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私のヘルパー資格、介護福祉士の資格を後押しして下さった「さわやか愛知」さんのイベントがあり、認知症をテーマにした講演を聴いてきた。以下、傍聴メモ。◆来島修志氏(日本福祉大学高浜専門学校作業療法学科学科長)「おしえてください昔のこと きかせてくださいあなたの思い出~回想法って何だろう?~」・回想法は元々は認知症の方を対象にしていたが、それを予防的手段として健康な人を対象にしてきた。そして日本初の回想法センター開設。→北名古屋市回想法センター元々は歴史民族資料館。そこにある様々な道具・資料が使えないか?・回想法のきっかけとして、故郷や道具がある。→思い出が楽しく甦る、目で見て触れる(手続き記憶)普段思い出せないが、道具があることで、言葉だけよりも、手が勝手に動く。・心理療法としての意味合いには、老年期の課題でもある「死の受容」がある。・認知症であっても、記憶は忘れても感情は残る。→当時思ったことではない今の思い-過去に戻るわけではない。今の思い、気持ちで満たされる。→行動が広がる、これからの生活を見通せる・役割を与える。することは周りに譲る→見守り役、仕切り役。=自発性、自尊心、役割機能が人と社会との絆を深める。・回想法の種類1.作業回想法 2.テレビ回想法 3.パソコン回想法・認知症の方の持てる力1.長期記憶-子どもの頃の記憶2.手続き記憶-手や身体で覚えたこと3.感情機能-喜怒哀楽・受けるケアから役割を果たす支援へ。◆堀田力氏(弁護士・さわやか福祉財団理事長)「認知症になっても安心して暮らせるまちづくり」・記憶に障害があっても人間らしく、その人らしく生きる→尊厳その人の持っている背景を尊厳することで、行動の意味が解り、対応できる様になる。・認知症の例え→目隠しされて知らない土地に拉致される。その時、人はどうするか?動き出す、何か探そうとする、逃げる=恐怖・不安=当然の行動。│自分の記憶が泣くなっていくのがわかる、浮き沈みがある。→お金が頼り→隠す→忘れる→パニックになる→人を見ると犯人。対応:お金を渡す→安心(理由はどうあれ)。それをまた隠そうとする→どこに隠したか周りの人は覚えておいて、居ないうちに返してもらう→お金を渡されていたことも忘れている。・相手の気持ちに合わせて対応→尊厳を認める-妄想に合わせる=相手のとっての本当。・本人の持っている能力を発揮ex.認知症グループホームで学童保育 残存応力を生かして子どもたちをみる 登下校の安全-一緒に歩いて周る・普通の方として地域が理解する、受け入れる→誰もがなるかもしれないこの長寿社会からのメッセージ。お二方とも軽妙な語り口で、聴く側を飽きさせない楽しいお話だった。こういう「難いテーマ」はどうしても、小難しいことを果たしたがる「専門家」がいる。でも、こういう一般向けの講演で一番大切なことは、いかに社会にメッセージを伝え、それを受け取ってもらえるか?と思われるので、今回のテーマに相応しいお二方だったと感じた。その後、交流会があったが、あまりのエネルギーに、しばらく自分の至らなさを痛感して落ち込んでいた。でも、帰りの車を走らせているうちに、再び自分の中からエネルギーが湧いて来たのでよかったことにしよう。今後ともお世話になります。受付で「覚えてる?」って声を掛けて頂いたIさん、とても嬉しかったです。もちろん覚えています。イベントの成功を誰よりも祈るなか、「その笑顔なら大丈夫!」って声を掛けて頂いたMさん、嬉しかったです。私はいつもあなたからエネルギーを頂いています。新しい事業の担当になり緊張がある中でも、「元気で今もやってる?」って声を掛けて頂いたHさん、嬉しかったです。元気でやっています。また近況を話せる機会があれば良いですね。
Mar 31, 2007
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今日は、度々登場している方のホームヘルプ(→今まで)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)今日は名駅へ。来月名駅に行こうと約束をして、1ヶ月経つ。その約束は果たした。念願のミッドランドスクウェアのスカイプロムナードは、窓ガラスのある部分は行けるが、窓ガラスのない吹きざらしの部分は、恐怖で行けず引き返す。高速エスカレーターにも乗れ、地下のインポートショップでお土産を買って帰宅。前回の名駅(→その時)での検証を踏まえ、名駅の名鉄のホームで怯える様な状態で耳を押さえていたので、今回は、JRで普通電車で往復をする。(名駅で切符を買うのに時間が掛かるのは負担と思い、了解を得て、行きの駅で往復切符を購入。)名鉄とJRでの違いの検証名鉄:車内アナウンスが車掌、普通電車の乗客が少ない、名駅のホームに入りづらい。JR:車内アナウンスがテープ、普通電車の乗客でもかなり混雑、名駅のホームまでさほど抵抗なく入れる。これらの条件により、名鉄の普通電車では、一番後部座席に座ることで、車掌のマイクを持つなどの動きがわかる分、その時だけ耳を押さえている。JRの電車では、ワンマン電車だったり、車内アナウンスがいつ流れるかわからないので、常時耳を押さえている。また、乗り換えの駅での待ち時間、特に帰りの乗り換えの部分で、怯える部分があるように感じる。通過電車などがあるためと思われる。また、過去の嫌体験もあると思われる行きは、目的があるので、ある程度の我慢もしきれるのかもしれないが、帰りは、目的が達成されているので、その我慢に対する動機付けの部分で弱いのかと感じる。これらを踏まえると、一番のベストの電車は、「乗り換えのない名鉄の普通電車」のように感じる。セントレアなどは乗り換えが必要な部分は出て来るが、彼の負担の少なさを考えると、普通電車を利用するのがベターなのかと思われる。ある路線では時間的に急行を使った方がよい部分もあるが、その分、彼の負担が少なくなる様に配慮は必要。(座席の確保、文章カードなど。)なので、最近は急行にはあまり乗っていない。彼が急行に乗りたいと言っても、静かな方が良いよね?と前置きした上で・急行はお客さんが多く、ザワザワしている、・普通はお客さんが少なく、静かである、ということを伝え、選んでもらうと、普通を選ぶ。ただし、セントレア発など「始発の急行」の場合は、待合室で電車が来るところを見て、一番に乗り込み、一番後部座席を確保できれば、まず乱れることはない。彼が安心して、負担が少なく穏やかに楽しく過ごせる為にできることをこれからも検証していきたい。
Mar 30, 2007
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届きましたー!!☆ステキな箱です☆ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃☆パカっと箱を開けると、ダマスコ織の豪華化粧箱☆ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃☆ふたを開けると…いやーん、キュートな天使ちゃんが!!☆ウォーリーボックス Worry Box Guardian Angels~守護天使の秘密の小箱~◆Worry Boxの歴史時は19世紀、産業革命の頃のイギリス。北東イングランドの城塞都市ニューカッスルアポンタインから当時オマーン王国が支配するアラビア半島へ船の修繕に向かった造船技師たち。しかし、彼らを乗せた商船が、その地域に出没する海賊に乗船客もろとも囚われてしまいます。不運に怯える婦人をなだめる為に、造船技師が作ったものが、天使の姿を彫った三体の木人形だった。そう光景を見た乗船客の一人が、機転を利かし人形と共に救援要請の手紙と共に紙袋に入れたのがWorry Boxの由来だと言われています。無事生還した婦人たちから、その逸話を聞いた商人が天使の姿を熟練のガラス職人に作らせ、箱に入れて自分の店に来た客らに贈答品として配ったところ、“落し物がみつかる・意中の人に告白される・探し人が見つかった”等悩み事が解決したという噂が広まり、それ以来北東イングランドでは、幸運の小箱として人気を博しております。Worry Box お願いの頼み方1.お願い事は1枚の無地の紙に一つだけ書く。2.三人の天使たちが読めるように書いた方を下にして箱の中に入れる。3.お願い事を入れる時、夜中の0時前に入れる。4.お願い事は自分以外誰にも見せてはいけない。5.お願い事が叶ったら次のお願いをせず、天使たちを休ませてあげてください。どうすることもできない時、頼りにしてます。やっぱり御守りは必要です、ハイ。大好評♪♪ウォーリーボックスWorry Box Guardian Angels~守護天使の秘密の小箱~~貴方を祝福...
Mar 29, 2007
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「施設の方への支援」が、必要なし、ということで、本日もオフに。まぁ、仕事がなくなるわけなので、私自身のことを考えれば、痛いのだが、でも、ちゃんと施設職員さんで彼を支援していけるという見通しができたことは、喜ばしいこと。それがこの目的だった訳なので、ホントにこの3ヶ月は貴重だった。が、大事なのは、4月に入ってから。新しい環境に一見馴染んでいるようで、そのストレスはどれほどかかっているのか、いないのか、その変化をよく見定めて、気づいて必要な支援が職員間でできればよいと願う。地元の地域の施設に通うことが出来たという事実には変わりはない。ご本人、ご家族の意向に寄り添う支援が、また一歩進んだ。
Mar 28, 2007
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「施設の方への支援」が、必要かどうか、見定めるということで、本日の私は、自宅待機という名の休み。そして、職場仲間とお別れということで、私なりの気持ちを伝えるべく、ネットで商品検索。検索していると、以前から私が欲しかった品もあり…。お、思い切って両方注文!!2日後に届きます…ふふふ、楽しみなり。
Mar 27, 2007
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私の実家も震度5弱。地震とは無縁の地域。あっても震度3ぐらいだった。小学校の頃は、避難訓練で机の下に頭を隠すなんて、実際にあるのか?と思っていた。不謹慎ながら、ちょっと地震があって揺れると、その非日常を喜んでいた私。でも、東海地震のエリアに住み始めて、地震を意識し始めた。そして、「まさか」の地震。家族と決して良好な関係とはいえない私。でも、「私の部屋が心配」で、実家に電話した昨夜。柄でもない…。声も聞きたくないのに…。で、あとは友人あたりにメール。タンスの上のぬいぐるみが落ちた、テレビがうつ伏せになったなどあったが、震度ほど被害はないよう。あの震度というもの、被害の度合ではないんだよな。どれだけ揺れたかというものなんだよな。そう思うと、震度が低いからといって、被害がないかといえばそうでもないんだよな。「震度=被害」ではないのかもな。油断大敵です。
Mar 26, 2007
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涙もろいのです。泣き虫な私です。勝手に涙が溢れてくるよ。…携帯より。
Mar 26, 2007
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今日は、度々登場している方のホームヘルプ(→今まで)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)よりによって、支援直前に能登半島地震…。やや気分が高じる。本日もセントレアご希望。前回の反省を踏まえ、昼食時、先に席を取って置いて、彼に座って待って頂いて、私が注文・受け取りをしてくる形で行う。そうすると、怒ることなく食事を済ますことが出来た。今日は自宅に戻ると、感情が高ぶって、お母様に八つ当たり。前回のように「約束」は交わした。そこで、要因を考えてみる。1つは、帰りの駅で知人を見かけたこと。そのことで、「今から会いたい」など収まりが効かなくなった。→わかる範囲であれば、駅を変えるなどで対応する。2つは、突然に想定外のことが起こり、それが音・言葉に関わることだと、自分でセーブが利かなくなるように感じる。それが自分で起こしてしまったことに対してでも同様に感じる。→音に関しては最近発売されてきた「ノイズキャンセリング」機能のあるイヤホン、ヘッドホンなどを試してみる(以前、水泳用の耳栓は試したことがあるが拒否)。この2つの要因があれば、「約束」も効果がないのか。あくまで仮定は仮定。検証は続くよ、どこまでも…。
Mar 25, 2007
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5時間の余暇支援。天気に細かい私は、携帯サイト「ウェザーニュース」に登録(月額100円)している。本日はいわゆる重症心身障害のある方なので車椅子を使用。天気を朝から(というより先週ぐらいから)天気を気にしていた。1時間単位で予報が確認できる。それで、ちょうど支援時間の残り1時間の所で傘マーク。帰りは駅までお迎えに来て頂くとして、問題は出先のプールから最寄り駅までの5分ちょっと。その間に雨が降っていなければ濡れる心配はない。プール上がり…まだ降っていない。コンビニで昼食を買いに行く。室内に戻り、昼食を済ませ、さて駅へ…ザーっと雨が降っております…。私の折り畳み傘を差し、濡れないように車椅子を押すのだが、プールから駅までは下り坂…。半ば片手で押す、というより勝手に下っていく車椅子を引っ張りながら、コントロールしながら…。何とか、辛うじて?足元が少し濡れるぐらいで済んだ。こ、こういう時は、ポンチョぐらい用意しないといけない?お迎えの駅。最近ようやくスロープが整備されたのだが、線路を挟んで反対側が駅のメイン。一応こちら側にも簡易改札があるのだが、一旦外に出てから、反対側の駐車場のあるメイン側に廻らなければならない。しかもこちら側メインでない側は、車の寄せが出来合い狭い通行止めの場所。結局、また傘を差しながら車椅子を押して、若干濡れる。この私鉄は、最近、駅改良工事を特に無人駅を中心に進められている。メインは自動改札の設置なのだろうが、スロープの設置も始まっている。それはそれで良いことなのだけれど、無人駅で自動改札の場合、切符の買い方のマニュアルを解りやすく張っておいてほしいもので。スロープはあっても、チェーンで鍵がかけてあったり、スロープもない大きな駅もまだある。事前に駅に申し送り、駅員を配置して移動なのだが、少ない予算で…と考えるとスロープになるんだろうなぁ。エレベーターなんてありえないんだよね、多分。でも、そうやってできるところからやっているという点では、評価しないと、いけないんだよね。謙虚な姿勢で伝えることは伝える。相手を慮る態度、必要です。
Mar 24, 2007
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不二家から感じます。福祉も同じです。私がその犠牲者ですから。
Mar 23, 2007
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代理母認められない最高裁の判決。子どもはどう思うだろうか。法律が現状に着いてきていないことが露呈。現状追認的に法律、制度が整って欲しいと願う。自分のこととして…。
Mar 23, 2007
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えー、今年も私は非課税です(え"私、数学は好き(得意)だが算数は苦手(理論は好き、計算は苦手)。数字に抵抗感を感じるので、数字にまつわる事項は不得意である。つまり、税金。私は確定申告をする必要があるのか?これがここ昨今の私の大きなテーマ。事業所にも問い掛けはしたものの、「餅は餅屋」ということで、明確な回答は得られず。で、本日、税務署に電話・問い合わせ。先日、直接税務署に伺い、書類を頂いたが、いまいち理解できず。書類を読み込み、どうやら私の「所得」は0らしいということはわかった。が、「源泉徴収」という仕組みがよくわからず…。0に対して税金を掛けたところで0である。そのことを税務署に問い合わせると、私は確定申告の必要はないらしい。その代わり、役所に市民税の申告をせよ、といわれる。で、市役所税務課へ問い合わせ。事情を話し、給与明細と印鑑を持って、申告に来いとのこと。で、役所税務課へ赴き、申告をする。嬉しいやら、哀しいやら、私は今年も「非課税」である。うーん、うーん、どうなんでしょう(苦笑)障害者自立支援法の「自立支援医療」の対象である私は、「非課税」であれば、上限に制限がある。非課税の私、市民としてどうなんでしょう(苦笑)税金も払えない私は、今年も市民の皆様に支えられ生きているのである。
Mar 23, 2007
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本日も2時間半、町内をウォーキング(→前回)体重、体脂肪減少は更新!!今日は、支援時間ギリギリのギリギリまで布団の中にいた。最近もギリギリなのだが、今日はめちゃギリギリ。どうしても眠いのである。起きられないのである。特にここ1ヶ月は、確実に起きる時間が遅くなっている。そんな身体の状態。寝起きは最悪。多分、仕事を始めて1年。それなりに身体が金属疲労を起こしているのかもしれない。3年のブランクがあって、1年続けただけでも立派だと思わねばと思う。でも、身体は正直だ。ヘルパー不足という現実を目の当たりにしているので、それも、見えない「敵」として私のこころを蝕んでいるのかもしれない。最近、何だかスケジュールを見るのが怖いのである。ちゃんとやれるのかどうか。迫り来る現実に、逃げ出すエネルギーもないので、その現実に従うまでの日常なのだ。私に爽快な朝は来るのだろうか。ギザ眠シ…。
Mar 22, 2007
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ヘルパー不足が否めない現状。そんな現状を何とか出来ないものかと日々考える。そしてとあるアイディアがひらめいた。が、基本的に私は走り出したら止まれなかったのだが、今は身体が着いて来ないのである。頭はグルグルと考えが過ぎる。それを紙に書き出して図式化。それはとても考えられないような発想で、現実的ではない。でも、それを何とかできるパワーが今、ない。それでも、何とか少しでもヘルパー不足解消の為にと思い、とあるフォーラムに参加申込み。あーまた勢いで動いたか私…。1ヵ月後のフォーラムに参加できるのか?1ヵ月後にそのエネルギーが湧いているのか??30歳の大台にカウントダウンがスタートした今日。こんなに萎えた30歳を迎えるとは正直思わなかった。否、まだカウントダウンがスタートしたところ。春の訪れと共に、エネルギーも湧き上がることを祈ろう。
Mar 21, 2007
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昨日の打ち合わせ3を踏まえ、支援。といいつつ、作業の組み立てや流れ、準備等、殆ど職員さんで出来ている。私は、確認の為にいるようなもの。彼の様子などから感じることは記録してゆく。そして次に繋げる。彼が作業から次の作業に移れない時があった。ワークシステムとして、左から右という流れがある。つまり、彼の左側にこれから行う作業、右側に終わった作業。一つの作業が一つのコンテナに入っている。終わると空のコンテナが右側にある。ある作業。終わると検品が必要で、それはスタッフさんで行う。その完成品を後ろに置くのだが、それをスタッフさんが受け取った。すると、その検品の作業の様子を見る為に、彼は作業室を離れた。検品終了後、作業室に戻れない。誘導して作業室に入るが、この作業だけは一つの作業で二つのコンテナを使用している。この作業が終わった時には、左右共に空のコンテナができる。おそらく、左→右の流れが出来ているので、彼が次の作業に移ってから、完成品を受け取って検品を行う。→完成品が別の場所に移るのが目に見えてしまった。→左右共に空のコンテナがあるのでわかりづらい。この2つの要素が重なってしまったので、スムーズに次の作業に移れなかったと仮定。それを報告。次に繋がると思われる。職員さんの変化…少しの自信がこころの余裕を生み、自分で考えられるようになる。人が変わるきっかけは何処にでもあるのかもしれない。最初のきっかけをやはり大事にしたい。人が変わっていく姿を目の当たりにして、改めてそう感じた。
Mar 20, 2007
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前回の支援から1週間(→前回)。支援の仕方や内容も変わっていると思い、現状を伺いに行く。もう、殆どこちらが介入する部分はないらしい。前回に私が感じたことを受けて、支援の内容も変更点があり、それをベースに今は進んでいる様である。やはり、複数で関わる以上、密な情報交換は必要である。
Mar 19, 2007
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生きてゆくことさえ意味もなくて価値あるものなんて何にもないような気がして『君の家に着くまでずっと走ってゆく』GARNET CROW体重が80kgオーバーだったのが、76kg台まで減少。体脂肪が23%オーバーだったのが、19%台まで減少。たったの2ヶ月でです。ヤバイよね。最近ホントに起きられない。仕事はサクサクとさせて頂いておりますが。ここ2ヵ月、相当な重責を勝手に背負っていたのかも。そして今も。私には、見えない「敵」がいるのは、間違いない。さもなければ、こんなに痩せません。今日も、ちびまる子ちゃんまで布団中でした。
Mar 18, 2007
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今日は、ここでは何度か登場している方のホームヘルプ(→1,2,3,4,5)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)プールへお出かけ。お迎えの玄関先で「目的地のカード」を手にしている彼。前回私とのプールの時は「駅カード→電車カード→目的地カード」だったのだが、あまり、そこには固執しないのね。ダイレクトに目的地の方が動機付けとしては強いか?クッキーの時と同じか?プール自体は、温浴ジャグジーで水遊びをして楽しめている様子。プール後の買い物も、電車も帰宅もカードでスムーズに帰宅。帰りの電車で待ち時間にちょっとブチっとお怒りになっていたが、すぐに私の手を握り締めて落ち着く。1時間半、プールのジャグジーでほぼ2人で独占状態で過ごしていた。ジャグジーは外にあるので、あまりお客さんが来ないのだ。1時間程彼のいつものスタイルで水で遊んでいた。そしてその後…、それは良いのだが、手を休め、私にハグするような形で、私の顔を「ガン見」している。そして私の顔に彼の唇が触れる。…うーん、うーん、まったりするのは良いのだが、彼の年齢を考えるとアウトでしょう?小学生高学年で男同士チューはイカンでしょう?以前、別の方でもハグがあったが(→その時)求められるものと年齢的なものとのバランスって大事だと思われる。歳相応の接し方というのは大事であって、それが周りの見本になる。その感覚がズレていないかどうか、自分を振り返る必要はある。
Mar 17, 2007
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本日は仕事オフ。なんやかんやとゆっくりと眠れていない最近の私。当然、朝が来ようが眠っている。すると、携帯にメール。この春大学へ進学し、この地を旅立つ人へ進学祝を用意していたのだが、渡すチャンスに恵まれずにいた。そのお方から、いつ会うかのメール。私の休みなどを加味して、今日か、春分の日か、来週の金曜か。思い立ったが吉日、善は急げ、ということで、インスピレーションを大切にする私。重い身体鞭を打ち、今日会うことにした。久しぶりに名古屋越え。車を久しぶりにロングに走らせた。ひょんなことから出会ったお互い。この地を離れても、また繋がっていられることを願う。時は勢いまかせ走りぬけたい(by AZUKI七 from GARNET CROW)
Mar 16, 2007
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今日は、ここでは何度か登場している方のホームヘルプ(→前回)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)彼はこの春、卒業。といっても養護学校なので、通う場所は同じだが。卒業なので、他の生徒より休みが多い=ご家族の見ている時間が増える。春休み最初の余暇支援。3時間。いつもより1時間早くスタート。今日も「行きたくない」様な声を挙げながらも、玄関先まで来る。自分で「TV-PCコース」にスケジューリングする。この「TV-PCコース」は2時間の組み立てで普段の放課後支援として過ごしている。つまり、今日は1時間多い。彼の一番強いルーティンは、1.受付に行きPCのマウスを借りる2.ジュースを飲む3.TVを観る4.PCをする5.帰宅(*PCは1時間しか借りられない)前回は、「1.受付に行きPCのマウスを借りる」を「3.TVを観る」の後にするのに乱れる。今回は、「4.PCをする」を「3.TVを観る」の前にするのに乱れる。つまり、既にマウスを借りてしまっているので、観たいTVを観てからPCだと、PCが出来ない。かといって、観たいTVまで時間があり、観たいTVを見た後にPCをすると充分にPCの時間を確保できない。彼がこの3時間を、順番を抜きにして、やること自体を満足いくものにするには、TVとPCの順番をいつもと逆にする必要がある。しかし、彼にとって「順番」も大事。さてどうする私;;私は、何とかしてこのルーティーンを崩せないか試みる事にする(チャレンジャー;;スケジュールの写真を入れ替えることにまず抵抗。文字は認識できるので、写真の横にデジタル時計の時間を紙に書き、写真で出来る具体的な内容を紙に書く。PC写真 15:00 やること…TV絵 16:00 やること…TVを観るならPCは出来ないとPCの写真を裏返しにしてみる。すると、PCは表向きにするが、どうしても拒否をする(想定内)。もう一度、ゆっくり、縦の時系列で、私の腕時計を見つつ、やることを確認する。一緒に口にしながら、PCで検索する言葉を一つずつ、TVで観る番組を一つずつ。何度かしていると、ちょっと怒りながらも、自分でマウスを持ってPCへ。そこからはいつも通りPCをして、タイマーを目安にTVの時間を確認し、TV番組を観る。前回も「満席」という彼にとって「予定にないこと」が起こり得る。ルーティーンを守りたいことはわかるが、そうもいかない自体が起こり得る。そういった時に、少しでもルーティーンを崩した経験=パターンが増やすチャンスとして一緒に経験値を増やしていって、そのルーティーンに固執しなくても安心できるものを増やすことも大事かと思える。当然、ルーティーンの崩し方も慎重にかつ丁寧に行わないと、ただの苦痛になってしまう。当然、周りの都合を押し付けるだけで、何のメリットもないというのは良くない。そこはWIN-WINの関係構築でありたい。いろいろ彼らにとって「困ったこと」が世の中にはある。でも、その場面に遭遇した時に、一緒に乗り越えていける関係、この人とであれば乗り越えられるという関係でありたいと思う、昨今の私。
Mar 15, 2007
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またまた携帯より… 躰がヘロヘロなのに、脳が冴えているのね。 金縛りになりそうになり… うーん、踏張れ私!!
Mar 15, 2007
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ヘロヘロと言いながら、街中をホームヘルプで歩き続ける。今日は1時間。1週間前は2時間半。あくまで街中を歩き続けるのは、同じ街の中に暮らすものが、極自然に風景の中にある重要性。今日も、下校中の小学生が石を蹴りながら歩いている。その小石がたまたま散歩している2人の私たちのもとに転がってきた。小学生、「ごめんなさい」。私、大丈夫だよスマイル。休憩していると、小学生、「こんにちはー」私、「こんにちはー」スマイル。街中を歩いていると、かなりの接点がある。同じ休憩するにしても、内々で過ごすより、社会資源を活用していきたい。それをご家族もご本人も望んでいる。かなり散歩(ウォーキング)をしていても平気な彼であるが、今日はいつも持参したクッキーをすぐに全部食べてしまうのだが、今日は殆ど食べない。しかし、水分はよく摂取する。いつもは歩いていても、歩くコースを要求されるのだが、今日は、室内を強く要求される。なので、室内で過ごすことにする。帰宅してその様子を告げると「便秘」だろうかと。そして本日がその排便の予定の日であった。彼の「訴え」が何なのかを把握しておくことは大事。しかも、明日は歯科通院で有り余ったエネルギーを消費して欲しかったとお母様。私は、かなり「歩く派」なのだが、今日の「変化」と「要求」は強かった。いつもバランスを考えるが、ご本人の意向とご家族の意向と「どっちを取る?」と尋ねるのは、何か野暮ったい。どっちも大切なのは言うまでもない。でもそれを対話で「WIN-WINの関係」であるように持っていくのが役割。やっぱり、そこを考えていきたい。
Mar 14, 2007
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打ち合わせ1,2を踏まえて支援を行う。自立課題への取り込みを作業と併用して行う。今回は殆ど離れて見守る。作業の準備などを施設職員さんと話をしながら、実際に施設職員さんにやって頂く。施設職員さんも彼ばかりに付きっきりではいけないので、他の利用者さんを見ながらになる。実際に4月からは施設職員さんで対応して頂かないといけないので、少しでも彼が自分で出来るような工夫や配慮、職員さんの負担が少なくなる工夫や配慮を考える。施設内にトランジションエリアを設けて、作業から食事、食事から作業などの際に、トランジションエリアに行き、次の行動のカードを取って動く。トランジションエリアに行く際には、彼の名前の書いた「○○カード(名前カード)」を持っていく。しかし、昼食が終わって、休憩し、タイマーが鳴ると「名前カード」を持って、トランジションエリアに行くのだが、タイマーが鳴って「名前カード」を取らない。どうしても声掛けが必要。また、「終わり」が自分でわかるように、作業のケースに「名前カード」を入れて、そのカードを持って、自分でトランジションエリアに行くという仮定を立てていたが、これも初めてのことで、声掛け、指差しで移動。掃除を以前は前回は洗面を磨くことをしていたのだが、あまり経験がないので、今日からは自宅でもやっている掃除機を取り入れる。ただ、掃除機という流れが初めてなので、どう動けばいいのかわからないので、そこは、声掛けや指差しが必要。掃除機も、終わりを告げるのにタイマーを使ったが、掃除機の音でタイマーの音が聞こえない。これでは、「自分で動く」ことが出来ない。ましてや、この時間帯は、パートの職員さんも帰って、人手が不足している。この「名前カード」がどうも「トランジション」に強く結びついていない感がある。カードを手にしたあと、「間」がある。カードを変えるのか、トランジションの方法自体を変えるのかどうか。事務所に戻り、責任者に報告。まだ、2日目だが、検証することがたくさん出てきた。
Mar 13, 2007
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とりあえずメール更新。 えー書くこといろいろあれど、 からだがヘロヘロなので、 また近いうちにまとめ書きします。 仕事はしっかりとさせて頂いております。 それ以外は、食べると寝るです、はい。 ここ2ヵ月で、腕時計のベルトの穴が2つ分、手首が細くなりました。 やばいよねぇ。
Mar 13, 2007
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本日から同行支援が始まる。本日私の担当ではない。昨日から布団を出るのが困難な状況。明日の同行支援は私が担当。実際、今日はどうだったのか、気になるところではある。しかし、何せこの躰…しばらく布団で状況を確認しに伺うか迷う。でも、そこは力の抜き方がわからない私。躰に鞭を打って直接伺う。→打ち合わせ1伺って正解。前回の流れから疑問が一つあって、それをどう対応するのか知りたかった。複数人で対応すること。統一させておく必要はある。初回の打ち合わせと若干異なる点があり、その場での臨機応変に弱さを持つ私の取っては、事前に知りうることは知っておくことは大事なこと。私が思い描くイメージを確立させることは、不安を取り除く意味でも大事。
Mar 12, 2007
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本日、友人が所属している楽団の演奏会に行く予定でいた。→SAKURA Wind Orchestraでも、ここ1ヶ月の落ち様(→その様)からか、見る夢全てが、悪夢、あくむ、AKUMU。これは人前に立てる状態ではないと思い、予定をキャンセル。結局夕方の18時過ぎまで布団に籠る。それでも取れないモヤッと感。結構厄介なものかもしれない。
Mar 11, 2007
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3月、春、別れの季節。本日4年生の送別会。あんまり私と顔をあわせることはなかったけれど、記録などからその活動の軌跡は知っている。私が1年前から顔を出し始めたので、殆ど「先輩」である。なので、1年前はレクチャーなどを受けて、お世話になった。皆さん優秀で、就職先が決まっている。就職浪人の私と大違い(爆・業界では全国に名を馳せる団体に携わる人・これからNPOの立ち上げに携わる人・行政に携わる人・元気なNPOに携わる人・福祉業界の事務に携わる人あー私ー社協を志した時期もあったしー全国区のNPOに勤めてたり、立ち上げに携わったりー…まぁ、皆さん優秀だから、潰れることなんてないでしょうけれど。自分だけは見失わないで欲しいものです。といっても、もう皆その先をみているんだよね。やっぱり、この曲で送りたい。『この手を伸ばせば』(GARNET CROW)→歌詞→PV
Mar 10, 2007
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2ヶ月前に施設実習同行支援をしていた方が、無事4月より施設側が受け入れて下さることになった(→2ヶ月前)。しかし、前回の実習は、施設で過ごす中での見通しを立てることが目的であり、実際に施設職員さんに支援をして頂く場面は殆どなかった。なので、来週より、4月までに施設職員さんに支援を移行していけるようにすることを目的として同行支援する。その打ち合わせ。今回の私の入る量は殆どないが、でも入る以上重要な役割と認識している。支援を具体的に他人に説明して、それをできるようにするというのはなかなか難しい。いつも決まりきった過ごし方であれば、対応も慣れれば容易になってくるのだろうが、それが日々の気分や環境などによって変わる動きなどに対応できるかというところに、フェードアウトの鍵がある。他人への説明は難しい。なので、私のような「へなちょこヘルパー」の出る幕は殆どない。でも、自覚を持ってこの役割を担わせて頂きます。
Mar 10, 2007
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今日は、度々登場している方のホームヘルプ(→今まで)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)朝にメールにて「セントレアご希望」と連絡。最近はセントレアがブームのようで?本日も、急行電車に乗るか、普通電車に乗るかという遣り取りがある。予定では(というより時間的に)普通電車に乗るのだが、急行電車に乗れれば乗ればよい。しかし、この「れば」という「if…」の理解、整理が難しい。前回のように、興奮状態になる前に整理して「約束」をしておいた。・急行に間に合えば急行に乗る・急行に間に合わなければ普通に乗ると「約束」として事前に取り交わした。すると、目の前にタッチの差の急行が通り過ぎていくが、ぶれることなく普通に乗る。さて、セントレアへ。丁度昼食時、セントレアはご存知の通り、人込みである。(→セントレア)フードコートがあるのだが、座席がなかなか空かない。注文した品が出来て、ブザーが鳴る。それでも座席が空かない。ちょっとブチ切れ始める。まぁ、フツーに考えてもイラツク状況。これを整理してみる。・食べたい衝動があるので、目の前に注文した品があるのに食べられないのは我慢できない(→なので大声を出してしまう。)・注文する前に空いた席に彼に座っていてもらい、それから私が注文しに行く(→できたらすぐに食べられる→我慢する度合が少なくなる。)機転を利かせること、大事です。そんなイラついた状態で、感情が緩いので、早めに静かなフェリー乗り場に行く。今回も前回を踏まえ、電車に乗ると、すぐに彼の近くに「○○えきまでおりません」と書いたカードを置いておく。乗り換えが終わると、次のカードを置いておく。終始、静かに電車内を過ごしている。帰り道、前回の「○をする」では、帰宅しても「もう一度行きたい」と言い始めたので、今回は「家に帰ったらもう1回行きたいって言わない約束」をする。何度かその「約束」を確認する。その間も、今日帰ったあとの予定、明日の予定など確認する。すると、今回は帰宅しても、玄関先に出てくることなく過ごしている。「約束」というと、つい「僕の歩く道」第3話でテルが幸太郎と約束した場面を思い出すが、(・僕の歩く道 ・僕の歩く道Wikipedia)それと関係があるかどうかは定かではない(笑)が、今日は午前の流れと言い、「約束」はキーワードだったのかも知れない。それなりに予定を具体的に確認しておいたことが前提ではあると考えられるが、次回以降、再検証をしてみる必要はある。
Mar 10, 2007
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今日は精神科通院日。初老の(失礼?)担当医は、私を4週間に1度の通院の方針にしているはずなのだが、たまに私が絶えられなくて2週間や1週間、3週間で通院することがある。そうすると、薬の処方を残りの残薬数で処方することがある。それが前回で、2週間分の処方にされたので、2週間後に来る運びとなった。病棟ありの精神科なので外来はAMのみ。このAMのみというのは、結構厳しい。今日も11:30までの受付に間に合いそうもないので、10分程遅れる旨を電話。前回も同じ…。そう、昔、遅れる旨を電話しないで通院すると、時間外の料金を請求されたからである。とにかく、今の私は、起きられない。片道頑張って40分。片道5分もかからないところに精神科あるんだけどね。私の入院したところ…もう信頼できないのでね。2時間待って、ようやく呼ばれる。あんまり話すこともないんだけど、湧き上がるエネルギーがない日々が1ヶ月程続いている。仕事は淡々と粛々と出来ているので、それはそれでよいのだが。あまり眠った感がないのである。それで、目覚めも悪いし、起床時体温が低体温(34-5℃以下)で、起きられない。神経が過敏になっていて、少しの物音や臭いや光で目が覚める最近。就寝から起床までは充分の時間があるはずなのだが、その間に何度も目覚めたりを繰り返しているので、だるい。そんな日々なので、仕事以外は抜け殻状態。そして、脳内はネガティブなものに支配される。仕事上の相談は関係者に相談できているし、問題ないのだけれど、出てくる言葉がネガティブなので、自信がなく、いつも先に謝っている。先日のカラオケ&飲み会では、帰宅しても家に入れてもらえず、酔っ払ってフラフラしながら、「このまま車に轢かれてしまえばいい。」なんて久しぶりに脳内が「死」の文字でグルグルしていた。当然そんなことはしないが、というよりそんなエネルギーが今はないというのが正解。淡々と過ごしてはいる。でも、エネルギーが湧いてこないし、非常に脆い感じ。担当医は「別に“死”について考える事は大切だし、必要な事だけど、やってはいけない。」まぁ、わかっているんだけどね。独りになるとブツブツ「死」の文字が口から出てくるんだよ。まぁ、仕事が“ちゃんと”やれてるのでいいのだけれどね。仕事とプライベートのバランスの取りにくさが私にはあるのは事実。何かの手段でこのモヤッと感をスッキリさせたいもので。仕事とプライベートの両方を充実させるほど器用でないしね。バランスが大事です。やっぱり、今は仕事にウェイトをおこう。休みの日は寝てればいい。ちゃんと毒吐く場を作ったし、気分転換のゲームも始めたし。何とかなるでしょう。啓蟄も過ぎたことだし、虫と共に私も春のエネルギーを得ながら、自然に自分からエネルギーが湧きあがるのを待とう。待つこと、大事です。何とかしようと焦らない。と自分に言い聞かせる。
Mar 9, 2007
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ここでは度々登場している彼への支援(→今まで)本日はいつもと違うルート、パターンで過ごした。いつもならば、「誘導」するのだが、今日は「任せて」みて、何を求めているのかを図った。PCで音楽サイトを観て過ごす。その音楽に対してどんな興味があるのか、いつも推測する。今日は、その推測のもと、音楽サイトにアクセスする。すると、嫌がることなく、興味津々で観ている。実は、彼が好きなミュージシャンが、私の好きなミュージシャンと共通していた。そして、所属レーベルに関連したミュージシャンを試しに観てみると、見事的中。(事前に調査済み。)彼はZARDが好きである。そしてZARDから考えられること。・ZARDのアニソン(アニメソング)・ZARDの所属レーベル(Being GIZA GROUP)その共通項は実は、私が好きなGARNET CROWの所属レーベル(GIZA)と共通する。なので、私にも所属アーティストの知識がある。しかし、GARNET CROWは独特の世界観で、ZARDとはやや違う。ZARDの特徴として、・キュートな見た目・柔らかな声質それに共通する所属アーティストをピックアップする。・倉木麻衣・三枝夕夏 IN db・小松未歩今日はその中で、・倉木麻衣『Secret of my heart』・三枝夕夏 IN db『雲に乗って』を試しに観てみる。正解!!くいるように見入る。彼は興味がないと集中が切れるが、この2曲は見入っていた。何だか、同じレーベル、グループのミュージシャンが好きという共通項があって、私は一人笑みがこぼれない。これは支援者という立場ではなく、同じ興味の仲間を発見したという喜び、嬉しさである。独り浮かれポンチになりながら、帰宅。すると、甥っ子さんがいて、ミニ四駆を見て遊んでいる。甥っ子さんとは何度か遣り取りをしているが、ミニ四駆の話題で共通して盛り上がる。お母さんにとってみると、男の子のこういった遊びは経験もなく、喜びは見出しにくい。そこに、「ミニ四駆世代」の私が、甥っ子さんのミニ四駆ネタに、私はこうやって遊んでいたなぁなど、経験談を語りつつ、彼のミニ四駆への熱い思いを聞いて、共感しいていた。そして自宅を後にする時、いつもは甥っ子さんは見送りに来ないのだが、玄関まで来て、手を振って見送る。その時に、私はすでに、壊れていた。甥っ子さんに手を振られて見送られたという事実が、本人支援だけではなく、家族支援の一歩を踏み出せたと、感慨にふけってしまった。私の将来の目標(?)として、子どもが将来なりたい職業のTOP3に「介護職」を入れたいというのがある。別にその甥っ子さんに介護職になってほしいとは思わないけれど、彼の中で、成長してゆく中で、「介護職」が当たり前のように認知され、「あしながおじさん」のような「一瞬だけ見える」存在でもいい、そうやって魅力ある存在になれるといいなぁと思う。自慢できる存在になれるといいなぁと思う。そんなことがあるから、この仕事が辞められない。
Mar 8, 2007
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私の積木くずしファイル後半戦(爆→前半戦はこちらとりあえず簡単に整理。・中学生まで優等生。・高校に入り、引きこもり的生活。・大学に入り、毎日浴びるようにお酒を飲み始める。・就職浪人を1年して就職するが、適応できず、自殺企図を繰り返す。・全ての財を失い、帰郷、精神科通院開始。しかし、良くなる所か悪化を辿る。・精神科入院を機に、リハビリテーション開始。現在に至る。【就職浪人を1年して就職するが、適応できず、自殺企図を繰り返す】自分の存在意義が感じられないので、就職する気もなく、就職活動なるものは殆どない。地元社会福祉協議会に書類を送ったが、雪で送付が間に合わず、受験できず。大学も卒業してまもなく4月という3月末に、精神障害の小規模作業所を受験。持論を語りすぎて、あえなく不合格。ボランティアを毎日のようにしながら、それでも私の身を案じたゼミの恩師が、就職募集をしている所を紹介して下さる。それは、精神科デイケアでのPSWの仕事。実際に実習もしてきて試験という名の面談も済ませ、私は残念ながらPSWは持っていないものの、PSWを働きながら取らせてもらえると言う好条件を頂き、当時としては高給の条件まで頂き、あとは「私の返事待ち」という状態になる。しかし、結局新しい環境で働くことに自信がなく、またPSWという仕事の難しさを感じているたので、お断りというか返事をせぬまま放っておいてしまった。断る勇気がなかったし、働く勇気もなかった。結局ボランティア先で就職することになる。しかし、多忙極まりない毎日。24時間365日の支援の中で、気の休まる時がなく、再びお酒に走る毎日になった。それは薄給の中では、自滅状態であり、社会人の癖に仕送りをもらうという非常識な状況にあった。それは悪いことであることは自覚しているものの、それ以上にストレスが多くお酒に頼る日々になった。そんな中で、障害保健福祉制度の抜本的な改革であった「支援費制度」が始まる。それは、有資格者でなければ制度下の支援に入れないというものであった。ヘルパー資格のなかった私は、介護福祉士の受験をする。多忙極まりない状態で、私はバーンアウト状態で、簡単な仕事すらできなくなる。お金の計算もできなくなる。そんな状態でも、やらなければならない仕事がどんどん増える。そしてそれに押し潰されるように、支援費制度がスタート。さらに、介護福祉士不合格。つまり、仕事が出来ないことを意味する。職場は私が有資格者と思っていたが、無資格でいることを言えないでいた。というより、それまでに資格取得しようと試みていたが、何せ、お金の計算も出来ない状態。資格なんてとれない。仕事が出来ない状態になり、私は「存在意義」を失い、PCに遺書なるもの残して、無断欠勤で、携帯の電源を切って、車で「死に場所」を探す。初日はかなりの勢いがあったが、南は鹿児島まで、北は岩手まで車で走り、死ぬ前に行きたかった場所を点々としていた。しかし、そうこうしているうちに、死のうというエネルギーすらなくなる。そして、お金もなくなり、帰宅。大量服薬2度、死にきれず、変わり果てた自分の姿に救急外来へ。当然「完全自殺マニュアル」を熟読していた訳だが。全てを失った私は、親に電話。アパートを引き払い帰郷、そして職場に謝罪。【全ての財を失い、帰郷、精神科通院開始。しかし、良くなる所か悪化を辿る】全ての財を失い、実家へ強制送還。親の管理下に置かれる。しかし、一向に仕事をしない私に対して、親は「仕事をしろ!」だの、ハロワで仕事を探してきたりだのをしてくる。時に夕方まで起きてこない私を叩き起こすこともあった。しかし、全ての生気を失っている私には何もできない。帰郷1ヵ月足らずで、既に実家を出たいと思うようになる。まぁ、そもそも望んで帰郷したわけではない。でも、私なりに何とかせねば、と思っていたので、精神科クリニックに自分から通院を始める。薬を処方され、何度か通院をする。その中で、やっぱり家を出たいということ、そして職場もまだ必要としてくれているなどから、再び一人暮らしで職場に戻る。転院も同然合わせてする。しかし、無資格の私はホームヘルプに入ることができなく、無資格でもOKだったデイサービスに配属が変わる。それは、朝寝てるより、起きて夕方寝る方がいいという職場の方針でもあった。初めのうちは何とか朝起きて仕事にいける。しかし、自殺を図ってまだ半年も経っていない状態でいい支援が出来るわけもなく、そんな自分が不甲斐なくなり、利用者さんにも迷惑だと思い始め、出勤ができなくなる。その時に転院した精神科で「気分変調性障害、境界性人格障害、適応障害」と言われる。そんな状況が2ヵ月程経ち、職場でも私のことが問題になり始め、退社。そして再び実家へ帰郷。両親も精神科に通院して服薬していることを知っているが、鬱がどういうものかは知らず、すぐに治るものと理解して、「怠けている」と解釈し、再び「仕事をしろ」と私に迫ってくる。そこで、私は、とにかくヘルパー資格を取らなければ、仕事にも戻れないと思い、まず、ゆっくりとヘルパー3級の資格を取りに行く。帰郷して半年経ってからである。そして、その資格を持って少しずつ仕事をしようと思った。無事資格は取れたが、制度改革でヘルパー3級では支援に入れないかも?という噂が立ち始める。そして、仕事以前に日常生活を送るだけで精一杯の自分のからだを何とかせねばと思った。しかし、その際転院した精神科の担当医が、薬中心の考え方で、何か状態が悪いとすぐに抗不安薬などと増やすなどして、初期の頃から比べると一日の処方がかなりの量の薬になってしまった。そんな薬漬けの毎日だが、少しずつ「意欲」は湧いてきた。縁があってPC関連の事務的な仕事を頂いた。締め切りのある厳しい仕事だったが、何とか周りの協力でやり遂げることができた。しかし、4月に入り、そのPC関連の仕事をやり続けるのかどうかという「契約」の話で、折り合いが合わず、またかなり厳しいことを言われたので、再び自分を責めるようになる。そして、再び精神科の薬を大量服薬する。深夜の徘徊も始まり、ついに自暴自棄を極め、2度目の大量服薬をし、ブログを全削除し、そのまま雨の街中を徘徊。そして前の職場に乗り込んでしまった。ずぶ濡れのまま、いろいろと泣き叫んでいたらしい(殆ど記憶がない)。部屋に運ばれ、目覚めると、両親が来て入院の方向に進んでいた。そして、人生初の入院、それが精神科であった。いわゆる「任意入院」というものである。◎そのリアリティある過去ブログ→GARNET EYES's dialy for the past【精神科入院を機に、リハビリテーション開始。現在に至る】精神科の病棟というものはとても馴染めないもので、全ての刺激がカットされ、このまま私は廃人となってしまうのでは?と悶々と考えていた。睡眠と食事しかないのだから仕方がない。食事も決して満足できるものでなく、また4人部屋で夜間は看護師が見回りに来る。あーこうやって人は全てを失っていくのね、と学生時代にPSWのゼミにいて、精神科病棟や作業所の見学やボランティアをしていたので、そこに自分が属していくのかと、回復のシナリオがあまりに程遠い現状に、病院を一日も早く出たいと思った。また精神科のボランティアがいて、入浴などの支援をしているのだが、週に2度の入浴を何とか私に入れさせようと「説得」にくるのが鬱陶しかった。すると、入院をしているとお金もかかるので、実家で静養していた方がいいのでは?と両親から病院に連絡が行き、私は1週間弱で退院の運びとなった。着の身着のまま実家へ送還される。PCもTVもない部屋。唯一ラジオと携帯があった。この時に今までの私の経緯に対して、精神科担当医に「積木くずし」と揶揄された。携帯でブログを再開した。3ヶ月ほど経って、どうしても実家に馴染めない。今度はガイドヘルパー(知的障害者過程)とヘルパー2級の資格を取ることにした。あえて通学にすることで、家に引きこもることがないように、また、少しずつからだを動かして社会生活を送れる様にしようと、自分なりのリハビリテーションが始まる。また、この時の精神科では「大量服薬経験者は診れない」と言われ、AAなどの当事者団体に参加してみるのもどうか?とも言われた。保健所、地域生活支援センター等々を廻るが、どれもしっくりいかない。そして、転院を再びする。週に2度の通学がとてもしんどかった。でも、そこで以前から同業他社で面識のあった方と出会い、できるところで手伝ってくれるとありがたいとの声を頂き、自分の存在意義さえ失っていた私にとってはとても嬉しかった。それに応えたいという純粋な気持ちから、「焦らず、急がす、ゆっくりと」をキャッチコピーにして、講座主催団体のスタッフの方に支えられながら、資格を何とか取れた。さらに、介護福祉士の資格もいろんな人に支えられ、何とか合格できた。それが1年前である。焦る気持ちを押さえながら、単発の短いホームヘルプから始まり、からだと相談しながら、少しずつ仕事量を増やしていった。1年経ち、今は週末ロング2件、放課後支援3件でもやれるようにまでなった。もう積木くずしとは言わせない。ここまでの積み上げがとれほど長い道のりで、大変だったか。それでも、落ち込むことはあるけれど、実際に自分を害するようなことはしない。取り戻すことの大変さを身にしみて経験したからである。まだまだ課題は山積しているけれど、それに向かえる自分がそこにはある。もう大丈夫。そう言いたい。これでも大分オブラートに包んでいます;;
Mar 7, 2007
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ブログタイトルに「積み木崩し」が入っているので、また検索件数が増えるな、多分(笑水トク!「激白!子供がぐれる日我が家の積木くずし!!」仕事から帰宅して後半部分「薬物依存」から観た。再現VTRは、痛いなぁ。私に似た部分が結構あった。ちなみに、私はドラマ「積木くずし」は観たことはない。(世代が違うと言っては失礼だが…。)最近はそのモデルとなった由香里さんが亡くなったことを綴った穂積隆信著『由香里の死そして愛』が出版されて話題となった。実は、私は、とある担当精神科医に言われた一言で「積木くずし」という言葉を知ったのである。「あなたの人生は、まさに積木くずしのようだ」と。意味合いとしては、折角積み上げていたものをすぐに崩してしまう、その繰り返しという訳である。あまりに的を射ていたので、印象に残っていて、それでブログタイトルを「積み木崩し的生き方からの脱却」にしたのである。その後に、「積木くずし」という爆発的ヒットドラマがあったことを知ることになる。なので「積木くずし」と「積み木崩し」と表記が異なるのである。実は、このブログの前にもホームページやブログを持っていたのだが、全て削除した経歴がある(爆さて、番組を観ていて当事者の「私の積木くずしファイル」というのがあったので、折角なので、真似をして「私の積木くずしファイル」を創ってみることにする(笑・中学生まで優等生。・高校に入り、引きこもり的生活。・大学に入り、毎日浴びるようにお酒を飲み始める。・就職浪人を1年して就職するが、適応できず、自殺企図を繰り返す。・全ての財を失い、帰郷、精神科通院開始。しかし、良くなる所か悪化を辿る。・精神科入院を機に、リハビリテーション開始。現在に至る。【中学生まで優等生】もともと引っ込み思案な私が、小4の時に半ば強引に学級委員をさせられる。それを機に、クラス会長や班長などの肩書きを背に、優等生=「いい子ちゃん」になる。先生に迷惑を掛けない、親にも心配をさせない、とても手のかからない「いい子ちゃん」。「親の思い描いた道」を従順に突き進む。学業も常に上位に入る程。しかし、頭をベッドに叩きつけるなどの自傷行為や、髪の毛を抜いたりするなどの行為は中学の頃から現れていた。ちなみに、両親は自営業で共働き。主に兄と祖母に育てられる。【高校に入り、引きこもり的生活】高校進学の際に「親の行かせたい高校」対して、成績的に合格ラインのボーダーライン上にいた私。結局、私立はお金がかかるので、1ランク下の高校に進学。しかし、成績の似た者は、キャラクターも似たような者が集う訳で、入学式以前より、不適応反応が見られる。馴染めないだろう雰囲気を感じていた。友達と呼べる人は数人いたが、親友という人は一人もいない。そんな閉塞的な環境の中ではあるが、「いい子ちゃん」である私は、「親や先生に迷惑、心配を掛けてはいけない」という思いだけで、通学。親が朝早いので、それに合わせて起床し、朝6:30位には通学準備。朝食はほとんど食べず。クラスで1,2を争う早さで通学し、放課後もクラスで1,2を争う遅さで帰宅。放課後は、教室に残り勉強の日々。職員室が自分の教室のような状態。クラスで1,2を争う早さで通学する理由は、集団の中に入ることは苦手だから。つまり、遅く通学すると、教室に入った瞬間に、たくさんの視線がある訳で、それがとても怖かった。それでも、通学する。次第にからだは悲鳴を上げ始める。通学のバス、電車に乗ると、腹痛、眩暈、吐き気、多汗等が表れ始める。毎日、電車から降りるとまずトイレに行くことから始まる学校生活。それでも、通学する。次第に授業中以外は、教室を出て、学校の誰も来ないだろう場所に「逃げる」様になる。授業開始のチャイムが鳴る直前に教室に戻る。それを毎時間、毎日繰り返す。高校は弁当である。毎日親は弁当を持たせる。しかし、弁当を開けることすら出来なくなる。また、クラス中のたくさんの昼食の混ざった臭いが気持ち悪く、教室を飛び出す。学校で一番ホッとする時間は、放課後のクラスメイトが帰宅や部活に行った時。その時だけは、教室を自分の空間に出来る。そして、教師を独り占めして勉強する。学校に通う唯一の理由が勉強であるので、そこの評価が悪ければ、自分の存在意義がない。なので、毎日翌日の授業の予習を完璧にする。完璧にすることで、先生に当てられた時に、それなりに答えられる。つまり、クラスメイトに「弱み」を握られない。そんな心理で、毎晩毎晩徹夜状態で勉強に励む。状況を整理すると、翌日の授業の予習を完璧にするということは、完全に休めるのは土曜の夜だけ。(当時はまだ完全週休2日ではなかった。)朝一で登校し、最終で帰宅する。学校に行くと、「パニック発作」の症状が出ていた。学校に行きながら、学校で「逃げ場」を作っていた。根底にあるのは、「親や先生に迷惑、心配を掛けてはいけない」という思い。では、唯一の休みは何をしていたか。もともと引っ込み思案であり、高校の友人もほとんどいない。「親に心配を掛けない心理」があるので、お小遣いは殆どが本や文房具として消える。つまり、外出先はその殆どが馴染みの本屋のみ。でも、さすがにそんな自分の現状に疑問を抱いていたことも事実。ただ、解決策は見当たらない。家出を試みたこともあった。無意識に包丁を自分の腹部に持っていっていることもあった。トルストイ『人はなぜ生きるのか?』を読み耽ったこともあった。この頃から、生きるとは、死ぬとはという命題について考えるようになった。やつれた私は、身長173cmで体重50kg台というヒョロヒョロのからだであった。つまり、高校時代は、「皆勤賞、でもこころは不登校」と言える。【大学に入り、毎日浴びるようにお酒を飲み始める】大学進学は当然のこととして植え付けられていた。なので高校は普通科。本当は親としては地元の国公立大学に行かせたかった。最低でも国公立。でも、アレだけ勉強した高校時代でも、その勉強は「評価のための勉強」であって、自分の将来のための勉強ではなかった。なので成績は、高校内では上位だが、全国区になると偏差値としてはさほど良くない。なので、到底国公立なんて不可能だった。それは自分が一番わかっている。それに、この窮屈な環境や自分の状態が「親のせい」だと思い始めていたので、「とにかくこの家さえ出られればいい」そんな思いだけで、全国くまなく大学を調べ尽くした。でも、そんな私にも憧れの職業として「臨床心理士」があったので、せめて隣接した学業に携われればという想いはあった。大学進学は当然のこととして植え付けられていた=大学の面倒は見るという親の思いがあった。残念ながら親は共に大学は出ていない。バイトもしなくていいから、とにかく大学でしっかり勉強してくれればいい、と親は言っていた。今思えば、これが全ての誤りである。私は、その言葉に甘えて、本ばかりを買って読み耽っていた。しかし、福祉系大学とあり、周りはボランティアをしているのが当たり前の状況。とにかく「馴染まねば」という思いはあったので、縁のあったボランティアグループに携わった。それが今の職業に直結しているのだが。親の監視が無くなったことで、私は次第に自由人になっていった。それはまるで、檻から放たれた鳥のようであった。しかし、ずっと檻に入れられていた私は、外の世界を知らなかった。次第に自由という名の不自由にこころは蝕まれていく。社会のギャップに馴染めない私は、その鬱憤をアルコールに向けるようになる。最初はビール。それが日本酒、ウィスキー、ウォッカなどどんどん度数の強いものになる。自由を履き違えた私は、仕送りの大半は「本とお酒」に消えていく。それでもボランティアを勢力的に行っていた私は、講義が休みとあらば、電車に乗ってあちこち飛び回った。電車代がしゃれにならなくなってきたので、車を親に譲ってもらう。しかし、社会を知らない私は、俺ルールが通じないことに悩む。そして、人間関係のこじれは、私を崩壊へと導く。ナイフを持ち歩いて通学したこともあった。毎晩のようにウィスキーボトル1本を開ける様な生活。車で目的のないドライブ。そして、大学3年からのゼミは、男性私1人、女性14人という恐ろしい構成になった。次第にゼミ内の関係構築が上手くいかなくなると、ゼミに行かなくなった。ゼミ不登校である。ちなみにゼミは「精神保健福祉」。そして、ボランティア先でも人間関係のこじれが生じ、自分の役割がわからなくなり、この頃になると、自分の生きてきた形跡が何由来するものなのか次第にわかってくるようになる。大学を選んだ最大の理由は、自分を知るためであったので、アダルトチルドレンや摂食障害、心理系、社会学の書籍を読み耽るうちに、再び高校の時に感じた「生きるとは、死ぬとはという命題」に答がでるように思えた。それは、さらに「自分の存在とはという命題」に変化していく。すると、「自分の存在は必要がない」という結論を導き出して、車で、福井の山奥に行き、投身未遂をしたり、出雲大社まで行き、日本海を眺めながら投身をしようとしたり、頭は「死」で支配されていく。口癖が「死んでしまえばいいんだ」になっていた。後半へ続く…
Mar 7, 2007
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今日は、ここでは何度か登場している方のホームヘルプ(→前回)行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)ここ最近、すぐに外出でいていないとの報告を受けた。そして、いくつかの「仮定」をもとに過ごす。・ある番組のオープニングが観たいのではないか・それを保障するための過ごし方を提案しかし、今日も帰宅すると、ダッシュで自室にこもる。玄関外で、オープニングが見られるスケジュールを新たに提案するが、受け入れられない。でも、ご本人にその気がない時に新たなことに試みるのは良くないと思われるので、それはまた次回以降に持ち越し。おそらく、家電ショップでTVを観るということが伝わっていないのだと思われる。結局、自室でTV、PCをつけながらスケジュールを組み立てるといつもの「TV-PC」コースで落ち着く。が、仮にオープニングを観た場合、スケジュールをホームヘルプ支援時間内で消化するのは非常に消化不良になる虞があると考えられる。「TV-PC」コースに行くのかどうかのやりとりを出先でやりとりして嫌体験に繋がるよりも、その場ではっきりさせたほうがよいと考えられる。なので、スケジュールを「TV-PCコース」かその他かの2種を提示してみる。私も「TV-PCコース」に行きたいのはわかっているので、そんな誘導で外出できた。出先に着くと、受け付けでマウスを借りようとするが、満席。予定外のこと。ご本人は状況が把握できないので、パソコンと言って受け付けから動かない。逆に何で借りられないのかとイラつきはじめる。スケジュールは「TV→ジュース→PC」だが、いつもマウスを借りてから、ジュース→TVである。彼は受付表を記入すると借りられることも知っているので、受付表をもらって、その紙自体をスケジュールPCの所に挟んでみる。それで先にジュース→TVをしてから借りるという風にして受付でしばらくいると、自分で移動を始める。受付にいて待っていても、それはそれでいいかとも思ったが、その間観たい番組が観られなくなるので、いつもとは違う順番になったが、予定として、ジュース→TVの後に借りにくることが彼に伝わったのかなぁと思われる。タイマーで借りる時間をセットして、タイマーが鳴る直前に受付表に記入して待つと、ちゃんと待てた。この予定外の出来事に対して、臨機応変に対応できた自分に驚いた。まさか受付表をスケジュールに挟んで、記入するのは借りる直前という発想がでるとは。どうすれば、伝わるか、柔軟に対応することは大事だと、危機的状況に改めて痛感。ここ最近、帰宅後に自室にすぐに駆け込むのは、この時期は、学校が卒業式や終業式などで、不定な学校の時間になる、または、前回、私がバス停に迎えに行くはずだったのが体調不良で変更したり、その後も変更したりで、神経が過敏になっている、という理由もあるのだろうか。でも、出かけられる理由があるのであれば、出かけられなかった時からすれば、十分のように思える。悩みは尽きないなぁ。まぁ、この行き詰まり感は贅沢な悩みとスタッフさんに言われましたね。どうやって支えようではなくて、よりよくするにはというところでしょ?と。まぁ、そうなんですけどね。それにしても、私、白髪増えたなぁ…。老けたのか。。。もう自信もって「若い!」って言える歳でもないからなぁ。
Mar 6, 2007
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梅を愛でてたほうが気楽です。
Mar 5, 2007
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職場関連に謝罪…。 でも、遊ばないといつか破裂するやと思い、許してください…。 ☆プレステージ☆ ガスト23:00-5:30(夕食,プレミアムカフェ) デニーズ6:30-8:30(モーニング) スタバ9:00-10:30(ドリンク) ☆1stステージ☆ 【1st】 君の家に着くまでずっと走ってゆく 【2nd】 スカイ・ブルー 【3rd】 Endless Desire 【4th】 雨上がりのBlue picture of world 夕月夜 【フリー】 I miss you(LINDBERG) BLUE SKY BLUE(呉梨沙,LISAGO) 名もなき詩(Mr.children) 【ラスト】 スパイラル 今宵エデンの片隅で ☆2ndステージ☆ 豚しゃぶ10皿ぐらい 生中→ウィスキーロック→生中→焼酎ロック ☆3rdステージ☆ まっこりグラス2杯 以上、私の崩壊の内容でした(爆
Mar 4, 2007
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ここでは何度か登場した方のホームヘルプ(→今まで)。行動援護に該当する方なので、予防的対応や見守りなどの支援が必要。(支援内容については→「行動援護」について)今日は散歩。とにかくからだを動かして欲しいとのこと。昨夜、いろんなパターンをシュミレーションしていたが、基本的にスタッフさんから聴いたパターンで行こうと思っていた。が、初めてのパターン。どれほどのペースで歩けるのか、やってみないとわからない。で、歩きながら、携帯の乗り換え案内を確認し、昨夜メモしておいたパターンと照合。すると、ひらめいた当初行こうと思っていたラーメン屋とは別のラーメン屋に変更し、乗り換えがスムーズに行き、見事に公園にて充分散歩できた。帰りも巡回バス、電車等の乗り換えがタイミング良し。ご本人もニコニコされていて、穏やかな春のひとときとなった。時折、こういうことがある。ひらめくのである。私は勝手に神が舞い降りたと思っている(笑でも、このひらめきの背景には、準備やイメージ、経験値があって、それが脳内で複合的に処理されて「ピン」と来ると思っている。別に茂木健一郎ではない(爆一昔前は、福祉の仕事は職人気質で、支援内容は先輩の背中を見て覚えるものと言われていた。つまり「勘」は言葉には出来ないと。でも、今覚えば、自分の仕事が言語化できないだけのことで、怠慢だったと思える。確かに「勘」や「ひらめき」はあるし、必要だと思われる。でもそれには、理由があるし、勘を勘のまま、ひらめきをひらめきのままにしない。今回の「ひらめき」も、事前に調べておいたシュミレーションに、電車の時間や名鉄かJRか、巡回バスの時間、駅からラーメン屋の距離、歩く速度を加えながら、よりベターな過ごし方を考えていた中で「ピン」ときた。複雑な点と点が繋がったその時、「ひらめき」になる。ただ、今回の課題。ご機嫌で過ごされたのは良いことなのだが、気分が高揚している。散歩はかなりの時間、距離を歩いた。つまり、・からだが疲れて眠れるのか・気分が高揚して眠れないのかということ。その点はご家族とも難しいよねぇ、別に悪いことしてるわけでないしと。その点は私も頭に入れながら過ごしていたが、結果を見ないとわからないので難しい。ホームヘルプ中に、楽しいことをして過ごすことは良いことだが、大事なのは、ホームヘルプが終わった後。その後どうだったかまで頭が及んでいるかいないか。やりっぱなしではいけないとつくづく思うのであった。
Mar 3, 2007
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明日の過ごし方について連絡が来る。初めてのパターン…初物に弱いという特性を自分で理解しているので、明日の支援に向けて、準備をする。オフだけれど記録などくまなくチェックする。傍から見ると、そこまでする?と思われるかもしれないけれど、私自身が不安を抱いていてはいけないでしょう。なので、自分の中で「イケル!!」と思える準備は出来る限りする。何パターンも頭でイメージして、仮に何かがあった時でも対応できる準備もしておく。こんなだから、他人より疲れやすいのかなぁ?
Mar 2, 2007
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というわけで3月も始まるという訳で、 年初めのリーディングにて示されてた3月のテーマとは…。 ☆March's theme from Saints & Angels Oracle Cards☆ 【Optimism 楽天的になりましょう 守護天使】 まだ望みがあるので、この状況を楽観的にとらえてもよいのです!守護天使はあなたの希望や夢や向上心の証人なので、この新しい展開があなたの祈りに対する真の答だとわかっています。守護天使にはひそかにあなたの未来が見えているので、大丈夫だというメッセージを伝えてくれているのです。 状況が展開していくなかで、前途は明るいという思いがあなたを陽気に楽しくさせてくれます。あなたの前向きなところが魅力となって、周囲が助けてあげたいと思い始めるのです。周りの人たちがあなたの夢を信じなくても、そのことを悩まないでください。明るく過ごし、否定的な考えをもつ人たちとは付き合わないようにしましょう。ある調査結果によると、楽天的な人たちはより健康で長寿であり、幸福であるといわれています。人生に最高のものを求め続けるようにしましょう。なぜなら、あなたの望むものが本当に手に入るからです。 まぁ、ともかくも、 不穏な2月を送りながらも結果としてベターだった事実を受け止め、 それを明るい材料として3月を送ることが現実的という訳でしょう。 春の陽気に逆らうことなく自然から得られるエネルギーを栄養として、 1ヵ月後にはこころに花が咲いていることを願うことにしよう。
Mar 1, 2007
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