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『NAM原理』(太田出版)のプログラムを図解してみました。全体に経済を左、倫理を右に配置したのがミソです。プログラムの2(具体的展望)と3(暴力革命の否定)を入れ替えると順序的にわかりやすくなります。 1で、倫理と経済の両立を訴え、2と3で経済を、4と5で倫理を説いたと読みました。5は新たなレベルで両者の両立を説いたとも読めます。 4のくじ引きは組織内への倫理的フィードバックと捉えられ、「運動が実現すべきものを体現」しているかどうかを自己検証することを意味します。参考:NAMプログラム ↓ われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプログラムは、極めて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。 (一) NAMは、倫理的-経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。 (二) NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程におくということを意味する。 (三) NAMは 「非暴力的」 である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。 (四) NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。 (五) NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戟が不可欠である。 『原理』(太田出版2000年11月9日)p17-19より http://www.clas.ufl.edu/users/jmurphy/Karatani01file/NAM.Principles.htmlThe Program The New Associationist Movement (NAM) begins based upon a scrutiny of the historical experience of all socialist movements beginning in the 19th century. The program can be quite simply summarized in the following five articles. Inasmuch as one agrees with them, s/he can develop his/her acts dependent upon individual situations and creativities. (1) NAM is an economic-ethical movement. In reference to Kant's term, we might say, "economic policy without ethics is blind, while ethical intervention without economic concerns is empty." (2) NAM organizes a counter-act against capital and state. This is a transnational worker as consumer movement. This is practiced, figuratively speaking, within and without the capitalist economy. But, of course, it is impossible in the strict sense to stand outside the capitalist economy. The struggle without aims at organizing an association of non-capitalist production and consumption; the struggle within is centered on boycotting in the process of circulation (consumption). (3) NAM is non-violent. It not only denies violent revolution, but also negates any use of state power by parliamentary means. This is because what NAM intends is an abolition of the capitalist currency economy-that which state power can never abolish-and also the abolition of state power itself. (4) NAM's organization and movement themselves embody what it intends to realize. Namely, by way of introducing the lottery into the election process (I will explain this later), it prevents a bureaucratic fixation while at the same time guaranteeing a participatory democracy. (5) NAM is a realistic movement that abolishes real contradictions; it is born out of realistically existing premises. In other words, it is a movement to overcome the social contradictions caused by the development of capitalism (that has reached the stage of information capitalism) by way of employing the social potencies produced by the same development.
2006年08月21日
この掲示板で同じ質問を繰り返す人達が指し示すフェティシズムに関しては、「子供と軍人」で指摘した僕の理論を証明する素材を提供しているだけだと思います。 ただし、僕はこうした一般的な症状に関して、その症状を告発するだけでなく、処方箋も指し示しています。 以下、10/07の日記より引用。///////////////処方箋A なぜ、現代日本においてフェティシズムが蔓延するのかという問題に関して精神分析をさせていただくならば、広島・長崎への原爆投下の謝罪がアメリカからなされていないからだ、と僕は考えます。 逆らい難い抑圧の中で、現実から眼を背けようとするとき、人は自分自身を欺き 芥川が言うような「ぼんやりとした不安」の中にあり続けることになります。 原爆は戦争抑止という美名の陰でその非対称的所有の欺瞞性すら言説化されておらず、これによって現代人には歴史上かつてない恐怖政治が敷かれているのです。 全体から切り離された細部に代補対象を求めるフェティシズムはそこからの無意識による逃避であり、また代償行為です。 大江健三郎はノーベル賞受賞記念講演の中で、在日韓国人の被爆者について語りました。これは重要なポイントで、反原爆運動は、国民ではなく市民という立場で語ることではじめて俗に言う原爆ナショナリズムを避けることができるのです。 実際、原爆実験や原発事故や劣化ウラン弾、その他の事象を考えれば、被爆者は日本人だけではありません。 ただし、その謝罪を米国に正式に求めるという人間としての(あるいは世界市民としての)義務が現代の日本人にあると僕は考えます。////////////また、柄谷行人はフロイトに即して以下のような指摘をしています。「カントが言う自律----自ら立法したものに自ら従う----がいかなるものかを見事に示す例がある。それはフロイトが例にとった、母親の不在という苦痛を反復的な遊びによって克服する子供に他ならない。『自律』とは、自我の二重化----自我と超自我----によって可能なのである。」(『ネーションと美学』p106) 反復というものにもいろいろあって、反復という行為を自覚的に捉えるならば、人間が超越論的に超自我を造るプロセスとして評価できると言うことです。 ちなみに超越論とは何よりも反復なのです。 しかし、僕は彼らの母親にはとてもなれませんし、今の段階ではネット空間を一種の母胎として捉えることはとても出来ないでしょう・・・
2004年11月15日
最近ガンジー及びインドに言及することが多かったので、その関連でインドのフェアトレード商品を御紹介します。と言ってもこれは日本で有志がデザインしたTシャツで、労働条件等を満たしているインドの工場でプリント染織を受注生産してもらったものです。 ハングル、ポルトガル語、英語、アラビア語等で日本の憲法9条が書かれています。通信販売でも買えますので、詳しくは以下を御覧下さい。憲法9条Tシャツ ちなみにインド相手のフェアトレードは大変苦労すると聞きました。インドでは「ノープロブレム」という言葉が何度も聞かれるそうですが、それは「プロブレム(問題)が沢山ある」というインドの現実を反映した逆説的な言葉だそうです。 こうした各国の草の根の現実を把握し、問題点を理解する上でもフェアトレードという概念は有効だと思います。 なお上記のTシャツの収益金の一部はイラクの子供達への寄付に当てられるそうです。
2004年11月03日
中心と周縁というと70年代に山口昌男が提唱して一世を風靡したタームとして思い出される。またラテンアメリカに関する従属論争も想起させるが、ウォーラーステインなどはそうした単純化を嫌って、間にワンクッションを入れて三層構造を提唱した。 しかし、中心と周縁というこの構図は単純であるが故に馬鹿に出来ない。なぜなら今も現実の事象に多々見られるからだ。 例えば、これは現実の事象ではなく映画における事例になってしまうが、『地獄の黙示録』や『イワン雷帝』第二部がこの構図を最大限利用して権力の問題を解き明かしていた。 僕がここでこの構図を問題にしたいのは、例えば組織の中に外側から入ろうとする人間が、求心力を求めて中心に無理矢理入り込もうとするときの心理的コンプレックスと社会全体に与えるデメリットを指摘したいからだ。 1936年に起こった226事件は、天皇の支持を期待して、東北地方出身の兵士、将校たちなどが反乱を起こしたものだが、これは結果的には社会全体の官僚化、反動化に寄与しただけだった。『イワン雷帝』の例でも皇帝の暗殺未遂は権力を決定的にしただけだったし、『地獄の黙示録』では暗殺者はあやうく独裁者に(ミイラ取りがミイラに)なりかけた。 僕は実際に社会運動に参加している際、(226とまでは行かないが)「事件」を起こして組織の注目をあつめ、中心に入り込もうとする若者の姿を何度も眼にした。 思うに、日本でも外国でも右翼的な発言を繰り返す人達は、権力の周辺部にいて、その疎外感を埋めるために愛国的な発言をする場合が多いように思われる。権力者側は都合のいい時だけそうした発言を利用するし、都合が悪くなれば(226事件の時のように)切り捨てるだけだ。 彼らの愛国的発言がこうした周辺と中心の構図にそのまま当てはまってしまうのは、歴史が進歩していないことを指し示すものだが、近代という時代、生存競争をする上で強固な中心が必要とされる時代の残余とも言えるだろう。 もちろんこれは右翼の活動だけにではなく、左翼運動にも見られるし、イスラム原理主義にも見られる現象である・・・。例えば、求心力を求めてアメリカの権力者がイラクで戦争をはじめる。そして、求心力を求めてテロリストが外国からイラクへ入り込み、これもまた求心力を求めて外国からイラクへ入った旅行者をターゲットにして人質にするといったように・・・。 この問題の解決策としては、中心が沢山あるようなアナーキーなアソシエーションに満ちた世界をつくるということが挙げられるが(世界的にはアラブは一つの極としてEUなどのように団結するべきだろうし、日本国内では東北、中部、といった道州制規模で災害に対応するセンターがあるべきだが、それらはさらに合併されていない小さな複数の中心から成り立っている必要がある)、これは循環型産業の育成、教育を含めて地道な作業になるだろう。 ただし、先に言及したような過去の映画作品(芸術作品)にこの問題が明確化されているということは、必ずしも理論的ではないかも知れないが、美学的な突破口があるということでもあり、それが現在における唯一の救いだろう(芸術作品は一般の人達の理解力が向上するのを待っていてくれる)。このことは同時に、すべての人間がイマジネーションを働かせて、芸術家(ヨゼフ・ボイスの言葉で言えば「社会彫刻家」)として闘っていく必要を示唆しているのかも知れない。 最近は一般化したblogやソーシャルネットワーキングサイトなどもそうした中心の沢山あるような社会をつくるツールとしてあるのだが、やはりネット社会の中でも求心力を求めて外側から「男の子たち」が空虚な中心を目指して突入し、周囲に迷惑をかけるケースが目立つ。これはネットというグレートマザーによって現実から遮断されたうえでの一種の男性原理の発露でもあるが、これはネット特有の問題と言うよりは今ある社会の縮図であり、そうした事実を意識化して行く作業が必要となるだろう。注記:山口昌男に関しては『わかりたいあなたのための現代思想・入門』あたりがお薦めです。ウォーラーステインや従属理論に関しては柄谷行人『トランスクリティーク』に要約、解説がある。226事件に関しては『叛乱』(佐分利信他監督)がわかりやすい。ヨゼフ・ボイスの社会彫刻に関してはミヒャエル・エンデらとの討議を収めた『芸術と政治をめぐる対話』(岩波書店)がお薦めです。ネット社会ではないが、マスメディアに関しては、第4の権力ではなく、第4の戦場であるという意見が最近浮上してきている。
2004年10月31日
29日、東京九段会館で1945年に22才で日本国憲法創案の作成に関わったベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演会及びシンポジウムがありました。 ベアテさんは、日本国憲法に女性の立場から主に男女平等について起草しましたが、この日もまず女性の立ち場から日本国憲法はアフガニスタンやイランの女性達の参考になるということを述べられました。 女性の立場と言うのは、以前平塚らいてふの記録映画を見たときも感じましたが(羽田澄子監督作品『平塚らいてふの生涯』)、日本の近現代の歴史を一貫している唯一の正しい立場と言えるかも知れません。 また、現在の日本国憲法がアメリカから押し付けられたという説に関しては、日本国憲法がアメリカ憲法(米国憲法には「女性」の文字がない)より優れていると言い、「人は、自分のものよりいいものを他人にあげたとき、それは『押しつけた』とは言わないでしょう」と述べました。 最後に、日本語が堪能なベアテさんは数年前から日本での講演活動を行なっていますが、アメリカで日本の憲法第9条が知られていないのでアメリカでこれからは講演をしなければと語っていたのが印象的でした(彼女の回想録『1945年のクリスマス』は英語版が『 The only woman in the room』として米国でも発売されています)。 当日の模様はビデオになるようなのでまた御紹介したいと思います。
2004年10月30日
日本の神道は基本的に死者の鎮魂を目的としている。そして簡単に言えば、その鎮魂は浄めるという行為によってはじめて可能となる。 ただ、ここで気をつけなければならないことは、古来から原則として神道は、敵(=他者)を殺した後、その敵(=他者)の魂を慰めるものであって、自分達の味方の魂を慰めるものではないということだ。だから、靖国神社のような戦争における自国の死者だけを祀る神社は本来の神道とは異なっており、もはや神道ではなく、神社とも言えない。 以前、中国の留学生と会話していたとき、彼らから近代以降の国家神道と伝統神道は違うという話を聞かされて驚いたことがある。彼らの方が日本人よりも日本を知っているのだ。靖国などには、坂本龍馬も祀られているはずだが、坂本龍馬のお参り行きたいと思う人は、靖国などには行きはしない。有名無名含めて英霊がすべて同じ神社に祀られるなどというのは冒涜である。少なくとも彼らの魂は靖国には存在しない(ちなみに日本の近代化を見直す上では坂本龍馬にまで遡った方がいいと筆者は考えているが、それは海軍の祖としてではなく、アジア各国をはじめ世界との友好貿易をはじめた人間としてだ)。 小泉現首相などは、その人柄が人気を得ている原因だろうが、そうした本来の伝統神道の特質について間違った教育を受けているために、神道の教えとは正反対のことをしているのだ。第二次世界大戦の自国の死者を弔う気持ちがあるのなら、新施設の建設を急ぐべきだし、冥福を祈りたいのなら特定の個人のお墓参りか、どこかお寺(基本的に仏教は世界宗教だからどこのお寺でもよい)に行くべきだろう。 ただし、折口信夫(*)がかつて神道を世界宗教化しようとしたように神道を普遍的に再建した上で、靖国神社に第二次世界大戦で犠牲になったアジアや世界の人々の魂も一緒に祀ることができれば話は別だが・・・。どちらにせよ筆者は憲法第九条を世界憲法にすることでしか彼らを追悼できないし、彼らの死を無駄死ににしてしまうと考えている。 ところで、最近度重なる台風を原因とする食糧難から、最近各地で熊が出没しその被害が相次いで起こっている。熊という言葉の語源はアイヌ語で神を表す「カムイ」だという。正確な因果関係は解らないが、日本語には様々な文化の多様性が潜在しており、神道はそうした多様性をのせる受け皿とでも言うべきものだ。 南方熊楠(*)もかつてそうした多様性な生態系を重視する立場から、神社の必要性を訴えた。 死者、というよりも他者の魂の鎮魂に思いを馳せた神道の原点を今日の我々も確認し直すべきだろう。*神道の鎮魂という側面を重視した折口信夫に関しては、その思考法を表す興味深い図があるのでいずれ紹介したいです。*南方熊楠に関しては以前日記で述べたことがある。*神道はそのア二ミムズム、多元的性格からヒンズー教と近いと筆者は考えているがこれには別の論考を必要とするだろう。*さんざん迷った挙げ句、画像はお皿の上に載った饅頭とパンとケーキにしました。これは司馬遼太郎さんが語っていた神道を表す比喩(「神道は浄められたお皿で、その上に何でも載ってしまう」)に対応するものです。
2004年10月24日
岡倉天心から北一輝まで、あるいは晩年の広松渉まで、アジア主義は根強くあると同時に、これほど誤解を受けている主義も少ないと思います。 作家の小田実さんは近年、竹内好の考察に注目し、さらに面白い考察をしています(『戦後文学とアジア』毎日新聞社)。 竹内の主張を簡単にいえば「アジア主義の死滅こそが、大東亜共栄圏であった」ということです。 竹内好は、日本は欧米派が権力をとり、アジア派が反体制の立場に追いやられた過程を226事件を例に論じています。小田さんもそれに同意していますが、小田さんの考察はそこからさらに進み、主に東条英機を例に、日本のアジア主義は徐々に個人の主張及び主義(さらに言えば信念)ではなくなっていき、その主義ではなくなっていく過程と同時に、大東亜共栄圏が官僚制の産物となったと指摘しています。小田さんの指摘ではムッソリーニなどと違い日本のファシストは反体制の立場に立ったことがなく、結局、権力を持った官僚がその持ち場持ち場で「官僚的」に行動していっただけなのだといいます。 たしかに東条などは、(外国には通用しない日本の)法律に乗っ取って、自分の地位に相応の行動をしただけであって、何か確固たる主義があったわけではありません。そこでは当初潮流としてあったアジア主義は死滅して、官僚主義だけが浮き彫りにされていくのです。 日本は、時代遅れになった欧米の植民地支配ゲームにさらに遅れて参加し、イギリスがインドを苦しめたように近隣アジア諸国を苦しめましたが、重要なこととしては現時点においてそうした歴史的事象を振り返る際も、別に確固たる主義があるわけではないということです。 「「アジアの解放」の中でも、日本のアジア主義が一生懸命考えてきた中で一番薄められた部分だけを取っていく。西洋の部分でも、西洋の文明と正義の中で、本当に対決しなければならない"デモクラシー"などは放っておいて、西洋がインドをいじめた部分とか、そんなところだけをちょこちょこっと取ってくる。そして作ったのが大東亜共栄圏の構想で、それを官僚的に処理したと思うんです。」(小田実他『戦後文学とアジア』毎日新聞社) 第二次世界大戦において、日本が圧倒的な軍事力に破れたという事実を過大に捉え、現在も日本が軍事力(自国のであれ米国のそれであれ)に頼らなければならないと考えるのは、歴史を知らないが故のものですし、それは結局、一般大衆の自主管理能力のなさを証明するものとして受け取られ、結局は官僚制(現在も続くそれ)を助長するだけだのものだと思います。 石橋湛山が述べた植民地支配は経済的に見て損である、といった小日本主義であるとか、ガンジーのボイコット及び自立分散型生産様式の提唱、といった経済的分析に基づいた考察と同時に、アジア主義をはじめ、その思想史の原点を見直す作業が必要だということでしょう。
2004年10月22日
ガンジーはその後、アメリカ黒人運動の指導者マーティン・ルーサー・キングJrなどにも影響を与えましたが、そこにボイコットなどの経済的視点があったことが重要だということはすでに述べました。 ここではさらにその非暴力のスタイルを受け継いで、「沖縄のガンジー」と呼ばれた人を紹介したいと思います。 辺野古沖での米軍基地移転を目的とするボーリング調査に対する反対運動は、周知のように非暴力的なものですが、そこでは具体的に「やんばるスタイル」(by上山和男さん)と命名されたスタイルで防衛施設長の人達との折衝が行なわれています。 そのスタイルは地面にお互い坐って、話し合うというもので、沖縄のガンジーと呼ばれろ阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんが米軍相手に行なってきた折衝のスタイルなのです。 (写真はビデオ「辺野古沖ボーリング調査反対運動の記録」より) 辺野古沖の座り込みの現場では、阿波根さんの写真が掲げられ、その著書が勉強会で使われたりしています。 伊江島(辺野古沖ではなく米軍基地を伊江島に移転する案が浮上しているそうだ)に住む阿波根さんは米軍の兵隊個人に怒りを向けるのではなく、ひとり一人に(無知な米兵にも解るように)温かく諭すように話し掛けたといいます。そうした誇り高いスタイルは本当の「敵」を見失わないという意味で、とても重要なものだと思います。 ちなみにガンジーの言葉にも「種の中に樹の素(モト)があるのと同じように、目的は手段の中に含まれている」というものがあります。 ブッシュ大統領が、イラクで平和のためと称して戦争を行ないましたが、このガンジーの言葉はぜひ聞かせたい言葉です。///////////////////以下、阿波根さんについての資料です。沖縄のガンジー 阿波根昌鴻 あはごん・しょうこう(1903年3月3日~2002年3月21日)。伊江島での米軍土地収奪に「乞食行進」で抵抗し沖縄の反戦地主を象徴する存在だった。 1925年移民でキューバ、そしてペルーへ渡る。34年に帰国。45年、東京から呼び寄せた一人息子を沖縄戦で失う。55年武装した米兵が伊江島の土地を取り上げると、島ぐるみ土地闘争の先頭に立った。 84年に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を建設。自ら収集した戦争資料を展示。のちに平和資料館と宿泊研修施設を運営する財団法人「わびあいの里」を設立し、理事長を務めた。 映画「教えられなかった戦争・沖縄編」-阿波根昌鴻・伊江島のたたかい- 1998年度キネマ旬報文化映画部門の第1位となった映画。非暴力の運動で、伊江島に進駐してきた米軍と闘い続けてきた阿波根昌鴻さんの思想や生きざまに焦点をあてながら、人の心をゆがめている大きな勢力や社会構造を明らかにしていく大作。命を育む大地と命を奪う戦争の残虐さという圧倒的なコントラストの中で、私達がとるべき態度のヒントに満ちています。 「平和憲法を世界中に広め、地球上から武器も戦争もなくしてしまう。 そして、資源や富をすべての人々で平等に分け合い、それぞれの能力に応じて働き、 必要なものを必要なだけ、感謝の気持ちで受け取れるような社会になるまで、 私たちの平和運動は続けるのです。」
2004年10月21日
欧州(EU)では正式に、「100%再生可能エネルギーで100%自給する100のコミュニティー」をつくるというプログラム(CTO:Campagn for Taking Off)があるそうだ。 スウェーデンのゴットランド島は、そうしたプログラムにおける沢山のモデルの中のひとつである。もちろんそこでは上からの押しつけではなく住民が独自に自主性を持って動いており、EUもそうした地域主体を尊重しているという(飯田哲也著『北欧エネルギーデモクラシー』参照)。 また具体的には風力発電の試みが挙げられ、スウェーデン全体の風力発電の約3分の1がこの島で発電されているそうだ(同書、2000年までのデータより)。 しかし、本当に画期的なのはアイルネットという、バルト海の島々同志でのネットワークを彼らが自主的に作り、情報を公開し知恵を出し合おうとしている姿勢だ。僕はその姿勢が素晴らしいと思います。 ところで、このゴットランド島は、アンドレイ・タルコフスキー監督の『サクリファイス』という映画の舞台となった場所なのです。 この映画は核戦争が起こったと思い込んだ男が、自分の家を燃やすという話です。まさに世界平和が試されるミクロコスモスとしてこの島が設定されるのです。その冒頭は、主人公が自分の息子に海岸で木を植えながらこんなエピソードを語るシーンから始まります。「ずっと昔のある時年とった修道士が僧院に住んでいたパムベといったある時 枯れかかった木を山に植えたこんな木だそして若い門弟に言ったヨアンという修道僧だ“木が生き返るまで毎日必ず水をやりなさい”毎朝早くヨアンはおけに水を満たして出かけた木を植えた山に登り枯れかかった木に水をやって辺りが暗くなった夕暮れ僧院に戻ってきたこれを3年続けたそしてある晴れた日彼が山に登って行くと木がすっかり花でおおわれていた」 タルコフスキーがこの映画を撮ったときは、循環型、持続可能エネルギーへの摸索がその島で端緒についていたわけではないから(映画は1985年制作。ただしこの島に風力協同組合は存在しただろう)、タルコフスキーが撮影場所に(世界平和が試されるミクロコスモスとして)この島を選んだのは慧眼だったと思います。 さて、ゴットランドの環境への試みに関して言えば、それはまだ始まったばかりです。 そして、その動きを紹介した前出の本『北欧のエネルギーデモクラシー』(飯田哲也著)には、ゴットランドで開かれた「国際フォーラム」の模様が最後に紹介され、その光景に僕は感動を禁じ得ませんでした。 「二日間にわたる各島・各国からの報告や熱心な討議を経て、島における統合的な自然エネルギー政策の必要性やこうした島のネットワーク活動の拡大などを含む提言が行なわれた。翌年の開催地としてアメリカン・サモアが名乗りを上げ、そこでの再開を期して、初めての自然エネルギーアイランド会議は閉幕した。最後の夕べの晩餐会は、心温まる交流会となった。南太平洋の島人たちによる合唱を皮切りにコーラス合戦が始まり、陽気なカリビアンの歌声、島国デンマークの合唱、ハワイアン、そして日本も...。新しいネットワークを確かめ深め合うかのように、歌い、踊り、飲み、そして語り明かし、終わりがないかのような夜も更けていった。」 このフォーラムにも参加していたモルディブや大平洋の島々の人にとっては、今現在地球温暖化によって水没という国土消失の危機に立っているので、環境問題は生死を分ける問題であって、きれいごとではあり得ません。彼らの発言力は国連でも強くなっていると聞きますが、こうした小さな試みが実を結んでいけば(さらに他の島がつづいていけば)、その発言力は今後もっと大きくなっていくでしょう。
2004年10月18日
(以下、以前コメント欄に書いた書き込みを再び書かせていただきます。) 中国脅威論は僕も十分認識していますが、それらの言説の流布が結果的に中国の親日派を孤立させ、また中国対日強行派の発言権に根拠を与え、さらに天安門事件以降沈潜している民主勢力との国境を越えた連携を難しくしてまっています。僕は(両国の大資本家同志が連携する以上に)民間、草の根による国と国を越えた同業者組合結成(経済的裏づけがある方がよい)や、共同研究が不可欠だと考えます。 そしてそれらは現在でも十分試行可能であり、新たな政治的体制を先取りするものだと考えます。今現在、各分野での友好、折衝は続いておりそうした成果を見ていただきたいです。(文学研究での例:↓)交流する中国と日本の文学者たち (自分の生まれた国家へ安易に同一化するのではなく、国家に頼らない、それ以外の主体の形成を目指した方が、結果的にその国家を豊かにすると思います。) 現在の中国での環境問題の深刻化等を考えても(これ以上血税を無駄遣いさせないように)軍縮への道を提示する必要があり、それにはまず日本側が代替案(北東アジア非核宣言、アジア平和条約等はピースボートを含む複数のNGOによって青写真が作られつつある)を提示すべきだと考えます。また、その理念的中心が「攻撃性の内面化としての文化」(*)である憲法9条、つまり第二次大戦で世界が多大な犠牲を払って獲得した「超自我」としての憲法9条であり得るのではないか、というのが僕の考えです。 また、「国防」、「沖縄の独立」(これはそもそも「もしも」日本が9条が捨てたらという「if」の話ですが)についてより「現実的」に考えていると称する人々は、自分で武器を取り闘って守ります(*)、と言っているわけではありませんから、僕の定義では、彼らは決して自らを危険に曝さない、プロレタリアート(=他に職がなく軍隊に入った若者たち)を搾取するブルジョア階級ということになります。彼らの主張通り、現在の中国が脅威であり、彼らの主張が現実的であるならば、彼らはそれなりの外交努力をするべきであり、より具体的には日中首脳会談を早急に両国首脳に要求するべきだ、ということになります。そうした努力もせず、代替案(上記の北東アジア非核宣言、アジア平和条約等)も示さないのは、僕に言わせれば、彼らは単なる税金の無駄遣い(軍事費の増大)を助長しているだけ、ということになります。*注1 「攻撃性の内面化としての文化」の代表例である憲法9条に関してはまた詳しく日記に書かせていただきます。 *注2 今現在も「闘って」いる、辺野古沖で座り込み闘争(非暴力のそれ)を続けているオジィオバァとの連携を今後もこのblogで模索したいと思います。
2004年10月15日
今日9月6日は黒澤明の命日(1998年に脳卒中により逝去)です。そこで、最近出版された黒澤明の娘である和子さんの著作の中から、黒澤の晩年の言葉をいくつか紹介させていただきます。「僕にはもう、あまり時間がない。いつの世も人間は懲りずに馬鹿なことをやっている、そう言ってしまえばそれまでだけど、うまく言えないけどね、チャンスはあるんだよ。これからの時代にこそ、哲学が必要なんだ。もう一度、人間はなぜ生まれて、どこへ行くのか、何のために生きているのか、見詰めなければいけないときが来たんじゃないかね。倫理だよね、人の心だよね。資本主義、利益至上主義でさ、自分だってそれを享受しているわけだけれど、どこかで反旗を翻さなければいけない。豊かに暮らすことがね、イコール幸せに暮らすことにならずに、歪みが出てきていてさ、弱いところにますます追い討ちをかけて、悲劇が生まれる。ある意味では進歩したさ、でも昔の物のほうが精魂込めて作られているじゃないか」「まず、これぞと思う日本の映画監督に、一人一人会ってみる。いろいろな話を聞いてみるべきだしね。ともかく、今の日本映画界も、排他的だからね。会社とか組とか、自分の今までの映画の作り方とかに執着しすぎだ。もうそんなこと言ってる場合じゃない。一回全部取っ払って、どうすれば日本映画が再生できるか、囚われているものを払いのけて、力を合わせて進むべき方向を話し合いたい」 「自分の育った映画界を改革しなければ、世の中をどうこう言えない気がするんだ。日本映画界の良いところは残して、悪いところは切り落として、初心に戻って、しつかりしたプロトタイプ(原型、模範)を作らなければ。僕の代わりにやってくれる若い人がいればいいんだけれどね。でも日本人はすぐ、経験や権威が足りない、前例がないとかでね、やらせてみるっていう勇気がない。どうしたらいいもんかね」「日本人はおとなしすぎる。もっと噛みつかなければ駄目だよ。怒らなければ、反抗しなければ、日本は良い方向に向かえないんだよ。先送り先送りで、玉虫色なんて、もう嫌だね」 以上、「反抗する」『回想 黒澤明』(黒澤和子著、中公新書)より 上記に見られる、資本主義を逆手にとる考え方や、産業民主主義の考え方、とにかく人と会って連携をはかろうとする態度は、まるで今日のNAMの運動のようである。 若い時、黒澤は左翼運動をやっていたし、彼の愛読書『戦争と平和』は同題名のプルードンの著作や集合力理論というプルードンの理論の影響を受けているので、黒澤の世界観が間接的、直接的にプルードンに響き合うのは当然かも知れない。 なお、9月14日に京橋のフィルムセンターで黒澤が参加した組合映画『明日を創る人々』が上映されます。
2004年09月06日
オリンピックの陰に隠れてしまいましたが、この夏の高校野球選手権大会で駒大苫小牧が北海道勢として初Vを飾ったのは画期的なことでした。雪で練習ができないハンデなど、スポーツにはいろいろな要素があり、それを克服した結果だと思います。 北海道というと、『森と湖のまつり』というアイヌを描いた映画を思い出します。また、坂本龍馬が当時の脱藩した若者を開拓民として北海道に渡ろうとした計画も思い出します(龍馬の子孫は実際に北海道へ渡った)。 最近、ネットを使ったアソシエーションの試みの一つであるNAM、Qに共に参加していたMさんが北海道から横浜に引っ越して来たのに伴い、はじめてお会いしたこともあり、北海道について書いてみました。 蒸し暑いので、北に憧れたのかも知れません。 九州や北海道の地方の分権が叫ばれますが、独立する気概で頑張って欲しいと思います。
2004年08月30日
ここ数日フジロックフェスティバルにNGOブースの手伝いで行って来ました。フェス自体成熟して来ましたし、NGOブースははじめて地域通貨を実験的に導入したのでNGO相互の交流が深まり、有意義なフェスでした。 イベント自体は地元地域と密接につながっていないため、自ずとそこに限界があります。新潟豪雨などには観客の関心はありませんから、、、 肝心の音楽の方は、ルー・リードや早川義夫などベテランが頑張っていました。
2004年08月02日
24日、東京ホテルオークラで開催された「九条の会」に行ってました。1000人以上の方が集まり会場は盛況でした。 大江健三郎氏は、広島で燃やされた千羽鶴の話しをきっかけに想像力による「恢復」を訴え、小田実氏は日本の平和憲法がアメリカを含めた様々な国の思い(平和主義と民主主義の両輪)がこめられたものだと述べました。三木睦子さんによる「自衛隊はイラクなどに行かずに、福井や新潟に行け」という内容の言葉には思わず笑ってしまいました。加藤周一氏は戦後日本政府こそ反動であり、日米軍事同盟(安保の正体はこれだ)こそ破棄されなければならないと述べました。そして加藤氏が「集団的自衛権」と言ったときの集団に、「フィリピンと日本のことか?」「中国と日本は?」と問う態度はまさに構造的認識と同時に切れ味鋭い知性を感じさせました。 その他、鶴見俊輔氏、井上ひさし氏、奥平康弘氏、沢地久枝さんらの言葉は自らの人生を総括したものでもありました。心残りは、司会と企画担当の小森陽一氏に同行の9LOVEのAmiさんを紹介するのが遅れて、「9パン」を渡すことができなかったことでした。 なお、「九条の会」はHPが本日立ち上がり、年内に京都、大阪、沖縄で講演会を開くそうです。まだ会場が決まっていないので、今後各地に生まれるであろう第2、第3の「九条の会」の協力が必要のようです。
2004年07月24日
以下、あるサッカー掲示板に書き込もうとした文章ですが容量オーバーで書き込めないので、文脈わかりづらいかも知れませんが、ここに掲載します。////////////// はじめて書き込みさせていただきます。3か4か、とても興味深い議論です。 結論から言わせていただけるなら、相手による、ということになると思います。 先日の日韓戦で山本監督は相手4バックに対して意識的に3トップ(平山・田中・大久保)を採用していましたが、これは戦術ミスです。3トップに対して4バックはひとり余るので、相手は守りやすいはずです。 多少乱暴になるのを承知で言わせていただけるなら、 1トップ>3バック、2トップ<3バック、3トップ>3バック、 1トップ<4バック、2トップ>4バック、3トップ<4バック、ということになると思います。(ただしこれは、攻撃側では2列目からの上がりが条件になりますし、守備側ではサイド攻撃要員を考えると4バックは実質2バックになります)。 攻撃面での例を言えば、3トップに対して1トップが囮としてDF3人を撹乱し、2列目からの上がりを待つという戦術があり得ます(近年では最強時のフランスがこれをやった)。 トータルフットボールを信奉する立場(euro2004のギリシャも守備側の攻撃参加が見られた)から言わせていただければ、選手が試合内で相手を見て戦術を判断して戦うのが理想です。 守備側からの例を言えば、先のステージでジュビロは3バックが研究され同一試合内で不可避的に4バックへ移行していましたが、これは方向性としては正しいと思います。 3バックと4バックのトランスバーサルな移行(普段のゾーンディフェンスとセットプレー時のマンマークも同様)がこれからのサッカーに求められると思います。 なお、誤解を生まないように付け加えておくと、トータルフットボールは泥縄とは違います。相手に先んじて判断し動くということです。戦術より戦術眼が大切ということでしょうか?(ちなみに、クライフはラインをコンパクトに保つこととセンターラインの選手を重視して3トップ、3バックを採用していました。ベンゲルに関して言えば、アーセナルは4-4-2ですが、これは僕には5-5という超ラインコンパクト戦術に見えます。) サイド攻撃に関して付け加えるなら、最近の日本代表の省エネ・ア-リークロスの流行は眼に余ります。ロべカルのようなスペシャリストの不在とバスケットボールのような攻守の切り替えの早さを鑑みて、3バックの前にウィングを置くのはわかりますが、ゴールライン近くへボールを持っていってえぐらなくていいと言う訳ではありません。ウィングを中盤と看做し中盤でのボール支配を志向するとしてもこれは本末転倒です。
2004年07月23日
21日放送のNHKの『その時歴史が動いた』は南方熊楠の自然保護運動を描いていて心を揺さぶられた。最近、憲法第九条に対して、「翠点」という言葉を大江健三郎は重要な一点という意味で使っていたが、これはおそらく熊楠の用語の中から取られた言葉だ。エコロジーという言葉の日本最初の使用者として、また最初の自然保護運動者として熊楠から教えられるものは多い。100年も前、神社合祀令によって伐採された山は保水作用をなくすので周囲に洪水が増える、と熊楠は指摘していた。そうした問題は今日まで(おそらく北陸地方の洪水においても)続いていると思う。そして、良心的な林業が必要とされていることをも含め、森はいまでも九条と同じく「翠点」なのだ、、、
2004年07月21日
新宿で、憲法起草の過程を描いた『真珠の首飾り』という芝居を見て来ました(『真珠~』はGHQの名付けたプロジェクト名です)。 憲法に女性の人権について書いたベアテ・シロタさんについてはもっと知られていいと思います。 「押し付けられた」というより「託された」平和憲法に関しては、彼らの努力と戦没者の死を無駄にしないために「現実化」させたいと思っています。 芝居の間中、僕はアメリカンフットボールと相撲を比較して考えていました。それは民主主義が身体に直結する「構造」としてまだ体感できていないのではないか?という問題意識からです。スポーツ及び身体感覚に関してはまたいつか書きたいと思います。
2004年07月20日
西千葉駅、千葉大学隣りのゆりの木商店街の夏祭りに行って来ました。地域通貨ピーナッツで有名な場所です。二年前訪れた時は大学生の参加が少ないと聞かされましたが、今回は大学生の参加が目立ち、急速な変化に嬉しい驚きを覚えました。 ゆりの木商店街のある千葉は循環型社会の可能性を多く秘めていると思います。鴨川での試みやアースデーマネー関連の「ト-ジバ」など興味深いものが沢山あります。 今後も機会があれば千葉を探索したいと思っています。
2004年07月19日
この日は安田弥生さんという有機農家の方が主催した芋掘り大会に参加しました。選挙の投票は期日前に済ませ、万全の体制で望みました。夕立ちの中、ビニールハウスで楽器演奏をしたり、御一緒したHさんの純真さに感動したり、充実した一日でした。
2004年07月11日
政治革命(暴力革命を含む政権奪取優先策----権力者は変わっても権力はなくならない)ではなく社会革命(言い換えるなら産業民主主義)を求めるプルードンは、いわゆる社民的発想に基づく議会主義も否定していた。 以下は、プルードンの普通選挙に関する考察であり(棄権運動やルソー批判に関するものではないので一般に言及されるプルードンの普通選挙批判とは引用箇所が違う)、代表制=表象の問題を、今日よく見られるような神学論争にすることなく、分節化し得ていると思います。///////////////////////// 普通選挙はわれわれを政治的に大人にした。しかしわれわれにはなお社会的に自分たちを解放することが残っている。第三身分がかくも多くの活力と堅忍不抜とをもって勝ち取った自由は、民主国フランスにおいては、全市民に拡大されなければならない。平等な政治的権利は必然的に平等な社会的権利の意味を含んでいる。人々は飽きあきするほどくりかえしこういってきた。もはや階級は存在しない。一七八九年以来、フランス人はすべて法の前に平等である、と。 だが、両腕のほかに財産というもののないわれわれ、資本の合法的もしくは悪意的な諸条件に毎日屈従しているわれわれ、団結法および一七八一年条項のごとく、われわれの尊厳と同時にわれわれの利益を毀損する異例な法律のもとで生活しているわれわれには、このような断言はまったく信じがたいのである。 代表者を選出する権利をもつ国にあって、読むことを覚える手段をつねにもたないわれわれ、団結し、自由に組合を結成しえないため、職業教育を組織することができず、産業進歩のこの貴重な手段が資本の特権となっているのを眼にするわれわれは、このような幻想を描くことはできない。 (中略) ~ 労働の自由、信用、連帯、これがわれわれの夢だ。これらが実現される日には、われわれに貴重な一国の光栄と繁栄にとっては、ブルジョアもプロレタリアも、雇主も労働者も存在しないであろう。市民すべてが権利において平等であろう。 だが、と人はわれわれにいうだろう、君たちが必要とするこれら改革のすべては、君たちの選んだ代表者たちも、君たちと同様に、君たち以上に要求している。彼らはすべての人々の、またすべての人々によって選ばれた代表者なのだ。 ところが! とわれわれは答えるだろう。そうではないのだ! われわれは代表などされていないし、だからこそ労働者立候補の問題を提起しているのである。産業人、商人、軍人、ジャーナリストの立候補などロにされていないことはわれわれも知っている。だが、言葉はなくても事実は存在するのだ。立法府の最大多数が大地主、大産業家、大商人、将軍、ジャーナリスト等々からなり、彼らは黙々として投票し、あるいは事務室でだけ語り、また専門的に知っている問題についてだけしか話さないのだ。 (中略)~ 彼らは欠けたものを立法府で補うが、そこには手仕事は代表されていない。富、有力者との縁故関係、公的機能等の諸手段をどれ一つとして利用していないわれわれは、われわれの候補者に、明白な、意味のはっきりした名称を付し、できるかぎり物事をその名でよぶことを余儀なくされている。(中略) ~ おそらく、楽しかった昔、神の法が行なわれていた時代、国王や貴族たちが神に強いられて自分を民衆の父であり長子であると信じていたとき、幸福と平等とが天上に遠ざけられていたときには、慈善は一つの社会制度であったにちがいない。 人民主権、普通選挙の時代には、慈善はもはや私的な徳でしかなく、それ以外ではありえない。ああ! 人間性の悪と弱さとはつねに友愛に広い活動の分野を残している。だが不当な悲惨、病気、不十分な賃金、失業等の形で、善意の非常に多くの勤労者を、無益にもがき苦しむ宿命の輪のなかに閉じこめている貧困、われわれが力強く立証するこの貧困ほ、消滅することが可能であり、また消滅するであろう。なぜこの区別が何人によってヰなされなかったのであろうか? われわれは被保護者や被救済者であろうとするものではない。われわれが欲するのは、平等者たることだ。われわれは、施しを拒否し、正義を欲するのだ。 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、敵対の精神が庶民階級に日々に弱まったとは誰もいっていないからだ。経験によって啓発されたわれわれは、人々を憎まず、物事を変えようとするのだ。誰もいわなかったが、団結法はもはやかかしでしかなく、悪を無くするどころか、抑圧されていると思いこんでいる者に出口を閉ざすことによって、悪を永久化したのである。 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、労働組合委員会の問題において、それを奨励する人々の精神に奇妙な混乱が起こっているからである。彼らによると、労働組合委員会は雇主と労働者とからなり、一種の職業的な労資調停者、生起する問題に日々決着をつけることに当たる裁判者ということになるであろう。ところが、われわれの要求するのは、普通選挙で選ばれた労働者のみからなる会議所であり、これは商業会議所にならって労働会議所ということができるであろう。そしてわれわれの要求に答えるものは裁判所である。 そうだ、われわれは代表されていない。なぜなら、労働者階級の間に信用を組織するために現われた重要な運動のことを、誰も語らなかったからである。パリで三十五の相互信用組合が人知れず活動していることを今日誰が知っていようか? それらは実り豊かな萌芽をふくんでいる。しかしその完全な開花のためには自由の太陽を必要とするのだ。『労働者階級の政治能力』、「セーヌ県労働者六十名の宣言」(1864/2/17)より抜粋
2004年07月10日
愛のしがらみを断ち切るために俺は旅に出なきゃならないんだあんたにさよならを言う暇はないけど悪く思うなよかわいい子猫ちゃん*海よりも深い愛でお前を愛そう 誰よりもでかい声でお前に歌を歌おうか弱い女を気取っていなよ白馬の王子様がやって来るかもそいつが俺だなんて言えやしないけども少しマシになって帰ってくるから* お前は神に捧げられた生け贄になれるかい?俺はこの身を神に捧げようとしているから奇妙な奴だと思われているけどあんたにだけは嫌われたくなかった*いろんなことがあった二人だから言い訳だなんて言いっこなしだよ俺は今すぐここを出てゆかなくちゃ夜の暗闇のなか君の面影を抱いて*(間奏)ある人に言わせれば苦しみが人を高めるある人に言わせれば喜びが一番ある人に言わせれば夢の中で生きよう俺に言わせれば君なしじゃ生きる意味はないんだ*広い草原の中お前を解き放とうただ青い空お前と二人黙って見上げていたい
2004年07月09日
小田実さんのインタビューのビデオ撮影をするために、神戸へ行って来ました。 氏の発言内容より、名紙交換やちょっとしたやり取りに、市民運動の先達を見る思いでした。僕が思うにその運動が広まらないのは、もちろんデザイン面での工夫がなかったり、日常性を持ったものになっていないからでもありますが、市民運動が明らかに思想的にアナーキズムであるにもかかわらず、そのアナーキズムの理論的な面の検討が弱いからだとも思います。ところで、先の二つの日記にある詩は、震災があった時に、僕が神戸に一度も行かずに作った歌です。今度神戸にいったのは三年ぶりニ度目で、三年前は地域通貨のイベントでした。イベントの前に、三宮の駅前の路上でこの2曲の歌を歌ったのが思い出のひとつです。それは震災で亡くなった方々に対する僕の一種の通貨儀礼でした。 今回は坂本龍馬が塾頭を務めた海軍操練所跡や、谷崎潤一郎記念館にも行って来ました。疲れはしましたが、短いながらも充実した二泊三日でした(高速バスで二泊)。あちこち連れ廻したので、同行のMさん、Iさんのお二人には迷惑をかけたかも知れませんが、小田さん及びお二人のおかげで楽しい旅でした。 肝心のインタビューは『シナプス』というフリーペーパーに載る予定です。
2004年07月08日
パーティーソングを100個作ったらでっかいパーティー開こう見知らぬ人を巻き込んででっかいパーティー開こう君が料理を作るなら僕が味見をしてあげる君が買い出しに行くのなら僕も一緒についていくoh素敵な夜を二人過ごそうシックスティーンビートに飽きたならラテンのリズムで踊ろうラテンのリズムに飽きたならチークダンスを踊ろう君が足をからめたら僕が顔を赤らめる君がホッペを近付けりゃ僕がホッペにキスをするoh忘れられない夜を過ごそう夜明け間近の遠くの空が真っ赤になって燃えている僕らが踊っているうちに何かが起こったらしい君が助けを求めたら僕が真っ先に駆け付ける君がどっかへ逃げるなら僕も一緒に逃げてゆくoh死ぬまで一緒さ僕ら二人は救助物資に飽きたならでっかいパーティー開こう近所迷惑にならないうちに近所の人を巻き込もう君が歌を歌うなら僕がギターを弾いたげる君が踊りを踊るならみんなも一緒に踊り出すoh素敵な夜をみんな過ごそうoh忘れられない夜を過ごそう
2004年07月07日
ものすごい音とともにすべてが崩れ落ちた僕は訳もわからずに暗闇の中ただ落ちてゆく気がつくと僕は瓦礫の中埋もれてた君のことを探すけど暗くて何一つ見えない熱い炎があたりに立ちこめて僕を誘ってる煙りの中に引き込まれたら逃げ切れはしないがむしゃらに僕は瓦礫から抜け出した風は空を吹き抜けて心はカラカラになってる(間奏)テレビカメラが僕に近づいてマイクを突き付ける「何かいいたいことがありますか、全国の人に?」何もいわず抜け出して僕は廃虚をさまよったそこでギターを拾ってこんな歌を歌いはじめたひどい歌がどこからともなく聞こえてきたならそいつが俺の歌う声だと思ってくれていい(間奏)ひどい声がどこからともなく聞こえてきたならそいつが俺の叫び声だと思ってくれていい瓦礫の中を僕は君を探して泣いてた風は空を吹き抜けて心はカラカラになってる
2004年07月06日
アメリカは何も巨大な悪の帝国って云う訳じゃないただ自分の利益を馬鹿正直に追い求めているだけだ生まれた時から人を蹴落とすことが正しいと教え込まれ自分は今、人殺しだがそれはそれで正しいっていう訳さ*暗い大きな闇がもうすぐ僕らの前に立ちはだかろうとしている 暗い大きな闇がもうすぐ僕らの行く手を遮ろうとしている それでも君だけはいつものように僕の前で笑い続けていておくれ日本人は別に昔から臆病な人たちって云う訳じゃないただ周りに友達を持たないまま金持ちに成り上がっただけさ武器を持って一人前になろうって云う人たちもいるけれど足下がふらついたまま身動きできないだけなのさ*死んだ赤ん坊を抱えた母親が ブッダの前に行き蘇らせてくれと頼むブッダはまだ死者を出してない家の庭から芥子の実を摘んで飲ませれば生き返ると言う母親は歩き回り芥子の実を探すが死者を出してない家などないということに気づく母親は生きるもののあわれを悟りブッダの最初の女の弟子になった ブッダは巨大な心理学者で超能力者って云う訳じゃない だけども僕らはそんな境地に当分たどり着けそうもない それでも君だけはいつものように僕の前で笑い続けていておくれ君のことが別に嫌いになったっていう訳じゃないただ君の作り笑いをいいかげんに見飽きただけさ僕の友達が反戦デモ集会でno war,world peace,one loveと歌っている君と僕とで立場を入れ替えればお互いわかりあえたかも*アメリカは何も巨大な悪の帝国って云う訳じゃないただインディアンを殺した銃を手放せないまま立ち尽くしてるだけなのさ生まれた時から人を蹴落とすことが正しいと教え込まれ自分は今、人殺しだがそれはそれで正しいっていう訳さ*それでも君だけはいつものように僕の前で笑い続けておくれ
2004年07月05日
嵐の中、神のお告げを聞いたというが悪魔の声かも知れなかったじゃないか?そいつはいつだってお前の中で囁き続けているのさ薄汚れた偽りのこの国にもうすぐ日が沈む遠くのどこかで子供の時のお前自身が泣いているこの時代人は時におろかさを装わなければ生き残ることはできない悲しみの前で立ち尽くしてしまうような心の弱さにお前はつけこむ生きることは苦しみだと誰かが言ったお前といるなら確かにその通りだこの大地にかけられた呪いのすべて俺は解こうとしているだけさこの俺が求めて歩いているものをお前は知ろうとしない同じようにお前が喋っているその言葉を俺は聞き取ることさえできない今まで起こったすべてのことをなかったことにはできない何も終わっちゃいないし始まっちゃいないただ一歩踏み出すだけさ
2004年07月04日
1974年にオランダのクライフらによって展開されて有名になったトータルフットボールこそ、僕の理想だ。正確に言えば、理想とする社会だ。 全員守備、全員攻撃が基本で、ポジションチェンジが当たり前の世界は「アソシエーションによるアソシエーション」の実現された世界を先取りしている。「規律のあるカオス」「偶然は当然だ」、といった名言のあるクライフは、その試合内の自由で適確なポジショニングによっていまだにサッカーの規範であり続けている(無論クライフターンと呼ばれるフェイントのような個人技も素晴らしいのだが)。 トータルフットボールがオランダで実現されたのは偶然ではない。エラスムスやスピノザを生んだ商業の国だからこそ、「すべての責任を果たしたあとの自由」が可能だったのだ。 ただ、現在のサッカーの世界では、経済最優先のビッグクラブの横行によってかならずしも世界大会でこうしたトータルフットボールを目にすることはできなくなった。
2004年07月03日
*物語はまだ半分しか語られちゃいない 物乞いになりたい人などどこにもいはしない 君の瞳の光には逆らえやしない 旅を続けなきゃ、互いに自由になるために目を閉じて思い浮かぶものと言えば君の瞳と誇りだらけの道と貧しい人たちを救おうだなんて思っちゃいないし思い上がっちゃいない救われるのは僕らのほうさ地獄の底で素直じゃないのは君の方さあわただしさの中で*恋愛に救いを求めるのは好きになれないね 歴史のページは最後まで書かれちゃいない 君の瞳の光には逆らえやしない 旅を続けなきゃ、互いに自由になるためにその昔特攻隊は海に散っていった自由主義思想の持ち主もいたと云う資本主義はどこまでも食いつくすだろう月までいったし、地球もめちゃくちゃにしたしそれでも僕らは進んでゆくのだろう罪も罰も金もみんな歌に変えながら*君の存在そのものが音楽だから僕が歌う必要なんてどこにもなかった今にわかるよ僕の愛の深さが今もおぼえてるよ君の心のやさしさを*gotta travel ongotta travel ongotta travel ongotta travel on(repeat)
2004年07月02日
とうとう黒澤明について語るべき時が来た。 黒澤明には通常の人間とは違うものが見えている、、、、普通そうした言説はありふれた神話化にすぎないだろう。しかし黒澤がその映画のストーリー上のわかりやすさと芸術的到達点の高さとで、一般大衆と選ばれた人間とをつなぎとめていることは確かだ。その娯楽性はアメリカ映画に、芸術性はヨーロッパ映画に、社会性はアジア映画に受け継がれたと評論家の佐藤忠男はかつて的確に指摘していた。 生前、黒澤は、アメリカの批評家が最近複数のカメラを使っていることがわかるようになって来たと嬉しそうに語っていたという。渋谷陽一はインタビューで自分一人だけが見えていることについて黒澤に質問をしていたが、黒澤は『まあだだよ』における空襲後の焼跡のシーンの準備を例にわかりやすく語っていた。焼ける前の立体的な建物の構造を頭に入れていないから、美術スタッフのつくる「焼跡」が不自然になるのだ、と。 黒澤が左翼運動をしていたことや、のちに現場での協同作業を疎外するユニオンの弊害についての言説を考えても、黒澤について考察すべきことはまだ膨大に残されている。そうした考察の前提となるスタッフに対するインタビューが活字化されているのは喜ばしいことだ。(ただ、後期の作品のタイトルを担当した書家の今井凌雪に対するインタビューがないのが残念だ。) 世界が「焼跡」になる前に、『乱』を頂点とする作品群を、64億いる人類の何パーセントが理解できているのか? そのパーセンテージは子供達によって増える傾向にあるのか? 不遜かも知れないが僕はその統計が知りたい。
2004年06月30日
プルードンにとって思想的な最大の敵は、マルクスではなくジャン・ジャック・ルソーだ。 無論、ルソーの功績は大きいが、その社会契約論は、その民主主義的外観にもかかわらず主権を社会(集合的存在)に委譲してしまうので、プルードンの望む双務的な契約ではあり得ない。 プルードンは、ルソーの社会契約が「持てる者の持たざる者に対する攻撃的および防御的な同盟」だと指摘したのち、以下のように言っている。「人民だけが主権者であり、人民は自分自身によってのみ代表されることができ、また法は全体の意志の表現でなければならないということをはじめ、すべての煽動的雄弁家たちが利用する、その他のすばらしいきまり文句を原則的に確立したのちに、ルソーはひそかに彼の命題を放棄して、わきに逃げてしまう。まず彼は、集団的で不可分な一般意志のかわりに、多数派の意志を代位させる。(中略)それは、約言すれば、巧妙な欺瞞の助けによる社会的無秩序の合法化、人民主権に基礎づけられた貧困の聖化なのである。そのほかには、労働、財産、産業的諸力----それらを組織化することこそ社会契約の目的なのであるが----については、一言も述べられていない。ルソーは経済のなんたるかを知らないのだ。」(世界の名著53『十九世紀における革命の一般理念』中公バックスp164-165) ここでプルードンがその相互主義の前提として人民の経済的基盤を重視している点が重要だ。 プルードンの相互主義はカントのアンチノミーに対応していて、決して解決されない矛盾の両極として個人と個人、あるいは個人と社会がある。その個人が、社会契約を通じて解消されてしまうことは、具体的には社会民主主義的な政策の中に、コミュニズム(アソシエーションのアソシエーション)が埋没することを意味する。プルードンにとって、あくまでも個人と社会は、契約を通じて対等であり続ける。 また、ルソーと同じ集合力に着目しているとはいえ、前述したようにプルードンはそれを経済的な諸力 に規定し直したところに特徴がある(経済学的な価格論に範囲を限定したのではなく実質的な力として測定し直したのだ)。 プルードンの初期の著作に文法書があるのだが、その中で彼は、「私」という単語がもっとも重要だと語っている。プルードンの思考の特徴がここにも現れていると言えよう。
2004年06月29日
白い埃だらけの道をバスの上に乗りコタカチまで走り続けている黒い肌に黒い瞳彼らの両手を見てごらん本物の暮らしがここにはあるんだ* 女達はセニョールに恋をした 俺は居場所をまだ見つけていない 貧困と平等について考えながら エクアドルを旅しているエクアドルってどういう意味だい赤道直下っていう意味かいそれとも平等にするっていう意味かい?片言のスペイン語でどうやって聞こうどうやって君に語りかけようキトでは笑い方を教わりフニンでは踊り方を教わったこれ以上何を学べばいいオタバロでは先住民に荷物の背負い方を教わった生きる知恵がここには沢山あるんだ*(リピート)民衆議会に間に合うように急がなくては誰も俺を待ってはくれないが籤引きが民主主義を実現するのだと彼らに言って聞かせなければ農業の未来について語りたいのなら外に出て山に登ってみればいい多様性だとか持続性だとか難しい言葉がここでは一目瞭然だ*大自然を破壊する日本の大企業は誰の役にも立ってはいないどこにでも転がっている欲望や抑圧と今すぐおさらばしなければ感じることと考えることが一つになればいい資本と国家が揚棄されればいい思いつく僕にできるたった一つのことは君に愛を捧げることだけだ*Dios la page.神のみぞ知る俺は信じ続けてる彼らの頭上の太陽のようにいつの日か、今にだって、彼らに栄光が輝くことを俺は祈り続けている*栄光と平等について考えながらエクアドルを探している
2004年06月28日
26日に三鷹地域通貨seedsの参加店をめぐるツアーに参加しました。三鷹台駅近くの西野園さんにはじまって、途中の吉田農園さんで昼食を取り、room1022さんまで、暑い中、半日歩きました。みなさんお疲れ様でした。地域通貨の運動が、実質を持ちはじめたことを体感することができました。コーディネーターの森岡さんにはこの場を借りてお礼を述べさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
2004年06月27日
はじめにプルうどんの作り方レシピ:まず物々交換で、肩たたきと引き換えにうどん粉を手に入れる。つぎに肩たたき券から発展した地域通貨でうどんのこね方を習う。そして、地域通貨で知り合った仲間と協同組合を作り店を構えて、ブザンソン産のチーズの代わりに地域通貨で知り合った牧場のオッさんからチーズの作り方を教わり、うどんの上にかける。地域通貨で手にいれた焼き物のどんぶりにいれればできあがり。フランス料理のはずがイタリア料理と連合した味です。あなたの近所の有機農場から、野良仕事で手にいれた野菜を入れて召し上がれ。1、プルードンの生涯 プルードンと言う人間がいた。その名前は、つねに批判の渦の中にあった。今もそうだ。その名前が引き起こす先入観とはまったく逆に、今日の資本主義の矛盾を生き延びる知恵と、資本の自己増殖を止めるヒントがそこにはある。 職人の生産を守ろうとしたプルードンは、1848年に交換銀行、人民銀行の計画を打ち出した。それは受注生産を可能にする職人の生産を守ろうとしたものだった。無償信用と交換券の発行による流通の組織化、交換の遍在化の計画はしかし、約1800フランの資本金を集めたまま、実現されなかった。プルードンはルイ・ナポレオンへの侮蔑罪で、ベルギーへの亡命を余儀無くされたからだ。 そして1849年には、人民銀行の清算をするためにパリに戻ったプルードンは逮捕され、獄中で『革命家の告白』を書く。 プルードンとナポレオンの一騎討ちは、後に、ナポレオンの失脚によって歴史的には終わるのだが、理論的にはさらに、マルクスとの対峙がある。(マルクスにはプルードンのアイデアが理解できなかった。あるいは理解できないふりをした。プルードンを認めれば、マルクス自身のつくった体系が内側から壊れるからだ。その意味でマルクスとプルードンの関係は、数学におけるヒルベルトとゲーデルの関係に似ている。) 1846年にマルクスから通信員の役目を頼まれたプルードンは、コミュニズムがドグマとなる危険をそこに察知し、その危惧と政治革命ではなく社会革命の必要性を指摘した返事を書く、、、 今日でもプルードンをプチット・ブルジョアジーとして批判する向きがあるが、これは誤解である。まず、生産の自立分散化を職人たちは実現しており、この生産方法は大量生産、大量消費の見直しが迫られた現在、先駆的なものとして評価されるからである。 その相互主義は、オンデマンドの受注生産に応用することができるのだ。 1838年、ブザンソン・アカデミーからの奨学金(フランス政府からではない)をうけてパリに留学したプルードンは、パリでヘーゲルに触れた。しかし、プルードンのアンチノミーはヘーゲルのそれとは違うものだった。プルードンの弁証法は二項対立が決して融合されることはないのだ。 そしてプルードンはカントを読み、アンチノミーをカントから受け継ぎ、その宗教批判を政治批判に転化している。 後に、サルトルは、『文学とは何か』でパリ・コンミューン以降の理論的現状について、以下のように言っている。「マルクス主義は敵対者に打勝ったが、その勝利は(……)純粋に単純に二律背反の一方の項を押えた外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルクス主義にどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルクス主義は生命を失った。」次回からプルードンの波瀾にみちた生涯をたどる(不定期連載)。
2004年06月26日
神に捧げられた秘密の音楽さえお前はろくに聞いちゃいないそれはこんな風に響きを変えてダビデが歌い上げたハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ信じた見返りをお前は求めてた月明かりに心奪われ椅子に縛り付けられ髪の毛を切られて彼女にせがまれたハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤお前の名前さえ俺は知っちゃいない知ったところで同じことさどんな言葉にだって輝くものがあるそれが私なりのハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤベストを尽くしたがまだ何か足りない心はもう何も感じられずたとえ罵られても真実を語ろうそれが私へのハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ(原曲、レナード・コーエン)
2004年06月25日
エルヴィスは言った"that's all right,ma" 俺は言った「人生なんてあっちゅう間」 彼女は祈って言った「お願い神様、 世界はまだまだ狂ったまま」 大切なものを見つけたいのなら踊り続けろ あいつは言った「復讐するは我にあり」 俺は言った「そいつはちょっと問題あり」 マルクスは言った「団結せよプロレタリアート」 黙ったまま未だ彼等は踏んだり蹴ったり 大切なものを守りたいのなら踊り続けろ ガンジーは言った「暴力反対」 俺は聞いた「そいつは一体何だい?」 ガンジーは再び言った「わかるまでひたすら忍耐」 俺の結論は今すぐ君を抱きしめたい 大切なものは君自身なのさ踊り続けろ ディランは言った「時代は代わる」 沢山の声が聞こえてくる 「あいつは善であいつは悪(ワル)」 俺は引きはがしたいすべての間違ったレッテル大切なものは眼に見えないのさ踊り続けろ (間奏) 俺の憧れは木を植えた男 緑の蟻の夢見るところ 不可能だなんて言わせないでおこう 無理矢理誘ってみるのさイカしたあの娘を 大切な人と手を繋いだまま踊り続けろ大切な人と手を繋いだまま踊り続けろ
2004年06月24日
その日暮らしは気ままなものさだけどお前の心は、かたくなになってゆくひとり息子じゃないけれど母さんのお気に入りだったお前が家を出る時彼女は泣いた今もそれを夢に見るパンチョは強盗で、馬を乗り回し世界と立ち向かうために、銃を持ち歩くいざこざに巻き込まれたのはメキシコの砂漠でのことさ彼の最後の言葉を聞いたものはいないそんな風に死んでった*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとでレフティーはもう今は昔のようにブルースを歌わないパンチョのこころは彼に受け継がれオハイオに渡っていったのはパンチョの葬式のあとのこと生き延びるために流れ続けてゆく見知らぬ世界へ*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとでパンチョは歌に歌われレフティーはその日暮らし冷たい砂漠の中でこの物語も終わるパンチョのために祈っておくれレフティーのためにもついでに少しはやるべきことを彼はやっただけさそして、年老いてゆく*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとで/////////////////Pancho and Lefty(Townes Van Zandt)DLivin' on the road, my friend AWas gonna keep us free and clean GBut now you wear your skin like ironD AAnd your breath's as hard as keroseneGYou weren't your mama's only boyD GBut her favorite one, it seems BmShe began to cryG AWhen you said good bye G BmAnd sank into your dreams Pancho was a bandit, boys Rode a horse fast as polished steel Wore his guns outside his pants For all the honest world to feelPancho met his match, you know On the deserts down in Mexico No one heard his dyin' words But that's the way it goes GAnd all the federales say D GThey could have had him any day Bm G AThey only let him slip away G BmOut of kindness, I suppose Now Lefty he can't sing the blues All night long like he used to The dust that Pancho bit down South It ended up in Lefty's mouth The day they laid old Pancho low Lefty split for Ohio Where he got the bread to go Well there ain't nobody 'knows But all the federales say They could have had him any day They only let him slip away Out of kindness, I suppose Now poets sing how Pancho fell Lefty's livin' in a cheap hotel The desert's quiet and Cleveland's coldAnd so the story ends, we're told Pancho needs your prayers, it's true But save a few for Lefty, too He only did what he had to do And now he's growin' old And all the federales say They could have had him any day They only let him go so long (slip away)Out of kindness, I suppose Yes a few old gray federales still say They could have had him any day They only let him go so wrongOut of kindness, I suppose "Pancho and Lefty" performed by Bob Dylan
2004年06月23日
ある晴れた朝のこと、私は旅に出たなくした金の穴埋めをどこかでしようと街は栄えたけれど暮らしはきつくなり私は思い憧れた、あの麗しの湖を朝の日ざしの中、列車に乗り込んだ日暮れまで乗ったあとで大地に身を横たえ見知らぬ人ばかり友達もいない彼女と知り合うまでは、あの麗しの湖でお嬢さん、この街では私は歓迎されません危険さえなければあの森で眠るのにいらっしゃい旅人よ、歓迎しましょうだれひとり追い出したりしない、あの麗しの湖では彼女は家へ招いてくれ、親切にしてくれた彼女の肩の上に輝く黒い髪どんな偉い画家も描くことはできないそれほどまでに美しかった、あのうるわしの湖で「結婚しよう」私は言った、でも彼女は首を横に振り「私には海へ行った恋人が今もいて、彼の帰りを待ってる、裏切ったりできない、彼が帰ってくるまではこの麗しの湖へ」お別れさ、お嬢さんもう二度と戻らないでも決して忘れないあなたの親切はグラス傾けるたびに、私は祈るでしょうあなたが元気でいることを、あの麗しの湖で
2004年06月22日
台風といえば、『台風クラブ』という映画を思い出す。 『台風クラブ』は相米慎二監督作品で、僕は一度東京学生映画祭の打ち上げで相米監督と会話をしたことがある。 「若い人達が映画を撮れればいい」と、自分のことを考えていない姿勢に衝撃を受けた。その後、彼は若手のオムニバス作品の制作を手掛け始めている。 相米監督のワンシーンワンカットは、結論からいえば、観念的(時間論及び身体論的なそれ)だったと思う。それは同一性への欲求とそれに対するアンビバレンツな感情(居心地の悪さ)の二つに同時に基づいたものだ。 相米監督作品の『お引っ越し』に突然雨の振るシーンがあるが、黒澤の『八月のラプソディー』のように事前に突風が吹かないので、そのシーンは不自然だ(自然を観察していればにわか雨の前に突風が吹くのがわかる)。 これは相米批判ではない。彼のようにひとつのカットを凝視するいい意味での観念論が(それも自然に対峙して逆らうような観念論、つまり意志の力が)、現在、映画及び世界に欠けているのだ。
2004年06月21日
戦場で僕は最後に死ぬ時いったい誰の名前を呼ぶのだろう?僕を殺す兵士にもきっと家族や恋人がいてその人たちを優しく愛してるんだろうたくさんの旗や人の命が燃え落ちるのを見る僕の顔を月明かりが真っ赤に照らし出してる月明かりが真っ赤に照らし出してる
2004年06月20日
川は流れ 日差しがさして来る風はそよぎ 風車は廻るだろう必要のないものは罪深いと誰かが言った電子計算機電気洗濯機自動販売機僕の一人歩き歌が流れ 終わりを告げるだろう人はいつか 戻る道を知るだろう必要のないものは罪深いと誰かが言った合成洗剤完全犯罪環境汚染僕の独り合点(間奏)僕のとなりには君がいてくれるこれ以上いったい何が必要だと言うのだろう?電子計算機電気洗濯機自動販売機僕の一人歩き合成洗剤完全犯罪環境汚染僕の独り合点それでも僕はごきげんここが折り返し地点
2004年06月19日
ガイドラインよりはセカンドラインセルアルアウトよりはドロップインそんなにでかい顔がしたいんかい?それなら自分の言葉持たんかい?僕らの可能性どこまでも無限この声聞けばみんなゴキゲンジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*命はひとつ人生は一回だから命を捨てないようにねあわてるとついふらふらとお国のためと言われるとね結局武器は武器を呼ぶだけ憎しみは憎しみを呼ぶだけ声をからして叫ぶ思いのたけ平和への誓い・・・何だったっけ?聞いて欲しいのさ御機嫌なトラック教訓ナンバーどこまでも続くジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*腐った女も悪くない狂った男達よりはマシきな臭いにおいはいつだってあるさ聞きたいのは本当のアンサーアジアの心日本の心知りたいのは本当のところジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*公と私の素晴らしい世界がきっといつか手と手をつなぎ光り輝くように大切なのは現実から逃げないこと眼をそらさないことそれでも悪魔の誘い断る人たちと加川良にリスぺクト*青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさい青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさい(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月18日
ヴァレリーが嘆いていたように、プロセスそれ自体を誇るような思考構造を現代美術(または現代)はとるようになってしまった。だが、ダンサーとダンスは区別しなければならない。最近の窪塚洋介に関する報道を見ると、彼の演じたエキセントリックな役柄と彼自身が混同されているケースが多い。広末涼子に関しても同じことが起こったが、マスコミはダンサー(表象)とダンス(概念)の区別ができていない。 これは表象の問題というよりも、集団による創造の問題につながる。現代において、ダンサーとダンスの区別がつきにくいのは、観客(客観的立場)と役者(主体的立場)の区別が無効になったことを顕わしているということに早く気づかなければ。
2004年06月17日
悲しみばかりが確実で苦しみばかりがやってくる未来はまだまだまだぼんやりしてるからお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来色は自分で塗らなきゃならない本当は土から作らなきゃならない水を撒くのが取りあえずの仕事お前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来埃だらけの道を抜けて苦しみばかりの夜を越えてやっておいでよ恥ずかしがらないでお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来ひざまづいて祈る前にすべてを棄ててしまう前にやっておかなきゃいけないことがあるお前に今すぐ捧げたい薔薇の形をした未来薔薇の香りをした未来ホントは誰にもわかっちゃいない棘に刺さって苦しんでいるのならお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来(間奏)悲しみばかりが確実で苦しみばかりがやってくる未来はまだまだぼんやりしてるからお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来薔薇の形をした未来
2004年06月16日
踊り狂ってた女の子たちはパパの迎えで帰っていった床は壊れたままだけれど直す必要なんてありはしないよだからもう今日はおやすみどこかで火事がおこったらしい君の頭が燃えているのさ水浸しになってもかまわないなら僕が今すぐ消してあげるよだからもう今日はおやすみ昔話には聞き飽きてしまった悪魔はどこかへ消えてしまった明日のことは分からないけど夢の中でなら会えるはずさだからもう今日はおやすみだからもう今日はおやすみ
2004年06月15日
参考までにNAMのプログラムを引用します。このプログラムの著作権は現在柄谷行人さん個人に帰属しています。多次元的所属(p20,68)と、くじ引きで代表を選ぶこと(p18,61,64,68)と、組織内運営対価をLETSで払うこと(組織原則C3に明記されているが、下記バージョンのプログラムには明記されていない。『原理』p24,30,61参照。)が画期的な点です。全体的にマルクス主義者側からのプルードン再評価と考えることも出来ます。////////////////////////// プログラム われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプログラムは、極めて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。(一) NAMは、倫理的-経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。(p17,25-29)→TCp181,200#(二) NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程におくということを意味する(p18,29,39)→TCp448,442,446(三) NAMは「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。(p18,39-61)→TCp457,458,459#,274#(四) NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。(p19,61-68)→TCp285#(五) NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戟が不可欠である。(p19,68-72)→TCp9.339.412,413,437#『原理』(太田出版2000年11月9日)p17-19よりTCは定本『トランスクリティーク』の参照頁数。#は重要。//////////////////////////NAM原理・目次A序論(p11-16)、B プログラム(p17-19)、C 組織原則1~3(p20-24)、D プログラム解説(p25-72,p17,25,p18,29,p18,39,p18,61,p19,68)、E 当面のNAMの形態と問題(p73-78)解説(一~三)はプルードンの原理、(五)はマルクスの原理、(四)はギリシア・アテネの原理である。よってNAMの原理は、3/5がプルードン、1/5がマルクス、1/5がギリシア・アテネに思想的基盤を持つと言える。
2004年06月14日
鼻にピアスを開けた天使が近づいてきて俺は天使じゃないよだなんて歌ってるここには東京には物語なんてないんだよベイビーだけど君と二人物語を作ってみようか今夜あたり、高田馬場でシナリオライターは終わりのない物語を紡ぎ出しドカジャンを着たあの娘はソルティードッグなんかを飲んでいる小津安二郎が好きなあいつはもう終わりだなんて言うけど黒澤明好きな俺はまた負け戦だっただなんてつぶやいている今夜あたり、高田馬場で中国から来た留学生は流暢な日本語を喋っていて俺は簡単な日本語でさえ忘れてしまった今度芝居を見に行こうだなんて言うけど君の一つ一つの仕種の方が俺には興味深いんだ今夜あたり、高田馬場で三社祭りあたりで俺は汗を流すとするさあんたは相変わらず彼氏に酒でもおごってもらいなよ隅田川あたりの花火で俺の頭は吹っ飛んで気がついた先きはやっぱりもとの場所さ今夜あたり、高田馬場で串カツ定食には飽きたから寿司でも喰いに行こうぜ酔っぱらった大学生はみっともないだけど他人(ひと)のことは言えない俺の頭の中はこんがらがってファーストシーンとラストシーンが見つからないよ今夜あたり、高田馬場で(間奏)ここには僕達の踊れる場所なんてないんだだけどいらないものは残らず質屋に入れてしまえばいいんだそしたら何もかもがせいせいする程スッキリしてしまったよこのまま君と二人時間を止めてしまいたい今夜あたり、高田馬場で 高田馬場で 高田馬場で(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月13日
レイ・チャールズの死に際してなんて言ったらいいだろう?彼はサム・クックと並ぶソウル、R&Bの創始者で、ヴァン・モリソンやスティービー・ワンダー、ビリー・ジョエルらに絶大な影響を与えた。サッチモのように黒人側から誤解を受けていないのは、ゴスペルの力もあるが本人の人徳だろう。盲目で黒人という二重の制約は僕の想像をはるかに越える。いろいろ代表曲はあるが(Unchain My Heart,etc)、日本人好みの湿ったバラードではなく、What'd I Sayのようなちゃめっけたっぷりなコール&レスポンスが今も忘れ難い。オ~(オ~)ウ~(ウ~)フ~ン(フ~ン)ウッ(ウッ)、、、、、ベビワッタセイ~♪
2004年06月12日
新聞等で報道されましたが、大江健三郎さん、加藤周一さん、鶴見俊輔さんらが「九条の会」を結成したそうです。僕も参加している「9LOVE」の人達は、日本の<長老たち>の決断に刺激を受けている様です。なお、鶴見俊輔さんのインタビューが「9LOVE」内の下記サイトから見れます。revolution9関連記事http://www.asahi.com/national/update/0610/042.htmlhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-06-11/01_01.html
2004年06月11日
森とのつながり人とのつながり川とのつながり風とのつながり大事なつながりを守るために私はコーヒーを入れましょう海を越えたつながり時を越えたつながりあらたなるつながりあなたとのつながり大事なつながりを探すために私はコーヒーを入れましょうミルクは要りますか?どれくらい待てますか?永遠の愛は可能ですか?私の声が聞こえますか?森とのつながり鳥とのつながり川とのつながり風とのつながり大事なつながりを守るために私はコーヒーを入れましょうあなたにコーヒーを入れましょう一杯のコーヒーを入れましょう(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月10日
最近、日本のサッカー界では審判の質が問題になっています。そこではルールについての考え方がポイントになります。ルールには二つの考え方があって、あるべき理想ととらえるか、今あるゲームをわかりやすく展開するためにあるととらえるか、です。日本人審判は前者をとる例が多く、罰則自体が自己目的化し、ゲームが混乱することが多いです。外国人審判は後者の例が多く、ゲームがスムーズに進行します。そこでルールとしての憲法第9条は後者ととらえてもいいと思います。平和憲法は自由な文化交流(サッカーの試合!etc)をスムーズにさせるものとして考えるわけです。P.S.今日、国分寺カフェスローで僕もスタッフで参加している「9love」という団体が主催のトークライブがあったので、それにちなんで書いてみました。
2004年06月09日
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