全72件 (72件中 1-50件目)
1月のある日、利根川を越えて墓参・墓掃除へと出向く。常磐道の流山ICから矢田部IC、そして牛久沼聖地公苑へ車で移動した。身体が元気で動く間は、墓掃除に出かけられる。しかし、年齢を考えると、簡単に行くことが難しくなりそうだ・・。 聖地公苑から牛久沼を見渡す展望台がある。冬季は、木立の枝葉が少なくなるので、見通しが良くなる。冬枯れした沼原や水位の低下した沼面をしばし眺める。牛久沼は、小貝川の支川にあたる。周囲長が25.5km、水深1mから3mの湖沼。霊苑は、沼の北西の常陸台地・泊崎に広がる。 墓参復路では常磐道・守谷SAに寄ることが多い。10年前にリニューアルされ「パサール守谷・上り」となる。守谷SAを過ぎて都心に向かう前に、休憩・食事するに適した位置にあたる。フードコート等の建物内部は、「恵みの森」と名付けられ、ショップ21店があり、いつも賑わっている。写真1 牛久沼霊苑内の展望台景色。写真2 冬枯れの牛久沼。写真3 霊苑のシンボル「蓮のつぼみ」。写真4 守谷SAの名物おやつ。写真5 フードコートのメニューと店内の様子。写真6 パサール守谷のお土産の例。
2024年01月30日
コメント(0)
晴れた日、江戸川土手から関東平野を囲む山々の一部を望む。川上流(北)に、日光連山が陽を浴びている。目を凝らすと、日光白根山らしいピークが確認できる。金精峠を車で何度通ったことがあるが、関東最高峰(標高2578m)の山は、登らずに至る。もう無理だ・・。 この時期、筑波山を眺めると梅林を思い出す。筑波山南斜面には、約1000本の梅林南が広がり、2月下旬から「梅まつり」が開催される。6年前に出かけたのが最後だ。斜面の上り下りは、年を取るに従って辛くなる。今年は「どうする・・」。写真1 北の壁にあたる日光連山。写真2 江戸川土手と日光連山。写真3 関東の最高峰の日光白根山を遠望する。写真4 早朝の富士山。写真5 筑波山と梅林の思い出。写真6 北西の山・浅間山と江戸川。
2023年02月28日
コメント(0)
雨あがりの朝、細い帯のように低雲(朝霧)が遠くに浮んでいた。日光連山および秩父山地の山裾に、線を引くようなに伸びている。山頂や峠から眺めると、雲海に見えるのだろうか・・。[撮り溜めた写真から] この日は、川向うの埼玉地区で煙が立ち上っていた。煙が白いので、焚火や野焼き、建物火災でないようだ。工場が発する煙と思われる。水蒸気が多く含まれるので、曇のように広がった。東京スカイツリーの展望デッキ(高さ350m)は、雲の中。天望回廊(450m)からは雲海が楽しめたかも知れない。写真-1 日光連山の中腹にたなびく帯雲。写真-2 玉葉橋から江戸川上流を望む。写真-3 秩父山地に懸かる低雲と残月。写真-4 富士山の裾野に伸びる低雲。写真-5 立ち上る大量の白い煙。写真-6 立ち上る煙と棚引く低雲。
2022年04月24日
コメント(0)
越谷リユース展望台の北側からは、特徴的な山容の山々を眺めることができる。好天に恵まれたが、正午近くになったので遠くに靄が広がっていた。先日アップした「リユース塔 南回廊」の続編。 富士山と反対方向になる北東に、紫青の筑波山。麓の筑波山温泉街が確認できる。北方向には、日光連山がかすんで見える。北西に秩父山地・武甲山および長野県境の浅間山が雪に覆われていた。 東方向は利根運河西口がある。江戸川沿いで工事しているGLPのクレーンが見える。その後方に柏の葉キャンパスシティのビル群の遠景があった。この展望台へは江戸川・玉葉橋を渡り、自転車を漕いで来た。片路約10kmの行程だった。紫外線を浴びて帰宅した。写真-1 リユース展望台の北東方向を望む。写真-2 筑波山の麓の温泉街が僅かに見える。写真-3 北側の山名称と日光連山。写真-4 武甲山、妙義山および浅間山を望む。写真-5 東側の展望。江戸川土手と工事中のGLP、柏の葉キャンパスシティ。写真-6 リユース展望台の北回廊。
2022年03月26日
コメント(0)
関東平野の北壁、日光連山を江戸川土手から望むことができる。関東以北での最高地点は、奥日光に聳える日光白根山(奥白根、標高2578m)。広く都心からでも望め、堂々とした山容を現すので、「日光表連山」ともいう。[撮り溜めた写真から] 日光表連山の北西部には、よく歩いた戦場ヶ原がある。半月山からは、男体山の左下に見える。戦場ヶ原を隔てて、奥日光の金精山や温泉山などは群馬県との県境にあたる。関東平野からは、表日光連山や足尾山地に隠れてため、前白根と奥白根の山頂部しか見えない。 初夏には戦場ヶ原を歩いてみたいものだ。コロナウィルス対策はどうなっているだろうか。4月までにGOTOトラベルが再開するのだろか。2月22日現在、3回目ワクチンが全国民の15パーセントになった。一方65才以上の高齢者に対しては41パーセントを超えた。高齢者接種が60パーセントを超えると、医療現場の負担が軽減すると思われる・・。写真-1 江戸川上流の日光連山を望む。写真-2 日光表連山の山並み。写真-3 左から男体山、大真名子山、女峰山。写真-4 前白根、奥白根を望む。写真-5 富士山も見えていた。写真-6 半月山から日光男体山と戦場ヶ原を望む。[2014年撮影]
2022年02月24日
コメント(0)
先頃、牛久沼聖地公苑にて、義母の納骨法事を行う。96才での大往生。これで夫婦そろって牛久沼聖地に眠ることができた。この公苑は、北に筑波山を望む湖畔の小高い場所に広がる。年々拡張整備され、総面積62,000m2(約7900区画)の墓地になった。 公苑の展望台から秋の穏やかな牛久沼を望むことができる。沼の周辺には、葦(ヨシ)やマコモが生い茂っている。年1回、1月末頃に「葦焼き」が行われる。景観への配慮と害虫駆除そして水質保全のために、野焼きが今も実施しているようだ。 牛久沼聖地公苑には安らぎのメモリアルホール(M.M)、蓮形のドームがある。ホールのステンドグラスには、四神(玄武・清瀧・朱雀・白虎)が、その間に天女4体描かれている。自然の光がステンドグラスを通過して、ホール内に降りそそぐ。心落ち着く空間である。写真-1 牛久沼聖地公苑・メモリアルホール天井の八陣。写真-2 展望台から秋枯れの牛久沼を眺める。写真-3 ハス形ドームのメモリアルホール。写真-4 ステンドグラスから自然光が降り注ぐ。写真-5 ステンドグラスの説明書と四神のイラスト。写真-6 常磐道・守谷SAの森犬神社。無事にカエル祈願。
2021年11月19日
コメント(0)
北のよく晴れた日、札幌市内から火葬場へ向かう。車で約1時間20分の距離。札幌と小樽の市境にある山口斎場(住所手稲山口)。お骨になるまで約1時間半。その間、昼食を摂り、控室などで時間を過ごす。故人に骨壺に詰めて、市内に戻り葬儀を終える。 火葬場からは煙や臭いは、全く感じられなかった。山口斎場の2階展望庭園からは、手稲山(標高1023m)。語呂合わせで、10月23日は「手稲山の日」だという。山頂からは、石狩湾や羊蹄山が見える。手稲山は、北海道の山スキー発祥の地とされる。また、さっぽろ冬期五輪大会で、各種スキー競技が行われた山。 日本初の斎場PFI事業として建設された山口斎場。延床面12,800m2×火葬炉29基の施設規模。訪れた日、ほぼすべての火葬炉が稼働していた。民間運営なのか、万事手際良く、流れ作業の中に居るようだった。斎場から北へ1.2kmに銭函海岸・ドリームビーチがある。有名のゴルフ倶楽部もあった。写真-1 山口斎場から手稲山を望む。写真-2 日本初の斎場PFI事業として建設される。写真-3 2階の展望庭園からテイネハイランドゾーンを望む。写真-4 手稲山頂の電波塔と山頂からの眺望。写真-5 南1条・電車通りと奥に大倉山が見える。写真-6 宿泊ホテルのインテリア「人工クラゲ」。
2021年09月21日
コメント(0)
冬の渡り鳥・カモ類がネグラとしているボート池。夜が明けると鳥たちは、起き出して水面を泳ぎ始める。朝メシは、水草や虫類か。ボート池のさくら橋付近には、鯉がかたまっている。 柏の葉公園のボート池は、冬期間(12月から2月)スワンボートの営業はしていない。公園の中央にあるので、水辺公園の雰囲気がある。池からは、柏の葉スマートシティのマンション群が見える。工事中のビル間から朝日が昇って来る。 柏の葉公園の水辺には、マガモ、オオガカモやカルガモが飛来してくる。中には、1年以上留まる鳥もいる。利根川方面には、水田地帯が広がっている。そのためカモ類は、農業作物被害を引き起こす鳥とされている。農家さんにとっては害鳥になる。 今年千葉県は、鳥インフルエンザが大流行。採卵鶏の4割以上を殺処分することになった。そのため、陸上自衛隊が災害派遣された。今年も何かと、自衛隊を頼る丑年になりそうだ、今年は特に渡り鳥が多かったのだろうか。ウィルスは、空から降りて来る。写真-1 お目覚めのマガモと光の道。写真-2 柏の葉公園のボート池の朝。写真-3 柏の葉公園の水辺。写真-4 柏の葉スマートシティの朝日。写真-5 動き出すカモたちと水辺の梅。
2021年02月23日
コメント(0)
冠雪した谷川岳と山々の紅葉を望む湯檜曽(ゆびそ)公園に立ち寄った。湯檜曽川の赤沢に面した公園で、谷川連峰の眺めが美しい場所と知られている。訪れた日、あいにく雲が懸かり、雄大な谷川岳はお預け・・。 湯檜曽公園は、水上温泉から国道291号線を北へ進み、JR上越線・ゆびそ駅を過ぎて1Kmほどの場所。地元では、この道程を「谷川岳ゆけむり街道」と名付けて、沿線を整備して景観を守っている。この公園から上流へしばらく進むと、谷川ロープウェーに至る。 谷川連峰の麓、切り立った谷を蛇行して流れる急流の湯檜曽川。夏場、沢登りの代表的スポットとして、「へつり」を多く体験できるコースがある。急流の河川なので、砂防ダムが湯檜曽公園の近くにもあった。人工の砂防滝が紅葉の中にあった。写真-1 みなかみ町・湯檜曽公園の駐車場から谷紅葉。写真-2 紅葉の山肌と谷川連峰を望む。写真-3 急流の湯檜曽川と砂防の滝。写真-4 砂防天端の流水と紅葉。写真-5 湯檜曽公園と周辺地図。
2018年12月01日
コメント(0)
日光だいや川公園の交流エリアに、やすらぎの池とそよかぜ広場がある。この小さな池のほとりから、日光連山がよく見える。樹木が色付く秋、空気が澄んで来る秋、日光連山が池面に映し出される。絵のような景色が目の前にひろがる。午前中に訪れたい場所だ。 鬼怒川の支流である大谷川右岸沿いに延びるだいや川公園。公園面積は56ヘクタールに及ぶ栃木県営の広域都市公園で、大まかに3つのゾーン・8エリアに分かれている。平成11年にオートキャンプ場が開場されて以来、エリアごとに整備されて平成17年に全面オープンした。 やすらぎの池の西側は、芝生の広がる「そよかぜ広場」と「みどりのせせらぎ」が流れている。やすらぎの池、そよかぜ広場、そして遠景の女峰山が創り出す風景は、まさに「やすらぎの景観」だ。日光山内と奥日光の手前に位置するので、県外の人も気軽ハイキングできる場所・・。写真-1 日光だいや川公園-やすらぎの池からそよかぜ広場と女峰山を望む。写真-2 そよかぜ広場と日光男体山。写真-3 やすらぎの池の水鏡。写真-4 芝生が広がる、そよかぜ広場。写真-5 大谷川河川敷の紅葉。写真-6 真っ赤に色づいたカエデ。
2018年11月21日
コメント(0)
春の彼岸駐日は、冷たい雨が降り続いた冬日。なので、お墓参りを後ろにずらし、天候の良い日を待って出向く。牛久沼霊園には、牛久沼を見る展望台がある。穏やかな水面と早春の岸辺を望むことができる。 小貝川の支川に属す牛久沼。流入する川が5本、流出する川が2本ある。かつては海から遡上するサケやウナギが生息した場所だという。今はレジャーで、ブラックバスを釣ることができるらしい。漁業組合が存在して、ワカサギ漁なども続いている。 「花の園」とも呼ばれる牛久沼聖地公苑。千葉県では、隠れたサクラとツツジの名所。温暖化で、桜の開花が早まっているので、将来ここでも春分の日に花見ができるようになるかもしれない。毎年、ゴールデンウィーク期間、花まつり(ツツジ)が開催されている。写真-1 春の葦ジュータンと穏やかな表情をみせる牛久沼。写真-2 牛久沼霊園の展望台。写真-3 網漁をしている小舟か・・。写真-4 開花前の霊園のさくら。写真-5 メモリアルホールとモクレン。
2018年03月28日
コメント(0)
日本海からいきなり突き出す秀麗な弥彦山。越後平野を見渡すことが出来る山頂および山体は、昔から信仰の山。山頂の標高は、5年前関東平野に突如出現した東京スカイツリーと同じ634mである。 弥彦山登山は、彌彦神社からロープウェイ沿いを登る6.6kmの参道コースがある。高低差623mで、登り90分程度。小生らは、ロープウェイに乗り、山頂駅へ向かう。「やまひこ号」に乗ると、5分間で到着する。 山頂駅付近は公園が整備され、展望も良い場所。パノラマタワー、クライミングカー、展望食堂などの施設がある。回転しながら上昇する高さ100mのパノラマタワー。目が回りそうなので、展望食堂から700m先の山頂の御神廟を目指して歩く。 御神廟(ごしんびよう)には、天香山命とその妃神が祀られている。縁結びのご利益があるという。ここからは、日本海と佐渡ケ島や越後平野を流れる信濃川が望めたはず。しかし生憎の天候となる。雨雲がやって来たので、急いで下山することにした。写真-1 紅葉した弥彦山斜面をロープウェイから観る。写真-2 弥彦山頂公園のパノラマタワーとクライミングカー。写真-3 山頂の御神廟へはアンテナ群を越えて行く。写真-4 御神廟から多宝山(633m)を望む。写真-5 天香山命とその妃神を祀る御神廟。
2017年11月29日
コメント(0)
札幌丘珠空港と石狩川の中間に、「つ」の字をした沼がある。周辺の地名は、東区中沼。「つ」の内側の低湿地帯を、不燃ごみや建設発生土で埋め立てた。「モエレ沼公園」として平成17年に完成した。平成19年には、土木学会デザイン部門・最優秀賞を受賞している。 モエレ沼公園には、人造のモエレ山があり、ランドマークとなっている。標高は62mと高くはないが、平野ばかりの東区では唯一のお山だ。モエレ山頂は、展望台に整備されている。189㏊の広大な公園を一望できると共に、札幌中心街や遠くの山並みが見える。 モエレとは、アイヌ語で「流れの遅い川」を意味する。また、「つ」沼は、豊平川または石狩川が残した「河跡湖」とされる。昭和40年代までは近隣の水田などに農業用水を供給していたという。 この沼は、総合公園であるが治水の機能を持つ。大雨洪水時、水門を閉じると雨水貯留池となる。石狩川の河口にも近く、低地平野が広がる地域の防災施設にもなっている。廃棄物+洪水対策+スポ・レクからつくられた「つ」沼である。写真-1 モエレ山はモエレ沼公園のランドマーク。写真-1 モエレ山はモエレ沼公園のランドマーク。写真-3 モエレ山頂の展望台(標高62m)。写真-4 山頂からモエレ沼を望む。写真-5 大通り公園のテレビ塔が見えた。
2017年06月28日
コメント(0)
ふたつの峰が東西に相対する筑波山。東峰が標高877mの女体山である。東峰頂に建つ女体山本殿から男体山本殿を望むことができる。その距離は約800m。 女体山頂から霞ヶ浦を含む茨城県を眺望できる。筑波山は、万葉の頃から常陸国を代表する山。山岳信仰と神話世界をアピールするように、女体山本殿の横に「天の浮橋」が架けられている。 神代の昔、イザナギとイザナミの男女二神が「天の浮橋」に立ち、手にしていた鉾先から滴が落ちて固まったのが日本列島。そして最初に訪れた島が淡路島とされる。アニメ映画の題材となりそうな逸話が古事記に詰まっている・・。写真-1 女体山頂とロープウェイ山頂駅。写真-2 筑波山東峰の女体山本殿。写真-3 女体山頂の小さな「天の浮橋」。写真-4 霞ヶ浦方面の眺望。写真-5 つくば山の名物「ガマ石」。奇岩の多くは斑レイ岩。
2017年03月20日
コメント(0)
女体山より6m低い筑波山西峰の男体山(標高871m)。ケーブルカー山頂駅から標高差70mを登ると頂に到る。 ケーブルカー山頂駅があるところが御幸ケ原(標高800m)。広場から少し降りたところに、樹齢800年とされる「紫峰杉」がある。幹回り7m、高さがおよそ40mの巨木である。苔むした幹から四方に枝をのばしているが、葉が少ない。その分日当りが良い。 男体山頂には、男体山本殿と社務所がある。その横に古びた鉄筋コンクリート造りの建物が建っている。明治35年から観測を続けて来た旧気象観測所。2001年に気象庁としての役割を終えた。その後、筑波大学の計算科学センターが観測を引き継いでいる。 期待していた西側の眺望は、春霞がかかっていた。東京スカイツリーを僅かに確認できた。富士山の大部分は、霞の彼方・・。日光連山は雲の中。早々に東峰へ移動する。写真-1 筑波山西峰の男体山。写真-2 御幸ケ原の紫峰杉。樹齢800年、幹回り7mの巨木。写真-3 男体山本殿。写真-4 旧気象観測所の建物。写真-5 東京スカイツリーを確認。
2017年03月18日
コメント(0)
ぐんま・吾妻八景を代表する景勝地・岩櫃山(いわびつやま)。標高803mの岩山は、南面が200mの絶壁で、奇岩・怪石からなる山容だ。NKH大河「真田丸」のイントロ画面に登場する。真田家を象徴するかのように、戦国時代支配した城があった。 岩櫃山は、JR吾妻線・郷原駅のホームから仰ぎ見ることができる。案内看板によれば、山頂へは5つの登山ルートがある。赤岩口から潜龍院跡まで歩いた。山頂へは「クサリ道」を経て登ることになる。登山靴を履いていないので断念する。それほど天気もよくなかったので・・。 先月、カナダを旅行した際に見た「キャッスルマウンテン」を思い出す。バンフ国立公園のロッキー山脈のひとつで、標高が2766m。一方、岩櫃山は、過去にお城が実在した山。 岩櫃城は、上田城と沼田城の中間に位置した。1575年長篠合戦で敗北して、孤立してゆく武田勝頼を迎えるために御殿を急造したが、使用することはなかった。防備に優れた城(砦)で、30年後「大阪の陣」に出現した出城真田丸は、この岩櫃城を思い出して造ったかもしれない・・。写真-1 絶壁と紅葉の岩櫃山。写真-2 郷原駅ホームより岩櫃山を見上げる。写真-3 密岩神社の休息所からお山を仰ぎ見る。写真-4 武田勝頼が居住する予定だった潜龍院の跡地。写真-5 カナディアンロッキーのキャッスルマウンテン。
2016年11月15日
コメント(0)
色付いた吾妻渓谷を雨上がりに訪ねた。吾妻川に懸かる雁が沢橋(がんかさわばし)から八ッ場大橋までの約3.5kmにわたる吾妻渓谷。渓谷ぞいに奇岩、怪石、滝などに、紅葉が彩を添える。八ッ場ダムが完成すると一部が水没する。 渓谷は硬い岩石が長い間に渡って削られ、切り立った崖が続く。特に「八丁暗がり」と呼ばれる区間は、幅3mt×高さ50mの峡谷で、「吾妻峡」として国の名勝に指定されている。関東の耶馬渓とも称される紅葉の名所である。 河床へ降りる安全な道が見当たらないので、両岸の遊歩道と橋から紅葉などを観ることになる。下流から順に、ふれあい橋から吾妻峡橋、猿橋、そして鹿飛橋までの往復4kmの散策である。良く晴れたので、喉を潤すために、道の駅「あがつま峡」でソフトクリームを頂く。 猿橋の右岸側が工事中だった。来年、昇降階段や休憩所などが完成する予定。再訪する機会があれば、「小蓬莱(見晴台)」に登りたいものだ。八ッ場ダムの下流面が城壁のように見えるであろう・・。写真-1 雁ケ沢近くのふれあい大橋から吾妻渓谷を望む。写真-2 吾妻峡橋から上流を観る。写真-3 猿橋と屏風岩を望む。写真-4 猿橋から白絹の滝を眺める。写真-5 吾妻峡「八丁暗がり」[ガイドブック]。
2016年11月12日
コメント(0)
初夏にあまり人気のない霧降の滝。霧降川の隠れ三滝を巡ったので、霧降の滝にも寄った。観瀑台から観る滝は、緑のカーテンに蠢く白い生き物のように見えた。やはり紅葉の頃に観る滝なのだ。 以前、観瀑台から滝壺に降りる道があったが、現在は危険なので通行止めになっている。滝の高さが75mとされるが、上下二段の滝である。下部の滝が主役のようだ。岩に水しぶきが当り、霧のかかったように煙って見えたことから「霧降の滝」。 江戸期、葛飾北斎が「諸国瀧廻り」の8つの滝を紹介したことから有名になる。浮世絵「下野黒髪山きりふりの瀧」は、扇に似せて優雅な滝になっている。黒髪山とは、日光男体山の別名。 霧降川は、男体山の麓というより女峰山の東山麓が水源だ。女峰山と長い黒髪がマッチするように思えるが、男体山は信仰の山。山頂に二荒山神社奥宮がある。霧降川は板穴川に合流して、鬼怒川に注ぐ。渇水のおり、鬼怒川上流にも水ガメ用のダムがある。しかし東京都へは供給されない・・。 写真-1 新緑カーテンに蠢く霧降の滝。 写真-2 上下二段、高さ75mの滝。 写真-3 落差25mの上段の滝。りたつう士。 写真-4 落差26mの下段の滝。 写真-5 「下野黒髪山きりふりの瀧」(北斎)。扇のように描写。
2016年07月21日
コメント(1)
霧降高原のチロリン村から徒歩15分の所に、「丁字ヶ滝(ちょうじがたき)」がある。チロリン村は、天然氷のカキ氷のおいし処。沢歩きした後の水分補給にはもってこいだ。夏本番になると、丁字ヶ滝などでシャワークライミングするレジャー基地となる。 最初に、この滝を見付けたひとが、丁の字のように見えたので、この滝名を付けたのだろう。丁字ヶ滝は落差10mの滝で、下段に小さな滝を抱えている。涼しくて大人の水遊び場に適している。 丁字滝は、県道169号の下、霧降川右岸の沢にある。六方沢古道と呼ばれた山路があり、丁字滝の上流方面に「戊辰の道」がマップに記されている。少し分け入ったが、迷いそうなので引き返す。 激動の幕末。大鳥圭介ひきいる旧幕府は、板垣退助の新政府軍と日光で戦う。日光杉並木道の野口十字路で交戦した後、歩いた道だという。大山ハイキングコースと交わる合柄橋-六方沢、栗山を経て会津へ向かった道。丁字滝で身体を洗った兵も知れない、とふと想う・・。 写真-1 霧降川右岸沢筋の滝。丁の字に見える滝。 写真-2 シャワークライミングの場所を提供する沢筋。 写真-3 滝壺は浅からず深からず・・。水浴びに適した場所。りたつう士。 写真-4 砂防ダム袖に通路がある。 写真-5 チロリン村の天然氷を使用したカキ氷(イチゴ味)。
2016年07月19日
コメント(2)
褐色の岩肌を滑り落ちる滝がある。ハイキングマップで記されている「玉簾滝」だ。滝の情景が「玉すだれ」のように美しく見えるから・・。但し、水量・季節・時間帯で、さらに優美に見えるという。全国に玉簾滝は数多くあるが、霧降の玉簾滝のこと。 マックラ滝から霧降川を500m下ると玉簾滝に到る。観瀑台も設置されており、ハイキングコースの目玉のようだ。落差6m×幅20m程の可愛く、優美な滝だ。滝上部は肌色の川床が広がっている。子どもの水遊び場になりそうな一画。 一般に「玉すだれ」とは、「南京玉すだれ」を云う。30cm程の竹製の小型すだれを踊りに合わせて、釣り竿、橋、しだれ柳をつくる芸人の道具。関東の玉すだれは33cm×56本、関西は29cm×44本だという。暑い夏、我が家に立て掛けるのは、ヨシズである。ヨシズの滝は何処かにあるのかなあ・・。 玉すだれで、ヒルはヒトを待つ。何故か玉簾滝付近に蛭が多い。話しに聞いていたが、いつの間にか衣服に蛭がへばり着いていた。長袖の服装と帽子を身に着け、首元に注意して歩こう。やはり活動が弱まる晩秋の滝巡りが良いようだ。但し、血の気が多い人は、少し吸血してもらうと良い・・。 写真-1 「玉すだれ」の如し情景。霧降の滝の上流800m地点。 写真-2 褐色・肌色の岩盤を滑り落ちる水簾。 写真-3 霧降川・玉簾滝の正面。 写真-4 滝頂部川床の様子。 写真-5 関東風南京玉すだれ。
2016年07月15日
コメント(1)
暗い沢に落ちる滝だから「マックラ滝」と呼ぶのだろうか・・。キスゲ平園地から日光市内に引き返す途中、「隠れ三滝入口」のバス停で下車。霧降川の上流に向かって滝巡りをする。 落差30m×幅10mの小ぶりなマックラ滝(真っ暗滝)。滝が北面なので日差しが届かない。滝近くの岩場は苔むしていた。大きな胡桃の樹は、少ない日光の下長年生き抜いている。聖なる木に見えた。滝の入口には、不動明王の石像がある。地元の信仰・修行の場(滝行)なのだろうか。 キスゲ平レストハウスからの大山ハイキングコース(歩行10km)のチャックポイントにもなっている真っ暗な滝。隠れ三滝入口からだと約900m、川沿いというか沢沿いを歩くとマックラ滝に到る。「沢ガール」2名が訪れていた。渡川場所は、増水すると角材の橋が外れてしまうので要注意・・。 霧降川は、丸山を水源として、レストハウス東側を流れ下る。霧降川の主役は、霧降の滝ではあるが、その上流に三つ滝がある。始めて訪れたが、やはり秋の方がベターか・・。 写真-1 霧降川の上流の「マックラの滝」。 写真-2 黒い柱状節理からなる岩盤。落差30mの滝。 写真-3 沢ガールが訪れていた。胡桃の大木が沢の精霊のようだ。 写真-4 苔むす滝袖。夏、涼を取るのに適した場所。 写真-5 不動尊石像に一礼して沢に立ち入る。
2016年07月13日
コメント(1)
天空回廊の最上部をさらに登る。シカ除け回転ドアからキスゲ平園地を抜けると、小丸山山頂(標高1601m)とその広場だ。生憎の天候で視界が悪い。岩ベンチに座り、青々と広がる笹原を眺めながら思案する。 小さな広場の西端に登山道の分岐点がある。真直ぐに進むと赤薙山(あかなぎさん)・女峰山方面。右手に曲がると丸山・八丁平方面である。赤薙山までは約1.5km(高低差400m)。丸山までは約500m(高低差90m)。どちらに進むべきか・・。 山の視界状況は悪い。午後にわか雨の予報。赤薙山まで登っても、女峰山や男体山を望める確率は低い。丸山へは短時間で戻ることができるが、脚力を消耗してしまう。今回は、川歩き・滝巡りのコースに切り替える。ニッコウキスゲを観ながら、天空回廊を降りる。 次回は、紅葉の頃、または男体山に少雪ある時期に訪れたいと思う。 写真-1 小丸山頂のニッコウキスゲと赤薙山麓の笹原。 写真-2 小丸山頂平の登山道分岐点。写真-3 赤薙山の山肌。鳴沢(なるさわ)の渓谷。 写真-4 小丸山から丸山(標高1689m)を望む。 写真-5 キスゲ平園地の最上部のシカ除けドア。
2016年07月10日
コメント(0)
平成16年に閉鎖した霧降高原スキー場が「キスゲ平園地」として生まれ変わった。草原と斜面に咲き誇るニッコウキスゲ(日光黄菅)を見るために、多くの人が訪れるようになった。いっときの涼を求めた後、世界遺産を観るのも良い。 キスゲ平園地は、5月アカヤシオ、6月ツツジ、7月ニッコウキスゲ、8月ツモツケと花達がリレーをする「お花畑」だ。4、5年前まであったリフトはもう無い。代わって1445段の天空回廊が設置された。途中3箇所の展望デッキと12箇所の休憩所があり、体力に合わせて散策できる。 スキー場が営業されていた頃は、ゲレンデ整備のため毎年草木を刈り取って来た。そのため40万株以上のニッコウキスゲが群生していたという。人の手が入らなくなると、草は伸び放題、鹿の食害などで一時消滅の危機があった。日光市が主体となった黄菅の捕植活動により、往年の6、7割になったという。 半自然草原を維持するには絶え間ない努力が必要だ。園地を囲む柵、出入り口には回転扉。更に外来種の除去など・・。年2回の捕植作業を支える「チップBOX」募金箱があった。入園料が無料ゆえ、少しばかりのチップを入れる。 写真-1 急斜面に咲くニッコウキスゲは、展望デッキの上から鑑賞。 写真-2 霧が流れてキスゲ咲く斜面が見えた。写真-3 キスゲ斜面を見上げる。 写真-4 半自然草原を我庭とばかり咲くニッコウキスゲ達。 写真-5 霧降高原キスゲ平園地は霧の出入りが多い・・。
2016年07月09日
コメント(0)
高原に夏を告げるニッコウキスゲが咲いた。新聞やテレビで、早めの開花を告げていた霧が降りる高原に出かける。雲に突き出すほどの階段が伸びる「天空回路」を初めて登る。1.5往復したので、筋肉痛が続いている。 霧降の天空回廊の階段は1445段。中段付近に避難小屋がある。避難小屋までの下部の階段は比較的緩やかであるが、700段を超える当りから急勾配(平均30度)になる。高低差は、1582m-1341m=242m。平均蹴上高さは約17cm。 そもそもこの斜面は、霧降高原スキー場があった場所。スキーリフトもあった。日本各地に大型リゾートホテル付スキー場が出現してから客足が遠のいた。電力の動力を使って登るのではなく、人の足で登る階段が3年前に出現した。それを天空回廊と名付けた人がいる。 晴らしい眺望を期待できる最上部の展望台(小丸山展望台)だが・・。日光連山の主峰・女峰山(標高2483m)東麓に当り、東風や南風が吹く時期は特に雲が発生し易い。霧降の地の謂れとなっている。しかし天気が良ければ、筑波山はもとり東京スカイツリーも見えるという。 写真-1 レストハウス前から階段が始まる。1445段をゆっくり登ろう。 写真-2 天空回廊の下部の緩やかな階段。いざ霧の中へ・・。 写真-3 天空回廊の上部の急勾配な階段。りたつう士。 写真-4 雲が流れ、視界が開けるとニッコウキスゲが・・。 写真-5 小丸山展望台の案内看板。
2016年07月07日
コメント(1)
手賀沼を彩る花火大会(8月1日)を歩く。柏市と我孫子市との市境でもある手賀沼は、細長い沼面なので、3会場に分散して花火が打ち上げられる。両市の共同開催で、約13,500発の花火。名物の水中花火は、1回30万円の市民・企業の協賛金による。今年は5回の水中華があった。 手賀沼の中央部に架かる手賀大橋付近からJR我孫子駅まで花火を楽しむ。手賀大橋は、白鳥の羽ばたきをイメージした橋。橋長415m×11連のアーチ形状した美しい橋。 手賀沼エコマラソンのコースにも選ばれる手賀大橋。この橋の上は、夕日や朝日、そして月見の名所である。更に花火を観る絶好のロケーションだ。しかし、混乱を避けるために、橋からの花火鑑賞は禁止されている。車両が渋滞しながらノロノロと橋を進む・・。 この暑い時期、毎週末各地で花火大会が開催される。町内の納涼祭(踊り)もあるが、多くの民は、年々進化する花火大会に出かける。街の商店街と大型ショピングセンターのような関係だ。それにしても花火好きな日本人・・。年間の花火に費やされる火薬量はかなりものだと思う・・。 写真-1 手賀大橋を浮かび上げる水中花火。一回当り30万円の協賛金で水面に華が咲く。 写真-2 白鳥の羽ばたきをイメージした手賀大橋。 写真-3 河童伝説がある手賀沼。写真-4 手賀大橋は花火観賞の好位置だが・・。 写真-5 我孫子会場の花火見物の様子。
2015年08月06日
コメント(1)
登山の反対を降山と勝手に呼ぶ。下山とは苦労をして、登った人に当てはまる言葉だ・。降山は心肺的には楽であるが、足や腰への負担が大きい。足元の悪い急斜面や不規則な階段をひたすら降りることになる。出発早々調子に乗っていけない。準備運動を行い、膝関節に大きな負荷をかけないよう注意する。 筑波山ロープウェイを乗ると、標高差300mを6分間で女体山頂上へ運んでくれる。せっかく頂上まできたのだから1km向かいの男体山本殿に参拝した。男体山の自然研究路沿いの「立身岩」にも上がり、麓の筑波山神社拝殿(標高270m)を目指す。 神社境内で目を惹くのは、拝殿頭上の大鈴とマルバクスの木。1811年に再建された隋身門は築200年を超える文化財である。左右にヤマトタケルとトヨキイヒコが門番をする特徴的の山門だ。この隋身門を見守るように樹齢800年、樹高32mの巨木・大杉が立っている。 神橋を過ぎどんどん石段を下ると旧筑波山郵便局に出会う。昭和14年(1939年)に作られた外壁ペンキ塗り建物だ。木造家屋の維持管理は大変なこと。石段が終わりスロープ道を更に下ると六丁目鳥居(標高110m)に至る。この鳥居から御座替祭の神輿が出発するとのこと。 写真-1 筑波山麓から神橋・隋身門・女体山頂上を望む。 写真-2 筑波山神社拝殿の大鈴。頂上の神様を呼ぶ鈴。 写真-3 樹齢800年の大杉と隋身門。 写真-4 築75年の旧筑波山郵便局。参道石段の残る道。 写真-5 つくば道を下ると六丁目鳥居に着く。御座替祭の起点場所。
2014年11月19日
コメント(1)
ふたつの峰からなる筑波山。南から向かって左側が男体山(871m)、右側が女体山(877m)。標高1000mに満たないながら「日本百名山」である。 紅葉と青空に誘われて、近くの山に出向く。朝テレビの気象情報を見て、日帰りできるのが筑波山だ。つくばエキスプレスとシャトルバスを乗り継いで、約2時間でつつじケ丘ロープウェイ駅に着く。今回は、二つの山頂から、江戸期の旧参道を下ることにした。登山ではなく、「降山」である。 古来、筑波山を神体山として祀ってきた。西峰頂上に男体山本殿(いざなぎ)、東峰頂上女体山本殿(いざなみ)が建立してある。いずれの本殿からもお互いの本殿が見えるように立っている。 筑波山は神・神の山である。かつて山頂の本殿への達立ち入りは禁じられ、8合目付近に「願い石」を置いたという。 日本百名山において、最も低い山はもちろん筑波山(877m)。二番に低い山はと問えば、薩摩富士と呼ばれる開聞岳(924m)である。これらの二つの山高を足した百名山は、会津磐梯山(1816m)となる。彼の山は、既に雪が覆っていることだろう。今年の根雪は早そうだ・・。 写真-1 ふたつの本殿が向かい合って立つ筑波山頂上。 写真-2 男体山頂を女体山から見る。 写真-3 男体山の急峻な斜面。 写真-4 女体山の山肌と霞ヶ浦方面を立身岩から望む。 写真-5 紅葉の男体山側から女体山頂を見る。
2014年11月17日
コメント(0)
彼岸とあって、お墓掃除と供花するために牛久沼聖地公苑へ出かけた。渋滞する彼岸の中日を避けた。当公苑が「百花園」と名付けているように、四季折々の花木が植えられている。しばらくすると桜の名所になる。訪れた日は、乾燥した北寄り風が吹いたので、筑波山や日光連山が見えた。 牛久沼は、面積3.5km2の浅い淡水沼。下流の八軒堰水門を経て小貝川に流出するので、利根川水系に所属する。魚の種類が多いが、最近の調査では、半分以上がモッゴ、ブルーギルで占められている。ウナギも生息しているが、食用に出荷されていないという。 昼食に八軒堰水門近くのウナギ屋さんに寄る。ささやかな慶事があったので、久し振りにウナ重を食す。昨今は庶民の口に入りづらい値段が続く。店の人いわく、秋口になると値が下がるのでないかとのこと。と言うのも、ウナギの養殖に使うシラスウナギの価格が下がり始めたから・・。 九州・四国を中心にシラスウナギの好漁が続いたという。明確な漁獲高回復の理由は不明。昨年、絶滅騒ぎがあったが・・。養殖ウナギは、飼育に最低半年かかると云われる。今年の夏「土用の丑の日」に間に合いそうもない。マリアナ沖の幼生が潮に乗って日本にやってくるという。「ヤシの実」の歌を連想する。 写真-1 牛久沼上は風が強いので白鳥とカモメが休息中。遠くに筑波山が見える。 写真-2 震災影響とウナギ事情などにより廃業したホテル。鰻名所のモニュメントのようだ。 写真-3 淡く日光連山が見える。男体山の東側なので女峰山だろうか・・。 写真-4 牛久沼八軒堰水門とウナギ屋さんを見る。 写真-5 お墓の掃除疲れを癒すウナ重。
2014年03月27日
コメント(0)
山そのものが御神体の筑波山。紫の双耳峰として、古くから知られる日本百名山である。西峰は標高871mの男体山(イザナギ)。東峰は標高877mの女体山(イザナミ)。二峰は800m離れている。舟と馬、そして自足が移動手段だった昔から坂東無双の霊山として、崇められてきた。 元来の筑波山神社は、男体山頂祠と女体山頂祠を指す。明治維新後の神仏分離により、廃寺となった中禅寺跡に現在の拝殿が建てられた。真言宗の大御堂が建立された。 拝殿には巨大な鈴が吊り下げられている。高さ1.3m、重さ138kgもある大鈴だ。大き過ぎて鳴らすことができない。本来、拝殿等の鈴は、邪気を祓い清め、神様の注意を引くためもの。いかなる背景で大鈴を設置したのだろか・・。ちなみに市販されている大きいものでは直径30cm×3.8kg(約15万円)がある。 男体山より6m高い女体山頂には天の浮橋が架かっている。神代の昔、イザナギとスイザナミが天上の橋に立ち、手にした鉾の先が落ちた滴で国を創ったとされる。東の女体山頂からは関東平野が一望でき、いっとき景色を一人占めできる。観光用の小さな橋が古事記の存在を思い出させる。 写真-1 バスから筑波山を見る。梅林や鳥居が見えた。 写真-2 大きな鈴がシンボルの筑波山神社。標高270mの拝殿に参拝して山頂を目指す。 写真-3 女体山頂祠と天浮橋。下山の際に天浮橋を渡る。反時計回りが歩行ルールのようだ。 写真-4 イザナミ峰から800m離れた西のイザナギ峰(男体山)を望む。写真-5 イザナギ峰からイザナミ峰(女体山)を望む。眼下の景色を眺める一人がいた。
2014年03月26日
コメント(0)
オランダ風車+水車がシンボルの霞ヶ浦総合公園。JR土浦駅から南東2.5kmの湖岸に位置する。かすみがうらマラソン大会のスタート・ゴール地点となる川口運動公園の対岸になる。美しい水辺があるので、マラソン大会コースから外れているのが残念である。 霞ヶ浦の水質浄化を願うオブジェが公園にある。題して「光の輪のむこう」、少年と犬が湖沼の浄化を見守っているかのようだ。3万本のチューリップが風に揺れる日がもうすぐやってくる。 光の輪は真東に向いている。春分と秋分の頃、光の輪と朝日が重なる・・。 高さ25mの風車には水質浄化のロ過装置が備えられている。浄化された霞ヶ浦の水が水車を回し水生植物園の池に流れ込むように造られている。浄化能力は時間当り50トンと小さいけども、啓発や子どもの教材になる。国の浄化政策もあり霞ヶ浦の水質は年々改善傾向だ。しかし新たな問題も生じているようだ。 公園の北側を流れる備前川に幅27mの綺麗な水門がある。この水門近くでNPO法人による低泥のモニタリングが実施されている。昨年末調査では放射性セシウムが2,500ベクレル/kg。一昨年の約半分の値だという。汚染された土が霞ヶ浦に流れ込み、沈殿する構図だ。水は綺麗だが、湖底に心配物が・・。写真-1 ろ過浄化装置を内蔵するオランダ風車。遠くに筑波山が見える。 写真-2 霞ヶ浦浄化記念日の「光の輪のむこう」。綺麗になった水辺で犬と釣りを楽しむ姿。 写真-3 水生植物園の水車。浄化された水がハス池へ流れ込む。写真-4 公園の北端に建設されている備前川水門。底泥に含まれる放射性物質の調査個所のひとつ。 写真-5 美しい湖岸のある霞ヶ浦。湖沼の堆積土砂に多少注意を払う必要が・・。
2014年03月05日
コメント(0)
かつて網元が3軒あった霞ヶ浦・西浦の沖宿(おきじゅく)。帆曳船でワカサギやシラウオなどを漁獲し、佃煮を作り栄えた町。現在の沖宿港は、小型船舶が30隻ほど係留する小さな船溜まりである。 霞ヶ浦は、西浦、北浦など6つ湖沼と川からなる。国内第2位の淡水湖である。水際線の延長は、琵琶湖を凌ぐ長さだ。土浦市が面する西浦は、霞ヶ浦湛水面積の78パーセントに相当する。霞ヶ浦と言えば、西浦をさす場合が多い。 霞ヶ浦の漁業は1980年頃がピークと言われる。いまは漁業関係者は30人もいない。2003年のコイヘルペスウィルス被害が甚大だった。コイの養殖業は廃業に追い込まれた。更に近年、ブラックバスやブルーギルと言った外来種が増え、ワカサギが貴重種になりそうだ。 河川法上、霞ヶ浦は利根川水系である。支川の常陸利根川に分類される。貯水量が8.5億m3とも言われ、豊富な水は上水道や工業用水の水源となっている。水利権43m3/秒のうち東京・千葉で5.7m3/秒使用される。しかし水深が浅いので長年、水質の富栄養化問題と向き合っている。 写真-1 沖宿揚排水樋管から霞ヶ浦西浦を望む。 写真-2 沖宿港から牛久大仏方面を望む。 写真-3 筑波山を望む。この日は白波が立つほどの北風。 写真-4 白鳥の着水。 写真-5 沖宿地区のレンコン採り。腰まで埋まる重労働だ。
2014年02月17日
コメント(0)
霞ヶ浦を望む阿見町青宿(あおやど)に、かつて予科練と呼ばれた教練所があった。昭和14年に横須賀から移転され終戦まで多くの若い飛行乗りを育てた。そして死地へ送り込んだ。阿見町は水上・陸上の飛行訓練に適した地だった。其の地に陸上自衛隊土浦駐屯地があり、武器学校が営まれている。 武器学校に隣接して、予科練戦没者の遺品等を収蔵・展示した雄翔館(ゆうしょうかん)がある。玄関前の山本五十六像が大学建物の方角を見つめている。予科練から戦地に赴いた2万4千人のうち約8割の若者が戦死したという。桜に錨の七つボタンを模した雄翔園が慰霊し続けている。 雄翔園の近くに阿見町の「予科練平和記念館」が平成22年にオープンしている。「七つボタン」をモチーフにした建物で、大きなサイコロを重ねたような館である。上空からは、7の文字に見えるかも知れない。昭和18年頃の土浦海軍航空基地の俯瞰プレートが玄関の壁にあった。 平和記念館への来館は、老いた人が多いが若い女性も目に付いた。先月上映されていた「永遠のゼロ」の影響だろうか・・。映画化に賛否両論があったようだ。以前読んだ文庫本では、戦闘シーンよりも人間・宮部久蔵の謎解きが主題だったと思う。写真-1 陸上自衛隊土浦駐屯地内にある雄翔園。七つの海と七つボタンをイメージした庭。 写真-2 予科練二人像。予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿が納められている。 写真-3 雄翔館前の山本五十六像。武器学校舎を見つめている。 写真-4 予科練平和記念館。テレビドラマで使用した人間魚雷回天の模型も展示。 写真-5 旧土浦海軍航空基地を俯瞰したプレート。
2014年02月13日
コメント(0)
土浦・河口運動公園は、通い慣れたるところ。春に開催される「かすみがうらマラソン」に過去7回フルマラソンに出走した。平成15年を最後に42kmは断念している。最近は10km走を中心とする生活スタイルだ。フルとなると普段の練習量を格段に多くなるから・・。 霞ヶ浦の名物は、何と言っても帆引き船だ。3市(土浦市・かすみがうら市・行方市)合同による操業が催される日、北東の風吹き始めた。「今でしょ・・」と云って、見学に出かけた。85名乗りのホワイトアイリス号が満員となる盛況だ。しかし風が強すぎて半分の帆揚げとなった。 帆引き船は、明治13年に地元で考案された船と漁法。船を横にして、風の力を利用する方法だ。船操作と帆張りが難しいこと、凪ぎと強風時には操業が出来ないなどで、昭和40年に姿を消した。現在は観光用として3市で6隻ほど保有しているようだ。 帆をいっぱいに広げると幅13m×高さ10mとなる。その勇壮な姿で湖面を走る風景は、「平成百景」に選ばれた。平成百景は、読売新聞社創刊135年事業して、読者の65万点から選定したものだ。新百景のうち半分ぐらいは足を運んでいる。機会を作っては出かけようと思っている。 写真-1 3市合同による操業で、5隻の帆引き船が集結した霞ヶ浦沖。 写真-2 白い帆が強風で膨らむ。船の安全のため、帆揚げを半分に調整する。 写真-3 平成百景に選定されている霞ヶ浦の帆引き船。写真-4 帆を卸して、網を手繰り寄せる。足腰が丈夫でないともたない作業だ。 写真-5 土浦港を出航する遊覧船・ホワイトアイリス号。
2013年09月28日
コメント(2)
手賀大橋の北岸リムに親水広場がある。その面積は33,000m2。広場中央には「水の館」があり、手賀沼の水質浄化を推進する中核基地となっている。 水の館は地上3階の建物で、展示ホール、資料室などがある。手賀沼を一望できる展望室(4Fドーム型)も備えている。気象条件によっては富士山も見えるという。県のキャラクタ「チーバくん」の田んぼアートが見頃を迎えていた。ちば眺望100景の場所として登録されている。 手賀沼の水質浄化が進んだとはいえ、全国湖沼汚濁順位でワーストクラスだ。平成23年度調査結果ではワースト2位。ワースト1位は印旛沼で、千葉県勢で競い合っている。ちなみにベスト1位と2位は、北海道の支笏湖と倶多楽湖だった。 手賀沼では水質浄化の一環として、湖岸の水面に松杭を打ち並べて水生植物の育成している。住宅密集地域における湖沼の水質を環境基準に保つには、各種対策工法や地域住民の協力が欠かせない。10月の手賀沼エコマラソンもそのひとつ。今年もエントリーが出来なかった・・。写真-1 手賀大橋の東の手賀沼風景。水質浄化が進んだが、ワーストクラスの湖沼。 写真-2 水質浄化を推進する中核基地の「水の館」。4階のドーム部が展望室。 写真-3 手賀沼の名所・手賀大橋。白いアーチ橋とススキ。 写真-4 松杭を打ち並べ水生植物を育成。水質浄化の一助としている。 写真-5 田圃アート「チーバくん」を水の館から展望する。
2013年09月25日
コメント(0)
今年の十五夜・観月会は、各地で盛会のようだった。台風18号が列島上空の雲や塵を一掃した。台風一過で晴天が5日間も続いた。乾燥した空気の中、月は例年よりクッキリ見えたのではないか。 月見団子と「おはぎ」が似合う季節が過ぎてゆく。1.5ヶ月後にはウィンターになる・・。 小生は「渡月橋」とも呼ばれる手賀大橋へ出かけた。手賀沼は、東西方向に長い湖沼である。中央に架かる手賀大橋は、東西に視界が開けている。秋分の頃、太陽と月が真東から昇り真西に沈む。このため橋の上からは、落陽と昇月を同時に見ることができる。 2013年9月19日は、旧暦の中秋である。7月から9月のちょうど真ん中にあたる旧暦の8月15日に観る月が、中秋の名月だ。実は中秋の名月と満月が合致する年はそう多くない。次回に合致するのは8年後の2021年とされている。 2021年は東京オリンピックの翌年にあたる。東京におけるオリンピック・パラリンピックの開催期間は、7月24日から9月6日までの約1.5ヶ月間。蒸し暑い中で行われるマラソン競技は、日本人が有利になるかもしれない。コース沿道整備などのボランテアに参加したいものだ・・。写真-1 手賀沼の東に昇る満月。手賀大橋から観る。 写真-2 しばらくすると月は、輝きを増す。湖面に月光が映る。 写真-3 手賀沼の西に沈む夕陽。多少の雲があればより美しくなる。 写真-4 手賀大橋の夜景。ライトアップは中止のようだ。写真-5 中秋の名月。8月の花札は坊主ともいう。芒と薄・・。
2013年09月23日
コメント(0)
お盆の墓参りに行く。筑波市泊崎の牛久沼霊園へ。霊園は敷地面積62,100m2×3,600区画で、牛久沼の西側に広がる。JR佐貫駅から送迎バスが出ている。佐貫駅の北西約4kmに位置する。天気の良い日には、北方に筑波山が見える。帰りに牛久沼を眺めて、うなぎ丼ランチとした。 牛久沼の規模は、面積3.5km2、平均水深1.0m、湖容積650万m3。手賀沼の約半分の面積で、利根川水系の堰止め湖と分類されている。小貝川の堆積作用で谷田川などが閉じ込められて出来上がった湖沼。牛久沼に貯留された水は、竜ヶ崎市などの水田に使用されている。 この堰止め湖は、水深が浅いため大雨を一時貯留することができない。このため江戸初期から周辺の町や村は度々洪水に見舞われていた。対策工として、牛久沼から水を抜くために幅8間程の堀を小貝川まで開削した。その後、牛久沼の出口部に八間堰水門を造り、沼の水位を調節するようになった。 八間堰水門の近くには、老舗うなぎ屋と水辺公園がある。この公園近くには、数十羽のコブハクチョウが居付き、人が近づいても逃げない。うなぎ屋で聞いた話では、今年の2月、ここの白鳥2羽が皇居の堀へ寄贈されたとのこと。牛久沼には、白鳥の子育に適するヨシが沢山繁っていた。写真-1 水辺公園から牛久沼を眺める。泊崎の大師堂が左手に見える。写真-2 牛久沼の流出部。八間堰水門、牛久沼大橋、うなぎ屋が集まる箇所。写真-3 牛久沼水辺公園のコブハクチョウ。暑くて動きが鈍そう・・。写真-4 牛久沼霊園の展望休息所。墓掃除をした汗がひくまで木陰で休憩。写真-5 牛久沼霊園のメモリアリホール。コスモスが咲き始めた。
2013年08月17日
コメント(0)
手賀沼で花火が打ち上がる日、夕涼みに出向く。細長い手賀沼の西半分で打ち上げるが、水深が浅いので、フロートを使った台船も浮かんでいる。西側の湖沼沿いには、柏駅・北柏駅・我孫子駅が連なり、交通に便利なのだ。小生は手賀大橋から柏ふるさと公園までの4km間をウロウロした。 手賀沼の花火大会は、東日本大震災後中止になっていた。3年ぶりの花火大会で、夏の風物が戻ってきた。打ち上げ費用の捻出のために、早い時期から企業等からの協力金を集めていた。その甲斐もあって目標の1千万円を集め、24,500発の花火を打ち上げた。40万人の見物客があったという。 手賀沼には「自然ふれあい緑道」が9.5kmに渡って整備されている。10月のハーフマラソンのコースにもなる。走りやいミチである。柏市側から花火を見物しようとすれば、この緑道の帯が中心になる。しかし高圧電線や鉄塔もあり、観賞するスペースはそれほど多くない。 展望が良い緑道の湖面側半分については、大半が有料席や協力金出資企業の場所。多くの人が一段低い平地での見物とならざるを得ない。更に上記の指定席は空席が目立った。限られた見物帯なので、指定面積を少なくして、一般開放エリアを多くできないものだろうか。ふれあい緑道が泣く・・。写真-1 手賀沼の花火大会。第二会場方面をふれあい緑道上から観る。写真-2 打ち上げ開始40分前の会場入口付近の風景。手賀大橋から西側を観る。写真-3 第二会場から第一会場方向に夕陽が落ちる。 写真-4 ふれあい緑道上から花火を楽しむ人々。写真-5 ふれあい緑道の湖面側に並ぶ「指定席」の帯。
2013年08月05日
コメント(3)
戸隠連峰を湖面に映す鏡池は、戸隠を代表的する景勝地。戸隠神社・随神門から南へ1.2kmに位置し、遊歩道を歩けば30分程度。戸隠神社中社(駐車)からはタクシーが運行しているので、お年寄りでも鏡池の景色を眺めることができるようになった。 戸隠山(標高1,904m)は、天の岩戸伝説の山である。修験者の山である。天照大神が籠った岩屋の戸が投げ飛ばされて山となったという。戸隠山は、戸のように切り立った山。戸隠神社奥社から約2時間の登山コースがあるが、「蟻の塔渡り」という難所があるため上級者向け・・。 鏡池は農業用ため池でもある。昭和40年頃に周辺の水田に農業用水を供給するために造られた「西原温水ため池」だ。戸隠連山を水源とする湧水は、そのままでは冷たくて稲作に向かない。そのため、一旦この池(貯水量約7万m3)に貯めて、温かくして使うようにしているのだ。 秋、鏡池は絶景ポイントになる。標高1,210m、面積4万m2の水面は、九頭龍山、戸隠山、西岳(標高2,053m)を映し出す鏡となる。紅葉がその景観に彩りを添える。そんな時期に訪れたいと思うが、そうそう足を運ぶは出来ない。今回が見納めになるかもしれない。写真-1 鏡池の堰堤天端から戸隠連峰を望む。あいにく風があり、鏡にならず。写真-2 山の天気は変わりやすい。山の頂に雲が降りてきた。写真-3 鏡池は農業用ため池。余水吐きや取水設備を備えている。写真-4 鏡池周辺案内図。鏡池は長径350mの楕円形、一周約30分の散策を楽しめる。写真-5 池に浮かんでいたのは、フロート式取水口。表面の温かい水を取る。
2013年08月01日
コメント(0)
長谷山本土寺は、二つの池を持つ庭園でもある。瑞鳳門を挟んで南の高地に弁天池、北の低地に菖蒲池が配置されている。小さな池ではあるが、この古刹に潤いと華をもたらしていることは間違いない。人工の滝も苔の熟成に欠かせない。 境内には二十余りの堂や塔が並ぶ。西の本堂から東の像師堂まで直線で約200m離れている。その間は、祖師堂や客殿を経由して回廊で結ばれている。この回廊からは二階から見渡すような景色を堪能できるという。アジサイと紅葉の行われるミニツアーに参加すれば花回廊歩きができる。 菖蒲池では5000株の花菖蒲(ハナショウブ)が見ごろを迎えていた。四方の高見から観賞できるように配慮されている。背景に竹林がある風景は日本的だ。花菖蒲は、アヤメよりも背丈が高く、花の大きさも少し大きいとか。咲く時期がやや遅いので、関東ではアジサイと同時に見られる。 小さな弁天池(約700m2)の真中には、弁財天が祀られている。水面に睡蓮が浮かぶ。上野・不忍池のミニチュアのようだ。しかし秋には見事な紅葉の景色を見せてくれる。更に青い宝石とも呼ばれるカワセミ(翡翠)がいる。上池と下池の二つの池を行き来しているように思える。写真-1 本土寺菖蒲池のハナショウブが見頃に。背景を成す竹林に毎年変化が・・。写真-2 二階席のように見渡せる回廊と菖蒲池。アジサイも同時に観賞できる花回廊。写真-3 瑞鳳門の南側にある弁天池。カワセミが飛来する水辺。写真-4 弁天池のカワセミ「アオちゃん」。睡蓮の下にひそむ餌を探しているようだ。
2013年06月15日
コメント(1)
筑波山男体山の南陵線は斜度約30度。スキージャンプ台のような勾配だ。山頂は頭に冠りを付けているようにも見える。その狭い天辺(標高871m)には、筑波山神社の本殿、気象観測所および通信塔が林立している。 筑波山は関東平野にあって最も標高が高く、気象観測とって適した山だった。日本における山岳気象の先駆になった歴史的場所。2002年からは、筑波山神社が所有し筑波大学が管理する「筑波山気象観測ステーション」になっている。気象庁のアメダスポイントから外れている。 気象観測ステーションの住所は、つくば市筑波1番地。筑波山は、関東人にとって強い思いがある山だ。「西の富士」と「東の筑波」とか、「白き山」と「紫の山」などと対比されてきた。また、『ニイタカヤモノボレ』の対語として『ツクバヤマハレ(直ちに帰投せよ)』の軍事用暗号に使われた。 男体山と女体山との間は細長い平坦地がある。御幸ヶ原と呼ばれ、観光施設が並ぶ休息の丘である。この広場の直ぐ下に、樹齢800年という「紫峰杉」がある。そこは男女川(おなみがわ)の源流でもあるのだ。マイナスイオンが漂う。小さなパワースポットだった。写真-1 桜川から筑波山を望む。山容全体が樹林に覆われ、遠方からは青紫色に見える。写真-2 女体山より男体山・御幸ヶ原を望む。スキージャンプの助走路を思わせる傾斜。写真-3 新緑の中、山頂を目指すこども達。恒例の学年登山だという。写真-4 御幸ヶ原近くある樹齢800年の紫峰杉。男女川の源流に立つ老木。
2013年05月19日
コメント(0)
このような道なら、どこまでも続いてほしい。筑波山のつつじヶ丘高原の登山路沿ではツツジが見頃だ。筑波山へ徒歩で登るに、4つの登山コースがある。そのなかで、この時期やはり「おたつ石コース」(つつじヶ丘コースとも呼ぶ)が人気である。片道1.8km、所要時間約60分だ。 おたつ石コースは、つつじヶ丘広場から奇岩怪石群を抜け、女体山頂の御本殿にいきなり到達する。山頂では平成21年に架け替えられた「天浮橋(あまのうきはし)」を渡ることができる。訪れた日は、弱い東風吹く靄天日和であった。遠くの山並みはほとんど見えず残念・・。 筑波山は日本百名山のなかで最も低い山。また千葉茨城県(ちばらぎけん)における唯一の百名山である。関東平野に岬のように突き出た二つの峰からなる山。西の女体山は標高877mで、東の男体山より6m高い。山頂は硬いハンレイ岩が露頭し、滑り易いので要注意である。 風返峠(EL.412m )から筑波山を見上げると、二つのピークが耳のようだ。風返峠は、つくば市と石岡市との境を南北に連なる筑波連山にかかる。海からの強い風が筑波山に当たり、吹き返えしたことに由来。峠のすぐ上にはループ橋のような「富士見橋」がある。冬晴れの日には富士山を望める。写真-1 筑波山登山路の途中にある、つつじヶ岡高原。 写真-2 おたつ石登山コースの出入口付近。登山の安全を祈願してから鳥居を潜る。 写真-3 奇岩群の最上部に位置する大仏岩。新緑の衣に包まれ、満足そうな・・。 写真-4 風返峠から筑波山を望む。手前のピークが女体山山頂。
2013年05月18日
コメント(0)
季節は大寒のなかば。手賀沼の北辺を朝サン(朝散歩すること)した。大寒をむかえ膝の調子が今一歩なので、ウォーキングが多くなる。北国では厳冬期がピークで、気軽な朝サンは望めない。朝から雪かき・雪なげで大忙しだろうと想いを馳せる。 手賀沼の名所・手賀大橋は、風が弱ければ散歩するにうってつけのコース。広めの歩道が上下流にある。東西それぞれの景色を眺めて往復すると約1kmの歩きだ。手賀大橋は白いので、朝夕の柔らかな陽を受けるとより美しくなる。11羽の白鳥の羽ばたきを連想させる橋である。 二十四節気をさらに初・次・末の3つに細分する呼び方があった。戦前に使用されていた略本暦の七十二候だ。それによると大寒の次候を「水沢腹堅」と表し、沢に氷が厚くはりつめる頃だという。ちなみに大寒の末候は、「鶏始乳」という。 大寒のなか早朝から釣り掘りに通う人がなんと多いことか・・。手賀沼に隣接する高野山新田地区の釣り園で、主にヘラブナを対象としている。大池・小池それぞれの持ち場で竿を出している。冬場に放流される寒ブナは、「新人」なので引きが強く、釣り好きにはたまらない・・らしい。写真-1 手賀沼水生公園付近から見る日の出。写真-2 静かなる湖面の朝。大寒の次候「水沢腹堅」で冷え込みもピークに。写真-3 白鳥の羽ばたきをイメージさせる美しい手賀大橋。写真-4 鳥の博物館近くで、手賀沼に隣接している釣り園。寒中のヘラブナ釣りを観る。
2013年01月29日
コメント(3)
正月三が日のうちに、日の出を見ようと手賀沼へ出向く。手賀沼は、東西8kmに伸びる細長い湖沼で、柏市と我孫子市の市境ともなっている。上空から眺めると、ウナギかヘビが泳いでいる姿に似ている。 手賀沼中央部を横断する手賀大橋は、朝日と夕陽を観るのに適している。歩道が3.5mと広く(自転車通行併用)、カメラの三脚を立てることができる。この橋は、橋長415m×11連の美しいアーチ橋である。西風が強い時には、特に寒く感じられるアーチだ。 日本の初日の出が早い場所と題して、正月テレビ番組があった。気象観測点がある拠点で、離れ島や山頂を除く平地では、千葉県犬吠岬が一番早い(6時46分)。次いで北海道東端の納沙布岬(6時49分)だそうだ。ちなみに富士山頂は6時42分、南鳥島が5時27分とのこと。 手賀大橋から東10kmに手賀沼終末下水処理場がある。ここで住民の反対運動が起きている。施設内に「放射能汚染灰の一時保管所」が完成したため、12月下旬に焼却灰が搬入されたことによる。保管容量は2500t(約1年分)。一時保管所が最終処分場になるという不安が拭えないのだ・・。写真-1 手賀沼の朝焼け。手賀大橋歩道から眺める。[1月3日撮影]写真-2 手賀大橋の日の出。崩れ三段の朝陽が昇る。写真-3 手賀大橋の東湖面。沼水は手賀川を経て利根川に注ぐ。写真-4 手賀大橋の西湖面。大橋のアーチ・シルエットが薄白く見える。
2013年01月05日
コメント(1)
新年明けまして、おめでとうございます。良いお年を・・。我が家では、年末年始をスキー場で過ごすことが多い。今年は、2泊3日の行程で山形蔵王温泉スキー場へ出かけた。帰省ラッシュを避け、常磐道・磐越道を利用すると4時間半で行ける。 蔵王温泉スキー場は、標高差約800mの中にコースが26本整備されている。その中で人気コースは、やはりザンゲ坂・樹氷原コースだ。蔵王山ロープウェイ地蔵山頂駅(標高1661m)から滑り出し、百万人ゲレンデを堪能した。あいにく山頂は吹雪でホワイトアウト。名物の地蔵様も氷ついていた。 夜中の0時には、地元酢川神社へ初詣に出かけた。酢川神社は、創建が850年頃とされ大そう古い社。現在は、蔵王温泉の護り神として高台に祀れている。参道の石段が229段。暗い雪路に参拝客が並ぶ。燈籠に川柳が刻まれ、川柳坂と呼ぶユニークな区間があった。 酢川神社へ初詣の一番乗りは、台湾から来た若者の一団(約10名)。小さな境内の中、記念写真撮影で少し騒々しい。小生達の参拝順番は、30番目ぐらい。お神酒を頂き、ホテルへ急ぐ。冷たくなった身体を温泉でほぐす。平成25年も元気で過ごせるように、湯煙の中で反芻した。写真-1 蔵王温泉スキー場の百万人ゲレンデから山形市街を望む。写真-2 蔵王ローブウェイ地蔵山頂駅付近のお地蔵様。賽銭箱の周りは各自が素手で除雪。写真-3 蔵王温泉を見守ってきた酢川神社。元日の0時10分頃に参拝する。写真-4 酢川神社の石段229段と川柳坂。急峻な雪路参道は下りに用心。
2013年01月01日
コメント(1)
大山登山道の女坂途中(EL.500m)に大山寺がある。境内には、本堂の他に、伯耆坊の墓、かわらけ投げ場など多くの奉納碑がある。正式名は、雨降山大山寺(あぶりさん おおやまでら)である。この文字列を反対に並べて、日記のタイトル(ジィサン おおやま コーウ)とした。 大山寺本堂は、廃仏毀釈によって取り壊されたものを明治18年に再建。全国信者の寄進で建てたという。急峻な地形に建造したもので、信仰の強さを物語っている。本尊は鉄造の不動明王像で、1264年(748年前)に造れられたもの。 参道階段脇に紅葉が配置されているが、南東斜面にあるため午前中のみ陽が当たる。また階段の両脇には、不動明王の遣い・童子がビッシリ並び、巡礼者を出迎える。関東三十六不動霊場の一番寺(発願寺)でもある。 紅葉の期間、大山寺はライトアップ(11月23日から12月中頃)される。深紅のもみじが幻想的に見えるという。ライトアップに合わせて、ケーブルカーも20時頃まで運転される。この夜景は、来年以降の楽しみとしたい・・。写真-1 急峻な斜面に造られた大山寺。写真-2 雨降山大山寺の本堂。不動明王を安置している。写真-3 倶利伽羅堂(くりからどう)を過ぎると参道階段が待っている。写真-4 巡礼者を迎える童子。「ロータッチ」したくなる像もある。
2012年11月21日
コメント(0)
紅葉会で大山(おおやま)へ出かけた。首都圏から手軽なハイキングコースと知られている相模大山は、標高1,252mのピラミッド型の端正な山だ。関東平野西部に突き出し、昔から関東八州の展望台と云われた。阿夫利神社下社からの眺めも素晴らしい。 阿夫利神社の創建は752年とされ、良弁が雨降山大山寺を建立したのが始まり。その後鎌倉ゆかりの源頼朝や北条家が、武運長久を願う聖地となるや急速に栄えた。江戸時代には江の島弁財天詣りとセットなった講(団体旅行)で、ますます栄えた。 大山には、「おおやま」と「だいせん」と呼ぶ名山がある。相模大山は日本三百名山、伯耆大仙は日本百名山。二つ山は、天狗信仰で結ばれている。相模坊が崇徳上皇の霊を慰めるために四国白峰に移った際、大仙伯耆坊が代わり大山に降りたという。山頂には、大山伯耆坊を祀る社がある。 大山を源流とする川は、鈴川(大山川)で、相模湾に花水川となって注ぐ。阿夫利神社下社近くの「二重滝」上方で湧水している。鈴川は急流なため、大雨で山が侵食される。沢には幾つもの砂防堰堤が造られている。改修工事中のもあった。日光に限らず、有名に寺院には砂防堰堤が付きものだ。写真-1 大山阿夫利神社下社の参道階段。大山山頂登山口の一つである。写真-2 阿夫利神社下社の紅葉。水の神に因み、江戸火消しの奉納品も並んでいる。写真-3 大山山頂と相模湾を望める標高700mの見晴台。日当りが良く昼食に絶好。写真-4 二重の滝から上空を見る。地元の人が沢・滝登りに挑戦する沢で、鈴川の源流。
2012年11月17日
コメント(0)
JR我孫子駅から南へ800mほど歩くと手賀沼公園に着く。公園の突端に手賀沼を一望できる公園岬がある。この一画は、ベンチやあづま屋根が設置され、市民の憩いの場所となっている。 岸辺は親水護岸となっており、水鳥や魚を見ることができる。公園岬は、南と西に視界が開けているので、四季を通じて夕日を見ることができるスポット。手賀沼は、東西に長い沼で、朝日や夕日が湖面に映える景観を各所で見ることができる。 手賀沼は、4市に跨る湖沼で、面積6.5km2、平均水深が0.9mと浅い。環境省の公共用水域水質調査で過去にワースト1位を続けた沼だ。しかし、10年前に北千葉道水路が完成して、汚名を返上している。と言っても、ワースト5位に甘んじ、印旛沼と同順位である。 夕暮れ時広い芝生公園では、ボール遊びをする子供達や犬を伴って散歩するお年寄りが多い。主婦は夕飯の準備で忙しい時間帯だ。陽が沈んだ後に、白鳥が岸辺に近寄ってきた。人が居なくなるのが判るのだろうか。晩御飯のおねだりのように見えた。写真-1 手賀沼公園の夕景。釣りをする親子がいた。写真-2 公園岬は夕暮れ時になると、地元の人達が夕日を見るために集まる処。写真-3 柏市の方角に陽が沈んでゆく。手賀沼公園岬より撮影。写真-4 人々が帰り仕度すると寄ってくる白鳥。夕食のおねだり、orおやすみの挨拶?
2012年10月31日
コメント(0)
秩父鉄道・長瀞駅から大鳥居をくぐり、約1km西方に歩くと宝登山(ほどさん)神社に至る。縁起のよい名前だ。創建が西暦110年とされ、神話の世界のようだ。火災盗難よけの守護神と知られ、秩父三社のひとつに数えられている。 宝登山(EL.497m)は、宝登山神社から約50分で登ることができる。標高差300mの初級ハイキングコースである。ロープウェイもあり、蠟梅(ろうばい)が見頃になる2月頃は人で賑わう。金運上昇のパースポットとも呼ばれる。山頂南斜面は日射したっぷりの梅園が広がっている。 宝登山は、「火止山」とも言われていた。日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、猛火に包まれた時どこからともなく現れた巨犬に救われたと言う伝説の地。山頂には宝登山奥宮が鎮座しているが、狛犬(こまいぬ)ではなく、巨犬(オオカミ)が守護する。 山麓の駐車場奥に(長瀞山不動寺)がある。地元では、撫子の寺として親しまれている。不動明王を祀っている本堂の参道両脇には曼珠沙華の花が咲く。つい寄り道をする。お腹が空いてきたので、宝登山神社参道を一気に下り、駅前の蕎麦屋へ向かう・・。写真-1 宝登山頂から武甲山と秩父市街地を望む。 写真-2 宝登山奥宮は守護犬で守られている。写真-3 山頂広場から蠟梅園を望む。黄色に染まる山なので、金運上昇のスポット・・。 写真-4 不動寺の参道脇に咲く曼珠沙華。撫子の寺として親しまれている。
2012年10月14日
コメント(3)
奥日光三名滝を上流から川と伴に観下る。先ず、湯ノ湖から溢れ落ちる所が湯滝(ゆだき)である。落差50m、幅35mの滝で、なだらかな岩盤に白布を垂らしたように滑り落ちる。下流正面から眺めると、お不動様に見えるという。湯滝を過ぎると湯川となり、戦場ヶ原をゆったりと流れ往く。 湯川を中禅寺湖へ落とす滝が竜頭の滝(長さ210m)である。滝壷付近で二手に分かれ大岩を噛むように見えるという。滝の上流は、区分されて「龍雲滝」と呼ばれて時期もあったという。川の流れは、竜頭の滝を過ぎると地獄川に合流して、中禅寺湖の菖蒲が浜に出てくる。 大きな中禅寺湖の放流口が華厳滝である。落差97mを誇る勇壮な滝。中段付近からは、年中枯れることのない伏流水が簾状に流出している。中禅寺湖から華厳滝までを大尻川と呼び、日光一短い川である。華厳滝の正面は真東に向いているので、朝日がきらめく滝とも呼ばれた。 華厳滝を流下した流水は大谷川となって、一気に男体山を駆け下る。その途中に方等滝(ほうとうたき)が第一いろは坂から見える。しかし、夏場は木々の葉で見え難い。そのすぐ上に文化財「方等上流砂防堰堤」の勇姿(堤高30m)がある。流出する土砂を食い止めるために昭和27年に完成した。写真-1 湯滝を河床右岸から観る。お不動様に見えると云う白布の滝。写真-2 中禅寺湖に流れ下る竜頭の滝。龍雲滝ともよばれていた区間。写真-3 落差97mの華厳滝。中段から流れ出る伏流水と相まって、独特の景観を造っている。写真-4 第一いろは坂の展望所より方等上流砂防堰堤を望む。その直下に落差20mの方等滝があるのだが・・。
2012年09月13日
コメント(1)
中禅寺湖は、約2万前に男体山の噴火によりできた堰止湖。湖沼面積が11.6km2と国内25番の大きさである。阿寒湖より小さく、印旛沼より大きい湖だ。ただし、日本一標高の高い(EL.1,269m)湖である。 中禅寺湖の北側には男体山が鎮座している。この日本百名山は、湖の南側から眺めるのがよい。半月山やイタリア大使館別荘記念公園が人気のスポット。紅葉時期ともなれば、半月山展望台(EL1,753m)は混雑する。今回小生達は、半月山への途中の展望台(中禅寺湖展望台)で風景を楽しむ。 最大深さ163mの湖にはヒメマスがいる。1906年十和田湖から移植され、中禅寺湖の名物となった。昨今天然マスが激減。湖西側に魚協の養殖場がある。今年の四月に、ヒメマスから基準値を超える放射性物質が検出された。魚の持ち出しを禁止する「キャッチandリリース」を試行している。 男体山最後の噴火は、7,000年とされ活火山である。活火山の定義は、概ね過去1万年以内に噴火した火山。温泉場と活火山は密接な関係にある。日本の活火山数は110火山だという。覚え易い数字だ。富士山の噴火が想定内として、被害予想が検討されている。夏か冬か、それが問題だ・・。写真-1 中禅寺湖展望台からの風景。NHKのテレビカメラを設置されている所。写真-2 湖に浮かぶ小さな島は上野島。雲間に日光白根山を望む。秋の紅葉は絶景。 写真-3 イタリア大使館別荘記念公園の湖岸。大使館別荘本邸と副邸が公開。写真-4 中禅寺湖南岸の風景。社山(しゃざん)と八町出島を眺める。
2012年09月11日
コメント(0)
全72件 (72件中 1-50件目)