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宮崎駿監督の『ハウルの動く城』は、『紅の豚』にもましてファシズムと戦争(+環境破壊)への批判に満ち満ちていました。映画それ自体が戦争機械(byドゥルーズ)であることによって、プルードンの『戦争と平和』と同じような誤解を生むでしょうが、シュールレアリズムと商業主義の重要な合体が(着地点が見失われているとはいえ*)行なわれていると思います。 この作品は、イラクの戦争を強度において凌駕している作品として、『座頭市』とならんで映画史的には並べられると思います。 さて以下本題です。 前世紀において、ファシズムについてもっとも鋭い考察をしたのはパゾリーニだと思います。 次に、イタリアの映画監督パゾリーニ(1922-1975)がファシズムについて語っている言葉を御紹介します。 ~今日、考古学的な反ファシズムの形が存在していて、これは真の反ファシストの免許を手に入れるのに都合のいい口実となっている。すなわち、もはや存在しない、そしてもう二度と存在することのない古典的ファシズムを対象目標とする、安易な反ファシズムのことだ。(中略) 最後に、親愛なるカルヴィーノ(引用者注:イタリアの著名な小説家)、君にひとつ言っておきたい、モラリストとしてではなく、分析者として。わたしの主張に対する『メッサッジューロ』紙上の君の性急な答えのなかに、二重に不幸な一言が思わず漏れている。この一節だ。「今日の若いファシストをわたしは知らないし、かれらと知り合う機会が訪れないように願っている」しかし、(1)当然ながら、君にはこういった機会ほ訪れないだろう。これは、列車のコンパートメントや店の行列で、路上で、パーティーで、君が若いファシストと出会ったとしても、"君がかれらを認識しない"からでもある。(2)若いファシストと一度も出会わないことを願うのは冒漬的だ。なぜなら、反対に我々ほかれらを見つけだし、出会うためにあらゆることをしなければならないからだ。かれらは宿命として予定された(悪)の代弁者ではない。"かれらはファシストになるために生まれてきたのではないのだ"。だれも----かれらが青年になって、どんなものかはわからないが、なにかの理由、あるいは必要性にしたがって選択できる状態になったとき----かれらに民族主義者としてファシストの格印を押すものはいなかった。ひとりの若者をこういった選択に走らせるのは、絶望と焦燥の残忍な形なのだ。そしておそらくかれの運命を違ったものにするには、かれの人生におけるささいな別の経験、たったひとつの出会いだけで、十分だったことだろう。(パゾリーニ「海賊評論(一)"68年"その後」『現代詩手帳』大辻康子訳、1998.7より) ただし、パゾリーニはファシズムについて、別の新たな定義をしています。つまり「均質化を成し遂げたという点で、消費社会こそ真のファシズムだ」と主張するのです。 ~真のファシズムは、お人好しの社会学者が「消費社会」と名づけたものである、とわたしは心からそう考えている。無害で端的に内容を表すように見える定義だ。しかし実際はそうではない。現実をよく観察すれば、とくに物、風景、都市計画、そしてなによりひとびとの周辺を読むことができれば、この冷酷非情な消費社会のもたらしたものが、独裁体制、つまりまさにファシズムそのものがもたらしたものであることがわかる。(中略)消費社会というこの新しいファシズムは、逆に、若者を根底から変貌させた。かれらの心の奥に触れ、いままでとは別の感覚、思考方法、生き方、文化モデルを与えた。もはやムッソリーニの時代のように、芝居がかったうわべだけの軍隊的統制が問題なのではない。若者の魂を奪い、変貌させた現実の統制が問題なのだ。これの意味するところは、結局のところ、この「消費文明」は独裁的な文明であるということだ。要するにファシズムということばが権力の横暴を意味するなら、「消費社会」はファシズムを実現したのである。~(パゾリーニ「海賊評論(二)現代のファシズム」『現代詩手帳』大辻康子訳、1998.7より) パゾリーニのこの指摘は1974年(前者は3月後者は7月発表)にしては先駆的な認識だと思います(これはドゥルーズの規律社会から管理社会への移行の指摘とも響きあう認識です)。日本では石油ショック以降も、ヴィジョンがないままに大量生産、大量消費、大量廃棄を繰り返してきました。三島由紀夫などはこれに近い認識を提示しましたが、多分に美学的なものに留まったと思います。映画監督の山田洋次が地方色豊かなロケ地を選ぶのに苦労し出したのがこの時期だと言います。 最後に参考までに、『ロゴパグ』でも引用された彼の詩の一節を紹介します。わたしは過去の力である。わたしの愛は伝統にのみ由来する。廃墟から、教会から、祭壇の壁画から、アペニンと前アルプスの忘れられた村から、わたしは到来する、兄たちが生きたところから。 わたしは狂人のようにトゥスコラナを彷獲(さまよ)い、野良犬のようにアッピア街道を廻る。そしてわたしは成長した胎児として、いかなる現代人よりも現代的に兄たち、もはや存在しない兄たちを探しまわる。*注:その映画内にあらわれる社会学的な問題に対する解決策のヒントとして、ルーカスはくじ引きを、宮崎駿は地域通貨をそれぞれ研究する必要があるように思う。追記:映画理論に関して言えば、「モンタージュは、死が生前の行為を時間の埒外に置くためにする選択に似ている」と書いたパゾリーニは、その映画論に記号論を援用しながらもその記号的映画論そのものを自己目的化しなかったことが特筆されます。
2004年11月22日
プルードンは、『連合の原理』(1863)において当時のアメリカに関して以下のように書いている(三一書房p403)。 「同じ精神(引用者注:<連合の原理>のこと)がアメリカの憲法をも支配している。しかしながら連邦の権力の権限を過大に増大させたとそれを避難しうる。アメリカ大統領に付与された諸権力は、ほとんど一八四八年の憲法によって、ルイ・ナポレオンに与えられた権力同様に大きい。この権限の過剰は、中央集権的な併合の精神と無縁ではない。それはまず、南部諸州で表明され、今日では北部諸州をもとらえている。」 注記しておきたいは、当時のナポレオン三世の世界諸国への関与を考えると、アメリカの問題も単なるアナロジーではありえなかったということである。また、プルードンは同書の他の部分ではスイスとの比較において連合に関して考察している。数々の問題点があるとはいえ、スイスにおける現在の中小企業の健闘はそうした連合の原理と無縁ではないだろう。 ただ、ここで強調しておきたいのはプルードンがかなり早い時期にアメリカの民主主義の問題点を的確に指摘しているということだ。 百年近く後、数学者ゲーデルが米国の市民権を得ようとする際、同じような問題を指摘している。 「1948年、アメリカに来てから8年目で市民権を獲得した。このためにはアメリカ憲法の試験を受けなければならなかったが、ゲーデルはこのときアインシュタインに『アメリカ憲法は無矛盾でないから困る』と語ったという」(廣瀬健『ゲーデルの世界』p18)。 伝聞を元にした他の文献などでは、審査に際してゲーデルを審査する審査官の「アメリカは民主的だ」という発言に対して、ゲーデルが「アメリカは独裁国家になりうるし、それを証明できる」と反論しようとしたゲーデルの姿が描かれている。アインシュタインはそれを静止しようとして苦労したという。笑い話として伝えられるそれらの逸話は、21世紀初頭の現在、笑い話では済まされないということは確かだ。追記: 民主主義及び独裁の問題に関しては、最近ではジョージ・ルーカス『スターウォーズ エピソード1・2』が扱って秀逸である。
2004年11月16日
ここ数日の日記は基本的に「子供と軍人」(9/25,10/02)を解説及び補足する形で書かれていた。日記のタイトルについた#のあとの様々のタームからの視点に基づいてその解説を試みたのだ。 さらにプルードンの系列弁証法に倣って考察するなら、これまでの議論は以下の議題における系列(#~)の推移をたどってきた。*に関しては新たに解説をつけた。 ちなみに(/)の中は互いにアンチノミー、つまり矛盾(二律背反)を形成している。例:(自由/権威)///////////////////議論の推移・メモ(10/13の改訂版)#軍事A(沖縄の独立/中国脅威論)9/29,10/05(代弁あるいは報告/代弁、表象の拒否)10/05(連合/冷戦構造化での米軍の重要性)*一(非武装/軍事力の必要性)9/30,11/01 ↓#政治a(憲法第9条/日米安保)9/30,10/25.,10/30,11/03(対アメリカ情報公開要求/アメリカの必要性)*二(本来の出発点におけるアジア主義/官僚制)10/22(東北アジア共同の家/アメリカ主導の世界秩序)11/01(アジア平和条約締結/アジアの軍事的結合)11/02(人権/憲法「押しつけ」説による人権の否定)10/30(くじ引き/現行の国連制度)10/23 ↓#経済B(循環型社会への摸索/基地経済への依存)10/05,10/08,10/10(地域通貨/国民通貨)*三(琉球時代のようなアジアでの対等交易/グローバリゼーション)09/28,10/08(ガンジーの言う自立分散的生産/石油等を使った大量生産)10/21(環日本海のネットワーク/アメリカ依存)10/14 ↓#環境・エネルギー問題b(風力、バイオマスなど持続可能なもの/原発、石油)10/10,10/18 ↓#文化C(反戦映画/好戦映画)10/03,10/29(憲法9条/改憲論)10/25,10/30(黒澤の先進性/現実味のない妄想、幻想説)10/11,10/29(文学作品の有効性/非客観性)10/27,10/28(開かれた神道/閉じた神道)10/24 ↓#心理学、哲学、思想c(文化/攻撃性)10/16,10/17(構造的理解/非構造的理解)10/31,11/02 ↓#食・生活c(9パン/大量生産食製品?)10/12*四(9Tシャツ)11/03 ↓#超自我x(憲法第九条/戦争)10/17解説:「質問」としては以下のものがあり、それに対する<回答>も試みられた。<(if )沖縄の独立>←「沖縄への環境破壊、基地移転、憲法9条無視」 ↓「独立の軍事的根拠は?」→<軍事力を棄てることで独立(尊敬を得る)>「将来はいいとして、今をどうするか」→<代替エネルギーの可能性>「軍隊とは何か?」→<階級構造把握の必要性(「軍隊=労働者」)>問題点:全体的に、国家や近代史における誤った教育を前提にしているので議論が噛み合わなかった。また集合論や階級的把握など初歩的な理論が浸透していないのもその理由の一つだ。さらに、プルードンの思考を図示↓した以下のような構造的思考が理解されていなかったため、政治a、経済b、生活c(国家A、資本B、文化C)を全体として捉えることがなされなかった(プルードンの場合は、当時の教会権力を反映して、「文化、生活」が「教会、宗教」となっている)。 記号にすれば以下になる(「議論の推移」の議題タイトルに併記した)。B A ba C cxこのような思考に関しては様々な交換の形式として柄谷行人が定本全集でさらに発展させているのでblogでの議論の前提として読んでいただきたい。解決策: アジア全体で教育から変えて行かなくてはならないだろう(モニュメンタルな場所へアジア各国の生徒を招き合うプロジェクトの実行など。11/01『東北アジア共同の家をめざして』参照)。 地方分権が進んでおらず、地域が活性化されていないので容易に(一例としては国家神道へ無批判に同化してしまうように)国家に同一化してしまう傾向が見られる。 この傾向はイデオロギーと言うよりある種のイデオローグとさえ言える。 また、系列弁証法を歴史的に当てはめると、薩摩/長州 ↓ 日本ヨーロッパ諸国 ↓ EU といった、対立の克服を事例としても考えられ、こうした歴史的認識が求められる。*一~四注解説: アメリカ(*二)の基地に頼った沖縄の経済を見ればわかるように、軍事問題は経済問題だ。しかし、それは日記(11/04)に書いたように何かに反対しているだけでは決して改善されないだろう。 グローバルな経済の方が儲かると軍産複合体は言うのですから、こちらもオルタナティブナ経済がより豊かなものであることを、指し示さなくてはなりません。ここでは地域の自治を守る地域通貨(*三)を循環型の食生活(*四)の中で使って行くこと、なおかつそのノウハウを公開して経済的基盤に基づく連合(*一)をつくっていくことが望まれる。 その意味で11/03で紹介したような憲法9条を軸にしたネットワーク及びアソシエーションに可能性があるだろうし、平和運動を経済的実質を伴ったものにするために市民バンク(10/26)やフエアトレード(11/03)の推進や地域通貨の使用はもはや不可欠でさえある。 アジアにおける草の根の交流(10/26)もそうした側面から補強され得る。補足説明:軍隊とは何か?(11/8追記) >「軍隊」という一般的な集合の中には aー志願制として成立するもの、>bー徴兵制として成立するもの、があるとします。>この二つが部分集合です。そして自衛隊がもし「軍隊」の集合に>入るためにはbのたいぷになるということでしょう。上記の書き込みを図解してみました。志願制、徴兵制、共に問題点があります。a=志願制の問題点は、自衛隊のように国民の関心が薄くなるということです。b=徴兵制の問題点は、軍隊の定義が曖昧になるということです(明日、僕が選ばれるかも知れない)。ただし本当の問題点は他にあります。 本当の問題点は、世界的な階級の分化であり、資本家や官僚からは決して前線で闘う人間は選ばれないということだ。この問題を解決するために徴兵制を主張するリベラルもいるが、今のところ無力だし、本質的解決ではない。下のn個の軍隊を軍隊として固定して考えることは、軍隊を定義するというよりも階級の分離を固定したものとして考えることになってしまいます(ですから彼らはまず、労働者として定義され直すべきです)。改訂:上記の図の「aとbの問題点」を下記↓に訂正します(11/9)。
2004年11月05日
非戦という言葉は以前からありましたが、坂本龍一さんが本の書名にしたので近年広まりました(*)。反戦と違って単に反対するだけでなく代替案を指し示すニュアンスがあるので、推賞したい言葉です。それは例えば、反「~」といった場合、「~」のもつ構造を前提とした思考に安住する場合が多々あり、必ずしも新たな構造を生み出さない場合があるからです。 ただし、状況によっては何かに反対しなければならない場合もあるので、「反」と「非」は相互に交通可能になっていなければならないと僕は考えます。例えばボイコットはやはり非買運動ではありますが、もっと強力な反対運動を起こさなければならないときもあります(水俣病など)。これは個人主義は個人主義の中に自足するべきではないといった言葉で置き換えられることができます。 正反合といった弁証法の中に、非という言葉を置くとするなら、それは時間軸によって捨象されない複数の線として記載できるでしょう。僕はそのような思想を展開した思想家としてスピノザ(*)を挙げたいと思います。 現代は、非であることが態度に求められる反面、(非の非と言ったらいいのでしょうか)何か積極的に賛成できるイデオロギーが見失われた時代だということもできます。(続く)*『非戦』(幻冬社、2001)*ネルーの自叙伝(『世界の名著』中央公論社)にも以下のようにスピノザの言葉が最後に掲げられていました。「その昔、スピノザは自問した。『知識と理解による自由か、それとも感情による束縛か』 そのいずれをよしとするか、と。彼は前者を選びとったのである。」また、スピノザの主著は『エチカ』ですが、ここでは参考までに彼が具体的にくじ引きについて言及したテクストを以下御紹介します。「諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は--これは会議にあって何より必要なことであるが--誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。」(スピノザ『国家論』、第八章第二七節、畠中尚志訳、岩波文庫p139)
2004年11月04日
近年、岩波版定本全集他で展開されている柄谷行人による、国家とは資本/国家/ネーションと分かれた交換の一形態の中の一つにすぎないという構造的把握は注目に値する。 こうした考え方によって、世界の全体的な把握とそれに対する精緻な分析が可能になるし、何よりも国家は神秘化をはじめて免れ得るからだ。 ただし、資本(市場経済)/国家(略奪と再分配)/ネーション(互酬制)と三層に分かれた交換の形態の中で、それでも国家が今日においても神秘化されてしまう傾向があるのは、それが対外的な概念としての境界、国境を超越的に設定しているかのように見えるからだろう。 インドの実例を見てみよう。 1947年のインドの独立において、ガンジーは(1869-1948)その自立分散的な生産システムとボイコットという民衆の自治に必要なネーションの創成に貢献した。ちなみに彼は一歩づつそれを編み出したのであって、弁護士出身の彼が経済について明確に語ったのは晩年である(資本及び経済面における戦略と宗教=ネーション面を確立したガンジーを神秘化するべきではないということだ)。 そしてインドの国家に当たる部分、インドの対外的な独立の交渉の側面を担当したのはもう一人の「建国の父」(これはプルードンが指摘するように良い比喩とは言えない*)と言われるネルー(1889-1964)である。自らを西洋的な個人主義と呼ぶネルーはガンジーにはない視点を持っていたし、あるいはガンジーの及ばなかった部分(国家及び政治面)を補完したと言える。 インドの独立に際して彼は国連にオランダによる再植民地化の動きからインドネシアの独立を守り監査する委員会の創設を提案し、実際に1947年、その委員会を創設した。これによって、アジアというものが歴史上はじめて、連合という形をとることによってかろうじて国際社会内に、当時においても今においても対西洋社会的にその場所を得たのだ(1949年にはネルーはインドネシア問題に関して、アジア各国による文字通り「アジア会議」を開いている*)。 なぜ、インドの独立にインドネシアの独立が関係するかと言えば、当時の植民地支配に対抗するためには、一国の独立という、狭い範囲の利益を主張するだけでは国際的な理解は得られないし、宗主国側の論理を越えられないからに他ならない。アジアの表象という意味でそれは大東亜共栄圏の元でも可能だったのではないか、と言う人がいるかも知れないが、例えばビルマが1943年に大東亜共栄圏のもとで独立を宣言した後、1948年に再び独立しなければならなかった歴史的事実がその欺瞞性を証明して余りあるだろう。民衆はその所有制度を封建的に維持したままでは、決して独立したとは言えないのだ。そして当たり前のようだがそれではもはや他の国々から独立したとは看做され得ない。 岡倉天心のアジアは一つ(だがそれぞれが多様性を持ち、決して同じではない*)、という英語で書かれた対外的な主張を実際に展開しえたのは日本から同心円的に拡張しただけの大東亜共栄圏ではなく、ガンジーとネルーのいるインドだったのだ。 アメリカがイギリスから独立したように新たなフロンティアを求めるような行為が、この地球上にあり得ないことが判明した現在、こうした国民国家のあり方は検証に値する。フロンティアの消滅、言い換えれば拡大主義の理論的崩壊は比喩的なものではなく、環境面においては明白な科学的事実だし、そしてそうした国際社会の中で、国家を一つ増やすということ、すなわち独立を宣言するということにはガンジーとネルーが提唱したような新たな政治意識、新たな概念の創出が対外的にも内在的にも不可欠になるということなのだ。 それをさらに言い替えれば、近代という病によって蔑すまれ、近大国家によって囲い込まれていた「島」という積極的な概念の再展開とも言えるし(ヨーロッパは「岬」だし、アメリカもまた「島」なのだ*)、それをつないで行くアソシエーション(連合*)を内外で模索する行為でもあるだろう。*プルードンが家庭ではなく職場を社会の構成単位として規定したのは、容易に国家権力という父権主義に家庭における父が転化されてしまうことに対する危惧があったからでもある(『プルードン多元主義と自主管理』他参照)。*ネルーに関しては主に『世界の名著』(中央公論社)と『現代から見た東アジア近現代史』(青木書店)を参考にした。*岡倉天心の英語による主著の一つ『東洋の理想』は、1902年にインドで書かれた(柄谷行人『ネーションと美学』他参照)。*「岬」に関してはヴァレリーやデリダによる考察があるし(デリダ『他の岬』)、アメリカ=「島」説に関してはそれに伴った「自給自足を目指すべき」だとのボブ・ディランの言及がある。*この連合は軍事的同盟とは似て非なるものである。
2004年11月02日
以下、以前コメント欄でも紹介した、ピースボートの共同代表である櫛渕万理さんの提案を再度紹介させていただきます。参考サイト:9LOVEイベント報告・有事はない、と言うが、本当にそうか? 戦争の危機はある。ただし、北朝鮮ではなく、べつの場所に。 アジアの中では90年代に終わったはずの冷戦が続いている。たとえ ば、1:中国と台湾の分断、2:南北朝鮮の分断、3:北方四島の問題、 4:ほかにも尖閣諸島など領土のあいまいな島々がいくつも存在する。 中国・台湾はつねに緊張関係が続いていて、アメリカは台湾に大量 の武器を輸出しているし、朝鮮半島では今も38度線の両側に兵士が いる。北方四島に関しても、日本とロシアはいまだに平和条約をむ すべないままでいる。 戦後、真実究明委員会を設置するような国もあるが、アジアでは 歴史の清算もされないままの冷戦が続いていて、さらにそこに経済 のグローバル化の問題が出てきた状態。もういちどアジアの中で戦 争が起こる前に、手を打たなくてはならない。・非武装にビジョンを ピースボートでは、北朝鮮とも顔の見える交流を続けてきて、今 までに2000人と一緒に日本から北朝鮮を訪問した。人と人との関係 を築き、現状を知ると、唯一の道が非武装、非暴力である。 非武装、非暴力は「理念としてはいいけど」と言われるが、 日本はそれを実際に憲法として持っている。だから、憲法をなんと なく持っているのではなく、きちんと守られた場合の国の形を想像 して、実現していくことが必要だと思う。 イラクへの派兵も、自衛隊を持つことも、あきらかに憲法違反で あるけれど、ただそれに反対するのではなく、自衛隊がなくなった ら、その予算をどう使うのか。日米安保がなくなったら、安全保障 をどうするのか。攻められたらどうするのか、といったビジョンを 結実するためのプロジェクトを呼びかけて、実行する時期にきてい るのではないか。・非武装は最大の安全保障 9条は、日本の安全保障である。軍事力=安全保障とは限らない。 非武装であることがどれだけ強い安全保障になるのか、その可能性 を追求していきたい。 そのためにもう一度、なぜ9条ができたのか、背景を考え直す必 要がある。アメリカに押し付けられた憲法だから、改正したほうが いいという議論があるが、「なぜ」アメリカに押し付けられたのか。 第2次世界大戦の日本のアジア侵略で、アジアでは2千万人、日本 では3百万人が死亡した。そんな大きな国家犯罪を犯した日本とい う軍事国家を解体するため、アジアへの安全保障として、憲法9条 ができたのではなかったか。 憲法前文には「For People(人々のための)」という記述がある。 それを日本政府が「日本国民は」と訳してしまったが、そもそもは (外国人も含めた)すべての人々のための安全保障憲法だったはず。・憲法とはそもそも何のために 憲法とは、国家権力を制限するための決まりごと。市民と国家の 契約のようなもの。法律には「人を殺してはいけません」と書いて あって、人を殺してしまったら重い罰則があり、場合によっては死 刑になる。一方で、国に対して「国家も人を殺してはいけません」 というのが9条ではないか。個人だったら死刑になるのに、国家な ら、戦争だったら、人を殺してもいいのか? 国家は、もちろん規則にしばられたくないから「改憲」を言うだ ろう。でもそれを市民が許すのは、安易すぎはしないか?・アジアの非武装の平和のために、具体策は? 提案=東アジア非核地帯条約:6カ国協議を行っている国々で、 アメリカも含めて、6カ国で東アジア平和条約を結ぶ。 理想主義的と言われそうだが、実はこれはそう難しい話ではない。 日本には非核3原則があるし、朝鮮半島でも92年に朝鮮半島非核 宣言を出している。これをベースに、すでに東アジアのNGOが集 まって討議を進めていて、国連につながる国際会議「武力紛争予防 のための市民社会の役割 - 東北アジア地域協議会」で、モデル条約 として採択されている。 提案=地域の歴史記憶の共有化:日本の教科書で見る第2次世界 大戦と、韓国の教科書のそれとは全然違うものになっている。歴史 認識が共有できないうちは、共通の未来や地域全体の安全保障を作 っていくのが難しい。東アジア各国からの代表で構成して真相究明 委員会などを設置し、アジア共通の歴史教科書を作ってはどうか。 提案=アジア地域全体の憲法9条を作る:地域全体の安全保障と して、9条のように条文化されたものを採択する。 以上、上記の櫛淵さんの案は具体的ですし、彼女が日本国内で南北朝鮮の合同イベントを開くなど、一歩づつ上記の案を現実化している方であるということも付記しておきます。 追記: 櫛淵さんの講演を採録していただいたピースボートの小野寺愛さんにも感謝いたします。
2004年11月01日
黒澤明がエイゼンシュテインの『イワン雷帝』第二部を見て色彩映画を撮る気になったことは有名だが、両者の共通点として、共にアメリカで映画を撮ろうとして果たせなかったことが挙げられる。 エイゼンシュテインはズッテルの『黄金』、ドライサーの『アメリカの悲劇』などを企画し、黒澤は『暴走機関車』、『トラ・トラ・トラ』を企画した。 すべて後になって他の映画監督によって映画化されているところにその企画の素晴らしさが証明されているが、他の監督が完成した作品からは、本来ありえた問題意識が失われているのも残念ながら共通している。 黒澤作品はどちらも原シナリオが公開されている。特に『トラ・トラ・トラ』は、絵コンテと共に最近全貌が明らかになったという点で今回特に言及したいと思う(別冊キネマ旬報参照)。 近年、真珠湾攻撃に関しては、アメリカ側が暗号を極秘で既に解読していて米国国民を参戦の意志で団結させるため、日本側の奇襲をわざと許したという説が一般的になっているが、黒澤のシナリオでは奇襲を知らせようとする情報グループの努力が徒労に終わる過程に焦点を当てられている。また、権力を(『イワン雷帝』のように)両義的に捉えている点も興味深い。 日米両方の交互の描写は緻密だし、深刻な描写もあるが、ここでひとつだけシナリオにも書かれずに没になったギャグを紹介したい。 それはアメリカの戦闘機が不時着し、ゴルフ場の芝を引き剥がしたところに「ターフはもとに戻して下さい」という看板があるというものだ(新潮社『黒澤明のいる風景』より)。 『トラ・トラ・トラ』が撮影中止になった過程自体が徒労と言うべきものだが、黒澤版が完成していたら、日本人及びアメリカ人の太平洋戦争に対する考え方が変わっていたのではないかと思われるのでその撮影中止が悔やまれる。黒澤版が完成していたら、日米両国の不和の象徴(「リメンバー・パールハーバー」)が日米両国の協働作業の象徴に転化していただろうからだ。 黒澤はその後、スピルバーグを仲介にアメリカ資本で映画を撮り(『夢』)、その後で(返す刀で?)『八月のラプソディー』という原爆を主題にした映画を撮ってアメリカ人を激怒させた。 現在、アメリカの批評家、特にニューヨーカーに日本人が評価し切れなかった黒澤の『乱』を高く評価している人間が多いことと考えあわせると(黒澤は生前、アメリカの批評家に最近マルチカメラ方式がわかってきたようだと喜んでいた)、黒澤明の評価がアメリカそれ自体を写す鏡とさえ言える。
2004年10月29日
武田泰淳(1912-1976)の作品に『審判』(1947)という短篇がある。 日中戦争に一兵卒として参戦した主人公が日本にいる婚約者との約束を破り、戦後も上海に残り続けるというものである。ここで、主人公二郎の動機を説明する二郎自身の手記が後半で展開され、後半部は一種のなぞ解きとなっている。 泰淳自身は仏教徒であるが、題名の『審判』はヨハネ黙示録から引用されたものだ。ここで作品後半部のなぞ解きを明かすなら、主人公は誰にも裁かれない自分の犯した戦争犯罪を自身の手で裁くために、あるいは裁かれないこと自体を忘れないために主人公は上海に残るのである。 この物語は『ビルマの竪琴』を思わせるが、圧倒的に違う点は、自身を裁くという緊張感である。いうなれば、他者からの視点をこの作品はエクリチュール内外で維持し続けているのである。 ただ、この作品は筑摩書房の教科書(『現代文(改訂版)』教科書番号筑摩143現文555)で採用されたものの、文庫その他で入手することが困難なので、一般に読まれることが少ない作品である(武田泰淳全集第二巻所収)。泰淳の代表作とも言える完成度を持ってはいるが、泰淳作品に特有のいつものユーモア(二つの中心)がないので特殊な作品と判断されているのではないだろうか。 上海を扱った作品は泰淳の中で、重要な位置を占めており遺作も『上海の蛍』という題名であり、その作品はまだ上海に蛍がいたころの泰淳の回想を扱っている。実際に泰淳は一兵卒として参戦し、その後文官として再び戦争中に上海へ渡りそこで働き、上海で終戦を迎えている。『審判』は最初の中国参戦を題材にし、一方『上海の蛍』はそのあとの文官としての体験を扱っているが、最晩年まで上海という場所を忘れないでいることから明らかなように、『審判』で表明された歴史意識は終生泰淳から離れなかったものだとも言える。 ちなみに、最近中国の経済成長が喧伝されているが、1930年代の途中で止まった成長を再開させているだけにすぎない。戦後、泰淳の関心は、政治から経済へと移行するが、消費社会が均質化を成し遂げた点を考えれば、「消費社会こそ真のファシズム」(パゾリーニ)とも言えるし、近代以後の資本の論理によってネーションが捏造された過程を考えれば(これは西洋やイスラム社会にも見られる)、泰淳の消費社会ヘの没入はさらなる政治に対する高度な分析とさえ言い得るのである。 泰淳は作品の最後に、中国に留まった主人公の行動が、はじめてのものではなく、三人目のものであることを主人公の告白の中に付け加えている。泰淳はこのような自己断罪の態度を特権化しようとしなかったのだ(主人公の名前が「二郎」だったということも思い出される)。 また、この作品は泰淳自身の戦場での体験の告白になっているとも思われるが、そのような「仮面の告白」としての側面の研究も待たれる作品である。
2004年10月28日
石川達三は1938年、日中戦争及び南京陥落を描いた小説『生きている兵隊』を「中央公論」に発表して発禁処分にあったが、この作品は現在も文庫(中公文庫)で読めるし、読みごたえのある傑作として歴史的に残っている。 中国語でもこの作品は『未死的兵隊』等として翻訳されているが同じ南京大虐殺を題材として扱った中国の『南京1937』よりもこちらの方がルポルタージュとしても小説作品としても優れているかも知れない。 特に冒頭部分の描写及び、セリフが素晴らしい。「ニイ!」と笠原伍長は怒鳴った。しかし訊問するだけの支那語は知らなかった。彼は鼻水をすすり上げながら部下に言った。「お前な、本部の通訳さんを呼んで来い」 こうしたちょっとした描写だけで、中国人への横暴で疑心暗鬼な態度、言葉の断絶、さらに自らの所属する組織構造までもが看破されているのだ。 また、石川は発禁処分にあった際の警視庁の取り調べでこう語っている。「国民は出征兵士を神様の様に思い、我が軍が占領した土地にはたちまちにして楽土が建設され、支那民衆もこれに協力しているが如く考えているが、戦争とは左様な長閑なものではなく、戦争というものの真実を国民に知らせることが、真に国民をして非常時を認識せしめ、この時局に対して確乎たる態度を採らしむる為に本当に必要だと信じておりました。」 小説の中で日本の兵士がスパイを殺すところなどは、作者は決して告発的な態度を取らず、ひとり一人の兵士の心理的な理由付けを忘れていないし、殺した後の兵士が抱えることになるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を扱っているところなどは今日的に見ても新しいかも知れない。兵士たちが戦争や中国をめぐって議論する場面では、作者の観念小説作家としての資質もプラスに作用している。 上記のことからも解るように石川達三は社会派作家というよりも実は観念小説の達人であり、この作品内で当時の兵隊の様々な思考を整理している面もあるので、そうした側面からもこの作品の再評価が望まれる。特に日中戦争を知らない若い人達にお薦めしたい。
2004年10月27日
第九条を含む日本の憲法を扱った本のなかで僕が最も重要だと思う本に『日本国憲法を生んだ密室の中の九日間』(鈴木昭典著、創元社)があります。題名が誤解を招くかも知れませんが、これは歴史上「密室」であった部屋のドアを後続者である私たちに開いてくれる本です。 この本でも主要舞台となっている憲法草案が起草されたという有楽町、皇居のお堀近くの第一生命ビルに先日最近はじめて行ってみたら、それまで一般に公開されていた六階のマッカーサー記念室が9・11以降閉鎖されたままだといいます。 有楽町、皇居前の第一生命ビル この本に見取り図まで記載されていますが、その記念室と反対側にある帝国劇場側の大きな部屋(集会場)で憲法は起草されたそうです。そうした憲法起草者にはアメリカ人とはいえ様々なタイプの人間が参加しました(この本で彼らがインタビューに答えているのは歴史に証言を残すべきだという意志が彼らに大きいからでしょう)。この辺の事情に関しては、評論家の鶴見俊輔さんも語っている通りです。参考:鶴見俊輔さんインタビュー ちなみに鶴見さんは憲法9条が日本人に選ばれなくても、自分が選ぶと言っている、筋金入りのアナーキストです(鶴見さんのアナーキズムはプルードンではなくクロポトキン経由ですが)。 本の内容に戻るなら、2/1の毎日新聞のスクープをきっかけにして、彼らが憲法を作り上げて行く9日間(1945.2/4~2/13)の興亡にはすさまじいものがあります。印象批評をさせてもらうなら、彼らが作戦と期日を決めて集団でものごとに取りかかる様子は、アメリカンフットボールを思わせます(それに対して松本試案に代表される日本の保守的なグループは既に存在しない土俵の上で相撲を取ろうとしているようなものかも知れません)。 一応アメリカ国籍である彼らは現在過去を問わず様々な国の憲法を参照し、そうした理想を日本国憲法に託しました。ただし、章立てに関しては明治憲法と変わらないように工夫したところが、当時の日本の民衆の理解力に配慮しているところだと思います。 この計画は「真珠の首飾り」計画と呼ばれ、同名の舞台にもなっており、最近でも演じられ好評を得ました。 さらに歴史的事実を詳しく知りたい人には、この本の本来の企画の姿である、テレビドキュメンタリー番組としての映像バージョンを見ていただく方がよりわかりやすいと思います(映像バージョンは横浜の放送ライブラリーで無料で見れるし、ドキュメンタリー工房HPより通信販売もされています)。参考:横浜放送ライブラリーHP 、ドキュメンタリー工房HP 本書の中で、細かいが興味深い部分を追記させていただくなら、それは「象徴<シンボル>」という言葉が選び取られたいきさつが書かれている箇所です。以下引用します。 ~問題の「象徴」という言葉は、一九三一年制定ウェストミンスター憲章前文に出てくる。~「そうです。<シンボル>という言葉は、(中略)アメリカ人ならば十人が十人とも、<精神的な要素も含んだ高い地位>という意味を、すぐ理解する言葉です。<シンボル>というのはよい表現だと思いました。」~(同書p118、当時起草に関わったプール元少尉の言葉より) 天皇の扱いに関してもこうしても当時、憲法草案の起草に直接関わった人々の意見が率直に語られており、この本は貴重な証言集となっています(ちなみに現在の天皇制は単に人権侵害だと思いますが・・・)。 こうした憲法作成のプロセスを身近なものにした書物としては、これ以上の本は考えられないし、また事実存在しないでしょう。(憲法創設委員には、当時22歳のべアテ・シロタという女性も参加しており、主に女性の権利条項において活躍しています。そのいきさつはさらに『1945年のクリスマス』という本にもなっています。こちらも魅力的な本です。) 今後再び、第一生命ビル六階のマッカーサー記念室のみならず集会場(ボールルーム)が一般に公開される日が来ることを願っています。
2004年10月25日
非暴力に関して、柄谷行人とボブ・ディランが似たような発言をしています。 「もう片方の頬を差しだすということは、もうそれ自体が攻撃的な行為だ。誰かが君を押したとする、その押す力を逆に利用して、そいつをやっつけるという戦法が実際にあるのだ。」(ボブ・ディラン『ロックの創造者たち』p103より) 「~ところが一銭もかからない贈与の仕方があると思うのです。それはいわば「左の頬を出す」ことです。つまり、もしイスラム圏が----パレスチナも全部含めてですけど----西洋世界に対して何か行動を起こしたいのであれば、すぐに完全武装を解除すればいいのです。一切兵器も買わない。もしそのような無防備の国を侵略したり軍事的に制圧したりすれば、国際的な非難を浴びます。一方、アメリカその他の国は兵器が売れなくなるので恐慌を来すでしょう。」(柄谷行人「文学界」p177) 後者の柄谷行人氏の案は、国連の改革を必要とするでしょう。ちなみに同じ討議で、浅田彰氏は国連の常任理事国を「それこそくじ引きで決めればいい」と語っています。 僕が強調したいのは、ガンジーに代表される非暴力、非武装の思想を一般化するのではなく、経済的な見通しの中でそれを語ることです。ですから、柄谷氏の発言の中で、兵器の売り上げに言及している箇所が重要だと思います。 また、前回指摘した自立分散的な生産のあり方に関して、ガンジーの言葉(*)を再び資料として紹介したいと思います。/////////////////////*以下『ガンジー自立の思想』より聞き手 問題は分配にあります。生産のほうでは、高度な完成の域にまで達しましたが、分配にはまだ欠陥があるのです。分配が平等に行われるようになれば、大量生産もその弊害を除去できるのではないでしょうか。ガンジー いいえ、欠点はこのシステム固有のものです。生産を各地で分散して行って初めて、分配は平等に行えるようになります。つまり、生産と同時に分配が行われるようにならない限り意味がありません。自分たちの商品を売るために外部の市場を開拓しようと思っている限り、分配が平等に行われることはありえません。 西洋が成し遂げた科学の驚異的な進歩や組織が無用の物ということではありません。西洋の人々も彼らの技術を活用すべきです。ただし、善意から自分たちの技術を外国で利用したいと思うのであれば、アメリカ人は次のように言うべきです。「我々は橋を作る技術を持っています。それを秘密にしておくつもりはありません。全世界に教えてあげたいのです。橋の作り方を教えてあげましょう。もちろん代価を要求するつもりもありません」と。また、アメリカ人は次のようにも言うことでしょう。「他の国が小麦一粒育てるところ、我々は二千粒育てることができます」。そして、アメリカは教えを請う者にその技術を無料で伝授するのです。しかし、全世界が必要とする小麦を自分たちで栽培しょうなどと企てるのはとんでもないことです。そんなことをすれば、この世にとっては実に惨めな時代の到来となるでしょう。聞き手 と言いますと、あなたの描いておられるインドの理想的未来像には、大量生産は存在しないということですか。ガンジー いいえ、そんなことはありません。無理やりに進められるのでなければ、大量生産は紛れもない理想です。結局のところ、チャルカ(手紡ぎ車)のメッセージもそれです。これも大量生産です。もっとも各家庭での生産が集まって大量になるという意味ですが。一人一人が生産することを何百万倍にも広めていけば、ものすごい規模での大量生産になるのではないですか。しかし、あなた方がおっしゃる「大量生産」というのは、非常に複雑な機械の助けを借りて最小人数で生産活動を行う技術的な用語であると十分理解しているつもりです。それは間違ったことであると、私は自分に言い聞かせてきました。私の考える機械は、庶民の家庭に備えつけることのできる最も初歩的な物でなければなりません。 私の計画では、前にも言いました通り、通貨となるのは労働です。金貨ではありません。働ける人は誰でもこの通貨を持っているのです。つまり富を所有しているのです。その人は労働をすることで衣類、穀物を得ることができます。自分では作り出せない灯油が欲しければ、余分の穀物を用いてそれを得ます。これは労働を自由に、公正かつ対等に交換することであり、奪い合いはあり得ません。原始的な物々交換に戻るのかと反対されるかもしれませんが、国際貿易もすべて交換に基づいているのではありませんか。 このシステムに付随するもう一つの利点についても述べさせてください。このようなシステムならば、どこまでも拡大させることができます。しかし、生産を無制限に集中して行う場合ですと、失業が生じるだけです。進んだ機械の導入によって職を失った労働者は別の仕事に就くだろうと言われるかもしれませんが、工業化された国では決まった限られた数の雇用しかありませんし、労働者はある特定の機械を使用するために高度な技術を持つようになるので、別の仕事に就くのはほとんど不可能であることはすでに経験済みではないでしょか。現在イギリスには三百万人を超える失業者がいるのではないですか。 私は特権と独占を憎む着です。庶民が分かつことのできないものは禁止すべきです。 (『ガンジー自立の思想』P88~91地湧社 ¥1900より)
2004年10月20日
リチャード・アッテンボローが制作したガンジーの伝記映画は、ガンジーの一面しか伝えていなかったと思います。西欧人がガンジーを伝えると、たいがい聖人ガンジーとして骨抜きにされます(*)。 ガンジーの肝心なところは彼に経済的分析能力、代替案作成能力があったということなのに。 有名な塩にかかる重税に抗議のポイントを置いた「塩の行進」などは、もちろん象徴的な役割りもありましたが、彼が税金の設定という経済的問題に焦点を合わせていたことを示しています。 綿紡ぎ車(チャルカ)などの普及を身を持って推進したのも、自立分散的生産手段を各自が持っていた方がいいということであり、これはいまだ歴史的に見てもイギリスマンチェスターに対抗し得た唯一の原理でしょう。 これは大量生産大量消費で一部に利益が集まり、それを分配すればいいと考えるのではなく、生産の現場ですでに分配が行なわれていなければならないという考え方です(生産と消費が分散されるべきという考え方はプルードンにも通じますし、後述しますが情報産業のもとでは今日的に見て合理的、現実的なものになっています)。 もちろん、ガンジーがヒンズー教徒であるという限界がパキスタン問題で露呈しましたが、これはガンジーに当たる人間がパキスタンのイスラム教徒から出なかったことに遠因があると僕は考えています。現在でもイスラムの政治主義、西欧の神秘主義がガンジー像を意図的にゆがめてしまっているのです。 こうしたガンジー像を正すのには彼の自伝(中公文庫)もいいですが『ガンジー自立の思想』(地湧社)(*)を読んでいただくのが一番いいと思います。ちなみに岩波文庫の同種の本はなぜか経済の分野のコメントが抜けてしまっているから推薦できません。 今日、インドでチャルカは広まってませんが、自立分散的生産が重要であるという考え方は、広くエネルギー問題に浸透していますし(ちなみに原発は「管理集中型」の典型です)、何よりもインドで盛んなIT関連の企業形態にも参考になるでしょう。 イギリス帝国からインド独立を勝ち取ったガンジーの非暴力闘争には、経済的裏づけがあったということはいくら強調しても強調し過ぎることはないと思います。* チャップリンが、生前ガンジーに会っていることが特筆されます。彼の伝記にはインドでガンジーに会った際、ガンジーが如何に鋭い人物であったかが記されています。 チャップリンは、ガンジーにその機械嫌いに関して質問をし、ガンジーはそれに対して「人民のための機械ならいい、人民を搾取する機械はいらない」といったように答えたといいます。 チャップリンにとって生産の現場で分配が行なわれていなければならないという考えは、当時の映画作りからは理解できないでしょうが、今日では、制作方法、投資方法の変化で映画にも当てはまる考え方になってきていると思います。 また、チャップリンは以下のようなソロー(これにはガンジーも影響を受けた)や石橋湛山にも似たガンジーの言葉を伝えています。 「~彼はまた、こんなことも言った。最高の独立とは、一切の不要なものをふりすてることであり、また暴力は、必ず結局において自滅するというのだった。」(『チャップリン自伝・下』新潮文庫p311より)
2004年10月19日
1、攻撃性の内面化としての文化(=憲法9条) フロイトの『文化への不満』に「人類の運命的課題」を論じた興味深い一節があります。 「人類の運命的問題とは、文化発達にとって、人間の攻撃衝動、および自己否定衝動による共同生活の障害を克服することが、はたしてうまくいくかどうか、また、どの程度成功するだろうか、ということのように私には思われる。この点に関しては、ことによると、まさに現代こそ特別な興味をひくに値するのかもしれない。今日、人々は自然力に対する支配をきわめて広範囲にはたしているので、自然力の助けをかりて最後の一人にいたるまでたがいに絶滅させあうことができるようになった。彼らは、それを知っている。彼らの現在の動揺や不幸や不安の気分は、大部分そこから生じているのだ。」 これはフロイトが珍しく個人を越えた共同体に対して精神分析をあてはめた記述です。 そうしたフロイトの考察に加え、現在近畿大学で教鞭を取る柄谷氏は「永遠平和について」の著作で知られる、国連をめぐる議論でも引用されることの多いカントをつなげて考え、以下のように解説しています。 「カント=フロイト的にみれば、世界平和への道筋は「文化」、すなわち攻撃欲動の内面化を強化することである。」(柄谷行人「死とナショナリズム」『ネーションと国家』より) カントは後年の「世界大戦」といったものは経験していなかったせよ、ロシアとの国境近くに住み国際政治を身近かに感じていた人ですし、フロイトは世界大戦を体験しそれを冷静に分析した知識人です。そうした両者の考察を経たのち、柄谷はよりアクチュアルな考察に移っています。 そして、柄谷は憲法第9条こそ「超自我」に他ならないと言うのです。 柄谷によれば、それはアメリカから来たものでも、アジア諸国から来たものでもなく、自らの内面から超越論的に生まれてきたものだと言います。 そうした自覚が現在足りないとしても、歴史の反省の中からあらわれるのは文化の形をした、攻撃衝動の克服であるに違いない、と(『ネーションと国家』より)。 ベトナム反戦運動の時、脱走兵は、この日本の平和憲法に感動し、世界憲法にしたいと考えたようです。ベトナム帰還兵のアレン・ネルソンさんもまた同様の意見を持ち講演活動を行なっっています。ただ、肝心の現代日本人にとっては、そうした憲法9条の意義がまだ広く自覚されていないかも知れません。2、攻撃性の内面化としての文化(=エイサー) 話が飛ぶようですが、僕は、そうした攻撃衝動が内面化した文化の具体例として、僕は沖縄のエイサーを挙げたいと思います(*)。 これは文字どおり、具体的な生きた「文化」です。 エイサーを踊る集団は、僕には「武器を持たない軍隊」に見えます(普通は本土で言う盆踊りに対応すると目され、比較される)。太鼓を持って踊る彼らの身体は鍛えられ、集団の規律を守ることが出来、それに加えて個人の技量も発揮することができる(しかもその集団は外に開かれている)。そのリズムは多くの場合四拍子だが、そこにはポリリズムがあり、複数の身体が前提となっている芸能なのです。 そこで思い出すのはブラジルのカポエイラです。カポエイラは奴隷が反乱を目的とする格闘技の訓練にはじめたが、支配者からの眼を盗むため、ダンスの外装を施したものだと言われています。それと似た感覚をエイサーにも感じます(喜納昌吉さんの主張する「すべての武器を楽器に」は、ブラジル人の奴隷や沖縄市民の手で、すでに実行されていたということです)。 エイサーを見た為政者は、内の者であれ外の者であれ、彼らを支配しようとは思わないでしょう。 その理由は、為政者側が軍事的な戦力として彼らを恐れるからではなく、(僕が為政者だとしても)彼らの踊りを、その美しさをもっと見ていたいと思うだろうからです(*)。*写真は、今年東京調布で開催された「アースデイ調布」におけるエイサーの模様です。ちなみに東京、特に西東京には沖縄の情報文化を伝える「基地」が沢山あって、情報を発信しているようです。三鷹の「はちのこ保育園」でも沖縄関連の講演会が開かれていました(また御報告します)。僕の住む横浜の商店街にも最近沖縄ショップが出来て好評です。こうした「基地」なら諸手を挙げて大歓迎するのですが。*究極的に言えば、世界中みな一緒に踊れば平和になるということでしょう。ただし、そのためには共通のリズムが必要になりますが・・・
2004年10月16日
プルードンの系列弁証法(*注)に倣って考察するなら、これまでの議論は以下の議題における系列(#~)の推移をたどってきた。 ちなみに(/)の中は互いにアンチノミー、つまり矛盾を形成している。例:(自由/権威)#軍事(沖縄の独立/中国脅威論)(代弁あるいは報告/代弁、表象の拒否)(連合/冷戦構造化での米軍の重要性)(非武装/軍事力の必要性) ↓#政治(憲法第9条/日米安保)(対アメリカ情報公開要求/アメリカの必要性) (アジア平和条約締結/アジアの軍事的結合) ↓#経済(循環型社会への摸索/基地経済への依存)(地域通貨/国民通貨)(琉球時代のようなアジアでの対等交易/グローバリゼーション) ↓#環境・エネルギー問題(風力、バイオマスなど持続可能なもの/原発、石油) ↓#文化(黒澤の先進性/現実味のない妄想、幻想説)#食生活(9パン/大量生産食製品?)解説:「質問」としては以下のものがあり、それに対する<回答>も試みられた。<(if )沖縄の独立>←「沖縄への環境破壊、基地移転、憲法9条無視」 ↓「独立の軍事的根拠は?」→<軍事力を棄てることで独立(尊敬を得る)>「将来はいいとして、今をどうするか」→<代替エネルギーの可能性>「軍隊とは何か?」→<階級構造把握の必要性>今後の課題: これらは、質問者に満足な回答とみなされ得ず、blogを通じた議論の不毛性の指摘も見られた。ただ、書き込みを解放しているおかげで、(混乱も招いたが)横レスによる情報提供(イロコイ連邦の非武装の例:by雪風さん、フェティシズムの別定義:byのらさん)や考察の補強(アメリカ対日石油輸出禁止による太平洋戦争勃発原因の指摘:by gainerさん)などが見られた。「匿名希望さん」による議論の交通整理も見られた。 国家対国家として考えるのではなく、同業者組合(漁民の例が出た)や草の根のつながりを重視する意義が十分に伝わっていない。それに反して資本家同志の国を超えた結託は一件強固なものとして見えるらしい(税金の無駄遣い?)。 中国脅威論には具体的なデータの提示が見られたがそれに対抗するデータがないことが問題点。 歴史をどう学ぶか?がこれからの争点になり得る。それは憲法9条の歴史的位置付けにも関わってくるだろう(例:柄谷、9条=超自我説)。追記: 国を「守る」と言っていったいどんな国を守るのか?コンクリートだらけの大地をか?(日本全土におけるコンクリート使用料はアメリカ全土の30倍と言われる。) 一見、左翼/右翼の対立として看做され得るが、「環境」は両者の合意点足りうるのではないか?また、東アジアに関しては近親諸国との地理的近さを再認識していただくために富山県制作の以下の地図↓を掲示板で紹介した。 (上の地図に関しては、また日記で詳しく御紹介させていただきます。) また、今後は米国/中国という新たな冷戦構造の把握が望まれる。 精神分析/資本の分析を駆使した『子供と軍人』の改訂版も望まれる。 議論のあり方としては、提案、質問、答えといったサイクルをツリー状に整理し、なおかつそれに関わる人達をセミラティス状(*注)に開いていく必要がある。 辺野古のオジィオバァたちの座り込みはまだ続いている・・・///////////////注:* 「系列弁証法」dialoctique se'rielle(あるいは「均衡理論」the'orie de equilibres)はプルードンの社会科学方法論の重要な柱の一つである。プルードンは社会を諸矛盾の系列的連鎖として総体的に把握しようとしたのである。プルードンは矛盾の連鎖の最終的な項が下位の諸項を超越的に解決すると考えたのではない。彼の考えによれば、ひとつの矛盾の否定としてあらわれる、より高次の項もそれ自体の内に必然的にアンチノミーの無限の連鎖(系列)なのである。 ヘーゲル的な「総合」はアンチノミーの解消をめざすが、プルードンはアンチノミーこそが現実社会のダイナミズム、その生命力の源泉なのだと考える。したがって、彼は社会のダイナミックな運動を抑圧し停滞させることなく、ただその破壊的性格のみをなくすべきだと考えた(斉藤悦則訳『プルードンの社会学』法政大学出版社、あとがき参照)。 また、マルクスによってプチブル的と称されたプルードンの思想は、情報産業の発達によってアクチュアリティーを増してきていると言われる(柄谷行人『定本トランスクリティーク』p254-276,p436-437、啓蒙サイト『よい子の社会主義』他参照)。ちなみに系列弁証法を歴史的に当てはめると、薩摩/長州 ↓ 日本ヨーロッパ諸国 ↓ EU といった、対立の克服を事例としても考えられるだろう。 ただしかつての大東亜共栄圏はアジア諸国の個々の文化的特徴を捨象してしまうのでプルードン的系列弁証法の観点から批判され得る(EUに関しても検討の余地がある)。プルードンはそうした覇権主義に対抗(プルードンの場合はイタリアのナショナリズムやナポレオン三世の覇権主義に対抗)して、「連合の原理」を提示した。*「セミラティス」 ツリーに対抗する概念。一点が多数と結ぶつく場合、多数の点が相互に分断されず、互いに線を引き合っている状態を指す。ツリー状の場合は多数の点が頂点のみでつながっているので、セーフティーネットが不十分だとみなされる。これは、ある建築家による、人口都市計画の欠点を指摘するための概念だったが、より人間的な街作りの根拠を示す概念であり、組織構造論としても着目された(例:『定本トランスクリティーク』『NAM原理』)。より具体的にはサッカーなどにおけるポジションチェンジを例として提示し得るであろう(柄谷行人『隠喩としての建築』他参照)。
2004年10月13日
ダグラス・ラミスさんの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』の新書版(「平凡社ライブラリー」)が出版されましたので、参考までにその解説文(辻信一さん)から主要部分をピックアップさせていただきます。///////////////// 『経済成長がなければ・・・』はますます重要な教科書になりつつある。この本のひとつの特長は、戦争と平和の問題を環境問題と同列に論じていることだ。普通、憲法9条を論じる人が、同じ本で地球温暖化について論じたりはしないものだ。ラミスさんはそれをやっている。 戦争と環境破壊という、どちらも人類の生存そのものを危うくするようなふたつの危機は、互いに密接に関係している。(中略)そういう社会のあり方を、ぼくは「ファスト」と形容する。なぜファストかといえば、それはより速く、より多くつくり、売るものが勝つという競争原理に基づいているので、社会が全体として加速するからだ。競争原理が社会の隅々まで浸透した今の日本の社会は生きづらい。生産性や効率性をめぐる競争が、本来は相互扶助の場であるはずの地域やコミュニティや家庭の中にまで入り込む。より非効率的で非生産的な者は競争に負け、取り残され、差別され、排除されることにもなる。(中略)こんな「競争社会を支えている基本的な感情は恐怖だ」(138頁)とラミスさんは言う。9・11以後の米国や日本では、このことがますます露わになっているようだ。それはラミス流に言えば、社会の安全{ルビ:セーフティー}ネットが弱いことを意味している。「お互いに、誰でも例外なく面倒を見あえるような」共生型の社会であれば、「その恐怖は減るはず」であり、恐怖が減れば、「健全なゼロ成長の社会は可能になるのではないか」、と(139頁)。///////////////// 付記: 付記させていただければ、これまで「沖縄の独立」をめぐって、多少感情的な行き違いがあるとはいえ、率直な「議論」を戦わせることができたことに対して、みなさんに感謝したいと思います。「資料」の紹介だけで扇動と評されてしまうような現実に対しても、僕はある程度覚悟していました。 ここではじめて僕は自らをも含めて男性中心の運動は不毛であることを確信しました。次に紹介したいのは女性達の運動なのです。 東京玉川学園前にあるリトルトリーという天然酵母使用のパン屋さんから、ジュゴンの形をしたパンが売りに出され、たいへん好評です。 ちなみに「9」の形をしたパン(9パン)もすでに売りに出されすでに好評を博しています。 9パンは言うまでもなく、憲法第九条の描く世界を暮らしの中から実現させていこうとする運動の一環です。 そのパン屋さんを営む高木みのりさんは「パン屋だって、毎日いのちを扱っているんだ」と述べいました。ジュゴンパンと9パンのレシピは問い合わせがあれば、全国のパン屋さんに公開したいそうです。
2004年10月12日
黒澤明が『夢』(1990)中の一編としてシナリオには書いたが、映像化を果たせなかった作品に「素晴らしい夢」というエピソードがある。 世界中の武器を集めて来て廃棄し、世界の人達が平和を宣言するというものだ。 僕はてっきり黒澤自身の願望を述べたもので、本気で映像化を考えてはいなかったとばかり思っていたのだが、美術スタッフである村木与四郎氏と上田正治カメラマンの証言によると、サンフランシスコでロケハンまでして撮影場所まで決めてあったという。確かに残された絵コンテの一部を見ると、黒澤が本気であったことが解る。黒澤自身が描いた、気球を使った切り替えしのショットの絵コンテがすでに発表されている。絵コンテとはいえ、ものすごい迫力なのだ。 さて、ここで僕が提示したい主題は世界の軍隊の武装解除はいかにして可能か? ということである。 僕はその大前提として、敵というものを自らの内部に抱え、アンチノミーとして維持し続けることが大事だと考えている。 プルードン(1809-1865)の言葉に倣って説明するなら、アンチノミーとは決して解決しない矛盾である。ブッシュのように、自分の中の矛盾に眼を向けず(アメリカこそ大量破壊兵器を持つ)、自らの中の敵を他者に投影することで闘いを外部化するとき、それは戦争という形を取る。権力者でなければこれは、たんなる妄想として罪のないものだったろう。あるいはブッシュがテキサス州のいちプロ野球チームのオーナーだったとしたら、それは強くて人気の球団経営に役立ち社会的な「昇華」(フロイト)を果たしたかも知れない。また、ブッシュがもしインターネットを操るしか能のない、たいした社会的資本(コンピューター自体には可能性がある)を持たない軍事オタクだったとしたら、それは対して害のない微笑ましいイタズラをするだけに終わっただったろう。 だが、ブッシュはイラクのフセイン大統領に自己の矛盾の片方(悪)を投影し、ありもしない大量破壊兵器を捏造し、国民を戦争に駆り立てたのだ。これによってたくさんの民間人が殺されたことは言うまでもない。ブッシュは戦争に民主党によって純粋主義者と言われているようだが、自己の内部にアンチノミーと言う名の矛盾を抱えきれない人間がいかに危険かをアメリカのリベラルは気がついているように思う。 黒澤明はブッシュとは違って、こうした矛盾の片方(悪)を誰かに投影するのではなく、矛盾そのものを映像化して来た。彼の作品内における登場人物同志の葛藤は勿論、人物と自然の葛藤、そして何よりも戦いのイメージの形象化によって今日世界の巨匠とされているのだ。僕は『乱』を世界美術至上最高の作品と考えているが、シェークスピアの『リア王』を読み返しても、ここで戦争シーンがないのはしっくりしないな、と考えてしまう程だ。それほど黒澤は的確に「矛盾」というものを見事に形象化し、繰り返すなら悪を他者に投影するのではなく、その葛藤自体を表現し続けて来たのだ。これは黒澤が自らの持つ矛盾に向かい合って来たのだ。 ただ、実際にはスピルバーグの資金援助にもかかわらず、映画化されなかったというエピソードは、社会的に見れば作者の情熱と資本の問題という永遠に解決しない全く別の矛盾を提示しているようにも思う。僕はこちらの矛盾の方が大事にも思えてくる・・・ こうして、この黒澤明の映画化されなかったエピソードは、映画化されなかったからこそ、一種のアンチノミーとして、(さらに説明するなら)集まらなかった資本と黒澤自身の情熱的倫理観というアンチノミーとして僕を刺激し続けているということになる。 ブッシュのように敵を外部(ブッシュの場合はフセイン)に投影することで一時の自己満足を得るようなことをせず、アンチノミーの認識を維持し続けること、つまり本当の矛盾に眼を向けること、またはひとり一人が自己の矛盾(アンチノミー)に気がつきそれを維持することこそが、結局問題を棚上げずに、現実世界における実際の武装解除につながるのだと思う。 世界の人間が望むその夢を、日本の一人の天才がいち早く気づき、その夢を絵コンテに託したこということに感謝したい。
2004年10月11日
石油に頼った経済成長(*)が持続可能でないことは、今や「頭の中」では誰でもわかっていることだ。しかし、何かを止めろ、といったよくある偽善的な言葉は強権的であり、人々の反発を招くだけだろう。 だから、実際にオルタナティブな経済のあり方と持続可能な「豊かさ」を求める人達は、地方の片隅で誰にも知られることなく、ひっそり声を細めてなるべく目立たないように実行していたのが現実だった。 ところが、このところそれに反する動きが現れはじめた。 循環型社会を実行しようとしている人達が、インターネットを使ってつながりはじめ、力を結集しはじめたのだ。 その一例として、スロービジネススクール↓というネットを使った学校の試みが挙げられる。丁度今日、東京の府中市ではじめての合宿が行なわれているはずである。 地球温暖化がその原因と言われる台風のまっただ中で、彼らの持続可能な経済に向けての情報共有、協働ヘの摸索に注目したい。スロービジネススクール公式ウェブサイト*注 石油と言えば、石油ショックや最近の原油高騰などが思い浮かびますが・・・大日本帝国の陸軍、海軍は大正期に石炭から石油を燃料とした軍事に切り替えたため、石油がなくなれば戦争も「持続可能」ではない国になったと言われます(これは実は対アメリカの太平洋戦争開戦の根本原因にもつながっています)。周知のように日本では石油は採取できません。 一般的には1970年代のベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)での活躍で知られる作家の小田実氏は、こうした事実に続いて、日本海側に原子力発電所をつくって放置している日本の国防政策(「攻撃されれば日本海側は壊滅なのに、本気で国防を考えていない」)に関して、警鐘を与えています(フリーペーパー「シナプス」最新号より)。 インタビューに答える小田実さん(中央)率直な御意見、御批判をお待ちしております。(^^)。
2004年10月10日
ロールズの正義論(処方箋C)ベトナム戦争時代、経済格差に左右される兵役の志願制に反対し、くじ引き式徴兵制を提案したロールズの話は掲示板でも以前何度か紹介しました(川本隆史著『ロールズ』講談社p109参照)。実際には軍から、成績が優秀ではない学生を軍隊に送り込む要請があったそうですが、それだと学力評価を通じて教授が自分の学生の生死を恣意的に左右することになるので、ロールズは教授会で反対したそうです。軍の要請通りにすると、(日本でいえば塾など)高度な教育を受けられる裕福な学生が生き残ることになるので、結果的に貧富の差が生死を分けるということになってしまいます。ここでは、そのロールズの倫理観の全体像を表す主著『正義論』の中で、後年に書き加えられた序文を紹介したいと思います(邦訳『みすず』)。ロールズの指摘で重要なものは以下です。 「この場合、はじめから少数者にではなく市民全員の手に生産手段が委ねられ、それによって市民が社会生活のためにじゅうぶんな協力体制を組めるように、諸制度を整備しなければならなくなる。強調されるべきは、ある期間を通じて資本および資源の所有が偏りなく分散され、しかもそうした所有の分散が、相続と譲渡に関する法律、機会の公正な均等を求める法律(それに基づいて教育や育成のための諸方策が認可される)、さらに政治的自由の公正な価値を守るための諸制度に関する法律によって、実現されるということである。」 川本隆史・米谷園江訳「みすず」No.385より(1993.4) 原典、ロールズ『正義論』フランス語版(1987)これは大量生産したその後で分配すれば貧困はなくなるという集権的発想ではなく、生産の現場で分配が行なわれなければならないという、ガンジーの唱えた考え方と近いでしょう。一見小さな運動だが、こうした考え方を侮ってはならないと思います。ガンジーはこれでマンチェスターの綿布工場に対抗し、イギリスからインドの独立を勝ち取ったのですから。ガンジーの業績は神秘化される傾向にあり、またその事実と表裏一体で中傷を受ける傾向にあります。これはそうした経済原理に基づくガンジーの考え方が紹介されてこなかったことが最大の理由だとおもいます。そうしたガンジーの経済原理に関して紹介している唯一の本として『ガンジー自立の思想』(地湧社)をお薦めします。追記:またガンジーに影響を受けたシューマッハの『スモールイズビューティフル』もお薦めします。楽天かライブドアか(処方箋D)現在新聞紙上を賑わせている楽天とライブドアによるプロ野球本拠地の仙台争奪戦は、個人的には今回はライブドアの方を応援したいと思います。楽天が仙台にフランチャイズを置けば、将来的に二度と楽天は神戸を本拠地にするチームを作れなくなるからです。楽天には神戸を諦めてほしくありません。三木谷社長はオリックス買収を諦めたようですが、だとするといったいJ1チームのヴィッセル神戸は今後どのように地域スポーツとの連携をはかっていくのでしょうか?以下脱線しますが・・・いっそのこと楽天が普天間基地跡地に野球場兼サッカースタジアムを建設すればいいと思います。これは僕の「妄想」(実現は難しいだろうという意味)ですが、そうすれば大リーグを招くという三木谷社長の大リーグを日本に招くという構想はより実質的意味のある提案になるでしょう。野球場のこけら落としで、始球式はパウエル国務長官か、失業した元アメリカ大統領あたりにお願いしたりして・・・これもまた新たな雇用の創出です。///////////////////////付録・『子供と軍人』(思考構造チャート図)チャート図(改訂版)をつくってみました。 子供時代AB /↓遊び 遊び(遊び=全体性)の欠如→体育会系→自衛隊B→→→→→→→→→→↓ ↓ * 軍隊・軍事オタクAB / ↓アピールなし アピール(アピール=「他者」)あり ↓ |アピールの場を捏造 | ↓ ↓ アメリカ追従再軍備B 軍事専門科或いは芸術家(宮崎駿etc)A→研究や芸術による昇華 | |→インターネット掲示板AB→対話による昇華A ↓(防衛庁長官etcによるヴィジョンのない防衛計画) *C / ↓ ↓日本の入亜D 沖縄の犠牲(結果的な地方の独立反乱)B←自衛隊の海外派兵等← ↓地雷や誤爆による子供の死(不十分な福祉政策による病死も含む)B注記:それぞれの場で次の処方箋が有効A=精神分析 B=資本の分析C=くじ引き式徴兵制D=サッカー野球等のスポーツ
2004年10月09日
日本政府は米国に沖縄海兵隊削減案を提言しているようだが(10/7朝日新聞朝刊)、同時に米軍基地の普天間から辺野古沖への移転に関しては「変更がない」(10/2同)、という考えを示したという。ここで、一般にはまだ馴染みがないが、米軍基地移転候補地とされる沖縄の辺野古では基地移転に反対する運動があり、現地の「オジィオバァたち」(9LOVEレポート↓より)がここ八年間にわたり、団結小屋をつくって座り込みをしていることを再度ご紹介しておきたい。 9LOVEレポート"辺野古に見える9"こうしたオジィオバァたちの声を無視し、最近の米軍ヘリ墜落事故をきっかけに、普天間は危険だから「緊急」に辺野古に基地を移さなければという間違った論理が横行し、日本政府は移転工事を急ぎはじめている。一般的に言えば沖縄には残念ながら、現在でも土建業者を中心に米軍基地による経済効果を期待する勢力がいまだに強い。辺野古でも地元土建屋に有利なように基地建設計画が採択されたという。しかし、強調しておきたいが、こうしたお金は一時的なものであり、依存体質を生んでしまうからかえって長期的な繁栄には逆効果なのだ。日本各地で行なわれた原発建設による地方の荒廃の事例を見てもそれは解るだろう(そうした時流に対抗して、ヤンバル農場代表で一坪反戦地主の会の上山和男さんによれば、現地で循環型社会を実現するツールである地域通貨発行も計画中だという)。しかも、基地が建設されれば漁業場も含めて壊滅的に破壊される辺野古沖には、本来なら鳥獣保護法で守られるべきジュゴンという動物が棲んでいる。ジュゴンはなかなか人前には姿を表さないが、海藻などを食べた跡があることから、その棲息は科学的に証明されているし、世界的にその生息地である珊瑚礁は注目されている。本来ならこうした観光資源、自然資源を活かすことで持続可能な発展をモデルとして示すような観光都市づくりができるだろうし、同時に漁民もまた漁業を続けることができるだろうが、こうしたヴィジョンは土建業者を始め一時のお金目当ての人達にはなかなかわかってもらえないでいる(当然の話だが、辺野古沖に米軍基地ができれば魚も採れなくなる)。最近では沖縄サミットが開かれた場所で国際珊瑚学会が開催され、世界の環境学者の約800人が辺野古沖基地移転反対の嘆願書に署名したというが、残念ながら、灯台下暗しで、地元の住人程、特に沖縄の都市生活者にはこうした掛け替えのない価値に気付いていないケースが依然見られる・・・。米軍は普天間の住民を苦しめ、辺野古の自然を壊し、いったい誰から何を守ろうとしてるのだろうか? 実のところ、存在するのは軍隊の雇用問題だけなのだ。私は数日前の日記に、「もしも憲法第9条が変えられてしまったら」沖縄は独立を考えるという議論が、沖縄内外であるということを紹介したが(*)、アジアのほぼ中心に位置し、17世紀に薩摩藩に侵略されるまでまで琉球王朝として栄えていた沖縄には、十分その資格がある。沖縄には独自の文化、独自の言語があるからである。そして、日本が米軍に政治レベルで妥協して沖縄を見捨て(米軍基地の削減計画案は不十分だということを再度指摘しておきたい)、さらに沖縄が一時のお金を目当てに辺野古を見捨てるならば、今度は辺野古が沖縄からの「独立」を宣言する番かも知れない。辺野古沖でのオジィオバァたちの非暴力による座り込み闘争は、今現在も続いている。*近々、沖縄独立運動を描いたアクション映画『独立少女紅蓮隊』の上映が、僕の友人が運営する那覇ミニシアター「シネマエクサ」で上映されることが決定しました(詳細決まり次第、また御報告させていただきます)。
2004年10月08日
処方箋Aなぜ、現代日本においてフェティシズムが蔓延するのかという問題に関して精神分析をさせていただくならば、広島・長崎への原爆投下の謝罪がアメリカからなされていないからだ、と僕は考えます。逆らい難い抑圧の中で、現実から眼を背けようとするとき、人は自分自身を欺き 芥川が言うような「ぼんやりとした不安」の中にあり続けることになります。原爆は戦争抑止という美名の陰でその非対称的所有の欺瞞性すら言説化されておらず、これによって現代人には歴史上かつてない恐怖政治が敷かれているのです。全体から切り離された細部に代補対象を求めるフェティシズムはそこからの無意識による逃避であり、また代償行為です。大江健三郎はノーベル賞受賞記念講演の中で、在日韓国人の被爆者について語りました。これは重要なポイントで、反原爆運動は、国民ではなく市民という立場で語ることではじめて俗に言う原爆ナショナリズムを避けることができるのです。実際、原爆実験や原発事故や劣化ウラン弾、その他の事象を考えれば、被爆者は日本人だけではありません。ただし、その謝罪を米国に正式に求めるという人間としての(あるいは世界市民としての)義務が現代の日本人にあると僕は考えます。処方箋B>では欧州各国の軍隊、は軍隊ではないと?資本の分析に基づくなら、自爆するテロリストやイラク兵をも含めて「彼らは軍隊というよりも単にプロレタリアートなのだ」というのが僕の答えになります。彼らは自ら望むことなくお互いに殺しあいますが、互いに気付くことがなくても同じ階級(ポジション)にいるのです。そして、その上の特権的な立場にいる人間(シャロン、ブッシュ)や資本家(ビン・ラディン)は決して自らの命を危険に曝さないのです。
2004年10月07日
長文になりますが、以前の書き込み、『子供と軍人』(改訂版)を書き直してみました。 芥川龍之介は1927年に刊行された『侏儒の言葉』で次のように述べています。 「軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思わぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似ているのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、何のために戦うかも問わず、欣然と敵に当ることである。 この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋織の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなった者ではない。勲章も--私には実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」 これは僕に言わせれば、逆に子供に可哀想な比喩です。僕の解釈だと軍人及び軍事オタク(オタクとはアピールする能力や手段のない研究者のこと)は幼少の時、心のゆくまま遊んでおらず、充実した子供時代を通り抜けていないから、大人になって「代補対象」を探すことになるというものです(*)。それは消費社会のもとで席巻するフェティシズム(物神崇拝)の原因などに幅広く当てはまる考え方でもあります。 そもそも戦争と精神分析とは密接な関連があり、第一次世界大戦の帰還兵の神経症の症状がフロイト(*)やラカンの研究に材料を与え、後年ではベトナム戦争期にはやはり帰還兵の心的外傷(PTSD)がカウンセリングや考察の対象となりました。ナチスドイツに対する集合無意識的なユング流の分析や、ライヒの分析もありましたし、さらに権力者個人に対する精神分析はヒトラーからブッシュ(サッカーでいえばトルシエも対象になった)にいたるまで盛んです。ただ、今日では彼らが何としても権力を握る前段階でのカウンセリング(対症治療)が望まれます。ブッシュなどは明らかに自らの純粋性を自ら信じるための偽証を経歴上で行なっていますから。 もちろん、こうした精神分析以上に大事なのは資本の分析です。 例えば、戦後総理大臣になった石橋湛山は「大日本主義の幻想」という論文で、植民地を棄てた方が経済的に見て日本のためになると、すでに芥川と同時代に書いています(岩波文庫『石橋湛山評論集』)。 現在、子供が思いっきり遊ぶためにも、残念ながら自然環境が残っているわけではなく意識的な社会的資本の整備が必要ですから、精神分析と同時に石橋湛山がやったような資本の分析が必要になります。 先に引用した芥川の思考は断片的で、そこに資本の分析を含んでいませんでしたから、「酒にも酔わずに」勲章を下げて歩ける軍人に対しイロニーをぶつけることしか出来ませんでしたが、そうした心理的な面に限られた分析を補うために(繰り返しになりますが)石橋湛山がやったような資本の分析が今後はさらに大事になるでしょう。 ただし、最初に引用した『侏儒の言葉』に話を戻すなら、芥川の以下の記述などは昭和2年にしては鋭いものだと思います。芥川はここで構造的な思考(これは精神分析にも資本の分析にも必要な思考法だ)はしていませんが、ニーチェに迫るような直感的な神経の震えで、当時の日本人の愛国主義化する風潮を批判しています。 「日本の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞の伝へる通り、『正義の敵』といはなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。」(「武器」『侏儒の言葉』1927年より)「理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。即ち理想的兵卒はまず無責任を好まねばならぬ。」(「兵卒 又」同)「軍事教育というものは畢竟只軍事用語の知識を与えるばかりである。」(「軍事教育」同) とはいえ、芥川の批判(及び不安)を追い抜くような形で、文壇の小春日和は過ぎ去り、その後の日本は急速に軍国主義化していきます。 資本の分析と精神分析との両方に鋭い分析を発揮し得るラカンの理論に関しては、またいずれ書きたいと思います。*注1 ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で主人公にこう語らせている。 「・・・休み時間に若いひとたちが戦争ごっこをしたり、追剥ぎごっこをしたりするのも、やはり芸術の芽生えだし、若い心に芽生えかけた芸術欲ですよ。こういう遊びのほうが、往々にして、劇場の演(だ)し物よりうまくまとまっているものですよ、ただ違いと言えば、劇場へは役者を見に行くのに、こっちは若い人自身が役者だというだけでね。でも、それはごく自然なことでしょう。」(『カラマーゾフの兄弟』下、新潮文庫) これはルソー流の社会教育とは観点が全く違うということを追記しておきたい。*注2 柄谷行人は最近、憲法第九条とフロイトのいう「超自我」とを重ね合わせて考察している。 「先ほどいった『国家が超自我をもつ』という現象は、戦後日本の憲法第九条のようなものですね。フロイトは前期には、超自我は親や社会から押しつけられた規範が内面化されたという見方をしていましたが、後期には、それは自らの攻撃欲動が内面化して生じたという見方を出しています。そのように言うとき、僕は、フロイトは第一次大戦後のワイマール憲法のことを考えていたのだと思います。それは外から押付けられた強制だから、そのような文化から解放されなければならない、自然に帰れ、という世論の中で、フロイトは憲法を擁護しようとしたのだと思うのです。たとえば、日本では、戦後憲法をアメリカ占領軍に押し付けられたという議論がいつもなされています。ドイツではそういう議論は絶対出てこない。その理由はこうです。ドイツでは第一次大戦後のワイマール憲法が、日本の第二次大戦後の憲法に該当するのです。ドイツでは、それを嘲笑し廃棄してナチになった。だから、もう二度と戦後の憲法は外から押付けられたから廃棄する、などとは言えない。ところが、日本はもう一度失敗を繰り返さないと、戦争放棄を自らのものとして確認できないでしょう。 その意味で、アメリカもベトナム戦争のあとで、やや『超自我』をもちかけたことがあった。ところが、湾岸戦争を通して、国家が『健康』になってしまった。今度重大な失敗をすることで、もう一度『超自我』を回復するかもしれません。アメリカはいずれヒロシマの問題に直面しますよ。アメリカは核戦争をやった国なのです。このことを言われると、多くのアメリカ人が血相を変える。それは日本人が南京大虐殺のことを言われるときと似ています。彼らはただちに、原爆投下によってアメリカ兵および日本人を救ったのだと弁解する。もちろんそれは嘘です。あの機会を逃すと核実験ができなかったし、またソ連に自らの軍事力を見せつける絶好の機会を逸することにもなったからです。しかし、そういう過去について真実を認める時期が必ず来ます。」 (「資本・国家・宗教・ネーション」柄谷行人、聞き手・萱野稔人、『現代思想』2004年8月.p43~44より)///////////////////////付録・『子供と軍人』(思考構造チャート図)チャート図をつくってみました(ただし既出のタ-ムだけで作成していません)。 子供時代AB /|遊び 遊び(遊び=全体性)の欠如→体育会系→自衛隊B→→→→→→→→→→↓ | * 軍隊・軍事オタクAB / |アピールなし アピール(アピール=「他者」)あり | |アピールの場を捏造 | | | アメリカ追従再軍備B 軍事専門科或いは芸術家(宮崎駿etc)A→研究や芸術による昇華 | |→インターネット掲示板AB→対話による昇華A |(防衛庁長官etcによるヴィジョンのない防衛計画) *C / | ↓日本の入亜D 沖縄の犠牲(結果的な地方の独立反乱)B←自衛隊の海外派兵等← |地雷や誤爆による子供の死(不十分な福祉政策による病死も含む)B注記: それぞれの場で次の処方箋が有効A=精神分析 B=資本の分析C=くじ引き式徴兵制D=サッカー野球等のスポーツ解説: そもそも「遊び=全体性」というのは僕の仮説なので、ここに議論の余地がある。 また、この場合、遊びといってもジャン・ジャック・ルソー流の、自然と社会を切り離したあとで「自然にかえれ」というような人的操作な遊びは有効ではなく、ドストエフスキーの言うように一見、「野蛮」な遊びがかえって有効であろう。これは子供達の遊びを見る大人たちの寛容さが問われ、そもそも環境面における自然破壊(辺野古や磯子などのケースが代表的)などが反省されるべき理由でもある。 広い意味での遊びこそが、全体的な視野を獲得するための訓練として最大の処方箋であるが、分化したレベルでは様々な処方箋があり得るだろう(治療後を示す「昇華」はフロイトの用語)。精神分析と資本の分析は、併行するものとして常に前提とされるべきものだ。 くじ引き式徴兵制は、アメリカのリベラルから提案された、あくまで最悪のケースにおける意識改革の劇薬であり、ジョン・ロールズもベトナム戦争時に最悪な状況でも公平さをかろうじて確保しようとして意図したものだということを注記しておきたい(講談社『現代思想の冒険者たち・ロールズ』参照)。 地方の独立に関しては、現実的に地域通貨の研究を個人的にしていることを追記しておきます(循環型社会をつくるツールとしての地域通貨に関しては、blogトップ頁から関本の他の書き込みを御覧下さい)。 スポーツの有効性に関しては、すでに別の普天間基地の跡地利用ヘの提案として「日記」に書きました。 上記のチャート図は今後、この掲示板で御批判を受けた上で改訂版をつくり、さらにそれを基にした文章、『子供と軍人(新改訂版)』として「日記」に掲載したいと思います。 また、憲法第九条こそは、世界憲法として日本が全世界に積極的にアピールできる数少ないものであるということも特記しておきたいと思います(ですから僕は改憲/加憲論者といった消極的な立場にはなく、積極的に憲法第九条を世界にアピールしたいと思っているわけです)。
2004年10月06日
「反戦映画」のベストテンを選んでみました(ドキュメンタリーは除外)。1、フルメタルジャケット2、地獄の黙示録3、僕の村は戦場だった4、ジョニーは戦場へ行った5、乱6、炎6287、7月4日に生まれて8、西部戦線異常なし9、肉弾10、ホワイトバッジ次点、戦場にかける橋 ドイツ青ざめた母 「戦争映画」の名目で選ぶとまた変わると思います。それは戦争に惹かれる好戦映画と反戦への熱狂とは紙一重だからです。『地獄の黙示録』などはそうした好戦映画とのギリギリのところを自覚的に描いていると思います(『プライベートライアン』はそうした自覚が足りないと思うので入れませんでした)。 『ホワイトバッジ』は韓国映画ですが、主演の男優が素晴らしいのと、韓国人のベトナム派兵の問題を描いていて貴重だと思います。 選んで順位をつけるということ自体に抵抗があるのと、気分によって変わるということもあるので、ベストテンを選ぶというのはむずかしいものです。 重要なものを忘れている気がしますので、コメント欄に書き込んでいただけると嬉しいです。追記: ビートルズが昔、「君たちはラブソングばかりで反戦ソングは書かないのか?」と新聞記者に聞かれて、「僕達の歌は全部反戦ソングだ」と答えた逸話が脳裏を横切ります。 これは大事な視点だと思います(『ドイツ青ざめた母』はそうした理由で選びました)。
2004年10月03日
「軍人は小児に近いものである。(中略)この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。」と芥川竜之介は『侏儒の言葉』で述べています。 これは逆に子供に可哀想な比喩です。僕の解釈だと軍人及び軍事オタク(オタクとはアピールする能力のない研究者のこと)は幼少の時、心のゆくまま遊んでおらず、充実した子供時代を通り抜けていないから、大人になって「代補対象」を探すことになるというものです(*)。 上記の芥川の思考は断片的で、資本の分析を含んでいませんから、石橋湛山などの現状分析には及びませんが、以下の記述などは昭和二年にしては鋭いものだと思います。 「日本の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞の伝へる通り、『正義の敵』といはなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。」(『侏儒の言葉』芥川龍之介、1927年より)*ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で主人公にこう語らせている。 「・・・休み時間に若いひとたちが戦争ごっこをしたり、追剥ぎごっこをしたりするのも、やはり芸術の芽生えだし、若い心に芽生えかけた芸術欲ですよ。こういう遊びのほうが、往々にして、劇場の演(だ)し物よりうまくまとまっているものですよ、ただ違いと言えば、劇場へは役者を見に行くのに、こっちは若い人自身が役者だというだけでね。でも、それはごく自然なことでしょう。」(『カラマーゾフの兄弟』下、新潮文庫) これはルソー流の社会教育とは観点が全く違うということを追記しておきたい。
2004年10月02日
評論家の鶴見俊輔さんは、かつて戦争に勝つことのコストということを語っていました。 それは戦争に勝つと、軍が政治的に力を持ち、やらなくてもいい戦争をやるようになるということです。 アメリカのベトナム戦争はまさにそれでした。 しかも、そのコストは、今のイラク戦争にまで続いており、アメリカの軍需産業は敵を捏造し続けることで生き延びています。 しかし、僕にとってアメリカを代表するものは、そうした軍需産業ではありません。 ボブ・ディラン、ソロー、ホ-ソーンetc・・・。今こそ、そうしたアメリカのリベラルとの連携をはかるべき時でしょう。
2004年09月30日
日本全体の米軍基地の75%が沖縄に集まる現状はやはり異常だ。別に普天間が特別危険ではない。すべての基地が危険なのだ。タッチ&ゴーなど、危険な訓練をするからやはり基地は普通の空港とは違うのだ。アメリカ軍自身が七~九年置きくらいの確率で普天間では事故が起こることを予測し、実際今年の夏起きた。それは結局そこに住む住民たちの本当の役には立たない。だから、基地を(ジュゴンのような貴重な動物の泳ぐ)辺野古沖に移せばいいというものでもない。 今後は、沖縄のエコツーリズムなどを応援して、平和産業を育てていけばよい。その最たるものがサッカーだ。かりゆしFCが失敗したからって悲観することはない(今は歌や踊りに若い人材が流れているが、サッカーに人が集まる日も来るだろう)。 普天間基地跡は芝生の張ってある、子供も遊べるようなサッカー場にするといい。
2004年09月29日
先に報告しましたが、9月9日に国連大学で開かれた、9LOVE沖縄特集のレポートがUPされましたので、URLを御紹介します。http://9love.blogtribe.org この中で、染織作家の石垣昭子さんは『大和(日本)が沖縄に復帰すればいい』と語っています。 以前も書きましたが、沖縄はアジアの中心にあると考えていいと思います。 沖縄の基地問題を解決するためには、大型リゾートではなく三線奏者でもある石垣金星さんが推進するようなエコツーリズムを応援したり、昭子さんの染め物のような循環型の平和産業を応援することによって、たとえ小さくても経済的基盤をつくっていくことが必要だと思います。
2004年09月28日
以下は、プルードンによる、系列弁証法の観点から位置づけられた「相互性」(「矛盾」に続く第二の法則)の解説であり、また「相互性」という交換銀行の基本理念の表明である。後者に関してはより具体的には定款を見るべきだが、その論旨は明解なものであり、現代にそのまま通じるものでもある。 「・・・相互性は、創造物においては、存在の原理である。社会秩序においては、相互性は社会的現実の原理であり、正義の公式である。それは、思想、意見、情念、能力、気質、利害の永続的な敵対を基礎とする。それは愛そのものの条件である。 相互性は、『自分にしてほしいことを他人にたいしてなせ』という掟において表明される。経済学はこの掟を『生産物は生産物と交換される』という有名な公式に翻訳した。 ところでわれわれを貪り食う悪は、相互性が無視され、破壊されることから生じる。救済策のすぺては、この法の公布のなかにある。われわれの相互関係の取扱化、ここに社会科学のすべてがある。 したがって今われわれが必要としているのは、労働の組織化ではない。労働の組織化は、個人的自由の本来の対象である。労働をうまく行なうものは、利益を得るだろう。この点では、国家は勤労者にたいしてこれ以上言うベきことをもたない。われわれに必要なこと、私が勤労者の名において要求することは、相互性すなわち交換における正義であり、信用の組織化である。」(阪上孝訳、「信用と流通の組織化と社会問題の解決」、1948年3月31日発表のパンフレット、『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』河野健二編、平凡社、p338より) 上記の文章の中で、相互性の定義を「生産物は生産物と交換される」「交換における正義」「信用の組織化」と書いている部分が有名であり、また重要だと思う。「生産物は生産物と交換される」という部分はマルクスの言うように労働価値と労働生産物とを混同しているのではなく、労働の価値を明確にしているのであり、相対(あいたい)での契約を重視することによって、交換の理念的土台を明瞭にすると共に、統制された計画経済ヘ陥る危険を回避するという知恵でもある。 また次に、前回引用した「政治問題と経済問題の同一性、解決の方法」(「人民の代表」1848年5日9月発表分、『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』河野健二編、平凡社、p344)より、社会全体をいかに捉え、改革の方向性をどうするかという彼の思想の核心部が明確にされている、その後半部を紹介したい。 「・・・人間の王権を廃止したように、貨幣の王権を廃止することが重要である。市民間の平等を樹立したように、生産物間の平等をつくり出すこと、全員に選挙権を与えたように各商品に代議能力を与えること、われわれが王権や大統領制や執政官(ディレクタトワール)の仲介なしに社会の統治を組織しようとしているように、貨幣の媒介なしに価値の交換を組織することが、重要である。要するに、政治的次元で行なおうとしていることを経済的次元で行なうことが重要なのである。それがなければ、革命は重要な部分を欠くことになり、不安定になるであろう。 したがってこの二つの改革、すなわち経済的改革と政治的改革は緊密に結び付いている。両者はそのどちらが欠けても実現されえない。政治組織を経済組織から分離することは、絶対主義に後退することであり、現実ではなくて意見を法とつねに取り違えることである。それは、進歩を妨げることである。 真に革命的であるためには、新しい基本構造が、この学派の言葉を用いることを許していただければ、主観的であると同時に客観的であること、それが人間と同様に物のあいだにおいても平等の組織であることが必要である。生産物間の均衡は市民間の正義と同じものである。こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である。そして一八四八年革命はとりわけ経済的革命であるから、われわれはまさに経済科学にたいしてこそ、新しい共和的原理を求めなければならないのである。 信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること、これが、経済的基本構造と同時に政治的基本構造の出発点である。同じ等式が社会問題と国家の問題の解決に役立つであろう。同じ定式がこの二つの解決を表わすであろう。」(阪上孝訳) 上記の文章からはプルードンの、政治革命ではなく社会革命を重視するスタンスがより明瞭にわかると思う。当時、人々が政治革命に熱狂的する中で、プルードンのこの態度は特筆すべきものだった。 技術的な点をより具体的に言うと、同年発表された交換銀行定款によれば、貴金属貨幣は交換券で払いきれない端数にのみ使用される予定だった。 プルードンの論旨は題名を見れば明らかだが、8日発表分の文章よりも、その後半部に当たる9日のこの文章の方が、プルードンの経済重視のスタンスをより鮮明に表していると言える。また、「こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である」という箇所は、「イデア=レアリスム」というプルードンの方法論を示していると言えよう。 先にプルードンのアイデアとLETSの理念との類似性を指摘したが、「信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること」という部分を見るならば、当然ながらこれらは今日の市民バンクの試みとも繋がるものであり、交換銀行案が却下された後にプルードンが提出した、広く出資者を募る形にした人民銀行案においてはよりその傾向が強くなる。 ちなみに、「貨幣の王権を廃止する」という方向性は、マルクスの価値形態論から見ても、正しいのではないだろうか。
2004年09月27日
1848年5月8日「人民の代表」に発表されたプルードンの文章、「政治問題と経済問題の同一性、解決の方法」を資料として紹介します。LETS(地域交換取引制度)の原理との近さがわかると思います。「自由経済研究」vol.20.2001.12より、森野栄一さんの訳です。「・・・誰もが認めることは、異なった場所に居住する三人以上の交換者が、同じ時に、それぞれ他の人間の生産物を知り、欲するならば、彼らの生産物と役務を直接に貨幣の助けなしに交換するような方法で交換することができるということである。 (中略) 交換銀行は交換者に対して、諸国のあらゆる生産者や消費者の事業状況や能力、支払い能力、生産の重要度、そして特に重要な彼らのもつ欲求を個人的に知っているかのように現れる。 いかなる政治上の激動も決して生産者と消費者の関係を断ち切り、生産物の交換を中断しえないにしても、交換銀行がお互いに関わりあうには時間がかかるすべての生産者と消費者に無償で生産物と販路を提供するのは、この知識によってこそなのである。 交換銀行はその組織によって交換銀行なのである。随所に現れ、誰にでも情報を与え、交換銀行は各交換者にこう言うのである。当行に諸君の請求書、交換券、約束手形を与えよ、当行に諸君の商品針委託せよ、当行のもつ無数の関係によって、補償金もいらず、割引料もなく、利子もなく、諸君のあらゆる取引を引き受けましょう。 従って、ここでは貴金属貨幣の銀行が交換の銀行に転換され、間接的交換は直接的交換に代えられ金属の役割は廃止され、一種の振替に転換される。否定が肯定に転換されるのだ。 我々はこの改革からどのような利益を引き出すことができるのであろうか。これが労働者にもたらすものはなんであろうか・・・。」 さらに付け加えるなら、プルードンの交換銀行の計画では、銀行が特権的なポジションに立つのではなく、会員が相互に価格を決め合うという点が画期的であり、計画経済的な同種の試みとの違いであるということも追記しておきます。言うまでもなくそれはLETSに共通する考え方でもあります。
2004年09月26日
「軍人は小児に近いものである。(中略)この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。」と芥川龍之介は『侏儒の言葉』で述べています。 これは逆に子供に可哀想な比喩です。僕の解釈だと軍事オタクは幼少の時、心のゆくまま遊んでおらず、充実した子供時代を通り抜けていないから、大人になって代補対象を探すことになるというものです。 上記の芥川の思考は断片的で、資本の分析を含んでいませんから、石橋湛山などの現状分析には及びませんが、以下の記述などは昭和二年にしては鋭いものだと思います。 「日本の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞の伝へる通り、『正義の敵』といはなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。」(『侏儒の言葉』芥川龍之介、1927年より)
2004年09月25日
ヘンリー・ソローは『市民としての反抗』(岩波文庫)の冒頭で、小さな政府ヘの志向を表明した。それはもはやアナーキスト宣言と言ってもいいものだが、そうした思考をガンジーが受け継いだのは有名な話である。 彼の思考法を知るいい例が「太陽」をめぐった記述である。 『森の生活』のラストで、太陽とは明けの明星にすぎないと彼は書き、別の場所で彼は自分の体の中に太陽を感じると書いている。 一方は複数化によって相対化し、もう一方は能産的自然を持ち出すことで太陽という絶対的なものを相対化しているのだ。二種は思考法は異なるが、ともに相対化に寄与することには変わりはない。そして、そうした二種の思考法を使い分けることができるという点が、ソローのアナーキストたる所以なのだ。 ここで、ソローが、(ステート批判として)メキシコヘの戦争に抗議し、(経済的な分析に基づき)納税を拒否した罪で逮捕された際、牢獄の外から「どうしてそんなところにいるのか」と聞いた友人に「君こそなぜここにいない」と答えた話が思い出される。 そうしたまぜっ返しというよりユーモアに満ちた相対化は、彼の思考法に基盤を持ったものであり、その場限りのものではない。 権威に頼らないアナーキーな思考を、その生き方において体現し、尚かつ言説化したという点で、ガンジーの先駆者としてのソローは今日的に見直され得るし、今現在もアメリカ内外で(ネーションの枠を越えて)、志を持つ人達の精神的支柱というよりも独立精神を持つ人達を照らす「太陽」であり続けている。
2004年09月23日
柄谷行人の『トランスクリティーク』は単行本化される際にプルードンの影響が特に顕著になったことが指摘できる。『トランスクリティーク』はそうした理由でプルードンの再評価の基盤となるべき本の一つである。 ベネディクト・アンダーソン、カール・ポランニ-の影響とされるが、実は柄谷の四つの交換レベルの分類もほぼプルードンのアイデアと言えるものである。 ネーション/ステート/キャピタル/アソシエーションという柄谷による四つの交換のうちの最初の三つの交換レベルの分類は、プルードンの言葉ではそれぞれ、教会/政治/資本ということになる。プルードンの方法論では、それぞれ、ネーションにはトルストイ『戦争と平和』で受け継がれたような集合力理論が対応し、ステートには能動的に参画するために「イデア=リアリズム論」(プルードンによる用例は一つしかないが、公認の社会・現実の社会と共に後の研究者から重要視される用語)が対応し、キャピタルには系列弁証法(これはもっとも主要なタームの一つ)が対応すると言うことができる。 アソシエーションに関しては、プルードンはそこにも上記の分類分けを分析する際に当てはめて分節化するので、決してユートピアとしてあったわけではないし、後年の彼自身によるアソシエーション批判はそこに起因する。 アソシエーションを「第三項」(第四項?)として美化していない点でプルードンの方が現実的とさえ言える どちらにせよ、今後、日本の柄谷読者がマルクスだけでなく、プルードンに眼を向けることが望まれる。追記: マルクスとプルードンについては、筆者は以前書いたが、今となっては両者の違いよりもマルクスからプルードンへの影響、及びその類似点を強調したい。 一例を挙げれば、プルードンが初期に提唱した「漸進的アソシエーション」は、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』で述べた、「進行中の運動」に他ならない。 今後、『貧困の哲学、経済的諸矛盾の体系』の翻訳(斉藤悦則さんの訳で藤原書店から刊行予定)が望まれるし、向学心のある方は『プルードン研究』(岩波書店)をネット古書店で取り寄せることをお薦めする。 以下、その『プルードン研究』より、作田啓一作のプルードンの社会学的構造図(四つの交換図)を引用掲載させていただきます。 『プルードン研究』(岩波書店)より
2004年09月22日
>アナーキズムと言うと 聞こえがいいですが自警団やリンチなど、負の遺産も大きいんじゃないでしょうか。アナーキズムの印象はバクーニンなどのイメージが先行した日本では大変悪く暴力的なものです。意識的及び無意識的な情報操作によってテロリズムと同義になっているくらいですから。こうした「負の遺産」は全く無知に基づくもので、僕はそれを変える必要があると思います。そうでなければここ200年の社会運動が無に帰してしまいますから。プルードンの言うアナーキズムは何より自主管理ですし、マルクスが一時期提唱したような、暴力的な政治革命(議会主義を含む)を否定するものでした。その産業民主主義を基盤にした経済革命のヴィジョンは、交換銀行定款などを読んでいただきたいと思います。ただ、一般的に先駆者プルードンの紹介の遅れている日本では、柄谷行人も指摘するようにアナーキストたちは概して資本の分析において遅れていると思いますし、その暴力的イメージを避けるためにアソシエーショニズムと呼びたくなるのも仕方がないことだと思います。ただ、そうした言い換えだけで社会的に当たり障りをなくすのでなく、アナーキズム、特にプルードンの再検討によって「アナ-キズム」の歴史性に真正面から立ち向かう必要があると思います。>フランス思想史上の問題ではなく、アソシエーションを自称するフランス思想史上の問題ではなく、アソシエーションを自称するクズ、カス、ゴミどもが実際にやってしまっていることではないんですか?おっしゃることは判りますが、状況認識が僕と違います。フランスかぶれの知識人が、知的遊戯に耽っている間に、大衆の無関心を誘発し、本質的な部分であるプルードンの紹介が遅れてしまっています。プルードンはまだしも、クロポトキンが平塚らいてうなどに与えた相互扶助の影響なども歴史的なものであり、そうした成果がその場限りのゴシップ記事に埋もれてしまっている現状を憂慮します。(上記文章は9月19日の日記のコメント欄に書いた返信コメントに加筆し転載したものです。)
2004年09月21日
ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』におけるセリ-的思考において、本人は明言していませんが明らかに系列弁証法をプルードンから借りています。 また、欲望する諸機械と器官なき身体というアンチノミーの設定は、考えようによってはプルードンを発展させたものと解釈することも出来ます。 明らかにドゥルーズはニーチェ経由であり、それと同時にマルクス経由の思考の持ち主(構造への視点において)ではありますが、プルードン的アナーキズムを体現しており、ガタリとの「連合」がその最たるものでした。 柄谷行人はフランス現代思想が、プルードンを黙殺して来たと語っていましたが(*注)、そうした系列弁証法はフランス人の彼らに染み付いているということは言えるかも知れません。
2004年09月20日
『グラマトロジーについて』におけるデリダはルソーの持つアンチノミー(言語における使用価値/交換価値)を矮小化した上で脱構築するので、「敵の歌を歌う」というデリダの戦略は理解出来ますが、本当にルソーを脱構築したことにはならないと思います。 その点、『十九世紀における革命の一般的理念』においてプルードンは、主権移譲的なルソーの社会契約説に対して体ごとぶつかっているので、社会契約説に歴史的にも明確にアンチノミーを突き付けることに成功していると思います。ここでその誠実さというより律儀さ(正確さと言いたいところですが)をどう評価するかは分かれるところでしょうが、社会学的に画期的であることは確かです。 ただ、デリダに対して好意的になるなら、現在、社民的発想が善くも悪くもヨーロッパに(テクスト内外に)蔓延していると云うことは理解出来ます。
2004年09月19日
『汝の敵、日本を知れ』という1945年に戦争が終わる直前に完成したアメリカの反日プロパガンダ映画があります。「実録第二次世界大戦」という映像シリーズの最後に入っていたので購入して見てみました(映像シリーズでのタイトルは『アメリカの敵、日本』)。 監督のヨリス・イヴェンスとフランク・キャプラの最良の仕事とは言えませんが、それでも日本の権力構造を図解したシーンなどはよく出来ていたと思います。後半ラストの米軍礼讃は、一元主義への批判が一元的になってしまう典型で稚拙なものでしたが、この部分は改変されたものだという説もあります。封建時代を描いた多くの映像が日本の時代劇映画から取られており、はからずも日本映画の第一期黄金時代を振り返る映画体験となりました。ドナルド・キーンなどが実例ですが、戦争が日本研究者を生んだという話もこの映画を見れば頷けますし、当時の日本が自分の敵を研究しようとしなかったというアメリカと正反対の態度にも考えさせられるものがありました。 映画の題名は見終わってみると、「汝の敵、日本軍国主義を知れ」の方がしっくり来ます。石油輸出禁止という戦争の原因の分析や、国家神道と民間神道を分ける視点が必要だとは思いますが、この映画は1時間という枠でコンパクトに日本の権力構造をまとめており日本の若者にも特に授業などで見るにはいい教材だと思います。(なおこの映画は、沖縄戦の記録フィルムを買い戻す運動「1フィート運動」の中で買い取られた映像で、1985年テレビ放映されて話題になった。)
2004年09月18日
エイゼンシュテインには「『資本論』映画化のためのノート」(全集4、キネ旬所収) という論考がある。 1920年代後半まで、エイゼンシュテインは本気で『資本論』の映画化を考えていた。 詳細は全集に譲るとして、彼のアイデアの形式面での特徴を要約すると、資本主義という構造の中に取り囲まれた場合、その対抗運動は意識の面では反復にならざるを得ないということだ。 資本主義という構造の外に容易に立つことは出来ない。そして、資本主義の内部で闘うこと、しかも日常(という交換の場)で闘うこと自体に意味があるのだ。 したがって、ジョイスの意識の流れを形式面で採用することは必然なのだ(「形式面はジョイスに捧げられる」ノートより)。 もちろんエイゼンシュテインが言うように、『資本論』は「社会民主主義」(資本主義により拡がる貧富の格差を、民主主義的な議会主義という外観を装いつつも国家による収奪・分配によって補完する)に対する外部からの最大の批判である。しかし、そもそも資本論の素材は国家の側から提出されたものであるから、はじめから完全な外部はあり得ない。また、その説得力ある映画化を実際に起こった出来事(ニュース)に素材を得た形で行なうとすれば、1997年のアジア通貨危機など後年の素材を待たなければその説得力は十分なものにならなかったかもしれない。 山田和夫(『日本映画の歴史と現代』)が指摘するように『全線』の冒頭の財産の分割が利益にならないといった教訓をあらわす描写は、『資本』を描くという意味で成功しているし(このシーンは何よりも同一化への欲求を表しているのだが、このロシア人特有の主題に関しては別稿が必要だと思う)、『イワン雷帝』などの経済分析は、資本論の映画化の構想の延長と言っていいと思う。 ちなみに価値形態論の図式をエイゼンシュテインが『十月』でやったように逆モーションにするとほとんどLETS(通帳式交換システム)の理念になるのではないだろうか。 意識の流れということであれば『アメリカの悲劇』の構想も資本論の延長である言っていいだろうし、晩年の立体映画論(「立体映画について」1947年)こそは、『資本論』映画化のアイデアのうちの、階級闘争としての映画を理念的に発展させ得たものだと思う(この論文を要約すれば、映画における四次元は技術的にも思想的にもプロレタリアートのために開かれる、というものである)。 ただ、『ストライキ』における映像表現などを見ると、エイゼンシュテインの作品群は実はアナーキズムの発露としても見ることができるのではないか?(ドゥルーズ『千のプラトー』における『ストライキ』内の複数の穴の描写の指摘を参照。また、メイエルホリドの身体論や空間演出もコミュニズムからアナーキズムに転回し得るものだ。) われわれに残されたエイゼンシュテインの遺産(黒澤はエイゼンシュテインの影響でカラー映画を撮り、タルコフスキーは『イワン雷帝』を見て映画監督を志した)は、まだまだ可能性を秘めていると思う。
2004年09月17日
9月9日、慶応大学三田校舎で中国から二人の文学者を招いて講演会が開かれた。 中国淪陥期(日中戦争期に日本帝国の支配下にあった北京を中国側はこう呼ぶ)を代表する梅娘さんという女性作家の講演だった。張泉さんという男性の評論家も一緒に講演した。 最近、北京でのサッカーアジア杯におけるブ-イング問題等、日中関係は冷えきったものになっている。民間で経済活動は盛んになっていても政治家たちはアジアにおけるヴィジョンを持っていないことが問題の根本にあると思う。 日中関係に関しては、僕には国交正常化から数十年でよくここまで来たという思いもあるが、日中戦争期の文学者の営みがもっと知られていいと思う。 梅娘さんにせよ、彼女より若いその時期を研究する張泉さんにせよ、親日とレッテルを張られた中国人作家達の苦闘は、今の日本人の想像を絶するものがある。最初の張泉さんの講演も梅娘さんを含む親日とレッテルを張られた中国人作家めぐる評価の議論を現在進行形で伝えるものだった。 そうした苦労(上記のように現在進行形でもある)を少しでも知ってもらうことと、そうした苦難の歴史を忘却しないことが、次の世代の真の友好をつくり出すと思う。 梅娘さんに関しては、中国におけるフェミニズムの嚆矢でもあるので、より重要な位置にいる作家であるのは確かだ。そして、その評価のすべてを政治的な権力のもとで左右されることがないようにしたい。 講演は、彼女の日本文学翻訳家としての側面を明確な記憶とともに振り返るものだった。御高齢にもかかわらず、梅娘さんは瑞々しい感性を持っていた。日本の若い女性聴講生から携帯電話で写真を撮らせてくれとせがまれて、笑顔で受け答えしていた姿が印象的だった。 追記: この時期の文学に関しては、僕は『交争する中国文学と日本文学』という研究書に共同研究者の一員として参加した際、武田泰淳に関連して少し書いたことがあります。
2004年09月16日
昔読んで印象に残った小説に、阿城という中国の作家(『子供達の王様』という映画の原作者)が書いた『樹王』という小説があって、文化大革命当時の自然破壊をあくまでファンタジックにですが、うまく伝えていました。 無論、当時の中国の指導者も人民を幸福にしたいと思って、よく考えていたのだとは思いますが、そうした一方的な思いはかえって、自然を破壊してしまうという話でした。 そこで大事になるのは「て~げ~」という感覚だと思います。 沖縄では適当にやろう、と言う時の「適当」を「て~げ~」と言うそうです。 て~げ~。 この言葉は、人間が本来持っているはずの、自然とのバランス感覚を体の中に呼び覚ますような響きを持っています。「て~げ~え~やっさ、て~げ~」(ネーネーズfirst-albumより)付録:沖縄の言語における五母音から三母音への音韻変化 aiueo → aiuiu コメ(米:kome) → クミ(kumi) ココロ(心:kokoro) → ククル(kukuru)
2004年09月15日
14日、『明日を創る人々』という映画をフィルムセンターで見て来ました。 この映画は東宝争議のあった1946年のメーデーの翌日公開するために急遽作られた組合映画です。黒澤明は演出の三人に名を連ねていますが、この作品は自分の作品として認めていません。 ただ、僕が見た限り、群集シーンや撮影所のシーン(高峰秀子と藤田進が本人役で出演)に黒澤らしき演出の特徴が見られましたし(効果的な移動撮影が多々あった)、黒澤ファンは見るべき価値のある映画かと思います。(黒澤がエッセイで披露した、「綺麗な夕焼けだなあ」「馬鹿、あれは朝焼けだぜ」という徹夜明けの撮影所で実際にあったというセリフが使われていました。) この映画に関しては『天皇と接吻』(平野共余子著)という研究書に詳しいのですが、その本に書いてあったラストと微妙に映画のラストは違いました。映画では、主人公たる家族(これは任意に抽出された家族なので説得力というか面白みはあまりない?)がメーデーの前日の夜、会話をしたあと、メーデーのイメージで終わります。 その家族の会話で母親の「私が参加するとしたら井戸端組合かね」という映画のラストを締めるセリフが面白かったと思います。 他には、資本家も手をつないでいるのだから、われわれもそれ以上に手をつながなければといった内容のセリフがよかったと思います。また、合唱団を主役にしていたので、善くも悪くもプラカードを掲げたような作品にはなっていなかったと思います(シナリオが東宝コンツェルンを前提としている点や、多分実際にあった出来事なのでしょうが組合員の子供の死を無理にドラマに取り入れている点、組合運動に戦時中の国民総動員のイメージを引きずっている点、「敵」というよりも「資本家」の描写が弱いという点、また上記の母親の会話に見られるコーポラティブとユニオンの縦横の関係性の把握が弱いところなどが欠点かと思います。) プロ野球合併問題と考えあわせても奇妙なリアリティーがある映画でしたが、コアな映画ファンはこうした見方をしないかも知れません。ブレヒトの『クーレ・ワンペ』など同種の映画との歴史的比較検討がなされていないからだと思います。 黒澤は、確かにこの映画のあと、撮影現場で部所を越えて互いに手伝いあえないようなユニオンに否定的になりました。ただ、この映画に懲りて共同監督をやろうとしなかったかというとそうではありません。例えば銀行からの出資を募った『どら平太』は市川昆、木下恵介監督らとの共同監督を前提に書かれたものでした(のちに市川監督が映画化)。 『明日~』は、10月2日にもう一度上映されるようです。
2004年09月14日
結局、ドゥルーズは思考における最小単位を発見したのだと思う。それは『アンチ・オイディプス』においても『差異と反復』においても得られなかったものだ。その思考はあらゆる「事件」(本来「良いリトルネロ」も「悪いリトルネロ」も混交している)を記述可能にするもので、あらゆるニ項対立を横断するものだ(この運動には終わりがないから結果的に思考それ自体が音楽になる)。 その思考の最小単位をドゥルーズ自身に倣って、微粒子と呼んでもいいし、それはガタリの言葉なら分子革命ということになる。 リトルネロに話を戻すなら、それは12章の遊牧論における「数える数」(能数)と「数えられる数」(管理される数)とも繋がっており、やはりあらゆるジャンルを飛び越える思考ということになる(だから、ドゥルーズの記述するリトルネロの宇宙への飛翔は比喩ではないのだ)。 ただし、あらゆる二元論を横断しつつも、子供(冒頭の描写が素晴らしい)や民衆の主体化(生成変化と言うべきか)への契機として、リトルネロという概念(というより行為)はドゥルーズによって無条件に肯定されているようにも思える。 P.S. 音楽理論史的に言えば、ドゥルーズは転調を現代音楽の課題として、理論的に位置付けた最初の人間と言うことになると思う。以下、資料としてドゥルーズの思考と呼応するニーチェの『悲劇の誕生』の中の言葉を引用します。 ~観照せざるを得ないとともに、同時にまたこの観照を越えて憧れて行く、というこのことを体験したことのない者は、この両過程が悲劇的神話の考察に当たっていかに明確かつ瞭然と相並んで存し、相並んで感ぜられるかを、想像することは困難であろう。それに反し真に審美的な聴衆は、悲劇に固有の作用のなかでこの並立こそもっとも注目すべきものであることを、私に証言してくれるであろう。ニーチェ『悲劇の誕生』24章(筑摩文庫版p194)より ~音楽は事物の、あらゆる形式に先立つ最奥の核、換言すれば心臓を与えるからである。同16章(p137)ショーペンハウアーの言葉より ~音楽の精神から、われわれははじめて固体の破壊に対する歓喜を理解するのである。同16章(p139)より
2004年09月13日
以下、最近ある掲示板に書いたコメントより。 ジル・ドゥルーズが『千のプラト-』のリトルネロの章で引用した、民衆が足りない、というクレーの言葉が僕は重要だと思います。 (*注) 思うに、最近の戦争及びテロのニュースに、デモのニュースに、オリンピックの国歌斉唱にそれらは呼応しています。 この時、領土化、脱領土化、再領土化は、内在的な差異化及びマスメディアからの情報の分節化ということになりますし、リトルネロはそれらに対抗する民衆の側からの抵抗の武器、または論理ということになります。 携帯電話の着信音もまた、小さなリトルネロであり、小さな個人主義的な領土化が街のあちこちで行なわれているということになりますが、これらは多分、資本による再領土化だとドゥルーズなら言うでしょう(電話代も馬鹿にならない)。 以上、恣意的な読みに基づいた、リトルネロの読解及び展開でしたが、繰り返すなら、民衆という視点を現代思想に、音楽論によってドゥルーズが再び取り戻したことが重要だと思います。 (昨今の日本の憲法改正論議、郵政民営化の論議にもまた、民衆が足りない、と言うことが出来る・・・) (*注) 先に書いた「民衆が足りない」という箇所は、『千のプラト-』日本語版では正確には「~この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ~」(p388)となっています。
2004年09月12日
先日(9日)に青山の国連大学に辻信一さんを招いて、沖縄を考えるシンポジウムがありました。 自然とともに充実したスローな生活を楽しむ持続可能型の「快楽」を大切にするべきだとして、西表島より石垣金星さんも御一緒に招いてその具体例を知ることができました(もはや沖縄は日本の最西端というよりも、アジアの中心として考えるべきだろう)。 そうした見直されるベきスローな「快楽」がある一方、大型リゾート開発など破壊型の「快楽」もあり、現在多くの人はそちらに眼が奪われているという辻さんの指摘でしたが、こちらの破壊型の「快楽」を僕は、ルネ・ジラールに倣って「欲望」と呼びたいと思います。 ジラールは、そのドストエフスキー論の中で欲望の三角形という、他者の欲望に喚起される形で、人々の欲望がつくられる様子(恋愛における嫉妬などがその典型)を指摘しました。 僕の意見では、今日のキャピタリズムが人の欲望を喚起する様は、まさにこれだと思います。ただし、現在の消費社会の下でそうした三角形は重層化していますし、ジラールのように三角形の頂点にキリストを持ってくればいいと言うわけではないようです。 本来の人間のからだが持っているはずの「快楽」(この用語はエピクロスを想起させます)と資本主義下で不純な媒介によって増殖される「欲望」。 両者の区別があらゆるレベルで求められていると思います。 そして、破壊型の「欲望」に対してはボイコットという対処の仕方があり得ます。
2004年09月11日
9・11以前にイスラエルがパレスチナにしていた行為を考えるなら、9・11は決して始まりではなかったし、記念日でもない。 亡くなった方々の冥福をお祈りするが、その中にパレスチナの人民も入っていなくてはならないし、洗脳されたテロリストも入っているべきだ。 ビン・ラディン自身が自爆した訳ではない。彼はただの資本家だ。 その政策と発言からみればイスラエルのシャロンこそがテロリストなのだ。 また、パレスチナ問題はユダヤ問題である。つまり、ヨーロッパのユダヤ問題が転移したものだ。理論的にはユダヤ思想をシオニズムから奪い返す必要がある。 ベトナム戦争が終結し、朝鮮戦争の再燃を恐れた北朝鮮は軍事訓練の一環として拉致を繰り返した。諸悪の根源はアメリカにあるが、だからといってアメリカは一枚岩の悪の帝国ではない(アメリカ合衆国はインディアンの連合を模倣して作られた!)。 今こそ、アメリカのリベラルと連帯しなければならない。 アジアで平和条約を締結しなければならない。 明治公園に集まらなくてはならない。 蝋燭に灯をともさなければならない。 資本と国家を揚棄しなければならない。 「何も憎むな、憎しみをのぞいては」Bob Dylan (BE-INサイトへの書き込みより)
2004年09月10日
郵便局の民営化が現実的になっていますが、そもそも郵便局は地方分権の問題であるはずです。民営化と地方分権化は併行した、またく違う課題であり、商業主義との思想的格闘が必要とされます。地方の郵便局を資本の論理によって淘汰することはするべきでありませんし、またそれは自民党がやるような官僚制に頼った補助金の分配によっても成し遂げられません。 小泉首相らの世代の政治家は、アジアにおける日本の位置付けというヴィジョンもありませんが、地方分権に関しても、思慮が足りないと言わざるを得ません。
2004年09月09日
『アナキズムの美学』(アンドレ・レスレール著、小倉正史訳、現代企画室)より、プルードンの芸術論を紹介します。「」外のコメントはレスレールのもの(p35~)。/////////////////////// 「デッサンを学んだ一万人の生徒は、一つの傑作の生産よりも芸術の進歩としての価値がある。」 プルードンは量と質とを秤にかけない。 「デッサンを学んだ一万人の市民は、一人の人間よりもはるかに勝る集団の芸術的な力、思考、エネルギー、理想の力を生み出し、その力は、いつか自分の表現を見いだして、傑作を凌駕するだろう。」(中略) 「美術館は芸術作品の目的地ではない。単なる研究と通過の場所、古美術品と、場合によっては、どこにも置くことのできない物のコレクションであるにすぎない。進歩する文明が廃用にした結構な物の遺品陳列館である。」 人為的に生命が引き延ばされる歴史的産物としての<人為的>芸術に、プルードンは、集団の生き生きした精神から生まれる<状況芸術>を対立させる。///////////////////////・・・引用ここまで。 プルードンは歴史的にはじめて、形式的な音楽会、硬直した美術館を批判していることによって、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージらの果敢な挑戦の現場である現代美術に理論的出発点を与えたと言える。 しかし、誤解を避けるために付記すれば、プルードンは偶像を壊すだけではなく、到達点としての芸術作品が、歴史に残り、人々に受け継がれることも視野に入れていた(プルードンは、過去の集合力にも可能性を見いだしていたことが凡百の近代主義者と一線を画すところであった。「前進すること。しかし、すべてを保存しながら」が、プルードンのモットーであり、これは柄谷行人が多用する「揚棄」という言葉の定義でもある)。(*注) 以下、再び引用。「文学の発展の法則に従えば、原則としてあらゆる精神的作品は、詩でも散文でも、言語と同じく、そして素材として、後につづく著作家たちのものでもある。後に続く者はすべて、内容についても形式についても、先人たちの創造物を同化して、それを自分たちの創作において自由に用いる権利を有する。」 また、トルストイ『戦争と平和』によって展開された彼の集合力理論は、個人が捨象されるべきではないと考えるがゆえに、『ポチョムキン』『ストライキ』といったエイゼンシュテインの初期傑作以上に黒澤の『七人の侍』にその典型を見いだすこともできる。(ちなみに、トルストイは1861年にブリュッセルで亡命中のプルードンと会談し、自分の書く同名の小説『戦争と平和』について相談したとされる。また、主人公ピエールの名をプルードンから借用したという説もある。こうして書かれた小説が、後に黒澤やタルコフスキーの思考の基盤になったのだと考えると、芸術が独自に持つの持つ水脈の深さと大きさに関して感慨深いものがある。) プルードンの芸術論に影響を受け、なおかつ彼と同窓の画家クールベの、プルーソンの家族達を描いた傑作を見れば判るように(クールベはプルードンの妻の肖像画、プルードンのデスマスクも描いている)、プルードン自身の芸術論は、その現実(レアル=イデアル)指向において、それが社会主義リアリズムであろうとブルジョアイデオロギーだろうと、もしくは資本主義イデオロギー内においてであろうと、脱イデオロギー化を可能ならしめるものでもある。P.S.(*注記) 「プルードンはコルネイユの詩句について、おののきもせず、それらは『花崗岩に彫られていて、パルテノンやテ-ベのピラミッドよりも長く残るだろう』と言う。」(レスレール) 上記の文章におけるコルネイユを、筆者は黒澤明の作品群、特に『乱』に置き換えて考えてみたい。 黒澤の作品を民主化(国粋主義的な立場からではなく「左翼の側」から再評価)すること・・・そうした課題に関しては別項を持つべきであろう。 しかし、現在、黒澤の映画の画面をただ絵として全身で対峙し両目で把握することのできる「市民」が、全世界ではたして一万人いるかどうか・・・
2004年09月05日
周知の事実ですが、縄文時代は1877年にモースが発見した縄の模様のついた土器に由来するし、弥生時代は1884年、今の文京区弥生町で発見された遺跡の土器に由来します。 ここで強調したいのは、両者共に明治時代の東京で発見されたものであり、あえて言うなら、明治時代まで、縄文も弥生もなかったということです。少なくともその概念と名称はなかった。 こうした指摘で何が言いたいのかといえば、シンボリックに自明のものとして使用される縄文、弥生といったタームの背後に隠れてしまっている、そのアレゴリカルな思考(縄文に関しては通常食糧備蓄の有無が身分制度を分けたことが特筆されますが、ここではケルトの渦模様と思考が共通しているという意味で、縄文的な思考とあえて言いたいところですが)を取り戻す必要があるということです。 多くの場合、反近代的思考自体が近代に依存しているし、社会的錯乱は反権力的な身ぶりをシンボリックに指し示してはいますが、その責任能力のなさゆえに結局は権力を強固なものにしてしまいます。 プルードンの交換銀行などの試みは、そうした責任のがれを許さない自助的及び自立したものでしたし、スピノザがデカルトとの格闘の中で得たものは、反体制的な身ぶりなどではなく、身体そのものの概念だったと思います。 ベンヤミンが、命懸けで得たアレゴリーとしての認識の必要性を、言い換えれば、歴史認識それ自体の歴史性に自覚的であるということの必要性を再確認したいものです。(あるMLヘの投稿より)
2004年09月02日
フランチャイザーとフランチャイジー。 これらの上下関係をどう脱構築(セブンイレブンの日米関係はまさにこれだった)するかが現在の日本で課題となっているようなので、以下、理想論を書きます。 ジーとザーは本来ポジションチェンジ可能であり、僕にとって協同組合はそうしたトータルフットボール的なシステムを可能にする組織構造の代名詞です。 例えば、同業種間でもデザインに優れた店主(A)とパソコン(ロジステックス開発)に優れた店主(B)、商品開発に優れた店主(C)はたがいに各分野に応じてジーとザーを入れ替えてもいいはずです。 そして、(ひとり一票で)協同組合的に経営している店Dは、そのノウハウを他の店に公開しても言い訳です。 この場合、看板というよりも純粋な同業種組合の基金を各店は共有することになり、その口座管理をEの店が担当してもいいでしょう。 ちなみに、A~Eの間で市民通貨もしくはポイントがやりとりされることはもちろんあり得ます。(そうでなければ資金不足解消及び営業の効率化につながらず、資本制経済のもとでの競争の際のプラスになりませんから。) ただ、話を元の木阿弥に戻すようですが、地域に拠点を持ち、その地域に多様性をもたらすような異業種間の協同が今もっとも求められていることを付け加えておきます。(『重力(1)』内藤裕治インタビュー参照。) 各お店で働くフリーターも、地域における多様性が実現すれば、その雇用も安定すると思います。P.S.ナマケモノ倶楽部の辻信一さんが提唱した『スローカフェ宣言』↓はゆるやかですが、そうした可能性をもったものだと思います。最近、それはスロービジネススクールで培われた人脈により実質的意味を持ちはじめて来ました。http://www.sloth.gr.jp/aboutus/csmanifesto/csmanifesto.html
2004年09月01日
あまり知られていないが、プルードンは、キリストに関して非神格化された人間像を思い描き、聖書に関する論考を残している。 プルードンが単なる近代主義者ではないということは、キリストを単に否定するのではなく、その革命的人間像を民衆のもとに取り戻そうとしてしていたことからもうかがえる(プルードンは彼の集合力理論の発揮された実例を過去の歴史上にも認めていた)。 そして、そのキリスト像に、どこかで聞き覚えがあると思ったら、イタリアの映画監督パゾリーニが「マタイ福音書」にもとづきキリストを描いた『奇跡の丘』のそれと重なるものだということに気がついた。 パゾリーニの自由間接話法などは、プルードンの相互主義と響きあうものであり、そのバフチンのポリフォニーにもつながる映画技法は、プルードンを参照してこそはじめて、マルクス主義及びコミュニズム内部における自己差異化として評価できるかも知れない。
2004年08月31日
スピノザ( Baruch de Spinoza,1632-1677)はデカルトとの思想的格闘によって、身体の復権を理論的レベルで歴史的にはじめて、かつ決定的に行なった人物だ。 心身並行論とも言われるそれは、デカルトに代表される精神の身体に対する優位(ここでは身体は分析の対象にすぎない)をはじめて疑ったものである。 今回のオリンピックを含むスポーツは、身体の優位を確認するという意味で、スピノザの理念を内包し、発展させていると思います。 今日の、スポンサーの優位、巨大メディアの優位といった状況に対しても、スピノザの身体論(これは群集論にもつながる)が有効であるはずです。 より詳細に述べるならば、スピノザの複数の中心を持った身体の認識は、1974年に展開されたオランダのトータルフットボールにもつながっています。 「我々はまだ身体について知らない・・・」
2004年08月25日
プルードン(1809-1865)と坂本龍馬(1835-1867)は同時代人である。龍馬の方が25歳ほど若いが、彼らは同じ「敵」と戦った。 それは具体的にはナポレオン三世という名前で指し示され得る国内外の植民地主義と言えるだろう。当時ナポレオン三世のフランスは小栗らの幕府に軍艦を貸して、薩摩、長州と戦わせようとしていた。この計画が実行されれば、龍馬が画策した維新もなかったといわれている(日仏借款に関しては、日本側にそれほど危険はなかったという説もあるが、フランスのアジアの他地域における植民地政策を見ればそうは断言できない)。またナポレオン三世は、フランスではプルードンの社会革命を封じ込めようとしていた。 ここで彼らが同じ「敵」と戦っていたことが、彼らの類似を指し示すだけではなく、対等な経済取り引きにもとづく平等を彼らが指向していたことが最重要である。これは両者がともに政治革命ではなく、社会革命を志向していたということである。 龍馬は刀をピストルに、そしてピストルを『万国公法』(漢訳国際法)に持ち替えたといわれるが、そうした「法にもとづく平等」も両者に共通した指向である(龍馬は『万国公法』の出版を海援隊で計画していたという。海援隊が情報集団として再評価される所以である)。 プルードンは、政治革命に熱狂する大衆からひとり距離をおき冷静だった。同じように龍馬も、剣=武力に頼った改革からはひとり距離をおいていた。龍馬は朝鮮、中国との同盟も、商船を通じて模索していたという。その同盟の原理はプルードンの相互主義と一致していると言える。 プルードンは回船業の会計をやっていた経歴があり、晩年の国際的同盟への関心は龍馬との同時代性を指し示すものだ。ちなみに下士の生まれである龍馬は、町人の系譜を持った家系だったことが特筆される。また龍馬の作った海援隊は、海軍の基礎ともいわれるが、同時にその商業のコンセプトは三菱汽船に受け継がれている(それ以前の1865年に龍馬が長崎に作った、海援隊の前身・亀山社中は日本最初の株式会社ヘの試みとして著名である)。 思想的に龍馬がアナーキストだとは言えないが、龍馬が、トランスバーサルな指向を持っていたことと、『老子』を読んでいた形跡を考えると(龍馬は手紙で一度、老子を連想させる「自然堂」を号している。また、今日では『老子』はアナーキズムの源泉としてとらえられる)、プルードンと龍馬には同じアナーキーと言ってもよいような行動と思想を見出せる。両者の主要な思想は、その手紙からうかがえるというのも相互主義的な観点から見て興味深い共通点である。 今日、江戸の環境の視点からの見直しがすすんでいるが、龍馬の業績と33年の生涯(龍馬はプルードンの死の二年後の1867年に亡くなった)を振り返ったあとで見えてくるものは大きいに違いない。(この文章はTCX掲示板に書き込んだものを書き直したものです)
2004年08月11日
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