2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全17件 (17件中 1-17件目)
1
本日行われた春の選抜高校野球2回戦、沖縄代表の八重山商工は善戦及ばず強豪横浜高校に破れた。 NHKの「人間ドキュメント」という番組で見たのだが、八重山商工は沖縄本島ではなく石垣島の学校。歴史上最も本土から離れた出場校として話題になった。野球エリートを全国からかき集めるのがなかば常識化している昨今、選手達の殆どは石垣島の子供達だ。 名前はど忘れしてしまったが、この八重山の監督はもう20年以上も石垣島で野球を教えている。八重山高校だけではなくて、小学生や中学生のチームも教えているのだ。今回の選抜出場チームの実に半数は、彼が小・中と手塩にかけて育ててきた子供達だ。まるで夢のような話しではないか。おそらく全国を探しても、小学校から教えた子供達と一緒に甲子園に出場した監督は過去いないのではないだろうか。 練習内容も全国の強豪校に決してひけを取らない。休みは大晦日と元旦の二日のみ。練習は朝6時半から、授業を挟んで夜は9時、10時まで続く。 バッティング練習時は、通常よりも1.5倍重いバットを使用し、スイングを鍛える。圧巻だったのはシートノック。なんと腰にひもで古タイヤを結びつけ、そのタイヤを引きずりながらノックを受けるという、野球漫画を地でいくような練習をしているのだ。あんな練習は「キャプテン」や「プレイボール」(ちばあきお作)の中でしか拝めないと思っていたが、実際にやっている学校があったとは・・・本当にたいしたものだ。 結果的には横浜高校に6-7の一点差で惜しくも敗れたが、小学校から習い続けた監督と共に厳しい練習に耐えて出場を勝ち取ったその姿には、なにか思わず応援したくなるようなひたむきさを感じた。八重山ナイン、夏もまた出場目指して頑張れ~!
2006年03月29日
![]()
今日は結局日フィル演奏会に行けなかった・・・パイプオルガンによる宇宙戦艦ヤマトの「白色彗星のテーマ」聴きたかったなあ。レビューをお待ちいただいていた皆様、誠に申し訳ありません・・・次回がいつになるか分りませんが、次は必ず聴いてみたいと思います! ところで、関東も桜が見頃になって来た。このブログを書くようになって三度目の桜の季節。毎年のことだが、桜を見ながら何を聴いたらよいかいつも考えてしまう。 毎年書いてきたが、マーレリアンの端くれとして桜の花の舞い散る下で「大地の歌」終楽章「告別」の終結部が聴けたらといつも夢想してしまう。あの爛熟を極めた管弦楽と共に謳われる詩ののなんと見事なことか。 Die liebe Erde Alluberall (なつかしい大地には、春が来れば) Bluht auf im Lenz und grunt aufs neu! (いたる所に花が咲き、新たな緑が萌えいずるのだ!) Alluberall und ewig blauen licht die Fernen! (見はるかす限り、どこまでも 永遠に青く輝くのだ!) Ewig・・・ewig・・・ (永遠に・・・永遠に・・・) 上記終結部に辿り着くまで結構長い道のりがあるのだが、桜の樹の下で聴きたいのは終楽章中間部のIch wandleあたりから。それまでずっと暗かった曲調に春の光が差し、ふわっと明るくなる場面。そこから終局までの僅か5分足らずが、月明かりの下で見る桜に最も似合うといつも思うのだが、皆様はどうお考えになるだろうか。 ※以下、昨年の日記再録です。 いよいよ東京の桜も満開。昼間の桜は春の光を浴びてまぶしいが、夜の桜も様々な灯りの中でおぼろげに美しい。先日読んだ本に、日本人が桜に「散る美学」を見始めたのは、実は江戸時代くらいからであった、という指摘があり、もっとかなり昔からそうした意識が連綿と続いてきたと思っていた私には結構ショックだった。言うまでもなく桜は平安の昔から日本人が最も愛してきた花だが、その頃の文学や詩歌における桜の表現は「咲き誇る花=生命力の美」という傾向が殆どであるという。では「散る美学」としての誕生はどこにあるかというと、歌舞伎の舞台装置として、主人公が倒れる時の演出に頻繁に使われ、それがために人々の間に「桜=悲壮美」という意識が定着していったのではないか、と述べられている。そしてその意識は明治・大正・昭和と軍に利用された挙句、破局を迎えるのだが、「散る美学」は深く日本人の心に残った。かくいう私もどこかでそうした意識で桜を見ている・・・。男声による「告別」の決定版です。バーンスタインも素晴らしい!マーラー:交響曲「大地の歌」 こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年03月26日
![]()
先週は本邦唯一のローマ帝国時代の拳闘士漫画「セスタス」をご紹介したが、今日はこれまた知る人ぞ知るというか知らない人は絶対に知らない漫画家、森田信吾をご紹介したい。 森田は1986年、ヤングジャンプで連載した「栄光なき天才たち」でデビュー。その後はほぼ一貫して時代劇画(侍)をテーマにした作品を書き続けてきた。 「栄光なき天才たち」は主に歴史に名を残さない、埋もれた天才達を一話完結で紹介するシリーズで、確か17巻まで続くロングセラーになった。第一巻で登場するのは・エリシャ・グレイ・古橋廣之進・エヴァリスト・ガロア・エンリコ・フェルミ・鈴木梅太郎・サチェル・ペイジ・人見絹枝・ドルトン・トランボ といった人々だが、この全てをご存じの方は相当な歴史通だ。こういう人達の喜怒哀楽の物語を、一話完結のセミドキュメンタリー手法で連載していった。(途中まで原作は伊藤智義) その後、やはり自身も歴史好きだったのだろうか、ほぼひたすら歴史漫画、それも侍漫画家として今日まで作品を発表し続けている。どちらかというとマイナー雑誌への連載が多いし、最近は斬り合いの場面でかなり血なまぐさい描写が多いのであまり知られてはいないが、戦国から江戸時代における描写力にはすでに相当な安定感があり、ついつい新作をめくってしまう。 幕末御庭番、明楽伊織の活躍を描いた「明楽と孫蔵」(全13巻)も痛快極まりない時代活劇だった。 内容的には歴史を舞台にしたフィクションが殆どなのだが、最新作の「伊庭征西日記」は実在の幕臣、伊庭八郎の生涯を描いたセミドキュメンタリーだ。 伊庭八郎は幕末江戸の四大道場である心形刀流「伊庭道場」の嫡男で、直参旗本。のちに「伊庭の小天狗」と謳われる孤高の天才剣士である彼は、時勢の激しい変化に苦悩しながら最後まで幕府に仕え、戊辰戦争から函館五稜郭まで、ひたすら武士としての生き様を貫き通す。 明治維新を勝者側である薩長側から見るのは痛快だし面白いが、敗者には敗者なりの論理と美学があった。そうしたことをこの「伊庭征西日記」は確かな筆致で教えてくれる。幕末歴史に興味がある方にはお勧めの一冊である。 森田の作品は「明楽と孫蔵」以外はあまり長期連載がなく、マイナー誌連載が主なため漫画賞の受賞歴などもないが、歴史を題材にした漫画家として忘れてはならない一人だと私は思う。楽天にもあります伊庭征西日記楽天には文庫版があります 栄光なき天才たち(1)品切れ中のようですが・・・ 明楽と孫蔵(1)よろしければクリックをお願い致しますこちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年03月25日
![]()
先日、会社の先輩から、「最近クラシックに興味を持つようになったので、カラヤンのDVDベスト3を教えて欲しい」旨のご質問をいただいた。 まだ本当に初心者ということで、どの作曲家がどうということではなく、とりあえずご自宅の大画面TVで見栄えのするソフト、という意味だったらしい。 で、私も「カラヤン・マイベスト5」コーナーを作っているので、一応私の好きなやつをご紹介した。1.R.シュトラウス 「メタモルフォーゼン」2.ベートーヴェン 「エロイカ」(BPO100周年記念演奏会ライヴ)3.チャイコフスキー「悲愴」(WPO) という内容なのだが、あとからよくよく考えてみると、ベトちゃんやチャイコはともかく、「メタモルフォーゼン」は初心者の方にはかなり無理な選曲だった。 案の定、先輩からは「個人的好みからいえば、全く琴線に触れません」というお返事が返ってきた。そりゃそうだ、もし私が先輩の立場だとしてもあの曲はかなりきつい。これはかなり主観的な選曲なのだ。 「メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための) 」はシュトラウス最晩年の作品。連合軍の爆撃により崩壊していくドイツの諸都市を目の当たりにした作曲者の悲しい作品なのだ。弦楽器だけで演奏される20分程度の小品だが、豪華絢爛な作風のシュトラウスが最後に辿りついた枯淡の境地、とでもいうべきか、華麗さとは無縁な、真摯な心象風景が描かれる。 内容が内容だけに暗く沈うつな曲なので(美しい旋律ももちろんあるが)、とても初心者向けとはいえないのだが、カラヤンの演奏は同曲異演盤中ダントツの素晴らしさなので、ついベストとして推薦してしまった。 カラヤンはこの曲を得意中の得意とし、数度の録音があるが、このDVDは出色。普段指揮中はポーカーフェイスの彼が、珍しく感情を表出させている。クライマックスでは相当辛そうな表情になるのだが、これは他の映像ではまずありえない。 これには明確な理由があるだろう。カラヤンは戦後、ナチス党員であったということで相当マスコミに叩かれた。若かりし頃、職を得るための方便で党員登録をしたらしいが、この問題は終生彼にまとわりついた。そして彼は青年期にドイツ崩壊を実際に体験している。このメタモルフォーゼンが描く情景を、実際に自分の目で見ているのだ。おそらく指揮する間、その情景が脳裏に甦える瞬間もあったのだろう。表題曲を演奏する際、実際にその状況を体験しているか否かでは音楽も変わって当然だ。 まぁそんな内容の曲を初心者の方にお勧めするのはちょっといけませんね。先輩、申し訳ありません。とりあえず「エロイカ」と「悲愴」はだれが聞いても名曲ですので、そちらのほうからクラシックに馴染んでくださいませ~♪ 壮絶な演奏ですSMJ カラヤン/カラヤンの遺産(5) R.シュトラウス:交響詩「死と変容」、メタモルフォーゼンクリックいただけましたら幸いです
2006年03月24日

一昨日から「宇宙戦艦ヤマト」の作曲家宮川泰さんについて書いているが、にゃお10さんのページで偶然、26日に日フィルがヤマト生誕30周年記念演奏を予定していることを知った。 早速日フィルのHPを見てみると、当日の曲目は以下の通り。<指揮・ピアノ・お話>宮川彬良<ヴォーカル>ささきいさお<サクソフォン>平原まこと 〔アキラさんとともに!!ポップスの魅力〕見上げてごらん夜の星をニューシネマパラダイスさっちゃんあんたがたどこさウナ・セラ・ディ東京恋のバカンスマツケン・サンバII〔宇宙戦艦ヤマト放映30周年スペシャル!!〕無限に広がる大宇宙/宇宙戦艦ヤマトのテーマ決戦/大いなる愛/真っ赤なスカーフ白色彗星のテーマイスカンダルディンギル帝国明日への希望 S\6,200 A\5,200 B\4,200 C\3,200Ys(25歳以下)/車椅子\2,200 Gs(65歳以上)\3,200 サンデーコンサートということで、前半は親しみやすいポップスメドレー、後半がヤマト特集になっている。ヴォーカルは当然ささきいさお。 息子である宮川彬良氏にとっては、父親の葬儀翌日の演奏会であり、奇しくもまるで追悼演奏会のような趣になってしまった。 この曲目の中に、「白色彗星のテーマ」という曲がある。先日も書いたが、これは「さらば宇宙戦艦ヤマト」でパイプオルガンによって演奏されており、その圧倒的な迫力と巨大性は今でも非常に強く印象に残っている。 今回この曲はどのように演奏されるのか?どうしても知りたくなって日フィルチケットセンターに電話。チケット担当に分かるわけないわな、と思っていたらわざわざ確かめてくれた。すると・・・ なんと!今回は原曲どおり、パイプオルガンのソロで演奏されるとのことなのだ!! 東京藝術劇場の巨大な音響空間に、あのテーマが響き渡るなんて・・・ああ、聴いてみたい!!さぁ、財布と時間と相談だぁ~クリックいただけましたら幸いです
2006年03月23日
![]()
昨日逝去された作曲家宮川泰さんを偲んで「交響曲 宇宙戦艦ヤマト」を聴いた。 このアルバムは、昨日紹介している「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」とは別の作品。10年に渡った劇場版ヤマト完結編の上映に伴い、いわばヤマトの音楽の総決算として新たに作曲された作品。 この内容が凄い。「交響曲」と銘打ってあるからにはもちろん堂々とした四楽章編成。宮川泰の原曲をモチーフに、今をときめく羽田健太郎が(当時若干35歳)が作曲、演奏はなんと大友直人指揮のNHK交響楽団!なんと贅沢な布陣であろうか。 このアルバムは84年5月4日のライブ録音。・第一楽章 「誕生」においてヤマトの誕生から発進を、・第二楽章 「闘い」にて様々な闘いの様子を、・第三楽章 「祈り」にてあの有名な「イスカンダルのテーマ」を、・第四楽章 「明日への希望」にて堂々の完結を描いている。 どの楽章もヤマトの名旋律が余すところなく盛り込まれ感動的だが、特に最終楽章は当時のN響コンサートマスター徳永二男氏のヴァイオリン独奏と作曲者羽田健太郎のピアノ独奏が絡み合う二重協奏曲(ドッペル・コンチェルト)になっており、華麗かつ荘厳に全曲を締めくくる。 「たかがアニメ」にここまで真剣な情熱を注ぎ込んだ作品は他に存在しない、一聴に値する作品であると今でも思う。交響曲という形に結実させた羽田氏の手腕に脱帽すると共に、この素晴らしいメロディーを生み出した稀有の作曲家、宮川泰氏に改めて哀悼の意を表したい。宮川さん、素晴らしい音楽を本当に有り難う。 こちらです交響曲「宇宙戦艦ヤマト」なんと最近DVDにもなりました交響曲 宇宙戦艦ヤマトクリックいただけましたら幸いです
2006年03月22日
![]()
「ウナ・セラ・ディ・トウキョウ」「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者として有名な宮川泰さんが亡くなった。享年75歳。主な作品を列挙すると「恋のバカンス」「ウナセラディ東京?」「若いってすばらしい」「シビレ節」「銀色の道」「愛のフィナーレ」「宇宙戦艦ヤマト」 あたりだろうか。この作品中で特に私にとっての宮川氏は「宇宙戦艦ヤマト」の作曲家として強烈な存在である。 「さらば 地球よ~」で始まる「宇宙戦艦ヤマト」の歌は、アニメを見ていない人でも知っている人が多い。わかりやすくて躍動感のあるメロディは佐々木功の圧倒的な歌唱力と相まって当時の「マンガ主題歌」の既成概念の枠を大きく踏み越えて大ヒットした。作品と主題曲が見事にマッチした不滅の融合例と言っていいだろう。 知名度は若干落ちるが、番組終了時に流れていた「真っ赤なスカーフ」もスローバラードの名曲である。この曲には番組名や主人公の名前が一切出てこず、当時のアニメ挿入歌としてはルパン三世のエンディングと同様、かなり革新的な作りだった。 もちろんヤマトの主題歌も素晴らしいが、私が宮川氏を高く評価しているのは、そのヤマトの中で使われていた劇中音楽。ヤマト発進時や戦闘シーン、デスラー総統のテーマ音楽など、まさにどんぴしゃりの旋律を次々に紡ぎ出した。 ヤマトの長い物語の中、怒り・不安・喜び・哀しみの様々なシーンを彩るあの素晴らしい旋律群がなければ、はたしてヤマト自体もあれ程のヒットになったかどうか。あるシーンは繊細にして優美、そして別なシーンでは豪快で圧倒的なメロディーラインを私は勝手に「日本のチャイコフスキー」と称したいくらいだ。 その作品群の中で最も強烈な印象を与えてくれたのは、「さらば宇宙戦艦ヤマト」の敵役、「白色彗星帝国のテーマ」曲。なんと全編パイプオルガンによるテーマ曲なのだ。 氏曰く、「圧倒的な存在としての悪」をどう描こうかと思い悩み、普通のオーケストラ楽器を使っただけでは限界があるということで最後に辿り着いたのがパイプオルガンだったという。 私が改めてこの曲が凄いと思うのは、今聴いてもクラシックの他の作品に類似の旋律がなく、非常にオリジナリティが高いという点だ。ゆっくりと不気味で巨大な白色彗星のテーマが提示され、段々とその凶暴性が加速し、さらにその圧倒的な力強さを聞き手に印象づける素晴らしい旋律。クラシックの技法を惜しげもなく使用した素晴らしい名曲である。 氏の口癖は「誰も書いたことがないメロディを書きたい」だった。初めてヤマトの音楽に触れてから30年近く経ち、その間数多くのクラシック音楽を聴いたが、パクリと思える旋律は一つもなかった。氏の偉大さに改めて敬意を表すると共に、ご冥福を心からお祈りしたい。 このアルバムで不滅の「白色彗星のテーマ」を聴くことが出来ます!交響組曲「宇宙戦艦ヤマト」クリックいただけましたら幸いです
2006年03月21日

ちょっと先週は色々忙しくて更新が滞ってしまった。今日は週末の分をまとめて書けるかな? かなり以前に、時々お邪魔する六本木のバーでクラシックを聴いていると書いたことがある。マスターはまだ若い方で、もともとジャズには相当造詣の深い方だが、最近クラシックに目覚められてから色々着々と聴いている。 そのマスターが最近聴いた中で一番良かったと思うのは、昨年発売されたツイマーマン・ラトルのブラームスP協1番だそうだ。音質・演奏の勢い、ツイマーマンのピアノテクニックが素晴らしいとのことだ。 もちろん昨年クラシックを聴くようになってから、ベートーヴェンやチャイコをはじめ、ブラームスの交響曲も聴いておられる。その中で一番しっくりくるのがなんといってもブラームスだとのお話を聞いて、羨ましいと思った。 私がクラシックを聴いて最初にはまったのは確かチャイコの交響曲やP協で、そのあとがベートーヴェンやシベリウスだったかと思う。ブラームスの交響曲第1番は好きだったが、P協奏曲や他の交響曲がいいな、と感じられるようになったのは少なくとも2~3年あとだった。 今では大好きなブラームスも、20年近く前のその頃はくすんで地味な音楽に聞こえた。むしろワーグナーの壮大さやチャイコの流麗なメロディーラインに強く惹かれたのだ。 しかしマスターはクラシック聴き始めから、ブラームスが肌に合う、と仰っている。これは私の経験値からすれば素晴らしいことだ。というのは、一見地味に見えるが構成力に優れ、ドイツ・ロマン派音楽の雄であるブラームスが聴けると言うことは、それ以前のロマン派草創期の作曲家であるシューベルトやシューマン、ベートーヴェン、メンデルスゾーンやウエーバーなどの作品を抵抗感なく聴けるということにつながるからだ。 そういう感覚をお持ちなのは、クラシック以外の音楽に造形が深く、もともと耳が肥えているからなのだろう。私はそういう感覚がなかったので、特にブラームスについては、好きになるまでずいぶん時間がかかった記憶がある。今ではその素晴らしさに酔ってばかりいるのだが・・・クリックいただけましたら幸いです
2006年03月18日
![]()
日本の漫画が世界的に評価が高いのは、その表現世界が極めて広範囲に及んでいるからだ。およそ人類有史時代から遠い先の未来まで、ありとあらゆる物語世界が日々生まれている。 とはいえ、当然ながら外国の歴史物となると種類は少なくなる。日本人の作家が外国の歴史物を書くのは、作画資料の収集からしても困難な作業に違いない。 その中でも私の好きなローマ史劇ものに大変面白い作品がある。それが「拳闘暗黒伝 セスタス」(技来静也著)。 舞台はローマ帝国五代皇帝ネロの時代。平和に飽きたローマ市民は「パンと享楽」を享受することに狂奔していき、その代表的な催し物が剣闘士同士の命を賭けた闘いを鑑賞することだった。 そしてこの剣闘士と字が異なる「拳闘士」の試合もまた人気があった。「剣闘士」が甲冑に身を包み剣や槍で戦うのに対し、「拳闘士」たちは己の拳だけで戦う。これを「パンクラシオン」と呼び、いわば現代のボクシングの前身であった。 主人公のセスタスはまだ15歳の少年で、この拳闘を戦う拳奴(奴隷)。剣闘士も拳闘士も基本的には最下層の奴隷が戦う。彼らは自由の身を勝ち取るためにひたすら闘い、その殆どは無惨な最期を遂げていくのだ。 物語は基本的に主人公のセスタスの成長物語。類い希な拳闘能力を持つ彼は、師のザファルと共に多くの好敵手や難敵を倒しながら成長していく。 拳闘士物だと20年以上前に「聖(セイント)マッスル」という問題作があったが、あの作品はあまりにも描写力に問題があった。それに比べるとこの作者の作画力は素晴らしい。セスタスはローマやナポリ、カプアなど帝国各地を巡っていくが、その頃の市内や宮殿、市民や貴族の生活風景の作画が非常に高度で美しい。 さらに、絶妙な脚本能力によって、セスタスのまわりにまだ若いネロ皇帝や毒婦アグリッピナ、セネカや絶世の美女として名高いポッパエーナなど同時代の人々が数多く登場、否が応でもローマの歴史に詳しくなれる仕組みになっている。 連載は白泉社の漫画誌「ヤングアニマル」。小学館や集英社に比べると弱小なため、この「セスタス」の単行本自体が殆ど書店に並んでいないが、現在11巻まで刊行されている。連載では丁度ネロが自我に目覚め暴君への道を歩み始める頃になっており、物語はまだまだ盛り上がっていくだろう。この技来(わざらい)氏の作画もいよいよ流麗になりつつあり、今後が非常に楽しみな作品だ。こちらです!是非ご一読下さい!拳闘暗黒伝セスタス(11)クリックいただけましたら幸いです
2006年03月11日

エフゲニー・ムラヴィンスキーのリハーサルとコンサートを収めた9枚組み(!)CDが発売になる。 生誕100年を迎え、フルヴェンほどではないもののムラヴィンスキーも未発表音源が次々に発売されている。この人の人気も結構凄い。 彼のチャイコの5番について先日書いたばかりだが、この人の指揮は「厳しい」の一語に尽きる。よく言えばダイナミックだが、同じ民族であるはずなのに、チャイコの持つ甘さや感傷が全くといっていいほど感じられない。 彼が50年間も君臨したレニングラード・フィルはまるでマシーンのようにムラヴィンスキーの指揮に反応した。その秘密は徹底的なリハーサルにある、といわれていたが、このセットにはその風景がぎっしりと収められている。また、リハ中のムラヴィンスキーの発言も細大漏らさず日本語訳がついているとのこと。これはレコード会社も相当力が入っているようだ。 私もかなりこれには興味があるが、問題は価格。18000円という価格は最近の傾向からすれば結構高く感じてしまう。しかも9枚中5枚がリハーサル風景となると、ちょっと二の足を踏んでしまう・・・誰か近くに居る人が買ってくれないかなぁ。※9枚組みの内容は以下の通りです。[CD1]・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調(リハーサル)[初出] 収録:1973年4月25,26日[ステレオ][CD2]・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調(リハーサル)[初出] 収録:1973年4月26日[ステレオ][CD3]・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調(リハーサル)[初出] 収録:1973年4月26日[ステレオ][CD4]・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調(リハーサル)[初出] 収録:1973年5月3日[ステレオ][CD5]・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調~第2&3楽章(リハーサル)[初出] 収録:1973年5月4日[ステレオ][CD6]・リャードフ:『バーバ・ヤーガ』[初出]・グリンカ:『ルスランとリュドミラ』序曲[初出](リハーサル&セッション録音) 収録:1973年4月27日[ステレオ][CD7]・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調(セッション録音)[初出] 収録:1973年5月3日[ステレオ][CD8]・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調(コンサート) 収録:1973年4月29日[ステレオ][CD9]・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調(コンサート)[初出]・プロコフィエフ:『ロメオとジュリエット』組曲第2番(コンサート)[初出] 収録:1982年11月6日[ステレオ] レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)クリックいただけましたら幸いです
2006年03月10日
![]()
ともさんのページで知ったが、本日はアメリカの作曲家サミュエル・バーバー(1910~1981年)の誕生日。 バーバーといえばとにかく有名なのが「弦楽のためのアダージョ」。私はこの曲をクラシック好きになる前から何故か知っていた。中学か高校の学祭かなにかで聞いていたのだろうか?とにかくあの悲しげな旋律は強烈に耳に残っていた。 そしてこの曲の名を不動のものにしたのは、86年公開の映画「プラトーン」でメインテーマ曲として使用されたことだった。この曲をバックに主人公のマーチン・シーンが回想するシーンが非常に印象に残っている。 作曲は1936年ごろで、バーバー自身があのベトナム戦争を予見できたはずもないが、映画が描く悲劇的なシーンに見事にはまっていた。クラシックがあれだけ見事にはまった例としては、「2001年宇宙の旅」と「ベニスに死す」に匹敵するくらいの出来だったのではないだろうか。 本人は決して葬式とかに使うつもりで作曲したわけではないそうだが、現在でもアメリカ著名人の葬儀にはよく使われるらしい。(本人はその傾向を嫌っていたが、結局彼自身の葬儀にもバーンスタインの指揮でこの曲が使用された) 「弦楽のためのアダージョ」は1936年頃作曲された弦楽四重奏曲の第二楽章を弦楽合奏用に編曲したもの。バーバーはこの時代の人にしてはあまり実験的な技法に走らず、同じアメリカのハンソンと共に「新ロマン主義の作曲家」といわれている。ヴァイオリン・チェロ・ピアノの各協奏曲に加えて交響曲も二曲、いくつもの管弦楽曲、ピアノソナタや歌劇まで遺しており、アメリカを代表する作家なのだ。 その多作ぶりに比するとわが国ではまだまだ知名度が低いと云わざるをえないが、「弦楽のためのアダージョ」を筆頭に、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲などに大変美しい旋律がある。機会があれば是非聴いてみていただきたい。当然この中にも入っています6枚組CDに名曲・名演を100曲収録して驚きの3,000円(税込)ベスト・クラシック100 0225アップ祭5これはいいアルバムです!鎮魂/スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ@〔バーバー;弦楽のためのアダージョ/エルガ... クリックいただけましたら幸いです
2006年03月09日

NHKの「その時歴史が動いた」は好きな番組で深夜の再放送を良く見ている。30分の放映枠の中で歴史を分かりやすく紹介し、松平アナの落ち着いたナレーションも好感が持てる。 昨日の同番組は「マリアナ沖会戦への道」と題し、ゼロ戦の辿った悲劇の運命について語っていた。 ゼロ戦は、日本海軍の、いや現在でも日本の航空機の名前として最も有名な機体だ。太平洋戦争開戦当初、その驚異的な旋回性能と航続距離で日本軍の緒戦を勝利に導いた。 しかし米軍はそのゼロ戦を徹底的に研究し、それを上回る新鋭機を戦線に投入。さらに防火能力が低い致命的欠点を見抜き、複数機による一撃離脱方式を採用し、太平洋戦争中盤からゼロ戦の戦略的価値は大幅に下がってしまった。 その歴史を紹介し、ゼロ戦凋落の歴史的ターニングポイントとして昭和19年のマリアナ沖会戦を選んだのだが、どうもその会戦の紹介の仕方が気になった。 マリアナ沖会戦に空母から出撃したゼロ戦が爆装(爆弾を装着すること)していて、それが原因で(搭乗員の未熟とあいまって)どんどん撃墜された、と松平アナは述べていた。 松平アナのナレだけ聞いていると、日本の空母部隊から出撃した攻撃隊はまるでゼロ戦隊だけのように聞こえたが、実際攻撃隊というものは艦上攻撃機・艦上爆撃機・直掩機の三種類で構成される。マリアナ沖でもそのようになっていたはずで、その辺の説明が一切ないのはかなり誤解を生んだのではないか。 また、攻撃においてはゼロ戦は戦闘機であり、艦上攻撃には不向きだから、普通爆装は行わない。爆装したゼロ戦の不鮮明な写真を写しだしていたが、あれは爆弾ではなくて増槽(追加したガソリンタンク)ではなかったか。 私が読んだ書物では、マリアナ会戦時にゼロ戦パイロットの7~8割が未熟な若手搭乗員で、敵機に攻撃されても増槽を落とすことも忘れて逃げ惑い、バタバタ撃墜されたという記述があった。爆装にせよ増槽にせよ、それを装着したままでのゼロ戦の能力は半分以下になってしまうのだ・・・ あの大NHKの番組で、もしこれが間違いであったら結構きつい。あの有名な会戦において、本当に現場の司令官はゼロ戦にまで爆装を命じていたのか?ちょっと自分でも調べてみよう。 本日の日記は、分からん人には全く分からないだろうなぁ、すみません。クリックいただけましたら幸いです
2006年03月08日

昨日はキャプランについて書いた後に、久しぶりに彼の「復活」を聴いてみた。そうしたらなんだかバーンスタイン盤(87年NYP)も聞きたくなり、通して聴いてしまった。(バーンスタイン盤は第2・3楽章を飛ばしましたが) 昨日書いたとおり、キャプランはとにかくマーラーの「復活」に惚れ抜いて、この一曲だけを指揮するマーレリアン代表のようなお方。指揮するだけには飽き足らず、全世界に散らばっていたマーラーの自筆譜を蒐集して研究、遂には最も作曲者が望んだであろう形の校訂版まで出版してしまった。現在この校訂版は、ウイーンにある国際マーラー協会の認定まで受けているのだ。 対するバーンスタインのことをここであれこれ言う必要もあるまい。マーラーと同じユダヤの血が流れ、作曲家にして指揮者。マーラーとの類似点が多いのだ。そしてどんな曲に対してもそうだが、とりわけマーラーを指揮する時は圧倒的な情熱を注ぎ込んだ。世界初のマーラー全集を完成したのも彼だった。 今回二人の録音を聴いて改めて分かったのだが、やはりどんなに精通したとしてもキャプランは「一曲だけ」の指揮者だった。「復活」の一音一音を慈しみ、特に2・3楽章の美しさはその丁寧さによるものだ。 しかしあの一時間半に及ぶ長大な曲を聴衆に対して聞かせるとき、「聴かせどころ」を抉り出して提示する技にかけては、百戦錬磨のバーンスタインには敵わない。キャプランが労苦の果てに完成させた校正譜がなくても、バーンスタインはこの曲の面白さを100%聴くものに提示することが出来るのだ。 それは特に緩急のつけ方に如実に現れる。第一楽章冒頭、最終楽章冒頭の切れ込み方、最終楽章の圧倒的な光の放射は緩から急への瞬間的なスイッチの切り替え、そしてそれに機敏に反応するオケの力量と信頼関係が不可欠だが、残念ながら「一曲だけ」の客演指揮者とウイーン・フィルの間にはそれを望むべくもないのだ。 このバーンスタイン盤は、キャプランが35分で演奏している最終楽章を40分以上かけて演奏している。他の楽章は殆ど時間差がないこと、キャプランが校訂版のテンポ指定に忠実であろう事から考えれば、この最終楽章のテンポはまさにレニーがマーラーに同化するがごとくの燃焼の果てに成し得た、彼だけに許されたものなのだろう。 だからといってキャプランの壮挙が少しもその価値を失うものではない。そもそもマーラー演奏の不滅の第一人者・バーンスタインと比較するほうが無理なのだ。キャプランはいつまでもマーレリアンの星であり続けるだろう。こちらですL.バーンスタイン指揮NYP(87年録音)DG POCG1586/7クリックいただけましたら幸いです
2006年03月07日

はざくらさんからマーラーの「復活」についてご質問があり、その回答を書いているうちに、この曲にまつわる異色の指揮者、ギルバート・キャプラン氏のことを思い出した。 「指揮者」というのも一つの職業だから、自分の好きな曲だけを振っているわけにはいかない。しかしこのキャプラン氏は本業が別にあり、65年にストコフスキーが振ったマーラーの「復活」に惚れ込み、ゼロから学習してこの一曲だけの指揮者になったという漫画の主人公のような人なのだ。 もともとは経済誌の発行人として財を成し、今は人材派遣業にも手を拡げている。(ちなみに伊藤忠キャプランという派遣会社がある) とにかく「復活」に惚れ込んだ彼は、事業の傍ら私財を投じてマンツーマンで指揮の特訓を受け、20年近くを費やし83年に、遂にカーネギーホールでアメリカ交響楽団を指揮して夢を結実させたのでした。 おりしも80年代後半は日本でも空前のマーラーブームが到来し、キャプラン氏は単身来日して(確か新日フィルだったような気がする)「復活」を指揮、満員の観客から惜しみない拍手喝采を受けた。私もその演奏を聴いたが、全身から共感が迸る様な、おぉ~ここはそんなに引っ張るかい、みたいな演奏だった。まぁ全世界のマーレリアンの親玉ような方ですな。 で、87年にはその勢いでロンドン交響楽団と「復活」を録音。その後も世界各国で50回以上も「復活」を演奏。さすがに親分の活躍もここまでか、と思っていたらなんと2003年にDGからウイーン・フィルを指揮したアルバムで再度「復活」したのでした。 87年に録音まで果たしたものの、彼の「復活」にかける想いはそこで終わらなかったのです。その後さらに私財を投入し「キャプラン・ファウンデーション」を設立。世界中に散らばっていたマーラーの自筆譜11種を豊富な資金と使命感でかき集め、音楽学者と一緒になって校訂版を出版。その作業の途中でウイーン・フィルとの校訂版演奏が実現したのでした。 もう演奏はいうまでもなく共感溢れまくり、耽溺しまくり。「復活」への愛が隅々まで感じられる演奏で、これはこれで立派なマーラー指揮者の金言のような録音になっています。 クラシック好き、交響曲好きなら一度は指揮をしてみたい、と夢見るもの。しかしその中でも、複雑巨大さで一・二を争う「復活」を指揮したいと念じ、20年の歳月をかけてその夢を実現した人は他にいないだろう。 ただ一曲だけの指揮者、ギルバート・キャプラン。彼こそは世界中のマーレリアン羨望の人であるに違いない。なんとなんと楽天にもありました!【音楽CD】マーラー:交響曲 第2番 ハ短調《復活》 クリックいただけましたら幸いです
2006年03月06日

今日の朝日一面に、「東京大空襲・遺族ら国提訴へ」という記事があった。1945年3月10日、米軍のB29による無差別焼夷弾爆撃により東京一帯が火の海となり、一夜にして10万人以上の命が失われた。これを「東京大空襲」と呼ぶ。 私はこの見出しを読んだとき、遺族達がアメリカを相手に提訴に踏み切ることかと錯覚した。しかし内容は異なり、遺族は賠償・謝罪を求めて国を提訴する予定であるという。 空襲の遺族・被災者ら民間戦災者は、戦傷病者・戦没者遺族等援護法が適用される旧軍人・軍属の遺族と違って、補償が一切行われていない。焼け出されて文無しになっても、国は一切補償してくれなかったのだ。 100人を超える遺族・被災者らが問題にするのは、この差別的な取り扱いを放置してきた国の「立法不作為」の違法性。等しく戦災にあったのに、補償される者とされない者の差別を問題にするわけだ。 これは相当難しい問題だ。遺族の気持ちは十二分に理解できるが、この申し立てが通る可能性は相当低い。87年に名古屋空襲の被災者に対し、最高裁が「戦争犠牲ないし戦争損害は国民の等しく受忍しなければならなかったところ」という判決をすでにだしている。 もともと当然ながら国に責任はある。勝ち目のない戦争をだらだらと続けたせいでこの大空襲や原爆まで浴びることになってしまった。しかし戦災を受けた国民に補償を行うような余裕が戦後の日本になかったこともまた事実だ。同じ敗戦国のドイツやイタリアでも、民間被災者への補償は行っていないのではないか。 「卵が先か鶏が先か」のような議論になるが、私は軍事施設以外の大都市への無差別爆撃こそ「文明への罪」として訴追すべきだと思う。アメリカにすれば戦争をしかけた奴が悪いんだ、となって議論は堂々巡りになるが、原爆を含む大都市への無差別爆撃は「戦闘」ではなく一方的な「虐殺」であることは明白であり、意図的に民間人を虐殺していこうとした行為はナチスのユダヤ人虐殺と殆ど変わらない、と私は思っている。 今朝の記事を読んで、あの「東京大空襲」の後始末は未だに全く終わっていないのだということに改めて気づかされた。この裁判の行方を注意深く見守っていきたい。※下に昨年3月5日の日記を再掲します。興味を持って頂いた方はご覧下さい。 六本木ヒルズで「東京大空襲展」を開催しているとニュースで見た。人と人が殺し合う戦争で汚いとか酷いとか云ってもきりがないことは分かっているのだが、二発の原爆投下とこの東京大空襲を頂点とする米軍の無差別焼夷弾爆撃は、軍人や軍関連施設でない場所を恣意的に攻撃した点において、重大な戦争犯罪だと私は今も思っている。 今から60年前の3月10日未明。サイパン・テニアンから飛び立った325機のB29は一機につき約6トンの焼夷弾を積んでいた。 指揮官の第21爆撃団のルメイ少将は、それまでの爆撃効果報告から、日本の都市爆撃には高々度からの精密爆撃よりも低高度からの焼夷弾攻撃の方が効果が高いと推測していた。日本の家屋は木造が多く、通常爆弾による破壊よりも焼夷弾に因る延焼の方が被害を与えることが出来る、と計算したのだ。 それまでB29は高度8千メートルから1万メートルの高度から爆撃を行っていた。これに対する日本の迎撃体制は貧弱極まりなく、高々度迎撃用の戦闘機、レーダー、さらにはパイロットの質的低下により、B29には全く歯が立たなかった。 この3月10日、日本軍の抵抗が貧弱であると見抜いたルメイは、なんと全爆撃機から機銃を降ろし、その分余計に焼夷弾を積ませた。その結果、通常の二倍近い搭載量となった。 結果は恐ろしいものだった。二時間半の空襲で10万人が死亡、12万人が負傷。100万人が家屋を失った。東京全体の2割近い26万戸が消失した。その火災は240キロ離れても眺めることができたという、地獄の業火が東京を燃やし尽くしたのだ。 国民を守ると豪語していた日本の防空能力は全くお粗末だった。この日、米軍の出撃数325機のうち撃墜は僅かに14機。日本側は夜間飛行可能な搭乗員が少なく、40機ほどが迎撃できただけだった。 無差別で非戦闘員を殺戮した米軍には当然怒りを覚えるが、貧弱な武装で米軍と戦い、この時期すでに戦争の勝敗が決していたのになおも国民を戦争に駆り立てていた軍部の無知蒙昧と無責任さには本当に腹が立つ。 現代の戦争はどんな大義名分があっても所詮最後は非戦闘員を巻き込んでの殺戮戦になる。軍の上層部と為政者は情報を独占し、自分たちに都合の良いように国民を操る。そうならないように、為政者は常に厳しく監視されなければならないはずだ。 とにかく戦争だけは絶対に起こしてはならない、と3月10日が来ると思う。 クリックいただけましたら幸いです
2006年03月05日
![]()
昨日は「なんとなく好きな」チャイコの5番について書いた。同じように5番を好きな方がいらっしゃって、この交響曲に対する「なんとなくいいかな」感が自分だけでないことが分ってちょっとホッとしたかも。 その「なんとなく好き」感に対し、もっと明確に「この曲が大好きだ」と感じているのはマーラーの5番。現在25種類の異なる指揮者・オケによる演奏を持っていて、この先まだ増えそうな勢い。我が家のコレクションの中でも一番種類が多い。 その大好き感の根拠はなんと言っても第4楽章アダージェットの存在。あらゆる楽器を使用する交響曲の中で、ハープと弦楽器だけで奏でられるこの希有な楽章を聴きたいがために、興味のある新譜がでるとつい購入してしまうのだ。 このアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティが彼の映画「ベニスに死す」でライト・モティーフとして使用してから非常に有名になった。ゆったりとしてまるで夢を見ているような美しい旋律。約10分ちょっとの透明で繊細な音の小宇宙は何度聞いても絶対に飽きない。 マーラーの弟子でもあったクレンペラーでさえこの楽章を「まるでサロンミュージックのようだ」と言って演奏したがらなかった。現代でももちろんそうした批判は根強いが、カラヤンとベルリン・フィルの圧倒的な演奏を聴くと、これが単なるムードミュージックでないことはすぐに分る。 もちろんこの5番は、アダージェット以外にも聴き所が多い。私は特に終楽章、複雑巨大な音響装置が雪崩を打って突進するような、あの終わり方にしびれてしまう。マーラーの全交響曲中、全力疾走で走り抜けるような終わり方をするのは第一番「巨人」とこの5番しかない。アダージェットの持つゆったりとして優雅なたたずまいと、持てる力を全解放して光を放出するような疾走感を味わえるのは、実はこの5番以外にないのだ。 ではこの5番の現時点でのナンバーワン・ディスクはどれか?これを書き出すとまだまだ続いてしまうのでそれは次回にまた書いてみたい。でもアダージェットに関して言えば、とにかくカラヤンの唯一の録音に尽きる。人工的で暖かみとは縁がないが、この世のものとは思えない絶美な演奏。アダージョ・カラヤンの冒頭にも起用された、徹頭徹尾磨き抜かれた超絶技巧を、まだの方は是非一度聴いてみて頂きたい。楽天にもありました!マーラー:交響曲第5番クリックいただけましたら幸いです
2006年03月04日

以前にも書いたような気がするが、私が今まで聴いて来た交響曲の中で一番回数が多いのは、チャイコフスキーの5番。昨日も聴いてしまった。この曲を初めて聴いたのが高校三年だから、それから現在まで優に200回近くは聴いているのではないか。 なんでなんだろうといつも不思議に思うのだが、休日に自分の部屋で「なにを聴こうかな?」と考えながらCD棚の前に立ち、特にこれ、というのがないと大体チャイコの5番を引っ張り出して聴いている。4番や悲愴よりも遥かに頻度が高い。 ん~何故なんだろう?特にこの曲が抜群に優れていると感じているわけではない。私自身で作った「有名交響曲ベストテン」コーナーにも入っていない。あのゆったりとした開始から段々派手に鳴り響いていく冒頭がいいのだろうか?それとも第二楽章の有名なアンダンテ・カンタービレか?終楽章のド派手なアレグロか? もちろん上記にあげた箇所はすべていいのだけれど、なにかもう一つきちんと言い当てていない気がする。この曲を聴く時は、特に構えて「あの部分を注意して聴いてみよう」という時ではない。ただBGMとしてその音楽に格別注意を払わず、かけっぱなしにしておくのにうってつけ、というときに聴いているようなのだ。なんとなく体質に合っている、とでも云うべきなのだろうか? 尊敬するトスカニーニはこの曲のことを「不誠実な音楽」と言って嫌っていたようだ。4番ほど劇的でなく、6番ほど悲愴感もなく、そこそこ派手で、甘~い旋律も兼ね備えていて「どうです?聴きやすいでしょ?」という感じがそういう感想を言わしめたのかちょっと思い出せないが、確かにこの曲は色々取り揃えてお待ちしております、という感じがしなくもない。私はどうもそこに惹かれているようなのだが・・・ 演奏は、昔はカラヤンの録音一本やりだった。特に70年代BPOとの録音、金管ギラギラ突進タイプにしびれたものだ。最近は一昨年発売されたムラヴィンスキー1977年来日公演のCDにはまっている。ムラヴィンスキーはこの5番を何回録音したのだろうか。もしかしたら10種類は軽~く存在しているのではないか? 天皇ムラヴィンスキーのもとで一糸乱れぬ演奏を繰り広げるレニングラード・フィル。50年も一つの楽団に君臨していれば絶対君主になるのも当たり前か、みたいな強烈な統率力を発散し、それにレベルの高いオケがついていく時、空恐ろしい演奏が生まれる。(実際の恐怖政治ぶりはどうだったのだろう、という推測は取りあえず横に置いて)優美さよりもオケの機能美を堪能させてくれる演奏である。 なんだかこの週末も聴いてしまいそうな・・・ こちらです Y.ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィル (1977年 来日ライヴ録音)(ALT 052)クリックいただけましたら幸いです
2006年03月03日
全17件 (17件中 1-17件目)
1
![]()
![]()
