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例の版画 買って来ました。考えてみると、私は自分でお金を出してプロの画家の作品を買ったことが今まで一度もありませんでした。 書斎の鴨居に掛かっている小さな油絵一枚、これは最初の勤務校の保健室の先生から、転勤祝いにと頂いたもの。洋ナシの静物画。 もう一点は、いわくつきの作品。私の教え子の、美術学校での課題作、カラヴァッジョの静物画の模写。あまりによく出来ているので、1万だったか2万だったか出して買ったのです、私か君かどちらかがプロとして大成したらこの10倍を払うという条件で。これは727×530(20号)の大きさがあります。 今回の版画は結局私がふだん音楽を聴いている応接間(今は完全に私のリスニングルーム)に飾ることになりました。40年前に母が買った油絵(きっと無名の作家のもの、もしくはレプリカ)と今日めでたく世代交代することになりました。 さて、その作品↓は「春を告げる」と題されていまして、見ているだけで身内に気力が満ちて来るような素晴らしいものです。好みから言えば、秋の落ち着いた癒し系がいいのですが、今の私には気力横溢、エナジー滾々、創作欲にプラスになる、こういう作品こそが必要なのです。 というわけで(きれいに写っていないかもしれませんが)お披露目です。左下の狐の鼻のようなのは、地下の春の女神(のブロンドの髪)、空を舞うのは春を告げるイソヒヨドリです。※きれいなのをご覧になりたい方は、コチラをクリックして下さい。
2010年03月29日
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10日前に久木朋子(きゅうきともこ)さんの版画展に行ったら、土日なら作家が来て実演を見れますよと言われたので、今日再度行ってきました。 知識としてはどういう行程でやるのかはだいたい解っていましたが、実際の「刷り」の実演を見るのは初めてです。出来たら版木を彫っているところも見てみたいところです。 同じ創作者として、いろいろお話させていただきました。 ところで、前回見た時から魅せられてしまった一枚があって、(何とか手の届く価格でしたから)買わなければ一生後悔しそうな気がしたので、清水さんの舞台から飛んだつもりで購入してしまいました。持って帰るには電車の中ちょっと迷惑なくらいの大きさなので、明日奥さんに無理を言って車を出してもらうことにしました。 どんな作品なのかは、また後日紹介します。
2010年03月27日
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隣町の病院に見舞いに行く時に通る橋の下、きのうは咲いていなかった菜の花が今日は咲いていました。 医師も看護士も医療設備も整った良い病院ではあるのですが、入院するにはあまり恵まれた環境ではない(四六時中騒がしくて安眠できない)と、早々に退院を申し出、本日家に帰って来ました。 時間の問題でまた胆石が落ちて胆管に詰まるだろうから、元凶の胆嚢を早めに切除して下さいと言われたそうです。今回は黄疸が出ていて、手遅れになっていたら命に関わっていたそうな。申告のせいで病状深刻に、などと洒落てる場合ではありません。 来月にでも、再度別の病院に入院する予定でおります。今日は、退院祝いと私のバースデーイヴを兼ねてお好み焼き屋さんで、ささやかな二人だけのパーティーをして来ました。(私がむりやり連れて行った訳ではありません、念のため)
2010年03月15日
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一ヶ月以上前から、ものを食べたらお腹や背中が痛くなっていた妻、申告の仕事が終わると(私の最も苦手とする作業です)同時に激痛に襲われ、ついに今日病院に検査に行きました。 今までも救急車を呼ぼうかというくらい痛そうな時は何度もあったのですが、専門医の居ない病院などに連れて行かれたり、たらい回しにされたりするのはゴメンだというので、激痛が去るまでの一時間ほどを呻いて耐えていたのです。 で、診断の結果胆管結石ということで、明日さっそく手術と相成りました。術後別の病気を誘発しないよう二週間ほどは入院して経過をみるようです。 家では起居すれ違いの生活でも、居てくれると何かと心丈夫だったのですが、何年ぶりかで独身生活となると心細い気がするのは、やはり歳のせいでしょうか。
2010年03月10日
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私の教師生活の半分近くを過ごした高校が 統廃合の波にさらわれて 昨日またその門を閉じました。36年という短い生涯でした。昨夜はその記念(というのもおかしいですが)パーティーに行って来ました。 大学出たての右も左も判らない私を講師として採用してくれ、その後 別の二校で武者修行を終えた私を再度迎えてくれた学校です。鬱から少し快復した元妻を保健室のバイトに雇ってくれ、長女と次男もお世話になった学校でもありました。そんなこんなで色々ご迷惑を掛けたりお世話して下さったりの先生方ひとりひとりにお礼とお詫びを言う機会を与えられました。 教師としての私も随分好き勝手をやらせてもらいました。記念誌に私の事を書いてくれた卒業生がいます。その文章からそのまま引用してみます。 体育の先生でもないのに、とにかく自転車をこぐのが速く、何度挑戦しても追いつくことができなかった先生。その先生は授業もユニーク。映画を見て、伏線をひたすら探したり、自転車に乗って外に出て、川沿いに行き俳句を詠んだり。外に出ていくとは考えもつかず、友達と大笑いしたのを覚えている。 普通の授業ではこんなことは出来ませんが、選択国語という3年生だけの特別授業だったんです。私の前任者までは、ひたすら受験対策の問題集をやっていた時間なんですが、何をやってもいいと言われたので、映画を観たり、歌仙を巻かせたり、ゲーム感覚で日本語や文学に親しんでもらうメニューを毎時間考えて遊んでいたんです。「やったもん勝ち」的に、校外授業もやりました。「二十四の瞳」の世界に憧れがあったんです(笑) 秋の校外学習(遠足)が雨で流れ、生徒たちが「遠足 行きた~い」と言うので、考査の最終日に、卒業アルバム用の写真を撮る名目で、私のクラスだけ近くの山に遠足に行ったこともありました。他のクラスの担任も生徒達も、誰がそんな日に再集合なんかするもんかと呆れ顔でしたが、9割の生徒が来てくれました。 生徒も教職員もけっこう仲が良く、毎日が楽しい日々でした。 それはともかく、私は都合4つの高校に勤めましたが、なんとそのすべての学校が統廃合で消えてしまいました。名門校に行かなかった(行けなかった)お前が悪いのだと言われればそれまでなのですが、これってどう考えても尋常なこととは思えません。
2010年03月07日
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