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天神と菩薩と阿羅漢と王と人非人等は、ゴータマ・ブッダの眉間の白毫相(びゃくごうそう)の光のなかに、六道を輪廻する人間や動物や天上の神々を見た。また、菩薩が修行を積み重ね、やがては如来となり、仏国土を築き、人々を救済している姿も見えた。 シャーキヤムニ・ブッダと縁のある土地からは、ブッダの縁起の教えをより徹底され、空(くう)を説くナーガールジュナ(龍樹=りゅうじゅ)と、空の崇高な思想が虚無的で退廃的な思考に陥らないように、空と不空(ふくう)を覚るために瑜伽(ゆが=ヨーガ)の実践を行いつつ、人間の生命体としての根本識たる阿頼耶識(あらやしき=アーラヤヴィジュニャーナ)の在り処を求め、かつその清浄と消滅を修行とするマイトレーヤ(弥勒菩薩とは別。無著の師)と、アサンガ(無著=むじゃく)とヴァスバンドゥ(世親=せしん)兄弟の一派が現れた。彼らは、瑜伽行派(ゆがぎょうは)と言われた。現代でいうところの唯識(ヴィジュニャプティマートラター)の哲学体系をつくった菩薩たちである。弟のヴァスバンドゥは、『倶舎論(くしゃろん)』を書いた後に、大乗に転向した。彼らは、北西インド、ガンダーラ地方の出自であった。(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)
2007年05月27日
ボンゾは、姿の見えないヴィシシュタ・チャーリトラ(上行菩薩)に聞いた。「菩薩よ、世尊は何がゆえにこの光明を放たれたのでしょう。何の徴候でしょうか。わたくしボンゾは、なんのゆえがあって、いまここにいるのでしょうか」 たくさんの菩薩や神々たちも、その名も知らぬ居士(こじ)の方を振り返った。「うぬと同様の質問をその昔、マイトレーヤ(弥勒菩薩)が、マンジュシュリー(文殊菩薩)に問うた。それを、わしは今思い出した。 いま、シャーキヤムニ・ブッダ(釈迦牟尼仏)は、大法の雨を降らし、大法の鼓を打ち鳴らし、大法の義を述べんと欲せられているのだ。わしは、過去の諸々のタターガタ(如来)たちが、かつて同じ奇瑞(きずい)を示されるのを見たてまつったが、かの光を放ったあとに、みな等しく白蓮の法を説かれたことを知っている。しかし厳密に言えば、シャーキヤムニ・ブッダはすでに、『サッダルマ・プンダリーカ』を説いてしまわれた。しかるに我々は、追いつかねばならぬ。(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)
2007年05月13日
「ボンゾよ、聞こえるか。宇宙の始まりの説法が始まろうぞ。永遠に繰り返される銀河宇宙と、生きとし生けるものの輪廻の去っては来るは諸行無常、始まりは、終わりの始まり、そして終わりは、始まりの始まり、物語の円環は、永劫(えいごう)回帰せん。 水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星等がめぐる太陽系も、七十億年の後は亡びよう。それよりはるかに早く、十数億年ののちには、この水と緑の第三惑星の有情は、あまねく生命を保てず、そのアーラヤ(阿頼耶識)浮遊し、骨肉を失わん」 ボーディサットヴァ(菩薩)は、夢追い人に語った。(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)
2007年05月04日
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