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辞書に魅入られた人々は、どうも西岡の理解の範囲からはずれる。まず、仕事を仕事と思っているのかどうかからして不明だ。給料を度外視した額の資料を自費で購入したり、終電を逃したことにも気づかず、調べもののために編集部に籠っていたりする。一種狂的な熱が、彼らのなかには渦巻いているようだ。かといって、辞書を愛しているのかというと、ちょっとちがうのではないかと西岡には感じられる。愛するものを、あんなに冷静かつ執拗に、分析し研究しつくすことができるだろうか?憎い仇の情報を集めまくるに似た執念ではないか。なぜそこまで打ち込めるのか、謎としか言えない。見苦しいとさえ思うときがある。だけどもし俺に、まじめにとっての辞書にあたるようなものがあったら。西岡はつい、そう夢想してしまうのだった。きっと、いまとはまったく異なる形の世界が目に映るのだろう。胸苦しいほどの輝きを帯びた世界が。(三浦しをんさん「舟を編む」P119)
2013年01月31日
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これは、『アックス』31号の表紙の絵ですね。
2013年01月30日
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ひとつの言葉を定義し、説明するには、必ずべつの言葉を用いなければならない。言葉というものをイメージするたび、馬締の脳裏には、木製の東京タワーのごときものが浮かぶ。互いに補いあい、支えあって、絶妙のバランスで建つ揺らぎやすい塔。すでに存在する辞書をどんなに見比べても、たくさんの資料をどれだけ調べても、つかんだと思った端から、言葉は馬締の指のあいだをすり抜け、脆く崩れて実体を霧散させていく。(三浦しをんさん「舟を編む」P62)
2013年01月30日
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黒田夏子さんの「abさんご」を買書つんどく。昭和38年頃の作品、「毬/タミエの花/虹」との併録というのが面白いですね。ただ、「前代未聞のリバーシブル」というのは、ミロラド・パヴィチ「風の裏側」なんかもリバーシブルだった記憶があります。「75歳の「新人女性作家」のデビュー作。蓮實重彦・東大元総長の絶賛を浴びて、「早稲田文学新人賞」を受賞した表題作「abさんご」。全文横書き、かつ「固有名詞」を一切使わないという日本語の限界に挑んだ超実験小説ながら、その文章には、「昭和」の知的な家庭に生まれたひとりの幼子が成長し、両親を見送るまでの美しくしなやかな物語が隠されています。著者は、昭和34年に早稲田大学教育学部を卒業後、教員・校正者などとして働きながら、半世紀以上ひたむきに「文学」と向き合ってきました。昭和38年には丹羽文雄が選考委員を務める「読売短編小説賞」に入選します。本書には丹羽から「この作者には素質があるようだ」との選評を引き出した”幻のデビュー作”ほか2編も併録します。しかもその部分は縦書きなので、前からも後ろからも読める「誰も見たことがない」装丁でお送りします。はたして、著者の「50年かけた小説修行」とはどのようなものだったのでしょうか。その答えは、本書を読んだ読者にしかわかりません。文学の限りない可能性を示す、若々しく成熟した作品をお楽しみください。」(楽天ブックスの紹介?)
2013年01月29日
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いま伝えなければならない、という思いに突き動かされ、荒木は口を開いた。「なぜ、新しい辞書の名を「大渡海」に しようとしているか、わかるか」馬締は、つまみのピーナッツをリスみたいに一粒づつかじっているところだった、佐々木が指先で軽く円卓を叩き、注 意をうながす。それでようやく、話しかけられているのは自分だと気づいたらしい。馬締はあせった様子で首を振った。「辞書は、言葉の海を渡る舟 だ」魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮びあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、 正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」「海を渡るにふさわしい 舟を編む」(三浦しをんさん「舟を編む」P26)
2013年01月29日
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秋山亜由子さんのコミック、「虫けら様」、「こんちゅう稼業」の独特の世界を知っていただきたいので、時々紹介してます。今回は、読んだことないですけど、絵本もリストアップしてみました。今度、図書館ででも探してみよう。また、秋山さんのサイト、「虫メモ」というのがありました。虫けら様こんちゅう稼業くものすおやぶんとりものちょうくものすおやぶんほとけのさばきみつばちみつひめ(てんやわんやおてつだいの巻)みつばちみつひめ(どどんとなつまつりの巻)お姫さまのアリの巣たんけん
2013年01月28日
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辞書は必ずしも万能ではないと知り、荒木は落胆するどころか、ますます愛着を深めた。かゆいところに手が届ききらぬ箇所があるのも、がんばっている感じがして、とてもいい。けっして完全無欠ではないからこそ、むしろ、辞書を作ったひとたちの努力と熱意が伝わってくるような気がした。一見しただけでは無機質な言葉の羅列だが、この膨大な数の見出し語や語釈や作例はすべて、だれかが考えに考え抜いて書いたものなのだ。なんという根気。なんという言葉への執念。(三浦しをんさん「舟を編む」P6)
2013年01月28日
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抑壇の浦にて、いきながらとられし人々は、大路をわたしてかうべをはねられ、妻子にはなれて遠流せらる。池の大納言の外は一人も命をいけられず、都におかれず。され共四十余人の女房達の御事、沙汰にも及ばざりしかば、親類にしたがひ、所縁についてぞおはしける。上は玉の簾の内までも、風しづかなる家もなく、下は柴の枢のもとまでも、塵をさまれる宿もなし。枕をならべしいもせも、雲ゐのよそにぞなりはつる。やしなひたてしおや子も、ゆきがた知らず別けり。しのぶ思ひは尽きせねども、嘆ながらさてこそ過ごされけれ。是はたゞ入道相国、一天四海を掌ににぎッて、上は一人をもおそれず、下は万民をも顧ず、死罪・流刑、思ふさまに行ひ、世をも人をも憚かられざりしがいたす所なり。父祖の罪業は子孫にむくふといふ事、疑なしと見えたりける。(「平家物語(四)灌頂巻」P414)じつはこのくだりこそ、生きながらえた建礼門院の一身に集中する懲罰の物語の発端である。このあとに「灌頂巻」冒頭の「女院出家」のはじまりをつづけてみれば、そのことはよく分る――「建礼門院は、東山の麓、吉田の辺なる所にぞ立ちいらせ給ひける。」これよりして文芸の綾に仏典経文の綴れ錦を加えて「灌頂巻」の仕立てとなった。おわりに女院臨終のありさまがくる。「建久二年きさらぎの中旬に、一期遂にをはらせ給ひぬ。」はじめに述べたように、ここにはなだめがある。「平家物語」は称名念仏の声一心を限りにおわり、またしたがって、おわることがない。(杉本秀太郎さん「平家物語 無常を聴く」P418)というわけで、「平家物語」と、杉本秀太郎さんの「平家物語 無常を聴く」を終わります。ほんとに一年かかってしまった(笑)。な~んも、言えねえ。ただ、「平家物語 無常を聴く」は、これ単独で読んでも意味ないと思いました。
2013年01月27日
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正宗白鳥「文壇五十年」を買書つんどく。こういう本も復刊されてました。しかし、売れないだろうなあ。もしかして、売れるのか?!「自然主義文学の泰斗が、日露戦争以降から敗戦までの文芸・演劇・美術の変遷を回想。団菊以後の左団次、島村抱月の活躍、そして新風の如く登場した荷風や花袋へのオマージュ、江戸趣味や洋行の影響を受けた文学者たちの姿を描く。大逆事件や戦時下の言論制約のなかでの揺れ動いた芸術運動を冷徹な視点で描く文学的自叙伝。」「文壇五十年(小説界に君臨する尾崎紅葉ー逍遙の講義、内村の講演/『金色夜叉』『不如帰』の時代ー樗牛・天外の活躍/逍遙一喝、劇壇震うー始めて確立された上演権/日露開戦で戦争劇流行ー好調「桐一葉」・新作「敵国降伏」 ほか)/続文壇五十年(藤村の詩、鴎外の試験ー青少年の心を魅した新体詩/藤村の『春』、花袋の『蒲団』-人生の夢をかき、小説の夢を捨てる/文壇人の洋行ー心にのこる抱月と藤村の洋行/文学の行衛ー「暗夜行路」を頂点として ほか)」(「BOOK」データベースより)
2013年01月26日
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灌頂巻は、この徳子の生涯を物語全編のいわば集約編として構成している。亡父清盛の重なる悪行の報いとして招いた一門の没落をみずから体験し、母時子の遺言に従って、洛北大原の地に先帝ら一門の後生菩提を弔う。吉田で出家し、大原に隠棲するが、そこへ後白河法皇が訪ねて来る。女院は法皇を相手に、みずからの生涯を六道の体験になぞらえて語る。物語はその往生を以って完結する。(中略)琵琶法師の座である当道座では、この巻を秘伝として重要視した。(「平家物語(四)灌頂巻」P378)「灌頂巻」冒頭の解説からメモりました。
2013年01月26日
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戦争は終わり、田舎にも、進駐軍のジープがやってきた。けれど、どう書いたらいいのだろう。それらはみんな、たいせつなことを追い越してしまった後の、日々のことだ。わたしの毎日は、変わらず続いていて、終戦もあり、ジープも見たのに、奥様の毎日はもうとうの昔に終わっていて、わたしはそれに気づかずに過ごしていた。あの奇妙な交わらない二つの時間を、どんなふうに書いたらいいのかわからないのだ。(中島京子さん「小さいおうち」P290)というわけで、中島京子さんの「小さいおうち」 を読みました。この物語の語り手である「タキさん」は、最初、どこに着地するのかよくわからない、筆の迷いを感じさせますが、ほどなく、視点が定まって安定したかのようになり、最後に、再び、ぶれにぶれ、断ち切られるように語ることが出来なくなります。断ち切られたかのような日記の終わりから、甥の観点からの後日談となり、その中で予想外の展開があります。この予想外の部分で、読者はいろいろと考えさせられることになりますし、伏線だってちゃんと張ってありますが、僕としては、こんな思わせぶりな終わり方が必要だったのかどうかには疑問が残りました。ただ、それをおいても、いや、その思わせぶりな部分を含めても、この本はとてもよい本だと思いました。それよか、「よい本だ」、と言い切りましょう。ちなみに、バージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』のことも出てきますが、なんの関係もありません。
2013年01月25日
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僕はもしかしたら、そこで満足すべきだったのかもしれない。「小さいブリキのジープの話」さえ聞ければ、大伯母の物語はおしまいになる。彼女がそれ以上続きを書こうとしていたとは思えない。最初から赤い屋根の家の話だったのだから、家が失われればそれでおしまいだ。それでもやっぱり僕は気になった。(中島京子さん「小さいおうち」P310)
2013年01月24日
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戦後第1号のブリキのおもちゃといわれる通称「小菅のジープ」。 戦争中、東京から疎開で大津にやってきていたブリキ玩具職人の「小菅松蔵」は、大津市内の工場で、戦後いち早く玩具の製造を再開。当時大津に駐留していた 占領軍から放出された空き缶など材料に、ブリキのジープ玩具を作って、昭和20年12月から京都の百貨店で販売したところ、爆発的な売れ行きを見せた。こ れが戦後第1号のブリキのおもちゃであり、その後の金属玩具業界復興のきっかけとなったといわれている。本作品は、当時大津で製造された小菅のジープのひ とつ。(大津市歴史 博物館のホームページより)
2013年01月24日
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網野善彦さんの「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」を買書つんどく。セミナーブックで発売されたときに、買ってなかったみたい。探したら、あったりなんかして・・・・・。「既存の日本像に鋭く切りこむ日本中世史家が、宮本常一の代表作『忘れられた日本人』を、用いられている民俗語彙に注目しながら読みぬき、日本論におけるその先駆性を明らかにする。歴史の中の老人・女性・子ども・遍歴民の役割や東日本と西日本との間の大きな差異に早くから着目した点を浮き彫りにし、宮本民俗学の真髄に迫る。」(岩波書店の紹介)
2013年01月23日
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「ねえ、タキちゃん。あなた、そろそろ、お里へ帰る?」奥様がふと、わたしを呼んで、そんなふうにおっしゃったの は、昭和十九年の暮れだったか。心の奥のほうで、何かが、ぱりんと、割れたような気がした。平井家を辞したのは、昭和十九年の、三月のことにな る。あの時間は、いつまでもあそこで止まっていて、いくら年月が経っても鮮明なままだ。戦後になって、いくつものお家にご奉公したけれど、それ は また別の時間が流れるようなもので、何かが違う。それどころか、年を追うごとに昔の記憶ばかりがくっきりと甦る。年を取るとは、そういうことだ。健史のよ うな若い者には、まるでわかるまい。(中島京子さん「小さいおうち」P250)
2013年01月23日
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松田青子さんの「スタッキング可能」を買書つんどく。まったく知らない方ですが、店頭で見かけて、即買いでした。「マツダ アオコ」さんとゆ~んだそうですが、それからして、なにかの冗談でしょうか?ちなみに、「スタッキング」とゆ~のは、英語で「積み重ね」という意味だそうです。「日本社会を皮肉に照射する表題作「スタッキング可能」をはじめ、雑誌掲載時より話題の「もうすぐ結婚する女」など、たくらみに満ちた松田青子初の単行本が、多くの推薦者により贈り出される!たくさんの本読みがこの小説を待っていた!」 青木淳悟「なぜ私は私なのか?――あのときの私が誰でもありえたと信じさせてくれる小説。」/市川真人「匿名と交換可能が溢れる現代を、交換不能な才能の新人作家が描くだまし絵…だまされるな!」/岸本佐知子「この毒、この笑い、このリズム。みんなも癖になるといいのに。」/柴崎友香「どんどん書いてください! もっと読みたいです!」/島田虎之介「ただ書く、のではなく、一歩踏み出して、書く。不意打ちされた。」/豊崎由美「センスがよくて、おかしくって、超絶面白い! わたしの中で、松田青子はミランダ・ジュライとスタッキング可能です。」/長嶋有「『だまっておかしいと思っている人』の思いに圧倒されます!」/福永信「ぼくらはずっと松田青子を待っていた。いや、松田青子がぼくらのことを待っていたんだ。」フジモトマサル「息継ぎもそこそこに、一気に読みました。記念すべき門出に乾杯!」/法貴信也「すごい! なまえだけで世界が切りとれるような気がしてきた。」(河出書房の紹介)
2013年01月22日
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「ときどき、うちに頭のいい女中がいたらと、思うことがあるんだよ。僕が書いたものを、世間に出さないでおこうと思えば暖炉にくべ、世間へ出してしまえば気持ちが楽になるがどうも出せないと迷っているようなものを、さっさと投函してくれるような女中がね」「暖炉にくべておきなさい、ポストへ投函しておきなさいと、いちいち指示されて、するのではいけないんですか」「それじゃあいけない。まったくいけない。違う、違う。そんな頭の悪い女中なら、いくらでもいるんだ」「じゃあ、勝手にやってしまうほうが、頭がいいんですか」「そう簡単でもないんだ。勝手にやられちゃ困るんだ。いいかね。いちばん頭の悪い女中は、くべてはいけないものを火にくべる女中。並みの女中は、くべておきなさいと言われたものを火にくべる女中。そして優れた女中は、主人が心の弱さから火にくべてかねているものを、何もいわれなくても自分の判断で火にくべて、そして叱られたら、わたくしが悪うございました、と言う女中なんだ」「いちばん頭の悪い女中がうっかり火にくべたものと、ご主人様がお心迷いから火にくべかねていた代物とが、たまたまいっしょでしたら、いいんですのにね」「おう、そうだ。まったくその通りだ。お前は、頭のいい女中だよ」思わず小中先生は両手を伸ばして、お紅茶の脇に置いてあったわたしの手をひしと握った。わたしはこんな人の多いところで、手を握り合っているところを誰かに見られてはと、たいへんどぎまぎした。「なにがどうというんでもないが、僕だって、一生懸命やっている。僕だって、岸田だって、菊池だって、よくやっている。国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難する者があらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。そうはしたくない。しかし、しなければこちらの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。悩む。書く。火にくべてしまえと思う。あるいは、投函してしまえと思う。どちらもできない。いやはや」独り言をごにょごにょつぶやいて、小中先生は、まことにまずそうに珈琲を飲んだ。「マドリング・スルーというんだよ、英語でね」わたしではなく、よそを見つめる目をして、先生はおっしゃった。先生は小説家で、子供のための英語の小説を翻訳されることなどもあった。書斎には洋書も多かった。「マドリン?」「マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場その場を切り抜ける。戦場にいるときの、連中の方法なんだ。このごろ口をついて出てきてね。マドリング・スルー。マドリング・スルー。秘策もなく。何も考えずに」わたしが黙っていると、先生は小さなため息を吐いてから、柔和な笑顔を取りもどされた。(中島京子さん「小さいおうち」P225)
2013年01月22日
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「要するに、こういうことだわ」睦子さんは、おっしゃった。「好きになっちゃ、いけない人を好きになっているのよ」「ええ。そうなんですわ」と、わたしは答えた。ところが睦子さんは、とても奇妙な話をした。何かひどく、ずれているようなずれていないような、変な感覚がいまでも残って忘れられない。いったい何故、あの午後に睦子さんがあんなことを話したのか、わたしは今でもわからない。「女学生のころ、とてもきれいだったのよ、時子さん。そりゃ、あんなきれいなお嬢さん、いなかったわ。みんな好きになっちゃうのよ。そういう時代だったんだもの。中でも一人、毎日手紙を書いて、登下校のときもつきまとって、ひどく本気になったのがいたの。学業も手につかず、翌年転校して、ようやっと卒業して女子大学へ行ったのはいいけれど、時子さんの最初の結婚が決まったときも、酔っ払って自暴自棄になって、騒ぎを起こしたわ。罪ねえ、きれいな女って」それから何かを朗読するように、睦子さんは続けた。――男女相愛の道程を辿るのは人類の第一の本道であるにちがいない、けれどもなお第二の路はあるなずだ。そしてまた同時に第三の路も許されていいはずだ、相愛の人を得ずして寂しいながらも何か力いっぱいの仕事をして生きてゆく人たちのためにこの路はやはり開かれてあるわけだ。・・・・・」(中略)「なんです、それ」「吉屋信子先生の小説の一節よ。わたし、これを聖書のようにだいじにして生きてきたの。このことは内緒よ。ぜったいに内緒よ。わたしたち、二人とも第三の路をゆくことになるのかもしれないわねえ」そうおっしゃって、睦子さんはわたしの手を握られた。わたしはますます、わけがわからなくなった。(中島京子さん「小さいおうち」P196)
2013年01月21日
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で、小熊秀雄さん、といえば・・・・・。「1901(明治34)年、北海道小樽市生まれ。幼少時に稚内、樺太へと移住。養鶏場番人、炭焼手伝い、鰊漁場労働、職工、伐木人夫、呉服店員などさまざまな職業につく。やがて文才を認められ、1922(大正11)年に旭川新聞社の社会部記者となる。以後文芸欄を担当し、詩、童話、前衛的な美術作品などを発表する。1935(昭和10)年に『小熊秀雄詩集』、長篇叙事詩集『飛ぶ橇』を出版、言論弾圧のきびしいなかで、精力的に作品を発表するも、生活は困窮した。洋画家の寺田政明との交友を通じ、油彩やデッサンを描き、美術批評の分野にも進出。1940(昭和15)年、軍国主義が進行し、急速に発表紙誌を失いつつあるなか、貧困のうち肺結核のために三十九歳で死去。」(「BOOK」データベースより)馬の胴体の中で考えていたい おゝ私のふるさとの馬よ お前の傍のゆりかごの中で 私は言葉を覚えた すべての村民と同じだけの言葉を 村をでてきて、私は詩人になった ところで言葉が、たくさん必要となった 人民の言い現せない 言葉をたくさん、たくさん知って 人民の意志の代弁者たらんとした のろのろとした戦車のような言葉から すばらしい稲妻のような言葉まで 言葉の自由は私のものだ 誰の所有(もの)でもない 突然大泥棒奴に、 ――静かにしろ 声をたてるな―― と私は鼻先に短刀をつきつけられた、 かつてあのように強く語った私が 勇敢と力とを失って しだいに沈黙勝になろうとしている 私は生まれながらの唖(おし)でなかったのを むしろ不幸に思いだした もう人間の姿も嫌いになった ふるさとの馬よ お前の胴体の中で じっと考えこんでいたくなったよ 「自由」というたったの二語も 満足にしゃべらして貰(もら)えない位なら 凍った夜、 馬よ、 お前のように、 鼻から白い呼吸を吐きに わたしは寒い郷里にかえりたくなったよ
2013年01月21日
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旭太郎(小熊秀雄)/大城のぼるさんのコミック「火星探検」。「SF漫画の不朽の名作!!昭和 15(1940)年に発刊された「火星探検」は、当時の最先端科学に基づいて描かれたオールカラーのSF漫画です。斬新な映画的手法を取り入れた先駆的な 作品として漫画史に残る作品でもあり、手塚治虫や松本零士にも影響を与えたといわれています。」小熊秀雄さんの原作だって!!
2013年01月20日
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片一方の手で、恭一ぼっちゃんのわら半紙に、器用にテン太郎とニャン子(「火星探検」)の似顔絵を描き、もう一方の手で開いた雑誌のページを支える板倉さんは、専門の美術の知識を、傍らの時子奥様に披瀝していらした。まるで先生を前にした女学生のように、ふんふんと真面目に相槌を打つ奥様のお姿は、それまでわたしが目にしたことのない表情だったので、よく記憶に残っている。美術展覧会から、音楽会へと話しは移り、それから長谷川一夫の「昨日消えた男」という映画がおもしろそうだという話、果ては、マルタン・ド・ゴールみたような名のフランス人の作家の書いた、「待ちぼうけの人々」とかいう本など、次から次へと話題は繰り出され、奥様は感心しきって相槌を打つ。わたしは、奥様が二十二のときから知っているけれど、旦那様の前ではけっしてお見せにならないお顔だった。あの、雨の夜に死んでしまった、最初のご主人には、見せたことがおありだったのだろうか。(中島京子さん「小さいおうち」P169)「チボー家の人々」と「黄色い本」です。
2013年01月20日
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現在手に入る、由良君美さんの本をならべてみました。「1929年生まれ、1990年没。京都生まれ。イギリスロマン派の研究家、評論家、稀覯本蒐集家。「君美」は新井白石の幼名。フランス文学の澁澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘とならび、「ヨーロッパ幻想文学の三大巨匠」とならび称されることがあったが、残念ながら現在ではほとんどの著作が絶版となっている。3歳で東京に転居。読書好きの少年であったが、高校時代に平井呈一の面識を得る。学習院大学哲学科卒業後、慶應義塾大学文学部大学院に進み、西脇順三郎を指導教授とする。修士課程終了後、NHK国際局嘱託に。のち、慶応義塾大学に戻り、英語教師となる。新進気鋭の英文学者として活躍し、1965年、高橋康也の推薦により、東京大学英語科助教授となる。以降、停年まで駒場キャンパスに勤務する。その幅広い知識から、1970年より、学科を超えた全学共通ゼミを開講。高山宏、武田崇元、脇明子、四方田犬彦などを輩出した。1989年東京大学を停年退職。翌90年、喉頭がんにより死去。」(はてなキーワード)「椿説泰西浪曼派文学談義」「みみずく偏書記」「みみずく古本市」「メタフィクションと脱構築」「セルロイド・ロマンティシズム」
2013年01月19日
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その後奥様はわたしにこまごました用事を言いつけ、しばらくここにいるから何かあったら来てちょうだいとおっしゃって、お手元の雑誌をお開きになった。「みづゑ」という美術の本で、ちょうどそのころ開催されていた「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」の特集号だった。「これ?」わたしが見ていたのに気づいた奥様は、表紙をかざしてにっこりされた。「展覧会に行きたいけれど、時間もないから雑誌だけでもと買ったのと。色がとてもきれいでしょう?見ているだけで、心に栄養が届くみたいな気がするの」なぜ、わたしがそれを覚えているかといえば、わたしもその「みづゑ」の同じ号を、いまでも手元に持っているからだ。ほんとに色が美しくて、いつ見ても心が豊かになる。戦後、ずいぶん経ってから、偶然歩いていた町の古本屋の店先で見つけたのだ。奥様との日々が鮮やかに甦ってきて、常にもないことながら、わたしはそれを衝動買いした。美術の雑誌を買ったのなんて、後にも先にもあのとき一度きりのことである。(中島京子さん「小さいおうち」P148)※【みづゑ】 「美術雑誌。1905年(明治38)7月、水彩画家で美術啓蒙家の大下藤次郎によって創刊された《みづゑ》は、誌名が示すように初めは水絵=水彩画の普及のための専門雑誌として出発したが、水彩画から油彩画へと変遷をみた日本の美術界に歩調を合わせるように、17年以降は洋画を中心とした美術総合雑誌に転換し、《国華》とともに日本を代表する美術雑誌に成長。第2次大戦中は統制により《新美術》《美術》と改題し、日本美術出版株式会社(48年美術出版社と改称)から発刊するが、46年9月に復刊。」(コトバンクより)
2013年01月19日
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鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸に(与謝野晶子)わたしは奥様に見つからないように、人ごみを避けて逃げ出した。そうしてそのとき、白いシャツを着た若い男の人とすれ違ったのだ。向こうは気がつかなかったはずだ。なにより、わたしがそこにいようなどとは思いもしないだろうから。わたしは顔を伏せて通り過ぎた。その男の人が、「詞にも 歌にも なさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に」という、同じ女の歌人の別の歌を口にしたように、思う。ふと、嵐の夜の匂いが香った気がした。こうして、ぼんやり座っていると、そのことばかりを思い出す。それはとても遠い昔の、陽炎の中に浮かんだ光景だから、何十年も経ったいまとなっては確かめようもない。あのころだって、確かめるなどということはできなかった。わたしが、その日、あそこにいてはならなかったことを、神様がお示しになったようなものだ。(中島京子さん「小さいおうち」P140)
2013年01月18日
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本日は、あの日から18回目の「1.17」です。それでは、行ってまいります。
2013年01月17日
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ところで興亜奉公日とはいったいなんであるか、甥の次男は、まったく知るまいと思う。そういうことを、おばあちゃん、それはなんだったのかと、正面きって訊かれたりすると、とても困る。なぜならわたしにも、あまりよくわからないからである。毎月一回、月の初めに、兵隊さんの労苦を思い、贅沢をつつしむ日で、お国が決めて、みんなでやっていた。具体的には、防災訓練や慰問袋作りなどは、やったように思うが、それ以上に何をしたか、よく思い出せない。はっきり覚えているのは、夏に奥様が唐突に、「タキちゃん、九月一日から始まる、興亜奉公日ね、あなた、どこかへお出かけなさい」と、おっしゃったことだ。「今朝の新聞で読んだのよ。興亜奉公日は、家事を簡素にして社交も慎むのでしょう?こういう日はむしろ、主婦の勤労日として、女中を靖国神社へ参拝させたり、 国策映画を見に出してやるべきだというの。つまり、普段、家事に追われてものを考える余裕のない者が、読書したり、教養を深めたりする日にすべきというのよ。わたし、ちょっと感動したの。平井恒子女子って、偉いわね。だから、あなた、お出かけなさいよ」ぼっちゃんの送り迎えは奥様がなさるとおっしゃるから、市電を乗り継いで参拝へ出かけた。(中島京子さん「小さいおうち」P127)
2013年01月16日
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現在、進行中の、「古事記」まんがをご紹介。まず、久松文雄さんの「まんがで読む古事記」。これは、現在4巻まで刊行され、ヤマトタケルのところ。この後、何巻まで続くのでしょうか?そして、話題の、こうの史代さんの「ぼおるぺん古事記」。これは2巻まで出ており、まもなく3巻が出て完結します。この「ぼおるぺん古事記」は、海幸・山幸あたりで終わっちゃうみたいで、久松文雄さんの「まんがで読む古事記」の2巻目くらいまでしかありませんが、読み下し文で表記されているという、画期的特徴を持っています。しかも、アマテラスをこう描きますか。
2013年01月15日
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「ま。奥様は意識が低くっていやねえ。近代戦は総力戦だってのに」「宅の主人もそれ、言うわよ。近代戦は総力戦って。なにそれ、どういうこと?」「だからね、昔の戦争は、男がドンパチやってりゃよかったの。だけども、この二〇世紀の戦争は、諜報戦やら経済戦やら宣伝活動やら、もう、生活そのものが戦争だってわけ」「なんだかよくわからないけど、それと、髪型とどう関係があるのよ?」「よ うするに、兵隊さんだけじゃなくて、市民も巻き込まれるのが総力戦てことよ。事変が始まってから物価が上がってるでしょ。そういうのやなんか、みんなそう なのよ。だから、銃後も前線と同じくらい、がんばって戦わなきゃいけないってこと。第一次世界大戦でドイツが負けたのは、ひもじさに耐えかねて女たちが銃 後の守りを放り出したのが原因だというの。そうなってはならないから、銃後は万全という、その決意を示すのが、銃後髷なんじゃないの」(中島京子さん「小さいおうち」P71)
2013年01月15日
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おばあちゃんは間違っている。昭和十年がそんなにウキウキしているわけがない。昭和十年には美濃部達吉が「天皇機関説問題」で弾圧されて、その次の年は青年将校が軍事クーデターを起こす「二・二六事件」じゃないか、いやんなっちゃうね、ぼけちゃったんじゃないの、というのだ。人聞きの悪い、誰がぼけるものか。だって、おばあちゃん、そのころの日本は戦争していたんでしょ、と健史は言う。いや、事変はあったけども、と言おうとすると、健史は眉間に皺を寄せて、「じへん、じゃないの、せんそう!そんなのただの、言葉のごまかしでしょう」と怒るのである。しかし、あのころは、日本では、「事変」はあっても「戦争」はなかったし、「戦争」といったら、イタリーとエチオピアとか、スペイン内戦のことだったと言ったら、健史は心の底から腹を立てたらしく、目を剝いた。なんと無知な大伯母かと思ったのであろう。しかし、大伯母は、健史が考えるほど無教養ではない。あのころだって、時子奥様の女学校時代のお友達の睦子さんがお勤めしていた出版社の雑誌「主婦之華」なども読んでいた。雑誌では、世界の軍縮が話題になっていたし、「フランスとドイツ両国の婦人たちが、国民の母としての立場から手を握り合えば」国際平和が実現されるであろう、というような格調高い記事も載っていた。満州や蒋介石のことは、それほど目立った記事がなかったのだ。(中島京子さん「小さいおうち」P40)
2013年01月14日
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桜庭一樹さんの、「まだ桜庭一樹読書日記」が更新されてましたので、ご紹介。今回は、沢木耕太郎さん「貧乏だけど贅沢」、ヘレン・ダンモア「海に消えた女」、スタインベック「ハツカネズミと人間」、水上勉さん「土を喰う日々」、「雁の寺」。また、コミックの、おざわゆきさん「凍りの掌 シベリア抑留記」、五十嵐大介さん「リトル・フォレスト」なんかのことでした。
2013年01月14日
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ラファティ「昔には帰れない」を買書つんどく。つんでばっかりのラファティを、またつんでしまった。「笛の音によって空に浮かぶ不思議な“月”。その“月”にときめいた子供時代の日々は遠く・・・・・。表題作「昔には帰れない」をはじめ、神話的な過去と現在を巧みに溶かしあわせた「崖を登る」、悩みをかかえる奇妙なエイリアンがつぎつぎに訪れる名医とは・・・・・。「忘れた義足」、ヒューゴー賞受賞に輝く奇妙奇天烈な名品「素顔のユリーマ」など、SF界きってのホラ吹きおじさんの魅力あふれる中短篇16篇を収録した日本オリジナル傑作集。」(「BOOK」データベースより)
2013年01月13日
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赤い三角屋根の文化住宅の姿は、目を閉じればまざまざと思い描くことができる。門扉を抜けて敷石をたどり、石段を三段上がれば、旦那様ご自慢のポーチがあった。東に面した引き扉を開けると、ひんやりした広い玄関、間取りは当時流行した「中廊下型」で、家の真ん中を南北に分ける板廊下がまっすぐ走っている。日当たりのいい南側にはお部屋が三つ。玄関脇が、奥様お気に入りの応接間兼書斎の洋室で、本棚と飾り棚と、どっしりしたデスク、横浜のほうで買われたという立派なテーブルと椅子が並んでいた。天井には山小屋の垂木みたいな黒い梁が渡されていて、笠にきれいな装飾のある、ランプ形の電灯が下がっていた。そのお隣が畳のお部屋の居間、続きがご夫婦の寝室。その二つの部屋は南にある庭との間を縁側で仕切られていたが、とくに寝室の南の広縁の部分は、サンルームと呼ばれていて、コーヒーテーブルと肘つきの椅子が二脚、庭を眺められるように置かれていた。中庭を挟んで北側には、台所、お風呂、ご不浄などの、水回りが並ぶ。わたしの寝起きする女中部屋は、この北側にあった。玄関右手の。二階へ上がる階段の裏側がわたしの部屋だった。二階には二間。一つは恭一ぼっちゃんのお子様部屋になる予定だった。(中島京子さん「小さいおうち」P28)
2013年01月13日
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ヴァージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」のご紹介。「むかしむかし、静かな田舎に、きれいなで丈夫な小さい家がありました。小さい家はのどかな田舎で移り行く季節を楽しんでいました。小さい家は遠くの街の明かりを見て「まちにすんだらどんな気持ちが するものだろう」と思いました。ある日、馬の引っ張っていない車(自動車)が現れました。それからトラックだのローラー車だのがやってきて、家のまわりはすっかり街になってしまいました。どんどん開発が進み、両側に高層ビルが建ち・・・・・。それでも小さい家はそこにありました。壁や屋根は昔のようにちゃんとしているのに、ボロボロになってしまいました。ところがある春の朝に小さい家の前を通りかかった女の人が、小さい家を救います。」(絵本ナビ)
2013年01月12日
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中島 私の祖母も戦時中をふりかえって、宝石の供出とか、文化的な催しがなくなっていったことへのいらだちをふっと口に出すことがありました。政治的な思想があるような人ではなかったのですが、自由学園で絵を学んでいたようなハイカラなおばあさんで、私が大学生だった八〇年代、景気が右肩上がりでどんどんよくなっていきそうだった時代に、「ちょっと嫌だわね、戦前みたいで」と言ったんです。船曳 まあ!中島 私にとって戦前は、軍靴の音が響いてくるイメージしかありませんでしたし、バブルのお祭り騒ぎの気配とはギャップがありました。だから、「おばあちゃんは何を言っているんだ」としか思わなくて。どうしてそんなことを言ったのか、きちんと聞かないうちに祖母は亡くなってしまいました。そのことも、この小説を書いた遠いきっかけになっています。そして戦前について調べはじめたら、明治以降に取り入れた西洋文明が成熟した時代だったとわかったんですね。(中島京子さん「小さいおうち」あとがきP345)
2013年01月12日
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「戦略的退却だ、マイ・ラブ。プルーデンスが成人したら二人でここに住むってのはどうだ?ゆっくり散歩をして、焼き菓子を食べて、遊んで、その・・・・・バックギャモンとかで」「でもここは「神殺し病」感染域・・・・・こんなところにいたら、あなたは歳を取って死んでしまうわ!」「ああ、きみと同じようにな」マコン卿はなだめるように妻の背中をなではじめた。(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P446)というわけで、ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」を読みました。というか、「英国パラソル奇譚」シリーズ全5巻を読み終わりました。最終巻のお話は、アレクシアとその娘プルーデンスが、エジプトの世界最古の吸血鬼「マタカラ女王」に呼び出されるところから始まります。それはどうも、昔、アレクシアの父アレッサンドロ・タラボッティと「マタカラ女王」が交わした、ある盟約に関連しているらしいのですが、はてさて、「マタカラ女王」が真に望んでいることは何なのか?謎を孕みながら、あいかわらずのドタバタ騒ぎが続きます。特に、今回はマコン卿の見所が満載です。つまり、「不死」が大きなテーマのひとつになっているわけで、そら、こういうことになるわなあ・・・・・。最後には、ここちよいカタルシスも感じました。そんなこんなで、楽しめる内容になっていますし、読み応えもあると思いますが、全体として、はたして全5巻という長大なものである必要があったかどうかは、また別問題です。エンターテイメントですから、いいっちゃあ、いいんですけどね・・・・・。といいつつ、プルーデンスの新しい物語を期待している自分がいたりするのはなんでやろ?と思う今日この頃なんでした。
2013年01月11日
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中島 船曳さんの「100年前の女の子」に「っ子」と呼ばれる子供が出てきますね。栃木の小さな農村よりも、もっと貧しい東北の村から働きにやってくる子たち。今回、再読してみて、タキちゃんは「奥州っ子」だったんだと気づきました。船曳 でも、、奥州っ子は前金をとっての口べらしです。タキちゃんはましです。貧しい農村の娘が都会の家に女中奉公に行って奥様の日常を学び、ある時期になると村に帰って結婚する。そういうパターンでしょうか。中 島 女中というのは都市から地方へ文化を運ぶという意味でも面白い存在です。また、平井家のような核家族、市電やタクシーなどの交通網、デパートでロー ンで買い物をする消費生活など、いまの私たちの暮らしの原型にあるものは、全部この時代に調っています。昭和初期を描くときに、自分たちと同じような都市 生活を享受している人を主人公にしたら、距離が縮まるんじゃないかと思ったんですね。(中島京子さん「小さいおうち」あとがきP343)
2013年01月10日
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フラナリー・オコナー「烈しく攻むる者はこれを奪う」を買書つんどく。これまた、長らく幻の本だったのではないでしょうか?ナボコフの「プニン」や、ミラーの「ビッグ・サーとヒエロニムス・ボスのオレンジ」もそうですが、文遊社、そういう路線にいってるんですかね。もともと、「鈴木いづみコレクション」とか、特徴のある出版社でしたが・・・・・。「アメリカ南部の深い森の中、狂信的な大伯父に連れ去られ、預言者として育てられた少年の物語。人間の不完全さや暴力性を容赦なく描きながら、救済や神の恩寵の存在を現代に告げる、素晴らしい小説を生み出したフラナリー・オコナー。本書は、惜しくも39歳で夭折したオコナーが遺した長篇小説だ。人間の尊厳や精神の高みを描ききる傑作として、多くの方に読んでいただきたい一冊。翻訳は佐伯彰一氏。オコナーの硬質な持ち味を伝える名訳。」(文遊社の紹介)
2013年01月10日
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プルーデンスは「ああ、ダマ」とひどく悲しげな声で言い、老吸血鬼の苦しげな目をじっとのぞきこんだ。その小さな顔は戦場 の負傷兵を手当てする看護婦のように真剣で慈愛に満ちていた。プルーデンスは女王のかぼそい膝の上に立ち、顔に手を伸ばした。事態をさとったルフォーが騒 乱のあいだを縫って女王の背後に近づいた。そして状況をみきわめると、てばやく女王のマスクの下にある止め釘と留め金をはずした。恐ろしいマスクがぱかっ とはずれ、超異界族のプルーデンスの手が届く部分が剝き出しになった。マスクの下から現われたマタカラの肌はあごの骨に張りつくようにくぼんでい たが、かつてはさぞ美しかったに違いない。ハート型の顔。わし鼻。広く離れた目。小さい口。プルーデンスは新たに現われた肌に魅入られたように、 ぷっくりした小さな手を女王のあごに載せた。それはとてもやさしく、親しげなしぐさだった。なぜだかわからないが、プルーデンスはいま自分が何をしている のかを正確に理解している――アレクシアはそう確信した。(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P433)その瞬間、マタカラ女王ことハトシェプスト王――最後の偉大なるファラオにして最高齢の吸血鬼は息を引き取った。ファンファーレもな ければ、苦痛の叫びもない。女王は小さなため息をもらし、ようやく不死のカゴから解き放たれた。それはアレクシアが反異界族の能力を行使したなかで最悪の 行為であると同時に最善の行為だった。なぜなら女王の黒い瞳にようやく完全なる安らぎの表情が浮かんだからだ。(ゲイル・キャリガー「アレ クシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P441)
2013年01月09日
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ポール・ブーイサック「ソシュール超入門」を買書つんどく。昔々の学生時代には、ソシュール関連の本をけっこう読みました。そして、こんな本が出たら、また買ってしまいます(笑)。「『一般言語学講義』とは、言語=システムの謎を巡る孤独な戦いの記録である。今なお輝きを失わない現代思想の源でもある。自然言語がもつ「恣意性/必然性」、「安定性/不安定性」、「論理性/非論理性」などの不思議について、ソシュール本人の問題意識に立ち戻って、丁寧・平易・明確に記述する画期的入門書。」(「BOOK」データベースより)
2013年01月08日
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マコン卿が口をはさんだ。「ちょいと思ったんだが」アレクシアとルフォーはマコン卿がそこにいたことに驚いたかの ように振り向いた。マコン卿は娘を腰にひょいと載せて立っていた。いかにもむさくるしく、見るからに暑そうだ。死体の山を前にしたプルーデンスはいつにな く静かで神妙な表情を浮かべている。ふつうなら恐怖に叫んで泣きだしそうなものだが、ミイラを見てやけにおとなしく「ママ」とつぶやいたきり、父親の首に 顔をうずめた。「何を思ったの、人狼どの?」アレクシアがたずねた。顔じゅうひげだらけなので表情は読めない。「思うに、すべては何千年 も前にマタカラ女王が始めたんじゃないだろうか?最初は人狼を排除するために始めたが、やがて手に負えなくなった。アレクサンダー大王の命令だったとも考 えられる。なんといってもエジプトを征服したギリシャ人は過激な異界族反対主義者だ。マタカラ女王は契約を結んだのかもしれん。自分ひとりを残し、アレク サンドリアからすべての吸血鬼を追い出すという契約を」(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P393)
2013年01月08日
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ギルバート・キース・チェスタトン「ブラウン神父の無心」を買書つんどく。なんと、「ブラウン神父」シリーズに新訳がっ!!「ホー ムズと並び称される名探偵「ブラウン神父」シリーズを鮮烈な新訳で。「木の葉を隠すなら森の中」など、警句と逆説に満ちた探偵譚。怪盗フランボーを追う刑 事ヴァランタンは奇妙な二人組の神父に目をつける…「青い十字架」/機械人形でいっぱいの部屋から、血痕を残して男が消えた。部屋には誰も出入りしていな いという。ブラウン神父の推理は・・・・・「透明人間」。」(「BOOK」データベースより)
2013年01月07日
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「かわいそうなレディ・マコン。人殺しの執事に、裏切り者の父親に、死にたがる夫」「マコン卿がエジプトに行きたがった理由はそれだと思うか?」「違うんですか?正気を失いたい男がどこにいます?ぼくには、「神殺し病」はアルファの不死性が抱える問題の何より優れた解決策に思えます」もちろんビフィは自分の将来のことを考えていた。「ものは言いようだ」「これまでにこの病を利用しようとした人狼が一人もいなかったなんて信じられません」「そうかな?疫病の拡大に関して、きみがあれほど興味を持った資料をいったい誰が集めたと思う?」(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P374)
2013年01月07日
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英文学に関する本ということで。由良君美さん「椿説泰西浪曼派文学談義」高山宏さん「奇想天外・英文学講義」
2013年01月06日
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ビフィがフルーテを見た。フルーテもビフィを見た。ビフィにはわかっていた。そして、自分がわかっていることをフルーテがわかっていることもわかっていた。ビフィは銃を返したが、銃弾は証拠品としてベストのポケットにしまった。「どうして、フルーテ?」「あのかたが最初に命令を出されたからです」「でも、死んだ人の命令で人狼を殺すなんて?」フルーテはほんのかすかに笑みを浮かべた。「アレッサンドロ・タラボッティがどんな人物だったをお忘れですか、ミスター・ラビファーノ。テンプル騎士団があのかたになにをしこんだのか。その手助けをするためにあのかたがわたくしに何をしこんだのか」(中略)「ミスター・タラボッティはわたくしにいくつかの命令を残しました」と繰り返した。「誰よりも前に。わたくしは最後までそれをまっとうしなければなりません。それがわたくしの約束です。これまでそれを守ってきました」(中略)「あのかたはふたつのことを指示なさいました。アレクシアを守ること。そして「壊れたアンクの勅令」を守ること」(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P335)
2013年01月06日
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だが、カーテンの奥の台座に座っているのはまだ生きている――もしくは死にぞこないの状態だ。少なくとも部分的には。女 王とおぼしき女性が玉座らしき椅子の上に座っていた。大部分が真鍮製で、台座の部分はタンク状になっており、二種類の液体が入っている。下部分は黄色く泡 立つ物質で、粘り気のある赤い液体――おそらく血液だろう――の入った上半分を温めているようだ。女王のやせ衰えた両手が載っている椅子の肘かけにはおび ただしい数のレバーとノズルと管がついており、そのいくつかが腕に挿入されたり、腕から突き出たりしていた。まるで女王と椅子が何世代ものあいだ一度も離 れず一体化したかのようだ。部分のいくつかは直接、肉体にボルトで固定され、顔の下部――鼻から喉――は真鍮製のハーフマスクにおおわれている。おそらく あのマスクを通して途切れなく血液を供給しているのだろう。アレクシアは思わず吐き気を覚えたが、葦の筵を汚すという無礼な行為に出ずにすんだのは、ひとえに育ちのよさによるものだ。女王は不死だから、椅子が肉体と接している場所はどこも間断なく治癒を繰り返しているに違いない。アレクシアは考えただけでぞっとした。(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P257)
2013年01月05日
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ハトシェプスト女王は、古代エジプト第18王朝5代目のファラオ。在位は、紀元前1479年頃~紀元前1458年頃。父はトトメス1世、母はイアフメス。夫はトトメス2世、娘はネフゥルウラー。夫であるトトメス2世は妾腹の息子・トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共治王を務めた。実際には在位中、彼女が絶対的権力を保有していた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」である。即位名はマアトカラー、意味は「真実とラー神の魂」である。即位については、トトメス3世を無視してプロパガンダを用いファラオの地位まで登りつめるほどの野心家であったと見るか、夫の遺言を守るために幼い息子が成人するまでの「つなぎ」を果たそうとしたと見るか、諸説ある。治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。しかし、それは同時にエジプトの国威の低下を招くことになるのだが、トトメスの軍事的功績の基盤を作り上げたという見方もある。死後、その事跡はトトメス3世によって抹消されたという解釈が一般的だが、ザヒ・ハワスによると、ハトシェプストとトトメス3世の仲は良好で、事跡を抹消したのは女性であるハトシェプスト女王がファラオとして君臨したことを快く思わない者たちではないかと発言している。なお『旧約聖書』「出エジプト記」でモーセをナイル川で拾って育てた義母は彼女とも言われている。2007年6月、エジプト考古学庁のザヒ・ハワスは、1903年にハワード・カーターらにより王家の谷の「KV60」と呼ばれる小さな墓で発見された身元不明のミイラをハトシェプスト女王と断定した。(うぃきぺでぃあ)ハトシェプスト女王葬祭殿
2013年01月05日
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アレクシアはため息をつき、アケルダマ卿のはぐらかしを尊重しつつ、できるだけ核心に迫った。「マタカラ女王について何か話せることはない?」アケルダマ卿は宝石をちりばめた片眼鏡をかかげ、透明のレンズごしにアレクシアを見た。「それは正しい質問ではないね、かわい子ちゃん」「わかったわ。では、マタカラ女王について何を話すつもり?あなたがなんと言おうと、あたくしはあなたの養女をマタカラ女王の吸血群に連れてゆくつもりよ」「強攻策に出たな、ちっちゃなママレード・ポットよ、だが、さっきの質問よりましだ。かの女王については「恐ろしく高齢で、その関心は短命な者のそれとはまったく違う」とだけ言っておこう」「それじゃあプルーデンスに対する助言にもならないわ」アケルダマ卿は微笑を浮かべてアレクシアを見た。「きみだって手持ちのカードをすべて使うつもりはないだろう、かわいこちゃんよ?よかろう。わたしの助言が欲しいとな?「行くな」。なだ足りない?「用心せよ」。マタカラ女王の言葉は決してすべてが真実ではないし、マタカラ女王の存在は時の砂に埋もれている。もはや彼女に勝つ気はない。そもそもゲームをする気がないのだ。いいかね、こうしてささやかな気晴らしのために生きるきみやわたしからすれば、まさに理解不能だ」「だったらどうしてプルーデンスに会いたがるの?どうしてこんな呼び出しを?」「そこにこそ本当の危険があるのだよ、ミカンちゃん。そして本当の謎は、われわれに答えを探る術がまったくないことだ」「女王があたくしたちの理解の埒外にあるから?」「そのとおり」「ただ者ではなさそうね」「きみはまだ彼女の身なりを見ていない」(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P121)
2013年01月04日
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「おめでワン!」新年の柴ワンコ(♀)。しかし、僕の影がかぶっちゃってますねえ。
2013年01月04日
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これまた、昨日に引き続き、須永朝彦さんの「日本幻想文学史」の紹介です。「明治10年代に欧語に対する新造語として生まれた「幻想」。いまや一ジャンルをなすまでに定着したこの「幻想文学」の系譜を、古代から現代まで通史仕立てに概観した最良の文学カタログ。」(平凡社の紹介)「文 学を「純」と「通俗」に分けようとする近代文芸批評から黙殺され、反現実的志向の強い作品として「怪奇小説」の呼称で等しく括られながら、幽霊・分身・怪 物・悪夢・妄想・憑依などの「美的至福の有無」として存在してきた「幻想文学」の系譜を、遠く神話から現代まで辿った、異色の文学史。」(「BOOK」データベースより)
2013年01月03日
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「いいえ、マイ・レディ、どうか聞いてください。あなただけに伝えたくて待っていました。あなただけにお知らせします。あなたの家・・・・・人狼屋敷は・・・・・危険だ。あそこは危ねぇ」「続けて」「あなたの父親・・・・・エジプトで・・・・・やったこと。それをあなたが阻止しなけりゃならねぇ」「なんなの?父がやったことって?」「ミイラです、マイ・レディ、たくさんのミイラが――」そのとき銃声が駅の静寂を切り裂いた。ダブの胸もとにぱっと赤い血が一面に広がり、アレクシアは悲鳴を上げた。ダブは驚愕の表情を浮べ、両手で傷をおおった。そして前につんのめり、顔から床に倒れた。(ゲイル・キャリガー「アレクシア女史、埃及で木乃伊と踊る」P88)
2013年01月03日
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