈を活かして、大学関係の人もじゃんじゃん呼んじゃうよ。 あとね、ここ、重要だけど、リスナーからのお便りは絶対読まないからね。リクエストも受け付けない。 よく、ラジオ番組でリスナーからの手紙を読むことがありますけど、あれ、面白いですか? 「東京都世田谷区のシンドラーのリストさんからのお便り。いつも楽しく聴いています・・・」みたいな奴。で最後に、「シンドラーのリストさんからのリクエストは、エンヤで『オリノコ・フロウ』」とかいうオチになるわけでしょう? こんなの私にはちっとも面白くない。だから、自分の番組ではそういうのはやりません。 で、こちとら伊達に十数年も大学で講義してるわけじゃないんで、どのくらいの分量のメモがあれば、どのくらいの時間しゃべっていられるか、というあたりは百戦錬磨。守備範囲も広いし。ジャズネタ、クルマネタ、本ネタ、古本ネタ、教育ネタ、文化ネタ、アメリカネタ、建築ネタ、アートネタ、食べ物ネタ、映画ネタ、文房具ネタなどなど、何でも来いだ。毎回、へんてこりんな思い付きを語って尽きないよ! っつーわけで、DJやりたいなあ。関係者の方、いらっしゃいませんか? 得難い人材がここにいるんだから! さて、明日は月曜日。また授業だよ・・・。現実に引き戻されるねぇ・・・。もう寝ようっと。
May 31, 2009
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今日、学会の会場となっている東京大学(駒場)へ向かおうと、家の最寄りの駅に向かったところ、目の前で電車に行かれてしまい、駅のホームで10分ほど待つことになってしまいました。 で、あれまあ、と思ってホームに佇んでいたところ、ホーム脇の斜面に一面に生えている雑草を作業員の方が二人、芝刈り機で刈っていて、その様子を見ていたらこれが実に面白いもので、時間の経つのも忘れて思わず見入ったという。 とにかく長い竿の先に円盤型の回転刃がついたあの芝刈り機の性能がすごい! 一面の雑草があれよあれよいう間に刈り倒されていくんです。もし鎌を使って人の手で刈っていたら、おそらく午前中一杯はたっぷりかかりそうなほど生い茂った斜面一面の雑草を、それこそものの10分ほどで刈りとってしまうのですから、その能率の良さたるや、気持ちがいいくらい。 で、次々と背の高い雑草が薙ぎ倒される様は、まるで天下無双の戦国武士が、百人の兵士を相手に切りかかっては倒し、切りかかっては倒すようで、爽快この上ない。生殺与奪の権を握る気分とは、これのことではないかという感じです。 もう、見ていると、私もやってみたくて、やってみたくて。5分でいいから、ちょっとその芝刈り機を使わせてくれませんか、と本気で頼みたくなっちゃった。ま、それは無理として、私の「死ぬまでにしたいこと」のリストに、新たな一項目が付け加わりましたね。 というわけで、電車を待つ10分の間、私は草刈り作業に見入って、なーんも退屈しなかったのでありまーす。 で、学会はどうだったかって? そんなもん、知りませんよ(爆!)。 だって、学会が行われている間中、私は会議に出席していて、研究発表を見る暇なんてなかったんですもーん。 というわけで、私にとって今日、唯一の文化的行事は、会場への行き帰りに二軒の古本屋さんを覗いたことだけでした。 一軒は京王線駒場東大前駅西口にある「河野書店」という古本屋さんで、ここは場所柄、割と文化レベルの高い古本が置いてあるのですが、今日はあまりめぼしいものがなく、山口昌男の名著『本の神話学』(中公文庫)を300円でゲットしたくらい。ま、これは前から探していた本だったので、良かったですけどね。 二軒目は、これは親友と夕食を食べに行った代々木上原の駅近くにあった「LOS PAPELOTES」という古本屋さんで、ここは初めて行きましたけど、かなりこだわりのある品揃えでしたね。たとえば植草甚一さんなんかが編集をしていた大判雑誌『ワンダーランド』の創刊号なんかを売ってたりして。6300円でしたけど、まあ、美本であることを考慮すれば、リーズナブルな値段と言えましょう。 で、私はこの店で、渡辺篤史さんの「こんな家三部作」、すなわち『渡辺篤史のこんな家に住みたい』『渡辺篤史のこんな家で暮らしたい』『渡辺篤史のこんな家を建てたい』をそれぞれ500円でゲット! つい先日、渡辺篤史さんの「建もの探訪」というテレビ番組が1000回を超えた記念に出版され、今巷で話題の『渡辺篤史の建もの探訪BOOK』を読んでいたら、これら三冊の本が既に絶版になっていて、もし古書店で見かけたら買っておいたらどうですか、的なことが書いてあったので、これは何かの縁だろうと思い、三冊とも買っちゃいましたよ、わっはっは! で、その友達ともほぼ1年ぶりに会ってつもる話もできたし、学会の外では非常に有意義な時間が過ごせました。ま、学会ってのは、むしろそういうところが面白いわけですが。 さて、明日はまた名古屋に戻ります。名古屋からのお気楽日記もお楽しみに~!
May 30, 2009
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明日からの学会に備えて、東京の実家に戻りました。 もちろん、アルファロメオを飛ばして帰ってきたのですが、結構スリルがありましたねえ。 前にこのブログにも書きましたが、アルファロメオには走行可能距離を示すモニターが付いておりまして。で、名古屋を出る時、我が愛車にはガソリンタンクに半分ほどガソリンが入っていて、モニターには「あと360キロ、走行可能」という表示が出ていたんです。 ちなみに名古屋の家から東京の実家まで、東名高速を使い、ドア・ツー・ドアで340キロ。無給油で行けるかどうか、ギリギリというところですね。 で、ワタクシ、この可能性に賭けてみた、と。 というわけで、今日のドライブは、前を見るよりモニターを睨んでいた時間の方が長いのではないかというほど、可能な限り穏やかなドライブを心がけ、燃費を良くしようと涙ぐましい努力を続けたんです。そうしなければ、途中でガス欠になるかもしれないんですから。 一番キツかったのは、箱根の山を越える時。さすがにここはアクセルを踏まないと進みませんから、仕方なく踏むことは踏むんですが、そうするとモニターに表示された走行可能距離がどんどん減っていく。あらー、この分だとやっぱり海老名サービスエリアで給油せざるを得ないか?! と、一時はチャレンジを諦めかけましたが、一旦登りきってしまえばあとは秦野中井あたりまでは長い下り坂があるのみ。普段の私なら考えられないことですが、三車線あるうちの一番左のレーンで、遅いトラックの後にぴったりくっつき、慣性の法則を利用して時速80キロでのろのろと山下りしましたよ。 そしたら何と、山を下り切った時には、走行可能距離の表示が300キロを示していたという・・・。やったー、これで家までたどり着けるゾ! が、平地区間に戻ると、もちろん下り坂ほど燃費はさほど稼げませんから、走行可能距離も10キロ単位でどんどん減っていく。最寄りのインターを出たところでは残り100キロを切っておりました。 で、最終的に家に着いたとき、残りの走行可能距離は80キロに。たぶん、ガソリンタンクの中には8リットルほどのガソリンが残っているだけでしょう。 でも、とにかく計画通り、最後まで無給油で走りきったぞい! ということで、個人的な達成感以外、何の意味もないのかも知れませんが、今日は4時間に亘るハラハラドキドキのガス欠寸前走行を楽しんだワタクシだったのでした。
May 29, 2009
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まあ、あまり世間では知られていないかも知れませんが、最近の大学は教員免許取得のための専門学校かっ?!ってな状況ですよ。 まずね、1年生の時に「基礎実習」ってのがあって、附属校で授業参観やらグループ討議なんかをやるのがある。2年生では養護学校や老人ホームなどでの研修が2回あり、3年でいよいよ「主免実習」、4年で「副免実習」があって、その後さらに「応用実習」ってのがある。専攻によってはさらに「導入実習」ってのも今年からやることになりました。 これだけだっていい加減うんざりするのに、これに加えて今度、文部科学省のアホどもは、「教育実践演習」という授業を新たに導入しろと言ってきた。これは4年生の後期、教員になる人のための総まとめとして設けられたもので、ものすごく縛りのきつい演習なのであります。 で、もちろんこういう実習にはすべて引率として教員が張り付いているので、夏休みだろうが何だろうが、学生に付き合ってあちこち出向かなくてはならないわけ。 で、これにプラスして、今度は現職の教員の人たちが10年毎に行うことが義務付けられた「免許更新」のための授業も、今年の夏から開講しなくてはならない・・・。 10年くらい前までは、教育実習なんて4年生の時に一回やれば良かったんですけどねえ。いつの間にやら、こんなに業務が増えてしまった・・・。ほんと、大学の先生なんて、この種の雑用を果たすのに疲れ果てて、研究なんかなーんも出来ませんよ。 昔は・・・昔ったってたかが10年ちょい前の話ですけど、その頃は良かった。大学の先生は暇だったんですな。夏休みなんて、ほんとにまるまる2か月、研究だけに打ち込めた。 で、あんまり暇なんで、うちの大学では専攻・専門を問わず、若手の助教授・講師・助手が集まって、勉強会なんか開いたりしたもんですよ。名づけて「一升瓶の会」。この勉強会では毎月1回会合を開き、順番を決めて毎回一人が自分の専門に関する研究発表をするわけ。雰囲気は気楽ですが、研究発表の後はかなり厳しいコメントやら、質問やら、批判やらが飛び出して、発表者は針の筵に座らせられるような気分を味わったものです。 ちなみに何で「一升瓶の会」かというと、会合の後、会場に持ち込まれた一升瓶を空になるまで飲み明かしたから。当時、その会は酒豪ぞろいでしたから、ほんとに一升瓶を空にしたもんですわ。もちろん、年末には忘年会をやりましたし。これもまた実に盛大な酒盛りでしたっけ。 が、その後、いつの間にやら一升瓶の会も自然消滅してしまいました。会の中心になっていた先生が他大学へ転出されたということもありますが、もうその頃には大学の先生に課せられた業務が増え過ぎて、若手だろうと誰だろうと、もうそんな悠長なことをやっている暇が無くなってしまったのが一番の原因だったと思います。 うちの大学でも、かつて専門を通り越して若手研究者が勉強会を開いていた時代があったなんて、今から思うと夢のような話です。ワタクシの手元に、当時の一升瓶の会の忘年会の様子を写した記念写真が一枚残っていますが、いかにも若手研究者の集まりらしい、生き生きとして、野心に満ちた、いい顔つきの先生方の笑顔・笑顔・笑顔が溢れている。 で、その写真が見事にセピア色に色褪せていましてねえ・・・。そこがまたなんとも寂しいと言うか、何と言うか・・・。 今は「教育の質の保証」ということがうるさく言われる時代でありまして、先に言いましたように、教育実習ひとつとっても、あれだけのことをやることになってしまった。おかげで、今や大学教員に暇な時間なんかまったく無くなってしまった。 しかし、本当はね、実習なんて一回やれば十分。先生方には「あんまり暇だから勉強会でもやろうか」という気にさせるほど自由な時間を与えた方が、よほどいい研究ができ、それだからこそ、よほどいい教育ができるんですよ。その方が教員にとっても、学生にとっても遙かにいいことなのに・・・。 文部科学省のアホどもが大学をこんなにしてしまう前、活気のあった我が大学の、若手の勉強会、「一升瓶の会」のことをふと思い出し、隔世の感に打たれている今日の私なのでありました、とさ。
May 28, 2009
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なんとはなしにネットサーフしていたら、「芸能人の乗る車」というサイトに行き当たりまして。ま、最新のデータというわけではないですが、芸能人の名前と、その方が乗っていらっしゃるクルマの名前がずらりと並んでいる。 で、当然のことながら、我が愛車アルファ156に乗っている芸能人、あるいは156に限らず、アルファロメオのクルマに乗っている芸能人にはどんな方がいらっしゃるのか、ざっと目を通して見たわけですよ。 まず女性部門!安田成美さん アルファ156本上まなみさん アルファ156常盤貴子さん アルファ147観月ありささん アルファスパイダー ほ、ほう。なるほどねえ・・・。なかなかいいメンツがアルフィスタに名を連ねているではないですか。特に本上まなみさんが156に乗っているというのは、分かる気がするなあ。ちょっと分かってるゾ、みたいな感じで。 では次。男性部門!峰竜太さん アルファ156えなりかずきさん アルファ156ウド鈴木さん アルファ156 おおっ! こ、これは・・・。どうなんだ、このメンツはっ! 私は、私は、このメンツに入るのかっ! 果てしなく微妙! 男の目からしますとね、アルファロメオってのはレースとの関連が深くて、たとえばちょっと前のヨーロッパGT選手権なんかでアルファ155が大活躍したことも記憶に新しく、非常に男性的なイメージがある。 ところが家内に言わせますと、アルファ156の性別を敢えて言うならば、明らかに「女の子」だ、と言います。前の愛車のプジョー306は「男の子」だったそうですが。だから、アルファ156には女同士の親近感がある、というのですな。 で、そのことを今回のデータと合わせて考えると、なるほどと思うところがあります。つまり、アルファを選ぶ女性芸能人というのは、アルファを女性らしいクルマとして親近感を持って乗っているのではないかと。 一方、アルファに乗る男性芸能人は、おたく的に、つまり「これがカッコイイんだ。レースにも出てるんだ。だからこれに乗っているオレもカッコイイんだ」的な誤解で乗っているのではないかと。ま、ワタクシも、若干、その傾向がありますが。 なんか、そんな気がしますねえ・・・。 それはともかく、このサイト見ていると、芸能人の乗るクルマの傾向が分かってなかなか面白い。 ま、全体的に言いますと、ちょっとクルマの選択が古いんじゃないかなあ。ベンツやポルシェに乗る芸能人が多いのは分かるとして、今だにゲレンデヴァーゲンとか乗ってる人が多いのはどうなのかと。その選択はバブル時代のものじゃないの? 同じく、この時代にハマーに乗るというのも古いし、ジープ・チェロキーに乗っている人が多いのも今だにバブル時代を引きずってる感じがするなあ。それどころかパジェロに乗っている人もいたりして、「私をスキーに連れてって」かよっ! って感じです。 一方、堺正章さんとか、高田純二さんとか、人に知られるクルマ好きがジュリエッタとかアストンマーティンDB9とか、それらしいクルマに乗っておられるのは納得しますし、江角マキコさんとかがマセラティ・クーペに乗っていらっしゃると聞くと、お、やるもんだねえ、という気がします。あと、木梨憲武さんとかが敢えて国産のランドクルーザー・シグナスに乗っているというのも、さすが、分かってらっしゃる、という評価ができますね。 高木ブーさんがスマート・フォーツーに乗っていらっしゃるのは、そのセンスを買うものの、ちょっと暑苦しい感じがしなくもない。 その他、永瀬正敏さんがセンチュリーに、Gacktさんがマスタングに、川島なお美さんがランチャ・イプシロンに、鈴木紗理奈さんがシボレー・タホに、ロンブー田村亮さんが510ブルーバードSSSに乗っておられるのも、それぞれ渋い。 あとワタクシの高校の後輩の織田裕二さんがジムニーって、本当かなあ? だけど、僭越であることは承知の上、敢えてクルマ好きの視点から言わせてもらいますと、全般的に芸能人の皆さんは、お金はあるけどクルマの選択がいまいち画一的ですね。もう少しクルマの勉強をしてもらわないと。皆が皆ベンツというのではなくて、例えば今だったら「シトロエンC5」とかね、「パサートCC」とか、いっそ「ダイハツ・コペン」とか、そういった気の利いたはずし方をしてもらいたいですわー。芸能人の乗る車
May 27, 2009
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今日は出張で愛知県・新城(しんしろ)市というところに行って来ました。この地にある中学校に、うちの学生が教育実習でお世話になるもので、その事前挨拶です。ってなわけで、校長先生と10分ほどお話しをさせていただいて、出張終了~。 往復3時間かけた割に、実働10分じゃ、割に合わない気もしますが・・・。 で、新城まで長距離ドライブのお供にと思い、我がアルファロメオのCDチェンジャーにランダムに色々なCDを仕込んでおいたのですが、たまたまその中にエルトン・ジョンのラブ・ソングばかり集めた『Love Songs』というアルバムが入っていた、と。 最近、全然聴いてなかったCDなんですけど、ま、たまに聴くとそれなりに面白いですね。 ま、なにせベスト集ですから、次から次へとエルトン・ジョンの名曲、それも愛にまつわる名曲が出てくるわけですが、その中には『Your Song』『Can You Feel the Love Tonight』『Daniel』『Candle in the Wind』なんてのも当然含まれる。どれもいい曲ですよね。 だけど、久々に聴いてワタクシが一番感銘を受けたのは、『Sorry Seems To Be the Hardest Word』でした。Sorry Seems To Be the Hardest Word What have I got to do to make you love meWhat have I got to do to make you careWhat do I do when lightning strikes meAnd I wake to find that you're not thereWhat do I do to make you want meWhat have I got to do to be heardWhat do I say when it's all overAnd sorry seems to be the hardest wordIt's sad, so sadIt's a sad, sad situationAnd it's getting more and more absurdIt's sad, so sadWhy can't we talk it overOh it seems to meThat sorry seems to be the hardest word 地声とファルセットが交錯するエルトンお得意の歌唱法とあいまって、ドラマチックで実にいい。3回くらい繰り返し聴いちゃったよ。 やっぱりね、ラブソングというのは、悲しい方が傑作ができるような気がしますな。失恋の歌にはしみじみいいのが多いけど、幸せなラブソングはねえ・・・。そんなの勝手に幸せになれば、ってなもんじゃないですか。 ということで、今日は新城の田舎道をアルファで疾走しながら、時ならぬエルトン・ジョン節に酔うという、かなりヘンテコリンなシチュエーションのワタクシだったのでした、とさ。これこれ! ↓【円高還元セール1000円】 エルトン・ジョン ELTON JOHN / LOVE SONGS
May 26, 2009
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ここ数年、独自のプリントなどを作って講義形式で「アメリカ映画論」を講じていたのですが、今年は市販の教科書を使い、授業形態も演習形式に切り換えてこのテーマの授業を行っています。 そしたらね、テキストに指定した『Gender and American Film (映画の中の女と男)』(英宝社)という本が割と面白く書かれていて、これ選んで大成功。ワタクシとしても結構楽しみながら授業を進めておるんですわ。 この本、今年は第三章を読んでいるのですが、ここは1960年代以降、すなわち第二次フェミニスト運動盛んなりし頃から現在に至るまでのハリウッド映画の中で、女性がどのように描かれているかってなことが書かれているのですけど、そうなると当然、1960年代のアメリカ社会のありようを解説しないといけなくなる。 で、たとえばベトナム戦争のこととか、公民権運動(=黒人差別撤廃運動)とか、ヒッピー文化のこととか、そういうことも知っておかないとまずいわけで、テキストにもそういうことがさらっと解説してあるわけ。 で、そのさらっと解説してある中からキーワードを拾い出し、学生にもう少し詳しく調べてこさせて、授業中に発表させるわけですけど、そうすると学生も結構面白がってちゃんと調べてくる。 たとえば今日は「カウンターカルチャー」と「ポップアートとアンディ・ウォーホル」という2つの発表があったのですが、担当した学生二人とも、しっかりした資料を作って発表に臨んでおりました。感心、感心! それにしても、この種の授業をやると、平成生まれの学生たちと、昭和育ちの自分のジェネレーション・ギャップを痛感しますな。今時の大学生なんて、ボブ・ディランのボの字も知らないし、ジャニス・ジョプリンのジャの字も知らないですもんね。いや、ワタクシだってリアルタイムで知ってはいないですけど、それでも色々な本を読んで、興味を持って、自分でCD買って聴いたもんですが。 そんなふうですから、もちろん大半の学生たちはアンディ・ウォーホルのアの字も知らないわけ。いや、ウォーホル知らないどころか、キース・ヘリングもバスキアも知らないよ。 で、「だって、ユニクロにキース・ヘリングやバスキアの絵のTシャツ売ってるだろう? あれは何だと思ってたわけ?」と聞くと、シーーーーンッですもんね。 そこでワタクシは学生たちに説いて曰く、「あのね、はっきり言おう。知識ってのは、魅力なんだ。たとえば女の子と付き合い出すとするだろう? で、その子がバスキアの絵が好きで、何冊か画集を持っているなんてことが判明したとする。その時点で、俺はやられる。あ、この子、馬鹿じゃないんだと悟った瞬間、その子の魅力は200%増しだ。だから、知識がある、知識を身につけるというのは、女ぶり、男ぶりを上げる一番簡単な方法なんだよっ!」 シーーーーーンッ! 熱弁もむなし・・・。 ま、知識のない奴が知識のない奴と付き合う分には、関係ないのか・・・。 それはともかく、このテキストによると1960年代には、ハリウッドの自主検閲コードシステムがぐだぐだになったこともあって、「セクスプロイテーション」と呼ばれる(ソフトコアながら)女性のヌードを売り物にしたようなB級映画が沢山作られて・・・なんて話も出てきて、結構面白いんですよね。 大学の授業で使うテキストって、なかなか使い易いものがなくて困ることが多いのですけど、このテキストは割と使えると思いますので、アメリカ文化論なんかを担当される同業者の皆さま、『映画の中の女と男』、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓映画の中の女と男
May 25, 2009
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今日は一日原稿書きをしてました。今書いているのは、アメリカ文化について卒論を書こうという学生のための一種の「書き方指南」の本で、ま、要するに入門書ですね。専門の本ではありませんが、これまで十数年、アメリカ文化関係の卒論の面倒を見てきた、その集大成として自分の中では位置付けております。 昨年の夏の終わりに書き始め、大学の授業再開と同時に一旦棚上げにし、その後春休みくらいから気を取り直して一生懸命書き継いだ原稿ですけど、もう何度目の書き直しでしょうか。8回目くらいかしら。全部で130ページほどのごく短い本ですけど、それでも出すとなれば完璧を期したいもので。 私のやり方はこうです。とりあえずざっと書きあげる。紙に打ち出し、推敲する。推敲した部分を直してまた紙に打ち出す。これをさらに推敲して直す。直したものを紙に打ち出してまた推敲する。直す。直したものを紙に打ち出して推敲する・・・。ま、この際限のない繰り返し。 不思議なのは、どうして一回の推敲で直すべきところのすべてが把握できないのか、ということでして。 たとえば、最初の推敲で200箇所直すところが出てきたとしましょう。それを全部直してから二回目の推敲に入るわけですから、二回目の推敲では直すべきところがぐっと減るはずではないですか。しかし、実際にはやっぱり200箇所くらい直すべきところが目につくんです。 で、三回目の推敲でも200箇所直したくなり、四回目でも200箇所、五回目でも200箇所直すべきところが出てくるわけ。何度繰り返しても全然減らないの。 なんで? もっとも、さすがに8回目くらいになると、直したくなる箇所はやはり200箇所くらいあるものの、軽微な手直しで済むものが大半になってくることは確か。こうなってくると、さすがに先が見えたな、という気になるのですが。 で、推敲もここまで来ると、まあ、全貌も見えてくるわけでありまして、割と面白く書けたんじゃないの? なんて自負も出てくる。一種のマニュアル本とはいえ、内容的にはアメリカ文化(研究)の紹介をしているわけですからね。色々と面白いことも書いてあるわけですよ。 しかーし。現実は厳しい。今時、卒論の書き方指南なんて売れないんだよな~! 売れる本、書きたいんだけど、なかなか、ね・・・。 たとえば、最近の例ですと、『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)という本が売れているようですが、こういう本の企画ってスゴイと思うんですよね。確かに、そういう事実があって、それに気がついてはいる人は多いんだけど、それを実際に本にしようというところまで誰も考えないではないですか。そういう企画をやってのけた、というところがスゴイ。 ま、スゴイったって、本当は単に企画だけの本ではあるんですけどね。本としては、ワタクシの本の方がよっぽど面白いヨ! だけど、売れない、と。はあ~。 でも、いいの。とりあえず今やってることに全力を尽くす。いつか、誰かが認めてくれるでしょう。 ということで、完成まであと少しのところまで来て、やや余裕が出てきたワタクシなのでした。 でもね、こいつの次に書く専門の本は力作にする予定。こいつで、勝負じゃ!
May 24, 2009
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明日は伝統のF1モナコ・グランプリ。今日は予選があったのですが、その結果、ブラウンGPのジェンソン・バトン選手がポール・ポジションをゲットしたというニュースが入ってきました。 モナコ・グランプリは市街地コースで、コース幅が狭く、よほどのことがない限り、前を走る車を抜くことはできません。ですから、予選結果が大きくものを言うのでありまして、予選を1位で通過したバトン選手が優勝する確率は非常に高いといえましょう。ブラウンGPの車は信頼性も高いですからね。 しかし、それにしても今年のバトン選手は速い! 現在までのところ5戦して4勝。唯一、優勝できなかったレースでも3位表彰台をゲットしてますから、今年のバトン選手はほとんど無敵と言っていいでしょう。 と、ここでF1に詳しくない方のために補足説明しておきますが、このバトンという選手、現在29歳で、レーサーとしては円熟期を迎えつつあります。が、ここまで来るまでの道のりは、決して楽なものではありませんでした。20歳という異例の若さで名門・ウィリアムズ・チームからデビューし、それなりの成績を収めますが、その後は期待されたほどの成績を収めることができないまま、年齢を重ねてしまったところがある。この間の10年、フェラーリ、ルノー、マクラーレンの3チームがとにかく強かったため、この3強に所属していないバトン選手としては、優勝のチャンスがほとんどなかったんです。 しかも、昨年末は所属チームのホンダがF1撤退となり、今年、レースができるかどうかすらも危ぶまれた時期すらあったという。が、ホンダからチームを受け継いだブラウンGPが作り上げた車がものすごく良い仕上がりで、新生チームであるにも関わらず、バトン選手の快進撃を支えることとなった、と。まさに、奇跡の復活劇なんですが、おそらくF1の関係者の中で、バトン選手がここまでの成績を収めると予想した人など一人もいなかったでしょう。 F1の世界でも、ここ数年というもの、「若き天才の時代」が続きました。まずフェルディナンド・アロンソという若きスペイン人ドライバーが、皇帝シューマッハを抑えて2年連続の総合優勝を決め、F1界の世代交代を印象付けた。そしてそのアロンソ選手の総合優勝の最年少記録を塗り替えたのが昨年のチャンピオン、イギリス人ドライバーのルイス・ハミルトン選手。その他にもクリスチャン・ベッテルというドイツ人ドライバーも、若くして才能を発揮しつつあり、近いうちにチャンピオンの座を射止めるだろうと言われている。 つまり、この数年、F1の世界でも「誰が最年少記録を塗り替えるか」ということばかりが話題になってきた感があるんですね。若くしてチャンピオンになるのが素晴らしい、という風潮があったわけ。 そこへ持ってきて、今年、もはや峠は越したのではないかとすら思われていたジェンソン・バトン選手の快進撃が続いているという・・・。 で、ここで私が思うのは、長い目で見た場合、自分のキャリアにおける「ピーク」がどこにあるのが幸せなのか、という問題です。 もちろん若くして華々しい活躍をするのもいいでしょう。それができるだけの才能があるわけだから。しかし、さらに考えると、バトン選手のように、そろそろ円熟期に入った頃になって、ようやく華々しい活躍をするというのも、案外いいのではないかと。いや、むしろ、その方がいいのではないか、と。 だって、最初のうちちやほやされ、その後尻すぼみで終わるより、最初に苦労して、後半戦で開花した方が良くないっすか? その方が、気持ちよく引退できるような気がする。作家だっているじゃないですか、若くして芥川賞とかとって期待された割に、伸び悩んで忘れられてしまう人が。 そう考えると、バトン流のキャリアの積み方ってのは、ものすごく幸福な例なんじゃないかと。 要するにね、バトン選手の快進撃見てると、なんか希望が出てくるわけですよ。「俺も、ここからだよ! 後半戦で勝つんだよ!」的な・・・。 というわけで、バトン選手の活躍に自らの夢も乗せつつ、明日のモナコ・グランプリを楽しもうと思っているワタクシなのでありました、とさ。ま、スポーツ観戦って、そういうもんでしょ? ね?
May 23, 2009
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このところ、半端な時間を継ぎ合わせて田中未知という人の書いた一種の寺山修司伝である『寺山修司と生きて』という本を読んでいます。 田中未知という人は、寺山の実験演劇集団「天井桟敷」旗揚げの頃から寺山の周辺に居て、劇団の照明を担当したりしていたのですが、その一方で寺山の秘書、というかマネージャーのようなこともし、とにかく寺山が若くして急逝するまで十数年に亘って彼のごく身近に居た女性なんですな。 で、彼女自身は寺山の死後、黙々とその遺されたものの整理なんかをしつつ、沈黙を守っていたのですが、この間、寺山に関する様々な伝記、評伝の類が出版され、雑誌の特集が組まれてきた。 で、それらを隈なく読んできた田中さんは、ついに怒り心頭に発し、怒髪天を衝いた、と。なぜなら、それらの伝記やら評伝やら特集やらは、寺山の誤った姿ばかりを云々し、どれ一つとして彼女を納得させるものがなかったから。そこで彼女は、それら誤れる類書をすべて吹っ飛ばすためについに筆を執った、と。それが本書『寺山修司と生きて』(新書館)であります。 というわけで、この本には怒りが満ちております。寺山の真の姿も知らずして批判した奴、覚悟せいっ! という気迫が漲っています。 ま、その辺がね。何と言いますか、中立的な立場にある読者としては、田中さんの気迫に気圧されるようなところもあります。もちろん、田中さんの立場に立てば、その気持ちも十分わかるわけですけども。 で、時に弩迫力の個人攻撃にもなるこの寺山伝を、多少辟易しながら読み進めますとね、長年寺山のごく身近に居た人だからこその記述というのも沢山あって、そこはやはり面白いし、またこれまで寺山について集めた知識を修正しないといけない部分が出てくるわけ。 たとえば、寺山の母親である寺山はつさんが書かれた『寺山修司のいる風景』からうかがえる寺山の麗しい母子関係なんてのが、いかに寺山はつさんサイドから都合よく書かれたものであるか、なんてのもよくわかる。実際、この寺山はつという人の孟母、いや猛母ぶりなんて、凄まじかったようで・・・。 たとえば寺山がはつさんと暮らしていた頃、仕事場に向かう寺山に「今日は何時に帰る?」とはつさんが聞くんですって。で、寺山が「7時頃」と答えるとする。ところが演劇の仕事なんてスケジュール通りにいくはずもないわけで、結局10時頃に帰宅すると、家では寺山の夕食のおかずが鍋の中で黒焦げになって煙を上げているんですって。 つまり、7時に食べられるように夕食を準備したはつさんが、この時間までに帰宅しなかった寺山に腹を立て、そのまま鍋を火にかけっぱなしにするんですな。で、黒焦げになったのは約束を守らなかった寺山のせいだと。一事が万事こんな調子ですから、まともな神経をしていたら、とても一緒に暮らせない人なんですね、はつさんという人は。そんなはつさん絡みの苦労話なんてのも、田中さんの本の中には色々書いてある。 でも、田中さんが最も激しい怒りの矛先を向けるのは、寺山の晩年の主治医であった庭瀬康二という人に対してです。寺山の病を誤診さえしたくせに、寺山の死後、座談会などで寺山を得意げに語るこの文学かぶれの医者に対する田中さんの告発は、ほとんど呪詛ですね。それはまた、どうしてこんな奴に寺山の晩年を任せてしまったのかという、自身に対する呪詛でもあるわけですが。 ま、とにかくこんな調子で、毀誉褒貶の激しかった寺山の生前、陰になりまた矢面にも立って彼を守ってきた守護天使・田中未知さんが、彼の死後20年余を経て再び守護天使となって現れ、悪い奴らに鉄槌を下した、という趣の本でございます。 岡本太郎の秘書であり、後の養女であり、岡本亡きあと、岡本の業績を広めることに生涯を費やし、死ぬまで彼を賞賛し続けた岡本敏子という人が居ましたが、田中未知さんという方も、形こそ違え、寺山修司という人にとってのそういう存在なのかも知れませんなあ。恋人でもなく、妻でもなく、しかし、その人を愛し続けた女性という意味で。 ということで、激しい怒りに満ちた本ですから、読んでいると時々こちらが疲れてしまうのですけれど、寺山修司という人に多少なりとも興味のある方には必読の書ということで、田中未知さんの『寺山修司と生きて』という本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓寺山修司と生きて
May 22, 2009
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先日、「兄貴」ことK教授がニヤニヤしながらやってきて曰く、「マスク、もう買った?」。聞けば、奥様に頼まれて通勤途中にある薬局の開店と同時に店に突入、マスクを買い占めたのだそうで。「危なかった。開店前なのに店の前には長蛇の列で、その全員がマスク狙いだから、もう少しで買えないところだった」ですって。 さすが危機管理に長じた兄貴だけあって、準備がいいですなあ。私なんてまるで無防備だ。 でも、インフルエンザ予防にマスクがどれだけ役に立つのか。昔聞いた話では、テニスのネットで飛んで来るビー玉を防ごうとするようなもので、ウイルスの大半は素通りだというではないですか。結局、気休め程度だと思いますけどねえ。専門的にはどうなんざんしょ。 それに、今回のインフルエンザ、罹る人の多くが割と若い人であることからもわかるように、新型とは言っても、以前、ある種のインフルエンザに罹った経験のある人には、多少なりとも免疫があるようではないですか。特に50代後半以降の人には罹りにくいらしい。 そう考えると、今回罹っておけば、この先もっと毒性の強い同種のインフルエンザが蔓延した時に、助かる可能性が高くなるかも知れませんよ~。 そんなことも含め、我が家では日常の手洗い・うがいの他は特にインフルエンザ対策はしない方針でございます。罹ったら、罹った時。マスクなんぞは買いません。必要と思う人に譲りましょう。 しかし、そういう無防備な観点から言いますと、ワタクシ、来週末はインフルエンザに罹る可能性大。というのも、東京で全国規模の学会がありまして、そこには当然、神戸・大阪・滋賀・東京・神奈川・埼玉にお住まいの学者さんや院生なんかも含めて大集合しますからね。ここで罹患してウイルスを名古屋に持ち帰ったりすると、ワタクシがニュース・ネタなるわけだ。テレビの臨時ニュースにも出るぞ。「名古屋で初となるインフルエンザ患者発生!」みたいな。 「誰でも15分間は有名人になれる」と言ったのはアンディ・ウォーホルですが、ワタクシの15分はインフルエンザがらみかいっ! だけど実際問題として、学会の発表者がそちら方面からいらしている場合、聴衆は確保できるのだろうか・・・。その部屋だけ聴衆がいなくて、発表者がお客さんなしで研究発表してたりして。それもある意味、見ものですが。 ということで、来週の学会、思わぬ「収穫」があるかどうか、今から楽しみなワタクシなのでした。
May 21, 2009
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子供の頃からの熱狂的大相撲ファンのワタクシ。ですが、もうこの頃は取組の最後の方で公開喧嘩みたいなのを披露する下卑た某のおかげですっかり嫌気がさし、相撲中継を見る気力も失せてしまいました。誰が優勝しそうなのかも、まったく興味がなくなってしまったという・・・。 だけど、今日、何気なくニュース番組のスポーツコーナーを見ていたら、大関の千代大海関が現在5勝6敗だというではないですか! 千代大海関、今場所カド番でしょ? あと2敗で大関陥落じゃん! これから連日上位陣との対戦が組まれる時期に6敗は痛いんじゃないの? これ、かなり危ないなあ。 ま、ここ数年、かろうじて大関の地位を守っている状態が続いておりますが、でもやっぱり大関の地位を長く保った人だからなあ。その人がついに大関陥落の正念場ともなると、これはちょっと応援してあげたくなります。 応援・・・と言いますか・・・。もちろん大関陥落しないよう応援をするんですが、万が一、陥落が決まるのだとしたら、その瞬間の千代大海を見たいではないですか。10年以上にわたって大関の地位を守ってきた男が、その座から降りなければならなくなった時、彼がどういう顔をするのか。 無論、大関を陥落した場合でも、次の場所で関脇として10勝以上すると自動的に大関に復帰することができます。千代大海は年齢的にはまだ30代前半なので、その可能性に賭けて現役続行するかも知れません。 しかし、既に満身創痍な上に糖尿病という持病を持つ彼が、果たして陥落後も現役を続けるかどうか。私にはそうは思えません。すなわち、陥落=引退を意味するのではないかと。だからこそ、明日からの数日の間に、彼の相撲人生の全てが掛ってくるわけですよ。 そう思うと、ますます、ここ数日の彼の相撲を見ておきたくなります。 というわけで、しばらく大相撲観戦から遠ざかっていた私ではありますが、明日から千代大海の戦いぶりに注目したいと思います。皆さんも、是非!
May 20, 2009
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切り絵作家の滝平二郎(たきだいら・じろう)氏が亡くなりました。享年88歳。 私にとって滝平さんと言えば、『モチモチの木』と、それから『ベロ出しチョンマ』ですかねえ。いずれも斎藤隆介さんが書いた新作童話に、滝平さんが挿絵を施したものですが、童話の内容と挿絵の魅力があいまって、とても印象深かった。 『モチモチの木』というのは、祖父と暮らしている弱虫の少年の話で、あまり弱虫なので、夜一人でトイレに行けない。で、夜になると祖父を起こしてトイレまでついて行ってもらうのが常だったんですな。で、彼らの家の前には「モチモチの木」と名付けられた巨木があって、深夜、この木にある角度から月の光が照らすとものすごく美しいらしいのですが、弱虫少年にはそんなものとても見られるはずもない。 ところがある晩、祖父が病気になってしまうんですな。で、少年は夜中、一人で医者を呼びに行くわけ。怖いなんて言ってる暇がなかったので。 そして、その夜、大役を果たした少年は、月明かりに照らされた神々しいモチモチの木を見るわけですよ。まさに少年のイニシエーションです。 で、少年の勇気ある行動により、祖父は回復。再び、二人の生活が始まるのですが、やっぱり少年は弱虫で、夜中にトイレに行く時は祖父を起こしました、とさ。 ・・・ってな話です(たしか・・・)。 輝くモチモチの木を見て、ワンランク成長を遂げた後も、彼はやっぱり弱虫でした、というところに、子供の頃の私は強く共感したのでしょう。それから、病気から回復した祖父が少年を褒めて、「弱虫だって、優しい心を持っていさえすれば、いざという時には立派な行動ができるんだ」というようなことを言うんですが、そのセリフにも非常に励まされた覚えがあります。私もまた、弱虫な少年でしたから。 あと、『ベロ出しチョンマ』ね。大筋は忘れましたけど、江戸時代、ご法度のキリスト教を信仰していた村の話か何かではなかったかしら。 で、お上にそのことがばれて、その村では小さな子から何から、皆、磔刑に処せられるんです。で、少年のチョンマとその幼い妹も磔にされる。 で、その妹が、死ぬのを怖がって泣くんですな。すると、隣で磔になっているチョンマが妹に呼びかけるわけ。「怖くなんかないぞ。ほーれ、オラの顔を見ろ!」と。で、チョンマは思いきりベロを出し、「あっかんべー」みたいなヘンな顔をして、妹を笑わせようとする。 そうしてチョンマと妹は死にましたとさ。そんな話。 ま、危機的状況にあって、自分の命も危うい中、それでもなお妹を笑わそうとしたチョンマの行動が、子供時分の私に「ほ、ほう・・・」と思わせたのでしょう。 ちなみに、私は四十半ばとなった今でもチョンマの英雄的行動の影響を受けておりまして、たとえば家内が悲しい映画か何かを見て泣いていたりすると、「悲しくなんかないぞ。ほーれ、オラの顔を見ろ!」とか言って、思いきりヘン顔をします。 あんぽんたんでしょ? ・・・それはさておき、斎藤隆二さんの童話の内容もさることながら、文に添えられた滝平二郎さんの切り絵がダイナミックでね。視覚的にもすごくインパクトがあった。これらの童話を今でもよく覚えているのも、半ば以上は滝平さんのおかげかも知れない。 そんな強い印象を私に与えてくれた滝平さんがお亡くなりになったということで、私もある感慨を抱いております。 ということで、読後何十年も忘れさせないほどの力を持った切り絵を作られた滝平二郎さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
May 19, 2009
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昨夜遅く、何気なくテレビのチャンネルをパチパチ変えながら見ていたのですが、ふと、NHK(衛星放送?)でやっていたクラシックの番組に行き当たりまして。 と、ここで一応補足しておきますと、私、本来クラシック音楽にさほど興味がない人間で、まあはっきり言えばかなり「無知」な部類に入ります。 それなのに、それなのに、ですよ。リモコンを操るワタクシの手がピタッと止まったと思って下せい。 それほど、妙なる室内楽(ヴァイオリン&ピアノ)の音色が聴こえてきたわけですよ。 演奏していたのはヴァイオリンがフランク・ペーター・ツインマーマン、ピアノがエンリコ・パーチェなる人物。主役はツィンマーマンの方です。 で、このツィンマーマンがいいんですわ。クラシックの演奏家にありがちな「顔で弾く」のではなく、表情を抑え、体の動きも最小限にしながら、いい姿で弾いている。一方、これに合わせるエンリコ・パーチェの方はといいますと、こちらはむしろ楽しげな表情で、時折ツィンマーマンンのことをチラッと見ながら、控え目に二人の呼吸を合わせている。この二人のコンビネーションが素晴らしいわけ。 で、二人が演奏しているバッハがまた、言いようのないくらい素晴らしいんです。あれは人間の作った曲じゃないね。神様がバッハを通じて地上に舞い降りてきた、って感じ。番組の中では、他の作曲家の曲も何曲か弾きましたが、やはりバッハを超えるものはなかった。 番組を見ているうちにわかったのですが、このプログラムは結局、ツィンマーマンをフィーチャーしたドキュメンタリーだったようで、演奏の合間に彼へのインタビューとか、楽屋風景なんかも映し出されるのですけど、インタビューに答えるツィンマーマンの態度がまた素晴らしいんですわ。すごく穏やかで、謙虚で、しかし音楽に対する強い情熱と理解が言葉の端々から迸るようで。 ちなみに彼のご両親も姉も著名な演奏家だったため、彼も幼い時からヴァイオリンの訓練を受けたようですが、「10歳の時に見よう見まねでシベリウスを弾いていたら、両親に怒られてしまいまして。その後、20歳くらいの時にもう一度トライして夢中になったものの、また一時遠ざかり、30代後半で再び演奏するようになったんです。シベリウスは私のアイドルですから」なんてインタヴューの中で言ってました。 すごいよね。10歳でシベリウス弾く息子を叱る両親って。多分「馬鹿者! お前にはまだ早いっ! 理解もしないで形だけ弾くんじゃないっ!」ということなんでしょうけど、普通、自分の子が10歳でシベリウス弾いたら、「うちの子、すごい~」って思わないでしょうかね? ツィンマーマンはそういう家庭に育った、ってことなんだよな~。 でも、この番組見ながら思いましたけど、彼のような人生って、どうなんだろう。ワタクシが「手つなぎ鬼」だのドッヂボールだの野球だのにうつつを抜かしていた時に、ツィンマーマンはシベリウスにチャレンジし、ワタクシが好きな女の子の一挙一動にドキドキしていた中学生の頃には、彼は既に演奏家としてデビューして世界各国を回っており、今、ワタクシが「明日の授業、何について話そっかな~・・・」なんて漠然と考えている時、彼は、「若い時から腕はあると認められていたけれど、40代になってからようやく音楽家としても認められるようになりました。2千人の聴衆を自分一人の演奏に惹き込むことができるなんて、音楽って素晴らしいですよ!」などと感想を漏らす。そして、今、彼は精力的にツアーをこなし、様々な作曲家の作品にチャレンジ、世界一流の演奏家と三重奏を試み、世界一流のシンフォニーと共演を果たし、世界一流の評価を得て、世界一流の友人たちと音楽を語って談笑する。 この差・・・。 ガックリくるね・・・。 彼が持っているものを、ワタクシは何一つ持ってないんだもん・・・。 ただ一つ、彼になれないものにワタクシがなれるとしたら、それは「善き聴き手」になることでしょう。ツィンマーマンといえども、一人で弾いたってつまらないわけですし。彼の演奏に夢中になってくれる「誰か」がいなければ。 じゃ、その「誰か」になってやろうじゃないの。 というわけで、ワタクシ、この番組が終わると同時に、深夜2時にCDのお買いものですわ。この番組が扱っていた演目そのもの、エンリコ・パーチェと共演したバッハの室内楽のCDが二枚組で売っていたので、一瞬の迷いもなく買っちゃいましたよ。 ということで、クラシック音痴の私をも圧倒した神の音色、フランク・ペーター・ツィンマーマンとエンリコ・パーチェによるバッハのヴァイオリン・ソナタ集、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓【送料無料選択可!】バッハ: ヴァイオリン・ソナタ集 BWV1014-1019 / フランク・ペーター・ツ...
May 18, 2009
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今日は自宅近くのハンコ屋さんに行って久しぶりに名刺を作ってきました。 名刺なんて作るの、一体何年ぶりだろう? 私の商売は、日頃さほど名刺交換が必要な商売でもないので、一度100枚くらい作れば十年くらい軽くもつんですけど、さすがに前に作った奴が底を尽きかけてきまして。それにもうすぐ教育実習が始まるため、実習生を受け入れてくれた学校への挨拶回りなどで名刺が必要になるのでね。 で、今から10年くらい前に作った自分の名刺をあらためてしげしげ眺めると、あらま、勤務校の所在地や電話番号に並べて、のんきに自宅の住所やら電話番号なんか書いてるよ・・・。このところの個人情報秘匿の傾向からか、最近の名刺で自宅の情報まで書いてあるのって少ないですよね・・・。 ということで、今回は私も勤務先の情報だけを載せるということにしまして、自宅関連はカット。逆になぜか前回載せなかったメール・アドレスを、今回は載せることにしました。これが一番コンタクト取り易いですもんね。あ、それから今回の名刺には、裏に英語バージョンも載せることに。 で、最後に印刷する紙の種類を選ぶ段になって、最初はごく普通の白いケント紙を考えていたんですが、「おかみさん」とつい呼びたくなるような雰囲気の店員さんがあれこれ出して下さったサンプルの中にひとつ、涼しげな青い紙がありまして、これがなかなかカッコイイ。で、そのおかみさんに相談すると、「ごく薄い色合いのものでも、他の白い名刺の中に混じると、青い色の名刺は案外目立ちますよ」とのこと。おーし、今度はちょっと目立ってやろうじゃないの。 というわけで、今回は「個人情報管理に気配りし、メールアドレスも英語表記も載っている、きれいなブルーの名刺」にすることにしたのでありまーす。 ところで、その後自宅に戻ってからハンコ屋のおかみさんから電話があり、名刺の記載内容の校正を頼まれたのですが、その時、おかみさんが私に対して「センセ」と呼びかけてくれたのは、ちょっと面白いというか、面映ゆかったですなあ。まあ名刺の原稿を見れば、「センセ」だということはすぐにバレてしまうわけですが。 さて、その「釈迦楽センセ」の名刺は、1週間もしないうちに出来上がるとのこと。ま、普段はあまり名刺のことなんか気にも留めない私ですが、さすがに新しい名刺となると、ちょっと出来上がりが楽しみですね。青い名刺、どんなんかな~?
May 17, 2009
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今日は一足先に給料日ランチを楽しもうということになり、名古屋郊外・東山公園駅前にあるビストロ、「ラシェット」に向かいました。 広小路通り沿い、ヤマハ・ショールームの真向かいにあるこのお店、なりは小さくともなかなか趣味の良い店構えで、タイルの床、ダークブラウンの腰板に白い塗り壁、シンプルながら洒落た照明、それに赤い色の椅子がよく映えてステキです。 で、今日いただいたのは、私が「イベリコ豚のグリル」、家内が「子羊のロースト」でしたが、どちらも塩の塩梅がとてもよく、おいしかった。また料理にはすべて前菜盛り合わせと食後のデザートとコーヒーがつきますが、前菜にあった「空豆のムース」と「生ハム」、それにデザートの「ホワイトチョコレートのムース」もおいしく、2200円の値段も納得。料理によっては1600円からランチが食べられますし、このあたりにお住まいの方、気軽なフレンチのお店「ラシェット」、教授のおすすめ!です。 さて、かくのごとくランチを楽しんだ我ら夫婦が次に向かったのは、地下鉄・塩釜口駅近くにあるセレクトインテリアショップ「SHIOGAMA APARTMENT STYLE」。ここ、名古屋で「カリモク60」(昨日のブログ参照)を扱っている数少ないお店なんです。 で、ここでかねて狙いをつけていた二人掛けのソファをゲット! 前にこのお店でこのソファを見たのは半年ほど前のことだったのですが、店員の方が我々を覚えていてくれたのにはびっくり。おかげで一層気分よく買い物をすることができました。配送は来週の金曜日ということで、それまで楽しみです。 ところで、部屋の模様替えに着手してみると、急にいろいろ目覚めることがありまして、以前は気にならなかったところまで気になるようになってしまいました。 で、にわかに「どげんかせんといかん!」と思い始めたのが、「和室」の存在です。 日本のマンションの間取りを見ると、ま、ほぼ100%の確率で一室は和室があるじゃないですか。私はあれが非常に気に入らないんですよね。この微妙な和洋折衷、なんとかなりませんかね? 今のところ家にお客さんが泊まりがけで来た時などに使うくらいで、自分たちではほとんど使っていないんですけど、考えてみればもったいない話でありまして。南向きの、ある意味一番いい部屋なのに。 いっそ、この部屋をリフォームしてしまって、リビングの延長にしてしまいたいのですけど、業者を入れて本格的にリフォームしたら相当なお金がかかるでしょう? それに、ネットでリフォーム業者のページを幾つか見ましたけど、ただ畳をフローリングにしただけで、全然カッコよくない施工例ばっかりだし。 というわけで、もっと簡単に自分たちだけでできる「なんちゃってリフォーム」の方策を考えようかなあ・・・なんて思っているわけですよ。 だけど、具体的なハナシ、どうすればいいか、よく分らん・・・。とりあえず畳の上に絨毯でも敷いてみるか? で、それにつけても思うのですが、こういう時、外国人女性はスゴイな、と。 以前、うちの大学に居たオーストラリア人女性の先生、昭和40年代に建てられた大学の宿舎に住んでいらしたのですが、そんなおんぼろ宿舎をものの見事に簡単リフォームして、趣味のよい部屋に仕立てていたという。聞けば、休みの日ごとに自分でペンキを塗ったりして、楽しみながらリフォームしたということですが。 古ぼけた和室をセンスよく洋風に仕立てなおすあのセンス、あれは日本人ネイティヴにはないものですなあ。 ということで、悩める我らのリフォーム相談に乗ってくれそうなセンスのいい外国人女性を募集したいワタクシなのでした。どこかにいないかしら、そういう人・・・。
May 16, 2009
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我が家のセカンドカー、スバルR2を車検に入れていた間、代車として三菱のekワゴンに1週間ほど乗るチャンスがありました。三菱ekワゴン ↓ かつての三菱ミニカを彷彿とさせるような四角四面のデザイン、スッキリしていて私は結構好きかも。形が長方形の箱なので、全般的には見切りがいいと言いますか、駐車もし易い。中も大人4人が楽々乗れるほど広いですし、後席を倒せば荷物もそれなりに積めます。 乗り心地は割と重量感があって、軽自動車にしてはどっしりした感じがします。ただ、それと引き換えに走っていてどことなくもっさりと重たい印象で、ハンドリングがいいわけではありません。パワーも若干アンダーパワー気味なのか、アクセルを踏んでもなかなか加速しないところもありますね。もちろん、普通に走っている限り、別に支障があるわけではないですが。 インテリアでは、左側のドアに仕込まれた「車検証入れ」のアイディアが秀逸。逆にセンターメーターはいただけません。このセンターメーターのおかげで、車体左側の見切りだけは非常に悪く、道路の左端ギリギリに停めようなんて時に、この出っ張りが邪魔で邪魔で・・・。これは明らかに設計ミスじゃないかしら。視界を邪魔するセンターメーター! ↓ というわけで、1週間というもの我が家の訪問客としてekワゴンを楽しみましたが、それも今日まで。あちこち万全に整備してもらったR2が無事我が家に戻ってきたのでありました。ekワゴンと乗り比べると、パワー感と軽快感はR2の圧勝、乗り心地の重厚感でekワゴンの勝ち、というところかな。 さて、今日のワタクシですが、このところ自宅のインテリアの大幅チェンジを試みておりまして、その一環としてソファやベッド、書棚など、刷新しようと思っている大型の家具を業者さんに引き取っていただいたりしてました。 で、それが終わった今、我が家ではあちこちの部屋がガランとしておりまして、なんだか頼りないような、寒々しいような、変な感じです。 今回の模様替えのテーマは、うーん、「懐かしモダン」みたいな感じ? で、とりあえずソファを「カリモク60」に変えようかな、と。 「カリモク60」ってご存知? 1960年代に名古屋にある「刈谷木工所」が作っていた家具の復刻版なんですが。 ちなみに、カリモクの家具ってのは、特に地元・名古屋では企業や大学が応接セットとしてよく使ったもので、実際、我が大学でも学長室のソファとか、共同研究室のソファなんかがまさにカリモクでした。復刻版じゃなくて、オリジナルのカリモクね。 だから、私のような家具好きから言わせてもらうと、うちの大学なんかオリジナル・カリモクの宝庫みたいなものなんですわ。 ただ、一般の人はオリジナル・カリモクの価値なんか知りませんから、年代もののカリモクのソファなんかを平気で捨てるんですよね・・・。以前、処分直前の備品を置いておく倉庫に入ったことがあるのですけど、まだ使えそうなオリジナル・カリモクのイスやソファが無造作に打ち捨てられていて、びっくりしたことがあります。あれ、好きな人は修理してでも使いたいだろうと思うのですけどね。 いわば、古いファイヤーキングのマグカップや皿を平気で捨てるようなもんですわ。もったいない! ま、それはともかく、我が家的にはそんなカリモクの復刻版ソファを導入して、なんちゃってミッド・センチュリーを決めようかな、と。 というわけで、この週末はカリモク60を買いに行こうと思っているワタクシなのでありました、とさ。本物のカリモク60じゃないですけど、イメージ的にこんな感じ、ということで・・・。 ↓【送料無料!】【予約販売】レトロ2人掛けソファ/合皮ブラック/カリモク60風の木製ひじ掛けソフ...
May 15, 2009
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『スラムドッグ$ミリオネア』を見に行って来ました。 まあね、一言で言いまして・・・ あの国に生まれたかぁないね・・・。苦労しそうだ・・・。 それはともかく、話としては良くできた話でありまして、ひとつにはスラムで生き延びる中で、色々な知識を否応なく身につけざるを得なかった少年の生い立ちがある。「ミリオネア」のクイズへの解答の一つ一つが、少年の悲しい過去につながっているわけ。 それを考えると、「知る」ってことは不幸なことなのかも知れないと思いますね。逆に「苦労知らず」なんて言葉があるように、知らないってことは幸せなんだな、きっと。 で、もう一方には、「初恋の人を思い続け、探し続ける」という側面がある。これは、たとえば『フォレスト・ガンプ』なんかでもそうですけど、シチュエーション的に切なくも美しい。男のロマンですよね。 で、この二つの要素をうまい具合にくっつけたのですから、この映画、なかなかいいところに目をつけた、と言わざるを得ません。 ま、それでも、映画の作りとして少しずつ詰めが甘いところがあって、ちょこちょこ減点した結果、私の印象点は78点。まあまあってところかな。エンディングのインド風群舞には笑わせていただきましたが。必見! とまでは言いませんが、見てそんなに損した感じはしないと思いますよ。そういうものとして、教授の(ちょっとだけ)おすすめ! と言っておきましょう。 しっかし、ウィークデーの最終上映とはいえ、『スラムドッグ』にはお客が入ってなかったなあ。全部で15人位だったかも。映画館にいた他の連中は一体何を見ていたんでしょう。『おっぱいバレー』かな? ところで、今上映中の映画で、一つ見ようかどうしようか迷っているのは『グラン・トリノ』です。なんか良さそうな映画だけど、監督がイーストウッドでしょう? ワタクシ、これまで彼の監督作品で感心したのが一つもないんですわ。『グラン・トリノ』もアヤシイなあ。 もしこの映画を見た方、いらっしゃいましたら、私の背中を押すなり、引き留めるなり、アドバイスをお願いしまーす。そこんとこ夜露死苦ゥ!
May 14, 2009
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三度の飯よりクルマの運転が好きなワタクシ。これまで確信犯的に「エコ・ドライブ」とは無縁のクルマ・ライフを謳歌して参りました。 ところが・・・。 つい最近、我が愛車アルファ・ロメオのモニターに「レンジ」という項目があることを発見しまして。これ、つまりは「現在の燃料搭載量で、あと何キロ走れるか」を予想した数字が表示されるということなんですが。 で、この航続距離がですね、運転の仕方によって刻一刻と激変するわけですよ。 たとえば信号が青になった途端、一気にダッシュして交差点グランプリに勝利しようなどという走り方をすると、航続距離がテキメンに短くなるわけ。逆に、しずしずと加速し、どんどんシフトアップしていって、なるべくトップギアで走る時間を長くすると、これまた航続距離がテキメンに延びるんです。それこそ何十キロ単位で延びる。 こういう情報がモニターに出るとですね、やっぱり人間の本能として、「限界に挑戦したいっ!」という欲望が生じるんですな。一体、今ある燃料でどれほど長距離を走れるか、その可能性に挑戦したくなるわけですよ。 というわけで、このワタクシにして、いまや涙ぐましいエコ・ドライブですよ。下り坂なんて、絶対アクセル踏まないですもんね。遠くに赤信号が見えると、慣性の法則でそこまで何とかたどり着こうとしちゃったりして。それで、モニターの航続距離が延びると、ひそかにガッツポーズ。 たとえば、今売れに売れているホンダのインサイトには、エコ・ドライブを推奨するモニターが付いていて、ドライバーが燃料消費を抑えるような運転の仕方をすると、メーター類の表示色が変わったり、エコマークが点灯したりして褒めてくれる仕掛けになっています。で、以前、そういう話を聞いても全然ピンと来なかったんですけど、アルファ・ロメオの航続距離モニターを発見してから、めちゃくちゃピンと来るようになりました。エコ・ドライブって、楽しいっ! ウフっ! ということで、満タン63リッターのアルファで、700キロ以上走ることを目指し、また明日もウキウキとハンドルを握るワタクシなのでありました、とさ。
May 13, 2009
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「伯父貴」こと同僚のO教授が眠そうな顔をしていたので理由を問うと、今日は朝の2時半から大学に来ているとのこと。 朝の2時半? それは「朝」ではなくて「真夜中」ではござんせんか? 何でも今日の講義で使う予定だったビデオが、ご自宅のデッキの中でスタックしてしまい、ビデオもデッキも両方ダメになってしまったのだそうで、仕方なくその時間から大学に来て、デジタルソースからもう一度ビデオを作り直したのだとか。ひゃー、ガッツあるなあ。私なら、当然、「わりー、わりー。今日見せようと思ってたビデオがぶっ壊れちゃったので、今日は臨時休講ね」と、こうなるところですが(爆!)。 で、O教授曰く、「久々にそんな時間に大学に来たけど、この大学、不夜城だな・・・」。なんでも、さすがにその時間だと大学には人っ子ひとり居ないだろうと思いきや、案外、そうでもなかったんですと。 まず学生たちが遊んでいる。校舎の前のガラス戸を鏡にして、踊りの練習をしている連中が結構いるんですって。その外、理系の実験室には煌々と明かりが灯り、文系の院生室からも賑やかな笑い声が聞こえてくる。で、驚くべきことに一部事務職員までその時間、まだ仕事をしていたそうで。 ほ、ほう。深夜2時半の大学って、そんなに賑やかなんですか・・・。 で、そんな話を聞いて、昔、私の恩師から聞かされた話を思い出したのですけど、私の恩師が若かりし頃、授業中に不良学生たちがずっとニヤニヤしているんですって。 で、授業後、その連中が私の恩師のところにやってきて曰く、「先生。先生が授業の時に使っておられるその教壇ですが、昨日の深夜、その教壇が何に使われたか、ご存じですか」と。 どうもその連中、真夜中の教室の教壇の上で、女子学生と何かしたらしいんですな。 「昔は面白い学生がいたもんだよ。そいつらはみんな、石原慎太郎や裕次郎の遊び仲間だったんだけどな」と、我が恩師は懐かしがっておられましたっけ。 ま、我が勤務先大学の教壇の上で、深夜、何が行われているかは知らず、太陽族の時代から今日に至るまで、深夜の大学ってところは、なかなか面白いところのようで。 というわけで、後学のために一度、深夜の大学を訪れてみようかしら、なーんて思っているワタクシなのでありました、とさ。
May 12, 2009
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深夜に茶会を催す習慣の我が家では、当然、この時間帯のテレビ番組をチラ見することが多いのですが、中でも青木さやかさんが中心となる『美しき青木ドナウ』という番組はお気に入りの一つ。 私、青木さやかというタレントについて従来、どちらかというとマイナスなイメージを持っていたのですが、この番組を知ってから彼女に対する好感度が増しました。結局、真面目な人なんで、その真面目さがこの番組では面白い形でよく出ているんですね。 ちなみにこの番組は週替わりで色々な企画をやるので、どういう番組と一言で言うのは難しいのですが、たとえば女性タレントを何人か集め、彼女たちの恋愛の実体験などをもとに、「こういうシチュエーションでは、どういう対応をするのがいい女か」というテーマでディベートをする、というような企画をやることがある。 そのシチュエーションというのは実に他愛のないもので、たとえば「後輩の女の子が、今自分が付き合っている男性に対して好意を抱いていることを表明し、いわば宣戦布告してきた。この場合、そのことを相手の男性に言うべきか否か」とか、あるいは「好意を抱いている男性といい雰囲気になってしまったが、まだはっきり付き合っている状態ではない。そこで『まだ付き合っているわけではないのでダメ』と言って断ったところ、相手の男が『じゃあ、付き合おう』と言ってきた。この場合、その言葉を信じて、その場で行くところまで行った方がいいのか否か」といったようなことなんですが。 でも、このディベートがなかなか面白くて、女性タレントの皆さんがそれぞれ独自の立場から色々な意見を言う、その意見が皆、それなりに説得力があって、なるほど、そういう風に考える人もいるんだ・・・という発見があり、それがすごく勉強になるんです。 で、その中でも青木さやかさんのディベートは、特に説得力があるんですよね。色々な経験を踏まえ、自分自身を大切にすることを基本線に据えながら、相手の出方にも気を使った対応をすることを心がけているのがよく分かる。 ま、この番組のいいところは、青木さんもその他のタレントの方々も、それぞれ大真面目に討論していることで、やはり良質のエンターテイメントは真面目さから生まれる、という鉄則が、ここでも通じるようです。また討論を要領よく捌くビビる大木氏の司会ぶりも、とてもいい。 といういことで、大真面目なエンターテイメント『美しき青木ドナウ』、教授のおすすめ!です。願わくばこの番組がゴールデンタイム枠に移動しないことを。この番組は深夜枠でこそ輝く番組でございます。
May 11, 2009
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変な夢を見ました。 自分の部屋に水槽を入れることになりまして(多分、昨日、部屋の片づけをしたことが下地にある)。 で、どうせなら水槽の中に自分で釣った魚を入れようということになり、近所の海で糸を垂らしたら、小さなハコフグが釣れた(今年3月25日のブログ参照)。で、そのハコフグを水槽に入れて楽しんでいたのですが、それを見ていた友人が、「水槽の中にアマゾン川の水を入れると、餌になる小動物が沢山含まれているのでいいよ」と言って、アマゾン川の水を分けてくれたんです。 で、見ていると確かに小さなプランクトンなんかが泳いでいるし、藻も生えてきた。ハコフグの餌にもなるだろうからこいつは都合がいいと喜んでおったわけです。 しかし、そこからが凄かった。さすがアマゾン川の水、見ている間に藻が生茂ってきて、たちどころに水の色が抹茶色になり、さらに水に混じって入ってきた魚の稚魚らしきものがどんどん大きくなっていくんです。 で、なんか知らないけど、抹茶色に濁りきった水の中で何かが蠢いているような気配がし出したので、一体水の中に何がいるんだろうと、今度はその水槽の中に釣り糸を垂らしてみた、と。するとものすごい引きがありまして・・・。 しばし格闘の上、釣り上げてみたら、何と30センチにもなんなんとする獰猛そうなピラニアが釣れてしまった・・・。で、おいおい、俺、こんなものを飼うつもりないんだよ~! と叫んだところで目が覚めました。 夢分析するに、過去の中には危険な過去もあるから、調子に乗ってあまり掘り起こすなよ、という警告ではないですかね。 さてさて、そんな話はさておきまして、今日のことを一つ。 前に書きましたが、最近インターネット・ラジオに凝っておりまして、パソコンで原稿書きなんかをしながらその裏で鳴らしているのですが、いかんせんパソコン付属のスピーカーではあまりにもプア過ぎてどうしようもない。 で、パソコン用のスピーカーでも買ったらどうかと思い、今日の夕方、急に思い立って近くの家電品店に行ってみた、と。 すると数種類のPC用スピーカーがあったのですが、値段の高い奴は独自のAC電源が必要なタイプで、値段が中くらいの奴は乾電池を入れるタイプなんですね。で、その他にUSBでパソコンにつなぎ、パソコンから電気を供給するタイプもあって、これはべらぼうに安い。しかし、自分の部屋の構造なんかも考えると、一番都合がいいのはパソコン自体を電源にするこの安いタイプだよなあと思い、そのタイプで3種類あった中からどれが一番いいかを慎重に選んでいたんです。 すると女性の店員が寄ってきて、「スピーカーをお探しですか?」などと訊ねてくる。で、悩んでいた3種類の中でどれが一番良さそうか、プロのご意見を伺ったところ、よくわからんということで、上司を呼んできてくれた、と。で、私と女性店員と上司の男性店員と3人で頭を突き合わせて選んでいたんですが、そのうちに私も段々恥ずかしくなってきまして。 だってその3種類、どれも850円ほどだったんですもん(爆!)。 四十代も半ばを過ぎたいい大人が、850円の買い物をするのに店員さん二人を悩ませるってのもねえ・・・。 ということで、ワタクシ、清水の舞台から飛び降りる心意気でその中の一つ、サンワサプライの製品をわしっと鷲掴みにしてレジに向かったと御思いくだせい。 で、家に戻ってセッティングしてみると、お、なかなかいいじゃないですか。少なくともパソコン付属のスピーカーと比べたら月とスッポンだ。850円の投資でこの見返り、悪くありません。おまけにセッティングによって、音の調整も色々できたりして結構面白いゾ。 ということで、ワタクシ的にはすっかり満足の逸品なんですけど、インターネットラジオで気軽に音楽を楽しんでいらっしゃる方、サンワサプライのPCスピーカー、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓サンワサプライ USB電源マルチメディアスピーカー(シルバー)【税込】 MM-SPL2U-SV [MMSPL2USV]
May 10, 2009
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先日、古いマックを処分することを決意したことを書きましたが、実は今日日、古いパソコンを処分するのって結構大変なんだ、ということを思い知らされました・・・。 いや、こういうのって、どんなに古くともマックにはマニアというのが居て、売ろうと思えば売れるんだと思っていたんですね。しかし、重いマックをようやく車に積み込んで近所のハードオフに行ってみたところ、店長さんに「あ・・・。こういうブラウン管モニターのパソコンって、もう扱ってないんですよね。こういうのは市役所に頼んで処分してもらうしかないですよ。」と言われてしまったのでした。 そ、そうなんだ・・・。 で、トホホな思いを胸に家に帰って改めて調べてみると、古いパソコンを処分するには4000円程度の費用が掛かることが判明。ま、しょうがないですね。清く正しく処分するために、しかるべき手続きを取りましたわ。 ところで、マックを処分したついでに、他のいらないものも一気に処分して、部屋の片づけをしちゃおうと思い立ちまして。何せ、ひどい状態だったので。 で、片づけを始めたら、もう止まりません。今までほったらかしにしていた反動で、今度は片づけの情熱に火がついてしまった! とりあえず必要ないものを捨てようと思って分別をし始めたんですけど、まあ、必要のないものが沢山あるんだ、これが。よくもまあ、こんなものまで取ってあったな、という感じ。で、それらを全部ゴミとして出したら、そうですね、大型のごみ袋換算で7袋分くらいは優に排出したでしょうか。 でも、おかげでスッキリした~! 部屋が軽くなった感じがします。 ってなわけで、今日はまったく勉強する時間がなかったんですけど、部屋がスッキリしたので良しとしますか。明日は、片付いた部屋で気分よく仕事するぞ~!
May 9, 2009
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私は朝、新聞を開くと、まず第一に訃報欄に目を通すのですが、今朝の新聞の訃報欄に「宮腰太郎」氏のお名前を見出してあっと思いました。ついに、「あの」宮腰太郎氏が亡くなったのか・・・。享年81歳。 宮腰太郎さんと言っても、馴染みのない方も多いかと思いますが、彼はラジオ番組の放送作家です。ま、私が知っているのは、「小沢昭一的こころ」というTBS系のラジオ番組に係わっておられたということだけですが。 私もこのブログを「○○については、また明日のココロだ~!」などと締めくくることがありますが、このフレーズはもちろん「小沢昭一的こころ」の真似です。名古屋に赴任してからあまり聴くチャンスがありませんが、東京に居た頃は、中学生くらいの頃からよくこの「おとーさん向け番組」を聴いていたもので。 系列局によって放送時間帯は異なるのかも知れませんが、東京では夕方の5時半あたりからの放送でね。ちょうど夕日が射してきて、そろそろ一日も終わろうか、という微妙な時間帯なんだ、これが。で、この時間になるとラジオからちょっと時代を感じさせるような音楽が流れてきて、「小沢昭一的こころ」が始まる。女性アナによる「小沢昭一の小沢昭一的こころ。口演:小沢昭一、筋書き:宮腰太郎、お囃子:山本直純」というコールを、私は何度聞いたことでありましょう。 で、このコールの後、5分だか10分だかの小沢昭一さんによる絶妙のトークが始って、私もそれに聞き惚れるわけですけど、この小沢さんの話芸を支えているのが、「筋書き」を担当している宮腰太郎さんという方なんだなあ、ということは何となくいつも意識していた。「脚本」とか「台本」ではなく、「筋書き:宮腰太郎」というところが、おっと思わせるところですけどね。この辺の言葉のこだわりは小沢さんによるものか、はたまた宮腰さんご自身によるものなのか・・・。 で、その宮腰さんが、亡くなられた、と。むろん、今でも「小沢昭一的こころ」は続いているのですから、宮腰さんの後を継いで、どなたかが「筋書き」を担当されているのでしょうけれども、ずっと昔からあの番組を愛してきたワタクシからすれば、長谷川町子亡き後の「サザエさん」を見るような、そんな気がします。 小沢昭一さんとしても、ご自身とほぼ同世代の宮腰さんという相棒を失って、さぞお悲しみのことでありましょう。そういえば、同番組の「お囃子」を担当した山本直純さんも、随分前に亡くなられましたしねえ。 ということで、今日は昭和の語り部・小沢昭一さんを陰で支えた「筋書き」作家、宮腰太郎さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
May 8, 2009
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ワタクシもついにパソコンの愛機、マック・パフォーマ575に別れを告げる決意をしました。もはや電源を入れることすらないデスクトップ・パソコンを書斎に置いておく余裕がなくなったもので。 ま、既にデータの引っ越しはとっくの昔に済んでいるので、あとは確認だけなんですけど、やっぱりこの時代のマックって可愛いですなあ。久しぶりに触ってみると、改めてマックの良さがよく分かる。 で、これが最後だとばかり、マックに付属しているゲームを2、3やってみた、と。 もちろん、今から十数年前のマックに付属しているゲームですから、シューティング・ゲームが大半。いわゆる「スペース・インベーダー」的な奴ですな。こちらに向かって撃ってくるインベーダーの弾を右へ左へ避けながら、こちらも撃ち返して相手方の宇宙船を撃沈する、みたいな。 で、久々にこういう原始的なゲームをやってみたら、これがね、すっごく面白い。家内と一緒にしばしキャーキャー騒いでしまいましたよ。 ま、こういうと語弊があるかもしれませんが、空想空間内で撃って撃って撃ちまくるというのは、ストレス発散にいいですね! なんか人間の中に、敵を思う存分やっつけたいというような願望があるんじゃないかしら。 それにしても久々のシューティング・ゲーム、面白かったなあ。今のゲームってのはよく知りませんが、ロール・プレイングだったり、結構面倒なんでしょ? ワタクシなんぞはそんな面倒臭いゲームより、スペース・インベーダーの方が楽しめますわ。 ということで、愛機マックの私に対する最期のご奉公は、ゲームを提供してひと笑いさせてくれたことだったのでした。・・・なんてことを書くと、また別れ難くなってしまいますけどね。 我がマックよ、今までワタクシに仕えてくれて有難う! この先、君にどんな余生があるのか知らないけど、達者で暮らせよ~!
May 7, 2009
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父が朝からガッカリしたような声を出したので、何かと思ったら、「明日は新聞がない」ということを嘆いていたのでありました。 そういえば、ちょっと前までと比べると「新聞休刊日」というのが増えましたね。一年に何回あるのだろう? ま、毎日毎日、あれだけの分量の情報を編集し、出版し、配達するというのは並大抵のことではないので、新聞関係者を休ませてあげるためにも「新聞休刊日」を設けること自体、私は仕方ないことと思います。 しかーし! 全ての新聞社が一斉に休む必要って、どこにあるの? たとえば、大新聞の休刊日をそれぞれずらしたらどうなんでしょうか? たとえば、我が家がとっているY新聞は今日は休刊日だけど、A新聞やM新聞は普通に出しているとすれば、散歩がてらちょっとコンビニまで行ってA新聞やM新聞を買うことができるじゃないですか。そういう風にして、各新聞社が休刊日をずらせばとてもいいと思うのですけど、いかがでしょう。たまに他の新聞を読むのも楽しいですしね。 ・・・と、ここまで書いて気がつきました。わかった。あれはきっと新聞社の都合というよりは、新聞の宅配所の都合なんだ。宅配所によっては複数の新聞を取り扱っているところがありますから、一社でも新聞を出せば、それを配達しなくてはならなくなる。だからすべての新聞が一斉に休刊しないと、宅配所の人たちが休めなくなるんだ。なるほどね・・・。 自分で問いを出して自分で答えてしまったという・・・。 でもさ・・・。 でも、なんかやりようがないかしら。たとえば、新聞の休刊日にだけ特別号を出す部門を各新聞社に作っておくとかね。で、それには時事報道は一切載せず、文化面を充実させた特別号にして、宅配はせず、駅売り・コンビニ売り専用にする。そんなんでもいいと思うのですが、いかがっしょ? とにかく、私の父のように、日々、新聞を楽しみにしている人というのは世の中にゴマンといるわけでして、その人たちの一日を空白にしないためにも、「新聞休刊日特別号」の刊行を、各新聞社に提案したいのであります。 さて、5月の連休もいよいよ今日でおしまい。今日はこれから名古屋に帰ります。ま、下りですので、東名高速もさほど混まないと思うのですけど、どうなんでしょうか。また明日からは名古屋からのお気楽日記、どうぞお楽しみに~! ワタクシのお気楽日記に、休刊日はありませんぞ~!
May 6, 2009
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親友Tのお見合いですが・・・ 大・成・功! いや~、なんだかTも、お相手のお嬢さんも、会った途端にスパークしちゃったみたいで、もう話す話題のすべてで意気投合したらしく、初めて会ってから数時間を経ずして、もう離れがたいみたいな雰囲気になってしまったそうで・・・。当然、なるべく近いうちの再会を約したと言いますから、これはひょっとすると、この勢いのまま行くところまで行ってしまいそうですなあ。 そういうことも、あるんですねえ・・・。 といういことで、私も前言撤回。お見合いもまた、愛の偶然が作用する奇跡の出会いの場であーる! と、認めざるを得なくなったのでありまーす! しかし、私も嬉しいですわ。親友の中で、この歳まで独身なのはT一人。コイツ、もう結婚する気ないのかしら。あったとしても、もう相手がいないよなあ。ま、一生独身ってのもある意味、気楽でいいのかな。でも、そういうロマンスが一度もないってのも寂しいよな・・・なーんてアレコレ思っていたわけですけど、そのTについに天使が現れたってんですからね。 Kさん、どうかTのこと、見捨てないでください! もし話がいい方に進んだ場合、「ええ、お受けします」って答えてください! Tの奴に電話で「お前、いいゴールデン・ウィークになったな!」と言ったら、「ゴールデンどころじゃねえよ、プラチナ・ウィークかダイヤモンド・ウィークだよ」ですって! あっはっは! そうか、そうか。本当、良かったなあ、お前! ということで、Tの多幸症が乗り移って、私までココロ晴れ晴れの端午の節句だったのでありました、とさ。メデタシ、メデタシ。
May 5, 2009
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RCサクセションの忌野清志郎さんが亡くなりましたなあ・・・。 漏れ聞くところによると、ビートたけしさんが「癌は岩、すなわちロックだから、忌野清志郎は死ぬ時もロックだった」というような趣旨のコメントをされたとか(未確認)。いいコメントですね。もし忌野さんが本人が聞いたら、我が意を得たりと喜んだことでしょう。 といって、私自身はRCサクセションや忌野さんのファンだったということはないので、特にコメントすることはありません。大した思い入れがないのに、人の死に対して云々するのもよくないかなと思いまして。ただ「雨上がりの夜空に」という曲、あれはなかなかいい曲でしたな。ま、私もいわば暴○族みたいなもんですから、「こんな夜にお前(クルマですよ、クルマ!)に乗れないなんて」という気持ちはよく分かる。 さて、今日は珍しくずっと原稿を書いていました。そう、私だってねえ、大学の仕事以外の自分の仕事は決して嫌いじゃないんですよ~。で、割と捗って、なんか終わりが見えてきた気がします。あともう一息かな。原稿書きの仕事では、終りが見えた頃が一番、心地よいのですけどね。 というわけで、今日は仕事面で充実していた一日だったのでした、とさ。
May 4, 2009
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さて、昨日のブログにも書きましたように、明日見合いをするという友人に会って、話を聞いてきました。 で、お相手のお写真も見せてもらったのですが、見たところすごくしっかりした、意志の強そうな感じの方で、一言で言えば美人さんでしたね。特に目に力のある人で、写真ですらこれだけ目に輝きがあるのですから、きっと直接会ったらもっと強い印象を与える女性ではないかと。 で、ご出身が西の人ということもあり、私の親友のTなんぞ、実質尻に敷かれるんじゃないかしら。いや、おそらく向こうはさらにその上を行って、表面的にTに花を持たせるようにしておいて、実際の家庭内権力はしっかり握ってしまうのかもね。ま、そのような賢い女性とお見受けいたしましたが、どうなんざんしょ。 写真一枚で、よくそこまで言うよね~っ! とにかくTと私は兄弟みたいなもんですから、もし奴がこの人と結婚すれば、私とても今後長い付き合いになるわけで、そういう意味で、私としても非常に興味があります。本当に写真からお見受けするような美しく賢い女性だったらいいんですが。 ところで、問題は「お見合い」です。 ま、この世にはお見合いで結婚して、この上なく幸せに暮らしていらっしゃるカップルがゴマンといますので、ワタクシとしてもその効用を認めないわけにはいかないのですが、じゃ、自分がお見合いで結婚することを想像できるかというと、これは想像できない。まったくできません。 ロマンチストですからね、ワタクシは。「偶然の奇跡」っつーものを信じたいわけよ。 その点、お見合いってのはその対極じゃないすか。互いの条件を双方睨み合って、「これなら、まあ・・・」というところからスタートするわけでしょ。それがね・・・。ま、人に言わせると、そういう条件合わせが結局はトラブルのない幸せにつながるんだ、というわけですけれども。 でもね、男が見合いをするのは、まだ分かるんです。男は、基本、馬鹿だからね。目の前にとりあえず若く清楚な見目麗しい女性をポンと置かれて、「どうでしょう?」と言われれば、そりゃ一瞬でのぼせ上るでしょうよ。 しかし、じゃあ女性はどうなのかと。目の前に置かれた男を見て、どう思うのか? 「ふんふん、これが○○大学出て、××社に勤めている将来有望な男か。ま、あまり見た目はパッとしないけど、優しそうではあるし、安定株と言えば言えるかもね。この先、この条件以上の男が現れるかどうか分らないし、この辺で手を打っておきますか・・・」などと思うのかしら? 女性は賢いから、その辺の計算ができそうですしね。 そういう風に考えると、世間の常識とはまったく逆に、女性というのは実人生にさほどロマンスを求めていないのかも知れませんな。あれ? そっちが世間の常識だっけ?? いずれにせよ、私の狭いんだか広いんだか分らない経験則から言いますと、美しく、気立てが良く、能力の高い女性が、恋愛方面で恵まれる可能性は案外低く、とりあえず優しくて、それなりにいい条件をもっていながら、見た目・物腰その他もろもろがパッとしないために、恋愛方面で恵まれない男性は案の定多いので、その両者がお見合いで出会うことは多いと思うのですよね。 ということは、中学・高校・大学・職場を通じてずっと女性にもてなかった「堅物クン」が、お見合いで起死回生、俄然、良家の美しいお嬢さんを娶る可能性は高いと。そういう理屈になるわけです。実際、そういうケースは多いですし。 つまり、結婚レースで最後に勝つのは、案外、そういうパッとしない男なのかも・・・。そう考えると、あれか、やっぱりお見合いってのは、いい制度なのかもね、ある意味。 あ、ちなみに私の親友のTは、私以上のロマンチストにして、私の500倍くらい洒落者なんですけどね。全然堅物じゃないし。そのTが、よくお見合いすることを決意したなあと、私も実は意外なんですが。 ということで、大親友のお見合いを機に、色々なことを考えた今日のワタクシであったのでした、とさ。さてさて、読者諸賢の「お見合い観」や如何に?
May 3, 2009
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GWも山場を迎え、今日は東京の実家に戻ってきました。 もちろん東名高速を使ってクルマで帰省したのですが、いつもの2時間増し、6時間かかりました。ま、それでも上りですからね。下りの混雑よりはマシだったかも。 にしても、私も用心して、いっそ朝の3時か4時頃家を出て、渋滞が始まる前に実家に戻ってしまおう、などと一瞬考えたんですよね~。でも、超夜型人間のワタクシにそんな真似が出来るわけがないと思い直し、いつものように午後に名古屋を出発したんですが、それが正解だったみたい。今日、東名が一番混んだのは夜明け頃から午前中にかけてでしょ? 皆、考えることは同じなんですな。 さて、明日は親友のTに会うことになっておりまして、Tの奴め、一生結婚しないつもりなのかと思いきや、ついに重い腰を上げて明後日、お見合いをするというので、明日はお相手の方の写真を見せてもらって、色々と事前のトークを繰り広げる予定。他人事だけに楽しみ~。 ということで、今日はこの辺で。みなさん、おやすみなさーい!
May 2, 2009
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今まで「インターネット・ラジオ」というものの存在こそ知れ、特に興味を持っていなかったワタクシ。しかし、何だか急に興味が湧いてきまして、このところ、あれこれトライしているのでございます。 で、探すとなると、当然ジャズ系のインターネット・ラジオでいいのはないかしら? ということになるわけですが、見つけちゃいましたよ、いい奴を。 ひょっとしてその筋では既に有名なサイトなのかも知れませんが、「AccuJazz.com」というサイト。とりあえずヤフーでもグーグルでも、「AccuJazz」でキーワード検索してみて下さい。すぐに見つかるはず。 で、当該のサイトに行ってみますとね、ほーれ、様々なジャンルのジャズがずらり。ピアノ系、トランペット系、サックス系、ギター系・・・といった楽器別のコーナーあり、モダン系・フュージョン系、スウィング系・・など傾向別のコーナーあり、はたまた特定のアーチスト別でも項目立てしてあって、何を聴くかはその日・その時の気分で選べばいい。 で、あとはクリックするだけで、ゴキゲンなジャズがパソコンから流れてくるという仕組みです。こうなるともう、家に「有線」を引いたのと同じですなあ。しかも有線と違ってお金を払う必要もないのですから、さらにゴキゲンです。 ・・・しかし、そうなると問題はパソコンのスピーカーですなあ。さすがにパソコン付属のスピーカーでは貧弱過ぎて、単に音が聴こえているというレベルでしかない・・・。ジャズのように、楽器そのものの音質を楽しむ音楽ジャンルですと、これは致命傷です・・・。 ハッ・・・! それ用にスピーカーを買えばいいんだ・・・。 ややわざとらしく気づいてみましたが、そうなんですよね。パソコン用のスピーカーを買えばいいんですわ。ま、こういうのはピンキリですけど、多分、1万円も出せば、そこそこ音の鳴るものがあるんじゃないでしょうか。もちろんそんなもんじゃ、大したレベルではないですが、別に本格的なオーディオとして聴くわけじゃないしね。 ということで、インターネット・ラジオの存在に今更気づき、またちょっと生活に楽しみが一つ増えたワタクシなのでありました、とさ。皆さんもインターネット・ラジオ、活用してみてはいかがでしょうか。音楽だけでなく、ニュースとか、そういうのも色々ありますよ。それこそ語学の勉強として聞き流すのもいいかも、ですよ~!
May 1, 2009
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