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今日、近隣にある大倉山記念館で無料のコンサートがあり、偶然子供と聴いてみて新しい名曲と出会うことが出来た。 高校生の小林さんという方が弾かれたトマーゾ・ヴィターリのシャコンヌ。演奏時間僅かに10分弱の小曲だが、素晴らしい曲だ。ヴァイオリンを弾かれる方はよくご存じだと思うが、私は不覚にも今日初めて聴いた。なんという荘厳な、そしてロマンティックな曲なのだろう!演奏も真摯で熱の入った立派な演奏だった。 失礼ながら無料のコンサートだし、出演者は高校・大学生と若いので、技術的には期待していなかったが、皆とにかくうまい。目立ったミスがなく、もちろんつっかえたりなどしないのだ。もっと多くの聴衆の前で演奏しても全く問題ないレベルだった。 それにしてもヴィターリのシャコンヌ。こんな素晴らしい曲を今まで知らなかった自分が恥ずかしい。ヴィターリはバッハと同時代の人物ということで、曲は荘重な低音主題に、高音部の印象的な変奏が絶妙に重なり、ロマンティック極まりない旋律が展開される。ヴィターリの作品は殆どこの曲だけがカタログに残っているにすぎないようだが、この曲だけで彼の名は永遠に音楽史に残るだろう。コンサートの後、早速CDを購入した。 ゴールデンウイークの始まりに、素晴らしい曲に出会えた。記念館でこの曲を演奏してくれた小林さんに心から感謝したい。このアルバムに収録されています●送料無料キャンペーン中!!(~5月21日まで)天満敦子/Balada(望郷のバラード)こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月30日
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先日、ルドルフ・パルシャイ指揮読売日響の演奏でマーラーの交響曲第10番を聴いた。10番はマーラー最後の交響曲で、生前は第一楽章と第三楽章(全部ではないが)しか完成していなかった。その後かなりのスケッチが発見されたため、音楽学者のデリック・クックが中心となり、5楽章の補筆完成版が出来上がった。バーンスタインは第一楽章と第三楽章しか録音していないが、近年レヴァイン・ラトル・シャイー・インバル・スラットキンをはじめ若手指揮者らが全五楽章版を次々と録音し、急速に普及し始めた。 中でもこのルドルフ・パルシャイは指揮者でありながらこの10番を自ら補筆。私が聴いた印象では、両端楽章はクック版を基調として、中間三楽章で金管・打楽器を足して音の厚みを増幅させていた。あのショスタコーヴィチとも親交があった老巨匠は80歳前後であろうか、舞台に登場した時は足元がおぼつかないで心配させたが、いざ指揮を始めるとさすが!一時間20分の大曲を弛緩することなく見事に振り切った。 演奏はほぼブリリアントレーベルから出ている2001年録音盤と同じ時間配分。ただ今回痛感したが、この曲の両端楽章はまるで大規模オーケストラのための弦楽合奏曲のような造りなので、これを一糸乱れず完璧にこなすのは相当難しい。読売日響も以前と比べて随分荒さが無くなったと思ったが、それでもあの宇宙的な響きを完全に再現しているとは云い難かった。 10番は非常に不思議な音楽である。第9で現世での未練を断ち、蒼き天空の彼方に登っていったマーラーだったが、この10番で再び生への執着を見せる。特に両端楽章の精緻な弦の響きは、マーラー音楽の集大成といえるほど素晴らしい輝きを見せる。 パルシャイはその第一楽章をゆったりと振り、最終楽章はわりとあっさりめだった。CDのタイム表示では、最終楽章ラトルの24分に対しパルシャイは20分。この差は結構大きい。これは、老巨匠の生への執着が現役バリバリのラトルよりも薄いことに起因するのだろうか。だから私にはちょっとあっさりしすぎて物足りなかった。もちろん伝説の老巨匠の指揮を拝見できたことは無上の喜びであったが。 やはり私の同曲ベストワンは未だにラトル盤。というか両端楽章の弦の分厚い合奏によるあの宇宙的な響きの完全な再現は、現時点ではBPOにしか成し得ないものなのかもしれない。こちらです。録音も素晴らしい!マーラー:交響曲第10番(クック版)こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月28日

先日の柏崎トルコ文化村に関するニュースを掲載し、私もちょっと勉強してみた。どうもこの問題は、当地では市長派対追及派の泥試合になってしまっているようだが、まぁ第三者の立場から見ればやはり柏崎市長は日本の恥を振りまいていると云わざるを得ないだろう。 この問題を追及している三井田市議のHPに詳しいが、この件でトルコ大使は市長に対し3回も書簡を送っている。なのに市側はその最初の二通が届いていないと云っている。PDF形式のファイルが市議のHPにあるので読めば分かるが、最初の二通を含め明らかにトルコ大使館から正式に送られたものだ。 なのに市側は届いていないか途中で紛失したかと曖昧な答弁に終始している。私は柏崎市民でも新潟県民でもないのでトルコ文化村の帰趨について語る立場にない。また、この問題に関して三井田市議に対する嫌がらせや市議会に報告しないなどの行動も(極めて不自然だとは感じるが)それは柏崎市の問題であろう。しかし、トルコ大使に対する無礼な行為は、明確に国益を損ない、我々日本国民の品位を損なうものなので抗議しても差し支えないと考える。その呆れた行為を列挙すると、(1)大使館から郵送された書簡三通のうち二通を紛失または届いていないと述べていること. あまつさえ大使館側の責任を匂わせていること。(2)問題が表面化するまで大使館に連絡を取った形跡が全くないこと。競争入札の中止要請に対 してもまともな回答をしていないこと。(3)同国一等書記官が現地視察に訪れた際にも、アテンドを一担当者に任せて高位の者が応対し ていないこと。(4)入札リストの中に、トルコの国父像が含まれていること。 等々、書いていて全く赤面するようなことばかり。 一国を代表して赴任している大使と、市町村の長とどちらが高位にあたるか、どちらが礼を尽くすべき立場にあるかこの市長は全く分かっていないらしい。しかも昨日今日誕生した新興国の大使ではない、実に100年以上も国交のある大国の大使である。その大使が送った書簡が二通も届いていないなど、わが国の郵便事情を鑑みて全く有り得ないではないか。 そしてとにかく恥ずかしい、国父像まで売却リストに乗っける無神経さ。もしこれがイランやイラクなどのもっと過敏な宗教観を持った国だったら、一体今頃どうなっていただろうか。 太平洋戦争中、天皇の写真は「御真影」と呼ばれ、命をかけて死守し決して敵軍に渡してはならないとされた。今の日本人にはそうした意識が薄れてしまったが、他国の旗や像を粗末に扱うことは、それだけで外交問題に発展したり戦争に繋がったりするのだ。柏崎市が国父像を売却リストに載せたことは、トルコ人の尊厳を土足で踏み躙ったに等しい。 友人に聞いた話だが、ヨーロッパ旅行でトルコに行った人達は皆口々に同国を誉めるのだという。理由はもちろん様々だが、一致しているのはとにかくトルコ国民が日本人に対して非常に敬意を持って接してくれるということ。地球上にそんな国は他に殆ど存在しないよ・・・ とにかく市長は柏崎市議会においてこの問題をきちんと説明し、トルコ大使に対する非礼を公式に詫びるべきだ。やってしまったことはもとに戻らないが、せめてきちんと詫びることで、これ以上の非礼と恥の上塗りを防いでいただきたい、と切に願う。こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月27日
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新潟柏崎市が情けないことをやって日本の恥を振りまいている。トルコ文化村開園時にトルコから贈られた建国の父の銅像を売り払おうとし、それを知ったトルコ大使館から抗議を受けた、という。詳細は以下。柏崎トルコ文化村:建国の父の銅像「売るな」 大使館抗議 倒産した新潟県柏崎市のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」の跡地処分に伴い、柏崎市がトルコから贈られた「建国の父」のケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像(高さ5メートル)を一緒に県内の観光開発会社へ売却する方針を決定。同国大使館が不快感を表す文書を送っていたことが分かった。市民からも「外交的な非礼」と指摘する声が上がっている。 同文化村は96年、トルコを紹介する民間テーマパークとして開園。銅像もオープンに合わせて寄贈された。トルコの軍楽隊が訪れるなど本場の雰囲気で、当初は年間約30万人が訪れた。しかしメーンバンクの新潟中央銀行の破たんで01年に倒産。約5万2000平方メートルの敷地と建物は02年、柏崎市が整理回収機構(RCC)から取得した。運営を引き継いでいた地元企業も、新潟県中越地震の影響で昨年3月に解散した。 同市は今年1月に売却方針を決定。銅像も売却対象にした。これを知った同国大使館は1月31日、ソルマズ・ユナイドゥン大使名で「およそ(友好関係が深い)日本人らしからぬ慎重さに欠ける行為」と再考を求める文書を同市に送った。 会田洋市長は「友好関係を損なう意思はない」と話しているが、市民や市議からは「逆の立場だとしたら良い感情は抱かない」と疑問の声が上がっている。【根本太一】 いやはや全く情けないというか、この柏崎市長をはじめ取り巻きは正真正銘の馬鹿なのか?この銅像は建国の父である初代大統領の像で、開園の際に友好の証として正式に同国から寄贈されたものであり、いくら施設そのものが閉園に追い込まれたとしても、その扱いに慎重を期すべきなのはいうまでもない。子供でも分かるような理屈が市役所の人にはわからないのかねえ。 日本人にはあまり馴染みがないが、海外では銅像や勲章を贈るという行為は尊敬や友好の印として非常に重要なことなのだ。未だに海外に友邦国の少ない日本にとって、トルコは昔からホントに数少なく日本に憧れを抱いてくれてきた非常に重要な国だ。その起源は日露戦争に日本が勝利し、当時ロシアと常に戦争状態にあったトルコ国民が驚喜したことに遡る。連合艦隊を率いた東郷元帥の肖像が切手になったり、小学校の教科書にまで紹介されているらしい。そういう国の友好の証をこともあろうに売っぱらおうとするとは・・・東郷元帥も地下で泣いておるぞよ。市役所内に配置するとか、保管したりするだけでもどれだけマシか・・・ トルコ大使の「およそ(友好関係が深い)日本人らしからぬ慎重さに欠ける行為」とはなんとも慎み深いコメントではないか。これに対する市長の「友好関係を損なう意思はない」というコメントの、間の抜け方が桁外れだ。もうすでに大きく損なってますって、市長! 「いえいえ大使殿、おそらく柏崎市役所の面々は両国の友好の歴史など何も知らないし、慎重さのかけらもない連中なんですよ。全くお恥ずかしい限りです」、と外務大臣あたりが謝罪してもおかしくないくらいの話だと私は思うのだが・・・ ああ本当に情けない。 実は私はこの響きが大好きです!トルコの軍楽~オスマンの響きこちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月25日
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ナチスのホロコースト関連資料5千万件分が今秋公開されることが決まったようだ。これはナチスの集団虐殺をめぐる最大規模の資料であり、ホロコーストの全容解明に向け期待が高まっている。以下ニュースから・・・<ナチス公文書 今秋5000万件公開 ホロコースト解明へ> 『【ベルリン=黒沢潤】ナチスの強制収容所などの実態が記述されたドイツの公文書約五千万件が今秋にも、一般公開される見通しとなった。同文書はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者や強制労働者ら千七百五十万人の名前が記載された最大級のナチス関連資料。これまで犠牲者の家族や生存者にのみ公開されてきた文書が幅広く公開されることで、ホロコーストの全容解明が進むとの期待が高まっている。 この文書は第二次大戦中の連合国が押収し、現在は米国やポーランド、ドイツ、イスラエルなど十一カ国が独中部バド・アーロルゼンの公文書館「国際追跡サービス」(ITS)で赤十字国際委員会(ICRC)とともに管理している。 一般公開には十一カ国すべての同意が必要となるが、ドイツ政府はこれまで、国家賠償訴訟が新たに起きることを懸念、「関係者のプライバシーが侵害される」などの理由で公開を拒んできた。しかし、米国が一貫して圧力をかけてきた経緯があるのに加え、「(戦後、六十年以上の)歳月が流れた」(独法務省スポークスマン)として、方針転換を決めた。 ドイツ政府は五月十七日、ルクセンブルクで行われる十一カ国の年次総会で、この決定を正式に報告する予定で、ツィプリース独法相は「半年以内に公開できるはず」と見通しを語った。 公文書館には毎年、十五万件もの問い合わせがあるが、資料は今後、ホロコーストの歴史家たちによって詳細に調査・分析されることになりそうだ。ホロコーストでは、ユダヤ人六百万人が犠牲になったとされる。(産経ニュース)』 ホロコーストの恐ろしさは、国家が「積極的な意志」をもって人間を殺戮することにある。殆どの人々は、600万人の犠牲者数の前に思考停止してしまうが、ヨーロッパ中に散らばっていた600万人を殺戮するには、実は強固なインフラ整備がされなければ到底実行出来ない。 1942年、ドイツのヴァンゼーで開かれた会議において「ユダヤ人問題の最終解決」、すなわち絶滅収容所での殺戮が正式に決定された。この会議はユダヤ人をどうするか、という人道的な見地の議論ではなく、「どうすれば効率的にユダヤ人を消滅させることが出来るのか」という信じられない内容の会議だった。 占領下のヨーロッパから効率的にユダヤ人を運び込むためにはどれだけの車両、線路が必要か?そのための各国での法体系をどうするか?運び込んだ人間を最も効率的に殺害する方法は何か・・一つ聞いただけでも目眩と吐き気を催すような議題が、まるで工業製品を運ぶためのように淡々と処理されていった。 その中で最も時間が費やされたのが、「殺す側の心理的プレッシャーをどうすれば軽減できるか」という議題だった。通常の銃殺などでは、泣き叫ぶ犠牲者を前にして味方の兵士達の心身消耗も無視できない。また、銃殺は時間がかかるのと、銃声が響いて脱走等に繋がりかねない・・・それらの解決策として、最も効率的だと承認されたのがツイクロンBの使用によるガス室だった。 驚異的なのは、この絶滅システムが非常に速やかに構築され、さらに敗戦ぎりぎりまで、列車の時刻表も実に正確に運行されていたという事実。ここにドイツ民族の驚嘆すべき「きまじめさ」が現れている。日本人やロシア人では絶対に出来なかっただろう。 この5000万人分の情報公開は、実はドイツ以外のホロコーストに協力した国々に新たな動揺を生むだろう。特にユダヤ人の逮捕・移送に積極的だった旧ユーゴやチェコ。そして自らは戦勝国として偉そうにしている「自由の国」フランスこそが、特にユダヤ人逮捕に積極的だったという歴史的事実も続々と明るみにでる可能性がある。あまり知られていないが、同盟国イタリアは、実はユダヤ人に対しては一番寛容だった。積極的に移送した例がないのはイタリアくらいなのだ。 5000万人分の資料を作成していたナチスドイツの恐ろしさは当然として、実は占領下の全ヨーロッパ諸国の隠された協力の実態が明るみに出る方が、今回の情報公開の持つ真のポテンシャルなのかもしれない。ヴァンゼー会議を描いた問題作です謀議こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月22日

本日のニュースで指揮者の小澤征爾氏が7月の「オペラ塾」から復帰される、と伝えられた。まずは順調な回復振りにファンは安堵したに違いない。8月からの毎年恒例の松本音楽祭にも出演するという。 ただし、ウイーン国立歌劇場への復帰は来年春以降。こちらはまた膨大な調整ごとがあるので期間がどうしても必要なのだろう。 先日も書いたが、どちらかというと私は小澤氏がこれ以上国立歌劇場の激務を続けることに懐疑的な考えだ。日本を代表し、「世界の小澤」としてウイーン国立歌劇場総監督の地位に登りつめた彼は、すでに指揮者の世界における「最大目標」を達成したといえる。であるならば、あまりにも心身をすり減らすその激職を退いて、自己の演奏藝術の集大成を残したり、今以上に後進の育成に力を注いだりした方が良いのではないかと老婆心ながら考えてしまう。 録音面では、後期ロマン派や現代音楽には抜群の切れ味を見せる小澤の指揮も、なぜかベートーヴェンにいい録音がない(と私は思う)。また、演奏面ではサイトウ・キネン・オーケストラが常設オケにはなっておらず、せっかく世界のメジャーオーケストラに互する力を持っているのに、年に一回の松本フェスティバルでしかそのパワーを披露出来ないのはいかにも残念だ。 師のバーンスタインはNYPから離れた後それこそ世界中のオケに客演し、世界各国のファンに音楽の素晴らしさを伝え続けた。また、現在でも名演と称えられるベートーヴェン、ブラームス、マーラー全集を残してくれた。その彼も72歳で世を去っている。小澤はすでに実年齢で師を越えようとしている。ようするにもう決して若くはないのだ。 まぁでもポジティブ思考の塊のような人だから、元気になればまたがむしゃらに突き進んでいくのだろう。そこがまたオザワの魅力ではあるのだが・・・ああ、彼の新しいマーラー全集が聴きたい!ウイーン・フィルを職権で使ってちゃちゃっと創り上げてくれないだろうか・・・こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月20日
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9日に放映されたNHKスペシャルで、中国奥地に存在する巨大な穴、「天抗」を取材していた。以下、まずその天抗の説明文を番組HPから・・・<巨大穴「天抗」 謎の地下世界に挑む> 『中国南部の山岳地帯で、「巨大な穴」が次々と発見されている。最大のものは直径・深さ共に600mに及び、これらの穴は、神があけた巨大な穴という意味で「天坑(てんこう)」と呼ばれている。2005年11月から中国地質科学院が行ったこの「天坑」の総合調査に取材班が同行した。その調査は、超高層ビルに匹敵する数百メートルの絶壁をロープ1本で下降し、巨大な穴の底に降り立つ過酷なものである。調査隊が目にした「天坑」の底には、暖かく亜熱帯のような原生林が広がり、独特の生態系が育まれていた。さらに「天坑」の底には巨大な地下世界への入り口となる洞窟があり、20個もの「天坑」同士が地下洞窟で繋がっていることが明らかになってきた。この地下洞窟には川が流れ、その総延長は700km以上に及ぶ。地下洞窟へと分け入った調査隊は、激流が流れる大河、美しい音色を奏でる鍾乳石、地底湖、高さ300mにおよぶ巨大な地下空間など幻想的な風景と出会う。また、眼が退化し角とヒゲをもつ幻の魚など地下世界に息づく不思議な生物や200万年前のパンダの祖先の化石など太古の哺乳類の化石が発見される。いったいどのようにしてこの巨大な穴と地下世界は作られたのか?番組は、「天坑」とそれに連なる不思議な地下世界を探検する冒険紀行である。』 というものだが、この番組を見ていて手塚治虫「火の鳥」黎明編を想起された方も多いのではないだろうか。物語の最終局面で、主人公たちは大地殻変動に巻き込まれ、気づいてみると巨大な穴(休火山の噴火口の底のような所)に取り残されてしまう。脱出しようにも切り立った崖を登るすべがない。 しかし穴の底には雨水が溜まり、植物も繁殖し、少量だが動物たちも居た。主人公はそこで一緒に閉じ込められた恋人を娶り、子供を生んで育てる。時は流れ、子供はたくましい若者に成長する。若者は「穴」の外の世界を見たいと熱望し、垂直に切り立った崖に挑戦し、火の鳥の助けを借りながら遂に崖を登り切り、堂々と外の世界に旅立っていく・・・ この場面で描かれるのがまさにNHKで放映された「天抗」そのもの。ぽっかりと空いた穴から地の底まで垂直に200~300メートルもあり、その崖は現在の技術でも登るのが難しい。そして地底には幻想的な世界が広がっているのだ。 手塚が火の鳥「黎明編」を書いたのは約40年前。医学博士だった彼は当然様々な自然や生物学に精通していたはずだが、その頃すでにこの「天抗」の存在を知っていたのだろうか。もちろん写真や詳しい書物はなかったはずだから、きっと何かの本に一行や二行の記述があり、そこから想像を膨らませていったのではないか。それにしてもその途方もない想像力、そして描写力。はからずも手塚の天才を改めて思い知らされた番組だった。不滅の名作です!火の鳥(1(黎明編))こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月18日
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長谷川哲也の漫画「ナポレオン~獅子の時代~」が面白くなってきた。「ヤングキングアワーズ」という超マイナー雑誌に連載中(私も連載は読んでいない)なので知っている人は殆どいないと思う。 いわゆるフランス革命からナポレオンの活躍を描く歴史物だが、作者の濃い~筆致と相まってフランス革命の血なまぐささと当時の騒然とした世情が非常に的確に描き出されている。ナポレオン(5) 当時に関する書物を読んでみると、フランス革命とはホントに血なまぐさくて滅茶苦茶な時代だったことが分かる。今日弁舌一つで反対派を粛正し、明日は自分の首が断頭台の露と消える・・・まさに明日どうなるか全く分からない、狂乱の時代であった。 作者の長谷川氏は、今をときめく「北斗の拳」の原哲夫氏のアシスタントでも勤めていたのだろうか、絵柄がかなり似ている。超骨太タッチ、大胆な構図、かなり下品なギャグが当時の世相を描くのにぴったりなのだ。 フランス革命を描いた漫画で誰もが思い浮かべるのは「ベルサイユのばら」だが、あれは少女漫画だから仕方ないが、あまりにもきれいすぎて実相が伝わらない。例えば、きれいに着飾ったアントワネットやフェルゼン伯の時代、一般家庭はもちろんベルサイユにさえきちんとしたトイレがなかった。バケツに溜めたモノを窓から庭にぶちまけるのが普通だったのだ。だから下町などはもうゴミ溜めのような様相だったらしい。そんな猥雑さが長谷川氏の画から立ちのぼって?来る。 「ベルばら」自体の素晴らしさは否定しないが、ストーリーは驚くほどツヴァイクの「マリーアントワネット」のパクリ。そりゃあ面白いわけだ。それに比べ、この「ナポレオン」は完全なオリジナル路線。ナポレオン自身の活躍はまだこれからで、5巻までやってまだロベスピエールの首が飛んだところ。この辺りの権力闘争のドロドロさがフランス革命の醍醐味?だからもっとねちっこくやって欲しい。 とにかく登場する男達が皆骨太で狡くて魅力的。ロベスピエールの弁舌、ダントンの男気、フーシェの狡賢さ、バラスの日和見、タンヴィルの冷酷・・・みんな途方もないろくでなしばかりで、まともなのは首切り執行人のサンソンくらいだ。いつの時代でも革命はもとより政治を仕切っていくのは権力欲でギラギラした男達なのだ、ということを実感させられる。 単行本帯の売り文句が「こんなに首が飛ぶ漫画を他に知りません。男臭くて実に豪快」というのが笑えるが、ホントにギロチンシーンが多くておもしろ・・・じゃなくて辟易する。この漫画を読んでると、そう、あの音楽が聴きたくなってくる!!みなさんもきっとそうですよね? ベルリオーズ:「断頭台への行進」15連発!!不朽の名作ですマリー・アントワネット(1)こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月15日
昨年、日本で初めての「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)音楽祭」に行ってみた。有楽町の国際フォーラム全館で様々なコンサートを廉価で提供する試みで、テーマがベートーヴェンだけあって結構盛況だった。 で、今年はモーツアルトイヤーということもあって、当然お題は「モーツアルトと仲間たち」。5月3~6日までの4日間でなんと200公演、出演アーティスト1500人。「上質の音楽を低価格で、全ての人に」というコンセプトなのでチケットも2000円~4000円程度と一般的な演奏会よりもかなり安くなっている。 さぁ今年も行ってみるかとHPを開いてビックリ。今日の時点でもうかなりの、7~8割くらいの公演が完売している!いや~さすがモーツアルト人気は凄まじい。昨年の成功ももちろんあるのだろうが、この盛り上がりはホントに凄い。昨年はそれでも当日券で入れる公演がいくつもあったが、今年はきちんと前売りを購入しないと(すでに大半は手遅れですが・・・)現地で立ち往生する可能性が高くなってきた。 そういえば、昨年は中庭に世界各国の屋台料理が集合し、これを食べ歩きするのも結構楽しかった。今年はどのような楽しみ方が待っているのだろうか。熱狂の日音楽祭2006
2006年04月12日
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マーラーの交響曲中一番好きなのは第九だが、最高傑作は何かと問われたらおそらく「大地の歌」になるのではないか。交響曲と歌曲を高次元で融合させ、古代中国の歌詞を見事に曲中に消化した類まれなこの曲は、交響曲と歌曲しか残さなかったマーラーの作品中、極めてユニークな作品なのだ。 私の「マーラー交響曲全集」コーナーでも述べている通り、私のおすすめ録音はワルター&WPO、フェリアーとパツアークによる録音。ステレオならバーンスタインとディースカウ盤もいい。通常最終楽章はアルト(女声)だが、私個人の好みは男声なのだ。今現在最終楽章を男声で録音しているのはバーンスタインとラトルだけではないだろうか。 で、カラヤン盤。きっとこの曲の内容から遠くかけ離れた演奏なんだろうなぁ、と思って今まで聴いていなかったのだが、これがドンピシャ大当たり。第一楽章からルネ・コロの元気が良すぎて悲劇性のかけらもなく、これでいいのかしら、という出だし。最終楽章もルードヴィッヒの歌唱が立派過ぎてやはりこの曲の雰囲気に似合わない。 立派過ぎる演奏、とでもいうのだろうか、あいかわらずBPOは凄いのだが、ギラつきすぎて曲想に合わないのだ。 この曲は厭世観を謳う、かなり悲劇的な曲のはずなのにこの録音からはそういう雰囲気が感じられない。あまたのオペラ作品の名録音を残したカラヤンも、さすがにこの曲の調理法は誤ったか。 ただし、管弦楽は相変わらず美しい。5番で聴かせてくれた病的、よくいえば耽美的ともいえる美しさがそこかしこで威力を発揮する。願わくば独唱がもう少し辛そうに謳ってくれれば良かったか・・・さすがカラヤン、この曲のベストには押せないけど、こういう録音もあるんだなぁ。 こちらですマーラー:交響曲「大地の歌」こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月11日
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昨日の続きで、歴代映画脚本第二位に選ばれた「ゴッドファーザー」について。 この映画はアメリカに渡ったイタリア・マフィアの「コルレオーネ・ファミリー」の年代記。圧倒的な存在感でファミリーを引っ張った初代コルレオーネ(マーロン・ブランド)が倒れ、その後をインテリで気弱な三男(アル・パチーノ)が継いでいく。その間、他のファミリーとの間で血で血を洗う抗争が繰り広げられていく。 パート3まで制作されているが、今回の賞はおそらくパート1に授けられたものではないか。確かにコルレオーネ一家がシチリアでの抗争に敗れアメリカに移民となって流れ着く開始から、数十年を飛び越えて隆盛を成し遂げた時代への場面転換、そしてファミリーの権力委譲へと全く隙がない、練りに練った脚本であると思う。 しかし私自身にとってのこの映画の存在価値は、なんといってもニーノ・ロータ作曲によるそのテーマ音楽だ。「ゴッドファーザー・愛のテーマ」として今では映画音楽のベストテンに必ず入るであろう名曲中の名曲。映画と共に大ヒットした。 希望、家族愛、友情、抗争、怒り、哀しみ、破滅・・・およそありとあらゆる人生の哀歓を詰め込んだこの音楽を、私は中学生の頃初めて聴いた。その頃学生でLPなど買う金がなかったので、EP(今で言えばシングルCD)盤を購入して擦り切れるほど聴いた覚えがある。 イタリア人独特の哀愁を帯びたメロディーはいつきいても胸が締め付けられる。シチリアを訪れたことがある方なら分ると思うが、あの島は未だに相当貧しい。パレルモ以外の田舎町は、映画に描かれた100年前と今でもそんなに変わらない。イタリアの繁栄から取り残されているのだ。あの音楽はそういった寂しさや哀しさ、やるせなさを実に見事に表現し尽くしているのだ・・・ 映画自体も不滅だが、マフィアの抗争話しがメインなのでどうしても暗く、陰惨なシーンが多い。気が滅入るような映像を救っているのがあの音楽だと感じているのは、きっと私だけではないだろう。こちらです。まだの方は是非聴いてください!「ゴッドファーザー」オリジナル・サウンドトラックなんといってもパート1が素晴らしいです!●ネットバンキング決済・コンビニ後払いも可能!ゴッドファーザー こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月09日
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「カサブランカ」ファンには嬉しいニュースが届いた。本日の共同電。 「カサブランカ」が最優秀 脚本ベスト101を選出 【ニューヨーク7日共同】米国の脚本家約1万人で組織する米脚本家組合は7日、歴代の優れた映画脚本ベスト101を発表し、最優秀脚本には、第2次世界大戦下のフランス領モロッコを舞台とした「カサブランカ」(1942年、脚本エプスタイン兄弟とハワード・コッチ)が選ばれた。 2位以下は「ゴッドファーザー」(72年、脚本フランシス・コッポラ、マリオ・プーゾ)「チャイナタウン」(74年、同ロバート・タウン)「市民ケーン」(41年、同オーソン・ウェルズ、ハーマン・マンキーウィッツ)「イヴの総て」(50年、同ジョゼフ・マンキーウィッツ)の順。 私もこの「カサブランカ」は大好きで何回見たかわからないほどだ。おそらく五十代以上の方では、この映画を見ていない人の方が少ないのではないか。(注:私はまだ四十前半です) そりゃあボギーもかっこいいが、なんといってもイングリッド・バーグマンが美しすぎる。時々アップになる彼女の表情には何度見てもため息が出てしまうほどだ。今回の賞は出演者には関係ないが、あの二人の出演がなかったらこれだけ人気を保持し続ける映画になっていただろうか? もちろん無駄がなく、恋愛有りサスペンス有りの同脚本は素晴らしい。極めつけの名ぜりふとされる女とボギーの会話、「昨日はどこにいたの?」「そんな昔のことはわからない」「じゃあ明日は?」「「そんな先のことはわからない」もかっこいいし、バーグマンが「サム、あの曲を歌って頂戴」といって「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」を歌ってもらうシーンは何度見ても感動してしまう。 名画の誉れ高い同作品だが、実際の撮影は出演者のスケジュールが合わなかったりして一ヶ月足らずでせわしない撮影だったらしい。最後の方のシーンを最初に撮ったりで、バーグマンは「細切れの撮影だったので感情移入が大変だった」と何かのインタビューに答えていた記憶がある。 そんな苦労があったなどとは露知らず、見る側は勝手に盛上がっていたわけだが、いやはや本当にいい映画だ。現在のように派手なアクションもベッドシーンも全くないが、その代わり何かこうシンプルイズベストというのか、「これぞ映画」という気品を感じさせてくれる名画だと私は思っている。今夜もちょっと見直してしまおうかな。ああでも「ゴッドファーザー」もいいし・・・ 本当に素晴らしい作品です。カサブランカ こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月08日

本日の共同ニュースによると、晩年は貧困に喘いでいたとされるモーツアルトは実は逆に裕福だったのではないか、という新説が発表されたとのこと。 映画「アマデウス」や数々の評伝にもある通り、モーツアルトの晩年は借金まみれで悲惨だった、というのが巷の定説。妻のコンスタンツェが浪費家だったとか、モーツアルト自身がギャンブル好き・超派手好きだったとか理由も色々喧伝されている。ところが・・・先ずは記事をご覧ください。 <モーツァルト、実は裕福 ウィーンで新たな仮説> モーツァルトは裕福だった-。浪費や借金で晩年は生活苦の状態だったとの説が一般的になっている音楽家モーツァルト(1756-91)が、実は豊かな生活を送っていたとの仮説を、モーツァルトの関連文書を調べたオーストリアの学者らが明らかにした。AP通信が5日までに報じた。 モーツァルトの生誕250周年記念イベントに関連して、学者らがウィーンの楽友協会で公開された文書を調べた。文書によると、モーツァルトの年収は約1万フロリンで、現在の貨幣価値に換算すると約47万円になり、18世紀後半のウィーンでは賃金労働者の上位5%に入る高額所得者だった。 公開文書からは浪費があったようにはうかがえず、これまで定着している、稼ぎの多くがギャンブルに消えていくようなモーツァルトの姿はみられなかったという。(共同) 公開文書とは何を指すのか分からないのですぐに鵜呑みには出来ないが、あれほど世界中で定説となっている話に異を唱えるのだから、ある程度自信があるのだろう。 モーツアルトが高額所得者だというのは確かだろう。神業的なスピードで続々と作品を発表し、そのどれもが大ヒットを飛ばしていたのだからそれ相応の実入りがあったとしても不思議ではない。しかし友人に大きな借金があったという説もあり、やはり金の流れがはっきりしないとなかなかその新説も俄かには信じきれないものがある。 今回の調査内容についてはそのうちどこかの雑誌等に発表されるのだろうか。もしそうなら是非読んでみたいものだ。こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月05日

昨日の小澤氏の日記に関して随分多くの書き込みをいただいた。皆様やはり相当心配されているのだろう。 今日はそれに関連した文章を。小澤氏に限らず、現代の指揮者の栄達の頂点とは何なのだろうか?カラヤンは一時期ベルリン・ウイーン・パリ管弦楽団の常任指揮者を兼任し、「楽壇の帝王」と言われ、その権勢は国家元首級であると恐れられた。後年BPOの終身指揮者に仕事を絞ったが、その名声は世界最高の楽団であるBPOの責任者として死ぬまで揺るがなかった。 カラヤンの後を継いだアバドは10年またずにそのポストを退いたが、今のラトルの活動ぶりは(その権力欲は別として)長期政権を予感させるに十分な迫力を持っている。そしてラトルは若くしてクラシック界での頂点を極めたと言えるだろう。 そうしたクラシックの世界で、BPOの首席指揮者に勝るとも劣らない栄光のポストが、小澤が担っているウイーン国立歌劇場音楽監督の地位だろう。最高レベルのオケ、世界のセレブが集まる歌劇場を切り盛りしていく仕事が黄色人種に任されるなんて、マーラーが生きていたら絶対に信じないだろう。彼は肌の色は同じなのに、ユダヤ人であるという理由で同じ歌劇場で辛酸を嘗めたからだ。 小澤氏が倒れるまで頑張ったその職務は、クラシック音楽界における最高ポストだ。そのポストを維持し続けることは、即ち指揮者としての比類ない実力を世界に誇示し続けることに繋がる。彼は就任時に「私自身が、(アジア人や黄色人種がクラシック界で生きていく)実験台だ」と語っていた。 今回もし長期休養でなく辞任だったら、世界の音楽関係者は「やはり最高レベルの仕事は黄色人種では無理だ」という論調を張ったのだろうか。言葉の違い、肌の違い、習慣の違い、そして宗教の違いは、島国日本しか知らない人の想像を絶する差別を今なお根強く残している。そういう論調が出てもなんら不思議ではないだろう。 小澤氏の衰えを知らないアグレッシブさこそが彼を現在の栄光のポストに就かせた。栄達を極めたといってもいいだろう。そこで「結果を出す」ということはつまりある程度の長期政権を担う事なのだろうが、小澤の力を全てそこで使い切ることがはたして彼のためなのだろうか。 現在進行形の仕事としては、国立歌劇場音楽監督は疑うことなく最高だ。しかしそれは永久に保持できるものではない。「世界の小澤」の名を世界中に未来に渡って残すことが出来るのは、やはり録音なのだ。残念ながらここ数年、彼の録音で「これは」と思うものは少なかった。サイトウキネンという素晴らしい手兵をもっと活用して、そろそろ後世に残る「これぞオザワ!」という記録を残す時期に来ているのではないか? 例えば、師のバーンスタインを超えるようなマーラー全集を期待してはいけないだろうか?または、武満を中心とした日本人作曲家達の作品集。さらに後期ロマン派の音楽など、サイトウキネンという比類なき楽器を手にしているのだから、もっともっと素晴らしい録音を残せると思うのだが・・・小澤さん、是非ご一考下さいませ~♪こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月02日

今年に入ってウイーン国立歌劇場音楽総監督の小澤征爾氏が体調を崩し、今年いっぱい公式行事を全てキャンセルしたとのニュースが世界を駆けめぐった。 病状等は一切発表されなかったので、音楽ファンは皆心配していたが、わりと早い段階で今年9月の恒例のサイトウキネンフェスティバルには参加が発表され、更に一昨日、国立歌劇場への復帰が来年7月(かなり先だが)と発表された。 そしてさらに先日友人から入手した独自のニュースを一つ。今月、その方の友人が経営するハワイの日本料理屋に小澤氏が来店したらしい。(そのハワイのお店の本店は広尾の高級店で、その繋がりで小澤氏が来店したようだ)氏は結構元気そうに食事を楽しんでおられるふうに見受けられた、とのことだ。 気候温暖なハワイで静養されているのだろうか。ファンとしては小澤氏の体調が着実に回復に向かっているようで、なかなか嬉しいお話だった。 とすると今回の休養騒ぎはやはり膨大な国立歌劇場業務によるストレス、または心身の疲労蓄積ということなのだろうか。 「永遠の若者」のように見える小澤氏もすでに70歳。高年齢の指揮者が多いこの世界でも堂々たる巨匠の年次になっている。そして全く未体験だったウイーン国立歌劇場音楽監督という重責に、さすがの氏も疲労困憊してしまったのではないか。 以前も書いたが、国立歌劇場総監督という職務は(申し訳ないが)そこらの交響楽団の音楽監督とは桁の違う重労働だ。 ウイーン国立歌劇場という世界最高峰の劇場の運営を全て任される。寸年先の演目、オケやソリスト、歌手や演出家の選定。そのギャラや制作予算にも決定権を持っているから、音楽だけでない様々な利害調整をやらされる羽目になる。 さらにこれまでオペラに精通していなかった小澤氏が、年間いくつもの異なるオペラ演目を高次元で指揮しなければならない。実力不足は即、目の肥えた観客達や地元の音楽ジャーナリスト達からブーイングを浴び、排斥されてしまう。 さらに地元をはじめ世界中のVIPへのそつのない対応も要求される。演奏会にどこかの国の国家元首が来るのは日常茶飯事だからだ。 オケと音楽だけを考えていればいい通常の音楽監督業務に加え、政治的・経済的な舵取りも最高難度を要求される。ようするに(たとえは悪いが)常に最難関レベルの「前門の虎、後門の狼」状態にあるわけで、常人の神経では一日たりともこなせない難職中の難職、といえるだろう。 あの人前では弱音を吐かない、常にアグレッシブな小澤氏もさすがに相当お疲れになったのだろう。正直日本人としてクラシック総本山の音楽監督が同国人であることはとてつもない誇りだが、この職はそこまでしてやらねばならないものなのだろうか、とふと思ってしまうのだ。 世界に冠たるサイトウキネン・オーケストラを常設オケにし、日本を本拠に世界中を巡り、新たなベートーヴェンやマーラー、ブルックナーを聴かせて欲しいと願っているのは私だけではないだろう。国立歌劇場総監督の契約は少なくとも2010年まであり、その時小澤は75歳になる。その時、師であるバーンスタインを超える新マーラー全集を完成させるに十分な時間が残っていればよいのだが・・・ とにかく今はゆっくり静養し、またその勇姿を見せて欲しい!こちらもクリックいただけましたら幸いです
2006年04月01日
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