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「知られざる名協奏曲」第四弾はオットマール・シェックのチェロ協奏曲。 オットマール・シェック(1886-1957)はスイス人で、一般的にはリート歌曲の巨匠として知られているから、ご存じの方もいるかもしれない。ただし、このチェロ協奏曲は晩年のホルン協奏曲と共にほぼ完全に忘れ去られているが、美しい歌に溢れ忘却されるには惜しい曲なのだ。 1947年の作曲だからまだそんなに古いわけではないが、この時代の作品にしては保守的な造り。1948年にチェロの巨匠、フルニエによって初演されている。 作風は一言で言えば叙情的。リートの巨匠の作品だけあって、まるで無言歌をチェロで演奏しているような、詩的でやさしい旋律によって構成されている。全四楽章の出だしはエルガーのチェロ協奏曲を彷彿とさせるが、あれほど劇的ではない。夕暮れの湖畔に立って、日の暮れゆく情景を眺めているかの如き気分にさせてくれる。 第二楽章アンダンテはゆったりと瞑想的で、静かで美しい旋律、このあたりがシェックの真骨頂ではないか。全体的にはドイツ・ロマン派の流れを組む音楽なのだが、それ程暗いものではないのだ。惜しむらくは最終楽章が短く、第一楽章に比べやや歌に欠けること。まあそれも、この曲の聴き所を第一・第二楽章と考えれば特に気にならない。美しい曲なので機会があれば是非聴いてみて頂きたい。カップリングの「夏の夜」も名曲です! ノイス・ドイツ・カンマーアカデミー/ゴリツキ(チェロ)キングレコード KICC7028 2800円こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月30日

「知られざる交響曲シリーズ」の二曲目はエルンスト・ドホナーニ(1877-1960)の交響曲第1番。エルンスト・ドホナーニ クラシックに詳しい方ならあれっと思ったかもしれないが、このエルンストは今をときめく大指揮者、クリストフ・フォン・ドホナーニの父親。ハンガリー出身でリストの弟子ダルベール(彼のピアノ協奏曲もなかなかいい!)にピアノを習い、若い頃からブラームスに目をかけてもらったらしい。 作風はロマン派の王道を行くロマンティックな旋律で溢れており、ピアノ協奏曲第1番とこの交響曲が特に素晴らしい作品だ。交響曲2曲にピアノ協奏曲2曲、ヴァイオリン協奏曲や多数の室内楽曲まで数多くの作品を残したが、バルトークの同期生にしてはあまり強烈な個性や民族性の発露をしていないためか、その多くは現在忘れられたままとなっている。 この交響曲第1番は1900年の作品で、ブラームス風の暗く劇的な主題、マーラー風の複雑なオーケストレーション、さらに独自のロマンチシズムたっぷりの旋律で構成されている。両端楽章の劇的な表現は間違いなくブラームスの強い影響を受けており、ドイツ風の重量感のある構成はなかなかのもの。全五楽章はちょっと冗長だが交響曲好きにはたまらない作品となっている。 この時代の作品にしては保守的な作風なのだが、これはこれでロマン派の貴重な作曲家の一人だと言えるだろう。ピアノ協奏曲第1番と共に、聴いてみても損はない作品だと思う。テラークですので音質もいいです! ボトシュタイン指揮ロンドン・フィルハーモニックテラーク CD-80511 輸入盤こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月29日

「知られざる協奏曲シリーズ」の第四回目はイギリスの作曲家、スタンフォードのピアノ協奏曲を取り上げてみたい。 チャールズ・スタンフォード 「知られざる交響曲シリーズ」でパリーを紹介した時にも述べたが、イギリスは本当に知られざる作家の宝庫だ。知られざる、といっても日本人が知らないだけだろうと思われるかも知れないが、イギリスのマイナー作曲家は本当に世界的にも知られていない。 何故かというと、どうもイギリス人という人種は(ドイツ人やイタリア人と異なり)「我が道を征く」気風が非常に強く、自分たちの音楽も「分る奴さえ分ればいい」といった感じであまり輸出に熱心ではないようなのだ。要するにわざわざ苦労して国外に持って行かなくても、自分の国の聴衆が理解してくれればそれでいいじゃん、という考え方が強く、その為に世界的には殆ど知られていない作曲家がわんさかいる状況が生まれているらしい。 そしてその一人がこのチャールズ・スタンフォード(1852-1924)。エルガーとほぼ同時代人で、交響曲を実に7曲、ピアノ協奏曲2曲の他にヴァイオリン・チェロ・クラリネット・オルガンのために15曲もの協奏的作品を書いたのに、イギリス以外では殆ど無名に近い作曲家。 7つの交響曲はいずれもあまり激しさがなく穏やかで、厳しさよりもスコットランド地方の静かで美しい自然描写に力点が置かれている。しかしスタンフォードの作品の中で本当に優れているのはこのピアノ協奏曲第2番だろう。勇壮な開始部分は十分印象的だが、この作曲家の特徴は静かで夢見るような旋律にある。その意味で第二楽章のアダージョ・モルトが瞑想的で素晴らしい。 第三楽章も非常に晴れやかで、そのリズムにうきうきさせられる。ベートーヴェンやブラームスのP協のような骨太なものではなく、ラフマニノフの泥臭さが抜けて格調の高さが残ったような作風といったら誉めすぎだろうか。(作曲者もラフマニノフを高く評価していたようである) イギリスにはこの他にもまだまだ面白い作曲家が数多くいる。いずれまた紹介していきたい。詳細な日本語訳もついてます ハンドリー指揮アルスター管弦楽団/フィンガーハット(ピアノ)CHANDOS MCHAN7099 2600円こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月28日
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NHKの「功名が辻」が、本能寺の変が近付くに連れて面白くなってきた。先日TV特番で「日本人が好きな偉人100人」という番組があって、その一位が織田信長だった。彼ほど日本の歴史の中で栄光と悲劇を体現した英雄はいないだろう。 天下統一を目前にしながら非業の死を遂げた信長の「本能寺の変」は一体何故起きたのか。それこそ星の数ほどある「信長物」で様々な要因が語られているが、今回の大河ドラマでは狂気の独裁者になった信長についていけなくなった「常識人」明智光秀がついに謀反する、という説を採用しているようだ。 私が子供の頃に読んだ信長本の傾向は「光秀怨恨説」が主流だった。それまで順調に出世していた光秀が、度々信長の諌気に触れ、我慢できなくなって謀反を起こすという説だが、どうやら現在は主流ではなくなっているようだ。 現在の主流は、レベルに多少差はあるが今回のドラマで採用されている「驕る信長の狂気」に恐怖した重臣達のうち、最も力をもっていてかつ「常識人」であった光秀が謀反を起こしたのではないかという説のようだ。 石山本願寺を倒し、畿内に敵がいなくなった信長のふるまいは次第に狂気を帯び、独裁的になっていく。それまで重用していた譜代の家臣を次々に追放・粛清し自分の子供達にその領土を分け与えたり、朝廷に対しても不遜な態度を強めていく。そのため別所長治や荒木村重の謀反が起こり、そのたびに惨たらしい掃討戦が行われる。そんな信長に恐怖し、「明日は我が身」という怖れを抑えきれなくなった重臣代表・光秀が謀反するというものだ。 この説には、光秀の疑心暗鬼を巧みにあおった者として秀吉や利休が登場したり、追放された足利義昭が暗躍したりする考え方もある。明智光秀は地元・坂本では名君として領民に慕われていたし、織田軍団の中で知勇・実力・人望において最大の評価を得ていた。そんな男が生半可な考えで、ましてや信長一人を倒せばたやすく天下が転がり込むと考えるはずがない。黒幕は他にもいたか、光秀の共犯者がもっといたはずである。 そして今最も面白い説が、早くから信長を支えたイエズズ会やポルトガル商人、いわゆる南欧勢力が朝廷勢力と組んでこの謀反の黒幕となっていた、という説。これは実に斬新で面白い。 信長はイエズス会の庇護を約束し、ポルトガル商人達はこぞって信長を支援した。そのため軍団の経済力は他大名を圧倒し、早急な全国統一が可能になった。 しかしその結果信長は増長し、自らを魔王と称し、キリストも天皇も否定する方向へ踏み出そうとしていた。「裏切られた」南欧勢力と朝廷勢力、特に南欧勢力は信長亡き後の候補者を秀吉に決め、明智光秀を道化役として謀反を起こさせる・・・という筋書きだが、この説を裏付ける考証が実に緻密で素晴らしい。詳しくは「信長と十字架」(立花京子)をお読み頂きたい。 はてさてこの日本史最大の事件、真実はどこにあるのか?皆様はどのようにお考えだろうか。本当に面白い事実考証です!当時すでにキリスト教徒の勢力がこんなに強大だったとは・・信長と十字架ゲーム設定値でも光秀の能力は非常に高いのですそんな人が安易に主殺しをするでしょうか?コーエー 信長の野望 革新【PS2用】【税込】こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月27日

おさるのイタリア漫遊記Vol.17 <サッカーは戦争だ!!> いよいよワールドカップが近づき、あちこち盛り上がってきましたね~。以前にも書きましたが、おさるがいた時期はちょうどメキシコ大会が開催され、イタリアは決勝まで進んだものの惜しくもペレのブラジルに屈したのでした。 皆様よ~くご存知の通り、とにかくイタリア人はサッカーが大好き。日本の国技が何故か相撲ということになっていても殆どの国民は相撲をとることはありませんが、イタリア人は男女共にサッカーに熱中します。まさにイタリアの国技といえばサッカーでしょう。 おさるが今でも謎だと思うのは、サッカーにおけるイタリア人気質。通常イタリア人はなにごとにもルーズでいいかげんでのんびり、というのが通り相場なのに、ことサッカーになると全く逆に変貌するのです。 イタリアチームの伝統的戦術が、よく知られている「カテナーチョ」。ゴールに鍵をかける、という意味で使われていますが、ようするに貝のように固くゴールを守るといこと。守って守って守り抜き、カウンター一発で勝利する、というのがイタリアチーム不変の戦術と言われています。 しかし守るというのは相手に即して動きを決めていくから、実に繊細で周到な計画性と、相手のプレッシャーに耐え抜く忍耐力が必須。日頃陽気でいいかげんなイタリア人が、サッカーになると緻密で忍耐力のある人種に変貌するのは本当に不思議です。 おさるはおさる父に連れられて二回、ローマのスタジオ・オリンピコに試合を見に行きました。イタリアというかヨーロッパのサッカー場に行かれた方はご承知でしょうが、あちらでのサッカーの試合はまさに国と国、都市対都市の「闘い」の場です。チームは皆その所属する都市の歴史を背負っており、試合になるとその誇りと意地が激突するのです。その激しさは巨人対阪神の比ではありません。もうまさに戦争です。 応援歌を謳っているくらいなら可愛いのですが、発炎筒を焚き、相手チームをののしり、試合中も相手チームの選手がボールを持つとブーイングの嵐。自分のチームが負けようものなら遠慮なく罵詈雑言が降り注ぎます。乱闘も日常茶飯事、いやぁ怖いのなんの。 おさるはゴール裏の芝生席の前の方にいたのですが、そこにいると後ろや上の席の連中が投げるモノ(新聞紙や食い残しや飲料の缶)が振ってきます。まわりには屈強な男たち(上半身ハダカの人もいました)が目を血走らせ、何に怒っているのかこぶしを突き上げて絶叫しています。まだ小さいおさるは恐ろしくて試合観戦どころではなく、とにかく試合が早く終わることを祈っておりました。なので試合結果は全く覚えていません。多分ローマ対フィオレンティーナだったような気がするのですが・・・ あの生きた心地がしなかったスタジオ・オリンピコを思い出す度に、おさるは日本人の試合観戦マナーの良さに惚れ惚れします。どちらが良いのかは好き好きなのかもしれませんが。 もしよろしければ、こちらもどうぞおさるのイタリア漫遊記 へおさるのイタリア漫遊記・2へ こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月23日

ここのところどうも週末はだるくて微熱が出たりし、今ひとつページ更新が滞りがち。今夜もこんな時間から更新してみよう・・・ さて、「知られざる協奏曲シリーズ」の第三回は日本人作曲家。知られざる名曲には日本人作曲家の作品も数多く存在していると思うので、このシリーズに少しづつ登場させていきたい。 現在はもう少しお年をめされてますが・・・ 三枝成彰のヴァイオリン協奏曲「雪に覆われた伝説~シベリウスへの墓碑銘」は1991年11月7日の初演をCD化したもので、HBC(北海道放送)の創立40周年委嘱作品。 北海道のイメージと重なる雪に覆われた国、フィンランドの大作曲家シベリウス。彼のヴァイオリン協奏曲冒頭主題と似たような音型で始まり、あの寂しい中にも情熱的な音楽を模したような、ロマンティックな協奏曲に仕上がっている。 全体は26分、三楽章切れ目なく演奏される。吉松隆は「難解音楽撲滅」を主張、クラシックは分りやすくて美しい旋律から構成されるべきで、難解な現代音楽は淘汰されるべきだと訴えているが、三枝氏も同じように、「ロマンティックの復権」をことある事に主張している。弦を多用し、非常に甘美な旋律は氏独特のものがある。 この協奏曲、三枝が音楽を担当した「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」と作曲時期が重なっているらしく、似たような旋律があちこちに出てきて思わず笑ってしまう。「シベリウスへの墓碑銘」という仰々しい副題がかえって敬遠されている原因だと思うが、曲は全編、雪に閉ざされた仄暗い雰囲気の中に、情熱的なソロ・ヴァイオリンの旋律がうねり、終盤には「三枝メロディ」による劇的なクライマックスを形作る。非常に分りやすく、もっともっと聴かれてもいい曲だと思う。 三枝氏とは一度仕事でお話を聞く機会があった。オペラ「忠臣蔵」の初演の頃で、非常にエネルギッシュで、「日本のクラシック界の構造を変えたい」と意気盛んであった。最近あまりTV等でもお見かけしないが、お元気だろうか。未完のピアノ協奏曲やチェロ協奏曲もあるようなので、是非発表して頂きたいものだ。 堤俊作指揮/札幌交響楽団/深山尚久(ヴァイオリン)東芝EMI TOCZ-9181 3000円こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月21日

知られざるシリーズで協奏曲が続いたので、そろそろ我が本分である交響曲を・・・チャールズ・パリーエルガーに似てますね 「知られざる交響曲」の栄えある(勝手に言ってますが)第一回はチャールズ・パリー(サー・チャールズ・ヒューバート・パリー(Sir Charles Hubert Hastings Parry, 1848年~1918年)はイギリスの作曲家。プロムスで毎年演奏される《イェルサレム》によってイギリスでは超有名な作曲家だが、日本では全く無名に近い。 イギリスは交響曲好きには本当に面白い国だ。日本ではエルガーしか知られていないが、19世紀末にパリー、マッケンジー、スタンフォード等素晴らしい作曲家を排出している。さらにディーリアス、ホルストらを加えて名作の宝庫であり、その輝きはドイツ・オーストリアやフランスに決してひけをとらない豪華さなのに、何故か日本では殆ど知られていない。 このパリーは交響曲を5曲残しているが、私が大好きなのはなんといっても彼が36歳の時に発表したこの第一番。なんとすがすがしい開始、この出だしは一度聴いたら絶対に忘れられない!ドイツ・オーストリア系のように沈鬱・劇的な開始ではなく、弦を主体にした美しい出だしは、爽やかな朝の目覚めにぴったりなのだ。メンデルスゾーンが19世紀末に甦ったようだ、と言っても決して言いすぎではない颯爽とした美しさ。エルガーともまた異なる爽やかさだ。 パリーの作曲家デビューは34歳のピアノ協奏曲、と遅咲きであったが、その後数々の合唱曲や管弦楽曲によりイギリス楽壇の中心となり、王立音楽院の学長、オックスフォード大学音楽科教授などを歴任した。9歳違いのエルガーに比べると音楽は保守的で劇的さには欠けるが、ブラームスやシューマンと比べても十分鑑賞に値する素晴らしいロマン派の一人だと思う。 ここで紹介しているニンバス盤はこの交響曲の1991年の世界初録音。今は無きボウトンの指揮は、後のバーメルトによるシャンドスによる全集よりもたっぷりと旋律を謳わせ、はるかに素晴らしい。朝の心地よい目覚めから始まり、終楽章は堂々としてまるでイングランドの夕焼けを見るようだ。 後のエルガーが金管楽器の扱い方にその天才を発揮したのに比べ、パリーは弦楽器を多用している分響きは保守的だが、この美しさは特筆に値する。是非ともお聴き頂きたい、大英帝国の素晴らしき遺産である。 残念ながら楽天にはありません・・・ ウイリアム・ボウトン指揮/イングリッシュ交響楽団ニンバス NI52962800円こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月17日

なにはともあれW杯日本代表23人、決定おめでとうございます。個人的には松井と久保が選ばれなかったのは驚きましたが、まぁもうこの23人でやるっきゃないでしょう、ということですよね。 で、本日お昼のニュースで、サッカー日本代表6人が天皇陛下と会見した、というニュースにびっくり。いやぁ、万事前例主義で手回しののろい宮内庁、この異例の早業は何!?もちろん会見スケジュールはきちんと以前から組んであるのだけれど、代表決定翌日という手回しの良さには驚いた。 中田・宮本以外のメンバーは分からなかったが、インタビューに答える川口キャプテンの嬉しそうな顔。そりゃそうだ、天皇陛下との会見ですよ。金を積んだから出来るというものではありません。疑うことなく現在の日本で会見難易度ナンバーワンの存在ですよ。 一昔前は「謁見」と言ったものです。園遊会や、オリンピックのメダリストを招くということは今までもあったけれど、予選突破も出来るかどうかわからないチーム員を大会前に激励してくれるというのは、皇室も随分フランクになったもんです。 会見は45分間、と報道されていたような気がするが、陛下からはブラジル選手の名前とか出たのだろうか。明日のスポーツ紙が楽しみ~。こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月16日

「知られざる協奏曲」シリーズの第二回はフバイのヴァイオリン協奏曲を取り上げたい。イエネー・フバイもっと若い頃の写真が見たかったですな イエネー・フバイ(1858~1937)は19世紀におけるハンガリー音楽の輝かしい成功者としてヴァイオリン奏者の間では知名度は高いものの、今現在のクラシック界ではかなり忘れられた存在になりつつある。CDではアンコール用の小品などがあちこちに見受けられるが、今回のヴァイオリン協奏曲は殆どカタログには載っていない。 ハンガリー国立歌劇場のコンサートマスターであった父親から英才教育を受け、11歳で楽壇デビューを果たしたという、モシュコフスキと似たような神童であったらしい。その後順当に音楽を学び、ヨーゼフ・ヨアヒム(彼のヴァイオリン協奏曲も素晴らしい!)に薫陶を受けた。自身は作曲家・演奏家として活躍し、門下生にはヨーゼフ・シゲティや後に指揮者となったオーマンディらがいる。 このフバイのヴァイオリン協奏曲を初めて聴いた時、「あぁこの人はヴァイオリンという楽器の隅々まで知りぬいた人なんだろうなぁ」というのが第一印象だった。壮大なところは壮大に、繊細な部分は繊細に。全く無理がないというか、非常に自然に音楽が流れていくのだ。 作曲家といっても得手不得手な楽器というものがある。演奏家サイドからすれば、ものすごく無茶な指示を出すスコアを提示されると、「こいつは楽器を知らねえな」となる。スコア上では可能でも、実際に弾くには相当無理な曲というのも存在するのだ。 このフバイのヴァイオリン協奏曲第一番は、自身がヴァイオリニストだけあって本当にこの楽器の能力を無理なく華麗に引き出している曲だと感じる。そしてリズミカルなハンガリーっぽさ。壮大な第一楽章、瞑想的な第二楽章が特に素晴らしく、個人的には第三楽章がちょっと甘過ぎて物足りない気がするが、その点を差し引いても素晴らしい曲だ。最近、ハイペリオンから新譜が出たばかりなので、興味のある方は聴いてみて頂きたい。第二番も入っていてお得です! ブラビンズ指揮/BBCスコッティッシュ交響楽団/ハガイ・シャハム(ヴァイオリン)ハイペリオン CDA674982800円 こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月15日

ここのところちょっと微熱があったりしてPCに向かっていなかったが、以前からやってみようと考えていた「知られざる交響曲・協奏曲シリーズ」を開始してみたい。 いわゆる名曲・名作曲家として名高い人達は、クラシック音楽の歴史の中でむしろ少数。これは例えば、戦後漫画の歴史に置き換えてみれば分りやすいだろう。戦後60年、手塚治虫が作った漫画の歴史の中で、数百・数千人の漫画家が誕生し、そして消えていった。10年・20年前の作家達のうち、今でも単行本が発売されているのはほんの一握りの人気作家達だけだ。むしろ時間の経過の中に埋もれ、忘れ去られていった作家達の方が圧倒的に多いのは誰にでも理解できるだろう。 クラシックも同じである。「我こそはベートーヴェンの後を継ぐ者」と野心を抱いて作品を発表しても、続々と天才達が出現し、そうではない人間達の作品は今日殆ど演奏されることはない。しかし、そうした中にも忘れ去るには惜しい、きらりと光る素晴らしい作品が埋もれているのだ。 名曲や高名な作曲家達については、すでに他のブログで語られているので、このシリーズでは本当に希少な作品、しかしCDになっていて誰でも聴くことの出来る作品を紹介していきたい。これは自分のライブラリーをWEB上に整理していく作業でもあるのだ。 さて、では「知られざる協奏曲」の第一回はモシュコフスキのヴァイオリン協奏曲を取り上げてみたい。モーリッツ・モシュコフスキ まさに19世紀ドイツ人、というかんじですなぁ モーリッツ・モシュコフスキ(1854~1925)はポーランド系ドイツ人。13歳ですでにピアノ五重奏曲を作曲していた程ピアノの才能に恵まれており、後に作曲の傍らヨーロッパ各地を演奏旅行したほどの腕前であったという。ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲の他に数多くのピアノソロ作品や管弦楽曲、交響曲も二曲あったらしいが、その殆どは現在めったに演奏されず、ピアノソロ作品以外はほとんど録音もされていない。 ちなみに、200曲以上ののピアノ小品を残しており、《花火》作品36-6や4手のための《スペイン舞曲》作品12(1876年出版)は有名。ホロヴィッツやアムランらが《15の超絶技巧練習曲 15 Études de Virtuositié》作品72を好んで弾いている。 その僅かに録音が存在するのがこのヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲ホ長調。両曲共に、19世紀末の爛熟した世相を見事に反映した、華麗で甘美な曲想を備えた傑作。知名度ではピアノ協奏曲のほうがかなり上のようだが・・・ ヴァイオリン協奏曲の出だしは「さぁ、これからお伽の国に参りましょう」とでも言うような颯爽として華麗な開始。決して力まない、明るさに満ちたパッセージが次々と溢れ、聴く者を飽きさせない。なんと幸福感に満ちた楽章なのだろう・・・ 第二楽章は前の楽章でちょっとはしゃぎすぎたので、ここらでちょっと物憂げに一休みしましょうか、でも決して暗くなったりはしませんよ、という感じでゆったりとさせてくれる。喧騒を忘れ、優しく甘いヴァイオリンの音色にひたすら酔えばいい、という表現がぴったりな楽章。 そして第三楽章はもう豪華絢爛、ヴァイオリンのヴィルトゥオージーティ(名人芸)をたっぷり楽しんでくださいな的「お楽しみ」の旋律盛りだくさん。難しいことは申しません、オーケストラとヴァイオリンの名人芸をたっぷりお楽しみ下さい、みたいな音楽が展開するのだ。 ピアノ協奏曲もそうなのだが、このモシュコフスキの音楽は本当に超ド級のポジティブ・シンキングに貫かれている。豪華華麗な曲想には聴き手を不安にさせる一点の曇りもない。これは、6歳違いのマーラーがその作品の中で繰り返し訴え続けた不安感や焦燥感とあまりにかけ離れているのだ。 この違いが何故生まれたのか、という点は書き始めると長くなるので割愛するが、マーラーが19世紀末に、すでに厭世観を主題にした曲を作ったのに対し、モシュコフスキは爛熟の極みに達した世情を見事に旋律化した作品を作った、全く正反対のベクトルを持った作曲家だったといえるのではないか。 「クラシック音楽」が思想や高邁な理想を具現化しているというのは一部の聴き手の勝手な思いこみである。モシュコフスキのような、ひたすらに華麗な旋律を愉しませるという作曲家も数多く存在したし、聴き手はその時の気分で音楽を選べばいい。であれば、モシュコフスキの音楽はもっと聴かれてもいいはずだ。カップリングのカルヴォーヴィチも素晴らしい! ブラビンズ指揮/BBCスコッティッシュ響/リトル(ヴァイオリン)ハイオペリオン CDA673892820円 こちらが入手しやすいピアノ協奏曲です!これも素晴らしい!! ヴィト指揮/ポーランド国立カトヴィツエ交響楽団/パブリク(ピアノ)ナクソス 8.553989 990円こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月14日

先日映画「プロデューサーズ」を見た。クラシック好きなのにオペラは見ない、イコールミュージカルも見ないという「集団劇嫌い」な自分だが、世評も大変高いので空いた時間に滑り込んで見ることが出来た。 最高に面白かった。涙を流して笑ったのは実に久しぶりである。伝統的なアメリカ喜劇のドタバタはもちろん、お下品なギャグのてんこ盛り、そしてゴージャスな映像・・・しかしこの作品の凄さは、アメリカ社会に存在するありとあらゆる差別や社会問題をこれでもかと突っ込んで風刺し、さらにそれらを笑いのめしている点にある。ゲイ、マザコン、ナチス、老人問題、人種差別・・・日本では絶対に自主規制してしまうようなネタのオンパレードなのだ。 (ほぼネタばれです、すみません)先ず主人公のプロデューサーズ二名は、片や大嘘つきで金のことしか考えていないデブの中年。もう一人は世間知らずの青白い超マザコン青年。この二人が「絶対に大コケするミュージカル」をわざと立ち上げて、一人暮らしの老婦人たちから巻き上げた出資金200万ドルをネコババしようと企む。 絶対にコケるために選んだ最低の脚本が、なんとあのヒトラーを賛美するというとんでも作品。作者は伝書鳩と暮らすイカレたナチス崇拝者。さらに最低の演出家に選ばれたのが名高いゲイの演出家。現在ではかなり状況は変わったが、この作品の初演時(1968年)にヒトラーを賛美する、という着想はたとえ映画の中とはいえ限りなくタブーに近かったはず。 さらにゲイの演出家にはゲイの相棒及び「チーム・ゲイ」の屈強でモッコリな男たちが付き従っている。これも40年近く前は結構勇気がいったろう。この演出家と相棒という脇役が、この映画の面白さを何十倍に増幅している。そしてやはり白眉はヒトラーと第三帝国を賛美する劇中劇「春の日のヒトラー」。これだけ社会のタブーを詰め込めば大コケ間違いなしと思ったが、なんとあまりの破天荒ぶりに大ヒットしてしまうのだ。 「春の日のヒトラー」は、ポーランドとフランスなど全ヨーロッパを征服したヒトラーが、喜びいさんで踊り狂うという内容。「ハイル・ヒトラー」の歓呼の渦で登場したヒトラーを演ずるのはなんとあのゲイの演出家。「ハイル・ミー(自分)」と体をくねくねさせながら謳う姿が爆笑を誘う。 この場面の演出が凄い。 最初に登場するダンサー達は頭にソーセージやクラッカーなどドイツの特産品を乗っけて歌い踊る。その後は突撃隊の褐色の制服を着た二人が歌うが、これは突撃隊を象徴していた、中年のデブと頑固そうな老人。そして中央に真っ黒な親衛隊長。背が高く金髪碧眼という親衛隊の入団基準そのままの青年が「ハイル・ヒトラー」を連呼する。そして舞台には戦車と大砲、パラシュート部隊。パラシュート部隊はポーランド侵攻作戦の象徴だろうか。ある程度その歴史に詳しい人間にはたまらない工夫がこれでもかこれでもかと盛り込まれている。 私の鑑賞視点は普通の人とちょっと異なっているかもしれないが、とにかく隅々まで映画の面白さが充溢した素晴らしい作品なのは間違いない。是非多くの方々に見ていただきたいと思う。ただし、語られる下ネタはかなり下品。直接映像でやばいシーンは皆無なので子供も楽しめるが、台詞の面白さを堪能できるのはオトナの方々かな、という気がした。こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月10日

今夜は何となく、実に久しぶりにワーグナー親子の交響曲が聴きたくなった。何でなのだろう?昨日部屋の整理をしていて、ナチスドイツ関係の書籍をちょっと読みふけったからだろうか・・・な~んて、またもやステレオタイプにナチとワーグナーを安易に結びつけてはいけませんよね。 ワーグナー親子の楽劇やオペラには多くのクラシックファンが親しんでいるが、交響曲を聴いたことがある方はきっと多くはないだろう。さだまさしの何かの歌で(題名は忘れてしまいましたが)「あなたがワーグナーのシンフォニーを聴いたとき」というフレーズがあるのだが、私も高校生の頃は「ったくさだまさしもアホや、ワーグナーは交響曲なんて作曲しとらんわい!」と思っておりました。 さだまさしが歌詞に書いた「ワーグナーのシンフォニー」が実は楽劇を指していたのかどうかはさておき、あの大ワーグナーの唯一の交響曲(ハ長調)は19歳の若書き作品である。まだオペラも楽劇も書いておらず、ようやく作曲家になろうと決心を固めた頃、1832年の作品。あまり知られていないが、世間的にはあくまで習作、ということになっているらしいがこれがなんとも溌剌として良い曲なのだ。 第一楽章の荘重な開始。まるでベートーヴェンの7番のようにゆっくり始まり、分厚い管弦楽が神秘的で威厳のある旋律を形作る。第二楽章の落ちついて美しいメロディーは、とても19歳の作品とは思えない、成熟した音楽になっている。躍動感に満ちた第三楽章、そして第四楽章は堂々として輝かしいフィナーレ。シューベルトの影響を感じさせる。ああ、何故ワーグナーはこれしか交響曲を書かなかったのだろう!(第二番は第一楽章しか完成せず、破棄されたと言われている)きっと素晴らしいシンフォニストになっただろうに・・・まぁでも世の中的には、楽劇を創始しただけでも十分な功績なのだろう。 楽天にもありました! ワーグナー:交響曲ハ長調/ジークフリート牧歌@レーグナー/ベルリン放送o. そして息子ジークフリート・ワーグナーのこれまた唯一の交響曲ハ調。こちらはお父様のような唯我独尊、傲岸不遜さは全くない、非常に真摯な作品。それでも父譲りの堂々とした押し出しが効果的な第一楽章。父との違いは荘重な中にも、時代に対する不安が見え隠れするところだろうか。 この曲が作曲された1925年は、なんとすでに政権掌握前のアドルフ・ヒトラーがヴァンフリート館を訪れ、早くもワーグナー音楽の神聖化を宣言し始めた不穏な年だった。後にワーグナー家に強烈な禍根を残す悪魔と、知ってか知らずかその悪魔に惹かれていく妻ヴィニフレッドへの底知れない不安感、そして混乱の極みにあったワイマール時代への漠然とした焦燥感がこの曲を覆っている、と感じるのは私だけだろうか? 父の交響曲の魅力が推進力に溢れる両端楽章に有るとするならば、息子の魅力はゆったりとした緩徐楽章、特に第二楽章にある。祈りと不安、光と闇がが交錯するような、独特の魅力を持つこの楽章を、ジークフリートは27年に書き直している。この改作版も美しくメランコリックで大変素敵だ。 そして荒れ狂う嵐を突いて前進する最終楽章、暗い天空から一条の光が差し、やがてそれはまばゆい輝きとなって 堂々と全曲を締めくくる。この終結部のなんと輝かしいことか。 これはロマン派の終焉を飾る、偉大なる父に抗した(凡庸なる)息子の生きた証だ。ヒトラーとナチを終生嫌っていた生真面目な男の偉大な作品を是非一度聴いてみていただきたい。才能では父に敵わずとも、この交響曲は素晴らしい作品だ。 父と違ってまじめそうな息子さんですね 残念ながら楽天には有りませんでした・・・ V.A.アルベルト指揮/ラインラント・プファルツ交響楽団CPO 999 531-2こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月08日
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GW最後の晩に聴いている曲は吉松隆のピアノ協奏曲、「メモ・フローラ」。もう何度もこの曲については書いてきたが、昨今一番聴いている曲なのでまた少々書いてみたい。 私がこの曲を愛してやまないのは、ピアノ協奏曲にもかかわらずこの曲が「静けさ」を基調にしているからだと思う。 「ピアノ協奏曲」というジャンルは、おそらく「協奏曲」というカテゴリーの中で一番曲数が多いだろう。これはピアノという楽器がクラシック草創期から存在し、その華やかな音色が聴衆に好まれたという理由からだろうが、「ヴァイオリン協奏曲」や「チェロ協奏曲」などよりも圧倒的に曲数が多い。 そしてその圧倒的な曲数を誇る「ピアノ協奏曲」は、いつの間にか「華麗絢爛なピアニズムを披露する」曲でなければならない、というような「お約束」を背負う宿命を負ってしまった。チャイコフスキーの1番、ブラームスの2曲、ベートーヴェンの「皇帝」しかり、ラフマニノフやショパンしかり・・・。歴史に名を残すピアノ協奏曲は皆ダイナミックな主題があり、絢爛たるパッセージに溢れている。 これは、ロマン派以降聴衆が一般大衆となり、分りやすくて力強い主題が聴衆受けするために必要不可欠だったことにも起因する。これは時代の要請であり、そのために現在にも残る名曲の数々が生まれたのだ。 吉松の「メモ・フローラ」は、こうした西洋音楽史の「ピアノ協奏曲」という流れから一歩も二歩も離れた、「花」を主題にした静かで美しい曲。もちろん静けさだけだけではなく、第三楽章はアレグロの軽快なテンポで美しい花が咲き乱れる中を駆け抜けていくのだが、この曲の聴き所はなんといっても「PETALS(花びら)」と題された第二楽章。まるで静かな湖畔の水面にたゆたう桜の花びらを見るような、西洋音楽がついに辿り着けなかった静謐な音世界がそこにはあるのだ。この楽章をもう何度聴いたことだろうか・・・ 今や日本を代表する作曲家となった吉松隆。おととしのチェロ協奏曲を最後に大規模作品の発表がないが、このメモ・フローラに続く第二番や、まだ見ぬヴァイオリン協奏曲なども是非発表して欲しいものだ。そして交響曲第六番も。こちらです。残念ながら楽天にはありません・・・吉松隆:メモ・フローラ藤岡幸夫指揮マンチェスター室内管弦楽団/田部京子(ピアノ)シャンドスレーベル 2600円これも美しいアルバムです。こちらは楽天にもありました。吉松隆:プレイアデス舞曲集(全35曲)@田部京子(p)こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月07日

NHKのBSでモーツアルト特集放送中。昨日のFMラジオでも12時間ぶっ通しモーツアルト特集だったので、NHKも相当力が入っている。今日は「熱狂の日」の会場から演奏を生中継してくれるので、チケットを買いそびれた私としては非常にありがたい。こうしてみると、ホントにモーツアルトの曲って流しっぱなしのBGMとして聴くのに最適。さすがです。 で、今日は線香とお花を持って再び子供と墓碑調査!?へ。きちんと確認すると、高さ30センチくらいの石碑10個が横一列に並んでいる。左から順番にきちんと見ていくと様々な発見があった。1番目. 明和九年(1772年)の記載。詳細読めず。この年は安永一年と重なっていて、田沼 意次が老中になった年。 2番目. お地蔵が彫ってあるが、これだけ記述なし。3番目. 寛保四年(1744年)の記載。戒名「善信従徳・・・」まで読みとれるが以下分らず4番目. 安永十辛・・と読めるが、安永は七年までしかない。これはどう読むべきか?戒名は 「戒心従徳位」と読める。5番目. 元禄十三年(1700年)正月二日と読める。一番古い。戒名は「念誉事末○息位」と読める。調べてみると誉という文字は浄土宗で使用するようなので、この人は浄土宗だったのだろうか?6番目. 宝暦四年(1754年)八月九日。戒名「誠蓮社実誉應和尚」であり、浄土宗のお坊さ んだったのだろうか?ちなみに宝暦は薩摩藩による宝暦治水の行われた年代。7番目. 寛政十二申年(1799年)二月六日と読める。戒名「清心従徳○」。この年、伊能忠敬が蝦夷地を測量している。8番目. 享保十九年(1734年)。戒名「南立助給従徳○」。9番目. 元禄十四年?五月九日(1701年)。これも元禄!しかも戒名が「心如夢幻○○」っ てすごくかっこいい!!ちなみに忠臣蔵の発生は元禄15年12月14日。10番目. 寛政五年?六月十八日(1793年)。 さらに離れた所に文化五年(1808年)のものもあった。ちなみにこの年は間宮林蔵が樺太を探検した年。一つの石碑に刻まれた年月を歴史年表で見てみると様々な歴史的事件にぶちあたり、そこをまた調べたくなるから本当に面白い。 そしてひときわ大きい石碑の主は、天明七年生、信州戸隠村柳沢庄五郎が四男、俗名留次郎さん。全部書いてある。そして没年が明治二巳年六月二十六日。戒名「玄門翁命」。立派だなあ。八十二歳の大往生、天明の飢饉の年に生を受け、御維新を見てから亡くなるなんて、さぞかし激動の生涯だったんでしょうね。 今回調べてみて、まだまだ読めない文字もあるし、そもそも何故あれだけの墓石だけが残っているのかという郷土史的な興味も尽きない。子供は「夏休みの課題だ!」と言っているし、なによりも私自身が分らないことだらけなので、一緒に調べていきたいと思った。 こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月05日

昨日に引き続き近場をうろうろ。天気が良かったので、散歩がてら師岡熊野神社に行ってみた。この神社はサッカー日本代表のマスコット「ヤタガラス」が奉られている由緒正しい神社で、1300年もの歴史があるという。しかし今日はGWで特に行事があるわけでもなく、訪れる人はまばらで静かだった。 子供と一緒に散策していると、神社のそばに小さな墓碑が建っているので、何気なく覗いてみた。中心に建っているわりと大きめの物は、年代を確かめると明治時代の物。これくらいならわりとどこでも見かけるので、ああ、この辺りの旧家のものかと思って見ていた。 その大きな墓碑のまわりに、小さな高さ30センチほどの墓碑が六個建っているので、これらの年代を見て驚いた。宝暦・安永・天明・嘉永・・・全て江戸時代なのだ。優に200年以上も経っていることになる。 天明7年(1787年)生まれの人で、明治○年(判読できず)没というのがあったが、本当なのだろうか?明治維新が1868年だからあり得ないことではないが、もしそうだとすると当時としては相当な長生きだったことになる。明治維新の時点でも81歳という計算になるからだ。 そして一番驚いたのが、かなり古そうな墓碑にあった「元禄」の文字。(月日はもはやかすれて読みとれなかった)「元禄」って元禄時代?あの元禄忠臣蔵の時代ですか?ひょっとして忠臣蔵をナマで見聞きした人なの!? 元禄時代は西暦だと1687年から1703年の間だから、もしそこに刻まれた年代が本物ならなんと300年前の石碑ということになる。(ちなみに関ヶ原が1600年)それがひっそりと、六畳くらいの小さな空間に他の石碑と一緒に置かれているのだ。 その墓碑が誰の物で、もともとずっとその場所にあったかどうかは分らないが、小学生の子供は大興奮。「この墓石群の由来について神社の人に聞いてみよう!」とはりきっており、休み中にもう一度日本史年表を持って調査!?に行くことになった。もちろん、お花とお線香も忘れずに・・・ 注意して見れば、このような歴史遺物はまだまだいたる所にあるのかもしれないが、普段は全く見逃しがちだ。今日は子供のみならず、自分のためにも良い勉強になった一日だった。こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月04日

連休とはいえ混雑嫌いの我が家は遠出せず近場でのんびりのGWを過ごしているが、皆様いかがお過ごしでしょうか・・・♪ 昨日ご訪問いただいたWALLさんから、『朝7時15分からラジオでやっていた「名曲プロムナード」のテーマ曲を知りたいのですが』とのお尋ねをいただいた。これはNHKのFM放送だろうか? というのも私は学生時代から完全な夜型で(ただ単に自堕落なだけなのだが)、朝の番組にはTV・ラジオを問わず本当に弱く、全くと言っていいほどご縁がなかった。 「名曲プロムナード」という題名だから間違いなくNHKの番組だろうが、これがAMなのかFMなのかも分らない。また、現在でも放送されているのかも不明。ヒントは朝7時15分から放送されいた、といことなのだが、このテーマ曲に心当たりのある方、どうか情報をお寄せ頂けないでしょうか?私も是非知りたいと思いますので・・・ こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年05月03日
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