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続きです。列車通過時刻を確認し……いよいよ坪尻駅周辺の探検に出発!警報機も遮断機もない踏切(そもそも道らしい道もないですが)を渡って、線路の反対側に出ました。25パーミルの急勾配。妖怪でも住んでそうな、あの廃墟、まだあった!(そりゃ、撤去する必要もないしね)(廃墟の中)その奥に少し行くと、木々の向こうに谷川が見えます。(時期によっては木々に阻まれ、見えないこともあります)駅の正面も……背後も……上り、讃岐財田側(琴平側)も……下り、箸蔵側(阿波池田側)も……(カーブしていて見えませんがこの先すぐにトンネルがあります)山に囲まれていて、人もいないので、谷川の滝の落ちる音と、小鳥のさえずる声ぐらいしか、聞こえません……本当に、秘境ムード満点です!で、満足して駅に戻り、記念に駅ノートに書き込もうとしたら、こんな貼り紙が……何て書いてあるかといいますと……(以下引用) お願い 先月下旬、旅人達が旅の記念に絵や文字で旅日記を綴って、旅人の気持ちが一杯詰まった「坪尻駅ノート」九冊全てが無くなりました。このような出来事は今回が初めてのことですが、非常に残念でなりません。 どうかスタンプ同様、ノートも大切にお使い頂きます様お願いいたします。 平成21年4月6日 阿波池田管理駅長(引用終わり)そしてそこに置いてあった新しい駅ノートは、2009年3月29日の日付からでした。俺が以前、ここに来て書いたのは、2008年11月1日ですから、俺が書き残した分も、消えてしまったというわけですね。漫画『鉄子の旅』で、鉄子一行がここを訪れた時に、漫画家の菊池直恵さんが描いたイラストも、消えてしまったということですね……(もしかしてそれが目的?)ぐぐってみたら、徳島新聞にも、その記事が載っていました。(上記リンク先の上の写真が、菊池さんのイラストのページ)誰か知りませんが、鉄道を愛する者として、この行為は、許せません!(激怒)犯人は、名乗り出なくていいから、返しておいてください!っていうか、ここを訪れるくらいだから、鉄道好きの人なんでしょうが(地元の人はそもそも駅ノートを盗む必要がありませんし)、そんな人は、鉄道ファンとは呼べません!撮りテツさんや収集テツさんたちはどうか知りませんが、少なくとも乗りテツは、列車に乗って、その雰囲気、旅情を楽しんでいます。こんな素敵な駅を訪れて、駅ノートに自分の足跡を残し、仲間が過去に書いたものを読むのも、楽しみの一つです。それを踏みにじるような行為、絶対に許せません!本来、こんな「お願い書き」などなくても、しちゃいけないことだって、分かるでしょうに。っていうか、したいとすら思いませんが……先にも、この犯人への憤りのコメントを残している人がいらっしゃったので、俺も駅ノートに「返してください」と書いておきました。もちろん、書いたのはそれだけではないですが。まあ、そんなわけで、最後に、何となく嫌な気分になりました。その頃、他の二人のテツたちは、カメラの手入れをしながら、「この写真、いつ更新しよう……宮崎のもあるんだぜ?」「宮崎って?」「高千穂廃線」ってな会話をしてました(汗)2005年9月6日の台風14号によって鉄橋が落ちたりして、2008年12月28日に全線廃止となった、高千穂鉄道のことですね。俺は廃線前に乗ったことがありますが……この人たち、廃線跡を撮りに行ったんでしょうかね?まあ、それはともかく、この坪尻駅は今年の1月11日、開業60周年を迎えまして、その記念樹が植えられていました。そして時間が近付いてきたので、ホームに出ました。ここで初めて気付いたんですが、駅のトイレの前に、こんなものが置いてありました。以前来た時には、水道は通ってたような記憶がありますが……なかったっけ?(汗)とか思っているうちに、次に乗る列車がやって来て、俺たちの前を通り過ぎて行きました。そして先ほどとは逆の順番で、待避線に入り、バックして坪尻駅に入線してきました。9:52発 ↓土讃線・普通 阿波池田行(1両編成)(撮影:坪尻駅)キハ54形 ↓先ほど、箸蔵駅からここまで、俺を乗せてきた車両が、そのまま琴平駅から折り返してきたようです。(列車番号を見れば同一の車両であることが分かります)まあ、予想どおりでしたけど。そしてテツの二人も、この列車に乗りました。バイバイ! 坪尻駅……(車内から撮影) ↓10:06着続きは次に書きます。
Jan 31, 2010
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続きです。8:11発 ↓土讃線・普通 琴平行(1両編成)(撮影:坪尻駅)キハ54形 ↓先ほどの琴平からの列車もそうですが、先頭には、しょくぱんまんが描かれています。 ↓8:16着さて、こうして、最初の目的地、坪尻駅に到着しました!この列車は上り列車なので、スイッチバックをせずに坪尻駅に到着します。坪尻駅には一昨年、2008年の11月1日にも訪れていまして、今回が2回目です。その時の模様は、こちらに書いてありますので、どうぞご参照ください。先ほど、琴平駅から箸蔵駅まで乗った、この坪尻駅を通過した列車から見た時には、坪尻駅に人影が見えて、こちらの列車の写真を撮っているようでした。まあ、彼らはどう考えてもテツでしょうし、この列車に乗って、次の目的に行くのかと思っていたんですが、この列車にも乗りませんでした(汗)坪尻駅のホームに降り立ち、ホーム側から駅舎の写真をパチリ、パチリ。それから、ホームの端に行って、X型スイッチバックを激写!だって俺、スイッチバックを見に来たんだもん。スイッチバックを撮らなきゃ。坪尻駅の駅舎に入りましたが……先に来ていたテツのお二人の荷物が置いてある他には、もちろん誰もいない、寂しい駅……そんな俺を出迎えてくれたのは、朝の連続テレビ小説『ウェルかめ』の倉科カナさんだけ……『ウェルかめ』は徳島県が舞台なので、徳島県の駅には貼ってあるのです。この寂しい駅で、倉科さんの笑顔は俺の心の清涼剤になりました。……というのは嘘で(いや、倉科さんは清涼剤にならなかった、という意味ではないです)、この秘境駅(しかもスイッチバック付き)に来たというだけで、朝っぱらから、充分に俺のテンションはマックスでした(汗)駅前はやっぱり何もない(笑)っていうか、増えるどころか、この辺り↓にいた、案山子(かかし)たちが、一人もいなくなってました(汗)不気味だから撤去されたんですかね?「マムシ注意」の立て札は、残ってましたけど(汗)その右手にある、けもの道のような細道は、当然のことながら健在でした。坪尻駅のこの感じは、いつ来ても、飽きないです。この、駅名の一部の木片が落ちて、修理せずにペンキ?で塗っただけの、このいかにも「もう直す気ありません」な駅名の表示も、以前のまま。さて、駅の中に、こんなものが貼ってありまして……はい。この列車は、俺が乗ってきた列車のことでして、実はこの時、ホームにはまだ、乗客を乗せた列車が停車したままでした。8:30になったので、列車が琴平方面に向けて発車です!が、まずはバックから。琴平行きの列車ですが、反対方向の阿波池田方面へ進んでいきます。(向こう向きに進んでいます)そしてスイッチバックのポイントを通過します。(向こう向きに進んでいます)待避線に入って止まり……運転士が車内を移動して運転席を移り、今度はこちら(琴平側)に向かって進んできて、本線に入ります。(こちら向きに進んでいます)そして、琴平方面に向かって、消えていきました……(撮影者の向きが逆になり、向こう向きに進んでいます)いやあん。スイッチバックしてる様子をこんなに近くで見られるなんて、興奮度超マックスで、イッちゃいそう♪ってな感じで、ハァハァと息を乱しちゃいました(汗)続きは次に書きます。
Jan 31, 2010
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1月30日(土)ちょっと四国へお出かけしてきました。まずは、29日(金)の23:30、三宮駅前のバスターミナルから、ジャンボフェリーの乗り場への送迎バス(200円)に乗りました。信号等があるため、10分弱ぐらいかかりますが、歩いても15分くらいで着きます。乗り場に着いて、乗船手続きをしました。神戸-高松間、片道1800円、往復2990円です。↑往路のチケット↑復路のチケット復路のチケットには、乗船日や日付などが書かれていません。3月31日までの高松→神戸の便なら、どれに乗ってもかまわないですし、特に便を指定する手続きをする必要もありません。というか、復路は、乗船手続き(氏名、住所などの記入)も不要で、このチケットさえあれば、どの便にも乗れます。さて、こうして、ジャンボフェリー『こんぴら2』に乗り込みました。階段を上がり……この船は、昼間も就航していますので、普通の座席もありますが……俺が行ったのは、カーペットの二等和室。3階にあります。自由席ですので、座席でも和室でも、好きな方に行けます。女性専用席もあり、そこは一室、全て座席です。何度も乗っていますし、そんなに探検する所もないですし、時間も時間ですので、0:55の出航前に、早々と寝ました(笑)高松東港の到着は5:00。そこから無料送迎バスで高松駅へ行きました。神戸側は、神戸フェリーバスというバス会社の便なので、200円かかりますが、高松側は、ジャンボフェリーが持っている自社のバスなので、無料なのです。こちらも、遅くても10分もあれば高松駅に着きます。今回の旅は、あらかじめ買っておいた、土曜・祝日限定で、JR四国内の普通・快速列車に乗り放題の、四国再発見早トクきっぷ(2000円)を使いました。この切符、自動改札機は普通に通ることができます。さて、まずは、この列車に乗ります。5:44発 ↓予讃線・土讃線・普通 琴平行(4両編成)(多度津から土讃線)(撮影:高松駅)113系 ↓この113系の車内は、俺の好きな転換クロスシートなのですが、それはまあ、いいとして……中間車にも、乗務員室がありまして、そこが……「室」というより、柵で区切ってあるだけの「空間」です(汗)この車内で、地元で昨夜買っておいた、朝食のおにぎりを食べました(汗)フェリーの到着が遅れたら、列車に乗り込むのがギリギリになるかもしれないから、買っておいたんです。 ↓6:54着6:58発 ↓土讃線・普通 阿波池田行(坪尻駅通過)(1両編成)(撮影:琴平駅)キハ54形 ↓琴平駅の営業時間は7:15からなので、この時間はまだ無人駅。ですから、ワンマンなので、乗る時には整理券を取らないといけません。まあ、俺はフリーきっぷなので、関係ないんですけどね。車内はこんな感じ。5人分ごとに、肘掛けが付いています。乗客は、確か、琴平駅を出た時には、俺を含めて3人……(汗)なお、琴平駅から先は、非電化単線になります。坪尻駅は通過なので、その次の箸蔵駅まで行って、折り返すことにしました。本当は、箸蔵駅の次の佃駅や、その次の、終点・阿波池田駅まで行ってから、折り返してもよかったんですが、阿波池田駅も佃駅も、降りたことがあるので、初めての箸蔵駅にしました。 ↓7:35着小さな無人駅です。(玄関側からホーム側に向かって撮影)続きは次に書きます。
Jan 31, 2010
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続きです。2010年1月1日(金)無事、新年を迎えました。ですが、早速、朝から移動開始です(汗)8:45発 ↓地下鉄5号線 傍化行スーツケースをあちこち持ち運ぶのは嫌なので、空港まで乗り換えなしで行ける所にあるホテルを選んでたんですよね。ソウル駅からも、空港からも、路線は違えど、東大門歴史文化公園駅へは乗り換えなし。ただ、ソウルの地下鉄では、今までずっとW1000の区間でしたが、初めて、W1300の区間になりました。 ↓9:32着こうして、金浦(キンポ)国際空港に到着しました。写真は外へ出て撮っていますが、本来、地下鉄の駅から、外へ出ることなく、空港に行くことができます。金浦空港駅を降りて、そのまま仁川(インチョン)国際空港行きの列車(空港鉄道(A’REX))に乗り換えることもできますし、金浦空港の国内線と国際線のターミナルへも、ちゃんと漢字と英語で表示がありますから、迷うことはありません。地下の動く歩道を通って空港まで行けます。「e-チケット」を持っていたので、チェックインカウンターに、e-チケットとパスポートを出して、チケットを発券してもらい、同時にスーツケースを預けました。係員は韓国人のおじさんでしたが、特に何も話すことなく、手続き完了。それから軽く昼食を取り、空港内の銀行で両替をしました。もちろん、その手数料が30%引きになるその銀行のクーポン券を持ってきていましたので、それを使い、W159000を出したところ、¥12000と、お釣りがW4340返ってきました。さて、時間が迫ってきましたので、出国審査。無事、パスポートにスタンプを押してもらいましたが……国によってなのか、審査官によってなのか知りませんが、適当なページに押されました(汗)よくあるようですけどね。右上が日本出国、左上が韓国入国、右下が日本入国のスタンプですが、このページはパスポートの11ページ。そして韓国出国のスタンプだけ、ずっと飛んで29ページに一つだけポツンと(汗)ギリシャに行った時のスタンプは、入国、出国全て、9ページ目に押されました。トルコに行った時のも、全て10ページ目。で、今回の韓国も、韓国入国までのスタンプは順番に11ページ目に押してくれたんですが、出国だけ、適当なページに押されて(日本入国は11ページ目に押してくれたのに)、几帳面な性格の俺は、これだけで、何か、汚された気がして、イライライラ……(汗)まあ、いちいちページをめくって最後のページを探すなんて、時間の無駄なのは分かりますが、俺みたいな性格の人は、それだけで、コレクション(ではないですが)が穢された気分になり、憂鬱になるんです(汗)で、それとは全く関係ないんですが、下関港での出国のスタンプ……「KANMON」(関門)って……(汗)下関なんだから、門司は関係ないんじゃ……(汗)さて、その後、セキュリティーチェックがあったんですが、俺のリュックが鳴っちゃいました(汗)「モウイチドケンサシマス」って言われて、リュックの上から、何か掃除機みたいな音がする機械で調べられ、おまけにパスポートの番号か何かを控えられて、「ドウゾ」って……(汗)何かやばいものが入っていたんなら、その場でリュックの中身を調べられそうなものですが、そうでもなく、そのまま返されました。だったら、何の必要があって、パスポートの何を控えられたんだ!?(汗)さて、セキュリティーチェックを受けてから、機内で飲むお茶でも買おうと思ったら……自販機が1台もない……(汗)何かカフェみたいなところがあって、そこに、高い水のペットボトルなら売ってましたが、そのカフェ以外には、免税店しかなく……いくら何でも、自販機の一つや二つ、置いといてくれてもよさそうな気が……(汗)……ハングルじゃ、何書いてあるのか、分かりませんね(汗)俺が乗るのは、12:25発のJAL8962便大阪行きです。この飛行機は、日本航空が運行していますが、大韓航空とのコードシェア便です。(「KE」は大韓航空のコード)あ、心配しなくても、日本語版や……漢字版の表示もありましたよ。さて、12:00、搭乗開始。うおお! 座席にテレビが付いてる!写真は撮れませんでしたが、乗った機材は、JALエクスプレスのB737-800です。俺はもちろん窓側♪俺の隣の席は空いていて、その隣に日本人のおじさんが座っていました。隣が空いてると、広々と感じますね。12:21、飛行機は駐機場を離れ、滑走路に向かいました。飛行機が通らない所は、雪で白いまま……そして、12:32、離陸!ウィングレット付きの翼です。相変わらず、座席は主翼が見えるこの位置が好きな、俺でした(笑)12:48頃、眼下に海が見えてきました。で、その頃、機内食が配られました。たった1時間半のフライトでも、機内食出るんですね!お昼時だからかもしれませんが。日本製のお弁当♪もうね、機内食ってこんなに美味しいものだったのか、ってぐらい、美味しかったです(汗)いちおうホテルでも、朝食バイキングではおにぎりが出ましたけど、何か、握り方もしっかりしてないからポロポロ落ちるし(っていうか、型にご飯を入れただけでしょうね)、やっぱり、1週間ぶりの和食の味は、格別でした。日本のお弁当は、美味しいよ、うん(泣)それに、久しぶりに割り箸を持ちました。韓国の金属の箸と違って、割り箸は軽くていいです(汗)そして日本上空まで来て、着陸を始めました。けっこう高度を下げて、神戸空港のすぐ脇を通り過ぎ、そのまま大阪湾へ。そして、13:45、無事、関西国際空港に着陸。13:47、駐機場に到着。ウィングシャトルに乗って移動し、入国手続きなどを終え、スーツケースを無事、受け取り、税関を抜け、無事、帰国完了!あとは、自宅最寄り駅行きのリムジンバスに乗って帰りました。こうして、1週間の韓国旅行は、終わりました。楽しかったです。結局、韓国滞在中、話した韓国語は、「カムサハムニダ」だけ(汗)あとは、日本語と、片言の英語と、ジェスチャーだけ。以外と、何とかなるものです。
Jan 5, 2010
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続きです。昌徳宮(チャンドックン)の次は、その東隣にある昌慶宮(チャンギョングン)です。東隣にあるとは言っても、観光客の入場口は離れていて、けっこう、ぐるっと回らないといけないんですが……昌慶宮の入口の弘化門(ホンファムン)は、道路のすぐ脇にあるので、これ以上引いた写真は撮れません(汗)道路の反対側に渡れば撮れますが。ここの入場料はW1000。道路を挟んで南隣にある宗廟(チョンミョ)と共通です。さて、通常、王宮の正殿にたどり着くには、3つの門をくぐらないといけないのですが、この昌慶宮は、正門の弘化門と、次の明政門(ミョンジョンムン)をくぐれば……正殿である明政殿(ミョンジョンジョン)に着きます。この昌慶宮は、最初、李氏朝鮮第4代世宗(セジョン)大王(1397~1450)が、1419年に造り、その頃は寿康宮(スガングン)という名前でしたが、1483年に、第9代成宗(ソンジョン)(1457~1495)が、3人の王妃が住むには手狭だということで、改修して、昌慶宮と名前を変えました。西隣の昌徳宮との境は実はなくて、ほとんど一つの王宮のように使われました。この王宮も、朝鮮出兵の際に、朝鮮の民衆によって焼かれ、1616年に再建されました。昌慶宮の歴史はこんな感じです。この日、すごく寒くて、少しでも手袋を脱ぐと、手が一瞬で凍り付きそうだったので(←大げさ)、ずっと手袋を履いていたため、細かいカメラ操作ができませんでした(泣)↑歓慶殿(ファンギョンジョン)(右)と景春殿(キョンチュンジョン)(左)。王様の家族が暮らした所です。他にも建物はあったんですが、寒かったので、これくらいで勘弁してください(汗)さて、この昌慶宮から、外へ出ずに、宗廟に行くことができます。南側にある橋を通って道路を渡ると……(写真は昌徳宮から昌慶宮に行く際の道路から撮ったもの。左側が昌慶宮、右側が宗廟)裏口からですが、世界遺産・宗廟(チョンミョ)に入れます。宗廟は、1395年に、李氏朝鮮初代国王太祖(テジョ)・李成桂(イ・ソンゲ)が建てたもので、歴代の王族を祀ってある神社です。日本で言うと、伊勢神宮みたいなものですね。朝鮮出兵の際に焼かれましたが、その後、再建されました。1995年に世界遺産に登録されました。裏口から入ると、まずあるのが、この永寧殿(ヨンニョンジョン)です。その隣にあるのが、正殿(チョンジョン)です。正殿も永寧殿も、李氏朝鮮の歴代の王と王妃が祀ってあることに代わりはないんですが、正殿に祀られるのは善政を行った王とその王妃だけです。永寧殿には、悪政……というか、善政でなかった王とその王妃が祀られています。で、歴代の王の中で、王位を追われた二人の王については、永寧殿にすら祀られていません。現在も、毎年5月初旬、元王族の子孫たちが、宗廟祭礼楽を行っています。この正殿は、柱廊も立派で綺麗です。ただ、立入禁止なので、横の方から、腕を上に伸ばして撮りました。この宗廟と昌慶宮は、共通の入場券ですが、もちろん、宗廟側から入場することもできます。さて、宗廟の見学も終わり、少し時間が余ったので、宗廟の正面から出て、目の前の通りを西へぶらぶらと歩きました。もちろん、目的地は考えてありましたが。地下鉄鐘閣(チョンガク)駅のある交差点を南へ。しばらく歩くと、ロッテ百貨店があります。ここをしばらく見て歩いて、お土産を買って、ホテルに戻ることにしました。ちゃんと、ここの最寄りの駅から、乗り換えなしでホテル最寄り駅まで行けることは、調査済みです。16:11発 ↓地下鉄2号線 内回り(というのかどうか知らないけど右側通行の環状線です)16:16着こうして、ホテルに早めに帰ってきて、韓国観光の最終日を終えました。続きは次に書きます。
Jan 5, 2010
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昌徳宮(チャンドックン)編の続きです。これは、王の住居だった熙政堂(ヒジョンタン)です。さて、ここの、赤い丸で囲った部分ですが……拡大しますと、青?ガイドさんによると、この「青」の文字がここに書かれている理由は……不明だそうです(汗)さて、この、色鮮やかな色彩ですが……ガイドさんによると、この色彩は、宮殿か寺院でしか使用することができず、どんなに身分が高くても、どんなにお金持ちでも、自分の家に使うことはできなかったんだそうです。さて、宮殿の屋根には、このようなものがよく乗っていますが……これ、『西遊記』の三蔵法師御一行様なんだそうです(汗)この熙政堂、裏側から中を見ることができます。王朝末期なので、中は洋風になっていますね。次は、王妃の住居だった大造殿(テジョジョン)です。後に王妃だけでなく王様も住むようになったそうですが……↑王妃の部屋に対し……↑王様の部屋に家具の類が一切ないのは、家具を武器として命を狙われる可能性があるからなんだそうです(汗)さて、秘苑(ピウォン)と呼ばれている後苑に行きますと……水面が凍り付き、更にその上に雪が積もっていて、よく分からないですが、芙蓉池(プヨンチ)という池です。芙蓉亭(プヨンジョン)という四阿(あずまや)もあります。池の縁から少し高い所に登った所にあるのが、宙合楼(チュハムヌ)という図書館です。また少し歩いて、一枚岩をくり抜いて作られたという、不老門(プルロムン)をくぐって行きます。↓この演慶堂(ヨンキョンダン)は……王宮の中の建物にしては、妙に地味ですが、これは、第23代国王純祖(スンジョ)(1790~1834)の息子、孝明世子(ヒョミョンセジャ)(1809~1830)が、1828年、父親のために建てた建物で、わざわざ当時の貴族の住居を模して造らせたそうです。この建物は、屋根の前に更に屋根が付いています。これは、この建物は西向きなので、もう一つ屋根をくっ付けて、西日が入らないようにしてあるんだそうです。そして、これが、朝鮮半島や中国東北部などで昔から使われている、温突(オンドル)という、床暖房装置付きの床です。床下に石の板を敷き、その上を漆喰などで塗り、最後に床に油紙を敷き詰めた部屋です。この床下に、台所から出た温かい煙を通して、床暖房にするわけです。炊事をしていない時も、暖房用に、竈に火を入れていたらしいです。現在でも朝鮮半島ではこのオンドルが、暖房設備として好まれているようですが、もちろん、マンションなどだと、床下に上記のような設備は作れませんので、温水などを流した、普通の床暖房になっているそうです。↓最後に、この昌徳宮のガイドをしていただいたガイドさんです。日本語、お上手でした。こうして、昌徳宮の見学を終えました。続きは次に書きます。
Jan 4, 2010
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続きです。世界遺産・昌徳宮(チャンドックン)に着きました。入場料はW3000です。入口はこの敦化門(トンファムン)ですが……入口は柵で閉められていて入れない(汗)出口の方から入ろうとしたら、出口の窓口にいたおっちゃんに怒られました(汗)で、どこから入るんだ? と思っていたら、入口の付近にいた観光客に、そこにいたおっちゃんが、ガイドブックを配り始めました。韓国語、日本語、英語、中国語の4パターンあるらしく、それぞれ、何語か聞いて、配ってました。それはまあいいんですが……韓国語、日本語、英語、中国語での無料ガイドツアーがあって、この時期、それぞれ無料ガイドツアーが行われる回数は、韓国語は1日14回、日本語は1日4回、英語は1日3回、中国語は1日2回です。(季節によって変更あり)で、4月から11月の毎週木曜日以外は、ツアーガイドなしでの自由観覧はできないようです(汗)(月曜日はそもそも休みで、自由観覧の木曜日の入場料はW15000)はよ言え!(汗)俺の持ってるガイドブックには、「無料ガイドツアーがある」とは書いてあっても、「ガイドツアーなしでは観覧できない」とは書いてありません(汗)(自由観覧日の入場料が5倍になることも、書いてありません)昌徳宮の入口付近にも、チケット売り場にも、書いてありません(汗)韓国語や英語では書いてあったのかもしれませんが、少なくとも日本語では書いてなかったような気がします。で、入口のおっちゃんも、日本語は話せるようなのに、その説明はなし。「ツアーガイド付きでの観覧しかできない」のは、「さも当然で常識」であるかのように扱われました(汗)入口でおっちゃんに、「ニホンゴ?」と聞かれて、「そうです」と答えられた俺はよかったですが、「何のこと?」って感じで、「え? あの……」と一瞬とまどっていた人は、日本人ではないと判断されたらしく、韓国語のパンフレットを渡されていました(汗)で、日本語でのガイドツアーは、9:30~、10:30~、12:30~、14:30~ の4回で、この時、時間は12:40ぐらい。次のツアーの14:30まで入れないのかと思ったら、おっちゃん、「ニホンゴ、サッキハジマッタバカリダカラ、イソゲバオイツケル」と言って、俺だけ中に入れてくれました。そころで、中国語は11:00~と15:00~の2回しかないんですが、中国語しか分からない中国人は、この2回以外の時間帯には、見学すらできないということなんでしょうかね(汗)せめてチケットを買う前に、説明が欲しいものです。まあ、何語のツアーでもいいから、入っちゃえば、こっちのものなんでしょうけど。ちなみにツアーは、1回、1時間20分を要します。とりあえず、中には入れてもらえましたので、急いで先に進みました。進善門(チンソンムン)を抜け……仁政門(インジョンムン)を抜け……正殿である仁政殿(インジョンジョン)でようやく、日本語ガイドツアーの一団に追いつきました。(写っている団体が日本人の方々)ガイドさんが日本語で説明していたので、ああ、これだな、と。中はこんなふうになっています。追いついた時には、この中の説明は終わった後だったんですが、玉座でしょうかね。ところでこの昌徳宮は、先述の景福宮の離宮として、1405年に造られました。世界遺産になっているのは、こっちの方ですが。正宮として利用されたこともありますが、ここも、景福宮と同じく、朝鮮出兵の際、民衆による略奪の末、放火されて焼失しました。その後、再建され、再び景福宮の離宮として使われましたが、李氏朝鮮最後の第27代国王純宗(スンジョン)(1874~1926)が、大韓帝国第2代皇帝として即位した(1907年)後は、この昌徳宮が宮殿として使われました。1910年の日韓併合により、大韓帝国も終わりましたが、純宗はそのままここに住み続けました。そして1997年に、世界遺産として登録されました。というのが、この昌徳宮の簡単な歴史です。続きは次に書きます。
Jan 4, 2010
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続きです。12月31日(木)韓国観光最終日。この日は、ソウルの王宮めぐりです。10:06発 ↓地下鉄5号線 傍化行10:09着【鐘路3街】(チョンノサムガ)10:19発 ↓地下鉄3号線 旧把撥行10:24着さて、こうして、景福宮(キョンボックン)に着きました。門を守っている兵士役の人たちもいて、おねいさんたちに挟まれて記念撮影されていました。(いいな……)済州島からのツアーの方々でしょうか……入場チケットはW3000。ちなみに韓国のチケット売り場は、日本語とは逆で、「買票所」と言います。まあ確かに、お客さんの立場に立てば、「売る」んじゃなくて「買う」わけですから、こちらの方が正しいような気がしてきますが。まあ、それはともかく、中に入りましょう。勤政門(クンジョンムン)です。石段にも意匠が施されています。この勤政門を抜けると、この景福宮の正殿、勤政殿(クンジョンジョン)があります。回廊もありますよ。でも、勤政殿の中は……工事中?この景福宮は、李氏朝鮮を開いた、太祖(テジョ)・李成桂(イ・ソンゲ)(1335~1408)が、1395年に建てた、現在、ソウルにある王宮では最も古い王宮です。1553年に火事で焼失し、その後、再建されましたが、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、再び、焼失しました。と言っても、日本兵が焼いたというよりは、王がソウルから逃げ出したことにより、もぬけの殻になったので、民衆によって、略奪や放火などが行われたようですが……その後、昌徳宮(チャンドックン)が王宮として使用され、それから約270年間、再建されませんでしたが、1865年に再建され、王宮として使用されたりされなかったり、色々とあった末、1910年に日本が併合したことにより、大韓帝国がなくなると、王の住まいとしての王宮は不要となり、ここに、日本の朝鮮総督府の庁舎が建てられるという、韓国人にとって屈辱の出来事がありました。しかも朝鮮総督府が建てられたのは、現在、この景福宮の入口になっている、興礼門(フンネムン)(門番の兵士たちが立っていて記念撮影していた所)の場所で、正殿である勤政殿の前でした。そりゃあ、日本で言うところの、皇居や京都御所の正門に、アメリカのGHQ本部が置かれるようなものですからね。屈辱以外の何ものでもないでしょう。そして現在、景福宮の背後(敷地内ですが)には、青瓦台(チョンワデ)という建物があり、韓国の大統領官邸になっています。そういう場所ですから、観光客は、予約をしないと見学できません(身分証明書必要)し、撮影なども、場所が指定されています。この建物↓は慶会楼(キョンフェル)と言いまして、宴会場、つまり迎賓館みたいなものですね。この近くには、顔出しOKパネル(何か言い方が怪しい)や……コスプレ撮影会ができる所がありました。(コスプレって言うな)どこの国に行っても、こういうのはあるんですね(笑)そして、正面の興礼門の前では、守門将交代式が行われていました。まあ、王朝時代の衛兵交替を再現したものです。他の場所を見学していたため、最後の方しか見ることができませんでしたが。正面から見えなくなった所で、リハーサルだか待機だか、していました。さて、実はこの興礼門、景福宮の正門ではありません。本当の正門は、光化門(クヮンファムン)と言いまして、現在、再建工事中です。光化門は1950年に朝鮮戦争で焼失した後、1972年に再建されましたが、その位置は、朝鮮総督府の建設に伴って移設された位置だったので、2006年に解体され、現在は王朝時代の位置に再建(移設)工事中なのです。また、この景福宮の敷地内に、国立古宮博物館があります。ちょうど、博物館誕生100周年を記念して、無料観覧中でした。2009年1月1日から2009年12月31日まででしたから、ちょうど、無料観覧の最終日だったわけです。館内には日本語のパンフレットもあります。李氏朝鮮の歴史の勉強になります。(展示品について、日本語で説明が書かれている所は少なかったですが)こうして景福宮を後にしました。次は昌徳宮に徒歩で向かいます。景福宮の前の通りを、まっすぐ東に向かうだけです。途中、歩道の脇で、屋台のおっちゃんが、たい焼きを売っていました。「たいやき 3コ W1000」って日本語で書いてあったので、ちょうどお昼時だったし、買うことにしました。「3つ」と指を3本立てて、W1000札を出すと、おっちゃん、「タイヤキ?」と言って(たい焼きしか売ってませんが)、3つ、紙袋に入れてくれました。日本円にして、約80円です。安い!少し行った所に、休憩所があったので、そこで早速、アツアツのたい焼きを食べてみることに。日本のたい焼きより小さめですが、あんこ(こしあん)はちゃんと入ってましたし、3個で80円だと思えば、充分です。味も別に悪くなかったですし。冷えた体が、暖まりました(手袋を取った手は冷たかったんですが)。続きは次に書きます。
Jan 4, 2010
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続きです。歩き続けて、12時過ぎのちょうどいい時間になりました。しかもこの水原(スウォン)は、カルビの町。これはもう、カルビ焼きを食べに行くしかありません!というわけで、有名な「カボジョンカルビ」というお店に行くことにしました。ちょっと遠いかな、とも思ったんですが、徒歩で行くことにチャレンジ!が……道は間違っていないはずなのに、着かない……(汗)八達門(バルダルムン)の前の通りまで戻っては、もう一度、別のルートでトライ。……でもやっぱり、地図に描いてある交差点まで着きません(汗)そうして、2時間ぐらい、さまよい歩きました(汗)最後にもう一度チャレンジ、と思って、八達門に戻ったところで、「……タクシーにしよう(汗)」と思い、タクシー乗り場から、タクシーに乗りました。おじいさんの運転手さんに、「カボジョンカルビ」と言うと、運転手さん、「カボジョン……」と呟いてから、発車。タクシーは、俺が歩いたのと全く同じルートを走りました(汗)……途中までは。俺が諦めて引き返した地点を、更にそのまままっすぐ進んでいきました。えええええーっ!そんな遠くまで行くの?地図の縮尺、間違ってねえか?っていうか、この地図、さっき曲がった交差点から、店へ行くのに曲がる交差点まで、交差点は一つもないように描いてあるけど、実際、信号のある大きな交差点を、いくつも通り過ぎてるし……(汗)やたら細い道まで描いてあるかと思ったら、大きな道が描いてなかったり……(汗)結局、基本料金W2300のところ、W3500かかりました。時間にすると、6、7分ぐらいでしたっけ……っていうか、店の名前を言うだけで連れていってくれるなんて、よっぽど有名なお店なんですね。で、これがその、「カボジョンカルビ」さん。道路の向かい側に、本店(たぶん)があります。ガイドブックや、事前にネットで調べたところによると、日本語は通じないようなので、緊張しながらお店に入り、「一人……あ、ワン……えっと……」とか、自分でもわけ分かんなくなりながら言うと、「ニホンジンノカタデスカ?」と、店員さんが言ってきました。なんだ、日本語通じる人、いるんじゃん(たぶん日本人がたくさん行くからでしょう)。店内に通されると、けっこう豪華な店内でした。でも、14時を過ぎていたので、お客さんはあまりいませんでした。俺が通されたのは1階ですが、まだ上に何階もあるようでした。メニューは、日本語でも書いてありました。俺が渡されたのだけ、日本語対応メニューなのかもしれませんが。さて、ガイドブックやネットでの口コミによく出てくる、ランチメニューのカボジョン定食を注文します。でも、「カボジョン定食」と書いてある所には、値段が書いてない!「ネ、ネダンワ?」(↑なぜか片言)と聞くと、下の方に書いてありました。肉の産地などで値段が違うらしいです。なるほど。アメリカ産とオーストラリア産で値段が同じだったので、オーストラリア産の骨付きカルビを注文。値段はW16000。日本円にすると、約1280円。少し待つと、おじいさんが焼けた炭を持ってきて、金網の下に入れました。それから少しして、ワゴンで肉や料理が運ばれてきました。肉は店員さんが焼いてくれます。焼いている間に、料理がどんどん運ばれてきました。そして店員さんが、肉をハサミで一口サイズに切ってくれまして、準備OK。とりあえず、食べ始めました。韓国のカルビ焼きは、日本の焼き肉とは違って、肉をたくさん食べる料理ではありません。肉はメインではありますが、あくまでもおかずの一つです。だから、肉は、上の写真に載っている分で、全てです。その代わり、おかずが多い……(汗)食べていると、更に、ご飯とチゲが運ばれてきました。そして、骨に付いている肉の残りの部分を、店員さんが丁寧に切り取ってくれて、おじいさんが炭を回収しました。もうこれ以上は、料理は出てきませんでしたが、1時間かけて、完食できた皿は半分ぐらい(汗)後は、どう頑張っても完食できませんでした。肉は全部食べましたけど。こうしてお腹いっぱいになり、まだ時間もあったので、食後の運動も兼ねて、水原駅まで歩きました。約1時間で、水原駅に到着。改めて見ますと、大きい駅です。華城(ファソン)の模型もありました。そして、相変わらず無人の改札口(汗)改札口の形としては、日本の駅に似ていますが。暇だったので、駅の中をぶらぶらとしていました。駅前の大通りを見ると、やっぱり大都会ですね、ここは。こうして、1時間半ぐらい、この駅でぶらぶらしてから、ホームに出ました。水原駅は、セマウル、ムグンファ用と、各駅停車用で、改札口もホームも違います。というのも、セマウルやムグンファは、長距離列車で、改札口も上記のように無人ですし、ホームも低くて、列車にはステップで乗り込みます。一方、各駅停車は全て、地下鉄1号線との乗り入れなので、車内改札ができませんので、普通に自動改札機を通ります。しかも地下鉄の車両の入口にはもちろん、ステップなんてありませんので、日本と同じく、線路に対してホームが高くなっていて、バリアフリーで列車に乗り込みます。というわけで、長距離列車と各駅停車では、線路からのホームの高さも、改札口も違うのです。だから、途中まで長距離列車で来て、途中から各駅停車に乗り換える場合、日本では、同じJRなら、乗車する全区間の乗車券と、乗る特急の特急券を併せた切符になりますが、韓国では、特急列車と各駅停車を乗り継ぐ場合、切符は全く別々で、しかも、いったん改札口を出ないといけません。同じKORAILでも、長距離列車と各駅停車とでは、日本でいうJRと私鉄の乗り継ぎみたいなことをしないといけないのです。その割に、KORAILのソウル近郊各駅停車と、地下鉄や私鉄の各線は、同一の切符で、乗り換えも改札を通らずに行けるわけで、会社の違いよりも、長距離列車か都市近郊各駅停車かの違いの方が、重要視されているようです(汗)まあ、それはともかく、既に切符を買ってあった、ソウルまでのムグンファに乗りました。17:31発 ↓京釜線・『ムグンファ1214号』 ソウル行(撮影:ソウル駅) ↓さすがにこの時間だと、列車は満席で、俺の窓側の席に、おそらく立ち席券らしいおじさんAが座っていました。そこに、本来、俺の横の席らしいおじさんBもやってきて、どうやら、俺が、そのおじさんBの通路側の席に座ろうとしていると勘違いされたらしく、俺が何か韓国語で何か文句を言われましたが、俺が、俺の席に座っているおじさんAに自分の切符を見せて、どいてもらうと、後ろから来たおじさんBも納得したらしく、俺が窓側、おじさんBが通路側の、本来の自分たちの席に座り、おじさんAは、どこかに行きました。このように、立ち席券では、指定席でも、その席が空いていれば、座ることができます。これは日本と同じですね。 ↓18:03着こうして、ソウルに戻ってきました。ソウル駅にあるロッテマートで買い物をしました。店内にも、けっこう日本人観光客らしい人がいました。で、レジに並んで、お金を払おうと財布の中を覗き込んでいると、店員さんが何か言いました。「……?」と、顔を上げると、店員さん、「フクロ……」と言ってきたので、「ノー」と言って手を振り、お金を払って、品物をリュックに詰め込みました。なんで、一言もしゃべってないのに、日本人だって分かるんだ?(汗)韓国人でも、財布のお金に集中していて、店員さんの言ったことが聞こえてなくて、一瞬、「え?」となることもあるんじゃないですか?(汗)18:34発 ↓地下鉄4号線 タンコゲ行18:41着これで、この日は終わりました。続きは次に書きます。
Jan 4, 2010
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続きです。長安門を過ぎて更に進みますと、華虹門(ファホンムン)があります。ここは人が通るための門ではなくて……水門です。別名を「北水門」といい、華城を南北に横切る(北から南へ流れる)水原川の水門です。水量が多い時には、7つの水門から勢いよく流れ出る水が、水しぶきをあげ、綺麗な虹を作ることから、この名が付いたそうで、その様子は華虹観漲といって、水原八景の一つなんだそうです。ちなみに川面は、凍り付いていました(汗)この華虹門の隣に、小高い小さな丘があり、城壁が少し外側に突き出るようになっていて、そこに訪花随柳亭(パンファスリュジョン)があります。これは東北角楼の別名で、本来の目的は、ここで兵士が寝泊まりしながら、守備をするためのものですが……(だから、標高が高く、突き出た場所にある)この建物は、石とレンガと木材で造られている特殊なもので、建物の外観も、優雅で美しい造りをしています。華城の建物の中で、一番美しいと言われています。二階へ上がろうとしましたが、その上がり口に……と書いてありましたので、靴を脱いで上がると……その下(城壁の外側)には、龍淵(リョンヨン)と呼ばれる池があります。この池に、月明かりで訪花随柳亭が映ると、何とも幻想的な景色になることから、龍池待月といって、これも、水原八景の一つなんだそうです。でも……靴を脱いでいるので、足が冷たくて冷たくて……(泣)一瞬でしもやけになりそうだったので、早々に降りました(汗)このすぐ隣に、北暗門があります。↑正面(外側)↑裏(内側)暗門とは、その名から連想できますように、城壁の奥まった所や、木々の陰に隠れたような、暗い所にある門で、いわゆる、秘密の門です。この華城にも、ここだけではなく、いくつか暗門があります。さて、この辺りまで来て、俺、ようやく気付きました。城壁に沿って立っている旗の色。華西門の辺りでは白い旗だったのが、長安門の辺りでは黒い旗になっていたんですよね。最初は特に気にしていなかったんですが、よく考えたら、西が白旗、北が黒旗……ということは、東が青旗で、南が赤旗なのか? と……華虹門までは、黒旗でした。ということは、そろそろ旗の色は、青に変わる?なんてことを漠然と思いながら、進みまして……一番危険だったのは、この下り坂でした(汗)もう、踏み固められて、完全にアイスバーン状態。しかも結構な角度の下り坂。ゆっくり、ゆっくり歩いていきましたが、俺の後ろの方にいた日本人らしいおばさん数人、キャーキャー言って、壁に掴まりながら、へっぴり腰で歩いていました。おばさんがキャーキャー言っても、かわいくない。(←ひどい)若いおねいさんだったら、手を差し出していたところですが、おばさんだったので、置いていきました。(←さらにひどい)っていうか、一人ならともかく、何人もいっぺんには無理ですって!さて、上の写真、立っている旗は、青色です。やっぱり、予想どおり!別名、練武台(ヨンムデ)とも呼ばれている、東将台(トンジャンデ)に着きました。ここは、兵士の訓練所です。将台は、華城に2ヶ所あり、西にもう1ヶ所あります。その西にあるのが、西将台(ソジャンデ)で、先述した、八達山の頂上付近に小さく見えた建物です。あそこが、華城で最も標高の高い所です。登るの嫌なので、行きませんでしたが(汗)東将台から少し行くと、東北空心☆(トンブクコンシントン)があります。(☆は「つちへん」に「敦」)いわゆる見張り台で、中に入って、屋上に出ることもできます。ここの中で、お決まりの頭ゴッツンをしてしまいました(汗)さて、華城の東の門である、蒼龍門(チャンリョンムン)が見えてきました。この蒼龍門は、西の華西門とほぼ同じ大きさ、造りをしています。円弧状の壁の上は、こんなふうになっています。華城の城郭巡りも終わりに近付いてきました。烽☆(ボントン)、いわゆる、のろし台です。(☆は「つちへん」に「敦」)この辺りから、旗が赤くなりました。どうでもいいんですが、城郭の外に、巨大な教会が見えました。この辺りは、城郭の内側を見ますと、反対側の八達山の東側が見えます。というわけで、八達山の山腹にある観音様が見えました。改めて、西側の城郭の登り口を見ますと……あんなん、登れませんって!そうこうしているうちに、城郭の東側の端に着き、そこの石段を下りました。時刻は12:05。華城観光終了です。そこから徒歩5分くらいで、八達門に戻ってきました。その近くにある、西側の城郭の登り口の下まで行きましたが……やっぱりこんなの登るの無理!特に、雪が積もっていて、危ないです、はい(汗)というわけで、これで、華城の観光は終わりました。続きは次に書きます。
Jan 3, 2010
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続きです。世界遺産に指定されている、華城(ファソン)の観光です。華城は先述のように、李氏朝鮮第22代正祖(チョンジョ)が、自分の父親の墓を守るように造った城壁で、ここに遷都の計画もありましたが、完成直後に正祖が亡くなったため、その計画は中止になりました。城郭は、1794年から96年まで、のべ37万人が集められて、建設されたんだそうです。一周約5km、徒歩で2~3時間のコースです。さて、華城行宮の裏にある石段を登ります。駅前の観光案内所のおねいさんは、「ちょっと石段があるんですが……」って言ってましたが……全然「ちょっと」じゃねえ!しかも下りじゃなくて、登り!……でもおねいさんだから許す(汗)石段を登り切った所に、華城列車の乗り場がありますが、俺は乗りません。そんなのに乗ったら、途中、ゆっくり見たい所があっても、止まってくれないでしょ?乗り場から少しだけ南の方に行くと、山側に何かありました。(何か、って……)「城神祠」って書いてありました。で、道路の反対側には、山腹にある観音様の後ろ姿(汗)さて、ここから、舗装された道を北に向かって歩きます。山の上(中腹ですが)なので、水原の市街地が見渡せます。途中、公園がありまして……こんな所、誰が遊ぶんだ? と思っていたら、おじさんが一人、遊んでました(汗)更に進みますと……華城を作った、正祖の像ですね。ここは華城列車の通る普通の舗装された道路なんですが、何せ、路面はこんな感じ↓で、しかもアップダウンがある坂道なので、普段より小股になり、歩くのが遅くなります。左手の山の上を見ますと、ちゃんと城郭が見えています。この道路は、西北角楼(ソブックカンヌ)の手前辺りで、城壁と交差しますので、そこから城壁に入りました。時計回りに回ることにします。城壁にある穴は、鉄砲や矢を放つためのものでしょうね。場所によっては、坂道が凍り付いていたので、歩くのが非常に危険でした。そしてここが、西北角楼。守備兵がここで、寝泊まりしながら守っていたというわけです。更に進みますと、華城の西の門、華西門(ファソムン)が見えてきました。その奥に見えるのは、西北空心☆(ソブクコンシントン)で、いわゆる見張り台です。(☆は「つちへん」に「敦」)門の正面に、円弧状の壁があるのは、敵が真っ正面から攻めて来られないようにした作りです。門の裏側から見るとこんな感じ。門の中に入り、天井は、こうなっています。更に歩いていきます。この、城壁の道端にずっと並んで立っている旗、これは現在、作られたものでしょうが、先端が鏃(やじり)状になっているなど、ちゃんとしてるんですね。さて、華城の正門である、北の長安門(チャンアンムン)が見えてきました。その手前に砲台がありました。↓なんか、カッコいい。さて、これが、長安門の正面です。なんで、真っ正面から撮れないかと言いますと……交通量の多い交差点なので、真っ正面から撮ろうとすると、死んじゃうからです(汗)これは八達門も同じ(汗)門の左脇は、こんな感じになっていて、普通に車がビュンビュン通っています。いちおう、門の正面にある円弧状の壁(「甕城」と言います)の中は、車が入れないみたいなので、そこから門の正面を撮影。↓裏。そしてこれが、門の内部。門の裏側に、観光案内所とチケット売り場がありましたが、観光案内所はともかく、チケットって、何のチケット?(汗)長安門へは、城壁をずっと回ってくれば、普通に来ることができますし、そのまま門の中へも入れます。城壁そのものへは、何ヶ所も、登るための階段がありますので、誰でもどこからでも、無料で登ることができますし……(汗)……まあいいや(汗)続きは次に書きます。
Jan 3, 2010
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続きです。水原(スウォン)駅に着きました。思ったより大きな駅です。城郭とカルビの町なので、小さな古い地方都市だとばっかり思っていましたが、後で調べてみると、水原市の人口は、100万人越えてました(汗)駅前の通りも、普通に大都市です。というのも、水原市は、日本では福井市および旭川市と、姉妹都市というか、友好都市なんですよね。ですから、せいぜいそのくらいの規模なのかと思ってました(汗)さて、駅前の観光案内所で、日本語のできるおねいさんから、華城(ファソン)観光の仕方を教えてもらいましたところ、南の門に当たる八達門(バルダルムン)までバスで行き、そこから少し北西にある(城郭の中です)、華城行宮(ファソンヘングン)を見学。その裏に「ちょっと石段があるんですが……」石段を行った所に、華城列車の乗り場があり、そこから華城列車(Kスタのイーグルス・トレインみたいな、自動車で引くもの)に乗ると、北の正門である長安門(チャンアンムン)、そして華虹門(ファホンムン)などを見学。東の蒼龍門(チャンリョンムン)付近に華城列車の降り場があるので、そこで降りて、あとは、八達門と長安門を結ぶ通りのどこかでバスに乗れば、水原駅まで戻って来れる、と説明されました。あらかじめ用意されている、行きと帰りのバスの路線系統番号や、バスの行き先表示のハングル表記まで書かれた紙もくれました。華城の地図については、このサイトを参照してください。だいたい、華城の見所が分かったので、俺はバスに乗らずに歩きました(笑)だって、歩ける距離だもん。で、歩いていると……日本語で書いてあるし!水原駅前の大通りをまっすぐ進み、途中で左に曲がると、八達門(バルダルムン)に着きました。この時の時刻が9:45ですから、駅から徒歩30分ぐらい、ってところでしょうかね。裏(内側)から見ると、こんな感じ。この門だけは、両側に城壁はありません。(昔はあったんでしょうけど)この門を取り囲むように道路が作ってあり、ロータリーのようになっています。ここからまた少し歩くと、華城行宮(ファソンヘングン)があります。入場料はW1500です。この華城行宮は、華城を作った、李氏朝鮮第22代正祖(チョンジョ)大王(1752~1800)が、自分の父親の墓参りをした時の宿泊所です。普段は、この地方の役人が仕事をする官庁として使われていました。そもそも華城というのは、正祖が、自分の父親の墓をこの地に作り、その墓を守るように城壁を作ったものです。そして将来的には、この城壁の中に町を作り、ソウルから遷都するつもりでしたが、城壁の完成直後に正祖が亡くなってしまったため、遷都は行われず、城壁だけ作られて終わった、というものです。入場料を払って行宮の中に入りますと……また門が!(笑)そしてその奥に……正殿である奉寿堂(ボンスダン)があります。日本人のツアー客がいました。若いおねいさんもたくさんいました。中国や朝鮮のお寺や宮殿は、赤や緑など、色鮮やかな色彩が多いですよね。↑井戸と……水瓶ですかね?ところで、この華城行宮から見える、背後の八達山ですが、この赤丸で囲んだ所も……ここもいちおう、華城の城郭の一部でして……あんな上まで登りたくない(泣)ということで、登りません(汗)華城行宮の入口付近に立っている旗ですが、こういうのを見ると、日本とは違いますよね。さて、この裏手から、いよいよ城郭の見学が始まるわけですが、続きは次に書きます。
Jan 3, 2010
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