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かたつけものをしよう、とつれあいと話していて、今度の連休にでも、と言ったら「毎日連休じゃん」と言われて笑ってしまいました。確かに!未だに仕事をしていた頃のくせが?ついているのか、どうも連休とかいう、ある種区切りがないと重い腰があがりません。というより、まだぼーっとしていたい虫が棲みついていて・・・ちょっと活を入れた方がいいようです。実家は曹洞宗で、母は釈迦のもとに旅だったとお坊さんが言っていました。それで、いつもは忘れているのに、今日はお釈迦様の誕生日だ!ということで、一つ区切りを、と。家にいるとお墓のセールスの電話がよく来ます。間に合ってますと言ってもしつこいので、忙しいので、といって切るのですが。娘は二人とも他家へ嫁いでいるので、もしお墓を作るとなると、そこに入るのは二人だけ、となります。それがわかっていて新しく作る気にはなれません。娘たちには時々思い出してくれればそれでいい、と言ってます。忘れてるかも・・・自分のことを考えてみても、曾祖父母の代まではあまり心に浮かんでくることはなく、祖父母ですら、縁がうすい・・・生きていたことを覚えていてくれるのは子供の代だけで十分、という感じがします。子供とあとは何人かの友達と・・・ちょっと話がそれたかな?身の回りの片付けものが先、ですね。世間様の連休が来ないうちに手をつけなくちゃ♪
2013年04月08日
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二日前ちょっと見頃には早かったのですが、この時期初めて高速(の甲府あたり)を通ったのでまだ薄いとはいえ、桃の花のピンクの絨毯が見られました。少し癒されました。母の四十九日があり、久しぶりにきょうだいといろんな話ができました。2番目の姉はやはり、寝る前に母の顔が毎晩瞼に浮かんできて、いまだに苦しいと言います。もう旦那さんを亡くしてから10年近くも経つのに。立ち直るまで3年かかったと言っていました。仕事帰りに毎日病院に通い、最後の2週間は介護休暇をもらえて、これ以上は無理、という位付き添っていたのにもかかわらず、姉本人はどんなにやっても悔いは残るというのです。それで私にも、できるだけ悔いの残らぬように、といろいろ心を砕いてくれていました。具合が悪そうだと教えてくれたのもこの姉でしたし、帰れるなら帰ってと勧めてくれたのも・・この姉のおかげで、少しは悔いが少なくて済んだかもしれません。根がずうずうしいので、勝手にそう思っているだけ、という面もあります。末っ子の私は随分母に可愛がられたのに、親不孝なものです。母の入院中に24時間一緒にいられたことは―物心ついてからはですが―それまでにない経験でした。幸せなことだったと今は思います。傍らに24時間侍らせて母は女王の赤ちゃん返りもめさすれ鬼となりしか卒寿母一生分を取り戻すごとがんという言葉を頑と拒みつつ母は生きたい生きたい生きたい2倍にも膨れた足をもみながら襲う涙とたたかうゆうべああこれが人格破壊か飛ぶ茶碗母の眉間に見知らぬかげが側臥位の母の横顔美しくこれで寝息が健やかならば子の手より母のあの手が恋しかろさする背中に遠い思い出いもをほれ亡き父が夢に出てきたと母はうれしげ不仲なりしがわがままな背中になりてかたときも途切れることなくもませさすらせトイレさえどこに行くのと詰問す優しい母はどこへ行ったのもめさすれ何でもいいからしゃべってよアーウーだけで眠りこける母この母を失う覚悟できぬままベッドの横でたたずんでいる真実の重み受け止めきれぬのか命令だけの会話悲しき届いてる?答えぬ母に何度でも四女がと語る看護師やさし点滴は天敵なりと今思うあれほどまでにトイレに立ちたき無理矢理にトイレに立てば血管によくないなどと母は知らずに(一部訂正しました)母恋えばいかほどにでもわく涙看病し足りぬだけではなしにでも、母の病室へ行くのを夜勤とか三交代とか笑って語ることもありました。覚え書きです。まとまらないけど、まだまとまる必要はないね、と。。。
2013年04月03日
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