全31件 (31件中 1-31件目)
1
【アニマル1】レスリングをメジャーに引き上げたアニメ 僕が、小学5年生になった時(1968年)に始まった、短期間のアニメでした。原作の川崎のぼるさんは、当時「巨人の星」も描いていて、そのタッチが同じものですから、安心して見ることができました。 1968年は、メキシコ・オリンピックの年だったと思います。この番組は、オリンピック直前まで放映されていますから、きっとレスリングを注目された方も多かったと思います。主題歌は、歌手の朱里エイコさんが歌っていたのですが、「・・・メキシコ目指して・・・♪♪」の歌詞は印象的です。 それまで、日本ではマイナーだったスポーツですが、子どもの心にもレスリングが刻まれたアニメでした。 👉
2025年08月31日
コメント(0)
【銀河鉄道999】メーテルに憧れた頃 モデルは、宮沢賢治の「銀鉄道の夜」ですが、これほど現代的に宇宙を描いた作品はないのではないでしょうか。 列車がプラット・ホームから静かに離れ、やがて銀河を目指して走っていく光景は、感動してしまいました。登場人物は、鉄郎という日本の子どもでしょうが、同伴者のメーテルは優しくて、どこかの令嬢に見えたものです。メーテルの優しさと銀河の夢に憧れたアニメです。 👉銀河鉄道999
2025年08月30日
コメント(0)
【宇宙戦艦ヤマト】地球を守る宇宙船に変身したヤマト 太平洋戦争で沈没した戦艦大和が復活。これは、本当に驚きましたね。まして、その戦艦が地球を守るために宇宙に飛び出し、異星人たちと戦うという内容は、当時本当に新鮮でした。 テレビ放映(1974年)が始まったのは、僕が高校生の頃。その後も続編が放映されて、大学生時代のコンパで、よくテーマソングを歌っていたものです。 同じ松本零士さんの作品で、「銀河鉄道999」もよく見ていました。スポ根アニメに飽きて、宇宙に憧れが移っていった頃だったかもしれません。👉宇宙戦艦ヤマト
2025年08月29日
コメント(0)
【怪獣王子】少年ケニアにも似た恐竜映画この作品は、僕が小学3年(1967年?)の頃のテレビドラマ。放映は、短期間だったと思います。 当時は、ゴジラ映画などの怪獣ブーム。それに乗って登場した作品でしたが、登場する怪獣は、どちらかというと恐竜。きっと、怪獣ブームにあやかりたかったんでしょうね。 内容は、ブーメランと恐竜を盾に、悪者と戦うという単純なストーリーでしたが、恐竜と子どもの取り合わせが面白くて、毎週見ていましたね。👉怪獣王子
2025年08月28日
コメント(0)
【ウルトラQ】特撮を進展させた名作 怪獣作品というと、どうしても映画だった時代。この作品は、子どもから大人まで、家庭で楽しめる特撮を紹介した番組でした。内容も、単なる怪獣ものだけでなく、現代的な不可思議を突いたストーリーが多かったように思います。 テーマ音楽は単調でしたが、心を魅了するものがありましたし、ミステリーゾーンを語る石坂浩二さんのナレーションもインパクトがありましたね。僕が小学3年の頃(1969年)から始まったのですが、幼心に怖さを感じたこともありました。この作品には、東宝の怪獣映画を取り入れたものが多くあり、子どもながらに映画とテレビで、二重に怪獣映画を楽しんでいたような気がします。 👉ウルトラQ
2025年08月27日
コメント(0)
【タイガーマスク】憧れた伊達男の強さ プロレス・ブームの一翼を担ったアニメでした。テレビ放映(1969~71年)されていたころは、スポ根作品が多くて、涙と汗が底流にありました。「タイガー・マスク」では、「孤児院から出世したレスラー」でしたから、涙が底流にありましたが、元来強いプロレスラーでしたね。 名前も「伊達直人」で、かっこいいスポーツカーを乗っている姿に、憧れを感じました。 テーマソングは、今でも鼻歌に出てきますが、エンディングの「みなし児のバラード」もいい曲です。伊達男の強さに憧れたアニメでした。 👉タイガーマスク
2025年08月26日
コメント(0)
【巨人の星】一億総巨人ファンにしたアニメ 僕が小学生の頃(1966~71年)のテレビ番組を思い出す時に、一番に思い出されるアニメ。小学5年生で野球好きの僕は、テレビに夢中になり、全単行本を買い求めました。長い物語でしたね。 物語は、長嶋茂雄さんが巨人に入団した1958年から、巨人に入団した飛雄馬が、大リーグボール3号を投げて、マウンドで倒れる71年まで。まさに、大河ドラマでした。大リーグボール養成ギブスなどは、子どもながらにかっこいいと思いました。阪神の花形満や大洋の左門豊作はフィクションですが、実在の選手が同名で物語に出演しているので、どこまでが本当なのか、わからなくなったことがありました。 まさに、一憶巨人ファンを作ったアニメと言っても過言ではないような気がします。👉巨人の星
2025年08月25日
コメント(0)
【アタックNO1】男の子も興奮したバレーボールのスポ根物語 僕が少額6年生の頃(1969年)のテレビアニメでした。バレーボール・ブームが久し振り返り咲きといった感じでした。東洋の魔女が東京オリンピックでメダルを取り、女子バレーボールが脚光を浴びて5年後。バレーボールは、このアニメでまた脚光を浴びたといってもいいでしょう。当時ではドラマ「サインはV」とともに、2大バレーボール物語のひとつです。 主役の鮎原こずえの声優は、小鳩くるみさんでした。ポニーテールの髪型でアタックしている姿は、可愛くもあり、かっこよかったですね。主題歌の中で、「・・涙がでちゃう だって女の子だもん・・♪♪」という歌詞がありますが、男の子も夢中になったアニメです。 👉アタックNO1
2025年08月24日
コメント(0)
【あしたのジョー】不遇のジョーを真似た小学生 「あしたのジョー」が少年マガジンに掲載されていたのは、僕が小学生の頃。発売日には近所の本屋さんに行って、立ち読み。余り長く読んでいて、よくおじさんから怒られていました。これがテレビで放映され始めた頃は、僕も中学生になっていました。 いわゆるスポ根ものの先駆けですが、野球の「巨人の星」と肩を並べるスポ根代表作でしょう。ジョーのライバルだった力石徹が死んだ時は、子ども心に悲しかったですね。 そういえば、自宅近くの空港にハイジャックされたよど号が着陸して、「われわれはあしたのジョーである」と言っていたことを聞いて、奇異に感じたことを思い出します。不遇の主役ジョーの生きざまを、自分と重ね合わせていたころが、とても懐かしいですね。👉 あしたのジョー
2025年08月23日
コメント(0)
【三橋美智也:古城】声の張りに感動! 中学生の頃、よく33回転専用のポータブル・プレイヤーでEPレコードを聴いていましたが、そのレコードの一枚に「古城」がありました。母の踊りの練習曲だったようですが、はじめて聴いた時の印象は強烈でした。張りのある高く澄んだ声。僕も真似をしていたのですが、なかなか声がでませんでした。 後で知ったのですが、三橋美智也さんは覚えやすい歌を、たくさん歌っておられたんですね。この歌は、高度経済成長の最中、童謡や民謡に繋がる名曲です。👉三橋美智也:古城
2025年08月22日
コメント(0)
【原田真二:タイムトラベル】音楽センス最高のシンガー 彼がデビューしたのは、僕が大学1年の頃(1977年)だったのですが、ピアノの弾き語りをする彼の姿はイカしていました。デビュー曲は、「てぃーずぶる-す」でした。2枚目シングルの「キャンディ」は、どこかしらザ・ビートルズの「ミッシェル」に似ていました。3枚目の「シャドー・ボクサー」もいい曲でしたが、僕はやはり「タイムトラベル」が好きでした。これは1978年に発売されましたが、当時彼は1年間で5枚のシングルを発売したということになります。フォーライフ・レコードからレコード発売していますが、吉田拓郎さんを現代的に高めたようなシンガーで、音楽のセンスは抜群でしたね。 👉原田真二:タイムトラベル
2025年08月21日
コメント(0)
【ゴダイゴ:ガンダーラ】音楽センス最高のグループ ゴダイゴは、歌謡曲というジャンルには馴染まないかもしれませんね。ミッキー吉野さん、タケカワユキヒデさんなどが集って、1976年に結成されたバンドです。歌も演奏も実力派ですが、彼らの歌がヒットしたのは、僕が大学浪人をしていた頃(1978年)でした。毎週見ていた「西遊記」のエンディング・テーマの「ガンダーラ」は印象的でした。「モンキー・マジック」や銀河鉄道999の主題歌も忘れ難いですね。 それ以降、「ビューティフル・ネーム」や「ハピネス」もヒットしましたが、1985年には一度解散しました。 👉ゴダイゴ:ガンダーラ
2025年08月20日
コメント(0)
【ピンクレディー:UFO】70年代の爆発的なデュオ・アイドル ミーとケイといえば、ピンクレディーですね。最初テレビで見た時は、目のやり場に困りました。それほどの露出度・・。僕が大学浪人をしている頃(1976年)に「ペッパー警部」でデビュー。彼女たちは僕と同じ年ですから、当時は18歳。まだ洗練されておらず、歌がヒットする中で、スタイルも歌もよくなってきたという感じでした。 彼女たちの曲は爆発的にヒットしたせいか、僕たち世代の女性は歌はもちろん振り付けも覚えている方が多いですね。数多いヒットの中でも、僕は「UFO」が印象的でした。1978年のレコード大賞受賞ということもあるのですが、当時の僕のお気に入りが、日清製粉の焼きそば「UFO」でしたから、これを食べるたびにピンクレディーを思い出します。 👉ピンクレディー:UFO
2025年08月19日
コメント(0)
【布施明:シクラメンのかほり】端正な顔立ちとオリヴィア 布施明さんのデビュー曲は、「霧の摩周湖」と思っていたのですが、「君に涙とほほえみを」だったんですね。デビューした時期は、僕が小学2年の頃(1965年)ですから、知らないことは無理もありません。「恋」や「積み木の部屋」などがヒットしましたが、「シクラメンのかほり」の爆発的ヒットには驚きました。1975年でしたから、僕が高校2年の頃。僕もギターを弾き歌っていましたが、本当にいい歌でした。その後、女優のオリヴィア・ハッセーさんと結婚し、国際的なエンターティナーとなっていきますが、離婚後帰国。高額な慰謝料、養育費が話題になりました。今でも、彼の抜群の歌唱力とユーモアは健在ですね。👉布施明:シクラメンのかほり
2025年08月18日
コメント(0)
【ピンキーとキラーズ:恋の季節】山高帽でキザな振り付け ピンキラといえば、デビュー曲は「恋の季節」。この曲は、僕が小学4年の頃(1968年)に大ヒットしたのですが、240万枚の売り上げは当時歴史的な出来事でした。トレードマークの山高帽とキザな振り付けの斬新さが、ヒットにつながったようです。小学生の僕も、彼らの振り付けを真似て歌っていました。 その後ヒットに恵まれない中、ピンキーこと今陽子さんの暴言(?)によって、グループは解散。ピンキーの歌唱力とバックのコーラスは、「実力派」でしたね。 👉ピンキーとキラーズ:恋の季節
2025年08月17日
コメント(0)
【上條恒彦:だれかが風の中で】迫力ある歌い方 上條恒彦さんといえば、「出発の歌」という方が多いと思います。この曲は、僕が中学1年の頃(1971年)にヒットした曲で、迫力ある歌い方に圧倒されたことを思い出します。六文銭というグループをしったのもこの頃でした。 しかし僕は、ドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌だった「だれかが風のなかで」がイメージとしては、強く残っています。この曲を聴くと、紋次郎が口から飛ばす竹楊枝を思い出します。彼は、俳優や声優としても活躍し、ドラマやアニメの主題歌も多く歌っていました。 👉上條恒彦:だれかが風の中で
2025年08月16日
コメント(0)
【加山雄三:旅人よ】格好よかった若大将 加山雄三さんといえば、永遠の若大将。小学生の頃、若大将シリーズの映画を見に行っていました。格好よかったですね。彼は、1960年に映画デビューし、61年に歌手デビューしていますが、最大のヒットは「君といつまでも」でした。この曲は、映画「エレキの若大将」の主題歌として作られましたが、作詞は岩谷時子さん、作曲は「弾厚作」でした。この「弾厚作」という名は、彼が尊敬している團伊玖磨さんと山田耕作さんからつけられた、ソングライターとしてのペンネーム。彼は、フォークソング全盛に先駆けてのシンガー&ソングライターの草分けでした。 彼のベスト・アルバムなども持っていますが、僕は「旅人よ」が好きですね。これは、シングル「夜空を仰いで」のB面の曲ですが、人気がありますよね。シングルは僕が小学3年の頃(1966年)に発売されていますが、カラオケではよく歌っています。👉加山雄三:旅人よ
2025年08月15日
コメント(0)
【ザ・ドリフターズ:ミヨちゃん】日本を代表するミュージシャン&コントグループ 手元に「ミヨちゃん」や「誰かさんと誰かさん」などが収録されている、ドリフのEP盤があります。僕が小学校の頃、「ドリフターズの全員集合!」は人気番組でした。多少過激だったこともあり、教育上よくないと言われていましたが、やはりよく見た番組です。そして番組中で歌われていた曲も、語り継がれるほどに印象に残る歌が多くあります。ドリフは、コントグループとして定着しているようですが、元々は実力派のバンドでした。結成は、1957年ということですが、いかりや長介さんを中心とする新生ドリフのデビューは、1964年とのこと。ビートルズが来日した1966年ステージで、前座として演奏したことでも有名です。👉 ザ・ドリフターズ:ミヨちゃん
2025年08月14日
コメント(0)
【ザ・タイガース:モナリザの微笑み】グループ・サウンズの象徴 ザ・タイガースがデビューしたのは、僕が小学4年の頃(1967年)。デビュー曲は、「僕のマリー」でした。周りのおませな女の子たちは、授業の合間におしゃべりをしながら「きゃーきゃー」と黄色い叫びを上げていましたが、男の子たちは冷ややかでした。正直いって、そのよさがわかりませんでした。ザ・タイガースは、テレビでよく見ていました。と言っても、今ほどに歌番組が多くなかった時代ですから、時々といっていいかもしれません。ジュリー、タロー、サリー、やトッポなど愛称を覚えているくらいですから、小学生としては知っているほうだったのでは・・? 好きな曲は、「モナリザの微笑み」でした。一般的にグループ・サウンズというのはロック的なイメージが強かったのですが、この曲はやさしい曲調でしたので、よく口ずさんでいました。森本太郎さんが作った「青い鳥」も好きでした。世界的にはグループ・サウンズ・ブームの中で、日本を代表するグループと言っていいかもしれませんね。 👉ザ・タイガース:モナリザの微笑み
2025年08月13日
コメント(0)
【フィンガー5:個人授業】ハイトーン・ボイスとサングラス 彼らの「個人授業」が大ヒットしたのは、僕が中学3年の頃(1973年)。当時、ポップスに興味を持っていた僕は、彼らのデビューを「日本版ジャクソン5」と揶揄していました。というのも、マイケル・ジャクソンさんなどジャクソン兄弟が活動していた時期でもあったことから、沖縄県出身の彼らをコピーとしてみていたのかもしれません。・・が、彼らは実力派でした。アキラさんのハイトーン・ボイスには魅了されました。そして彼のサングラス姿は、イカしていました。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などが立て続けにヒットするのですが、その後小泉今日子さんなどがカヴァーするなど後世に残る曲となりました。 大人気による過労で、アキラさんが入院する際に、「あなたは、この子を殺すつもりか」と医者に言われたり、変声期を迎えた彼に女性ホルモンの注射をすすめられた話などの裏話が語られていたこと・・。過酷な芸能界を垣間見たような気がします。👉フィンガー5:個人授業
2025年08月12日
コメント(0)
【堺正章:さらば恋人】マルチタレントのデビュー曲 堺正章+さんというと、何をしてる人?歌手、俳優、司会者、お笑いタレント?どれも当たっている、いわゆるマルチタレントといっていいと思います。ザ・スパイダースのリード・ボーカルだったのですが、解散後はソロ歌手としてデビューし、その曲が「さらば恋人」でした。僕が中学2年の頃(1971年)にヒットしましたが、この作詞は元フォーククルセダーズの北山修さんで、作曲は加藤和彦さんでした。 しばらく、司会者などで活躍されていましたが、歌手としても活躍されました。歌もさることながら、話術も達者なタレントです。👉堺正章:さらば恋人
2025年08月11日
コメント(0)
【沢田研二:君をのせて】エンタティナー沢田の出発点 沢田研二さんといえば、ザ・タイガース?グループ・サウンズ全盛の頃、僕は小学校の高学年。女性たちの熱い悲鳴の意味が理解できなかった頃でした。1971年に・ザ・タイガースが解散し、タイガース、スパイダースとテンプターズの有志が、PYGを結成。しかし、商業主義のバンドは「ジュリーとショケンのファン間の戦いに・・」。やがて、ショーケンこと萩原健一さんと岸部一徳さんは俳優の道へ行き、ジュリーはソロの「君をのせて」がヒット。 この歌がヒットしたのは、僕が中学2年の頃。それまでのショーケンなどとのロック的パフォーマンスのイメージとは違い、静かな歌声は印象的でした。これ以降、エキゾチックなパフォーマンスで脚光を浴びることになるのですが、この頃はまだおとなしく、静かでした。 👉沢田研二:君をのせて
2025年08月10日
コメント(0)
【西条秀樹:ヤングマン(Y.M.C.A)】全身でパフォーマンス 彼のデビュー曲は、僕が中学2年の頃(1972年)で「恋する季節」でした。その後、郷ひろみさん、野口五郎さんとともに新御三家と呼ばれる、情熱的なアイドル歌手でした。とりわけ、マイクスタンドのアクションが特徴的で、ロック歌手のイメージがついていましたが、やはり若い女性を対象にしたアイドル歌手でした。 しかし、僕が大学2年の頃(19779年)「YOUNGMAN(Y.M.C.A)」が大ヒットして、4文字を全身で表現したパフォーマンスが大ブーム。大学生の僕も、それに乗らないはずはありません。大学を卒業しても、パフォーマンスはつづいていましたね。今でも、カラオケでは歌と全身のパフォーマンスは変わりません。 👉西条秀樹:ヤングマン(Y.M.C.A)
2025年08月09日
コメント(0)
【野口五郎:青いリンゴ】演歌からの出発 彼のデビュー曲は、「博多みれん」という演歌でしたが、その次の曲が「青いりんご」でした。僕が中学2年の頃(1971年)にヒットし、オリコン14位で、20万枚の売り上げだったとのこと。 この頃僕は、月刊平凡や月刊明星を購入していました。今風に言うと「芸能おたく」だったのかもしれません。それらの月刊誌の募集で、「野口五郎ショー」が自宅近くの公会堂であることを知って、応募すると見事当たり。張り切って、ショーを見に行った事を、よく覚えています。しかし周りは、女性ばかり・・。当然ですよね。女性たちのパワーに圧倒されて、静かにショーを見ていました。 最近テレビで彼が出演している番組を見ましたが、あの頃と変わっていないことに、不思議な感じがします。 👉野口五郎:青いリンゴ
2025年08月08日
コメント(0)
【森 昌子:せんせい】同世代のお茶目な娘 この曲がヒットしたのは、1972年で僕が中学2年生の頃。彼女は、僕より一つ下ですから、中学1年生でデビューしたということでしょう。当時、ショートカットの彼女はキュートでしたね。アイドルというより、普通の女の子という感じでした。本名は「森田昌子」でしたから、田抜(たぬき)というのがあだ名だったとか・・。 しかし歌唱力があり、歌はうまかったですね。その後、次々にヒットを飛ばし、山口百恵さんや桜田淳子さんとともに花の中三トリオとなっていくのですが、歌では彼女がNO1だったのではないでしょうか。👉森 昌子:せんせい
2025年08月07日
コメント(0)
【太田裕美:木綿のハンカチーフ】甘ったるい声が印象的な女の子 この曲がヒットしたのは、僕が高校2年の頃(1975年)でした。デビュー曲の「雨だれ」なども聴いていましたが、ファンになったのは、やはり「木綿のハンカチーフ」でしたね。当時彼女は、ピアノで弾き語りなどをし、甘ったるいおしゃべりに魅了されたという感じでした。 その後ヒットを飛ばしていきましたが、「さらばシベリア鉄道」も印象深い曲です。これは、はっぴいえんど時代から好きだった僕にとっては、グー!でした。松本隆さんと大瀧詠一さんが作詞・作曲したもので、大瀧詠一さんしか合わない歌だと思っていたのを、彼女は見事に自分の持ち歌としていました。 ちなみに、彼女はスクルーメイツにいましたが、キャンディーズ結成前に田中好子さんと変わったという経緯があったそうですが、4人目のキャンディーズといってもいいかもしれませんね。 👉太田裕美:木綿のハンカチーフ
2025年08月06日
コメント(0)
【キャンディーズ:やさしい悪魔】キュートな三人組 この曲は、僕が高校3年の頃(1977年)にヒットしました。当時アイドル・グループは、キャンディーズとピンクレディーに二分されていましたが、熱狂的なよしだくろうさんのファンだった僕は、彼が作ったこの曲に夢中になってしまいました。彼女たちが、「普通の女の子に戻りたい」と言って、解散宣言をしたのは、この最中でした。彼女たちのデビューは、スクールメイツを経て、1973年で「あなたに夢中」が初めての曲でした。当時は、田中好子さんが真ん中で歌っていましたが、いまひとつ盛り上がらなかったことから、「年下の男の子」から伊藤蘭さんが真ん中で歌うようになりました。それからの勢いは、凄かったですね。 👉キャンディーズ:やさしい悪魔
2025年08月05日
コメント(1)
【岩崎宏美:ロマンス】幼い実力派歌手 この曲がヒットしたのは、僕が高校2年の頃(1975年)でした。この年デビューをして、デビュー曲は「二重唱(デュエット)」でしたが、これもいい曲でした。初めての彼女の歌を聴いた時、その歌唱力に驚かされました。これ以降、次々にヒット曲を出していきました。 僕が大学を卒業して、「火曜サスペンス劇場」のエンディングとして、「聖母たちのララバイ」が流れていました。これは、当初シングル発売の予定はなかったそうですが、問い合わせが殺到し発売し、大ヒットとなりました。この曲も、彼女の代表的な曲といえるでしょう👉岩崎宏美:ロマンス
2025年08月04日
コメント(0)
【麻丘めぐみ:私の彼は左きき】左ききではなかった僕 この曲は、僕が中学3年の頃(1973年)にヒットしました。彼女のデビュー曲は、前年の「芽ばえ」でした。彼女は、2歳の時にCMに出演して、3歳で芸能界にデビューしました。それまで、小柳ルミ子さん、南沙織さん、天地真理さんの三人娘の人気が絶頂を迎え、その後間隙を縫うようにデビューしてきました。 長い綺麗な髪がまぶしくて、僕もついつい彼女が出演している歌番組を見ていました。僕より年上なのですが、可愛い女の子で、左ききでないことを恨んだものです。 👉麻丘めぐみ:私の彼は左きき
2025年08月03日
コメント(0)
【尾崎紀世彦:また逢う日まで】抜群の歌唱力 この歌は、僕が中学1年の頃(1971年)にヒットしました。この曲は、彼のデビュー曲と思っていましたが、2曲目なんですね。最初にこの曲を聴いた時は、彼の歌唱力に驚かされました。すごい迫力で、日本人離れしていました。レコード売り上げも100万枚を突破し、日本レコード大賞と日本歌謡大賞を獲得したことを覚えています。翌年、「ゴッドファーザー~愛のテーマ」をカヴァーしていましたが、これもぴったりでした。手元に、そのEPレコードがありますが、当時アンディ・ウリアムスが歌っていたものですが、ピッタリ感でした。今でもカラオケなどで歌うことがありますが、やはりきつい歌ですよね。 👉尾崎紀世彦:また逢う日まで
2025年08月02日
コメント(0)
【森進一:おふくろさん】涙で聴いた母の詩 この歌は、僕が中学1年の頃(1971年)にヒットしました。デビュー曲は、2年前に出した「港町ブルース」でしたが、ハスキーな声を絞り出すように懸命に歌う姿が、印象的でした。そしてこの歌をうたっている彼の表情は、ふるさとの母に伝えようとする懸命さを感じるとともに、その詩に感動したものでした。 高度経済成長の最中、中学卒業後に単身で都会に出ていく少年たちが多くなる中、一生懸命に生き、母を思う詩は、今もなお心を打つものがあります。 👉森進一:おふくろさん
2025年08月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1