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トール君のヨメさんは先週、男の子を出産した。3200グラム。予定日を過ぎていて心配したけれど、母子とも元気だ。トール君は、とあるブランドの紳士服を販売しているお店のスタッフである。勤め始めて6、7年になる。ここのところアウトレットセンターに新店がオープンし、その準備におわれていた。お店は順調なスタートをきった。もともとテレビ取材が入るほどのショッピングセンターである。一日の売上は200万円を超える。けれどもブランドショップの場合、ロイヤルティも大きい。200万円の売上をあげても、お店の取り分は20~25万円というところだ。だからスタッフの給料もけして高くない。トール君が夜のアルバイトをはじめて6か月になる。子どもも生まれるので、いろいろ物入りになるだろうと考えた。仕事は警備員である。店の仕事は10時からだいたい夜の9時まで。それから警備の仕事に入る。仕事時間は派遣された現場によってまちまちだが、はじまりは午後10時頃から0時、あがりは午前4時から5時頃になる。トール君は少し猫背気味で立っている。色白で痩せている部類に入る。顎にはだ生えそろわないような不精ひげが数ミリ程度のびている。人なつっこい笑顔を浮かべる。「まあ、これからは子どものために働くっていうんスかね、ヨメさんもあれ買ってほしい、とかいうし。あっ、」トール君は笑う。それから工事車両を誘導するために、うつむきかげんに走り出す。
2008年07月23日
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ハチロウ君、先日は突然のメールに返信ありがとう。やっぱり忙しいんだね。仕事うまくいくように祈っています。さて、この前の話の続きだけれど、僕は夜の警備士の仕事をはじめたのです。夜の警備士というのは、元気を失った人が、夜の闇に食べられてしまったり、飲まれることがないように、警備をする仕事です。怪しまれたりびっくりさせてしまわないように、制服を着用します。赤く光る誘導灯を持ってね。でも、僕たち警備士は警察官ではないのです。当たり前だけれど。ハチロウ君、警備士と警察官の違いってわかりますか?警備士は、命令することができないのです。お願いすることしかできません。だから夜の闇に飲まれそうになっている人に対して、「もしもし、そちらに行かれるのは危険ですよ」と声をかけるか、「お願いです。どうか戻ってきてください」と言うことしかできません(あ、笛をならしてもいいんだけれど)。それでも、その人がどうしても、もう闇に飲まれたいんだ、と考えていたら、それ以上どうすることもできないのです。「どうしても行くんですか?」「別に死のうってわけじゃないんだからさ、放っておいてくれ」「だけど死んでしまう場合もあります。あまりおすすめはしません」「そのときはそのときだよ。ときに警備員さん、いま何時だね」「午前3時をまわりました」「うん、ありがとう。頃合だな。ときに君は新人かね?」「はい」「そうだろうと思った。ひとつ教えておいてあげよう。私のような人間を見つけたら、これからはなるべく事務的に対処することだ」「事務的?」「そう、私はどっちでもいいんですけれどね、いちおう職務だから注意しておきますよって感じだ。おいおい、それだけかよ、てくらいにな。君のように熱心にお願いされたら、かえって飲まれたくなってしまうものなんだ」「そういうものですか」「そういうものさ、少なくとも私はそうだ。まあ、君も一度飲まれてみたらいい。いろいろなことがわかるってものさ。じゃあな、警備員さん」とかね。
2008年07月18日
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ニノミヤさんと駅まで歩く。私たちは同じ研修を受けていて、ニノミヤさんは明日が最終日、私は明後日がその日になる。今日はミズエさんが無事修了していった。ミズエさん、優秀な人でしたね。私は言う。ニノミヤさんは曖昧に笑って、うなづく。それから左手を前に出し、手のひらを上にして、右手の人差し指で、左腕に何本もの線を引く。「ミズエさんの、見ました?」ニノミヤさんは言う。見ました、でも隠したりしていませんでしたね。「うん、隠さないことで乗り越えてきた、とかねえ」ニノミヤさんはそう言って、黙り込む。ミズエさんは研修生のなかでもひときわ優秀だった。講師の指示を誰より先に正確に理解する。なにより際立ったのは、どうしても理解が遅れてしまう同期の研修生に対するフォローだった。同期の研修生の不安な部分を的確に見つけ出し、さりげなく声をかけた。ひとりの研修生に教えるミズエさんの説明はときに講師のそれよりもわかりやすく、他の研修生も思わず耳を傾けてしまうのだ。雲が低くたれ込めている。雨がいまにも落ちてきそうだ。「もう、ミズエさんに聞けないですもんね」ニノミヤさんは言う。そうだ、私たちは研修を終えれば、もうたがいに会うことはない。ミズエさんともニノミヤさんとも。ニノミヤさんはそれから突然違う話をする。このまえね、ヨミウリの拡販員がきたんですよ、それでね、自腹切るから契約してくれって、それにドームの内野席付けますって、内野席ですよ。ふつー外野席でしょ? 笑っちゃいますよね。あー、最終試験、大丈夫かな。信号が変わる。角を曲がれば駅が見える。きっと、大丈夫ですよ、ニノミヤさん。
2008年07月10日
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ハチロウ君、その後お元気ですか。僕はなんとかやっています。仕事の方はあまりうまく行っていなくて、こんどアルバイトをすることにしました。短期になるか長期になるか、まだわからないんだけれど。いろいろ考えたんです。僕らの仕事のなかで新しい仕事を探すか、それともまったく別の仕事をするか。それで割に合わないところもあるのだけれど、他の仕事をすることにしました。それはなぜかっていうと、ちょっと息がつまっちゃったんだよね。今日はそれで研修1日目でした。すごく疲れたけれど(ハチロウ君、走ってる?)、面白かったです。なんの仕事かって? それはおいおい話しますね。楽しみにしていてください、て別に楽しくないか。僕らの仕事って、比較的いろんな業種の人たちに会うよね、そう思っていた。だけど、それはそうでもないんだよね。誰の仕事もそうかもしれないけれど、僕らの仕事も世界の片隅をちょこっていじっているに過ぎないんだと思います。すごく曖昧な言い方だけれど、世界というものがあるとして、それはすごくたくさんの仕事や非仕事で構成されているんです、きっと。当たり前か。でもあらためてすごいことだと思いました。それらの仕事・非仕事は、ふだんほとんど気がつかずに通り過ぎていたり、すごく遠くにあるのだけどどこかで繋がっていたりするんだろうね。幼稚な話でごめんなさい。いったいお前いくつだっていう話だよね。世界の片隅から世界の片隅に向けて交信しています。プ、プ、プ ハチロウ君元気ですか?
2008年07月07日
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こんなことにちょっと感動するのはきっとすごく世間知らずなのだと思う。とある集まりで30代女性の面々が昔話に花を咲かせていた。聞いていると学生時代のアルバイト経験である。その内容が実に多種多様で楽しいのだけれど、例えば今どき話題の食品偽装なんて生ぬるいよーなすごい話もある。○○○○製パンは作業工程に携わった者は以後絶対に口にしないもんね、というような類の話だ。食品関係はシャレにならない話が多い。そんなのに比べれば平凡な話なのだけれど、セブンイレブンのレジには購買者のだいたいの年齢層を推定して打ち込むキーがある。「で、いまでも私、ときどき店員の手先をチェックしちゃうのよね、あ、20代って打った、やったーっとか」「あるある、私なんか40代って打たれて、おい、ちょっと待てよって、危うく突っ込むとこだったよ。もうこねーぞこの店、みたいな」そうなんだ、知らなかった。知らなかったのである。考えてみれば巨大セブンイレブン、そのくらいのことは当然やっているだろう。他のコンビニだって当たり前の基本マーケティングなんだろうな、そんなの。というわけで今日、2軒、コンビニにて店員さんのレジうち手元をチェックする。どちらも性別男、U-49だった。面白くもなんともない。というようなことはどーでもいいことだった。「ラスト・フレンズ」のことである。回を重ねるごとに考え込んだ。このドラマは群像劇になっているのだが、そしてシェアハウスの集う面々はそこそこに個性的なのだが、なんだか他者がいないのだ。シェアハウスは外側の世界に背を向けるようにして閉じられていて、中では5つの個性が純化されていく。それはあたかもひとりの人間のなかのいくつかの面が演じ分けられているに過ぎないようにも見える。ここにはひとりの人間しかいなくて、ひとりの人間の内部の葛藤を描き出しているともとれる。とか。まあ、すぐれて同時代的ともいえるのかもしれないけれど。(それだけかよ)
2008年07月01日
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