2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全16件 (16件中 1-16件目)
1
![]()
今日も、帰りに公立図書館へ寄りました。そこで、書架をいつもの如くブラブラと眺めながら歩いていて、ふと何気なく手にしたのが村上信夫著『帝国ホテル厨房物語』(日本経済新聞社、2002年)です。この本の著者である村上信夫さんは知る人ぞ知る日本最高のフランス料理の名シェフであり、帝国ホテルの総料理長を勤められ、定年後も帝国ホテルに料理顧問として残られた、フランス料理界の重鎮でした。でも、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、昨年の5月にお亡くなりになられました。でも、なぜこの本を手に取ったのか最初は自分でも分からなかったのですよね。そこで、「なぜだろう?」と自問しながら家まで歩いて(自転車を押して・・・、悪戯で空気を抜かれたのです。しかも前後両方とも!)帰ったのですが、>家に着いた瞬間、あぁ、とようやく思い出しました。NHKのプロジェクトXです。確か、東京オリンピックの選手村食堂の料理長として出演されていた事を思い出して、早速目次を開いてみると第7章に「選手村食堂の料理長に就任」他、オリンピック関連の節題が書いてありました。私は商売柄、このように頭のどこかに引っかかっている微細なことから本を拾ってくるという事が度々あります。さて、本の内容ですが日本経済新聞の連載「私の履歴書」シリーズを本にしたものですので、中身は当然、村上さんの自伝です。12歳で浅草の「ブラジルコーヒー」というお菓子屋さんと軽い洋食と喫茶店があるお店に小僧さんとして入り、銀座の「つばさグリル」などの西洋料理点を経て帝国ホテルに入ったのが1939年でした。帝国ホテルでは、鍋磨きから始まる修行を積んでいた村上さんでしたが、1942年、陸軍に召集されてしまいます。そして、中国戦線を転戦後、終戦の時にシベリアへ抑留され、帰国できたのが1947年のことでした。そして、帝国ホテルに復職後、パリの名門、リッツなどで料理の腕を磨いて、帰国後は帝国ホテル新館料理長に就任します。そして先に紹介した1964年の東京オリンピックでは、選手食堂村の料理長として奮闘し、また、NHKの「今日の料理」(母親の部屋にズラーッと『今日の料理』が並んでいます)に出演するなど、フランス料理の大衆化を進め、1996年まで帝国ホテルの総料理長として活躍し、定年後も顧問として帝国ホテルの厨房を見守った「生涯現役料理人」だった人です。ここで、私の趣味その他諸々の琴線に触れたエピソード1つ紹介しておきます。それは、中国戦線の渤海(うーん、渤海というと沿岸は南は山東半島から黄河の河口、天津を経て北は遼東半島まであるなぁ。場所が広すぎてわからん)での作戦のことです。隠密行動で敵陣を包囲していよいよ明日の明け方、攻撃を敢行しようとしていた夕方。上官が「我々にも相当の損我が出るだろうから、ありあわせの材料でうまいもんを作ってやってくれ」と村上さんに言いました。つまり、最後の晩餐になるかもしれないから、という理由ですね。村上さんは、部隊の仲間からリクエストを取って、カレーを作りました(さすがは、日本人)。その分量は、なんと所属する歩兵砲小隊、約60人分!ところが、ご存知のようにカレーというものは素晴らしく良い香りが周辺に漂ってしまう料理です。飯ごうでご飯を炊いて、「さあ、食うぞ!」という時に、本隊から部隊長代理の少佐殿が飛んで来て、「カレーを作ったやつは誰だー!」と軍刀を抜いて怒鳴りました。まぁ、無理はありません。戦場、しかも最前線でカレーというご馳走を作っているのが敵にバレたら、勘の良い軍人なら即、襲撃があると気付いてしまいます。実際に翌朝、斥候班が出てみると敵陣はもぬけの殻、やっぱり気付いて逃げてしまっていたのです。で、カレーを作った村上さんは少佐殿からどのような処罰を受けたかと言いますと、何のことはありません。この少佐殿、「自分が作りました」と申告した村上さんに白刃を煌めかせながら近づくと耳元で一言、「おれにも食わせろ」とささやき、帰り際には「この次ぎこんなことをしたら死刑だ!」と叫んで帰って行ってしまったそうです。つまり、戦場での兵士たちの楽しみは理解していたものの、立場上は叱責しなくてはいけなかったのですね。ちなみに、村上さんはキチンと少佐殿にカレーを差し入れておいたそうです。こんな、戦時中のエピソードから大正・昭和の名シェフたちの思い出や、フランス留学の思い出、エリザベス女王など賓客との交流の回想等など、波乱万丈の料理人生を振り返って書かれた1冊。日本の大正・昭和・平成の食の歴史や文化を感じることができて、さらに料理を通して村上さんの仕事に対する考え方や想いまでもが感じることが出来る今までにないような、ちょっと面白い本ですよ。まだ、私も斜め読みを終えたばかりで、もう一度、ジックリ読んでみます。
2006年05月31日
コメント(4)
はい、先月のパソコンくんに続いて、今月は、掃除機、そして事もあろうにDVDレコーダーが壊れました。掃除機はともかく、DVDレコーダーはまずいです。時期的に非常にまずいです!なぜなら、ワールドカップが始まるからです!!我が家は、日本人としては珍しく全く野球に関心が無い家です(今でもそうなのでしょうか?)。そのかわり、サッカーが大好きです。私の父は60歳を越えたのにもかかわらず、まだ45分ハーフのサッカーの試合にフルで出場しているほどのサッカー狂です。ちなみに、サッカー協会の正式な審判の資格まで持っています。そんな親の元、グランドの芝が茶色の時代から(昔は高麗芝を敷いていたので、冬になると枯れて茶色になりました。ですので、ヨーロッパから来た選手には、芝ではなく雑草だ!と言われる体たらくでした)サッカー中継を見ていました。最も、その時代は正月の天皇杯(読売vs日産ですね)と高校サッカー、そしてトヨタカップぐらいなものでしたがね・・・。ですので、Jリーグが始まった時にはモウモウ、とくに、ジーコやリネガーのような超一流の選手が日本でプレーしてそれが、テレビや競技場で見れるなんて、夢のようでしたね。よく、瑞穂や長良川へ見に行ったものです。そんな我が家で、ワールドカップを録画するDVDレコーダーが壊れたのですから、さあ大変!早速、電気屋を通じてメーカーさんに出張修理を依頼して、今日の夕方に来てもらったのですが・・・。ここで少し脱線を。私は高校時代、書道部の他に無線部に入っていまして(他にも、文芸部に漫研、放送部にも出入りしていました。ですので、文化祭のときは修羅場でしたね。書道部の会計、無線の部長、クラスの役員等々、面倒な事を押し付けられて3年間、悲鳴を上げていました)、無線機の組み立てやらビデオやテレビの分解(部品取りです)などをしていたので、古いビデオくらいなら何とか修理ぐらいはできる知識があります(ですので、掃除機の方はこの週末に分解してみようと思います。だって、8年も前の代物なのですから)でも、今回はDVDレコーダーという未知の領域なので(さらに購入後、1年と2ヶ月しかたっていない)、メーカーさんの技術者さんの作業をしっかりと観察させていただき、故障箇所がどこなのか確認しました。で、どこが壊れていたかと言いますと、カバーを外してみたら一目瞭然。電源のコンデンサーが泡を吹いているではありませんか!原因はコイツでした。技術者さんによると、熱がこもってこうなってしまったそうです。うーん、熱がこもらない様にはしていたのですが・・・。そして、電源の基盤を交換して「はい、直りました」となれば良かったのですが、ダメでした。どうやら、コンデンサーがいかれた時に妙な電圧が別の基盤や機器に掛かり、その部分もやられてしまったようなのです。こうなったら、出張修理ではお手上げなので、お持ち帰りになってしまいました。技術者さんも同情してくれて、大急ぎで日本の初戦までには修理します、と言ってくれたのですが・・・(本当にいい人でした。みなさん、Vict○r(ビ●ター)はアフターサービスがしっかりしていますよ)。でも、それでも、間に合うか不安です。早く戻ってきて~!sour grapesさんにパソコンが直って戻っていたときに「悪いことは続きがちです。」とのコメントをもらったのですが、パソコンではなく別の電化製品がやられてしまいました。全く、今年は職場でも自宅でも災難が次々と起こります。これは、厄払いへ神社に行った方が良いのかもしれません。ハアァ~・・・。
2006年05月30日
コメント(2)
![]()
今日、仕事帰りに前々から欲しかった本をようやく購入することができました。マーチン・ファン・クレフェスト著、佐藤佐三郎訳『補給戦―何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社、2006年)です。この本、1980年に原書房から出版されていたのですが、長らく絶版となっていて古本でしか手に入らず、おまけにお値段もソコソコするので購入をためらっていた1冊でした。ところが今月、私の好きな中央公論新社の中公文庫よりこの『補給戦』が復刻出版されたのです。万歳!さすがは、中央公論新社!ちなみにこの中公文庫シリーズで手元にある本は、クラウゼヴィッツの『戦争論(上)(下)』とジェミニの『戦争概論』の2冊です。戦争に関して薀蓄を述べたい方は、最低この内の1冊は読んでおきましょう。あと、『孫子新訂』でも良いですね。ちなみに私は、この他にもアルフレッド・マハンの『海上権力史論』(マハンについては戦略研究学会編『戦略論大系(5)マハン』(芙蓉書房出版、2002年)を読まれると良いでしょう。このシリーズは戦略家の理論について実に丁寧に解説してくれている良書です。『戦略論大系(1)孫子』もあります。)とルーデンドルフの『総力戦』を読んでいます。さて、『補給戦―何が勝敗を決定するのか』の内容ですが、これは題名の通り「補給・兵站」という戦争にとって最も大切でありながら、あまりにも注目されてこなかった分野に焦点を当てて論じた名著です。取り上げられている範囲は、ナポレオン戦争からノルマンディ上陸作戦までの所謂「近代戦争」から第二次世界大戦までの戦争についてで、「補給」の観点から徹底的に分析されています。その徹底ぶりは、補給の計画、実施、戦闘への影響を、弾薬、食糧等の具体的な数値と計算に基づいて説明しているところからもお分かりになるでしょう。この『補給戦―何が勝敗を決定するのか』ですが、「補給・兵站」についての考察もさることながら、これまで軍事史関係で通説とされてきた事象についても疑問を投げかけ、その問題点を明らかにして論じられているところが魅力です。例を挙げると、普仏戦争の時のプロシャ軍の「鉄道神話」に対する反論、普墺戦争時には鉄道網がプロシャ軍の戦略的展開の速度を左右し、形態までも決定して、勝利に導いたのに対して、普仏戦争では戦争勃発時とパリ包囲時以外には鉄道はそれほど役に立っていなかったという事を主張されています。詳しくは、本書を読んでいただきたいのですが、これについては、私の乏しい知識の中から1点、指摘しておきますと、当時、プロシャ領内では鉄道網はかなり整備されていたのですが、普仏国境(と言っても、北ドイツ連邦とフランスとの国境ですが)のフランス側にはまともな鉄道(つまり、大軍を輸送、若しくは補給物資を運搬できる鉄道網)がなかったのです。ですので、プロシャ軍は国境を突破してしまうと、今までと同じように馬車と徒歩でしか兵站線を維持できなかったのです。この他にも、第一次世界大戦での西部戦線におけるシュリーフェンプラン、第二次世界大戦でのバルバロッサ作戦、リビアにおけるロンメルのアフリカ軍団、史上最大の作戦・オーバーロード作戦、モントゴメリー幻のドイツ侵攻プラン「ルール突進」にパットンについて、など、戦史に興味のある人間なら誰でも知っているような事柄について論じ、再評価しています。そして、あのクラウゼヴィッツに対しても、その戦争観に対して正面から批判を展開しています(個々の概念、例えば「摩擦」とかの「不可能の要素」の重要性などについてはクラゼヴィッツと同じ考えなのですが。まぁ、『戦争論』は難解ですし、未完成でもある、彼の死後に婦人と弟子が原稿をまとめて出版している、ので色々ややこしいのですよ(ですので、『戦略論大系(2)クラウゼヴィッツ』が必要になるわけです)。ですので、海軍大好きという側面からも、私はジェミニ派、マハン派です。決して、クラウゼヴィッツの理論を軽んじているわけではありませんが、色々私の拙いお頭で愚考してもソコソコ矛盾が出てくるので・・・)。他にも、現在の戦争についての鋭い示唆も含まれている、この『補給戦―何が勝敗を決定するのか』、戦争の勝敗は補給によって決まることを明快に論じた名著です。是非、御一読を!
2006年05月29日
コメント(4)
![]()
え~、「今日読んだマンガは??」ではなくて厭きずに「今日も読んだ~」になるのですが、森薫さんの『エマ(7)』(エンターブレイン、2006年)についての感想、その他諸々の続き、第2弾です。昨日は、「Sequel(シークエル)」について書きましたが、今日は『エマ』シリーズ単行本恒例の「あとがきちゃんちゃらまんが」を取り上げてみたいと思います。この「あとがきちゃんちゃらまんが」ですが、各巻の最後に(“あとがき”ですから当然なのですが)3ページほど森さんがその巻(本)に関する好きなこと、例えば、近所のアンティークショップの欲しい商品とか、各話の小話、アンケートのお手紙を読んだりとかを描いているのですが、今回、第7巻のはアンマリ良くありませんでしたね。ページ数は4ページになって増えてはいるのですが、内容がこれまでのと比べて薄~いです。まぁ(この言葉も、口癖になりつつありますね)、最終巻ですので気が抜けてしまったのでしょう、と思ったのですが・・・。どうやら『エマ・アニメーションガイド(3)』を目を通してみると、恐ろしいほどまでの執念と言いますか、凄まじきこだわりがヒシヒシと伝わる「ヴィクトリア朝のコルセット」を熱筆した反動で、「あとがき」がこうなったのではないかな~、と思いました。いや~、凄いですね。コルセットは・・・。さて、毎回「あとがきちゃんちゃらまんが」はお題があります。内容とは全く関係が無く、ただ、最初のお題のところに描かれる絵に関する内容なのですが、今回は「メイド喫茶には負けないゾ」となっていました。あ~、この言葉で引いてしまう方がいらっしゃると思いますが、我慢して続きを読んでください(でも、ここを訪れる大半の方は十分な免疫をお持ちだと思いますが)。さて、その「メイド喫茶には負けないゾ」の言葉の周りには、当然、メイドさんがいます。そして、各メイドさんには以下の単語がくっついています。「トリアノン」、「ハロッズ」、「アール」、「ミッシェル・ショーダン」、「アントステラ」(そして、片隅には「さよならヴィドフランス」とあります・・・)。もう、お分かりですね。私は、田舎者ですので「アントステラ」で気が付きました(名古屋駅の地下街に「ステラおあばさん」のお店があるもので)。有名喫茶店・洋菓子店の店員さんの制服です、はい。う~ん、さすが森さん。コメントのしようがありません。こんな感じで始まる第7巻の「あとがきちゃんちゃらまんが」、中身で森さんがどんな事を語っているか?と言いますと、やはり本の厚さのことが書いてありましたね。「最後ということで、あれもこれも詰め込んでいたら、やたらブ厚い巻になってしまいました」とあります。これはしょうがないですよ。と、言いますか詰め込みすぎて2冊にでもなった日には余分な出費で泣きの涙でしたよ。『エマ・アニメーションガイド(3)』も購入しなくてはいけないのに。そして、連載期間に関する想いを「長いようで短いようです」と吐露して(4巻の「あとがき」では、「(前略)自転車で全力疾走しているようなマンガだ」と書いてあります。そんな勢いなら短く感じて当然ですね)、ハムスターなら一生分と微妙なたとえが書いてありました(ハムスターと聞くとどうしても大雪師走さんの『ハムスターの研究レポート(1)』を思い出してしまいます)。それから、「思えば、4年前はグラナダホームズ(は~い、私も大好きです。ただ、メイドさんも良いですが作中に出てくるワトソン先生のピストルが・・・〔注:鉄砲も大好き人間〕)に出てくるメイドを見て喜んでいる、ただのメード好きだったのですが・・・」、「今ではめでたくドリームライフオペレッタシリーズに出てくるメイドを見て喜んでいる、ただのメイド好きになりました!」と4年間の進歩を回顧しています。でも、本人も自覚しているように「全く何も変わってないな」ですね(隅でメードさんが「そんな事ないわ!」と言っていてもです)。そして、『』に出てくるオルタンス嬢について、「とても良い性格のメイドだと思います(彼を尻に敷く準備もできたし)」と書いています。う~ん、『オペラ舞踏会』は見たことが無いのでコメントしようが無いですね、ただ、うろ覚えですが(あぁ、また危ない橋を・・・)内容は、亭主の浮気心を試すため、2組の若夫婦の奥さんが亭主の浮気心を試すために芝居仕組んだのですが、なぜかの3組のカップルが入り乱れての一夜だけの大人の情事へ発展してしまうという作品だったと思います。一度、どこかでDVD借りてきて見てみないといけませんね。そんなこんなで、単行本にする際のチェックをしている時に森さんがふと思った「何で私、こんなに髪とか手とかネチネチ書いているのだろう」(ココでなぜか森さんの姿が、カエルさんに変わってしまいます)「と、素直に感じてしまい、何とも言い様のない気分になる」とありましたが、でも、そこが良いのです!このネチネチが良いのです!!悩むことはありません。己の信じる道を行けば良いのです!(綾小路きみまろ風で)。今回は1ページ余分に多いのでコマが大きく見やすく、さり気に「ハキムガール&モニカガール」とかエマとウィリアムの「ヴィクトリア朝のデフォルト恋人ポーズ「ひざだっこ」」とか、おいしい絵が載っているのが魅力ですね。あと、「アーサー&ハキム」ではアーサーのハキムに対する認識みたいな事も書いてあって、中々興味深かったですね。それにしても、アーサー君はお堅いですね。さすが、パブリックスクールの監督生で、将来は弁護士を目指しているだけはあります(この時代のジェントリの長男以外の男子は、家を出なくてはいけないので何か手に職を身に就けなくてはならなかたのです。大抵は、弁護士・医者・軍人のいずれかを選んだようです。)こんな感じで最後に、「というわけで『エマ』も無事終わり、今後の予定ですが」、「えー、『エマ』の番外編をやりたいと思います」(1コマ、1拍置いて)「本編でかけなかったあんな場所やこんな物を、あんなキャラやそんなキャラで!!」と激しく語っておられます。ご自身の絵の下には「もういいかげんにしたほうがいい」とありますが、「自転車で全力疾走しているようなマンガ」ですので、しばらくは止まることは不可能でしょう。当分、全力疾走し続けることをファンとしては心の底から願っています。それにしても、あれだけ細かく描きこんでいるのに、まだ描き足りないところがあるなんて・・・。凄まじきかな・・・。
2006年05月28日
コメント(2)
![]()
はい、昨日購入した森薫さんの『エマ(7)』(エンターブレイン、2006年)についての感想、その他諸々の続きです。前回、「それから単行本のこれが楽しみ、お話の終わりごとにある単行本だけの描き下ろし「Sequel(シークエル)」や恒例の「あとがきちゃんちゃらまんが」も磨きがかかって(以下略)」と書きましたが、今回はその「Sequel(シークエル)」を中心に書き進めてみたいと思います。この「Sequel(シークエル)」という単語、辞書を引いてみますと「sequel=続き、続編、後編(to the novel);後日談;結果、結末、帰着点(以下略)」(出典:『リーダーズ英和辞典』研究社、1986年)とあります。ですので、ここでは「続編、後編」と「後日談」という意味で使用されている事となります。でも、7巻以外の『エマ』の「Sequel」は、「お話の続き」・「こぼれ話」的な要素が強いですね。さて、『エマ』1巻から6巻までの「Sequel」ですが、それこそ内容は様々です。その中から私のお気に入りを2、3挙げてみますと、まずは、『エマ(1)』の第5話「写真」ですね。これは、ケリーさんの若かりし時、ご主人のダグさんと一緒に写真を撮った後の1コマを描いたものです。この辺りは、9月から『コミック・ビーム』で連載が始まる外伝的読切の原案と言いますか、外伝の生地になっているような気がします。後、1巻では第3話の「南からの訪問者」のハキムガールの一枚絵ですね。これは、森さんのお気に入りなのでしょうかね(さもなくば、手抜きか?)それから、『エマ(3)』の第16話「視線の先」も良いですね。気苦労の絶えないグレイスさんとウィリアム君の友人、ロバート君とのさりげないやり取り。これも、最終話のウィリアム君とグレイスさんの階段でのやり取りに繋がってくるのではないかな?と睨んでいるのですが。後は、そうですね、3巻では第18話の「新しい生活」のアデーレさんとマリアさんの就寝前のやり取りとか、第20話の「エマとメルダース家」の2人のおちびちゃん、エーリッヒ坊ちゃんとイルゼお嬢ちゃんの微笑ましい「おねしょ」話、そして、その次の第21話の「ミセス・トロロープ」のウィリアムくんとグレイスちゃんの幼い2人が両親に連れられて水晶宮へお出かけした時の昔話も好きです。このくらいで、1~6巻までの「Sequel」談義は止めておきます。また、収拾が付かなくなるので・・・。そして、ここから本題の「『エマ』第7巻のSequelについて」に入るのですが、この7巻の「Sequel」は、これまでのとは少々、趣が異なります。まず、これまで各話ごとの「続編、後編」とか「後日談」、「昔話」というように、その1話きりで終わっていたお話が今回は、連載形式となっています。ただ、最初の第44話「曙光」は、強烈なモニカさん(なぜか、というかまだインドのお姫様の格好で登場)とグレイスさんのやり取りで、これまで通りなのですが、この次、第45話「新大陸」から第51話「ふたりの想い」までが続き物なのですよね。この「Sequel」は、本編を読んでいないとわからないのですが内容は「帽子と女の子」のお話です。何と言いますか、この「帽子と女の子」のSequelが外伝的読切の試作版のようなものではないかと、私は推測するわけであります。話を内容の紹介に戻しますと、第46話で、エマを追いかけて木の枝で額に傷を負って、森の中で帽子を落としてしまうウィリアム君。「Sequel」では、その時ウィリアム君が無くした帽子を拾った女の子(この子家で、エマは毛布を借りています)が、早速その帽子を母親に見せます(その時、周囲の大人にからかわれて拗ねる姿が・・・)。でも、せっかく手に入れた帽子が高級品である事がわかって、母親が持ち主に返しましょう、という話になって帽子は取り上げれてしまいます(帽子に関する旦那のウンチク話も良いです)。そして、帽子を取り上げられて拗ねて犬小屋で犬にしがみ付いて立てこもってしまうのですが、その犬というのが『大草原の小さな家』に出てくる毛の長い毛むくじゃらの犬なのです(犬の品種がわからん)。さて、帽子はお船に乗せられロンドンへ着き、そこから帽子屋を通して無事、ウィリアム君の元へと戻ってきます。「こんな事は初めてですよ」という店の人の言葉に「お礼をしないとな」とつぶやくウィリアム君。早速、執事のスティーブンスに子どもの喜びそうなものを見繕うよう命じます。一方、海の向こう側では、女の子が帽子を拾った山の中で「また落ちてないかな~」と探してみるのですが、帽子が落ちていようはずがありません。寂しそうな、何か未練がましい顔には、何かグッとくる物があります(私もしつこくて、未練がましい一面があるからでしょうか?)。そして、最後に高級そうなお人形さん(フランス人形ですね、はい)を貰って満面の笑みを浮かべる女の子の絵でこの「Sequel」は終わっています(女の子の母親の「いいことをすれば、ちゃあんと返ってくるんだからね」とセリフが良いですね)。あ~ぁ、わずか7ページの「Sequel」でこれだけドツボに嵌まるとは・・・。これで、本編について語りだしたらどうなる事やら・・・。恐ろしい・・・。というような次第ですので、次回は恒例の「あとがきちゃんちゃらまんが」について書いてみます。その後は、『エマ・アニメーションガイド(3)』(お~い、早く表紙画像使用の許可を取ってくれ~。面倒なのはわかるけど・・・。私も、この前『謎のプリンス』の許可をポスターと図書だより用に、取ったばかりですので)ですね。コルセット話についても書きたいですし、アニメ制作スタッフによる座談会もネタが盛り沢山ですし。本編は、7巻を開けると興奮してしまいますので、当分、熱が冷めるまで書けそうにありませんね。第一、最終巻について書き出すと今回のように色々1~6巻までの関連ネタを集めてきてしまいそうですしね。
2006年05月27日
コメント(5)
![]()
ムフフゥ・・・、と思わず妙な声とともに笑みがこぼれてしまいました。衆人環視の本屋のカウンターの前で。理由は、お分かりですね。今日発売された森薫さんの『エマ(7)』(エンターブレイン、2006年)を購入したからです。この『エマ』シリーズ、今回で終わりとなってしまいます。月刊誌で4年半も連載が続いてきたこの森さんの『エマ』。近年まれに見る名作の1つでした。「あ~ぁ、これで最終話。最近私好みのマンガがドンドン最終回になってしまう。また、葉境期に入るのか~」と、少々落胆していたのですが、先月号の『コミックビーム』にも今日買った7巻の帯にも嬉しいお知らせが!そこには、「緊急速報 『エマ』の登場人物たちによる、外伝的な読切シリーズが月刊コミックビーム9月号より連載スタート!」と、7巻の帯にデカデカ金文字で書いてあるではありませんか!さすがは、森薫女史!ここまで、ヴィクトリア朝に嵌まってしまい、あまつさえ、これだけ熱狂的なファンがついて各種方面の応援があれば簡単に舞台から降りることは出来ませんよね。あ~、良かった、良かった。 そんな感じで、今日は1人食後に部屋に篭もって明●屋で買ってきたシェリー酒を傾けながらジックリと『エマ(7)』を堪能していたのですが、いつもの悪い癖でそのままうたた寝をしてしまい、先ほど目が覚め先ほどまでの余韻をかみ締めながら、書き綴っている次第であります。さて、今回の『エマ(7)』ですが、内容はいつもながら濃いです。そして、最終巻なだけはありましてページ数は特厚274ページ!久々にB6版サイズでこれだけの厚さのものを買いました。お話を戻しまして内容ですが、6巻で傲慢な子爵様の雇った黒サンタ(注:森さんの言葉です。ヴィクトリア朝の人攫いはどうも黒いシルクハットに妙に大きな袋を担いだ、人相の悪い髭面の男、というイメージが森さんにはあるみたいです。う~ん、『グレナダ・ホームズ』の影響かな~)に誘拐されたエマ。そして、その行方捜すウィリアム。ヴィクトリア朝のイギリスを舞台に身分違いの恋を描いたこの『エマ』シリーズも、いよいよクライマックスと相成りました!そんな今回は、登場人物も多彩です。お馴染みのインド藩王の王子様、ハキムに、このお話の不幸を背負う羽目になったエレノア嬢、そしてその姉君の唯我独尊なモニカさん。当然、オーレリア母様以下ジョーンズ一家にメルダース家のドロテア奥様をはじめとする面々、そして懐かしいアルさんにケリーさんまで登場するこの7巻。ああ、もう最高です!それから単行本のこれが楽しみ、お話の終わりごとにある単行本だけの描き下ろし「Sequel(シークエル)」や恒例の「あとがきちゃんちゃらまんが」も磨きがかかってモウモウッ・・・、という感じであります。そんなこんなで、今回は『エマ(7)』発売&購入の喜びを書いてみました。お話の詳しい内容は毎度の如く「また今度」という事で・・・(しかし、この台詞を書いて続きを書いていないのが結構あるような・・・。アッ!『少年陰陽師』シリーズも忘れている!ダメだ、こりゃ~)。
2006年05月25日
コメント(4)
![]()
時期柄、このネタを取り上げなくてはいけないでしょう。先週、発売されたJ・K・ローリング女史の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』です。確かこの本、予約などでは原作の直訳『混血のプリンス』だったはずなのですが、気が付いてみれば何故か『謎のプリンス』に変わっていたので、4月の最初に慌ててポスターを作り直しました。このように、翻訳される本は直前に題が変わることがあるので要注意です。そんなわけで、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』は先週の18日に、本屋さんが発注した2セットを届けてくれました。早速、登録・装備をして新着書架へ配架、という訳にはいかないのですよね。このような人気シリーズは・・・。それは、先の土日に公共図書館へ行かれた方はよくお分かりかと思います。予約です。私の近所の公共図書館では、丁寧に予約人気本のベスト10とその予約本に何人の人が予約を入れているかを掲示してあるのですが、それを覗いて見ると・・・。12人!人気本なので最低2セットは購入していると考えても、単純計算で一番後の人は12週間(貸出期限は2週間)後にようやく順番がまわって来る計算になります。気の短い人は、さっさと本屋に買いに行かれたほうが利口だと愚考します。ただ、この『ハリー・ポッター』はシリーズものですので、生徒や教員(先生方も予約しに来ました!)に聞いてみると1巻目から購入し続けていると良いですが、途中から買うとなると・・・、という答えが返ってきます。つまり、途中の巻を買ってしまうと「全巻揃えなくては」と考えてしまう人が多いのでしょうね。律儀な人たちですね、はい。さてこのように、私の勤めている学校図書館でも公立と同様、予約が立て込んでいます。何しろ、一番手は去年の10月にリクエストカードを出していったのですから・・・。ちなみに、ここの学校図書館の規則では、ほぼ確実に購入する新刊本の予約(予約といえるのか?)は、リクエストカードで出すことになっています(まあ、普通はリクエストになるのでしょうが・・・)。そんなこんなで、只今の待ち人は30名近く、1クラス分です!本当に学校図書館の貸出期間が1週間でよかった。さもなくば、さらに追加で購入をする羽目になっていたところです。実際に、『ハリー・ポッター』シリーズでは副本が4冊あります。まあ、これは最初のうちの『賢者の石』などの一冊ものだからまだ場所をとらないので良いのですが。そんなこんなで、「予約した本はいつ戻ってくるの?」、「『謎のプリンス』はまだ返ってこないのですか?」等々の質問がカウンターに余りにも多くやって来るので、今日は公立図書館に習って「ハリー・ポッター新刊予約情報」なる掲示を作って入り口に貼り出したという次第です。あ~、でもこの『ハリー・ポッター』シリーズも次で最終巻。あっという間でしたね。それにしても、この『ハリー・ポッター』シリーズ、巻を重ねるごとにお話が重く重~くなっていきますよね。せめてシリーズとしての結末は、私の好きなハッピーエンドで終わって欲しいものです。だって今回は、余りにも重すぎはしませんか?おしまいが・・・。 一方は楽天ブックスさん、もう一方は三省堂書店さんです。さて、どっちがどっちでしょうか?
2006年05月23日
コメント(2)
タイトルの通りです。何故か最近、気力が湧いてきません。そうなると、インスピレーションもわいてこなくて、どうにもブログを書く気にならないのです。元々、私は感情や直感で行動する人間です(ですので、周囲には知らず知らずの内に迷惑をかけているということが多々あるのですが・・・)。ですので、本を読んでいて思いついた事等を頭の片隅に置いておいて、メモ帳代わりにブログに書き綴っていたのですが・・・。どうも最近、本を読むペースも落ちてきて、それに伴ないブログに書くネタも少なくなって、という悪循環に陥りつつあります。まぁ、この原因の第一は人間関係からきているのでしょう。どうも、今年度着任された新任の図書担当の方と考え方が合わずに、ただいまギクシャクしているのです。基本的にはいい人なのですが、原則主義者と言いましょうか、何事にも保守的で原則に忠実すぎる方のようなのです(それと、先に述べた私の性格もあるのでしょうが・・・)。例えば、図書室で「本はキチンと座って読みましょう」とか、「本は一人一冊ずつ選んで静かに読みましょう」などと言うことを、よく生徒に注意されます。基本的にそれは正しいことなのですが、昼休みの時間に生徒たちが一冊の本を囲んで(確か「ギネス」の世界記録を集めた本だったと思うですが)コレは、アレはとワイワイやっていたところへ、そのような事を注意されるのです。極端に騒がしい生徒に対して注意するのは仕方が無いことでしょうが、楽しく和気藹々と本を楽しんでいる生徒に向かってそのような事を注意されるの如何なものでしょうか?と私は疑問を感じるわけです。他にも色々あって、精神的にかなりきつい事もあり、只今、精神的にかなりネガティブな状況です。今回の一連の状況から考えるには、まだまだ学校図書館の役割や、学校司書というものに対する認識が低い教員が多いのかな~、ということです。よく聞く話ですが、学校司書として学校に入ると、学校が司書に何をさせてよいやらわからず、結局、図書室に関する雑用係として使われてしまう、という話があります。最近では、そういったことも一連の読書推進の流れの中で徐々に解消されてきて、学校図書館の役割やあり方、司書の仕事に関しても理解が進んできたように思えたのですが、やはりそう簡単に古臭い考え方や古い「本を静かに座って読む図書室」というイメージは変わらないのでしょうかね。余り他人の思想や信念等々に関して、彼是言う事は好きではないのですが、ネガティブな心に風を通そうと思い書いてみました。そんな次第で、読み苦しく、愚痴をこぼしたようなお話で申し訳ありませんでした。
2006年05月21日
コメント(8)
![]()
先日読んだ、田中芳樹さんの『アップフェルラント物語』(徳間書店、1990年、表紙画像なし)には、色々私の「妄想」を重する要素が詰まっていました。そこで今日は、その「妄想」の中から私の大好きな鉄砲、それも機関銃について取り留めの無い話を展開していきたいと思います。機関銃を辞書で引きすと「引き金を引き続けると、自動的・連続的に弾丸が装填・発射される銃。」(『広辞苑』第二版補訂版より。しかし、古いな~。1978年ですよ!)とあります。この機関銃、火器の誕生以来、人類が求めてやまなかった兵器の1つです。何しろ、後装式銃が発明されるまで、鉄砲は元込め単発式。日本の火縄銃にもある様な銃身を何本もくくり付ける以外に連発銃など作れなかったのですが・・・。偉大なるかな、科学の力は!雨降りでも鴨撃ちがしたい神父さんの発明により、雷管、つまり衝撃による発火する簡単な点火装置が発明されてから、後装式銃と機関銃の劇的な発展が始まってしまったのです。さて、細かい話は端折りますが初期の機関銃と言いますと、このような方面に詳しい方や映画好きな方は必ずあのガトリング銃を思い浮かべると思います。このガトリング銃は、アメリカの医師であるガトリング氏が発明したのですが、南北戦争中にも関わらず当初は全く売れませんでした。何しろ、ガトリング銃は映画では万能兵器のように描かれていますが、実際には不恰好で(軍人と言うものは、何故か格好の良いものが好きです)得体が知れなくて、重たく使い辛い兵器だったからです(おまけに、非人道的だ!という民間からの抗議もあったそうです)。実際問題として、大砲のように車軸のある砲架に乗せられたため移動が不便で、今の機関銃のように簡単に左右に銃身を振ることが出来ないという欠点がありました。かの有名なカスター将軍は、リトル・ビッグホーンの戦いへ行く前に分解して馬で運ぶことが出来るガトリング銃を持って行くことが出来たのですが、移動の邪魔になる、という理由で砦(フォート)に置いて行ったため、第7騎兵隊の全滅という惨劇を招いたのです。まあ、奢り高ぶったカスターがインディアンを馬鹿にして、戦術を無視した奇襲もどきを仕掛けて返り討ちにあった、というのが現実のお話です。それにしても攻撃に失敗しても、馬を置いておいた所にガトリング銃を設置しておけば、退却の際に援護が出来たでしょうし、包囲されても火力で防御できたでしょうに。このように機関銃はガトリング銃のように最初は人力、手動でハンドルを回して発射する形のものが軍用として採用されました。このような機関銃としてはガトリング銃の他には、ナポレオン三世の道楽で生まれたミトレユーズ銃が有名ですね(他にも、ガードナー銃やらノルトファンド銃やらがありますが)。この銃は性能的にはガトリング銃より上だったのですが、これも使い方の知らない人たちに使われた惨めな戦歴を作ってしまいます。このミトレユーズ銃はあの鉄血宰相ビスマルクが喧嘩を吹っ掛けた普仏戦争に、秘密兵器として登場したのですが…。哀れ、秘密兵器としてこの機関銃は砲兵に支給されて大砲と同じような配置と運用方法で戦場で使われたのです。その結果は、遥かに射程距離の長いクルップ鋼製野戦砲の砲撃を喰らって一発も撃たずに破壊されてしまったのです。こうして見てきますと、機関銃が登場したばかりの頃は、皆さんよく使い方がわかっていなかった様なのですが、人間は学習する生き物です。おまけに科学はついに完全自動式(機械式)の機関銃を生み出してしまいました。それがかの有名なマキシム機関銃です。このマキシム機関銃は、先のガトリング銃やミトレユーズ銃のように誕生早々に白人に向かって火を噴くことがありませんでした。この機関銃が活躍したのは、アフリカ大陸です。当時、欧州列強は植民地獲得のためにアフリカで散々酷い事を行っていました。そこで、当然のようにアフリカに元から住んでいた人々は抵抗に立ち上がるわけです。以前、ブログで紹介した『ズール戦争』もそのような戦いだったのですが、今、私たちが考えている以上に当時のアフリカの人々はヨーロッパの侵略者たちと対等に戦っていたのです。これは、まず頭数の差で侵略者を圧倒していたこと、次いで侵略する側の武器が意外と貧弱であったということがあります。ヨーロッパの侵略者の武器が貧弱?と疑問に思われる方もいるかも知れませんが、実は、1853年に始まるクリミア戦争の直前まで鉄砲と言えば先にも述べた先込めの球形弾を発射する火打石銃ばかりだったのです。ですので、1発撃てばそれまで・・・。おまけにアフリカは場所によっては高温多湿、つまり火薬が湿気って不発が増えるという事で・・・。そんな理由で、近代、20世紀の足音が聞こえてくるまで、鉄砲というのは意外と使い難く、威力の弱い武器だったのです。ところがまず、後装式銃(『ズール戦争』では、後装式のヘンリー・マルティニーライフルが使われていました)や、連発銃(最初はサミュエル・コルトの発明した回転式拳銃。このコルト回転拳銃は、アメリカ・テキサスでインディアン相手に威力を発揮した後、インド大反乱でイギリスの将校が使用して好評得て普及しました。つまり、死を恐れず突っ込んでくる原住民たちを大群に対して続け様に5~9発、連続発砲して相手を制圧できるというのは凄いメリットだったのです。当然、一発撃ったらお終いのはずの鉄砲からバンバン連射されたという心理的な打撃も大きいでしょうがね)の登場で、数を質で補うことが可能となってしまいます。その数を質で補う究極の兵器がマキシム機関銃だったわけです。このマキシム機関銃が大々的に植民地戦争に投入されたのがスーダンでした。当時、イギリスの影響下にあったスーダンでは、1881年、マフディーなるイスラム神秘主義を唱える一派が反乱を起こし、1885年には首都ハルツームを陥落させてイギリスの総督で中国・太平天国の乱で活躍した大英帝国の英雄、ゴードン将軍を殺害してしまします。この事件に激昂した世論に押される形でイギリス軍はキッチナー将軍の指揮の下、遠征軍を派遣します。そしてスーダン領内のナイル川河畔、オルドゥワンにてマフディー派の軍勢と激突したのですが・・・。イギリス軍は20門近くのマキシム機関銃を乱射して、哀れ、裸に近い格好で馬で突撃してきたマフディー軍は壊滅してしまいます。このように、機関銃は植民地支配を効率的に行う兵器として重宝がれていくのですが・・・。時代は、この恐ろしい兵器に新た舞台を用意していたのです。それが、ボーア戦争と日露戦争、そして第一次世界大戦なのですが、そのお話はまた次回に致します。最後に、今日このお話を書くのに参考にたのがジョン・エリス著、越智道雄訳『機関銃の社会史』(平凡社、1993年)です。内容を思い出しながら書きましたので少々不安ですが、大きな間違いは無いと思います。『ズール戦争』とマフィデーの反乱に関する映画です。 1880年当時の回転式拳銃の雰囲気をわかっていただくために面白いものを。S&Wモデル2アーミーHW です。この拳銃、じつは坂本龍馬が愛用したリボルバーなのです。
2006年05月17日
コメント(2)
![]()
はい、昨日予告しました田中芳樹さんの『アップフェルラント物語』(徳間書店、1990年、表紙画像なし)について、同じ田中さんの作品でジャンルが似通っている『ラインの虜囚』(講談社、2005年)と一緒に紹介&解説をしてみたいと思います。さて、この『アップフェルラント物語』は、勇敢な男の子と健気な女の子と良い大人たちが悪党一味と大立ち回りをやって、悪人たちをやっつけてハッピーエンド(当然、悪党の中にはさり気に善玉が混じっているという)、というある意味、日本人が大好きな典型的なお話です。そして、私がこの本を読み終えて最初に抱いた感想は、宮崎駿監督作品の影響をモロに受けているな~、という事でした。何しろ舞台が、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ。ドイツ、オーストリア・ハンガリー、ロシアという3大帝国に囲まれた小国、アップフェルラント王国というのですから…。はい、これは『カリオストロの城』ですね。そして、主人公がアップフェルラント王国の首都、シャルロッテンブルグスリをして生活している孤児ヴェル。彼は、ある日、国際列車の一室に監禁されていた少女、フリーダと運命的な出会いをします。そして、彼女の手には全世界を揺るがしかねない、王国に隠されたある重大な秘密を解き明かす鍵があったのです。と言うことで、これは『天空の城ラピュタ』ですね。と言う感じで、宮崎ワールドの香りがプンプンするお話なのですが、さすがは田中芳樹さん。背景となる世界の設定は『カリ城』や『ラピュタ』よりも遥かに上です。20世紀初頭の中央ヨーロッパという実在した世界に、アップフェルラントという非実在の国を潜り込ませ、しかも調和させてしまうところはさすがです。それから、文中に巧みに織り込まれる実際にあった歴史上の出来事に関するエピソードの数々。例えばこのお話の冒頭では「西暦一九〇五年といえば(中略)極東では、日本帝国がロシアとの戦争をつづけ、陸でも海でも戦闘に勝利しつづけていた。(後略)」に始まり、文中でのアップフェルラントの老女王と総理大臣のやり取り「機関銃というのは、ロシアが日本とかいう国との戦争で使用したと言う武器ですね」、「は、おそるべき武器だそうで。旅順要塞(ポルト・アルツール)の攻防戦で、日本兵の死体が谷間を埋めつくしたと聞きおよんでいます」というような、軍事マニアにとってはたまらない小話がたくさん散りばめられています。当然、歴史的事象も同じように文中にさりげなく配置されていて、この架空の国で起こった出来事があたかも私たちが知らない中央ヨーロッパの小国に関する歴史事象と錯覚を起こさせるほど、奇麗にまとまっています。だって、みなさん、実在する中央ヨーロッパのハンガリーやチェコ、ブルガリアにスロバキアの歴史を簡単に説明しろ、と言われて出来ますか?この辺の設定の上手さが、作家さんのテクニックなのでしょうね。ちなみに、著者の田中さんはこの『アップフェルラント物語』について「ルリタニア・テーマ」と言う言葉を作って「近代または現代のヨーロッパ大陸の一角に、架空の小国を設定し、そこを舞台に大冒険をくりひろげるお話」のことだ、と説明されています。この「ルリタニア」という言葉は、かの有名な『ゼンダ城の虜』(アンソニー・ホープ著、井上勇訳、東京創元社、1996年) というルリタニアというドイツ東南地方にある架空の小国を舞台にした大活劇小説から取ったのだそうです。さて、そんな「ルリタニア・テーマ」と言われる作品は、読者にとっても物語を読み終わった後に、例えば、主人公のヴェルとフリーダはその後どうなったとか、アップフェルラント王国はその後、どのような歴史を辿る事になるのか、といった想像力をかき立てられる内容となっています。実は、この本の「あとがき」には著者自らが先に述べた「物語のその後」、つまり後日談を簡単に叙述してくれているという、心配りの効いた作品です。で、この後日談で私が、おやぁ、と思ったのが以下のところです。この『アップフェルラント物語』で、アップフェルラントを軍事力で併合しようとした悪役、カイゼル・ヴィルヘルム2世は、第一次世界大戦の敗戦後、オランダへ亡命、以後、悠々自適の生活を送ります。ところが、ナチスが台頭してきて第二次世界大戦が勃発すると、旧プロイセン王国の王党派がカイゼルを復位させてナチスを打倒して、ホーエンツォレン朝を再興しようと試みるのです。ここに、田中さんは成人してヨーロッパ一流の魔術師(なぜに魔術師になったのかは、本を読んでみて下さい)となったヴェルと、これも以前ブログで紹介したドイツ帝国海軍士官で仮装巡洋艦(帆船!)「海鷹(ゼーアドラー)」号の艦長、フォン・ルックナー伯爵(この人はバリバリの貴族=王党派で当然、ナチスから迫害されて中立国、スウェーデンへ亡命せざる得なくなっていました)を登場させて、カイゼルの救出を決行するというシナリオを描きます。でもその結末は、警戒厳しいオランダへ潜入するも、城館で二人が見たものは年老いたカイゼルの臨終の姿でした、という空想を語っていました。ところが、このネタは『ラインの虜囚』(このお話の内容紹介はこちら)でしっかりと使われているのですよね。ここでは、モンラッシュこと、ジェラール准将が主君、皇帝ナポレオンをエルバ島から脱出させるべく密かに上陸してナポレオンの幽閉先までたどり着くも、窓から覗き見たのは、棺に横たわる皇帝とその周りで泣き崩れる臣下たちだった、というお話になっています。うーん、何だか面白いと思いませんか?ちなみに、私としては『アップフェルラント物語』より『ラインの虜囚』の方がテンポが良くて読みやすく、文章やお話の中身に全く問題が無いということで、こちらの方が好きです。『アップフェルラント物語』では、列車砲が機関車に牽引されている状態で、しかも走行中にぶっ放されていますから…。列車砲というのは、ある一定の地点まで鉄道で移動してから、レールから車輪を外して固定して、弾衝装置と駐退機の固定外し、その他諸々の諸準備をしてからドカンッ!とぶっ放す代物なのです。大体、大きなモノとなると一発撃つのに1時間も装填や照準に時間がかかったのです。ですので、走行中に列車砲(世界最大と称する、とありますので、最低30cmはあるでしょう。だって旅順攻防戦で日本軍が使ったのが28cm榴弾砲だったのですから)をぶっ放したら、脱線転覆は確実です。まあ、そんなこんなで、登場人物についても、例えば、好漢、フライヒャー警部や憲兵隊の好々爺、ツェーレンドルフ大佐に、カロリーナ女王、チョッとずれた天才科学者、レーンホルム博士、ポーランド独立を目指して戦う女闘士、アリアーナ等々、紹介したい人物がいるのですが、眠くなりましたので今日はこの辺りで。それにしても、人名やら出てる単語がみーんなドイツ語とは・・・。さすがは田中芳樹先生、『銀英』で鍛えただけのことはあるなぁ・・・。
2006年05月15日
コメント(6)
![]()
今日、久しぶりに田中芳樹さんの『風よ、万里を翔けよ』(徳間書店、1991年)を読みました。この本は、今週ご親切な地域の方より頂いた寄贈本の中から発掘したものの1つです。前にも話をしましたが、この寄贈本というものは大変失礼な言い方となりますが、大抵はハズレです。なぜかと言いますと、寄贈された本の大半が普通の公立図書館には置けるような本でも学校図書館とその利用者、ここでは生徒ですが、に対しては例えば内容が小難過ぎる、あまりにも専門的な分野に偏っている、表現が中学校の学校図書館には向かない、等々の本の中身に問題があるものなのです。それから、外側、つまりカバーや中のページとかが破損していたり、日焼けしていたりするチョッと配架するのは…、ということになります。図書館の関係者や、図書館をよく利用される方などは図書館の本には、「賞味期限」があることをご存知だと思います。本には食べ物と同じように「旬」があります。例えば、テレビや映画で取り上げられている本、今、巷で流行している事象に関する本など、このような本は利用者からのリクエストもあるので予算と睨めっこしながら、出来る限り購入するようにしています。ところが、流行と言うものは一旦過ぎ去ると見向きもされない事がしばしばです。さらに、「流行(ハヤリ)」は次から次へとやってきます。予算もさることながら、そんなに次から次へと本を配架していくと、開架がパンクしてしまいます(あくまでも、本を買える予算のある所は、ですよ。予算が無ければ、文科省の学校図書館の蔵書基準を満たすため、古い本でも何でも配架して置かなくてはいかなので、古臭い本ばかりの学校図書館が出来てしまうわけです)書庫や準備室があれば良いのですが、普通の学校図書館では、準備室も無いところがある始末です(幸い、私の所は狭いながらもあります)。そこで、とくにスペースが限られている学校図書館では古い本は予算が許す限りなるべく書架が溢れそうになると退場していただくようにしているのです。これは、大抵は古ぼけた本から抜いていきます。だれでも、日焼けしてボロボロの黄色い本を手にとって見たいとは思わないでしょう?ですが、つい最近までは中学校の学校図書館は平気でこのような本を書架に並べていたのです。他、書架から抜き出す本としては、副本があるもの(例えば、『ハリー・ポッター』シリーズ。あれは何時も2セット買って、予約が立て込みもう1、2セット買ってしまう代表的な本です。そろそろ、新刊『【予約】 ハリー・ポッターと謎のプリンス』がでるので、ミニコーナー作って全冊ズラーッと並べなくては)、明らかに情報が古くて役に立たなくなった本(パソコン関係、例えば“98”の本が置いてあっても今のOSは“XP”や“2000”なのですから誰も読まないでしょう。他は地図、市町村合併がようやく一区切りしたので日本地図が買えそうです)などがあります。このように図書館は、常に新しい本を購入して開架書架に配架し、書架に収まらなくなった本を古い順に書庫に収めて、さらにその中から利用状況や本の内容等々を検討してから(この会議が結構手間です。古くて破損している本は良いのですが、まだ使えそうな本となると…)、必要の無いものを処分して(最近、よく公立図書館がリサイクル本として古い本を無償で配っているアレです。)スペースを確保してそこへ本を入れる、という事を繰り返して皆さんにサービスを提供しているのです。購入した本を全て保管しているのは、国立国会図書館や大学図書館等の一部の特殊な図書館だけです。本をきちんと整理して保管することは、お金と場所を喰うお仕事なのです。いつもの如く話が逸れましたが、では、学校図書館に置けない本の行き先はと言いますと…。内容に問題が無くて状態に問題がある本は、学校図書館から除籍した本と一緒に学級文庫行きです。そして、内容に問題がある本は書庫に鎮座していただくこととなります。ちなみに、この種の本は時々先生方が長期貸出しをされていきます。このように、転んでもただでは起きない、たっている者は親でも使え、的な発想で本を有効利用させて頂いているのですが、今週寄贈された本たちは当たりでした。冒頭で紹介した『風よ、万里を翔けよ』にはじまる田中芳樹さんの著作では、『纐纈城綺譚』(徳間書店、1995年)や『アップフェルラント物語』(徳間書店、1990年)がありました。このくらいなら中学生ぐらいでも大丈夫です。多少、難しい漢字も出てきますが『十二国記』が読めればこの位は。たださすがに、『天竺熱風録』(新潮社、2004年、これはさすがに寄贈本の中には入っていませんでした)辺りになってくるとチョッと厳しいかな、とは思いますがね。この他にも、トリイ・ヘイデン著、入江真佐子訳『シーラという子』(早川書房、1996年)をはじめとするトリイ・ヘイデンのシリーズなど、今回は読み物系がかなり入っていたのでホクホクです。サッサと春の新刊本が入ってこないうちに、装備と登録を済ませておかなければ…。という感じで、今日は今年度から始まった月一回、土曜日の学校図書館開放で出校のついでに整理した寄贈本についてのお話でした。タイトルにある『風よ、万里を翔けよ』や『纐纈城綺譚』など、最近は嵌っている「東洋風歴史系ファンタジー」、と言いますか田中さんの作品は「中国歴史時代小説」の内容紹介と解説は、また後日となりますのでよろしく!ちなみに、『アップフェルラント物語』は、これも以前に紹介した同じ田中さんの『ラインの虜囚』や宮崎監督の『宮崎駿の雑想ノート増補改訂版』と関連付けて紹介してみたいと思いますのでお楽しみに! 単行本と文庫本を並べてみました。手元にある本は、徳間書店から出た初版本なので、表紙には橋本正枝さんの手による、男装して甲冑を着用し、剣を腕で抱え込むようして座って、不敵に微笑む主人公木蘭の姿が、その名の由来、木蘭の花と青い生地に緑の縁取りのある軍旗を背景に描かれています。
2006年05月13日
コメント(2)
![]()
先頃、どうも私は「東洋風歴史系ファンタジー」に弱いようです、と書いて『少年陰陽師』シリーズを紹介したのですが、その『少年陰陽師』シリーズを読み進めている最中にまた、新しい「東洋風歴史系ファンタジー」を発掘してしまいました。その本とは、毛利志生子さんの『風の王国』(集英社、2004年)シリーズです。毛利さんの著書としては同じコバルト文庫から出ている『外法師』シリーズがあったのですが、こちらは、なんだか波長が合わずにその後、毛利さんの作品からは距離を置いていたのです。ところが連休明けに、新入生の男子がこの『風の王国』シリーズの『風の王国(月神の爪)』を持って来て「姉が借りたまま卒業してしまったので、お前返して来い、と言われて返しに来ました」と本を返却しに来たのです。あぁ、そういえば去年もこんな事があったけ…。でもそれは、夏休み明けの事。今年はずいぶんと早かったなあ、と変な事を考えてしまいました。このように、毎年のごとく本を返却しないまま、中学校生活の思い出と共に図書室の本も一緒に学校を巣立ってしまう、というケースが必ず発生するのです。そして、弟や妹が在校していたり、入れ替わりで入学してくると、このように多少の罪悪感に背中を押されたり、親が発見してくれたりして、学校に無事に戻ってくるケースがあるのです。このような次第で、無事に戻ってきた本を破損等の問題が無いかと確認してみると(当然、ついでに斜め読み)、なんだか文章の雰囲気が私好みのような感じがしてきたのです。そして、本格的に手に取って読んでみようと決意させたのが、奥付の前にあった「主要参考文献」というページです。オイ!コバルト文庫、というかライトノベルで独立して参考文献を紹介するページを作っているのか、これは、何だかすごそう、と思ったわけなのです。ちなみに『風の王国』シリーズの1巻目の「主要参考文献」には、山口瑞鳳著『吐蕃王国成立史研究』(岩波書店、1983年)なる本が。ううん、著者名が確か大学院の院生室で見た記憶のある名前だな…、と思って昔の研究発表・報告会のレジュメ(変な貯め癖があるので、物が捨てられないのです)を取り出して見てみるとやはりありました。チベット学がご専門の先生で、東大名誉教授(これはネットで調べました)だそうです。ちなみに本のお値段は、一冊17,000円也!まぁ、専門の研究書はえてしてそのようなものです。ですので、学生は著作権法などそ知らぬ振りしてセッセと論文の全文コピーをしているわけです。話が横道に逸れましたが、他には佐東長著『古代チベット史研究』(東洋史研究会、1958-1959:2冊)、デーヴィド・ルウェリン・スネルグローヴ/ヒュー・エドワード・リチャードソン著『チベット文化史新装版』(春秋社、2003年)、華梅著、施潔民訳『中国服装史』(白帝社、2003年)、高世瑜著、小林一美訳 『大唐帝国の女性たち』(岩波書店、1999年)、ケルサン・タウワ/加世田光子著『チベット語辞典』(カワチェン、2003年)等が取り上げられています。どれもこれも専門書で、値段も高く手に入りにくいものばかりなので、図書館を利用してご覧になると良いでしょう。それにしても、著者の毛利さんはなんで古代チベットという秘境(小説の舞台としてもですよ。シルクロードからは離れているしねぇ)を舞台に選んだのかといいますと、1巻目の「あとがき」によりますと大学生の時にチベット関係の講義を受けていたのだそうです(著者の履歴には「龍谷大学文学部卒」とありました。龍谷=東洋史という方程式が歴史を齧った人ならピンときます。なるほど、だからチベット関係の講義があるのですね。あれ、そう言えば、なんだ、小野不由美さんと同じ大学ですね)。その講義の中で習った、唐の第二代皇帝、太宗の養女、文成公主が吐蕃王国(現在のチベット)に嫁入りした史実を基に『未知の王国に嫁ぐ皇帝の娘』というシチュエーションに毛利さんの創造力が加味されて出来上がったのがこの『風の王国』シリーズだそうです。この本についての詳しいお話の内容や毎度おなじみの解説はまたまた、そうですね、『少年陰陽師』シリーズについて1本上げてから書いてみましょうかねぇ~。でも、予定は未定です。今読んでいる本があるのに、また別の本を読み始めるなんて。あ~、私って本当に、節操無しですよね。 しまった!番外編『風の王国(河辺情話)』が出ているのに気が付かなかった…。不覚!次の選書に入れておかねば。
2006年05月11日
コメント(2)
![]()
連休終わりの日曜日、いつもの様に書道のお稽古の帰りに、これまた毎回同じパターンですが名古屋・栄のマナ●ウスと○善、駅地下の△省堂さんに寄って来ました。今回はとくにお目当ての本もなく、今年度最初の選書で選ぶ本は何にしようかな~、という感じでブラブラと棚の間を回っていると、平置きされた本に視線が吸い寄せられました。その本とは池上良太著『図解メイド』(新紀元社、2006年)です。平置きされているので、目で帯の宣伝文句を読んでみると「図解でわかる!メイドのいた暮らし 仕事・恋愛・老後・犯罪…。(以下略)」と興味のそそられる文句が書いてあります。そこで手にとって最初の「はじめに」を読んでみると昨今のメイドブーム(相当歪んでいる箇所もありますが…)云々からはじまり、メイドにていての簡単な説明、本書で扱う時代(当然、ヴィクトリア朝になるのですが)などが紹介されています。そしてその後に、「すでに個人的に猛烈な研究をされており、メイドについて知らぬことは何一つない」と豪語する人や、ヴィクトリア朝の専門家という人々に対しては「そういう方は、肩の力を抜いて「答えあわせでもしてやるか」といった具合に読んでいただければ幸いである」と書いてあります。私としては、豪語できるほどの知識も無く、専門家でもありませんが、依然このブログでも紹介したように、関連書籍はかなり読み込んでいますし、若干の蔵書もあります。そこで、「はじめに」の次に捲ったのが終わりの「参考文献一覧」です。この参考文献を見てみれば大体の本の内容に関する「質」がわかる訳です。では、どのような本が参考文献として出ていたかと言いますと、手元にある本では、 横井勝彦著『アジアの海の大英帝国』(講談社、2004年)と小林章夫著『召使いたちの大英帝国』(洋泉社、2005年)、角山栄、川北稔編著『路地裏の大英帝国』(平凡社、2001年)そして森薫、村上リコ著『エマ ヴィクトリアンガイド』(エンターブレイン、2003年、表紙画像なし!)という4冊が出ていました。ここで、驚いたのが『エマ ヴィクトリアンガイド』が他の学術書の類と一緒に参考文献として並べられていたことです。少々オーバーですが、これを見てこの本を購入してしまったようなものです。最も、この本の内容自体はしっかりしていますし、『ヴィクトリアンガイド』より本のサイズが大きいので文字のフォントも大きく読みやすく、用語1つにつき見開き2ページを当て、1ページは解説に、もう1ページは絵や図説用にして丁寧に説明されています。また、『ヴィクトリアンガイド』には無い魅力、ドイツやフランスといった他国の使用人事情や「メイドと犯罪」といった裏事情、メイドの恋愛相手でもある陸軍兵士や警察官についての解説、メイドを雇う側の背景、雇われる側の背景なども事細かに書かれている、小技が効いている本でもあります。ちなみに、この『図解メイド』の参考文献で紹介されている本で、私が面白いとお勧めするのが、ヘンリー・メイヒュー著、ジョン・キャニング編、植松靖夫訳『ロンドン路地裏の生活誌(下)(上)』(原書房、1992年)です。19世紀ヴィクトリア朝ロンドン街頭で、魚や野菜、オレンジ等を行商して歩く呼売商人、楽器を弾いて歩く盲目の老女、体じゅう煤だらけの煙突掃除夫、故買屋、羊の足を売る女など等。社会の「どん底」に生きる人びとがあみだす珍商売・奇商売の数かずを、社会派ジャーナリストであったメイヒューが丹念に取材をし、専門の絵師に繁栄のさなかに巣食う貧困や喧騒に満たちロンドンで働く人々のスケッチを取らせて記録した、当時の社会調査的な側面も垣間見せる本です。この『路地裏の生活誌』の中には、機能紹介した『エマ』の「花売り娘」、市場で花を仕入れて駅や街頭で売る商売も登場しています。この本は、本当に読んでいて厭きない面白い本です。手に入れたいのですが、絶版・在庫切れなので古本しか手に入らない状況なので、購入を躊躇している本でもあります。他にも、ヴィクトリア朝とメイドについて紹介したい本は多々あるのですが、本日はこの位で。
2006年05月09日
コメント(6)
![]()
連休中に、我が家の庭に植えてあるドイツスズランの花が咲きました。白く可憐なスズランの花、と言いますと即、私の頭に浮かぶのが森薫さんの『エマ』です。ちょうど、先月にて泣きの涙の最終回となった『エマ』ですが、今月の25日には『コミック・ビーム』のお知らせ欄に「ブ厚いですよ…」と紹介されていた最終巻である7巻と、またまた森さんがヴィクトリア朝の熱い思いを今回はコルセットに託して(前回は暖炉でした)書き込んだ8ページの解説付きの『エマ・アニメーションガイド』の3巻目が発売されます。さて、なぜスズランの花=『エマ』かと申しますと、作品を読まれた方はお分かりだと思いますが、このスズランの花が作品の転換点で重要な役割を果たしているからなのです。その場面とは、コミック版では2巻目の終わり、14話の「さよならエマ(後編)」と3巻目の15話「風」、小説版では2巻目の終わりで、アニメ版では最終話となります。ケリー婦人が亡くなって行く当てのないエマは、ジョーンズ坊ちゃんとの別れも果たすことなく(実は、すれ違いになってしまったのですよね)ロンドンを後にキングクロス駅よりグレート・ノーザン鉄道に乗って生まれ故郷(と思しき土地)へと向かおうとします。その時、キングクロス駅で昔の自分の姿を映したような幼い花売りの少女からスズランの花束を買います。そして、遅れて駅に駆け込んだジョーンズ坊ちゃんも同じくスズランの花を買うのですが、その目には涙が…。その時、花売りの少女が坊ちゃんに対して「スズランの花ことばは、『幸福が戻ってくる』っていうんですよ」と言います。この場面の描写はコミックやアニメより小説版の方が細やかですね。さすがは、久美佐織さんです。ちなみにスズランは別名、「君影草」と言って「遠くにいる人を忍ぶ花」という意味があるのです。さすがですね。花に二重の意味を持たせて、物語に深みとその先の展開をさりげなく匂わせるなんて。ちなみに『紫雲国物語』でも同じように花に二重の意味を持たせる洒落たことをやっています。ちなみに、このスズランの花が縁となり(その他、駅で間違えてエレノア奥様に声をかけられたとか、列車のコンパートメントがかしまし娘のターシャと一緒だったとかありますが)、エマはハワースのドイツ人貿易商、メルダース家に雇われることなるのです。次に、スズランの花が出てくるのが最終話「しあわせの花」です。艱難辛苦を乗り越え、ようやく二人で一緒になることを決意したジョーンズ君とエマ。そこで、二人は夜会へと出掛けることとなります。これは推測するに、田舎、ハワースに戻ってからと言う点と、ドロテア奥様の「練習台として最適」という言葉から、社交界へのお披露目的意味合い、つまりエマがジョーンズ君と一緒に新しい世界へと踏み出すことを暗示していているのだと思います。ラストのシーンでは、7ページも使って夜会へ出掛けるシーン、ジョーンズ君がエマの手を取って自分の腕にまわす様子を実に細やかに描きこんでいます(森さんの執念ですね、これは)。最後は、1ページ丸々使って正装したジョーンズ君と着飾ったエマ(着飾るまで、またまたオーレリア母様とドロテア奥様のおもちゃ、服はあーだ、靴はどうだ、髪型、アクセサリー、扇、手袋等々の品定めの事ですが、にされています)が扉に向かって進むシーンで終わっています。うーん、この続きも読んでみたいな~(でも、この辺りで終わっておかないと収拾がつかなくなるような気もしますがね)。この場面では、スズランの花は「花」そのものでなく、香水として出てきます。オーレリア母様とドロテア奥様が着飾ったエマに対して最後の仕上げ、香水選びをしている時にふとエマの目に入ったスズランの香水。思わず手に取ったエマに対してドロテア奥様は「雰囲気にも合うし」と言ってスズランの香水を選びます。そして、ジョーンズ君も当然、スズランの香りに気づくわけです。その時の二人の会話と表情は…、『エマ』の7巻を買って確認して下さい。 あ~ぁ、ついに出たー!と言う感じですね。はい、森薫さんの監修の下、なんと1年もかけて打ち合わせを重ね(アニメと同じくらいの手間をかけているような気が…)、こだわりにこだわって作り上げた『英國戀物語エマ』のフィギュアだそうです。ちなみに、上段左からエレノア嬢、グレイス姉様(うーん、二人とも舞踏会仕様だ)。真ん中はハタキを持ったエマ(この画像ではわかりませんが、スカートのすそから猫が顔をのぞかせているのが…)。そして、下段左からヴィヴィアン&コリンのお子様組みと、なぜかハキムガールというセットになっています。
2006年05月08日
コメント(2)
![]()
火曜日に「私のパソコン君は早くて連休明けの水曜日以降に戻ってくるそうです」なんて図書館で書き込んで家に帰ってみれば、電気屋からの電話が。「ご修理に出されましたパソコンの修理が終わりましたので、印鑑をご用意してご来店下さい」との事…。あの~、月曜日に連休明け、と言っておいてですか…。まぁ、予想外に早く帰ってきてくれたので嬉しかったのですがね。という次第で、昨日の昼前に嬉々として電気屋にパソコン君を受け取りに行って、何故にこんなに早く修理が終わったのかと聞くと「4月20日までに発送した物は、この連休の谷間に戻ってきている」との事。どうやら、今年の長期連休のためにメーカー側が前倒しで修理やってくれたようです。そんなわけで、書類を確認して捺印し、修理代を払って家に戻ってきたのですが、パソコン君は当然、真っ白な状態。当然、各種の再設定をしなければいけない訳なのですが、さて、ネットへの接続の確立やメールの設定等々、2年前の購入時にやったきりでやり方なんて忘却の彼方に置いてきています。そこで、自分で説明書を開いてアレコレ考えながらやるのも面倒だし、2年前には失敗しているのでこれもお約束、カスタマーセンターへ電話をして、一から十まで懇切丁寧に教えていただいて、なんとか接続とメールは上手くいきました。これだけで、1時間ですよ!さらに、3週間分のメールが山のように届いてその処理をして、アドレスを再登録して、ああ面倒!そんなことで、1日目が終わって本日は、セキュリティソフトの再インストールにWindowsとOfficのアップデートです(これが、数が多いし、時間も手間もかかるしで…)。その他にもまだ、プリンターにデジカメ、外付けの設定もして各種ソフトも放り込み、バックアップから必要なデータを探し出してと、やる事がイッパイです。本当に、連休中に戻ってきて良かったな~、とその幸運をかみ締めているところです。四葉のクローバーが聞いたのでしょうかね?この日記を書き込んだ後、寝る前にもう一度、今度はメーカーのアップデートをかけて一先ずは終わりです。本当に、パソコンが壊れるというのは、恐ろしいことだと身に沁みて思い知りましたね。皆さんも気を付けましょう。これからはとくに雷の季節になってきますしね。え~、今更という感じですが永野護先生の『ファイブスター物語(ストーリーズ)(12)』(角川書店、2006年)についての紹介を…。言わずと知れた、と言いますか知らない奴はモグリだ(何のだ!?)、という位の雑誌『ニュータイプ』で連載されている超有名作品『ファイブスター物語』の第12巻です。いよいよドンパチ、この場合は剣戟華やかなと言うべきでしょうか?「魔導大戦(マジェスティック・スタンド)」の第2部です。しかし、前回の11巻から数えて3年…。まぁ、待つのは小野不由美さんで慣れているので別に良いのですが、それでもねぇ~。さて今回、12巻は登場人物が凄いです、多いです。まず、フィルモア帝国からは表紙にも描かれているクリスティンにダイ・グ、慧茄。ハスハからは逃避行を続けるマグダルとグローバー。今回はこの2国が中心なのですが、他にもコーラスからは恐怖の暴風三王女、アルル、セイレイ、マロリーに、AKDからは実働隊としてアイシャ様にランド公が出て参りますし、主人公のアマテラス&ラキシス(なぜか柱を齧っています)に、憐れにもアイシャの身代わりに身包み剥がされ影武者にされたサリオン王子が登場します。それから、ヨーン君も再登場です。それにしても主だった登場人物を取り上げるだけでも大変な『ファイブスター物語』。さすが、約20年も続いているわけです。では、この12巻を読んだ印象、と言いますか感想ですが、シリアスとギャグが半々の構成だな、と私は感じましたがどうでしょうか? お話的には今まで進んできたストーリーを集約してすっきりさせてからまた、ドロドロと練り直していくのかな~、という気配を感じました。全体的にはメリハリが効いていて、笑いのツボもしっかりと押さえ、さり気にファンサービスもあって充実した一冊だと思います。ただ、最初から読んでないと分からない(私も最初は、設定資料集を本棚から引っ張り出して調べながら読みました)というのがチョッとね。でも、今回一番嵌まったのがやはり「プロムナード」ですね。何しろこのお話、半分がメイドさん講座ですもの!ちゃあ(=ワスチャ)とヒュートランのメイド生活がねぇ~。『エマ』に首っ丈の私にとってはそちらの方が、本編よりも気になってしまった次第であります。
2006年05月04日
コメント(6)
![]()
え~、昨日・今日と図書室は閉館でした。その理由は・・・、物置にされたからです。実は、副教材の各学年・クラスへの配布があったのですが、運の悪いことに昨日が心電図の検査の日で会議室が使われてしまい、空いている教室が我が図書室しか無くなってしまったのです。当然、閲覧机の上にはワーク集等々が山積みとなり・・・。開館できようはずがありません。そこで、食後の昼休みが久方ぶりの「昼休み」になったので新刊(昨年度末に届いたモノ)の中から軽いモノで、話題性のあるモノは・・・、と探してヒットしたのがアニメ化が決定された結城光流さんの『少年陰陽師』シリーズ(角川書店)です。この『少年陰陽師』シリーズ、実は1月末に『彩雲国物語』の外伝読みたさに買った雑誌『ザ・ビーンズ』2月号増刊に他の『ビーンズ』作品の一つとして外伝が収録されていて、気にはなっていた作品だったのです。そこで、生徒も来ないし、幸いにも1巻(『異邦の影を探しだせ』)から揃っているし、さらに明日から5連休だし(司書の特権ですね)というので読み始めたのですが・・・。駄目ですね。最近、『彩雲国物語』もそうですが、このような「東洋風歴史系ファンタジー」に弱いようです。見事に陥ました・・・。またまた、「大人買い」しそうな気配です。さて、この『少年陰陽師』シリーズの内容ですが、まだ1巻目『異邦の影を探しだせ』(角川書店、2001年)を読んだところ、主人公は遥か以前、ブームになった史書にも名を残す実在の人物、安部清明の末の孫、13歳の昌浩くんです。「狐の血を受け継いでいる」と噂される絶大な力を有する清明の素質を引き継いだは良いものの、まだまだ半人前の昌浩くんはよき相棒の物の怪"もっくん"と共に修行に励んでいる最中です。このもっくんの姿が何ともはや「可愛らしくて」モウモウ、という感じです。『ファイブスター物語』のすえぞう君もそうですが、どうやら私はあのようなモコモコ系に弱いようです。でも、この物の怪のもっくんは仮の姿、本当はの姿は・・・、また別の機会に書きます。そんな昌浩くんともっくんのどたばたコンビが平安の御世の都を舞台に魑魅魍魎相手に大活躍するお話です。大体、1巻を読んでみていて思ったのが、ああ、よく調べているなぁ、と感嘆したことです。平安時代の風習から衣装まで、事細かに描かれている、と素直に思いました。そんな所も含めてこの『少年陰陽師』シリーズのお話は、明日へと続きます。多分、図書館が開いていて、パソコンが混んでいなければ・・・。そうそう、私のパソコン君は早くて連休明けの水曜日以降に戻ってくるそうです。でも、戻ってきたらまた1から各種設定のやり直し・・・、はぁ~ぁ、という気分です。
2006年05月02日
コメント(2)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


![]()