学びの泉 ~五目スパゲティ定食~

学びの泉 ~五目スパゲティ定食~

Calendar

Comments

shchan_3 @ 私も考えてみました くまたろうさん >>なぜかといえば・…
アトリエトトロ@ 見ていて下さいね 昨年の一月、私の拙著をこの欄でご紹介い…
くまたろう@ Re:受験勉強を終えて(02/25) >なぜかといえば・・・・ この後をお…
shchan_3 @ Re:千の風(11/09)  しょうです。こんばんは  ウロコ先…
y.hiro@ 会いに来てください 待ってます 先生、今何してますか? すっかり元気に…
Mr. Hot Cake @ Re:賛同します(02/24) アトリエトトロさん ありがとうござい…
2007.02.10
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

長いので2回に分けて、後刻に〔2〕をアップします。


昨日の レク先生 のブログから始まった進路指導についての記事。


それが しんた先生 ,  スパピン塾長 ,  ヴァージャー岡本先生 と続いて

皆さんがご自分の見解を書かれていた。


私は正直、進路指導についての見解を書きにくい。


しんた先生の記事へ歯切れ悪いコメントを入れたが、



若いときは、入試の決着がつくと、それらの白髪はいつの間にか黒髪に戻っていたが、

今はこの時期に増えた白髪が黒髪に戻ることはなくなった。


私にとって未熟なことに、進路指導には一般論として抽象化できるものがないのだ。

あるのは、毎年の一人一人の生徒の個別的事情を考慮した、まさに個別論だけ。


そして更に一般論を書きにくくしているのは、

「私は塾生の親そのものではない」ということだ。


私が非常にデリケートな事情を抱えている子にアドバイスするときに時々使う言葉で、

「もしもお前が自分の子であったら、先生はこう言う。」という前書きがある。

同じ言葉は、親から相談されたときにも時々使う。

「もしも○○君が自分の子なら、私は以下のように言います。」と。


親と塾講師との違い。それは親は受験の合格後でも不合格後でも、




いや、それでは正確ではない。

親なら、

   「高校入試や大学入試、入社試験ですら、

    そんなことはその子の人生の通過点でしかない」

                               という見方から、



また、そうすることが親の義務でもある。


先日も、受験を控えた自分の娘には、親としてのアドバイスをした。

  「お前の人生をサポートするのはお父さん・お母さんの役目だ。

   お前がよく考えて『こうしたい!』と出した結論なら、

   それが考慮不足と認められない限り、経済面はお父さんとお母さんが引き受ける。

   したいようにせよ!」

                                      と。


講師は親ではない。

家庭の事情には口出しできる部分と口出しできない部分がある。

また、その子の家庭の経済面には、こちらからは絶対に口を出せない。

その子の後の経済的な面倒までこちらが面倒を見れるわけではないし、

よしんばそれができるとしても、するのはその親に対する越権行為である。


塾生を自分の子どものように見ることは多々あるが、

しかしそこには超えられない、或いは超えてはならない一線が明確に存在する。



その一線を意識しないで、軽率に(としか思えない)

「みんな自分の子だ!」

と軽く書かれたものを目にすると、ぞっとする。


進路指導でどうしようもないジレンマは

「この子は自分の子ではない」ということだ。

この子が自分の子なら、どんなにかアドバイスがラクだろう。


   「やりたいようにやれ。

    どんな結果になっても、あとの面倒はみてやる。

    また次に向かって足を踏み出せばよい!」

                         で済む。


いろいろな家庭があり、いろいろな子がいる。

                      ・・・・・・〔1〕はここまで。また後刻に。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.02.10 17:57:30


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: