全10件 (10件中 1-10件目)
1
「反知性主義」に抗って 歳が知れますが、私が高校生のころ「反権力、反体制」といった勇ましいコトバが、巷で大流行していて、それは主として外に向って政治向きに発せられることが多く、私など「ドン引き」してしまったのを覚えています。 なぜこれほどまで無前提に、絶対善の態度表明が出来るのか、私には理解出来ませんでした。当時でも世界的な人口爆発と環境破壊は充分意識されていて、「我が身の存りよう自体が、周囲を脅かす」ことが有り得る、というような視点を持つ契機はいくらでもあったはずなのですが、周りは右も左も「我が身を疑わない」人たちばかりでした。 ところで、考えてみれば当時「反権力、反体制」というのは、ジーパン赤ヘルに象徴される学生運動に止まらず、ミニスカートだのサイケという形でファッション界も席巻していたので、大学に入った頃はそれこそ老いも若きも、似合う似合わないは関係なく、女性陣は「膝上何十センチ」をはいていたものです(というか、既製服店にはミニしか置いてなかったそうです)。 さて、膝上どころか「生太もも丸出し」がフツーの昨今、そうした「反体制、反権力」的な態度表明が、ジーパンやミニスカートをはくことに、そもそも秘められていたことなど想像も出来ないでしょう。 モードは当時まことに何もかも「なぎ倒していった」ので、それが元々蔵していた「意味するもの」など、誰も確かめる暇もない。 さて、トラペーズラインを受け入れなかった糸子が、ミニに関しては聡子に刺激されたか、かなり肩入れしていたらしいことは、さまざまのエピで大体想像されるのですが、本人はそれをどのように感じていたのか? 例えばココ・シャネルのように、最後まで「膝上」を認めなかったデザイナーも、当時いたようです。 女性をコルセットの呪縛から解き放ち、その「自由な運動性」ゆえに、ココ(彼女もまた18歳で起業し戦争に翻弄されて、その人生は糸子以上にドラマティック)は第一次大戦後の女性解放のファッションリーダーだったわけですが、彼女にとって「膝小僧」は女性美の「弱点」と映っていたようです。これは糸子にとっての例の「キュッ、フワッ」の美学と同様、カギは「女性美とは何か」という感性の問題になってしまい、結論からいうと確定した答など永遠に有り得ない。 大事なことは、それでも「磨きのかかった」感性と、そうでないものとの差は歴然としてあるので、たんに天与の才だけで、彼女たちが花開いたわけでないことは言うまでもありません。 他人とは少し異なった才を意識し、それにさらに磨きをかけるのは結局本人の「そのかけがえのない才を、我が身一つに引き受ける覚悟」でしょう。「引き受ける」とは「よりいっそう困難で、辛気臭い道を、それでも敢えて選ぶ」という例の「創造者」たちにだけ見られる性向です。 そういう感性によって提示される「美学」は、結局その人の生き様そのものの表明と重なる。私たちは糸子の「感性が時代に後れている」と、簡単に切って捨てるわけにはいかないのです。 「モードが台風みたいに、全部なぎ倒してってまいよんねん。…人に希望を与えて、簡単にそれを奪う。…そんな事、ずうっと繰り返して来た気ィすんや」と、糸子が寝そべりながら語るとき、それが傍観者的な物言いでなく、少なからず彼女もそれに加担して来た、という自省の念も込められていることに気付くでしょう。 私はこういうふうに自省しつつ、その磨かれた感性で表明される言葉こそ、「信じるに値する」知性なのだと思うのです。今どき我が身を無前提に「絶対善」に標定して、わけ知り顔にものを言う「評論家、政治家」諸氏、あるいはメディアのいかに多いことか。この「絶対善」と「他罰性(気に入らない事柄の原因は、すべて自分以外に求める性向=他責性」こそ、曽野綾子さんの言う「未熟性」の現れに他なりません。 お世辞にも上品とは言えない語り口ながら、糸子の物言いはこうした当今はやりの「反知性主義」から、最も遠く離れたところから発せられている(逆に言うと「反知性主義」的物言いの最たるものは、一見知性的なそぶりで発せられることが多い。最近沸騰の「慰安婦報道」など、その最たるものです)。 それにしても、モードが人の感性に先回りして、トイレットペーパーのようにスルスルと希望を与え、たちまちそれを奪う。磨きをかける暇さえ許されない大量消費の時代は、「創造者」にとってかなり生き辛い時代なのかもしれません。 さて、今どきのエレガンスでもセクシーでもない、例えばレディー・ガガ嬢に代表されるような、ごく即物的な印象しか与えない「生太もも(すいません!)」の皆さんに、糸子的、反「権力思考」は可能なのかどうか? 反「権力思考」というと、いかにも政治向きの臭気が着いてまわりますが、実はそうではなくて、我が内なる「権力思考」性にどうやって反旗を立てるか?ともすれば視野狭窄に安住したがる脳の習性に、どうやって喝を入れ、「囚われない」状態に更新し続けて行くか?という思考態度のことだと思うのです。 考えてみれば、ミニもボディコンも網タイもホットパンツも、元々の出所は娼婦のファッションで、糸子もまた敗戦直後の娼婦の姿に、「新しい美」を見出したのでした。彼女の「いつでも囚われない裸眼の心」が、それを可能にしたのです(何も娼婦やガガ嬢を礼賛しているわけじゃないですよ)。 要は「囚われない眼」を持とうとする者にのみ、開かれて来る風景というものがある。で、それは何も一部「創造者」だけの専権事項ではなくて、私たちがそれぞれの仕方で、自身の内なる「権力思考」性に疑いを持ち続けるかぎり、たぶん全体としては健全というか、この世は「オモロイ」だろうということなのです。 自分は今「思考の檻」に入っていないか、「囚われの視野」で眺めていないか、「権力的」に振る舞っていないか、?と。
2014.10.11
コメント(0)
創造の現場 孤立無援の直子が思わず泣いたとはいえ、この姉妹の基本構図に変りはなく、あれほど周囲を脅し続ける直子の扮装も、今現在の優子にはすべてお見通し。で、それが妹には分るから姉のやることなすことイチイチ気に障るというわけで、これがタダで済むわけがない。 優子が赤子を抱えてでも東京に行こうと決意したのは、はなはだ刺激的な「創造の現場」で自身の接客と経営の力を試すことこそ、今後の「優子的スタイル(生き様、姿勢)」を確立して行く道筋だと考えたからでしょう。 それにしても、なぜ直子はあの驚愕の扮装を選んだのだろうと思うのです。 これについては初見の時「ピエロの涙」と題して話したことがありますが、要は我が身を「異形」に置く(他者から名指しされる存在になる)ことによって、自分のスタイルを確保するというのは、それが唯一無二の「直子」であるための方策であったとはいえ、一方ではそういう仕方でトップランナー(大工方)直子としてこの世に顕現し続けるという、まことにしんどい選択だったわけです。 「異形の者」は(ヤッちゃんやホームレスの人たちが、そうであるように)常に周囲を脅かし、目を背けさせる。大人は普通それを正視することが出来ません。 しかし子供は違う。赤子は「異形の者」から、目を離すことは絶対にしません。それはほとんどイヌやネコが「異物」を検知し、認識しようとする時の眼差しと同一のものです。ピカソやダリはこうした「裸眼の目」を、いつでもどこでも起動出来る創造者でした。そうした眼を通して描かれた対象は、今だ誰も観たことの無い磁気性を帯びる。厳しく彫琢された「生身の眼」だけが、対象を徹底的に解体し、表象の奥に潜む「何ものか」を掴み出すことが出来るのです。 それにしても、「創造者」というのは端から見ていると、さてもややこしい道を選んでいるのじゃないか、と思えるぐらい辛気臭い生き方を時にするものです。しかもそれは自ら選んだというよりも、本人の心内では「それしかない、そうするしかなかった」という経路で意識されていることが多い。 直子の場合、それが姉妹の葛藤という形で「最初から決定付けられていた」と本人は思っていたようですが、たぶんそれは違う。 直子の扮装は元々人が有している「狂気」を呼び起こす一種の儀式だったのでしょう。すっかり社会の片隅に追いやられた「狂気」を今一度呼び起こし、いつでも起動出来るよう「飼い慣らす」ために。 近代以降の産業社会と国民国家の進展は、均質化された大量の「労働者と兵士」を必要としました。大量生産と大兵力に「異物」の混入は許されず、一律に僑正された「顔の無い」人間を大勢作り出すことが求められたのです。 近代以前は西欧でも日本でも(そして産業社会が進展していない地域では今でも)、「狂気」の発現が社会構造の一部として普通に存在していたことは、ホイジンガの「中世の秋」などで明かにされたことでした。その社会では「負の聖性」としての役割が、「異形の者(病者、不具者)」たちに付せられていたのです。中世の人たちが近代人に比べてはるかに感情の起伏が激しく、刑罰も残酷を極めたのはよく知られた所で、啓蒙主義はこうした感情を抑制する理性こそ、近代社会の在りようと考えたからでしょう。 とはいえ、それは同時に「異形の者」を社会の表舞台から消し去り、「狂気」の存在を必要ないもの、むしろあってはならないものとして扱ったのです。しかしそれが消しようのないものであることは、糸子のエロース的情動の発現で明らかなとおり。 同じ道化師(クラウン)でも、ピエロのアイメイクには涙マークが付けられる。それがフランスで多様されるというのは何やら示唆的で、啓蒙的「理性」によって消し去られた「狂気」の悲しみを表わすかのようです。そして直子もまた。 創造性の源泉は、「狂気」と驚くほど近接していて、時にそれは危険を伴なう(芸術家や文学者で心を失ったり、命を落す人がいるでしょう)。情動の嵐を理性が押し止めることが出来ないように、創造性の推進力は生き物の基本属性と、たぶんじかに繋がっているからです。 はなはだ不適切な例ですが、それは「原子の力」と似ている。うまく近接すれば(その後処理も含めて、なだめすかして飼い慣らす事が出来れば)、これほど効率の良いクリーンなエネルギー源は無いのですが、それが本質的に蔵している「危険」は、明らかに決して消し去ることは出来ません。 生き物もまた自身が元々有している本質的な「危険」と「矛盾」を、決して消し去ることは出来ないけれども、人はある程度それを「飼い慣らす」事は出来るかもしれない。「創造者」とはその危険と矛盾を承知で、それと「向き合う」あるいは「付き合う」ことを「引き受けた」人たちのことで、直子の驚愕の扮装は、糸子の「私は事態をすべて引き受けます」と言ったあの弁明の、まさしく直子的表現だったのでしょう。 ずいぶん込み入った長話をしてしまいました、すいません!
2014.10.10
コメント(0)
「子育て」の続き 糸子の子育て振りを観ていると、何やらピーチクパーチク鳴きわめく、はなはだ扱い難い三羽のヒナの面倒をみている感じ。とにかく巣立ちさせるのが第一義で、そこには我が家の「誉」とか将来への「作為」がここから先もないのです。従って優子が首席で卒業しようが直子が装麗賞を取ろうが、ついでに聡子が秩父宮賞を取ろうが(これらは世間的にはすごいことで、普通の家なら鼻高々でしょう)、あまり関心を示さない。どころか、聡子の体育以外オール1,2の通信簿を見ても笑い飛ばすだけで、即「補習塾」に放り込むという発想には至らない。 彼女の「子育て」に関する眼の付け所は、今どきの家庭とは少しく違うのです。それは生き物のレベルで言えば「サッサと巣立ちさせる」、人のレベルで言えば「一人立ちさせる」、要は「生き抜く力」を付けるという一点に絞られていて、必ずしも「家業」を継がせるとか、どこの学校に入れるかといった話題にはならない。これは「子供」というのが、いずれ「他者」として離れて行く存在と見ている点で、極めて「大人の親」の態度であると言えるでしょう。 肝心なのは本人たちが成熟のプロセスに入っているかどうか、大人になるとは「自分の未熟性を絶えず自覚出来る力」を付けることだと思うのですが、それの見極めだけに絞られているかのようです。 これって、東大合格出来れば(有名企業に就職出来れば)万事めでたしのような、今どきの似非セレブ感覚とは根本的に違う。困難は生きている限り絶えず生じるのであって、それへの対処法を一覧表示してしゃかりきに勉強させても、想定外の事態には権威や社格は何の役にも立たない(私見ですが、高度な教育を受けるということは、人より高度な困難も求められ得る、ということも意味すると思うのですが、今どきそういう捉え方をする人はほぼ皆無で、むしろ逆に「より楽で有利な地点に立てる」と考えるのが、一般なのではないか知らん)。 想定外の事態が発生した時、頼りになるのは「問いを解く力」ではなく、「問いを立てる力」なのでしょう。くどいようですが、受験対策=学習塾は「解く力」に特化して、それらを一覧表示したからこそ、「勉強」を売買の対象にすることを可能にしたのです。 「学校」あるいは「教師」という存在は、この子供自身が自ら「問いを立てる力」ということに関して(困った先生も含めて)、かなり大きなウェートを占めていたと思うのですが、今やそうした「学校」だけが持ち得た存在意義自体も、問い直すことを止めたのかとさえ思わせますね。 とはいえ、それらは学校や文化省の怠慢と、一言で片付けてしまえる問題ではもちろんなくて、今どきの大量消費社会性向が生み出したアポリアとも言え、それは「私たち自身が、知らず選んだ結果」なのかもしれない。「学校より塾のほうが、よく分る」「医学部目指すなら、あの家庭教師」といった「受動的フレーズ」には、自ら「問いを立てる」という発想はもとよりなく、「それで、あなたは私に何をしてくれる?」という、典型的な消費者マインドが伏流しているのです。 ここはやはり、「国があなたに何をしてくれるか?ではなく、あなたが国に何をなすべきか?をまず考えよう」と言ったJ.F.ケネディの構えを思い出すべきではないか知らん。 面白いのは、糸子本人が自分の「未熟性を楽しんでいる」らしい節があることでしょう。「ほんでも、オバちゃんもこの頃、ちょっとかしこなってな…」に続く独白は、逆に「子育て」自体が自分の絶えざる成熟に結びついていることを知った「大人」の発する言葉なのです。 さて初放映時、優子をサリエリになぞらえて、彼女は天才(アマデウス)の観察者となることを決めたのだろう、というような話をしましたが、今回再見していてそれでは不十分だったなと思いました。 「直子が今あの歳で、東京みたいな厳しい街で、『何をやろうとしてんのか』(ウチには)よう解かんねん。それがどんだけ難しい事か。あの子が求めて苦しんでる理想が、どんだけ高いもんかを、ホンマに分かって手伝うてやれんのは、ウチだけや…」という言葉には、どうやら優子自身の創造意欲の言明が含まれているのです。 スパルタ式とはいえ優子が接客や経営の実務を身に付けるのに、それほど時間は掛からなかったでしょう。しかし肝心なことは糸子的「取り組み姿勢」、あるいは「ものの考え方」のような理念の「基本」を叩き込まれたことが大きかったのではないか(企業の研修でしょっちゅうやる奴です)。 あれほど辛気臭かった優子ですが、そこは元々聡明な彼女、根っこを掴めば後の道筋はまだ開けてなくても、その辿って行き方は数学の解法のように、たぶんもうあらかた見えている。 彼女の「東京行き」は糸子亜流でない、紛れもなく「優子的在りよう」の宣言だったのです。糸子が心穏やかでないのは当然だったでしょう。 直子の度外れた天才性が、糸子にとって何の脅威でもなかったのは、結局才能とか資格は前提に過ぎず、現に直子の店は「児戯」まがい、要は素人経営だったからでしょう。東京を心配する糸子たちの様子は、明らかに直子を「半人前」扱いしているのです。 しかし今回の優子の言明は違う。「道筋」を掴んだ者だけが放つ存在感を糸子は嗅ぎ取ったのでしょう。で、それは明らかに糸子とは異なる「優子のスタイル(生き様、感性)」を私は進みます、という宣言だったのです。皆さん指摘されるように、これはそのまま糸子が善作に突き付けた宣言に通じる。 荒削りとはいえ、ここの関係はすでに「親子」ではなく「ライバル」になっているので、しかもそれは子からではなく「親がそう感じた瞬間に、そうなる」。「巣立ち」とは残酷な所があって、昨日まで餌を与え続けて来たヒナが、ある日突然エサを奪い合う関係になるということも意味するのです。 東京の店を訪れた優子が「優しさ」というよりは、「自信」に満ちた表情で直子を見詰めているのは、たんに「手伝いに来てやった」というのではもちろんなく、我が身の道筋(生き様、スタイル)を掴んだ者の放つ優位性から来るのでしょう。 その本心が、何やら抱かれている赤ん坊の直子を見詰める眼差しに、現れているようないないような。
2014.10.09
コメント(0)
「子育て」について 厄介なのはむしろ優子の方で、自身の「欲望を起動させずに、欲望を満たす」方法を子供の時から身に付けた彼女の方が、かえって「自己の確立に手間取る」ということになるのです。さてさて優子的ありようの方が、今どきの若い人たちには多いのではないか知らん。 飛び切り聡明で感性にも秀でた優子が、なぜ糸子ならずとも、しばき倒したくなるくらいグズグズ手間取っているのか?明らかに善作譲りの「ひがみ根性」が巣食っているとはいえ、肝心なのは「自身の心の在り処」と向き合う機会を、二十歳前後まで感じる必要性が無かったということでしょう。 「出来の好い子」というのは、ストレスフルな状況から我が身をかわす術を、知らず身に付けている分、しばしば自身と向き合う機会を失することが多いものです。それで糸子から「ホンマに美術学校行きたいんか?」と詰められた時に、「そうです」と答えられない自分に生まれて初めて気付くということになる。 それでもここで大事なのは、「そんなこと急に言われたかて、分らへん」と答えてしまう真正直さで、あまり言いたくはないですが、今どきの若い人たちは案外、スッと我が身を回避して「行きたい」と言ってしまうのではないか。これは何も若い人たちを揶揄しているのではなくて、今どきの消費社会性向は「人の欲望を、あらかじめ先回りして提供する」ように出来ているからです。 これだけ先回りされると、欲望はトイレットペーパーさながら「起動させる暇も無く」、ガラガラ使い捨てされるということになってしまう。 大量消費社会の底にある恐ろしさとは、人を「持続的な消費マインドに仕向けておく」という趨向性なのです。それは言い換えると、人を「永遠の未熟者に留め置く(我が身と向き合う機会を奪う)」ということに他ならず、無意識的には「人の成熟を拒む社会構造」を隠し持っていると言えるでしょう。大学を出ても就職しない人が多いのは本人のせいというより、大人が作り上げた今日的な大量消費社会構造がそう仕向けているのです。 学習塾の蔓延は教育を産業に、人を永遠の消費マインドに釘付けにするという形で、教育本来の目的(人を大人=社会人にする)機会を奪ってしまいました。 以下は、かつて家庭学習書を販売していた私の個人的感想ですが、学習塾が「進学塾」という名で街中に溢れ出した80年代後半頃から、日本の家庭の「子育て」感は変質したように思うのです。学校と家庭でやるのが前提だった「勉強」が、いつの間にやら「学校」と「塾」でやるのが当たり前になって、しかもそのほうが明らかに「効果」が上がるかのように観念されたのです。確かに受験対策とか定期試験対策に的を絞って勉強させれば、効果は短期に劇的に上げることが出来る。逆にそうした目に見える効果を出さないと、民間の学習塾などたちまち淘汰されてしまうのです。 この間、雨後の竹の子のように進学塾が現れては消え、当然のことながら有名高校、有名大学への合格率がそれらの「売り」となって、街中に蔓延したのです。で、必然の流れとして、その中には法外な月謝を取って東大京大の合格率を表看板に据える塾も出て来て、「勉強」の目的があたかも「受験技術の手段」であるかような観を呈するようになりました。「技術」であれば、それらは「売り買い」の対象とすることが出来るのです。一般家庭はいつの間にやら「教育=子育て」を、市場で消費すべき対象とみるようになってしまいました。 学校や教師が本来有したであろう一種の「権威性」は、このころから揺らぎ出したかのようです。「教育」が売り買いの対象、つまり市場に引っ張り出されるということは、「教育」の概念そのものの変質を意味していたのですが、必ずしも充分には意識されなかったようです。ひょっとするとあるいは、その頃には学校の教員そのものが、学習塾での「勉強」で育った人たちで占められるようになったからではないか知らん。 今やこと学習技術に関しては、「学校」は「塾」に完全に屈服した感があり、逆に私塾のノウハウを教室に取り入れることを、何とも思わない時代になってしまいました。学校の権威性は放棄されたのです。このあたり、バブル直前の日本が一様に「豊か」であり、かなり高額の月謝でも一般家庭が払えるという時代だったのかも知れず、さらに言えば「規制緩和」と「自由競争」が、すべてに優先とされる時代を先取りするものでもあったかもしれません。 病院と学校でいわゆるクレーマー、あるいはモンスター化した親ないし患者が現れるようになったのも、それらがかつて有していた「権威性」が奪われ、そこらの雑貨と同じく、消費選別されるべき対象として、一般に見られるようになってからではないか? 医者でも教師でも、良い先生困った先生がいるのは、いつの世でも同じで、「権威性」が巾を利かせていた時代でも皆よく知っていた(「坊ちゃん」を読んでみなさい)のですが、患者や生徒が相手を「消費選別すべき対象」と見なした瞬間、医者は「医者」でなくなり、教師は「教師」でなくなるのです。これは「だんじり」を、「タダの神輿や」と指摘するのに似ていて、そう見なした瞬間に「だんじり」の「有り難味」は消え失せるでしょう。木岡のオッちゃんが祭りになると「コワイ」のは、こうした「権威性」など、人がそう見なさなくなれば、たちまち消え失せる種類のものであることを、薄々よく知っていたからです。 さて、話がだいぶ逸れました。優子が案外あっさりと心を入れ替えることが出来たのはなぜなのか?まあ話が進まないということもあったかもしれませんが、たぶん東京に残らずに家に戻って来たのが大きいと思う。ちやほやされる東京より、明らかに怖いお母ちゃんがいる岸和田の方が、彼女にとって成熟の機会は多かったでしょう。 逆に言えば「装麗賞」を取ってそのまま独立した鼻高々の直子の方が、今度は大変ということになりますね。それに加えてすでに予告されている聡子問題があります。子育ては何とも大変!
2014.10.08
コメント(0)
優子と直子 カインとアベルの昔から兄弟姉妹というのが、本来的に「競い合う関係として基礎付けられている」のは良く知られていたことで、優子と直子のバトル自体はそれほど目新しいわけではない。面白いのは我が身の存在証明が、創造性への開眼とセットで描かれていることだろうと思うのです。 直子の姉に対する「全否定」は、そのまま糸子が父に振り上げた大ナタに通じる。善作が常に否定形として糸子の前に立ちはだかったように見えますが、実は糸子の在りようがそれを招いているのであって、彼女が自分のスタイル(生き様、生業)を確立して行くのにどうしても必要な階梯だったのでしょう。 直子は「全否定」の対象を常に傍に置くことによって、母の持つもう一方の顔(創造者)として顕現したいのです。「新しい事」を創り出すとは、「現状の全否定」から始まる。今の在りように常に疑いをかけてみるという意味で、優子ほど都合の良い相手はいなかったのでしょうね。 優子としてはたまったものじゃなくて、善作に代わって蹴りの一つも入れたくなるのは当たり前でしょう。 元来、創造性への開眼というような事柄は、純粋に個人の身体感覚に属するものであって、例えば自分のケガの痛みは、他人と「完全には共有出来ない」種類のものです。イチローの打撃の極意を言葉や映像でいくら解説されても、私たちには絶対理解不可能(身に付かない)なのと同じことです。 とはいえ完全な共有は出来ないにしても、他人の痛みに私たちは、まる切り無関心ではいられないように、与えられた周辺情報から「創造の現場」に、ある程度接近することは出来るかもしれません。直子に関して言えば、小さい時から絵画の才能に秀でた所があって、今でもしきりとデッサンに没頭する姿を観て来たわけです。 ところで私見ですが、洋画史に絞って言うなら、絵画とは「現実には立体で存在する対象」を色と線で、いかにリアルに「平面空間に写し取るか」という歴史であったかと思うのです。 余談ですが、浮世絵はそうした西欧絵画の在りようを、根底的にひっくり返してしまいました。平面図像が「平面のまま」三次元の現実世界と拮抗して、自己主張している姿に彼らは驚愕したのでしょう。 余談が続きますが、西洋美術にはもう一つ彫刻という分野がありますね。面白いのは立体をじかに三次元で写し取ろうとする時、大理石やブロンズ像に見られるとおり、人の脳はどうも彩色がないほうが、そのフォルムを把握しやすいらしいということなのです(スポーツカーだって単色が多いでしょう)。 では直子が絵画でなく衣装を選んだのには、たんに優子をキャッチアップするだけではなく、もっと積極的な理由が見えて来るのではないか。それは平面美に秀でた「色彩」と、フォルムを追求する立体図像を同時に満たす方法として、「衣装」表現を見たのではないかということなのです。 驚愕の扮装で返って来た彼女は、糸子の立体裁断に何を見ていたのでしょう。あるいは平面の生地が裁断されて立体に組み上げられて行くさまに、来るべき自身の表現のヒントを見ていたのではないかしらん。肝心なのは直子にとって「衣装」表現とは、そのはじけたアイメイクと扮装に表わされるとおり、自己表明の手段に他ならなかったということです。 この世に唯一無二の「直子」として顕現すること、これこそ彼女の主題なのでした。 しかし衣装デザインには他の美術表現とは、決定的に異なる特質がありますね。それは衣装は「人がまとう」モノだという点です。もっと言うと生身の人がまとわないと、それはまったく「意味をなさない」。そのあたり今回のエピで糸子の服飾感がよく出ていて面白かった。 娘二人が衣装デザイン自体に熱中(顧客はそっちのけ)しているのに対し、糸子はその衣装を「まとう人」の方に関心が傾いているように見える。これは例の「服は人に品格と勇気を与える」という、根岸先生の言葉に直結する糸子の美学と言って良いでしょう。まとうことによって顧客が「ポジティヴに変身する」ことこそ、衣装の値打ちと言っているかのようです(まあ大阪風に煎じ詰めれば、金は物ではなく人が払うんじゃということになりますが、一応それは横に置いといて)。 さてここまで来ると、もう一つ他の美術表現とは違う衣装デザインの特質が見えて来ますね。それは衣装は静止したマネキンでなく、生身の人がまとう時最高に美しくなければならない、ということです。「生身」とは動きを止めないもの、従って衣装は「時間性の美」も合わせ持っていなければならないという事です。 装麗賞を取った直子の衣装デザインは、すでに自身のはじけた扮装から予想されたとおり、それをまとう人間は、あたかも「衣装に奉仕するため」にあるかのようです。 平たく言えば、「衣装の主は服か人か」ということなのですが、彼女の場合は明らかに前者で、人は衣装をのせるボディに過ぎず、まして着心地のような「まとう側の気分」は顧慮されない。 このあたり糸子が衣装の主体を「まとう人」に置いていたのとは対極にあるものです。とはいえ、ではどちらが正しいのかと言えば、結局人各々の感性や価値観に関わる問題で、実は見かけほど答は簡単ではありません。 例えば、紛れもなく感性に訴える「音楽」など、多少は「主体の在り処」を考える上で分かりやすいかもしれません。音楽の主体は結局「作り手(作曲者、演奏者)にあるのか、聴く側にあるのか」。ハッキリしていることは、ほとんどの人にとって「譜面」は何の意味も無いということです。耳朶に音が届いて初めて「音楽になる」ので、ではその時「音楽はどこに在る」と言えるのか?何だか禅問答みたいですが、直子は譜面(服)にあると言い、糸子は耳(人)にあると言っているわけでしょう。 これの答はたぶん無くて、問題の所在だけが直子によって明晰になった感じですね。 話がややこしくなるのは、音楽とか衣装というのが、結局受け手の「感性」と言うか「満足度」で測られるので、この満足の仕方というのはそれこそ千差万別、自分にとって心地好い音楽は、しばしば他人には雑音であることが多いのです。 となれば、直子の「着心地を一切顧慮しない」服をまとうことに、限りなく「品格と勇気」を感じる人がいたとしても、ちっとも不思議ではない。要するに糸子的美学のありようは、広く直子の感性も包んでいるので、彼女はその一方の極性を示して見せたに過ぎないとも言えるかもしれません。 そういう意味で、はなはだ尖鋭的で「顧客を選ぶ」デザインとはいえ、彼女の「気組み」は分りやすいと言えるのです。繰り返しになりますが、それは彼女のスタイル(生き様、生業)の確立が、常に姉をキャッチアップすることで形成されて来たからでしょう。
2014.10.06
コメント(0)
「不倫」について いつぞや「不倫は文化だ」と、のたまう芸能人がいましたが、そもそも「恋=エロース的情動」というのは相手が他者(異物)であることが前提で、であるにも拘らず「それに近接したい、合一したい」という形で発動するものです。 この異物性の意識のされ方というのは、人では特異な現れ方をする。その人倫理的規制によって、より得難いものとして意識される結果、禁止のハードルが特殊人間的に現れて、その規制が意識されればされるほど、この情動の渇望感も高くなるというメカニズムを隠し持っているのです。 古今東西「不倫」が文学に好んで取り上げられるのは、「殺人」と並んで(不倫も殺人も人間だけに適用される行為です)普段見えない人の在りようを、それらは露わにしてみせるからでしょう。だから私たちは光源氏やムルソーとも付き合えるので、現実にこういう輩が近所にいたなら危なくてしょうがない。 そのあたり、かの芸能人さん、自身の感じているらしい快感の根源を、ホントに分って言っているのかどうか? それはさておき、不倫批判をする際に実在したモデルを持ち出すのは、あまりフェアとは言えません。なぜなら先の三姉妹の土下座もそうであったように、「実際にあった事だから」という疑義の出し方には、対象を分断化(他人事化)しようとする底意が潜んでいるからです。 事実から掴み出された中味の責任は、一意的に作り手と受け手が引き受けるべきもので、モデルは関係ない。逆に「実際にあった事」とは純粋に個別的(プライベート)な事柄であって、本質的に誰もそれを共有することなど出来ない種類のものなのです。 さて、人という生き物が逃れようもなく、蔵しているらしい御し難い危うさを示唆しつつ、ドロドロになる一歩手前で「踏み止まった」今回の恋愛編の表現とバランス感覚を、私は大いに支持する方です。 とはいえ若かりし頃、切れ長でいつも眼光人を刺していた糸子の眼差しが、すっかり丸るく潤んでいるのを観てしまうと、まさしく「恋する女」の表情を呈していて、こういうオノマチの演技ももっと観てみたい誘惑に駆られる。私的にはラブシーンとしては例の「足尾から来た女」での啄木(渡辺大)との方がサマになっていたと思っているのですが、いかんせんドラマが良くなかった。東京のドラマはどうして大河でも何でもこう「固くマジメ」になるのか?あやさんだと例えば「火の魚」でさえ、語り手のブータレ作家(原田芳雄)に対しては、かなり辛辣な可笑味が施してあったでしょう。 カーネーで唯一観ている側の気分が煮え切らなかったのが、この「恋に憑かれた女」編で、何と言っても悲恋役は女優の華だと思うのです。出来れば情欲に焼かれ、嫉妬に狂って鬼に変貌した「六条御息所」のような、激しい悲劇のヒロインを、オノマチの別のドラマで観てみたい。 まあいろいろプロモーションの都合もあるのでしょうが。閑話休題 ところで、「恋=エロース的情動」が相手の他者(異物)性を意識することで起動する(「性の目覚め」とは、「他者の発見」に他なりません)ものとすれば、北村というのは最初から糸子にとって掌中の内にあって、いかなる意味でも異物=他者とは意識されてない(恵もそうです)。彼の悲劇というか悲喜劇の根っこは結局これに尽きるので、搦め手からいくら接近戦を試みようと、糸子の方にそもそも火種がないのだから永遠に恋バナは生まれようがない。 彼が周防との恋バナを奪ったような態度を糸子はしてみせますが、そうでないことは本人が一番知っている。彼女は自ら恋を封印したのです。封印することによって逆に周防を「永遠」に祭り上げ、他者がそこに入り込む余地を遮断したのでしょう。さらに北村の新事業を、周防との一件で壊したという負い目もある。それを除けば千代さんも子供たちも懐いているなら、本気で蛇蝎のごとく嫌う理由はなかったのでしょう。 という意味で、北村はキャラはコイーけれども、糸子の意識内では案外、今は亡き勘助と近い所にいたのかもしれませんね。
2014.10.05
コメント(0)
「恋」について 恋の話は、初放映時さんざんしたので、今回はしないつもりでしたが、このところやっぱり「不倫」というコトバが、芸能誌よろしく飛び交っているので、まとめておきたいと思います(私見ですよ)。 そもそも「恋=エロース的情動」と「愛」というのは、同じ次元で語られる類のものではないということです。「愛」は人倫的範疇においてのみ語られるものですが、「恋」はそうではないでしょう。早い話、「夫婦愛」だの「家族愛」「郷土愛」とは言っても、「男女愛」という用語はありません。 要は「エロース的情動」というのは、人間や動物はおろか細菌に到るまで生物一般の、子孫を残す生存手段のため(ということは、生き物という定義そのもの)の根源的な属性の一つなのです。本来「生物としての個体」は、その恒常性を維持するために、外部(他者)を排除するよう基本設計されていますが、完全に遮断したのでは呼吸も食事も出来ないので、非常に巧みに内部に取り入れるでしょう。 それと同じレベルで「エロース的情動」もまた、外部からの侵入を「心地好さ」という脳内麻薬作用によって、これを許そうとするのです。 この過程に人倫はまったく関与出来なくて、たまたま相手が既婚だから「不倫だ」と、社会道徳的に決め付けても仕方がない。厄介なのはキューピッドは相手を選ばないということです(何も推奨しているわけじゃないですよ)。 まさしく「恋患い」というように、「エロース的情動」というのはすべての生き物にピルトインされた因子とはいえ、それがいつどこでどうやって発動するかは誰にも分らない、本人たちがコントロール出来ないというのが、これの「病気」たる所以です(我から罹患を望む方々もおられますが)。 恋人同士の会話や仕草を端から見ていると、「意味不明」で「見てられへん」のは、本人たちにとっては中味ではなく、その交感自体が「心地好さ」を増進させるからで、純粋に「二人称で閉じられた関係」と言っていいでしょう。この情動の中には、しばしば互いの親や家族を忌避する心理が発生するように、何がなしここには「非社会性」の危険が付着していて、ギリシャ人はそれに早くから気付いていたのです。 しかし人間は「社会的動物」ですから、この危険因子を飼い慣らすために、人類は様々な「婚姻制度」という制御棒を作り出したのです。肝心なことは、いくら飼い慣らしたつもりでも、その本質は「危険物」であることには変わりがないということです。 もちろん糸子はそんな込み入った事を考えるまでもなく、ごく初期からそれが内包する「危険因子」には、卓越した嗅覚で気付いていたでしょう。その上で周防との関係をどう解決しようとしたのか? 糸子の回答は、「事態をすべて引き受ける」というものでした。 「ウチの店、こさえてる洋服、働いてる者らには、何があっても自信を持って、これからもやっていくつもりです。…偉そうな言い方になるけど、周防さんとご家族の生活かてウチが守らせていただきます。…許してくれとは言いません。…許されんかてかまいません。ただ(迷惑かけて)…ほんまにすんませんでした」と時に不安に満ち、あるいは自信を呼び起こそうと、さらには倣岸に言い募ろうとする、その時々の微妙な揺らぎを示す彼女の眼差しを、寸分も逃すまいという緊張が画面に現れていて、そこからは不思議な「威厳」さえ立ち昇っているのです。 その宣言が正しいかどうかというのは、糸子本人も含めて誰にも分らない。この威厳を支えているのは、そこに差し出された糸子という「生身の身体」だけなのです。 私はやっぱり全編を通じても、この「糸子の弁明シーン」は、他を以って換え難い「糸子らしさ」を示した場面として屈指のものだと思いますね。周防との不倫エピはもともとこのシーンを引き出すために設えたものであったかとさえ思わせるのです。 「糸子の弁明」の後、沈黙を破ったのは千代さんの、 「けどなあ、糸子。アンタはそれでええけどなあ、子供らがなあ…」という言葉でした。そして三姉妹の登場へと続くのですが、放映時「なぜ糸子の名シーンを壊すのか」と舌打ちしたものです。再考してそれがそうではなかったことについては、以前作り手の「蛮勇力」という話でしたことがありますね。 要は二人称で閉じられた「エロース的情動」というのは、本質的に「永遠」を希求するものですが、個体としての生き物は、最初から「有限」であることを規定されているわけで、この絶対的背理は両立のしようがない。千代さんと三姉妹という存在は、紛れもない自分の母と子という形で、糸子が有限の「時間内存在」であることを突き付ける。ここはかつての玉枝の面罵シーンと同様、またしてもそれまで語り続けて来た当のものに対する「全否定」になっているのです。 こういう話の進め方、例えばベートーヴェンの第九番「合唱付き」の第4楽章が、それまでの1~3楽章の全否定で始まっているからといって、じゃあそれらが無価値だった、だから第4楽章だけ聴けば充分ということには、もちろんならないのと一緒で、「全否定」を置くことによって「語り続けて来た当のもの」を一段上の階梯に引っぱり挙げる、それまで描いて来た平面図像を、そのつど立体空間に置き直して行くような思考回路なのです。 これって素人の推測ですが、たぶんかのヘーゲルの言う「弁証法」的思考回路なのでしょう。この場合「否定」された当のものは「無価値」に帰するのではなく、否定されることによって生き返る、哲学用語で言う「止揚(aufheben)」されるということだと思うのですが、今どきの何事も0と1でしか表わされないデジタル社会で、はたしてどれほど理解されているのかしらん(同じように、日本の長年の文化風土というのも、必ずしもこうした思考回路は取りません。能楽の否定で歌舞伎が出来たわけではなくて、それらは常に同一空間に並立して来たわけです)。 放映時、三姉妹の登場は事実だったという話が盛んでしたが、これはまあ枝葉末節の話題。肝心なのは実際あった事実を描くことではなく、あった事実から作り手が「何を掴み出して来たか」ということでしょう。ここは「永遠」と「有限」という、本質的に相矛盾した極性を持つ生き物の在りようを、確かに「言い当てている」場面なので、しかもそれは周防との恋愛エピの結末に繋がって行くのです。 さて、もっぱら糸子目線で綴られて来た恋愛エピですが、ここで周防の子が登場して(しかもそれは優子の前に現れて、糸子は知らないことになっている)、まさしく彼女が見まいとしている「現実」が示唆されます(上手いなあ)。 正面突破を図ろうとする糸子の姿を、団子の数や高級机、電気時計で描いていますが、こうした「深情け」の身振り自体が、すでにこの関係が不能であることを示している。それは喜んでくれるはずの周防の顔によって残酷にも露わにされるのです。それまで見交わすだけで幸せだったはずの彼の表情が渋面に変貌し、鏡のようにそれは糸子に反射してキューピッドは去って行く。 不可能性を思い知った糸子が呟く、 「ウチは、周防さんを、ホンマに…幸せには出来へんのやね」のシーンは泣かせますね。ここの「ホンマに…」には、この世に生きて在る以上(つまり生き物である以上)、絶対不可能という意味合いが込められていて、もしその成就を本当に望むなら、「愛の死」を遂げて「永遠」を手に入れるしかない。ことほどさように「エロース的情動」というのは、人間には「御し難い」のです。 それにしてもここに描かれた周防像、会話も物腰も「生身の人間」から遠く離れて、何だか全女性が垂涎の「男性」性をシンボル化した宝塚の男役みたい。それは糸子(そしてたぶん作り手)がそう望んだ結果なのです。人はしばしば現実を美しく記憶に止めようとする。それは同時に、より多くの記憶を「消し去る」ということなのでしょう。
2014.10.04
コメント(0)
「愛」について 周防が登場した途端、それまでのだんじりのような疾走感が消えて、何やら昼メロのようなゆっくりした流れになって、初見の時は「大丈夫かいな」と思ったものですが、今となってはすべて計算された演出だったと分かりますね。 このゆっくり感というのは単にテンポに止まらず、例えば周防の訥々とした長崎弁に現れていて、彼のしゃべる言葉を糸子はいちいち吟味せざるを得ない。ネイティヴ同士ならこうはならない。私たちはしゃべる相手に少し先んじて、普段はものを聞いているのです(早い話、これが北村のようなコテコテの泉州弁だったら、こうはなりません)。 さて、そうした時間の中から立ち上がって来たものは、糸子にとって初体験の感覚でありました。その感じが終わりのほう、周防を見詰める糸子の姿に現れている。目は周防を向いているけれど、関心は見えない背後、つまり「我が身」に向けられているのです。 もともと身体感覚に秀でた糸子、その晩は今日出来した我が身の感覚を何度も反芻したことでしょう。 今回のお題は「愛する力」というものですが、「家族愛」や「隣人愛」「友愛」といったカテゴリーと、「恋愛」を同じ次元に入れて好いものかどうか? 古代ギリシャでは倫理的意志的な愛と情動的な愛の在りようを「アガペー」と「エロース」(実際には四段階)に分けて、前者をあるべき高位のものと位置づけていました。逆に言うと「エロース的情動」は一段低いもの、あるいはより始原的な「力」であって、それは本人の意志とは関係なく作動する「恐ろしい力」として認識されていたようです。この抗い難い力を象徴したのが「キューピッド(クピド)」という子供の神でしたね。 糸子は生まれて初めて去来したこの「心地好い」情動の力の危うさをどこまで認識していたのか? さて、糸子がミシンに手をかけるシーン、「力をください」の相手は誰だという感想が初回放映時出ていましたが、周防というのはもちろんまだ早い。かと言って勝というのももう一つピンとこない。ここはやはり糸子にとってのだんじりである、ミシンそのものが蔵している「力」と言うしかないでしょう。「服やない。…手しかないんや」というのは、差し延べる「手」という形で、端的に意志的な「愛」を表わしているのですが、いささか図式的な表現になったような。 したがって初見した時の、この後の展開で受けた印象は今も変っていません。前半の糸子と玉枝の和解シーンは、時が悲しみや怨みを低減するという意味で納得出来る。。 ガッカリしたのは奈津と玉枝の場面で、やはりもう少し突っ込んでほしかった。両者の受けた傷(作り手の振り上げた拳)はそれほどに重いのです。なぜ奈津の心は溶けたのか?それはたんに泰蔵が好きだったということじゃなくて、「玉枝の子になりたい」という深層願望が奈津にはあったからではないのか?戦争中の実母の死の真相と共に、このあたりは不明なままで終ってしまいました。 しかしこれは糸子物語ですから、なかなかバランスは難しい(別のドラマになってしまう)。 以前も触れましたが、もし仮に「奈津の物語」を想定するなら、可能性として心理的には「母親憎悪(エレクトラ・コンプレックス)」がテーマになると思うのです。 生まれた時から料理屋の女将になるべく育てられた奈津は、子供が「本来受けるべき母の情愛」を充分に受けていたのかどうか。それが結果として恐ろしく気位の高い彼女を作り上げたので、その「救い難い面食い」嗜好は、自身の空虚なプライドを補完するものとしてあったのです。 本人も私たちもそれを生来の性格と見てしまいますが、これは無意識的には愛情薄い「母親憎悪」の裏返しで、玉枝はその「代理母」と考えられるでしょう。 とすれば泰蔵への執着は本人も意識していませんが、たんに面食いだからではなく見果てぬ「母親思慕=愛」の結果だったのではないか。実母の死に際して奈津の心内に去来したものが何であったのか、彼女はひょっとして「少しも悲しくない」自分に驚愕し、あるいはそれまで自分の心に潜んでいた、真の「憎悪」に気付いたのかもしれない。 こうした狂気の淵から引き戻す手立ては、心理療法的には擬似的な「幼児帰り」しかなくて、玉枝はひたすら優しくあやす役を負っていたのでしょう。 とはいえこのあたり、例の「助くるは受くるより幸いなり」という聖句が、いささか先走ってテーゼ化して提出された感じ。しかしまあこれ以上は言いません。ここを堪能されてる方々、ごめんなさい。 被災者が「被災者」であることを止める時、真の復興が始まるというのは、神戸でも東北でも見られたことでした。彼らはそれに甘んじず、互いに少ない水と食料を分かち合って生き延びたのです。 残念なのは被災者を永遠の「被災者」として釘付けしようとする分断的な構えが双方に今でも存在し、そうした「構え=自己を絶対善(絶対的被害者)と規定して、他者を訴求しようとする考え方、つまり受動的フレーズを弄する人たち」は、ここ最近の自然災害や事件事故においても、まま見られるということです。
2014.10.03
コメント(0)
9.11と3.11、そして1.17 2001年はイチローがメジャーデビューして彗星のような活躍をしたのですが、例の9.11同時多発テロが発生した年でもありました。その時にイチローは「このまま野球を続けてやっていても好いのだろうか?」と自問したそうです。現実の災厄に対して、プロのスポーツ興行は直接的にはまったく無力なのです。 それでもメジャーリーグ機構は、確か数日休んだだけでリーグ戦を再開したと記憶しています。マリナーズのピネラ監督は「こういう時だからこそ、平常どおり野球をやらなくてはいけない」と言ったとか。 「平常心を失くさない」ことを示すことこそ、先の見えない事態の最中には大事なのだということでしょう。 さて、どなたかも触れておられますが、カーネーは3.11東日本大震災の刻印を強く押されたドラマで、余震が続きフクシマがどう収束するか分らなかった、2011年の9月から私たちは「観ていた」のです。渡辺さんが大震災に遭遇したのは、インタビューでは「パッチ屋修業時代」の原稿を書いていた時、オノマチなどの撮影開始が5月頃だったところからみて、作る側にはさらに切迫した感じがあったのではないか? それは例えば、サルトルの言う「飢えた赤ん坊を前にして、文学は可能か?」といった究極的な問いかけであったはずです(彼の物言いは、いつもこういうふうに挑発的ですね)。 9.11後のアメリカ人の考え方は、3.11後の日本の振る舞い方とはずいぶん違う。もちろんアメリカでも「不謹慎」と判断して自粛したプロスポーツもあったのですが、全体的には「平常」を装うことこそ、「勇気の証し」と支持する向きが多かったのではないか?いつどこで自爆テロが起こるか分らない状況下で野球をしてみせる。やる方もそうですが観る側だって大抵かなりの危険を感じながらも、言わば「装われた平常と勇気」を確認するためにボールパークに足を運んだのです(アメリカ人らしいですね)。 「自粛」や「謹慎」が無言の圧力となって社会を覆う時というのは、むしろ社会全体が正常な判断力を失いかけているのかもしれない。それはまさしく勘助の呟いた「心を失くした」状態を指すのであって、極めて危険な状態に陥っている(パニック寸前)ということです。 前にも触れましたが、この時渡辺さんは考え抜いた末に、「震災には『敢えて』触れない」という選択をしたそうです。彼女は阪神大震災で母校の甲南女子大学が被災した上に、後にこの震災を扱ったドラマ『その街のこども』も書いていて、3.11について語る「資格がある」人でした。「『敢えて』それに触れない」というのは、復興の目処が立たないどころか、漂流状態の最中にベタな支援の言葉を差し向けるのは、「二重に被災者を傷付ける恐れがある」ことを、よく知っておられたからでしょう。 神戸の被災者は1.17直後のパニック的過熱報道が、例のサリン事件以後急速に失われたことを忘れてはいません。 パニック的過熱報道は、かえって被災者と私たちを分断する。3.11の直後、被災地を訪れた時の菅首相を怒鳴りつけた被災者がいました(皆さんも観たでしょう)。私はしかしその被災者がすぐ「平常な言葉使い」に戻ったのを観て、少しホッとしたのを覚えています。この人はまだ「心を失くしていない」。 「怒り」や「悲しみ」が流動的な現実に差し向けられる時、それらは決して解消されることはなく、むしろ「自身の尊厳を貶める」という心のメカニズムに、この人は無意識に気付いたのでしょう。 しかし報道は罵倒シーンだけを流し続ける。で、それを見せられる私たちは「心を失くしかけている人たち」に対して、掛ける「言葉を失う」。そして逆に被災者は「そうか、私たちはそのように言っていいんだ」という形で、永遠の「被災者」として我が身を「釘付け」してしまう。 洪水のようなパニック報道で、私たちはこのように分断されてしまうのです(同じように自国を永遠の「被害者」として釘付けにしておこうとする国家権力が、ここにも近所にもあるようなないような)。 浮ついた支援のメッセージは、こうした「赤ん坊(心を失くしかけた人)」の前では、まったく無力です。 ではサルトルの問いに、答えはあるのか? もしあるとすれば、それはたとえ「仮想」であっても、互いが共有出来る「物語」を持てるかどうかという一点だけではないか?「だんじり」がなぜ曳かれなければならないのかを聞く人などいません。「ただの神輿やん」といった子供は、間違いなく木岡のような怖いオッちゃんにど突かれるでしょう。共有すべきものに「理由」はいらないのです。 終戦直前に描かれたオノマチの、だんじりの前でのあたかも幼児返りしたような号泣シーンは、現実の「怒り」や「悲しみ」を掬い取り、代替物としてではなく「昇華」された姿で私たちの前に現れる。糸子の号泣は被災者にも私たちにも等しく届くのです。なぜならその「怒り」や「悲しみ」や「笑い」は、この世の誰も「傷つけることがない」から。 「物語」がもし「力」を持つものであるとしたら、それは人が人足るべき最低限の属性だけは、それによってともかく「繋ぎとめる」ことが出来るかもしれない、という一点だけでしょう。「泣き」「笑い」「悲しむ」ことが出来るのは人だけなのです。「『心を失くしかけた人(勘助)たち』を、とにかく繋ぎとめる」、それが渡辺さんの回答だったのではないか知らん。
2014.10.02
コメント(0)
いろいろ考えることがあって、長いことブログのアップを休んで来ましたが、久しぶりに再開しようかと思っています。ここを休んでいる間、話することがイヤになったということではなくて、別のところでは同じようにしゃべっていました。 別のところとは例のテレビ感想欄のことで、「カーネー」が二年半ぶりに再放送されたのを期に、以前と似たような書き込みをしていたのです。かといって、前と同じように連日書き込みをしていたかといえばそうでもない。当たり前のことですが、同じことをしゃべるのははなはだ年寄り臭くて、癪に障るというか気分が乗らないもので、出来れば目新しく気の利いたことの一つも記したいというのは人の心でしょう。 というわけで何気にしているうちにアッという間に半年が過ぎ、「カーネー」の再放送も無事終了してしまいました。このドラマの再放送については、ご存知の方もあるかもしれませんが、一年ほど前にある出演者のすったもんだで直前に中止となった経緯があり、ひょっとすると永遠にお蔵入りとなって、伝説として名前だけが残ることになるのかと思ったりもしたのですが、さすがにそれはなかったようです(その間、外国では放映されているので、考えてみればヘンな話ですね)。 またぞろ「カーネー」かいな、と言われてしまいそうで、ここに再渇するのはさすがに気が引けるのですが、それでもこの間、楽しんで話をする気を起させてくれたのは、結局このドラマだけだったので、その中からアップするに値する中味だけをしばらく上げておくことにします。「反戦」ということ ちょっと難しい話をします。 「カーネー」の放映時、確か共産党の志井さんだったですか、ちょうど戦争の話が始まった頃盛んに「カーネー」を推奨するところ熱く、何となく鼻白んだ記憶があります。いかにもここの内容は、いわゆるリベラル左派の人たちに支持されそうな部分が多く含まれ、その意味では作り手も戦後日本に醸成された漠然とした反戦ムードを踏襲しているかに見えるところがあって、放映時「主戦派?(仮に、やられたらやりかえすのが、一意的に是とする考え方をする人たち)」vs「反戦派(何をされても戦争だけはしてはいけないと考える人々)」というまことに退屈な図式の論争が、感想欄でも沸騰していたことを思い出します。 しかしこのドラマでの戦争の位置付けは、糸子物語の挿話の一部であっても、偏頗なプロパガンダの文脈で語られているわけではない。要は糸子にとって「昭和の戦争は、こう見えた」ということであって、それが即「反戦平和」というような態度表明に繋がっている訳ではないということなのです(たぶんそんな難しいことは、「私には関係ない」と彼女は言うでしょう)。 前にも言いましたが、「作り手の意図を越えて、人物が一人歩きしているように見える」というのは、この場合むしろ「好いこと」だったのであって、それはこのドラマがより広い視野を獲得する契機を持ち得たということなのです。 ここに「昭和の戦争」という言い方をしたのは、例えば「赤紙が来た」というような受動的フレーズは、昭和の大戦以外を語る時には「今でも用いられることがない」ということなのです。では「昭和の戦争」を以って、戦争一般を普遍化し「戦争は絶対ダメ!」といくら言い募っても、「じゃあ、尖閣を占領されたら、お前は黙って見過ごすのか?」という主戦派?の難詰に対して、反戦派の理屈は充分説得的であるとは言えません。 と同時に、主戦派?は将来戦争が始まれば、必ず生じるであろう勘助のような惨劇を、どう引き受けるつもりなのか、と言えばこれははなはだ怪しい。「昭和の戦争」は国民の大量死を招いた戦争について、国家が充分な説明を怠り続けて来た、という点で特異な戦争なのです。肝心なことは、どうも戦前戦後の施政者自体が、この戦争を「仕掛けた戦争」ではなく「仕掛けられた戦争」という受動的フレーズで理解したがっているらしい、ということなのです(それであるなら、国民への説明責任は多少軽減される、と内心思っているのではないか)。 今回、勘助の再出征の場面を改めて観ながら、気付いたことがありました。彼はこの出征をあるいは「自ら選択した」のかもしれない?と。 再出征は「しかたがないこと」とはいえ、勘助の表情を観ていると「諦観」というよりは、「安堵」という言葉がふさわしい。これは受動的態度では出て来ないものです。 初見の時は「資格がない」の解釈に引っ掛かって、ずいぶんあれこれ詮索しましたが、今はむしろその後に続く、「でも、それもしまいや」という語句に惹かれる。彼の心内で主体的に「折り合い」が付いているから「しまい」に出来るのでしょう。 以前にこのドラマは「戦争を知らない世代が、戦争を描く新しい方法を示した云々」と言ったことがありますが、それはたんに手法的なレベルではなく、もっと根底的なところがあるように思う。 「昭和の戦争」を、まさに一般人である勝の「赤紙来てしまいました」という仕方で捉えるのではなく、勘助のように「自ら選択した」描き方をしたところに真の新しさがあるのです。 それは端的に言えば、物事を何でも「受動的フレーズ」で語るな、ということでしょう。で、これは糸子のマインドにそのまま通じる。 ここまで来てやっと、勘助の優しい眼差しは、主戦派?反戦派といった区分けをはるかに越えて、平成のすべての人に向けられていると言って好いのではないかしらん。 一般人でなく元軍人を含む施政者が「仕掛けられた戦争」という、受動的フレーズで昭和の戦争を語る時、そこには説明責任を免れたいという意図が潜んでいるという話をしました。しかし「しかたなくやらざるを得なかったのだから、後は一億総懺悔」というのでは、無謀な戦場に「員数合わせ」のために、ろくな装備も持たされず送り込まれた、勝や泰蔵や勘助のような一般人は浮かばれない。 戦前は「統帥権」がすべての説明責任から軍部を保護していました。「皇軍」は天皇を推戴する「国体」を護持するかぎり、国民への責任は免除されていたのです。戦後は「靖国」が説明責任からのアジール(避難所、聖域)として使われています。靖国への参拝が国内ではなく国外からの非難を惹起するかぎりにおいて、彼らは当の靖国の論件が国内で遡上に載せられることを回避することが出来るのです。 以前にも言いましたが、考えてみれば近代日本は今だかつて「国民軍」というのを持ったことがない。安倍さんは一時「国防軍」への改称を提案しましたが、ここの「国」という呼称の中に果たして国民は含まれているのか、含まれているのなら過去の大量死に関する秘密の開示が、まず行われてしかるべしというのが、まっとうな筋だと思うのですが、どうもその気はないらしい。 となれば、またもや「皇軍」の復活を企図していると(その教育制度改革も含めて)、勘繰られても仕方がないのではないか。 私たちは戦後二重に「昭和の大戦」で傷付けられている、一つは諸外国を含む大量死を招いたこと、もう一つは今日的にはもっと重要ですが、その原因と秘密の開示をずうっとネグレクトされ続けて来たという二点です。 実は「誰がやった」「どいつの責任」という糾弾の仕方は、あまり生産的ではありません。どういう仕方で事実を隠蔽ないし改ざんし、別の「物語」を戦後の国家権力が作ろうとしたかを知ることこそ、「東電」や「JR北海道」を見るまでもなく、平成の私たちの気組みに直結しているのだと思う。 日露戦争時、大陸の総司令官だった大山巌は、「戦争とは、終わってみれば退屈なものです。軍人はその退屈に堪えなければならない」と、英国の観戦武官に言ったとか(坂の上の雲)。ポーツマスの講和後を見越したようなこの言葉、数多の戦場を経て、しかも戦役中に発せられるこの精神の気組みというのは、言ってみれば「大人」そのものであって、昭和以降の軍人を含む施政者には見られないものです。 いつから日本人は「成熟」することを拒み、「未熟」であることに安寧を見出すようになったのか?そのあたりも今後の「カーネー」の展開に潜んでいるような、いないような。
2014.10.01
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1