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牧之原台地の一角にある諏訪原城跡は天正元年(1573年)に武田勝頼が馬場信春(氏勝)に命じさせ作らせた城で、武田氏の遠江進出のための最前線基地でもあ、武田軍が高天神城を攻略すると兵站基地としての役割を果たしました。天正3年(1575年)に長篠の戦いで武田軍が大敗すると徳川軍は武田の拠点を次々と攻撃し諏訪原城も攻撃され、城主・今福浄閑斎が討ち死にして落城します。徳川家康が入城し、城名を牧野城と改め設備を増強して徳川軍の拠点となります。 この城は甲州流の特徴ある造りで、虎口(城の出入り口)に三日月形の堀と平地をセットにした丸馬出と呼ばれるものは特に特徴的です。また、空堀を階段状にした造りにするなど随所に甲州流の城造りが残っており貴重な史跡といえるでしょう。 本丸は台地の突端部付近にあり、そこから扇状に広がる構えをしているので扇城とも呼ばれいます。
2009年03月29日
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かつて沼津の中心地にあった城の跡は姿はまったく残っておりませんせが沼津中央公園のあたりが本丸のあった場所です。この場所には三枚橋城と沼津城がありました。三枚橋城は天正七年(1579年)に武田勝頼が築城したといわれており、関が原の合戦後は大久保忠佐(ただすけ)が城主を務めました。しかし慶長十八年に忠佐が亡くなると世継ぎがない大久保家は断絶、城も廃城となりました。 その後160年間は城がありませんでしたが安永六年(1777年)に水野忠友が沼津藩の藩主になり沼津城を築きます。沼津城は三枚橋城の北半分を利用して造られた小さな城だったようです。 近くの銀行にはビル工事の際に地下から発掘された三枚橋城の石垣の一部が復元され残っています。大手町など地名には沼津に城があったなごりですが、城跡が残っていないので沼津城があったことを知らない人が多いのではないでしょうか。中央公園には市役所側へ向かう「あゆみ橋」があります。この橋は平成十一年に完成した歩行者・自転車専用橋で、橋げたを使った工法と一部に斜張ケーブルを使った(矢印の箇所)ハイブリッド構造の橋で世界的にも珍しいというか、世界初の工法を用いた斬新な橋なのです。
2009年03月24日
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安政元年(1854年)に発生した安政の大地震による津波で損傷したロシア軍艦のディアナ号は富士市の宮島沖で沈没してしまいます。後に引き上げられた錨が富士市にありますが、もう一つの錨がここ戸田の地にあります。 戸田は沈没したディアナ号に替わる船を建造した地で、その名も「ヘダ号」です。ディアナ号から持ち出されたスクーナー型ヨットの設計図を基にディアナ号の乗組員と日本の大工が協力して作り上げたヘダ号は100トンほどの洋型帆船。当初は単位の違いで思うように作業が進まなかったようだが実物大の設計図を描きこの問題を克服したそうです。 さて、この造船資料館に併設されている深海生物館では駿河湾の底に生息する生物の剥製や標本などが展示してあります。なかでも目立つのがタカアシガニでしょうか、足を広げると3メートルにもなる世界最大のカニ、奥に見える大きな魚はサケガシラで体長は2.9メートルもあります。 エイリアンのような魚はサメの仲間でラブカで原始的なサメの姿を残しているので生きている化石とも呼ばれているそうです。 変わったものでは、チョウチンアンコウ。なんとチョウチンアンコウのオスはメスに同化してしまう!黒い点は目の名残、かろうじて何かあると判る程になってしまってます。 戸田ではタカアシガニや深海魚料理を出す店も多いのでグルメ好きの方は深海魚料理を賞味してはどうでしょうか。
2009年03月19日
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伊豆の松崎町・那賀地区では休耕田を利用してのお花畑が人気スポットになっています。ここには足湯もあるので足元を温めながらのんびりお花見もできちゃいます。 今の時期はアフリカキンセンカ、るりからくさ、姫金魚草、つましろひなぎく、矢車草、ひなげしの6種類に菜の花が咲いています。期間はゴールデンウィークまでで5月1日~6日までは花摘みもOKだそうです。 サークルKさん横には広い臨時駐車場もあるので安心して車を停められます。
2009年03月16日
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相良油田は日本の太平洋側では唯一の油田。明治五年(1872年)2月に発見されて同5月に日本の石油王・石坂周造が採掘を始めました。最盛期の明治17年には全国の産油高の1割を占めていましたが第二次大戦後は次第に衰退していき昭和30年に事業を閉じました。写真の油井は現存する唯一のもので、深さは310メートル。採掘が止まった今でも石油が滲み出ているようで近くによると石油の匂いが漂ってきます。 近くにある油田の里公園には資料館があり当時の資料が展示してあります。写真は手掘りによる採油の再現、かなりの重労働だったようで危険も多かったので刑務所の囚人も一部では働いていたそうです。
2009年03月09日
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東田子の浦駅のすぐ北側にある庚申塚古墳はおよそ1500年前に造られた豪族の墓だと推測されています。 この古墳は全国的にも珍しい十字型をした双方中方墳(そうほうちゅうほうふん)と呼ばれる古墳です。双方中方墳は真ん中に方墳が、その両脇に台形の方墳が繋がっている形です。しかし、ここの庚申塚古墳の南側は線路によって削られているので今はその形を確認できません。
2009年03月01日
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