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台風は、何ごともなく過ぎ去ったようだった。友達にそんなメールをすると、“2階の部屋のせいか、結構、風の音がしたよ”と返事が来た。家から歩いて5分とかからない距離なのに…。わたしの部屋が、道に面していない1階の奥の部屋ってことも関係しているのか、それともぐっすり眠っていたのか…。午前中は小雨だったから、図書館に行くついでに散歩をした。台風が過ぎ去ったせいか、妙に蒸し暑い。歩いて汗をかくにしても、なるべく田畑の多いところ、もしくは車や信号の少ない道を歩きたい。うちの近所には、妙に路地が多い。車が通れる道と道の間に、路地があり、タイムスリップしたかのような空間がある。建て直すこともできず、空家になっていたり、郊外へと出て行ってしまったりで、社会科で習った“ドーナツ化現象”をここ十数年で感じる。昔、遊郭のようなところだったと聞く建物がある。久々に訪れると、広い駐車場とモダンなマンションにと変っていた。下町風情のある一角で、かなり気に入っていたのに残念だ。時間の経過と共に建物も朽ち、人も老いていく。それでも、昔の物語には“不老不死”の薬を求めたり、永遠の美や命を願うものがある。地位も名誉も富みもあり、若さと永遠の美を手に入れても、まわりがどんどん変っていくのに自分だけが変われなかったら、それは決して幸せではないと思う。下町風情たっぷりの路地裏を散歩しながら、そんなことをふと思った。なお、きょう歩いた道だけではないが、ここ最近、歩いた道の写真である。よかったら、どうぞ。(下町風情 写真14枚)
2004.08.31
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夏の間は、シフォンケーキ作りをお休みしようと決めていたのに、きのうに続いてきょうも焼いてしまった。梅雨の蒸し暑い頃、同じようにやっているのに、底にくぼみができることが続いた。やはり形が崩れると、よろこびも半減するためおそらく“夏の間”は作るのがむずかしいのだろうと思って“お休み期間”に決めた。ここ最近、久々に会う友達がいて、二度連続で友達用に焼いたら案外うまくいった。食べていないので、食感はいまいち手ごたえがない。でも分量はいつものと同じだから、“ふわふわ”か“しっとり”か“重い”か“軽いか”微妙だが、味はなんとなく想像がつく。きょうは、家用にシフォンを焼いた。自分で作ったシフォンを食べるのは、3ヶ月ぶりくらいだ。というのは、先日、夏祭りがあった。お客様用のコーヒーゼリーに生クリームを添えようと母が買ってきたのだが、結局、忙しくて使わず終いだったのだ。わたしは、生クリームはあまりすきでなく、断然、カスタード派。でも、生クリームがおいしくない理由に、鮮度の問題がある気がする。そんなわけで、出来たてのケーキに、これまた出来たての生クリームならおいしいのではないかと、昨日の友達用に続いて焼いてみた。たまに、シフォンのことを中心のホームページを訪れる。そして、これまた、たまにメールをし返事をいただくことがある。シフォンケーキあれこれというサイトだ。ここの管理人のクミスケさんに尋ねたことがある。「もっとキメが粗いシフォンを焼きたいんですが…」「普通、キメ細かく焼きたいっていう質問はあるのですが、その逆の質問は、はじめてで…」そんなコメントを先日もらった。なぜか、わたしの焼くシフォンは、きめ細かく、ふわっと軽い。でも、お店で売っているのや人からいただくのは、もっとキメが粗くていかにもシフォンっぽい!!多分、型の大きさ、使っているオーブンの大きさ等、総合的な要因があるのだとは思うが、同じ分量で焼いても、人それぞれのものができること。最近はまっている、パン作りに比べると、シフォンはもっと繊細かもしれない。パンは、発酵さえうまくできれば、まず失敗はしない。型から取り出すとき、ちょっと乱暴だったのか、ポロッと一部くずれてしまった。ひとさまにあげるのでなくて、よかった…。底に、生協で買ったココナッツサブレを数枚敷き、たまにおとりよせするロンシャン洋菓子店にならい、まんなかの筒に生クリームをつめる。どうだ! おとりよせ分の金額かせいだぞぉ~!ただ、つめるのも案外むずかしかった。ロンシャンのは、もっと平らできれいだ。まあ、お金をとるから当然だが…。↓これが、ライバル(?)ロンシャンのシフォン生クリームが余ったので、塗りたくったら、真っ白…。これでは、“雪国の白ウサギ”みたい。ちょっとココアをふって、バナナをのせて、完成!タイトルは、“季節はずれのきこりのきりかぶ”!雪が積もって真っ白にコーティングされた、きりかぶに似ていた。きょうは、コーティングも考えて、砂糖ひかえめで、ノンオイルで焼いた。さらに、生クリーム担当の母も同じことを考えたらしかった。「あまり甘くないね」「さっぱり系だね」シフォンもやはり、ふわふわで軽かった。
2004.08.30
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顔を洗って、いつもの鏡で自分を見た。何気なく髪に手をやったら、気のせいか薄い。え? あれ?この感触。スベスベのやわらかい肌…。え、円形脱毛症?? まさか…。さわってみると、小さな円形脱毛症どころか、いつも癖がでやすい後頭部の左の部分の髪の毛がごっそり抜けていた。5センチ×8センチくらいの部分に、すべすべの地肌が現れていた。プニプニして、頭骸骨すら消えてしまったかのように、やわからい。天辺の髪があるから、なんとか隠せる。でも、風が吹いたりしたら“ハゲが丸見え”だ。美容院でもなんにも言ってくれなかった。「ちょっと、お父さん! お父さんがハゲているから、遺伝でわたしまでハゲちゃったじゃん!」父を怒鳴りつけているところで、目が覚めた。思わず、確認すると、髪はちゃんとあった。あ~、よかったぁ。わたしは、髪の量が多いことで悩む方だ。美容師さんからは、「多いのは何とでもなります」といわれるけれど、さらに癖もあるので悩む。1年ほど前に、段を入れてもらったら、後頭部の左側の癖がでやすくなった。長いときは、重さでまっすぐになっていたようだ。あと、前髪にも癖があるので、湿気の多いときは、“クルリン”となってしまい、小さなストレスの原因になる。段を入れてもらってから、ここ2年くらい“縮毛矯正”を半年に一度くらいしてもらって調子がよかったのが、あまり値段のわりに効果を感じなくなった。段を入れた結果、軽くなったので、夏の間は髪をあげていたのであまりなんとも思わず過ごしてきたが、そろそろ半年たつし美容院に行かなきゃかな? そんなことを考えていたので、あんな夢を見たのかもしれない。前髪の癖は、イオンのストレートアイロンが効果てきめんだ。さらに、髪を洗ったときに、ヘアエッセンスをつけて、マイナスイオンドライヤーで完全に乾かせば、翌朝は、お手入れがいらないくらい調子いい。だが、どうも面倒で自然乾燥させたり、生乾きの状態で寝てしまうことがあり、いけない。愛用ヘアエッセンスはこれ!愛用のマイナスイオンドライヤーはこれ!この古いタイプを愛用!なお、きょうは、ちょっと離れた街に住む友達が会いに来てくれた。散歩途中に、ケータイにメールが入った。そんなわけで、急遽会うことになり、せっかく来てくれるんだからとおみやげに、“紅茶シフォン”を焼いた。ランチは、ちょっと遅い時間に、夢庵で。うちの方は、ファミレスの数は少ないが、わたしは結構、ファミレス系もすきだ。メニューが豊富だし、ドリンクバーもあるからだ。前から、気になっていたスタミナ丼を食べたが、名の通りボリュームたっぷり。ドリンクバーもネットからクーポン券を印刷していったので、半額。ちょっぴり得した気分だった。きょうのランチとシフォンの写真はこちらから。(本日のお写真)また、紅茶シフォンは、アールグレーで作らないと香りが出ない。いつもは、このアールグレーを使用している。
2004.08.29
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虫といえば、26日の日記にも書いたが、また虫に関する小さな事件があった。ここ数日、蚊がいなくていいなと思っていた。わたしは日焼けや化粧品に関する肌荒れの心配より、蚊にさされたあとの心配がものすごい。たけしの本当は怖い家庭の医学でも、虫刺されについてやっていたが、水ぶくれになったりして大変だ。虫も生きていると思うけれど、蚊だけは別だ。本当にむかつく。(roze-piのひとりごと むかつく 参照)きのうの昼間、部屋に蚊がいたので蚊とり線香をつけておいた。でも、わたしは部屋の襖はいつも閉めているのになぜ蚊がいる? 夜になって、1ヶ所刺された瞬間につぶした。思わず、勝利を感じてしまう。それが、真夜中…。プゥ~ン♪耳障りな羽音。まだ、他にも敵はいた。ここ数日、夜は涼しくなったので、長袖パジャマとズボンに替えた。それなのに、腕にさされた。さらに、ゴソゴソゴソと紙かビニール袋がすれるような音がする。な、なんかいる!夏は、ぴょこぴょこ跳ねるヘンな虫が庭から入ってくるので、その虫かなと思っていた。大きいのは、十円玉より少し大きめ。気持ち悪いけど、害はないから寝ようと思った。というより、かゆみより物音より、睡魔に負けた。ところが、朝。「わぁ~! お母さん、たいへん! 変な虫がいる。バッタみたいなカマキリみたいな~!!」出窓付近で、その虫はちょこっと箱にとまっていた。「逃がしてあげてね~!」「どうして密室にしてあるのに、こんな虫がいたり、蚊が入ってくるわけ!」鍵こそかかっていないが、網戸と襖で密室状態だ。なぞだ。ところが、朝食を食べていたら、母に呼ばれた。「襖があいてるよ。5センチくらい。ロゼちゃんがいたときもよく開いてたよね」と、母。そうだった。どうも変な癖があるようで、部屋から出るとき、最後の詰めが甘いところがあった。ロゼちゃんがいるときは、その隙間からネコが入ってくる可能性があると、家の誰かが閉めてくれたり注意をしてくれたのだが、今ではその必要がないため、“虫専用の出入り口”になっていたらしい。さらに、きょうは、もうひとつ虫に関する事件があった。買い物に行ったときだ。何かが動いていると思ったら、体長6センチくらいの虫が這っていた。青虫ではなくて、グレーでオレンジ色の斑点がいくつか真っ直ぐに並んでいる虫。かなりグロテスクだ。先日もどこかで見かけた。なんと、道路を横断しようとしている。なんて、無謀な! それが意外と這うのが速い。そうはいっても、ここは車がかなり通る道で、わたしでも横断するのにはひと苦労する道だ。「あ、あぶない!」怪我をして飛べなくなった野鳥なら、鳥好きのわたしなので助けてやれる。でも、相手はさわれもしない虫だ。車が1台過ぎた。「あぁ、また車が!!」もうダメかと思ったら、動いている。3台の車を無事よけた。もうすぐ道路の中央だ。そのとき、また1台の車が…。「あ…」轢かれてしまったらしい。交通の激しくない道であれば、おそらく渡れただろう。いくらなんでも、神様はそこまで守ってくれないだろう。また、そんな小さな事故を起こしたドライバーは気づくこともないだろう。それでも、ひとつの小さな命が消えた。コンクリートの街を作った人間は、ある意味残酷な生き物かもしれない。
2004.08.28
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「あ、hiroくんからだ!」アメージング・グレース♪が鳴った。ケータイの電話もメールもほとんどhiroくん専用で、そんなに多くに人からメールや電話が来るわけでないので、着メロとかのダウンロードはしていない。ちょうど“白い巨塔”を夢中になって見ているときに、機種変更をしたら、その主題歌が内蔵で入っていたので、それ以来、hiroくんの着信音にしている。“帰るメール”はなく電話があった。昨夜は今週になってはじめて、“日付が変わる前”に帰れたようだ。「早いと思ったのに、11時過ぎてるもん」hiroくんの夜は長い。23時はまだ帰宅途中だ。「夕飯、なに食べると思う?」駅からアパートまでも徒歩15分間、ほぼ毎日がhiroくんとわたしの“電話タイム”だ。「納豆巻きかな~」「あ、当たり~!」こんな他愛のない会話をする。「え~、なんでわかったの~。変だな~、kayoちゃん、カンがわるいのによく当たるもん」それを本来は“カンがいい”という。「hiroくんのことは、たいてい、お見通しだよ。ピピピってわかるからね。わるいことすると、すぐわかるよ!」「え~」「超能力があるんだよ」「え~、変だな~」hiroくんとつきあいが長くなってきたので、カンがいいわるいではなく、わかるようになってきた。同僚と飲んだり、食事に行った日以外の食生活は、たいてい把握している。22時より前に帰れた場合は、ミートソース。麺をゆでる時間がかかるからだ。23時台になると、納豆巻きか、おにぎりなら“コンブ”か“シャケ”だ。そして、インスタントラーメン。コンビニ弁当は決して食べない。たまに“サラダ”を買ってくるが、名ばかりで野菜の入っていない、“マカロニサラダ”だ。食べるものは、ほとんど限られているから、“カン”がいいわるい以前に、確率から考えても当たりやすい。「でも、きょうは、納豆巻きとラーメンじゃなくて野菜炒めだもん」「野菜って、キャベツあるの?」hiroくんのいう、野菜はキャベツオンリー! それと、ウインナーを塩コショウで炒める。「kayoちゃんが、置いていったもん」わたしが? キャベツ??「え~! もしかして、ロールキャベツ作ったときの残り?」もう買ったのは2週間くらい前になる。(16日の日記 最後晩餐!? 参照)1個50円という値段でゲットしたものだった。「古くない?」「ビニール袋に入っているし、大丈夫だもん」そうはいっても、栄養価の高いうちに食べた方がいいと思う。3日ほど、hiroくんの帰宅が深夜で、朝に1分ほど話すという“安否確認”の電話しかしていなかった。不思議なことに、こんなどうでもいい会話だが、hiroくんと話すと、ほっとする。安心して、眠りにつくことができる。hiroくんは、わたしにとっては癒しパワー全開の人なんだと思う。
2004.08.27
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春からはじまって寒くなるまでは、至るところで“虫”を見かける。中学の理科で、ミミズを扱い、気持ち悪いしおそろしくて、さわれなかった記憶が鮮明だ。今でも、虫を発見すると、「お母さん、むしぃ、虫がいる~」と叫ぶ。“母は強し”ではないが、うちの母は虫は決して苦手ではないらしい。素手でつかむこともある。「殺さないでね、生きてるんだから」と、虫をきらっているわりには、こうつけ加える。最近、母は虫退治に大忙しだ。花壇にある“くちなしの花”にいる青虫。小さい頃は気づかないのだが、ふと見ると体長が5センチくらいになっている。全部食べつくしてしまうので、当然、退治するのに値するものと思われているようだ。素手でつかみ、ポンッ道路に投げつける。信号のない抜け道として、結構車が通るので、太陽の熱で死ぬ前に、“ひき逃げ事故”で死んでいるのだと思う。さらに、うちの裏庭。こちらにも、種類の違う青虫がいる。毎年、葉がはえても棒のように食べつくされるので、何の木かもわからない。昨年は、増えすぎて、棒になった木に20匹くらい。いよいよ食べ物がなくなり、木を降りてきて、裏口のあたりまで2メートルくらいの距離を這ってきた虫もいた。気持ちわるいが、生きているし、なにかあげなきゃと思い、キャベツとみかんの皮をおいてみたが、無視された。そのうち、この庭には食べるものがないと思ったのが、虫たちは大移動して、どこかに消えていった。今朝、洗濯物を干すついでに、期待の星であるヘチマを見下ろしたら、忽然として姿を消していた!「ヘチマが消えた!」と、一瞬、我が家では大騒ぎになった。だが、よく見ると、謙虚にヘチマらしくツルにぶるさがっている。屋根から落ち、今度は“日陰のヘチマ”になってしまったようだ。ちょうどくちなしの木の陰になっている。ヘチマが伸びるその力で、振り落とされたのだと思った。植物の生命力とはすごい。そう感心したのも束の間、母から告白があった。青虫をとるために、脚立を使って、木をゆすったりしていたらヘチマが屋根から落ちた、と。脚立まで使って、青虫と対決する母の執念深さ。くちなしの木を守っているのだが、毎年の夏の風物詩だ。青虫がいなくなると、今度は、蜘蛛が出てくる。裏庭は、蜘蛛の巣でいっぱいになり、おそろしくて庭に出られなくなる。ちょっと間違うと、獲物がかかる前にわたしがひっかかるのだ。蜘蛛がいなくなると、北風が吹き、冬が来る。
2004.08.26
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過去につきあった人とは、あまり頻繁に連絡をとらなかったが、なぜかhiroくんは別。というか、時代が変ってきたのかもしれない。友達へのメールは、パソコンでの送受信。ケータイメールも通話も、hiroくんのためにあるといっても過言ではない。hiroくんからは、“これから帰る”“今、○○駅”などという帰るコールならぬ帰るメールがくる。hiroくんの帰宅はいつもおそい。そんなにおそくまで仕事していて、過労死したらどうするんだと思うときもある。終電に間に合わず、自腹を切ってタクシーで帰宅することもある。月曜日、メールが来なかった。きっとタクシーで深夜帰宅したのだろうと思った。そんなときは、たいてい朝、お互いどちらからともなくメールや電話をする、という暗黙の了解ができている。でも、朝、わたしが電話すると出なかった。まあ、トイレにでも入っていたのかなと思った。きのうの夜、23時過ぎても“帰るメール”はこない。23時半、電話したが出ない。ちょっと心配になってきた。まさか、倒れているんじゃないよね…。0時、終電の頃にも“帰るメール”はこない。もしや、電波の状況が悪くて届かない?(そんな田舎じゃないのに!)センター問い合わせしても、メールはない。もう一度、電話してみた。「もしもし…」「あ、hiroくん、生きてた?」「まだ、仕事だもん」とかく飲み会の多い金曜日。飲んでいると真夜中でも電話してくるが、飲みすぎると、音沙汰なし…。土曜日の朝は寝ているだろうと10時頃電話する。「生きてる?」ケータイが普及して、頻繁に連絡がとれるようになり、それがあたりまえになると、24時間連絡がないと、生死まで疑ってしまう。友達なら、送ったメールに返事が来なくても、こうまで思わないのに…。24時間連絡なし=生死を疑う=愛情のバロメーターという方程式は、hiroくんにだけに通じるようだ。
2004.08.25
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ここ1週間ほど、猛暑という言葉からいささか遠くなったような感じがする。3日ほど前からは、うちの庭でも虫の声が響くようになった。リーリー♪と、静かに鳴いてくれると風情があるが、まるでオーケストラのようで、騒々しい。さらに夕立が多くなった気がする。夕立を通り越して、深夜まで降ることもある。かなりの豪雨のときもあり、テレビの音も聞こえないほどだ。窓を閉めないと、雨が入ってくることもある。昼間もそこそこ暑くて陽も照っているが、青空ではない。暑い、暑いといっていたが、夏もそろそろ終わりに近づいてきたかなと感じる。昼間、ちょっと歩いてくると汗をかいてシャワーをあびる。少なくとも2週間くらい前までは、湯船に前日のお湯が残っていると、その冷たくなった水風呂にチャポン!”とつかるとかなり快適だった。冷たくもなくちょうどいい快適温。ちなみに、水温32度。ここ数日は、その“残り湯”だと鳥肌がたつ。水温は30度。こんなところからも“ゆく夏”を感じる。ここ数日の散歩の風景を写真にとってみた。家を中心に半径1キロから2キロくらいのところだ。あらためてみると、田舎の風景だが、決して家の隣近所ではないこと強調。春はいろいろな花で艶やかに彩られるが、夏の間は緑が基本。さらに、ここのところ“青空”がないため色彩に乏しい写真になった。また、ケータイカメラでとったことと、サイズや解像度を落としたので、いささか見にくいと思う。1枚、牛の写真がある。わたしもはじめて見たときは驚いたのだが、徒歩30程度のところに牛がいた! 薄暗かったことと、かなり大きな牛で、近づくのがこわかったので、倍率をあげての撮影になった。独特のにおいもした。小学校の先生は遠足のとき、このにおいを“田舎の香水”といったっけ…。“闇夜のカラス”の写真(どこにあるんだ!)と比べれば、なんとか“牛”だとわかってもらえるかな…。
2004.08.24
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たまには車に乗らなきゃと思って、“パジェちゃん”で出かけた。少し遠くのホームセンターまで行こうと思ったのだが、歩いて片道40分。買い物をしてリュックに荷物を背負い、また40分歩くのは、いくらお散歩好きのわたしとはいえ、寝不足気味のきょうはちょっとハードだと思った。昨夜、マラソンを見ていた。もともとスポーツ番組は見ないが、マラソンは別だ。中学のとき陸上をやっていたせいかもしれない。小学校のころから、“かけっこ”だけは人より少しばかり速かった。毎年、リレーの選手になりたくて、毎朝、ジョギングもしていた。今になってふり返ると、あのころは今とは別の方向にエネルギッシュだった。1時間から1時間半くらい見ていたと思う。だんだん眠くなってきて、テレビのオフタイマーをセットした。野口選手がこのまま金メダルかなと思った記憶があるが、いつのまにか寝てしまったらしい。春先、マラソンの選考でかなりもめて話題になった。高橋選手が出場にならなかったのは、わたしとしては残念だった。いつもさわやかな笑顔をしているが、どんな気持ちでこのレースを見たんだろう、ふとそんなことを思った。どんなスポーツ選手でも、プロである以上、結果が出せないと認めてはもらえない。実力があっても、人一倍努力しても結果がすべてと評価させる。厳しい世界だなと思う。中学のとき、練習でたまに“ロードワーク”といって往復で多分4~5キロくらいの道を走らされることがあった。楽ではないが、きらいではなかった気がする。短距離はそれこそ全力疾走で“無”になる瞬間だけだが、ある程度の距離があり、いくらか余裕のあるスピードで走っていると、途中“無”になる瞬間と逆に何かをふと考えるような瞬間があった。外国の作品で「長距離ランナーの孤独」というのがあった。まさにそんな孤独や、自分と対峙する時間がもてるという点で“走る”ということは好きだった。今、散歩が好きなのも、ある一定距離をひとりで歩いていると、“走る”ときと似たような感覚を味わうからかもしれない。
2004.08.23
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先日、他県に住む叔母がやってきた。仕事をやめたこと、一時期、祖母の具合がわるかったこと、さらに高速の運転がなれたことで、よくやってくる。たいてい、1泊で帰っていく、嵐のような慌しさだ。叔母は、父の妹だが年が10歳ちょっと離れている。わたしにとっては少し年の離れたお姉さんのようで、子供の頃からかわいがってもらったし、叔母のことも“○○ちゃん”と名前で呼んでいる。「早く帰らなきゃ。ゴンがひとりで待っているから」と、最近の叔母には、ゆっくりできない理由がある。半年ほど前から、コーギーを飼っているのだ。「あ、今、犬のこと“ひとり”っていわなかった?」思わずわたしは言ってやった。ロゼちゃんがいるころ、さんざんいわれた。「インコのこと、“ひとり”っていう」「インコにむかって話してる」さらに、叔母の子が幼いとき「鳥さんとお話しするの、やめようね」なんていわれたこともある。「だって、家族だよ。子供みたいなもんだし…」と、叔母。「そうでしょ? “ひとり”って数字の“いち”じゃなくて、孤独の“こ”の意味のひとりって意味だよね~」「そうそう、ひとりにさせとけないよね」と、再び、叔母。「わたしの気持ち、わかるでしょ?」「今になると、よくわかる」以前は、ロゼちゃんに対するわたしの気持ちがよく理解できなかったようだが、ゴンのおかげで、最近は妙に一致が多い。「見て見て! ゴンの写真。この動画も見てよ。かわいいでしょ?」しつこいくらいだ。かわいいことはかわいい。でも、わたしは断然“鳥派”だ。かわいいのあとに、ハートマークがつくような気持ちで、犬を見てもかわいいとは思わない。鳥であれば、スズメでもツバメでも、かわいいのあとにハートマークがつく気持ちでいっぱいになってしまう。ただ、叔母のゴンに対する気持ちはよく理解できる。「ゴンに、食事のときは出てきちゃダメっていうとわかるの」「ロゼちゃんもわかったよ。お家いくよっていうと、自分でかごに入ったし…」「動物でも言葉はわかるよね~」叔母の考えがそこまで変ったことにも驚く。どんなささいな話題でも、共感されるとうれしい。当然、世の中いろいろな人がいるから、考え方は多種多様だ。否定的な言い方ばかりする人より、当然、共感してくれる人になびいてしまう。相手のことを否定しているつもりはなくても、あまりに自分の意見を主張しても、否定につながってしまうことになる。心理学でも、相手に「はい」といわせたいとき、本題に入る前の会話で、コメントが「はい」になる会話を続けていくと、いよいよ本題に入ったときに「はい」といわせることができる可能性が高いらしい。こういうのが、会話のテクニックなのかもしれない。その根底の理由に、共感されるよろこびがあるように思う。最近の叔母との会話で、つくづく感じる。
2004.08.22
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そろそろ化粧品が底をついてきた。わたしは、あまり化粧品などに興味がない。最初は、生協の化粧品を使い、そのうち母がソーマ化粧品を使い出したので、かなり長い間、わたしもお世話になっていた。ここ1年くらいは、ネット通販でオルビスを使っていた。値段もそこそこだし、まとめて買うと割引になり、詰め替え用もあり、地球環境を考えて、簡易包装であることも気に入っている。利用したことはないが、返品や交換も気軽に応じてくれるし、セールスの電話も来ない。さらに併用して、Yahooのビューティーの口コミで評判の酒しずくとヒアルロン酸も、たまに買っている。なんとあの100円ショップ、ダイソーの品だ。かなり人気があり、買い占めたとか、ひとり2個までという張り紙があったとか、そんな口コミもあったほどだ。今まで“化粧品”があわないというようなことで、悩んだことはない。一度だけ、資生堂の洗顔石鹸で肌が赤くなりしみてからは、資生堂だけは遠慮しているが…。“酒しずく”もわるくないし、特に夏の時期は、肌もベタベタするので、結構いいような気がする。かなりさっぱりした、“水”のような化粧水だ。今年に入ってから、毎晩、その安い“酒しずく”でコットンパックならぬティッシュパックをしている。コットンだと枚数がいるから、単純にティッシュでと思ったのだ。毎月くるオルビスのカタログを見て、注文しようか毎晩悩んでいた。ところが、今朝、洗濯物を干したとき気づいた。「うちには、ヘチマがあったんだ!」そして、毎年、夏の終わりに、母が“ヘチマ水”を作っていることを思い出した。ただ、ヘチマ水で“ティッシュパック”をすると、なぜかむせる。多分、ヘチマの青くささが残っているのだと思う。脂性肌で、ベタベタする方だが、それでも秋から冬は少ししっとりしたものがほしくなる。母特製の“ヘチマ水”は、しっとりタイプなので、これからの季節にはいいと思う。あとは、残り少ないオルビスの化粧品を大切に使おう。ところで、今、期待の星であるヘチマは、かなり“ふてぶてしい”というか“横着”な態度である。ヘチマ水は、茎から水をとるので、ヘチマそのものは“タワシ”になり、直接関係はないのだが、いい質の“ヘチマ水”ができなかったらどうしようと、いささか心配だ。洗濯物を干すたびに気になっている。見てのとおり、1階の台所の出窓の屋根に寝転がっているのである。“ヘチマ水”で、優雅に年を重ねる努力をしたいと思う。後日談…。“ふてぶてしいヘチマ”は、なんと数日後、忽然と姿を消した! 詳しくは、26日の日記にて。
2004.08.21
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長い間、“おいしいコーヒー豆”をさがして“さすらいの旅”をしていた。さすらっていたのは、スーパーだとか豆を売っている喫茶店とか、旅先のお店だが…。昨年の秋、懸賞でコーヒー豆が当たった。(詳細は、7月17日の日記スペシャルティコーヒー参照)そんなことから、“豆珈房さんの豆でなくてはいや!”というこだわりまで出来てしまった。⇒豆珈房 楽天店はこちらいい豆をカフェプレスで入れる。その味は格別だ。今まで飲んでいたコーヒーは、“コク”がなかったのだと実感する。濃く入れると、いやな酸味や苦味が口に残る。アメリカンタイプで入れると、さらっとするがコクがない。濃い目に入れれば“コク”が出る、というものではない。いい豆をプレスで入れると、よくいう“キレ”と“コク”がはっきりとわかる。口に残らず、深みがある。逆に質の悪い豆をプレスで入れると、より“まずく”なってしまうらしいが、おそろしいので試したことがない。豆は同じ種類のものを飲み続けるより、3種類くらいをローテーションで飲んだ方が、それぞれの豆のよさや微妙な違いが明確にわかる。今は、“ブラジル”と“コロンビア”さらに、きょう届いた“夏のブレンド”(この品は、豆珈房さんの本店で購入)。“夏のブレンド”は、当然、夏限定だ。春のブレンドは、飲めなかった。ビッターズのオークションにも参加したが、なかなか落札できず、8月のお買い得品になったので、やっと買うことが出来た。開封して、「わぁ、色が濃い~」と、ひと目で深入りのブレンドだとわかる。1杯分、ミルで挽いて飲んだ。120ccが約1杯分らしいが、わたしは、1.5倍の180CCくらいで入れる。マグカップ1パイ分だ。プレスにお湯を注ぎ、待つこと4分。思ったとおり、苦味が引き立った味だ。でも、口に残ることがない。どうもわたしは、深入りの豆をアメリカンで飲むのが好みのようだ。以前、落札した“マンデリン”も深入り。まだ冷凍保存してあるが、飲むのが楽しみだ。豆珈房さんに出会えたのは“運命的な出会い”と感じてうれしいのだが、逆に悲しいこともある。それは、喫茶店やランチのときにつく“コーヒー”がまずく感じるようになったことだ。今までも必ずしも“おいしい”と感じるものは少なかったが、“まずい”とまで思わなかったのだが…。豆珈房さんとの出会いは、大きな幸せと小さな不幸をもたらした。なお、よかったらこちらもどうぞ!★roze-pi百貨店 コーヒー館 リニューアル!★
2004.08.20
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今月は、妙に外食が多い。というのも、帰省している友達に会うことが多いから、当然、支出はそれに比例することになる。きょうも、2日前に行った同じお店のランチに行った。デザートのランクが以前よりさがった気がしていたのだが、写真を見た友達がそのお店がいいといってくれたので、行くことになった。(本日のランチの写真はこちらから! 8枚)わたしは親と同居しているため、一定額の生活費を毎月支払うことで“お世話”になっている“パラサイトシングル”だ。家で食べるものに関しては、台所の財布から出る。食料品の買い物は、母の楽しみでもあるようなので、たのまれたもの以外は買ってこない。たまに、ちょっとしたデザートを買ってきても“個人的な嗜好品”とみなされない限り、台所の財布から支払ってもらえる。だが当然、外食は対象外である。昔、学生の頃はひとり暮らしをしていたため、生活費をきりつめることで“おこづかい”が出た。外食を控えることが、大きなポイントだった。だが、食事をすることが目的でなく、友達に会い話しをするために食事を楽しむ場合の支出は、“食費”ではなく“交際費”だと思う。“食費”はきりつめることが出来ても、“交際費”はあまりケチると友達をなくす場合がある。ランチメニューも2週間交代のようで、たまたまメニューがきょうから変ったという。それぞれ肉と魚料理をとり、半分ずつ食べたので、得した気分。友達もそのお店を気に入ってくれたようで、しばらくはそのお店が“マイブーム”になりそうだ。
2004.08.19
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都内の電車広告をふと見たら、“ジャンダーフリー”という言葉が目にとまった。男女の性的な差別や区別をなくすという意味らしい。例として、名簿は男子が先、家庭科は女子科目、技術は男子科目というようなことが記載されていた。結婚した女性がその配偶者のことを呼ぶのにいろいろあるが、“主人”ということもある。深く考えるとその言葉には“主従関係”があるように思う。日本の長い歴史から考えても、どうしても男性が優位にたつようだ。女性が社会に出て、結婚後も引き続き仕事をすることもかなり増えてきたが、それでもまだ世の中、男性社会だ。何かトラブルがあっても、男性が対応した方が相手の納得度が違う気がする。うちの父も、昔の人なので、“男尊女卑”とまではいかなくても「女のくせに」というような言葉を以前はよく使った。子供の頃から、「女に生まれて損したな」とどこかで思っていた。わたしが就職したころも、「女性は結婚して退職するから」という考えが強かったと思う。「平均勤続年数は5年です」ともいわれた。男女平等という言葉ですら、“男”という文字が先につく。中学の頃、社会科の授業でこんな話があった。江戸時代、士農工商という身分制度があったが、明治時代になり“四民平等”になった、と。なぜ、単に“平等”としなかったのか、と。幾分屁理屈っぽい気もするが、先生が力説していた記憶がある。長い間の価値観や、決まりごとを変えるというのは容易なことではない。でも、男と女って基本的には違う生き物なのではないかと思う。まず体つきが違う。男は、かなり年を重ねても子孫を残すことは可能である。一方で女は、子供を産むにも年齢的な限界が早い。また、わたし自身もそうだが、毎月の生理の時期にはやはり体調がわるく、あらかじめ大きな予定は極力いれないようにするほどだ。個人差はあるとはいえ、やはり体力的な違いもはっきりしている。そして、心がドキドキする対象も異性であること。おそらく“ジェンダーフリー”という言葉では、女性がかばわれる点が多いのではないかと思う。“男のくせに弱虫だ”とか、“女のくせに生意気だ”などという本来の“男はこうあるべき”“女はこうあるべき”という概念から離れて、男女である前に“同じ人間なんだ”と思いたい。また都合よく“レディファースト”だといったり、“男女平等”と主張することなく、お互いの“性”の違いを尊重して、のびのびと生活できる社会になればいいなと思う。
2004.08.18
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中学の時の友達が帰省しているので、2年ぶりくらいに会った。友達の多くは結婚して遠くにいるので、なかなか会うことが出来ない。ましてや、短大のときの友達は“故郷”を共有しないので、子供が生まれてからは会えなくなってしまった。学生の頃や、社会人になりたての頃は、“友達”とは多くの時間を共有し、こと細かに近況を報告してこそ“友達”のような気がしていた。だが、職場を離れ、共有する時間がなくなれば自ずと疎遠になっていくのは、やはり“友達”ではなく“単なる同僚”に過ぎなかったんだなって思う。その友達に会うと、話は自然とSくんのことになる。(“FirstLove”の思い出 参照)中学時代の思い出に花が咲き、遠い昔のことなのに、いくつものシーンが鮮明に甦ってくる。思い出を共有している友達って、いいなと思う。今度、彼女に会うのは、また1年~2年後だろう。そのとき何をしているのだろう、そんな話をしながらランチを楽しんだ。きょう、行ったお店は、最近のお気に入りのお店だ。1200円で、パスタかピザ、肉料理か魚料理を選べ、デザートとコーヒーか紅茶がつく。さらに、パン屋さんも併設していて焼きたてパンをサービスしてくれ、おかわり自由だ。なんと4つも食べてしまった。ただ、デザートがワンランクいや、ツーランクくらい下がった。つい2ヶ月前までは、アイスが添えられていて、くだものが芸術的に並べられていたのだが…。そんな意味では、ちょっと残念だった。きょうのランチの写真はこちら!また、きょうは、その友達のお宅にちょっと寄ったこともあり“手土産に”と思い、シフォンケーキを焼いた。夏の間は、メレンゲがうまくできないのでは、底にへこみができるのではと、9月までシフォン作りは休むつもりだった。パンを作るにはいい季節だが、パンを作るには時間がない。うまく出来たら、持っていこうと思って作った。「うまく焼けた~」と、思わずひとりごと。さらに見栄えアップにつながったのは、以前“おとりよせ”したシフォンの箱をとっておいて、その箱に入れていったことだ。中身は、素人が焼いたシフォンだが…。とりよせたのは期間限定の抹茶だが、普通のシフォンは通常販売されている。↓これ
2004.08.17
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この10日近く、hiroくんのところに滞在して、“食”ということは、日常生活でかなり重要なんだなと、あらためて気づいた。hiroくんが、仕事に行っているときは、単純にお金がかかるからと、外食を控え適当に作ったが、なんとなく遠い昔の学生のころのひとり暮らしに似ていた。過去の日記ともだぶるが…。写真はこちらこんな食生活でした 8枚●すき焼きhiroくんが“鍋奉行”であることを発見。●カレー大勢でキャンプに行くくらい作ったので、カレースパゲティになったり、パンのおかずになったり、5日ほど活躍してくれた。やっぱり、カレーっていいな…。●しょうが焼きhiroくん、突然の飲み会。ケータイ忘れていったことから、連絡来ず。余ったのもは、翌日のぎょうざの“ひき肉”に代用。●トマト風味のパスタ単純に、トマト1個とたまねぎのみじんぎり2分の1、残っていてキャベツを炒めて、レトルトのミートソースの具をまぜただけ。味が薄くなるので、イタリアンドレッシングを大さじ2くらい加える。バジルペーストがあるといいけど、高いので妥協。カサ増しするため、2回分になる。“ミートソース”という感じではなくなる。●冷たいパスタお昼はほぼ毎日。野菜を適当用意して、イタリアンドレッシングをかけて食べた。本当は、ポン酢もあるとよかったのだが…。●ぎょうざ皮を作るのに時間がかかったけど、まあまあの出来。でも、手作りの皮は、市販のものみたいに薄く出来ないので、出来立ては“もちもち”しておいしいけど、翌日は、少々かたい。●ハンバーグきのう、奥多摩に行ったときのお弁当にも入ったが…。「味、あるもん。うまいね」と、hiroくん。わたしの作るものは、“味がない”ものばかりと思っているらしい。すき焼きのタレに、少し砂糖と小麦粉を入れてとろみをつけ、煮込んだ。結構、おいしくできた。●ロールキャベツ「惜しい!」ひと口食べて、叫んだhiroくん。「味、あるんだけど、中の具にもうちょっと味があるといいもん。でも、成功だね」「分量どおり作ったよ」と、強調する。はじめての作品にしては、おいしかった。ロールキャベツは油で炒めたりしないから、“お肉派”のhiroくんには、ヘルシーぽいメニューだ。思ったより簡単だったから、またチャレンジしよう。ここから昨日のメニュー。●サラダバーランチ 1575円近くのお店で、いつも列を作っているところがあり、以前から気になっていたので出かけた。席について…。「高いね、どーする?」と、hiroくんとメニューを見る。単品でも安くて2000円くらいする。でも、よくよく見ると気づいた。サラダバーだけで、いいんだ!パスタとかカレーとかパン、デザートまである“サラダバー”なのだ。hiroくんと、バイキング形式のお店に入ったのは、はじめてだと思う。「元、とらなきゃね」と、hiroくん、張り切る。なんと最初にとったのが、メロン。“メロン”は大好物とは知っていたけど、最初からとるかぁ?ここのサラダバーは、なんとソフトクリームやそのトッピングまで自分で出来るものもついていた。デザートのケーキがついているというバイキングもたまにあるが、ソフトクリームとははじめてで、ソフトクリームの大好きなhiroくんとわたしは、喜んで自分なりのアイスを作った。●最後の晩餐ランチでおなかいっぱい食べ、夕飯はいらないという気持ちだった。でも、不思議なもので時間なるとおなかがすく。“すき焼き”ではじまった“食”は、“焼肉”で終わりを迎えた。「いいお肉買うもん」hiroくん、品定め。すき焼きでは、“お買い得”のお肉をわたしが勧めたため(貧乏性ゆえ)いまいちだったというhiroくん。なんと、200グラム、1400円くらいの“熊本産和牛”を買った。10枚しかお肉はなく、1枚140円くらい! おお、hiroくん、太っ腹!うちで焼き肉をするときは、マトンか豚。牛は、高いせいかうちではあまり縁がないお肉だ。あったとしても、“外国のもの”で、日本の牛肉なんて本当に縁がない。「うわぁ、うまそう。焼くよ、いい」hiroくん、焼肉でも“奉行”だった。「早く、早く、もう食べごろ、早く!」お肉を食べるのに、怒鳴られるって…。やわらかくておいしく、食べている最中は、寡黙になっていた。でも、ひとり分、5枚食べ終わるころには、ちょっとくどいなという感じになってきたことも事実。「やっぱり、おいしいお肉をちょっとっていうのがいいんだよね。200グラムじゃ足りないかなって思ったけど、牛肉はもういいよね」と話した。その後、サラミを焼く。サラミは焼いて食べると、もっとおいしくなるとhiroくんから教わった。「いい、10秒して、サラミが踊ってきたらひっくり返して5秒待つ!」hiroくん、サラミにもうるさい。たしかに焼いて油が出てくると、サラミが、ホットプレートで踊りだす。「いいよ、早く、早く!」そんな騒々しさの中、“最後の晩餐”も終わった。その後、hiroくんは大騒ぎしながら“ホットプレート”の片付けをした。きれい好きなのは認めるが、かなり丁寧に手入れをする。キッチンペーパーや、レンジのまわりのふき取りシートなど、ありとあらゆる“道具”を出してきてくる。ホットプレートはきれになったが、大量のごみの山が出来たのも事実だ。さらにhiroくんは、エクセルの“家計簿”(生活編 家計簿によると 参照)にむかって、「あ、きょうは、すごくエンゲル係数高いもん!」とぼやいていた。ごちそうさまでした、hiroくん。
2004.08.16
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朝、6時20分起床。きのう、下準備しておいたおかずをレンジで“チン”して、冷ましお弁当箱につめる。一方、hiroくんは、予想していたとおり、「具合わるぅ~い」と、少々二日酔い気味。それでも、予定時間前の電車に乗り、新宿には予定より早く着いた。「あ、これ乗っちゃおう」hiroくん、とりあえず停まっていた電車に飛び込み。行き先は八王子。「あ、これでいいのかな! 奥多摩ってない!」電車の中の路線図を見て、つぶやくhiroくん。「立川で乗換えだよ」そう、わたしは結構鉄道マニア。今ではネットで路線検索が出来るが、時刻表はかなりおもしろい。ある意味ミステリ小説に匹敵するくらいのおもしろさがある。だが、なんと立川で乗り換えた電車、当初、新宿から乗る予定の“ホリデー奥多摩”だった。混んでいて、当然坐れない。“急がばまわれ”という言葉をここでも実感した。奥多摩については、後日、“もん、もん思い出ぽろぽろ”の自然編にup 予定。率直な感想として、奥多摩には二度と行かないと思う。あえて言えば、河原でバーベキューする楽しみ方ならいいと思う。奥多摩湖から“むかし道”を10キロ歩いてきたが…。きょうの歩数はちなみに25000歩になった。
2004.08.14
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hiroくんとつきあいはじめて、2年半あまり。一緒にいる時間に比例して、“こういうことにこだわるんだな”というような、生活全般の違いの発見がいろいろある。●野菜の切り方hiroくんは、あまり野菜がすきでない。「もっと小さく切るんだもん」と、必ずいう。じゃがいもはきらいだから、“小さく”を強調する。わたしとしては、カレーやシチューは、大きなじゃがにもやにんじんが、デーンとしていた方がすきなんだけど…。●靴下洗濯が終わった靴下は、両方をあわせて二つ折りにしてしまうのがhiroくん流。わたしは、両方を重ねて、足を入れるほうの穴(というか?)をくるっとして、さくらんぼみたいな感じにする。どこかになくなったりしないし便利。●トランクスのたたみ方いやぁ、こんなhiroくん的決まりがあったとは…。“お○ん○ん”の窓にむかって、両端から折る。(重ねないので三つ折ではない)細長くなった状態から、今度は垂直方向から三つ折。さらにしまうときは、取り出しやすいように立てた状態にする。上下に重ねない。●カバーにカバー?枕も掛け布団と同じカバーがしてあるのに、バスタオルでカバーする。掃除機にも、クリーングから戻ってきたときにかかっているビニールの袋がカバーとなってかかっている。薬(たとえば、メンターム)を買ってきても、外箱をちゃんととっておいて使うたびにしまう。●バスタオルのルール最近、こんな新ルールができた。それまでは、バスタオルは干しておけば何日も使えると思っていたらしいhiroくん。少なくとも、4~5日に1度洗濯のサイクルだったと思う。バスタオルに関しては、毎日洗うという人からまちまちだという話を友達としたことがある。それをhiroくんに話したら、「くさくなるもん」と、なぜか頻繁に洗っているらしい。枕のカバーにカバーとして使ったバスタオルを翌日、お風呂上りに使い、その後、洗うというルールができていた。例をあげるときりがない。(詳しくは“もん、もん”思い出ぽろぽろ参照)hiroくんの方が、生活全般に関して、わたしより細かい。だが、それをいうと、「細かいって言われるの、やだもん」といいテンションが下がってしまうことや、最近、慣れてきてhiroくんの細やかなところも気にならなくなってきた。慣れって、おそろしい。だが、こういうやり方もあるんだと発見することも多い。やはり、認め合い、お互いに歩み寄らないと、いい関係は持続できない。きのう、1個50円でキャベツをゲットしたことから、きょうは、ロールキャベツとハンバーグを作った。キャベツの葉を形を崩さずにむくということが、案外むずかしかった。キャベツの葉は、ゆでると、“こんなに鮮やかな色になる!”と、驚くほど鮮明できれいな色になった。食べてないのでわからないが、見た目は“それなり”に出来上がった感じだ。「味、ないもん」っていわれないかな…。あしたは、奥多摩に行く予定。ということで、ロールキャベツは明日の夕食用である。帰ってきて作らなくていいって、楽!お弁当のおかずにと小さいハンバーグも作った。あとは、魚肉ソーセージを16分の1(縦長になるように切るというのも、hiroくん流)にして油で炒めておいた。ゆでたまごと、きゅうりの塩もみ。あしたの朝、“チン”して冷ましてお弁当箱につめるだけの簡単なおかずだ。「味、ないもん」とうるさいので、ハンバーグは、先日の“すき焼き”に使ったタレで煮込んでみた。ソーセージも塩、コショウは多めにふった。ハイキングコースをたどる予定なので、汗もかくし、濃い目の味付けの方がいいかなと思ったこともある。だが問題は…。hiroくん、今夜は“飲み会”。そうなると“グワーグワー”と“ヒロゴン”が現れて、眠れそうにない。さらに、翌朝は、「具合わる~い」と、hiroくんがいいそうだ。朝8時過ぎの電車で向かわないと、ゆっくり散策できない。大丈夫だろうか…。
2004.08.13
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限られた食材で何かを作るということは、頭を使うことだと思う。居候ゆえに、あと自分が滞在する日数を考えて、食材を購入するのにも、意外と頭を使う。hiroくんのところに、しばし滞在中。きのうは、残っていた“しょうが焼き”(11日の日記参照)があったので、ひき肉代わりにならないかと細かくして、ぎょうざを作ってみた。ニラは買ってきたが、残っていたキャベツと、足りない分はレタス。小学校の家庭科で、レタスは包丁で切ると苦くなるときいた記憶があり、わたしは今まで律儀にその教えに従って、ちぎってきたが、きのうはじめて“切って”みた。おそるおそる味見をしたが、苦くなどない。むしろ、残っていたキャベツは千切りにした状態で保存してあり、そっちの方が幾分苦い気がした。長ネギも残っているので入れる。パンを作るために買った強力粉が余っていたので、皮もお手製だ。粉から皮を作るのは二度目だが、ポイントは、“打ち粉”を多めにすることだ。そうしないと作っている矢先に、皮がくっついてしまう。さらに、hiroくんのところにある調味料も限られている。ごま油も酢もない。肉にはすでに味はあるから、あとサラダ油を加え、しょうゆ、和風ドレッシング(ごま油風味のため)、すき焼きで使ったタレを小さじ1程度、ラー油と塩、コショウを少々、チューブ入りのしょうがも少し加えた。生のひき肉でないため、固まらないかと思い、小麦粉とパン作りで残ったたまごも加えた。皮24枚作るのに50分。詰めて形にするのに20分ちょっとかかったと思う。小麦粉をこねる時間や、具材の下準備の時間も考えると、材料費はかからなかったものの、時間はかなりかかった。前も、ぎょうざを手作りしたときは、「ぎょうざは買った方が安い」と思ったが、今回も同じ感想だ。味は案外よかった。一足早くに食べてしまったが、hiroくんが帰宅した。「皮も全部作ったんだよ」と、ちょっと自慢する。hiroくん、食事中。「ご飯、まだある?」立ち上がり、“チン”をしにいく。「ぎょうざ、まだ残っている?」また立ち上がり、“チン”する。仕事して疲れて帰ってくるんだから、このくらいしてあげなきゃ…。「お水、ないね~」「あるよ、冷蔵庫に。hiroくんの方が近いよ」大好きな心霊のテレビを見ているのに、落ち着いて見ることもできない。きょうは、買い物に行ったら、なんとキャベツが1個50円のタイムセール!! 本当は半分か4分の1買おうと思ったのに…。あと、玉ねぎとトマトとしめじも買った。今夜、hiroくんは残っているカレーを使ってカレーパスタ。一人分しかないので、わたしは、レトルトのミートソースに野菜を加えてカサ増しして、トマトパスタ。あしたは、hiroくんは飲み会らしいから、2日分にしよう! キャベツが余るから、ロールキャベツにしようかな…。と、考えてみるが作ったことがなかった。でもオーブンの説明書にレシピ載っていたから、なんとかなるかな…。“衣食住”という言葉がある。1日くらい着替えができなくても、なんとかなる。雨風しのげれば、とりあえず住める家があればいい。でも“食”は、味はともかくとして“おなか”が満たされない日は、なんとも、ひもじくてわびしい気分になるのではないか。hiroくんのところでの生活は、ちょっと学生時代のひとり暮らしにも似ている。あのころも、冷蔵庫の中を考えながら買い物をし、何を作ろうか考えていた。そうだった。翌日の着ていく服と、夕食のメニューが決まらないと落ち着かない気分だったことを思い出した。
2004.08.12
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月曜日。hiroくんの帰りは23時ころだと思っていた。残業しても飲んで帰ってもそんな時間。19時過ぎに、そろそろおなかもすいたし先に夕飯を食べようと思ったときだ。メールがきた。“これから帰る”えっ! もう帰ってくる? ということはあと1時間もしないうちに帰ってくるということ!? 夕飯待ってなきゃいけないかな~。そこで、hiroくんに電話した。「今さ、すごくおなかすいているんだけど、夕飯、待ってた方がいい? あと、1時間も待っていると、栄養失調で倒れて救急車で運ばれるか、最悪の場合、餓死しちゃうかも…」hiroくんは、電話の向こうで笑いながら、「先に食べなよ」と。火曜日、きのう。朝、hiroくんは、重大な忘れ物をしていった。前日にパンを作り、hiroくんの好きなウインナーパンやカレーパンもまあまあの出来栄えだった。いつも朝食は会社についてから食べるからと、そのパンを持たせた。よし、忘れずに持っていったなと思ったら、なんとパンの横に置いてあった現代社会の必須アイテムが、“ぽつねん”と置き去りにされていた。「hiroくんのおバカ。ケータイ忘れた…」それでも、きのうのように20時に帰ってきてはと思い、夕飯の準備、ばっちり。本日のメニューは、しょうが焼き。昼間友達とランチしたから、あまりおなかがすかなかったが、おそく食べると身体に悪いと思って、20時すぎに食事をすませたが、hiroくん、帰宅せず…。「hiroくん、おそいな~」といっても、ケータイはお留守番だから連絡もくるわけない。23時をまわったころ、hiroくん帰宅。「ご飯、食べる?」「飲んできたもん」「えっ!」「ケータイないから、連絡できなかったんだもん」「え~! しょうが焼き、どうするの! いっぱい、残ってる! 残っているのはhiroくん好みに濃い味付けにしちゃった~!!」今でこそケータイやケータイメールで、どこにいても気軽にメッセージを送れる。だが、少し前までは「飲みにいくことになったから、夕飯いらない」と電話しているだんなさんは多かったのだろうか。まめでない人や、いちいち連絡なんかしてられるか! という亭主関白の人だっているだろう。 食事を作って待っている奥さんやお母さんの気持ちを、昨夜は切実に痛感した。さらに、その後がひどかった。酔っているhiroくんは、くどい。「家に帰るときさ、ばーちゃんにお土産買ってやりなよ。なに買っていく?」酔っ払いが、ひとの家の、ばーちゃんの土産の心配している。「東京のひよこ」「え~、だめだもん。ちゃんとしたの!」「東京バナナ」東京バナナは、一時期好んでいたが、それを知った親戚でドーンと宅急便で送ってくれた。“和菓子になった東京バナナ”まで新作だといって送ってくれた。従来のは、ふわふわ生地に、バナナ風味のカスタードでおいしいが、度を越してしまったので、今は見たくもないくらいの存在だ。「え~、もっといいのないの~」うるさいな…。「東京のドラ焼き!」「え~、いいけどさ…」そんなネーミングの商品あるのかな…。いい加減うるさいので、寝たふりをしていると、「あ~、都合が悪くなると寝たふりする~」と、案外するどいところがある。飲んできた日は、hiroくんは、“グワーグワー”と騒々しい。普段、不眠症気味らしいので、こういうときくらい熟睡できるからいいかなと思うけれど、本来なら檻に入っているはずの獰猛な動物が、隣にいるようだ。そんなわけで、うるさくて眠れなかった。やっと静かになり眠れたと思ったのも束の間…。“ミィ~ン、ミン、ミン、ミン、ミン、ミィ~ン♪”まだ5時前なのに…。朝。「具合わるぅ~い」二日酔いのhiroくん。「夜は、“ヒロゴン”朝は“セミゴン”で、うるさくて眠れなかった…」よく眠れなかった日は、なんとなく気分が悪く調子悪いものだ。
2004.08.11
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東京滞在中にと思って、友達とランチをしてきた。ランチの写真はこちらその友達というのは、恋の終わり方と恋の行方の日記に書いた彼女だ。今朝、hiroくんに言われた。「たまには、おいしいもの食べてきなよ。大戸屋とか王将じゃなくて…」大戸屋は、最近、かなりのお気に入りである。落ち着かないけれど、安くておいしい。特にhiroくん好みのお肉料理が多いので、外食をするときはよく行く。また、王将は、関東には店舗が少ないが、京都にいるときは安くておいしいとお気に入りだったことから、東京で店舗を発見して以来たまに行く。チャーハンが特においしいけれど、気のせいか関西のお店に負けるような気もする。渋谷で待ち合わせて、以前、彼女と行った店に入った。電力館の近くのちょっと奥まったところにあり、静かでおちついたところだ。以前たのんだのと同じ、ガレットのランチ。前回来たとき、はじめてこれが“ガレット”というものだと知った。サラダ、エスプレッソ、アイス、お菓子つきで1400円だからお得かもしれない。なにより、落ち着いた感じの店で、ゆっくり話せるというのがいい。ひと月半ぶりに会った彼女は、幸せそうに自分の恋の話をしてくれた。吉祥寺にある素敵なコーヒー専門店で、彼とケーキをたのんで、“半分っこ”したとか…。デート費用は全部彼がもってくれようとするから、どういうタイミングで自分が払えばいいか、とか…。彼女も当然、過去にも大恋愛をしているはずなのに、はじめて恋をし、はじめてデートしたかのような感じだ。彼女の現時点の夢は、自分の部屋に彼を招いて、手料理をごちそうすることだという。ちなみに、彼女は、決して料理好きでないことをわたしは知っている。「何がいいと思う?」と聞かれても、わたしも、気まぐれにしか料理はしない。だが、最近はまっている冷たいパスタのレシピを彼女に教えた。イタリアンドレッシングとポン酢を1対1の割合でまぜ、分量は麺と野菜の量に応じて変えればいい。「あと、レトルトのミートソースでも買ってきて、ちょっと玉ねぎとにんじんを炒めたのを加えたり、トマトもいいよ。そこにバジルペーストとかイタリアンドレッシングを入れるとそこそこのものになるよ」スープとサラダとワイン、食後のデザートなんか用意すれば、簡単でそこそこ見栄えもする。「やっぱり彼がわたしにとって最後の男だと思う。人を好きになるのに、いちいち結婚してますかなんて聞くわけないもの」たしかに彼女のいうとおりだ。好きになるのに、理由はいらない。だが、もっと会いたい、毎日一緒にいたい。そういう気持ちが強くなれば、必然的につらくなるはずだ。自分を見失わず、相手との境界線を土足で踏み越えなかったら、おそらく彼女の性格からして、いい恋が持続できると思う。普通に結婚していても、付き合っていても、現状に甘んじていてはいけないのだと思う。相手や自分の気持ちや現状は、微妙に変わっていくものだから、どんな恋愛でも愛することに努力が必要なのではないかという気がする。「今度また、あきらめますとか、自然消滅なんてメールがきても、無視するからね」と言っておいたが、些細なことに一喜一憂しながらも、それでも誰かを愛しているということは、生きていく上で潤いになる。ランチのガレットは、おいしかったが、ちょっとくどかった。夕飯はいらないくらいだが、hiroくんには、今夜は“しょうが焼き”だといってある。これもある意味、“努力”であり、そろそろ準備にとりかかろうと思う。
2004.08.10
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東京に来るといつも思う。どうして、こうもみんなせかせかしているんだろうか、と。駅の階段をかけ下りる、発車直前の電車に飛び込む。乗り遅れたら1時間待たないとないような、ローカル線ではない。高いヒールを履いてかけ下りる姿を見ると、転ぶのではないかと、こちらの方がひやひやする。うちにいるときは、ほとんど徒歩で足りる。片道30分くらいも“お散歩”と称して歩くので、車の必要性はあまり感じない。hiroくんのところに来ると必然的に電車に乗る。hiroくんのところに来るようになり、発見したものが、“スイカ”と“パスネット”だ。これは便利だと思う。hiroくんの“スイカ”を借りると、ちょっと心配になる。ちゃんと感知してくれるかな…、と。定期券入れの中にいろいろごちゃごちゃ入っているけど、大丈夫かな、と。ところが、きのう、いつもみたいに“ピッ”とやったのに、もう一度やりなおすようにとメッセージがでた。「ちゃんと、普通にやるんだよ、普通に!」改札をすでに通り越したhiroくん。今度は慎重に、ちゃんと見本にあわせて横にむけたら、通れた。「“スイカ”は横向きにしないとだめなんだよ、きっと」「え~、ちがうと思うもん。普通にピッてやるんだもん」普通も、普通でなくも、わたしは“普通”にやっている。池袋で電車に乗ったら、「あ、まちがった。一番、うしろがいいんだもん」どうも乗り換えのとき、最後尾に乗らないと歩く距離がずいぶんあるらしい。「あ~、どうしよう。中、歩くにも混んでるな。あ~」hiroくん、おおさわぎ。電車の中で歩こうが、ホームを歩こうが歩く距離は同じだと思う。結局、二駅くらい乗ったところで、「ホーム歩いて、むこうの車両に行こう」と、hiroくん決断。一つ、二つ…。hiroくん、一体、いくつ向こうに行く?そろそろ閉まっちゃうんじゃないかな~。三つ目の車両まで来たときだ。hiroくんが乗り込もうとしたところで、容赦なく“ピシャ”とドアが閉まった。「あ~!」ぼやくhiroくん。あ~、じゃない。hiroくんが乗れたとしても、わたしは乗れなかった!「hiroくん、“うさぎとかめ”のうさぎさんみたいだね~。急がばまわれっていうでしょ」「いいもん。次がすぐ来るもん」さらに、過去、こんなこともあった。hiroくんは、とにかく速いものに乗りたがる。「急行だって、乗り換えなきゃ! 早く、早く」あわてて飛び降り、乗換えをする。だが、ぎゅうぎゅうの満員電車。だったら、各駅でもいいから座っていきたかったなと思う。そう思うのは、田舎者だからだろうか。hiroくん、田舎者のくせに、都会時間になれてきたな…。必要以上にせかせかするのではなく、人生はのんびり生きていきたいと思う。
2004.08.09
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朝から、セミの声で起こされた。家にいるときは、スズメが起こしに来る。hiroくんのところだと、セミが目覚まし代わりのようだ。午前中、世田谷の長谷川町子美術館に行った。今まで行こう行こうと話していたものの、なかなか行く機会がなかった。サザエさんグッズの販売から、マンガやいろいろなものの展示があった。その点では、わたしが好んで訪れる作家の文学記念館と形式は似ている。だが、少しおもしろいイベントがあった。サザエさんの住む町に自分の家を建てられるのだ。ペットボトルのキャップほどのミニチュアの家に、自分でペイントできる。なんと権利証のカードまでもらえるのだ。わたしは、“あさひが丘”の線路沿いの緑の多い郊外に、hiroくんは、サザエさんの家の近くの街中に家を建ててきた。ちょっぴり夢のあるイベントだったな…。午後からは、池袋の東京芸術劇場で音楽を聴いた。hiroくんの知り合いが出るとかで…。「kayoちゃんは、音楽わかんないから、行って涼んで寝てればいいんだもん」といわれた。音楽を聴きに行くなんて、社会人になって以来はじめてかもしれない。高校までは学校で、そういった機会が年に1度くらいはあった気がする。わたしは音楽には疎く興味もないが、ピアノのソロなどのようなシンプルな演奏がすきだ。ひところ、通販でピアノソロのCDをコレクションしたが、誰が弾いているから音がいいとか、そんなことなど全くかまわない。というより、むしろ、わからない。それでも、ショパンはよくわからないなりにもすきだ。“幻想即興曲”は、文学に近い音楽のような気がしている。こういった演奏を聴いていても、音楽を聴いて“感動”するという感覚はわたしにはよくわからない。本を読んだり、絵を見たりして受ける感動と同等のものを音楽から得たことはない。だが、こうして演奏している人たちは、わたしが小説を書いて誰かに読んでもらいたいと思う気持ちと似ているものをもっているのではないかと感じた。そして、それぞれの楽器が奏でる音が集まって、ひとつの曲になっていることは、ある意味すごいことだなと感じだ。「hiroくん、あの、太鼓みたいなやつね…」休憩時間に舞台にむかって指差した。「ちがうもん。太鼓じゃなくて、ティンパニィ」「インパニー?」「ティンパニィ」「「ピンパニー?」「ちがうもん! ティンパニィ」なんだかそんな変な名前の楽器の人は見ていておもしろかった。4つくらいその“太鼓”みたいのがあって、たたくバチみたいなものもその時々で選んでいるみたいで、よくわからないものの“すごいな”と思った。さらに、そのとなりの人は、シンバルやトライアングル等をその時々に持ち帰る。一瞬の“チ~ン”や“バァン!”にきっと大きな意味があるんだろうな…。CDで聴いたらそんな人の動きや楽器について考えることなどないが、音楽を聴きに行くというこは、目で聴くことかもしれない。なお、本日の写真はこちらからどうぞ! 6枚
2004.08.08
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ドラえもんの道具で、ほしいなと思ったのもはいくつかある。タイムマシンとどこでもドアは、絶対的な道具。あとは、“もしもボックス”がほしいなと思っていた。“もしも、○○だったら…”と電話すると、その架空の世界が現実となる電話ボックスだ。きょうは、高速バスに乗り、長時間ゆられてhiroくんのところに来た。会いたいが会おうに変わるには、エネルギーがいる距離だ。いつも思う。どこでもドアがあればいいな…と。ドアの前で、「hiroくんの部屋!」といって開ければそうなっているなんて、なんていいだろう。一方で、これからどんどん便利な時代になり、テレビ電話が当たり前のように普及したらと考える。散らかしっぱなしの部屋が映し出されたり、ぼさぼさの髪の毛の寝起きの姿があらわになったり…。そうなると逆に、便利すぎて、不便な気がする。手紙を出してもつくのが2~3日後。電話も家族に呼び出しだった時代があったことを思うと、そういう“想いをはせる”時間もいいのではないかと思ったりする。だから、長い時間バスに揺られる時間も、わるくないのかもしれない。夕食は、hiroくんのところで、すき焼きだった。普段、わたしは家でもすき焼きを食べることがない。(焼肉派かな?)長ネギの切り方から、しらたき(普段、さわったこともないな…)も、「ちがう、こうするんだもん」と、また「もん、もん」大騒ぎ。でも、お米をとぐことからはじまって、すき焼きは、hiroくんが、しきりっぱなし。「このお肉、もう食べられるよ」と、とってくれたり、「だめ、だめ、まぜっちゃ!」と、hiroくんは、おそらく“鍋奉行”だな…。はりきって片づけまでしてくれたので、とてもらくちん。でも、お肉がかなり残ったから、あしたはビーフカレーにしようかと話した。「え~。あと200グラムくらいだもん。足りないもん」ちょっと不服そうだったが、でも、カレーにする。
2004.08.07
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毎年、この時期になるとふと命について考える。広島や長崎の原爆、終戦五十何年目とテレビでもやるからだ。広島は、数年前、青春18切符という普通列車乗り放題の切符を使ってひとりで訪れたことがある。ちょうど今頃で、6日の式典の準備をしていた。原爆の資料館には、そのまま炭のようになったお弁当箱に入ったご飯、くっきりと人の影が刻み込まれた石の塀などをはじめ、思い出すと鳥肌がたつようなものがいろいろ展示されていた。小学校5年のとき、担任の先生がよく本を読んでくれた。中でも、松谷みよ子の「ふたりのイーダ」は、印象深い。続きが気になって、親にねだり買ってもらった記憶がある。夏休み、父親の実家にしばらく滞在することになった直樹と、その妹が、不思議な家と椅子を発見する。“ナイ、イナイ”と低くつぶやきながら家を歩き回る椅子。ちょっとミステリっぽくて、夢中になった。本当は戦争に悲惨さを間接的に訴えた作品であるが、五年生のわたしには、そこまで受け止められなかった気がする。ただ、この本は何度となく読み返した。中学、高校と大人になるに連れて、歴史や国語の読み物等で戦争について学習すると、「ふたりのイーダ」を思い出した。またこの時期、「火垂の墓」というアニメもよく放送される。これもまた、戦争の時代で、残された少年と妹の話だ。戦地に行く人だけでなく、残された人にもさまざまなつらさは、当然あっただろう。親戚の家で肩身の狭い思いをして、兄弟二人で洞穴のようなところで住む。配給も手に入らず、仕方なく盗みをする。人は、自分に余裕がないと、他人にはやさしくできないんだなと、このアニメを見るたびに実感する。命は大切だと、学校では頭から教え込む。でも、正直わたしは、よく理解できなかった。大切ではないと思っていたわけではない。ただ、昨年、ロゼちゃんが天国に逝った時、あらためて実感した。命が大切なのは、自分のためでなく他人のため。この世でたった独りでも、悲しんでくれる人がいれば、その人のために命は大切なのではないか、と。
2004.08.06
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うちの裏庭には、スズメがやってくる。ロゼちゃんが生きている当時は、エサをあげる際、古いものは庭に捨てていたので、当然スズメがやってきた。また、毎年冬は、さすがに自然界も食べ物が少ないだろうと、ロゼちゃんのエサを少しおすそ分けしてまいてやっていた。春が来た頃、もうそろそろエサはいらないだろうと思ったら、子スズメを連れてくるようになり、なぜだか今年は、今でも毎朝、庭にエサをまくのが日課になっている。インコを飼っていないのに、鳥のエサはたまに買っているという…。以前は、ロゼちゃんが第一だったので、スズメに注意を払うことはなかったが、最近、よく見ているといろいろな発見がある。スズメって、みんな同じに見えるが、実は違う。色の濃淡や、模様の微妙な違い、尾羽の長さや太さが違うのだ。毎日数羽以上がやってくるが、どれがどれだかまでの違いはわからない。でも、中に一羽、頭に黒い円形のブチがあるスズメがいる。しかも毎日、来ている。命名“ブチ”。たくさんスズメがきても、ブチだけはわかる。ブチは親スズメではないらしい。親は、子スズメに付っきりだし、口移しでエサを与えたりするから。また、ブチは子スズメでもない。子スズメは、翼がまだ小さく、ちゅんちゅん鳴き続け、身体をプルプルふるわせているのがそうだ。さらに、“ドタバタ”という何とも重そうな羽音を立てて、落ちそうに飛んでいるからだ。ブチを見ていると、個性というものは大切だと感じる。ちょっと他のスズメと違うばかりに、目立ってしまう。それでも、集団にうもれないから、“ブチ”がいるとわかってもらえる。スズメ用のエサは、ロゼちゃんのお墓近くにまいておく。そのせいで、ロゼちゃんのお墓周辺は、草ぼうぼう。もしかして、このまま育てれば、“鳥のエサ”も自給自足ができるかなと思うほどだ。それに、ブチたちは、インコと同様、ご丁寧にカラを向いて食べるようで、エサのカラが散乱している。そんなわけで、あまりに汚れてきたから掃除をしてエサをまいた。その日の夕方、なんと再び掃除をしたかのように、ひとつぶ残らずエサがなくなっていた。「掃除したの?」という母の言葉に、「朝、したんだけど、そのあとスズメさんたちがもう一度掃除してくれたみたい」と。これは、もしかして“恩返し”かな?さらにスズメは、朝6時頃、一度やってくるようだ。ちゅんちゅん、騒々しい。7時半過ぎないと“青空レストラン”はオープンしないはずなのに…。いや、これももしかして、「せめてお礼に毎朝、起こしてあげよう」という恩返しかもしれない。でも、できればもう少し遅くにスズメアラームが鳴ってほしいなと毎朝思っている。
2004.08.05
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年に何度か夢に出てくる、初恋の人、Sくん。夢の中で、わたしは、いつもSくんを捜している。やっと見つけ出したSくんは、なぜかいつも荒んだ生活をしている。“ずっと捜してたんだよ”と、決まってわたしはいう。それでも、またSくんは、どこかに消えてしまう。最近、そんなSくんは、夢に出てこなくなった。Sくんは、中学の同級生で、3年間のうち何度か席が隣になった。彼は、グリーンピースがきらいで、給食に出ると、ポンポンとわたしのお皿に遠慮なく放り込んだ。毎朝、漢字と数学のドリルをする時間があり、たまに簡単なテストがあった。でも範囲が広かったから、前半と後半でページを分けて互いに覚えてきて、テスト中、さっと答案用紙を交換しておそれぞれが担当したところを書いたこともある。(⇒すでに時効成立?)どっちの方が背が伸びた、そんな“くらべっこ”までしていた。高校は別々になったが、たまに朝、通学途中に会うようになった。彼は並木道を、さっと自転車で下ってきて、ちょっと停まってくれ“おはよう”と。今の中、高校生に話したら失笑されそうなくらい、さわやかでウブだった。その後、Sくんと再会したのは短大の1回生の冬休みだった。わたしは、京都におり彼は東京にいた。彼の第一志望は京都の大学だったが、ダメだったこともそのとき知った。今でこそ、ケータイやメールでどこにいてもリアルタイムに連絡をとることができるが、当然そんな文明の利器もない時代のことだ。そして、なにより、この時わたしには、Sくんに対する気持ちはあったものの、どうしてもとらわれて仕方のない人がいた。自分の気持ちすら受け止めてもらえていなかったのに、Sくんと1対1で向かい合っていくことはできなかった。今から思えば、それが若さだったのかもしれない。一途な純真な気持ち。かけひきとか、要領のよさ、狡猾さ、そんなものは持ちえてなかった。“25歳まで結婚するな”とまでいってくれたSくん。その言葉の重みや、込められた気持ちが理解できかねたわたしは、あまりにも幼かったのかもしれない。そんな言葉は、一生のうちでSくん以外からいわれることはないような気がする。むしろ当時のわたしは、“好きだ”とストレートにいってほしかった。(その点、hiroくんは“このままじゃいけないと思うもん”“いいと思うもん”と、長い時間“クルクル”していたな…)Sくんが社会人になったころまでは、なんとか連絡をとってもいたが、数年後あらためてSくんに連絡しようとしたが、時すでに遅しで、行方不明だった。わたしも社会人になってからは、いろいろなことがあった。Sくんとダメになった原因の相手とも、“事実は小説より奇なり”というけれど、まあいろいろあった。それでも、その時々で好きになった人は、その時点では、自分にとって最高の人だと思えた。だが、そうはいってもわたしの中ではSくんを越えられない何かがあったような気がする。人生は正しいのです。どんな場合にも…。詩人リルケの言葉だ。学校の先生もよくいう。“人生はやり直しがきく”と。わたしも思う。人生はどう生きようが正しい、やり直しだってきく。でも、とり返しはできない。わたしが下した19歳の決断は、その後どうすることもできなかった。人生には岐路がある。そして、必ずいつかは決断しなければならない。もし、わたしの人生で誤りがあるとすれば、それは19歳のときの決断だ。長い間、おそらく潜在意識の中でそう感じていた気がする。だから、夢の中でもSくんを捜し続けていたのだと思う。hiroくんに出会ったとき、Sくんとのやりとりの感情を思い出した。“おはよう”とだけの短い会話をかわしていたときの気持ち。hiroくんには、二度目の“初恋”をしたような気がしている。Sくんと共有した時間は多くないが、それでももしかしたらhiroくんと過ごす時間と同じような時間を過ごすのでないか、そう思ったりする。たまに思う。青く澄んだ空を仰ぐと、Sくんもどこかで同じ空を見ているだろうなって。昔のような“好き”という気持ちではないが、それでも何かさわやかでキュンとなる気持ちは心の中に残っている。死ぬまでにもう1度会いたいな、と思う。
2004.08.04
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“なに、してんだよ!”“…たくぅ”“まただ!”なんだか、きょう1日で、性格が幾分ゆがんだ気がする。バージョンアップされたら、字は小さくて見にくい。レイアウトも微妙に変!たしかに、色やデザイン、枠の線など、組み合わせはすごく広がった。でも、こうも混んでいると、直しようがない。中途半端なままにすると、わたしの“美的感覚”が疑われる…。それにしても、昼間から深夜までつながりにくいって、世の中の人々は一体なにしているんだろう? 仕事していないのかな、寝なくていいのかなと、余分な心配をしてしまう。疲れたから、あしたにしよう。夕方からパソコンに向かって、ひとりごとばかり。ひとりごとをいう人って、精神分裂症予備軍と聞いたことがあるが…。それにしても、むかつくことって結構あるな~。roze-piのつぶやきにup することが多い。
2004.08.03
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待ち合わせしていなくても、偶然、ばったり知人に会うことがある。なぜ、きょう、この時にこの場所で? と思うことがある。中学の友達の家族には、頻繁に会う。友達は結婚して遠くにいるのだか、帰ってきたことを連絡くれなくても偶然会うことが多い。彼女に会わなくても、彼女のお母さんや妹さんにばったり会って、帰省したことを知ることもある。出会う場所も、道だとかスーパーだとかまちまちだ。また、わたしには、もう一人、よく会うどこの誰だかもしらない人がいる。小学校の頃、図書館にいたお兄さんだ。なぜか、最低でも年に1~2度は会う。会うというより、見かけるといった方がいいかもしれない。むこうは、わたしのことなど全くしらないと思う。ひところ、好んで行っていた喫茶店でもそのお兄さんはよくいた。珈琲の専門の喫茶店で、ちょっと薄暗い雰囲気が好きで、友達と会うと必ずといっていいほど行った。お兄さんは、奥の席で文庫本を片手に独りで珈琲を飲んでいることが多かった。常連さんだったのかもしれない。好みや行動パターンが似ているのかな…。それが、きょう、また駅前でお兄さんを見かけた。ちょうど、バスに乗り込むところだった。半年振りくらいかな…。それにしても、お兄さんはあまり年をとらないというか、子供のころのわたしが見たままとあまり変わっていない。また、逆に会いたくない人に偶然会うこともある。なぜ、ここに、今、いるんだ! あとちょっとずれていたら、通った道が1本ずれていたら!! そう思うこともある。仏教でいう四苦八苦の中に、八苦の方だが“愛別離苦”と“怨憎会苦”という言葉がある。読んで字のごとく、愛するものと別れなければならない苦しみ、憎んでいても会わなければならない苦しみ。なんか皮肉なものだが、人生にはよくあることだ。
2004.08.02
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夏の必需品に、蚊とり線香、虫さされの薬、虫よけスプレーがある。夏の三大神器といっても過言ではない。全く、蚊には迷惑している。(roze-piのつぶやき参照)我が家は“ボロ家”なので、お風呂に換気扇なるものがない。わたしは、数年前まで“お風呂の窓は開けて入るもの”だと思っていた。湿気防止のために…。庭に面していて道もなく一応壁もあるので、外からは見えない造りになってはいる。夏、窓を開けて入ると、大きな問題は“蚊”だ。小さな虫けら1匹とはいえ、襲われたら全裸だし、防ぎようがない。ある意味、チカンより恐ろしい。そんなわけで、お風呂に入るときは“蚊とり線香”が必需品なのだ。また、その蚊とり線香に点火するのが結構やっかいで、ついたかと思うと消えてしまう。最も簡単なのが、ろうそくからの点火だと気づいた。ろうそくがあるところは、仏壇。必然的に、蚊とり線香に火をつけるついでに、お線香をあげる。知り合いのお店に行って、なんとなく買わずに帰れないという心境と似ている。週に何度かお線香はあげているけれど、夏場は、その機会が蚊とり線香の使用度に比例して増えている。子供の頃、曽祖母(ひいばあちゃん)が亡くなって以来、仏壇に手をあわせるという習慣が出来た。脳溢血であっけなく亡くなった。ついさっきまで普通に生きていたのに、廊下ですれ違い、うるさそうに返事をしてその場から立ち去ったわたしだが、それっきりひいばあちゃんと話すことは当然できなかった。死とは、取り返しがつかないものだ、と幼い心にも深く刻み込まれた。もうすぐお盆がくる。久々にお墓参りにも行かないとな…。
2004.08.01
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