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想いでっていいものだ。卒業アルバムを見ながら思い出す。楽しかった想いでより、悲しかった想いでを何となく思い出す。この唄もそうだ。N・S・Pの唄。 夕暮れ時はさびしそう いなかの堤防 夕暮れ時に ぼんやりベンチに 座るのか?散歩するのも いいけれど 寄り添うひとが 欲しいものあの娘がいれば 僕だって 淋しい気持ちにならないさまわりの暗さは 僕たちのため あの娘が来るのを 待っている 夕暮れ時はさびしそう とっても一人じゃ いられない 夕焼け雲さん 伝えてくれよ あの娘のお部屋の 窓際に虫にさされるのは 嫌だけど 肩をならべて いたいよとこんな河原の 夕暮れ時に 呼び出したりしてごめん ごめん笑ってくれよ うふふとね そんなに ふくれちゃ 嫌だよ 夕暮れ時はさびしそう とっても一人じゃ いられない 夕暮れ時はさびしそう とっても一人じゃ いられない お家のひとに 怒られるかな 呼び出したりしてごめん ごめんもうちょっとだけ 一緒にいよう 帰りたいなんて 言わないでそうか 君は笑うのが 下手になっちゃたんだねあんまり僕を 困らせないで そろそろ笑ってくれよこんな河原の 夕暮れ時に 呼び出したりしてごめん ごめん笑ってくれよ うふふとね そんなに ふくれちゃ 嫌だよ 夕暮れ時はさびしそう とっても一人じゃ いられない 夕暮れ時はさびしそう とっても一人じゃ いられない
2007.05.31
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1975年つま恋で拓郎・かぐや姫のコンサートがあった。5万人集まった。拓郎は明け方まで「人間なんて」2時間唄った。24時間のコンサートは終わった。そして2006年、30年ぶりに、つま恋で同窓会を行なった。彼が最後の曲に選んだのは、デビュー当時のこの唄だった。 今日までそして明日から わたしは今日まで生きてみました時にはだれかの力をかりて時にはだれかにしがみついてわたしは今日まで生きてみましたそして今 わたしは思っています明日からもこうして生きて行くだろうと わたしは今日まで生きてみました時にはだれかをあざ笑って時にはだれかにおびやかされてわたしは今日まで生きてみましたそして今 わたし思っています明日からもこうして生きて行くだろうと わたしは今日まで生きてみました時にはだれかにうらぎられて時にはだれかと手をとりあってわたしは今日まで生きてみましたそして今 わたしは思っています明日からもこうして生きて行くだろうと わたしにはわたしの生き方があるそれはおそらく自分というものを知るところから始まるものでしょう けれど それにしたってどこで どう変わってしまうかそうです わからないまま生きてゆく明日からの そんなわたしです わたしは今日まで生きてみましたわたしは今日まで生きてみましたわたしは今日まで生きてみましたわたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています明日からもこうして生きて行くだろうと
2007.05.30
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あ 忘れてた! う~ん? なるほど でも 何が見えるの?
2007.05.29
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負けないでふとした瞬間に 視線がぶつかる幸せのときめき 憶えているでしょうパステルカラーの 季節に恋したあの日ように 輝いている貴方でいてね負けないで もう少し最後まで 走り抜けてどんなに 離れていても心は そばにいるわ追いかけて 遥かな夢を何が起きたって へっちゃらな顔してどうにかなるさと おどけて見せるわ今宵は私と一緒に 踊りましょう今もそんな 貴方が好きよ 忘れないで負けないで ほらそこにゴールは 近づいているどんなに 離れていても心は そばにいるわ感じてね 見つめる瞳負けないで もう少し最後まで 走り抜けてどんなに 離れていても心は そばにいるわ追いかけて 遥かな夢を負けないで もう少しゴールは 近づいているどんなに 離れていても心は そばにいるわ感じてね 見つめる瞳 作詞家坂井泉水さん転落死いくつかの 元気もらった唄のなかいろいろ想いで あるけれどあなたのこの唄 このテープずっとしまって おくからねわたしが 悲しくなったときまた聴かせてね あの唄を姿をあまり 見せなかった貴方のこころ 忘れないから元気づける あなたの言葉忘れないから五月という 想いで多い詩のなかに40と そんな若さの死のなかに泣けて泣けても ありがとう
2007.05.28
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今日の天声人語にこんなとこが書いてあった。初夏の風に吹かれて、週末の東京を自転車で走ってみた。 (中略)戦争が終わると、「青い山脈」の若人が連ねる銀輪は自由な空気を運んできた。骨太な運搬用が消えて、「チャリ」などと軽く呼ばれ出したのはいつからか。歩行者への凶器とも化しつつある様は、他者への優しさを欠く時代を映しているように見える。 青春の詩喫茶店に彼女とふたりで入ってコーヒーを注文することああ それが青春映画館に彼女とふたりで入って彼女の手をにぎることああ それが青春繁華街で前を行くいかした女の娘をひっかけることああ それが青春すてきな女に口もきけないでラブレターを書いたりすることああ それが青春Go Goクラブで汗だくになって踊り疲れることああ それが青春グループサウンズに熱中して大声あげ叫ぶことああ それが青春フォークソングにしびれてしまって反戦歌をうたうことああ それが青春SEXを知りはじめて大人になったと大喜びすることああ それが青春親にかくれて酒・タバコ・睡眠薬はては接着剤シンナー遊びああ それも青春アルバイトばっかりで学校へは行かずてきとうにやることああ それが青春飛行機のっとり革命叫び血と汗にまみれることああ それが青春勉強一筋他には目もくれずわが道を行くことああ それが青春スポーツこそ男の根性づくりだやれサッカーやれ野球一年まっ黒ああ それが青春かっこいいスーツかっこいい車プレイボーイ プレイガールて呼ばれることああ それが青春パチンコ・マージャン・競輪・競馬かけごと専門のギャンブラーああ それが青春一日中を規則通り生きて他に何にもしないことああ それが青春ジュリー・ショーケン・キンチャンああ それが青春孤独になってひとりで悩みひとりで考えることああ それが青春自由気まま思った通り 何でもやってみることああ それが青春さて青春とはいったいなんだろうその答えは人それぞれちがうだろうただひとつこれだけは言えるだろう俺たちは大人より時間が多い大人よりたくさんの時間を持っている大人があと30年生きるなら僕たちはあと50年生きるだろうこの貴重なひとときを僕たちは何かをしないではいられないこの貴重なひとときを僕たちは青春と呼んでもいいだろう青春は二度とは帰ってこない皆さん青春を・・・・・今このひとときも 僕の青春 よしだたくろう
2007.05.28
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僕のフォークソングとの出会いは「岡林信康」の『チューリップのアップリケ』の辺だったと思う。同和問題を扱った社会問題の唄だった。高校一年生の時、遠足というものがあってバスの中で『風』を歌った。その後ギターを覚え、一人歌ってた。高校三年生の時、文化祭で僕は三人で舞台に立っていた。声は一番だったと思うが、サイドボーカルで『山羊にひかれて』なんか歌った。その時現われたのが、僕の友達のK君だった。彼は吉田拓郎の『イメージの詩』を歌った。衝撃的だった。彼は勉強も出来たが、その後猛勉強して大阪大学に入学する。僕との音信は途絶える。25年ぶりの同窓会で彼が大学入学後、精神病で<きちがい>になる話を聞くのであるが、ショックだった。彼はまだ生きているそうだ。僕は医学部への不合格で、浪人、後理学部に入学し、中退する。 イメージの詩これこそはと 信じれるものがこの世にあるだろうか信じるものが あったとしても信じないそぶり悲しい涙を流している人はきれいなものでしょうね涙をこらえて 笑っている人はきれいなものでしょうね男はどうして 女を求めてさまよっているんだろう女はどうして 男を求めて着飾っているんだろういいかげんなやつらと 口をあわせて俺は歩いていたいいいかげんなやつらも 口をあわせて俺と歩くだろうたたかい続ける人の心を誰もがわかってるならたたかい続ける人の心はあんなには 燃えないだろう傷つけあうのが こわかった昔は遠い過去のこと人には人を傷つける力があったんだろう吹きぬける風のような俺の住む世界へ一度はおいでよ荒れ果てた大地にチッポケな花をひとつ咲かせておこう俺もきっと 君のいる太陽のあるところへ行ってみるよそして きっと言うだろう来てみて良かった 君がいるから長い長い坂を登って後ろを見てごらん 誰もいないだろう長い長い坂をおりてうしろを見てごらん皆が上で 手を降るさきどったしぐさがしたかったあんた鏡を見てごらんきどったあんたが映ってるじゃないかあんたは立派な人さ激しい激しい恋をしている俺はいったい誰のもの自分じゃ 言いたいのさ君だけの俺だと 君だけのものだと裏切りの恋の中で俺は一人もがいているはじめから だますつもりでいたのかい僕の恋人よ古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう古い船をいま 動かせるのは古い水夫じゃないだろうなぜなら古い船も 新しい船のように新しい海へ出る古い水夫は知っているのさ新しい海のこわさをいったい俺たちの魂のふるさとってのはどこにあるんだろうか自然に帰れっていうことはどういうことなんだろうか誰かが言ってたぜ俺は人間として 自然に生きているんだと自然に生きてるってわかるなんて何て不自然なんだろう孤独をいつの間にか淋しがりやと かんちがいしてキザなセリフをならべたてるそんな自分を見た悲しい男と 悲しい女のいつものひとりごとそれでもいつかはいつものように 慰めあってる
2007.05.27
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すでに失われてしまって再びとり戻すことのできない時を志向する追想は、明らかに現実離脱の要素をもつ。だがそれは(当為)の方向への離脱ではない。未来の実現さるべき時を志向する(当為)の世界に身をおく者には追想の余裕は乏しい。追想はむしろ(自由)と(あそび)への願望を象徴している。 さすらいびとの子守唄旅に疲れた 若い二人にさすらいびとの子守唄を星は歌うよ 何処へ行くのふるさとのあの丘に もう帰れない 今はもう 帰れないはまゆうの花 匂う浜辺に海を見つめて 泣く二人忘れたいのさ 悪いことをあの歌も あの夢ももう消えていく 今はもう 帰れない涙を流す 若い二人にさすらいびとの子守唄を幼い頃に ささやいたあの海も あの星ももう歌わない 今はもう 歌わない夜が明けたら また旅に出るふるさとのあの丘に もう帰れない今はもう 帰れない 北山修
2007.05.26
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20日、断酒会のレクリエーションがあって、妻とある山を散歩した。これは「展望台」という詩に書いた。今日26日、ある病院(僕が一泊二日で脱走した病院)の「行軍」といって(患者さん、看護士さん、精神科の先生、断酒会入会者、家族)みんなで24キロ歩きました。今日の自分を褒めたいです。さわやかです。会話弾みました。色んな会話しました。みんな元気でした。よかったです。
2007.05.26
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団塊の世代、僕はその少しあとに生れた世代の人間である。でもその人たちが過ぎ去った過去を懐かしんでいる。わけの分からない時代、いろんな事件があった。永山則夫さんの連続殺人事件、安保闘争、東大の学園封鎖、浅間山荘連合赤軍。などなど。僕等、当時の若者は選択を迫らされた時代である。先ほど紹介した北山修さんなんかは、いま思うといい選択をした一人である。北山修さんは書いている。「若者の姿をきめつけたり、まとめたりすることにとても反発を感じる。だから、とりとめのない”若者たち”を書いてみたかった。」またこんなことも書いていた。「移り気であることはすばらしいことなのだ。自分の主義や主張を昔なら『変節』と呼ばれて非難されそうだが、そんなことは気にしなくてよいのである。」 風人はだれも ただ一人 旅に出て人はだれも 故郷を 振り返るちょっぴり寂しくて ふり返ってもそこには ただ風が吹いているだけ人はだれも 人生につまずいて人はだれも 夢やぶれ振り返るちょっぴり寂しくて ふり返ってもそこには ただ風が吹いているだけプラタナスの枯葉まう冬の道にプラタナスの散る音に振り返る帰っておいでよと ふり返ってもそこには ただ風が吹いているだけ 人はだれも 恋をした せつなさに人はだれも たえきれず 振り返る何かを求めて ふり返ってもそこには ただ 風が吹いているだけ振り返らず ただ一人 一歩ずつ振り返らず 泣かないで 歩くんだ
2007.05.26
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知っていても知らないふりをするのが大人なら、私は知らないのに知ったかぶりをしたい。まじめだが非良心的なのが大人なら、私はふまじめだが良心的でありたい。常識を教えるのが大人なら、その常識を私は破りたい。礼儀正しいのが大人なら、私は無礼でありたい。 悲しくてやりきれない胸に沁みる空の輝き今日も遠く眺め涙を流す悲しくて 悲しくてとても やりきれないこのやるせないもやもやを誰かに 告げようか白い雲は流れ流れて今日も夢はもつれ侘しく揺れる悲しくて 悲しくてとても やりきれないこの限りない虚しさの救いはないだろか深い森の緑に抱かれ今日も風の唄にしみじみ嘆く悲しくて 悲しくてとても やりきれないこの燃え滾る苦しさは明日もつづくのか 北山修のエッセイより 最近のテレビで流れてる
2007.05.26
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妻に 雨の日雨の日は悲しい音楽を聴いている僕の傘に落ちる 重く、虚しいメロディー僕は雨の匂いを感じながらあまやどりをするむかしのことを考えながら何処かに行ってしまいたいと思う・・・あの悲しい雨の音は誰かが来るのを待っているでも とつぜん明るいメロディーにのって来る君の白い傘は踊っているそして僕の黒い傘も君と一緒に踊りだす
2007.05.25
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結婚記念日 やはりいつものようにでした 雨僕は雨です君に逢うために降りてきました君に触れることは出来たけれどでも仕方ありません僕は雨です君の傘に落ちたとたんにはじけて水になってしまうただの僕は雨ですでも君のために降ってきました君に僕のやさしさを知ってもらう為にでも僕は雨です
2007.05.25
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結婚20年の今日朝、妻とコーヒーを飲みながらこんな質問をした僕 「きょう何の日?」妻 「なんで?」知っているのに、そんなことを言う。僕 「結婚記念日」妻 「そう~」ほんとうに、お互い恥ずかしいんだ。特に僕の方が。僕 「・・・・」妻 「行って来ます」僕 「はい!僕も散歩に」今日は、たぶん書いてることが「めちゃくちゃ」になると思うが書きます。あの~。僕は結婚した日、6月24日と勘違いしていた時期、最近まであった。ジューン・ブライド(6月の花嫁)という言葉があって、そう思っていた。当然、5月24日が来ても何も思はなかった。こんな詩を書いてた時があった。 生活「洗濯が終わったら何処かドライブでも行こうよ」「うん」こんな朝の会話で始まり 家でゴロゴロ夕方になる子供のいない妻との平凡な生活であるいつの頃からか妻は、僕のこと晋ちゃんと呼ばなくなったゴンとか太郎とかである僕はどう呼ばれても「なに」と答える 結婚して15年この12月で僕も50歳これから何年二人の生活が続くかわからないがもう妻を悲しませる事だけはしたくないこんな詩を書いていて、昨年アルコールからまた今度は精神病院に入院した。 夢僕は最近思う楽しい そして 美しい 悲しいそんな 詩を 妻に読んでもらえる詩を書きたいと思ういつになるか わからないが僕の書いた詩に 妻が絵を描く二人で そんな 本をつくりたいと思う一冊だけでいいこれも精神病院入院前の詩です。まあ~今日はこれくらいで。たぶん今日は、いつもと一緒の一日で今度の日曜日に ドライブでもいくつもりです。
2007.05.24
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5月24日 結婚二十周年を前にして 手昔、僕の手と少女の手は なんともなくつないで仲良く 踊っていた少女の手に触れたいと思ってみたけれど何だか、恥ずかしいと思ったときがあった少女の手をさわって、急に離され淋しく自分の影を踏んでたときもあった少女の手に僕の手を重ねてそのまま別れてしまったときがあった僕の手を無理やり女に触れさそうといろいろ思ってくれた人々がいた僕の手が女にさわってみないままつないだふりをしたときもあったでも僕は彼女の手をとりたいといつしか そんなこと思うときもあった僕の手は彼女の腕をひっぱり彼女の手を無理やり握る彼女の手が僕の手にそっと触れるとき僕は自然に手がのびる僕の左手と彼女の右手がつながったとき僕の右手には傘がさしてあった彼女の手が僕の手を突き放すとき僕は黙って、うつむいたままだった彼女の右手と僕の左手がつながったとき彼女の左手には傘がさしてあったそれから僕は腰に手をあて輪をつくるその輪に彼女はそっと手を入れる 2月24日結婚記念日He loves me He don't,He'll have me, He won't,He would if he could, But he can'tSo he don't.これはマザーグースの恋占いの歌です。あなたを 愛している わたしを 愛してないあの人わたしと 結婚するだろう あの人わたしと 結婚しないだろうできればあの人わたしと 結婚したいだろう でもあの人は わたしと結婚できないだから わたしとは結婚しない 5月24日の複雑な心境
2007.05.23
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お雑煮子供の頃の僕は、正月といえば高松の故郷で迎えることが多かった讃岐のお雑煮は、あんこの入った餅が特徴である白味噌があんこで茶色になるこれがまた美味しい岡山の故郷では、すましに白餅が入った、何ら変哲のないものだ父が母に讃岐のお雑煮を作ってもらって「こんなもん 食えるか!」と怒ったそうだこんな光景、想像してたら可笑しいやらなぜか 涙が出てきた 母から聞いた父の話僕を養子にもらった時僕を抱いて「わしにも、こんな幸せがあったんか」と云ったそうだ僕が高校三年生の時父の好きな大島紬を着せ見せて「晋二も大きくなったものだ」と涙を流したそうだその三年後 父は死んだ
2007.05.22
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言い忘れてあの ちょっと言い忘れたことがあったんだ大事なことだったんだそれがなんだったか思い出せなくて大切なことだったけれど言えなくてただ 「またね」それだけしか言えなかった本当は本当のこと言いたかったんだけど言い忘れてしまったんだ
2007.05.21
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展望台緩やかな遊歩道を登って一つ目の展望台で休憩する見える景色は色とりどりの霞んだ街曲がりくねった遊歩道を登って二つ目の展望台で休憩する見える景色は緑色の眩しい山少し急な遊歩道を登って三つ目の展望台で休憩する見える景色は灰色のくすんだ海休憩所で四つ目の展望台から降りてきた若者に「あとどれくらい!」「どうだった!」と聞く僕は四つ目の展望台に行かず、降りるいくじなしの 知ったかぶりの僕右肩下がりの遊歩道を降って一つ目の展望台で休憩する見える景色は元気に登っていく人々
2007.05.20
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つつじ(その1)僕の散歩している緑道には赤いつつじが咲いているまだ つぼみもあるので当分 楽しめそうだ散歩っていいものだすれちがう老人夫婦背筋を伸ばしてまだまだ 若い若い乳母車を押しているおじいさんにこにこよっぽど孫が可愛いんだろう公園のベンチに腰を掛けすべり台で子供を遊ばせる若夫婦そっと 寄り添っている僕も緑道のベンチに腰を下ろして煙草に火をつける木製のベンチには落書きがまぁ 誰かが名前を書いているどうでもいいんだが いつ書いたんだろう?うん~そろそろ 帰ろうか緑道の入り口には「ごみ、犬の糞のあとしまつをしましよう」の看板ああ~僕の煙草の火 ちゃんと消したかなでまた 散歩 つつじ(その2)日当たりの良いところのつつじはやはり よく咲いている日当たりの悪いところのつつじはまだ 咲いていない若いつつじは元気がいい古いつつじは元気がない当たり前のことでその当たり前を忘れている近くにある小さな幸せを忘れているように父の誕生日さえ忘れていた霧島はもう終わっている五月ももう終わっている久留米つつじは交雑の花であるがもう終わっているいま咲いているつつじの本当の名前は僕は知らない
2007.05.19
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昨日の断酒例会(僕の精神病院)での話しです。僕は一番に体験談を語りました。その数分後、一人の男(幹部)に連れられてきた男がいました。その男(66歳)は八ヶ月、和歌山の断酒道場で暮らして帰ってきた男です。僕の仲間(断酒道場出身者)と来週から三人で例会回りをする予定の男です。その男は体験談で「わたしは・・・・です。二日前、和歌山の道場から帰ってきました。実は昨日、一杯の酒を飲みました。あの八ヶ月は何だったんでしょう。」こんな体験談でした。酒って本当に恐ろしいんです。一杯の酒。僕は思いました。(僕はまだ三ヶ月の新人です。)「おっさんよぉ 一杯の酒飲むんだったらよぉ なんで一杯で止めるんだ。中途半端な飲み方するんじゃねえよぉ あの八ヶ月は、一杯の酒を飲むための八ヶ月だったんだよ。まあぁ 飲むんだったら徹底的に飲みなよ。」実はその男に僕は握手を求めたわけですが。この思いは嘘のような、本当のような複雑な気持ちですが。まあぁ たぶん 来週から三人で例会回りです。まあぁ 楽しく、真剣に例会回りします。
2007.05.19
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少女と女と女性と僕の鏡のなかに 僕の顔以外に三人の 少女と女と女性がいます少女は いつも不安な目で一杯でいます女は いつも化粧をしています女性は いつも美しい顔をしています鏡のなかで 三人はおっかけごっこをしています僕はといえば何だか 分からないがなぜか幼い少女を応援しています 少年と男と男性と僕の鏡のなかに 僕の顔に三人の 少年と男と男性がいます少年は いつも悪ふざけばかりしています男は いつも嘘ばかりいっています男性は いつも女性を愛していました鏡のなかで三人は おっかけごっこをしています僕はといえば何だか 分からないがなぜか美しい男性を応援しています
2007.05.18
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白い夢森のなかで誰かが来るのを待っていると僕は何だか 眠くなってきます木漏れ日の射す光の湖で風もなく湖は張りつめていますそっと僕は小石を投げてみます小さな波紋を見ていると僕は魚になって湖のなかに沈んでいきます誰かが来るまで誰かの足音が聴こえるまで魚の僕の心は揺れつづけていますふと誰かの足音で僕は眼を醒ましますそして僕は泳げない少年になってその人の大きな手に救われるんです
2007.05.17
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あなたの中に100人の他人がいる40人は不思議な踊りをおどってる人達です31人はどう訳かハードボイルド風味な人達です19人は困った時には僕の顔をお食べ!な人達です6人は全部面倒か・・・とアンニュイな人達です2人はよくわからないが、感動した!の人達です1人はどうでもいいや、と投げ出す人達です1人は真面目すぎが欠点だと信じる人達ですやってみると、最後の二つ、当たっているような感じ。
2007.05.17
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一度消えた猪又新進というニックネームのとき、僕は妻に関する詩が多かったと思う。消してしまったから、正確なことは言えないが、とにかく妻の詩が多かった気がする。僕は今回のブログで、三つの街頭詩集から少女との恋というものの詩を何編か書いています。それぞれ違う少女への恋の詩である。三つの詩集では順序がちぐはぐなので、順序立てて少し思い出してみます。「まあとりあえず ちょっと」で書いた『Rからの手紙』、これが始めての片思いの恋で、この少女は岡山の同じ高校生でした。その後同窓会で逢った時、一言も喋れなかった。「もぐらの詩」に出てくる少女、僕が広島に行ってコンパで知り合った佐賀からきた看護学生との恋の詩である。(ある日突然 トワエ・モワ?なんかの唄が流れていた)次に『手紙が来た』に出てくる少女、尾道から来た同じ大学に通う少女である。短かった恋である。(井上陽水の傘がないという唄が流れていた)(二十二歳の別れ かぐや姫の唄なんか流行っていた)『あしたてんきになあれ』は「もぐらの詩」を書いた後、何かリクエストにお応えして書いた詩です。鳥取から来てもうすでに会社勤めをしている少女でした。この詩は”僕ら”という形で書かれています。(アリスとか松山千春なんかが出てきたときかな)また、何故か母という女性はどの詩集にも出てきています。話は現在になるが、妻とは5月24日で結婚20年になります。妻とは見合い結婚だったので、何か恋という感情があまりなかった気がします。また思い出しながら書いてみます。そうそう「僕の子供みたいな少女に」これは、妻には<ごめん>だけど少し浮気ぽい気持ちの詩です。特に『元気ですか』なんか50歳を超えて書いた詩ですが、やはり恋の詩かな。
2007.05.16
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アル中に なってよかったと 思う日々 酒は飲むまい ただ ただ 思う あの頃の 自分は過去の 自分です 妻のこころの傷 いまも なお残る 回復へ 向う僕には 何がある ただただ 過去への 反省のみか あるがまま いきる私は 誰のため 妻の 母への そんな ものかも でも違う へんな 言い訳 する僕が こうして ここに いる意味の わけ 断酒会 毎日通う 変な僕 ただただ 体験語る 嫌な僕がいるアルコール依存症の人口、250万人といわれています。全断連の会員数は12000人、医療関係では5000人といわれています。僕は今、その5000人の一人です。統合失調症患者も増える一方です。変な世の中です。「心の病気」難しい病気です。人ごとではないような気がします。
2007.05.14
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どうも ご無沙汰しています う~ん ゆっくり また どうも
2007.05.14
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(8)僕はいま僕と共に動いている部屋の中にいるそしてあなたに対する十の疑問文をもって出かけよう一つ あなたは「ひとりで影ふみ遊び」をして 影がなくなっていくことを知っていますか?二つ あなたは「みんなで指きりげんまん」をして 針千本飲まされたことがありますか?三つ あなたは「みんなで花いちもんめ」をして 美代ちゃんが欲しいと言ったことがありますか?四つ あなたは「よせてくださいかくれんぼ」で 鬼になってみたことがありますか?五つ あなたは「いれてくださいままごと遊び」で 味噌汁をつくったことがありますか?六つ あなたは「むかしむかし あるところ」に おじいさんとおばあさんがいなかったことを信じますか?七つ あなたは「泣いてかえった帰り道」に 赤トンボが飛んでいたのを見た事がありますか?八つ あなたは「やりたくないのに誘われて」 時の流れを忘れたことがありますか?九つ あなたは「このままひとりでいたいのに」と言って 窓からそっと道行く人に声をかけてみたことがありますか?十 あなたは「とうとう道草くっちゃった」と 後をふり返って何もなかったことを知っていますか? あとがき僕はこの詩で終りにします。僕は一連の詩で「僕は」と一人称で書いてきた。「僕等」と書きたいところもあったが、「僕は」と書いてきた。僕はやっぱり一つの部屋の中にいるような気がします。そして「僕は」と言うことによって、自由な部屋の中で、僕の生き方を僕自身によって、選択しなければいけない。自己選択というのはいつも不安とか苦悩とかが、僕と一緒に居る訳です。僕はこの不安とか苦悩を払いのける為に、「易」とか「神」に自分自身を委ねる。そんな自分は欺瞞的であると思う。僕は一つの部屋の中で自分勝手に生きるというのでなければ、僕の想像力も既存の道徳みたいなものに、吸い込まれてしまうような気がします。そして僕は「おはよう」というコミュニケーションによる、明日への『出会い』が必要な気がします。僕の詩が「おやすみ」という形で終わっていたら、僕は夜の蒲団の中で死んでいこうということです。もぐらは出てきているのである。
2007.05.12
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もぐらの詩 始発電車に乗り遅れ 最終電車を待っている最終電車は一メートル前に見えているのに何か 不安だそういった薄暗い瞬間の中で僕は生きる 刹那主義が必要だもう夕焼けの街は 朝焼けの街に変わっている <色即是空 空即是色>僕はこの言葉を「蛇のごとく聡く 鳩のごとく素直に」語ることができるであろうか「蛇のごとく聡く 鳩のごとく素直に」僕は羊になることができるであろうか (1)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそして壁を見ながら三年前のノートを思い出している ―ある情景の中で―闇の中静かであった星一つ見えなかった街灯が薄暗い光で廻りのものを不気味に照らす闇の中に自分は吸い込まれていく闇が自分を除々に消散していく外が少し明るくなった朝焼け始めてみる朝焼け空が赤紫色になって とても美しかったその美しさも消えていった鳥のさえずりが聴こえるさえずりは僕を慰安してくれる外が明るくなった牛乳配達の自転車の音がする家から人が出てくる「おはよう」と人はいう台所で作る味噌汁の匂いがする人は忙しそうに動き出した車の音が聴こえてくる何物かに追い立てられている自分だけが取り残されているような気がする自分は二階の窓から眺めている空はどんよりとしている雨が降りそうだ煙草に火をつける煙草をふかす煙草は灰色の煙と共に短くなっていく この日の午後は雨だった ”アメ アメ フレ フレ カアサンガ ジャノメデ オムカエ カナシイナ ピチピチ チャプチャプ ラン ラン ラン ” (2)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそして煙草をふかしている自分を鏡の中に見ている 『青空に消えゆく煙 さびしくも消えゆく煙 われにし似るか』 と鏡の中の啄木煙草をふかしている自分を僕は鏡に模写してみる パチンコをしながら僕は こんなポーズで煙草をふかしているのかな 女の子と話しながら僕は こんなポーズで煙草をふかしているのかな 酒を飲みながら僕は こんなポーズで煙草をふかしているのかな 映画を観ながら僕は こんなポーズで煙草をふかしているのかな僕はそっとアラン・ドロンの吸い方を模写してみた(すると僕は蒸気機関車になる) シュッ シュ ポッポ シュッ シュ ポッポ <僕は蒸気機関車だ>僕は煙と共に何処かに行けるんだ シュッ シュ ポッポ シュュ シュ ポッポ「そういえば 僕の父さん煙草が非常に好きで 死ぬ前まで ゴールデン・バット プカプカふかしていたよね 父さんが死んでから 母さん墓の前にセブンスター立てていたよね」 シュッ シュ ポッポ シュッ シュ ポッポ <僕は蒸気機関車だ>僕は煙と共に何処かに行けるんだ僕の行くところは何処だ 線香の煙とセブンスターの煙が交錯するところだ 鏡の内の煙と鏡の外の煙の交錯するところだ (3)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそして ジャガイモの皮をむきながら飯を炊く ―僕のために味噌汁を作ってくれる少女―僕が半開きにされた窓際でカレーライスを作っているときあなたは「わたしが作ってあげるわ」なんて言ってくれるだろうか?僕は「でも僕のほうが上手だから僕が作るよ」なんて言うだろういつかあなたが「わたし、いま胸を病んでいるんです。 わたしもう肺病で死んでしまうかもしれないわ。 ごはん全然食べられないの。 もう死んでもいいわ」と竹久夢二の画集を見ながら、言ったとき僕は「夢二の描く女って、みんな悲しいそうな顔しているだろう。 そしてみんな夢見ているみたいだろう。 でもこの画の女の人の手とか足とかみてごらん。 大きいだろう。 この大きな足で大地にしっかりとへばりつくんだよ。 この大きな手で誰かにしっかりと頼るんだよ。」って言ってあげたんだ。でもあなたが胸を病んでた男僕じゃなかったんだね。僕よりも背が十センチほど高くて、僕より少し顔がよくてだから あなたはその人に頼ればいいんだよ。<ひとつの別離がひとつの邂逅と背中合わせにあるものなら 僕は別離も邂逅も欲しいとは思わない>僕はあなたに愛を告げるのに一万語ぐらいの言葉が必要だと思っていたけどあなたは「愛してる」っていう言葉の麻薬が必要だったんだね 僕の恋の値段は百円です 百円で僕はチューリップの花でも買ってあげます (4)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそして今夜も眠れそうにないなとつぶやいている 《早く寝付く秘法》神経衰弱其の他逆上にて、眠れぬ時は時計のセコントを数え或は静かに数を数えれば、自然に寝るものだが最も妙法は目を天上の一点にそそぎ節穴でも同一の所を眺めて居れば眼は疲れ脳は貧血して間もなく眠を得る(高島易断) 僕は時計のセコントを数える カチコチ カチコチ 眠れない 僕は星の数を数える 一つ 二つ 三つ・・・・ 二十二 僕の年齢 二百七十六 僕の故郷の家の番地いま見ている星の光はやはり いま見ている光であるしかしその光が二十億光年のものであったら僕は妙に悲しくなるそして 僕と同じように母もその光を見ているのかなと思ったら僕は居ても立ってもいられない気がする僕は星の数を数えるのをやめる僕は部屋の窓から見える、部屋の灯の数を数える ひとつ ひとりで影ふみ遊び ふたつ ふたりでむびきりげんまん みっつ みんなで花いちもんめ よせてください かくれんぼ いれてください ままごと遊び むかしむかし あるところ ないてかえった 帰り道 やりたくないのに さそわれて このまま ひとりでいたいのに とうとう みちくさ くっちゃた窓という額縁の中で時計のカチコチという音を数えながら天上にある節穴を見る節穴はいろんなふうに見えるその穴から僕は何処かに行けるのではないか?それが、たとえば母の性器だ「母の性器を通って、何処に行くの?」僕は街頭易者に尋ねた「方位は南」易者は言った方向音痴の僕にとって南は、どっちだ僕は知らないでも僕は自分の信じる南へ行くそれが北であってもいいと思う明日目醒めたら 僕はこの部屋にいないかもしれない僕は寝入りこむという瞬間が分かるような気がして眠った (5)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそしてパチンコ屋に入ろうとしている僕が駅前のパチンコ屋に入ると満員で、僕の打つ台は一台もありませんでした。だれも打ってない台といえば、それは火の中にあって、熱くて熱くて近づけませんでした。それから、不思議なんです。打っている人の足下が堀炬燵のようになっていて、わずかに火があるんです。 人は喜んでいない 人は怒っていない 人は哀れんでいない 人は楽しんでいない人はただ機械に向ってニヤニヤしているだけだったんです。だから僕も、何となくニヤニヤして便所にいきました。中には扉があって、開けると地下室なっていて、僕は階段を降りていったんです。そこにはひとつの部屋があって、たくさんの画が掛けてありました。ブリューゲルの「大きな魚は小さな魚を食う」っていうのかな。それがありました。ひとりの人間が一番おおきな魚の腹をジャックナイフで切り裂いているんです。僕は気味が悪くなって、急いで階段を上って行きました。僕が出たのは小さな船の上でした。その船はもう海のうえを走っていました。この船が何処に行っているのか、僕は知らないんです。そんな事、問題ないかもしれません。僕は船尾に、爪先で立っていたんです。人は僕のために場所を空けてくれる様子は、全然なく、ただ黙って座っているんです。 人は喜んでいない 人は怒っていない 人は哀れんでいない 人は楽しんでいない僕はふらふらしていました。結局、僕は海に落っこちてしまったんです。僕はその時、咄嗟に一人の男道ずれにしていたんです。 ああ 溺れる ああ 溺れる僕とその男がいたのは、電車通りでした。電車はものすごいスピードで、僕とその男の前を通り過ぎていきました。何台も何台も、次から次から来るんです。もう危なくて、危なくて、仕方ありませんでした。一台の電車の車掌がドアーを開いて「はやく乗れよ」と言っていました。目の前をものすごい祖スピードで通り過ぎていったものだから、僕は乗れませんでした。その男はもういなかったんです。ここで僕は夢から目が醒めたんです。僕のそばにびっこの野良犬がいるような気がして、僕は窓を開けたんです。 (6)僕はやはり僕と共にいる部屋の真中にいるそして朝の太陽を見ながら欠伸をしている 昨日は何もなかった 一昨日も何もなかった その前も何もなかった そして今日は相も変わらぬ日曜日である<朝はいろんな音がする> 牛乳配達の自転車の音 隣りのアパートの窓を開ける音 味噌汁をつくる為の食器の音 マラソンをしている子供の靴の音 これから寝る男の蒲団を敷く音 おはよう 僕は 力一杯に言う故郷で味噌汁を作る母さん おはよう彼とブラックコーヒーを飲んでいる少女 おはよう雨の降る日逃げていった文鳥 おはよう僕の書いた父の似顔絵 おはよう おはよう おはよう おはよう (7)僕はいま僕と共に動いている部屋の真中にいるそして<おはよう>と言いながら出てくる「もぐら」について思う 僕はじっと部屋にいたい 誰からも見られずに そして誰かを見ていたい 隙間風の吹き込んでくる穴から 僕は 桜の花が咲くのを そして 散るのを 見ていたい(万物流転の中ですべてが解決される) そんな気さえする 本当にそうなのか? 僕は分からない 朝の太陽がまぶしくて、サングラスをかける自分 そんな自分とは何だ? 僕はじっと部屋にいたい 誰からも見られずに そして誰かを見ていたい と思う自分とは何だ? 僕は僕が 死刑囚で死刑執行人である 他に何があるのだろう 僕はやはり僕だもぐらが出てくる もぐらが出てくるこれは啓蟄のためではないサングラスをかけてあ朝の太陽を両眼でしっかり見ているもぐらが出てくる もぐらが出てくる おはようと言いながら 誰かに話かけている おはよう (8)
2007.05.11
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久しぶりに故郷の島に帰った先祖の墓参りをした春分の日以来だ家にはアイリスの花がと思ったがまだだった霧島ツツジは終わっていた海はいい 青くて風はいい 爽やかで空もいい 霞んでいたが今日はとてもいい天気父は五月に生れた僕も五月に再び生まれよう「われに五月を」五月の季節のなかをひたすら生きよう島を訪れる始めての人に僕のむかし話をしながら島を道案内しようそして「お茶でも!」と言って一服しながら僕の暮らした家を見せよう
2007.05.09
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まあとりあえずあしたのジョーも読みました吾輩は猫であるも読みました死んでしまったジョーを捜しました忘れられた女を捜しましたさよならという名の猫を捜しましたでも なかなか見つかりません何かが 僕のこころを消しゴムで消してくれましたまあとりあえず夜が明けたら一番の汽車にのるからそう知らない海を捜しにいきますそう壊れやすい自分を捜しにいきますただ時にまかせてまあとりあえず忘れかけていた言葉でグッド・バイたぶんこのブログともロング・グッド・バイショート・グッド・バイ街の落書きを読むほうがいいんです 目の見えない ネズミ三匹Three blind mice,see how they run!They all ran after the farmer's wife,Who cut off their tails with a carving knife,Did you ever see such a thing in your life,As three blind mice?これはマザーグース、イギリスの童謡?です。目の見えない ネズミ三匹見てごらん 走るよ走る包丁でしっぽ ちょんぎった農家のカミさん おっかける見たことあるかい こんなことこんな ネズミ三匹なぜ いまさらマザーグースなど、ちょうどあしたのジョーを読みながらマザーグースも読んでいた。残酷な、不気味な詩である。でも画は、目の見えない三匹のしっぽを切られたネズミも描かれているが、しっぽのある大きな目の見えないネズミが、おかみさんを追っかけているんです。何かあほらしいというか、恐ろしいというか、変な感じの画です。話はかわるが、いまロンググッドバイをショートグッドバイに書き換えた。僕は本音、5月3日でこのブログやめて消えようと思っていた。でも、気づいた人もいるかもしれないが、「私のブログ」から「嘘つきの僕」に変えています。本当に嘘つきなんです。僕はこのブログで、中学生、高校生、専門学生など若い少年、少女の書いている内容が好きです。なんか、弱いんだが、美しい本当のこと(真実)書いています。僕の忘れかけていた感情というもの、教えてくれます。 春雨空が急に暗くなって雨がぽつりぽつり僕は雨をみつめ笑い出し君はなんだか不思議そうな顔なんでもないんだよ僕は手を雨に出しそうなんにもないんだよ Rからの手紙ごめんなさい急にこんな手紙なんか書いたりなんかしてでも私 あなたにこれだけは言いたかったの早いものねあなたとお別れして三年がたったわお元気 お父さん お母さんあなたとお別れしたの あそこのバス停だったわ私いまそのバス停から近くの村の診療所にいっているの毎日すごく疲れるのあの日のこと憶えてるあの時 さよなら言ったの私のほうからだったわあなたは広島にいっても手紙だけは書くからねと言ったわでも私「いいわ」と言ったわ私恐ろしかったのそれに私少し強がっていたんだわあの時 私あなたに尋ねたは「あのラブレターの気持ち本当」ってそしたら あなたうつむいて「冗談だったんだよ」って言ったわあなたがうそ言ってたの分かっていたわあなたは淋しそうだったわ私本当に強がりばかり言ってたわあなたにラブレターもらってとても嬉しかったわでも私あなたの愛を拒んだわ「私はまだ男のひとの愛なんか考えられません。女である前に一人の人間として生きたいんです。」なんて返事書いたわそれから私たち同じ街にいながら文通だけで一年間つきあったのねあなたの手紙84通もあったわ今日はその84通のあなたの手紙燃やそうと思うの今日は花火大会があるのそれが終わったら燃やすわごめんなさい私もうすぐ結婚するのこの前お見合いしたの そして決めたのきっといい奥さんになって見せるわ結婚のことだけはあなたに言いたかったのごめんなさいね こんな事書いてでは お元気で さようならそうそう 私 最近よく夢二美術館にいくのよあのバス停の二階にあるでしょう 昭和50年頃のノートから 海の波の音が聴こえる遠い海の彼方に 小さく青い島が浮ぶ私はいつも島を眺めこの浜辺で夢をみる遠い海の彼方に小さい白い舟が浮ぶ私はじっと舟を眺めこの浜辺で夢をみるあの白い舟にきっと幸せつんでいるんだろう世界の国を回る幸せ僕にもくれるんだこんな唄を聴きながらゆっくり旅に出よう 生きる人生の問題に正解はないその答えを求めるこれ自体に意味がある求めて何が分かるの?分からないから面白いんでしょうただ人生の解答は死ぬことなのである「死の壁」を思い出しながら僕は夜があけたら 一番の汽車にのるからと書いたでも これも どうだか分からない死んでいる自分は自分では分からないんです ・ ・ ・ ・ ・ あんな君が好きだ太宰治の「ヴィヨンの妻」の大谷さんの奥さんが好きだ太宰治の「女生徒」の目覚めの辛い少女が好きだ太宰治の「斜陽」の恋の革命を起こす、かず子さんが好きだ太宰治の「人間失格」の無垢の信頼心をもった、ヨシちゃんが好きだ
2007.05.03
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”みーこ”僕の郷で飼ってた猫は”みーこ”という名の猫だったとっても小さな、目の可愛い三毛猫だった僕と母が買い物に行く時、ついてくる猫だった魚売りのおばさんが来る時間を知っている猫だった下半身不随の父の蒲団の中で寝る猫だった父が寝るのを催促する猫だった父が死んだ日、寝床を捜す猫だったみゃーぁ みゃーぁ不思議がる猫だった家の見えない裏で死んでいた猫だった
2007.05.02
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吾輩はねこである。名前はまだ無い。どこで生れたのか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。「猫」は主人公苦沙弥を中心に、この書斎に集まる美学者、哲人、生徒である物理学者などを、日本の社会に対して批評を笑いの形で書かれた小説である。あの時期、自然主義派の小説が、他よりも自己を批判し、社会から逃亡する形で書かれていたが、漱石は世間を笑っているようであるが、実は世間を痛烈に批判しているのである。主人公が胃病で死んで、こんなことを書いている。この小説の最後のほうのに、「猫」を書いているところがある。ビールを飲む件である。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつか死ぬかしれぬ命だ。何でも命のあるうちにして置く事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでも追付かない。・・・この問題をビールで解決してやろう。・・・・まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。その後、猫は大きな甕に落ちるのである。・・・・その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願いである。・・・・出られないと分かり切っているものを出ようとするのは無理だ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹っているのは馬鹿気ている。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。有難い。有難い。僕は、落ち込んでしまった時、夏目漱石さんの『こころ』をよく読む。この小説、読んだら、何故か、元気になるんです。
2007.05.02
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イギリスの「マザー・グース」の世界のなかで<村の広場のグリーン>というものがある。ここは、村の生活の中心ともなるべき広場です。この村のグリーンでは年中行事も行なわれます。春は五月祭です。<メーデー>といって、五月一日に春の到来を祝うのです。この村で最も美しい女性(五月の女王)が選ばれ、花の王冠を載せられてもらえることになるのです。 私はクイーンなのよ 緑の牧草地から来たところ ちょっと待っててね いま踊って見せますから今日の朝日新聞の「天声人語」に『魚の定義』というジョークについて書いてあった。僕の二十歳の時、興味があった画家「ブリューゲル」を想い出した。十六世紀のネーデルランド?生まれの(百姓出身の画家)である。人間の心理を観察した画家である。十六世紀、ネーデルランドは、斬首・生き埋め・火刑など異端者の処刑「暗黒の時代」だった。彼の初期の作品「大きな魚は小さい魚を食う」という画がある。題のとおり、大きな魚は小さい魚を食べるのである。が人間はその大きな魚の腹を切り裂いている画である。社会の底辺によどむ道徳悪に対する批判の作品である。ブリューゲルの作品は、ネーデルランドの現実の世界に見られる、臆病・怠情・無気力・傲慢・粗暴など不道徳の世界を表現した。「盲目の寓話」という作品がある。盲人による道案内の愚かさを扱う作品である。単に盲人たちではなく人間の盲目性をつく、異端の指導者に惑わされる「無知な民衆」を描いた作品である。これは、マタイ伝のキリストの比喩からとった作品であるが、『彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きすれば、二人とも穴に落ちこむだろう。』ブリューゲルは、このキリストの言葉に人間性の「過ち」やそれに気が付かない「愚かな人間」への警告を読み取ろうとしたのだろう。この画の六人の盲人は教会を素通りしていくのである。『なんじ、自分らを知れ』と画を見る者たちに呼びかけているのである。
2007.05.01
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なにがなんだか わからないとき空を隠した雲はどんな色?どこがどこだか わからないとき野に咲く花はきれい?だれがだれだか わからないとき海から吹く風はどんなにおい?
2007.04.30
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僕は思う(あのとき、なんで飲んでしまったか、分からない)(なぜ、それまでして、飲み続けたのか、分からない)妻は言う「あのとき、飲んだあなたの気持ち分からないように・・・」「あのときの私の気持ちなんか、あなたに分かるわけないわ」僕は思う(妻の本当の気持ちなんか、分かるはずないと)(分かったふりをしているだけなんだと)妻は言う「あなた、自分ではこれが自分の考えだと、分かったような言い方してるけど」「そんな話、みっともないわ」僕は思う(黙っていたほうが、いいのか?)(沈黙が僕の友達かと?)妻は言う「また、黙秘権?」「そんな権利、あなたにあるの?」僕は思う(妻とドライブが出来たこと、よかったと)妻は言う「あなたの友達の体験談、涙が出たと」
2007.04.30
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明日、和歌山断酒道場へ妻とドライブに行って来ます。創立38年記念集会です。断酒道場はどうしても断酒できない人の刑務所です。海を見ながら、行って来ます。白崎海岸はどんな海だろう。道場の教え「反省」とはどういうことだろう。まあ~安全運転で行って来ます。
2007.04.28
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真っ白に燃えつきたホセ・メンドーサへの挑戦前に、東洋王者挑戦。韓国の金龍飛との戦いについて今回は書いて見ます。金龍飛は108戦負け無しである。バンタム級だ。ジョーは若い成長段階で、当然体重も増える。でも死んだ力石が体重を落としたバンタム級にこだわりつづける。力石が入った地下室に入ったが失敗する。下剤を飲んだり、高温サウナにも入った。最後は血液を抜いてなんとか減量に成功する。計量を終えて、レストランで食事をしているとき、金龍飛と出くわした。その時、金から金龍飛の過去を聞いてしまった。(金は5歳のとき、朝鮮戦争で母を失い、何日も食べずに野山をさまよう。ある日食料を腰にぶら下げて死んでいる兵士と出くわす。この兵士の食料を取ろうとしたが、兵士は生きていた。食料を食べたい一心で石でこの兵士を殺し食料を食べた。この日の夕方自分が殺した兵士は実は自分の父であったと知るのである。昼食べた食料を全部吐き出し、その後胃が食べ物を受け付けなくなり、毎日ビスケット数枚の生活が続くのである。)この想像もできない話を聞いたジョーは勝つことは出来ないと思った。劣等感である。当然、試合は金の一方的な戦いになった。何度も何度もダウンした。必死に抵抗した。ジョーはダウンしながら思った。金を許せないという気持ちである。金は「地獄」を自分の誇りとして語ったのである。力石は「地獄」のなかに自分を自ら入り、それに耐えた。変な友情を守って死んでいったのである。そんな力石のためにも「地獄を誇り」にする金などに負けるわけにはいけなかったのである。金の攻撃に耐えて、ジョーは勝つのである。東洋王座になったのである。僕もたとえば、断酒会でも、ものすごい悲惨な酒飲みの体験談を聞く。こんな話は僕には出来ないと思う。(家族に暴力をふるった話、職を失いルンペン生活をし墓場の酒を飲む話、などなど)たくさんの体験談聞く。もう嫌だ、もう嫌だと思う。でも、その体験談のなかに、その時の他人の「心の本当の病気」を自分が与えているのに気が付いていないことを。僕が与えた妻の「心の病気」、これは忘れてはいけないことである。
2007.04.28
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久しぶりに母に電話をした。「もしもし」「もしもし」「・・・か。なにかあったん」「べつに」母はいつも僕の電話にびっくりする。また、病気になったのかと思って。母はこの前、緑内障の手術をした。もうそろそろ眼帯も取れている頃だろうと思って電話をした。「・・・元気か。どうしとん」「仕事さがしに行ったり、断酒会に行ったり」母は耳も少し遠くなって、僕の話は分かりにくそうだ。「元気だから、心配しないで」母は電話で言う「目が見えるようになって、皺がふえたよ」「先生に相談したら、そりゃ年をとればだれでも・・・」「そう言われたけど、鏡でみたらふえたなあ」「でも、本も読めるようになったし・・・」「5月になったら友達と広島にチューリップみにいくつもりなんだ」「まあ元気なうちにな」「・・・ちゃん元気」「心配かけちゃいけんよ」「うん」「また電話するから」「・・・元気でな」「うん」こんな電話だけど、いつも思うもっと長く話が出来ればと。
2007.04.27
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ジョーは東光特等少年院に護送される。ここでも暴行事件を起こし孤独房に入れられる。ここで、段平から送られてきた「あしたのための1」という葉書に出会うのである。今日は漫画の物語は書かない。私自身を少し書いてみます。僕は昨年7月頃、独りで断酒生活をしていた。断酒して2年近くなっていた。すごく暑い一日だった。一杯ぐらいと思い、缶ビールを飲む。この一杯がいけなかった。次の日、二杯になっていた。この日からまたアルコール漬けの生活が始まる。8月末仕事も辞めることになった。でもアルコール漬けの生活は隠れながら続くのである。見かねた僕の妻は、僕を心療内科に連れて行った。そこである精神病院の入院を勧められた。その病院に入院するのである。でも僕は朝から酒を飲んでいた。当然、酒の臭いがするので、僕は鉄格子の部屋に入れられる。意味など分かるわけない。一泊して一般の個室病棟に移されるのであるが、僕は散歩のつもりで外に出た、ちょうどコンビニがあって「酒」の文字が目に入る。小銭もっていた僕はまた一杯の酒を飲んでしまった。もう帰れない。結局、その病院を脱走するのである。(このときの僕の心境、特に重要な妻の心境・行動、書けばいいのだが、お涙頂戴と浪花節になるので書かない)数日してまた心療内科に相談に行く。またある精神病院の紹介状を書いてもらう。この精神病院は酒を飲んできたら、入院を拒否する病院である。たまたま土・日曜日、妻は休日だったので僕を監視してくれた。そして11月13日(月)入院するのである。開放病棟であった。ジョーがしたように、何もすることのない僕はアルコールに関する本ばかり読んだ。主治医の先生に借りて。(普通、アルコール患者を専門で治療する病院にはプログラムがある。この病院にはプログラムがない。院内の断酒例会ぐらいである。)たまには僕の好きな太宰治も読んだ。人間って不思議なもので、たとえば学校なんかで授業を受ける。教えられることが「あたりまえ」になって「教えてください」と質問をする。教えられて「分かった」と理解する。実は本当は分かってないんです。自分で「調べてみる」ということを忘れているんです。1月30日に退院して、断酒会に行っています。でも本の知識よりも実際の体験談の方がいい。ものすごい体験談を話す人もいます。僕は断酒して「なぜ断酒なのか」という疑問にぶち当たる。これは突き詰めれば「なぜ生きているのか」という疑問と一緒なんです。で考えるんです。考えても僕は哲学者でもないし、科学者でもない。答えなど出てくるはずはない。正解がないからです。正解がないから面白いんです。まあとりあえず、断酒会のときだけ考えています。一日中考えていたら、人間、病気になります。そんな機会をくれるのが断酒会です。他人の体験を聞きながら、また色々なこと考える。まあそれでいいと思います。今回は「あしたのジョー」について、書けませんでした。でもジョーの漫画の顔は下向いてなかった、上を向いていた。前を見ていた。
2007.04.27
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いなくなるわたしたちはいつかいなくなるのはらでつんだはなをうしろでにかくしおとうさんにはきこえないふえのねにさそわれてわたしたちはいつのまにかいなくなるそらからもらったほほえみにかがやきおかあさんにはみえないほしにみちびかれて 谷川俊太郎 『子どもの肖像』 1993年より本当はここの場所は自分の詩をのせる場所です。いま僕は詩が書けません。人の詩を書く場所ではないでしようが。
2007.04.26
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昭和45年3月24日「力石徹の葬儀」が講談社講堂で開かれた。中学生、高校生、大学生、サラリーマン超満員だった。25日の新聞には<まさにマンガ、頭にきたか 時代への不満のあらわれ>の見出しの記事があった。漫画での一人の死に対して葬儀までする変わった時代だった。詩人の寺山修司さんは こう書いている。 「誰が力石を殺したのか」力石はスーパーマンでも同時代の英雄でもなく、要するにスラムのゲリラだった矢吹丈の描いた仮想敵、幻想の体制権力だったのである。丈の風来橋の下での生活、あの犯罪の日々、交番襲撃から集団窃盗、そしてじぶんの血を売って丈をボクサーにしようとした片目の丹下段平の父性への裏切りといったものが、しだいに「あしたのために1」といった紙片による学習へと綱領に組み込まれ、二流の技術のために一流の野生を失ってるくことになったのである。「あした」を破産させられたあしたのジョーはどうするのか?また新しい幻想の敵を獲得し、水前寺清子のように<東京でだめなら名古屋があるさ・・・・・>とうそぶきながら、トレーニングにはげむのか?それともスラムへ帰って昔の仲間たちと開放の夢からはなれて暴力団にでもはいるのか?かってのチャンピオン小林久雄のように浅草のなかを肩で風切りながら、ときにはテレビのボクシングを見て感傷するか?力石は死んだのではなく、見失われたのであり、それは70年の時代感情の憎々しいまでの的確な反映であるというほかはないだろう。
2007.04.26
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もしも このブログみてたら戻ってきてください。 「目を閉じて」左目を閉じて 過去を見よう右目を閉じて 現在を見よう両目を閉じて 未来を想像しよう明るい未来を 「おやすみなさい」楽しかった今日を思い出しながら眼ろう嫌なことは一切忘れて眼ろう明日はいい日になるさおやすみなさい・・・・これは「さよなら」の詩だったんだ。いま思うと。こんが最後の詩だった。元気ですか?最初の詩「顔をあげて」みたいな詩 待っています。
2007.04.25
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その(4)ということで、今回は力石徹の「死」について書きます。力石徹は漫画のうえでは、昭和45年2月22日に死にます。この時、僕は高校2年生医学部受験のため勉強していた。(僕は結局、理学部に入学し、バイト生活、大学中退するのである。この話とは関係ないのだが。)時代的には大阪万博の開催、東大の安田講堂事件(学生運動)。体制と反体制の選択を考えてさせられていた時代である。話をあしたのジョーに戻そう。ジョーは捨て子であり、両親に裏切られ、孤児院で暮らした典型的な風来坊である。ボクシングの世界に入れようとする段平に、詐欺事件・暴行事件で少年院に送られるのである。まあ~どちらかといえばボクシングの劣等生である?力石はプロボクサーで連戦連勝だったが、観客の汚いヤジで観客を殴り試合停止処分、街で暴行事件を起こし少年院に送られた、どちらかといえばボクシングの優等生である。この二人が少年院で激突、試合をするのである。実力的には力石が上であったが、なぜかジョーの執念により両者ノックアウト、引き分けに終わるのである。刑期を終えて力石が先に少年院を出る。その後ジョーも出るのであるが、力石は引き分けにこだわり続けるのである。その後、力石とジョーは再対戦するのであるが、この対戦にはボクシングでいう体重という問題があった。力石はジョーと対戦するため減量するのである。この減量が死の原因の一つである。試合経過については、ここでは書くと長くなるので書かない。6ラウンドのジョーの頭へのフック、この時ダウンしロープに後頭部を打つのである。結局8ラウンド力石のアッパーで力石が勝つのである。試合後ジョーは力石に「まいったぜ。あそこで右のアッパーが来るとはさすが力石だ」と握手を求めようとしたが、力石はそのまま床に崩れ落ちたのである。「力石徹よ、君はあしたのジョーの明日であり・・・・・・」これは3月24日、実際に行なわれた力石徹の葬儀の弔辞である。次回はここ辺りを書きます。
2007.04.25
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葉子と紀子ちゃんという女性を書いた。もう一人”サチ”という女の子がいる。「泪橋」を渡って、ドヤ街に住む、気の強い幼い子である。暴力団に脅かされている子供たちを助けたジョーを慕うようになるのである。すごく可愛い子である。「ジョーあにぃのバカ~」と言いながら、涙を流さないため水を飲むの我慢する子である。ジョーに逢えて、嬉しい感情をものすごく出す子である。ジョーはそんな女の子に『やさしい』声をかける。ジョーのボクシングの試合にはいつも来ていた女の子である。
2007.04.24
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葉子の「愛の告白」、ジョーを愛していたと気づく葉子はホセ・メンドーサとの試合前に、控え室に乗り込んで試合を放棄するようにジョーに勧告する。ジョーが試合をすれば殺されてしまうという思いから出た「愛の告白」だった。でもジョーはその「愛」を受け入れながら、試合に行く。その時代、忘れられていた日本人の本当の心であった。「リングには世界の男 ホセ・メンドーサがおれを 待っているんだ」「だから・・・・いかなくっちゃ」「矢吹くん・・・・・・・・」もうひとつ、葉子より先にジョーに思いをよせる紀子ちゃんがいた。ジムに差し入れに寄って、雨が上がっているのに傘をさしたままだった紀子ちゃんにジョーは「玉姫公園に行くんだ。紀ちゃんもいくか」とデート(?)に誘う。紀ちゃんは、もうボクシングなんか止めて、青春を謳歌しないかという疑問をジョーに投げかける。ジョーはそのシーンのなかで、こう云う。「そこいらの れんじゅうみたいに ぶすぶすくすぶりながら 不完全燃焼しているんじゃない」「ほんの しゅんかんにせよ まぶしいほど まっかに 燃えあがるんだ」「そして あとには まっ白な灰がのこる・・・・」「燃えかすなんか のこりやしない・・・・・」「そんな充実感は拳闘をやるまえには なかったよ」その後 紀ちゃんは、西と結ばれる。ジョーはこの結婚式で「まあ せいぜい しあわせに なってくれや!」と席に着く。
2007.04.23
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1973年5月13日、ジョーは死んだのかという疑問。三人称の死体としてのジョーは存在していない。漫画のなかの一人称の死である。なぜ34年も経っても、僕の心の中で生きつづけるのか?ラストシーンから書き始めることにする。なぜか?分からないが・・・・。たぶん僕の明日の始まりだからだろう。「まっ白に・・・・燃えつきた・・・まっ白に。」まっ白な灰に・・・実にすがすがしい表情である。画は漫画で見てくれたらいい。書く必要はない。世界王者との試合が終わって、「あんたに・・・もらってほしいんだ」と葉子に渡す。葉子はグローブを受け取る。最後の愛をしっかりと。このボクシング漫画には女性はあまり登場しない。葉子と紀子ちゃんぐらいである。次回はこの辺を書きます。
2007.04.22
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いいですよね!ブログって。なんか読みながら太宰治の「走れメロス」を思いだした。この小説は僕が中学生の時、教科書にも採用された小説です。太宰治の小説の中でもよく読まれている小説です。ただ明るい友情の小説ではなく、暗く、不安から迷い、耐えて、息吹を吹き返す健康な小説です。太宰自身「青春とは、友情の葛藤である」と述べています。ついでに太宰治の「人間失格」という小説がある。この小説を解説すると長くなるので書かないが、中原中也のこんな詩がある。 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さえ吹きすぎるこの二人は「無頼派」であった。同じように聖書に傾倒にするのである。
2007.04.22
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これは「詩」というものではない。つづきを書こうとしたが、書けなかった「詩」である。(人間は変わるが、情報社会は変わらない)中途半端な「詩」であった。フランツ・カフカというユダヤ人の作家(詩人)がいた。20世紀の実存主義小説家である。そのなかに『変身』という有名な小説がある。主人公のグレゴール・ザムザがある朝、目覚めると自分が巨大な虫に変わっているのを発見する物語である。ザムザは自分の意識のなかで「俺はザムザだ」と言いつづける。(変わらない人間と変っていく情報社会)の実態を書いた小説である。実は正反対の意識を書いた小説である。のちにカミュは「不条理の世界」を『異邦人』で書いているが、『変身』のテーマは不条理なのである。カフカは青年の頃、哀しみに打ちひしがれ、山の中腹に腰を下ろし人生の願いを考えていた。未来への夢に耽っていた。しかし、その夢は普通の夢でなく、人生を虚無として捉えている夢であった。カフカは人間はあたかも実存しているかのように振舞っているが、本当は実存していないのだと『ある戦いの記録』のなかで書いている。現実の世界ははかない幻の存在と言っている。人間、たとえば僕の場合、酒を飲んで死ぬか、酒を止めて生きるか。生か死か?医師も「生きたいなら治療します。このまま死にたいなら治療やめます」本当にそのとおりです。僕は「生と死」その間にある<社会文明>たとえば、テレビ・パソコン・携帯電話・冷蔵庫・などなど、つまり世の中が豊かになれば、文明というものがあたりまえと思えてくる。変な社会だ。情報社会とは変わらない社会なのに、変わってきていると勘違いをする。「文化」という言葉がある。僕は「文化」というものをついつい忘れている。これは生活の中で自分自身を考えることである。今日の朝日新聞の「天声人語」、宮城の市民憲章の「方言」のことが書いてあった。僕の好きな詩人寺山修司さんではないが<ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし>本当にそのとおりである。追加脳は実は毎日、変わっていきます。このことを意識して考えないから「人間は変わらない」という考えが生まれる。でも「変わらないなぁ」と考え出すこと自体「変わる」ということです。少しであるが「人間は変わっていってるんです」。
2007.04.21
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変わってきている確かに僕は生きてる人間だから変わらない情報社会の中で
2007.04.20
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今朝、書いたことの続きです。養老孟司さんの「死の壁」、一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体のことを書いています。二人称、三人称の死をいかに考えるか。僕が今日、断酒院内例会で話したこと。これは自分に対する問いかけでもあります。こんな話です。テーマは「断酒と健康」です。僕はストレスから鬱になり、アルコールに頼るようになり肝臓を壊し入院しました。身体が健康になり退院します。でもまた酒を飲み入院します。何度かこの繰り返しをします。精神病院を退院して、身体も心も健康になりました。今は家庭円満です。でも本当は違うんです。僕の健康と引き換えに家族(妻、母)に「心の病気」を与えていたんです。このことには気が付かなかったんです。僕のアルコール依存症という病気は治らない病気です。と同時に、家族の「心の病気」も忘れてはいけない病気です。これからも例会出席し一日断酒で頑張ります。こんな話だったと思います。要するに、二人称を忘れてはいけない。他人の気持ちを考えなくてはいけない。アル中、自己中であってはいけない。こんな感情を云いたかった話です。この文章を書いているとき、離れた母から電話がありました。「元気か」って。
2007.04.19
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一人称 英語では I です。二人称 英語では you です。三人称 英語では it、 he、 she です。I love you 私はあなたを愛してます。一人称の自分が二人称のあなたを愛するわけです。僕は I love you がなかなか云えなかった。とういより、言葉で云ったりするのが、嫌だった。本当の「愛する」という感情がなかったのかもしれない。何か you が 三人称の it を云ってるようで。ドアをノックして Who is it? と云われているようで。二人称を考えること難しいと思う。でも大事なことなんだ。「自分は自分」 これはよく考える。自然に思う。だから自分は愛します。二人称の気持ちを考えること、本当に難しい。大切なことなんだが。
2007.04.19
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