関本洋司のblog

2004年09月05日
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カテゴリ: コラム
『アナキズムの美学』(アンドレ・レスレール著、小倉正史訳、現代企画室)より、プルードンの芸術論を紹介します。「」外のコメントはレスレールのもの(p35~)。


  「デッサンを学んだ一万人の生徒は、一つの傑作の生産よりも芸術の進歩としての価値がある。」

 プルードンは量と質とを秤にかけない。

  「デッサンを学んだ一万人の市民は、一人の人間よりもはるかに勝る集団の芸術的な力、思考、エネルギー、理想の力を生み出し、その力は、いつか自分の表現を見いだして、傑作を凌駕するだろう。」

(中略)

  「美術館は芸術作品の目的地ではない。単なる研究と通過の場所、古美術品と、場合によっては、どこにも置くことのできない物のコレクションであるにすぎない。進歩する文明が廃用にした結構な物の遺品陳列館である。」 

 人為的に生命が引き延ばされる歴史的産物としての<人為的>芸術に、プルードンは、集団の生き生きした精神から生まれる<状況芸術>を対立させる。



・・・引用ここまで。

 プルードンは歴史的にはじめて、形式的な音楽会、硬直した美術館を批判していることによって、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージらの果敢な挑戦の現場である現代美術に理論的出発点を与えたと言える。

 しかし、誤解を避けるために付記すれば、プルードンは偶像を壊すだけではなく、到達点としての芸術作品が、歴史に残り、人々に受け継がれることも視野に入れていた(プルードンは、過去の集合力にも可能性を見いだしていたことが凡百の近代主義者と一線を画すところであった。「前進すること。しかし、すべてを保存しながら」が、プルードンのモットーであり、これは柄谷行人が多用する「揚棄」という言葉の定義でもある)。(*注)

 以下、再び引用。
「文学の発展の法則に従えば、原則としてあらゆる精神的作品は、詩でも散文でも、言語と同じく、そして素材として、後につづく著作家たちのものでもある。後に続く者はすべて、内容についても形式についても、先人たちの創造物を同化して、それを自分たちの創作において自由に用いる権利を有する。」

 また、トルストイ『戦争と平和』によって展開された彼の集合力理論は、個人が捨象されるべきではないと考えるがゆえに、『ポチョムキン』『ストライキ』といったエイゼンシュテインの初期傑作以上に黒澤の『七人の侍』にその典型を見いだすこともできる。(ちなみに、トルストイは1861年にブリュッセルで亡命中のプルードンと会談し、自分の書く同名の小説『戦争と平和』について相談したとされる。また、主人公ピエールの名をプルードンから借用したという説もある。こうして書かれた小説が、後に黒澤やタルコフスキーの思考の基盤になったのだと考えると、芸術が独自に持つの持つ水脈の深さと大きさに関して感慨深いものがある。)
 プルードンの芸術論に影響を受け、なおかつ彼と同窓の画家クールベの、プルーソンの家族達を描いた傑作を見れば判るように(クールベはプルードンの妻の肖像画、プルードンのデスマスクも描いている)、プルードン自身の芸術論は、その現実(レアル=イデアル)指向において、それが社会主義リアリズムであろうとブルジョアイデオロギーだろうと、もしくは資本主義イデオロギー内においてであろうと、脱イデオロギー化を可能ならしめるものでもある。

P.S.(*注記) 
「プルードンはコルネイユの詩句について、おののきもせず、それらは『花崗岩に彫られていて、パルテノンやテ-ベのピラミッドよりも長く残るだろう』と言う。」(レスレール)
上記の文章におけるコルネイユを、筆者は黒澤明の作品群、特に『乱』に置き換えて考えてみたい。
黒澤の作品を民主化(国粋主義的な立場からではなく「左翼の側」から再評価)すること・・・そうした課題に関しては別項を持つべきであろう。









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最終更新日  2004年09月08日 20時06分31秒


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