三角猫の巣窟

三角猫の巣窟

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

サイド自由欄

コメント新着

三角猫@ Re[1]:戦争反対について考える(04/02) 四角いハムスターさんへ 四角いハムスタ…
四角いハムスター@ Re:戦争反対について考える(04/02) お久しぶりです。 コメントはしておりま…
三角猫 @ Re[1]:善本位制について考える(08/02) 四角いハムスターさんへ 善本位制がうま…
四角いハムスター@ Re:善本位制について考える(08/02) 三角猫さんへ 中国は国家安全ために自国…
三角猫 @ Re[1]:善本位制について考える(08/02) 四角いハムスターさんへ 私は宗教国家の…
2021.02.24
XML

最近はひろゆきが日刊SPA!のコラム「​ 古文や漢文よりも「困ったときの役所の使い方」を義務教育で教えるべき ​」で、古文や漢文を共通テストの科目から外して、その時間をプログラム、お金の話、宗教の話、「困ったときの役所の使い方」を教えるのに使えばいいと言っていて、これについて巷で議論されているようなので考えることにした。

・古文と漢文とは何か

高校の授業の必履修科目の「国語」のうちの「古典」として古文と漢文を学習する。古文とは平安時代中期に用いられた中古日本語のことで、日本語の文語体の基礎になっている。漢文とは古代中国の文語体の文章のことで、日本語に翻訳するための文法を学ぶ。つまりは国語(日本語)を深く理解するために、そのルーツである古文や漢文も勉強するわけである。

・欧米のラテン語教育はどうなっているのか

日本の古文・漢文に相当するのが欧米のラテン語だろう。古代ギリシアと古代ローマが周辺国に多大な影響を与えたので、ラテン語とギリシャ語は欧米諸国の言語のルーツになっているだけでなく、学問や思想のルーツにもなっている。
「​ もう使われないラテン語、なぜヨーロッパの小中高生は学ぶのか ​」という記事にはイギリス以外のヨーロッパの中学や高校ではラテン語が必修科目か選択科目になっていると書いてあって、英語力アップ、文化の理解、ヨーロッパの哲学や歴史の土台を知ることなどがラテン語教育を推進する理由だそうな。ローマ・カトリック教会の公用語がラテン語なのでキリスト教徒にとってはラテン語が重要だし、中世の自然科学や哲学などの学術用語として使われたので研究者にとってもラテン語は重要である。
私は大学院の授業でウェルギリウスのラテン語の詩を読む必要があったのでラテン語を少しだけ勉強したのだけれど、英語にはラテン語由来の言葉が多いのでラテン語学習が英語力アップになるというのは納得できる。例えばラテン語で持ち上げることを意味するlevareに由来するlevが語幹にある英単語のleverやelevatorなどは持ち上げることに関連している言葉なのだとわかりやすい。漢字で言うとさんずいが水に関係する言葉だったりして部首で大まかな意味が推測できるようなものである。
日本も中国から漢字と仏教が伝来して仏教由来の言葉が多く残っているし、日本では仏教徒が多いのだから、欧米出羽守の基準で言えば欧米でラテン語教育を推進しているように日本でも古文と漢文の教育を推進するべきだろう。

・学校では何を教えるべきなのか

知識の種類を大雑把に分類してみると、
1.生きるために必要な知識(保健、家庭科、日本語、算数など)
2.現代文明の成り立ちを理解するための知識(古文、漢文、歴史、地理、理科など)
3.現代文明を維持するための知識(英語、公民、法律、簿記、看護、パソコンや車や機械の操作方法など)
4.現代文明を発展させるための知識(科学、技術、工学、数学、人文科学、芸術、医学、プログラミングなど、いわゆるSTEAM教育)
に分けられるかもしれない。では学校ではどの段階の知識をどの程度教えるべきなのか。
生きるために必要な知識は小中学校の義務教育で落ちこぼれが出ないように最低限教えるべき内容だと思う。生きるために必要な知識を教えればたいていの人は普通に社会で生活できる。例えば外国人移民は生きるために必要な知識として日本語の応答ができて四則演算ができれば仕事をして買い物をしたり病院に行ったりして生活ができるので、業務によっては在留資格に日本語能力が要求される。ひろゆきが言う「困ったときの役所の使い方」は生きるために必要な知識だけれど、困る前から暗記してテストして理解度を上げる意味がなくて困ったときにその都度役所で聞けばいいだけなので、学校の授業で教える必要はないだろう。確定申告も同様に確定申告が必要になったときに税務署で聞けばいいだけだし、個人事業主や農業や不動産収入とかの収入の種類によって経費や仕分けの項目が違うのに収入がないうちから全部覚える必要はないだろう。
現代文明の成り立ちを理解するための知識を教えれば、それを基礎として大学でさらに高度な研究できるようになって職業選択の幅が広がるので、高校で教えるのが合理的である。卒業した後で使わない知識だから教える必要ないものではなくて、国民の知識水準を上げて社会のコンセンサスを得るうえで必要である。例えば我々が学者になるつもりがなくても地動説や進化論や化学式を学ぶのは世界がそのように成り立っているという科学文明の事実を認識するためで、その科学的なコンセンサスがあるおかげで日本人はマスクの有効性を理解して、知識水準が低くてマスクをしたがらないアメリカ人よりもコロナの感染者数を少なくできている。古文や漢文も現代の日本語がどうやって成り立ってきたかという日本文化を認識するために必要で、日本史や現代文と合わせて勉強することで日本人としてのアイデンティティを形成できるようになる。日本にはビジネスのために英語教育を推進したがる人がいるけれど、自国の文化と歴史さえ理解していない者が外国語のうわべの意味だけ覚えて他国の文化や歴史を理解できると考えているのは思い上がりで、まずは日本語の教育をやるべきである。
文明を維持したり発展させたりするための知識は仕事につながる知識で、各自が職業選択の必要に応じて専門学校や大学で学べばよい。社会は分業で成り立っているので、専門分野で国民全員が共通の知識を持つ必要はない。プログラミングとかの技術革新が速い分野は中学や高校の教師から学ぶよりもネットのほうが現役で働いている人の最先端の情報があって頭角を現す人はたいてい独学で勝手に学んでいるのだから、学校で一周遅れの知識を教える必要はないだろう。ちなみに私は小学生の時の部活でパソコン部に入っていたのだけれど、教師がだれもパソコンを使えなかったようで役に立つことは何も教えてもらえなくて、古いパソコンに8インチの大きなフロッピー入れて教本通りにプログラミングを入力するとテトリスが動くというのをとりあえずやったけれど、意味が分からないままただ教本をタイピングしただけなのでまったくプログラミングの勉強にはならなかった。

・学問の価値とは何か

高学歴なのに仕事ができない人がしばしば無能扱いされるけれど、受験勉強で現代文明の成り立ちを理解するための知識だけ詳しくなっても直接仕事で役に立つわけではないのが理由だろう。だからといって個人的な利益になる勉強だけをするのでは教養がなくなる。教養がないとはどういうことかというと、目の前の仕事はできても文明の仕組みや文化を理解していないということである。文明を理解して発展させるには包括的でバランスがいい知識が必要で、そのバランスがない拝金主義者は大卒でなくても年収○千万円稼いでるから大学は意味ないとか○○は儲からないから廃止しろとかの短絡的なことを言って、無自覚に知識の継承を断絶させて文明を破壊しようとする。
最近は義務教育だけでなくて大学の学問でさえ文学部廃止論のように金儲けにならない学問を時間の無駄として廃止したがって、資格取得とかの仕事に役に立つ分野だけ研究させて企業に都合がいい就職予備校にしたがる風潮があるけれど、それは大学がやることではない。1973年のノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈・茨城県科学技術振興財団理事長は週刊ダイヤモンドの「​ 日本人はもうノーベル賞を獲れない?深刻な科学技術立国の危機 ​」という記事で「今は、基礎研究に対して『役に立たない』という不当な評価があります。当初から役に立つことを狙っているような基礎研究などあり得ません」と言っているように、役に立つかどうかを研究の基準にしてしまうと短期的な利益が出ない基礎研究ができなくなってしまう。芸術も同様に価値があるものを作ろうと決めて作るものではないし、まだ価値が付いていないものの中から唯一無二の物が出てくるもので、印象派もピカソのキュビズムも初めは評価されなかった。企業が即戦力がほしいなら育成を大学に求めないで自社でセミナーを開くなり職業訓練校を作るなり専門学校卒を採用するなりすればいいし、採用基準に○○の資格持ちと条件を付けておけばそこに就職したい学生は勝手に勉強するので、大学で教える必要がない。営利目的の民間企業がやらない研究をやるから大学の学問に価値があるのであって、企業がその価値を理解できないなら新卒採用で大卒を採用条件にするのをやめればいい。
私はどんな知識でもないよりはあるほうが良いと思うし、金儲けのためでなくこの世界を知るために大学を卒業した後も勉強を続けている。世界は誰かの役に立つために存在しているのではないのだから、世界についての知識が誰の役にも立たなくても別によいではないか、というのが私の実存主義的な知識のとらえ方である。もちろん知識が役に立つに越したことはないけれど、いつか何かの役に立つかもしれないという程度の期待でよい。知を愛するフィロソフィアの精神で先人の知識を継承して広い教養を身に着けて何か新しい発見ができることが学問の価値で、会社の役に立つ技術者を作ることが学問の価値ではない。

というわけで私は高校の国語で古文と漢文を教えるのは妥当だと思うし、古文と漢文を共通テストから外して他の事を教えるというひろゆきの案には反対である。古文と漢文以外にも金儲けにつながらない勉強はいろいろあるけれど、何でもすぐに損得に結び付けずに役に立たないことを楽しむ程度に人生に余裕を持ちたいものである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.03.30 13:28:43
コメント(2) | コメントを書く
[その他・考えたこと] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: