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小説を読んでいた。私たちはオペラシティのくまざわ書店で待ち合わせをしていた。さほど大きくない本屋だけれど、品揃えは悪くない、と思う。君はいつものごとく遅れてやってきた。いいんだ、慣れっこだから。私たちは仕事がらみで観劇をする。その前に積もる話でもしたかったのだが、その時間もなくなってしまった。君があらわれる少し前に、私は書棚をなんとはなしに見渡して、そして見つけた。共通の知人の名前が文芸誌の表紙に載っているのを。私は君を手招きして、ほらほらほら、「あっ」と君は言って、その文芸誌を手に取った。「書いているんだね」「そうだね」って言う。そういうわけで私たちは同じ雑誌をそれぞれが買う。なんだかへんな感じだ。一度に文芸誌が二冊売れるなんて。回し者みたいじゃない? だけど雑誌だから印税にならないね。だがとにかく彼はこうして書き続けているのだった。新国立劇場の喫煙スペースは、ガラスのドアを開けて、屋外に出る。そこはビルの3、4階ほどの高さになっていて、道路の向こう側にあるテニスコートを見下ろすことができる。それだけのことだ。あるときは池袋の北口で地上に出る。昔、この辺で発砲事件があったっけ。中国人の経営する中華料理店に彼は私たちを案内する。地下へと階段を下りて、私たちは昼の2時から酒を酌み交わす。客はまばらで、私たちの他はみな中国人だ。いや、それは定かではないけれど、中国語が店内を飛び交っている。そうして中国本国のバラエティ番組の映像が大型の液晶テレビから流れている。番組の出演者は大きな身振りで話をし、笑う。まるでそうしなければならないように笑ってみせる。私たちは近況を交換しあう。ひとりは昨日大阪から上京した。若い時代に私たちは出会い、こうして何年ぶりかに顔をあわせる。大阪から来た男は、さまざまな地を変転し、いまは大阪に暮らす。ようやく京都の大学で職を得ることもできた。だが要領がいいわけでもない。中年に達した彼の後ろ姿は、若い頃からの猫背がさらに進行し、誰に対しても謝罪しているように見える。私たちをこの店に案内したもうひとりの友人は、UFOキャッチャーの達人で、戦利品を私たちに手渡す。だけどなんでそんなものの達人なのさ、どのくらい? 「まあ、ふつうに狙ったものははずさないかな、ちょっと無理をすると少し散財する」「だけどいったいなにをふつうに狙うのさ」私たちは話す。転移とか免疫治療とか、そんな話を聞き出すころにはさらに違う友人が店内に入ってきたりもする。紹興酒を何杯か流し込んで私はみなより先に階段をあがる。外はまだ明るい。歩道に置かれた灰皿の周囲に男たちがたむろしている。そのうちのひとりが漫画喫茶のプラカードを肩に担いで携帯電話で話をしている。「いや、株でもはじめようかと思ってさ」それだけのことだ。私たちはまだこうして生きていて、背伸びをしたり、腰をかがめたりする。後ろを振り向き、それからまた歩き出したりもする。階段をのぼり、おりる。
2008年01月28日
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中学1年の担任の先生、特攻隊帰りって噂されていた、ほとんどアルコール中毒、それと煙草の匂いがぷんぷんしてた、数学を教えていてね、教室でちょっとふらついたりしちゃうんだけど授業が無茶苦茶面白かった、でも大方は忘れてしまったな、残念だけど、長生きはされなかった、間違っても組織的な人じゃなかった、時代だね、いまならどうなんだろう、中学2年でぼくは問題児になってしまうんだけれど、1年の時はがっこうがたのしかった、ほんとにね、授業がたのしくてしかたないっていうのは後にも先にもこのときだけだ、悲しいけれど、まあ、それは人のせいばかりにできないんだけど、自分も他者もまあまあたのしく長く生きていける、ほんとにそうだね、それがいいと思う、きれいごとじゃなく、でこぼこに、なんとかまあかたちになっている、はみだしもする、まあ、こんなものだろう、しょうがねえなあ、ほら、つかまれよ、というような、きれいごとになっちゃうんだよね、こんなこと言うとさ、でもね、ほんとうのことはきれいごとのさきにあるのさ、きれいごとのさきにしかないんだって思ってる、
2008年01月17日
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オイオイ、心が泣いているよーなブログじゃねーか。この人は泣いている。ハチロウはそんなふうに思った。心が泣いている?手あかにまみれたことばだけどさ、ほかになんて言うことができるだろう。そうそう、最近知り合った人が本をくださった。手ざわりのよい造本だ。まず日本語のタイトルをこちらに向けて手に取る。これを縦に180度回転させる。すると、日本語の作品の英訳が始まるようにつくられている。この言い方でわかるかな。写真がへたくそで申し訳ないけれど、貼っておこう。まだちゃんと読めていないんだ、ごめんなさい。精魂込めてつくられたんだろうなあ、ちょっと緊張する。トランジスター・プレス。
2008年01月16日
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やり残していることがある、そんなふうに感じている。秋葉原の駅に降り立つと、冷たい風が吹き下ろしてきた。北関東に住んでいるものとしては、東京の北風など大したことはないはずなのに、この日はこたえた。私たちは足早にカフェをめざした。10代に知り合った友人が書いた小説を読んでいる。10代にあったことを推進力にして物語はころがる。私たちはおなじ学校に通う高校生だった。私たちは少しばかり親しかった。親しかったのだろうか。過去になし得なかったこと、さまざまな可能性が失われ今があるということ、喪失、後悔、こうでなかったはずの現在。物語は失地回復、再生が文字通りのテーマになっている。だが、取り戻さなければならないのは今だ、いま、この時間なのだ、と独り言を言ってみる。
2008年01月14日
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今日、ブログで知り合った人からお便りをいただいた。印刷されている文面で、それは全体としてとても素敵なものだった。その人はその人の仕事を通して「治る」とはどういうことか思いを巡らせた1年でもありました。と書かれていた。本当に、そうだ。昨日会った友人と話したときも、少しそんな話をしたのだった。「治る」とはどういうことだろうか。ある病気がやってくれば、あるいは傷を受ければ、それ以前と以後では同じではない。ほとんどの場合、けして同じではない。それでも「治る」ことがあるとすれば、それは当事者の自覚によるものだろうか。「受容」とでも言うべきものでもあるだろうか。受け入れて生きる、そのことを納得するようにして今日と明日を生きる、そのようなことだろうか。あなたにはたくさんに大切な人がいてその人たちを思い浮かべる。その人たちにおとずれた病や傷を思い浮かべる。ある人たちは亡くなってしまった。(だがそのときまで生きたのだ)そしてある人たちは生きている。生きている人のひとりひとりの受容について思いを馳せる。
2008年01月12日
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東京に限ったことではないと思うけれど、街とは不思議なものだ。通い慣れたはずの仕事場への道を今日は別方向からたどってみた。大通りから路地に入るのだが、地下鉄の出口より歩いて、いつもより一本手前の路地を入った。するとその道は仕事場へとは通じていないことがわかった。見たこともない通りだ。大通りから歩いた感覚から言えば間違いなく到達するはずなのに。微かに動揺する。ほどなくしてわずかな隙間を見つける。そこをくぐり抜ける。くぐり抜けると、見覚えのある路地に出る。ささやかな旅のようなもの。友人がメールでヴォネガットの「坑内カナリア理論」はもともとどこに出てくるのだっけ、と聞いてくる。そうだね、一人歩きしている話だ。ヴォネガット自体は「理論」だなんてきっと考えもしなかったはずだ。ネットで検索すると出てくる出てくる、たくさんの人が引用している。けれども出典はなかなかあらわれない。なんだか少し「いやな感じ」である。仕事場で年賀状の整理をしおえる。小さな鬱がやってきている。理由もなく泣き出しそうになる。笑そのへんにころがっていた「美術手帖」1月号を手に取る。松井冬子という画家に慄然とする。驚いたな、ほんとに。
2008年01月08日
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今年のお正月はなんと言ってもお留守番である。暮れからの風邪を引きずって、年越しをする。2-3日には恒例の外泊の予定があったのだが免除されて家で留守番をした。申し訳ない。好きなときに眠り、食べ、そしてまた眠った。テレビを見た。なんの関係もないのだが、駅伝では順天堂大学に肩入れしている自分は往路5区の小野君に衝撃を受けた。いや、別に大学がどこかは関係ない。人がこのようにくずおれる、まるで手負いの鹿のように立ち上がることができない、そのことに驚くのである。彼の安否が気にかかる。そうしてずっとこのことを彼は引きずっていくであろうことに思いを馳せる。テレビを眺めるというのは不感症になっていくということであって、それから「のだめカンタビーレ」なんかを横目で眺める。チープだが伝統的とも言える青春ドラマである。年賀状をぽつぽつと書いた。書くことは苦手だが、1年に一度、このときにしかやりとりがない人というのが何人かいて、例えば何十年も会ってはいないのだけれど、そしてきっとこれからも会うことはないだろうけれど年賀状を書く。いつかちゃんと話をしてみたい、だがその機会を積極的につくることはしない、なんというかそこはかとない懐かしさが漂う、あるいはその人のことを考えると思わず姿勢を正してしまう、というような。本が読めない。ベッドに横になりながら、手に届くところにある文庫本棚から寺山修司などを引っ張り出してみる。20代の前半に感心してずいぶんと読んだ人だ。入ってこない。いまこのときには、作り込まれたような叙情に引っかかるのである。あたりまえかもしれない。私はもうこの人よりもきっと多く生きてしまっているのだ、たぶん。今年はどこまで行けるだろう。年末にきた友人のメールについて考える。私たちの共通の知人であった人の自死。彼はそのことについて書いていた。だけどさ、ぼくらに何が語れるというのだろう。語れることなんてない。いっぱいに感受して抱きしめよう、お前はうたうな、雨の品川駅で(それは違うけれど)、種は蒔かれてしまったのだ、私たちはその成長を勇気を持って見守ることをしよう。それがとりあえず残された私たちの仕事なんじゃないか、そんなことを思う新年。おっとこんな時間に仕事の電話
2008年01月06日
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返信ありがとう。嬉しかったです。Oくんは「引き籠もり」という言葉を使っていますね。自分を卑下するようにして、その言葉を使っています。でも、僕には正直なところ、それがどのようなものか、またマイナスイメージをともなって語られるべきことなのかよくわかりません。僕は家族と暮らし、まあ、楽ではないけれど日々忙しく生きています。こういうのって、常識的には「フツー」に生きている、ということになる。けれどそれが「引き籠もり」と比べてどうなのか、わかりません。「引き籠もり」が「フツー」に比べて劣っているとは思いません。僕は何も「Oくん、気にすることないよ」みたいな陳腐なことを言いたいのではないのです。高見に立っているつもりもない。(ま、別の意味で陳腐かもしれないけれど)メールをもらう前から、漠然と考えていることがありました。それは「引き籠もる力」というようなことについてです。自分にそれはあるだろうか、ということも。「フツー」に生きる人間にも暗闇のようなものがあります。でも「フツー」に生きることで、そこから目を逸らすことができることがある。あるいは外側から「フツーに生きている」と見られることで、暗闇から身を隠すことができる。だから何者かから逃げるようにして「フツー」に逃げ込んでいるとも言える。別の角度から、自分にとっては口実のようにして「フツーの生活」があると感じることもあります。実際に小説を書き、単行本も出されているOくんとは比べることもできないけれど、僕も実は文章で表現したいことがあります。書き散らしもする。しかし自分は今の生活を口実にして本当にはそのことにまっすぐ向き合っていないと思う。そしてこんなふうにして、形にならぬままあっという間に一生を終えそうだという予感に、恐怖を感じています。もちろん家族があり、その暮らしを守るために働くことはかけがえのないことです。それが何かからの逃避であったり、口実であったとしてもです。だが、それがかけがえのないものであるとしたら、「引き籠もる」ことだって、同じことだとも思うのです。逃避や口実という側面があったとしても、引き籠もることでしかできないかけがえのないものがあるのではないか。凝視することが恐ろしいこともあるかもしれない、だかそこで踏みとどまれるとしたらそれは「力」なのではないか、というような。亡くなったA子さんのことを話すのはむずかしいですね。(それにどれだけA子さんのことを知っていたと言えるでしょう)自分でもときどきわからなくなるのです。自分の内部でなにかが震えるのは、A子さんを失ったからなのか、それとも自分にとっての「A子さん」に象徴される何かが失われたからなのか。もし後者であるならば、それはA子さんに対してとても失礼な気もするし。(でも、きっと両方なのだろうと思います)それではまた。Oくんはどんなふうに思っているかわからないけれど、こんなふうにしてメールを書けることをとても嬉しく思っています。カワタニハチロウ
2008年01月04日
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