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「万雷の拍手を浴びて」 1841年コンサートホールでの公開演奏を突然発表したショパン。その背景にはサンドの借金返済があったようです。サンドは自分が脚本を書いた舞台が失敗して、莫大な借金を抱えていたのです。サンドの借金返済のため、一大決心をしたショパン。「びっくり仰天のニュースです。ショパンが大演奏会を開きます。」サンドは興奮を伝える手紙を書いています。1枚20フランのチケットは、瞬く間に売り切れます。オペラのチケットの2倍もする値段だったそうです。4月26日プレイエルホールプレイエルホールは、カミーユ・プレイエルが1829年に作りました。フランス最大のピアノ製造会社の経営者で、ショパンの支援者であり良き理解者でもありました。開催された公開演奏は満員の客席。パリの著名人で埋め尽くされました。画家 ウジエーヌ・ドラクロワ詩人 ハインリッヒ・ハイネポーランドの亡命詩人 アダム・ミツキエヴィチ作曲家 エクトル・ベルリオーズ作曲家 フランツ・リストショパンの演奏が終わるたびに万雷の拍手でした。 今日の曲は「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調」 ショパン:スケルツォ&バラード(全曲)@アントルモン(p)ショパンスケルツォとファンタジー 全音ピアノライブラリー 公開演奏で弾かれた曲の1つ。作曲家リストは「ショパンのこのスケルツォは激しい怒りや絶望など彼の内面の心情を最もよく表している」「名声や成功は時に幸運な機会が作り出すが、ショパンの天分は状況に左右される事はない」と評しました。この放送で99回目のぴあのピア。選曲に迷っている・・・曲の背景も知りたい・・など皆さんの参考になれば良いな~~と思っています。でも一番には自分のためだったりします。(笑)・・・弾きたい曲ばかりが増えているので困る部分もあるけどね・・・
May 31, 2007
「“完璧”の求道者」 「その曲は既に楽譜になっていたかのように演奏された」ショパンの即興で演奏するピアノを絶賛した友人の言葉です。即興演奏でさえ緻密な音楽を奏でるショパン。作曲においても自由な発想を生かしながら入念な仕上げを常に怠りません。ピアニストの清水さんは「自分の作品に対してものすごく責任感があり、完成度の高さはショパン自身が求めていた。」と語っていました。天才と呼ばれたショパンも曲作りには悩んだと言う。「ショパンは一つの曲想を思いつくと、これでもかと書き直し数日に渡って部屋を歩き回り苦闘を続けた」作曲する様子を生徒の一人が書き残したものです。ショパンの即興曲は、シューベルトに並ぶ最高傑作と言われています。今日の曲は「即興曲 第1番 変イ長調」「即興曲 第2番 嬰ヘ長調」 ◆ポーランド音楽出版社 ショパン 即興曲【エキエル版】ショパン全集IV 即興曲 パデレフスキ版ウィーン原典版58 ショパン/即興曲集ショパン:即興曲集&前奏曲集即興曲はもともと即興演奏をそのまま楽譜に写したもの。シューマンは「ショパンらしいみわくてきにな旋律で始まり、その後独創的な変化を見せる。他の作品には無い洗練さを持っている」と書き残しています。ショパンはこの曲が完成したとき「書いたばかりでよくわからないが どうやらこれは駄作だ」と完璧主義を表すような言葉を残しています。この曲は初めて聴いたのですけど、とても素敵な曲でした。即興曲といえば、幻想即興曲が有名ですがこの曲はまた聴いてみたいと思いました(*゚ー゚*)ポッ
May 30, 2007

今日は久しぶりにゴルフ練習場に行きました。ホント3年ぶりくらいで、バックの中身の状態も????結構カビ臭もありましたが、打ってみました。私の場合は、I5(5番アイアン)が良く当たって距離も出ていたのだけど・・今日は久しぶりとあって全くスカッとしない(芯をくっていない・・)7番・5番・Pと打ったけどどれも「あれ?トップかな・・」って感じでした。体の心は良いと思うのだけど、テイクバックのときに手首が返るほどあげてしまうのが問題かも・・今日は巻き爪が治って(左だけ)最初の練習なのでこの程度で・・ホントはウッドも試したかったのだけど主人がかなり本気モードに入ってきたので「もうお腹すいたし・・」とやめました。 久しぶりに風が入ったバック。。帰り道T字路付近で思いました。 「バーク無いんだよね・・」そう私はバラの鉢に全てバークを敷いています。そのまま帰宅するなら左花屋さんへ行くなら左・・というT字路で「ちょっと寄って欲しいんだけど・・」と言ってみました。主人は快く寄り道に付き合ってくれたのだけど「花は見ないから・・・」と自分から宣言!バークチップを袋一杯つめ放題で198円という花屋さん。もちろん「命一杯」つめました。ちょっと遠慮しつつ・・つめられるだけつめました。一度はレジを済ませたのだけど、チラッと見えたバラ苗はとても安いとは思えず浮かんだのは、蘭。胡蝶蘭は見切り品をチェックしても・・と、蘭コーナーへ。カトレアもたくさんあったけど、これからは胡蝶蘭だけ・・と決めていたので。。あっっビックリしたのは「パフィオ」がたくさん有ったの。ここでみたのは初めてで、もしかしたらいつかリカステも出るのかな・・って思いました。リカステもいつか欲しいんですよね~~胡蝶蘭はと言うと、有りました花の終わりかけ。 来年の開花まで楽しんで育てられそうな苗。陶器の鉢もついていくらだと思います~~? 980円でした。ミニ胡蝶蘭は白しかないので、ピンクが欲しいな~~って思っていたの。ゲッチューです。もう少ししたら素焼きの鉢に植え替えて管理したいと思っています。↑今思い出した・・素焼きの鉢も買ってくれば良かった・・・HCへ買いに行かないと!ミニのサイズは3号の素焼きで管理しています。胡蝶蘭は難しいと思われがちだけど、素人でも十分楽しめる簡単な蘭ですよね~~
May 30, 2007

花がら摘みとあわせ、少し深めに剪定しています。外芽の直ぐ上でナナメに切るのがバラ剪定の基本だと言いますね。切った枝を再利用して挿し木を楽しんでいます。まだ根は出ないものの葉も元気だし、この分だと発根するだろうな・・と思っていました。挿し木を置く場所はあまり日が当たりすぎては駄目・・そんな事を考え以前は室内で発根を待ちましたが陽気も良いし、外の方が良いかな??とベランダの日当たりが悪い部分に移しました。受け皿にポットを置いた状態で、発根するまでは毎日のように受け皿の水を換えてあげるこんな毎日が続いていますがこのところ枝の無い、土だけのポットが・・・??子供がいたずらしたのかと思っていたらきのうやっと犯人が判明しました。それはなんと・・・「風」と「洗濯物」だったのです。挿し木の枝にある葉は、一枚一枚を半分くらいに切ってあるもののベランダで風に当たり抜けてしまったのですね・・根が無いただの枝ですから、強風ではひとたまりも無かったのでしょう。そして風に揺れる洗濯物は時にベランダの外まで出てしまうほど。。ゆらゆら揺れるうちに、枝や棘に触り抜いてしまっていたと判明しました。早速置き場所を以前の室内に戻しましたが、これもまた安心できません。我が家では子供にも洗濯干しほを手伝わせる事があるので洗濯籠をもった子供が通り際に・・・ガチャンと引っ掛けてしまわないか・・・また置き場所については別のところも検討したいと思っています。このところ上手く発根せず、失敗続きなので今回の枝は根を出してくれると良いなo(*^▽^*)o~♪挿し木が成功したら、色々な場所で育てて花の違いを観察したりしてみたいです。環境の変化で花が変る・・・ピンクパンサーです。お友達にも分けてあげたいな★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 29, 2007
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「ソナタを超えたソナタ」 パリに亡命していたポーランドの人の間では祖国で民族運動が再び起こることを信じられていました。ショパンは「それが本当ににればいいが僕はそうとは思わない」と、この運動の成功には懐疑的でポーランドの状況に悲観的でした。 今日の曲は「ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 第1楽章」 ショパンが自ら「葬送行進曲」と呼んだ曲。ノアンで完成したこの曲は、ノアンの穏やかな自然が祖国ポーランドの農村を思い出させ占領に苦しむポーランドへの思いがこめられています。4つの楽章からなり、従来のピアノソナタのつくりとは大きく異なる。第2楽章には、通常第3楽章に置かれる「スケルツォ」が使われています。第3楽章は全体の中心となる「葬送行進曲」第4楽章はわずか75小節という例を見ないフィナーレ。このソナタは大きな論議を呼びショパンの良き理解者、シューマンは「ショパンは型破りな4人の息子をただ一緒にくくりつけた」と批判。この曲の独創性を認めつつ、ソナタと呼ぶことに戸惑いを感じています。コルトーは、ロマン派の傑作ソナタと位置づけ、第1楽章を「運命からも見放され絶望した人間が熱に浮かされたように息切れしてあえいでいる」と評しています。ピアニストの横山幸雄さんは「ピアノ史の常識を打ち破り、今ではソナタの傑作として輝いている。自由な感情表現へ発展した時期だが、ロマンティックな部分と古典からの形式的な美しさのバランスが魅力」と話していました。以前「題名のない音楽会」に出演されたブーニンがこの曲はあまり弾きたくなかった・・と語っていたのを思い出します。皆さんの中でも覚えている方多いのではないかと思いますが小山さんも出演していらして、二人の素敵な演奏とエピソードが聴けた2年ほど前の放送です。葬送行進曲はあまり弾きたくなかったと語りつつ、好きな部分がありその部分を取り出して弾いて「会場を包むような」素敵な音にウットリしました。
May 29, 2007
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「サンドの愛に包まれて」1839年6月から5ヶ月間、自然の豊かな村「ノアン」に滞在したショパン。サンドが少女時代を過ごした祖母の家を、別荘として使っていました。パリに来て8年サロンを中心とした生活は繊細なショパンを消耗させていました。心身ともに疲れきり、サンドはノアンで気さく正しい生活をして元気を取り戻させようとしました。2階の日当たりのよう部屋を用意し、決まりごとは「夕食を皆で一緒に食べる」こと。ショパンは思いのまま作曲に専念できました。曲作りに行き詰ると、サンドと散歩へ出かけたりもしたそうです。「私は口うるさい寮母のようになっていました。」「坊やにはノアンよりもう少しにぎやかで、単調ではない生活が必要なのです。」サンドがノアンでの生活を伝えた手紙よりサンドの溢れんばかりの愛情と豊かな自然の中で作曲しました。 今日の曲は「バラード第3番 変イ長調」◆GH295 ショパン楽譜 バラード集【ヘンレ版】 ショパンバラードとアンプロンプチュ 全音ピアノライブラリー ショパン:バラードショパンらしい華麗な作品。シューマンは「この曲からはパリの社交界に順応した洗練された知的なポーランド人を見出すだろう」1839年から7年間ノアンを訪れサンドの愛に包まれて多くの傑作がノアンで生まれています。
May 28, 2007
今日もパズルの組み立て(バッハ インヴェンション)を練習しました。このところ、大分弾けるようになってきたので練習も楽しくてバッハについては、以前レッスンしてしばらく弾いていない・・と言う方も多いですよね。私ももしレッスンだけで、ブログのお友達が居なかったら続けられたか分からないな~~って思います。主題が右に左に移動するバッハは片手で弾けても両手にすると「訳が分からなくなる」と言った感じで弾けるようになるまでは悪戦苦闘。このくらいの時期は全然進まなくて嫌な時ですね。ホント素人で、再開してから始めたインヴェンションだけど私なりにどうして難しいと思うのか考えて見ました。もしかしたら「耳」に関係しているのかしら?左右の音を別々に聴いて別々に考えられるとか?弾いて練習するだけでなく耳が慣れてくると、ビックリするほど弾けてきたりしますね。初めてレッスンでインヴェンションの1番を頂いたときには必死になって練習したのを覚えています。練習しても、練習してもたった2小節の「ドレミファレミドソ ドシドシドーレ」が両手で合わなくて焦りました・・2曲目くらいまでは、焦るという感じで練習していましたけど1.4.8.10.13と5曲合格して14番は6曲目・・・「はじめは弾けなくても弾けるときが来るから」とそんなに焦る気持ちはなくなりました。気持ちの上では焦らないのは良いことにもつながるけど練習をしないと弾けないのだということは実感したり・・でもこの楽しく練習できる時期はホントバッハならではですね。。自分の手から、このメロティーが流れてくるって・・・他の難しい曲より嬉しいんですよね~~まだ1ページくらいまでで、2ページ目からはミスタッチも止まったりも・・・色々あるけどこれからの練習は楽しくてたまらないのがバッハですね。 それからツェルニー。40番に入ったものの、30番にはない難しさも感じています。30番で基礎を作って、40番は更にテンポも・・と思っていたのでどうしてもテンポに気をとられて、丁寧さが欠けていたような気がします。。音符や休符の長さもしっかり守ってゆっくり練習したいな・・って思いました。そんな事を思ったのは「ツェルニーの指定速度」についてのことを読んだのです。半分でも難しいものもあるし・・私の練習している40番の1は「二部音符=108」のテンポが指定。。私は今「四分音符=100」が限界かな・・いつも思っていました。作曲したツェルニー自身、このテンポで強弱つけて練習曲として拍感あるように弾けるのだろうか・・・弾けないんじゃないの??って。そしたら昔のピアノと今のピアノの差も有るようですよ~昔のピアノは、今のピアノより鍵盤が浅かったみたいで今より速いテンポで弾くことは出来たみたい。。読んだ記事もうろ覚えで間違った事書いている可能性もあるけどピアノの構造(設計)も、今とは随分違う時代に作曲されたと言うことは事実でしょうね。前回のレッスンで「テンポはそんなに気にしなくていいです」と言われてはいましたがそんな記事も読んで、「テンポより練習曲として目的を重視して弾く」と言うことを頑張りたいな~~と思いました。今日はこんなお買い物もしてしまいました。★ショパン プレリュードとロンド★
May 28, 2007
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「海風が運んだ前奏曲」1838年11月女流作家ジョルジュ・サンドと、地中海に浮かぶマヨルカ島を訪れたショパン。「風の家」と呼ばれる港に近い邸宅に滞在しました。「トルコ石のような空、エメラルドのような山、天国のような空気」マヨルカ島の印象を書き残しています。マヨルカの自然に創作意欲を掻き立てられたショパンですがパリから送ったピアノは一向に届きませんでした。滞在先を「風の家」から、見晴らしの良い丘にある「カルトゥジオ会修道院」に移し島で借りたピアノで作曲を始めました。漸くパリからピアノが届きピアノ製作者のプレイエルに礼状を送ります。「ピアノは海を渡り悪天候も有りましたが完全なものでした。」お気に入りのピアノを手に入れたショパンは、一気に前奏曲集を完成させパリに送りました。マヨルカ島では「前奏曲集」だけでなく「バラード第2番」や「スケルツォ第3番」など次々と対策を書き上げました。今日の曲は「前奏曲 第7番 イ長調」「前奏曲 第15番 変ニ長調」「前奏曲 第24番 ニ短調」 ショパン:24の前奏曲,ピアノ・ソナタ第2番「葬送」 他前奏曲集の24曲には、全ての種類の長調と短調が用いられています。同じく24種類の長短調を使ったバッハの曲集に影響を受けたと言われています。第7番 太田胃酸のCMで有名ですね。 一番短い前奏曲としても知られています。第15番 マヨルカ島の雨をピアノの音で表現した曲として知られていますね。 第24番 激しい感情を表すのに相応しいニ短調で書かれています。 この日のピアニストは小山さんでした。いつ観ても素敵な演奏でうっとりしてしまいました。私はプレリュードの24番を聴くのは初めて(もしくわ、久しぶり)で、どんな曲か楽しみにしていました。しばらく楽譜は買わないように←弾ききれないくらいあるのにそう思っていたけど、前奏曲集は欲しいな~~って思ってしまいました。「楽譜は腐ったりしないし」ね
May 25, 2007
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「運命の女性」 1836年、ある伯爵夫人のサロンで出会ったのは女流作家のジョルジュ・サンド。サンドは人気小説家として社交界で脚光をあびていました。政治についても堂々と論じる時代の先端を行く女性でした。サロンでショパンと初めて会ったはサンドは美しいピアノの響きに身を震わせたと言います。またショパンは、「ピアノを弾いている私を、あの人は深く見つめる」「私は心を奪われた」と書き残しています。強い生き方を貫き、優しさを兼ね備えたサンドの魅力に惹かれていくショパン。サンドもまたショパンへの思いを募らせていきます。ショパンは知人への手紙に「この可愛い人が引き起こした気持ちに私は戸惑い驚いています。」と書いています。出会いから1年半以上すぎたある日サロンで再会した二人は本格的に交際を始めこの日から9年間、ショパンの人生と音楽に決定的な影響を与えるサンド。サンドによって、芸術家として人間として成熟していくショパンです。ショパンと言えばサンドですが、知らないことも多いのではないでしょうか。サンドの書いた小説「アンヂアナ」も読んでみたくなりました。アンヂアナ (上巻) 今日の曲は 「スケルツォ 第2番 変ロ短調」ショパンスケルツォとファンタジー 全音ピアノライブラリー ◆GH279 ショパン楽譜 スケルツォ集【ヘンレ版】 ショパン : バラード & スケルツォ集 スケルツォとは、イタリア語で「冗談」「気まぐれ」という意味。もともと陽気で軽快な曲想の音楽に使われてきました。大人のショパンを存分に味わえ、濃厚で多彩な仕上がりの曲。激しい短調から、華麗な長調へショパンらしい鮮やかな展開。シューマンは「“冗談”が黒い服を着たら、まじめは何を着ればいいのか?」と言ったそうです。今日の演奏は清水和音さんでした。ぴあのピアで初めて知ったピアニストさんですが、とても素敵な演奏をされますね。先日は一番難しいと言われているラフマニノフのピアノ協奏曲を演奏しているのを拝見しましたが素晴らしい演奏でした。カツァリスもハンガリアを練習するようになってから知ったピアニストさんですが難しいと思う部分もサラッと弾いてしまうスゴイ方ですね。。
May 24, 2007

こんばんわ。「パズル」の組み立て=バッハでございます(〃∇〃) パズルで言えばまだピースを色分けしている段階から全然進歩のない私でしたが今日はいつもよりじっくりバッハを練習しました。「いつもじっくりじゃないんだ」と言われたら「そうですね・・」としか言いようがない状態。バッハを練習している方なら分かると思いますが始めは全然弾けないので「ピアノの練習」と言えるのか?って思うほど指を動かせません┐( -_-)┌ 他の練習曲のように、左右別々に弾いていれば弾けるようになってくるかと言えばそうでもないような気がします。やっぱりゆっくりでも両手で進めて行かなくては弾けませんね。バッハに限らずどの曲でも好きな部分や楽しくなる部分があると思いますがインヴェンション14番も12小節目からはとっても楽しそうです。もう少しで12小節までたどり着けるか・・(練習時間の関係もあって)と言う所で、明日からにしよう。。と消極的でしたが楽しいところは先取りでもいいじゃん!11小節までも、たどたどしいのだけど12小節以降も練習開始しました。楽譜を見ていたときより、弾いたときの方が楽しい。もっと早く先取りしちゃえば良かったのに・・(レッスンに間に合うかな?)この調子で明日もパズルを頑張ります★(*^-゚)⌒☆Wink!今日の練習 ・ハノン H dur、gis moll やっと慣れてきた状態。逆付点で練習中。 復習 23.24番 ・ツェルニー40番の1番 逆付点で練習中。 まだ時々付点か逆付点か分からなくなってしまい、弾いて確認する事も・・ 逆付点で拍頭にアクセントって難しい。。 ・ツェルニー40番の2番 譜読み完了かな・・ 私にしては早い譜読みでした。 スケールだからだろうけど、いつもこのスピードで譜読みが終わればいいのにね。。 1番同様逆付点で頑張ってマス。 ・インヴェンション14番 11小節までと12小節からと二つに分けて練習中。 11小節まではなんとか弾けて来たのだけど、12小節からはもっと弾かないと・・・ でもハモッって居るような音なので、譜読みは楽なほう。 明日も頑張るわ ・ハンガリア舞曲第5番 この曲とても疲れます。 すごく肩がこるし・・・多分色々な所に力が入ってしまうのは 和音とアルペジオが多いから。。 細かい部分も練習しつつ、最後までつなげて弾くことを目標にしたいと思います。 この曲を選んだときには 子供の頃逃げ出した曲と一度はリベンジして 次は「悲愴」だ!! なんて楽しいことばかり考えていたのだけど ハンガリアの先は、まだまだ見えてきません。 1年レッスンする覚悟ででも絶対弾けるようになりたい。みなさん!私のハンガリアと1年付き合ってくださいねo(*^▽^*)o~♪
May 24, 2007
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「ショパンのピアノ愛」 ピアノが誕生して100年が過ぎた頃ヨーロッパでは次々とピアノが作り出されていました。その支えとなっていたのは、著しい技術革新と音楽家たちの助言でした。ささやくような繊細な表現にこだわっていたショパンは柔らかいタッチと美しい音色が出せるプレイエルのピアノを愛用していました。天才ピアニストのリストは「ベールの掛かったような響きと、弾きやすいタッチのプレイエルをショパンは好んだ」と書き残しています。生徒をレッスンする時は、演奏会用のピアノを使わせ最高の音が出るピアノに、普段から触れることが大切だと考えていました。ショパンの良き理解者であり、支援者であったカミーユ・プレイエルはショパン愛用のピアノを製造した、プレイエル社の2代目。自信も優秀なピアニストで、次々に最新のピアノを提供しました。ピアノに最高の美を求めたショパンの姿勢はこの練習曲にも現れています。 「練習曲 作品25 第11番 イ短調」「練習曲 作品25 第12番 ハ短調」 ◆GH124 ショパン楽譜 練習曲集【ヘンレ版】 ショパン 練習曲集(パデレフスキ編)ショパン エチュード集[作品25] 原典版 山崎孝校訂/井口秋子監修ショパン:12の練習曲op.10/同op.25@小山実稚恵(p)1832年から5年間掛けて作られました。11番 激しい音の動きから、いつしか「木枯らし」と呼ばれるようになりました。ダイナミックな右手の動きと、主旋律を奏でる左手が特徴の曲。シューマンは「練習曲と言うより詩だ」と絶賛しビューローは「完全なるピアノ曲」と絶賛しました。12番 無限に続く波を連想させる旋律から「大洋」という呼び名でも親しまれています。
May 23, 2007
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「ピアノが紡ぐ物語バラード」 ポーランドを代表するロマン派の詩人、アダム・ミツキエヴィチショパンは青年時代から親しみ敬愛していました。1830年ワルシャワでの民族自立運動が失敗に終わり多くのポーランド人がパリに亡命していました。その中にミツキエヴィチも居ました。異国の地パリで、祖国の栄光と名誉を書いた祖国を憂う人々の支持は圧倒的でした。「砲声は鳴り響き鼓動は高鳴る。ポーランド人は再び世に名高く、栄光はわれらのもの」物語詩 バン・ダテウシュより詩や小説が伝える物語を、ピアノでも表現したい。ピアノの音で新しい物語を紡ぎたいという発想を持ったショパンです。祖国への強い思いがピアノの新しい世界を切り開きます。 「バラード 第1番 ト短調」 ショパンバラードとアンプロンプチュ 全音ピアノライブラリー 1835年に作られたこの曲が、バラードと名付けられた最初のピアノ曲。ピアノの曲にバラードと言うタイトルをつけたのはショパンが初めて。バラードとは元々物語性のある詩にメロディーをつけて歌われても来ました。バラードを作るきっかけとなったのはミツキエヴィチの詩だといわれているがショパンは明らかにしていません。ピアニストの仲道育代さんは「物語から立ち上ってきた印象を音にしている。音によって自分の中に喚起される言葉にならないドラマ。ピアノの音がこれだけゆうげんに何かを語ることが出来ると感じさせてくれる」と話していました。この曲は「戦場のピアニスト」で使われていた曲ですね。私はこの映画が好きで、何度となく観ていますがシュピルマンがドイツの将校に見つかってしまい職業を聞かれ、ピアニストだと言い弾いた曲でした。将校はきっと、あてずっぽうのようにピアニストだと言ったと思ったでしょうに・・弾き始めた曲がバラードで・・・ビックリしたのではないでしょうか。。シュピルマンの長い指と、白い息に目が釘付けになったのを覚えています。映画を観たことがない方はこちらから少し観る事が出来ます。初めてこの映画を観たときはピアノを再開する前で、「スゴイ曲だけど・・誰の曲なのか??」聴いたことがない曲でした。バラードは素敵な曲でドラマチックだと感じますが最近は弾ける曲を聴く・・という傾向があるのでじっくり聴いてみたいと思いました。
May 22, 2007
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「恋するピアノ」 1836年夏、26歳のショパンはパリからチェコ西部のマリアンスケ・ラズネを訪れていた。ワルシャワ時代の親友の家族と1ヶ月を過ごしました。妹、マリア・ヴォジンスカにはマリアがまだ幼い頃ピアノを教えた事があった。17歳になったマリアは魅力的な女性に成長していてショパンはすっかり心を奪われてしまいました。美しい街を二人で散策し、音楽について将来について語り合い結婚を申し込みました。マリアとの結婚話は順調に進むかと思われましたがマリアの母テレサは「ショパンが健康になること」を条件にしました。若い頃から結核の証しよぅに来る芯で居たショパンは喀血したり長期間寝込むこともありました。1837年2月パリに戻ってから体調を崩してしまったショパン。マリアの両親は娘に結婚を諦めさせ、半年後マリアから最後の手紙を受け取りました。「さわうなら。私たちのことを忘れないで」半年後マリアは貴族と結婚し77歳まで生きました。 今日の曲は「ワルツ 第9番 変イ長調」 告別「ワルツ第11番 変ト長調」 ←私の持っているCD ショパン ワルツ集 ←私の楽譜9番 マリアのために作ったワルツ。 生前には出版されませんでした。 マリアはこのワルツを生涯大切にしていたそうです。 別れのワルツと呼ばれている曲ですね。11番 1832年パリに移住してから間もない頃の作品。 死後出版されたため「遺作のワルツ」と呼ばれています。 商品ながら高い技巧が求められているワルツです。
May 22, 2007
今朝も屋上に行き水遣り♪としていると発見!アブラムシです。。薔薇にはしっかりオルトラン を撒いてあったのだけどハイビスカスの新芽にびっしり。。いつもやられてから気がつく私。。薔薇の消毒もそろそろだわって思っていたので を混ぜて散布しました。オルトラン粒剤は色々なメーカーから出ていますが父のお気に入りは「武田」です。他のものより効くと・・・思っているようです。私はHOKKOを使ったり色々です。薔薇への薬剤散布は出来ればしたくないのだけど、たくさんの薔薇を少ない時間でお世話するには一番あっていると思い迷いつつ散布。いつかは無農薬で育ててみたいです。それから父のお友達には盆栽の先生が居まして消毒の薬について色々聞いてみました。・前日から水遣りを控える・消毒は日が陰ってから・葉の裏も丁寧に・土にもかけるこんなことを教えてもらいました。消毒って日があるうちは、葉焼けをおこすからだったのですね。。実は教えてもらった前日に、日中散布してしまいました。。それから一番ふーんって思ったのが土にも薬剤を散布するって所。土の中にも色々な菌や虫の卵があるって言っていました。水遣りと同様、鉢から流れるくらい散布するそうです。そしてもう一つ。薬剤は絶対安全な量より少し少なめで表示されているんですって。気持ち大目じゃないと効き目は薄いと教えてもらいました。4リットルで4ccだったら、4リットルで5ccとかがいいと言ってました。教えてもらって数日で北海道に帰ってしまいましたのでまた機会があったら色々教えてもらいたいな~~って思っています。それにしても盆栽って凄いですね。毎月父が楽しみに買っている「近代盆栽」まるで「だるま落とし」のような事やっていました。木の中間の曲がりが悪いから、その部分だけ切って上を乗せるって。。何年も掛けてでしょうけど、これなら何でも出来ちゃうな・・って思ってしまいました。盆栽の先生は、近代盆栽の講師としても紹介された方です。近代盆栽2001年11月号 北海道篇 初めての整形依頼、やがて大きな夢へ
May 21, 2007

レッスンから1週間が過ぎた頃から少し『危機感』を感じ、練習はしていましたが亀の歩み状態今日は少し時間の余裕もあったので何か変えなければ・・とピアノに向かう時間を増やしてみました。今日気をつけたことは・レッスンから1週間以上過ぎていることは忘れる(封印)・とにかく焦らず、テンポも超スローで楽譜を確認しながら弾く。・弾けることを目標にはしないで、進歩があるまで続けてみる。ちょっと考え方を変えた所、明るい兆しも見えてきました。今日の練習 ・ハノン H dur、gis moll 先日も書きましたが、『逆付点』に慣れるまではハノンでもひたすら弾き続けようかと思っています。。←まだ慣れていない私。。 復習 22.23番 ・ツェルニー40番の1番 はい。これが問題の逆付点練習。。休符から入る曲(しかも16分休符・・)って難しすぎ・・ 普通に弾くときもテンポは上げないように丁寧に。 ・ツェルニー40番の2番 途中まで両手にしたけど、左手の音階は丁寧さに欠ける。。 1番同様逆付点で頑張る ・インヴェンション14番 練習が進まない原因の一つだった14番。 スラーの部分がつながっても、8分音符が切れなかったり・・パズルの組み立てには時間掛かりそう。。 でもバッハの場合弾けるようになってくると楽しくて楽しくて練習がはかどる面もありますね(*゚ー゚*)ポッ 1ページくらいをひたすらゆっくり練習です。 ・ハンガリア舞曲第5番 はい。全然変化なしです。 ・・・と言うより、レッスンに行ったときより駄目かも。。 とにかく弾くことだ(当たり前だったば・・)と自分に言い聞かせてみる。。曲は進まないのはイツモノコトなんだけど、バッハまで弾けないと悲しいほど練習って言えませんね。。それから今日はちょっと良い事も。。私は水曜しか休みが無いので、なかなかピアノコンサートとかピアノリサイタルに行けないな・・と思っていました。先日生協のチラシから、近場で(と言っても電車で30分かな・・)水曜にリサイタルがあることを知りました。そしてチケットも一般販売で3000円と良心的。ミシュクというピアニストさんですが、、、どんな方なんでしょうか?すごく行ってみたい気もするのだけど考えています。悲愴・英雄・・など色々聴けるそうですけど。。ちなみに生協販売では2700円だそうです★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 20, 2007

今年は挿し木もしたいから・・と雨上がりの屋上に行くと、ピンクパンサーの様子が今年はとても大きな花です。なんでだろう・・と考えてみました。 去年まではベランダで育てていて、今年の始め位から屋上に移したため よく日光が当たった。 肥料はまめに交換し、液肥も週に一度程度は施した。 シュートが出なくて、買ってきた当初からの枝1本だけ。 それも垂直とは言いがたく、ナナメに育っていった。 今年咲き進んでいく様子です。直径15センチはあろうかと思う花は香りもよくこのバラは意外と知られていないけど、良い薔薇だわo(*^▽^*)o~♪前年はこんな感じで、特に巨大輪とは思わなかったの。こんなに豪華に咲いて、もし枯れてしまったら・・と心配もあり5つ葉の上で切り、切花にしました。枝で挿し木もしようかとメネデールの水に挿しました。系統:ハイブリット・ティー、四季咲き交配:Coppelia(コッペリア)×Meinaregi(メイナレギ)作出:1982年フランス、Meilland,M.L.花径:12cm香り:中香種サーモンピンクの丸弁高芯咲やや環境に影響されやすく、その花色や花形は変化する。←この部分が当てはまるなぁ樹勢は旺盛で直立高性の大株になる。黒点病耐性がとても強く、育てやすい初心者向け品種
May 19, 2007
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「芸術家たちとの交流」1830年パリには政治亡命者から新進気鋭の芸術家までそれぞれの志に燃える若者が集まっていました。その中にはハンガリー生まれの天才ピアニスト「リスト」も居ました。ショパンより1つ年下のリストとは、パリで出会い親交を深めました。「今ここでリスト君が僕の曲を弾いてくれている。彼の弾き方を盗んでしまいたいくらいワクワクする演奏だ」と書き残しています。先輩の画家ウジューヌ・ドラクロワとの出会いもパリでした。ドラクロワはショパンの住まいのすぐ近くに暮らしていました。開かれた窓からショパンの音楽の息吹が漂ってきます。ショパンは「彼は僕がであった中で最高の芸術家だ。」残しています。ドラクロワが後に書き上げた天井画にはルネサンスの詩人ダンテが描かれています。その顔のモデルに選んだのがショパンの横顔だと伝えられています。詩人のハイネは「ショパンはピアノの詩人だ」作曲家のメンデルスゾーンは「ショパンは想像もつかない革新的な音楽を創り出す」小説家バルザックは「ショパンの音楽は手で触れられる魂だ」と言ったそうです。ショパンのピアノ曲は多くの芸術家たちに感動を与えショパンもまた、パリに集まる芸術家たちとの交流によって自らの音楽を格段に高めていきました。リストとショパンは交流があったのですね。「リスト」を「リスト君」って呼ぶ所はちょっと感動します。そして放送ではドラクロワの描いた天井画も観ることが出来ましたが素敵ですね★(*^-゚)⌒☆Wink!今日の曲は「幻想即興曲 嬰ハ短調」 ショパン: バラード&即興曲集 / スタニスラフ・ブーニン(Pf) パリに来て3年目に書かれた24歳のときの作品。デスト夫人に献呈された曲で死後ファンタナによって出版され幻想即興曲と名付けられました。3部形式。左手の6連符と右手の16部音符で動くパッセージ的音型との組み合わせで始まります。
May 18, 2007

今月のレッスンは嬉しい事と悲しい事が両方有りました。まず嬉しい事から★(*^-゚)⌒☆Wink!念願だったツェルニー30番を終えることが出来ました。これも皆さんが励ましてくれたり、一生懸命練習していることをアップして読ませてくださったから。。13歳の時にホントに練習時間が取れなくて12番の途中で止まったままでした。娘がレッスンに行くのと同時に、再開した私のツェルニー30番は動かなくなった時計が動き出したようなそんな気がしています。時には進みすぎたりそして時には遅れたり古い時計のような私のツェルニーは「この先生でなければ終えることは出来なかったかもしれない」とさえ感じています。先生ありがとう(*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*) そして悲しいことはと言いますと・・・リズム練習ってしますよね。付点・三連符など・・色々なパターンで練習している。。「逆付点」ってみなさんのブログではあまり見ないけど、弾いていますか?付点「ドーレ・ミーファ・ソーラ・シード」(タンタ・タンタ・タンタ・タンタ)逆付点「ドレー・ミファー・ソラー・シドー」(タタン・タタン・タタン・タタン)私は恥ずかしながら子供の頃は「逆付点」は弾いたことがありませんでした。。付点とスタカートが殆どで、他は3連符くらい。。再開してからのレッスンで初めて弾いたのですが、弾きなれない(聴きなれない)から苦手でした。「色々なリズムで練習してみてください」と言われても逆付点はあまり弾かなかった...... ( 〃..)ノ反省今回ツェルニー40番を練習して行って始めての1番のレッスン。先生:「逆付点で弾きましょう」私:「ハイ」私:「あれ?」先生:「付点になってますね・・」←リズム指導全然弾けませんでした。。5/9のレッスン・ハノン39番Ges dur、es moll 再開当初と比べると指の動きも良くなったし、軽く弾けるようになったことでスピードアップも。。 しかしハノンの練習目的とは違ったものになりつつあったようです。 硬さの無いスムーズさと、相反したサラッと行き過ぎるところもある。 メリハリが必要なんですね。 3連符で練習して 次回からはいよいよ♯に入ります。・ツェルニー30番-30 30番は最後の曲なので細かく言うと・・・という言葉で始まりました。 9小節目はもっとPで →以前はツェルニーは練習曲だから強弱よりしっかりした拍と指の動きが重視でしたが 音階の一番上の音 →次の音へ急ぎすぎる所がある。 最後の音、最初の音は特に丁寧に。 初めて花丸頂きました。先生も喜んでくださって、レッスンの途中ではあるが「30番を終えて」と言う内容でお話をしました。←この状態で40番に進んでいいのか不安もあったし・・私:「これ以上掛かったら表紙が取れるかと思いましたけど、先生のお陰で楽しくツェルニーを弾く事ができました」先生:「しっかり練習されていて、やれば出来るんだと私も思い出させてもらいました」↑9小節からがうまく動かなくて(転んだりして)、ハノンを復習したり2音を2回ずつと先生独自の練習法を教えていただいていた事を思い出しかなり頑張った分、音に現れたようでした。私:「子供の頃はツェルニーが嫌いでしたが、今は何の練習とか理解できるようになって自分のために必要だと思うようになりました。ツェルニーが好きになったし、先生となら40番も頑張れそうだと思って・・」先生:「私がツェルニー好きだからかもしれないですね~」そうだったんだ。先生はツェルニーが好きだったのか~・ツェルニー40番-1お話が一段落して始めたが・・・はじめに書いた「逆付点」で悲しくなるとは思いもしませんでした。 右手は16分休符から入るため初めの音は拍頭ではないが、軽くなり過ぎないように。 9小節3拍目から別物に聴こえるので、音階の延長になるように。 (アクセントがファについているみたい・・レがアクセントと意識する)この後逆付点で・・と言われ弾き出すも、弾けないし・・途中からは付点になったり・・・そこで休符から始まるときの練習方法を教えていただきました。「この曲の場合は左手の和音を初めの音と考え、左を入れて逆付点を弾くと分かりやすい」うんうん。それなら出来そう・・と弾くも怪しいかも(実は未だに怪しい。。)逆付点でしっかり弾けるようになったら普通に弾いて、40番だからということでテンポは気にしなくて良い。・・でもしっかり弾けるようになったらレッスンではテンポも上げて弾くかもしれないな。。テンポの指定は今のところありませんでした。・・・インヴェンション13番 レッスンの前日からまたミスタッチが出始めていました。 「この調子なら録音にも挑戦したい・・」とさえ思っていたのに。。 11小節3拍目、12小節1.2拍目 小さいけれどクレシェンド。 14小節目 もっとしっかりFで。 22小節3拍目 ミラドで始まると意識して、クレシェンドもしっかり。 24小節3拍目 拍頭の「シ」が頂点。レッスンでは今まで間違えもしなかった所でミスしたり・・色々ありましたがなんとかをいただきました。 ・ハンガリア舞曲 第5番 ペダルをつけて弾いてみたんですけど・・と ペダルのつけ方も教えていただきました。まず11.12小節は 24.25小節も 45小節の装飾音以外 25小節からのつながる感じ スラーは無いもののつながる感じで・・・「上手く行きましたね」と先生 33小節からのスタカート もっと短く「チャッチャッチャーラ」と 45.47小節の装飾音短く 49小節左 指は5→321(スラーのため) 5→421(△) ちなみに50小節の和音は531で。。(私は531→421と思ったが・・) 全体的にアルペジオはもっと短くていい。 このアルペジオが短く・・とかはレッスンに行かないと分からないことだった私。。 ファー・ラドラでなく、ファー・ラ(ラドラのラ)といった感じだろうか・・ 音の間違いは無い様で安心するも、進みが悪いな~~ 何と言っても和音が難しいし、音が飛ぶ。。 でもそんな事を言っていたらいつまでも弾けないぞ...... ( 〃..)ノ反省 ↑このあたりももっと練習が必要かも(ペダルでごまかせたが・・) CD聴いてもっと練習しなきゃ。。・インヴェンション14 少しだけ聴いてもらいましたが、スラーの部分が違うようでした。 先生は春秋社、私は全音市田版ですからね・・・ ちなみに全音ツェルニー版も先生と同じでした。 赤い部分はつなげるようです。。 これから練習します。。。 次回の課題 ・ハノン H dur、gis moll ・ツェルニー40番の1番 ・ツェルニー40番の2番 ・インヴェンション14番 ・ハンガリア舞曲第5番 レッスンから1週間過ぎたのに全然進歩なし。。 忙しかったのを理由にしているけど、とにかく弾かなければ。 ハンガリー舞曲は譜読みが出来たのでしっかり弾けるようにしてレッスンに行きたいです。。
May 18, 2007
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「パリデビュー」 1831年9月ウイーンでは音楽家として成功できないと見切りを着けパリに拠点を移しました。ピアノ製作者として名高いプレイエル。ショパンの才能に惚れ込み、サロンへのデビューのきっかけを作った。サロンは富豪の妻など、女性が取り仕切る社交の場。サロンの中央に置かれたピアノから響く華麗で繊細な音楽。ピアノの詩人ショパンの評判はパリ中に広まっていきました。パリでの初めての演奏会は、プレイエル所有のホールで開かれました。同時代のフランスの作曲家ベルリオーズは「ショパンを正しく理解するためにはサロンで聴くべきだ」と評しました。繊細で詩的なショパンのピアノはサロンで真価を発揮し1832年には成功を約束させる女性に出会います。ヨーロッパ随一の銀行家、ロス・チャイルド男爵夫人サロンでの演奏に魅了されショパンをピアノ教師に雇います。評判は瞬く間に広まり、富豪や上流市民の夫人たちが次々とレッスンを受けにやってきました。サロンでの人気は高まるばかりでした。今日の曲は「ノクターン第1番変ロ長調」「ノクターン第2番変ホ長調」 第1番 プレイエル夫人に献呈された曲です。 8分の6拍子。複合三部形式 左手のアルペジオの上に哀愁を帯びた旋律が流れていく。第2番 1831年作曲。翌1832年に出版。 第1番同様、プレイエル夫人に献呈されました。 ショパンのノクターンの中では一番有名で、よく演奏される曲です。作品9の3曲はジョン・フィールドの影響が強く、様式を真似たものであると言われています。【CD】ジョン・フィールド ノクターン集 / 器:青柳晋(p)ジョン・フィールドピアノ名曲選集 全音ピアノライブラリー
May 16, 2007
金曜以来の更新です。不在中にいらしてくださった方、ありがとう★(*^-゚)⌒☆Wink!またコメントへのレスも遅くなってしまいまして・・・...... ( 〃..)ノ反省この数日何をしていたのか・・といいますと週末は娘の保育園(卒園しましたが)の最後の役員会がありました。飲み会に参加して、日曜日は半分酔ったまま仕事していました(*ノωノ) 月曜は・・・怖くて怖くて・・といった日でした。怖かったのは「巻爪の手術」です。巻爪は、陥入爪と言います。15日火曜日に、皮膚科に予約をしていました。以前に同じ手術していましたがひどく痛かったので、とても怖かったのです。今回は近所に出来た皮膚科で手術してもらう事にしていたのですが以前の病院での手術と同じだろうと思いとてもとても怖かったです。私の左足の親指の爪は、爪の先端を見るとひらがなの「つ」になっていました。←普通の人は「一」または「( ←横にしたような形」手術は爪の巻いている部分を同じ幅で根元まで切り取り爪を作る組織もとってしまい生えてこないようにする。もともと巻いていて見えなくなっていた部分がなくなるだけですからそんなに見た目変りません。でも生爪の横を切り取るのですから・・・でも今回ピンピンしております以前の病院では・とにかく麻酔の注射が痛かった。 爪の根元に何度も打ち、泣いたし騒いだ(T_T)・爪を切るのも酷く痛かった。 麻酔が完全には効いていませんでしたね。。それでも必死で我慢。。・手術のあとも痛かった 送り迎えは弟に頼んで通いましたが1週間は歩くのも不便でした。今回は・説明もしっかりと 以前と同じ方法だと思ったが、先生はじっくり説明して下さった。←大切ですね。・麻酔の痛みは少しだけ・・・ 以前は痛みあまり涙も出て体もそらせたりしてしまいましたが 今回はその事を思えば「嘘」のよう。 確かに針を刺すのはチクッとしましたが、我慢できる程度。 そして針をさす場所は前回より下の第一関節辺り。・痺れが切れたようになり麻酔は完全に効きました。 きっとまた痛むんだろう・・と思っていたのに、これまた全く痛くありません。・当日、翌日も痛みは殆ど無い 痛み止めはたくさん買ってあったのですけど、全然飲まずに済んでいます。 手術した所をぶつけない限りは痛みません。フェノール法という手術方法だったようですね。←前回も同じだったと思うのだけど・・・こんなにも痛みも麻酔も違うなんてビックリデス。新しい方法なのかな・・と検索しましたが、そうでもない様子。巻爪で悩んでいる方にはお勧めできますね~~問題は。爪の幅が狭くなりますから、それだけは我慢ですね。そして再発(まれに爪が生えてきます)しますが、必ずしもまた巻爪にはなりません。私の以前処置した所はすっかり生えてしまっています。でも巻いていないんですよ!私の場合見た目は何でもいいですって感じ。痛くなくなって、歩けてスポーツも出来たら嬉しい限り。これからの時期子供をつれてプールに行きますから足がふやけて巻いている爪が更に食い込む・・・そんな恐怖さえありました。もっといえば、毎晩入浴後は痛かったです。だから・・と言う訳ではないけど、お風呂では浴槽で温まる事は殆ど有りませんでした。それから費用ですが以前のときは保険が利かないと言われ1万円。今回は初診料入れて5000円ちょっと。。手術が怖くて足踏みしていたけど、来月も頑張ります。来月右足もすることにして予約してきました。右側は大きな時計を爪の根元に落としてしまい、割れて生えてきてしまいます。割れた所が食い込んで、巻き爪ではないけど痛みます。もう爪の痛みから解放されて、歩く・・と言うことが苦にならなくなったら良いですね。痛いから歩かない爪をかばうから、足が疲れる接骨院に通う・・私の腰の痛みももしかしたらそんなところからきてるかも。また明日からぴあのピア、バラ・・などアップして行けたら・・と思っています。
May 16, 2007
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「祖国への想い」1830年ワルシャワでは大事件が起こりました。ロシアの支配に耐えかねたポーランドの人々が銃を取って立ち上がったのです。当時のロシアは、ポーランドの大部分を支配していて自立を求めるポーランドの民衆は、圧倒的な武力で鎮圧を図るロシア。ワルシャワでは、両親・姉・妹・友人が戦火にさらされていました。ショパンはウイーンに居ましたが「留まって音楽の道を歩むべきか、愛する祖国に戻るべきか」と悩んでいたショパンに、ポーランド出身の友人は「君は銃を取るよりも音楽で戦うのだ」と説得しました。そしてショパンは祖国に戻らず音楽家として生きる決心をします。「私は祖国を愛しています。心に渦巻いている気持ちをぶつけドナウに響き渡る曲を作りたい」ポーランド民族自立を求めた戦いは失敗に終わります。衝撃を受けたショパンは「悲しみをピアノにぶつけるしかない私の心は張り裂けそうだ」と日記に記しています。今日の曲は「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調」GYM3675ショパンアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.2...ポーランド民族の誇りを象徴するポロネーズ。ウイーンに残り書き上げた「華麗な大ポロネーズ」に後に序奏として「アンダンテ・スピアナート」を加えた作品です。ピアニストは小山さんが続いています。いつ聴いても素敵な演奏でウットリしてしまい、書き留める内容を忘れてしまいます。。
May 15, 2007
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「逆境のウイーン」 1830年音楽の都での成功を夢見て1ウイーンにやってきて1ヶ月が過ぎたショパン。「誘われていく舞踏会にはうんざりする家に帰り激情をピアノにぶつけるのだ」と嘆きの手紙を送っている。舞踏会で音楽は、ダンスの添え物にしか映らなかったのです。当てにしていた支援者は病に倒れ演奏会のめども立ちません。活動資金を得るために銀行に行くと「ウイーンには他にもたくさんのピアニストが居るのです。」と言われてしまいます。ピアノの作曲と才能を信じてウイーンにやってきたが現実は厳しいものだったのです。「誰一人心を開いて相談できる人がいない」孤独なショパンは音楽の都に失望していきました。今日の1曲は「ワルツ 第14番 ホ短調」「ワルツ 第1番 変ホ長調」小山実稚恵:ショパン名曲集 ←私の持っているCDショパン ワルツ集 ←私の楽譜 第1番 華麗な大円舞曲。 21歳ごろの作品で、ワルツとしては最初に出版されました。 爽やかな曲としても親しまれています。 音楽評論家としても名高いシューマンは 「ショパンの肉体と心が躍りあがるワルツ」と評しました。第14番 ウイーンへ移る直前の19歳のときの作品。 華やかで劇的な曲調からダンスをするためではないワルツを既に志向していたことが分かります。ゲストのバレエダンサー、康村和江さんは「ウインナーワルツを聴くとゆっくりな1.2.3のイメージがあるがショパンのワルツはテンポアップな面があって、『そこが僕のワルツ』と印象付けているようだ」と語っていました。この日のピアニストは小山実稚恵さんでした。いつ聴いても小山さんのショパンは素敵ですね。他のピアニストさんもそうですがとても楽しそうに、自分の選び抜いた音を出している様子で弾いている。その中には難しい和音だって、飛ぶ音だって含まれるがそんなことは微塵も感じさせず素敵に音を奏でているようです。私もそんな風に弾けたら、楽しくて仕方ないだろうな・・と思ってしまう。↑こんなの見つけました★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 14, 2007
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「惜別の大曲」5月11日放送のぴあのピアです。ショパンが続いていますが、モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトのような順番とは違った形で紹介されています。もしかしたら、作曲された順かも知れないですね。。ウイーンで音楽活動をする決意をしますが2つの別れに直面していたショパンです。1つ目は「祖国への別れ」ショパンは祖国ポーランドを愛していましたし、家族を愛し愛されていましたから離れるのは辛かったのでしょうね。2つ目は「愛しい人との別離」音楽学校の同級生である、コンスタンツィア・グワトコフスカに密かに思いを寄せていました。「僕には不幸な事かもしれないが、理想の女性を見つけてしまった」コンスタンツィアは音楽院の花と呼ばれ、オペラ歌手を目指していた内気なショパンは話しかけることすら出来なかった。ワルシャワに別れを告げる演奏会に意を決してコンスタンツィアに出演を依頼しました。度たちを前にして2人は公園で別れの言葉を交わしましたが彼女に思いを告げることは出来なかったショパンでした。今日の曲は 「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調」ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 ワルシャワへ別れを告げる演奏会で自ら演奏しました。ショパンの演奏の後、白いドレスで髪にバラを挿したコンスタンツィアが出演しました。万感の思いをこめたショパンの演奏と、コンスタンツィアの美しい歌声に聴衆は大きな拍手を送りました。若きショパンが思いのたけをこめた大曲でした。原曲はピアノとオーケストラによる協奏曲。今回の放送では、ピアノと弦楽四重奏による室内楽版でした。ショパンの時代、サロンを始め小規模な場所での演奏も多く繊細なピアノの響きを伝えられる室内楽版をショパンも用いました。
May 11, 2007
連休中はレッスンがお休みだったので2週間ぶりのレッスンでした。課題曲のぴあのどりーむは「おやすみなさい」と言う曲で2段(8小節)の短い曲。長いお休みの後のレッスンでしたが娘としてはをもらいたい所でした。前回のレッスンでは右手だけ見ていただいてあとは家で練習したのですがとても良い仕上がりとなっていました。仕上がり具合のポイントとしては「おやすみなさい」と言う曲だけあってゆっくりのテンポと柔らかい弾き方だったようです。スラーの意識も出来ていたので、娘の願いどおりを頂きました。夢見るピアニストからは「泉のほとり」と言う曲でこちらは暗譜が宿題でしたが、すっかり忘れていました・・(私もそうだったとレッスンで思い出しました。)他の曲に長く掛かってしまい次の生徒さんが見えたので、注意点を簡単におさらいして「暗譜」で。となりました。その後ワークを見ていただいてたのですがやっぱり先生ってスゴイです...... ( 〃..)ノ間違えている所を指摘するとき「オシイ」と言うんですよ。娘が答えを迷っている間も、せっついたりしないしヒントも丁寧に教えてくださいます。私だったら・・多分こんなことも忘れちゃったのと言ってしまうだろう間違った答えにも、違うよと言うだけだろう・・先生ってスゴイな~~娘が先生を信頼して、好きだと言う気持ちが良く分かる気がしました。まぁもちろん私が(親が)先生を好きかどうかも大いに関係しているのでしょうけどね。次回課題曲はバーナムぴあのどりーむ5 ゆめのなかで この曲結構難しいです・・きっと。 3声と言うのだろうか・・・右手が和音で進行し、上の音はスラーです。 上の音だけスラーを意識して弾いてみて、その事を意識しながら下の音もつけると良いとのことです。夢見るピアニスト 泉のほとり 暗譜で、スラーとアクセント・スタカートに気をつけて。ぴあのどりーむも5になると難しくなってきました。6まで終えるとバイエル終了と同程度と聞いています。これからは暗譜も必須になると思いますが娘がどこまで頑張れるか・・・何だか変った子で、こんなの出来ない・・とかすぐに言い出すんですよ。最近気がついたのだけど練習風景でいつも「何回やっても出来ない」と泣くのだけどすぐに結果を求めたいのだろうな・・・ すぐに弾ける曲しか弾きたくないならずっと同じ曲か、前の曲とかになるよ~~って言っているのだけど・・ピアノってすぐに結果を求められない。日々の積み重ねなんだ。そう理解してくれるのはまだ時間が掛かりそうです。
May 11, 2007

先日届いたばかりの「ジャック・カルティエ」 新苗を購入したので、苗の大きさは小さめですが蕾がついていて、今にも開花しそうな状態でした。ついに咲いたのですけど、やっぱり買って良かったと思います。 殆どのバラは屋上で育てているので、このお天気も手伝ってぐんぐん成長しています。以前はちょっと遠慮してベランダで育てていましたが、やっぱり日光不足を感じ数年前に屋上で育て始めたバラたち。今年からはこの「ジャック・カルティエ」も加わってにぎやかな屋上になりました。何もさえぎるものが無い屋上は思う存分日光が当たり成長を助けてくれますがこのところの強風で、花びらが痛んだり細い枝が折れてしまったりと良いことばかりではありませんね。夏には屋上のコンクリートからの照り返しによる熱の心配もあります。
May 11, 2007
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「ウイーンへの挑戦」 1829年 19歳のショパンは初めてウイーンを訪れます。滞在先でピアノの演奏を披露したところ、思いがけないチャンスが巡ってきました。「僕が公開演奏をしないで帰るのは、ウイーンにとって大損失だというのです。」とワルシャワの両親に書き送っています。公開演奏は大規模なものになりウイーンの著名な音楽家が集まりました。モーツァルトの変奏曲から即興演奏まで披露し大成功をおさめました。新聞は「演奏も作曲も独創性に溢れていて才能が十分に感じられる」と絶賛しました。音楽の都ウイーンで認められた若きショパン。もう一つの試み、ワルツの作曲を始めます。ワルツと言えばウイーンが本場で、舞踏会を彩るワルツは最も人気のある音楽でした。踊るためのワルツから、ピアノ曲のワルツへ。ショパンの新しい挑戦でした。 今日の曲は 「ワルツ 第2番 変イ長調」~華麗な円舞曲「ワルツ 第4番 ヘ長調」~華麗な円舞曲 ピアニストは横山幸雄さん。私は横山さんの指が好きなんですよね。。中指が長ーーくってささぽんたさんの大好きなピアニストでもありましたね★(*^-゚)⌒☆Wink! ←私の持っているCDショパン ワルツ集 ←私の楽譜第2番25歳で作曲された曲です。第4番この作品はショパンのワルツの中でも特に軽快な曲。猫が鍵盤の植を走り回ったことから曲想を得たという逸話もあり「子猫のワルツ」と呼ばれています。ショパンと同時代の大作曲家シューマンは「ショパンのワルツは伯爵夫人と踊るに相応しい」と語っています。当時のウイーンのワルツとは、一味違っう新しいワルツの世界をピアノで切り開きました。私はつい最近まで10番をレッスンしていたのですけどショパンのワルツって素敵ですよね。◆GH131 ショパン楽譜 ワルツ集【ヘンレ版】
May 10, 2007
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「自由にそしてロマンティックに」 ショパンが才能を開花させたのは恩師ユセフ・エルスネルとの出会いでした。エルスネルは著名な作曲家でワルシャワ音楽院の設立者。ショパンは1826年にワルシャワ音楽院に入学し早くからピアノの天才と認め12歳のころから個人的に指導を受けました。エルスネルは「驚くべき才能。音楽の天才。」と書き残しています。ショパンは伸び伸びと才能を発揮して新しいピアノ曲に挑戦します。当時流行していたのが「ノクターン」でした。 19世紀初めに登場し流行したノクターン。ロマンティックで自由なスタイルのノクターンに魅入られたショパン。若い情熱と新しい音楽との出会いから生まれました。ピアノ作品として高い芸術性を与えたのがショパンでした。静かに夢見るような美しさと親しみやすさで、日本では「夜想曲」と名づけられショパンの数あるピアノ曲の中でも特に人気を集めています。今日の曲は「ノクターン 第20番 嬰ハ短調」「ノクターン 第14番 嬰へ短調」←私の持っているCD←私の持っている楽譜第20番 ショパンの死後発見された、20歳のときの作品。戦場のピアニストで流れていた曲ですね。戦場のピアニストを初めて観た時はまだピアノを再開する前でなんていう曲なのか・・・と、とても気になりました。ピアニストの仲道郁代さんは「ピアノの可能性を最大限引き出すように曲を書いている。若い頃も晩年も同じだが、晩年は特に屈折した複雑な心情が表現されるようになる。美しく歌わせその魅力を引き出すことにかけてはショパンほどの作曲家は居ないのでは・・」と語っていました。第14番31歳円熟期の作品。左手で繰り返される緩やかな低音部に、右手の哀愁を帯びたメロディーが重なっていく。ショパンのノクターンの特徴が良く表れている作品。また仲道さんは「ピアノの音は他の楽器と違って減衰していく。減衰して消えていくものははかなく、はかないものは美しい・・そこがショパン」とも語っていました。仲道さんの演奏は以上の2曲でしたが今回は「ノクターン第5番」「ノクターン第8番」も流れていました。私はポリーニのCDでDisk1の第1番から第10番までを車で聴いています。10番が一番のお気に入りで、いつか弾いてみたい曲(まだまだ無理だけど)8番も好きだな~~と思っていた曲ですが今回の放送で5番もお気に入りになりました。皆さんはノクターンでは何番が好きですか ノクターンの楽譜ってたくさんありますね★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 9, 2007
午前中から授業参観に出かけましたがもう日焼け止めは欠かせなくなってしまいましたね。授業参観に出かける前には日課となっている屋上・ベランダの植物に水遣りしたのですが・・・既にジリジリ感じていました。私って日焼けしやすいんですよね・・・今年はちょっと気にして日焼け止めして、焼かないようにしたいと思っています。授業参観から帰って来て、一人でお昼御飯食べたんだけどなんだか調子が良くないんですよ。。ここにお花の写真でもアップしたいのだけどレッスンに行くのがやっとでした。。昨日の次点では授業参観から帰ってきたらごはん食べてすぐ練習!って思っていたのに食べ終わったら体が火照ってしまってだるくて・・・横になって眠ってしまったので、レッスン前の練習は30分だけ・・・買い物も済ませてきたので、夕食まではまたちょっと横になって・・と思っています。→日頃の暴飲がたたったのかな・・主人と小中学生チームの子供3人は交通公園に行っています。もうそろそろ帰ってくるでしょうけど一人の時間を持てることも幸せだったりして★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 9, 2007
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「祖国の土の香りマズルカ」マズルカはポーランドの舞踊音楽で古くから農村で愛され踊られてきました。シャファルニアはワルシャワからおよそ150kmののどかな田園風景の農村。1824年8月 14さいのショパンは夏休みを過ごしました。村の娘がマズルカのリズムに乗せて歌っているのを耳にして、新鮮な感動を覚えました。幼い頃からワルシャワの宮廷文化に慣れ親しんでいたショパンにとってマズルカは耳新しい音楽だったのです。早速マズルカを作曲して村人を楽しませたと伝わっています。声楽家の中嶋彰子さんは「ちょっと不思議なメロディックも、掴み取れないような半音のスケールが独特でメランコリック」と評していました。ピアニストの清水和音さんは「マズルカはポーランドの踊りを素に書いた曲と言うことは良く知られているがワルツも別に踊りのために書いたわけではないし、テーストを取り入れた(基本になるリズムを作っている)。これでマズルカを踊るわけではないからもっとピアにスティックな捉え方をして良い。ポーランドの匂いのようなものが反映されたほうが、それらしくなる。」マズルカは私には未知の世界だっただけにとても参考になるお話でした。また「ワルツは踊るわけではないから」と言っていたのが気になる。私のレッスンでは、「踊れない」とテンポについて指摘を受けていた事がある。踊る曲として書いたのではないが、踊れるくらいのテンポ・・と言う意味だったのか民族舞踊マズルカの、生き生きとしたリズムを生かし素晴らしいピアノ曲に仕上げたショパン。絶筆となった曲を含めて、50曲以上のマズルカを残しました。20歳でポーランドを後にしますが、祖国の土の香りがするマズルカを生涯作曲し続けました。 今日の曲は「マズルカ 第14番 ト短調」「マズルカ 第17番 嬰変ロ短調」ショパン マズルカ集ショパン・マズルカ(第1集)◆GH264 ショパン楽譜 マズルカ集【ヘンレ版】ショパンのマズルカは叙情性や多様性なリズム。テンポなど曲の中に様々な要素が織り込まれています。リズムを巧みに生かしながら、自由かつ洗練されたピアノ曲。 14番 この曲はゆったりとした曲調が際立つ流麗な作品。多分私は初めて聴いたのだと思います。民族的なのかと思ったら意外と感じず新鮮でした。17番 マズルカをいつか弾くなら・・と思っていた曲です。甘い旋律で切ない感じさえ感じますが、どこか燃え上がるようなものを感じます。曲の終盤は風の無い花畑に向かう感じでしょうか。。。(表現が下手でスミマセン。感性をギブミー!)ショパンの生きた時代、ポーランドは周囲の諸国に侵略され支配に苦しみました。国を失ったポーランドの人々は、民族のよりどころを音楽や文学に求めました。 このブログでは以前から高機能エディタと言うものが出来ていたのに出来たときに使ってみたらイマイチ良く分からず、エディタのまま使っていました。今回から高機能エディタで書いてみました。私はあんまりタグとか分からないので・・・どうなんでしょうか見にくかったらコメントくださいね。それからアクセス数がビックリするほど伸びています。文章も下手で、内容もイマイチと思いますが自己満足で続けています。今回のように知らない曲と出会えるのは、とても嬉しいので続ける事ができています。書く事で記憶に残しレッスンで生かせたら・・・(無理かな・・)訪問してくださってありがとうございます。コメント残して下さったら嬉しいです★(*^-゚)⌒☆Wink!
May 8, 2007

続々と開花しています。今日の東京は27度と真夏のような天気。昨日はまだ蕾だったものもビックリするスピードで開花しています。HT「レジャー」完全に開いております。この株は3年ほど前に苗で買いましたが250円というビックリするお値段でお買い得品でした。↓こんな株です。蕾の状態を撮影して置けばよかったです。。ん・・でもまだ蕾はあるはず。。夕方撮影してこよう~~(〃∇〃)CL「つるサラバンド」一重で色は朱色。こちらも見切り品の苗から育てています。朱色・・・と書いてあったのを見たときは、こんなに素敵だと思えなかったのだけどとっても素敵な色なんですよ。。↑2006年1月の状態。まるで枯れているかのよう。。枝しかありませんが春が近づくと↓ツルを水平になるように誘引した結果たくさんの蕾がつきました。でもこの品種つるだけあってか・・・下のほうは特にスゴイ棘なんですよ。誘引の際、いくつも刺さってしまい痛かったわ。↑蕾からやっと花びらが見えていた昨日。レジャーのように気がついていたら咲いてしまったとなりそうで撮影しました。そしたら・・・予感していたかのように↓今朝屋上に上がると咲いていました。まだ一輪だけですがこれからが楽しみなつるバラです。↑2006年春のサラバンド雨上がりの姿も素敵。
May 8, 2007
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いよいよショパンが登場しました。フレデリック・フランソワ・ショパン (1810-1849)ポーランド生まれで、7歳から17歳まではワルシャワのカジミエシュ宮殿の一角で育ちました。宮殿の一角に住んでいたのは、父が宮廷のフランス語教師だったからでした。教育者の父と、ピアノの上手な母、姉と妹 温かい家庭で育ちました。4歳からピアノを習い始め、すぐに即興演奏を披露するまでになり7歳の時にはポロネーズで天才の呼び声が高まります。ポロネーズが生まれたのは16世紀のポーランド宮廷でした。貴族が王に謁見する際に、入場曲として使用されていました。ピアノの詩人まんがショパン物語 〔kmp〕作曲家 人と作品 ショパン今日の曲は「ポロネーズ第1番 嬰ハ短調」ショパンポロネーズ集 全音ピアノライブラリーショパン ポロネーズ集 〔音楽の友社〕ポロネーズはショパンが幼い頃から親しんだ舞踊音楽でした。古くから伝わる民族舞曲で、貴族に愛され宮廷でさかんに踊られていました。20歳でポーランドを離れ生涯祖国への愛を持ち続けポロネーズにその思いを託しました。39年の生涯で書いたポロネーズは18曲。舞踏曲だったポロネーズを魅力溢れるピアノ曲にしました。祖国への誇りも象徴するポロネーズはショパンの音楽の原点でした。今日のピアニストは横山幸雄さん私の好きなピアニストの一人で運指がとても素敵でした。「ポロネーズと言えばショパン。(マズルカもそうだが) ポーランドの民族舞踊から発生したものでショパンにとっても重要な分野の一つ」と言っていました。↓ショパンは初めてという方はこちらがお勧め。ショパンの色々な曲が入っています。↓久しぶのピアノで迷っている方は↓私の気になっている本です・・↑可愛い!
May 8, 2007

毎日咲き進んでいくバラたち。朝・昼・夕方・・・どんどん表情が変っていきますね。昨日の夕方にはまだ蕾だったバラも朝にはすっかり開花していてビックリするけど、嬉しくて。今日は昨日の天気がイマイチだったから屋上へはデジカメを持っていかなかったの。そしたら・・・やっぱり咲き始めていました。「ケアフリー・ワンダー」HT↑開花を始めた感じ。このくらいが好きだわ。開花のスピードはバラにもよるのでしょうか・・・?「ラ・レーヌ・ビクトリア」ブルボン系↓完全に開花しています。昨日までは蕾もまだ咲きそうなほど大きかったとは思えないのに・・・↓屋上は良いビクトリアの香りでいっぱい。至福のときです。ブルボン系の香りは最高!!屋上では父と同居している状態です。父は盆栽と山野草など・・・私はバラとクレマチスとブルーベリーなどなど・・・↓私のバラのコーナー。親戚の叔父さんが、鉢が倒れないように工夫してくれました。ですが、まだまだ改造中。バラの鉢が倒れるのが心配だったけど、これで安心して増やせます。(まだ買うつもり・・)↓父の盆栽側。西から東向きに撮影しています。父は北側を占有しています。他のバラも咲き始めちゃってます。明日もどう変っているのか見るのが楽しみです。。 ↓ルイ14世は完全に咲ききり、花首がたれていました。
May 7, 2007

蕾が膨らんで、膨らんで・・・ピエールは大きな花を咲かせるので他のバラよりも蕾が大きく大きく育ってから開花します。見た目はとっても豪華で愛らしい花です。蕾から開花していく段階もとっても素敵だけど開花しきった感じは、幾重にもなる花びらの感じが素敵。こんな感じをロゼット咲きというんでしょうか?↑大きく育った蕾が、開き始めた瞬間です。5月4日撮影。↑完全に開花しました。ベランダの手すりから部屋のほうを向いてくれるといいのですがやっぱり南を向いて咲いてしまうので、ビニールタイで部屋から見えるように誘引してあります。5月5日撮影。↑ピエールはこんな風に下向きに咲くのですよね。花の重みなんでしょうね・・・葉の間から見るピエールも可愛い。↑横向きのピエール。つるバラの中でも人気ナンバーワンだってね。ホント人気有るの分かりますよ(〃∇〃)クラシカルな花形と、何より色合いがふんわり系で可愛い。多花ですし、病気や害虫被害も少ない。しいて言えば香りは無いまたは少ないかなって感じです。 今日はピエール・ド・ロンサールと言う名前についても書いてみますね。「ピエール・ド・ロンサール」はフランスの詩人のからついた名前です。1987年にMeilland International SA(フランス) 社から誕生しました。ラージ・フラワード・クライマーですが、コンパクトに仕立てることも出来ると思います。アーチやトレリス仕立て、又はフェンスに誘引する・・・色々楽しめるバラです。「バラを育てていて良かった」と思える花だと実感しています。香りがあったら・・・と我侭を言いたくなるほど、香り以外は全て満たしているバラだと思います。↑次の開花はこの子だわ☆⌒ヽ(*'、^*)chu
May 7, 2007

今年はガーデニングが楽しくて、新苗をいくつも買ってしまいました。新苗と言えば「ラ・レーヌ・ビクトリア」を買ったのが初めでもう5年位前になりますが以来バラに憧れてお世話をしています。今日は開花を始めた「ルイ14世」をご紹介します。「ルイ14世」は先月行ったコマツガーデンで買ってきた苗です。返り咲きに魅力を感じ、この色は持っていないので即決しました。↑蕾の膨らみ具合からもう少しと油断していたらすぐに咲き出しました。一番初めに咲いた花は、内向きに咲いていたので撮影するため花首をそっっと傾けた所・・・折れてしまいました。。(グラスに生けて撮影しました。)5月2日↑2輪目もあっという間に開花しました。咲ききった感じですかね~~↑3輪目に咲いた花です。こちらは開花のタイミングが合い、開きだした頃です。このくらいがとても素敵な感じ。5月4日↑このくらいになると近づくと良い香りがしました。5月5日先日一緒に買いに行った母が我が家にやってきて「こんな色だったの??」と言っていましたが紫?黒?ともとれる色合いがとっても気に入っています。今のナーセリーは新苗の蕾も開花させてくださいとしているところが多いですね。新苗のうちは株を大きくするために蕾は取ったんですけど・・・咲かせても良い位、しっかり管理が行き届いているのでしょうね★(*^-゚)⌒☆Wink!次回は「ピエール・ド・ロンサール」をご紹介しますね(*^-゚)vィェィ♪
May 6, 2007
発表会も終わり、最近の娘は目標に向かって頑張っています。娘の目標は・・・ツェルニー先生の「チクタク時計」です。私が毎日毎日弾いて居るのを見て憧れているようですが私は、もう少し進んだら「嫌だと思っても弾かなきゃいけないのに・・・」と思うのだけどツェルニー先生の曲をとても楽しみにしているんですよ。。今週はゴールデンウイークとレッスンの金曜が重なったのでお休み週となり、次のレッスンまでは2週間も練習できるね・・と言って帰ってきたのに29日のお出かけ以来、遊ぶ事に夢中になっていました。娘の課題曲はバーナム・ぴあのどりーむ・夢見るピアニストですが夢見るピアニストは「泉のほとり」がもう一歩でしたのでこの2週間できっと合格できるくらいになるな~~なんて私も娘もちょっと自信有ったんですよね★(*^-゚)⌒☆Wink!ところが・・・すっかり「遊び人」となった娘は殆ど弾けていて、もう一歩の曲が弾けなくなっていました。練習を始めると何だか様子がおかしい感じで弾きなおしては泣いていました。こんなとき、どう声をかけるのが正しいのか・・私なりに言葉を選んで話してみました。「ピアノって毎日弾いていないと出来なくなっちゃうね。足し算は覚えたらいつでも出来るのにピアノは違うんだよね。Rちゃんが悲しむと思ったから、ママは練習しないの?って聞いていたよね?」ピアノを弾き続けたいなら、毎日弾くしかないと思うんです。毎日が大変であればせめて1日休む事はあっても次の日には弾かなきゃ。あまり多くは話しませんでしたし、お説教にならないようにしましたが娘なりに今回は良い経験をしたんじゃないかなって思いました。「弾かないと弾けなくなる」ことを7歳にして実感するのはちょっと可哀想だと思いました・・・私だって・・子供の頃はもっと弾けていたのに辞めちゃって、娘が習うからと買ったこのピアノが来たときは「私の手に、指に、何が起こったのか??」自分の頭に流れるメロディーと、自分が弾くメロディーのあまりにも違う事にショックは大きかった。。練習しなさいと言われてする子は、言われないとしなくなってしまう。そう思ってあんまり言わないでいると弾けなくて弾けなくなった事で泣いていた娘。人がどう思おうが「練習しようね」と言うべきでしょうか・・なんだかとっても可哀想で見ていられない気分でした。私はと言うと、やっぱり連休は仕事が忙しくて気分的にじっくり練習・・とは行きませんでした。それでも気分転換に、インヴェンション14番を練習したりハノンを復習したりしていました。それから、注文してあったバラの新苗も届いて「あ・・こんな時に・・」と思いつつも、早く植えてあげないと・・と用意してあった大き目の鉢に植えつけました。土がついた手を洗ってピアノに向かうんですけどこれはあんまり良くないみたいです。私の場合横着なので、手袋とかしないで土を触るんですよね。土や色々なもので手には小さなこすれのような傷が出来るみたいで痛んだりはしないけど、むくむ感じです。そんな手で弾いても全然うまく行かなくて。。。お天気が良くて次々に開花を始めたバラを見ると今日のピアノ練習が進まなくても「明日があるさっっ」なんて思っちゃう私でした。
May 5, 2007
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レッスンの名曲「ロマンの宝石ブルグミューラー」私は個人的にとても好きな作曲家で、放送を楽しみにしていました。バイエルが終わり、新しく貰った楽譜が25番でとても嬉しかった記憶があります。私の場合ツェルニー30番に進む前に・・・と言った感じでレッスンしていたので、全部は弾いていません。再開してから、弾いていないものはチャレンジしてみましたがどれも素敵な曲ばかりです。バイエルの番号だけの曲より、表題がついた曲がとても嬉しくてその頃は一番ピアノが好きだと思っていた頃で懐かしい思い出ばかりです。ブルグミューラーは南ドイツ生まれで「ヨハン フリードリヒ ブルグミューラー」と言います。みなさんお馴染みの「ブルグ」ですね★(*^-゚)⌒☆Wink!ドイツの音楽一家に生まれ、1832年26歳でパリに移住します。19世紀中ごろのパリで活躍しサロンのピアニスト・ピアノ教師として人気を集めました。フランスの軽快な音楽を取り入れた作風で人気を得ます。日本では明治時代に初めてピアノ教育が始まりました。ブルグミューラーの楽譜も輸入され音楽学校で使用されるようになりました。↑私は時々思うのですが・・・バッハなど古典と呼ばれる作曲家たちは1700年代には活躍し始めているのに日本では何故ピアノが出てこないのだろう・・と思っていました。日本のピアノ曲と言えば「滝廉太郎」ですか?(私だけかな?)それが何故かやっとわかりました(*ノωノ) お恥ずかしい!!そう日本は明治時代にピアノ教育が初めて・・・です。明治の前は→江戸時代江戸と言えば「鎖国」です!!!だからね~~~ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘ 私って馬鹿だわ。。ブルグミューラーが生涯に残した曲は600にも及ぶといわれます。ロマンチックな旋律と親しみやすい曲想から今も日本やフランスの子供たちに愛され親しまれています。パリ17区音楽院教授の、サビーナ・スタジェヴィクさんは「ピアノ演奏には、頭・脳・心・指が総合的に必要ですが ブルグミューラーの練習曲はその事を教えてくれます。 まるで小さな宝石です。」と言っていました。今日の曲は「25の練習曲より」練習曲としては珍しくブルグミューラー自身が表題をつけました。単なる技術の習得だけでなくロマンチックな曲想から想像力を育てる事も目的とされます。番組中に流れた曲・舟歌・心配・狩り伊藤恵さんが演奏した曲・アラベスク手が小さくても弾けるし、音が少ないのに素敵・バラード冒頭に「ミステリオーソ=神秘的に」と書かれている。物語性に溢れる作品。・貴婦人の乗馬25曲全部が素敵な曲だといっても過言ではないでしょうね。。私大好きなんですよ(*゚ー゚*)ポッ 以前にも取り上げましたが、昔と今とでは表題が違うものがあります。同じもの(私の中で今も昔も同じと感じる表題)は黒、全然違うじゃん!!って思うものは赤で書いてみますね。1 素直な心 すなおな心2 アラベスクアラベスク3 牧歌 パストラル(牧歌)4 子供の集会 小さなつどい5 無邪気無邪気6 進歩進歩7 清い流れ清らかな小川8 優美優しく美しくこの表題の解釈は子供の頃どう捉えていいのか分からなかったです。。9 狩猟狩10 やさしい花やさしい花11 せきれいせきれい12 さようなら別れさようならと別れでは大分違うような・・・13 なぐさめ コンソレーション(なぐさめ)14 スティリアの女シュタイヤー舞曲(アルプス地方の踊り) これまた全然・・・女の人の事かと思っていましたら、舞曲の事なんですね。。15 バラードバラード 16 小さな嘆きちょっとした悲しみ17 おしゃべりおしゃべりさんはい「さん」がつきました。18 心配気がかり酷く心配なのかと思ったら、ちょっと気になっただけ?19 アベ マリアアヴェマリア20 タランテラタランテラ 21 天使の声 天使の合唱声は一人じゃなくて・・・22 舟歌バルカロール(舟歌)23 帰途再会帰り道が再開に大きく変ったものですね。。24 つばめ つばめ25 貴婦人の乗馬 乗馬貴婦人がつかなきゃ嫌~~。伊藤さんの解説によると「1つ1つに表題がついていてロマンチックで音楽に憂いがある」「メランコリックでセンチメンタルな感じ」そういった事で日本にブルグミューラーが普及したのでは・・と言っていました。全くの同感です★(*^-゚)⌒☆Wink!私は「さようなら」と「舟歌」が好きです。。みなさんはどの曲が好きですか?良かったら聞かせてくださいね~~そして25の練習曲の他にも素敵な曲がたくさん有ります。↑ゴンドラの船頭歌は最高です★(*^-゚)⌒☆Wink!↑まだ弾いていませんが、こちらは表題がついていません。12曲全部弾いて私なりの表題をつけたいな~~なんて思ったりしています。
May 4, 2007
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レッスンの名曲「ウイーンの実力者ディアベリ」ディアベリはザルツブルクに生まれ、22歳のときに音楽家を目指してウイーンに移り住みました。ピアノやギターを教えながら、作曲家や編曲家として活動しました。36歳で自ら楽譜出版社を設立しました。自らの曲だけでなくベートーヴェンやシューベルトの楽譜出版も手がけ大成功を収めました。ディアベリ者はヨーロッパ有数の楽譜出版社へと成長しました。ディアベリと言えば、ベートーヴェン晩年の傑作「ディアベリ変奏曲」が有名ですね。ぴあのピア60回目の放送で取り上げられています。この素になったのがディアベリが作ったワルツのメロディーです。ディアベリ自身が自分のメロディーで変奏曲を作ろうと企画しました。シューベルトやリストもディアベリのメロディーで変奏曲を作る企画に参加して作曲しています。巨匠から天才少年までがこぞって参加した程、ディアベリは音楽会の実力者でした。今日の曲は「ソナチネ ハ長調 作品151-2」第1.3楽章ソナチネ・アルバム1(1)[第1番-第10番]CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(1)@〔第10番~第17番〕田村宏(p)CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(2)@〔第1番~第7番〕田村宏(p)CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(2)@〔第8番~第15番〕田村宏(p)初心者でも難しいテクニックを必要とせず古典音楽を理解することができます。ディアベリが生涯力を注いだのが、家庭向けに優しいピアノ曲ソナチネを作り出版することでした。1831年に出版されたソナチネ。ベートーヴェンなど古典は音楽への入門曲となっています。ディアベリの連弾曲集はこちら↓次回はブルグミューラーです。25番は有名ですが、私は18番が好きですo(*^▽^*)o~♪12番も持っているのだけど、まだ弾いたことは有りません。先生が楽譜を見たいと言っていたので、次回のレッスンに持って行きます。そして来週からは待望のショパン。。私の初ショパンだった「ワルツ10番」は出てくるかしら(*^_^*)楽しみです。
May 3, 2007
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レッスンの名曲「歌心を弾くクーラウ」フリードリヒ・クーラウはドイツで生まれベートーヴェンと同じ時代を生きました。ナポレオンに振興されたドイツを逃れ1810年にデンマークに亡命しオペラ作曲やピアノ演奏で名声を得るデンマークに帰化し宮廷音楽家となりました。王室のピアノ教師としても活躍し、デンマーク王室の婚礼のお祝いに作った曲が今のデンマーク国歌になりました。クーラウは7歳のときに大怪我をして長く寝たきりになってしまいました。右目の視力を失い絶望した彼を救ったのがピアノでした。独学でピアノに向き合ううちにピアニストへの夢を抱いたクーラウ。「あの事故のお陰で音楽家になれた」と振り返っています。今日の曲は「ソナチネ ハ長調 作品20-1」第1.2.3楽章CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(1)@〔第1番~第9番〕田村宏(p)CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(1)@〔第10番~第17番〕田村宏(p)CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(2)@〔第1番~第7番〕田村宏(p)CDピアノ教則シリーズ~ソナチネ・アルバム(2)@〔第8番~第15番〕田村宏(p)クーラウのソナチネには親しみやすいメロディーが溢れています。音楽への感謝を語っているかのようです。ピアニストの伊藤さんはメロディーがとても素敵で、カンタービレ歌うように・・歌心を養うのにピッタリと話していました。音の伸ばし方や切り方などピアノ表現の基礎を学ぶ事ができます。演奏能力を伸ばしながら楽しく弾ける曲が多いので、今でも多くのピアノ学習者に弾き続けられています。いつか娘が楽しそうに弾いてくれるときがきたら良いな・・と思いました。
May 2, 2007
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月に一度のレッスンは譜読みが間に合わなかったり、練習不足のときは良かった~~と思う。前回のレッスンから3週間の最近は完全では無い譜読みと格闘しつつ、新曲の練習も進まない。自分の中では仕上がりつつあり結構良い感じ!と思っていたツェルニーはピークを過ぎて下降気味なのかイマイチです。月曜日のぴあのピアを見てツェルニーの素晴らしさを再確認したのは良かったのだけど伊藤さんによる超絶技巧の30番が耳に残り私の指は勝手なテンポで走りすぎてしまいます。元々走る傾向にあるので気をつけているのだけど一度でも速く弾いてしまうと、テンポを落とすのは難しいんですよね。。そんなときのためにがあるのに・・・夜はヘッドフォンで音を出さずに練習しています。電子ピアノ内臓のメトロノームは、ヘッドフォンで聞くと耳障りだったり弾いている音が聴こえにくいという難点があるので使っていません。。こんな形のメトロノームもあるんですね。ビックリしました\(◎o◎)/!1週間でどこまで持っていけるか・・・細かく見てみたいと思っています。ツェルニー30番-3012小節目のフラットのつく音階 指の動きも、音もイマイチ。ツェルニー40番-115小節後半から転んでしまう。。特に18小節右手の指番号3→1 そして19小節の左の入るタイミング。。40番はどうなるかな・・ハンガリア舞曲 第5番音が上がるより下がるほうは下の音(1指による)の移動がスムーズに出来ない。手首の使い方が悪いのか、指のポジションが悪いのか・・・まぁ何とか間に合いそうなのはハノンとインヴェンション13番だけど13番の次の14番は相変わらず練習が進まない。。時間が無いのもそうだけど、レッスンには間に合いそうも無いからとちよっと諦めモードかもしれません。そうそうレッスン予定の9日は午前中に一杯練習しようと思っていたのだけどなんと小学校の「授業参観」が2時限目に有るそうです。。水曜日に授業参観があるのは年に一度程度なので、行く予定で居ましたがまさかレッスンの日に当たるとは・・・ホントにどうなるか・・レッスン。。
May 2, 2007
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レッスンの名曲「ソナチネの神様 クレメンティ」19世紀にロンドンで大活躍した、クレメンティのソナチネ。クレメンティはモーツァルトとピアノの腕を競い合った事もあります。多くの練習曲を書き残し、優れた弟子を育てたピアノの巨匠です。ソナチネとは「小さなソナタ」という形式を表す言葉ですがクレメンティのソナチネがあまりにも有名になったため「クレメンティのソナチネ」という曲・・と勘違いする人も居るほどです。クレメンティはピアノの普及のために会社を作りピアノを量産した人でも有ります。フィンチコック楽器博物館には、10台のクレメンティ社製のピアノが展示されています。博物館とクレメンティの子孫たちが協賛して優れた若手ピアニストに「クレメンティ賞」を贈りクレメンティの素晴らしさを伝えています。今日の曲は「ソナチネ ハ長調 作品36-3」第1楽章・第3楽章1797年に出版された、初心者のためのピアノ曲。高度な技術を用いることなく楽しく音楽を味わえる曲です。クレメンティの音楽の素晴らしさはひとえに洗練されているという事。おしゃれでエスプリに富んでいる。弾いていて楽しいのが伝わる曲です。65歳のときに100曲からなるピアノ練習曲を発表しました。ピアノ指導法を体系化した重要な教本となり「この練習曲を弾けばどんな曲でも弾きこなせる」と評されました。私も弾きました(*^_^*)久しぶりに楽譜を出してみましたが、楽しかったことを思い出しました。娘の発表会の曲を決める時、一瞬頭に浮かんだ曲ですが弾かせたい気持ちと、ソナチネに進むまでは・・という気持ちでしたね。またクレメンティを練習してみようかなo(*^▽^*)o~♪復習と言うよりは練習だろうな・・・
May 1, 2007
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