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2021.10.05
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カテゴリ: 本日読了
2021/10/03/日曜日/晴夜半突発の雨あり



〈DATA〉
扶桑社/2021年出版
大倉源次郎 著/

〈私的読書メーター〉
〈能楽小鼓方大倉流宗家である著者の日本史観は記紀ではなく、能の謡曲からインスパイアされている。例えば「花筐」は武烈天皇後継オオアトベ皇子(諡は継体天皇)の寵姫照日前の物語。国史に越前時代の皇子実子の血は絶えたとあるが、能楽では姫は無事皇子の玉穂宮に連れ帰られる。著者は照日と玉穂の名から、継体天皇が大和に天照大御神と連作障害の無い進化した水田稲作を伝えたと推察する。「国栖」は乙巳の変前夜の大海人皇子の話だが、ここには皇子と吉野山権現信仰の賀茂、国栖民族の共闘が伝えられている等々。翁と八重山の秘祭、興味尽きず〉

歴史は勝者の記録だ。よく考えてみれば能の主人公たるシテは大体がことの成り行き上、不遇を囲った人や霊魂が多いと感じる。いわば敗者から見る日本史。

そういう視点から能楽を捉えてみると、何故その題材が選ばれたかなども想像が広がる。

例えば、この国の芸能の始まり。

海幸山幸の物語だと言う。兄海幸にとって

どのように従ったのかというと「顔に丹(に)を塗り俳優(わざおぎ)となり」芸能をもって仕えたのだ。それが芸能者のはじまりと古事記にあるそうな。私の記憶ではその部分が抜け落ちていた‥

因みに山幸の孫が神武天皇。大和に侵攻しその地の豪族長髄彦に勝利した戦いが記紀にいう神武天皇東征。その後もこの地は度重なる宗教戦争?が頻発。聖徳太子を経て役行者により宗教的な寛解があった後、京に都を置いて千年の始まりとなったのが桓武天皇であると。

大和ことばを苦心して漢語に乗せこの国の記録と為し、時の天皇に献上されたのは天武天皇の発令から数十年経った712年のこと。

更にその40年後、東大寺大仏開眼供養の豪奢な祭は中国朝鮮の遥か遠くインドからも僧を招きその数一万、おそらく歌舞楽曲の楽人中に海幸子孫も大勢いたことだろう。

ここに漸く、東海の果ての蓬莱の島が一国を構え、アジア世界に大々的にデビューお披露目を果たした。それが日本の始まりというのは卓見と思う。今年で1270年、案外若い国。

というように能楽通し日本の国、形が見えるがじつはまだまだ奥行があり、遥か先はユダヤ教にも辿りつくそうな。
とうとうたらり♪






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最終更新日  2021.10.05 21:06:22
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