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「世俗」の音楽 このあたり、パイプオルガンの楽器としての在りようをハッキリさせるために、「聖」と「俗」といったかなり図式的な対抗関係を用いて話しています。しかし何事もそうなのでしょうが、実態はそれほどシンプルに区分け出来るわけではない。 早い話、音楽が最初から「聖」と「俗」が分かれて発生しただろう、などとはもちろん言えません。古代ギリシャの神殿には必ず付属物として「娼婦の館」が存在していたのであり、それを今ふうの倫理で「巡礼者の慰藉のため」みたいな解釈をしては、たぶん古代社会の気分の大半を逃すことになってしまうでしょう。かといって、それを「神々に仕える巫女たちの奉仕(あるいは施し)」と一気に踏み込んでしまうのも、ちょっと乱暴な議論だという気がする。 要は音楽も性も未分化の状態で、人間の営みが始まった時からあったわけで、それを「聖」と「俗」といった対抗関係に区分けし出したのは、ずうっとはるか後だということです。だからこういう関係を、表裏一体という仕方で捉えてはいけない。おそらくそれらは事物の別の表象に過ぎない、という気がするのです。 だから日本でも読経とか祝詞が詠まれる本殿の外では、俗謡や猿楽が普通に行われていただろうし、それらは時に互いに刺激融合しあっていたことでしょう。 さて、とはいえ西欧において「俗」なる音楽が、明瞭に意識され始めたのは、やはり15世紀ごろに始まるイタリア・ルネッサンスからでしょう。絵画や彫刻が神に奉仕する芸術から人間に移ったのと同じくして、音楽もまた人間が楽しむための芸術として進化を遂げたのでした。このあたり、絵画や彫刻・文学などは分りやすいので、教科書でもよく取り上げられますが、音楽もまた同じような変遷があったことは、あまり言及されることがないですね。 大事なことは俗謡や民謡はそれまでも存在したはずですが、ルネサンス期からそれらが王侯貴族や新興富裕層の館に、さかんに入って来て洗練され、教会音楽と同等の位置付けを得たということでしょう。面白いのはオペラやパイプオルガンの勃興も、この時期に同時進行で起っているということです。「聖」と「俗」は互いに刺激融合しあって発展しているのです。 要は、全体的に「音楽の趣向」が爆発的に洗練化していったということで、これはやはり16世紀~17世紀に隆盛を極めたメディチ家のような新興富裕層や、ローマカトリック教会の文化好みに負うところが多いでしょう。つまるところ莫大な財力が、こうした文化の隆盛を招いたのです。 さて次に聴いてみたいのが、F・マンフレディー二(1684~1762)の「合奏協奏曲第12番 」です。これはルネッサンスではなく、すでにバロックの時代(1718年)の作品ですが、それでもベートーヴェンがウィーンで活躍するほぼ100年前に、イタリアのボローニャで書かれた曲なのですが、趣味の好さが伝わって来ますね。 一般にはクリスマス協奏曲として知られていますが、パイプオルガンのような宗教色は全然なくて、ごく世俗的なコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)ですね。これを聴くにつけ、先に別のところで取り上げたコレッリだのロカテッリなども、同時期のイタリア人であることを思うと、ルネッサンスがイタリアにもたらした「人文主義」という文化的高揚は、その前に登場したガリレオやミケランジェロ他などと並んで、大変なものがありますね(今は見る影もないけど)。 ここまで来ると、これに木管や金管が入れば、今のオーケストラに連なる形式にあと一歩と言うところ。現にバッハやヘンデルは弦楽合奏にトランペットやホルン、フルート、オーボエなどを加えた合奏協奏曲を書いています。早い話、ヘンデルはすでに員数だけから言えば、現在のオーケストラと変わりない編成の「水上の音楽」のような管弦楽曲を書いているのですが、大事なのは、それらは王侯貴族たちへの祝典曲として作られたのであって、独立した楽曲として意識されていたのではない。 そうした「世俗」の音楽の価値を押し上げ、作曲家の意識を高めるのに、決定的な役割を果たしたのが、ハイドンが確立した「交響曲(Symphony)」という楽曲形式でした。楽器群の顔ぶれはほぼ揃ったとはいえ、作曲という行為が立派な「独立した営み」として認められるには、しかるべき形式が必要だったのです。 という意味で、彼がモーツァルトやベートヴェンに与えた作曲家としての意識上の変革は(彼自身はエステルハージ家に長く依拠していたとはいえ)、残した作品以上に大きかったのではないか?その後ヨーロッパの音楽家の主たる仕事は(とくにドイツでは)、器楽曲に関しては交響曲を中心として行われることになります。
2016.07.21
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天上から降りかかる音楽 人の心を一瞬にして捉える「迫真性」とか「切迫感」とは、結局何なのか?それはやはり、他を以って変え難い「生身の身体性」から生まれて来るのだと思う。ここの「他を以って変え難い」中味には、物理的な身体性だけでなく、そこに否応なく流れている「時間」も含まれます。「二度と起り得ない」という止まることのない時間という事象が、「迫真性」とか「切迫感」を生み出しているのでしょう。 「楽器」という道具を通しているにも拘らず、優れた演奏や音楽表現に出会うと、人はこちらに迫って来る「声」を感じるものです。そういう演奏を観ていると、楽器と演奏家は完全に一体化している、以前から使っている造語ですが、例の「拡張された身体性」を感じてしまう。イチローのバットが厳密に彼の腕の延長であるように、そうしたときヴァイオリンやフルートは奏者の「拡張された身体性」を獲得して、生き物のように「舞っている」のです(凡庸な演奏家やアスリートだと、楽器やバットとケンカしている)。 さて、ではそれがパイプオルガンとなると、どうなるか?もしこれが一人の演奏者の「拡張された身体」として迫って来たら、それはもうバケモノでしょう。伝説の「ザ・ケルン・コンサート」(1975年)で広く知られたK・ジャレットという、かなりハイソなジャズを聴かせたピアニストがいます。その彼がドイツのどこかの教会で、お家芸の「完全即興」でパイプオルガンを演奏したLPがあるのですが、まあ好みの問題なのでしょうが、これは全然面白くない。 で、その原因はハッキリしていて、彼がすっかり身体化したピアノに比べ、どう見てもパイプオルガンという楽器の巨大さを持て余している感じ。そのあたり記念碑的なピアノ・ソロの「ブレーメン・コンサート」(1973年)を聴くと、違いがよく分る。完全即興演奏でも時に「音楽のミューズ」は舞い降りて来ることがあるのか(特に後半26分ぐらいから)と思わせるほど、この時のピアノはジャレットの「拡張された身体」を獲得して、宙を舞っているのです。 してみれば、一人の人間という身体が物理的に拡張できるサイズというのは、楽器に関して言えばピアノぐらいが限界なのかもしれない。以前、ジャンボジェットが登場した折に、マン・マシーン・インターフェイスということがよく言われました。要は巨大ジェット機のサイズにパイロットの身体感覚が追いつかない、ということです(そりゃあ四階ぐらい上から、地上の接地感覚を意識せよ、と言われてもムリというものです)。 では、そもそもどうしてこんな身体化しにくい、あるいはそれを拒否したような、ジャンボサイズの楽器が登場したのでしょうか?これを考える際どうしても外せないのは、西欧音楽にはもともと二つの大きな流れがあったろうということです。 その二つとは「聖」と「俗」、つまり教会音楽とオペラという形で、並行していたのではないか?教会にとって音楽というのは、視覚効果としての建築や彫刻絵画と並んで、きわめて重要な要素を占めていて、教化のツールとしてかなり初期から、例えばグレゴリオ聖歌というような形で取り入れられていました。 聖書の有りがた味を伝えるのは、言葉による小難しい説教以前に、人々を一目で威圧する大聖堂とか鐘楼、彫刻・壁画類と、聖堂内を流れる厳粛な音楽であったでしょう。してみれば、そこに使われるに相応しい音楽は生身の身体を感じさせるよりは、むしろはるか対局の天上、つまり「神の音楽」でなければならなかったはずです。 実際のところ、石造りの聖堂内でパイプオルガンのフォルテシモをやられたら、異教徒の私たちでも五臓六腑に響き渡って、ほとんどその場に打ち倒されるでしょう。 スピーカーや映画のような「鳴り物」の無かった時代に、その効果は今どきの私たちが想像する以上のものがあったはずです。というわけで、ちょっと月並みですが、やはりJ・S・バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」をK・リヒターで聴いてみましょう。これは宗教音楽ではなく、バッハが彼一流のノリでパイプオルガンの効果を、くまなく引き出した名曲なのですが、学究肌のリヒターの手にかかると、何と明晰に音が粒立って聴こえて来ることでしょう。 余談ですがこれを観ていると、ストップの操作に介添えが入ってますね。となると、エレクトーンのレジストリはこれの発展系と言ってもいい、ということになるのかしらん? とはいえ、この演奏をリヒターの「拡張された身体」の響きとして捉えるのは難しい。明らかに彼はバッハの意図したもの、あるいはバッハが聴いたであろう天上の響きを、どこまでも聴き取ろうとしているのであって、「我意」の音楽を弾こうとしているわけではない。明らかに「召喚」されたという意識のもとに演奏しているのです。 彼はそのストイックな求道姿勢のあまり、神経をすり減らしたのか、ずいぶん若死に(54歳)しましたね。
2016.07.15
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音楽的「表現」 前回の終わり、人のパフォーマンスは自分が何ものかから、「召喚(名指しされて、呼び出し)」を受けていると感じたとき、「最大化」されるという話は、例の内田樹の本のどこかで読んだ記憶の受け売りです。 「スタンド・アローン(自立単独主義)」な「自由競争」こそ、個人のパフォーマンスを最大化させると信じて疑わない人たちは、むしろそれが自身のキャパを押し下げる場合がある、ということに気付こうとしない。 早い話、朝起きるのも飯を食うのも、いつも「我意」のままに振る舞うことこそ、自立単独主義的「自由」ということになれば、その人があるいは本来発揮出来たはずの能力は、確実に下降線をたどることになるでしょう。「それを自己管理できる者こそ、真に強い奴じゃないか」となりそうですが、人はそれを平然と豪語して回れるほどたぶん強くはない。というか、それができている人こそ、じつは「他者(親とか祖父母、親族兄弟、友人など)に導かれた成果」としての自分、という在りように気付くべきでしょう。 「そんな、何ものかに『呼び出し』された記憶なんかないぜ」。「どうせ、そんな『声』を聞くことが出来るのは、特別な人なんだろう」と、またもや揶揄されそうですが、我々は案外、日常でそういうふうに「呼び出される」シーンに遭遇しているのかもしれない。 我が子の泣き声を聞いたお母さんは、自身の都合は取り合えず差し置いて、それに耳を傾けるでしょう。男の場合もたぶん一緒で、会社勤めはたいてい鬱陶しいというか、辛気臭いことだらけですが、それでもやれてしまうのは、「お前がやれ」という「声」を各々が無意識に聞いているからです。「奇道を為す人」というのは、あるいはそうした「声」に人一倍敏感な受容体を持っているのかも知れませんね。閑話休題 さて話がエレクトーンから、ずいぶん離れた地点にまで来てしまいました。大急ぎで元に戻して着地点を探さねばならないのですが、ことの成り行き上、何となく仕方がなかった感じもします。 気分直しに再び826Asukaさんの演奏を聴いてみましょう。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なのですが、これとか先の「ジュラシック・パーク」を聴いていると、同じ鍵盤楽器でもピアノとエレクトーンの基本的なコンセプトの違いを改めて感じてしまう。 以下、またごくごく我流の深読みなので、多少ともピアノやエレクトーンに詳しい人たちにはゴメンナサイですが、ガマンしてください。 ピアノがチェンバロとかクラブサンといった弦を弾く楽器から、大音量と広音域を確保するために、ハンマーで弦を叩く打鍵楽器に進化したのに対して、エレクトーンの淵源はたぶんサスティナブルで多様な音色と音量が可能なパイプオルガンだったでしょう。 日本でオルガンといえば、幼稚園や小学校の教室に置いてあるみたいな、講堂に鎮座しているピアノに比べて、いかにも地味で廉価な印象を受けたものですが、ここ最近のデジタル技術の進展で、その本来持っていたキャパを発揮し出した感じ。ヨーロッパでは普通オルガンと言えば、教会のパイプオルガンのことで、その巨大さと演奏の難しさゆえに「楽器の王様」と言われてるんですよね。 私の見るところ、パイプオルガンの「難しさ」の本質というのは、両手足を使って多段鍵盤を演奏するという、見た目のトリッキーさにあるのではなくて、まさしくその楽器本体の巨大さと多様な音色ゆえに生じる、「音楽的表現」そのものの難しさなのだと思う。 それはもう、ほとんど一人の奏者の間尺を越えた広大さなのではないか? メカニズム的にはパイプオルガンは、文字どおり大量の管に風を送って音を発生させる「管楽器」ということになるようです。しかしその最大の特色は、さまざまな木管や金管から繰り出される音色を、複数混ぜることによって生じる「倍音」にあるでしょう。同じピッチの管でも、その材質によって当然音色は異なる、ではそれをいろんな組み合わせで、同時に発生させたらどうなるか? というわけで、さまざまな管の組み合わせを指定する「ストップ」というボタンが、鍵盤の側壁に何やらプチプチみたいに並ぶことと相成ります。奏者は一種の職人技のようにして、両手の運指と両足鍵盤、ストップボタンの切り替えを同時進行で行う(さすがに圧搾空気のふいごは別の人がやっていたようですが)ことになるわけで、こうなるとそれは例えば、ヴァイオリンやフルートのような一本の楽器を「演奏する」というのと、同じ次元で捉えるのはどう見ても難しいでしょう。 肝心なことは、一本のフルートやヴァイオリンでも、一瞬にして人の心は「捉えられる」ということです。では、優れた演奏とか音楽的表現というのは、詰まるところ一体何なのか、あるいはどこから生まれて来る、と云えるのか?
2016.07.12
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「奇道」を為す人 一般に生き物は同一集団の中に、かならず異分子的な個体を少数でも養うものらしい。これはおそらく急激な環境変化とか、集団に降りかかるカタストロフに対する防御因子が、そうさせているのでしょう。 ヒトの集団においても、その種族維持のために異分子を置いておくのは、日本のように農耕社会という平準化への淘汰圧が恐ろしく強い地域でも、古来普通に見られたことでした。古代神話に登場するアメノウズメ、サルダヒコの兄妹、中世の修行僧とか江戸期の歌舞伎者などがこれにあたるでしょうか。多数者から常に差別されバカにされつつも、もう一方で彼らは「奇道」を為すものとして、「畏れられ、有り難がられていた」のです。 あるいはむしろ社会全体が貧しいからこそ、そうした「異物」の価値をよく知っていたのかもしれない。日本人が飢餓のリスクから逃れられたのは、たかだか敗戦後の60~70年前からのことで、祖父母の世代ぐらいまで、「飢え」はかなり身近なものとして写っていたはずです。 そういう社会では絵画や文学や音楽を為す人間は、私たちが想像する以上に「畏敬」されていたのではないか?あるいはまた、それを志す人間のほうも、かなり大マジメにそれに取り組んでいたのではないか?今やこうした「大マジメな構え」は、少なくとも現代日本では、ほとんどギャグの対象になってしまいました。 私は芸能、芸術行動というのは、生き物一般にピルトインされた多様性因子の、人間的発現の一つだろうと思っています。アルタミラの昔(一万五千年以上前!)から、ヒトは絵を描かずにいられなかった。絵画そのものは生存に直接には何の役にも立たないけれども、少数でもそれを為す「異分子」が集団に存在することは、多様性=生存可能性の証しの一つに他ならなかったのです。 洞窟の壁に「野牛の絵」を描いているのは、間違いなく「選ばれた少数者」であり、多数者にとっては「奇道を為す人」として深く畏怖されていたでしょう。で、それはおそらく絵画だけでなく、音楽や占いやさまざまな芸能芸術、宗教行動を為す少数者という形で、集団の一角に存在していたはずです。 さてさて、今どきのように「飢え」から開放された(ように見える)時代では、そうした「奇道を為す少数者」の存在が、それこそ集団の生存に関わるような仕方で、「畏敬」を以って扱われるということは、すっかり難しくなってしまいました。今や芸術に携わろうとすれば、多かれ少なかれ愛想良く振る舞わざるを得ないというか、素のまま「強面」で表に出るということは不可能でしょう。明日の食い物を心配しなければならないほど、今の世の中は、表向き「切迫」してはいないのです。 断っておきますが、だから人類はもともと保持している因子を損ねないように、もっと「飢えるべきだ」と言っているわけではないですよ(当りまえです)。そうした生き物としてのヒトの過去と現在を踏まえたうえで、最善の道を(もし、あるのだとすれば)何とか探すしかないだろうということです。イチローや村上春樹は、そういう芸能的身振りを巧みに逃れて、「奇道を為す少数者」になり得ている稀有な例なのでしょう。 それにしても彼らを、そういう「奇道」に駆り立てて止まない推力とは、一体どこから出て来るのでしょうか?一見彼らの振る舞いは、エゴイスティックに思えるかもしれない(実際、それを「悪意」と取ったチームメイトや、否定的な見解を取る文学界音楽界の重鎮もいたでしょう)けれど、マスコミや専門家仲間、あるいは一部のファン層に愛想を振りまいて、逆に自身のパフォーマンスを損ねてしまっては、自分が他者に伝えるべき一番肝心なことを見失う恐れが強い、ということを彼らはよく知っているのです。 一言で云えば、エゴイスティックに見える彼らの振る舞いには「我意」がない。「他者に伝えるべきこと」を最優先にしたら、結果的にそうならざるを得なかった、という経路を辿っているように見える。たまたま選挙中なので、このあたりの違いがよく分る。愛想の良い「皆さん(他者)のために」という素振りの裏から、「我意・我欲の塊」が丸出しじゃないですか。こういう面表や言葉を「卑しい」と言うのです。せめて選挙では「卑しくない人」に投票したい(ほとんど、いないけど)。 このあたりの経緯について、武満や村上は「そうすべきだ」と思った瞬間のことを、非常にハッキリとエッセイなどで語っていますね。 武満が音楽に開眼したのは、戦時中、兵舎でたまたま流れて来たシャンソンを聴いた瞬間だったそうです。今ではとても想像できない事態ですが、彼の上官で無類のシャンソン好きがいたらしい。その時彼は「戦争が終ったら(「一億一心火の玉」を呼号していた時代に、「戦争が終ること」を想像できるのもスゴイですが)、何が何でも音楽家として生きて行こう」と決意したらしい。 村上の場合はもっと唐突で、30歳の頃(本人はその日、その場所まで特定していますが)神宮球場でヤクルトの試合を観ていて、ヒルマンという選手がヒットを打ったとき、「小説家で生きて行こう」と決心したとか。 イチローはそれほど明瞭なコメントをしていませんが、やはり似たような瞬間を、おそらくメジャーとの交流戦などで経験したことでしょう。 これらに共通するように思えるのは、「召喚性」ということです。我から「そうなろう、そうなりたい、そうあるべきだ(我意)」と思ったというより、何ものかに突然「呼び出された」という仕方で、その決意や決心が意識されているということなのでしょう。 「お前が、それを他者に伝えよ」という「声」が、唐突にどこかから降りて来る。自身のまだ不可解なTalentが、じつは自分の占有物ではなく、「他者との共有物」であると分った瞬間、どれだけ誤解を受けても、その我が身固有のTalentを磨き抜いて行こう、という決心がついたのではないか?洞窟の壁に野牛を描いていた人たちも、もちろん「我意」で(好きで)描いたわけではない。まさしく「集団の存続」をかけて描いていたのです。 人のパフォーマンスは、こうした「他者性の意識」によって、「最大化」されるのかもしれませんね。
2016.07.04
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個人的営為 とはいえ、物事を万事「対価主義」的にみる風潮を、すべて小泉政権時代に帰することは出来ません。かの政権はそうした時代の空気を察知する能力に長けていて、それを劇場的に最大化してみせたに過ぎない。要は、それを受け入れ支持する有権者が多数いたということです。とすれば、その淵源はもっと以前、私の見立てでは1980年代から90年代にかけての、受験対策と称する「進学塾」の蔓延が、日本の教育観というか子育てに対するエートスを根底からひっくり返し、物事を万事「対価主義」的に裁断するようになったんだろうと疑っているのですが、まあこれは別の話。 話を戻します。肝心なことは武満徹とか、あるいはこれは音楽ではないけれど、イチローとか村上春樹などは、初めから世界を意識したというのではもちろんなくて、自身のごく「個人的な営為」が、結果的に世界を背負うようになったということなのでしょう。日本の音楽界や文学には、妙に「世界」を意識した作品が時に登場することがあり、またプロ野球選手やJリーガーでも手軽に「世界」を口にする人がいますが、そういう仕方で「世界」に関わろうとした作物は、残念ながらいかにも干からびた印象が残る。 その理由は明らかで、彼らが思い描く「世界」というのは、じつは実体も何もない、はなはだ抽象化された概念に過ぎないのです(政治家にも、そういう仕方で「世界」を語るのが、好きでたまらない人がいますね)。「世界を背負う」とは、シチ面倒臭い「今そこにある、具体的な現実」に「我が身一つ」で、しかと向き合うことに他ならない。 上の三人に共通していて、さらに驚嘆すべきことは、自身の「個人的営為」に対する、恐るべきこだわりでしょう。というか、ほとんどそれ以外関心が無いと言っていいのではないか? これは前にも言ったかもしれないけど、イチローはかなり微妙な判定でも、まず顔色一つ変えないでしょう。判定は審判という「他者」が勝手にやることで、まるで自分は関係ないと言っているかのようです。彼の関心事は来たボールに対して、自分のバットがどう反応したか、そしてその時の身体の状態であって、後は関係ない(自分の手を離れている)。彼がメジャー公式戦最初に対戦したピッチャーが、A・アスレチックスのT・ハドソンだったのは象徴的でした。「彼のボールは絶対高めに来ない。何だか『このボール、どう思う?』と、バッターに相談するような球を投げてくる」。イチローが待ち望んでいたのは、まさしくそれまで見たこともないボール、そしてそれにアジャストしようとする「自身に対する異様な関心」だけであったでしょう。 村上春樹もまたご存知のとおり、どこまでも自身の「井戸を深掘り」していくタイプです。 これほど周囲が(ノーベル賞だの野球殿堂だのと)騒がしくなっても、彼らのそうしたスタンスはビクともしない。その動力はどこから生み出されているのだろうと考えると、結局「自分のそうした在りようが、心底好き」というところに落ち着くのではないか?この場合の「好き」とは、それこそ、仮にそれで「命を落としても構わない」ほど、「好き」ということでしょう。漱石は文学を天職と意識したとたんに、公職を投げ捨てて寿命を大幅に縮めながら、立て続けに作品を産み出しましたね。 これらは自身が「どう評価されるか(売れるか)」といった、「対価主義」的なスタンスとは対極にあるものです。というか、そもそも彼らはそうした「計量不可能」な世界を、あえて選んでいるようにさえ見える。我々はとてもじゃないが、そうしたマネは出来ないし、その価値がどのようなものであるかさえ、ほとんど想像不可能ですが、であるにも拘らず、そうしたTalentが現にこの世に存在し、我々に価値ある「贈り物」を残してくれることを知っている。 じつは、そうした本当に価値ある「贈り物」というのは、送り手より受け手のほうの構えによって、届いたり届かなかったり(現に目の前に届いているのに、見落としたり)することがあるということでしょう。我々の想像を絶する「個人的営為」によって生み出された「贈り物」というのは、おおむね異様な形相で私たちの前に、場合によっては威嚇的に立ち現れることがある。何しろ真の創造物とは、送り手自身も含めて「今初めて、そこに見た」ものだからです。だから村上もイチローも、自分が生み出したものの「理由」を解説することはしません(というか、原理的に出来ない仕掛けになっている)。 大事なことは、受け手の側がそうした「異物感」に耐え得る、広闊(こうかつ)な「構え」を持っているかどうかということでしょう。間違いなく言えるのは、物事を万事「対価主義」的に裁断する心では、これは持ち得ないということです。 残念ながら「対価主義」万能で、ずいぶん豊かになった今どきより、はるかに貧しかった漱石の時代のほうが(あるいは近代主義に染まっていない江戸時代以前のほうが)、「異物」に対する広闊な「構え」を一般世間は保持していたように思える。奇人変人をバカにしつつも、一方で「貴種(かもしれない)」という一種の「畏敬」を払いこそすれ、今どきのようにそれらを「排除」し、万事を「平準化」するということはしなかったのです。
2016.07.01
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