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ホロゴン讃歌においでの皆さんご無沙汰しています。久しぶりに自分のブログを開いてみて、ちょっとびっくりしました。ホロゴン讃歌への寄稿は随分前に終了しましたのに、毎日たくさんの方が変わらずおいでになっている!嬉しいような、申し訳ないような。その間にHashiretaxiさんから4通ものコメントも頂きました。Hashiretaxiさんのコメントを拝見して、分かりました。私が態度をはっきりさせなかったのがまずかった!この場合、hashiretaxiさんへのお返事も兼ねて、私の決断した方針を書いておきます。1 ホロゴン讃歌は完全に終了します。2 新ブログ「わが友、ホロゴン」に専念します。3 ホロゴン讃歌の記事はおいおい新ブログに移します。Hashiretaxiさんから、両方のブログを活用する方策を教えていただきました。ほんとにありがたいことなのですが、私は常にSimple is the best.で生きてきた人間なのです。決断するときは、徹底的に決断したいと考えます。新ブログは、写真が無制限で、楽天ブログ同様、ブラックスキン、1コラムのデザインが使えます。横位置の写真がちょっと小さくなったのに最初落胆しましたが、デザイン的にはむしろすっきりしました。アクセスについても、一日一人1回カウントと極めて正確。楽天ブログでは、一日の人数は、アップする記事の回数に比例して増大。これ水増しと一緒だったのですね。今では、両ブログとも、一日わずか60人とコンスタント。これが私のブログのお客様。どこにも宣伝しませんので、純粋にリピーターだけ。日本中で、たった60人!でも、これ、私の写真にまさにふさわしい関心度、思わず笑ってしまいます。誰かの言葉ですが、「これでいいのだ!」この皆さんのために、今後もがんばりますので、よろしくお願いします。折角楽天ブログとしてかわいがっていただき、たくさんの方にお気に入りブログに入れていただいたことに感謝しています。私は、現在、その皆さんのブログをSafariのブックマークに登録して、毎日、丹念に訪問させていただいています。以上の次第です。本ブログはそのまま残しておきます。でも、新ブログにコンスタントに記事を掲載していますので、新ブログ「わが友、ホロゴン」もかわいがってあげてください。新ブログでお会いしましょう![あとがき]今回の写真は新ブログの現シリーズ「勝山廃村」の1枚。写真がほとんどグレーの亡霊と化した本ブログをこの写真が象徴しているのではないでしょうか?
2008/08/19
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本ブログは、終了とさせていただきます。その理由は、前回、描きました。新ブログ「わが友、ホロゴン」(http://ultrawide.exblog.jp/)をオープンしています。下に掲載したような、タイの古都アユタヤの古仏たちが、新ブログのこけら落としシリーズです。おいでをお待ちしています。
2008/08/14
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まず、本ブログにお越しの皆様にメッセージ。突然でありますが、本ブログは、今回を持ちまして、終了とさせていただきます。ご心配なく(誰も心配しないか?)本日、新ブログ「わが友、ホロゴン」(http://ultrawide.exblog.jp/)をオープンしています。「ホロゴン讃歌」は、すでに159日、421件の記事をアップしてきました。約1200枚程度の写真を掲載したことになります。ところが、本ブログの写真容量はたったの250枚。つまり、営々として選択し、ウェブ用に調整した900の画像は、ウェブ空間からはかなく消滅してしまったわけです。記事は制限なしに掲載できます。これもよしあしで、今は本ブログ「ホロゴン讃歌」、写真なしでは意味不明な文章の山の中にグレーゾーン、つまり写真の屍が累々とたい積する、不気味な墓場と化してしまったのです。いったんは「瞬間見捨てブログ」として雄々しく生き抜く決意をした私ですが、やっぱり我慢ができなくなりました。幸い、写真容量制限のない別のブログを創ることが可能となりました。もう一度、心機一転、これがはじめてというつもりで、新ブログ「わが友、ホロゴン」を制作いたします。本ブログの作品群もなんらかの形で新ブログにおいおい移したいものです。折角楽天ブログでご愛顧を頂いてきました皆様には、まことにもうしわけない次第です。おぎゃーっと生まれたばかりの新ブログが、すくすくと育ちますように、祈りを込めて、今回はバンコクの路地裏ですくすくと育つ幼児たちを採り上げました。バンコク、良い町なのです。では、皆さん、お元気で!またお会いしましょう!
2008/08/07
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私は、どこに行っても、小さな商店のデコレーションに強くひかれます。たいていは手作り、その国、その街、その主の個性が色濃く出ます。これが現代都市になると、もういけません。デコレーションは専門家の手に移ってしまい、ファッショナブルで挑発的ですが、ただそれだけ。心の中にぐっと食い込んでくるような人間味など、どこにも感じられません。人間の世界からロボットの世界へと移行しつつある、それが現代なのです。バンコクの路地裏のデコレーションは、それこそ手作りの極致と言いたくなります。お粗末そのもの、だけど、味があります。そんなものに惹かれるのが私なのかも?こんなものたちはどんどんと消えてゆきます。ということは、私も早晩消え去る運命なのかも?
2008/08/07
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ホロゴンは60センチ以内に迫るのが鉄則!いつもそう書いてきました。ホロゴンの被写界深度は60センチから無限大。ということは、合焦する最短距離よりも前に出て、あえてそこで撮れ、というわけです。バンコクの町中のお寺に愉快な布袋像を見つけました。折から太陽が布袋様の背後から射し込み、強烈な逆光条件での撮影です。いつもどおり、ポイントの布袋様に露出を合わせました。あとは全部捨てる、それがホロゴンのポリシー。2m、1m、最後に50センチあたりでしょうか?皆さんの好みはどれでしょうか?私の好みは言うまでもありませんね。布袋様はもとより、大蝋燭など、はっきりと被写界深度外、本来なら、はっきりぼけていいのに、お線香、花かざり、みんなピントがあっているように見えます。そして、この立体感がホロゴンの魅力。ホロゴン16ミリは現代レンズですから、もっと切れ込みのよい鮮鋭そのものの写りになるはず。ホロゴンは古代レンズなので、エッジが立たず、まったりとした味わいの丸み、ホロゴン15ミリの方が肉眼の雰囲気を再現してくれる、私は、そう信じているのですが…
2008/08/07
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第二次世界大戦後、もっとも躍進が著しいのは、なんと言っても、女性でしょう。ヨーロッパ的なヒューマニズムが世界文化と歴史に与えた影響は、甚大かつ極めて有益でした。近頃の歴史が明らかにしたことは、ヒューマニズムの根付いていない世界は、自身にとっても他にとっても破壊的であること。テロリズムやアフリカで続いているホロコーストは、心の中に歯止めになるものがないために、行き着くところまで行き着いてしまう最悪の状況。これから世界がどこに向かうか?まったく予断を許さない状態ですね。そんな中、女性の精神的な目覚めや能力の自覚は、これからの最大の救いにとなる可能性が高いように思われます。男性のように主義主張に我を忘れたり、覇権争いに心を奪われたりすることが、比較的少ないからです。バンコクでも、きびきびとして、自立心旺盛な女性を大勢見ました。でも、やっぱりタイでもっともすてきな女性は、シリキット王妃様でしょうね。
2008/08/06
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タイというのは不思議な国で、中国系の影響力が強いせいでしょうか?中国文化圏に入れてもおかしくない部分と、タイ独自の文化と言いたくなるような部分とが微妙に交錯し、曰く言い難い雰囲気を醸し出しています。路地の玄関先にもそんな文化的交錯が色濃く出ています。タイ人の心の余裕がそこかしこににじみ出ているように思える写真を、3枚アップしてみました。いかがでしょうか?
2008/08/06
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日本でも外国でも、美女に会える確率は大変に低いものです。出会ったとき、写真に撮れる確率はさらに低い。だから、ポスターで代用。とはいえ、ポスターをそのまま撮ったのじゃ、単なる盗用。周囲に融合させて、美女イメージを写真に取り込みたいものです。「掃き溜めに鶴」という言葉があります。鶴よりも掃き溜めになる可能性が高い私たちにとって、あまり愉快な言葉ではありませんが、バックグラウンドが美女と無関係であればあるほど、美女が引き立つものです。ほとんど貧民街のような路地を歩いていて、美容室にぶつかりました。2枚目にご覧いただけるとおり、ただの倉庫。それが美容室だと分かったのは、扉の裏に貼られたポスターのおかげでした。こんなスタイルに仕上げてもらえるとはとても思えませんが…
2008/08/06
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アジア諸国のあまり裕福でない家庭の子どもたち、ほとんどみんなに言えること、それは、動作がきびきびして、目が輝いていること。元気溌剌なのです。日本の子どもたちも、昔はそうだった!映画「24の瞳」をご覧になったことがありますか?あの子どもたち、現代日本の子供たちとは雰囲気が違います。むしろアジアン・チャイルド!現代日本の子どもたち、動作がけだるく、目の表情がどこか醒めている。ちっとも可愛くない!でも、これは都会の子どもたち。田舎の子どもたち、都会でもしっかりとした両親に養育されている子どもたちは、昔ながらの輝く目をしているものです。「末は博士か大臣か」の子供たちと、「親を見れば、どうせ未来は知れたもの」の子供たち、この違いでしょうか?バンコクの子どもたち、元気溌剌でした。私のお好みは2枚目の坊や。まだ3つばかりでした。このあどけない瞳、やっぱり輝いているではありませんか!ほんのちょっとおびえて見えるって?その通りです、あたりまえです。なにしろ奇妙なおじさんが、キテレツなレンズを目の前に突きつけるんだもん!
2008/08/05
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バンコクを歩いて分かったこと、それは、信仰が街全体に生きているということ。東大寺が創建された頃、奈良の都もきっとこんなだっただろう。そんな風に思わせる熱気がどのお寺も熱くしていました。確かに、どこに言ってもうんざりする位に金ぴかの黄金佛だらけ。でも、奈良の都のお寺だって、黄金佛だらけでした。祈る人たちの熱気もハンパじゃなかったでしょう。そんな風に考えると、バンコクのお寺に居ることで、奈良朝時代の日本を体験できるような感じがしてきます。残念ながら、堂内の撮影は不謹慎なので、堂外やお社でのお祈り風景を中心に、4枚ご覧頂くことにしましょう。3枚目のお供え、一体誰が食べたのでしょうね?仏様かな?
2008/08/05
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本日(もう昨日ですね)夜は、合奏練習日。8月9日に予定している二胡合奏音楽会のリハーサルでした。曲がりなりにも音楽会に3度立て続けに出る!まあ、盗人たけだけしい、いや、素人たけだけしい!これもすべて師匠に責任があるのですが、本日の練習が終わっての帰り道、先生、なんと言ったと思いますか?「プロとアマの違いは、プロは、いきなり弾いてもちゃんと弾ける。アマは、2,3回練習しないと、ちゃんと弾けない」私、ほとんど先生の首を絞める寸前をこらえて、「先生、そのアマって、僕のことですか?」「そう、「8月桂花遍地開」は2度目、「賽馬」は3度目にようやくちゃんと弾けた」「先生!」わなわなわな…「ぼくは、まだ揚琴はじめて1年ちょっとなんですよ! アマとも言えない! それを無理に出させるからじゃないですか!」先生、「ふふふふ…」このあたりの事情、写真にも通じるところがあって、全部が全部先生の責任とは言い難いところ。結局は、私が出たいから出ているだけ。泥縄も良いところなのですが、コンサートの曲を弾くために、その技術を習得する、これって、なかなか有効な方法のようです。「かわいい子には旅をさせよ」ですね。とにかく、先生、ありがとう!というわけで、バンコクに戻りましょう。お寺が、日本とはちょっと変わっています。本堂の裏あたりを歩きますと、境内が霊廟のような雰囲気。至る所に故人の写真が飾ってあるのです。しかし、私のお好みはなんと言っても1枚目。お寺の門前にいるのは、狛犬なのか、狛虎なのか?怖いというより、ちょっとユーモラスな番犬がガラスケース入り。その前のベンチのおじさまと渋い横顔がそっくりではありませんか?
2008/08/05
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タイは小乗仏教の地、修行というものが重視されているようです。ある日、仕事を捨て (あるいは休職して)、頭を丸めて、乞食僧として修行を積む、なんてことが、普通に行われるそうです。街で僧侶を見かけると、よく考えました、あの人、本職はなんだったのだろうな。でも、どの人も腰を据えてがんばっています。目つき、歩き方も堂々として、前から見ても後ろから見ても、立派なお坊さん。1枚目の女性、僧職に転じた恋人を写真の中に見つけようとしているのかな?私が一番好きな写真、実は2枚目。お坊さんが寺の隅に腰を下ろして、なにか食べ始めました。犬がやってきて、そっとねだりました。お坊さん、素知らぬ顔で、犬の口になに落としてあげます。受ける犬も、なかなかの役者、あっち向いたまま、素知らぬ顔でもぐもぐ。ご両所とも、お釈迦様でも気づくまいという風情。でも、お釈迦様ならぬ、ホロゴン様がちゃんと見ていました。私の位置は、お坊さんから7,80センチでしょうか、パチリ、1枚!撮った私本人も、お坊さんと同じ方を向いて、眼の隅の悍状体で動きを捉えてのスナップ。でも、お坊さんも犬も、私が撮っていることはちゃんと気づいていたかも?でも、どちらも立場上、気づいたとは言えぬ苦しさ。ある寺の片隅で、ある日起こった虚々実々の駆け引き。そんな私たち3人をお釈迦様が見下ろして、やさしくお笑いになっていたかも知れませんね。3枚目のすれ違う2人、俗世界では、実は恋人同士だったかも?そして、4枚目、実は1枚目の女性が探すご本人なのかも?こんな風にかってに推測しますと、写真て、飽きませんね。
2008/08/04
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北欧神話には、世界樹ユグドラシルが出てきます。インドにも、宇宙樹の信仰があるようです。仏陀はブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれたと言います。大樹信仰は世界中至る所にあるようです。巨木の前に立つと、幹の中から生命エネルギーが放射するようで、言いしれぬ感動を覚えるものです。数千年の寿命を持つ木もあるのですから、その生命力たるや、他の生物を遙かに凌駕しているわけで、信仰の対象となるのも納得できます。バンコクでも、大樹そのものや、その前に置かれた仏像などに、女性たちが盛んに祈りを捧げていました。祈る人の大半は若い女性。どうもタイでは女性の方が積極的らしいですね。
2008/08/04
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タイでは、神様もつらいのです。日本なら、お賽銭をまず賽銭箱に放り込んでから、願い事をお祈りします。かなわなかったとしても、しーらない!でも、タイでは、お賽銭、お供えなしにまず願掛けの祈りをします。もしかなえられたら、お礼を持参するのです。ということは、プレゼントの山ができているお社は願掛けがよく当たる!「あそこに行ったら、なんとかしてくれるよ」というわけです。逆に言いますと、お礼が一つも置かれていないお社って、あっという間に、誰も来なくなるのでは?このあたりの呼吸、どこかの国のお役人みたいなものです。今回アップした中で、1枚目と2枚目は、お社ではなさそう。むしろお供えなのかも知れません。とくに2枚目なんて、ゴミの山が側に。でも、3枚目のお社にはちゃんとお礼が置かれていますね。ここの神様、なんとか生活できてるみたい。でも、とってもささやかなお礼ですね。願い事もささやかだったのでしょうか?
2008/08/04
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アジア諸国、どこに行っても、兄さん、姉さんが弟妹をしっかりと守って遊んでいます。子だくさんの社会では、親は一番下の子供にかかりきりで、とても面倒みきれないからです。この習慣、実は日本にだってあったようです。ちょっと考えただけでも、このシステムにはかなりのメリット。まず、下の子は、早くから乳離れできて、自立心がつきます。兄姉は、母とは違うので、甘えることができません。兄姉は、自分の仲間と遊ぶ間に、弟妹に社会性を身につけさせ、しっかりと教育としつけをすることができます。1枚目の妹のしっかりとした表情をみてください、甘ったれた顔のへなちょこの子供なんて、見つかりっこありません。日本の30年後に未来はないのでは?そう思わせる大きな理由がここにあります。甘ったれの一人っ子ばかりが国を背負うことになったとき、一体なにが起こるのでしょうか?いや、もうすでに起こっているのではないの?
2008/08/04
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ローマ帝国の初代皇帝となったオクタビアヌスという人、私にはまったく魅力のない人物の筆頭なのですが、どうも打算だけで生き抜いたように見えて、ぜんぜんあたたかい心が感じられないせい。そんな彼にいかにもふさわしい逸話があります。ある地方都市に行った皇帝、住民が犬を抱いて歩いているのを見て、冷笑したそうです、「この町では、人間よりも犬を大切にするらしい」人も動物も心から愛したことのない人にふさわしい言葉ですね。バンコクにはさいわいこんな冷たい人はいないようで、どこに行っても、犬も猫も大事にされていました。
2008/08/03
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私は、どちらかと言うと、色彩感覚に欠けています。色数の多い写真は苦手。だから、おおむね赤一色にとどめています。仏像、神社仏閣だって、同様。京都の絢爛豪華な寺社よりも、奈良の色あせ、金箔もはがれた寺社と仏像により惹かれます。この傾向は、私に限らず、日本人に相当共通するようです。でも、世界的に見る限り、こうした傾向はむしろ少数派。バンコクのみならず、アジア諸国どこに行っても、トラックの化粧は実にきらびやかで多彩です。日本人もその影響を受けたらしく、だんだん運送トラックを化粧するようになっていますが、たいていの場合、ステンレスでしょうか、銀色一色を主体とするデコレーション。ところが、アジアではもっと強烈なる装飾を楽しんでいるようです。本日のはまだおとなしい方ですね。
2008/08/03
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マクロスイターの特技、それは美女の撮影!女性専科のカメラマンにとって、マクロスイターは絶対に見逃すことのできない最上の武器。もちろん現代のように毛穴まで写し込んでしまう、精密描写を要求するのであれば、マクロスイターに出番はありません。あくまでも美女や花たちを匂うように美しく、アートとして撮りたい、そういう願いをお持ちの方には、マクロスイターが最適。私も、かつて娘とその親友を撮って、写真集に作ってプレゼントしたことがあります。その画像のやさしさ、露をおいたような新鮮さは、他の名レンズたちとは異次元の世界でした。私にとっては、もうこのようなポートレートは無縁の世界。ひたすらロボーグラフィ専科で突き進む、それが私の前にまっすぐ開いている道なのです。でも、ときにはホロゴンで美女を撮りたいことだってあります。すると、どうなるのか?今回の3枚がその回答です。これ位のスタンスがよろしいようで。 [撮影メモ] でも、この3枚ホロゴン写真ですから、 実はご想像よりもぐっと接近戦なのです。 1枚目は、30センチから40センチのすれ違い。 3枚目は60センチの通りすがり。 2枚目でも、彼女が私を追い越した直後の1メートル以内。 実は危険な距離なのかも?
2008/08/03
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昨日、伏見稲荷の天辺近く、峠の茶屋で休憩しました。水分の出きった身体に、宇治金時をおごってあげながら、心には、レンズ談義という栄養を補給。友人曰く、「もうホロゴンだけで十分でしょ?マクロなんて撮る気、もうないでしょ?」ひょっとすると、アルパを捨て値で手に入れようという魂胆か?私も、ここは慎重に、こう答えるべきでしょう、「いや、そういうわけでもないので、時々は、マクロとか、背景をぼかした写真なんかもいいんじゃないかって…」ところが、常に直進の一枚岩で、ぼかし、いなし、うっちゃりなしという私、「そう、もうそんな気はぜんぜんないね」パンフォーカスは、私にとっては、生涯追い求めてきた理想。全部が明晰に見えている、そんな風に物事を見たい、そんな気持ちがいつも私を支配しているので、写真だって、そうでありたいのです。昨夜帰宅して、カメラの除湿庫を探してみて、アルパ用レンズのライカMアダプターが見つかりました。数万の大枚をはたいて購入しながら、使ったのは1度でしょうか?でも、これがあれば、マクロスイターをライカに付けて使えます。友人に早速電話しますと、友人、含み笑いをしながら、「なんだか困ったことになってきましたね、ライカだけで生きていこうと思っていたのにね…」さて、私の大好きなパンフォーカス写真をアップしましょう。3枚目。こんな奥行きのある写真が好きなのです。2枚目はもちろんホロゴンではありません。フレクトゴン35/2.4の開放。でも、ここにはある種の作為が感じられる。稀代の名レンズなのに、手放してしまったのも、そんな理由から。おっと、このレンズも先ほどの友人に回したんだった。
2008/08/03
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男だって、がんばっています。これが人生なのです。でも、みんなつらくても、負けていませんね。笑顔で生きるのも、苦い顔で生きるのも、その人の選択次第なのかも知れません。私は、この果物売りの男が好きですね。額に汗、つらい仕事でしょうに、にこにこと、終始笑顔を絶やさないのです。今でもがんばってるんだろうなあ...
2008/08/03
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伏見稲荷に行ってきました。おいでになった方はお分かりと思いますが、伏見稲荷の本殿から山に参道を上っていきますと、赤い鳥居が何百何千と参道の天井となって連なっています。本殿からまともに上りますと、汗をかきます。私は、お稲荷さんにこれまで7、8回は行きましたが、実はこの正式のお参りを一度もしたことがありません。伏見稲荷に隣接する名刹、東福寺の裏から一気に上る山道、この近道を常に使っています。そうすると、登りは急ですが、本殿からの道より遙かに早く、簡単に上ることができます。つまり、ほとんど汗をかいたことがありません。この山の上に、幾か所の霊場があり、お狐様と赤い鳥居がさまざまなヴァリエーションで並んでいて、とにかくフォトジェニックなのです。私はもちろんホロゴンで、友人は、マクロスイター50/1.8付きのアルパ9dと、エルマリート28/2.8付きライカM3とで、一日中猛烈に撮影をたのしみました。私はすべてホロゴンによるパンフォーカス撮影、友人は、エルマリートによるパンフォーカス撮影と、マクロスイターによるマクロ撮影。彼は3本半、私は、なんと12本、まったくべらぼうですね。帰宅して、いつもこんな風に本数を報告します。妻は、判で押したように、必ず烈火のごとく怒ります、「写真は本数じゃないの! いつまでそんなこと言ってるの!」その度に、私はにやにやします、「でも、ぼくの場合、本数なんだよ」妻の言葉に一理あることはもちろん認めます。傑作というものは、下手の鉄砲数撃ちゃあたる式には撮れないものです。でも、私の写真は、すでにご承知のように、傑作なんて皆無!文字通り、全作品がこの「下手の鉄砲」なのです。だから、本数がまさに大切なのです。考えてみれば、本数が大切なものは沢山あります。バンコクの市場のお店のほとんどが、そんなお店。一ヶ月に数点売れれば食っていける、なんてうそぶける、日本の骨董品店や画商のようなお店は一軒もありません。毎日、薄利多売で、とにかく売って売って売りまくらなければなりません。でも、女主人たちのどっしりとした落ち着きはどうでしょうか?なんだかバンコクの人たちの人生観、価値観、日本人の私たちとはちょっと違うようですね。
2008/08/02
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本日は、伏見稲荷に行ってきます。ご存知、お稲荷さんの本場。数知れぬお狐様がほの暗い森の中に並んでいて、異様と言えば、異様、森厳と言えば、森厳、幽明と言えば、幽明。とにかくフォトジェニック。私の友人の一人など、商人ではないのですが、正月の初詣を欠かしません。私は初詣をしませんので、お稲荷さんもちょっと冷たい表情。でも、何度来たか分かりませんが、かつては長焦点で、あるいは標準レンズで、さまざまのお気に入りを撮ってきました。いわば、私にとってはA級フォトエリア。でも、ホロゴンを使うようになってからは遠ざかっていました。なぜか、理由は不明。今回は、友人と一緒に、ご機嫌うかがいに参ります、「お久しぶり、元気?」お稲荷さん、どんな風に応えてくれるでしょうか?さて、バンコクに戻りましょう。バンコクの市場には行商もやってきて、その多彩さは第一級と折り紙付けたいところ。サンプルを3つ見ていただきましょう。私のお気に入りは?このブログに少し慣れた方なら、お分かりでしょうね。
2008/08/02
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明日は土曜日、私にとっては、週1の撮影日。相棒は28ミリ一本付けたライカM3を使います。この世にこんな良い人がいるだろうか?いつもそう思うのですが、意外や意外、実に見事な写真をなにげなくすっと撮ってしまう名人。以前は50ミリの達人でしたが、28ミリを使うようになって、彼の写真はさらに深化しました。私は大手ギャラリーで彼の写真展をするのが夢なのです。彼とは10年以上、撮影に付き合ってきました。私にとって、写真撮影は最上の喜び。仕事のことも、揚琴のことも、ブログのことも、静(私が愛する娘)のことも、妻のことも(おっと、これはない!)、みんな忘れ(ごめん!)、写真に没頭する日です。ところが、忘れられないことが一つあります。食べ物のこと。友人はなんとグルメなのです。それも贅沢なご馳走に食指を動かす、スノッブなグルメではなく、なんでも美味しく食べる上での工夫に喜びを見いだす、正真正銘の食通グルメ。でも、手に負えないのは、彼、撮影しながら、私が頼みもしないのに、美味しい食べ物のことを実に雄弁に語ってくれるのです。おかげで、撮影に注ぐ注意力は本来の3割程度でしょうか?そんな彼がバンコクに来れば、きっとさまざまな食材に目を見張ることでしょう。バンコクは一人旅、グルメに注意を逸らせることなく、順調に撮影しました。いや増しにおしよせる買い物客でごった返す市場入り口で、品物を受け渡しする手際の良さ!バンコクの市場はまさにお昼なのでした。 [ちょっと一言] 友人のことをこんな風にあからさまに書いてよいのか? よいのです。 彼は、毎日の仕事の疲れで、夜はグルメに専念、 おかげで、私のブログを見る時間はまったくなし。 知らぬが仏です。 今後も彼のことは書くことでしょう。 よろしく
2008/08/02
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どこの国に行っても、面白いのがマネキン。お国柄がしっかりと出ます。ネパールなんて、たいていの場合、ゴム人形でした。日本のマネキンは、近頃は女性をリアルに再現するものだそうで、はっきり言って、気持ちが悪いですね。バンコクのマネキンを見ていますと、タイの人って、こんな風貌がいいのかなと、なんだか分かってくるような。しかし、その方向性が日本とは逆なのが、楽しいですね。日本では、女性たちはどちらかというと、穏やかな風貌なので、よりドラマチックな容貌を求める傾向があります。ところが、タイの女性は、目鼻立ちがくっきりとして、日本女性よりもぐっとドラマチック。なんでも行き過ぎは困りものなのでしょう、マネキンは実物よりもぐっと穏やかなのです。その逆で、派手一方なのはTシャツ。なんともサイケデリックで、私に言わせれば、悪趣味。亜熱帯の気候に、こうしたけばけばしい色彩が似合うようで、沖縄でも同じような色彩感覚が見られました。そんな中にドラエモンが混じっているのですから、ご愛敬。ドラエモンは嫌いではありませんが、こうどこの国に行っても、日本の漫画が普及しているのは、世界中の人たちが漫画文化の影響にさらされてゆくようで、ちょっと怖い感じがします。
2008/08/01
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アジアの諸都市での約2週間の旅を終えて帰宅するたびに、妻がびっくりしました。「なんなの? 真っ黒になって!どちらが前か後ろか、分からないじゃないの!」確かに、タイも赤道近くなのです。強烈な陽光! 強烈なる暑熱!だから、アジアの一人旅の最低条件は、暑さに強いこと!私は、さいわい暑さ寒さに関係なく、元気いっぱい。旅の間、休みなく、撮影をひたすら強行。でも、この旅では、大きな誤算がありました。バンコクには無数のマーケットがあり、大変に面白い被写体がごろごろ転がっています。ところが、アーケードやパラソルで、ちゃんと日よけをしているのです。おかげで、ホロゴン15ミリF8のような暗いレンズは、シャッター速度がぐんと落ちてしまいます。それなのに、精密描写を狙って、ASA感度100のプロビアを持参してしまったのです。おかげで、シャッター速度は、8分の1秒から30分の1秒。帰宅して現像から上がってきたフィルムをルーペでのぞいて、文字通りのけぞりました。大半が手ぶれまたは被写体ぶれだったのです。今回以降しばらく、そんな暗いマーケットを採り上げます。ちょっと暗い気持ちで...もっともっと面白い写真が撮れていたのですが、たいていは3枚目同様に、ぶれていて、とても写真とは言い難い状態。さて、気を取り直して、まずパラソルから見ていただきましょう。
2008/08/01
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閉ざされた扉、窓、壁などを撮るのが大好きです。その向こうに、私がついに知ることのできない、未知の世界を感じさせるからでしょうか?それとも、住む人の心を感じることができるからでしょうか?数知れず、扉を撮ってきました。別に扉研究をしているわけではありません。美しい扉なんか、お呼びじゃありません。私が撮りたいのは、人の手が入り、くたびれて、どこか奇妙な扉。今にも、ばあっと人が飛び出てきそうな扉。でも、実際に飛び出てこられたら、これは困りますね。奈良郊外の僻村を撮っていたときのこと。絵に描いたような、傾いて崩れかけた廃屋がありました。以前にも撮ったことがあります。家の周囲に障壁はなく、荒れ果てた草ぼうぼうの敷地。裏に回ると、家半分の壁はおそらく焼失して、青い作業用ビニール幕がかけられています。てっきり無住だと信じていました。家の裏側に、玄関とおぼしき、木製の滑り戸、開けようとすれば、がたぴしバタンと外れてしまいそう。これは面白いとホロゴンで撮影したその瞬間です、戸がほんとうにがたぴしと開きはじめ、中年の男がもそっと顔を出したではありませんか?私、すかさず、「こんにちは」がたぴしが先に来たので、この一瞬の間合いに、心の準備ができました。でも、がたぴしなしに、まず、顔が現れたりしたら、そりゃ、びっくりしたことでしょうね。
2008/08/01
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私の大好きなロボーグラフィ・ワールド。「私だけが大好きな」と言い換えるべきでしょうね。ブログをはじめて見て、前から分かっていたことを、改めてもう一度確認しました。私の写真はほとんど誰にもアピールしない!ブログを始めて5ヶ月がたちました。ほんの一握りの物好きさん(ごめんなさい、あなたのことです)が来るだけで、ずっと独り言を反復しているようなものです。この独り言、397回になりました。千枚以上の写真をアップしたことになります。でも、この独り言、随分、私には役に立っています。自分の写真をしっかりと見直すチャンスになっていますし、自分の写真が少し見えてきたような気もします。そうなのだ、僕の写真は写真の脇道みたいなもので、これを面白いと感じる方は、私に似て、ちょっと変わっているんだ。でも、こんな風に並べてみると、ぼくはずっと同じ写真を撮っていることが分かる。どうやら、僕自身がぜんぜん成長していないせいだろうか?などと、殊勝に反省しながらも、実は、悦に入っているのです。なぜって、私は、素人ですから、自分のためだけに写真を撮り、はなっから人にアピールするような写真を撮るつもりがないからです。それなのに、人にアピールするようでは、私の志が廃るというものです。というわけで、私の方針をここで再確認すべく、今回からしばらく、暗い裏通りに突入することにしました。
2008/07/31
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3枚目をご覧ください。私がこれまで書いてきたことを、この1枚で表されていると思いませんか?壁際に立つ美しい踊り手は、誇らしげだけど、孤独。女性としての美しさとはほど遠い扮装だけど、鼓笛手たちには、仲間が居る。こんな風に見えてくるのは、結局、着物のせい。着物一つで、人間がらりと変わります。詐欺師は、高級仕立ての背広に身を包んで、立派な紳士、本物の傑物が、よれよれのTシャツ、Gパン姿で、どう見ても、ただのおっさん、なんてことはいくらでもあります。その意味で、このお祭りの演出家、相当ものの分かった人物と見えますね。ドラマチックにピラミッド構造を作って、お祭りを気品あるものに仕立てようという演出。でも、結局はみんな仲良しの高校生たち。最後は、寺院の中庭に集合して、先生が記念撮影。その撮影が終わった瞬間、先生の後ろから、どこの国の人間とも知れぬ、おっさんが一人、レンズがあるのかないのか分からぬ、奇怪なカメラを手に登場!みんなににっこり笑って、カメラも見ずに、一枚、シャッターを切りました。この少女たち、快く応じてくれました。どうですか?みんな、なんて可愛いのでしょう!でも、よく考えますと、6年後の今、彼女たちは立派な大人。今でも時折、あのおっさんはなんだったのか、と、思い出しては、いぶかしく思っているかも知れません。まして、思ってもいないでしょうね、自分たちの美しい姿が日本のブログに登場しているとは!
2008/07/31
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人生失敗したな!そんな風に感じることがありませんか?私は、ほんのちょっぴりあります。運動神経零だった私(実はこれ思いこみだったのですが)、腕白遊びは沢山やりました。でも、野球のようなチームゲームはついにせずじまい。長じても、読書、音楽に浸りきり、成人後、麻雀、テニス、ゴルフのような集団ゲームもすべて忌避。常に一人でできることだけを楽しんできました。別に孤独な人間だったわけではないのですが、他の人間と協調する、競争することはすべて避けてきました。選んだ職業がまた悪かった。多くの人と一つの目的に向かって共同作業をする性質の仕事なのですが、就職1年目からずっと、常にリーダーシップをとり続け、私と同等または優等の能力がある人が加わっても、職責上、絶対に主導権を渡さず、最終決断も一人でやるという因果な職業。これじゃまるで唯我独尊じゃないか?そうお感じでしょうが、そんな人間にならなかったのは、私が絶対に勝てない人が一人いたから。たいていの男性、即座にピンと来ますよね、そう、妻です。この妻、ちょっと例外的な人物で、生涯、これ以上強烈なる意志力と知能と変革能力をもった女性を知りません。これじゃ、負けるのが当たり前です。ですが、油断すると、どんどん家事が私にのしかかってきますので、負けてはおれません、毎日丁々発止!おかげで、ますます修羅場に強い人間になってしまいました。ホロゴンのような超接近撮影を必要とするレンズを使ううえで、これが大変に役立っていることは疑いがありません。でも、もっと穏和、控えめで協調性のある人間だったら、もっと別な人生を楽しめたなあ、そんな風に感じるのです。バンコクのお祭りでも、鼓笛手たちを見ていて、素敵な人生経験を積んだなあと感じさせられました。常に、他の人に、他の音に気を配り、調子を揃えて、美しいリズムを打ち出さなければならないのです。仕事を終えた鼓笛手たち、疲れてはいるけど、その全身からは、充足感が立ちのぼっていました。リズムの余韻で、心が躍っているのです。私が感じたことがない、なにかを楽しんだのだなあ!
2008/07/31
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石垣島を訪れたときのことです。このときも爽快なお祭りに遭遇しました。幾十という団体があちこちからやってきて、それぞれに工夫を凝らした振り付けで踊りながら道を行進するのです。このときも、カメラマンはほとんど居らず、自由に車道に出て、ホロゴンで肉迫できました。いつかこのときの写真もアップすることにしましょう。行進は広大な公園で終わります。到着した団体は次々とこの広場でクライマックスのダンスを披露。颯爽として、ひときわ切れ味のよい踊りを披露した団体がありました。なんとカンフー流の振り付けなのです。動きがぴたりと決まる瞬間のかっこよさには、しびれましたね。この踊りの中に男女それぞれ一人、顔、姿、動き三拍子揃って際だつ人物が居ました。後でその理由に思い当たりました。心身ともに完全に踊り手に成りきっていたのですね。お祭りのたびに、そんな「鶏群一鶴」の人物に出会うものです。前回にも前々回にもそんな人物が居ました。今回も、2枚目の先頭の少女、幼くして、すでに美女の風格十分!
2008/07/31
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笑ってしまったのは、打楽器セクション。行進しながら、さまざまな打楽器をにぎやかに演奏しつつ、私に向かって前進してきた、一隊。私は、もちろん、列と列の隙間ができれば、祭列の真っ正面に戻って、最接近で一枚だけ撮影を反復していました。打楽器隊の中央の大型のふっくらさん、可愛いじゃありませんか!先頭の花形セクションに入れなくても、そんなこと気にしない!花形の踊り手たちと比べますと、こちらも大変に可愛い笑顔の少女たちですが、どこかそこはかとなく、庶民的ですね。私は、この子たちの方が好みだな。と言っても、まったくの部外者なので、無関係ではありますが。まあ、そんなことはどうでもいいでしょう。とにかく、この子に限らず、みんな、いかにもおおらかで、タフ!もちろんその音楽は、元気いっぱい、リズミックで、楽しげでした。
2008/07/30
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私は、お祭りが好きではありません。前にも、それは書きました。人が集まるところは、できるだけ避ける、それが私の鉄則。ところが、一人旅をしていますと、よく起こるのですが、お祭りの方が私の周りに突然進入してくるのです。そんなときは、お天道様ありがとう、と、遠慮なく撮影させていただきます。そんなお祭り、たいてい、部外者は私一人、もちろん撮影する人なんていません。だから、私もお祭りの一員のような形になってしまいます。バンコクでもそうでした。大通りを歩いていると、突如、交差点を曲がって、祭列が出現して、にぎやかな囃し太鼓に合わせて踊る少女たちが、私に向かってにこやかに進んでくるではありませんか!当然、車両運行もお休みとなりますので、私、堂々と車道に入り込み、少女たちの真っ正面に待ちかまえて、70センチばかりの距離までひきつけて、一枚頂き、さっと身を翻して、邪魔にならぬように横にどけ、もう一枚頂きました。最前列の少女たちをよーくご覧ください。一人一人がその堂々たる姿全体で意思表示しているではありませんか?「私って、このお祭りのヒロインなのよ」近くの大寺院のお祭りのようで、祭列はその寺院を終点とするのですが、お祭りの構成員はおそらく高校生。どうしてこんな風に構成されたのか、まったく見当がつきませんが、どうも同じ高校に属するようです。これから見ていただきますように、どうも少女たちの容姿がパートの選択基準になっているようです。もっとも美しく着飾って、祭列の先頭を切るのは、おそらく学校きっての美女たち!こんなお祭りにも、陰では渦巻いているのか知れません、さまざまに悲喜こもごもの人間模様が… 1枚目の左2人、抜群に可愛いじゃありませんか?
2008/07/30
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写真に性格、人間性が出てしまう、そう幾度も書きました。諸刃の剣のような表現です。自分の写真にそれが跳ね返ってくるのですから。私は、ブログを始めるとき、その点は覚悟を決めました。もともと開けっぴろげな性格です。なに遠慮がいりましょう。妻は、私を評して、「西部劇のセットみたい」「どういう意味なの?」「裏がない」私は、これを良い意味にとりたいのですが、私の妻はあまり人を褒めないたちなので、ひょっとすると、「薄っぺらい」と言いたかったのかも?私が写真を好きになったのも、この薄っぺらさに共感してかも知れません。でも、お分かりのように、書き割りかも知れませんが、見た目の画像それ自体は、立体的で質感に富んだ重厚な描写を好んでいます。しかも、画面全体にものたちが充満する描写。本日はそんな写真を3枚選んでみました。2枚目の運河小レストランの片隅。このレストランのご主人がどんな性格か?この写真からちょっと推測してみたら、面白いですよ。
2008/07/30
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バンコクの王宮近くの通りを歩いているとき、背後から、規則正しい足音が追いついてきました、ざっざっざっざっ、ざっざっざっざっ…日本では聞き慣れない足音なので、思わず振り返りました。兵士たちだったのです。いやあ、たくましくて大きい!175から180はありそうです。しかも、胸板の厚いこと!思わず、たじたじっと道路脇に待避しなりながら、そこはそれ、ニアミス状態を演出して、80センチ位の距離で、一枚スナップさせていただきました。しばらく行くと、木陰に昼寝の男。平日なのに、のんきなものです。こちらは余裕を持って、男の上空から一枚。でも、どこの国でも、そうですが、やっぱり女性の方が印象的ですね。昔、3歳の甥に尋ねたことがありました、「男の子と女の子、どっちが好き?」即座に答えました、「女の子」「どうして?」「だって、ぼく、男の子だもん!」ま、そういうわけです。あしからず。
2008/07/29
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樋口一葉の「たけくらべ」お読みになったことがありますか?その女主人公「みどり」日本文学が生んだ最高のヒロイン、私はそう考えています。一葉は、みどりのことをこう表現します。「切れ離れよき気象を喜ばぬ人なし」よく、江戸時代の文学に、「小股の切れ上がったよい女」という言葉が出てきます。なんのことか、はっきりと説明できる表現ではなさそう。でも、なんだか、感じはよく分かります。私は、みどりが成人すると、そうなるんだろうな、そう想像しています。というのは、一葉は、みどりの外見をこう描くのです。「色白に鼻筋とほりて、口ものは小さからねど締まりたれば醜くからず、一つ一つは取り立てては美人の鑑カガミに遠けれど、ものいふ声の細くすずしき、人を見る目の愛嬌あふれて、身のこなしの活き活きしたるは快き物なり」目に見えるようじゃありませんか?でも、そんな少女が成人して人生経験を積むにつれて、小股の切れ上がったよい女になっていく、みどりはなにかしらそれを予感して、暗い気持ちにかられるのです。バンコクで、「小股の切れ上がったよい女」って、こんな女性のことじゃなかろうか、と、思わず目を見張るような、切れ味のよい女性に幾度も出会いました。そんな女性たちとほぼ60センチ前後の距離で、すれ違いざまに撮った写真を見ていただきましょう。
2008/07/29
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いつも思うのですが、金や地位と良い人間性とは反比例するようです。失うものが少ない人、より多くのものを得たいと思うことがない人、そんな人の方が、心広く、人にやさしいようです。アジアの諸都市のいわば低所得者層の路地を歩いてきました。なぜかいやな思い一つしたことがありません。よそ者と見て、白眼視したり、だまそうとしたり、そんな人に出会ったことはほとんどありません。むしろ信用のおけそうな容姿風貌の人間、そんな人間をこそ気をつけることにしています。逆に、人が悪そうな奴がかえって信頼できる。なにかを人から得たいと考える人間は外観を気にするのに対して、そんな欲望のない人間は外観をつくろわないからです。これは、私が人生で手に入れた認識の一つ。タイでもそうでした。運河沿いの、文字通り「赤貧洗うがごとき」スラムを通り抜けました。ありあわせの木片の不細工で不安定な寄せ木細工の通路、その両側は、なんと段ボールの家なのです。あんまり狭いので、寝ている人の足が通路ににょきっと出ています。私が通りあぐねていると、次の家から顔を出した男がにっこり笑って、遠慮なく通ったらいいよというジェスチャー。水と緑はやはり人の心を洗うようですね。
2008/07/29
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古い運河沿いって、どの町でも同じような環境にあるようです。町の血脈として、盛んに往来され、運河沿いに貧しい民衆の生活の場ができあがるようです。毎日、ホテルから出て、バンコクの路地裏を訪ねてあちこちさまよいます。でも、ちょっと憩いが欲しくなると、運河地帯に帰ってくるのです。屋台店のような小レストランで昼食を食べることもあります。清潔ではないのかも知れません。でも、とても安くて、結構おいしいのです。そのうえ、私は、アジアでの一人旅で、お腹を壊したことが一度もないのです。ついでに、不眠便秘も経験なしという、実に健康的な生活を享受してきました。私は、善良なる精神生活の故であると信じたいのですが、単なる身体的遺伝のせいかも?理由はともかく、バンコクは、私のような人間には大変に居心地のよい町なのです。水と緑、これは人間には最高の環境のようですね。どうですか?美女までくつろいでしまって!
2008/07/28
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前にも書きましたが、私は仏教徒ではありません。仏教の勉強をしたこともないので、仏教についてとやかく言える資格はないのですが、タイの寺院をいろいろ訪ねてみますと、そのあまりの金色絢爛にちょっと面くらいますね。私は、子供の頃から奈良のお寺に親しんできた人間です。まだ小学生の頃、父に連れられて、唐招提寺の鑑真和上像を特別に拝観させていただいたことを今でもはっきりと覚えています。父の同僚たち10人ばかりと一緒に、暗いお堂に入りました。寺僧が厨子のようなものを開いたと思います。さほど大きからぬ和上像が暗がりにほのかに浮かび上がり、みんなで像を囲んで、じっと見守りました。古い古い彫像でした。奈良のお寺は、薬師寺をのぞけば、ほとんど例外なく、古色蒼然。奈良にある黄金佛はみんな色あせています。この古色が仏様をありがたいものにしている、そう日本人は考えています。でも、タイ人は違います。おそらく仏像の本体は古いものであるはず。でも、全部金無垢のものばかりでなく、そうでないものも、たった今作られたばかりのような金色燦然。そして、どの寺院も熱烈なる祈りを捧げる参拝客でごった返しています。仏教は、この国では生きているのです。昔、ロマン・ローラン(もうほとんど忘れ去られた文豪ですね)の好著、「ラーマクリシュナとヴィヴェカーナンダ」で読みました、インドの聖者ラーマクリシュナは、悟った瞬間に、目もくらむような光に包まれ、恍惚となったと言います。私の勝手な推測ですが、黄金色は、悟りの光明を意味しているのではないでしょうか?
2008/07/28
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もう一度、ハヌーマンに登場してもらいましょう。ハヌーマンが登場する叙事詩「ラーマーヤナ」は、以前、翻訳で読みかけたことがあります。インドの叙事詩には、「マハーバーラタ」というのもあります。長大広大無辺、とても他の国の叙事詩とは比較になりません。ネパールで、お祭りに出会い、「マハーバーラタ」を吟唱する催しを見ることができましたが、老人がぼそぼそぼそと果てしなく読み続けるだけ、正直なところ、随分退屈だなあという印象でした。「ラーマーヤナ」はもう少し短いようですが、ちょっと退屈で、最後まで読み続けるだけの興味がわかなかったことを覚えています。その中で、ハヌーマンはいわばトリックスターとしてがんばります。そして、タイまで来て、まあえらいことですね。巨大なストゥーパを一生懸命支えているじゃないですか!とくに二枚目のなんか、ちょっとあごが出た感じ。でも、三枚目で立ち直っています。改めて言いたいですね、「ご苦労さん!」
2008/07/28
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蓮の花が見事な細工のお盆に盛られて、盛んに献花されています。その配置にはさりげない美意識が絡んでいるようですね。ハノイ、香港、バンコクなど、東南アジアの市場を歩きますと、野菜や魚の配列に、これと同様に、驚くべき工夫が見られることがよくあります。青梗菜がくるりと輪舞するように置かれていたり、トマトが見事な形で積まれていたり、各種の魚が色彩感覚豊かにトレイを埋めていたり、と、なんだか崩したくないほどに完璧なのです。それじゃ売れませんから、ひょっとすると逆効果?そんな美しいプレゼンテーションを見るたびに、つくづくと考えるのです。日本人が世界で一番繊細な美意識を持つ、そう豪語する日本人がよくいますが、ほんとにそうかな?
2008/07/28
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高校、大学の時代を黄金の時として過ごす方は多いようです。私は元来組織に属することができない人間であるうえ、受験戦争、資格取得と続くと、とても黄金の時とは言い難い時代であったように記憶しています。そんな私のオアシスは、高校時代は読書、大学時代は読書と音楽、しかも、その愛読書がカール・ヤスパースの哲学3部作、愛聴レコードがワーグナーの楽劇だったのですから、随分根暗な学生だったように見えそうです。でも、当時から、というより、幼少時から、私は、常に明るく、精神的にはタフだったようです。でも、見かけでは、タイの学生たちの方がもっとタフに見えます。手足が大変に長く、すくすくと育った感じ。女子大生でしょうか?段に座って、ガイドから説明を受けているのですが、長い脚をきちんと揃えて横に流し、大変に行儀がよろしい。まちがっても、東南アジアお得意のお便所座りなんかしそうにありませんね。でも、説明そっちのけで、私に向かってチーズするあたり、かわいいじゃありませんか…
2008/07/27
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私は生涯お金とはあまり縁のない生活をしてきたのですが、タイに来て、大いに金を手に入れて帰ることができました。ただし、写真の中に。金色の寺院、ストゥーパが林立する光景は、いかに金の嫌いな人間でも、魅力を感じないではおれません。要するに、徹底的にやれば、どんなことにも美学が生まれるようです。金色燦然たる壁面を主題に3枚選んでいました。例によって、私の自写像もあります。この像から私のことをあれこれ復元しようと思っても、それは無理。でも、かろうじてノーファインダーの姿は識別できるようですね。
2008/07/27
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猛暑という言葉は今年の夏のためにあったのですね!尋常の暑さではありませんね。でも、この暑さに負けてなんかいられません。やることが一杯あるのですから!私は、長い間、夏には2週間海外旅行をして、このときだけは写真家になった気分となって、写真三昧に浸ることを習慣としてきました。例外なく80本から130本の収穫を持って帰国しました。これでどこかコンテストに応募しようとか、写真展をしようと考えもしなかったのですから、私は、帰国すると、完全に素人に戻っていた訳です。以前にそんな夏の収穫からハノイをお送りしました。今回は、タイのバンコクを採り上げることにしましょう。いやあ、バンコクは、暑い暑い夏でした!今年の日本なんか比べものになりません。でも、実質10日ちょっとしかないのです。毎日、朝から日没まで、営々と歩き続ける毎日でした。最初にすっ飛んでいったのは、王宮。ワットプラケーオと呼ばれる黄金寺院を撮影したかったのです。叙事詩ラーマーヤナの主要脇役がハヌーマン。孫悟空とおそらく祖先を一緒にする猿人。寺院に林立するストゥーパをハヌーマンが支えています。その華麗にして豪快な雰囲気はたまりません。まず、ハヌーマンお二方に登場願いましょう。
2008/07/27
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陳少林先生は気迫に満ちた人物です。その演奏の姿も気迫に満ちたもので、心にぐいぐいと、音楽が突き通って来ます。今、日本人にはほとんど見られないタイプ。維新の志士や、今では韓国人や中国人。先生曰く「日本人男性の気がどんどん弱くなっています。二胡を勉強しても、すぐにくじけてやめてしまいます。その点、女性はがんばります」まことに恥ずかしいことですが、その通りです。このまま行くと、日本はどうなってしまうのでしょうね?今回の演奏会も、先生をのぞく参加者18人中、男はたった2人。男性は笛子と揚琴と伴奏セクション、真紅のチャイナドレスに身を包んだ美女16人に囲まれて、濃紺の中華服に身を包んだ先生は、颯爽たる姿でした。先生の横に控えてサポートする女性はひときわ美しいのですが、黒々と輝くつぶらな瞳は、ときに観衆をぎらりと眺め回し、まことに迫力がありました。やっぱり先生の観察はあたっているようです。そんな迫力ある女の子たちで、本シリーズは締めくくることにしましょう。バイクがなぜここに?バイクは、もちろん女性ですよ!
2008/07/27
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私はもともと大変な上がり屋なのです。たとえば、結婚式の挨拶。もう考えただけで、震えてしまいます。どんなときに上がらないか?考えてみました。自分の得意な仕事で、十分準備して事に当たったとき。「良宵」の伴奏はどうでしょう?毎日平均10回以上練習しました。それを3ヶ月、とすると、千回以上になるではありませんか!ホロゴンという15ミリの超広角を習得するために、私が考えた方法は、まさに千本フィルムを撮ることでした。なんだ、ここでも同じ方法だったのです。完全に暗譜して、千回も練習すると、失敗するという可能性が消えてしまったようです。もちろん音楽としてに表現は初心者そのもの。これからの課題です。でも、一応の演奏なら、なんとかできるようになっているのです。暗譜をして演奏したことのある人ならお分かりのはずです。それまでばらばらだった曲が、最初から最後まで一つながりになってしまうのです。そこで、ホロゴンに戻って考えてみました。私はホロゴンをノーファインダーで撮っています。でも、トリミングはしません。全部写ってしまったのだから、全部引き受けてしまおうということですが、反面では、余分なものは写らなくなったという考え方もできます。このあたり、千本切りの練習効果かも知れませんね。そんな風にして撮った写真、4枚セットでお送りしましょう。みんな伏見の路傍点景。こんなものを写真に撮るのですから、私って、ちょっと変わっているのかも知れませんね。
2008/07/27
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またも参加してしまいました、陳少林二胡チャリティ演奏会。前回のコンサートの後、先生からこう勧められたのです。「2曲だけでいいからね。神戸の揚琴は奈良に置いてある揚琴よりずっといいよ。それに、楽器というものは人に聞かせる機会があればあるほど、巧くなりますよ」こう言うのを「口車」と申します。身の程知らずにほいほいと「じゃ、やってみましょうか?」その揚琴がどんな音をだすのか、聞いてみたくなったのです。私の参加予定曲はたった2曲、前回も伴奏した「良宵」ともう一つは定番の「賽馬」「賽馬」の方はたった3週間で暗譜しなければなりません。ほいほいと承諾したものの、四苦八苦の3週間でした。三宮駅近くの巨大なショッピングモール、センタープラザの肝いりで、チャリティ演奏会を、センタープラザの2階フロアーと1階入り口で2回行いました。陳少林先生、生徒さん18人を率いても合奏です。演奏(私参加のものをのぞく)は実に素敵なものでした。二胡の合奏をお聴きになった方、おいででしょうか?まず音程が合わないと、そもそも合奏が成立しません。でも、フレットのない二胡で正しい音程で弾くのは至難なのです。そのため、そんな合奏グループは日本にはあまりありません。そんなに簡単に女子十二楽坊は作れないというわけです。私の「良宵」の伴奏はどうだったかって?はじめて1年3ヶ月の初心者なのですよ、陳少林先生、思えば、日本で一番下手な伴奏者と演奏したことになります。なんとか間違わずに弾き終わりましたが、冷や汗もの。ところが、ああ、それなのに、それなのに、私は、前回同様、びくっとも上がらないのです。我ながら、笑ってしまいます。前回が、私の生まれて初めての演奏会でした。今回がまさに生まれて二度目。センター街の土曜日の人通りをほとんどせき止めんばかりに、黒山の人だかりとなった観客が数メートル手前でじっと見つめているのに、下手な演奏を平気な顔してやってしまうのですから、私のホロゴン写真とほとんど同じ雰囲気。でも、下手でもなんでもいいのです、気持ちがいいですから。口幅ったいことを言わせていただきますが、「火事場の馬鹿力」みたいなものです、緊張して集中すると、前回同様に、6小節に及ぶ揚琴だけの前奏部分を、練習時に出したことがないほどの、やさしい音色で弾くことができました。もうそれだけで、後の演奏がどうだったかなんて、知ったことか!そんな次第で、今回のブログはちょっとアート系にしてみました。しっかりちくはぐなところ、私の伴奏そっくり!
2008/07/26
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ブログを制作するという行動に大変矛盾することを書きます。私は、写真作品を制作するのではなく、自分自身の記録を撮っているというようなことを書きました。でも、たとえば、旅に出て、一日10本のフィルムを消費しても、実は極めて短い瞬間の記録でしかないのです。たとえば、10本のフィルム全部を125分の1秒で撮ったとしましょう。360コマなので、撮影の瞬間を集めても、実は、2.88秒にしかなりません。別の見方をしてみます。1日10時間撮影に費やしたとしましょう。そうすると、1時間に1本、つまり100秒に1回、シャッターを切ったことになります。私は、どんどん移動します。したがって、残りの99秒の観察は写真にならずじまい。全人生を写真で記録するなんて、とても無理なわけです。でも、こんなことはたいしたことではないのです。私は、人、物、情景に出会った瞬間に、あるときは、なんの感動も感じません。そんなときに、写真を撮っても、無意味。でも、あるときだけ、わけもなく、心を揺さぶられます。動かない物であっても、そのものと出会った瞬間に、なにかを感じることがあります。その瞬間すかさずシャッターを落とします。どなたもそうなのだと思います。写真の裏に、常に、心を揺さぶられた撮影者自身が隠されているのです。写真を見ても、そんな撮影者の思いを感じていただくのはとても無理。だから、私は、自分の写真は大変にプライベートなものだと考えています。言い換えれば、私にしか意味がない。なぜって、私は、自分の写真を見ると、いつも、撮ったときの自分を懐かしく思い出すことができるのですから。だから、私は、私の写真が誰からも認知されなくてもいいのです。私が認知できる限り…そんな懐かしい瞬間の3枚をアップしてみました。置物たちだって、なにか感じているみたいではありませんか!獅子は美女たちに、狸は椿に、そして犬は、招き猫の彼女が見ているので、がんばっているみたい...
2008/07/26
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随分昔になりますが、どこかで読んだことがあります、大阪は世界一緑の少ない大都市である。東京には皇居がありますから、比率としては随分助かっているわけで、もし皇居がなければ、東京も、そんなに自慢できるほどではありません。大阪にはそのような緑の公共空間がないので、今でも殺伐とした感じは否めません。その点、緑が多いのは京都。さまざまな公共スペース、公園、社寺仏閣に加えて、京都市内はもとより、郊外の伏見の町にも、路地路地をさまざまな植栽が潤いを与えています。でも、ときにその動機に疑いを持つことがあると書きますと、京都の人は反感を抱かれるかも知れませんね。俗にウナギの寝床と言われる町家の作りは、ほんの小さな余地しか、中庭に残さないのです。おかげで、緑や花を楽しもうとすると、家屋の正面スペースだけということになります。すると、何が起こるか?見栄の張り合い、です。関東の友人がぼやいていました。あるとき、住宅地の一軒が電飾を始めたのです。あっと言う間にイルミネーションは住宅地に蔓延し、クリスマスともなると、彼の家とほか数軒をのぞいて、誰も歩かぬ住宅街は、キンキンキラキラと、電飾の花盛り!なんたる電力の無駄遣い!だから、私は神戸のルミナリエなど、絶対に撮りません。路地の花盛りは、たとえ見栄の張り合いだとしても、電飾よりはるかに健全で、生物界にも文化にも貢献してくれます。そんな植栽のサンプルを3枚見ていただきましょう。乱雑、無造作に見えて、なかなか芸の細かいところが見えるではありませんか?
2008/07/25
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伏見の運河近くには名だたる酒蔵が集まっているようです。私は、アルコールは好きなのですが、日本酒は長い間大嫌いでした。あの「お流れ頂戴」というのが、気持ちが悪くて!プライベートに、好きなだけ、好きなリズムで呑める、ジョッキ・麦酒かウィスキーが私のお気に入りでした。「まあ、まあ、一杯」とお猪口を差し出されても、かたくなに「私は日本酒が呑めませんので」これ一本で通してしまいました。このあたり、組織についに組み込まれることを拒んだ人間の、いわば、悲しいサガ!「長いものに巻かれろ」式遊泳法を真っ向から否定したのですから。もっとも、酒蔵で利き酒というのなら、嫌いではありません。でも、伏見に来た目的は写真探訪。飲み過ぎると、写真まで千鳥足になりかねません。というわけで、酒蔵もちょっとのぞいただけで、さらりと外に流れ出しました。私の前に外に出ようとする、後ろ姿の美しい女性、ややふらついておられるように見えました。利き酒が効いてきたのでしょうか?河童のカップルが「かっぽれかっぽれ」はしゃいでいるのは当然として、伏見のお屋敷の塀までが千鳥足に見えるのは、私の呑めないひがみ故でしょうか?
2008/07/25
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「人間40になれば、自分の顔に責任をもたなければならない」こう言ったのは、言わずと知れた、大統領リンカーン。私、この言葉が大嫌い。自分に見えない顔にまで責任を持たされてたまるか!でも、現実には、人に出会うと、その顔と振る舞いを一瞬見ただけで、その人がどの程度の人か、分かってしまうものです。私など、それを判断の重要なファクターとして仕事をしてきました。顔に、その人の人生、識見、品格、人柄、感情、健康がぜんぶ顕れてしまう、これは本当に怖いことです。「人が、顔をむき出しにするという恥ずかしいことがなぜできるか、理解できない」そんな言葉を吐いた人もいるようです。でも、これは顔だけではありませんね。すべてのことについて、それが言えそうです。人がすることすべてについて、その人の人生、識見、品格、人柄をあらわにしてしまう。怖いですね。たとえば、写真だってそうです。私がブログでやっていること、これも実は自分をぜんぶさらけ出すこと。その上、文章まで付けるのです。眼力のある人はもう私の人間性を完全に裸にしてしまっているはず。それが分かっているのに、ブログを続ける。これまさに匿名のおかげなのでしょう。長々とろくでもない言葉を続けましたが、これすべて前置き。私の言いたかったこと、それは玄関の中には、その家の伝統、家風、住んでいる人の人柄があらわになるようなものがあるということ。本日の写真をごらんください。普通の民家です。でも、ここまで家のファサード(正面)がしっくりとかみ合うようになるまで、どれくらいの歳月、どれくらいの努力が必要だったのでしょう?なにかしら言いしれぬ重厚感が漂っているではありませんか?
2008/07/25
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