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今、EQ(本来はEI)について通信教育で勉強中です。人間関係は私たちが生きていく上でとても重要なことです。そして、人間は感情の動物ですから、人間関係では、たんに情報だけのやりとりではなく、心地よい感情的なコミュニケーションはとても大切ですよね。 情動とは、比較的急速に引き起こされる一時的で急激な感情の動きのことです。いわゆる振り回される感情のことですね。 EI(情動知能)における基本概念は1.自己理解(自分の情動を知り、コントロールし、適切に表現すること)2.他者理解(他者の情動や、他者からの期待に気づき、適切な対応をすること)3.自他受容(柔軟で創造的な思考ができ、自分と他者を調和させて活かす、問題解決力や適応力があること)4.主体的関与(主体性をもって、前向きな姿勢で人や物事に積極的に関わること)というものです。 勉強していて思うのは、ヒカリズムで説明している共依存やコントロールドラマ、防衛機制がわかると、自分と他者の情動の理解や他者からの期待の理解というのは、簡単にクリアできるということです。 また、自分の感情を適切に表現するというのは、第一の感情のことですよね。 受容に関しても、基本的な考えにある「~あるべき」という正しさを手放すことで実現できます。 問題解決は、目的、目標の変更が役に立ちます。 主体的関与は、自己尊重(セルフエスティーム)、選択の責任をとる、ということが当てはまります。 このようにほとんどヒカリズムで説明していることがわかれば、理解できる内容になっているようです。 むしろ、当然ですが、ヒカリズムのほうが深い部分までフォローしています。もちろん、EIが優れている部分もありますから、これからの勉強が楽しみです。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 30, 2008
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サンタヴィレッジのサンタさんは、ドラマ『優しい時間』で拓郎(二宮和也)の家として使われたカフェレストラン「たるきぃとな」の常連さん。そこのマスターはいさんから、とてもおいしいコーヒーの飲み方を教わってきました。 それは、お砂糖とミルクの代わりに知る人ぞ知るクリームのお酒(クリーム系リキュール)をコーヒーに入れるちょっぴり大人のレシピ! そのお酒は、アイルランドのお酒ベイリーズ(BAILEYS)(ベイリーズ・オリジナル・アイリッシュ・クリーム【当店全商品最大ポイント10倍中】(8/31 9:59迄)ベイリーズ 700ml 17度(プラチナ・ゴールド10倍・シルバー5倍・その他会員様2倍!)ハーゲンダッツのアイス「ベイリーズ」で知っている人もいるかも? アイルランドには、昔からウイスキーにクリームを入れて飲む習慣があったようです。 アイリッシュ・ウイスキーに単にクリームと砂糖を入れただけではなく、カカオやバニラなどが入っているので、味はもちろん、その香り(フレーバー)もたまりません。 ベイリーズをコーヒーに入れて飲むと、2ランクは上のお飲み物って感じでとてもおいしく飲めるんです。 『家に帰ったら、酒屋を回って探し出して買うぞ!』と思っていたら、帰ったら娘が、な、なんと!ベイリーズをミルク割りで飲んでるじゃありませんか! ついてるね! さっそく、飲ませてもらおうとしたら、200ミリのボトルで、それが最後の一杯なのでした(;_;) すぐに700ミリのベイリーズを買ってくるように娘に頼んで、ゲットしました!へへへーん(^ー^)(ドン・キホーテで売っていたようです) アイスコーヒーに入れてもおいしかったですよ。(^^) いろいろな飲み方があるようです。Ryoo's Bar PARADISO ◆ 本日のおすすめリキュール 「ベイリーズ」ウイスキーとアイリッシュクリームのハーモニー大人をラグジュアリーに演出!ミルク割り&アイスクリームにかけてお楽しみください。 週末の河内屋のオススメ!【世界で最も売れているリキュール】甘くて美味しい大人のお酒!ベイリーズ オリジナル アイリッシュ クリーム 700ml 17度
Aug 29, 2008
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ヒカリズムのポイントをある一面から一言で言うと、「自分を生きる(自分らしく生きる)」と言えます。 自分を生きるときに、大切なことが一つあります。それは、責任をとることです。 よく、誤解する人がいますが、責任を取るというのは「悪いので罰をかぶること」ということではありません。 一般に、「責任をとる」というとき、「悪い結果の原因を追求し、その原因に対しての責任者に罪を着せて、罰を与える」というようなひとくくりの概念で考えられがちです。 しかし、ヒカリズムで、自分を生きるときに責任をとるというのは、そういうことではありません。 まず、自分を生きるためには、他者の期待することを選択するのではなく、自分がしたいことを選択することが必要です。他者の期待に応え続けるというのは、責任をとるという意味では、とてもラクです。悪い結果になったときに、そうすることを勧めた人に「あなたがそうしろというからこうなったんでしょ」と責任をなすりつけて自分は被害者になっていればいいのですから。 多くの人は、責任をとりたがりません。それは、人は正しく生きたいと思っていますし、広い意味での共依存の状態では、他者の評価を気にして生きていますから、失敗する(正しくなかった)ということ(失敗の責任者になるということ)は、ダメな人という烙印を押されそうで怖いのです。 ですから、桜の木を切ったことを勇気を持って正直に告白したジョージ・ワシントンのエピソードが、美談として伝えられているわけですね。(作り話らしいですが・・・) 自分を生きるために、他者の期待することを選択するのではなく、自分がしたいことを選択した場合には、選択の結果が自分が望まないものであろうと、それを誰かのせいにすることはできません。 誰かのせいにするということは、事実を受け容れようとしない、否定するということも含まれます。 責任をとるということは、事実を事実として認め、受け容れるということです。 似たような心理状態の説明に、エリザベス・キューブラー・ロス博士が説明している死に至る諸段階があります。 人が死やそれに相当するほど受け容れがたい出来事を受け容れるまでの葛藤を段階的に説明しています。〈第1段階〉否認(と隔離または孤立) 身近な人の死などの予期しない衝撃的な事実を聞かされた時、そのショックから心を守るために、まず否認が起き、それを事実と認めない。現実から、自分の心を隔離(孤立)させるわけです。「彼が死んだなんて、うそに決まっているわ、そんなはずない!」〈第2段階〉怒り 死という現実を認めざるを得なくなると、次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。「なぜ、私の彼が私をおいて先立つことになるの!」「どうしてこの私がガンにならなくちゃならないんだ!」〈第3段階〉取引 人は神や仏に対して、その現実をなかったことにする取引をしたりして事実認識の先延ばしをし始める。「神様、私はもう何にも入らないから、彼を生き返らせて」「この子を助けてくれるのなら、なんでもします」〈第4段階〉抑うつ 以上の段階を経て、それらが無駄であることを知ると敗北感、無力感から一種のうつ状態におちいる。その中で、起きたことは起きたこととして認める覚悟が進む。〈第5段階〉受容 抵抗をやめたことにより、そのことに関しては受容の段階に入り、穏やかな心を手に入れる。 自分を生きるときに必要な責任をとるというのは、この第五段階を実践するということなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 28, 2008
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今回の「ヒカリズムセミナーinサンタビレッジ」に参加してくださった三ツ星☆さんの楽天ブログ(しあわせに生きよう)にステキな言葉がありました。----- 引用開始私自身は、「社会に適応できているか」という視点で見ると、もしかしたら他の人から見るとできていないのかもしれないけど、当の本人は、人生がとてもうまくいっていると感じていて、私ってなんてツイてるんだろうって思うこともしょっちゅうあるし、なんの問題もなく生きているのだから、それでいいんじゃないかと感じています----- 引用終了この「ツイてる」という感覚はとてもステキですね。『人生がとてもうまくいっている』と感じられているってとても幸せなことですね。(^^) 納税額日本一になった「ツイてる!」 「変な人が書いた驚くほどツイてる話 」という著書もある 斎藤 一人 さんもこの言葉を使うことを薦めています。斎藤(斉藤)一人さんのツイてるカードの88枚の言葉あの松下幸之助さんも採用面接のときに 「あなたの人生は今までツイてましたか?」と尋ねていたそうです。「はい。ツイてました」と即座に答えなかった人は優秀な成績でも不採用、逆に「ツイてました」と答えた人は全員採用したそうです。 すべては相対的ですから、出来事そのものには、意味はありません。それを受け取る人が意味付けをして受け取っているのです。 「ツイている」と即答できる人は、ものごとを肯定的に捉える傾向があるということです。それは、肯定的な思考の割合が多く意識を占めているということです。言い換えると、意識の方向性が肯定的であるということです。 肯定的な意識であるということは、今どこにいようと、着実に愛に向って歩いているのですからどんどん成長できる人なのです。肯定的ですから、その前向きな姿勢は、周りにも良い影響を与えます。 松下幸之助さんが、そのような人を採用したのは当然ですよね。 また、今ものごとをついつい否定的に捉えてしまう傾向のある人も、これから意識して「ツイてる」「ラッキー」「うれしい」「楽しい」「幸せ」というような言葉を使うように心がけていると自然にものごとの良い面を見られるように、感じられるようになっていきます。 それは心理学的にも説明されています。 また、「ツイてる」という概念の中には、自分の力の及ばない何か大きな力(たとえば神さまや宇宙の力)が、『自分を助けてくれた、後押ししてくれた』という気持ちがあり、自然にその何者かに対して感謝の気持ちが生まれます。 感謝の気持ちは、受容の気持ちを育みます。それは愛を育んでいるということなのです。 「あなたの人生は今までツイてましたか?」(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪ 小林正観さんも同じことを言っているようです。
Aug 25, 2008
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今回の「ヒカリズムセミナーinサンタビレッジ」に参加してくださった三ツ星☆さんの楽天ブログ(しあわせに生きよう)に価値観のお話がありました。----- 引用開始「人と比べようなんてナンセンス」とお告げのように浮かんできて(笑)えーっと、私の心の奥のほうで、とってもすばらしい考えが浮かんで「もう私は何かに自分の価値を求めない」とすっごく閃いた感覚があった----- 引用終了ヒカリズム的に考えると「価値とは何か?」を明確にすれば、答えが見えてくるんですね。広辞苑によればかち【価値】とは「物事の役に立つ性質・程度」のこと。多くの人は、ここで思考を止めてしまうと思うのですが、「物事の役に立つ」とは、どういうことなのかとさらに考えを深めていくことが重要です。反面教師ということが示すように、視点を変えることで、どんなものにも価値を見出すことができます。※反面教師(悪い見本として学ぶべき人。その人自身の言動によって、こうなってはならないと悟らせてくれる人) ところが、三ツ星☆さんは「価値」の意味を無意識に、「自分の評価を上げてくれる価値」に限定して捉えているいるんですね。だから、他の人と比べる必要が出てくるんです。たとえば、料理ができても、もっと上手にできる人と比べられたら価値や評価が下がりますからね。(タケちゃんは、自分の成長を自分で認めていましたよね(^^)) 価値を決めるためには、役に立つかどうかを判断するための基準にする『目的が必要』になります。多くの人は、社会の目的を基準にして価値を判断しています。今の社会を効率よく動かす能力に価値を見出しがちです。でも、そういう意味での能力がなくてドジばかりのような人も人の心を和ませる潤滑剤のような人もいますよね。もちろん、反面教師だって、りっぱに役立っています。今、相田みつをさんを真似して日めくりヒカリズムというカレンダーを企画中です。その19日めは、19.いくらでもステキなことがあるんだなあ。でも見ようとしなければ見えてこないんだねです。結果としてどんなものも役に立つ視点があるのですから、どんなものにも価値を見出すことができるんです。ですから、社会にとって役立つかどうかは、あるがままの自分の結果をさらけだして、後は社会に判断をお任せしちゃいます。 自分の価値は自分で決める。そしてね、その方が結果として社会の役に立つことができるものなんです。 では、自分の価値はどうやって決めるか?それは自分がうれしい、楽しい、幸せと感じられたら、自分は自分にとって価値があるってことなんです。 そのためには、誰かのためにではなく、自分がしたいように、生きたいように、生きること自分らしい生き方をすること!! ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 25, 2008
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社会生活を営む上で「他人(ひと)にやさしくするということ」はとても大切なことです。 この場合の他人(ひと)とは、家族も含めた「自分以外の人」のことです。 ところが、ほとんどの人は、やさしさを発揮するには、その進化の方向性がとても大切だということに気づいていません。 他人(ひと)にやさしくできるためには、まず、自分にやさしくできることが必要なのです。 自分にやさしくする前に、他人(ひと)にやさしくすることを優先して、自分を他者の犠牲にしてしまう人は、最初は、他人(ひと)にやさしくしようとしてもふとしたきっかけでやさしさを放棄してしまうことになります。エマニエル・スウェーデンボルグは、その著書「スウェーデンボルグの霊界日記」(たま出版刊)の中でこのようなことを言っています。----- 引用開始[善人と悪人]悪人を特徴づけるしるしは、その思考や言葉に含まれる観念が善から始まるのが普通だが、結局は悪に終わる。善人のそれは、その思考や言葉に含まれる観念が悪から始まる可能性があるが、善に終わる、という事である。なぜなら、悪人においては悪が普遍的に支配しており、そのためその観念は悪の方へ揺り動かされるが、善人においては善が普遍的に支配しており、そのためその観念は善の方へ揺り動かされるからである。普遍的に支配しているのは、目的であり、肯定する基準である。そのため、あらゆるものを引き寄せる面(plane)となっている。----- 引用終了とても逆説的なのですが、自分にやさしくできる人は、自分がそうしたいから自分のために人にやさしくするのです。ですから、人にやさしくしている時点で自分の目的を達成しています。人にやさしくするプロセス自体を楽しんでいます。ところが、自分にやさしくできない人は、人にやさしくすることで他者から高い評価を受けるという結果のために人にやさしくしているのです。結果(見返り)が目的になっているので、見返りが得られないと思うと、やさしさを放棄してしまうのです。 本当の意味で他人(ひと)にやさしくできるためには、まず、自分にやさしさを与えられることが必要なのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 23, 2008
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