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2016.07.29
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日本文学振興会が「人生に、文学を。」プロジェクトというのを開始して、

文学を知らなければ、目に見えるものしか見えないじゃないか。
文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)

というコピーを朝日新聞の広告に載せてアニメファンを煽ったことで批判されている。コピーを考えたのは電通テックだそうな。人生に文学をなどと大層なことを言いつつアニメファンからも文学ファンからも批判されてしまったこのコピーの何が問題なのか考えることにする。

・なぜアニメなのか?
わざわざ他業種を絡めたコピーにしたのは若者の読書離れを意識したのだろう。今までは少年期に漫画やアニメやゲームに没頭しても大人になってからは子供向けの娯楽から離れて大人の娯楽である小説に移行するはずだったのに、サブカルチャーが人気になっておたくが恥ずかしい存在ではなくなり、大人になってもいつまでも漫画やアニメやゲームから離れないまま小説を読まなくなったことに文学振興会は危機感を持っているのかもしれない。じゃあなぜ漫画やゲームでなくアニメだけを槍玉に挙げたのか。漫画か?ゲームか?でもよかったはずである。
日本文学振興会はアニメでは人生を想像できないと蔑視する意図はなく、アニメだけでいいのかという意図だと弁明している。アニメは本来は映画と同様に様々なテーマを表現できるのだけれど、スポンサーをどうするのか、テレビの視聴率はとれるのか、DVDは売れるのか、という採算を考えると漫画やゲームほどの表現の多様性はなくなる。アニメが文学に比べて表現手法として劣っているというわけではなく、マーケットとしての多様性が乏しいので、アニメだけでいいのか?というのは文学側の消費者拡大のアプローチとしてはありうる。アニメで人生を想像できなくはないだろうけれど、その人生の想像の範囲はかなり狭いものになるので、アニメだけでなく文学も読んで人生を想像しようじゃないかということで、文字と映像との対比で漫画やゲームでなくアニメのみを引き合いに出すというのは一応筋が通る話である。しかしアニメファンを煽って敵に回しただけで結果的に失敗だったし、こんな頭にくるやりかたでアニメファンがじゃあ文学も読んでみようかと思うはずもない。

・文学とアニメは二項対立にはならない
ウィーダ『フランダースの犬』、モンゴメリ『赤毛のアン』、オールコット『若草物語』、バーネット『小公女』などの世界名作劇場でおなじみのアニメの名作は小説が原作である。日本のアニメの代表格であるスタジオジブリの作品にも『ハウルの動く城』とか『海が聞こえる』とか小説の原作があるものもある。小説版とアニメ版のどちらが優れているというわけでもなく、小説もアニメもそれぞれ違った良さがある。原作の小説は人生を想像できてアニメ版は人生を想像できないというのはおかしな話で、コピーを作った電通の人や日本文学振興会は小説原作のアニメがあるということさえ知らなかったのだろうか。ちょっと考えれば文学とアニメをジャンルとして対比させるのは矛盾していることに気付くはずである。それなのにあえてアニメか?などとアニメを名指ししたのはアニメを文学より劣るジャンルとして見ていて、小説と同じストーリーでもアニメ版では人生を想像できないというアニメ蔑視が根底にあるように見える。


・文学だけが人生を想像する手段ではない
文学を読んで人生を想像できる側面がある一方で、我々は文学を読まなかったとしても親や教師や同僚や友人からも人生の教訓を学ぶわけで、各自一生懸命生きて経験からも人生を想像しているわけである。人生を想像するためだけに文学やアニメを見るわけでもないし、仕事や親の介護に疲れて童心に戻ってアニメに没頭してストレスを発散したいという大人だっているだろうし、どんな趣味を持とうが他人が口を出すのは余計なお世話である。

・なんで芥川賞と直木賞だけなのか?
日本文学振興会が文学として引き合いに出したのが芥川賞と直木賞だけというのはアニメとは関係なく問題である。日本文学振興会は文芸春秋が母体なので自社の文学賞を宣伝したいのだろうけど、あたかも芥川賞と直木賞が日本文学の代表であるかのように振舞うのは他の出版社に喧嘩を売っているように見える。それに年に二回の芥川賞と直木賞で複数受賞したとしても年に8冊程度で、日本文学振興会は人生に文学は年8冊程度で十分だと思っているのだろうか。もし芥川賞と直木賞以外にも本を読んでほしいというキャンペーンなら、わざわざ芥川賞と直木賞にだけ言及する意味がわからない。

・文学はごみである
萌えだろうがエロだろうが娯楽としての商品価値を提供するアニメに対して、娯楽でもなく芸術としても完成度が低い文学は何なのか(資源ごみか?)。日本文学振興会はアニメを引き合いに出して偉そうなことを言う前に、謙虚になって文学がごみだという自覚をして読む価値がある小説を出版するのに専念するのが先だろう。あるいは消しゴムで消えるインクで小説を印刷して、読み終わったら文章を消してメモ帳として使えるようにするとかしたほうが資源の節約になって小説が社会の役に立つかもしれない。

・「人生に、文学を。」プロジェクトに賛同している企業は本当に賛同しているのか?
経営者はほとんど文学を読まないし、文学の価値もたいして理解していないし、文学部の卒業生はあまり採用しない。そもそも経営者が文学を読んで社員の人生を想像できるのなら、いまのように格差社会にはならなかっただろうし、若者が使い捨てにされて単行本を買えないほど貧乏にはなっていなかっただろう。本音では文学なんてケツを拭く役にも立たないと思っているくせに、表向きはかっこつけたいから宣伝費を出して賛同するという企業の姿勢はださい。長編小説をじっくり読みたいから有給ほしいといったら会社は本当に賛同するのか、だれか社員の人は試してほしい。
新聞社や印刷会社はともかく、文学に縁のなさそうな企業がキャンペーンに賛同している点がいっそう胡散臭さをかもし出している。賛同するんなら代表取締役のお勧めの小説でも出してみろっつーの。

●まとめ
「人生に、文学を。」プロジェクトはいろいろな点で突っ込みどころが多くて、出だしから失敗だった。こんなコピーを作るような連中に関わりあいたくないといううさんくさい雰囲気をかもし出してしまったのはもう取り返しがつかない。






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最終更新日  2016.07.29 23:01:37
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