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2000年に著者が65歳のときに刊行された著作集で、80-90年代のエッセイが収録されている。●内容Ⅰ 人生に関する八つの考察怒り、虚栄、孤独、退屈、羞恥、嘘、死、宿命についての考察。自分の経験を回顧して友人や知人を批判したり作家や哲学者の例を引用したりしてテーマを掘り下げている。Ⅱ 教育をめぐってドイツや日本の教育についての考察。西ドイツの教育と日本の受験制度を比較して、入試改善案や教育の自由について提言している。Ⅲ マルクス主義の終焉と湾岸戦争ロシア革命、統一ドイツと湾岸戦争についての考察。ソ連型共産主義は間違っていたけどマルクス主義は間違っていないと言い逃れする左翼を批判している。Ⅳ 論争の精神シュミット前西ドイツ首相、ベーカー演説、ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領や言論人への批判。日本は戦後に周辺国に謝罪していないとかの日本批判に対して反論している。Ⅴ 広がりすぎた自由の悲劇学生気質とオウム真理教についての考察。自由の先には不毛があるだけで、若者は広がりすぎた自由に不安になり、抑圧されたがる自閉衝動から人工的に作った閉鎖状況の組織にもぐりこんで心が安定するようになったのでオウム心理教のようなものが突如として現れたのだという分析。●感想私は西尾幹二という人を名前を聞いたことがあるという程度にしか知らなかったので、どんな人かと思ってとりあえず一冊読んでみることにしたのだけれど、著者はドイツ文学と哲学を研究している保守派の言論人だそうで、Ⅰ章とⅤ章は私の興味の範囲と一致していたので面白く読めた。・よい点落ち着いた文章でテーマを真摯に考察していて、まずはその姿勢がよい。マルクス主義の終焉やオウム真理教といった当時の大きな社会問題だけでなく、女性の自立と保育園不足とか、心神喪失者の犯罪と自由とか、いまだに議論されている社会問題にも着目しているので、文学と哲学の話題に小さくまとまらずに読者にとって興味を持てるような内容になっている。文学者は古典だけ研究して学内政治に熱心で現代社会には無関心という世間ずれした人も少なくない中で、社会に目を向けているのはよい。ドフトエフスキーやニーチェやカミュなどの文学者や哲学者の言葉の引用もあるので、文学や哲学に興味がある人なら面白く読めると思う。500ページ程あるので文章量としては申し分ない。・よくない点批判している相手がときどき匿名なのは不満で、警察が立てこもった犯人を射殺した際に純文学畑の某有名作家が警察を非難する見解を公表したということが書いてあるけれど、「愚かな発言が繰り返されてきたため、純文学の作家の見解などに耳を傾ける者は次第に少なくなり、また有効な社会的発言のできる作家も今はほとんどいない。」(153ページ)という点は私も同意見なので、だからこそ犯罪者擁護の発言をしたこの純文学畑の某有名作家の名前は明記してほしい。教育については80年代に書かれたエッセイなので情報が古いし、ドイツも日本もだいぶ状況が変わっている。これは作者のせいではないけれど、教育制度とかの時事問題への提言は同時代に読まないとあまり意味がないので、一度雑誌に載せたものをまた著作集に収録しても現代の読者にはあまり参考にならないかもしれない。さてこの本でキーワードになっているのが「自由」なので、自由について考えることにする。この本の中では実存主義という言葉こそ出てこないけれど、実存主義と同じテーマを考察している。実存主義によって宗教的束縛を抜け出して自由になったら、今度は宗教に頼らずに生きる目的を自分で見つけなければならない苦労が待っている。神のため、国家のため、民族のためという大義がなくなって、代わりになるものとして思想に基づいた共同体を作ろうとすると、サルトルが共産主義に傾倒したような失敗を犯すことになる。社会主義の失敗を目の当たりにして、社会主義以前の権力体制である国家や宗教に回帰するは当然の流れといえる。冷戦が終わってソ連が崩壊して中国も資本主義になって社会主義の失敗が明白になると、社会主義対資本主義の構図がなくなり、それ以前の宗教対立の問題に逆戻りしつつある。冷戦後はプロテスタントの欧米とアフリカ・アラブ・中央アジアのイスラム系テロ組織との戦いが始まったけれど、これは後の大規模な戦争に至る発端にすぎないのではないかと私は思う。イスラム教過激派を根絶したらそこで宗教対立が終わるわけではなく、イスラム教同士でもシーア派とスンニ派の争いは決着がつかないまま続くだろう。インドは他民族国家で言語と宗教が違う民族同士で民主主義をやろうとすると多数派のヒンズー教が有利になってしまうので、セキュラリズム(政教分離)で特定の宗教を優遇しないようにしてなんとかバランスを保っているもののしばしば暴動が起きているし、他民族が共存するのは難しい。一方でパキスタンはイスラム教徒が多数派だった地域がインドと戦争して独立したので、国民はほぼイスラム教徒で、言論の自由がなく改宗も禁止されているし、インドとは逆でイスラム教が優遇されている。EUやアメリカでイスラム系移民が集まってコミュニティを作ったら、インドとパキスタンのようにイスラム教徒が独立国家を作ろうとする可能性もある。アメリカでトランプ大統領になってから世界の警察をやめて自国を最優先する保護主義に向かって不法移民を排除したり、フランスで反EU・反移民を主張する右翼政党のルペンが大統領選挙に出たりして、欧米が反グローバル化しつつあるのは移民が進んだ国家の将来に危険を感じているからではなかろうか。今はイスラム教過激派の小規模なテロが起きる程度で済んでいるけれど、いずれ欧米でイスラム教徒対キリスト教徒の内戦が起きるかもしれないし、その先にはイスラム教国家対非イスラム教国家の第三次世界大戦が起きるかもしれない。日本は穏健な仏教と多神教の神道が混在するアジアの端っこの小さな島国なので、難民がおしよせてイスラム化する事態は回避したけれど、日本も宗教の問題とは無関係ではない。80年代ごろから新興宗教が勃興したのも、右傾化したのも、過労死が問題になったのも、宗教、国家、企業と依存する先が異なるだけで、何か大きな組織に依存する本質の問題は変わらない。凡人にとって目的のない自由を与えられても手に余る。自由があっても目的のない人生の退屈さや虚無感に耐えられなくなると、自殺したり、あるいは自ら束縛を求めるようになる。自分で考えなくても他人が次々に目的を与えてくれる状態というのは楽なのだ。目先の目的を与えられると、その目的の先にあるさらに大きな目的は考えずにすむ。たとえば宗教の教祖の言いなりになって財産を寄付して布教活動をするのはただ目先の目的が与えられたというだけで満足して、自分で考えることを放棄したことから目をそらしている自己欺瞞で、宗教の教えが間違っていたとしても、指導者が悪いのであって教義に従っただけの自分には責任がないと責任逃れと自己正当化ができる精神的安全地帯となる。86ページで囚人は物を作る行為に夢中になるというエピソードが書かれているけれど、ホームレスとして自由に無為に生きるより、刑務所に入って毎日何かしらの作業を与えられるほうを好む人もいる。ゲームにはまる人が多いのも、定期的にアップデートされてデイリークエストもあって、毎日何かしらの作業が与えられるからだろう。昔は束縛だらけの中で生きてきたので、生まれた瞬間に生きる目的が与えられていた。家父長制があった頃は長男は家業を継ぐ目的を持たされ、女性は跡継ぎを産むために政略結婚させられていたし、戦争になれば個人の意思は無視して徴兵されていた。戦後の日本国憲法のおかげで人権が尊重されて、思想の自由も職業選択の自由も与えられたけれど、束縛がなくなって自由になると、今度は束縛を求めて不自由になろうとして、不自由の種類を選択する自由があるという逆説的な状態になっている。では自由に好きなものを選んだ先に何があるのかというと、人生の暇つぶしの仕方を自分で選んだという自己満足しかない。ではその人生の選択は自分のためなのか、自分以外の誰かのためなのか。スポーツ選手が試合をするのは自分が記録を残すためなのか、ファンを楽しませるためなのか。ビジネスマンが仕事をするのは自分が儲けるためなのか、会社や株主や客のためなのか。無職が自宅を警備するのは自分が楽するためなのか、家族を手伝うためなのか。もし自己中心的な選択をする人ばかりになれば、国家、企業、家族という共同体は成立しなくなる。では一人で自分のために芸術を創作するのは悪いことなのかというとそうでもなく、芸術は人間の肯定であって人類への奉仕である。144ページに著者が平山郁夫から聞いた話が載っていて、「才能は悪い条件に抗して伸びるのではなく、悪い条件をつねに利用して伸びるものだ」「一寸何かがあって潰されるような才能は、何をやっても潰される」「ここで言う才能とは、東京芸術大学で三十年に一人か、四十年に一人出るか出ないかの才能を指し、玉石混淆の、「玉」を一人排出するために、何百人何千人の「石」を育てなければならないのだ」「夭折の天才は別として、才能が本当に開花するには長い時間を要するのが常である。夭折の天才は、まるでその死を予定していたかのごとくに、全生涯が死の一点へ向かって収斂していたのが後でわかるが、普通の才能は、二十代で一度認められても、本当に深く大きく展開するには、人生の経験と人間としての成長を必要とし、長大な時間がかかるものなのだ」と平山郁夫は言っていたそうな。しかし長大な時間をかけても才能が開花しない場合もあるし、そこが芸術の恐ろしいところでもあり、面白いところでもある。パラシュートが開く保証がないままスカイダイビングして地面がどんどん迫ってくるようなもので、芸術のために人生を棒に振るのはスリリングで退屈しないので、暇つぶしにはちょうどよいではないか。★★★★☆【古本】西尾幹二の思想と行動 3 論争の精神/西尾幹二【中古】 afb
2017.04.26
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1980年代後半に書かれたエログロバイオレンス脱糞短編集。「薬菜飯店」はおれが効能がいい中国料理を食べて体中の毒を排出する話。おれの一人称。「法子と雲海」は夢を説いて虚構の想像力を語る危険思想家の法子先生と弟子たちが夢と現実を行き来したりする話。三人称。「イチゴの日」はプロデューサーがブスの島川ユリエを子供の頃から美人のスーパースターとして騙して育てて18歳の誕生日でブスだと発表する壮大ないじめを企画していて、それを島川ユリエが知って悪魔を呼び出して復讐する話。三人称。「秒読み」は50代の軍人のボブ・ギャレット大佐が核戦争で世界が終わる秒読みが始まる前に意識だけが40年前の少年時代の自分にタイムスリップして少年時代をやりなおす話。おれの一人称。「ヨッパ谷への降下」はヨッパグモを大切にする村で朱女と暮らしていると、朱女が数万匹のヨッパグモの巣があるヨッパ谷に転落したので助けに行く話。主語なしの一人称。「偽魔王」は吉井真弓の息子の純が大河内君に屋上から突き落とされて死に、素行が悪いやくざの猿田が組長の遠藤に殺されて、二人は悪魔がいる世界で会い、悪魔たちはファミコンを通じて人間に憑依して悪魔をスカウトしていて、猿田は素質を見込まれて臨時の魔王になって純の大河内一家への復讐を手伝う話。三人称。「カラダ記念日」は俵万智の「サラダ記念日」のやくざ風パロディ短歌集。巻末には俵万智が自分の短歌と比較した解説がついている。●感想エログロバイオレンス脱糞、ファンタジー、タイムスリップSF、パロディ短歌と、バリエーションが多彩で短編集として飽きなくてよいものの、脱糞がやたらと多いし、「偽魔王」には露離婚や近親壮観の場面もあるので、そういうのが苦手な人は注意したほうがよい。「イチゴの日」はジム・キャリー主演の映画『トゥルーマン・ショー』的なアイデアを先取りしているけれど、途中から脈絡もなく悪魔が出てきてなんでもありのファンタジーオチで終わってしまったのは残念なところ。長編に展開しうるアイデアを短編で浪費してしまうのはもったいない。「イチゴの日」と「偽魔王」の悪魔系短編が二つもあるけれど、当時はオカルトが流行っていたんだろうか。悪魔がそのまま暴れるというのは筒井の割には安直な展開で、「偽魔王」では最後に作者批判してオチがないことをごまかしているけれど、オチを考えるのを放棄してメタフィクションに逃げているように見えてしまう。★★★☆☆薬菜飯店【電子書籍】[ 筒井康隆 ]
2017.04.16
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麻雀のバイニンを書いた11篇の短編集。「天和くずれ」は天和積み専門のキャブと木原のコンビがいったん別れて、学生の折原がキャブや木原とコンビを組む話。三人称。「末は単騎の泣き別れ」は麻雀はアルバイトで就職したらやめるといってたくせに麻雀中毒になったベル公と再会する話。一人称。「天国と地獄」は寺の息子ののっぽが達のギャングバーでいちゃもんをつけたので、ドサ健と達のコンビがのっぽと唖のコンビと墓地の権利をかけた高レート麻雀で勝負する話。「雀ごろブルース」は客がいなくなって食い詰めた雀ごろの私がイカサマ牌を用意して坊ちゃん一味に勝負を持ちかける話。一人称。「麻雀科専攻」は学生のピカが女郎に麻雀を教えてカモる仕事を始める話。三人称。『外伝・麻雀放浪記』にも収録されている。「雀魔団始末書」は大学生三人が組んで麻雀で荒稼ぎするものの、一人が裏切って仲間をカモにしようとしてドサ健を呼ぶ話。三人称。「大物狙い」は靴屋で働くコロ助がズベ公のカン子と付き合い始め、カン子を妾にするために麻雀で稼ぎ、バイニンのぴィちゃんと組む話。三人称。「雀ごろ戦争」は私がくらぶ・ぼんぐうに目をつけて麻雀ボーイとして勤め始めて弟分の学生のターボとコンビを組んでバイニンを撃退していると、小学校の音楽教師の滝田先生がバイニンになっていたので勝負したり、私が豚箱に入っている間に雇われた麻雀ボーイの九州チビと麻雀ボーイの座をめぐって勝負したりする話。一人称。「野やくざ帝国」は野やくざの俺が博打うちになって、プロレス式演出麻雀で客を楽しませつつテラ銭で儲ける話。一人称。「居眠り雀鬼」は洋品店の店主で麻雀が弱い猪口が麻雀教師の求人広告を出すと、居眠りをしながら麻雀を打つ変なバイニンがやってきて猪口を勝たせてやるものの、バイニンに負けた小説家の柚木が差しウマ勝負を挑む話。三人称。「海道筋のタッグチーム」は阿佐田に負け知らずの双子の麻雀打ちから挑戦状が来たので裏芸なし、賭金なしで三人打ちの勝負をする話。一人称。東が5枚あるという設定ミスを読者に指摘されて作者がお詫びしているけれど、実際に牌を並べないまま頭の中だけでプロットを作っていたのならそれはそれですごい。●感想麻雀小説というニッチなジャンルなので読者層は限られてしまうものの、麻雀のルールを一通り知っていれば面白く読めるし、イカサマ技を知っていればいっそう面白く読める。バイニン同士の勝負の駆け引きの面白さだけでなく、負ける側の心理も書いているのはよい。恋愛絡みの短編もあって短編集としてバリエーションが多彩で飽きないので、麻雀好きな人なら買って損はない。この短編集の中では「天国と地獄」がよい出来で、ドサ健のキャラが立っていて他の短編の主人公よりも存在感があるし、積み込み天和に対抗するバイニンならではの攻防やすっきりと終わるオチがよい。ごろちゃらとかズベ公とかの現代では使われていない戦後の言葉遣いもやさぐれた風情があってよい。★★★☆☆雀鬼くずれ【電子書籍】[ 阿佐田 哲也 ]
2017.04.11
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男女の恋愛にまつわる7つの短編集。「もう一人の男」は死んだ妻宛に妻の浮気相手の男から手紙が届いたので、妻のふりをして男に返事を書いて会いに行く話。彼視点の三人称。「脱線」は僕がベルリンの壁崩壊前に東西ベルリンを行き来してチェスグループのスヴェンと妻のパウラと知り合い、ベルリンの壁が崩壊したらスヴェンが僕をスパイして秘密警察にちくっていたことが発覚して夫婦仲が悪くなったのでパウラと浮気した話。一人称の回想形式。「少女とトカゲ」は少女とトカゲが描かれてある絵が父の仕事部屋にあり、父が死んで息子が絵をもらうと、ルネ・ダールマンの「トカゲと少女」と逆の構図の絵で、父親がユダヤ人を助けたお礼にもらった絵だったという話。息子視点の三人称。「甘豌豆」はトーマスが建築家として成功して絵を描き始めて、妻のユッタがいるのにヴェロニカとヘルガと付き合って皆に嫌われて、一人で僧服を着て旅行していたら事故で障害者になったら、妻たちが勝手に彼の作品で金儲けをしていた話。三人称。「割礼」はドイツ人のアンディがユダヤ系アメリカ人のサラと付き合って、ドイツの過去の問題についての意見の相違で喧嘩して、サラに合わせるためにユダヤ教徒になって割礼する話。三人称。「息子」は紛争地域に平和監視団が派遣されて、各国から来た監視団メンバーが家族の写真を見せ合うものの、ドイツ人は離婚していて息子の写真を持っていなくて息子について考える話。三人称。「ガソリンスタンドの女」は中年夫婦がセックスレスになって愛情がなくなったので、結婚生活をやり直すためにアメリカ旅行をしていたらガソリンスタンドで美人の女に会って、やっぱり結婚生活はやりなおせないと思う話。三人称。●感想ベルリンの壁やユダヤ人問題を絡めていて、話の内容にはドイツらしい特徴があるけれどテーマが古いので2001年刊行の現代小説の割には時代遅れな感じの内容。小説の登場人物の男女は暗黙のうちに白人キリスト教徒またはユダヤ人で、トルコ人移民等は存在自体が無視されている。ドイツは1950-70年代にガストアルバイターと呼ばれる移民労働者を受け容れていて、今ではドイツ人の5人に1人は移民なのにまったく移民が登場しないのは不自然。各短編の主人公はどれも個性が乏しくて感情の起伏が乏しいドイツ人の男で、濡れ場や喧嘩の場面でさえ淡々とした色気の無い描写で盛り上がらないので、恋愛小説としてはたいして面白くない。「もう一人の男」は妻のふりをして返事の手紙を書くという設定はよかったものの、その後が平凡な復讐になっていて地味。「甘豌豆」はユーモアを狙ったはずなのにさっぱり面白くなく、ドイツ人にユーモアのセンスがないことを裏付ける例のひとつになってしまった。「割礼」は男女が惹かれあう場面を描かないまま喧嘩の場面を展開していて、そんなに価値観が合わないのになぜ付き合い始めたのか疑問だし、さっさと別れりゃーいーじゃんよォーと思っていらいらしてしまって読むのがめんどくさくなる。夫婦喧嘩は犬も食わぬというやつで、仲直りする程度の痴話喧嘩を書かれても興味ない。「息子」はオチの予想がつく展開でプロットに工夫がないし、人物名でなく○○人と呼ばれていて、息子も名前で呼ばれないので具体性がなく抽象的で、そのぶんリアリティもない。構成面では各短編で描写量やリズムや構成を変えたりして書き分けているわけでもなく、短編集として続けて読むと飽きてくる。この本はベルンハルト・シュリンクの最初の短編集のようで、舞台設定にはこだわったようだけれどテクニックが追いついていないのだろう。最初の短編集は作家の発想やテクニックを値踏みをする見本市のようなものだと私は思っているけれど、この人は長編の『朗読者』もそうだけれど第二次世界大戦前後のドイツにしがみついていて現代のドイツの状況を見ようとしていないし、文学で独自の地平を切り開こうというわけでもなさそうだし、作家のくせにユーモアのセンスもないので、この人の小説はもう読まなくてもいいかなという感じで値踏み終了。村上春樹と同類で、歴史上の問題に言及していい人ぶるけど現代社会で進行中の問題には目を向けようとしないファッション人道主義のナルシストの偽芸術家の臭いがする。★★★☆☆【中古】 逃げてゆく愛 新潮文庫/ベルンハルトシュリンク【著】,松永美穂【訳】 【中古】afb
2017.04.05
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父親の死について書いた「見えない人間の肖像」と「記憶の書」の二作の中篇集。「見えない人間の肖像」のあらすじ52歳で離婚した後に一人で大きな家に15年住んでいた父親のサム・オースターがようやく家を売ろうとした矢先に前に死んでしまい、私は家を整理しながらとらえどころがなかった孤独な父親について回想する。サム・オースターは9歳のときに母親が父親を銃で殺すのを目撃して、金持ちになることを夢見ているのにケチで金を使う欲はなく、息子と孫が産まれても喜ばず、娘を何もできない天使扱いして病気には無理解で、黒人のスラムのアパートを経営して休み無く働いたもののアパートが荒れ果てて事業に失敗して、息子より甥をかわいがっていた。「記憶の書」のあらすじパリの詩人のAが父親の死や、Sと交流や、妻との離婚や、母方の祖父が死にかけたことや、息子の成長を記憶の書に書く話。●感想「見えない人間の肖像」は詩人の私の一人称。父親についてとりとめもなく回想していて、エピソードが断片的で各回想の場面がつながっておらず物語になっていない。エッセイならこれでもよいのだろうけれど、物語になっていないので小説としては面白くない。父親と息子の物語というのは小説の定番パターンで、ソフォクレスの『オイディプス王』やらツルゲーネフの『父と子』やら志賀直哉の『和解』やら古典がいろいろあるし、どの作家にも父親がいるわけで、親子の反目と和解とか、ユーモアと感傷とかの似た内容になって既視感がでてしまう。それゆえに親を小説にする際には作家の着眼点やテクニックの差が顕著にでる。ポール・オースターは父親の生涯をひとつの物語としてまとめずにエピソード回想集にしてしまったことで父親像がころころ変わって印象がぶれてしまい、テクニックとしては凡庸で下手なやりかた。「記憶の書」はAの三人称。「見えない人間の肖像」と対になるように父親の死について書いているA(たぶんオースター自身)を書くという実験的試みなのだろうけれど、記憶の書の各章が断片的で物語になっておらず、人物名もアルファベットに省略されていて、メンタルモデルが形成できなくて内容が頭に残らないのでまったく面白くない。小説でもエッセイでも詩でもないメモのような形式の散文になっている。読者がAの生涯に興味を持って理解できるように書いていないし、読んで面白いどころかストレスしか感じないので読むのをやめた。普通に丁寧にわかりやすい言葉で書いた自伝やエッセイのほうがまし。私にとってポール・オースターの親父が死のうが、どんな人間でどんな人生だろうがどうでもよいのだけれど、作者は読者にとってどうでもよい話に興味を持たせて面白く読めるようにするための努力や工夫を放棄していて、作者のひとりよがりになっている。この本は詩人として活動していたポール・オースターの散文としての第一作目のようで、詩を書く感覚で散文を書いたせいのでプロットやストーリーがなくてくそつまらないのかもしれない。巻末で吉本ばなながポール・オースターに会ったことがあると自慢しているのも意味不明。そもそも自慢するような相手でもないし、英語もわからないのに会ってちょろっとインタビューした程度のことを自慢するものでもないだろう。ポール・オースターのファンは吉本ばななの落書きが付いてる本なんてむしろいらないんじゃないかと思うのだけれど、当時の出版社は人気作家の落書きを載せれば本が売れると思ったんだろうか。大川隆法総裁先生にポール・オースターの親父の霊言を言ってもらうほうがネタとして面白いかもしれない。さてこの本をブックオフオンラインで買ったのだけれど、どういうわけか前の所有者が日記を本に書き込んでいた。2003年9月20日にNIKON AD3を使って雨の中で等々力不動を撮り、平日10時までやっている本屋を発見して『もち歩き江戸東京散歩』を1600円で買い、2003年9月21日に雨の中を京急蒲田まで歩いて写真を撮り、ヒレカツ定食と小ビールで1080円で、サンマークでこの本を読んで、無印のボールペンを失くして、レインコートを500円で買っていて、テーマ主義で必ずその日の撮影テーマを決めることにしていて、モノクロ現像焼付けができるようになること、NIKON Kを使えるようにすること、リバーサルフィルムを使えるようにすること、ノーファインダーで撮ってみること、量を撮ることを目標にしていたようで、テーマは「東京の旅行者」と「六本木ヒルズ」だそうな。余白にメモ書きがある古本はよくあるけれど、本の内容とは関係の無い日記を3色ボールペンで色を変えながらつらつら書いているパターンは初めて見て、この日記が本自体より面白かった。わざわざ本の余白に日記を書いたのはつまらないゴミ本だからメモ帳代わりにでもしようと思ったんだろうかとか、レインコートを買ったことをメモしておく必要はあるのかとか、わざわざボールペンの色を変えて書く意味はあるんだろうかとか、いろいろ考えてしまう。私もブックオフに本を売る際には宝の地図とか未解決事件の真相とか秘密結社の暗号文とか、なにかしらファンキーな落書きをしてから売ろうと思う。★★☆☆☆孤独の発明 [ ポール・オースター ]
2017.04.03
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市場主義と道徳について考えて、いまは刑務所の待遇とか医者の電話番号とかグリーンカードとか何でも金で買えるけど、投票権とか子供とか買ったらいけないものがあるし、世の中が金で買える物ばかりになったら金がもっと重要になるから貧乏人が困るよと警鐘を鳴らす本。私は貧乏なので何をいくらで売っていようがたいていのものは買えないし、誰が何を売買しようが双方の合意の上なら別にいいんじゃねーのと思うし、サンデルが買っちゃだめよと言う根拠もあまり説得力がないので、特に面白くなかった。子供の売買をすると恣意的な基準ができてしまうからよくないとサンデルは言うけれど、不妊治療で精子バンクを使うにしろ養子をもらうにしろ金で子供を買って幸福になる親子がいるなら別にいいんじゃないかと思う。サッカークラブが才能ある子供に契約金を払ってユースで英才教育をするのがOKなら、実業家が跡取りをほしがって優秀な養子を金で買って帝王学を教えるのも似たようなもんだろうし、サンデルが言うように子供を買うのがどんな理由でもだめだというなら貧乏な子供が貧乏を抜け出す手段が少なくなってしまう。世界が何かの原理主義に支配されない限りは絶対的かつ永続的な道徳の基準というのは存在しないので、何がよくて何が悪いのかはその時々の各国のコンセンサスで変わる。たとえば売春は世界各国で違法だけれど、今では考え方が変わりつつあり、非合法に犯罪組織に搾取されるよりも女性を保護するために売春を合法化する流れになっている。アメリカでは酒がいったん違法になった後にまた合法になって、今度は大麻が合法になった。スマートドラッグの売買とか代理母契約とか臓器移植の割り込みとかたとえ他の地域や他の時代では道徳的に非難されるものでも、ある時代のある地域で合法でなおかつ道徳の基準が一致する当事者同士で売買の合意がなされていれば、何を売買しようがいいんじゃないかと私は思うわけである。何を買うかというより、売れるもんは何でも売れるようになるのが貧乏人が生きていくには大事なので、「それをお金で売りますか」と貧乏人目線の本にしたほうが99%の貧乏な読者にとっては面白かったかもしれない。★★★☆☆それをお金で買いますか【電子書籍】[ マイケル サンデル ]
2017.04.02
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世界のエリートは哲学が役に立つから学んでいるのだという趣旨で、古典から現代までの著名な哲学者の主張の要点をざっくり紹介した本。ターゲットとなる読者は哲学を知らないビジネスパーソンなのだろうけれど、無理やりビジネスパーソンの思考法と結び付けている感じで、どのエリートが何を考えているのか、どうビジネスに役立つのかという具体性が乏しい。もっと突っ込んだ思考をしないとビジネスには役に立たないんじゃないかと思う。ビジネスパーソンが哲学に興味をもつきっかけとしての入門書としてはよいのかもしれないけれど、内容が浅くて、読んだところでせいぜい文系大卒の常識を補う程度なので、これを読んだからといって世界のエリートたちと哲学の会話をしてきゃっきゃウフフと盛り上がれるわけでもないだろう。それに世界のエリートが教養として哲学を学んでいるというより、ヨーロッパが幾たびも経てきた革命や社会の変化の根底にある思想として哲学があるのであって、別にエリートでなくても大卒なら歴史と一緒に哲学を知っているという程度の一般常識で、知っているからといって教養として自慢になるようなものでもないだろう。日本のビジネス界は「経営哲学」としてたまたま時流に乗って一時的に成功したにすぎない経営者の偏った考え方を崇拝して、自分で考えるような人材は従順でないから使いにくいとみなして脳筋体育会系イエスマンばかり集めたがる。その結果、経営者の伝記を無理やり読ませて洗脳まがいのことをして経営者を崇拝させて、組織の派閥の中でしか生きられないようなビジネスごっこパーソンがあふれて人材の多様性をなくして変化に対応できなくなって会社が傾いて、会社の肩書きと人脈がなくなると何もできないようなぼんくらパーソンがあぶれるというサイクルを繰り返している。そもそも何かの物事について自分の頭で考えずに偉い人の意見に従うのは哲学ではないので、「経営哲学」を崇拝するという儒教的で権威主義的な考え方から脱却して他人の意見に疑問を持って自分で考えることをしないと、哲学は論語読みの論語知らずのような意味の無い学問になってしまう。日本のビジネスパーソンは教養としての哲学史を学んでエリートぶるよりも、まずは実用の哲学としての人権の概念を学んで法令を順守してブラック企業でなくなるのが先じゃなかろうかと思う。ナイキのような大企業でさえインドネシアで下請け工場が児童を労働させて人権違反で国際的にバッシングされたし、ワタミも一時はデフレ下の時流に乗って業績を伸ばしても従業員から搾取するブラック企業の実態が世間にばれると客に嫌気されて業績を下げたし、利益を優先して人権侵害でバッシングされる企業は多い。人権の概念を理解できないブラック企業のサイコパス経営者とか、自分や家族を犠牲にしてでも仕事一筋で周囲を不幸にするワーカホリックとか、無駄な責任感を持ってブラック企業に尽くして労働力ダンピングに貢献して自分の首をしめてるドMバイトとか、何のために働いて何のために生きているのか本人ですら理解していないんじゃなかろうか。そういう人向けに「日本のサイコパス経営者と底辺労働者が学ぶべき実用としての哲学」にテーマを変えたほうが大勢の日本人読者の役に立つんじゃないかと思う。★★★☆☆世界のエリートが学んでいる教養としての哲学【電子書籍】[ 小川仁志 ]
2017.04.02
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世界の哲学者が考えている現代的テーマを広く浅く紹介した本。IT、AI、バイオテクノロジー、クローンとかの現代の旬なテーマに対する哲学者の意見をちょろっと紹介している。サンデルとかのキャッチーな哲学者を取り上げているので、ミーハーな人とか世間話のネタがほしい人とかには面白いかもしれない。各テーマを掘り下げているわけでもないし、各哲学者の意見に対して反論があるわけでもないし、主張を並べただけという感じで個人的にはあまり面白い点がなかった。こういう「世界」という言葉をタイトルにつけている本で紹介するのはたいてい欧米人だというのが不満で、アジアやアラブやアフリカに哲学者はいないんだろうかと思ってしまう。あるいは宗教家は哲学者扱いされてないんだろうか。あと太字であちこち強調しているテンプレ的な軽い本のレイアウトで、いかにもダイヤモンド社だね~という感じ。★★★☆☆いま世界の哲学者が考えていること【電子書籍】[ 岡本裕一朗 ]
2017.04.02
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