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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」他【中古】 ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」他 ベストクラシック100 21 /ジュリアーノ・カルミニョーラ,アンドレーア・マルコン(通奏低音、音楽監督 【中古】afb
2021年01月31日
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神明と国家の安泰は表裏一体、としているのだ。天皇が天照大御神を利用して、というと語弊もあろうが、天皇の政策にあわせたかたちで大御神に御幸をしてもらう。『倭姫命世記』からは、そうした筋書きも読みとれるのである。そこでの国覓ぎは、自らの勢力が及ぶところをさらに固めることにある。それぞれに割拠する地場(小国)勢力に服従を約させることにある。事実、ヤマトヒメは、行く先々で、「国の名は何ぞ」と言問いながら、そこでの国勢を確かめ、天照大御神を祀って、そこの勢力者たちをその神威に帰順させることをくりかえしているのだ。これが、『倭姫命世記』における国覓ぎの実態というものである。信仰の旅、と単純に位置づけるわけにはいかないのである。(中略)古代において国を治めるのには、辺境や異界をも知る、その土地土地の有力者を和らげる対策をとることが、求められたのではあるまいか。そのところで、前章ででとりあげたキビツヒコもその種の役目を与えられていただろう。ヤマトヒメの場合は、さらに明確に、その役目を、倭を出ることがかなわない天皇の名代として託されて担っていたのである。(神崎宣武さん「旅する神々」P153)
2021年01月31日
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バッハ:ヴァイオリン協奏曲集J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集 [ ヒラリー・ハーン ]
2021年01月30日
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さて、トヨスキイリヒメは、天照大御神の御杖代として二三年間つとめた。だが、突然に「吾、日足りぬ」と言った。日足りぬとは、もう十分におつとめをなしたがため余力がなくなった、とでも解釈できよう。平たくいえば、引退を表明したのである。トヨスキイリヒメの役目は、ただ大御神を斎き祀ることだけではなかった。三輪の檜原の地はもとより世情不安な都に近いところにあり、大御神を長く祀るにはふさわしいとはいえない。永久に大御神を鎮め祀るところ、すなわち常世の宮処を探す、その御杖代としての役目こそがもっとも重要だったのである。トヨスキイリヒメは、事実、丹波に四年、紀の国に三年、吉備の国に四年と、大御神を鎮め祀る宮処を探して御行をしているのだ(『倭姫命世記』)。その後も、大御神の良き宮処を探すための苦心をした。その苦心が重なって、「吾、日足りぬ」と引退を決めたのである。そして、その御杖代の大役を「姪倭比売に事依さし奉り」、と相なる。(神崎宣武さん「旅する神々」P149)
2021年01月30日
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米津玄師:STRAY SHEEPSTRAY SHEEP (通常盤) [ 米津玄師 ]
2021年01月29日
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天照大御神は、太陽を司り、地球上に光を与える畏き神、天高き高天原に座します。ときの天皇で、ヤマトヒメの祖父にあたる崇神天皇(第十〇代)がその御魂を招き、宮中に祀っていた。だが、倭の都がにわかに不穏におそわれた。疫病が流行り、火災も頻発。そうしたときは、えてして政治の抗争がおきやすい。そんな世情に、気鬱になった崇神天皇は、考えをめぐらす。不穏の原因のひとつは、大御神と自らが同居のかたちにあることではないか、と。そして、判断をくだした。すなわち、大御神をひとまず倭の笠縫村に移し、天皇の皇女トヨスキイリヒメ(豊鋤入姫)を斎き主として、そこに祀ることにしたのである。笠縫村のその宮は、三輪の御室の嶺にある。万葉集にも「いにしへにありけむ人もわがことか 三輪の檜原に挿頭折りけむ」とうたわれているように、現在、その跡には檜原神社が建つ。(神崎宣武さん「旅する神々」P148)
2021年01月29日
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モーツァルト:魔笛
2021年01月28日
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そして、これが吉備津神社の「鳴釜神事」の起源とされ、今日にも伝わっているのである。神異譚として、時々にしかるべき人たちに取り上げられることによって、より広く知られることになった。たとえば、江戸時代初期の林道春は『本朝神社考』のなかでこれをとりあげているし、江戸時代中期には上田秋成が『雨月物語』のなかでこれを素材とした怪奇小説を書いている。「吉備津の釜鳴り」という神異譚は、時代を経るにしたがって、さもそれらしく調えられていくのであった。現在でも、備中地方では、根生いの人で、「吉備津の釜鳴り」を知らない人はほとんどいないであろう。神異譚が生きている、といってもよい。それは、もうひとつには、吉備津神社の御釜殿での祈禱が現在まで連綿と行われていきているからである。(神崎宣武さん「旅する神々」P132)
2021年01月28日
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モーツァルト:歌劇<フィガロの結婚>全曲【中古】 モーツァルト:歌劇<フィガロの結婚>全曲 /カール・ベーム,ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団 【中古】afb
2021年01月27日
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ということは、キビツヒコによって吉備が平定、「国固め」が成された、と広く伝えられているのである。ただ、記紀には詳しい記述がない。そのキビツヒコは、在来の神(あるいは人)ではない。倭の天皇から何らかの名を受け吉備へ軍事遠征をしたのだ。そして、その没後、英雄としてそこに祀られたのだ。しかし、吉備を制圧したのではない。吉備の難事を助けたからこそ、そこに祀られたのである。キビツヒコが戦いをいどみ制圧したのは、海を隔てた遠国から飛来して吉備に居つき乱暴狼藉を働いた猛者の温羅(うら)である。その温羅も、キビツヒコに敗れて悔悛したその後はそこに祀られたのだ。「吉備津彦の温羅退治」とは、いうならば吉備を舞台とした他処者同士の戦闘ものがたりなのである。(神崎宣武さん「旅する神々」P108)
2021年01月27日
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青山七恵さんの「みがわり」を買書つんどく。「逃げ出そうとしたときには、もう遅かった。新人賞を受賞したものの小説を一冊も刊行できていない律は、ファンを名乗る女性から亡くなった姉の伝記執筆の依頼を受ける。その姉は、生前の姿形が律と瓜二つだったという。取材を進めるうち明らかになる姉妹の確執、家族の秘密。律が開けたのは、パンドラの箱だったー。予測不能のラストに向かって疾走する傑作長編。」(「BOOK」データベースより)
2021年01月26日
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ついに、倭に入る。ニギハヤヒの命が参りおもむいてきた。「天つ神の御子天降りましつと聞けり。ゆえに、追いて参降るてまいりました」高天原からの「天津瑞」を御子(イハレビコ)に献じるために待っていたのだ。その天津瑞とは、天皇たる徴証の品。『日本書紀』では、「天羽羽弓と歩靫」としている。日向から瀬戸内を東上、浪速(難波)に上陸してから熊野、吉野と進み倭へ。長い国覓ぎの旅であった。『古事記』では最後に記す。「かく荒ぶる神等を言向け平和し、伏はぬ人等を退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐しまして、天の下治らしめき」畝傍の橿原に皇居を造り、初代天皇に即位したのである。(神崎宣武さん「旅する神々」P104)
2021年01月26日
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モーツァルト:フルート協奏曲第1番、第2番、フルートとハープのための協奏曲【輸入盤】フルート協奏曲第1番、第2番、フルートとハープのための協奏曲 パユ、ラングラメ、アバド&ベルリン・フィル [ モーツァルト(1756-1791) ]
2021年01月25日
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その途中所々で、国つ神が迎える。『古事記』では、それぞれの神名の後に、「こは阿陀の鴉養の祖」「こは吉野首等の祖」「こは吉野国巣の祖」などとの注釈がついている。これは大事な記述である。その土地土地に国つ神がいる。国つ神とはいえ、その地方の権力者である。のちの豪族に相当、とみてよい。それが、天つ神を迎えて名のる。そして、「今、天つ神の御子、幸でましつると聞けり。故、参向へつるにこそ」などと歓迎する。そこで、天つ神の御子のイワレビコは、その土地と一族の「祖」と認めるのだ。そして倭(大和)という大国の、いうなればひとつの自治国」として認めるのだ。してみると、大倭のはじめは、「連合国家」というのがふさわしいだろう。中央集権のための巡行。これを、古語では「国寛ぎ」(国を巻き、治める)といった。(神崎宣武さん「旅する神々」P100)
2021年01月25日
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ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ [ ヒラリー・ハーン ]
2021年01月24日
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(カムヤマトイハレビコは)そこより移って筑紫の国の岡田宮で一年を過ごした。さらに東上して、阿岐(安芸)の多礽理宮で七年を過ごした。また、吉備の高島宮には八年も坐した。こうして各所に長くとどまることになる。ただ居心地がよいからではない。いやしくも「天の下の政」が旅の目的である。その土地土地の勢力者にその権威を知らしめ、それに従わせんがためである。そのためには、相応の時間をかけなくてはならなかったのである。そのことは、後章(第四章)であつかうヤマトヒメの命(倭姫命)が大和を出てから伊賀・美濃・尾張を経て伊勢に向かう旅のあり方とも類似する。それは、天照大御神の安く鎮まる宮処を求めての、大御神の御杖代(神器を奉載しての、ある種神懸った分身)としての旅であった。なんと、それには、三四年も費やしているのである。古代の集権実現への旅は、戦ごとは少ない。あくまでも、合意を得んがための折衝であった。そこには、神を祀っての祈祷もあったし、呪力をもっての宣言もあった。つまり、余人をもっては及ばない、そうした「超人間力」を示す必要があったのである。(神崎宣武さん「旅する神々」P96)
2021年01月24日
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バッハ:シャコンヌほかハーン/ヒラリー・ハーン デビュー! バッハ:シャコンヌ ほか[Blu-spec CD2]
2021年01月23日
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カムヤマトイハレビコ(神倭伊波礼毘古命)という名前に注目しよう。とくに、「神倭」を冠す。これは、天皇の神名にほかならない。イハレビコ、すなわち、これが初代天皇の神武天皇となる。父は、ウガヤフキアエズ。祖父は、ホオリ。そして大祖父は、天つ神ニニギ。まぎれもなく高天原から天下った位高き直系、と証しているのである。そして、大祖父ニニギは、山を治める国つ神オオヤマツミの娘木花のサクヤビメを娶る。そこで埋めれた祖父ホオリは、海を治める国つ神ワタツミの娘トヨタマビメを娶る。それから一代を経て、イハレビコ、すなわち神武天皇。下世話にいうならば、大祖父が山の神と、祖父が海の神との仲を親密に結び、海山とも天つ神に集権したところでイハレビコ登場、その神名を神武天皇という名前にも転じているのである。神の代から人の代に、まことによくできたものがたりである。『古事記』の「上つ巻」は、ここで終わる。ただし、天つ神、その直系の天皇に集権されたのは、この段階では、出雲であり日向である。大倭という国の平定は、なおときを待たなくてはならない。そこで、次の「中つ巻」が、神武天皇の倭への東征からはじまるのである。(神崎宣武さん「旅する神々」P93)
2021年01月23日
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サイ・プレイズ・モーツァルト【中古】 トルコ行進曲〜サイ・プレイズ・モーツァルト /ファジル・サイ(p) 【中古】afb
2021年01月22日
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いまの日本にとって必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。日本の知識人はこの意味での啓蒙を忘れています。啓蒙というのは、ほんとうは観客をつくる作業です。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P259)というわっけで、東浩紀さんの「ゲンロン戦記」を読みました。なぜかこの本は売れていますね。なので、この本は、いっぱい「誤配」されているかもしれません。そして、この本がまさに「誤配」について書かれた本、というのはなんとも粋ですね。つまりこの本は、「ゲンロン」という会社の営みが、いかに「誤配」に基づき、「誤配」されたか、そしてそれが、いかに今の営みにつながってきたかについて書かれています。また、その中で行われてきたチェルノブイリへのツアーが、自身の「観光(客)」という哲学にどうつながってきたかが書かれています。読みやすく書かれていて、著者の人柄に触れるようで、好感がもてました。
2021年01月22日
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モーツァルト:ピアノ・ソナタ集【中古】 モーツァルト:ピアノ・ソナタ集 /グレン・グールド 【中古】afb
2021年01月21日
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坪内祐三さんの「一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 」を買書つんどく。「 「一九七二年以前に生まれた人となら、歴史意識を共有出来る気がする」。札幌五輪、あさま山荘事件、ニクソン訪中など、数々の出来事で彩られたこの年は、六四年から始まった、高度経済成長期の文化変動が完了し、大衆化社会へと突入していく戦後史の分水嶺となる一年だった。縦横無尽に資料を渉猟し、一九七二年以降に生まれた者たちとの歴史意識の橋渡しを試みた、著者の代表的時代評論書。」 (「BOOK」データベースより)
2021年01月21日
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ぼくは『観光客の哲学』で、コミュニケーションには、「村人」(友)でも「よそもの」(敵)でもない第三のカテゴリの人々が必要で、それが「観光客」なのだと主張しました。ぼくがいま言っているのはそれと同じことです。観光客を集めるためには商売をするしかありません。観光客=観客は、村が質の良い商品を提供するかぎりで、村に関心をもってくれます。それは冷淡な態度にみえるけれど、そのような人々に開かれることによってのみ、ひとは「村人」と「よそもの」の世界を分割する単純な思考から抜け出せるのです。貨幣と商品の等価交換こそが、友と敵の分割を壊すのです。ぼくは、どのようなひとにとっても、「緊張関係がありながらもずっと見守ってくれるひと」をどう維持し増やしていくかが大事だと思っています。それがぼくがいう「観客」です。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P253)
2021年01月21日
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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番、17番【中古】 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番ニ長調 /内田光子 【中古】afb
2021年01月20日
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けれども、それはやはり観光ではないのです。オンライン観光では現地に行くまでの時間をつくることができない。旅の価値のかなりの部分は、目的地に着くまでの一見無駄な時間にあります。そのときのこそひとは普段とはちがうことを考えますし、思いかけないひとやものに出会います。そのような経験こそ「誤配」です。ゲンロンはその無駄にこそ価値があると言ってきたわけです。ところが、いままさにその価値観こそが否定され始めている。コロナ禍でもカフェの配信はできます。スクールの授業もオンラインでできる。でもイベントや授業が終わった後の雑談はつくれない。ぼくはそれでは教育などできないと思う。けれど、いまの大学人は逆に、キャンパス封鎖を正当化するため、「大学はあくまでも授業をする場所であって、友人をつくったりサークル活動をするための場所ではない」と主張するようになっています。感染症への恐怖に駆動されて、多くのひとが、「オンラインで可能な清潔な情報交換だけがコミュニケーションの本体であり、感染症リスクの高い身体的な接触はノイズである」と考えるようになってしまいました。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P234)
2021年01月20日
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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第14番、第15番(ソナチネ)、他
2021年01月19日
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小松理虔さんの「地方を生きる」を買書つんどく。「いま地方にこそ可能性が広がっている。これまでと違った視点でみれば、新たな魅力と課題が浮かんでくる。仕事、暮らし、苦労などローカルな生き方をお伝えします。」(筑摩書房の紹介)
2021年01月19日
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この気づきは、最近流行の言葉を使えば、ぼくがずっと抱えていた「ホモソーシャル性」からの決別ともいうことができます。ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思考や欲望の等質性に無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです。ひらたくいえば、同じような人間ばかりで集まっていて気持ちが悪いということですが、まさに論壇や批評の世界はそのような批判を浴び続けてきました。じっさい日本の論壇は男性ばかりで、ゲンロンも同じ限界を抱えています。本書でいままで言及してきた「仲間」を見ても、宇野常寛、濱野智史、津田大介、大澤聡、黒瀬陽平、千葉雅也とみごとに同年代の男性ばかりで、女性はひとりもいません。外国人もいません。その背後には明らかに、ぼくの「ぼくみたいなやつ」ばかりを探そうとする欲望が働いています。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P224)
2021年01月19日
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ビンヤミン・アッペルバウム」新自由主義の暴走 格差社会をつくった経済学者たち」を買書つんどく。「1960年代以降、アメリカの市場原理主義を推し進めた経済学者たちがどのように政府の政策決定に影響を及ぼしたかを検証し、経済保守主義者が規制緩和を唱え自由競争を称揚した結果、超格差社会が生まれた過程を明らかにする。解説:前田裕之(日本経済新聞社)」(早川書房の紹介)
2021年01月18日
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本章ではここまで、ツアーという事業が、売り上げとしては小さいながらも、ゲンロンの精神を体現する重要なものであることを示してきました。震災後、ぼkは原発事故の問題に出版によって介入しようとしました。けれどもそれは失敗に終わりました。そのとき、チェルノブイリへのツアーが同じ介入をべつのかたちで引き継ぎ、ぼくの哲学のつぎのキーワードになる「観光客」を実体化する役割を担ってくれた。ゲンロンはこのようにして、創世期にまいた種を、試行錯誤しながらもなんとか育て、ふたたび成長へ歩み出すことになります。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P176)
2021年01月18日
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モーツァルト:レクイエムCLASSIC名盤 999 BEST & MORE 第2期::モーツァルト:レクイエム(バイヤー版) フォーレ:レクイエム、合唱作品集 [ ミシェル・コルボ ]
2021年01月17日
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本日は、1.17。只今、5時46分。それでは行ってきます。
2021年01月17日
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モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番ほか【中古】 モーツァルト/ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲」付 /内田光子 【中古】afb
2021年01月16日
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そういう考えで書籍を出版したので、ツアーも企画するべきだと思ったんです。「本を読んで知識を仕入れたつもりだったけれど、現地には自分が想像したものとまったくちがったものがあった、けrども、それはたしかに書かれていたとおりのものでもあった」という、あの奇妙なムズムズする感覚を、読者にも経験してほしい。そのためにはじっさいにひとを連れていくしかない。前章の言葉でいえば、『チェルノブイリ』という書籍を、「オフラインへの入り口」として使おうとしたわけです。もう少し付け加えます。ぼくたちの社会では、SNSが普及したこともあり、「言葉だけで決着をつけることができる」と思い込んでいるひとがじつに多くなっています。でもほんとうはそうじゃない。言葉と現実はつねにズレている。報道で想像して悲惨なイメージをもって被災地に行ったり被災者に会ったりしたら、全然違う印象を受けた。あるいはその逆だったということはよくあるわけです。そういう経験がなくて言葉だけで正しさを決めようとしても意味はない。むしろ大事なのは、ことばと現実のズレに敏感であり続けることです。ぼくのいう「観光」は、そのためのトレーニングです。言葉から想像したものは経験で裏切られる。けれど経験したあとだとたしかに事前にいわれていたとおりだとわかる。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P164)
2021年01月16日
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蓮實重彦さんの「見るレッスン 映画史特別講義」を買書つんどく。「映画は自分の好きなものを、他人の視点など気にせず自由に見ればいい。ただし優れた映画には必ずハッとする瞬間があり、それを逃してはならない。映画が分かるということは安心感をもたらすが、そこで満足するのではなく、その安心を崩す一瞬にまずは驚かなければならない。そして、驚きだけを求めてはいけないし、安心ばかりしているのも否。その塩梅は、画面と向き合う孤独というものを体験することのみで得られる。どのような瞬間に目を見開き、驚くべきかは実際にある程度分かるものであり、その会得のために見ることのレッスンは存在する。サイレント、ドキュメンタリー、ヌーベル・バーグ、そして現代まで120年を超える歴史を、シネマの生き字引が初めて新書で案内。」(「BOOK」データベースより)
2021年01月15日
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チェルノブイリ原発は、無事だった原子炉を事故後も動かし続け、2000年にようやくすべての原子炉を停止しています。もう発電はしていませんが、電力ネットワークの要所にあることから配電業務は行っていますし、また廃炉作業もあるので多くのひとが働いています。つまり現役の施設です。ひとは原発事故のようなことがあると、現場は無人のまま打ち捨てられ、だれも近づけない「死の土地」になったと考えてしまいがちです。ぼく自身もそうでした。けれども、考えてみれば、そんなわけはない。だれかが事故処理をしなければならないし、その作業員にも生活がある。事情は福島でも同じはずです。当時は福島の事故の記憶が新しい時期でしたから、チェルノブゥリツアーには、参加者にそんな「事故後」の現実を偏りのない目で直視し、復興の可能性について考えてもらいたいという狙いもありました。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P154)
2021年01月15日
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モーツァルト:ピアノ三重奏曲全集 のうちCD2ベリー・ベスト・クラシック1000 43::モーツァルト:ピアノ三重奏曲全集 [ カール・ズスケ ]
2021年01月14日
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調べてみると、チェルノブイリ原発事故被災地――通称「ゾーン」といいます――は、2011年の4月から観光客に条件付きで解放されていることがわかりました。2011年というのは、福島の事故の年であるとともに、チェルノブイリ原発事故から25周年でもあります。それを機に原発事故跡地の「観光地化」が始まったわけです。さらに驚くとともに、たいへん興味をひかれました。もともとぼくは、公共空間というのは、「意識の高い」リベラルなひとがつくる制度的なものだけではなく、軽薄な消費者がつくる自生的なものでもあるのではないかといった考えかたをもっていました。詳しくは説明しませんが、それは、戦後日本が育んだ大衆社会に対する信頼というか、ある種の「戦後民主主義」にポストモダニズムがくっついたような思想で、『思想地図β』の創刊号でショッピングモール分析に誌面を割いたのもそのような関心があったからです。だから、チェルノブイリに関するその事実を知って、これは自分の哲学的なテーマと関係するし、また福島復興への新しい視点になるのではないかと直感しました。災害や死といった「重い」記憶を、観光客という「軽い」存在を媒介させて未来に伝えることができるのであれば、そこには大きな可能性があるはずです。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P143)
2021年01月14日
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モーツァルト:ピアノ三重奏曲全集 のうちCD1ベリー・ベスト・クラシック1000 43::モーツァルト:ピアノ三重奏曲全集 [ カール・ズスケ ]
2021年01月13日
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トミー オレンジ「ゼアゼア」を買書つんどく。「歌い、語り、失い、探し、歩き、踊り、倒れ、生き延びる。分断に揺れる現代アメリカのもう一つの顔。あなたは読み終えた後に、立ち上がれないほどの衝撃を受けるだろう!今を生きる12人の都市インディアンたちの物語。アメリカ図書館賞、ヘミングウェイ賞、「今年読むべき10冊の本」ニューヨークタイムズ、その他ワシントンポスト、サンフランシスコ・クロニクル、ボストン・グローブ等、全米各紙絶賛の書評!」(「BOOK」データベースより)
2021年01月13日
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誤配はオフラインのコミュニケーションのほうがはるかに起きやすいものです。これはじつはぼくの大学院時代の専門である、ジャック・デリダというフランスの哲学者の主張と深くかかわっています。ここでは詳しい解説はしませんが、そのデリダという哲学者は、言葉は単なる記号ではなく、つねに「エクリチュール」(文字)という身体をもっているのだと言いました。誤配は身体なしに起こりません。にもかかわらず、ぼくたちはともすれば身体の存在を忘れてしまう。たとえば書籍は物体であり、じっさいに書籍を買うとき、ぼくたちはその物体に対してお金を払っている。けれども、なぜか本の話をするときは中身の情報の話ばかりしてしまいがちです。人間にはそういう傾向があり、危険だよとデリダは言っていたのですが、ぼくのゲンロンでの仕事はまさにその教えに導かれているようなところがあります。とはいえ、ぼくはけっしてオンラインのコミュニケーションを全否定しているわけでもないのです。(中略)ではそのふたつの態度はどうつながるのか。ぼくはじつは、大事なのは、オンラインでの誤配なきコミュニケーションを、どうやって効果的に「オフラインへの入り口」=「誤配の入り口」に変貌させていくかという問題意識だと考えているのです。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P135)
2021年01月13日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番、23番ほかユニバーサルミュージック エレーヌ・グリモー(p)/モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番、第23番、他 来日記念盤 【CD】
2021年01月12日
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だから、ゲンロンでは、才能あるクリエイターではなく、それを支える批判的視点をもった観客も一緒に育てたいと考えているのです。むろん、全員が全員、観客であることに満足するとは思わない。けれども、教育のなかで「おれには才能がない」と腐りかけていた受講生が、「たしかに自分には才能がないかもしれないけれど、まわりには才能がある連中がたくさんいるし、そいつらと一緒にムーブメントを起こすのもおもしろいじゃないか」と感じてくれたら、それこそ未来につながると思うんです。いまはみながスターを目指している社会です。新自由主義とSNSがその傾向を加速しました。けれどもそれは原理的にまちがっている。だって、みながスターになることは原理的にありえないんだから。だから、スターだけが文化を創るのではなく、じつはその周囲のコミュニティこそが大切なんだという価値観をもっと広めていく必要があります。ゲンロンスクールをやっていくなかで、この「観客」の問題もまたゲンロンの肝なのだと考えるようになりました。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P127)
2021年01月12日
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モーツァルト:レクィエム【輸入盤】レクィエム ラバディ&レ・ヴィオロン・ドゥ・ロワ、ラ・シャペル・ド・ケベック、ゴーヴァン、ルミュー、他 [ モーツァルト(1756-1791) ]
2021年01月11日
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キム・チョヨプ「わたしたちが光の速さで進めないなら」を買書つんどく。「廃止予定の宇宙停留所には家族の住む星へ帰るため長年出航を待ち続ける老婆がいた……冷凍睡眠による別れを描き韓国科学文学賞佳作を受賞した表題作、同賞中短編大賞受賞の「館内紛失」など、疎外されるマイノリティに寄り添った女性視点の心温まるSF7篇!」(早川書房の紹介)
2021年01月11日
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その精神は今も若い世代には生き続けています。ぼくのひとまわり下の評論家、荻上チキさんがメインキャスターを務めるTBSのラジオ番組のキャッチフレーズに「知る→わかる→動かす」というものがありますが、あの言葉は、そのような合理的精神のあり方をうまく表現しています。正しいことを知り、きちんと整理すれば、社会をいい方向に動かせるはずだという理想ですね。けれど、本書の冒頭で語ったように、僕はこの10年ですっかりそういう理想に対して懐疑的になってしまいました。震災後の日本で、「知る→わかる→動かす」のサイクルは機能したのか。トランプ大統領の誕生はどうか。あるいはコロナ禍下の現在の混乱はどうか。SNSで情報が増えれば増えるほどひとはフェイクニュースやポストトゥルースに飛びつくようになるし、「なにが合理的か」をめぐって非合理的な争いをするばかりです。そういう光景をみて、ぼくは「知る」と「わかる」と「動かす」だけではダメだと考えるようになりました。現実には世の中の問題は複雑で、長い歴史があったり利害関係が込み入っていたりして、「知れば知るほどわからなくなる」ことや「わかればわかるほど動けなくなる」ことが多い。その状況で問題を単純化して強引に社会を動かそうとすれば、かえって状況が悪くなることもある。ほんとうは、「知る」と「わかる」のあいだに、そして、「わかる」と「動かす」のあいだに、「考える」というクッションが必要なのです。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P112)
2021年01月11日
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モーツァルト:ディヴェルティメント集【中古】 モーツァルト:ディヴェルティメント集 /トン・コープマン,アムステルダム・バロック管弦楽団 【中古】afb
2021年01月10日
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ぼくはよく、、コミュニケーションでは「誤配」が大事だということを言います。自分のメッセージが本来は伝わるべきでないひとにまちがって伝わってしまうこと、ほんとうなら知らないでもよかったことをたまたま知ってしまうこと。そういう「事故」は現代ではリスクやノイズと捉えられがちですが、ぼくは逆の考えかたをします。そのような事故=誤配こそがイノベーションやクリエーションの源だと思うのです。ゲンロンカフェは、まさのそのような「誤配」のための空間です。登壇者が長く話す。思わぬことも話してしまう。観客同士が思わぬ出会いをする。そういう可能性のためにつくった空間でしたが、いま振り返ると、成り立ちそのものも「誤配」に満ちていたように思います。さきほど述べたように、ゲンロンカフェはそもそもAさんがいなければできなかった。動画配信も時間無制限も最初は考えていなかった。すべて「たまたま」の連続でできています。(中略)コロナ禍のもとでいろいろなイベントがオンラインで配信されるようになり、ゲンロンカフェが先駆的な形態として言及されることがあります。けれど、当事者としては、ゲンロンカフェの成功の肝はこのような「たまたま」の「思わぬかたち」を受け入れてきたことあると思っているので、少し違和感があります。それは、コロナ禍で目指されているような「オンラインによって効率よく仕事を勧めよう」という精神とは正反対のものだからです。(東浩紀さん「ゲンロン戦記」P91)
2021年01月10日
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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集 第32・25・28・42番モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ集 第32・25・28・42番 [ ヒラリー・ハーン ]
2021年01月09日
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加藤シゲアキさんの「オルタネート」を買書つんどく。「高校生限定のマッチングアプリ「オルタネート」が必須となった現代。東京のとある高校を舞台に、若者たちの運命が、鮮やかに加速していく。全国配信の料理コンテストで巻き起こった“悲劇”の後遺症に思い悩む蓉。母との軋轢により、“絶対真実の愛”を求め続ける「オルタネート」信奉者の凪津。高校を中退し、“亡霊の街”から逃れるように、音楽家の集うシェアハウスへと潜り込んだ尚志。恋とは、友情とは、家族とは。そして、人と“繋がる”とは何か。デジタルな世界と未分化な感情が織りなす物語の果てに、三人を待ち受ける未来とは一体ー。“あの頃”の煌めき、そして新たな旅立ちを端正かつエモーショナルな筆致で紡ぐ、新時代の青春小説。」(「BOOK」データベースより)
2021年01月09日
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