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総務省の日本全国人口移動の調査で、我が町のさいたま市が全国一位9282人。0~14歳の転入超過数は1520人。私自身、日本各地(たかが5県ですが)様々な地域に住んでさいたま市が一番長く住んでいます。冬の晴天率が高く、大宮は交通が便利で、緑地の多い環境です。そして、災害も少なく住みやすい街であることは確かです。リモートワークが進んだこの3年、都心より家賃も住宅価格も手ごろ。鉄道の便利さは格別で、週に1回ほどの通勤なら不自由しない。ショッピングや病院や学校など生活環境は整っています。子供の医療費もかからないさいたま市は子育てにも便利。朝刊のニュースではリモートワークが進んでも都心回帰の傾向もあって、東京集中が再加速しているとのことで転入超過は3万8千人超。そして、首都圏の神奈川、埼玉、千葉も転入が増えているとのこと。副都心に勤める娘の同僚も、今、大宮で家を探しているとのこと。勤め先への交通に便利で、自分の実家へも便利と言う理由。私も37年前に大宮を選んだのは主人と私の勤め先に便利なことと、両方の実家へのアクセスが良いことでした。大宮の東側は公園も広くて四季折々の自然が楽します。
2023.01.31
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28日夜の「プラタモリ」は栃木県の足利市でした。そして16世紀ごろには3000人以上の学徒がいた「足利学校」が紹介されました。戦国時代の大将たちの判断を左右した易学。足利学校は易学の最高峰の学問所。タモリさんも「足利学校出身者が今の東京大学なみのステータス」だったの?と。徳川家康の関ケ原の戦いの顧問として足利学校の校長が活躍していた。徳川家康の師でも友人でもあった「天海」も足利学校で学んでいた。武田信玄の人材募集にも足利学校出身が条件と記入されていた。古代からの街づくりや城づくりには易学の知識が基盤となっていた。「算命学も中国の戦国時代に勝利に導く学問として確立した」一子相伝で限られた人間に伝授された易学がコンピューターの発展で、私レベルの頭脳でも理解できる学問として勉強できる現代はありがたい。私が足利学校に初めて行ったのは2008年5月で、2月のクルーズ旅行で仲良くなった足利の方から招かれた。建物の佇まい、古代からの書物の山、宿舎跡、風情ある庭。すべてが素晴らしくて、この学舎で多くの書物をむさぼるよう読んだであろう古人に思いをはせた。藤が見事な5月のフラワーパーク以上に印象に残った「足利学校」その後も2度ほど行ってみた。
2023.01.29
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「明治記念館でのランチと迎賓館見学」友人が企画してくれた新年会でした。家康の江戸が現代の東京にどのように変わったか興味津々の私にはピッタリの企画でした。「迎賓館赤坂離宮」は御三家の紀州徳川家の江戸屋敷跡に1909年(明治42年)に建設されたものだそうです。流石に御三家、広大な庭園の噴水も和風別館の遊心亭も合わせると広大な敷地です。当初は皇太子(大正天皇)の東宮御所として建設されたそうです。ネオ・バロック建築の迎賓館も噴水も今では国宝とのことです。徳川家康が利根川の流れを変え、水道をひき、安心して人が暮らせる都にした江戸は大政奉還後はすっかり天皇の都になったのですね。明治維新で戦ったのは武士たちで、戦わずして「君主」となれる天皇家。秀吉に命じられて所領として移り住んだ家康が苦労をして住みやすい江戸にした過程を読んでいる私は、改革の苦労せずに移り住んだ天皇家が日本の首都の徳川家の城に住んでいる。・・・納得できないものを感じてしまいます。鉄筋をアメリカから輸送して、煉瓦は東京駅の何倍も使用して作った「ネオ・バロック様式の洋館」は迎賓館としての維持費も莫大なものだろうと思うのです。その反面、贅を尽くした迎賓館赤坂離宮の東側奥に建つ和風別館「遊心亭」は前庭が見える47畳の和風広場、天婦羅や鮨を即席提供できるカウンター席ある部屋、椅子に腰かけてお茶をいただける茶室など、日本的なおもてなしができる場所に思えるのです。昨日、24日の東京は良い天気でコートを脱いで見学できたほどです。見学後に前庭のカフェでお茶を飲んで30分ほどしてから外へ出たら、外は北風が強くなっていて、急激に気温が下がってきていました。夕方から荒れる予報通りと大急ぎで帰途につきましたが、新年会のメンバーは東京・千葉・埼玉と首都圏なのに、遅延や運休が相次ぎました。雪の降らない首都圏でさえ交通が大混乱して24日は、大寒波襲来の日本列島は日本中の交通が大荒れしたとのニュース。国宝の赤坂迎賓館と噴水I心がこもったおもてなしができそうな遊心亭
2023.01.25
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首都圏有数のターミナル駅の大宮駅から2~3kmの我が町唯一のスーパーマーケットが10日に閉店した。歩いても自転車でもすぐに行けるスーパーの閉店は本当に不便。ペーパードライバーだった私は運転免許返納してしまっているので、日常の買い物にも主人に車を出してもらわなければいけない。先日はバスで行った駅近くのデパートで買い物したらあまりの重さで帰りはタクシーを利用した。(主婦感覚ではもったいない)ターミナル駅に近くても静かな住宅街の我が町。1・2・3丁目まであってスーパーが一つだけでした。隣の2丁目の95歳のオーナーのやっているカフェは移動スーパーが来る日だけ店を開ける。移動スーパーに買い物に来る人が車を待つ間、買い物した後カフェでコーヒー飲んだりビール飲んだりしていて驚いていた。高齢で1km圏内のスーパーも遠いと感じていた近所の人が利用していた。3丁目の我が町内にあったスーパーが閉店になって、本当に不便。調味料を買い忘れると、次の大量買いで車を出してもらうまで待たないといけない。喫茶店を出し損ねた我が家の隣地に「移動スーパーに来てもらったら買う人いるかしら?」と主人に話したら「高齢者が多いけど、商品価格にプラス2円かかるなら、いるはずないよ」と主人は取り合わない。コープも週1でたのんでいるけど、やはり生鮮食品は品物みて買いたい。機械置き駐輪場しかなくなった駅近くには自転車(アシスト式で幅広く重い)で行きたくない私は、この10日ですっかり買い物難民気分。氷川神社にも大宮公園にも近いスーパーは駐車場が買い物以外の人が使う場合も多かった。この通り沿いは最近宗教団体に買い占められていて、コンビニもストアもなくなって行く。スーパーの跡地には「食料品店」が来てほしい。そうだ、「先日見たポツンと一軒家の3Dプリンターハウス建てて隣地に移動スーパーに来てもらおうかな」
2023.01.21
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日本人の4分の3が固定宗教をもたないと言われているのに、初詣は日本人の大勢の人たちが初詣する不思議。世界の人々が見ても不思議でしょうね。今、戦国時代の本を読んでいる中でも「宗教と平和」の問題を強く感じます。徳川家康の知恵袋の南禅寺の崇伝(すうでん)、心身の友であり師であった天台宗寛永寺の天海。徳川家康の戦国時代を終わらせて260年もの太平の時代を築けたのは、この二人の知恵と協力があったからかもしれないと思うのです。「建国以来、大国の植民地にならず独立国であった日本」中国から仏教が伝来しても、日本の宗教の一つとして、神仏両方の信仰は続き、戦国時代は欧州からキリスト教伝来と植民地化の波を崇伝と天海の力添えで防ぎ、小国の日本が平和な独立国として存在で来た。政治と宗教の問題は何時の時代にもあるようですが、家康の懐刀であった二人の僧の知恵が260年の太平の徳川時代の礎になったのかもしれないと思ったりします。そして現代も、クリスマスを祝い、祝い事は神社に、葬式は仏教に、固定宗教を持たなくても八百万の神の存在を感じる日本人の宗教観が日本の国を発展させてきたのではと思ったりするのです。それにしても、崇伝と天海のような知識を持つ宗教家は今もいるのでしょうか?黒衣の宰相 上 徳川家康の懐刀・金地院崇伝 (朝日時代小説文庫) [ 火坂雅志 ]地の日 天の海(上) (角川文庫) [ 内田 康夫 ]天海 [ 三田誠広 ]
2023.01.20
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今年は自分にとってどんな年になるかを観る時に10年前の出来事を観ます。年運で同じ十大主星が回っているからです。大運も違うし、干支も違うのですが、私の今年の年運の十大主星は「玉堂星」玉堂星は陰の習得本能で古典や伝統など既存の学問の習得や情報収集など勉強など。10年前の私は地元FM局の週1回1時間番組のパーソナリティをしていて、原稿も進行も選曲も自分でやっていました。その中の一コマに「古事記」のシナリオを書いて声優志願の相棒に朗読してもらいました。何か月かかってイザナギ、イザナミから神武天皇誕生までを終えた時に、「ここまでをCDにできたら良いね」と話したら、なんとCD化が実現できました。今、思い返しても「言霊(ことだま)の不思議」を感じます最近、東京ー江戸ー家康ー天海に関する本を読みあさっていたのですが、10年前は古事記に関する本を読んだり、絵画を見に行ったり、宮崎を旅したりしました。12月に東京~大手町~内堀~行幸通り~と散策した時に、「NHKのプラタモリ」でタモリさんが皇居付近を散策して解説しているのをみてから、徳川家康の江戸造りに興味をもちました。NHKの大河が「どうする家康」のせいか、テレビでも「家康」が取り上げられることが多くて、よけいに刺激されたようです。図書館から借りたり本を買ったりして江戸の初期の事を読み漁っています。10年前は「古事記」をCDにできたのですが、放送の仕事もやめた今、この「家康の江戸造り~明治からの変貌~現代の変貌」の知識をどう生かすかはわからないのですが、年運の「玉堂星」が今の私を動かしているような気がします。本好きと言ってもストーリー展開に興味を持つタイプの読書の私が、知識や情報を得るための読書をするのは「玉堂星」のせいのようです。大運は貫索星が去年から回っているのですが、自立、独立、頑固の星の貫索星ですが、この年齢での貫索星では起業や独立など無理だと思うので、せめて年運の玉堂星を活かした年にしたいと思うのです。私の十大主星は土星(引力)が2、火星(伝達)が2、水は龍高星が1つ。今年の自分の運命は占い師の私にとっても予測が難しいのですが、星を活かした生き方が流れを作ってくれて前進力も満足感もあるはずです。年運は短い運気です。命式に持つ十大主星と大運が運命形成に影響するのですが、命式に持たない「玉堂星」所有のこの1年、大いに勉強したいと思っています。家康、江戸を建てる (祥伝社文庫) [ 門井慶喜 ]治水(川の流れを変える)・上水・金融・石垣など江戸造り。徳川家康(1) (山岡荘八歴史文庫 山岡荘八歴史文庫 23) [ 山岡 荘八 ]60年前のベストセラーで私も昔し読みましたが全20巻以上で再読する気にはなれません。
2023.01.12
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三世代で楽しめるホテルを探してこの冬は「ロッテアライリゾートホテル」にしました。新幹線で大宮から1時間半、妙高駅までホテルの送迎バスあり。40代の次女ファミリーと私たち夫婦(70代40代中1小3)のとスキーしなくても楽しめるリゾートホテル。スキーのゲレンデやリフト乗り場はホテル前にあって、とても空いていて小3の孫も一人でリフトに乗っても安心できるスキー場。温水(温泉)プール・トランプリン・ボルダリング・卓球場・ビリヤード場・もちろんジムやバー図書館などスキーしない人も楽しめる施設がある。ロッテの本社は韓国のせいか、従業員や客の大半は外国人で、日本語がなかなか通じない。「図書館に行きたいのですが」とスタッフに聞いたらトイレに案内された。「ライブラリー」と言ってやっとわかってもらえたが、英語が公用語なのか?でも、図書館が素晴らしかった。広すぎるスペースはいくつかに仕切られているが、居心地の良いソファーが置かれていて、目を閉じて休憩している人たちもいる。日本作家の本は東野圭吾氏の本がそろっているが、後は英語など外国語の本。建築の本や美術の本、浮世絵も英語の解説。日本の風景写真の美しさは驚くほど、スキーをしない私は2泊3日の滞在の中で、一番のお気に入りは図書館でした。1日目は晴れ時々曇り、2日目は晴れ、3日目は夜中から雨で雪に変わりそして雨。上信越新幹線だけれど、アライリゾートは新潟県の糸魚川市。4年前までは孫たちとスキー場に出かけた主人も、もうスキーはしないと、部屋でテレビ三昧。三世代で楽しもうと選んだ場所。私たちの体力が孫や娘たちと一緒に旅を楽しめるのはあと何年か?と心配になる。ライブラリーはこんなスペースがいくつもあって本もスバラシイ。
2023.01.03
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明けましておめでとうございます2023年の元旦のさいたま市は快晴です。3日前まで新潟にいた私は改めてさいたまの冬の晴天率の高さに感謝します。最近、今年の大河ドラマが「どうする家康」のせいか「徳川家康」が話題になっていて、私も先日、東京駅~行幸通り~皇居周辺~丸の内(明治生命館)~ステーションホテル、と散策してみて「東京は家康が作った江戸が基礎になった街で素晴らしい」と再認識しました。新型コロナの感染力は衰えをみせないまま、ロシアのウクライナ侵攻も継続中の新年。どんな年になるのか?コロナの方はワクチン打ったし、自己免疫力を高めるしかないと思い知る。世界の平和は個人の力ではどうしようもないけれど、平和を願う行動だけはしなければと思う。癸(知識・知恵)の星、古典から学ぶ、知識として学ぶの意味があるのですが、戦国時代を終わらせて、江戸の街づくりをした家康の知恵もまた、学びなおす年なのかもしれません。60年前の癸卯の年(1963年)は山岡荘八著の「徳川家康」がベストセラーのトップ(?)でした。私も昔読んだけれど、戦争の話は覚えていても、後半の江戸造りの話は覚えていない。秀吉から国替えを命じられて気候の良い駿河から「潟のような湿地帯の荒れ地だった江戸周辺を開拓して世界一の都市にした家康」。戦国時代を終わらせて平和を築いた家康の知恵とこの住みよい東京~首都圏の街を作った家康の構想力を学ばなければと思う年頭。60年前は「経営者や政治家の必読の書」と言われた「山岡荘八作の徳川家康」現代の政治家の何人が読んだことがあるのか疑問?政治は治水、産業、金融他、適材適所に能力ある人を配置することが政治。派閥や議員年数で大臣を決める政治のトップこそ「家康の人材登用」を学んでほしい。「卯には門をこじ開ける」の意味があるのですが、物価だけが上がって給料も預金金利も年金も追いつかない現状。福祉~救済~と言うけれど、働いて税金を払っている一般庶民が豊かになる年にしてほしい。 政治が不安定だと災害や他国からの攻撃に逢いやすい。12年前の「東日本大地震から12年」あの年は辛卯の年で政治には不慣れな党でした。大災害、余震、停電が続き辛抱を強いられた年だった。 癸卯年になるのは2月4日からです。知恵を絞って幸せになるも門を開ける年。明るく幸せな1年になりますように
2023.01.01
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