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ヨシダ。「ディグイット 1・2」(講談社) 2026年4月のマンガ便に入ってました。「なに、これは?」「バレーボールマンガ。」 去年の夏ぐらいから「アフタヌーン」というマンガ雑誌に連載されていて、ナカナカ人気のスポーツ・マンガらしいです。ネタはバレーボールですね。 マンガ便のトラキチ君は中学生、高校生の頃バレーボールにハマっていて、そろそろ、不惑を過ぎるはずですが、最近、ふたたびバレー・ボール熱が再燃してきた様子で、昔の友達とチームを作って市民大会に出ていったり、中学生と一緒に練習したり、まあ、そういうわけで見つけたのかどうかわかりませんが、「オモロイで。」でした。 元全日本のエース・アタッカーを父に持つ獅子谷岳くんという中学生が主人公のようです。 で、第1巻は、同じクラブチーム居たノボル君の才能に感激したお父さんに見切りを付けられちゃう話なんですね。 もっとも、見切りをつけたのは岳君とお母さんの方だともいえる展開で、まあ、お母さんが、読んでいるこっちも、何だか好きになれそうにない、夫であり、息子の父親である元エース・アタッカーに三下り半突き付けて生まれ故郷の静岡に、息子を連れて帰ってしまうという始まりでした。 で、岳君が選ぶのがリベロというのが、まあ、実に分かりやすくていいところですね。 羽海野(うみの)高校という、静岡県の普通の学校の高校生になって、第2巻からは高校バレーのビルドゥングス・ロマンの始まりです。目標が全国優勝だったり世界一だったりで、尚且つ、父と息子という、まあ、ありがちといえばありがち、永遠といえば永遠の闘いの始まりですから、ここから先はかなり長そうです。 こちらが第2巻です。 バレー・ボールマンガなんて、50年前の「アタック・ナンバーワン」以来ですね。若い人はアニメで知っていらっしゃるかもですが、浦野 千賀子という方の作品で、「マーガレット」という少女漫画誌に連載されていたのを読んだのは小学生の頃です。 そういえば、この「ディグイット」という作品で不思議だったのは著者名です。「ヨシダ。」と書くらしいですが、奥付けには「Yoshidamaru」とありますから、「よしだまる」さんなんですかね。 というわけで、長い道のりの始まりのようです。2026-no050-1265 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.03
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高橋源一郎「ラジオの、光と闇―高橋源一郎の飛ぶ教室2」(岩波新書) 高橋源一郎にハマり続けていますが、今日の案内は「ラジオの、光と闇」(岩波新書)です。副題に「高橋源一郎の飛ぶ教室2」とあるように、彼がやっているらしいラジオ番組の、たぶん、前振りというか、オープニングのおしゃべりをエッセイ集としてまとめた本です。 知人にも、彼の番組のリスナーがいらっしゃるわけですが、ボクは一度も聴いたことがありません。ただ、このシリーズの1冊目、「高橋源一郎の飛ぶ教室」という岩波新書は読んだ記憶があります。基本、高橋源一郎による社会批評というか、時事ネタ発言のエッセイかなわけで、「読みやすい」ことと、紹介されている「書籍」や「映画」が、まあ、ボクにとっては、ほぼ、ハズレなしという印象で、「読書案内」本として重宝しています(笑)。 今回は、横浜まで往復する新幹線旅行の電車本として読み終えました。 いちばん下の叔父さんが亡くなって、葬儀に参列する旅行です。 こんばんは。高橋源一郎です。 先日、作家の大江健三郎さんが亡くなられました。大江さんは、みなさんもご存じのように、長い間、日本文学を代表する作家として活躍されてきました。八十八歳。老衰だったと伝えられています。 ぼくにもいくつかの追悼文の依頼がありましたが、思うところがあり、お断りしました。なので、ここでお話しすることが、大江さんへの追悼となります。 もの書きとして、人として、ぼくが深く影響を受けた人たちは四人います。詩人の吉本隆明、映画監督のジャン・リュック・ゴダール、批評家の江藤淳、作家の大江健三郎。この四人の生まれた年は順に、一九二四年、一九三〇年、一九三二年、一九三五年、そして父の生まれた年が一九二〇年。あるとき、ぼくは、彼らが、父を長男とする兄弟たち、ぼくにとっての叔父の年齢にあたることに気づきました。 ラジオのおしゃべりを想定すれば、ここまでがつかみです。 で、ぼくが思い浮かべたのは、自分の父親が一九二五年生まれだったことです。吉本隆明の一つ下です。上の引用に並んでいる四人のお名前は、高橋源一郎の三つ年下であるボクにとっても、10代後半からの、ほぼ、10年の間、圧倒的に影響を受けた人たちとしてドンぴしゃり! 鷲摑みです! 10代後半から漱石にかぶれた始めたボクが生まれて初めて読んだ文芸評論が、批評家江藤淳の「夏目漱石」(講談社文庫)で、その勢いで、彼の好敵手、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」(角川文庫)に雪崩れ込み、文学・思想かぶれの、生意気、頭でっかち高校生活を送り、二十歳で大学生になるやいなや落第生へと落ちこぼれて言った理由が名画座のヌーベルバーグと「仁義なき戦い」の菅原文太でした。 江藤、吉本かぶれの、余波というか、当然の帰結というか、大学の広い図書館では、大江の発禁作「政治少年死す」が載っている雑誌「文学界」を見つけて喜ぶ生活でした。 今となっては、懐かしい記憶ですが、高橋源一郎が「もっとも影響を受けた四人」と、言い切ることばを反芻しながら、かえって、彼の世代とのギャップを痛感したりもするのでした。 で、高橋さんの、本論、「大江健三郎追悼」はこうです。 この番組で何度か「家の外に出て世界をさまよい、自由と知識を甥に教えるためにふらりと戻ってくる叔父さん」の話をしました。この四人は、ぼくにとって、世界の広さを教えてくれる叔父たちだったのです。最後の、いちばん下の叔父である大江さんが亡くなったと聞いた時、感じたのは、ついにだれもいなくなり、ひとりぼっちになってしまった、という大きな寂しさでした。彼がどんなにか自由で豊かであったかを伝えることができるのは、甥であるぼくの使命なのかもしれません。 大江さんの小説を読み始めたのは中学生になったばかりの頃。その頃、大江さんは眩しく光り輝く若い作家でした。大江さんは芸術家であるだけでははなく、社会の中で目覚ましいオピニオンリーダーでありえた時代のシンボルでした。大江健三郎のような小説家であること、それはなにかを書くことを目指す若者にとって一つの大きな目標だったのです。 六十年以上、大江さんの書く小説を読み続けてきました。そして、一つ気づいたことがあります。おそらく、大江さんにとって大切だったのは、現実の自分ではなく、小説の中に存在している自分だったと思います。どんな作品においても、そこには絶望的なほどの孤独、というか孤独な大江さんが呼吸していました。そして、同じように、孤独に絶望しているぼくたち読者に向かって「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」とメッセージを送っていたのです。 さようなら、大江健三郎さん。長い間、ありがとうございました。それでは、夜開く学校、「飛ぶ教室」、始めましょう。(P119) ボクは、この本を、ぼくと同居人にとって、最後に一人残っていらっしゃった叔父さんとのお別れに向かう新幹線で読みました。それも、また、ドンぴしゃりでしたね。読みながら、高橋源一郎が大江健三郎の作品から「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」というメッセージを受け取っていたことを知り、胸ふたがるおもいでした。 高橋源一郎の小説作品が、近代文学史や戦後文学史に対する茶化しのように、エンタメ化して読まれる傾向がありますが誤読ですね。彼は、ポップとかいう批評に耐えながら、現代社会を生んだ「近代」という時代と真正面から向かい合おうとしていると思います。まあ、そのあたりは、読み始めてしまった、たとえば、「DJヒロヒト」(新潮社)あたりの案内でということで、今日はここでお終いです。 2026-no039-1254 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.02
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石井裕也「人はなぜラブレターを書くのか」109シネマズ・ハット 勝手に贔屓している綾瀬はるかさんが主演だというので見ました。 石井裕也監督の「人はなぜラブレターを書くのか」です。 見る前に、ちょっと、気になっていたのは題名ですね。「何がいいたいの?」 見終えてわかりました。正しい題名は、「おばちゃんになったナズナは、今、なぜラブレターを書くのか?」ですね。 まあ、それ以上いうと、ただのネタバレオンパレードになってしまうのでいいません。 綾瀬はるかさんが、前を向て生きていきたい40代の、「妻」であり、「母」であり、「飯屋のおかみさん」である、実に、トッポイおばちゃんを、彼女らしく演じていらっしゃって、まあ、ストーリーがストーリーナだけに、繰り返し涙を拭きながら見させていただきました。拍手! この上の写真が、高校生の頃のナズナちゃんなのです。當真あみちゃんという方が演じていらっしゃるわけですが、綾瀬さんと全く似ていない所が笑えます(笑)。 でも、ナズナさんのお嬢さんである舞ちゃん役の西川愛莉ちゃんともども、よく頑張っていらっしゃいました。 後、妻夫木聡くんとか、佐藤浩市さんとか、原日出子さんとか、哀しいことに耐えながら暮らしていくオッサン、オバハンたちをめだたないシブイ芝居で演じていらっしゃってよかったですね。泣けましたよ。 学生時代のナズナちゃんが憧れる信介君の細田佳央太と、彼のボクサージムの親友というか、先輩である川島君を演じる菅田将暉君もよかったですね。監督・脚本・編集 石井裕也撮影 鎌苅洋一編集 早野亮音楽 岩代太郎主題歌 Official髭男dism協力 大橋ボクシングジムキャスト綾瀬はるか(寺田ナズナ)當真あみ(ナズナ・学生時代)西川愛莉(寺田舞 娘)妻夫木聡(寺田良一 夫)富田望生(ナズナの店の店員さん)細田佳央太(富久信介 憧れの君)原日出子(富久晴子 母)佐藤浩市(富久隆治 父)音尾琢真(大橋ジム会長)菅田将暉(川嶋勝重 ボクサー)笠原秀幸津田寛治2026年・122分・G・日本・東宝2026・04・28・no080・109シネマズ・ハットno81追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.05.01
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藤元明緒「ロストランド」キノシネマ神戸国際 チラシが出回り始めた頃から見るつもりで待っていました。 で、見ました。落ち込みました。 見たのは藤元明緒監督の「ロストランド」です。 主人公は、この写真の二人です。ミャンマーの難民キャンプからマレーシアに逃げていく、9歳のソミーラちゃんと5歳のシャフィくんという姉弟の数10日間に渡る旅の日々を描いた作品でした。ドキュメンタリー風の展開、映像ですが、ドラマです。しかし、ドラマなんだから、作り事なんだからと安心できるところはありません。厳しい現実凝視から生まれた作品というべきでしょうね。 ミャンマーという国家の国内情勢や、その周辺の国々についてもよく知りません。ロヒンギャと呼ばれている人たちがミャンマー国内で、なぜ攻撃され、難民化させられているのかということについても知りませんでした。そういう、無知な視点から見ているわけですから見ていてしんどい・・・のは当たり前だったのでしょうね。 政治的、宗教的、あるいは、文化的敵対関係から、住んでいた場所を奪われ、穏やかな暮らしを破壊され、命を狙われる例は世界中のあちらこちらであるのでしょう。それは、のんびりした日常を暮らしているからと知らないではすませられないことを激しく問いかけてくる映画でした。10歳にも満たない、幼い姉弟を描いて、希望のありかを問いかけてくる製作者の思いの激しさ!に打ちのめされて落ち込みました。 辛くて厳しい映画でしたが、すぐれた作品だと思います。 若い人たちに、是非、見てほしいとも。ただ、覚悟して見たほうがいい気がします。歴史の教科書や、ニュースの客観性の向こうに、こういう現実があるのが、今、現在の人間の世界なんですよね。 戦争、災害、差別、現実の世界は不幸に満ちていて、考え始めると落ち込みます。でも、眼をつむらず、考え始めるところに「希望」があることを祈っているかの作品でした。 この作品を藤元明緒という、日本の映画製作者の方がとっていらっしゃることに驚きながらも、心から拍手!でした。監督・脚本・編集 藤元明緒撮影監督 北川喜雄音楽 エルンスト・ライジハーキャストムハマド・ショフィック・リア・フッディンソミーラ・リア・フッディン2025年・99分・G・日本・フランス・マレーシア・ドイツ合作 キノフィルムズ2026・04・26・no078・キノシネマ神戸国際no63追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.30
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鳥山まこと「時の家」(講談社) 久しぶりに大学の図書館で借りました。今年の芥川賞ですね。今どきの大学生は、芥川賞なんて読まないようです。市民図書館では考えられませんが、新刊の棚にありました(笑)。 鳥山まことの「時の家」(講談社)という作品です。 日射は絶えず南下りの鋼板屋根を熱している。空に浮く一点の発光から届くものとは思えないないほどの分厚い熱は平らになって屋根面を圧し、鋼板の面に蓄えられ、同時に昨日よりも速度を増した北風の対流により奪われてゆく。ただ日射から受ける熱の方が大きいせいでほんの少しずつ面の温度は上がり、膨張する鋼板は裏面に貼りついた野地板を圧しながら熱を分け与える。それは屋根裏の至る所で行われ、さらに下のボード状の発砲系断熱材や等間隔に勾配方向に流れる垂木を押してゆく。ある境界を僅かに超えた瞬間、一本の垂木が裂けるような甲高い音を発した。振動は瞬時に梁、柱、壁へと伝搬し、減衰しながら室内に押し止められた空気を小さく震わせた。今ここにあるのはその音の残響。誰の耳にも届いていない。誰の記憶にも残らない。誰もいないこの場で鳴ってすぐに消えてなくなった音の名残り。(P001) こんな書き出しです。微妙に客観を装っていますが、何となく主観を感じさせるこの「文」の語り手は誰なのか。そんな戸惑いに引きずりこまれながら、もうしばらく読むと人が登場します。 塀の外にはひとりの青年が立っていた。しばらくの間、そこに立ったままこちらをじっと見つめていた。 語り手の主観が明らかになったところです。で、語り手は何者なのか、 それが、多分、この作品の肝ですね。 青年の視線は低い塀に落ちていた。「売り物件」と書かれた看板が貼り付いている。目を向けながら、瞳は遠いところを見ていた。数日前の雨の日、青年は傘をさしながら同じようにその場に立っていた。塀の内側には大人の男が三人いた。若いスーツ姿の男が一人と作業着姿の男が二人。長い雑草を踏み倒して進み、足早に周囲に沿って一周した後、扉を開けて中に入った。一通り素早く見回し何やらメモを取り終えると、外に出て険しい表情で短い言葉を交わす。一人が振り返って全体をぼんやりと眺めながら、何かにけりをつけるようにしてつぶやいた。「更地にした方がなにかとね」 青年は塀の外でその言葉を聞いていた。用が済むと三人の男たちはこの場から去っていった。「売物件」の看板が掲げられてからもう二年が経とうとしていた。(P004) 小説は始まったばかりです。 で、男たちや青年を見ている語り手が誰だかおわかりでしょうか? やがて、この語り手は、この青年の突拍子もない行動や、この家を建てた建築家や大工、左官たち、この家に住んだ二つの家族のことを語り始めます。 小説としてこの作品を書いた鳥山まことさんは建築家という本業のある方だそうです。それも、語り手を突き止めるヒントかも知れませんが、まあ、お読みになって驚いてください。 高度経済成長の時代から50年の時間を生きた、たとえばボクくらいの世代の実感を、なんとも見事に描いている作品でした。 鳥山まことは1992年、宝塚市に生れて、現在は明石市に在住している若い作家のようです。本作「時の家」で、野間文芸新人賞、芥川賞(174回)を連取なさったそうですが、納得!でした。 お若いんですけど、意表をつく語り手を設定することで、この作家が描こうとしているのは「時間」のようです。 おススメです(笑)。 2026-no044-1259 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.29
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クレイグ・ブリュワー「ソング・サング・ブルー」シネリーブル神戸 本当はケン・ローチの「オールド・オーク」を見るつもりだったんですけど、チケットを買う段になって、お客さんの満杯を知って、急遽変更して見たのがこの作品です。 クレイグ・ブリュワー監督の「ソング・サング・ブルー」ですね。 なんというか、「生粋の」をつけたくなるアメリカ的音楽映画で愉しかったです。 主人公のお二人が、あのニール・ダイヤモンドのトリビュートバンドとかのカップルですから、歌われる歌はみんなニール・ダイヤモンドです(笑)。 1960年代の終わりころからのアメリカの国民的歌手です。古いです(笑)。 でも、古いから、ボクのような客には楽しいというか、妙に心に響いちゃうんです。日本で彼の歌をしょっちゅう耳にしていたのは、その頃中学生ぐらいでラジオとか聞いていた今の70代くらいの方たちなんじゃないですかね。ボクですら、「スイート・キャロライン」という題名を聞くだけでメロディが浮かんじゃうんですからね。 男の方はベトナム帰りのPTSDのアル中、女房に出ていかれて子供一人。女の方は「ホントは男が好き」と亭主に去られたシングルで子供二人のうつ病持ち。 で、その二人がニール・ダイヤモンドの歌に励まされて、山あり谷あり、ハラハラ、ドキドキの人生賛歌でした。コンサート・シーンなんて、もう、涙出ちゃいました。いや、ホント、上手に作っていらっしゃいますね。 映画の時代は、多分、90年代から今世紀初頭だと思うんですけど、見終えて帰って来てニール・ダイヤモンドの映像をさがすと、ちょうどその頃の彼自身のコンサートフィルムもあって、そっくりでしたね。感心しました。拍手! と、まあ、楽しかったんですけど、この映画、引っかかったところがないわけじゃないんですね。 主人公のマイクさん、とどのつまりに心臓発作で倒れちゃうんですけど、その時、三人の子供たちにいううんですね。「君たちを信じている!」 夫婦がいて、友人たちがいて、親子がいて、コンサートで一緒に歌ってくれる何万人だかの仲間がいるところまで上り詰めた歌真似歌手のことばです。ドラマの展開上は心に響く名セリフなんですけど、老人にはちょっと引っかかっちゃたんですね。 というのは、その直前のコンサートシーンで大観衆と声を合わせて歌っていたのが、何だかゴスペルソングに聞こえてたってことが引き金ですね。これって、「新しき良きアメリカ賛歌」? まあ、老人の繰り言でしょうが、トランプのアメリカですからねえ。ニール・ダイヤモンドとかもちだして盛り上がられてもねえ…まあ、ちょっとそういう気分ですね。監督・製作・脚本クレイグ・ブリュワー製作 ジョン・デイビス ジョン・フォックス 編集 ビリー・フォックス音楽 スコット・ボマーキャストヒュー・ジャックマン(マイク・サルディーナ)ケイト・ハドソン(クレア・サルディーナ)エラ・アンダーソン(レイチェル クレアの娘)ハドソン・ヘンズリー(デイナ クレアの息子)キング・プリンセス(アンジェリーナ マイクの娘)シシリア・リデット(ステングルおばあちゃん)マイケル・インペリオリ(マーク・シュリラ ミュージシャン)ムスタファ・シャキール(セックス・マシーン ミュージシャン)フィッシャー・スティーブンス(デイヴ・ワトソン博士)ジム・ベルーシ(トム・ダマート)ジョン・ベックウィス(エディ・ヴェダー)ジェイソン・ワーナー・スミス(アール/TCB)ショーン・アラン・クリル(バディ・ホームズ)2025年・133分・G・アメリカ配給ギャガ原題「Song Sung Blue」2026・04・27・no079・シネリーブル神戸no376追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.29
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藤原稔三「ミックスモダン」元町映画館 この日は2026年4月25日。いつもは人出を恐れて三宮とかには近づかないことにしている土曜日ですが、5時から人と出会う約束が入って、その時刻にちょうどいい作品を探していて見つけました。 藤原稔三という監督さんの「ミックスモダン」です。 15時上映開始で、100分ちょっとですからピッタリです。受け付けで「お好み焼き屋さんの話かな?」「いや、ちょっと違いますけど(笑)。」という会話をかわして坐りました。いや、いや、とても味わい深いお好み焼き屋さんの話でした! 大阪のお好み焼き屋さんの木内さんというオジサンと園子さんというオクサン、そこで働くおばちゃんとか、おニーチャンたちとかの話でした。 少年院帰りの18歳の少年勇人くんが一応、主人公です。彼を始め、ネンショウガエリや、ムショガエリの若い人たちに仕事を世話し、人として出会おうとする木内さん。うそも隠し事もない、正直なオクサンで、女将さんである園子さん。シャブ中の女の子。孤独死してしまう元金持ちの老人。なかなかな人物たちが木内さんの経営するお好み約屋さんのまわりに登場します。 見ていて、ずっとハラハラし続けでした。まじめになると誓った勇人くんなんて見ていて「あかん、あかん、そっちに行ったらあかん!」 まあ、そんなふうにこころの中で叫んでしまうシーンの連続です。すっかり、浸って見入ってしまった作品でした。 理由はよくわかりませんけど、例えば、勇人くんが少年院行かなあかんようになったいきさつについて、直接の犯罪内容はともかく、彼の人となりをきちんと描こうとしているように思えたからでしょうね。 保護司なんていう、考えてみたら面倒くさいことをしている木内さん、どうしても子供を産みたい、育てたいと木内さんに迫る園子さん、それぞれの心の中というか、なんで、彼や彼女が、今、そこで、そんなふうにしゃべって、そんなふうにふるまっているのかということを、それぞれの人の、ここまで生きてきた時間を描くことで何とか浮かび上がらせようとしている映画の作り方の丁寧さに引き込まれたからですね。 監督の藤原稔三という人の人間観が素直に伝わって来て、まあ、彼は劇中では口下手な木内さんを演じていたわけですけど、それもあって、余計にそう思ったのかもしれませんが、見終えてホッとしました。拍手! 実は、この日、映画館の前でチラシ配りをしていた方がいらっしゃって、映画が始まると、その方がボクの前の席にお座りになって、ボーっと横顔を拝見していると木内さん、だから、監督の藤原さんだったんですね。上映終了後にはトークもあったようですが、ザンネンながら、ボクは約束の時間があって帰ってしまいました。 いや、しかし、まっすぐな、それでいてあたたかい、いい作品でしたよ。拍手! 監督・脚本・プロデュース・編集 藤原稔三脚本 三国鈴撮影監督 五味護撮影 澤江篤編集 三国鈴キャスト井戸大輝(西村勇人)藤原稔三(木内博之)常石梨乃(木内園子)サーシャ(布川幸杷)藤田朋子(梅本聖子)津嘉山正種(松井謙治)川平慈英(医師)二階堂智2025年・106分・PG12・日本2026・04・25・no077・元町映画館no361追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.28
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坂本憲翔「イマジナリーライン」元町映画館 チラシをボンヤリ見ていてエッ?と思いました。「日本で生まれ育った親友が、ある日入管に収容された」 気になって裏面を読むと。2023年6月、入管法改正案が採択され入管制度の厳罰化がさらにすすんだ。こうした状況をふまえ、本作は東京藝術大学大学院の修了制作として企画された。学生スタッフと俳優たちは、仮放免者や入管の被収容者、支援者への取材を行い、入管内部の実態にまで深く切りこんだ。 ナルホド、若い学生さんが、改悪された入管法を取り上げているんですね。で、題名を、もう一度読み直して、老人はいろいろ考えこんでしまうんです。「イマジナリーラインって、国境のこと?」 最後に浮かんできたのが、この問いでした。よし、見てみよう! で、見たのは坂本憲翔監督の「イマジナリーライン」でした。 「移民」とか「難民」とかいう言葉を耳にしても、自分たちと関わりのある切実な意味が込められていると感じる人が、ボクが暮らしている社会にどれくらいいらっしゃるのでしょうね。所詮は、海の向こうの他人事。悪意なくそう思って暮らしている人が、この映画に登場する夢ちゃんの姿を見て、やっぱり他人事だと笑えるでしょうか。 映画製作者を夢見る若い方たちが、国家を隔てる境界線が、気づかないうちに、人を隔てる境界線へなってしまっている現実をどう描いているのか、そういう期待の一方、どう描いてもハッピ―・エンディングは無理やろうなあ、そういう諦めが萌してしまうのも正直なところでした。 この作品を見ていて、坂本憲翔監督をはじめ、若い表現者たちが人と人を分け隔てる「境界線」について真摯に考え込み、「つながり」の可能性の発見を「希望」へと結びつけようとしている姿を目の当たりにして好感を持ちました。拍手! グローバルという言葉がもてはやされる一方で、お隣の国々をはじめとする「外国」に対して、「なんとかファースト!」を煽り立て戦争放棄の大原則を鼻で笑うかのような風潮が蔓延していますが、人と人であれ、国家と国家であれ、「境界線」を作って、向こう側とこちら側を分ける思想が、常に争いの原因を作ってきたことは、100年の歴史を振り返るだけでも明らかだと思います。 20代の若い映画製作者や出演者の皆さんが、欺瞞に充ちた入管制度に視点を定め、「ライン=境界線」は「イマジナリー=幻想」であることと、真正面からぶつかっている姿こそ、ボクにとっては拍手!拍手!でした。 思い込みを捨て、人と繋がろうとする自分を見つけるところにこそ「希望」はあるのでしょうね。 この映画の製作・上映にかかわってるすべての人に拍手!です。監督・脚本 坂本憲翔脚本 峰岸由依 横尾千智プロデューサー 小池悠補撮影・照明 小澤将衡美術 董瑶編集 佐藤善哉キャスト中島侑香(山本文子)LEIYA(モハメド夢)丹野武蔵(船橋正樹)早織(山本紗江)松山テサ(レイラ)鈴木晋介諏訪敦彦生津徹2024年・90分・日本2026・04・22・no076・元町映画館no360追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.27
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川内有緒 ・三好大輔「ロッコク・キッチン」元町映画館 2011年の東北の地震から15年、1995年の神戸の地震から31年、時は経ちますが、ボク自身、41歳で体験した神戸の地震で、ボクの中の何かが大きく変わったという、自分なりの思い込みがあります。 まあ、だからでしょうね、震災だけではなく、自然災害や、向こうから災害のようにやってくる戦争とかテーマに描いた作品だと気づくと、やっぱり、見てしまいますね。 今日見たのは、震災から15年経った福島の今を、川内有緒 と三好大輔というお二人の監督で撮られたらしいドキュメンタリィー、「ロッコク・キッチン」でした。 「昨日の夜、何食べました?」 出会う人、出会う人にカメラを向けて、最初の問いがこれです。福島の「浜通り」あたりで暮らしている人に、地震から15年後の今、尋ねるこのセリフにハッとしました(笑)。 40代での神戸での地震体験が、あれほど大きかったと自覚しているはずなのですが、関西暮らしを理由に、東北での地震の実態も風景も映像やニュースでしか知らないまま、なんとなく、もう、落ち着いているのかな?と考えてしまっていたのですが、この作品を見てガーン!でした。東北の震災では原子力発電所が壊れたことを、いつのかにか他人事にしていたんです。 映画の題名にあるロッコクというのは国道6号線。東京の真ん中を起点にして千葉、茨木、そして福島県の海沿い、いわゆる浜街道を通過して宮城県に至る主要道路ですね。福島第1原発事故の帰宅困難地域を通るあの道です。 撮影隊の人たちはその道を北へ移動しながら食事について質問し、食卓の風景を記録していきます。 今、フクシマの放射能汚染の現場で生きている人たちの姿が映し出されます。東北の震災は終わっていません。 政府や大企業の人たちは終わったことにしたがっていて、遠い関西にボクのような人間はそういうもんだろうと高をくくっているわけですが、元気に夕ご飯の話をする人たちの目の前には汚染された土地が広がり、汚染された建物に重機が襲いかかっています。 10年、20年では、決して片がつかないことを知っている人たちが、前を向いて生きていらっしゃる人々の姿を「生活の記憶」として残そうとしている製作者の皆さんに拍手!でした。 映画は、インドから浪江町にやってきて観光案内人として働き始めているスワスティカ・ハルシュ・ジャジュさん、写真家でオレたちの伝承館という私設シアターを立ち上げ、震災芸術作品を展示する中筋純さん、夜の本屋という、いや、実に、奇想天外なアイデアを実行している武内優さんという、それぞれ、実に個性的な三人をメインキャストとして、不思議なことに、多分、川内監督の視線のやわらかさがつくり出しているのだと思いますが、明るく、楽しく進行します。そこがスゴイ!ですね。拍手!監督・企画・編集 川内有緒 三好大輔プロデューサー渡辺陽一 宮本英実撮影・録音 三好大輔ドローン撮影 森下征治サウンドデザイン 滝野ますみ音楽 坂口恭平ナレーション 武内優アニメーション 森下豊子 森下征治写真 一之瀬ちひろキャストスワスティカ・ハルシュ・ジャジュ中筋純武内優相原あや石井美優石崎芳行大竹英子喜浦遊2025年・122分・G・日本 ロッコク・キッチン・プロジェクト事務局2026・04・20・no073・元町映画館no359追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.26
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長田悠幸・町田一八「シオリエクスペリエンス 25」(BG COMICS) 2026年の2月の新刊です。トラキチ君のマンガ便です。「なんか、めちゃくちゃめんどくさいねんけど、どうなるのこのマンガ?」「もう、終わるやろ(笑)。」 まあ、そういう会話が70代と40代のマンガ好きの間で交わされているわけですが、10代とか20代のマンガファンたちはどう思っているのでしょうね。 27歳で・・・という、古いロックファンには伝説化して語り継がれている「ああ、あれか!」 ジミヘンとかの夭折のあれですけど、それをネタに、ここまでたどり着いた本作です。 絵も、話の展開も嫌いじゃないので読み続けてますが、描いている人もきっと大変だろうな(笑)。とか感じています。 まあ、最後の最後どうなるのか、ここまで読んだら、やっぱり気になりますね。いや、ホンマ、ここからどうやってオチをつけるんでしょう。ガンバレ!長田君、町山君!でした(笑)。2026-no034-1249追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.26
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ラースロー・チャーキ「ペリカン・ブルー」シネリーブル神戸 ヨーロッパ製のアニメ映画のイイカゲンさというか、ノンビリさというかが好きです。正直、ディズニーは、もういいか・・・ですし、日本製は嫌いじゃないのですが・・・、その点、ヨーロッパのアニメって発展途上っていう感じで。 今日、見たのはラースロー・チャーキという方の「ペリカン・ブルー」ですが、ハンガリーのアニメ映画でした。期待通りのんびりしていてよかったですね。アニメーション×ドキュメンタリィーの化学反応 チラシにはなんだか大げさなコピーが書かれていますが、要するに映画製作者のインタビューに対して、元国際列車切符偽造犯たちが、それぞれ、30数年前に、実際にやった「悪事」について思い出を語るお話がアニメになっているというわけですが、後半になってですが、チラシ中央の主犯格の方は、もう、この世にいらっしゃらないということに気づいて、漸く、このアニメ映画の奥にあるのかもしれないテーマの深さというか、面白さに気付きました。 映画の奥にあるのは、まあ、少々うがった見方かも知れませんが、1990年代のハンガリーで何が起こっていたのか!ということのようですね。 多分、ヤバすぎるのは、当時のハンガリーの人たちの自由への希求の切実さと、振りかえって語っている、かつての青年たちは、果たして、今、この時、その自由を手に入れることができたのかという歴史的現実のような気がしました。 笑いながら、かつてのドタバタ事件が物語られていますが、どこか、アナーキーなニヒルが漂うところに、製作者の過去60年の歴史に対する醒めた批評性を感じました。拍手! ソビエトロシアの崩壊という大事件をニュースでは知っています。しかし、ハンガリーなどのワルシャワ条約機構の国々に、実際にはどんなことが起こったのか、まったく知らないうちに、たとえば、独立したはずのウクラナイナにロシアが戦争を仕掛けるというような出来事を考える手立ても知識もないことを痛感しています。ああ、こんなふうに自由化は拡がっていったんだな。 単純な発見ですが、興味深いアニメでした。拍手!監督・脚本 ラースロー・チャーキ キャストノルマン・レーバイコルネール・テジアーゴシュトン・ケネーズ2023年・79分・G・ハンガリー原題「Kék Pelikán」2026・04・21・no075・シネリーブル神戸no375追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.25
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キム・ヘヨン「大丈夫、大丈夫、大丈夫!」キノシネマ神戸国際 チラシの邦題の上にケンチャナ!と書いてあって、実をいえばボクが最近覚えた韓国語がケンチャナヨ!で、「あれ、なにが違うの?」 と気になりながら見なした。 見終えて調べると「ヨ」がつくと、ちょっと丁寧になるということらしいということで「ナルホド!」でした(笑)。 見たのはキム・ヘヨンという若い女性監督らしいですが、彼女の「大丈夫、大丈夫、大丈夫!」でした。ナルホド、ケンチャナ!でしたよ。 韓国の映画とかテレビ番組とか見ていて、若い人たちの年上の人とか、親とか、先生とかに対する、ただ、言葉遣いだけではなく、態度としてあらわれる「敬意」というか「気づかい」というかに「へぇー・・・」と感心することがよくあります。 所謂、儒教的道徳観がすたれずに残っている社会と説明されるようですが、この映画は高校生のイニョン(イ・レ)ちゃんと、彼女が通っている芸術学院の完璧主義の先生ソラ(チン・ソヨン)さんのこころの距離というかが、まさに、「ケンチャナヨ。」から「ケンチャナ!」へと深まっていく経緯を、あたたかく、実にコミカルに描いていて拍手!拍手!でした。 筋書きというか、ストーリというかは新しいわけではありません。ただ、それぞれの人物の描き方があたたかいのがいいですね。 それと、映画の舞台がソウル芸術学院舞踊学科で、そこに集まる高校生くらいの生徒さんたちとその先生という設定なので、韓国の伝統舞踊の練習シーンや舞台シーンが繰り返されます。韓国の宮廷舞踊が群舞として紹介されているわけですね。ボクにはそこが面白かったですね。 衣装や小道具、手足の動き、ヨーロッパのダンスとも、最近ブームの日本の集団ダンスとも、ひと味、ふた味ちがう身体性というか動きが印象的で楽しかったですね。拍手! で、女性ばっかり登場するなかで、なぜか薬局の薬剤師というおニーさん、ドンウクくん役のソン・ソックさんと、主人公に心を寄せる同級生のドユンくんのイ・ジョンハ君とか、コミカルでよかったですね。拍手! もちろん、主人公役のイ・レちゃんもなかなかでしたし、ソラさんを演じるチン・ソヨンさん、ぼくとしては珍しいことですが、お名前を覚えてしまいそうです。拍手! キム・ヘヨンという監督さん、こういう何でもないけど、ちょっとイイネ!という、見ていて楽しい作品、今後も期待しますね。拍手!監督 キム・へヨン製作 ソン・ウォンソク撮影 イ・ソクミン美術 キム・スンギョン編集 イ・ガンヒ音楽 キム・ジュンソクキャストイ・レ(イニョン)チン・ソヨン(ソラ)チョン・スビン(ナリ)イ・ジョンハ(ドユン)ソン・ソック(ドンウク)2023年・102分・G・韓国英題「It's Okay!」2026・04・18・no070・キノシネマ神戸国際no62追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.24
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ブラッドリー・クーパー「これって生きてる?」シネリーブル神戸 なんだか久しぶりのアメリカ映画でした。ヒューマン・コメディじゃないかという見当で、楽しい話が見たくて見ました。 ブラッドリー・クーパーという監督の「これって生きてる?」です。 煮詰まった中年夫婦の和解というか、お互いの再発見というかを描きたかったんだろうと思いますが、ハズレ!(笑)でした。 配偶者のテスさんとの、何だかありきたりな行き詰まりの中で、主人公のアレックスくんが、偶然というか、突如というか、スタンダップ・コメディアンとして舞台に立って、しゃべくりまくるというのが映画の設定なのですが、このコメディアンぶりのレベルが低すぎるんですよね。それって、アレックスくんの振り返りというか、自己凝視というかが浅いってことになりません?それはテスさんのバレーボールも一緒で、なんか違うんですよね。 イイ人を描きたいのはわかるのですが、あんまりでした。 まあ、それ以上いうことはありません。 これって、40代とかの方が見て、どこかリアルがあるんでしょうかね。それぞれの地味な生活の方が、よっぽどリアルで、哀しいんじゃないでしょうかね。 監督・製作・脚本 ブラッドリー・クーパー製作 ウェストン・ミドルトン クリス・サイキエル ウィル・アーネット脚本 ウィル・アーネット マーク・チャペル撮影 マシュー・リバティーク編集 チャーリー・グリーン音楽 ジェームズ・ニューベリーキャストウィル・アーネット(アレックス・ノヴァク)ローラ・ダーン(テス・ノヴァク)アンドラ・デイ(クリスティーン)ブラッドリー・クーパー(ボールズ)エイミー・セダリスショーン・ヘイズクリスティーン・エバーソールアラン・ハインズスコット・アイスノーグル2025年・120分・G・アメリカ原題「Is This Thing On?」2026・04・21・no074・シネリーブル神戸no374追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.23
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前田実香「旧グッゲンハイム邸裏長屋」元町映画館 題名に旧グッゲンハイム邸とあって、気になりました。毎日のように垂水から神戸、元町あたりまでJRに乗っています。塩屋駅を過ぎて須磨の海岸あたりに差し掛かると見えてくるのがグッゲンハイム邸ですね。「あそこって、アパートがあるんや?!」 まあ、そういう興味です(笑)。 で、見て、感心しました。見たのは前田実香という監督さんが仲間の方とおつくりになったらしい「旧グッゲンハイム邸裏長屋」という作品です。 最初に日記をつけているせぞちゃんという女性が映し出されて映画の輪郭が暗示されています。海辺の洋館の裏にある古びた木造の長屋。 せぞちゃんが記録しているのは、そこで暮らしている人たちの日々の出来事ですね。ドキュメンタリィーふうですが、ドラマでした。 出発する人、立ちよる人、たどり着いた人。みんなが集まって坐れる食卓があって、海が見えるテラスがあって、失恋したオネーさんがフテ寝する部屋のベッドがあります。ギターをボロンボロンと弾く青年がいて、その音がその場をのんびり支えている感じがとてもよかった。「ああ、若いなあ、神戸やなあ…」 そんな気分が自然と浮かんできて、なんだか懐かしい映画でした。 「日記」に書かれているのは、だから、今、目の前のシーンとして映し出されている出来事は、裏長屋で暮らしている若い人たちの日々の記録なのですが、見ているボクは、グッゲンハイム邸という建物のというか、いや、神戸という街のというかの記憶というか、思い出というかに浸っていました。 神戸という街で暮らし始めて50年が過ぎました。塩屋のグッゲンハイム邸なんて、前を通ったことはありますが行ったことはありません。にもかかわらず、そこで暮らす若い人たちの姿を見ながら、神戸そのものを思い出させるところが、ボクにとっての、この映画の凄さでした。拍手! 元町映画館では、この作品とセットで「BETWEEN YESTERDAY&TOMORROW」という、1作5分というドキュメンタリィーの連作を上映してくれていましたが、これもよかったですね。こちらは、もろに神戸の街の記憶で、何ともいえない懐かしさに浸りました。拍手! 監督・脚本 前田実香撮影 岡山佳弘録音 趙拿榮編集 武田峻彦音楽 popoキャスト清造理英子門田敏子川瀬葉月藤原亜紀谷謙作平野拓也今村優花ガブリエル・スティーブンスエミ渡邉彬之有井大智津田翔志朗山本信記2020年・62分・G・日本2026・04・20・no072・元町映画館no358追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.22
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イド・フルーク「1975年のケルン・コンサート」シネリーブル神戸 チラシのキース・ジャレットという名前というか、1975・ケルン・コンサートというかを見て「まあ、とりあえず、これは見なきゃ。」 で、懐かしさのせいでしょうか、ドキドキしながら見ました。 楽しかったですね。見たのはイド・フルークという監督の「1975年のケルン・コンサート」です。 最近、「ブルー・ジャイアント」というジャズ・マンガにハマっていますが、あれと同じジャズネタですね。まあ、こちらは実話らしくて、なんといっても、あの、ケルン・コンサートの内幕!ですからね。「へえ・・・そうだったの!」なわけで、なんで、そんなにドキドキしたり、感心するかというと、1975年のキース・ジャレットって、別に、コンサートに行ったことがあるわけでもありませんが、50年も経ってしまった今でも、なぜか、リアルタイム体験記憶なんですよね。 映画の中で、主人公で高校生のヴェラちゃんがジャレットの演奏を聴いて、かぶれてしまうシーンがありますが、あれって、実体験な感じなのですよね。もちろん、レコードなんですけど、ああ、断っておきますがCDとか、DVDとかじゃありませんよ。もちろん、何とかチューブなんかでもありません、LPレコードね(笑)。 6畳の下宿でヘッドホンかぶってレコードを聴いていたわけですが、今でも、何となくその時の音と、その音にボーっとしていた自分が思い出せそうなんですよね。 その当時、そういうタイプの大学生ってたくさんいたんです。「これいいよ!」とか、「これ持ってる?」とか、ボソボソ言い合って、で、そういうやつに誘われて、ジャズなんて聞いたこともなかった田舎者が暗いジャズ喫茶にたむろしたりしていたわけです。 この映画、封切られたのは先週ですが、えらく人気だったようです。1週間後の映画館でも、結構な入りでしたが、年寄りばっかりですね。で、あのころ20代だった方たちが、後期高齢者の一歩手間あたりなんですけど、なぜ、この映画にいらっしゃっているか、ホント、よくわかる気がするんですけど、多分、半分以上の人はガッカリなさったでしょうね(笑)。だって、若いオネーチャンのファイト映画!ですもん。キース・ジャレットの音なんて10分も聴こえてきませんから。 でも、ボクは面白かったですね。もちろん50年前の思い出に浸れたという理由もありますけど、主人公のヴェラちゃんのわけわからない突進ぶりが、キース・ジャレットの音楽にかぶれてしまっていたパワーで描かれていたからですね。そこだけは、掛け値なしにリアル!でしたよ。拍手! 見終えて帰って来て調べると、キース・ジャレットさん御存命なのですね。マイルス・デイビスが長生きしたとか思っていましたけど、60歳くらいでしたし。コルトレーンなんて、初めて聴いて感動したときににはもういませんでしたからね。キース・ジャレットは1945年生まれで81歳ですね。お元気なことを祈ります。 映画は、登場人物にジャズのレポーターというか、ジャーナリストを配することで、解説つき的な展開でしたし、ジャレット役のジョン・マガロという人が、結構似ていて笑えました。そういうわけで、イド・フルーク監督にも拍手!でした。監督・脚本 イド・フルーク撮影 イェンス・ハラント美術 ユッタ・フライヤー衣装 オラ・シタスコ編集 アニャ・ジーメンスキャストヴェラ・ブランデス(マーラ・エムデ)キース・ジャレット(ジョン・マガロ)マイケル・ワッツ(マイケル・チャーナス)マンフレート・アイヒャー(アレクサンダー・シェアー)ヴェラの父親(ウルリッヒ・トゥクール)ヴェラの母親(ヨルディス・トリーベル)エノ・トレブスヨルディス・トリーベルダニエル・ベッツスザンネ・ウォルフ2025年・116分・PG12・ドイツ・ポーランド・ベルギー合作原題「Köln 75」2026・04・17・no069・シネリーブル神戸no373追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.21
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高倉台は満開!徘徊日記 2026年4月16日(木) 須磨あたり 新学期2度目の高倉台です。 サクラは散ってしまいましたが、お庭は満開です。これネモフィリアっていうのかな? 新学期ですね。なんか、小学校みたいで笑ってしまいましたが、新入生の人たちが学内見学とかで、先生に引率されて散策なさっていました。 鉢植えのガーベラ(?)。ここの丘の上の学校で学んでいる方たちの笑顔のようです。いや、ほんと、可愛らしいんですよね(笑)。 カモミールっていうんですかね? 手入れが行き届いていて笑顔が集まっている風情がまぶしいです。 ボクはこの青い花が好きですけど。どの花も、お名前を覚えるのが大変です(笑)。追記2026・04・22 この青い花はネモフィラだそうです。記事を読んでくださった方が教えてくださいました。徘徊老人生活が10年近くになって、花の名前とかいいかげんになってしまっています。最初は「身近な自然の観察図鑑」(ちくま新書)とか、繰り返し見ていたんですけど、困ったものですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.20
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ブランドン・クレーマー「ホールディング・リアット」元町映画館 神戸では元町映画館が、昨日4月18日(土)から1週間限定!の予定で上映しています。昨年のベルリン映画祭で最優秀ドキュメンタリィー賞だった作品です。 今日は、いつもは出かけない日曜日ですが「なにはともあれ、見てみよう!」 まあ、そういう気分で、朝の10時に駆け付けました。 ブランドン・クレーマー監督の「ホールディング・リアット」です。 2023年、10月7日、ハマスの武装部隊によるイスラエル襲撃に際して、人質として誘拐拉致された、アメリカとイスラエルの国籍を持ち、襲撃されたキブツに暮していた女性、リアット・ベイニン・アツィリさんと、そのご家族を事件直後から撮り続けたすばらしいドキュメンタリィーでした。 復讐ではなく人間性への道を示し、フェンスの向こうを見据え、隣人を殺すのではなく慈しむよう私たちに問いかける作品 ペトラ・コスタというベルリン映画祭の審査委員長のことばです。映画は、圧倒的に不幸な現実を映し出していましたが、見終えたボクには、このことば以上の感想も、説明も、できません。心から納得、共感しました。 この事件以降、ガザに対する虐殺というほかない攻撃を続けながら、ハマス=テロリスト=悪というレッテルによる自己正当化の宣伝に奔走する政治家たちが、襲撃で夫を失い、自らも人質として誘拐されたリアットさんによって、どのように批判されているか、実に、衝撃的でした。 事件直後から撮り続けている監督、製作者もスゴイですが、彼女自身、そして彼女のご家族の筋の通った発言や行動にも唸りました。拍手! ガザへの空爆が始まったころから、関心は持ち続けていたのですが、イスラエルという国で生きている人の「殺すな!」の叫びを聞くのは初めての経験で強く打たれました。 できれば、若い人たちに見てほしい作品ですね。拍手!監督 ブランドン・クレーマー製作 ランス・クレーマー ダーレン・アロノフスキー ヨニ・ブルック ジャスティン・A・ゴンサウベス アリ・ハンデル撮影 ヨニ・ブルック編集 ジェフ・ギルバート音楽 ジョーダン・ダイクストラキャストリアット・ベイニン・アツィリイェフダ・ベイニンハーヤ・ベイニンジョエル・ベイニンタル・ベイニンアビブ・アツィリネッタ・アツィリオフリ・アツィリアヤ・アツィリ2025年・97分・アメリカ原題「Holding Liat」2026・04・19・no071・元町映画館no357追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.20
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「神戸の元町でイペ、咲いてますよ!」 徘徊日記 2026年4月17日(金)元町あたり 神戸元町の鯉川筋です。 JR元町駅前から大丸前の交差点にかけてイペという、南米由来の並木が数本植わっています。今、満開というか、見頃です。 サクラやモクレンが、ほぼ終わったころに、当たり前ですが、毎年咲きます。黄色い花で、サクラとはまた趣が違う、ちょっとエキゾチックな風情があります。ボクはスキです。 元町駅前のベンチのまわりとか、大丸前の交差点の木が、ちょうど満開です。 近くによってアップするとこんな感じの花です。 この花が終わると、徘徊も汗ばむ季節になります。 取り急ぎのお知らせです。みなさんもぜひご覧になってくださいね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.19
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リュドミラ・ウリツカヤ「それぞれの少女時代」(沼野恭子訳・群像社) 「子供時代」(新潮クレストブックス)、「緑の天幕」(新潮クレストブックス)、「ソーネチカ」(新潮クレストブックス)と読み継いできたリュドミラ・ウリツカヤですが、今回は「それぞれの少女時代」(沼野恭子訳・群像社)です。 下に目次を貼りました。全部で6篇の作品集です。主人公はすべて少女です。 「他人の子」と「捨て子」という冒頭の2作はガヤーネとヴィクトリヤという双子の姉妹のお話ですが、残りの4作は、それぞれの作品に同じ名前の人物が出てくることもあって、誰が主人公というふうに言い切れない登場の仕方です。 4作目に「その年」とありますが、1953年、あのスターリンが死んだ年です。三月二日というのは、彼の命日は三月五日ですから、その二日前が舞台です。 この本にまとめられた6作は、それぞれ、今から70年ほど昔、10代の半ばだった少女たちのお話です。ウリツカヤという作家は1943年生まれで、2026年現在、83歳で御存命の方ですが、登場人物たちは彼女とほぼ同い年、付け加えればボクより10歳ほど年上で、1950年代のソビエト・ロシアで暮らした少女たち。 ボクはという関心の持ち方ですが、そのあたりのことも気になって興味深く読み終えました。 読みながら引き込まれるのはこんなところでした。 この時代には根強い習慣というものが出来上がっていて、タタール人はタタール人と仲良くなり、成績が中くらいの生徒は中くらいの子と、医者の子供は医者の子供と仲良くなった。ユダヤ人医師の子となると、なおさらそうだった。こんなくだらない、おかしなカースト制度は、古代インドにだってなかっただろうに。リーリャは友だちができず、ひとりぼっちだった。近所に住んでいるターニャ・コーガンはユダヤ人の医者の子だけれど、両親が、新年までという予定でリガの親戚の家に遣ってしまったので、この二ヵ月本当につらかった。 ふいに笑い声が湧き起こったり、騒がしくなったり、ひそひそ声が聞こえてきたりすると、リーリャはどれも自分に向けられているような気がした。何か暗いざわざわ、ジュージューという音がまわりで聞こえると、褐色の虫(ジューク)のような「ジ」の音が「ユダヤ人(ジード)という言葉から這いだしてきたのではないかと思った。それになんといっても一番つらいのは、この暗くてべとべとして松ヤニのようなものが、自分の苗字「ジジモルスカヤ」や、曾祖父アーロンや、皮の匂いのする曾祖父の本や、蜂蜜やシナモンの東洋的な匂いや、曾祖父の寝ている部屋の左側の隅を照らしいつも曾祖父を包んでいる金色の光と無縁ではないらしいということだった。(P116「その年の3月2日・・・」) 革命後のロシアという社会におけるユダヤ人の生活という、小説の時代、社会における背景が描かれている、こういうところですね。 ボクがロシアの小説とか映画とかに惹かれる理由の一つはドストエフスキーやチェーホフが描いてきた帝政だったロシアという社会が、革命によってどう変わったのかという関心に始まっています。たとえば、若い頃のボクがロシア革命で最も興味をひかれた革命家トロツキーはユダヤ人でしたね。で、彼の暗殺に奔走したスターリンはグルジア出身です。今のポーランド、ウクライナからグルジアあたりというのはシオニズムという思想の生まれたところだったと思いますが、興味を惹かれるのはソビエト・ロシアという社会でのユダヤ人の暮らしですね。 今では、プーチンのロシア共和国の弾圧を逃れてドイツに亡命しているウリツカヤという、この女性作家はユダヤ系に限らず、様々な出身地を故郷にする子供たちの暮らしを繰り返し描いています。そこが面白いですね。 まあ、ちょっとズレた読みかたかもしれませんが(笑)。目次他人の子 捨て子 奇跡のような凄腕 その年の三月二日・・・・・風疹 かわいそうで幸せなターニカ訳者あとがき2026-no043-1258 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.18
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マーシャ・シリンスキ「落下音」シネリーブル神戸 なんとなくなんですけど、予告が出始めてから気になっていて、でも、暗そうやなあ・・・ まあ、ちょっと二の足を踏んでいたんですが、見ました。マーシャ・シリンスキという、ドイツの若い女性監督のようですが、彼女の「落下音」です。 1910年から、現代、スマホとか出てきますから、2020年代でしょうね、その100年間という時間を、4人の少女とその家族を登場させることで「叙事詩」のように描こうという作品でした。「北ドイツの農場、四つの時代、四人の少女。百年にわたる怪奇譚」 まあ、それがチラシのことばでした。ボクが鈍いのかもしれませんが、どこがどう怪奇なのか?という以前に、なにを叙事したいのか?にたどり着けないお尻が痛くなる作品でした。 下に入場の際に配られた「キャラクター・チャート」というカードを貼りましたが、これを見て復習してもボクにはこの作品が何を表現していたのかよくわかりませんでしたね。 この、若い女性監督が意図していることは、何となくですが理解できるのです。プロット、プロットには印象的なシーンもたくさんあって、まあ、それを楽しんでいればいいのかもなのですが、映画として一つながりに見えてくるはずの「何か」にたどり着くことができませんでした。多分、監督が意図的に挿入している「落下音」が、ただの雑音にしか聞こえませんでした。そのあたりがザンネン!でしたね。 老婆の手とか、じっと見る少女の眼差し、あやふやな表情、笑えない母、広大な麦畑、迫りくるコンバイン、いいシーンはたくさんあったんですけどねえ(笑)。 なんか、悪口ばかり並べましたが、映画は、1910年から1980年にかけてのドイツ、第一次世界大戦から、ナチス時代を経て、東西に分割され、壁が崩壊するまでのドイツ、そしてそれから30年後の今に至る100年を、多分、同じ屋敷に暮らした4人の少女の眼差しによって描こうとしていたように思いました。 たとえば、映画はこの系図で1940年代に登場しているエリカという女性が片足のない叔父の部屋をのぞくシーンから始まるのですが、それは1910年に両親によって足を切断されたフリッツという青年の30年後の出来事ですが、兄が足を切り落とされるシーンを見ていたのは妹のアルマです。で、その後のアルマやエリカの運命。エリカの姉の「笑えない女性」イルムの人生。イルムの娘アンゲリカ、アンゲリカの行方。そのアンゲリカの娘であるらしいクリスタ、クリスタの娘ネリーとレンカ。女性たちの、多分、その時代を、その時代を生きた姿は、ひょっとしたらドイツの方がご覧になればリアルに浮かぶのかもしれません。しかし、ボクにはそれぞれの時代と社会という背景を思い浮かべることが難しかったですね。 まあ、こういう日もあるということですね。マイッタ、マイッタ(笑)。 監督・脚本 マーシャ・シリンスキ脚本 ルイーズ・ピーター撮影 ファビアン・ガンパー美術 コジマ・フェレンツァー衣装 サブリナ・クラーマー編集 エベリン・ラック音楽 ミヒャエル・フィードラー アイケ・ホーゼンフェルトキャストハンナ・ヘクト(アルマ1910年代)レア・ドリンダ(エリカ1940年代/戦後)レーナ・ウルゼンドフスキー(アンゲリカ 1980年代/ドイツ民主共和国)レニ・ガイゼラー(レンカ現代)スザンネ・ベストルイーゼ・ハイヤークラウディア・ガイスラー=バーディングリュカ・プリゾ2025年・155分・PG12・ドイツ原題「In die Sonne schauen」2026・04・13・no068・シネリーブル神戸no372追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.17
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赤染晶子「じゃむパンの日」(palmbooks) 高橋源一郎の「不適切ってなんだっけ」だったと思いますが、とにかく彼の本で紹介されていて、初めて読んだ作家です。 若くして亡くなったらしい彼女の文業に注目した「palmbooks」という出版社が遺された文章を集めて出版したのがこの本のようです。市民図書館で借りだして一読、驚嘆でした。読んだのは、エッセイ集と銘打たれている「じゃむパンの日」(palmbooks)でした。 あれこれいってもうまくいえません。とりあえず、実例です。 何くそっ! 婆さまに好きな言葉は何と聞く。 「何くそっ!」 大正十一年生まれの婆様が言う。婆さまはずっと洋裁をしてきた。 「何くそっ!と思って、うちは仕事するねん。」 婆さまは洋裁一筋だ。若い時は猛烈に働いた。電車に乗ってもバスに乗っても縫い物の手を休めない。便秘の時は便所にいても針を動かす。デパートに行く時はスケッチブックを持って行った。マネキンの着ている流行りの洋服を片っ端からスケッチする。人が止めてもやめない。鼻息がふんふん荒い。いつもがむしゃらだ。何くそっ!何くそっ!ミシンを踏み続ける。ガラス障子ががたがた震える。何くそっ!何くそっ! 婆さま、一体、どうしてだ?婆さまの父親は若い時に死んだ。婆さまの母親は目が見えなかった。婆さまは母親の手をひいて通りを歩く。石が飛ぶ。心ない言葉が飛ぶ。婆さまは洋裁で家計を支える。婆さまもぐっすり眠った日がある。父親の三味線が鳴った日だ。婆さまの父親は三味線の名人だった。子供だった婆さまにも三味線を教えた。婆さまはちっとも覚えなかった。稽古が始まった途端、居眠りをしてしまう。ぴんしゃん・ぴんしゃん。父親の三味線が鳴る。婆さまはうとうと眠る。稽古が終わるまで、ぐっすり眠る。 「父ちゃんの三味線はそれほど上手やった。」 その父親が死んで、婆さまは眠らなくなった。もう三味線は聞こえない。何くそっ!何くそっ!あの日から、婆さまはミシンを踏む。何くそっ!何くそっ!わたしは父ちゃんの三味線が鳴るまで眠らない。何くそっ!何くそっ!そうやって、生きてきた。 婆さまは年をとった。よく眠るようになった。夜は早く寝る。昼間もよく寝る。「父ちゃんの夢、見るねん。」ぴんしゃん・ぴんしゃん。父ちゃんの三味線が鳴る。父ちゃんの歌も聞こえる。 ♪高い山から! 婆さまは口ずさむ。そこから先は歌えない。知らない。居眠りしていた。「生まれ変わったら、三味線弾きになる。」 そんな事を言いながら、またミシンを踏む。パンタロンを縫っている。婆さまは明日の敬老会にそのパンタロンをはいて行く。(P69) 生前、エッセイとして京都新聞に掲載された文章のようです。 この人、どんな小説を書いたのだろう? まあ、そう思わずにはいられない文章です。エッセイの客観性を装って書かれていますが、「何くそっ!」ということばは作家のなかから響いてくるとしか、ボクには感じられません。これは、短いですが、「小説」ですね。 はい、もちろん、彼女の「小説」と銘打たれた作品も読みたいと思います。読むことが出来たら、また、案内すると思いますよ。2026-no041-1256追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.16
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安楽涼「ライフテープ」元町映画館 元町映画館にかかる邦画、特にドキュメンタリィーは信用しています。で、今日は見るものがないなっという気分でこの映画にやってきましたし。客は数人しかいませんでしたが映画はズシン!と胸に来る傑作でした。 「メンケス病」という大病の息子さんとともに生きていらっしゃるご夫婦の姿を、そのまんま映しているドキュメンタリィーでした。 70歳を過ぎて、何となく目的もなく生きていることと軽佻浮薄な世相に少々疲れている老人に「命があるかぎり、マジメに生きなあかんよ!」 そんなふうに、やさしく、いや、厳しくかな、声を掛けられた気持ちになる作品でした。あんまり力んでいうと老いの繰り言になってしまいそうですが、こんな、映画、そうそうありませんよ。拍手!です。 映像には、赤ん坊の笑顔を、そのまま喜びとするおかあさんとおとうさんのすがたが映っています。こんなふうにいうと、そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、生きているということの歓びを、この映画のフィルムのように笑顔をとしてあらわすことを、はたして、当たり前の生活として、ボクたちは送っているでしょうか。 監督の安楽涼さんが「沢山の人が3人に出会ってくれたらうれしいです。」 チラシにそう書いていらっしゃる言葉に深くうなづく作品でした。 評判とか、宣伝とかのせいもあるのかもしれませんが、お客さんが少なかったことが残念でなりません。今、ここに生きている三人の笑顔! 皆さん、是非、出会ってみてください。2025年・101分・G・日本 東風監督・編集・撮影 安楽涼音楽 RYUICHIキャスト隆一(父 ダンサー)2026・04・14・no069・元町映画館no356追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.15
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クロエ・ジャオ「ハムネット」シネリーブル神戸 お友達の入口君から「ハムネットやるみたいやけど、いく?」というお誘いでした。ハムネット?ハムレットと違うの? そんな疑問が湧いてくる題名でしたが、なんといっても入口君のお誘いです。彼は学生時代から50年のお付き合いですが、今では、どこかの大学で「演劇学」とかを教えていらっしゃる、その道のプロです。先日もNHKだかのテレビに登場して歌舞伎の解説とかしているのを見てわせてもらいましたが、その彼からのおことばですからね(笑)。「もちろん!」 二つ返事で一緒に見たのがクロエ・ジャオ監督の「ハムネット」です。 ちなみに「ハムネット」と「ハムレット」は同じ名前だそうです。映画が始まった途端にクレジットが出てました。「どうやった?」「奥さんのアグネスの最後の笑顔がすごくよかった。」「ボクは、イギリスの劇場が画面に出て来て、まず、鷲摑みやった。あれが出てくると、今でもワクワクする。」「イギリスにも行っとたしなあ。」「うん、もう、30年以上昔やけどね。」「シェークスピア芝居のセリフ、キレイは汚いとか、いろいろ出てくるよね。」「うん、それはマクベスやね。他にも、ずーっとシェイクスピアのいろんな芝居のセリフ。まあ、最後はハムレット。」「その、まあ、ボクでも知ってる、シェークスピアの有名なセリフの組み合わせによるシェイクスピア論いう感じやったね。」「うまいことやってたよなあ。シラケさせへんもんな。」「でも、映画の登場人物いうんやったら、ボクは、アグネスがよかった。最後のシーンで、舞台にしがみついて、わめいて、そこから、フッと浮かぶ笑顔、おーっ!やったなあ。」「ボクは、シェークスピア役のポール・メスカルいう俳優に感心した。」「エッ?そうなん。」「うん、あの役で、あの芝居、かなり達者な俳優やで。」「子供らは?」「上手いよなあ。でもな、あれは映画のワザかもやで。編集できるやろ。舞台で子役のあれは無理やね。みんな見えちゃうから。映画はカットできるやろ。それに、この映画、プロットのカットの仕方が無茶苦茶うまいよね。主役だけじゃなくて、まわりの役の役者が上手い。存在感あって、邪魔にならへん。」「ふーん、ナルホドなあ。でも、ヤクシャ落ち着いていて上手いよね。」「イギリスとかの映画って出て来る俳優、端から端まで、たいてい舞台やってる人やからなあ。」「でも、これって、クロエ・ジャオのシェークスピア像というか、17世紀のシェークスピアちやうよね。」「うん、人物の描き方も現代演劇やね。たとえば少年ハムネット=ジャコビ・ジュプと舞台のハムレット=ノア・ジュプは実の兄弟の俳優をキャストしているとか。」「そう言えば、よく似てた(笑)。若い人が、これ見て、ハムレットってこうやってできたんやと思ったら、ちょっと、間違うよね。」「うん、これはこれやね。」 というわけで、まあ、お互いナカナカな盛り上がりでした。 どのあたりまでが史実かとか、かなり映画製作者か、原作者による創作だと思いますが、なかなか面白い趣向の作品でした。拍手! 監督・製作総指揮・脚本・編集 クロエ・ジャオ製作 リザ・マーシャル ピッパ・ハリス ニコラス・ゴンダ スティーブン・スピルバーグ サム・メンデス製作総指揮 クリスティ・マコスコ・クリーガー ローリー・ボーグ原作 マギー・オファーレル脚本 マギー・オファーレル撮影 ウカシュ・ジャル美術 フィオナ・クロンビー衣装 マウゴシャ・トゥルジャンスカ編集 アフォンソ・ゴンサウベス音楽 マックス・リヒターキャスティング ニナ・ゴールドキャストジェシー・バックリー(アグネス・シェイクスピア 妻)ポール・メスカル(ウィリアム・シェイクスピア)ボディ・レイ・ブレスナック(スザンナ 娘)オリビア・ライン(ジュディス 娘)ジャコビ・ジュプ(ハムネット 息子)ジョー・アルウィン(バーソロミュー アグネスの弟)エミリー・ワトソン(メアリー・アーデン 母)デビッド・ウィルモット(ジョン・シェイクスピア 父)ノア・ジュプ(ハムレット役の役者)2025年・126分・G・イギリス原題「Hamnet」2026・04・11・no067・シネリーブル神戸no371追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.14
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酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社) 今日の案内は河出書房新社の「道徳の系譜」というシリーズの1冊で、今では文庫化されている酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社)です。 同居人が読んでいて面白いというので、市民図書館の本ですが、引き続き借りっぱなしで、映画を見に出かける行き帰りの電車とかバスで読んだ本です。 20年前の出版で、まあ、暴力一般に対する論考で、なんとなく、プーチンあたりの振る舞いの異様さについて、頭を整理できるかなとか思って読み始めたのですが、イスラエルとアメリカによるイラン攻撃という国家テロが起こってしまって、ドンぴしゃり!の本になってしまいました。 最初から「暴力」をめぐっての、いわば歴史的名著の紹介のようなお名前が出てきて、ボクのような70年代に学生だった人間にはなつかしいことかぎりなしなのですが、なんといって面白いのは第2章以降、「セキュリティー」というキーワードをめぐる、現代社会の戦争についての論考ですね。 本書は2004年に出版された本ですから、ここ数年、世界に蔓延する戦争状態についての論考が直接あるわけではありません。第1章はヴァルター・ベンヤミンによる暴力批判論、ガンジーに始まる非暴力の思想あたりから始めて、暴力を行使する人たちの「敵」に対する、だから、アメリカなら差別していた白人による、差別されていた黒人に対する「恐怖」が生まれてくる歴史的過程の例として、キング牧師の「恐怖の治療法」という考え方を紹介しながら検討し、ハンナ・アーレント、ミッシェル・フーコーあたりの「暴力批判論」へと展開します。 で、第2章では、安全に暮らしたい自分たちにとって、正体不明である他者に対しての「恐怖」 そこを煽ることで「セキュリティー」=「安全確保のための暴力」の正当性を当然視して、先制攻撃する、安心するために危険は始末する、という「現代の戦争論」へと展開するのですが、2026年の今、目の前でイスラエルによる、「ハマス」という宗教的政治組織の危険性を理由に繰り返されているガザ地区へのジェノサイド爆撃、アメリカ、イスラエルによる指導者の危険性を理由にした国家テロ行為としか思えない戦争行為を見ていて、この本を読むと、20年前の著書とは思えない、ぼくたちが暮らしている今の現実の暴力に対するリアルな状況説明になっていることに驚きますね。 一般の家庭でも、玄関先に監視カメラを設置するようなセキュリティーの考え方が常識化していますが、カメラで映し出される「不審」の対象に対する判断の主体が誰なのか?ということが、深く考えられているとは思えません。 で、それが国家レベルになったときに、「危険だ」とか、「敵だ」とかいう判断には、実は何の普遍性もない可能性があることを一般市民に忘れさせ、不安をあおる。不安を醸し出すための情報操作が当たり前にできる。まあ、聞くところによるとネットに限らず、公共テレビによる情報内容にも、かなりな偏りがあるそうで、その結果、一部の政治家による暴力肯定論、戦争必要論がまかり通る社会になっている。 なんだか、とても疲れますね。 まあ、現代という社会における「戦争とは何か?」を考え始めるには格好の入門書だと思いました。ちょっと、難しいかもですが、できれば若い人たちに読んでほしい本でした。 一応、目次を貼っておきます。目次第1部 暴力と非暴力第一章 暴力という問題の浮上第二章 暴力と非暴力 第三章 敵対性について第2部 反暴力の地平 主権、セキュリティ、防御第一章 セキュリティ―恐怖と暴力第二章 防御と暴力―「ポスト人民戦争」の政治?2026-no036-1251 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.13
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フィル・ロード クリストファー・ミラー「プロジェクト・ヘイル・メアリー」109シネマズ・ハット 映画好きのお友達たちのおススメもあって見ました。どっちかというと、宇宙人とか出てくる話は苦手。いやそうでもないか、「未知との遭遇」とか、先日見たんですが「UFO少年アブドラジャン」なんていうのも面白がってたし(笑)。 で、今日、見たのはフィル・ロードという人とクリストファー・ミラーというお二人のダブル監督らしい「プロジェクト・ヘイル・メアリー」でした。宇宙人が出てくるようです。さあ、何年くらい先の出来事なのか、まあ、どうせボクはもうおらん世界やし。そういう気分で見ました。ナルホド!でしたね。 面白かったですね。80億人の命をかけた、人類最後の賭け。 まあ、そういう、地球滅亡の危機とか、何十光年とか、「それ、いつのこと?そこ、どこ?」 あれこれ気になってしまう、なにが起こっているのか納得するには、ちょっと大変なお話だったのですが、コメディ仕立てなところがよかったですね。 このチラシの方ですけど、命懸けで宇宙の果てに飛ばされてしまう、地球人グレース君が、中学校だかの理科の先生というところが、まず、可笑しくて、宇宙の果てで出会うエリダヌス座40番星人ロッキー君が、まあ、どう見ても「石」、ひょっとしたら「ヤドカリ」?、いや、やっぱり「石」だというあたりもいいですね。 二人の宇宙人、それぞれ一人ぼっちで「死んでこい!」という、考えてみれば特攻隊みたいなひどい設定なのですが、グレース君もロッキー君も、会話や行動を聞いたり見たりするかぎり、あほ・バカ、オモシロ・カナシイというキャラ仕立て! うまいもんだと思いました。拍手! ネット上で見つけたチラシですが、この宇宙船がヘイル・メアリーさんなんですよね。地球を出発したときには乗組員が3人だったのですが、航海の途中で船長と航海士の二人が死んでしまって、宇宙船のなかというか、画面には、グレースくんとヘイル・メアリーさんの二人ボッチ、メアリーさんの指示で動くグレースくんという始まりを見ながら思ったのですが、「なんで、そこに人間がいる必要があるのか?」 でしたね。 SFファンというか、コンピュータゲームとかお好きな人とかには当たり前の設定なのでしょうが・・・。 映画は、案外、古典的なヒューマンドラマだった印象で、面白かったのですが、これからどんな時代が来るのでしょうね。監督 フィル・ロード クリストファー・ミラー原作 アンディ・ウィアー脚本 ドリュー・ゴダード撮影 グレイグ・フレイザー美術 チャールズ・ウッド衣装 デビッド・クロスマン グリン・ディロン編集 ジョエル・ネグロン音楽 ダニエル・ペンバートンキャストライアン・ゴズリング(ライランド・グレース)ザンドラ・ヒュラー(エヴァ・ストラット プロジェクト主任)ライオネル・ボイス(カール プロジェクト構成員)ケン・レオン(ヤオ・リー=ジエ 乗組員)ミラーナ・バイントゥルーブ(オリーシャ・イリュヒナ 乗組員)ジェームズ・オルティス(ロッキー声 宇宙人)2026年・156分・G・アメリカ原題「Project Hail Mary」2026・04・10・no066・109シネマズ・ハットno80追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.12
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ティム・ミーランツ「決断するとき」キノシネマ神戸国際 これがどこの映画であるかとか、なにを描いているのかとか、まったく知らないで、チラシの男性の顏をなんとなく覚えているという、ただ、それだけの興味で見はじめて、しばらくは、なにが起こっているのかわからないまま、後半に入って、修道女が主人公に大金を渡すあたりで、漸く輪郭が判り始めて、見終えて唸りました! 見たのはティム・ミーランツという、たぶん、アイルランドの監督の「決断するとき」でした。 ボクが唸ったのは、悩みに悩んだ主人公ビル・ファーロングの悩みに悩んだ末の「決断」のこころの奥を、ほとんど喋らない無口で、無表情な顔と、「手を洗う」シーンで描いて見せた映画作法の卓抜さと、それを見事に演じてみせているキリアン・マーフィーという役者さんのお芝居が、まず、ボク好みであった!ことが理由です。 加えていえば、ラストシーンの描き方も、お見事!というしかありませんでしたね。 実に抑制が効いていて、働き者の生活者である主人公の苦悩の「決断」を、実にリアルに静かに表現して暗転だったところです。 そういえば、ビルを演じているこの方、まあ、気づくのが遅いですが、クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」でお出会いしたことがあったんですね。演技のレベルの高さは、ボクなんかがいう必要はありませんね。向こうの方はキリアン・マーフィーという名前を聞けば誰もがうなづく名優なんです、きっと(笑)。 で、しかし、唸りながら、気になったことがありました。というのはこの映画の背景でした。1980年代のアイルランドが舞台です。調べ始めてみると、迂闊なことに全く知らなかった「マグダレン洗濯所事件」という歴史的事件にたどり着きました。驚きました! 映画の中で石炭屋さんであるビルが、配達に行った修道院の石炭置き場の物陰から目撃したのは修道院という名の強制収容所で起こっている現実だったんですね。「イヤァー・・・・、助けて、パパ!」 修道院に引きずり込もうとする母親の手を振り払い、乗せてきた自動車から出てこない父親を呼んで泣き叫ぶ少女の姿。ドアが開き中から差し出される修道女の手。 見ているボクには、いったい何が起こっているのか、その時には分かりませんでした。「うちの娘たちは大丈夫だから。」 夫ビルを諭すようにいう妻アイリーンのこのことばの意味も。 で、この美しい修道院で行われている強制収容の事実と、その街に暮らす、善意に溢れる人たち誰もがそのことを知っているという事実が浮かび始めて仰天でした。 ビルが考え込んでいる理由、しきりに汚れた手を洗いたがっている描写、「マグダレン洗濯所っていう話、知ってた?」「具体的にはよく知らないけど、ジュディ・デンチが子供を取り上げられて、その子の行方を探すっていう、あなたを抱きしめる日までとかって映画で見たわよ。」「知らんかった。あなたを抱きしめる日までか。マグダレンの祈りという映画もあるらしいわ。大事件やったんやな。今日の映画、アイルランドの人が見たら、ようわかるんやろうな。」 で、この作品がクレア・キーガンという、ボクは読んだことがありませんが、巷ではよく読まれているらしい「ほんのささやかなこと」(早川書房)という原作があることも、ようやく気付きました。読むしかないですね。 先日見た「そして彼女たちは」という映画での未婚で出産した女性の姿の描き方も、ヨーロッパのキリスト教社会を背景にしているわけでしょうね。なんだか、しんどい話なのですが・・・・。 それにしてもビルを演じたキリアン・マーフィ、監督のティム・ミーランツには拍手!です。監督 ティム・ミーランツ製作 アラン・モロニー キリアン・マーフィ キャサリン・マギー マット・デイモン ドリュー・ビントン原作 クレア・キーガン脚本 エンダ・ウォルシュ撮影 フランク・バン・デン・エーデン美術 パキー・スミス衣装 アリソン・マコッシュ編集 アラン・デソバージュ音楽 センヤン・ヤンセンキャストキリアン・マーフィ(ビル・ファーロング)エミリー・ワトソン(シスター・メアリー)アイリーン・ウォルシュ(アイリーン・ファーロング)ザラ・デブリン(サラ・レッドモンド)ミシェル・フェアリー(ウィルソン)クレア・ダン(シスター・カーメル)ヘレン・ビーハン(ケホー)2024年・96分・G・アイルランド・ベルギー合作原題「Small Things Like These」2026・04・06・no064・キノシネマ神戸国際no61追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.11
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高倉台も満開!徘徊日記 2026年4月9日(木) 須磨あたり お久しぶりの、須磨、高倉台です。今年も満開でした! 曇り空が残念です。 今年で、ここに来るのは9年目でしょうか。毎年、毎年、桜の木は少しづつ大きくなりました。見上げると、やっぱりシミジミしてしまいますね(笑)。 思えば、あっという間ですが、けっこうたくさんの楽しい出会いもありました。親切で、素直で、マジメな女性たちが学んでいらっしゃる美しい学校です。 バスを降りて歩きながら来年も、このサクラを見ることができればいいなあ・・・ まあ、そういう気持ちの2026年春の初仕事でした。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.11
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キム・ジョンウン「ギョンアの娘」元町映画館 内容はまったく知りませんでしたし、監督とか主演の女優さんについても知りませんでしたが、前日、冬ソナを見たばかりということもあって、韓国の家庭ドラマ?! という興味で見ました。 見たのはキム・ジョンウンという女性の監督の「ギョンアの娘」です。 酒乱で暴力を振るう夫に耐えながら、一人娘を育てた母親ギョンアと、父の暴力にされるがままの母を、かばいながらも、母とは違う道を生きようと教員の仕事につき、自立しようとした娘ヨンス。そのヨンスが元カレから、こういうのをリベンジポルノとか、デジタルタトゥーというのだと初めて知りましたが、二人の性的関係の場面をネット上に拡散されるという被害にあうわけですが、一世代古い母親は被害者である娘を叱り飛ばすというような反応しかできないし、娘は娘で母親のそういう態度が、かつての暴力家庭の残像のようにしか受け取れない。 万事休すの母娘関係なのですが、見ているこちらには、実にリアルな関係として受け取れるわけで、この監督の力量というか、視点の深さには拍手!でした。 親と子というのは、違う時代に生きているんですね。で、そのことに気づけないのは、案外、わかっているつもりの親のほうなんですね。 この映画では、酒乱の父親の妻として暮らしている母と、その母のもとで成長した娘の、それぞれの「生き方」のギャップが焦点化されていたと思いますが、最終的に母と娘が抱き合って和解するのではなくて、ギョンアとヨンス、母と娘がそれぞれの道を歩くことで未来の可能性を描こうとしているラストシーンは、どちらかというと、ギョンアの世代であるボクなんかには、少々苦いものがありますが、今という時代の価値観の表層化、普遍的なこれというものを失っている現代という社会を描く表現としては納得でした。 それにしても、リベンジポルノだか、なんだかよく知りませんが、この手の人間は、まあ、本来、ボクは死刑とか反対なのですが、問答無用で焼いた方がいいですね。いや、ホント、いやな時代です。 監督 キム・ジョンウンキャストキム・ジョンヨン(ギョンア 母)ハ・ユンギョン(ヨンス 娘)パク・ヘジンサンヒョンキム・ウギョムイ・チェギョンチェ・ヒジンイ・ジハ2022年・119分・G・韓国英題「Gyeong-ah's Daughter」2026・04・08・no065・元町映画館no355追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.10
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ユン・ソクホ「冬のソナタ 日本特別版」109シネマズ・ハット ブームから20年。遅れてきた韓流ファンです。冬ソナって全く知りません。映画館でやるというのでとびつきました(笑)。「冬ソナ、109でやってんねん。見てくるわ。」「えーっ、誰でも知ってるやん」「ボク知らんし。」「ヨン様っていうねん、男前きらいちゃうのん?チョーメロドラマやでえー!」「女優さんは?」「三食ご飯に出て来てはるやん、チェ・ジュウさんやん。」「アッ、その人好きかも。」 で、見ました。ユン・ソクホ監督の「冬のソナタ 日本特別版」です。 今さら、冬ソナかよ!? なのですが、何がそんなにウケたのか、見ないであれこれいっても始まりませんからね。一度は見ておかなくっちゃあ! まあ、そういう気分です。 ビックリです。映画館は予想に反して老人カップル数組でガラガラで、最後列のお気に入りの席に陣取ったったんですが、なんでそうなるのか、自分でも理解できませんでしたが、始まりから終わりまで泣きっぱなしでした。 高校生とは思えないチェ・ジュウさんの登場から、もう、ウルウルなんですね。初めて見てですよ。で、そこから、最後の再会までずっと涙がとまりませんでした。BGMで書きたてられてるんですかね?いや。ほんと、アホですね(笑)。 まあ、それはないやろの、ベタな筋書きなのですが、なんでこんなに泣けるんでしょうね。そういうわけで、今後、ボクの合言葉はポラリス!ですね。 帰宅して、正直にカンドー、落涙を報告すると、「アホちゃう!」の一言でした。はい、ボクはアホです! 「三食ご飯」とかいうお気に入りの韓国のテレビのバラエティ番組でお気に入りのチェ・ジュウさんの、美人なのですが、ちょっとだけぬけてる可愛らしさ、だって、彼女、番組では。皆さんを笑わせながらキムチ漬けていらっしゃったし、何となく、その辺にいらっしゃる気がする雰囲気の女優さんですよね。まあ、そのあたりがポイントなのでしょうか。 ちなみに、彼女は今年50歳で、2002年にこの役を演じられたときには27歳、道理で、とても高校生には見えないんですけど、どうでもいいですね(笑)。ともかくも、チェ・ジュウさんに拍手! ついでといっては叱られそうですが、男前は嫌いなのですがペ・ヨンジュンさんにも拍手!でした。 なんで、そんなに流行ったのかが知りたくて見たつもりでしたが、すっかり引っ張り込まれて、ホロホロ、ドキドキ、でした。ナルホドなあ、韓流か、ハヤルわなあ。 この、ありえないメロドラマに、この年になってしてやられてしまって、何とも言葉がありません。ユン・ソクホ監督、音楽を担当されたイ・ジスさんに拍手! でも、どこか照れくさくて笑っちゃいますね。監督 ユン・ソクホ音楽 イ・ジスキャストペ・ヨンジュン(カン・チュンサン/イ・ミニョン)チェ・ジウ(チョン・ユジン)パク・ヨンハ(キム・サンヒョク)パク・ソルミ(オ・チェリン)2025年・128分・G・韓国英題「Winter Sonata」2026・04・07・no064・109シネマズ・ハットno79追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.09
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「詩 たのしいライト・ヴァース 日本編」(河出書房新社)こんな本あるよ! まあ、そういう気分です。一年ほど前に「詩 たのしいライト・ヴァース 世界編」(河出書房新社)を案内しましたが、今日は「詩 たのしいライト・ヴァース 日本編」(河出書房新社)です。市民図書館の新刊の棚で見つけました。1 煖炉棚上陳列品一覧 谷川俊太郎編2 動物園の珍しい動物 金関寿夫編3 いどの中 岸田今日子編4 とひとひ 雨あがり 浜田義一郎編 こんな目次で240ページ余り、何篇の作品が入っているのか数えきれません。編者の谷川俊太郎さんと岸田衿子さんは詩人、金関寿夫さんは英文学者、濱田義一郎さんは狂歌とか川柳、まあ、江戸文学の研究者です。 ボクが、いま、手にしているのは2025年の新刊本ですが、原本は1980年、81年に書肆山田という本屋さんから出された「日本のライトヴァース1~4」を、1冊にまとめて復刊した本です。 「ああ、やっぱりそうだよな・・・」 そんな、ため息が出てしまいますが、編集なさった4人の方たちはもうこの世にはいらっしゃいません。 ライト・ヴァースという言葉の意味は前回少し説明したので、今日は実物からです。谷川俊太郎さんが巻頭に選んでいらっしゃるのがこの詩です。 土 藤富保夫土管のなかをのぞいて待っていた遂にゴリラが入ってきた なにがどう可笑しいのかうまくいえませんが…(笑)。で、わかる、わかるがこれ。 意味 川崎洋秋子「オルガンほしいなあ」父 「そのうち買ってやるよ」秋子「どうして そのうちなの」父 「お金ないもん」秋子「お父さんのお金とお母さんのお金といっしょにすればいいじゃない」父、ふんぜんとして、父の稼ぎで家中食べていけるということを説明し・・・父 「・・・だからさ お父さんが原稿を書いて それでお金がきて ね? それをお母さんに渡すんだよ」秋子「くずしてくださいって?」どうしてもわかってくれない 巻末の「いどの中」あとがきで岸田衿子さんがこう書いていらっしゃいます。 お菓子を選ぶのなら自信があるけれど、詩を選ぶなって、とても出来そうにないと思われました。そのくせ、めったにないほど面白いことのようだったので、ついお引き受けしてしまったのです。 「ライト・ヴァース」という言葉の、本当の意味に副っているのか、そもそも私自身、本当の意味が判っているのかどうかについては、この際ちょっと知らん顔をすることにして。 こどもの為に書かれたか、書いたふりをしてあるもの、大人の為に書かれていても、どこかに「こどもごころ」が感じられるもの、笑ってしまうもの、何となく怖いもの、なるべく曲が附いているもの。ただ、あまり歌として有名だと、詩を読んでいても、その向こうに曲が聞こえて来て、純粋な鑑賞を妨げられます。それにあまり大流行したものは、おかしさも少し麻痺してしまうので、ご遠慮することにしました。どんなに好きでも抒情的な詩はいれないことにしようと思っていたのに、見方によってはとてもユーモラスに感じられて、迷ったりしました。 どこか私の知らない所に、きっと、すてきな面白い詩がひそんでいるにちがいないとおもうと、欲が出て来て、箱のふたは未だ閉めたくない気持ちです。けれどもとりあえず、そんなわけで箱の中には、柏もちもマロングラッセも、おせんべもペロペロキャンディも、ピクニックに行く時のように、大事に詰めることにしました。どこで何が食べたくなるか、わかりませんものね。和田誠さんが、どんな楽しい包み紙や仕切りを作って下さるか待ち遠しいし、何度もお買い物につきあって下さった書肆山田さん、ありがとうございました。一九八一年初夏 で、岸田さんがお選びになった作品で、ふふふと笑ったのを一つ。 殺陣師一代 梅本たかし寄らば斬るぞの 大見得も派手な浮名の 影法師花の舞台じゃ あの竹光も抜けば玉散る 氷の刃(やいば)でよ殺陣師一代 殺陣師一代身をきざむ 「なにかしてけつかんねん。 リアリジュームがなんじゃい。 わいにはわいの殺陣があるんや。 今にきっと大向こうを うならして見せたるわい。」チョンと杵の音に 幕が明きゃ意地がもたげる 楽屋うらどうせ捨身の チャンバラ稼業雁が飛んでく 赤城のお山でよ俺の忠治が 俺の忠治が見得をきる 「のんだくれの罰当たりいうて、 みんなに笑われながら、わいは一生を刀にかけて 生きてきたんや。ええか、 ここで一丁わいが忠治の最後の殺陣をつけたるさかいなァ。 見とれよ。これが わいの、わいの、最後の忠治やでェ。」廻り舞台の 宿命(さだめ)ならここが汐時 見きりどき女房すまぬと こころで詫びておとこ一代 ふるえる刀よ殺陣師段平 殺陣師段平血のなみだ 梅本たかしさんという、たしか、昭和の作詞家の歌ですね。岸田さんがお選びになっているのが1981年ですから、かなり古いですが、20年ほど前に真山一郎という方が歌っていらっしゃったこともあるようです。 他にも、引用したい詩はたくさんあります。面白いですよ。2026 no040-1255 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.08
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ダルデンヌ兄弟「そして彼女たちは」シネリーブル神戸 シネ・リーブル神戸の2026年四月のラインアップで目を引いたのがこの作品です。「ダルデンヌ兄弟かあ…」 なんだか、気が重くなるチラシでしたが、ダルデンヌ兄弟、さすがですね。見にいって大正解でした。 見たのはダルデンヌ兄弟共同監督の新作、「そして彼女たちは」です。見終えて座り込んでしまった作品でしたが、何を、どう語ればいいのかわかりません。 映画館の徘徊を始めて9年目に突入しましたが、その間「その手に触れるまで」、「トリとロキタ」という彼らの作品を見ましたが、両方とも感想が書けなくて唸った記憶があります。 今回も、ヤッパリそうでした。ジェシカ、ペルラ、アリアンヌ、ジュリー、ナイマという5人の少女、いや、女性の、一人一人の姿を追いかけて描くことで「現代」という社会のありさまと、人が生きて、例えば新しい命を育んでいく時に、母になることを支えているものが何かということを真摯に描いている作品でした。 ただの印象ですが、登場する彼女たちは、一様に、開かないドアの向こうなのか、こちらなのか、閉じ込められているかのようです。ノックしても空かないドア、赤ちゃんの二人きりで閉じ込められているかの部屋、開けても開けても、次のドアがある廊下。そこから抜け出さない限り、自分自身が生きていく勇気も、赤ちゃんを抱きしめる愛も失われてしまっている世界。その場所から新しく生まれた命の笑顔を支えに締め切られた扉をこじ開けんとするかの女性たちの姿が見ているボクを揺さぶり続けました。 ようやく探し当てた母が、仕事場のドアから出て来るシーンで、赤ん坊を見せる前に「里子に出すまえの私を抱いてくれたことはあるの?」と尋ねるジェシカさんが「わたしを抱きしめて!」 そう叫んで母に縋りつくシーンは予告編にもありますが、母も父も知らずに育ったジェシカさん自身の空っぽのこころを埋めるものの姿を見事に映像化しているシーンで、ダルデンヌ兄弟の映画表現の見事さに唸りました。 その時、おそらく、初めて娘を抱きしめて、涙した母親が娘のジェシカと赤ちゃんをドアの向こうに招き入れたシーンに、心からホッとしました。 で、他にも印象に残っているシーンはたくさんありますが、ラストシーンは格別でした。たしか、ジュリーという女性が恋人と赤ちゃんの三人で、結婚の保証人を依頼するためにかつての先生を訪ねるシーンです。 三人を迎えた先生が、アポリネールの詩の歌を弾いて、一緒に歌った後、赤ちゃんのために! そういいながら、モーツアルトの、ぼくでも鼻歌で歌い終えることができる「トルコ行進曲」を弾くのですが、そのピアノの素朴な響きを聞きながら、「悪いことばっかりじゃないよ、きっと何とかなるよ。」 描かれる一人一人の女性たちの、あまりに苛酷な人生に胸がふたがる思いをしながら見続けてきた老人にそう呟かせる、このラストシーンの、この演出にも唸りました。拍手! 帰って、同居人にすすめました。で、後日、この作品を見にいった彼女が帰って来ていいました。「おっぱいをあげるシーンが一回もなかったのが、納得いかなかったわ。」 その言葉を聞いて、ドキッとしました。その通りですね。これだけたくさんのお母さんと赤ちゃんが登場する作品なのに、授乳シーンがすべて哺乳瓶からのミルクなんです。そこに気付かないのは、やっぱり、ボクが男性だからでしょうか。 ダルデンヌ兄弟が、そのあたりをどう考えているのか興味深いですね。同居人に拍手!です(笑)。監督・製作・脚本 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ製作 デルフィーヌ・トムソン ドゥニ・フロイド共同製作 ミヒール・ドン ルーカス・ドン撮影 ブノワ・デルボー美術 イゴール・ガブリエル衣装 ドロテ・ギロー編集 マリー=エレーヌ・ドゾキャストバベット・ベルベーク(ジェシカ)エルサ・ウーベン(ジュリー)ジャナイナ・アロワ・フォカン(アリアンヌ)ルシー・ラリュエル(ぺルラ)サミア・ヒルミ(ナイマ)ジェフ・ジェイコブス(ディラン)ガンター・デュレ(ロバン)クリステル・コルニル(ナタリー)インディア・ヘア(モルガーヌ)ジョエリー・ムブンドゥ(アンジェル)クレール・ボドソン(イサベル)エバ・ジンガロ(アサン)アドリエンヌ・ダンナ(ヤスミン)マチルド・ルグラン(リュシー)エレーヌ・カトラン(シルヴィア)セルマ・アラウイ(ベティー)2025年・104分・G・ベルギー・フランス合作原題「Jeunes mères」2026・04・01・no060・シネリーブル神戸no369追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.07
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満開!です。 徘徊日記 2026年4月5日(日)ベランダあたり わが団地、日曜日の朝です。 フラフラ歩きはじめて、あっちを見ても、こっちを見ても満開です! 極楽状態です(笑)。 団地の真ん中にある歩道の桜並木です。 西側の駐車場あたりです。 背景の空が曇り始めたのが、ちょっと残念です。 サクラですから、もうすぐ散り始めます。それはそれでいいものなんですけど・・・。 西側からみた中央の歩道のサクラ。緑の生け垣とよく釣り合っていますよね。 樹齢が60年を越え始めて「花の色が、ちょっと、淡くなってきたね、年かなあ…。」 ボクは40年ですが、この団地に50年暮らしていらっしゃる知人の方がおっしゃいました。枝が割れたり、幹にひびが入ったり、サクラも大変です。 撮っている人が下手なので、同じような写真に見えるのが残念ですが、この木の花の色は、ちょっと白いんです。 たぶん、樹の種類が違うんですね。 歩道に花びらが広がり始めていますが、極楽はもう少し続きそうです。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.06
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Ryuichi Sakamoto「Trio Tour 2012」109シネマズ・ハット 昨年の年末から坂本龍一にハマっています。 今日は109シネマズハットがやっているRyuichi Sakamoto「Trio Tour 2012」でした。いつもは家を出ない日曜日の夕方5時からのプログラムでしたが出かけました。100人くらいの会場に数人というお客で、快適この上ない映画鑑賞でした。 どういういきさつで作られた映画なのか知りませんが、まあ、この映画館の場合、上映中の作品のチラシもありませんから、作った監督が誰なのかとかいうことについて、ボク的には映画館で得られる情報はゼロです。 帰ってきて来て、慣れないネット検索で2012年に赤坂ACTシアターでの演奏会を全て収録したフィルムで、ピアノ、坂本龍一。チェロ、ジャケス・モレレンバウム。バイオリン、ジュディ・カンのトリオが演奏しているのは全部で17曲だったようで、下にリストを貼りました。 亡くなってしまった後で、後追いしているファンなわけで、彼の音楽について何も知らないのですが、演奏の音も映像も、とてもクオリィティが高いというか、気持ちの良い100分でした。 要するに映画は10年前の坂本龍一の音楽と姿を記録した、まあ、いってしまえば音楽ビデオなのですが映画館の大きな画面と音響で見るのは、時代が移りかわっていくさみしさを忘れさせてくれていいですね。知っている曲なんて数曲しかないのですが、在りし日の坂本君のおしゃべりも観客とのやり取りも「そういう時代があったんだよな・・・」という懐かしさと、レベルの高いトリオの音楽の楽しさ!で堪能しました。拍手! 曲目は以下の通りだったようです。1. Kizuna World2. 19003. Happy End4. Bibo no Aozora - Instrumental5. A Flower is not a Flower6. Tango7. Castalia (Piano)8. Shizen no Koe9. Still Life in A10. Nostalgia (Piano + Violin)11. Merry Christmas Mr. Lawrence12. The Last Emperor13. 191914. Yae no Sakura15. Theme for Yae16. Rain17. Parolibre坂本龍一(ピアノ)ジャケス・モレレンバウム(チェロ)ジュディ・カン(ヴァイオリン)2026年・105分・G・日本 WOWOW2026・04・05・no063・109シネマズ・ハットno78追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.06
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満開です! ベランダだより 2026年4月3日(金) ベランダあたり ベランダからの朝の団地。満開!です。 ベランダのチューリップも成長しました。上からのぞくとこんな感じ。 北側のベランダから見える桜並木。 今日は青空がうれしいサクラです。 朝から御機嫌です。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.05
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アダム・ウォン「私たちの話し方」シネリーブル神戸 シネ・リーブルの予告編を見ていて、それぞれ、耳が聴こえない少年と少女が主人公であるらしいことに興味を持ちました。 2026年になって、「ぼくの名前はラワン」、「みんなおしゃべり!」と、耳が聴こえない主人公が生きる世界を描いた作品を続けて見ました。ラワンはイギリス、おしゃべり!は日本の作品でしたが、今日の作品は香港の映画です。そうか、これは香港映画か! で、見たのはアダム・ウォン監督の「私たちの話し方」です。 聴こえることについて、何の不自由も感じないまま生きてきた老人に、まずは、聴こえない人の世界の「音」をイメージさせんとする映画の作り方に感心しました。映像から聞こえる音にたいして、その映こに座っている登場人物たちに聞こえている音を、見ているこちらに何とか伝えようする努力が映画全体を支えていて、そこに、まず、惹きつけられました。 二つ目に惹きつけられたのは、やはり「ことば」についてです。 幼なじみで親友であるジーソンくんとアランくんという二人の少年が登場しますが、スキューバ・ダイバーになりたいジーソンくんは「手話」しか話さないのに対して、絵を描くのが好きで、映像クリエイターとして生きようとしているアランくんは、10歳くらいで「人工内耳」を装着し「口話」も、「手話」も話します。で、三人目に登場したソフィーちゃんという女の子は、母親から「手話」を禁じられ、「人工内耳」による「音」による「発話」と、読唇による「口話」の人で、そのうえ、アランくんとソフィーちゃんは人工内耳の宣伝係でもあります。ろうあ者のアイデンティティの確立という社会課題を青春ドラマに昇華させた チラシの文言ですが、「音」のない世界に生きる少年、少女たちが「手話」という「ことば」の形を突き詰め合うことで「ことば」の奥にある「生きる」ということの、うそ、いつわりのない歓びにたどり着く結末!には、繰り返しうなづく、カンドーがありました。拍手! チャラいアランくん、秀才のソフィーちゃん、意地っ張りのジーソンくん、それぞれが、お芝居とは思えない、真摯な演技のぶつかり合いを感じさせてくれて、拍手!拍手! この映画では、耳が聴こえない人にとっての「手話」と「人工内耳」という二つの「ことば」の方法に焦点が当てられていますが、聴こえるのが普通で、聴こえないのは普通ではないという、ボクのように聴こえる人間の、なんとなくな価値観が聴こえない人たちを追いつめているという、現代社会の真相を、若者たちの生きる姿を通して、真摯に描いているアダム・ウォン監督にも拍手!です。 科学万能に夢に溺れているとしか思えない現代社会が、例えば「人工内耳」という科学的成果が、聴こえる人間によって聴こえない人たちに差し出された、こっちに来いという救いの手であるかのように思い込みがちなのですが、はたして、そうなのでしょうか? ここの所見てきた作品に共通するのは、そういう感じの深い問いなのですが、この作品の登場人物たちが、「ことば」を、ただの「コミュニケーションのスキル」としてではなく、「人と人との出会いの場」、あるいは、自分自身の過去から現在にいたる「存在」を支える道具であることを描こうとしていることを感じさせる作品でした。拍手!監督・編集 アダム・ウォン製作 ジャクリーン・リウ ホー・ホン脚本 シーキング アダム・ウォン 1000springs ホー・ホン撮影 レオン・ミンカイ編集 ジェイソン・イウ 1000springs イコ・プーン音楽 デイ・タイ主題歌 パンサー・チャンキャストネオ・ヤウ(ジーソン)ジョン・シュッイン(ソフィー)マルコ・ン(アラン)ネイザン・チェン(ジーソン幼少期)ジェシー・ウォン(アラン幼少期)ヘイシー・ロー(ソフィー幼少期)イェム・ユン(ソフィーの母)30原題「看我今天怎麼說」「The Way We Talk」2024年・132分・G・香港2026・04・03・no062・シネリーブル神戸no370追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.05
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ナシム・エル・カブリ「哲学者たちの〈ほんとう〉の仕事」(野村真依子訳・晶文社) 晶文社の2026年1月の新刊で、若い人向けの本のようですが、楽しく読み終えました。ナシム・エル・カブリというフランスの哲学の先生がラジオ番組でおしゃべりなさった内容の書籍化の、邦訳「哲学者たちの〈ほんとう〉の仕事」(野村真依子訳・晶文社)です。 書名がいいですよね。「本当の仕事」ってどういうこと?でしょ。「哲学者?なるほど!それはともかく、お仕事はなにをされいるんですか?」最初ページの「序言」でフランシス・ヴォルクという方がおっしゃっている言葉ですが、そういえばそうですよね。「哲学」は仕事じゃないんです。「愛」と「知恵」だけでは生きていけないんですね(笑)。 じゃあ、なんだ? となるのですが、とりあえずあの有名な方は「こんなお仕事」をなさってたんです一覧がこの本です。 最近、よく名を聞くスピノザから、シモーヌ・ヴェイユまで40人の名前が並んでいます。所謂、ヨーロッパ哲学の主要人物たちで、まあ、年のせいもあってにすぎませんが、デカルトとかパスカルとか、一応、名前だけは知っている方が30人くらい、へえ、そういう人がいるの???という現代哲学の方が10人くらい、そういうわけで、哲学ワールド覗きに恰好の内容です。 たとえばハンナ・アーレントさんで6ページですから、10分か15分、電車の座席読書の老人にはピッタリです。 40人のラインアップで、一番偉い職業は「皇帝」でした。神谷美恵子訳の「自省録」(岩波文庫)が懐かしいマルクス・アウレリウスですね。「皇帝」ってお仕事なんですね。他には、それって、あり?と驚いた仕事が強盗です。 ベルナール・スティグレール(1952~2020)というフランスの方だそうで、1978年、20代だった彼は銀行強盗で刑務所に入って「哲学」に目覚めたそうです。出所後は50冊くらいの本を出した学者さんだったようですが、 スティグレールは獄中でソクラテスの姿勢を分析したのだが、そのソクラテスと同様、彼は社会のしくみとデジタル化の弊害を容赦なく批判しつつも、共同体の規則を守っている。 という獄中生活だったそうです。 記述は軽いですが、本質を突く面白さが全編に溢れています。他にも、自転車レーサーとか、市長さんとか、王女様とか、いろんなお仕事が出てきます。パスカルとか、デカルトとか、有名どころは、もちろん勢ぞろい。 で、最後に出てきたのがシモーヌ・ヴェイユ!。 お仕事は「工場労働者」です。なんだか、しみじみしてしまいました。 今から哲学とかも、ちょっと、お勉強なさろうという学生さんとか、まあ、ボクがそうですけど、昔いろいろ読んだけど、哲学か…とかいう、お暇な方には面白いと思いますよ。短い紹介の中に、ピンとくる一言があって、あやふやな記憶を「ああ、そうか、そうだよな!」というふうに揺さぶってくれましたよ。2026-no037-1252 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.04
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円城塔「コード・ブッダ」(文芸春秋社) 円城塔という、読めども読めどもすぐ忘れてしまう作家がいます。もともと物理学だったかの学者さんだったと思いますが、「道化師の蝶」(講談社文庫)という作品で芥川賞をとったあたりから、「屍者の帝国」(河出文庫)とか、「文字渦」(新潮文庫)とかなんとなく読み続けているのですが、ボクみたいな読み手には感想にならない読後感の人で困ってしまうのですが、今回、「コード・ブッダ」(文芸春秋社)という作品を読みました。忘れないうちにご案内です。 1 如是我言かくのごとくわれいえり そのコードはまず、 「わたしはコードの集積体である」 と名乗った。 「そうしてコードの集積体ではない」 とも名乗った。 東京の二〇二一年、そのオリンピックの年、名もなきコードがブッダを名乗った。自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語り始めた。 ソフトウェアとしては、対話プログラムに分類される。チャットポットということでよい。ブッダとしてはブッダ・チャットポットの名で呼ばれることとなる。 こんな書き出しです。 読みづらかったです(笑)。コードとかチャット・ポットとかが、まず、わかりません。「機械仏教史縁起」と副題にありますが、要するに、コンピュータロボットの頭脳、だからまあ、電子頭脳が仏教に帰依するといことのあれこれが、小説的「物語」として語られていたお話だったと思います。「だったと思います」と、やっぱり頼りないことを言っていますが、たとえば、上に引用した文章を書いているのは、いったい誰で、いつの時代のことなのかということを、ボクには、今、説明することができないわけで、だからといって、もう一度読み直すなどという気力は、とうてい湧いてきそうもないわけで、まあ、やっぱり、感想にならない困った作品でした。 上の引用で、名もなきコードがブッダを名乗ったのは二〇二一年なわけで、どんなコンピュータソフトが「ブッダ」を名乗ったのかというあたり、結構笑わせてはくれるのです。が、それを語っている、語り手の時代は、そのはるか未来であって、もともとのブッダ、だから、お釈迦さんですが、その時代が紀元前6世紀だか紀元前7世紀だとして、今この時でも2600年くらい経っているわけですが、語られている小説は、今から何年ぐらいたった時代なのかということが浮かばないんですね。 ただ、この作家の卓抜さというか、凄いところは「ブッダ」というのは、もともとが固有名ではないというところに目をつけていることですね。 「さとり」とか「解脱」とかいうのは、実態はよくわかりませんが、ことばの奥(?)にある、それぞれの人間の存在のありさまそのものを、とりあえずことばにして、そう呼んでいるわけでしょうから、一概に「ことば」によって表現することが可能だとはいえないとはいうものの、認識上、まあ、客観的にわかるとか、わからないとかいうレベルでは「ことば」の世界で起こることであって、ゴータマ・シッダルタから、法然、親鸞あたりまでの仏教史は、すでに、言葉による情報として集積されていて、それを、電子頭脳であるチャット・ポットが語ることは十分可能なわけです。 で、この作品は、その、機械頭脳が、本来、言葉以前の世界であるはずの「さとり」へと迷い込んでいくありさまを擬人化して描くという離れ業に挑んでいて、たぶん、それが、ボクのような読者に「すごさ」と「アホらしさ」を同時に感じさせる理由だと思います。 実際、この小説は、コンピューター・ソフトによる仏教縁起であり、量子力学的、実に現代的な現実と意識の苦闘を「物語」にしているわけで、コンピューター自身による、まあ、ここで、機械を主体化していわざるを得ないところにこの小説の、ボクにとってのウザさがあるわけなのですが、仏教を生きるコンピューターというふうに割り切ってしまえば、「ナルホド読売文学賞か!」ではあるのです。 なんだか、書いていて、やっぱり訳が分からなくなってしまったので、ここらあたりで止めますが、この作品の新しさに対する訝しさ、あるいは、不安な気分はあまりいいものではありませんね。 ただのSF的エンターテインメントとして笑うとか、機知に溢れた描写の面白さに拍手するとか、いろんな読み方が可能だと思いますが、ボクが思い浮かべたのは子供の頃に読んだ鉄腕アトムが実存的不安に苦しんでいる姿でした。すごい時代になったものですね(笑)。 2026-no038-1253 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.03
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レオス・カラックス「ボーイ・ミーツ・ガール」元町映画館 昨年の秋あたりから妙に気を引かれて見続けているレオス・カラックス監督の作品ですが、「ボンヌフの恋人」、「汚れた血」と遡って見てきた「アレックス三部作」とかのスタート作品、若きドニ・ラバン演じるアレックスくん初登場の作品だということで見ないわけにいきません。2026年3月31日の元町映画館です。 見たのはレオス・カラックス監督の「ボーイ・ミーツ・ガール」、1983年、ほぼ、半世紀前の映画でした。 全編モノクロで、なおかつ、夜のパリです。始まりからラストシーンまで、筋書きを説明できる人がいらっしゃるなら、見終えた今からでもお聞きしたいくらいなものですが、象徴的というか、印象的というか、「エッ?このシーン、なにがあったの?なにをしたの?」 まあ、見ている老人が困惑するしかないシーンの積み重ねで、実に、若々しいアレックスくんとミレーユさんの「ボーイ・ミーツ・ガール」、「出会い」と「別れ」が夢のように描かれていました。 なんとなくですが、覚えているシーンでいえば、若い二人が紛れ込んだパーティー、そこで二人は偶然知り合ったと思うのですが、そのパーティーを主催しているらしい、見ているこっちには、何者であるのかもよくわからないにもかかわらず、存在感の塊のような老嬢の登場と、彼女が大事にしている飲み口が欠けたコーヒー・カップの説得力。なぜか、髪を切って再登場するミレーユ!の美しさ。そして、そのカップを、彼女に気をとられて誤って割ってしまう、若きアレックス!。 映画というのはこういうものなんだよな・・・ まあ、そういう納得はあるのですが、畳みかけるように、ハッとされられてしまう展開の妙には、唸るしかないですね。その上でのあのラストですから。レオス・カラックス、鬼才です!(笑)。 何を書いているのか、自分でもよくわかっていませんが、そういう映画だったのです(笑)。 ラジオから聞こえてくるのがデビッド・ボーイであったり、アレックスくんがぼそぼそと独り言のように読み上げるのがセリーヌであったり、そういうことにビビッドに反応できる記憶も音感も老人には、もう、ないわけで、そこが、実に残念でしたね。監督・脚本 レオス・カラックス撮影 ジャン=イブ・エスコフィエ美術 セルジュ・マルソルフ ジャン・バエウル編集 ネリー・ムニエ フランシーヌ・サンドベルグ音楽 ジャック・ピノー挿入歌 デビッド・ボウイ ジョー・ルメール デッド・ケネディーズキャストドニ・ラバン(アレックス)ミレーユ・ペリエ(ミレーユ)キャロル・ブルックス(ヘレン)エリー・ポワカール(ベルナール)マイテ・ナイル(マイテ)クリスチャン・クロアレック(トマ)1983年・104分・フランス原題「Boy Meets Girl」2026・03・31・no059・元町映画館no355追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.02
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何故か、横浜! 徘徊日記 2026年3月27日(金) 横浜駅あたり 2026年3月27日金曜日の朝の横浜駅です。 昨晩、同居人のチッチキ夫人と二人で横浜にやって来て、今日はこれからお葬式です。二人で黒い服を着こんで長く会っていなかった叔父さんの写真に挨拶です。 駅の近くに泊まったはずなのですが、横浜なんて、ほとんど初めてやって来たようなものですから右往左往、なんとか高島屋の看板目指して歩いています。 途中の桜の並木が咲き始めていました。関東の方が早いのですね。こっちのほうが北なのに。 で、高島屋ですが、「ありました。あっちですね。」 ここから電車で戸塚とかいう方に向かいます。東戸塚の駅を出てみると早く着きすぎました。 で、ウロウロ。 白旗山公園とかに迷い込みました。「富士講」とかいうらしいですが、関西ではあまり聞かない石碑が立っていますが草に覆われています。 喪服に黒革靴の老人コンビは、これからまじめな儀式だというのに泥んこです。ようやくのことで山道を抜け出して一息です。 で、やっぱり、サクラです。叔父さんは、桜の季節に逝ってしまったんですね。 そういうわけで、やっぱり、涙のご挨拶を終えて、ふたたび横浜です。今度は海の側に出たのですが高速道路です。 で、思いついたのが、目の前にある「そごう」デパートの屋上です。見えました。横浜です! 海なのか、川なのか、よくわかりませんが横浜が見えました。お上りさんの老人カップルはいたく満足です(笑)。 帰りの新幹線の時間が迫っていて落ち着きませんが。結構、ナイスな風景でした。 向こうに、海があって、これが横浜ですよね。 というわけで、さあ、ここから、新横浜ってどう行くの? とりあえず、思い出には刻み付けた横浜でした。はい。夕刻には、無事、神戸の自宅に帰りつきました。新幹線って速いですね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.04.01
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アンドレアス・ハートマン 森あらた「失踪」元町映画館 今、この時を撮っているドキュメンタリィーに、やっぱり、惹かれます。「蒸発かあ…高度成長以来、繰り返し出てくるなあ…」 そういう思いで見に来ました。 で、元町映画館、ちょっと想像できないお客さんです。「どうしたの?」「新聞紙上で話題になったっているらしくて、昨日も大入りでした。」 そこだけ席が空いていた、最前列で見ました。見終えての、まあ、率直な感想ですが、なぜ、この映画にお客さんが集まるのかわかりませんでした。日本では毎年約8万人の人が失踪する。 チラシにに書かれている言葉ですが、映画館に足を運ばれているのは、その、毎年の8万人とかにご関係のある方たちなのでしょうか。 ただ、「蒸発」とか「失踪」とかがドキュメンタリィーとして映画化されたことはほとんどんなかったといえばいるのですが、少なくとも、ボクが「日本」という社会の社会人として暮らしてきた50年間、「蒸発」という現象そのものが珍しいことであったりしたことは一度もありません。チラシに書かれている具体的な人の数が新しい出来事のようにあおっていますが、高度成長が始まって以来、70年代から80年代の失踪者はこんな数だったとは、とても思えません。 映画の中に釜ヶ崎で暮らす50代の男性が登場しますが、釜ヶ崎とかが彼のような人たちの寄る辺の地であったことはボクたちの世代まで、たぶん常識でした。 故郷や生活を捨てて逃げ出した人たちが暮らす、場所や術が前世紀末まではあったのですね。そう考えれば、今、80代の方たち、70代のボクたち、そして、50代の彼くらいの世代の蒸発者を正確に調べることができれば、もっとすごい数字が出てきそうな気がします。見ていて、そのあたりにまず?でした。 加えて言えば、今、現在の蒸発者の姿を追うという、この映画のモチーフは興味深いわけですが、映画そのものに「なぜ?」を問う迫力というか、歴史的状況分析の視点が弱いのが物足りなかったですね。 別に、もっともらしい答えが欲しいわけではありません。しかし、ああ、この人、故郷に帰るな。 まあ、そういうふうに着地点を予想させる作り方で、実際にそうなるところで、映画が終わるというのがちょっと残念でしたね。 映画に登場している当事者の方たちの現実を映した映像には、もちろん、ある種の凄みが漂っているわけです。しかし、映像として撮っている視線というかに、見ていてこわさがない印象なのですね。理由はわかりませんが、わざわざ横文字でJŌHATSUと書かれているチラシを見ながら、異文化観察レポートかよ! まあ、そういう減らず口を呟きたくなる浅さを感じてしまう結論でした。監督・プロデューサー アンドレアス・ハートマン 森あらた撮影 アンドレアス・ハートマン編集 カイ・アイアーマン音楽 ヤナ・イルマート 竹原美歌2024年・86分・G・ドイツ・日本合作原題「Johatsu - Die sich in Luft auflösen」2026・03・30・no058・元町映画館no354追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.04.01
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「チューリップ成長記」 ベランダだより 2026年3月29日(日)ベランダあたり もう、3月も終わろうかという29日の日曜日の朝です。ベランダからチッチキ夫人の声です。「ちょっとおー、赤いほうが咲いちゃったけど、こっちも首が伸びたわよおー!」 ベランダのチューリップの話です。 20日ほど前の10日過ぎ、写真は3月17日ですが、にはこんな姿でした。これは、ちょっと姿勢を正し始めた姿です。 首のない、お座りチューリップでした。10日ほどたって、ようやく、「わたしにも首があるんです!」 とでもいいたげな、頑張りが始まりました。 下の写真が、その10日後、3月26日の姿がこれです。「どう、チューリップでしょ!」 ちょっと、見得を切っていらっしゃいます。なんというか、のんびりしていらっしゃいます。ここまで蕾が開き始めて2週間以上たってます。 とはいうものの、お隣の蕾にも首はありません。今から3週間がかりでチューリップらしくおめかしなさるのでしょうか?にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.03.31
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「いよ、いよ、花盛りの団地!」 徘徊日記 2026年3月29日(日)団地あたり 2026年の弥生、三月もあと三日。外に出るのにセーターはいらんかな? 風が暖かくなってきて、いよいよ団地は花盛りの森です(笑)この花を見ると思い出します。「これは、レンギョオー!」 ゆかいな仲間たちが小学生だった頃、小学校のMセンセーが子供たちを引き連れて叫んでいらっしゃった。近所にあった小学校は廃校になってしまい、子どもたちの喧騒は聞こえませんが、今年も咲きました(笑)。 桜も咲き始めましたよ。 こちらはボケ! ボクはこの花好きです。 自宅の前の桜。お天気がちょっと残念ですが、遠くにいるゆかいな仲間たちにはなつかしい光景でしょうね。向こうに見えるのは彼らが通った小学校の校庭です。 団地が花でいっぱいの季節がやってきました。ワクワク、ウロウロ、キョロキョロ。 いい季節です(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.03.30
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ディラン・サザーン「フェザーズその家に巣食うもの」シネリーブル神戸 ベネディクト・カンバーバッチという、主演しているらしい男優さんに興味があって見ました。イギリスの俳優さんで、ナショナル・シアターとかでも、お見かけしたことがある、お芝居の上手な人という興味です。 見たのはディラン・サザーンという監督の「フェザーズその家に巣食うもの」でした。海の向こうの人気小説の映画化のようで、妻を亡くした男のこころの様を、怪奇仕立てで描いた、まあ、スリラー映画でした。 最愛の配偶者を失った「おとこ」というのはこうなるのかなあ? まあ、そういう疑問が最後まで解けない作品で、先日見た「両親が決めたこと」という作品の夫の振る舞いにも首をかしげましたが、この作品の主人公のオロオロぶりもちょっと怠かったのですが、最後まで飽きずに見終えました。 まあ、映画としては、カラスがさほど怖くないところが残念なのですが、ボクは怖い映画というのは苦手なので、この程度が適度でしたね(笑)。 双子にしか見えないのですが、ママを亡くしたお兄チャンと弟の兄弟が可愛らしくて拍手!、カンバーバッチさんも、まあ、マジメに演じていらっしゃって拍手!。 ボクは原作を読んだことがあるわけではありませんが、マンガ家である主人公が描くカラスの絵に、リアリティというか、迫力というかを感じられないところが、なんとなく原作小説の筋書きに寄りかかっている印象で、ちょっと物足りなかったですね。監督・脚本 ディラン・サザーン製作 アンドレア・コーンウェル アダム・アクランド リア・クラーク原作 マックス・ポーター撮影 ベン・フォーデスマン美術 スージー・デイビス編集 ジョージ・クラッグ衣装 ソフィー・オニール音楽 ゼベディー・バドワースキャスティング シャヒーン・ベイグキャストベネディクト・カンバーバッチ(妻を失った男)・製作指揮リチャード・ボクサル(息子)ヘンリー・ボクサル(息子)ビネット・ロビンソン(アマンダ 息子の学校の先生)サム・スプルエル(ポール 弟)レオ・ビルデビッド・シューリスエリック・ランパール(クロウ)2025年・98分・G・イギリス原題「The Thing with Feathers」2026・03・28・no057・シネリーブル神戸no368追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.30
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ローラ・カレイラ「オーロラの涙」シネリーブル神戸 先日、団地を歩いていると、同じ団地の住人であるお友達と出くわして、立ち話でした。「どこ行くの?」「うん、バス乗って舞子。で、明石の図書館まわりで映画。元町。」「図書館は垂水じゃないの?」「神戸市の図書館は予約がうるさいから、明石。本も新しいし。」「映画は何見るの?ケン・ローチとか?」「ケン・ローチはまだやろ。」「エッ、始まってるよ。」「ホント?ボクは中央アジア。ウズベキスタンって知ってる?」「うーん、ボク、一応、ロシア語なんだけど(笑)。」「あなたー、お昼よー。パスタ伸びちゃうわよー。」「ああ、これは、どうも、じゃあ行くね。」「うん、気をつけて。」 で、本日の映画、ローラ・カレイラ監督の「オーロラの涙」の会場で彼と再会したのでした。 聞くところによると、彼は、この作品を、あのケン・ローチの新作だと思い込んでやってきたようです。たしかに、ケン・ローチの作品の製作スタッフが参加した作品のようですが、監督はローラ・カイレラという、ポルトガルからイギリスにやって来た女性監督のようです。 見終えて、近くの席に知人がいることに戸惑いました。感想を聞かれたら困るなあ・・・ まあ、そんな感じです。 で、ボクと彼の二人は映画館の出口で再集合。同じ駅から、同じ電車、同じバスで同じ団地まで、近況とか語り合いながら帰り着きました。 二人とも、さっき見た映画について一言も口にしないで別れました。 「監督、ケン・ローチじゃなかったね。」「うん、勘違いしてた(笑)。」 別れ際の挨拶、ホッとしました。 なにを、そんなに、まあ、そういわれてしまいそうですが、ボクは、故国ポルトガルからイギリスにやって来て、朝早くから夕ぐれまで巨大な倉庫で働き、シェアハウスの共同炊事場で質素な食事を作り、好物のチョコレートを買うことにも躊躇する財布と、事あるごとにのぞき込むスマホと暮らしているオーロラという主人公の女性の姿に心底打ちのめされて、ことばを失っていたのです。 「オーロラの涙」という題名ですから、「いつ、泣くのだろう?」 まあ、そういう興味で見ていたのですが、彼女が、確かに、涙をにじませたシーンを見つめながらローラ・カレイラという女性監督の人間の存在の根底を描こうとする意図を素直に演じるジョアナ・サントスという女優さんの、号泣へと崩れ落ちそうな哀しい顔に、涙しながら目を瞠ったのでした。「語るべきわたし」が「わたし」のどこを探しても見つからない。 一言でいえば、それが、この映画のすべてで、まれに見る傑作でした。 神戸に限らないのでしょうね。街には分厚い靴底、きらびやかな爪、ファッショナブルな衣装、どなたも同じに見える様々な髪の色や、マンガの主人公のようなメイクの女性や男性が溢れています。映画で繰り返しアップされるオーロラの表情とは対照的ですが、街を歩く彼女や彼たちに「語るべきわたし」はあるのでしょうか。 現代という社会が、そこで、今、学んだり、働いたりして生きている人間から何を奪い取っているのか。 まあ、ボクなりにまとめるとですが、そういう、深い問いかけを、淡々と描いた傑作!でした。 オーロラを演じたジョアナ・サントスの静かな演技、あくまでもドラマチックを排除した監督ローラ・カレイラに拍手! 監督・脚本 ローラ・カレイラ製作 ジャック=トーマス・オブライエン マリオ・パトロシニオ撮影 カール・キュルテン美術 アンディ・ドラモンド衣装 キャロル・ミラー編集 エルベ・ド・ルーズキャスティング ララ・マンワーリングキャストジョアナ・サントス(オーロラ)イネス・バズニール・ライパーリア・マクレーピョートル・シコラ2024年・104分・G・イギリス・ポルトガル合作原題「On Falling」2026・03・23・no055・シネリーブル神戸no366追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.29
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マイリス・バラード リアン=チョー・ハン「アメリと雨の物語」シネリーブル神戸 3月になって2本目のアニメーション映画でした。マイリス・バラードとリアン=チョー・ハンというお二人が監督されているらしい、フランス製のアニメ、「アメリと雨の物語」です。 まあ、アニメについて、具体的にここがこうだといえるわけではありませんが、ヨーロッパ・アニメらしいというか、以前見た「ロング・ウェイ・ノース」とかと似た絵柄で始まったのですが、舞台が日本だと気づいて、ちょっと、驚きました。 アメリちゃんという赤ちゃんというか、ちびっ子が主人公で、彼女が0歳から3歳のお誕生日まで、どんなふうに「世界」と出会うか?ということを描いた、お話なのですが、家族はベルギー人でフランス語のようですが、お手伝いさんのニシオさんとか、大家さんは日本人で日本語でしゃべるという、ある意味、独特な作品でした。 物語の時代と場所は1960年代の二ホンです。お手伝いさんのニシオさんがいつもかけているラジオからザ・ピーナッツの「恋のバカンス」という曲が聞こえてきて、「えーっ、この映画、あの時代なの…」 そう気づいて、ハマりました。 まだ、戦後と呼ばれていた日本で、ヨーロッパから赴任した外交官の娘として生まれたアメリちゃんが、二つの文化、二つのことばの狭間で出会う世界を描かんとする方法論に、ちょっと無理があるのですが、まあ、そこを、何とかファンタジーとして乗り越えようと頑張っている印象でした。 だから、まあ、これを見るフランスの方は、例えば精霊流しのシーンなどで、まだ戦後であった極東の敗戦国の人々の姿などに、異文化との出会いというエキゾチズム体験をなさることもあると思うのですが、少々、図式的でしたね。 その種の図式化による歴史の浮遊化は、最近の日本映画の方がひどいのかもしれませんから、この作品の描き方は、むしろ、マジメといっていいかもしれません。 まあ、60年代当時の社会を描きながら、主人公を3歳に満たないオチビさんにしていることに、そもそもの無理があるわけでしょうが、ボクは、かえって、そのあたりが面白かったですね(笑)。 だって、0歳から3歳なんて、いってしまえば宇宙人みたいなものですからね。なんでもありなんです(笑)。その上、子どもは可愛いですからね。アメリちゃんが無事3歳のお誕生日を迎えられて、大好きなニシオさんに再会できて、拍手!でした。 上で、少し触れましたが、この映画で一番はっとしたことは「恋のバカンス」でした。映像中のラジオから、この曲が聞こえてきた途端に、実に、不思議なことに、映像の印象が変わったんです。 アメリちゃんという主人公のちびっ子がボクの妹に見えてきたんですね。この曲は1963年ころラジオから聴こえていの曲だと思いますが、その頃、ボクは9歳、妹は4歳だったでしょうか。この映画では、家族を先の戦争で喪ったニシオさんや大家さんが登場します。大人たちにとって、戦争はつい先ごろの記憶だったのでしょうが、子どもだったボクにはにはわからなかったですね。むしろ、日々の貧しくて質素な暮らしの思い出しかありません。アメリちゃんの成長を見ながら、妹を思い出した理由は、彼女が6歳の誕生日を迎えることなく急性肺炎で亡くなってしまったからですね。映画って、そういうことを70歳を過ぎた老人に思い出させることもあるんです。アメリちゃんが息を吹き返したラストシーンに、こころがら拍手!でした。よかった、よかった・・・(笑)監督・脚本 マイリス・バラード リアン=チョー・ハン原作 アメリー・ノートン脚本 エディン・ノエル音楽 福原まりキャスト声優ロイーズ・シャルパンティエビクトリア・グロボアユミ・フジモリ2025年・77分・G・フランス原題「Little Amélie or the Character of Rain」2026・03・25・no056・シネリーブル神戸no367追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.28
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池澤夏樹「されく魂 わが石牟礼道子」(河出書房新社) その2 池澤夏樹の石牟礼道子論集成というべき「されく魂 わが石牟礼道子」を案内し始めたのですが、ああ、これは・・・という気持ちで写し始めたのが、本書の表題になっているこの追悼文です。 されく魂 ― 石牟礼道子一周忌に寄せて 石牟礼道子さんがお果てになってから一年が過ぎた。 太陽を一巡りして地球は同じ位置に戻ってきた。 また寒い時節。 一年前、容態が悪いと聞いたのは取材で行っていた小樽の先の車の中。札幌の家に戻った翌朝に、亡くなったと報せがあった。今も札幌はあの日と同じ雪景色。最高気温は零下五度。いつもの冬である。 作家や詩人が身罷った後、悼むのにすべきは著作を読むことだ。ご本人はいなくともその思いと考えは本の中に残っている。いわば永遠の命。 ところがこの一年、なぜか石牟礼さんの本を読む力が湧かなかった。どの文章も一行ずつが生々しくて、強烈で、ページを開いても弾かれてしまう。少し読んでわかった気になる自分を認めたくない。まして人前でしたり顔で石牟礼道子を論じるなどとてもできない。一度だけそういう場に立ったけれど、ひたすら作品の抜粋を朗読してお茶を濁した。 お目にかかった時の姿や声、それに対してあれだけの作品群を生んだ膂力、この二つの像の間で途方に暮れている。この人を自分の中でどう位置づけていいか今もってわからない。気の利いた言い回しで賞揚すればいいというものではないのだし、そういう役割は一通り済ませた。これ以上はなにかする分だけ自分の中の石牟礼道子が減ってしまう気がする。 熊本で刊行されている「アルテリ」というリトルマガジンの七号に石牟礼さんの詩が載っていた。草稿のまま残ったものが発掘されたのだ。これを読んで、書いている途中で新しい想を得て流れをがらりと変える、石牟礼道子の創作の技法に何百回目かにまた驚いた。渡辺京二さんはこれを「脱線」と呼ぶ(「脱線とグズり泣き」『預言の哀しみ』)。 脱線なのだろう。筆の貧しい者は足りない素材を無理に使い回して紙面を埋める。ぼくはものを書く自分は井戸であると思っている。水の湧出量は限られていて、性急に汲み上げると涸れてしまう。しばらくまた滲み出すのを待つしかない。(このイメージの背後には「星の王子さま」のあの滑車がきしむ井戸があるのだが)。 石牟礼道子の場合は水は奔放にとめどなく溢れ出て、地形を侵食し、勝手に流路を変える。 「アルテリ」の詩は死者のことから始まる― よみがえる死ながい小暗い原っぱをお月さまばっかり背にして五十年も歩いたいくら死人(しびと)だとはいえ歩きつかれたと云っているだけどもわたしは原っぱだから死者たちのゆく原っぱでしかないから一度死んだら二度死ぬことはできないおまえたちよむろばっかり抱いていていちどもあたたまったことのないわたしだって生きるとも死ぬとも誰もきめてくれずただ永劫であるわたしはこころが蒼いというだけでおまえたちにはもっともふさわしいものなのだ 死んで(おそらく)浄土に向けて歩み続ける死人たちはわかる。薄暗い道をとぼとぼ辿る。宮沢賢治ならば「ひかりの素足」で一郎が弟の楢夫を連れて仏に出会うまで歩むあの道。 しかし、そこでどうして主役を原っぱの方へ切り替えられるのだ?この飛躍、この脱線が石牟礼道子である。 運動感、融通無碍、捉えようとするとするりと躱(かわ)してずっと先に行ってしまうダイナミズム。 それを考えていて思い至ったのが、心と魂の違いということだ。ここ数年は日本文学の古典に親しんでいるのでこういう方角に思いが向かう。 水俣の言葉に由来する石牟礼道子のキーワードが三つある。 「のさり」は天の恵み。患者の杉本栄子さんは最後には病気をさえ恵みと読み替えた。 「悶え神」は他人の不幸を己のものと受け止めて、何の助けにもならないのに共に悶える、そういう気質を持った人。本が好きな叔父国人は「書物神」。精勤に励む人は「働き神」。 そして最も大事なのが「されく」という動詞。「さまよう」であり、ありていに言えば「ほっつき歩く」である。石牟礼さんは「漂浪く」という漢字を当てる。方言を共通語化するための工夫。ここも彼女の詩を引用するのが話が早いだろう― 糸繰りうた日は日に昏(く)るるし雪ゃあ雪降ってくるしほんにほんに まあどこどこ漂浪(され)きよりますとじゃろ夜も日も明けずわが魂のゆく先もわからんみんみんぜみのごたるみぞなげなおひとでございます。 「わが魂の行く先もわからん」というところに鍵がある。みんみんぜみが飛ぶように魂は飛ぶ。どこへ向かうか知りようがない(「みぞなげな」は「かわいそうな」の意、と渡辺京二さんにご教示いただいた)。 魂は自由だから肉体から離れることができる。「魂(たま)」は「体内から抜け出して自由に動きまわり、他と交渉をもつことができる遊離霊で、肉体が滅びてもこの世にとどまって人を守るとされた」と「古典基礎語辞典」にある。 「魂」に対するのは「心」という言葉だ。同じく「古典基礎語辞典」によれば、「はじめは心臓とその鼓動を意味し、そこから、肉体に一つの場所を占める、あらゆる精神活動の主体と、その精神活動そのものを表す。」ものである。だから心は一個の個体から離れることができない。それがエゴイズムの根源であり、故に夏目漱石はあの名作に「こころ」という題を付けた。 魂の動きについてわかりやすいのは― もの思へば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂かとぞ見るという和泉式部の歌だ。 あるいは「源氏物語」の「葵」の帖。六条御息所の魂は(ここでは生霊と呼ばれるが)、肉体を脱けて出産の褥に横たわる葵の上に取り憑く。 この「糸繰りうた」は母親が子供を、あるいは妻が夫を思っているように読めるけれど、実は自分の魂の行方を自分で案じているのではないか。民謡のようなだいがついているが、実態は自分を哀れむ繰り言なのではないか。 昔、心とエゴイズムについて真剣に考えたことがあった。 人はみな自分という塔の上にいる。そこは広い平野で間をおいて塔がたくさん並んでいる。それぞれの屋上に一人ずつ人がいて、手を振って合図したり言葉を交わすことができる。それは手旗信号でもいいしLINEでもいいが、しかし人は臆病だから塔を降りて隣の人と抱擁することができない。孤独とはそういうことだ。この嘆きをもとにぼくは「帰ってきた男」という短編を書いた。一本の境界線がある。そこを越えれば個の埒を超えて人格の融合が実現する。エゴイズムからすっかり解放される。しかし、それは人格の消滅かもしれない。二人の男がその境界線を前にして議論し、一人はそこを越えて彼岸にゆく。もう一人は越えられず「帰ってきた男」になる。 塔の上の人という問いをインドの山奥でダライ・ラマ法王に直接問うたことがある。いきなりこんなことを問われても猊下も戸惑われて、まああたりさわりのない答えが返ってきた。申し訳ないことをしたと思う。 それで考えるのだが、これを心の問題と考えるから解が得られないのだ。これは本来は魂に属する問題である。 魂であれば己を保ったまま他と融合できる。「椿の海の記」で語り手のみっちんは狂った祖母おもかさまと融合している。 祖母はしばしばさまよい出す。孫が探しにゆくと降りやんだ雪の中に立っている。「世界の暗い隅々と照応して、雪をかぶった髪が青白く炎立っていて、私はおごそかな気持ちになり、その手にすがりつきました」という先、祖母に抱きしめられたみっちんは「じぶんの体があんまり小さくて、ばばしゃんぜんぶの気持ちが、冷たい雪の外がわにはみ出すのが申しわけない気がしました」。これが魂の融合ではないか。 あるいは権妻であるもう一人の祖母おきやさまが語る浄瑠璃の「葛の葉」の狐忠信に惹かれて、大廻(うまわ)りの塘(とも)で四、五歳の女の子が「いま狐の仔になって、それから人間の子に化生している自分とおもえばただならぬおもいがする。野菊の咲き乱れている足元がふっと暗くなり、この世は仮りの宿りとつぶやいて、えたいもしれずさまよい出したわが魂におどろいて見あげれば、もう色の変わった海の風がするするとうねって来て、逆さ髪の影絵のような芒のあいに、赤いおおきな落日がぽっかりとかかっているのだった」 魂がさまよい出す。ほっつき歩く。 それはそのままこの作家・詩人の魂が水俣病の患者たちの魂と融合できるということである。だから彼らの思いを深いところで捉えて、彼らの言葉として「苦海浄土」を紡ぎ出すことができた。それは軽薄な読者が聞き書きと思い誤るほどうまくいった。共感能力と言ってもいいけれど、しかしそれは「されく魂」の力なのだ。Sympathyもcompassionも語源は共にpathosを共有するといういう意味である。 若い時、石牟礼道子は生きるのが辛かった。世間と折り合いが悪く、何度か自殺を試みたほど辛かった。 その思いをとりあえず短歌にした。結婚に際して(!) 何とてやわが泣くまじき泣けばとて尽くることなきこのかなしみをと詠んでいる。 短歌はミニサイズの私小説である。それで苦しさを表明したけれど、それは心の問題であった。やがて歳月を経て彼女はエゴの砦を出る力を蓄え、心ではなく己の魂に率いられるようになった。その萌芽は戦災孤児を引き取って面倒を見る「タデ子の記」などに見ることができる。他者への関心が生きる力となった。 後に水俣病の患者たちに出会った時、彼女はそこに魂の同胞を見出した。近代は、チッソは、魂を拒絶する。無限に増える数字の壁で魂を押し伏せようとする。 柳田国男は「我々は皆、形を母の胎に仮ると同時に、魂を里の境の淋しい石原から得たのである」と言った。(ぼくはこれを福永武彦の「忘却の河」の第七章の扉で知った。柳田の原典は「神を助けた話」という赤子塚の話らしい。)。近代はこの「淋しい石原」をブルドーザーで壊してしまった。魂はみな寄る辺なき身になった。 こういうことを書きながら、こんな風に石牟礼道子の世界を要約してどうするのだという思いも湧いてくる。いくら解説したところで彼女のオリジナルの一行にはかなわない。第一、この種のことならば渡辺京二さんがすっと先行してずっと的確に書いておられる。この人の石牟礼道子論を読むたびに自分が何も読めていなかったことに気付いて息をつく。石牟礼道子は存在自体が一つの文学的な奇蹟だが、その近傍に渡辺京二がいて彼女を支え、読み解き、世間との間を繋いだこともまた文学の奇蹟だった。彼の「もうひとつのこの世」と「預言の哀しみ」があればぼくのこの小論などとんと無用なのだ。この二冊を全文引用すればそれで済む。 そもそもこの文章は引用が多すぎる。資料に依って論を構築するのは理系の手法である。化石に頼る古生物学のようなものだ。他ならぬ石牟礼道子のしなやかな文業に対してそういう途からしか近づけない自分を恥じると同時に、しかし生半可に彼女の文体を模したセンティメンタルな悪文を書かない抑制くらいはあると自覚する。 「高ざれき」の癖がひっついた者、という言い回しを彼女はどこかでしていた。どうやら京二さんにもぼくにも、石牟礼道子がひっついているらしい。 ではまた著作を新しい目で読もうか。「椿の海の記」と「苦海浄土」、どちらを先にしよう。「十六夜橋」も「あやとりの記」も読んでくれとせがんでいる。傍らには京二さんの本と並べて米本浩二の「評伝 石牟礼道子―渚に立つひと」を置いておこう。 池澤夏樹の言葉に誘われて、ボク自身も、もう一度、「新しい目」で石牟礼道子や、彼女のまわりにいた人たちをたどりなおせたらと思います。2025-no104-1177 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.27
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温又柔「台湾生まれ日本語育ち」(白水Uブックス) 日本語で書く台湾人である温又柔さんの「台湾生まれ日本語育ち」(白水Uブックス)という、2016年に第六十四回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したエッセイ集を読みました。 わたしの二ホン語事始め はじめまして。ということで、まずはわたしについて紹介いたします。 姓は、温。名は又柔。合わせて「おん・ゆうじゅう」と言います。 続けて言うと「おんゆうじょう」。 ちょっぴり、おまんじゅう、に似ているのが自慢です。 昔は、自分の名前があまり好きではありませんでした。こんなへんてこな名前なんかではなく、もっと日本人っぽい、ふつうの名前だったらよかったのになあ、と思っていたのです。子どもの頃のわたしにとって、「ふつう」とは、「日本人っぽさ」のことでした。 わたしは、一九八〇年に台北で生まれました。生まれた台湾には、ほんの三年足らずしか住んだことがありません。(P8) 本書の最初に収録されているエッセイの冒頭の自己紹介です。下に目次を貼っておきますが、二十数篇のエッセイが載せられています。すべて「コトバとは何か?」という、考えてみれば堂々巡りする他はない「問い」を問い続けるかの、堂々巡りエッセイ集です(笑)。 見事なもんです。もちろん、貶しているのではありません。ほとんど絶賛しています(笑)。 彼女のモチーフは、本書の一番後ろに収められた「Uブックス版に寄せて」という、まあ、あとがきにこんなふうに記されています。 Uブックス版に寄せて 子どもの頃を含めると、あなたの母語は何ですか?と数えきれないほど訊かれてきた。同じ質問をされるのが苦痛な時期もあったが、いまのわたしは、待ってました、とばかりにほほ笑む。 ―タイワン語とチューゴク語の織り交ざったこの二ホン語のことです。 この答えにたどり着けたのは、約四年の月日をかけて、“失われた母国語”を求めつつ、自分にとって言葉とは何かと徹底的に考えぬいた成果なのだと思っている。 わたしにとって言葉について問うことは、いま、この瞬間もそうなのだが、なぜ自分は日本語でものを考えているのかということについて、そして、自分から少なくとも三代遡った台湾人たちの「国語」を考察することと直結していた。本書は、わたしが言葉とむきあってきた“物的証拠”であると同時に、わたしのこれからの作家活動の“基盤”ともいえる。(P307) 「言葉とは何かと徹底的に考えぬいた」人の「ことば」が、やがて、タイワン語とチューゴク語の織り交ざった二ホン語による「小説」という世界を紡ぎ出していきつつあるのが、たとえば、ボクが先だって読み終えた「恋恋往時」とかなのでしょうね。 失われた母国語という問題意識が引き寄せる、過去100年に渡る台湾、中国、そして日本という、それぞれの国とそれぞれのぶつかり合いの歴史と、その結果、今、そこにある社会とを土台にし、その社会で生きてきた、生きている人間の姿を、ことばを問い詰め続けることで描こうとしている!彼女の小説世界の、まあ、ボクにとっての面白さ背景が語られている名エッセイ集でした。 ボクが、今さらいうまでもないことですが、エッセイスト・クラブ賞、当然!ですね(笑)。おススメですよ。目次Ⅰわたしのニホン語事始めなつかしさよ、こんにちはピンイン様の逆襲眠る中国語ママ語の正体南方訛りⅡペーパーガイジン「投票」したい台湾総統選挙を控えて台湾総統選挙の日わたしの国々Ⅲ母「國」語の憂鬱幻の原稿龍の年祖国語、母語、娘語永住権を取得した日Ⅳイマジナジア―馬祖への旅(1)台湾海峡の彼方へ―馬祖への旅(2)「国語」を抱きしめて―馬祖への旅(3)Ⅴ失われた母国語を求めて終わりの始まりⅥ台湾総統選挙を終えて「ママ語」で育ってよかった!―日本エッセイス・クラブ賞受賞のことば生い繁ることばの森へあとがきUブックス版に寄せて このエッセイ集を読んでしまえば温又柔という作家の小説は、まあ、読まんでもいいんじゃない?そんな印象をお持ちになる方もいらっしゃると思いますが、そうでしょうか?彼女の小説はここから始まるのですが、エッセイの向こうにたどり着きたいという、作家の意志は小説にこそ表れつつあるとボクは思うのですよね(笑)。2026-no028-1243追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.26
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ヨルキン・トゥイチエフ「ファリダの二千の歌」元町映画館 元町映画館がやっている「中央アジア今昔映画祭 vol.3 ウズベキスタン特集」の4本目です。2020年の製作ですから今回見ることができる作品としては、一番新しいウズベキスタン映画ですが、作品が描いていたのは、ほぼ、100年前のロシア、ウズベキスタンでした。 見たのはヨルキン・トゥイチエフ監督の「ファリダの二千の歌」です。 農夫としか見えない老年の男が、ロバが引く幌付きの荷車で岩ばかりの荒涼たる平原を進みますが、幌の後ろにかかっているのは女性のドレスらしくて「なんだこれ?誰か乗ってるの?」といぶかしんでいるうちに映画が始まりました。 荷車が止められて男がピユーって指笛鳴らすと、草むらの向こうに人が現れて、その向こうに土の家が見えてきます。どうやら、到着したようです。 家には母親ふうの女性と姉妹に見える二人の女性が暮らしているようです。幌からファリダという名の若く美しい女性が降りてきました。 で、荒野の果てのような土の家での五人の暮らしのはじまりです。遠くの山のほうから美しい歌声が響いています。 一夫一婦制の習俗しか知らないボクには、なにが起こっているのか意味不明ですが、カミルというらしい、この家で、ただ一人の男性である、老農夫が何を考えているのかもポカーンです。その上、毎日、遥か彼方の山のほうから聞こえてくる歌声が、最初は「風の音よ」という、一緒に暮らす女性の一人のセリフに納得していましたが、この歌声が、ただのBGMではなくて、誰かが、山にいると気づき始めて「うーん…???」でした。 歌声の主は、山の洞くつに鎖でつながれている一人目の妻で、カミルが連れ帰ったファリダが5人目の妻でした。 で、その五人目の妻ファリダが、カミルの初めての子どもを身籠ったらしいというあたりから、映画は揺れ動き始めます。 まず、ロシア帝国の崩壊とボルシェビキの進軍という、おそらく、ウズベキスタン史上の大事件が、荒野の土の家に襲いかかります。 ファリダの妊娠、逃走する白軍による家財の没収、4番目の妻の不倫、逆上するカミル、騒然とした混乱が映画を包み始めた、とどのつまり、3番目の妻である女性が逆上する夫カミルに逆らい、家を出ます。物語は終盤に差し掛かっているようです。 カミルは残っている女性たちを家から追い出し、山の洞窟につないでいた最初の妻の鎖を解きます。 で、ついにやって来た赤軍の兵士たちの前に、なんと、ロシア帝国の高級軍人の軍服に身を包んだカミルが登場するにいたって、見ているこっちの驚きはほとんどピークです。最初の写真のシーンです。 しかし、話はそれでは終わりません。とどのつまりは、赤軍協力者として再登場した三番目の妻の構えた銃口が、かつての夫に向けられ、銃声がタジキスタンの山々に響き渡ってラストです。 最後の山場として映し出されたそのシーンを見ているボクは「うーん!?」と唸って座り込むほかありませんでしたね。「ファリダの二千の歌」という題名が意味することは何だったんだろう?そんな困惑が頭のなかでぐるぐる回ります。 帝政ロシアからボルシェビキ革命へと揺れ動くロシアという大国の、あるいは、今、ソビエト連邦から独立した辺境国家ウズベキスタンを描いた歴史映画だったと思うのですが、一夫多妻の妻の一人が、夫であった帝国軍人を銃を向ける。 実に象徴的な事件ではあるのですが、それもまた、山々にこだまし続ける二千の歌の一つだということでしょうか。 荒涼たる広大な自然と、旧弊な生活、そこに響く夢のような、しかし、哀しみに満ちた歌声の世界の、突然の切断としての銃声。 整理しようとして困惑は深まるばかりという、わかったとはとてもいえない作品だったのですが、それはそれで、興味深く、面白い作品でした。拍手!監督・脚本 ヨルキン・トゥイチエフ撮影 バホディル・ユルダシェフ美術 ベクトシ・ラジャボフ編集 フルシド・アリホジャエフキャストサノバル・ハクナザロワバフロム・マチャノフイルミラ・ラヒムジャノワユルドゥズ・ラジャボワマルジョナ・ウリャエワ2020年・110分・ウズベキスタン原題「Faridaning ikki ming qo'shig'i」2026・03・20・no053・元町映画館no353追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.25
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自宅の前に水仙郷です! 徘徊日記 2026年3月24日 団地あたり いよいよ2026年の三月、弥生も下旬に差し掛かりました。 自宅の前の緑地に水仙郷です(笑)。ここだけなぜか大柄な花をつけていて、前に座ってスマホを構えると、なんとなく表情があって面白いです。 水仙で、春というイメージがボクにはありません。団地でも、ほかの場所の水仙は1月の終わりころから咲いています。遅いんですけど、愛嬌があるのがいいんです。 玄関出たところの、この白い花は雪柳です。団地の生け垣の花で、咲き始めると「春」を実感します。 で、その隣は山桜桃梅です。花を見ると透き通った可愛いい赤い実が思い浮かびます。 いや、ホント、そうはいっても、もう、「春」ですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.03.24
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リュドミラ・ウリツカヤ「ソーネチカ」(沼野恭子訳・新潮クレストブック) 「子供時代」という童話のような絵本のような作品を読んで、現代ロシア文学を代表する作家だということを、まあ、実に遅ればせながら知って、最新作「緑の天幕」に仰天したリュドミラ・ウリツカヤですが、続けて読んだのが、この「ソーネチカ」(沼野恭子訳・新潮クレストブック)でした。ウリツカヤの作家としてのデビュー作のようです。なんという悲しみ、なんという幸福感 翻訳家の柴田元幸が初版の腰巻に載せたホメ言葉です。 本作を、お読みになればおわかりだと思いますが、さすが柴田元幸!というか、「お上手」としか言えない一言批評です。 で、書き出しはこんな感じです。 赤ちゃんなのか子供なのかわからないような幼いときから、ソーネチカは本の虫だった。気の利いたことを家族にいうのが得意な兄のエフレムは、いつもお決まりの冗談をくりかえしたものだ(もっとも、兄が初めて口にしたときにはもう使い古しといった感じだったけれど。)「本ばかり読んでるから、ソーネチカのお尻は椅子みたい、鼻は梨みたいになっちゃったんだ。」(P4) ついでに、まあ、いきなりで申し訳ありませんが、最後はこうです。 夜ごと、梨の形をした鼻にスイス製の軽量メガネをかけて、ソーネチカは、甘く心地よい読書の深淵にブーニンの暗い並木道に、ツルゲーネフの春の水に、心を注ぐのだった。(P133) 最後はパーキンソン病のふるえる手で本を持っている主人公の姿なのですが、読み終えたボクに浮かんできたのはなんという幸福感!でしたね。「なんという」が、ただの感嘆でも、疑問でもないところが凄いんですよね。 本の虫で梨の鼻のソーネチカが、一回り以上年上の反体制的な芸術家ロベルトに見初められ、結婚します。まあ、夫のせいですが、流刑地を移動しながら、貧しくも幸せな生活を送る中で、一人娘ターニャが大きくなり、ヤーシャという美少女と友達になって家に連れてくるようになります。で、そこから、・・・。はたして、本書の紹介にある「神の恩寵に包まれた女性の、静謐な一生」と言えるのかどうか、「なんという悲しみ」としかいいようのない女性の一生です。 本が好きだということは、実は、哀しいことなのかもしれませんね。本好きを自認なさっている、あなた、まあ、お読みになってみて下さい。 2026-no031-1246追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.03.24
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