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2023.05.28
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私はアクセサリーは全くつけないのだけれど、巷ではアクセサリーは人気があるようである。あと巷では部屋をぬいぐるみとか好きなもので飾るのが好きな人が多いようだし、クリスマスにも熱心に飾り付けをしている人もいる。そもそも装飾とはなんじゃろうかと思ったので徒然なるままに装飾について考えにけり。

●装飾とは何か

装飾とは事物を飾ることである。英語だと建物の内部を彫刻や絵画などで飾ることをdecorationといって、壁面や柱の表面を模様などで飾ることをornamentという。装飾は生活必需品ではないし、制作にも余計な労力を使う。ではなぜわざわざ装飾をするようになったのかと考えると、装飾する必然性があったか、装飾が何かの意味を持っていたのだと思う。たぶん発端は宗教だろう。古代ギリシアの神殿はただの円柱でも柱としての役割は果たすけれど、神に見合う立派なものにしようとして、ドーリア式だのイオニア式だのコリント式だのの美的な装飾をほどこすようになったのだと思う。それから古代の王は王権神授説によって神の次に偉い権力者になって、権力者が身に着けるものが質素では偉そうに見えないので豪華な装飾が必要になって、宮殿や衣類も手の込んだ装飾をするようになって、宮殿を飾るための彫刻や絵画とかの美術も発展した。アマゾンやアフリカとかで原始的な生活をしている部族でも服を着ないくせに羽飾りや動物の骨のネックレスとかの装身具はつけていたりするし、それも所属集団や階級の判別とかの何かしらの意味がある。冠位十二階で地位別に色が違う冠をかぶって紫が一番位が高いのも同様である。戦国時代の派手な装飾をした兜は実用性がないので普段の戦には使わなくて戦に勝利したときに使ったようで、こうした派手な装飾には武将に注目を集めて戦意を高揚させたりカリスマ性を高めたりする示威効果があったのだろう。エンゼルスで本塁打を放った打者が派手な兜をかぶって祝福されるパフォーマンスも同様の示威効果があると思われる。
中世では庶民が豪華に着飾ることを贅沢として禁止したりするけれど、市民革命で民主主義になると庶民も服や家の装飾にこだわるようになった。例えば身体の装飾としてアクセサリーが一般的に使われるようになって、特に若い女性はネックレスやイヤリングをつけたがるけれど、こうしたアクセサリーは男性からは無駄に見えても女性にとっては実用性がある。男性は狩猟生活をしていた頃の本能で動くものに注目するので、ネックレスをぶらぶらさせれば首筋や胸元に視線を向けさせて性的アピールになるし、イヤリングを耳元でぶらぶらさせれば顔に視線を向けさせることができるし、金属や宝石とかの光を反射する素材なら余計に目立つ。江戸時代のびら簪もぶらぶら揺れる部分で注目を集めて性的アピールになっていたのだろう。付け爪や指輪は女性らしい細い指を強調するものの、家事をしなさそうな印象にもなるので恋愛相手へのアピールにはなるけれど結婚相手探しのアピールには向かない。
近代までは貴金属とかの光るものが装飾として価値があったけれど、現代ではLEDが装飾に使われているようである。クリスマスのイルミネーションは夜にぴかぴか光ることでクリスマスの雰囲気を盛り上げる。車をLEDで装飾して夜に目立とうとする人もいる。クラブで目立つようにLEDで光るスニーカーもあるし、LEDのスクリーンに画像を表示できる鞄もある。ゲーミングPCがやたらと光るのは実用性はないと思うけれど、光っていたらゲームしている雰囲気が出てテンションが上がる人がいるかもしれない。女性はLEDのアクセサリーを身に着けたら安上がりで夜に目立ててゲーマーにモテると思う。

●芸術技法としての装飾

芸術も初めはシンプルなものが作られていたけれど、次第に洗練されて装飾が加わるようになる。音楽だとメロディーの装飾音としてトリルとかで音を細かく上下に揺らすようになって、コードとかの音楽理論が体系化してからはメロディーの引き立て役に特化したベースとかの楽器も出てきたし、ファンクは派手で大所帯になってバックコーラスを使うようになったものの、大所帯のバンドは飽きられてヒップホップやテクノとかのシンプルなビートを繰り返す電子音楽が流行するようになった。
絵画だと洞窟の壁画みたいに主題をシンプルに描いていて背景がなかったのが、主題を目立たせるための背景が装飾されるようになる。古代ケルト絵画の背景の幾何学模様や曼荼羅の凝った構図のように装飾が凝っているとずっと絵を眺めていたくなる。漫画で女性が登場したり恋をしたりするときに背景でそこに存在しないはずの花が咲き乱れるのも登場人物の美を際立たせる装飾的な演出といえる。現代美術では色と形を還元して装飾がない抽象画が出てきた。
文学も貴族が教養として詩を作るようになって、意味さえ伝わればどの言葉を使ってもいいというわけではなくて、上品な言葉で作法に沿って婉曲に物事や心情を語るようになる。中世のバロック文学が装飾過剰になって仰々しくなったのに対して、近代に活版印刷が出て庶民の識字率が上がって装飾を排除して言文一致する自然主義文学が生まれて、ヘミングウェイのように形容詞を少なくして端的に書くハードボイルドの文体も生まれた。
どのジャンルの芸術でも装飾過多になると飽きられてシンプルな表現に回帰するようである。

●物以外の装飾

・装飾としての人
有名人との人脈をアピールする人は有名人に名前を覚えてもらえる自分もすごいのだと間接的に自慢している。金持ちはトロフィーワイフと呼ばれる美人と結婚してパーティーに連れ歩く。

・装飾としての住居
「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉があるように、刑務所程度の広さの部屋があればそれなりに生活できる。大富豪のバフェットは資産の割には質素な家に住んでいるのは有名なように、家を豪華にしても実用性はあまりない。一方で馬鹿と煙と港区女子は高いところが好きで、女性はタワマンの高層階に住みたがって同じタワマンに住んでいる下層の人を見下したりして住居で地位を飾ってマウントに利用している。

・装飾としてのペット
キャバ嬢とかはペットを欲しがって、実際に飼ってみたら餌やトイレの世話や躾が面倒になってすぐに捨てる人がいる。そういう人は動物が好きなわけでなくてインスタ映えするかわいい小道具として自分の周りにペットをはべらせたいのだろう。

・装飾としての経歴
学歴至上主義の人は大学で何を勉強したかより、どの大学を卒業したかという大学名にこだわる。こういう人は履歴書を飾るために学歴を欲しがっていると言える。零細企業のくせにチーフなんちゃらマネージャーとかの仰々しい肩書をつけたがる人とかも同様である。

・装飾としてのメディア
インターネットの黎明期のホームページやブログは個人の日記帳みたいなもので、個人を飾りたてるものではなくて素直なコンテンツだった。ところがTwitterやInstagramとかのSNSではイイネをもらって自分を引き立てるための装飾化している。
男女の写真の撮り方の違いで、男性は被写体だけを撮るのに対して女性は被写体よりも自分が目立つように撮ると揶揄されるけれど、このときに女性は自分を飾る引き立て役としておしゃれスポットを使っている。タピオカミルクティーとかはSNSの話題作りに使われただけで食文化として定着しなかったけれど、写真は一回撮ればいいし毎日同じアクセサリーはつけないようなものだと考えると廃れるのも当然と言える。
VTuberにとって「歌ってみた」系の歌は自己表現のために歌っているのでなくて歌がうまくてかっこいい自分を飾るために歌っている。プロの歌手としての矜持があるならオリジナル曲以外は歌わないだろうけれど、「歌手」でなく「歌い手」と自称する人たちは流行りのボカロ曲を節操なく歌う。VTuberは歌は上手だと思うけれど、歌手の感情が入っていないカラオケみたいなものなので私は感動しないし興味がない。しかしファンにとっては推しが映えるなら何の歌でもいいのだろう。
小説は大正時代の頃は文士を気取るための道具として使われていて、私小説を書くために夜遊びしていた連中が典型的でカフェやバーとかのモダンな映えスポットを使って自己像を飾るだけで中身がなくて、いわばアナログ時代のInstagramみたいなものとして私小説が書かれていて小説が自己表現でなくて装飾の手段にすぎなかったので、私小説がブームだった割にはたいした作家が出てこなかった。
ジャンルに関わらずメディアが装飾化したら流行するかわりに陳腐になるのは収斂進化のようなものかもしれない。一時的な装飾に過ぎないものに手間や時間をかけなくなるので派手で浅いコンテンツだらけになって、時間が経ってトレンドが変わると鑑賞に値しなくなって賞味期限が短い。ブームに乗って金儲けするのはビジネスとしては悪いことではないけれど、そういうコンテンツしか作れない人は芸術家としては価値がない。

●装飾よりも本質が大事

いろいろなものを装飾化して、生活必需品でないものを客に買わせるのはビジネスになる。それゆえに資本主義の社会では装飾まみれになっているけれど、現代人はうわべの装飾に惑わされすぎて物事の本質がわからなくなっているのじゃなかろうか。高価なアクセサリーをじゃらじゃら身に着けて注目を集めたところで体がだらしない肥満体型だったらモテないし、何かの宗教が豪華な寺院を立てたところで教義が人の役に立っていないなら荘厳というより下品な拝金主義になる。本質を際立たせて目立たせるために装飾があるのであって、本質をないがしろにしたら装飾の意味がないし、かえって欠点を目立たせることになってしまう。
そもそも人間が生きるためにそれほど多くの財産は必要ない。『徒然草』の第三十八段に「愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。」とあるように、豪奢な装飾をありがたがるのは愚かな人である。では人間にとって大事なものとは何か。たぶん健康であること、科学的真理を理解する知性を持つこと、仁義礼智信の道徳を持つことが大事で、何の仕事をしていくら稼いでいてどんな家に住んでどんな服を着ているかとかは些事である。仏陀もソクラテスも孔子もキリストも財産を持っていないにもかかわらず弟子に慕われて後世の大勢の人に影響を及ぼしたし、もともと素晴らしいものを殊更に飾り立てる必要もない。人間の屑が自分磨きと称してフラメンコ教室に通ったところで華麗にフラメンコを踊る人間の屑になるだけだし、本質を磨かなければ人間的向上はありえない。
芸術もそうで、本来は芸術は作者が表現したくてしょうがない感情や思想が本質で、それをどう形作るかという様々な技法は従属的な装飾である。装飾がうまいにこしたことはないけれど、技術だけで小説を書いたところで「仏造って魂入れず」みたいなもので、技術の工夫に感心することはあっても人の真善美の琴線に触れて感動するような作品にはならないし、表現内容よりも装飾に過ぎない表現技法のほうが目立ってしまったらそれは芸術としては失敗である。こないだ滝口悠生の『死んでいない者』を読んで私の中の海原雄山が怒ってしまったのもこういう理由で、芸術は小手先の工夫で目を引いて賞レースで話題づくりして金儲けする程度の矮小な存在ではなくて、偉大な芸術は時代を経ても魅力がなくならずに古典として語り継がれて民族の歴史とともに残って数千万人の思想や芸術観に影響を及ぼすほどの力を持っているものである。これから小説を書く人はまず何を表現したいのかという創作の源泉を大事にして、それからその表現内容を一番魅力的に見せる表現技術を身に着けて偉大な小説を創作してほしいものである。





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最終更新日  2023.05.28 20:01:35
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